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浅野琢也の雑記帳10 2009年10月〜10月31日

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web


2009年10月31日

 映画「時代を撃て・多喜二」池田博穂監督作品を観たことを谷中村廃村100年企画
ドキュメンタリー映画「赤貧洗うがごとき」−田中正造と野に叫ぶ人々−が別件の
検索でヒットした。「時代を撃て・多喜二」は、小林多喜二の描いた風景画が劇中
で紹介されていた。「赤貧洗うがごとき」は、足尾鉱毒事件がテーマである。
水俣病・カネミ油症・四日市ぜんそく・と環境による公害被害が続き
公害健康被害者補償法が作られたが時限立法であり公害病は、重大な障害を伴い
死に至るのが珍しくない。このあたりを書くとキリがないので別の機会にする。

2009年10月26日

 映画『TSUNAMI 津波(2006年)』バハラット・ナルルーリ監督の作品を観た。
一部と二部に分かれた長編映画である。海と空が美しい。「ナポリを見て死ね」
という言葉が頭をよぎった。旅行者の父親が目の前で娘を流され妻も発見に時間
がかかった。事故を取材する二人の記者と現地カメラマンが津波に便乗して住民
の土地を奪いホテルを建て替える。観光地なので危険でも発表しない政府の姿勢
がみえた。「ベニスに死す」のコレラ情報の緘口令。後は「山椒太夫」のラスト
の津波で流された村も思い出した。感情移入までメインキャストの「おいたち」
が無いので他人事で「気の毒だけど関係ない」から抜けるのに時間のかかった。


 
 自主製作映画『鬼城 onjiro(2006年)』監督/脚本 玉得貴大の作品を観た。
製作費200万と聞いたが、劇中に騎馬も登場する。蒲田行進曲の眼帯で別人
に見せて何役もこなす。顔に包帯を巻いて誰か判らなくするなど工夫が見ら
れた。テンポも良い。場面が切り替わる瞬間に画面が真っ黒になるのは編集
ソフトの機能の関係かも知れない。城の全容は出て来ない。城主の首を取ると
黄金のある城に心が囚われるような終わり方であった。ゴースト・シップで
客船に金塊を積んで殺し合いをさせるサタンの手下の扱いに似ている。
 海外のDVD紹介冊子の「パコと魔法の絵本」と向かい合わせに取り上げ
られていた。劇場未公開だが「Filmiru(フィルミル)」という自主製作映画の
無料ネット配信サイトで公開
している。他の作品も劇場公開作品と比較できる
レベルの物まである。著名な映画人と、やはりモチベーションが違う。


2009年10月25日(日)

 東京ビックサイトに30回になるデザイン・フェスタを見に行った。アニメのワンピースを
観終わってから服を着てサンダル履き2リットルのスポーツドリンクをトート
バックに入れて部屋を出た。私は呼吸器の疾患で心拍と脈拍が成人の平均の二倍で
ある。処方された薬を正確に時間通り飲んで水分を摂取して体調を整えて点滴と
成分の近いスポーツドリンクを用意するなど手間がかかる。多少の急変なら同じ
区内なので処置も間に合う距離である。問題は建物が大きいと外に出るのが大変
な事だ。歩行速度を遅くして椅子で休憩しながら見て歩いた。春は、これが出来
ないと判断して行くのを断念した。ゲイサイに出品したり他の美術展に出品して
いる顔見知りのブースに顔を出しておくのも楽しみの一つである。格差社会の中
でもレベルアップして卒業してしまう人もいる。私は面識が無いが日本アンデ
パンダン展では、岡本太郎氏は有名である。美術家平和会議の平和美術展では
過去にやなせたかし氏が出品していた。子供でも知っているアンパンマンの作者
である。
 5年程前、デザフェスCブースに西村喜廣監督が『スピーカーマン THE BOO
という夕張ファンタスティック映画祭の出品作品のブースを出していた。ポスター
武田尋善さんが描いた作品である。(有)西村映造として『片腕マシンガール』の
井口昇 監督作品と『東京残酷警察 TOKYO GORE POLICE』西村喜廣監督
ツタヤにも置かれてレンタルできる程に有名になっている。
 デザインフェスタに鎧武者姿で砦の見張りが立っているブースがあり
鬼城 onjiro』と言うDVDや劇中に使用した刀や着物に生首の造形物と
いった小物を売っていました。制作費200万円と聞いて「何とかウィッチ
プロジェクト」みたいですねというと「ブレアウィッチプロジェクト」を
知っていたので買いました第2の西村映造になれるか楽しみです。
買ったら紙袋に入れてれました。持つ所にヒモでなく不恰好な布がついている
構造で劇中で家紋を入れて闘うのに使用した、のぼり旗の布を切ってヒモにしたと
思われる。櫻の園で前売り券にベタ付けしたポーチが劇中使用品のリボンとブ
ラウスの生地にしたのに似ていて共感がもてました。折角なので袋に玉置貴大監督
のサインを貰ったら、ブースのメインキャストが監督のだけでいいんですかと
聞いてくれました。
後で城主の生首を目の前に飾ってDVD見たら楽しみが倍増
したと感じました。重要アイテムですら5000円でした。櫻の園の制服を飾って
DVDを観るとしまうのが大変なので流石にしません。有楽町マリオンだけ展示
しており最寄りのユナイテッドシネマズ豊洲で見なかったことを思いだしました。
鬼城 onjiro』は5年間と200万円(製作費)で、絵描きが短時間で絵を描き
簡単に出来たから半分に値段を負けろと値切られ裁判になり30年と2時間(かかった
時間)と答えて裁判官が画家の言い分を認めて当初の約束の金額を払うように命じた
話を思い出しました。30年と2時間は曖昧な記憶です。経験年数と作業時間だと解釈
してほしい。                        浅野琢也(Takuya Asano)


2009年10月24日

 映画『スラムドッグ$ミリオネア(2008年)』ダニー・ボイル監督の作品を観た。
クイズ番組の回答場面と警察の取り調べ室の場面にクイズの問題を覚えた回想が
1つ1つ丁寧に作られている。
しかも小さな子供が過酷な環境で生きている。
子役の演技もリアルで芝居がかっていない。その場を実際に目撃しているように感じた。
時間の経過で街の変化も巧みに見せている。ムンバイのスラムの過去と現在の繁栄の
裏まで見せている。母が殺された武器の名前を答える場面で引き込まれる。
その後、子供の目を故意に失明させ芸を仕込み物乞いさせるギャング・ママンに3人とも軟禁される。
ラティカを残して兄と逃げた所にのこっていた盲目の少年に100ドル札を渡すシーンは、
たまらない。アメリカでは残酷なカルト映画でも劇中で犬と猫と子供は殺すなといわれる。
かつてインドは、非暴力・非服従でイギリスから独立を勝ち取った国だ。その武器はニュース
映画で報道される惨殺の実態を世界に見せることであった。
未だに底辺の国民同士が殺しあう状態が今も続いているのだろうか?
警察の取り調べに殴ったり電気を流す拷問シーンがある。ナンというパンを盗もうとした子供
を列車から転落させる大人には驚いた。怪我させたり障害を残す方が悪い事だと思う。
四名の登場人物のキャラクターでプレイすることで、おいたちを知りレベルアップさせ
境遇や環境に感情移入
する。
(ゲームのドラゴン・クエスト4をプレイしてキャラクターの、生い立ちを知り、感情移入した人も多い
。その手法も活用している。
児童労働の禁止など気になる。ニューシネマ・パラダイスよりバランスが良いかも知れない。)
児童福祉の問題も気になる。「闇の子供たち」でタイに驚き「誰も知らない」で日本の制度の
不完全な状態を知った。兄をコンピューターで発見し再会する。ギャング・ジャベド・カーンの
手下になりママンの組織から守られていた。ラティカも一緒だった。ラティカはミリオネアを見ていた。
チャンスを手に入れ新たらな人生を夢見る」ミリオネアの裏番組がクリケットである。
そのクリケットの問題が出されるなど演出も凝っている。
回答の答えが正しいから不正が疑わしと警察に出演者を逮捕させて取り調べをさせるテレビ局
に疑問を感じた。しかもニュースとしてインド中に放送される。無実なら次の日に出演して
最後のチャレンジができる。無実が証明され放送局に向かうジャマールに国中が熱狂する。
最後の問題は、三銃士の名前であった。ライフラインの電話を使うが答えが解らない。
ジャマールは、感で回答する。ファイナルアンサーの時にジャベド・カーンからラティカを
逃がす。裏切りに気付いたジャベド・カーンに兄サリーム・マリクが殺される。
駅のホームで再会する。ジャマール・マリクとラティカーの二人だけになる。
ジャマールとラティカは、子供の頃に出会い不幸だで近くで犯罪が起こったので幸せに
なるだろうという予感を残して終わる。失ったものが多い複雑なハッピエンドの映画である。
インド映画だけあってエンドクレジットで音楽と大勢が踊るシーンで締めくくって
いた。
残酷シーンがあるのに感情移入して観て引き込まれた。
アカデミー賞:作品賞、監督賞、歌曲賞、作曲賞、編集賞、録音賞、撮影賞、脚色賞
など50冠近く受賞している作品だけある。だが疑問が残った。スラムドッグ・ミリオネアの
中に小学校に通っていた場面がある。全員が揃いのペパーミントグリーンのポロシャツ
ポロシャツを着ている。『 軍隊をすてた国コスタリカ』の制服と似ている。母親が殺され孤児に
なり登校しなくなった時点で小学校児童相談所へ報告したりギャング・ママンに誘拐された
時点で捜索願いを出す対応が出来なかったのか疑問に感じる。これがインドなのだろうか?

 日本のクイズ・ミリオネアでは一生暮らせる金額でない。医者や弁護士の平均年収程度
である。マンションの平均金額より低い。宝くじ並でないと現実逃避の空想出来ない。
つまり夢を見られないが知的好奇心で見ている人が多いと思える。まったり見られる
トリビアや不思議発見で十分
かも知れない。クイズ番組は集中力が必要である。
 インドでは、この変が異なるらしい。同様の番組がアメリカにもあり司会者が
ジャック・ニコルソンらしい。視聴率が気になるがクイズ番組のイメージが以前
より重苦しく感じるようになった。
 今年、メキシコで起こった事件がある。ニュース番組の為に製作者が殺人までして警察や
救急車より早く現場に到着して事件現場の放送して逮捕される事件が報道されていた。
 昔、公開処刑があったが番組の視聴率のために殺人をした犯人の処刑を自己の作っていた
番組で放送したら良いかも知れない。死刑でなければ獄中生活のドキュメンタリーとかも
見せしめで注目させ皮肉も効いて防犯効果があるかも知れない。
そんな事を、想像してしまった。犯罪の重さと制裁のバランスの法整備が不十分に感じた。
自国の貧困と恥を世界中に曝して
得たアカデミー賞作品であった。
 日本の笑い話に「還暦の祝い」がある。ケチで強欲な長者が還暦になり祝いをするため
番頭を呼んだ。そして「カネがかからず、派手で、人の喜ぶ祝いを考えてくれ」という。
番頭は呆れ反ってしまったが、しばらく考えて「それなら、村人の前で長者様が首を
吊って見せるのです。人が騒ぎ派手になりますし、村人は大喜びします。しかもお金
もかかりません」死んだ方が喜ばれる程の長者に番頭は、愛想をつかして出て行く
覚悟をしたのかも知れない。



