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浅野琢也の雑記帳7 2009年1月〜3月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Website


2009年3月31日

 春だけに春闘の季節だ。労働組合運動が良い生活と希望に向かって
いた時代の映画に「にっぽん泥棒物語」(1965)傷だらけの山河の
山本薩夫監督の松川事件の労働者の無罪(アリバイ)を目撃した
泥棒の喜劇がある。
 総評が解散して全労連と連合に分離したり分派して団結出来ない
状況の要因は、底辺民主主義に徹することが出来ていない事だろう。
 私は、零細企業の未組織労働者の事を考えろ!組合がある所は
恵まれた企業だと常々、自工総連の役員だった今は、亡き伯父に
言っていた。若い頃、庶民金融でサラ金の取り立てをした経験から
困窮の原因を見聞きしていた。しかし当時は病気が原因の例だけは、
無かった。
 社会保険の負担や高齢者の医療費無料に生活出来る年金が
国の責任で補償され当然の事だと思っていた。蟹工船などは、
現在と違い救いや貧困から抜ける方法があり希望が書かれている。
だから人気が出る。今の労働組合と古き希望のある時代と
何が違い、社会情勢と環境から若者は何を求めているか考える
時期だ。若者が蕾(つぼみ)のまま散る社会では、いけない。

2009年3月30日

 日本アンデパンダン展(今日まで)は、日本美術会が
主催している為、左翼的な作品の傾向も一部見受けら
れる。とは言っても表現力に乏しい印象を与えるかも
知れない。六本木で2度目であり入場者数・出品者数が
減少した。ハケン切りの影響で、文化・芸術に時間と、お金
を使うゆとりが減ったと感じた。
封建時代から資本主義・自由主義へと向かう人
社会主義・共産主義と、それぞれの思想に希望を
求めるあたりは、宗教と近いものがあるのかも知れない。
どうも左翼=大酒飲みが多く組合活動や社会運動に
酒を飲んでばかりに見える。昔、火炎瓶闘争なんて
あったが酒瓶を空にすることで活動に参加していたと
思い込んでいる人間もいそうで酒代が春闘で勝ち取った
金額より何倍もかかっているなら損益分岐点を知らない
状態かも知れない。「旗びらき」など飲む機会が多すぎる。
アメリカのユニオンの組織率が減っている原因は、
問題解決したら離れて通常の生活に戻っていくからであろう。
労働組合に相談するにも職場での待遇や生活がうまくいかない
世間体の悪い状態だけに酒の力を借りて話しが出来る状態
だったらしい。会社のグチをグダグダいうサラリーマンに近い
イメージに加えて現在の若者が置かれている状況より
切羽詰まっていない大らかさが許された時代の名残であろうか?
酒は、家庭を破壊する。その影響を受けた子供の世代は、酒を
飲まなくなる。親が反面教師になる。そして次の世代が酒を飲む
ようになる繰り返しもある。【スピーク・イージィー】を連想する。
 労働組合と対極に資本家側(会社の接待の文化)の酒で接待
する文化もある。権力側でも官官接待は問題になった。
現在は組織に囲い込まれることで権利と義務のバランスが崩れる。
そしてデメリットが大きすぎると判断する若い人が多い。
専門的な情報はネットで集められ行政には個人で出来る手続き
が多い。相談するより調べた方が早く正確な時代背景もある。
 家庭や個人の幸福を考えていると感じる。日本の特撮の
歴史を昔にテレビでみたら、労働組合のストライキのカンパ
集めに絵を売って資金にしたら給料の何倍ものお金になって
特撮の会社を作ったという逸話が放送された。
独立の場合は、スト破りにはならないのだろうか?
私は、FOXの「シンプソンズ」というアニメーションが
知識が増えるので好きだ。アメリカのユニオンを皮肉って
バートに「この人たちは、組合の人だから仕事をしないで
エラぶっているだけ」と教えるあたり皮肉が利いている。

オードリーヘップバーンの「初恋」ではサヨクの委員会と
言われる組織に爆弾の入ったタバコ入れの運び屋にされて
合言葉は「変わった柄のシガレットケースですね」だった。
爆発して無関係な人が死んだり計画性や責任感が目的を
優先させて人間の命や生活を大切に出来ていない時代の
映画を思い出すには、今だに何かがあるのだろう。
 1993年のフランス映画『ジェルミナル(芽生え月)』
の中に坑内にガスが充満している時に工夫がランプの火が
消えかかりフタ(ランプを金網で覆うとガスの中で爆発しない
発明が19世紀・電池式懐中電灯が無い時代使われていた)を
開けてしまい爆破する場面で良く構造を理解していても条件反射に
よる事故という設定がリアルだった。炭鉱夫の制服もあり装備も
決まっており、女性もトロッコを押して働いていた。
プリンセスメーカーという育ゲーに娘を炭鉱で働かせることが
出来た。まんざら設定が合っていたのに驚いた。「家なき子」でも
炭鉱にレミが生き埋めになる描写がある。『ジェルミナル(芽生え月)』の
時代はマルクスが生きていて共産党宣言が出されインターナショナルが組織
されはじめた時代と思われる。
労働組合運動の【芽生え】の時代のストライキの話であった。
石炭の値段が下がったから労働条件を悪くする経営者との戦いだったが
得る物は無くストライキの破壊で事故が起こり大勢が無くなった。
当然、スト破りや外国人労働者の雇用もなされた。
同じ「働く」でも仕事と労働は違う。
自分の裁量で行えるのが仕事であり指示された事を行うのが労働や作業だ。
フランス映画界が制作費35億で、このような大作を作っていたのには
おどろかされた。イギリス映画では「ブラス」「リトル・ダンサー」日本では
「フラガール」と異なる国の同一テーマを見比べるのも面白い。

