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浅野琢也の雑記帳12 2010年01月〜02月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成22年


映画『海炭市叙景』の(監督 熊切和嘉)オフィシャルサポーターです。
   2010年秋公開予定
   原作・佐藤泰志 数回、芥川賞候補となり41歳で自殺した作家の
   18編からなる原作どう映画化されるか楽しみです。
キャスト 主演・加瀬亮さん、小林薫さん、南果歩さん、 谷村美月さん。
   2010年2月クランクイン 秋、公開予定!

 『佐藤泰志作品集』の年表から職歴をピックアップした。
1975年あかつき印刷 1977年一橋大学生協の調理員
28歳で自律神経失調症の診断を上目黒診療所で受け治療開始。
1979年椛蜊という梱包会社の正社員となる。1981年
故郷の函館に戻り職業訓練校の建築科で大工をめざす。
1984年国分寺市に戻る。1986年アルコール中毒が悪化。
1990年10月に自宅からロープを持って植木畑で自殺
文学と仕事の両立は難しいのだろう。生活基盤が不安定である。
作者の私生活から作品の本質を読み取るのも面白い。 
東京国際映画祭コンペティション部門出品作品になりましたので追記します。


映画『書道ガールズ』の(監督 太田隆文 ストロベリー・フィールズ)
   オフイシャルサポーターです。
   都内公開未定「道徳と教育」をテーマ3年がかりで準備した作品です。

注意女優・成海璃子(17)主演の、女子高生の書道パフォーマンスを競う大会
   「書道ガールズ!! わたしたちの甲子園」とは異なります。
   (監督 猪股隆一 マリと子犬の物語 )
   日テレ系「ズームイン!!SUPER」(月〜金曜・前5時20分)の企画です。
   成海璃子は大会に臨む書道部の部長を演じ来年5月公開予定。


映画『ハーメルン』の(監督 坪川拓史)オフィシャルサポーターです。
   2011年公開予定
   キャスト 主演、倍賞千恵子さん、西島秀樹さん、小松正夫さん、
   吉田日出子さん
   トリノ映画祭でグランプリを受賞した監督作品です。

2010年 2月28日

映画『カラーパープル』(1985年)スティーヴン・スピルバーグ監督作品を観た。
アリス・ウォーカーのピューリッツァー賞を受賞した1982年の小説の映画化である。
黒人の姉妹が現代でいう家庭内暴力と女性軽視の男社会に翻弄される40年を描いた
作品である。それにしても女性は男性と違い順応力と生命力が強い。時代の変化で
馬車から自動車の時代へとライフスタイルが変わっても生き続けている。
状況に適応する力と単調な生活を続ける二つの力が男とは違うと感じる。
南部のジョージア州を舞台に一軒家を守り続け全て自分の物になる。
日本の女性の中には、定年した公務員の遺族年金目当てに男性の高齢者に接近して
共済年金を婚姻届けで手に入れるケースが増えている。
この映画の場合は、40年の生活実態があり第58回アカデミー賞で、作品賞を含む
10部門で候補(助演女優賞で2人あがったので11候補)にあがった。しかし、無冠に
終わっている。スピルバーグの監督賞候補入りにも至らなかった。娯楽映画から賞を
意識した作品を作ったと見られたらしい。40年間のアメリカの変化を良く描いて
いる作品である。(黒人の人権運動などをテーマとした作品と異なり家の中から出ない
1人の黒人女性の生活を通してドラマチックな事が起こらない分の変化を絶妙に描いて
いる。)人間、世界を飛び回るより大地に根を張った人生が変化に強いと感じた。
家があって血縁が維持される点は学ぶ所が大きい。郵便ポスト(変わらない住所)
で繋がれていた。