 映画『山椒太夫(1954年)』溝口健二監督の作品を観た。90分の白黒映画だ。
溝口建二監督は1898年5月16日〜 1956年8月24日(満58歳没)
なので遺作かも知れない。第15回ベネチュア国際映画祭 銀獅子賞1954年キネマ
旬報ベスト10は第9位である。肝心の内容であるが人さらいに攫(さら)われて
山椒太夫という荘園の領主に売られてしまう。アフリカから人を攫ってアメリカ
で売りつける奴隷貿易と同じである。リンカーンの時代まで続いていたから平安時代
西暦782〜1185年の日本が舞台である。1863年にゲティスバーグの演説があったから
1000年程昔である。奈良時代と鎌倉時代の間で南北朝時代の前ということだ。
原作は森鴎外軍医でもある。「安寿と厨子王」の話なので誰もが物語のあらすじを
聞いた事がある。漠然と知っている話でも映画でじっくり観ると為になる。
自分と母をさらった相手ではなく買って強制労働させた相手への復讐劇ともいえる。
モンテクリスト伯っぽい流れだ。こちらは家柄は関係ない。元々の生まれが良いことで
父親の元の領地を朝廷から任されるから立身出世と違う。劇中で父親が「生まれながら
に人は平等だ」といいつつ「蛙の子は蛙」的である。権力を手に入れ自分の領地の中の
治外法権の右大臣の領主、山椒太夫に人身売買の禁止の法令の立て札を立てさせてる。
山椒太夫は部下に命じて立て札を壊させる。治外法権の荘園の立て札を破壊した罪で
召(し)捕る。そして姉を探すが湖に身を投げた後であった。目的の人身売買の禁止の
令を出して辞職し佐渡島に売られた母親を探しに行く。岩城の判官正氏の御台所から
遊女に身を落とし津波で失明した母と再会して終わる。45〜46才の母が現代の70才に
見えた。平均寿命が短い時代は外見が老婆になるもの早かったのかも知れない。
山椒太夫の荘園に佐渡から売られて来た娘が糸巻きで糸を紡ぎながら歌を歌いだす
姉の安寿は歌を聞いて母の境遇を理解する。そして荘園から二人で逃げようとするが
手下に追われて弟だけを逃がして自分は犠牲になる姉や厨子王を匿い朝廷への添え書き
を渡す僧侶の「濁った世の中」と言う表現も深いと感じた。
 「スラムドッグ$ミリオネア」や「闇の子供たち」の現代社会の方が残酷になった気が
する。熱した油をスプーンで子供の目に入れて失明させたり生きた子供の心臓を買ったり
の話である。山椒太夫では、逃げようとして捕まえて焼き鏝を額に当てたり佐渡の遊女屋
では母親の足の腱を切り歩行困難にして逃げられないようにしていた。
残酷度が「50歩100歩」なのかも知れないし、「ぬるま湯のカエル」みたいに感覚が鈍感に
なったり麻痺しているのかも知れない。注意して映画を観ようと思う。
山椒太夫は著作権フリーでパブリックドメインとなり青空文庫で公開されている。

2009年10月22日

 映画『ある愛の詩(1970年)』アーサー・ヒラー監督の作品を観た。
ハーバード大学の関連校、ラドクリフ女子大学の図書館にオリバーが
明日の試験の為に本を借りにいくき図書委員のジェニファーと出会う。
パレットの苗字で、「お金持ちの坊っちゃんね」と会話になる。
学校の中にパレット講堂がある。パレット家が寄付した建物である。
そして何度か会ううちに恋仲になる。オリバーは、アイス・ホッケー
の選手でアイス・ホッケー部の無い法学部へ進学するのをためらう。
厳格な父に反抗しだす。父は、ボート部でオリンピック出場経験もあり
息子は、対抗意識を持っている。コンバーチブルのクラッシックカー(ヴィン
テージカー)を乗り回しているのは、名門パレット家にあった車だと
わかる。その車で実家にジェニファーを連れて行き両親に合わせる。
大学の敷地みたいに広い庭の奥に建っている屋敷は門から車で数分
かかる距離である。ジェニファーは、身分の違いに驚くがオリバーは
実家を後にする。学生結婚に反対する父に背いて二人は結婚する。
ジェニファーの父は、しぶしぶ賛成する。新婚生活が始まるがジェニ
ファーが代用教員をしてオリバーの生活を支える。オリバーがロースクール
で三番の成績で卒業した。そしてニューヨークの一流法律事務所の弁護士
になり生活が安定する。そして不妊検査でジェニファーが白血病で余命が
短い
と告知される。結婚しなければパリに留学して音楽の道に進んでいた。
そしてモーッアルト・バッハ・ビートルズ・Me(オリバー)を愛して
いた。父オリバー・バレット3世に入院して死にゆく妻の為に5000ドル
借りる。(入院中で余命無い妻に出来だけのことをしたくても限られて
いるのでイザという時の資金と思われる)父は、事情を聞きたいがこらえて
小切手を渡す。妻は死にオリバーは、亡き妻に返せない恩を感じたまま
物思いにふける。
愛とは決して後悔しないこと」や フランシス・レイが
アカデミー作曲賞を受賞した作品である。ゴールデングローブ賞も受賞している。
している。
 現在、血液の癌・白血病は、両親が揃っていれば骨髄移殖で、ほぼ治る
病気になった。結核も治る。早く治療すれば結核後遺症も痕跡程度で済む。
肺気腫と塵肺は、未だに治せない。私の場合は、遺伝子治療で肺の細胞を
再生させることで治療できる時代の到来に期待するしか無さそうだ。
父オリバー・バレット3世の指の動きは、FOXのアニメ「シンプソンズ」
のバーンズ社長を連想させる。バーンズとスミッサーズが白いテニスウェアで
テニスするシーンやバーンズ社長が1人で運転する車は、この作品を思い出させ
てくれる。


 映画『イージー・ライダー(1969年)』デニス・ホッパー監督の作品を観た。
昔観たときは、腕から時計を外して旅に出るシーン。途中から仲間になった
ウィスキーを飲むとニック・ニック・ニックと腕を振るジャック・ニコルソンの
弁護士が面白かった。長髪でバイクに乗って旅をしているだけで撲殺される。
道を走っているだけでショットガンで撃ち殺される場面しか印象に残っていな
かった。冒頭でロールスロイスに乗った若者と富豪の父親が現れる。
息子の為にマリファナを買い与えた様子だ。そして二人は儲けた金をガソリン
タンクに隠す。そして真のアメリカを求めてオートバイで放浪の旅に出る。
二人のヒッピーを描いたアメリカン・ニュー・シネマの代名詞的作品である。
元々は馬をバイクに乗り換えた現代の西部劇を目指して創られた作品らしい。
しかし描き出されたのはドラッグ・カルチャー、余所者への強烈な排他性、
がドライブインの保安官と街の男の会話が象徴している。「郡境で殺るか」だ。
そして名ばかりの“自由”という現代のアメリカであった。殺される前に
ジャック・ニコルソン演じる金色のフットボールのヘルメットを被っていた
弁護士は、「アメリカは、いい国だった。異質なものに臆病になった。人と違うと
二流のモーテルでさえ客を選ぶ」「君が象徴している物!君に自由を見る。
自由を説くことと、自由であることは違う。」「カネで動く者に自由はない。」
「自由であるやつを見るのは怖い」「人間の価値は棺桶に入って初めて決まる」

ピーター・ホンダデニス・ホッパーが劇中で吸っていたマリファナは本物だった
らしい。ジャック・ニコルソンはウィスキーでニック・ニックとなるから吸えない
と一口だけ口にして残りを返す場面があった。2002年に監督のデニス・ポッパーは
フィルムケースに大麻12gを所持していたとカナダのカルガリー空港で逮捕され
た。(麻薬犬が発見)
 1969年という時代性を強く反映させているのに未だに色褪せない。内容が普遍的で
現在も充分に通用するテーマを内包している。大ヒットは低予算で現実的でも
優れたビジネスになる事をハリウッドに知らしめた。
この映画から40年後の
日本はアルコール依存症は昨年の6倍・麻薬が2倍である。


2009年10月21日

 東京国際映画祭で上映されたドキュメンタリー「ザ・コーブ」ルイ・シホヨス
監督の作品が和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りしたとして問題になって
いる。私は、まだこの映画を観ている訳でないが環境問題は、東京大気汚染
公害裁判の幹事を勤め環境週間に環境大臣交渉の経験がある程なので取り上げた。
申しわけ程度に水銀の問題も取り上げているらしいが、水俣病の認定
問題や大気汚染の公害健康被害者保障法が機能停止したままの状況は、知らない
ハズである。ジョーズの影響でサメが絶滅の危機になり保存運動が起こったり
鮭の放流で蟹や海老が食べられたり環境を破壊して再生するのは難しい。
鮭は白身魚であるが身が赤いのは主食が蟹や海老であるからだ。
生態系の破壊が進むと「ソイレント・グリーン」を食べる世界になるかも
知れない。「オルカ」というシャチに襲われるより漁師は大変らしい。イルカは
知能が高く、養殖所の魚を集団で襲うらしい。「黒い絨毯」みたいに怖い。
農家は猿に作物を食われてしまい漁業はイルカに養殖魚を食われる。
「イルカの日」という魚雷みたいにイルカに爆弾を付けて大統領を暗殺する
映画が昔あった。イルカ漁の目的は、食べるためなのか産業を守るためなのか
明確にする必要がある。ドキュメンタリー映画は隠し撮りなどしないで様々な
視点から取材を徹底するべきである。
視野も広げてほしい。4年から7年かけた
ドキュメンタリー映画がある反面、思いつき程度の企画で作られた物もある。
東京国際映画祭のテーマが環境だから単に審査員ウケを狙ったのかと勘繰り
たくなる。ルイ・シホヨス監督は、著作権や肖像権に物の肖像権の知識がある
のかも疑問である。複数の知的財産権が絡む映画の世界で仕事をした経験が
あるのかも解らない。ウイキペディアで調べたが名前が無い。初監督作品に
しても相手の了解を得て取材しないとプライバシー権の侵害にも該当する。
隠し撮り自体が犯罪になる。ニュースの報道とドキュメンタリー映画は違う。

 グリンピースはクジラ漁で生態系を壊した。まず身近な公害の問題にも協力
すべきである。環境団体といってもイメージアップ目的の利己的な所や自己満足
の所が多い。公害裁判の闘争経験者として「ザ・コーブ」を観ていたら批判や
評論も厳しくなるだろうが基礎知識をもとに一般論として例を上げた。


2009年10月19日

 映画『ハルウララ(2005年)』森川時久監督の作品を観た。劇場公開は、
高知県内の映画館で4月と愛知万博で6月に上映され全国規模の上映まで
いかなかった作品である。2003年6月に高知新聞に88連敗の報道が載り
毎日新聞の全国版で報道されブームが起こった。映画は、及第点という
感じである。厩舎の調教師の宗石大は、長引く不況で馬主(うまぬし)
を探すがレースで勝ち賞金を得ないと莫大な費用がかかる競馬の仕組み
で馬主のなり手が無く家庭崩壊してしまう。高知競馬も赤字続きで廃止
の危機に直面する。可処分所得がない。競馬好きに酒は付き物である。
映画は、綺麗に出来ているがタバコを吸う描写が無く綺麗すぎてリアリ
ティーが薄れている。人間模様もドロドロせずサラリとしている。
ボタン肉(猪肉)の鍋でサクラ肉(馬肉)を喰ったと人が良く野心の無い
弟に兄が腹立ちまぎれに嘘を言う描写は良かった。娘と若い調教師で騎手
の夢破れた藤原健祐との関係もあっさりしている。美容師になった宗石の
娘が馬と同じ色に健祐の髪を染めるあたりは、髪を茶髪にするのが流行った
時代を思い出した。競馬はギャンブルである。公営でも慈善事業でない。
興行的要素を入れても限界がある。パチンコ業界が1円パチンコを始め
新聞が折り込み広告を入れテレビ局がパチンコ台のコマーシャルを放送
している。一昔前は、モラルや倫理を理由に断っていたハズである。
ドキュメンタリー形式の記録映画だとインパクトがあったかも知れない。
2005年は収益を出せる基板が破壊されている最中でメガ・コンペティ
ション時代で負け組・勝ち組と格差の拡大と競争に疲れた人が共感して
一時的なブームになったが勝ち馬に乗らず負け馬に乗り続けるほど酔狂な
道楽は長続きしなかった。愛知県は愛知万博のあとも景気が良かった。
しかし2008年の初秋に派遣切りが始まった。その前の2007年に
テレビドラマとして放送したら話題になったと思う。今ではハルウララ
どころか競馬場の存亡の危機である。競馬場に馬券も舞わない時代である。
酒と博打なら殆どが酒を我慢できないと思う。北海道では競馬場の閉鎖
が相次いでいるらしい。