2009年3月30日

 昨日、29日は、国立新美術館に寄って作品のメンテナンスの後で
「公害弁連第38回総会記念シンポジウム
新たな大気汚染公害被害者救済制度をめざして

主催・日本環境会議・大気汚染被害者救済制度検討会・
全国公害弁護団連絡会議(渋谷法律事務所内)
に参加しました。身体に負担がかかったため喘息の発作で夜は、
熟睡出来ず、横になると息が出はないので座っている。

2009年3月27日

 62回日本アンデパンダン展に出品した作品のページを作成して
更新しました。デス・ノートではなく「デス・ドラム0903日本海溝、深い闇」
と言う作品です。
   
 手の彫塑はターンテーブルで回転し続けています。
人間が作品に近づいた時にのみ、センサーが反応して
銃声(玩具のギミックを使用)がします。

今の日本は、国民生活・日本沈没では未来はありません。
日本海側ですと北朝鮮の拉致問題を連想するので、太平洋側の
日本海溝をサブタイトルにしました。

 ちなみにデス・ノートの金子修介監督は、(故)金子静枝氏
の息子さんで「羊飼いの少年」と「パルテノン」の2点を遺作コーナーに
提供して下さってます。30日月曜日の昼までが会期です。
 ピエール=オーギュスト・ルノワール (Pierre-Auguste Renoir、
1841年2月25日 - 1919年12月3日)という
フランスの印象派の画家を思い出させる。長男のピエールは俳優、
次男のジャンは有名な映画監督ジャン・ルノアールである。
アルゴの時代から金子監督の映画も楽しみにしている。
プライドは、予算や色々な制約で、お酒を飲まない私でも、質素な
感じがした。音楽のことは専門外だが『フジ子・ヘミングの軌跡』
2003年10月17日に、フジテレビ系で放送されたテレビドラマを観て、
フジ子・ヘミングの半生を観てから「のだめカンタービレ」のアニメや
「金色のコルダ」を観たりしてはいるが音楽は理解が難しい。

 映画のコスチュームから制服に至る部分から世界観を分析して
ピックアップして流行の先を予見するには、新作映画を観ることは
欠かせない。電車やバスでの移動が困難なので効率よく情報を
集めるが呼吸器の疾患では、ムリの後は、運が良くて入院・最悪は
発作による窒息死だけに電車で毎日、制服のチエックをして新作の
参考にするのは難しいものである。 アサノ タクヤ

2009月3月24日

 ようやく桜が咲いてコートを脱いで身軽になれる季節である。
香港国際警察を観た。タイトルが同じなので昔に観た物だと思い込んで
いたら2005年に製作された映画だった。
踊る大捜査線(1997年1月〜)の青島刑事のいつも着ているコートを
香港国際警察/NEW POLICE STORY(2005年3月)で相棒の巡査1667”
ことシウホン:ニコラス・ツェー(謝霆鋒)が、子供の時にチャン警部:
ジャッキー・チェン(成龍)から貰って大人になって着ている部分は、
服飾を専門とする私には印象に残った。香港国際警察は1985年から
数作品作られている。劇中で、使用されたコートの種類までチエック
していない(細かいディテールまでチェックしないで観たので)が「踊る
大捜査線」の劇中で織田裕二の着用しているM-51に似ていた。
M−51シェルパーカーは、フィッシュテール・パーカーやモッズコートとも言う。
ドラマ以降「青島コート」と有名になった軍用コートでに似ていた。