2010年 2月21日

映画『切腹』(1962年)小林正樹監督作品を観た。(白黒)オープニングの鎧が
鬼のツノみたいでインパクトがある。当時、1963年にカンヌ国際映画祭で審査員
特別賞、国内でも多数受賞している。切腹というタイトルもスゴい(単純なタイトル
の場合、映画の知名度が低いと話題にするのに説明しないといけない)が罪咎(とが)
なき者が自ら自殺するのに最後は、作法どおり死にたいという事で手伝い弔うべき
であるという歴史的・文化的背景がある。命より大切な物は名誉(プライド)と言う
考え方には、色々と意見あのかる方もいるとおもう。死んだらあの世に何も持って
いけないが名声を残すことはできる。現在は失業者であふれているが時代背景の
寛永七年も藩の取り潰しで大勢の浪人が江戸の町にあふれていたらしい。
傘を張ったり寺小屋の師匠などで生活費を稼いだりして食いつないでいた。
家族の中で妻が結核になり生活は困窮を極める。弱り目に祟り目と言うが幼子まで
急病で生死の境だが医者に見せる金もない。その頃、大名屋敷の玄関を切腹したい
ので貸してほしいと言って玄関先で死なれては葬式など手間がかかると金子を渡して
他に言ってほしいという屋敷もあり中にはタカリの手口にする者まで出はじめた。
津雲半四郎の婿も切羽詰まり井伊藩に切腹を願い出た。井伊藩の家老は、その類いと
見せしめに切腹をさせた。婿は恥を偲んで切腹の前に1度家に帰らせて欲しいと願い出る。
しかし理由も聞かれず問答無用と切腹をさせてしまう。しかも脇差が竹光なのでわざと
自分の刀で十文字に腹を切らねば介錯しないとまで辱めた。ここまでやると弱い者いじめ
を大勢で楽しんでいるとしかいえない。結局、自分の舌を噛んで絶命した。
そして家に死体が運ばれ妻と子も病と悲しみで死んでしまう。
それを知った津雲半四郎は、数ヶ月後に同様に井伊藩邸にて切腹したいと申し出る。
そして介錯人として井伊藩の腕利きの侍を指名する。3人指名するが全員病気を理由
に休んでいる。なにやら様子がおかしいと周りが思う「まあ聞きなさい。明日は、わが身
と言うこともある」と竹光で腹を切らされた婿の話を始める。そして一同が復讐に着たか
という所で名前の書いた紙を読み上げ髷を放り出す。「武士たるものが髷を切りおとされる
とは首を取られたも同じ!不面目、不始末、死を持ってさえ贖(あがな)え得(う)るか
どうか」と仮病で髪が生えるまで出て来ないことを指摘する。食い詰め浪人と侮っていた
が公然と面子を潰された井伊藩の侍たちが槍や鉄砲まで持ち出して津雲半四郎を討ち
取ろうと向かってくる。半四郎は四名切り殺し八名に深い手傷を負わせオープニングの
鎧・具足の飾ってある場所で鉄砲で撃たれながら切腹して壮絶な死をとげる。
この死に場所の演出が良い。井伊藩覚え書きには、髷を落とされた3名は切腹させ
だが病死扱い。半四郎に斬られた四名も病死扱い。津雲半四郎は当家にて切腹と
記入し江戸城総登城での名誉を損なわず面目を保つ。井伊藩の3名との果たし合いは、
回想場面として話の進行に合わせて一人づつ観られる。職を失い衣食を絶たれる。
労働者が今の時代にストをやってもスト中は、賃金を払わないで済む上に赤字仕事も
止まり企業が得する状態もありえる。赤字路線の維持でJALが倒産したり
トヨタが世界的リコールでアメリカ議会の公聴会に呼び出された。今の日本の状態
と重なる。どうもトヨタは同業者からも良く思われていない。F1の故意のルール違反
(不正な改造)などもあり仕方の無い事である。派遣ぎりで名古屋地域の経済も急激に
悪化した。大企業で地位があっても資産が尽きれば明日我が身、切られた派遣社員と
変わらないといえそうだ。『素晴らしき哉、人生』のジョージ・ベリーとポターの
事業家としてのモラルの違いを考えさせられる。


2010年 2月20日

映画『子鹿物語』(1946年)クラレンス・ブラウン監督作品を観た。
フロリダが舞台なので開拓に良い土地である。とはいっても家族は
3人である。三歳までに生きられ無かった子供の墓が三ある。
昔は、7歳まで生きられないことが多かった。日本の七五三も同様の
理由で行われている。
 畑を耕し家畜を飼い開墾する。自然が自然に美しい。今の映画はロケハンで
美しい景色を探して作られているが、この時代の映画には敵わない。
前半は古き開拓時代のアメリカの暮らしを見せてくれる。指の欠けた熊が
家畜のブタを襲って食べてしまい子供と猟犬を連れて狩猟に行くが銃が
古くて暴発して逃げられる。この事故でケガが無くて良かった。
農家の暮らしは、現金が無い。隣人から猟犬と猟銃を交換してもらう。
物の無い時代だが工夫して生活している。この家族は大家族で男手が
多い。ジョディと同年代の少年もいる。身体が弱く松葉杖をついている。
アライグマなどの小動物のペットを飼わせてもらっている。
ジョディーは羨ましそうである。ある日、ブタが戻って来ないので
父と家畜を探しに森に入ると父がガラガラ蛇に噛まれてしまう。
毒を吸い出し近くにいた雌鹿を撃ち肝臓と心臓を使って毒を抜く応急処置に
使う。近くに子鹿がいる。父は助かり小鹿を飼うことを許す。そして子鹿との
楽しい時を過ごす。
鹿を見せに訪ねるが隣の同年代の少年が病気で死んだ所だった。
その子が死ぬ前に尻尾が白いから名前はフラッグだと考えておいてくれていた。
鹿が成長して畑の芽を食べてしまう。父と立派な柵で畑を覆って守るが、
鹿が飛び越えて芽を食べてしまった。父は、柵作りでヘルニアで寝込む。
鹿を殺さなければ家族が生活出来ない。母が鹿を撃った。父はジョディーに
自分でトドメを刺すように言う。トドメを刺した後で、ジョディーは家を飛び出す。
家出をしようと河からボートに乗り流される。蒸気船に発見されて食事を貰い餓える
怖さを学び成長して家に戻る。家の側に井戸があれば生活が快適になるようである。
子供を叱ったりせず経験させて成長させる両親の抱擁力もスゴい。
そんな大らかでいて身になる教育が出来た時代背景もスゴい。
拳銃を持たないでも実際のアメリカの農民は開墾できたんだと西部劇を見て
思い込んでいたが参考になった。