 殺伐とした時代なので反動でカルネというカルト映画を思い出した。
CARNE カルネ(1994年フランス映画)ギャスパー・ノエ監督の作品で
馬肉店の経営者の生肉を切るシーンを思い出してしまった。血が流れる
解体シーン。この主人公も父と娘の二人暮らしである。娘に馬肉は健康に
良いと薦めていた。ある日娘が生理になる。股から血を流している姿に
驚き、偶然一緒にいた若者が襲ったと勘違いして殺して投獄される。
犯人は別の人物だった気がする。1人になった娘は施設に送られる。
続編もある。SEUL CONTRE TOUS カノン(1998年)で元馬肉屋が
刑務所から出所してカフェの女の家に居候として暮らしていた。職に就け
ない為関係が悪化し耐えられなくなる。そしてパリの施設に娘に会いに行く。
愚痴の連発で字幕を読むのが大変である。全てに嫌悪感がある様子だ。
様々なモラルとの葛藤もある。最後は、近親相姦後に娘を殺す。
原題は「周りはみんな敵」である。劇中に流れているバッフェルベルの
カノンが流れている。

カルネでフランスのテレフォンカードをテレカルネと勘違いして映画を
観た。サクラ肉が馬肉であり、蹴飛ばし屋=馬肉屋という。
私の観覧車のオルゴールの曲も八弁のカノンだ。(ドレミ・・で最低
八弁が必要である。海の上のピアニストで「ピアノは88鍵」というセリフ
や野球のボールの縫い目は108というが高級なオルゴールはパイプオルガン
みたいに弁の数が多い8弁 20弁 22弁 30弁 36弁 45弁 50弁 72弁 80弁
100弁 144弁 160弁と様々である。大阪弁のオルゴールは無い。)


2009年10月18日

 映画『ジュマンジ( 1995年)』ジョー・ジョンストン監督の作品を観た。
いじめっ子達に自転車で追いかけられアランは父の工場に逃げ込む。そして
新開発のスポーツシューズをコンベアの上に置いき工場を出た。コンベアが
動き靴を巻き込み壊れてしまう。子供が叱られないように従業員のカールは
私のミスですとアランをかばう。26年後の世界で警察官として登場する。
工場から出たアランは近くの工事現場で、偶然、古い木箱を
掘り出す。中からJUMANJIと書かれたボードゲームを発見し持ち帰る。
町の名士の父サミュエル・アラン・パリッシュは、息子に全寮制の中学校の
学校案内を渡し転校を提案する。寮の名前はパリッシュ寮で祖父の寄付で
建てられた。ガールフレンドのサラが、いじめを気にして訪ねてきた。
そしてゲームを始めるとコウモリが現れアランは誰かが5か8の目を出すまで
ジャングルで待つとゲームに吸い込まれてしまう。そしてサラは逃げてアラン
は行方不明になる。そして26年が過ぎる。1995年にアランが住んでいた屋敷
にジュディとピーターという姉弟が引っ越して来る。二人はカナダの旅行に
行き事後で両親を亡くして心を閉ざしている。屋根裏部屋で太鼓の音がする
「ジュマンジ」と書かれたボードゲームを発見する。1人でに動く駒やゲーム
版に表示される文章を見ても木製の電子ゲームだと思う。1995年は、テレビ
ゲームも普及しているので冷静に注意書きを読んで理解する。サルやライオンが
飛び出しビックリしているとジャングルで26年経過して大人になったアランが
ロビンソン・クルーソーみたい格好で飛び出して来る。そして両親が破産して
死亡した事を知る。像や犀にシマウマに人食い植物まで飛び出して来て町中が
混乱する。豊だった街は、不況で荒廃してホームレスがいる状態である。
ゲームを進めて終わらせないと大変な事になる。サイコロを振る順番を守らない
とゲームは進まない。サラを探し出して何とかゲームを進める。様々なアクシ
デントが起こるがゲームから出てきた父に似たハンターに射殺される瞬間にゲーム
の上がり「ジュマンジ」で時間が26年前に戻る。そしてゲームを川底に沈め
新たに26年の時が経過する。アランは父の工場を継いで業績も上々である。
サラと結婚している。
パリッシュ家のクリスマスパーティーにジュディとピーターが両親と現れる。
そして死亡事故が起こるカナダ旅行の予定を変える。ラストに何処かの砂浜に
打ち上げられたジュマンジが映される。
ジョー・ジョンストン監督は、『ミクロキッズ』(1989年)『ロケッティア』
(1991年)といった子供も大人も楽しめる作品の監督である。
ロビン・ウィリアムズが作品に親しみやすさを与えている。アドベンチャー・
ファンタジー映画でネバー・エンディング・ストーリーバック・トゥー・ザ・
フューチャー
的なティストが良くマッチしてハッピーエンドで観た後に安心感
が残る。ジュラシックパーク的に巨大な像やサイなどが車を破壊するなど特殊
効果もすごい。スターウォーズやレイダーズのSFX・特殊効果の経験も活か
している。「ある愛の詩」の「パレット講堂」のネタまで盛り込まれて、
安心して楽しめる要素を盛り込んだ映画である。


 映画『三池 終わらない炭鉱の物語(2005年)』熊谷博子監督の作品を観た。
ポレポレ東中野の単館上映のドキュメンタリー作品である。ヨコハマ・メリーも
同様である。シアターN・シネマ・ロサ・トリウッドといったミニシアター系の
作品だがDVD化されている。福岡県大牟田市の三池炭鉱が1997年3月30日で閉山
した。19世紀末から150年続いた三池炭鉱の歴史と労働争議の様子を編集した
作品である。完成までに7年かけている。印象に残ったのは、労働争議の資金が
22億だと資本家は220億円を費やすらしい。
総評が一枚岩の団結だった時代
組合側が強引な姿勢で資本を敵視てきたように見える。その為に第二組合が結成
されて同じ職場内で対立する。仕事と労働の違いは、自分が決済する権限を持っ
ている場合は仕事である。労働者は作業員に近い意味である。仕事なら充実感が
あり顧客や経営者の立場まで視野を広げられる。三池炭鉱の場合は、囚人労働や
外国人に給料を払わず強制労働させた負の歴史がある。ジェルミナルという仏の
炭鉱の労働争議をテーマとした映画を思わせるがドキュメンタリーであり取材に
当事者が応じているためリアリティーがある。政治家が二大政党制の話をするが
少数意見が吸い上げられてこなかったから労働組合の組織率が下がる。しかも
アメリカのユニオンのように問題解決して離れていくのではない。問題解決と
いう目的を忘れて組織の維持に目的や闘争資金が無駄に使われて諦めて見切る
形での組合離れを招いているのではないかと危惧する。いっそ結社の自由は、
憲法で保障されている。2名以上で労働組合は結成できる。いっそ政党の数
の組合があっても良いと思える。そして運動や活動の目的が同じで団結が必要
な場合に組合員の同意で連立するスタイルが良いかも知れない。ソビエト連邦
が崩壊して沢山の国として独立したようになっても良い時期である。
情報開示や情報の透明化で知ろうとすればネットで入手出来る時代である。
このまま一握りの活動家に情報や交渉の権利を任せる弊害があると思える。

2006年度 日本ジャーナリスト会議特別賞・日本映画復興奨励賞・作品である。

2009年10月17日

 映画『 ローズマリーの赤ちゃん(1968年)』ロマン・ポランスキー 監督の作品を観た。
主人公ローズマリー・ウッドハウス(ミア・ファロー)と夫のガイが、ニューヨークの
アパート(ダコタハウス)に引っ越してくる。フロア単位の広さで富豪が住んでいる屋敷
をアパートにした設計だったが部屋分けて貸している。立地は、劇場に近く徒歩で通える
のでヤマハのオートバイのCMやバラエティー番組、芝居はルーテルで生計を立てている。
赤ん坊を食べた姉妹に悪魔崇拝者が昔に住んでいたらしいが家賃が安くガイが気に入って
ローズマリーも喜んで内装の壁紙を好みに変える。隣の老夫婦からディナーに誘われる。
年寄りと関わると面倒だとガイはローズマリーにいう。近所付き合いでディナーにいく。
予想通りに世話好きであった。おすそ分けだとチョコレートムースを届けにくる。
それを食べたガイは、隣と緊密になる。ローズマリーはチョコレートムースの味が変だと
少し口にして食べたフリをして捨ててしまう。人を操る薬草を示唆するようにハーブを家庭
菜園しておりマリファナは無いのかとガイはジョークをいう。
二人は子供を作ろうとしている。夜にローズマリーは意識を失い悪魔に犯される夢をみる。
朝、目が覚めると身体にツメの後が残っていた。ガイが寝ていたけど子作りに励んだ。
ゴメン、ツメきり忘れてたという。数週間たって妊娠したことに気付く。ガイは、芝居の
役を得る。配役が決まっていた男の失明のためだった。ガイは強運で注目を浴びだす。
ローズマリーの妊娠は異常で、体重の減少、極度の腹痛など奇妙な症状に苦しむ。
ニューヨークの著名な産婦人科医が安値で引き受けてくれていた。不安になり友人に相談
すると友人が死亡した。その用心は、ダイイング・メッセージに「悪魔のしもべ達」という
本に折り目をつけて別に封筒にアナグラムという単語で文字列を崩しすようにローズマリーに
教えていた。アナグロムゲームを使い隣の住人の本名を割り出す。
そして最初に診察を受けた産婦人科医の所に駆け込む。しかしガイと著名な産婦人科医が
迎えに来て出産する。そして死産だと告げられる。遺体を見せてもらえず母乳を搾りコップ
に入れて大切に持っていく。隣から赤ん坊の泣き声が聞こえる。上の階に赤ちゃんがいる
家族が引っ越して来たと聞かされるが信用出来ない。包丁を手に隣と部屋を分けている
ドアをあける。そして隣人の老夫婦が悪魔を崇拝するサタニストの幹部であり産婦人科医
も夫のガイも大勢で、赤ん坊は生け贄用でなく悪魔の赤ん坊を崇拝している状態に驚愕する。
社会的成功者たちが集まっている。そして崇拝の対象の母として敬意を示され、自分の状況を
受け入れたことが示唆され終わる。最後の笑みは、母のものと特権階級を手にした事の両方
の意味があると思えた。悪魔の子の特殊メイクが顔と手を一瞬映すだけなので悪魔の全体像は
ハッキリしない。VFXや特殊造形で現代なら作れるだろうが、良く解らないからイマジネ
ーションが楽しめる演出のままで良いと思えた。
ヒッチ・コックみたいに画面に映るロマン・ポランスキーが、この作品には映っていない。
かった。映画の撮影中に主役のミア・ファローの元に実際の夫であるフランク・シナトラから
離婚届けが送付されたりして話題になったらしい。
 少子高齢化社会で『赤ちゃんよ永遠に』(1972年)マイケル・キャンパス監督の映画は、中国
の一人っ子政策に通じる内容であった。国連は、住まいは人権であると指針に入れている。
日本の厚生労働省の衛生で文化的な最低の部屋とは、食事をする部屋と寝室が別であること
と定義されている。哺乳類どころか鳥類ですから巣を作った後で子作りする。
低所得者用の公営住宅や都営住宅は、増やす必要があるのではないかと感じた。
高齢者と障害者でも単身用だと500倍の所もある。ワンルームマンションの家賃を払えないと
ネットカフェ難民かホームレスになる。生活を維持するだけ働くと低所得者の基準を超えてしまい
申し込み資格じたいが無い。その所得は長時間、過密労働で過労死寸前まで働かないと維持
できない状態の若者ばかりである。親元にパラサイト・シングルして引きこもりしている若者も
中年に達している。パラサイトさせる資金のある親が高齢で死亡する時期は近い。その時の
準備を行政は行っているのかと疑問に感じる。