2009月3月23日

 今回のアンデパンダン展は、62回展なので新作発表ではなく発表済みの作品を
出している為、新鮮さに欠けていた。規約に未発表の作品と無いから問題は無い。
しかし観る側にとっては、ガッカリするハズである。
 作家の中で毎回、違った様々な実験的作品を発表するタイプは、発表の場も変わる。
このタイプが、失敗を失敗と認識し出来ると成功することが多くホップ・ステップ・ジャンプできる。
作家を取り巻く環境が悪くてもステップアップはしていく。失敗もダメなことを検証する事が
出来れば成功である。美術館に沢山展示してある作品の目的は何か?考えながら鑑賞すると
楽しめるかも知れない。村上隆氏だったと思うが「高齢者アート」というジャンルも必要な
事を何かに書いていたのを読んだ気がする。人生の中で功績を残していない年寄りがムチャすると
怖い。将来が無く残した物が無ければ何をするか見てみたい。デイケアやリハビリやボケの防止の
延長でなく老い先無い年寄りが純粋に芸術で高齢者の命をかけたアート作品なら見てみたい。
通常は世間体や孫・子がムチャをしないブレーキになるから「いい歳して」で陽の目を見ない。
発表する側の「高齢者アート」を想像したが、高齢者が見るアートという視点なら
映画『ソイレント・グリーン』の人間ブックが死に行く時間に好きな映像を見ながら息を
引き取るシーンがあったが、絶滅した動物達や自然の映像が流れていた。
ナショナル・ジオグラフイック・フィルムやアニマル・プラネットは環境映像的に眺めて
いると為になる話をナレーションで聞かせてくれる。「高齢者アート」とはどんな物だろう?
 昨日は、東京マラソンの交通規制に加えて雨で東京大気汚染公害裁判の原告団総会と
公害患者と家族の会の総会に体調を崩して引き返してクスリを飲んだり吸入をして
酸素を流して安静にした。症状の重い患者の声を届けられない組織では先が思いやられる。

2009月3月19日

 昨日から日本美術会(主催)のアンデパダン展がはじまった。
私はインスタレーションの出品である。昨年は規模を大きくした。今年は
小さなスペースで搬入・搬出の労力を軽減した。
今年は、体調が崩れたまま冬を越せた。しかし油断できないのが呼吸器の
疾患だ。自覚症状を堪えて生きるのは辛い。先月、同じ病気で大気汚染の
公害裁判で戦った知人が亡くなった。
元、ボクサーでチャンピオン戦のチャレンジ記録50戦25勝(9 KO)21敗4分と
言う記録を残したが・・・火葬で「真っ白な灰」になってほしくなかった。
良く飲みに誘われた。私は酒を飲まないので断り続けた。亡くなった知人の
ボクサー時代に鍛え抜いた肉体に精神力を持っても桜の季節まで耐えられず
残念である。

 六本木の美術館は天上からの吊り下げ展示ができるので東京都美術館とは
別の使い方も出来る。私の場合、酒を飲まない代わりに「好奇心」と「探究心」を
原動力にしている。歩行困難で観て回ることが大変なので事前に情報を集めて
みるようにしている。長くやっていると作家によって内容やテーマが変わらないタイプも多い。
同じテーマを追求するタイプ(深く掘り下げていく)のなら探究心から極めていくと思う。
中には発想の貧しさが透けて見える作家も見受けられるのも美術界を取り巻く環境の
影響だろう。視野狭窄に陥りがちな作家は社会情勢を反映する話題の意味が解らない。
失敗を失敗と認識しないで良く解らないまま同じテーマを追求すると深みにハマって
底なし沼状態になる。映画「受験のシンデレラ」の「スタート地点を知れ」
に当てはめると「人生の現在位置を絶えず把握せよ」
ということである。

2009月3月18日

 本日、18日(水)から3月30日(月)【24日(火)は休館】の間
2009年 62回 日本アンデパンダン展に出品しています。
場所は、国立新美術館(六本木)インスタションコーナーです。
ブラックユーモアをまじえた立体稼動作品です。会期後に画像を
アップする予定です。主催は、日本美術会です。