2010年 2月18日

映画『ディア・ドクター』(2009年)西川美和監督作品を観た。
年寄りばかりの農村が運営している診療所の医師が無免許医だった
という事が発覚して失踪してしまう。ストーリーを観ていると元は
プロパーだったと解る。年収2000万の診療所の医師とプロパー
の年収は大差ない。医療器具の取り扱いなど医師にプロパーが教えて
買ってもらう。無医村化を食い止めるために村長が強引に連れてきて
診療所で働くことになった様である。保険医療機関に紛れ込んでしまう
あたり不思議であるが村営だけに行政が間違える事がないとチエック
もれしていると思って観た。病状で患者を専門医に紹介している所など
手際が良い。手に負えるか負えないか正確に診断している。
医療過誤や事故も起こさずしっかりと仕事をこなしている。
在宅医療も手馴れている。癌の患者に東京の病院勤めの医師をしている
娘に知られたくないと頼まれ健康な胃を撮影した写真を見せて1度は
納得させるが1年に1度しか戻らない事を知り事態が急変する。
1年は余命が無いため本人に知らせに行き失踪してしまう。
人間は住み慣れた田舎で暮らす方が地縁・血縁が保てるし庭の付いた
広い家に住める。根無し草的な生活は植物と同様に生命力を削る。
都会のビルで開業して24時間急患を受けられない「ビル診」の開業医と
駐在さんみたいに24時間,地域に根を張って急患を受け付ける
開業する医師の生活を診療報酬や公務員の僻地手当てみたいに
調整するなど改善策を政治家に出してほしいと感じる。
無保険状態の国民が増えて急患の場合は、処置が出来ても複雑な医療費の
計算が出来ないため保証金が必要で後日精算する時代である。
昔は、初診料だけ払えば良かった。映画のストーリーと関係ないことを
次々に思い出させてくれる作品だった。
職業によっては都市でしか求人が無いものがある。
映画を例にすればスタジオ自体が東京と京都にしかない。
手塚治虫のブラックジャックのストーリーに田舎で開業している
無免許医の話があった。過疎化が進んで店がない街が増えている。
23区でさえ消しゴムやシャープの芯を買うのに銀座のイトー屋
か新宿の世界堂に行かないと必要な物が無い時代である。
100円ショップの場合、シャープの芯の滑りが違うのでメーカー
品にしている。意外と接着剤はメーカー品が100円ショップで買える。
映画『ディア・ドクター』の小道具に大学病院に勤める父の校名と名前が
刻印されたペンライトを大切に使っている。お守りなのか深い意味が
ありそうである。『クローズZEROU』に鳳仙高校の校章入りライターが
放火シーンで使用されたが、高校が生徒に喫煙を奨励するのは不思議に
感じたことを思い出した。
買い物1つにも知恵を使う。どうも現実逃避できる幻想的な映画を
観て自分が病気である事を忘れる方が身体には良いのだが日本アカデミー
やキネマ旬報の上位作品は、病人にとって毒でも薬でも義務感で観た。

2010年 2月15日

 この所、風邪で肺の中からゴジラやキングキドラみたい音がしていた。
単なる風邪だがバイタルは良くない。酸素濃度は在宅可能範囲だが脈拍が
通常の倍では心臓の負荷になる。何も出来ないので佐藤忠男氏の
「12歳からの映画ガイド」生き抜く力を学ぶ! 必見50本+150
を読んでみる。意外と三分の一ぐらいしか観ていないのにビックリした。
ヒット作=映画史に残る名作になるとは限らない。娯楽巨編ですぐに
忘れられるものもある。12歳からなら理解可能な作品が集まっているが
半世紀も生きてきた私の年になって理解できる物まで含まれているから
敷居が低いように見えるがハードルは高いようである。白黒の作品をもう一度
みようという気にさせてくれる。特に大学を出てGPSのついた携帯電話を
使いこなせる高学歴層が「路頭に迷う」時代である。映画の解釈に正解も間違い
も無い。共感できる部分を鑑賞者が人生のガイドマップに役立てれば良い。
人生の羅針盤にはなる。戦争映画と特撮とギャング映画はあまり取り上げら
れていない。