2009年10月15日

 映画『スティング(1973年)』ジョージ・ロイ・ヒル監督の作品を観た。
「明日に向って撃て!」「華麗なるヒコーキ野郎」の監督である。
『スティング(1973年)』は、第46回アカデミー賞 作品賞受賞作品だ。
1936年のシカゴを舞台でスリカエ詐欺(スリ取って別の物を持たせる詐欺)
で日銭を稼いでいた若者がカジノの売り上げ金の運び屋をスリカエ詐欺し
たため事件がはじまる。売上金を奪われた報復に殺し屋に命令する。
ギャングは組織の力で親同然の詐欺の師匠の家を襲撃し殺害する。
表は銀行家のニューョークの本拠からシカゴに来たギャングのボスに
得意のイカサマで相手に接近し信用させ組織を徐々に追い詰めていく。
シカゴで仲間を集めて有線(電話)を使った競馬のノミ屋を仮設して作り
電報のタイムロスを利用しレースの結果を入手して後出しジャンケン的な
賭博の仲間にして信用させ大金を賭けさせて最後に裏切り賭け金を手に
する。シカゴの刑事は、贋物FBIの秘密の事務所を仮設して信用させる。
映画のセットを作るのに近い作業だから慣れた物だと思えるが、この再
気にしない。詐欺のコツは、相手が騙されたと気付かないことである。
FBIと刑事の手入れのドサクサで拳銃の発砲があり主人公と相棒に
命中し口から血を出して二人とも死亡したかに見える。
ギャングのボス
の目前で刑事が死んだという。そして連行する。仲間だけになると
死んだハズの主人公と相棒が目を開けて芝居だった事がわかり騙し取った
金は大勢の協力者で少しずつ分ける。そして大金を騙し取る事で仇を討つ。
銃には銃で報復するのではなく経済的に破滅させる仇討ちは爆弾やマシンガン
と違い周到と計画に正確な情報に大勢の協力に知恵と勇気と成功のハードル
が高く不可能に近い。だから成功したら観ていて嬉しくなる。軽快な
コメディ映画といえる。
Sting」の意味は英語で、「騙す、法外な代金を請求する、ぼったくる」らしい。


 映画『 燃えよドラゴン(1973年)』 ロバート・クローズ 監督の作品を観た。
少林寺にミスター・ハンが3年に一度開催する武術トーナメントの招待がきた。
犯罪組織のアジトが疑われるハンの島。国際情報局に内偵を依頼されたリーが
武術トーナメントの選手として潜入する。島はまるで要塞である。
トーナメントの目的は世界で活動出来る部下を探す為であった。
途中、労働力の為に連れて来られた人達の姿がローパーの目に止まった。
麻薬工場の内部を案内され、部下になる事を切り出される。
リーは麻薬工場等の様々な犯罪の証拠を発見、情報局に向けて無線で信号を
送る事に成功する。部下になる気がないリーはハンに捕まってしまう。
拘束されるが脱出して鏡の部屋でミスター・ハンと最後の戦いで勝利する。
連絡を受けヘリコプターが島の制圧に来る所で終わる。
ストーリーは、スパイ映画とカンフー映画のミックスである。ヌンチャクが
流行した。ジャッキー・チェンがミスター・ハンの手下の1人として出演
しているので注意して観た。

2009年10月14日

 映画『サウンド・オブ・ミュージック』1965年( ロバート・ワイズ 監督)
をまた観た。アニメの『トラップ一家物語』1991年に「ハウス世界名作劇場」
で放送された全40話がBSで再放送されているからである。
櫻の園』1990年版は、演劇部顧問の里見先生と中村先生が会話しながら
屋外を歩くシーンを良く観ていると後ろを一匹の猫(ネコ)が画面の左から右に
向かって横切っていくシーン
がみられる。サウンド・オブ・ミュージックでも
遊び着を着てトラップ男爵が屋敷に戻って来てボートから落ちて湖に並べられて
叱られて夕食抜きと言われるタイミングで白鳥が三羽ほど湖の奥を右から左に
横切っていくシーン
がみられた。この二つが偶然なのか演出なのか興味がある。
櫻の園(2008年)の制服デザインで関わらなければ見落としていた名シーンの
サプライズと言える。『トラップ一家物語』は放送中なのでもう少し楽しめ
そうである。


 映画『パリの恋人 Funny Face(1957年)』スタンリー・ドーネン 監督の作品を観た
パリの恋人の後は、シャレード Charade (1963)を監督している。ファッション映画に
ミュージカルを加えた作品である。ヴォーグ誌のライバル誌としてクォリティーという
ファッション雑誌の編集長が美術館とか知的な場所を背景にロケを思いつく。そして
哲学的雰囲気を求めてグリニッジ・ビレッジの小さな本屋にアポイメントなしてロケに
押しかける。店員のジョー(オードリー)は、困惑する。ジョーはファッションより哲学
に興味がある。編集長のマギーは、ジョーをモデルにするために書店に美術書を発注し
ジョーに配達を頼みクォリティー誌の編集部にスタジオも併設してある。(ガラスの仮面
で北島マヤが月影千草邸にラーメンのラーメンの出前を届けるたのを思い出す)
マギーとカメラマンのディック(フレッド・アステア)ファッション雑誌のモデルを
依頼される。モデルは背が高くスリムなので丈の寸法を合わせて背中に洗濯バサミで
周り寸法を細くして撮影する場合がある。映画の中のモデルの洗濯バサミがリアルに
付いていた。(動画では難しい)雑誌社が服のデザインまで決めて発注するのは、既製
服が普及しないで型紙を掲載していた時代を思い出させる。現在では、公告主のブランド
の服を上手にスタイリストがコーディネイトするが売れ筋の服は、アクセサリーやロケー
ションでアイ・インパクト(目を引く)を出す時代である。パリの恋人は、絵葉書になって
いる観光地を映してくれる。沢山のフレッド・アステアの映画を観たがアステアの服は、
殆どがグレーである。撮影はパリ。ジョーにとってパリは哲学の聖地なので行きたいが
モデルは気がすすまない。パリに行けば共感主義の元祖フロストル教授に会うチャンスだ。
そして雑誌の編集長マギー(ケイ・トンプソン)カメラマンのディックと共にジョー達は
パリのオルリー空港へ飛行機で向かう。雑誌と専属契約したデザイナーのデュバル
(ロバート・フレミング)は、ファッションショーの準備にモデルのジョーが遅れて困って
いる。ジョーはフロストル教授の所に出入りしている。哲学マニアの溜まり場でダンスを
踊るシーンのセリフは、自分を解放する表現らしい。身体芸術(パフォーマンス)的な
踊りについてジョー(オードリー)がディック(フレッド・アステア)に語るのは面白い。
哲学は、コンピューターの処理中の時間に近い。コンピューターは思考時間が
長いと性能が悪い。哲学者の中にはフリーズしたコンピューターみたい人物も見受けられる。
。ディックがジョーの心を開かせるために踊る軽快なステップも観られる。
そして無事に撮影の為のファッションショーが成功する。屋外ロケも順調に進む。
汽車の前で別れの場面を取る時に涙を流し「まるで女優のようだ」とほめられる。
教会の前でウェディングドレスの撮影の時、恋人がいないと落ち込むジョーをディックに
帰国したら結婚しようとプロポーズする。イースターパレードは、アステアの顔の皺が気に
なったがオードリーとアステアの年齢差を目立たせないメイクと画面構成とキャメラワーク
である。恋人も出来て女性として自身を持ち、主婦の撮影では、イマジネーションが際立つ
演技をみせる。パリで洗練されたジョーがフロストル教授と会えたがショウの時間(出番)
になりディックに連れ戻される。ショーの噴水のセットが倒れて会場が水びだしになり新聞
に笑い話にされて載せられる。デザイナーのデュバルは、哲学となると仕事を忘れるジョー
に困っているがマギーに抗議するぐらいである。
編集長のマギーとカメラマンのディックと共にアンチモードスタイルに着替えて哲学者の
集会に潜入してモデルのジョーを迎えにいく。
フロストル教授とジョーが二人になり性欲のある男だと
わかり置物で気絶させる逃れる場面は、ありえるとおもう。
そしてランウェイ(プラットホーム・エプロン)形式のショーに間に合い成功する。
ショーが終わりディックは空港にフロストル教授を見送り集会に潜入した事を詫びに
いくとジョーにケガをさせられ頭に包帯をしてタラップを登っていった。
ショーが終わってウェディングドレスのまま帰国したら結婚しようとプロポーズされ
た教会にいた。そこでディックと二人でダンスをしてパッピーエンドになる。

 「てつがくのライオン」工藤直子の作品が中学の教科書に載っているらしい。
私は、実際に哲学している動物は、ロバである。空腹のロバに水と食べ物を同時に
与えると、どちらから食べて良いか解らないまま飢え死にするらしい。これが本当なら
「悪法もまた法なり」と毒杯を飲んだソクラテス並にスゴい。

2009年10月13日

 映画『岸和田少年愚連隊 BOYS BE AMBITIOUS(1996年)』井筒和幸監督の
作品を観た。その後、様々なシリーズが作られている。時代設定は1970年である。
劇中で「野生の王国」を粗暴な家族で見ているシーンがある。やたら喧嘩していて
当時、不良グループやツッパリみたい感じの若者が登場したが比率が多く岸和田市
の気質を誇張している様に見えた。看板屋が映画ダーティーハリーの劇場看板を
作っている場所で、刺青も兼業している。梅の刺青が永谷園の梅茶漬けにされたり
バカやってる。電車を線路で止めて乗り込み競馬場に横付けしろとムチャを言う
男、ヤクザも恐れるカオルちゃんは男児利祭りで機動隊20人をボコボコにした
らしい。主人公の中学から高校進学から中退までの物語。喧嘩が日常と思えるほど
の街に見えてしまう。ブルーリボン賞作品賞・主演のナインティナインの2人は、
ブルーリボン賞(新人賞)を受賞した。岸和田のロケは大規模だと思われる。
スケバンも登場していた時代の話である。お好み焼き屋にたむろしたり、ゲーム
機(当時流行ったテーブル式)を組の特攻服を着て奪いにいったら組長の店で
日本刀を抜いて追われたりする。中学でサッカー部に入っているがもて余る
エネルギーを喧嘩にも使っている。銭湯に入りに行くシーンなどもある。
この時代は、岸和田でなくても日本中の学校が荒れて似た状態だった。
自分は不良でなかったので分かるような解らないような映画だった。

 映画『ホテル・ルワンダ(2004年)』テリー・ジョージ監督の作品を観た。
1994年アフリカ中部にあるルワンダで、ツチ族とフツ族の民族対立から虐殺
が起こったときの話だ。揃いの派手なプリント柄のアロハシャツに中国製の
ナタ
を武器に顔立ちが旧宗主国ベルギー人に好まれるフツ族と好まれない
ツチ族の間での内乱がおこった。ホテルの支配人はツチ族やフツ族の難民を
ともに受け入れる。フツ族の過激派はツチ族反乱軍によって排除されるまで
におよそ100日間に約八十万人の人々を殺害した。内乱の理由はベルギー人に
優遇されたフツ族への怒りが鬱積したものだった。不公平感は国をも破壊する。
アカと青のアロハシャツも大勢で着て武装すると戦闘服と変わらない。
これがTシャツでも同じ効果があるだろう。色や柄にも服にも罪は無いが
敵と味方の識別目的が果たされていた。支配人は1268人の難民の命を救う
ことに成功した。ルセサバギナ一家とホテルの難民たちがルワンダ愛国戦線
の前線を越えて難民キャンプにたどり着き、そこからタンザニアへと出発する
ところで映画は終わったが支配人一家は、ベルギーで暮らしていると文字で
解説されいる。

 映画『 我が闘争(1960年)』 エルヴィン・ライザー 監督の作品を観た。
モノクロームのドキュメンタリーである。旨く編集されていて解りやすかった。
第一次世界大戦のときにヒットラーに召集令状が来て徴兵検査で不合格にされた。
それでも志願兵として入隊申し込みをして軍隊に入った。普通は徴兵逃れを考える。
これだけでもビックリする話であった。映画やアニメを楽しむには歴史に精通する
と楽しめる。ゲームのルールを知らないと遊べない。レキジョも必要から増えたと
感じた。
 何の変哲もない服も大勢で着れば制服になる。20世紀ナチスが政権をとる前に
法律で集会でのナチ党の制服着用の禁止をされたら黒いスボンに白いワイシャツ
で集合という誰もが持っている服で集会をした。同じ服を着ているからナチの
制服でなくても集団になると制服にできることを実証したことを思い出した。