2009月3月17日

『おくりびと』(滝田洋二監督)を観た。ハリウッドのオスカーは
候補にはなるが邦画では中々取れていない。久しぶりの快挙
である。賞を取るには、時代背景に環境や運が影響する。
ストーリーの流れが良く亡くなった人の個性も良く出ていた。
 公開時期が「櫻の園」と同じだった。「直葬」が増えている中で
「死に化粧」して棺桶(かんおけ)に入れる葬祭の一部から色々と
人生を考えた。葬式を出せる状態で、その時が来る人は、現在は
不況で半分である。「衣食足りて礼節を知る」差額ベットで資産を
使い果たしてしまう医療システムで良いのか?考えたい。
「迷子の警察音楽隊」でも予算が削られている。スポーツも文化も
世界的に状況は良くない。オーケストの維持は大変だという共感を
得られる。当然スポンサーは、費用対効果を考慮する。
シュチュエーションで主人公の楽団解散して「やすらかな旅立ち」の
お手伝い。主役がチェロ奏者!セロ弾きのゴーシュを連想させる。
東北ロケで世間体を気に出来る程度のゆとりを感じた。
ゴッドファーザーで長男が高速道路の料金所でハチの巣にされ
「母親が見ることが出来るように」と遺体の修復を指示するシーン
を思い出したりできた。日本で遺体の整復が始まったのは青函連絡船
の事故らしい。朝鮮戦争でも活用されたらしい。
 世界的にヒットして周知されているアニメや映画は、共通の話題に
できコミニュケーションに役立つ。もしかしたら同じ神を信じている人
並かも知れない。タイトルは忘れたが宇宙を探索している宇宙飛行士が
宇宙人と遭遇して地球での神を聞かれて「ミッキー・マウス」という
シーンがあったがマウスのホイールでカーソルが移動する単位が
【ミッキー】である。
マウスの発明者が決めたので電脳社会でも
ミッキーは特別なのだろう。
納棺夫(『おくりびと』原作)の映画化構想から年数が経過している
ため病院で病死すると本人負担やら差額ベットまでかからない
時代なのかも知れない。『遊びの時間は終らない』萩庭貞明監督の
主演も本木雅弘氏だった。アルゴ・プロジェクトの80年代から90年代
とメジャーなプロデューサー・監督・役者を育てたと私は、感じている。
 幼児虐待をテーマにした『誰も知らない』(カンヌ国際映画祭
最優秀主演男優賞 ・フランダース国際映画祭グランプリ・
シカゴ国際映画祭 ・金のプラーク賞・第78回キネマ旬報ベスト・テン
日本映画ベスト・ワン ・読者選出日本映画ベスト・ワン・
読者選出日本映画監督賞:是枝裕和・助演女優賞:(YOU)・
新人男優賞:(柳楽優弥)・第47回ブルーリボン賞・作品賞・
監督賞:(是枝裕和)【ウィキペディア(Wikipedia)を参照にすると
以外に受賞作品を観ていると我ながら感心する】
や『長い散歩』(2006年、監督奥田瑛二、主演)モントリオール映画祭
グランプリも良かった。
『おくりびと』にも親と子の葛藤が描かれていた。『闇の子供達』の
挿入歌に【心に死に化粧】という歌詞があった。【死に際の格差】を
感じる。【命の格差】を最近、特に映画を観ると感じている。
 私自身の波乱の人生を映画にしたら面白くないかとアナウンサーの
同級生に話したら仕事で葬式の司会をする事があるけど、みんな
スゴい人生の人ばかりだから・・・もっとドラマチックにしないとムリ。
波乱万丈が足りないみたいな事を言われて、少しショックを受けた事を
思い出しもした。司会者を必要とする程の規模の葬式の方が珍しいと
考えたりである。

2009月3月11日

 ゴッド・ファーザーのフィギュアの宣伝を見ていたら、フランシス・フォード・コッポラ監督の
『レインメーカー』(The Rainmaker)1997年製作アメリカを思いだした。
医療保険メーカーの不正により治療が受けられず原告が死に保険会社は賠償金で
破産させ資産を国外に移し逃亡する所で逮捕されるストーリだった。

東京大気汚染公害裁判の原告団で私は、何期か幹事をした。今年の2月末に、お隣
墨田の元担当幹事が亡くなっているのを知った。公害患者と家族の会として活動して
いるが、被告が黒い排気ガスにより健康被害を予見してディーゼル車を市場に供給した
メーカーに限った。排ガスを減らすのは技術的にムリだと裁判で証言して、被害を拡大し
舌の根も乾かないうちにクリーンディーゼルを宣伝しているらしい。

自動車メーカーが被告になる映画に『タッカー』 - Tucker 1988年があった。
これもフランシス・フォード・コッポラ監督である。
これは、アメリカン・ドリームにかける技術者なので応援して鑑賞した。

『アミスタッド』(Amistad)1997年製作アメリカ スティーヴン・スピルバーグ監督
作品で奴隷としてアフリカからさらって来た人を人間か積み荷かで裁判で争う
人間の尊厳と司法制度をかけた物語である。(19世紀半ばのアミスタッド号事件)

『誘拐(ゆうかい)』1997年東宝。大河原孝夫監督 映画脚本コンクール「城戸賞」95年度受賞作品。
「3億円の身代金と身代金受け渡しのテレビ中継」日本アカデミー賞(1997年)撮影賞・照明賞
編集賞 と日刊スポーツ映画大賞・主演男優賞(渡哲也)キネマ旬報ベストテン 第7位
の作品であった。公害被害者が救われない日本らしい映画であるが皮肉なことに渡哲也氏は
石原プロの社長であり現在の都知事は、石原慎太郎氏である。
『俺は、君のためにこそ死ににいく』(おれは、きみのためにこそしににいく)2007年5月12日公開
の映画に総制作費18億円。興行収入は10.8億円(2007年全国映画概況: 日本映画製作者連盟[1])
2007年度文春きいちご賞第8位。(日本版ラジー賞)を作っているが都民受けた公害被害に対して
良いエンディングで締め括れるように国と交渉てほしいものである。