2010年 2月11日

映画『ハムレット』(1948年白黒)製作総指揮:監督 ローレンス・オリヴィエ
を観た。亡霊となり現れた亡き父から自分の死が耳から毒を入れられて殺された
と告げるられる。父の仇の取り方で悩むシーンがあり「生かして苦しめるべきか
殺して楽にするべきか悩む」有名なセリフとニュアンスが違うと新鮮で引き込ま
れた。翻訳の解釈で変わって広まったのかも知れないと感じた。ハムレット自身
には、何の問題も無いマジメな青年。親はベルギー王だが母親が叔父と結婚する
ためにハムレットの父を毒殺する。叔父はハムレットをイギリスで殺そうとするが
海賊を倒してイギリスから帰国。婚約者オフィリアの入水自殺と災難続き。
叔父の仕組んだ剣の試合で叔父はハムレットが飲むハズの毒の杯を最愛の妻が
飲んで失敗。ハムレットは剣に塗られた毒で死んでしまう。みたい話である。
家族といえど男女の欲望で毒殺までするのは理解が難しい。まあ、全員死んで
悲劇なのか喜劇なのか解らない。
ヒッチコックの作品に匿名で妻のいる男性と文通して女性が妻を夫に殺させ
ようとして男性も女性に夫を殺させていっしょになる約束をする。
文通していたのが夫と妻で同じ家の中で自分たちの計画が実行されていく映画
があったのを思い出した。タイトルが思い出せない。科学捜査で死因が解らない
時代にありえた話である。とはいっても病死や事故死だと予算がかけられない
とかで事件にされない死もあるのかも知れない。自殺が年間三万人を超えるが
楽に死ねた例を公開したり報道すると模倣する人が続出しそうである。
「自殺白書」を官報として作って売ったら空前のベストセラーになるのは確実
だろう。でも本が売れると買った人が自殺して税収が途絶え人口が減るから国と
して減益になる。しかも殺人に転用される危険がある。極秘の内部資料が無難
なのだろう。

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2010年 2月10日

『AVATER アバター』を観てからスッキリしない。主人公が車椅子の
状態でなく健康な肉体を作って身体の不自由な部分を交換しているべきだ。
異星人のアバターを作るより人間の身体を作るほうが容易なはずである。
若く健康な身体に交換する方向で技術開発するほうが需要もあり利益になる
ハズだ。パンフで確認したがレアメタルに関しても効能が設定されて
いない。燃料になるのか水や空気を浄化するのかわからない。
砂の惑星デューンのスパイスのメランジみたいに効能が設定されて
こそ価値観が共有で共感できる。資源開発と侵略の映画でなく未知の惑星の
学術調査のストーリーで、この3D技術を使う企画でも良いと思えた。


2010年 2月 5日

『AVATER アバター』2009年ジェームズ・キャメロン監督の3D映画を観た。
構想に14年、製作に4年以上の歳月を費やした作品らしい。タイタニックから
何年もかかっている。ストーリーは、鉱物資源がほしい人類と惑星パンドラの
先住民との戦闘になる。生命のパランスや脳神経のように植物の根が惑星と
融合して生態系を保っている。農耕民族というより狩猟民族が住んでいる。
3Dの技術を楽しむ映画なので劇場で観ないと楽しみが半減してしまう。
最初は、メガネの上に3Dメガネを付けるので違和感があったが30分ぐらい
で馴染んできた。風の谷のナウシカみたいに傷を癒す生命の樹など色々な作品
の影響を受けていると感じた。臨場感と植物の以外な動きに力が入っている。
ただ映画は、ストーリーが1番大切である。
サイレントでも面白い作品は面白い。天然色でなくても同様である。ドラマの
企画に新しいものが出ないと新聞で読んだがリメイクの映画にリメイクのゲーム
ばかりでは新鮮な感動は得られない。3D映画が、劇場に観客を呼び戻す力に
なるのか気になる。