2009年10月12日

 映画『百万円と苦虫女』2008年 ( タナダユキ 監督)を観た。比較的
裕福な家庭で家族四人(父・母・佐藤鈴子21歳(本人)・弟)で暮ら
していた。友人とルームシェアして親元から離れて暮らしてみようとするが
友人は、彼氏も一緒に暮らす2人のルームシェアでなく3人だと言い出す。
急に友人は、彼氏と分かれて2人が部屋に住むことになる。荷物を運ぶ時に
子猫を拾う。買おうと餌を買いに行ったら友人の彼氏が子ネコを捨てていた。
探しに行くとネコが車に轢かれて死んでいた。仕返しにその男の荷物を
全部捨ててしまう。刑事告発されて微罪でも前科が付いてしまう。
そして親元に居場所が無いと感じフリーターとして職を転々とする。
他人との深い関わりを避けて「海」「山」「地方都市」を旅する。
ロードムービーみたいに観ている方は退屈しない。海の家のバイトに山では
桃の収穫(怒りの葡萄に桃の収穫の話があった)と手際良くこなす。
桃娘というキャンペーンガールを頼まれるが前科があり人と深く関わりたく無い。
引っ越して部屋を借りて生活するのに敷金・礼金・不動産手数料に引っ越し
費用と、当座の生活費の彼女の基準が100万円である。
地方都市ではホームセンターでアルバイトする。大学生の中島亮平に出会う。
そして佐藤鈴子と交際するが金を貸してくれと言われ関係が冷え込む。
「自分探し」でなく「自分を捜さない旅」で鈴子の行く先々で、様々な人
と出会い「自分だけの生き方」を模索する。ゆっくりと進むが変化を楽しめ
よく出来た成長旅物語である。実家というイザとなったら帰る場所がある
若者は恵まれている。ネットカフェ難民に炊き出し派遣村の話題で明けた
2009年だったがもう秋である。しんみり楽しめた。


  『8 1/2 はっかにぶんのいち(1963年)』フェデリコ・フェリーニ監督作品を観た。
ストーリーが難解である。しかも起承転結や序破急みたい流れが見えない。
映画監督グリードがスランプになる。温泉地でリフレッシュしている。映画会社や愛人まで
温泉に追いかけてくる。そこで映画の構想を練る。ただ想像を映像にしてている様で
車からの脱出やら空中浮遊にバンジー・ジャンプにハーレムでは鞭で女を調教している
らしい。サウナの中に枢機卿がいたり良く解らない。映画のキャストが色々と映されて
いるらしい。役を求める役者も大勢押しかけている。船乗りの踊りを踊ったり、その場
しのぎに適当に役を決めているみたいである。現実の話の進行と空想を入り乱れて
喫茶シーンで「ワルキューレの騎行」が流れたりしている。フェリーニの空想と現実を
入り乱れさせたメディア・アート作品に見える。現実面の家庭に映画製作の契約上で
揉めたりして現実逃避しているように見える。ロケットの発射台に宇宙空間のセットを
作らせるあたりは、フリッツ・ラング監督(「メトロポリス」他)のロケット打ち上げシーンの
リスペクトなのだろうか?映画会社側の注文が多い。監督は脚本どころか企画も出来て
いない状態でセットだけ時間稼ぎに作らせたようだ。あらすじも出来ていない。役も無い
し映画もないという。何の映画なのかも解らない。
「最大の欠点は基本構想の欠如。思想性も無い。意味の無いエピソードの羅列だ。」
「曖昧なリアリズムは面白いが、君の狙いはなんだ。観客を恐がらせることか。」
「前衛映画としての長所も無く、その欠点のみを持っている。」
「独りよがりは困る。観客にわかる映画でないと。」
「こんな発射台に8000万リラもかけるなんて。書割で十分だ。」
と言っているが字幕と吹き替えで異なる。 
そしてセットが殆ど出来てしまった。スタップやキャストも大勢集まっている。そこで離婚
話になる。大勢がスピーチを待っている。グリードは逃げる。左のポケットのピストルで
自殺する。家を1万件建てられる資金は無になる。そして製作は中止になり「損も製作者
の仕事だ」「下らんものを作るぐらいなら破壊しろ!」「つまらん映画は作るな。」「無から生
まれたものは無に返せ」「沈黙への忠誠」だとセットの発射台の撤去が始まる。
グリードは生きていた。ピストルのシーンは演出なのか幻想なのかわからない。
次の映画で会おうというから映画会社は、見捨てていない様子で終える。
第36回アカデミー外国語映画賞受賞作品である。私には苦手な作品である。デビットリンチ監督
の「ツインピークス」と北野武監督の「監督ばんざい」に対してローワン・アトキンソン監督の
「ミスタービーン カンヌで大迷惑」の劇中で有名監督の作品上映中のカンヌ映画祭でイギリス
からカンヌまでピーンが旅行中に写したビデオを途中で差し替えて誘拐されたハズの監督と
はぐれてビーン達と会場に来た息子が再会する映画は、フェリーニを含めメディアアートを
イギリス的なユーモアでパロディーにした作品だと感じた。前例を挙げても私の理解力は
1度見ただけなのでこんな程度である。2度目を見るのは辛いのが率直な感想である。
(8 1/2 は、なんで発射台なのか?)
本物のロケットを使ったラング監督に近づきたかったのかも知れない。
映画の中に発射シーンを入れる撮影である。
1927年7月、ヘルマン・オーベルトの、惑星空間へのロケット論文(1923年)
を受けてヴロツワフに宇宙旅行協会(VfR, Verein fur Raumschiffahrt)が
ヨハン・ヴィンクラーによって設立される。1929年、VfRに参加していた
ヴェルナー・フォン・ブラウンなどと共にロケットの開発に取り掛かる。
オーベルトが論文に加筆した宇宙旅行への道(1929年)ナチス政権前に
フリッツ・ラング監督の映画で実際の打ち上げシーンを請け負って資金を得た。
ナチス政権下では、ペーネミュンデ基地でV2ロケットの開発にも成功した。
敗戦により開発チームは、国外逃亡したがソビエトとアメリカ(NSA)の両方に
逃げ込み両国の国家予算を得て宇宙開発競争を続けた。鉄のカーテンに仕切られ
混沌とした時代だったのかも知れない。
大陸間弾道弾に核の脅威に東西冷戦の時期である。そしてアポロ計画で人類が
月に一歩の足跡を付けた。

2009年10月11日

 映画『ICHI(いち)』2008年 (曽利文彦監督)を観た。女座頭/市なので
「はなれ瞽女おりん」をイメージしてしまう。昨年の映画なので、か弱い女
ではなく強い「はなれ瞽女」である。復讐の相手ではなく父を探している。
古寺での性行為は、無くても良い感じがした。宿場に付いて賭場に行く
あたりで座頭市らしくなってホッとした。白河組に座敷に呼ばれ本来の芸者
仕事をするあたりは、着物もボロから人前で芸をする綺麗(華美ではない)
な着物に着替えていくあたりは、安心させてくれた。トラウマで真剣を使え
ない(刀を抜けない)武士と知り合い木の棒で試したら負けてしまう。
刀を抜けない描写が多くイライラした程なので過剰演出に感じた。
お約束の宿場での、白河組と万鬼党の大立ち回りで命を落とした浪人侍・
藤平十馬(とうま)「トンマ」の刀を届けに旅立つラストを見送る旅宿の
客引き少年の小太郎がシェーンのラストを思い出させる。いちの父は結核で
すでに死んだと万鬼に教えられる。万鬼と藤平十馬は相討ちで死んでしまう。
背中に遺品の刀を背負っているのでドラゴンクエストのパーティーの仲間が
HPゼロになると棺桶を引きずる姿を連想してしまった。1人旅の女性を案内
する少年は、旅情のはだしで観光案内していた少年を思わせる。
『座頭市(2003年)』北野武監督はメリハリが効いて2人の姉妹の目的が復讐と
王道と言えるストーリー展開であった。


 映画『旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ』2009年(マキノ雅彦監督)を観た。
北海道旭川市の旭山動物園が廃園寸前から復活し入場者数、日本一になるまでの
実話である。一部フィクションにより脚色されている。実話がベースなので説得
力がある。北海道では競馬場まで不採算で潰れる程に不況が深刻である。それに
加えて、昨年の小麦価格の高騰で世帯の食費の閉める割合が上がっている。
生態展示から形態展示そして行動展示へと変わっている。檻の中でも動物が自然に
活き活き生活できる環境と構造で展示する方法を市議会に示し改装するのは大変
だったと感じる。公共施設の民営化が進む中で公営動物園の改革は大変である。
飼育係の職員と動物の絆が廃園を食い止め最悪、動物達の処分にならないように
真剣に取り組む様子が、お役人である前に、仕事に心血を注ぐ人間達であるのが
嬉しい。動物は、話が出来ないため飼育係が解説する努力をしたり紙芝居で動物の
生い立ちを読み聞かせたりするシーンがあった。現実は、旭山動物園の改革の中心
人物で作家になった人のエピソードであった。その著書に公演の時に三回、動物園
の名前を言って覚えてもらう約束をしたとあり映画の10回は、誇張みたいである。
動物園は、広く歩くのが大変である。動物の鳴き声を知りたくてもあまり鳴かない
動物もいる。インターネットからライブカメラで「あざらし館」や「ほっきょく
ぐま館」「ぺんぎん館」をのぞく事が出来る。座ったまま動物園に行けるのは
良いアイデアである。動物の世話に機材のメンテナンスを考えると経費と手間が
大変だろう。水族館の展示手法で水中の動物を見せるのは画期的である。
映画の水中撮影をしないで通常撮影でも迫力ある場面が撮れている。透明の
カプセルから猛獣をロケーションの良い至近距離から見られる構造も工夫されて
いる。映画は、園長の定年退職で終わった。子供と動物が出る映画は、興味を引く。
ナショナル ジオグラフィックチャンネルやアニマルプラネットという専門チャンネル
がある程、珍しい動物を見たい人がいる。2008年 9月15日、リーマン・ブラザーズ倒産。
世界的に消費需要の減退がおこる。昨年の秋から公開の映画は、興行不振の影響を
かなり受け興行収益の減少が著しいと思える。中原俊監督の「落語娘」(2008年)で
主演を演じた津川 雅彦(マキノ雅彦監督)。寝ずの番(2006年)次郎長三国志
(2008年)に続く三番目が旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ(2009年)であり
力が入っていた。

 映画『イキガミ』2008年(瀧本智行監督)を観た。「国家繁栄維持法」という
法律で国民に、生命の価値を認識させ国家を豊かにする社会背景の物語である。
その手段は18〜24才の若者を1000人に1人死亡する薬品を小学校の予防注射
に「ナノカプセル」が混入される。そして対象になった人に死亡24時間前に通知を
出す。それが通称「逝紙(いきがみ)」と呼ばれる死亡予告証である。 直接、役所の
担当から本人に手渡しされる。物語の主人公はイキガミの配達担当者である。
理不尽な死の恐怖で国民を支配し思想の改造まで行う社会は、戦前のアカ狩りと洗脳
の合わせワザにしたみたいなイメージである。その社会に暮らす3人の若者の生き様と
死に様が観られた。一見、民主的選挙制度もあり秩序ある社会に見えた。厚生保健省で
後に遺族が「国家繁栄遺族年金」を出すことや通知を受けた後は食事・交通・宿泊が
無料になるなどの制度もある。映画のラストでも社会は変わらない。「意味ありげに
時期が来たら」で終わる。20世紀少年みたいに世界を変えるとかK20みたいに権力に
立ち向かうといった目標があれば、より楽しめたと思った。
星新一の「生活維持省」に内容・ストーリー・表現・設定似ている。「死神の精度」
的雰囲気に「自殺自由法」の戸梶圭太の世界感を感じる映画であった。