『エリン・ブロコビッチ』(Erin Brockovich)2000年製作アメリカ スティーヴン・ソダーバーグ監督
6価のクロム公害を出した企業犯罪の事実を暴くジュリア・ロバーツ主演の映画だがレインメーカー
みたいに大陪審にせず和解金で妥協したため原告の利益が損なわれスカっとしなかった。
名前に、ビッチとつくと、まがいもの・にせもの的ニュアンスを持つ。

裁判員制度も始まり、実際に法廷に何度か立ったので上の映画で法とはなにか考え「12人の怒れる
・・・・」など「12人の優しい・・・」は場の雰囲気に慣れるのに良い。

                          (C)浅野琢也(Takuya Asano)

2009月3月10日

 ネコを抱いている『ゴッドファーザー PARTI』 1/6スケールフィギュア
ビト・コルレオーネのフィギュアをアマゾンで買える。私もネコを飼ってみたい。
007のドクター・ノオでは、スペクターの首領がネコを抱いているシーンが
あってオースティン・パワーズでパロディー化していた。映画は、自分の
好みで観ると同時に、時代の空気を読む物差しにもしている。
その為、苦手なジャンルでも新しいアプローチだと観ているつもりだが
見落としも多い。「アブノーマル」という1994年のオストラリア+イタリア
合作も苦手な感じだっがベネチア国際映画祭・5部門受賞なので観た。
飼っていたネコが死んでいるのに持ち歩くなどタイトル通り異常ではあるが
映画のストーリーは正常だった。先が見えない時代の為かアニメの実写版が多いが
アンデパンダン展の出品が終わったら観ようと思う。
ネコの置物をウサギの毛で作り内部にニャーニャー鳴くギミックを入れたら
ネコの剥製と間違われた。毛皮として安い素材であり衣料品に使えない物を
置物に使うあたりは、廃物利用になると思うが、素材の質と高度な、なめし技術
が必要であるがリアルファーなので触感はリアルで、ネコの毛と間違われた。
 今だにホラー映画と怪獣映画とカーテンの奥にある物は苦手なままである。
映画は、不思議なもので4時間の作品を短く感じることもあれば
2時間に満たない作品を長く感じる事もある。1985年頃に高感度フィルム
が市販されたらしく照明が暗くても写せるなど技術的に進化したりVFXの
技術などデジタル処理のコストが下がったりしているが、現代の社会情勢が
不安材料ばかりで未来・将来の希望が見えないからかスッキリとした
感じがしない。椿三十郎のセリフに「椿の合図に赤も白も無い」と言うのが
あるが「人間、一人一人の幸福に右も左も無い」だろうし「宗教で希望が
制限されてはいけない」と思いたい。

2009月3月9日

 「パコと魔法の絵本」を観た。サマークリスマスのイベントで入院病棟で
レクリエーションとして劇をする物語り。極彩色が小児病棟を思わせた。
原色の色数が多い華やかな色どりの為、落ち着いた中間色が少なく
CGを多様しておりサイケデリックな感じです。「仕掛け絵本」を書き割り
に使いギネスに世界最大の飛び出す絵本として登録されたそうです。
病院を舞台にした映画にLittle DJ―小さな恋の物語(リトルDJ)
あり、こちらも見ました。生と死の境目におかれている状態では、いかに
病気であることを忘れている時間を増やすかがターミナルケアにおいて
大切なのかも知れません。
「キング・イズ・アライヴ」では、バスで遭難してしまい救助を待つ間に
リア王を演じて時間を潰す映画も観ました。映画と演劇は近いので
劇中劇を演じるのは容易なのかも知れません。私みたいに、鑑賞は
しますが、病院のイベントや遭難先の時間潰しに劇に参加したい人は
少ないと思えます。現実逃避になると思いますが・・・そういう状況に
なりたくないものです。
 「プライド 原作・一条ゆかり」も観たのですが、今の時代にオペラ歌手
を目指して水商売?店のバランスの悪い位置のシャンデリアが「オペラ
座の怪人」のシャンデリアと記憶の中でダブって違和感を感じました。
 昔は、映画監督の名前で映画の品質の予測が出来たのですが・・・
【製作委員会】を組織してリスクを分散するため封切りで良作に当たる
のは難しくなったと感じます。洋服のブランドもデザイナー名で判断する
時代で無いのと近い状況なのでしょう。監督が自ら製作委員会に出資者
として参加できる経済環境が理想ということでしょう。デザイナーブランドは
マンションメーカーから創めた歴史がありますから、映画も自主制作や
ミニシアターから新しい時代の表現が出てくるかも知れません。
劇場公開はレイトショーのみで日本アカデミーの審査対象要件を満たさ
ないでDVD化をビジネスの中心にする等の試みもあります。
 DVD化してもレンタルショップが扱ってくれるかは別でしょう。
劇場公開作品が無くてもVシネマはあるなど需要の有無でシビアに
感じます。