2010年 1月21日

 東京大気汚染公害裁判原告団から機関紙の「ユズノハだより」
が送られてきた。東京弁護士会で「東京弁護士会人権賞」を作って
原告団長が貰ったと掲載していた。個人・団体に与えられるらしい
ので団体として受賞という事だろう。
(公害は和解といってもぜん息の症状の軽い患者向けの医療費助成制度
に留まり解決一時金を取ったにすぎない。慢性気管支炎は対応外で
公健法と格差が大き過ぎる。)
山田洋二監督の『おとうと』の鑑賞券やら『いのちの山河〜日本の青空』
の鑑賞券の宣伝が載っている。(こちらは一般から制作費の協賛を得て作り
配給ルートにも乗らず役所の予算のみたいに頭から映画を作るには二億円
かかると決めてしまう映画制作の姿勢に私は賛同出来ない。リクープを
最初から諦めている。宣伝映画として作られた意図が見えすぎる。
企画内容と炊き出ししてでも作りたいという姿勢があるかで協賛する側
としての判断材料にしている。)
山田洋次監督の『おとうと』は、市川崑監督の1961年 『おとうと』
(カンヌ国際映画祭フランス映画高等技術委員会賞スペシャルメンション)
を受賞した作品のリメイクである。ヨーロッパの映画祭は芸術性が重視され
る。
山田洋二監督は東京大気汚染公害裁判の賛同者だということもあるが
どう、『おとうと』をリメイクするのか評判が良ければDVDになったら観よう
と思う。
最近、映画のタイトルがダブルことが多い。サブタイトルを付けるなど
解りやすくしてほしい。2010年5月は、書道ガールズが2本にBOXも
2本公開される。ヒットした方が代名詞になるのだろう。
2004年11月『弟』(おとうと)にテレビ朝日の開局45周年記念スペシャル
ドラマで視聴率20%を超えた石原慎太郎の原作と混乱してしまう。
高齢の山田洋二監督は、『幸福の黄色いハンカチ』(しあわせのきいろい
ハンカチ)1977年や『「たそがれ清兵衛』」(2002年)のクオリティーを
期待したい。『スキヤキ・ウエスタン ジャンゴ』三池崇史監督(2007年)
と『母べえ』山田洋二監督(2008年)は、我慢して映画を観て、ご褒美に
スキヤキ食べた。
『プライド 運命の瞬間(とき)』伊藤俊也監督1998年に東映邦画系
で全国劇場公開された作品には、「観ないように」と発言した山田洋次
監督である。この件は津川雅彦が意見を述べている画像が検索でみつけ
られる。偏った思想は視野を狭くする。観客が観てからどう解釈するかの
自由は必要である。まず
観なければ何の判断も出来ない。別の視点や
思想から作られた作品もあるから両方を見比べるのが理想だ。
『母べえ』は小津安二郎監督の作品に対し、山田洋次監督が批判した
「毎回同じような内容ばかり」「何も起きずつまらない」と私は
感じた。『おとうと』は家庭や家族と、そこに暮らす人間に感情移入
できるかで出来が決まる。それは観客の主観性によって異なうのが当然だ。
場合によっては当事者性も絡んでくる。レンタル可能の映画を、わざわざ
何の為に上映会をやるのかと疑問だったがビデオやDVDの操作が出来ない
人が意外と多いと知った。外見から見分けがつかないがATMの操作も
出来ず意味も解らず振り込めサギにあうのではと心配になる程デジタル
デバイドしている人の為だったのに驚いた。
山田洋次と言えば「寅さん」渥美清 寅年だけど腹違いの妹「さくら」役の
倍賞千恵子はどうしているのだろう?とハーメルンに出ているのを
知っててボケてみた。
姉がいて長男であり『おとうと』という立場と長男がいて次男の立場での
『おとうと』で全く異なる。時代設定で結核から癌に病気の設定を変え
リメイクしているのが透けてみえるが脚色が良ければ出来が違うもので
ある。

一条ゆかりの少女マンガに「プライド」があり金子修介監督によって
実写映画化されています。一条ゆかりのマンガ「デザイナー」の方が
プライドを感じる内容だった気がする。私の場合は当事者性が
影響しているのかも知れない。映画観たりマンガを
読んだりゲームしたりする事で時代に取り残されない。
興味が無くても必要な知識であれば大変だけど食事と同じ
に生きる上で大切である。

「BOX−袴田事件」高橋伴明監督の冤罪再審の映画と
裁判支援活動ならアムネスティーから表彰されても
良いと思える!