 紀元前のギリシャにトリュゾスという偕主(せんしゅ・ティラノス)が会話を禁止
して市民が怒り群集に殺される話がある。古代ギリシャの単独支配者を偕主
(せんしゅ・ティラノス)と呼び力で権力を手にし支配し正当性が無いと思われて
いる者で「王」パシレイオスと区別している。「王」の器とか資質について三国志でも
出てくる。現在では、軍事政権に近い国をイメージすると理解しやすい。


 映画『ザ・コミットメンツ』(1991年アラン・パーカー監督)を観た。
ダウンタウン物語(1976年)やフェームの監督の作品である。紛争で国民同士
の殺し合いが起こっているアイルランドのダブリンの若者達が音楽で成功しよう
と12人のソウル・バンドを組み夢に向かう。音楽は手っ取り早く成功するのに
適しているのかも知れないが私は、音楽が苦手である。音楽映画を観て知識の
足しにしようと観る事もある。劇中で銀行強盗や拳銃の発砲が日常の様に起こる
状態でライブを開く。そして各自、バラバラになる。最後に、メンバーの、
その後の進路が写る。なんだかアメリカン・グラフティーっぽい終わり方の
映画だったがメンバーの、その後が映像化されており。アメリカン・グラフティー
のテロップでの解説より丁寧だと感じた。

2009年10月10日

 映画『リリー・マルレーン』1981年ライナー・W・ファスビンダー監督・を観た。
西ドイツ映画である。アリーリア人のララ・アンテデルセンによって歌われ有名に
なった曲リリー・マルレーンをテーマにした作品である。ナチスの高官ヘンケル
によってスイスのチューリッヒからドイツで歌手として政策目的のプロパガンダに
利用する為に6800フランの多重債務を理由にスイスから国外追放させドイツでの
成功を保証する。そして歌を午後10時に前線にラジオで流し戦意を削ぐ心理作戦に
利用する。歌詩と曲は、第二次世界大戦の20年前に作られたと劇中にセリフがある。
第一次世界大戦(1914年から1918年)の頃に作られたらしい。
著作権フリーでパブリックドメインなのでJASRAC登録無しです。
タイトルと歌詞は下記にアップします。歌詞は、様々な物が創られている。

「若き歩哨の歌 リリー・マルレーン」
(映画の字幕より抜粋)
兵営の前の電柱に 灯りが今も点いている。あそこで、もう一度合おうね。
君をしっかり抱きしめて もう一度リリー・マルレーン もう一度リリー・マルレーン
二つの影は1つだった 恋人同士の影だった 皆に見られてもいい あの下で、また会おうね
もう一度リリー・マルレーン もう一度リリー・マルレーン
消灯ラッパだ 友が呼ぶ 遅れりゃ三日の重営倉 ここで さよなら言うけれど
君と一緒に行きたいよ もう一度リリー・マルレーン もう一度リリー・マルレーン 

歌が放送されている時間だけ敵同士の前線の兵士が戦闘を自然と止めるシーンは、感動的である。
ドイツ版「東京ローズ」みたい感じである。「人生は選べるが、生き方は選べない」と言うセリフが
印象に残った。スイスの恋人ロバートがユダヤ人で、前線慰問を口実にアウシュビッツ収容所の
実態を写したフィルムを連合軍に渡す手助けをするあたりはスパイ映画的である。命がけで強力した
ユダヤ人の恋人は、別の女性と結婚していた。ドイツが降伏すると戦犯になるのを恐れて隠匿生活を
する。そして歴史から消える映画は、ここで終わる。
のちにリリー・マルレーンという歌は、マレーネ・ディートリッヒが歌って有名になる。

 映画『マイ・ウェイ』(1975)年 監督はエミール・ノファルとロイ・サージャントの共同
作品で オリンピックでマラソンの金メダリストだった父親で、事業家である。自分の
息子たちも、スポーツの選手として育てている。しかしスパルタ教育は、息子たちの
反発を受ける。ストップ・ウォッチとトロフィーが私の記憶に残っている。やがて、息子
がスポーツを捨てる。そして初老の父は自らがマラソン大会に出場する。家族ドラマ
でありスポーツ一家の物語だった。マイ・ウェイも歌詩が複数あり「私には、愛する歌が
あるから」
と映画の内容と全く違う物が普及している。


 映画『シャイニング』1980年( スタンリー・キューブリック 監督)を観た。
小説家志望のジャック・トランスは、雪で冬期間は閉鎖されるこのホテルの
管理人として妻と娘を連れて就職した。コロラド州のオーバールック・ホテルは
インデアンの墓の上に立てられていた。前の管理人一家が閉鎖された空間
で家族を殺害し自殺している。息子のダニーは不思議な能力「輝き(Shining)」を
持つ少年で様々な超常現象を目撃する。ホテル閉鎖の日、料理主任ハロランは
ダニーと同じ「輝き」を持っていた。ハロランはダニーも同じ力を持つことに
気付く。父ジャックは、以前に子供を叱る時に腕を脱臼させて児童虐待を疑われ
禁酒している。保険が安くなるためホテルに酒は置かれていない。しかしバーで
ウェイターが見えて悪魔に魂を売っても良いと言い酒を飲む。そしてタイプに
向かうが同じ文字を何枚も繰り返し打っている。電話線が切断され無線だけが
通信手段になり不安が増す。その無線機と雪上車をジャックが使えなくする。
妻ウェンディは夫の異変に気づく。凶暴化する夫を保存色の倉庫に閉じ込める。
夫ジャックは、抜け出しついに鉞(マサカリ)を手に襲い掛かる。4メートル
の高さがある木の迷路に逃げ込むダニーやジャックがドアを壊すシーンは有名
である。異変に気づいた料理主任ハロランは飛行機に乗り雪上車でホテルに
助けに来るがジャックのマサカリで殺される。そのハロランが乗ってきた雪上車
に乗って母ウェンディーと息子ダニーは、脱出に成功する。そしてジャックは、
ホテルに飾られた1900年のパーティーの写真にジャックが写っているアップ
が映し出される。その時にジャックは死んでおり今のジャックは生まれ変わり
なのかも知れないが詳しく語られない。ジャック・ニコルソンの表情がピッタリ
のホラー映画である。


 映画『 どら平太(どらへいた)』2000年( 市川崑監督)を観た。
1969年に映画企画・製作グループ「四騎の会」が結成され、山本周五郎の
「町奉行日記」を元に映画を製作しようと共同してシナリオを執筆した。
市川崑、黒澤明、木下惠介、小林正樹の4人。その後、企画は宙に浮いた
ままであった。「四騎の会」の意味を映画サークルの忘年会で関係者に
当時、洋画に、はまっていた私は尋ねた。「騎馬の数」の事だった。
一時、「九騎の会」になったことがあったかも知れない。もう30年以上
前の話である。
 ある小藩で町奉行が不明瞭な辞職を繰り返していた。その新任町奉行に、
江戸から望月小平太が着任する。奉行は、道楽に放蕩で「どら平太」と
よばれていた。わざと流させた風評だった。
密輸、抜け荷・売春・賭博を3人の親分が分担し無法地帯と化した「壕外」を
改革するという高い志をもって赴任してきたのであった。
強引に「壕外」に入り、派手に豪遊して相手の懐に飛び込み無法地帯に溶け込み
壕外の利権を分け合っている3人の親分の存在を知る。売春を仕切る巴の太十・
賭博を仕切る継町の才兵衛密輸を仕切る大河岸の灘八・らに腕っぷしの強さと
豪快な遊びで圧倒する。そして2人の親分と兄弟分の杯を交わし最後の1人も
温和に手なずけて事を納めようとするが失敗する。大胆な潜入調査で藩内部の
重臣が藩の財政の為にアガリを受け取っていた事を知る。しかし不正は不正
「壕外」を支配する3人の親分と「壕外」の利益を藩の重職たちを仲介している
人物を見つけ温情ある解決をする。赴任して一度も奉行所に姿を現さないまま
の解決である。小藩の貧しさゆえの不正で私利私欲に走る程の悪人はいない。
重臣は引退、3人の親分は当地追放で丸く治める。財政は地道に開墾とか正しい
方法で立て直すべきと言うセリフと江戸から追いかけてくる頭の上がらない女に
追われるように逃げるように去るラストも良い。
時代劇にありがちな私欲でない。かえって人間不信になりがちな現在社会に
暮らしていると血の通った人間味が良い。現在アメリガにストリートギャング
がファーストマネー(麻薬などで危険を侵して手っ取り早く稼ぐ)と
スローマネー(地道に歩合給や時給で稼ぐ)があるとテレビのドキュメンタリー
番組でみた。国や時代が違ったり変わっても人間のやることは同じに感じた。
 ベルリン国際映画祭(ベルリナーレ・カメラ賞)
日本アカデミー賞(役所広司:優秀主演男優賞;片岡鶴太郎:優秀助演男優賞;
五十畑幸勇:優秀撮影賞;下村一夫:優秀照明賞;西岡善信:優秀美術賞;長田千鶴子
:優秀編集賞)を受賞している名作である。


 映画『 雨あがる』2000年( 小泉堯史監督)を観た。長い大雨で河を
渡ることが出来ず、浪人の三沢伊兵衛と妻・「たよ」は 宿場町の安宿に
足止めされていた。長雨で路銀が減っていく状態で雨が上がるのを貧しい
人々が詰め込まれ諍いが起こる。伊兵衛は酒や食べ物を彼らに振る舞う。
それは禁止されている賭試合で作った金で買った。安宿に詰め込まれて
いるが大勢で宴会になり皆に笑顔が戻る。長い雨は上がった。伊兵衛が
散歩に出ると若侍同士の果たし合いを仲裁する。その事が藩の城主・
永井和泉守重明の耳に入る。伊兵衛を城に呼び剣術指南番の話を持ち
かけたる。城の家老たちは反対する。御前試合の手続きを経て仕官させ
ようとするが城主も試合をしたいと言い出し付き合うが池に落として
しまう。更に城下の道場主たちの賭試合の苦情もあり仕官の話を断った。
妻「たよ」は何のために賭試合をしたかも聞かず判断を下した彼らを
木偶の坊と非難し、川を渡り旅に出る。報告を受けた城主は二人を引き
とめるため馬で後を追う。そして完となる。閉鎖空間を舞台にした映画
は多いが人間の本質が描かれた気持ち良い作品であった。
腕が立つが人を押しのけてまで出世を望まない伊兵衛の生き方は貧しい
が豊である。脚本が、山本周五郎の短編を基にした「まあだだよ」の
黒澤明の遺稿である。登城する時に妻「たよ」は紋付き袴を用意して
いたり貧しくても夫を支える妻の心がけも良かった。1999年・第56回
ヴェネチア国際映画祭緑の獅子賞を受賞している作品である。


2009年10月9日

 映画『翼よ!あれが巴里の灯だ』1957年 ビリー・ワイルダー監督・を観た。
この映画は、実は、はじめて観る。チャールズ・A・リンドバーグのニューヨーク
とパリ間の大西洋横断・無着陸飛行の伝記映画である。カラーで撮影されて
いる。コメディーを得意とする監督だけに1人コックピットで操縦する場面も退屈
しない。曲芸飛行の相棒と実家の話になり2人とも名門の家柄で息子は、風来坊
(リンドバーグは下院議員の息子)と言うあたり当時の格差社会で冒険や
チャレンジのスタートラインに立て失敗しても戻れる実家という後ろ立てや環境は
「寅さん」みたい生き方も失敗しても戻れる実家の存在があればこそだ。
エアメールを輸送中に飛行機が墜落して汽車で目的地に向かうリンドバーグに
サスペンダー(スボン吊り)メーカーの社長が75年の実績がある。ベルトより
腹部を圧迫しないから内蔵に負担をかけないと売り込む
あたりビジネスマンの
国だと感じた。
しかし単独飛行で33時間半も眠らず操縦を続ける姿をみて眠くなってしまった。
リンドバークが眠りそうになるとハエがタイミング良く起こしてくれたり、丸い鏡が
太陽の光を反射して顔に当たって起こすなどの運に支えられて墜落を回避する
などヒャリとするシーンが絶妙である。セントルイス・スピリッツと書いた機体の
パネルの裏に、飛行機を作った工場の従業員のサインが書かれているあたり
物づくりのエンジニアの魂(スピリッツ)を感じた。工場で飼われている犬の足型
は、犬好きに嬉しいシーンである。
スカイキッド・ブラック魔王のケンケンを想像
してしまった。大西洋横断無着陸飛行は、25000ドルの賞金が出ていてリンド
バーグの手持ち金は2000ドルとセントルイスの商工会議所や新聞社などが
残り13000ドルを負担するが最初の飛行機会社に断られてしまう。そして別の
飛行機メーカーに行くとヒマそうにしている。リンドバークは、会社名を知らなかった
と社長と砂ガレイ(魚)を溶接用バーナーで食べる為に焼きながら会話する。
「頑丈で飛行機が落ちないから知られていない」という。工場で設計から組み
立てる部品の1つ1つを見ることが出来る状態で完成まで滞在するあたりは、
危険な冒険を成功させるのは情報公開と安全だとつくづく感じた。「紅の豚」でも
飛行機工場に泊まりこむシーンがあった。