2009月2月26日


 和田秀樹 初監督作品『受験のシンデレラ』を観た。この作品は、原作を読んで
いたので映像を楽しむのに良い時期であった。【スタートラインを知る】所から受験
のテクニックを身に付けていくもので、大変参考になる映画である。
若い時の経験は、殆どが役に立つが家庭のゴタゴタはマイナスの累積になる。
兄弟、姉妹間の問題も同様である。【】阪本順治監督の作品を思い出すと参考に
なると思う。闇の子供たちの監督も阪本順治である。「闇の子供たち」は原作
も読んだので映画にするには、原作よりストーリーや設定に制約を受けている感じ
がした。それでも衝撃的な映画であった。観てから読むと良い作品である。
児童買春でエイズに発病して黒いゴミ袋で捨てられ、這って自分の家にたどり着き
子供を売った親が小屋と身体を蝕む蟻ごと火葬にする場面は、人間の尊厳を
考えさせられる。特に、札幌映画サークルの札幌近郊のシネコンからミニシアター
まで全ての劇場にランキングの投票用紙と投票箱を設置して集計している。
結果は1位「おくりびと」2位「闇の子供たち」であった。(北海道新聞にて発表する
大規模な集計があるので様々な映画賞とオーディエンスのズレを比較するのに良い。)
 ハリウッドのオスカーを受賞したおくりびとの滝田洋二郎監督は壬生義士伝
(みぶぎしでん)新撰組の吉村貫一郎を主人公にした作品で第27回日本アカデミー賞・
最優秀作品賞(2003年度)を受賞している。浅田次郎の原作だが私は原作を読んでいない。
 「ララピポ」と「鴨川ホルモー」も原作を読み終えているので読んでから観ることに
なると思う。 世の中には、社会に出てから免許や資格を取るのが趣味になる人もいるが
学歴と学力(教養)が比例しないこともある。高学歴でも心の病気になった人を
知っているが頭脳明晰だった人が著しく変わってしまうからショックである。
 学歴や資格は、その時にその力があったと認識してもらう程度に役立つと感じる
歳になった。それよりコミニュケーション能力と裏づけとなる教養としての知識が大切である。
聞き上手だと思っていたら理解しないで相槌だけ打っている人がいるものである。
抜き打ち試験みたいに感想や意見をコミニュケーションの中で求めることで確認することは、
意外と忘れてしまうが大切である。「村の鍛冶屋」みたいにトンチンカンな感想や意見が
戻ってくると単に調子が良いだけの人と認識できる。

2009月2月21日

 昨日、やっと「アキレスと亀」を観た。仕事と家庭や家族より自分の創作活動を
優先させる芸術至上主義的な生き方に疑問を感じた。まず売れない絵描きが
オートマチズムの手法で大量に絵の具を使うのは不自然であるが演出として
みる。おでん屋で飢えている人が「おにぎりとピカソ」のどちらを選ぶかの話題になり
美術学校の同級生が歩道橋から「オレはピカソを選ぶ」と自殺するシーンは、
簡単に死ぬことが出来そうな印象を与えてしまう。いっそ「ぼくは、おにぎりが
食べたいんだなあ」と裸の大将
(山下清)のモノマネ
でもする柔軟な発想も
芸術家には求められると思う。ただ考えて意見を言わない人を何故か哲学している
ように見間違える人が多いが、哲学とは読んで字のごとく、折口をつけて説明する
学問であり、相手の思考時間が長いのパソコンのフリーズ状態かも知れない。
予見可能の危険な行為を繰り返してラストの生と死の狭間の実験は窒息寸前に
なってみたり火事を出したりするあたり柔軟な発想から離れて想像力の衰えを
感じた。アキレスと亀のパラドックスでは近づいていくが「迷路に迷ったウサギと
最短距離でゴールした亀」を想像してしまう内容だった。竹中直人の映画初監督作品
の「無能の人」は奥が深い印象を受けたが、ヤコペッティーの「世界残酷物語」っぽい
自虐性に不器用さをブレンドして残酷な笑いで観客を楽しませる作品であった。
働く(はたらく)よりはた迷惑になってしまう。セリフの中に「あいつら芸術が解らない」
というのがあるが、「オレの作品を理解してくれない」と言うのが正しいと感じる。
不器用な画家の設定も、交渉ごとやコミニュケーションが不器用と言う事であろう。
前半の幼少期と中盤の青年期では寡黙な主人公が中年期のラストでは、北野武
の存在感の為が不自然な感じがした。著作物とは思想感情の表現であり画商と
の会話でメッセージを込めていないとか注文を付けられていたが画家本人の感情
が読み取れないキャラクターであることからして悲劇である。ただ楽しそうな表情を
役として殺しているのが見えてしまい喜劇化してしまっている。共感できたり、
突き放して笑うのも観る人、次第である。近いテーマに「でらしね」がありこちらは、
面白かった。「アキレスと亀」のクライマックスシーンの「ひまわり」は、ゴッホを
イメージしているのが見透かされる感じであった。映画の「ひまわり」を観た人なら
マネキン工場で働くソフィア・ローレンを思い出してしまうかも知れない。
私は、以前に国立新美術館に「シュレディンガーの猫」を発表したことを思いだした。