 パラマウントでは、低予算映画を担当する部門が今年から作られる。
制作側の企画力・想像力・周囲の協力者の力が試される時代だろう。

2010年 1月20日

秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE3 〜http://鷹の爪.jpは永遠に〜』
(2010年)蛙男商会作品を観た。劇場版アニメである。元は、
フラッシュアニメを1人で作っていたが人気が出て劇場版として
3本目になる。アニメというと絵が動くがあまり動かない絵を
使いまわしするあたり人形劇的感じがする。声優も原作者が何役も
声を変えている。だが面白い。ストーリーに加えてしっかりした
キャラクター設定があり名作のパロディーを入れてもさりげなく
納まっている。劇中で総統が、わざわざ「悪の秘密結社」と言って
いるが根は善人の集まり。今回は、博士の秘密が解る人には解る
ハズである。「ハウルの動く城」が「博士の動く城」という
巨大ロボットになったり博士が必要な物だけは作ってある謎が
解けた。ガジェットゲージやプロダクトプレイスメントを獲得して画像に
予算を使ったり使いすぎて得意の雑になったりするギヤップもギャグに
変えている。ワンピースのゼロ巻に対してゼロ巻みたいなものを配布
したり(一色刷りのビラみたいものだ。いっそガリ板に西洋紙ぐらい
金かけてないみたいに凝ってほしかった。)
古墳ギャルのコフィーも見た。シンデレラっぽい内容
だった。レオナルド博士の形のパンフレットも買った。
声優が1万4000人もいて全員の名前がエンドロールで流れ
てパンフにも印刷されているのにはビックリした。もしかしたらエンドロール
の人数の多さでギネスブックに載りそうな程である。
大勢で「鷹の爪」と言う所を録音したものらしい。14000人同時は
ムリだった様子だ。
スーザン・ボイルのレ・ミゼラブルの「夢やぶれて」に字幕が入って
いたのでエンドロールと両方観るのが大変なので歌詞の字幕を読んで
エンドロールはパンフを買ってじっくり読むのが良いと感じた。
商品の宣伝に映画のシーンを使う逆プロダクトフレイスメントで映画の
宣伝をする裏技もある。今回は勝手にCMが無かった。


2010年 1月18日

 ソニーのスゴ録は、修理を終えて戻ってきた。残念なタイミングでBSアンテナ
が壊れた。アンテナの設置は容易だが、日常生活の動作が苦しいのが呼吸器
障害の特徴である。昨年の今頃に友人が他界した。電話が使える状態だった。
別の患者さんは入院した日に、目の前で急変から死亡まで見るハメになった。
いきなり倒れて蘇生できなかった。血中の酸素濃度が変わるため血栓が出来易く
脳の血管の詰まりどころが悪かったらしい。ECOカーの宣伝をみると自動車排気ガス
公害で死んでいった人の顔が思い出される。

2010年 1月11日

 『落語娘』(2008年)中原俊監督作品を観た。美術の世界を
テーマにした『でらしね』に対して落語の世界をテーマにした
作品だが落語の話で江戸時代の映像や炎上シーンなどがあり
期待以上に面白かった。上映館に駐輪場が無いので観に行けず
今朝の早朝に観た。「緋扇長屋」という禁断の落語を40年ぶりに
上演するストーリーで弟子を破門して落語協会からの除名を
食い止めようとしたり破門されてネットカフェに転がり込む
あたりは今の時代を表現していると感心した。
昔なら夢やぶれて故郷に帰るのが一般的だがネットカフェや派遣村に
若者が集まるあたりから実家や故郷といった血縁・地縁の時代で
無いのだろう。
「芝浜」的な夢落ちと解るまではサスペンスみたい内容の
「緋扇長屋」を演じて途中で急死したかの演出は絶妙だった。

 女性の怨念は怖いが今の社会の方が怖い。伝統芸能で安定した
生活基盤を確保するのも1つの方法ではあるが修行や苦労の気配
がすると落語にしろ漫才にしろ笑えない。全盛期には労働の苦しみ
から解放されたくて話を聞いて現実を忘れたい聞き手の欲求を
満たすべく町内に1つ寄席があったらしい。
職人の場合は、大工が出職で桶屋が居職とかキャラクター設定を
理解すると楽しめるようである。風が吹くと桶屋が儲かるらしい。
風で大工の看板が飛んで誰かの頭に当たって打ち所が悪くて死んで
しまい棺桶が売れるのかと想像してしまう。
場所が銀座だったらカンカン娘に怒られそうである。
服飾デザイナーの場合【江島屋騒動(鏡ケ池操松影)】にならない
ように気を付けないと落語のネタにされてしまう。
現代風に解説すると古着のリサイクルショップ江島屋が不良品を
売りつけて客に恥をかかせて呪われて潰れる話らしい。
 高円寺界隈のリサイクルショップは映画の為に商品を
貸し出して手間ばかりで金にならないと本で読んだ。
時代設定によって車にしろ家財道具にしろメーカーが作っていない物を
探して集めるにはリサイクルショップの店舗は借りる交渉が出来るかも
知れない。