 リンドバーグは、その後ドイツの宇宙旅行協会(第二次世界大戦でペーネミュンデ基地
でV1・V2ミサイルを開発・戦後ソビエトの有人衛星ストープニクス・アメリカのアポロ計画に
メンバーは東・西に二分される)を見学にいく。『メトロポリス(1927年)』のフリッツ・ラング監督が
宇宙旅行協会に『月世界の女(1928年)』に実際のロケット打ち上げシーンを撮影する
為に資金提供するなど歴史は、つながっていると感じる。

 映画『嵐の中で輝いて(1992年)』デヴィッド・セルツァー監督の映画も
観ている。好奇心の強いアメリカ在住のユダヤ人の少女が軍の情報部の将校
に興味を持ち接近してドイツに潜入してペーネミュンデ基地の場所を伝える
スパイ映画であった。タイタニックみたいに老婆の回想シーンがある。
デヴィッド・セルツァー監督は、『オーメン』(ダミアンや666)が有名である。

2009年10月8日

 映画『パリは燃えているか』1966年 ルネ・クレマン監督、フランス・アメリカ
合作映画を観た。脚本はフランシスフォード・コッポラとゴア・ヴィダルが
担当している。白黒映画だがエンドクレジットの部分でカラーになりパリの
空撮が映し出される。フランスの第二次世界大戦、最後の数週間を、1944年
8月の首都パリ開放までを描いたドキュメンタリータッチの超大作である。
仏・米のスターが多く出演している。物語はドイツ軍の降伏に貢献した
レジスタンス運動を中心にしている。主な登場人物は、アメリカ軍
ジョージ・パットン将軍、ドイツ軍ディートリヒ・フォン・コルディッツ将軍、
レジスタンスのジャック・シャバン・デルマス大佐、自由フランス軍の
フィリップ・ルクレール将軍などである。
映画は、降伏する前にパリを破壊しろというアドルフ・ヒトラーの命令が
下ったが、コルティッツ将軍は時間を延ばして連合国に無条件降伏し、
パリを破壊から守った。実際に48時間で爆薬の設置がされていて危機迫る
フランスとパリの歴史にとって極めて重要な苦難の期間を正確に再現している。
開放されたパリの空撮シーンは、ラッシュアワーのホームみたいに大勢の人が
パリの街中に映っている。パリの警察本部をレジスタンスの司令部にしたり
車に制服警官を乗せてドイツ軍と連合軍が睨み合い硬直状態の前線を通り
パリの占領状態を知らせに行くシーンでドイツ人は、制服に弱いと言うのは
面白かった。カサブランカでギャンブルの金は、レジスタンスの資金にする
という警察署長のセリフを思い出させてくれた。


 映画『 軍隊をすてた国コスタリカ』というドキュメンタリーを観た。
紛争や内乱の続く中米の小国コスタリカは、四国と九州を合わせた程で
ある。憲法で軍隊を持たない。国家予算は、子供の教育と紛争で教育を
受けられなかった国民に使われている。同時に社会保障も優先させている
様子である。警察はサイクリングウェアを着てバイク(自転車)で警備
している。子供達は、学校ごとに揃いのポロシャツに半ズボンかスカート
で袖のワッペンで所属を識別している。ファースト・リティリングという
会社のユニクロで揃えられそうである。日本の場合は四季があり季節に
合わせて制服の企画が必要なので高くなる。主だった埋蔵資源の紹介も
なく工場制手工業的な工芸品などが紹介されていた。それと農業ぐらい
である。軍隊の維持はコストがかかる。消防や救急車については取り上げ
られておらず事故や災害時の対策など気になる点があった。観光客が記念
撮影するが、コスタリカの明るい表面部分の綺麗な映像を編集した感じで
子供達の生活実態や家庭環境や格差について深く追求してほしかった。
製作側のジャーナリスト的視点が抜けている気がしたのは私だけだろうか?
軍隊をリヒテンシュタインは他国に外注している。スイスは、国民が全員
兵士になる。職業軍人は500人ほど(30年前の記憶だが)らしい。
日本も軍隊を持たないと憲法で決めているが自衛隊がある。敗戦から経済
復興し衰退の道に迷い込んでいる。政権が変わって予算配分に変化が見ら
れるがどうなるか見届けたい。
WFP 国連世界食糧計画の学校給食プログラムのテレビコマシャルではアフリカ
と思われる国の子供が映されている。無地のアッパッパーみたいワンピースの
制服を着ている。制服を着せることで服装で貧富の差を見えなくする効果も
ある。そんな事も参考にみた。いっそ豊かな国の学校と貧しい国の学校を
姉妹校にして古くなった制服やカバンや備品の再利用による支援などを考えて
みると環境に良いかも知れない。輸送コストは運送会社の社会貢献無くしては
無理である。物を動かすとトラックや船を使うので廃棄した方が環境負荷が
少ないかも知れない。そんな事を考えた。

学校制服(スクールユニフォーム)を安く提供するアイデア
 ブラジルで公立学校の制服を制服メーカーが公告代理店を兼ねてスポンサー企業名を
入れて無償提供してもらうブラジル衣料協会の案を受けると年間7〇〇〇万レアルの
経費削減になると言うことで議論が起こったことがあったらしい。新聞や雑誌の広告
なら購読者が見たり読んだりしないで済むことである。
衣服となると状況が違う。スポンサー企業のライバル企業に親が勤めている場合は
無料の服を貰って広告活動までしたいとは思わない。有料でも公告入り制服でない
物を購入して着せたいと願うハズである。これが支持しない政党のロゴや受け入れ
られない宗教のロゴマークであればトラブルになるのは、想像できる。(予見可能)
昔、オリンピックの公式スポンサーがリーボック社だったことがある。
その靴やウェアを選手に強制して着用させられない。リーボック社が公式スポンサーの時
マイケル・ジョーダン選手はナイキのシューズを履いており公式スポンサーの靴より
パブリシティーで宣伝されたことがあった。企業は営利活動が使命である。
公告の費用対効果も考えて制服代を肩代わりするだけである。
企業名を入れずに無償で制服の提供を、する企業や団体も出てくる可能性はある。
酒やタバコの公告が入った制服を子供に着せたい親はいない。公共公告でも政権
が変われば内容も変わる。郵政省の時代に公告入りハガキがあったのを思い出した。
最近は、通常より10上乗せすると年賀状用のフォトクオリティーペーパーが売れている。
ゼッケンやタスキをかけるのは、デモや団体訴訟の抗議行動の時ぐらいだろう。
いっそ下着に公告を入れると人に見せないから多少は現実的かもしれないが宣伝効果は
無いに等しい。ブラジルならコーヒー豆みたいに、その国の特産品をプリントするなら
多少は現実味が増すかも知れない。しかしサブミナルコントロールになる危険がある。
ズバリ無地が無難で無事だ。そして学校と何年生か識別できる程度のバッチやワッペン
を付けたりプリントするのが良さそうである。カジュアルウェアの定番なら安く買える。

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2009年10月7日

 映画『鴨川ホルモー』2009年・万城目学原作、本木克英監督、を観た。
原作の小説とマンガを読んでいたのでストーリーなどは、だいたい
覚えていた。大学の部活物的要素と方位を守る青龍(東)白虎(西)
朱雀(南)玄武(北)四神に分かれて式神を使って勝敗を決める伝統行事が
ホルモーである。原作のオニ語にパパイヤ鈴木氏の振り付けで子供にもウケ
そうなオニ語と決めポーズが作られている。もう少し長くても退屈しないで観られる
作品である。学生も京都大学のサークルなので人生、勝ち組みである。
将来の人生設計が容易な若者達の青春は、安心して見られる。
劇中で親の経済力が自家用車の有無や1人暮らしと学生寮で見分けられたり
する。企画書の段階で本木克英監督が原作を知っていて作りたいと申し出た
らしい。黒い雲の演出は、特撮の悪のインフレーション的に感じた。
ある意味、人生の成功もインフレーション的にするのがドラマチックで
あろう。今の時代は、ハッピーエンドが難しい。その中で伝統=安定
そして、気持ち良いハッピーエンドであった。
パパイヤ鈴木氏は、東京ディズニーランドで1番のダンサーであった。
パレードの中心となるミッキーマウスであった。ディズニーが、ミッキー
マウスの声を自分で行っていた歴史を考えるとスゴいポジションである。
振り付けの面白さも頷けた。

 ドラマ『空飛ぶタイヤ』のレンタルも今日からはじまった。トラックの脱輪事故
をテーマとした社会派ヒューマンサスペンス作品である。広告収益に頼らない
WOWOWOの連続ドラマである。フィクションとして脚色や誇張があっても実際に
起こった事故がテーマである。『沈まぬ太陽』も今月封切りである。
航空会社の名前を架空にしたり自動車メーカーの名前を架空にしているが、
誰もが企業名と事件を知っている。親会社のゼロ戦という飛行機は飛んだので
皮肉である。一応は、伏せ字効果で、興味を増す場合もある。反社会的企業は、
実名報道された後で映画化される。そして企業イメージを落とすようである。
別の業種や団体がスポンサーに付くと同時に、被害者団体もスポンサー化
するのかも知れないししないかも知れない。クレジットから社会の仕組みを
読み取る(利害関係)のも面白いだろう。


 映画『エレファント・マン』(1980年)デヴィッド・リンチ監督を観た。
時代設定は19世紀のロンドン。「エレファント・マン」として見世物に
されていた青年を医師フレデリック・トリーブスが見て興味を持つ。
皮膚は、複数の皮膚病に侵され全身に腫瘍があり頭の形は像の頭みたいに
肥大変形している。慢性気管支炎に歪んだ口で明瞭な発音が出来ず歩行も
困難である。研究のため持ち主のバイツから引き取り、病院の隔離部屋で
観察する。他人に対し怯えて口を開かない。そのため白痴だと思い込んで
いたが聖書を熱心に読み暗記し芸術的才能を持つ美しい心の持ち主だという
ことに気付く。そして同じイギリス人で美しい母親の写真を大切にして
いる。その事に新聞が飛び付きヴィクトリア女王までフレデリックを
見舞う。社交界の有名人も見舞うようになる。しかし病院からさらわれて
見世物にしようと海外に連れ出されるが、逃げ出し自力で客船に乗り汽車
に乗り換えて病院の自分の部屋に戻るが死んでしまう。
『オペラ座の怪人』も最初は、見世物にされていた。時代設定は近いと
感じた。現在は、医療技術の進歩で治療が可能なケースも増えているが
見世物と出し物は違うと思う。訓練した芸や演技を見せるか本人が出たい
見せたいと強く希望して大衆も望めば良いのかも知れない。
私の場合は、作品は発表するが喘息でステロイドの副作用があり自分の
写真は公開しないようになった。東京大気汚染公害裁判の原告だった頃
ハンセン病の原告と弁護士会館のエレベーターに乗り合わせた事を思い
だしたり複雑な気持ちになったが、それなりに面白い映画であった。
ジョン・メリック役のジョン・ハートの特殊メイクは12時間もかかった
らしい。デヴィッド・リンチ監督の「砂の惑星 デューン」は好きであるが
ツインピークスは良く解らない苦手な作品である。