2009月2月6日

「グーグだって猫である」を観た。色々な映画に猫が出てきて猫を捜すシーンがある。
私は、雨の中を名前の付いていない猫を捜す「ティファニーで朝食を」のムーンリバー
流れて来る部分が好きなシーンでる。欲を言えば猫が子猫だったら泣くほどに最高だと
思い出した。
「ティファニーで朝食を」のネコには名前が無い。夏目漱石を思い出した。
「こねこ」イワン・ポポフ監督のロシア映画は良かった。配管工の中年のおじさんと
数十匹のネコが一緒の家に暮らしているのですが引っ越しを命令されていまう。
ネコは家に付くと言われて引っ越す為に道端で売ったネコは元の家に戻ってしまう。
おじさんのネコを見る無垢な瞳が何とも言えません。(知的障害があるみたい役で
セリフがあまり無いのです)楽器からネコが出てくるなんて宮沢賢治の「セロ弾きのゴーシュ」
を思い出させてくれました。実際は、世界的に有名なネコのサーカス団の団長さんが
映画出演しているのですが、現在のロシアの生活が分かるような良い映画でした。
「20世紀少年」も見た。豪快に都市が破壊されていた。こんな時代背景と団塊の世代の
ニーズをマーケティングして作られている感じがするが娯楽映画として成立していました。

2009月2月5日

 風邪と空気が乾燥して湿度が足りず年々、冬を越えるのが大変になっている。
限定された生活環境や範囲でムダを無くすと引きこもりがちになる。限定合理主義
と言うらしいが、限定するのは政策を作る国会議員や官僚であり自衛隊の海外派遣
に派遣社員の契約打ち切りによる大量解雇が問題になっている。核家族化した結果
団塊の世代は、帰るべき田舎、戻るべき田舎に実家があっても戻る場所が無い。
つまり、失業という失敗は次の転職までの貯蓄と住まいに各職業のスキルを自分で
準備してから行うべきものであったが住み込みのハケン状態では、
仮の仕事に仮の住まいに農業の出来ない期間の短期間出稼ぎを想定した条件に
副業でなく本業として主たる収入を得る以外に就職が無く本来は、正社員を希望しながら
不安定な雇用状態に長期間、就労していた人が何の準備も無く失業している。
 子供の貧困は人格形成に影響する。生活が安定したら子供がほしいが、それまでは
仕事を優先させるのが当然であろう。高度経済成長期に生まれた世代は、同窓会で
病気で亡くなったという話が多い。この先、どの方向に向かうのだろう?

浅野琢也の雑記帳7 2009年1月

アサノ タクヤの ざっきちょう Takuya Asano Web

2009月1月17日

大阪ハムレット』の予告編を早速見て10年前に見た「ぼくのバラ色の人生
アラン・ベルリネール監督 1998年/ベルギー・仏・英合作
ゴールデン・グローブ賞最優秀外国語映画賞他受賞の映画のテイストを感じました。
 夕張ファンタスティック映画祭の上映作品の発表があり単館系ながら外国資本で
作られた「東京残酷警察」というZ指定から「クローズZERO2」などの大作まで
上映されるそうです。「片腕マシンガール」は敵討ちしていく内容ですが
「片足をシヨットガンにした」の外国映画があるらしいですが北米でdvd売り上げ
ベスト10
に入ったそうです。キル・ビルを意識しているみたいですが・・・
キル・ビルは、パゾリーニの「ソドムの市」を意識しているらしく主人公が口笛
吹きながら刀を持って戦う前にソドムの市の虐殺シーンに使われた陽気なメロディー
だったりと関連した作品の場合は、遡って観ると楽しめます。
キル・ビルのパンフレットに「子連れ狼」を意識していると書かれていました。
シックス・ストリング・サムライは、ギターと刀を持って子連れ(勝手に付いてくる子供)
とラスベガスに向かって旅をする低予算映画がビデオ化されていて血糊は使われて
いないけどなんか似た内容だと感じました。
ハンニバルのレクター博士の場合は殺し方もよりアーティスティックで医学博士だけに
人体の急所を知り尽くしているなど様々です。
チェ・ゲバラの場合も医療体制を整えて革命を行ったと思われますが映画を観て
いないので何とも言えません。
 私の場合は、娯楽映画でつかの間の現実逃避したいのでK−20を観ました。
バットマンみたいワイヤーを使ってました。
特殊な世界観や特殊な環境を設定している映画の場合は、観ることで衣服の変化を
予見する参考にしています。家電は洗濯乾燥機の普及もあり洗うと乾いていて着られる
便利な耐久性がある服が主流になっているため、冠婚葬祭など特別な時の服は、
ドライクリーニングして保存することで対応出来る感じがします。
昨年から異業種参入が増えている様子で、メディアアートからの参入やアニエスbさん
がエコール(原作ミネハハ)を作ったりしていますがブランドイメージを損なわないように
するなど課題が多そうです。80年代の後半の映画は、高感度フィルムが開発されて
見やすく景気も良くて今より作りやすい環境があったと思われます。
映画館に行くのは体調が良い時でないと無理なので公開が終わってDVDで観る
ことになる作品が多いのですがDVDショップの棚には厳選された作品しか並ばず
埋もれてしまう作品も多いと感じます。月末には、札幌映画サークルの人気投票が
北海道新聞で発表されるそうです。札幌周辺の劇場全てに投票用紙を設置して集計
する大規模な方式は、映画祭の受賞以上に審査と集計に力が入っている様子です。