2010年 1月 6日

   
 小説『BOX!−ボックス−』(百田尚樹 著)を読んだ。
600ページ程の小説だ。作品を読むとボクシングの事が
理解出来るように書かれているので感心することが多い。
そしてストーリに引き込んでくれる。
映画化される。深夜に僕の彼女はサイボーグを見ていたら
番組で映画『ボックス!』のコマーシャルを偶然に観た。
ボクサータイプとファイタータイプの戦い方の違いなど参考に
なった。TBS「WBC世界フライ級タイトルマッチ 内藤大助vs.
亀田興毅」の試合を見た。以前の亀田興毅はファイタータイプ
だったがボクサータイプの戦い方をしていた。闘争心だけでは
勝てないのがボクシングの面白い所だ。サイエンスにはボクシング
の戦い方を研究するという意味がある。古代ギリシャでは
オリンピックで1番栄誉ある競技がボクシングだったなど歴史の
勉強にもなる小説だった。「明日のジョー」や「はじめの一歩」
といったマンガもボクシングを浅く知り興味を持つのに良い。
しかも名作である。小説『BOX!−ボックス−』は活字の持つ
力で詳細に描写されているがムダが無い。一気に読みきった。
映画『BOX!−ボックス−』も楽しみである。
世界チャンピオンになった亀田興毅は、急に人間として成長した
ように見えた。(新春のバラエティーに出ていたが世界王者の義務
感や責任感が身についていた。貫禄や風格とは少し違うのは何戦
タイトル防衛出来るかで変わると思う。格闘技では無いが映画製作
の世界にもファッションデザイン・美術・文学などにも勝ち負けが
ある。)名声と実の両方を得るのは難しい。賞を取るか商に秀でるか
で実の量や質も違う。学ぶことの出来る作品だった。

2010年 1月 5日

 映画『ビルマの竪琴』( 1985年版)市川崑 監督作品を観た。
1956年版を市川崑 監督がリメイクした作品である。犬神家の一族の
リメイクは失敗だったが、前作から30年も経過して観ていないが
この作品は良いと思う。竪琴の形がオリエンタルで船をモチーフにして
長い舳先に弦が張ってある。言葉が通じなくても世界共通のメロディー
がある。戦争の悲惨さや惨さを見て野ざらしの遺体を埋めるために僧に
なってビルマに残る水島上等兵の気持ちを理解する井上隊長や隊員達の
気持ちが伝わって来る作品だった。実話だけに知っておくだけでも
価値がある。イギリス軍の捕虜になり部隊は日本に無事に帰る。
隊長が音大出なので部隊の指揮が旨く取れている。隊員も良い上官に
恵まれ戦後日本の復興に尽力したと想像できる。
インドやミャンマーやチベットなどは、僧侶は特別に戦時中でも食料
を貰えていた。地中から掘り出されたルビーは、無くなった人の魂の
固まりだと現地の人から聞かされる場面も良い。
なんだか人気アニメの「鋼の錬金術師」の[賢者の石]の材料が人間
の命だという設定は、ここから来ているのかと感心した。
ウィキペディアに、>群馬県昭和村で僧侶になる。その後ミャンマー
>キンウー市に小学校を寄贈、2008年12月17日老衰のため死去。
>享年92。『日本経済新聞』2008年12月20日付朝刊11面(訃報欄)
と掲載されていた。
 「戦場にかける橋」の捕虜収容所の大佐はイギリスの美大で建築を
学んだという事を思い出した。

 年末の炊き出しや派遣村が身近な日本は、戦場の捕虜みたい暮らしを
しているのかも知れない。実家があれば帰れる。帰る場所が無い状態
は、希望を奪う。核家族化で転勤を効率化し世界に類をみない単身赴任
のなれの果てにみえる。今「国内難民」という言葉が私、浅野琢也の
脳裏に浮かんだ。しかし「日本人の大都市難民化」が正確だ。

 DVD−HDDレコーダーのダビングでエラーが出るので
SONYのサポートに電話した。ガイダンス通りにDVD・
HDDレコーダーの番号を押したら担当の女性が出たので
商品名の「スゴ録」が壊れたと言ったら「オモチャですか?」
と聞かれた。こちらは修理代が気になっている。正月らしく「はい
ゲームの駒が道を反れました。」とか「お宅の会社の商品は
オモチャなんですか?」とかツッコミたかった。
とにかく映画が観れないのは辛い。「双六(すごろく)」「福笑い」
なんて懐かしい正月らしい遊びを思い出した。型番を伝えて
当たり前の話をして修理に出した。DVDドライブ交換が必要だと
思われる。買い替えの場合、地上波の停止は来年の7月だ。
それまで地上波デジタルで無くても困らない。修理してしばらく
様子をみようと思う。