2009年10月4日

 映画『イースター・パレード』1948年 チャールズ・ウォルターズ監督の映画を観た。
ジュディーランドがフレッド・アステアのダンスのパートナーになってニューヨーク
5番街を歩いて人を振り向かせるのに変な表情にビックリして皆が振り向くシーン
だけ覚えていた。後は、ボーっとショータイムを眺めたり衣装を見たりしていた。
40曲も使われているが記憶に残る曲が無いのも珍しい。雨に唄えばやハロー・ドリー
みたいに音楽の苦手な私にも記憶に残る曲がほしかった。


 映画『マッカーサー』(1977年)ジョセフ・サージェント監督を観た。
ナポレオン・ソロの監督である。 第二次大戦フィリピン最後の拠点
コレヒドール島で日本軍との攻防戦で海上封鎖で物資が不足し苦戦
ルーズベルト大統領からは撤退命令が下される。マッカーサーは
島にウエインライト中将を残し「アイ・シャル・リターン」という言葉
を残し魚雷艇で夫人と4歳の一人息子と島を出る。オーストラリアの
メルボルンに赴任するがコレヒドールは日本軍に占領され残した部下
は、ほぼ全滅する。日本軍への逆襲を成功させフィリピンに戻る。
捕虜になった生き残りに部下がいた。馬の肉まで食べたと報告する
あたりは、馬肉は食べないみたいである。日本を正攻法で攻める予定が
1945年8月、2発の原爆で壊滅状態の日本は無条件降伏し、
マッカーサーはGHQの総司令官として歴史的調印式がミズーリ号艦上
で行われソビエトの代表は戦争が終わってから参戦し北海道をほしいと
言う。スターリンに銃殺されるのかという皮肉は、効いていた。
連合軍の司令官として日本を支配下に置き憲法を制定させる。
天皇について半分が神で半分は王という国民意識を考慮して対応する。
歴史上、アレキサンダー大王の時代から占領しても失敗するのは、
敗戦国の国民を虐待し略奪するからだと言うようなセリフもあった。
アメリカの映画らしく原爆の事は、軽く流す感じであった。
そして全てを失い貧しくなった日本は、軍隊も武力も放棄して復興
に向かう。しかし1950年に朝鮮戦争が勃発し警察行動として
国連軍を率いるが「戦争の究極の目的は勝つことであり決断を先延
ばしにすることではない」と台湾の蒋介石に武力支援を申し入れたり
してトルーマン大統領に解任される。故郷はイースト・ポイントの陸軍
仕官学校が口癖で帰国後、「老兵は死なずただ消え去るのみ」という
言葉を残す。 1880年1月26日 - 1964年4月5日で第一次世界大戦から
第二次世界大戦を経験しているため士官学校の制服も軍服も進化して
いると感じた。グレゴリー・ペックがマッカーサー元帥を演じた。
北朝鮮は38度線で21世紀の現在も休戦中である。軍縮と環境が世界
の流れの中で核武装している。別の歴史があったらと考えてしまう。

2009年10月3日

 映画『クローズZEROU』2008年三池崇史監督作品を観た。乱闘の登場人物
が多くヤッターマン以上に登場人物やスタッフが多く感じた。少年院からナイフ
で鳳仙学院の生徒を刺して死なせた鈴蘭の生徒が出て来たことで休戦協定が破ら
れる。主人公、滝谷 源治は、組長の父親に「パンチに怒りしかない。愛が足りない。」
と言われて人間的に成長する。前作で防弾スーツを着せてヒットマンを許した
敵対する組にそそのかされ少年院から出てきた少年に撃たれ入院するが許す。
鳳仙との対決の日、思ったより人が集まらず任侠物の1人で敵陣に乗り込むシーン
は次郎長的ストーリである。映画史上最大の学生の乱闘でも武器を使わないフェアな所
が新鮮である。鳳仙の屋上でタイマンの前に相手と同じペットボトルの水を飲むクライマックス。
ラストの卒業証書の演出は、中原俊監督が櫻の園で封切り前の舞台挨拶で卒業証書を
配ったのを、思い出させる。暴力シーンが多いが命を大切にしろと言うあたりは、青春スポーツ
映画的であり爆破シーンの変わりに取り壊しが決まっている体育館の放火炎上シーンがあった。
焼き殺すとかではないことまで、わざわざ分かるようにしているあたりは違うと感じた。
拳(こぶし)で強いとか弱い、勝ち負けを決めるあたりは、喧嘩というよりカンフー映画的である。
そして鈴蘭と鳳仙の両者に善と悪が無いことが不良という無秩序な中に野生的な秩序を
もたらしている感じがした。哺乳類は、同一種族で強いか弱いかを決めてまず殺し合わない。
鈴蘭の統一は、鳳仙という外敵に対抗する結果だった。このあたりは、国家が仮想敵国の
脅威をプロパガンダにすることで1つにまとめる手法が自然に出来る状態と同じ感じがした。


映画『ほっこまい・高松純情シネマ』高嶋弘監督作品を観た。さぬき映画祭で
企画コンテストで選ばれ製作された作品である。都内で劇場公開されツタヤで
DVDレンタル可能になり以外な広がりを見せている。あらすじは、中学生が制服
自由化を求めて学校と掛け合う中で全校生徒のアンケートを取ることになる。
ビラの配布やストライキといった闘争方法から16ミリカメラで4分の短編映画の
機材を借りて来られた事で制服自由化をアピールすることになる。劇中でATGを
例にする会話など「グミ・チョコレート・パイン」ケラリーノ・サンドロヴィッチ監督・脚本
による映画化。2007年の青春時代を思い出させてくれる。
「青春デンデケデケデケ」大林宣彦監督の1992年の作品もある。
類似した内容で後から映画を作るのは、大変な度胸がいるとおもう。しかも低予算
となると大変であろう。更に、同じロケ地でも絵葉書に出来るような景観は減っている。
時代が変わると時代背景に衣装や小物の入手も大変になる。
ほっこい・高松純情シネマで通行する車も当時の年式の車種を探したとわかる。
おしいのは、システムキッチンの台所から母親が顔を出す場面と古本のスクリーン
のフチが経年劣化して買ったばかりで無い違和感を感じた。
自主制作で寺山修二の「書を捨て街に出よう」を「制服を脱いで街に出よう」とした
り三島由紀夫の切腹事件が注目され、映画好きの少年の部屋の「猿の惑星」や
「華麗なるヒコーキ野郎」のポスターが貼られている時代が懐かしい。
華麗なるヒコーキ野郎には、日本人の石原裕次郎が出ている。猿の惑星は、ペット
だった犬と猫が細菌により絶滅した世界だった。そんな事を思い出しながら観た。
アンケートの結果、制服自由化は、どうなったかには、触れられていない。常連だった
映画館の閉館の日、登校前の朝に「制服を脱いで街に出よう」を観てから学校に向かう。
さぬき地方も夕張同様に2005年「春の雪」「県庁の星」2006年「UDON」「椿三十郎」
のロケ地になっている。「UDON」は60回も脚本にリテイクが入ったらしい。
「ほっこまい」は損得を考えない、いちずな人を指すらしい。趣味人とかマニアみたい
ニュアンスなのだろうか?映画館が潰れるあたりは『ニュー・シネマ・パラダイス
ジュゼッペ・トルナトーレ監督の1989年のイタリア映画を思い出す邦画だった。
ニューシネマパラダイスは、カンヌ映画祭審査員大賞・アカデミー賞最優秀外国語映画賞に
ゴールデングローブ賞を取った作品である。都内は「シネスイッチ銀座」で公開された
作品である。新しい邦画に『オリオン座からの招待状』も、この作品には及ばない。
アルフレッドが広場に移した映画のタイトルを調べようとしたが解らない。
ステージの上にレビューの衣装の女性が大勢立っていて山高帽にモーニングの
男が立ってなにかしている。男のスボンの丈がやや短い。喜劇役者だとしたら
バスターキートンの様にも見えるが確信が持てない。悩んでいるうちに
セルロイドのフィルムが発火した。「発明はいつも後からくる」と安全性の高く
なったフィルムを失明したアルフレドが取り付けながらトトに話す。
 キスシーンをつないだフィルムは、性的な意味より戦場に恋人を送り出すキス
だったり、二度と会えない二人の決心のキスだったり深い場面のオンパレード
である。日本だと火打ち石を打って安全を祈願したりお守りを渡すのと同じ
場面と言える。ライムライトにチャップリンとキートンが出ていたのとキスシーン
の中に「街の灯」も入っていた。著作権法の認める引用の使い方が絶妙だった。
映画もワインみたいに当たり年があるのかも知れない。【天候が作物の実りを
左右するごとく社会情勢が映画の出来を左右する。】
浅野琢也(アサノタクヤ)


映画『M★A★S★H マッシュ』ロバート・アルトマン監督1970年を観た。
朝鮮戦争でアメリカの野戦病院を舞台にした喜劇である。ベトナム戦争へと
繋がって行く歴史背景を考えると、戦場で戦死したり負傷した兵士を、ひたすら
手術して直すが、患者の意思に関係なく1日中、働き続ける中で、バカな事を
楽しみ極限状態で人間性を疑わない姿を描いている。手術着の下にゴルフスボン
にゴルフシューズは、仕事より娯楽を優先させる意思表示に取れる。「地獄の
黙示録」でアイスクリームを空輸させる将校の描写は、ここから来ているのかも
知れない。週に1度の映画の鑑賞会のアナウンスがラストで、マッシュの上映終了
のアナウンスの演出はニクイ。メインテーマの「もしもあの世に行けたなら」
(Suiside Is Painless)の歌詞の字幕は、「生きるも死ぬも自殺は勝手・・・」
みたい内容である。歯科医のペインレスが自殺したいとホークアイに相談する。
ホークアイとジョンはペインレスのために「お別れパーティー」を開く。
ブラックカプセルなる自殺薬が効くと言って渡すが中身は、単なる睡眠薬。
大勢の医者が口裏を合わせて信用させて目が覚めたら自殺願望の事など
忘れているあたりが笑える。負傷で障害で苦しんだり戦死を悲しむ描写が
無い所が、描かないことの問題意識を持たない人でも楽しめる作品である。


 映画『旅情』(原題:SUMMER TIME)デビット・リーン監督1955年キャサリン
ヘップパーン主演を観た。昔は、赤いペアのベネチュアグラスのゴブレットと
赤いウサギ耳がディテールのハイヒールと観光案内の、はだし子供が印象的で
あった。30年以上経過して観ると、海の上を汽車が走っている!思わず
アニメ「ワンピース」のウォーターセブン編の【海列車】の原点を発見した
感じがした。アメリカで秘書をしている主人公が1人旅をするあたりが女性の
自立を少し感じさせる。ウーマンリブの時代の前の映画である。旅先の
サン・マルコ広場で自分を見つめる中年男性レナートが骨董屋の主人で再会し
恋に落ちるが、妻帯者の彼と距離を置いて海の上を走る汽車に1人乗り込み
帰っていく。『ひまわり』『七年目の浮気』『ローマの休日』みたい節度ある
大人のラブロマンスである。どろどろした恋愛映画にセックス描写が氾濫して
いる現在と違いホッとして観られる。そして退屈しない。
名場面の八ミリカメラで観光地の景色を撮影して後ろに下がって運河に落ちる。
ガイドの子供が運河に落ちる瞬間カメラはキャッチするシーンはナイスキャッチ
と言いたくなる。「ベニスに死す」では、汽車のシーンが無かった。
観光地は、奥が深いと感じた。ワンピースの原作者である尾田 栄一郎氏が
実際にベニスに取材に行ってウォーターセブン編が出来たらしい。
旅情の運河に落ちるシーンでキャサリン・ヘップパーンの目に細菌が入り
後遺症が残り女優人生に影を落とす事になったらしい。半世紀以上前の
医療では、抗生物質が揃っていなかったのかも知れない。タリビットの目薬が
あればと思う。               浅野琢也(アサノタクヤ)



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