2009月1月9日

「のだめカンタービレ」というアニメを見ていたら「七年目の浮気」の劇中で使用されている
クラッシックと同じことを思い出した。パブリックドメインとして著作権フリーになるのは
作者が死亡して70年である。星の王子様の著作権もフリーになっているかも知れない。
現在のVFXでリメイクされるとどうなるか興味深いが企画の話は、今の所聞かない。
正月明けは、K−20を観た。オペラ座の怪人やバットマンを連想させる世界観と
サーカスのアクロバットと娯楽映画の要素を含み2時間を越える作品なのに退屈
せずに楽しめた。感染列島は、細菌兵器が登場したカサンドラクロスと正月映画で
イメージがダブってしまいまだ見ていない。DVDになったら観ようとおもう。
特殊な世界観を構築した作品は、衣装の参考として流行調査と別の意味で興味を
持ってチエックしている。日本の映画は、1800円で高校・大学が1500円と安い
娯楽ではない。アメリカ並に6ドルとはいかないだろうがレディース・ディ並の1000円
にならないと若い層は、DVD化されてから見ることで小遣いを節約すると思われる。
映画館で見るメリットは、早く新作が見られること。パンフレットを買って帰られること。
であり大画面で見る迫力も捨てがたいが自宅で体力に合わせて少しずつ分けて
観る快適な方と比較してまう。K−20(怪人20面相)は60歳以上の人と女性が
多く感じた。(レディースディだったので当然だが・・・)シネコンなので夫婦で別々の
映画を見て合流する楽しみ方もあり時代は変わったとも感じた。

2009年1月7日

今年の年明けは、めでたさが薄れる年明けでった。製造業の派遣労働者の切り捨て。
イスラエルとパレスチナの戦闘。100年に1度の不況。
イギリスの名門ウエッジウッドの身売り。「ダーウィンの悪夢」という映画があったが
進化論の発見にウエッジウッドは、血縁のダーウィンの冒険に資金を出していたと
容易に予想できる。1929年の世界恐慌と二つの世界大戦を切り抜けた
伝統あるブランドが失われるほど大変な時代の年明けだといえる。
1929年の時代を乗りこえた芸能一家の映画に「ショウほど素敵な商売はない
というマリリン・モンローが出てくる映画があるが1929年は、劇場が全て閉鎖されて
共働きしてしのいだ時期が出てきた。一家の長男は、神父になるので神学校に行く
とき一言のセリフで親を納得させた。「教会は長期公演だ」そして第二次世界大戦が
はじまり家族の進路が決まって一家とマリリン・モンローのレビューで締めくくられて
いた。この例えを学校の教師に置き換えると、学校は長期公演で教科書は台本で
あるうか?夏休みと冬休み付きであるが学習指導要項を教えるだけでは、いけない。
「ミネルバの梟は黄昏時に飛び立つ」好奇心と探究心を持って勉強ではなく学習する
能力を維持することを見につけることを教えることが大切である。
アニメ1本・マンガ一冊を理解するのには学校の義務教育以上に博学でなければ
楽しみも少なくなる。人生を楽しむには知識は必要である。ただし知り過ぎるのは
辛い。人間の本質を悟ってしまうと自殺作家文壇史(植田康夫)を読んで芥川龍之介
の「蜘蛛の糸」の希望の細さや太宰治の「走れメロス」に出てくる石工の親が子に
地位を奪われたくなくて殺そうとしたり人間の業が読み取れる。
貧困が続くと自衛隊は終身雇用に加えて公務員だとアメリカみたいに大学の学費を餌に
求人があり倍率が高くなるかも知れない。社会環境による入隊希望の増加計画に
よって実質は徴兵制に向かっている印象に見える。映画「プライベート・ライアン」は
徴兵制で四人兄弟全員の戦死を防ぐことが大統領からのミッションの達成がテーマ
だった。



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