2010年 1月 4日

 映画『僕の彼女はサイボーグ』(2007年)郭在容(クァク・ジェヨン)
監督作品を観た。タイムトラベルをテーマにした映画やドラマが面白く
感じるのは、人生で一生、後悔する経験を誰もが多かれ少なかれ繰り返して
生きているからだと思う。失敗も経験として今後の礎にできるとしても
より良い人生・より快適な生き方・全く別の生き方になったであろう節目
での選択に将来が左右された経験は誰もがある。
僕の彼女はサイボーグもターミネーターみたいに未来からサイボーグが
来るわけだが、更に未来の博物館に展示されていた時代やオークションで
個人が所有できるチャンスなど最後まで旨く話しがまとまっていて災害の
場面などハリウッドの娯楽映画並の出来だと感じた。
最近は、ワーナーブラザーズが邦画に資本参加する時代なので邦画だか
ハリウッド映画だか解りづらい。ハリウッドの労働組合は強制加入である。
莫大なギャラを払ってリクープ出来ないと会社は倒産する。
制作費を抑えるには、ハリウッドで制作しないで日本のような組合が弱く中には
自主製作に近いコストで良い作品を作る映像制作会社に発注すれば良い。
日本の産業を空洞化させた状況の映画制作版だと感じる。中国・ベトナムに工場を
移した結果、日本国内の製造業は、壊滅的状態のままである。
エンタティーメント産業もコンテンツビジネスも同様の事が起こるだろう。
おそらくハリウッドの映画産業が空洞化して日本や中国が下請け仕事をする時代に
向かうのは明らかである。商業映画で娯楽作品の配給は400館を超える。
独自に芸術性の高い作品を作る映像制作会社との二極化が進むと思う。
ハリウッドからスタジオが無くなり企画や投資の事務しかしなくなるかも知れない。
日本製の洋服や靴が無くなり中国製品になったのと同じ事が映画製作の世界でも
起こるだろう。他国の文化を紹介するのに使うお札は、ドルでもユーロでも良い。
外国資本で邦画を作る流れを感じる。


2010年 1月 2日

 映画『しゃべれども しゃべれども』(2007年)平山秀幸監督作品を観た。
なかなか真打ちになれない落語家の三つ葉が話し方を教える事になる。
大阪から東京に引っ越して来た少年のクラスでの人間関係・野球の解説者だが
口下手な元野球選手・人とコミニュケーションが出来ないクリーニング屋の娘
の3人と三つ葉の物語である。「火焔太鼓」と「まんじゅうこわい」などの
ネタが出てくる。とはいえ「寝ずの番」みたいに人気落語家の一門でないため
笑える作品ではない。葬式が楽しいと欠かさず来る親戚がいる映画ではない。
どちらかと言うと下町の人間ドラマである。地方から上京して地縁・血縁を捨てて
目標に向かって真剣に打ち込む熱血ドラマでもない。親に頼ったりして好きな道を
のんびり歩んでいる余裕が、バブル期以前は上を目指していた反動で新鮮に見える
作品である。しかし2007年キネマ旬報ベストテン 第3位など6冠である。
 話し方1つで人間関係が変わるのは世界共通らしい。マイ・フェアレディーでは
品の良い話し方だった。日本の場合は、噺家とも言うので落語家に話かたを習う
のが自然のようである。コミニュケーション能力は、ネットの世界では気の効いた
レス(BBSの場合)やコメント(ブログの場合)が付けられるスキルも重要だ。
気の効いたと言うのは、読み手がなる程と感じたり笑えたりする書き方でもある。
漫才でも良いと思うが落語の場合は、1人芝居で何役もこなす。話しに登場する
人物像(キャラクター)を作り使い分けないといけないから大変である。
感情移入も必要である。更に状況によって客層に合わせたアレンジで注目して
もらうなどタイトル通り「しゃべれども しゃべれども」の世界の様である。
高齢化で座布団に座るより椅子の方が楽だと思う。寄席によって設備が違う
ようである。椅子に寄り掛かれないと辛い人は、落語を聞くのが楽でなさそう
だったりする。結局、話のネタを仕入れるには映画が手頃なようである。
元ネタは、本からが正確でよいと思う。多少『顔』という映画の雰囲気がある
のかも知れない。

2010年 1月 1日 平成22年元旦

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新年、あけましておめでとうございます。Takuya Asano
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 毎年、年賀状の束に映画の宣伝を兼ねた年賀状風の公告が
付いてくる。母べえ・ヤッターマン・シュアリー サムディー
と続いている。小栗旬の初監督作品で文化祭を中止させる
学校に対して立てこもり抗議する物語らしい。昔、中学生が
厳しい校則に反対する「ぼくらの七日間戦争」という映画も
あったと思い出した。戦車まで登場した。昔の映画は、像の
出るサーカスで現代の映画は、像が出ない代わりに演技や
芸術性で勝負しないと様々な規制や制作予算の関係で大変
らしい。「稲村ジェーン」を桑田佳祐が監督した年齢より
小栗旬の27歳は若い。だが最も得意とする学園物のジャンル
でのチャレンジである。『シュアリー・サムデイ』に期待したい。



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