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浅野琢也の雑記帳13 2010年03月〜04月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成22年


2010年 4月28日
映画「ゼブラーマン ゼブラシティの逆襲」オフィシャルアイテム
    

   


上記の商品は「TBS ishop」 及び2010年 4/24(土)オープンの
「ZEBRA SHOP in 渋谷PARCO」ほかでご購入出来ます。
期間限定で5月12日(水)までが開催中です。
写真は、浅野琢也デザインです。売れると嬉しいです。
ロンパース・クッションカバー・トートバックです。
リンクも期間限定だと思います。イベントが終了しますとリンク切れになると思います。


2010年 4月 25日

 映画『カールじいさんの空飛ぶ家』(2009年)ピート・ドクター ボブ・ピーターソン
監督作品を観た。30年代飛行船アドベンチャー号で冒険に行ったチャールズ・F・マンツに
憧れる少年カールは1軒の空き家で同じく冒険好きな少女エリーと出会い、意気投合する。
成人した二人はやがて結婚し、初めて出会った空き家を新居とした。二人の子供は
流産して2人で”伝説の滝”パラダイス・フォールについて語り合い、いつかそこに
行こうと約束する。夫婦の時間を楽しみ、長い間共に幸せに生きてきたが、やがて
エリーは病に倒れ、先立ってしまう。住宅地だった町は開発計画によって周囲に高層ビルが
建造されていく。エリーとの思い出の家を守る為に立ち退きの要請を頑固に拒み続けている。
工事の車が2人で作った家の郵便受けを壊したことから相手を歩行用の杖で殴ってしまい
1人暮らしはムリだと施設に入れられる事になる。家も立ち退かざるをえなくなってしまう。
そして施設入居きの前夜、カールは妻の遺した冒険ブックを眺めながら決心し、2万個もの
風船を結びつけた家ごとパラダイスフォールに向けて旅に出る。ラッセルという少年が
乗り込んで活躍する。実際にパラダイスの滝に家を建てるがマンツが生涯を賭けて捜し
求めている伝説の怪鳥が少年になついてケビンという名前をつけている。
その鳥にも小鳥がおりチャールズ・F・マンツと戦うことになる。マンツが生きていた
のもスゴいが冒険家に加えて発明家といえる。バウリンガルの高性能の機会で犬と
会話ができたり発信機で位置を把握していたりする。犬が調理までする程だ。
少年ラッセルは、カールじいさんやエリーに出来なかった子供の孫的存在のように感じた。
マンツのアドベンチャー号でラッセルを元の街に連れてボイースカウト?の上級昇級式典
にカールじいさんが出席しているが父親の姿は無かった。空中に停泊している
アドベンチャー号の下で道行く車を数えてラッセル少年と時間を過ごしているラストは、
ラッセル少年の父親は死んでいて、少年が理解できる年でないことを暗示しているように
見えた。ピクサー初のDisney Digital 3-D版も同時公開された。バランス良く楽しめる
ストーリーの作品だった。


2010年 4月 24日

 映画『人生に乾杯!』(2007年) ハンガリー映画 ガーボル・ロホニ監督作品を観た。
ソビエト連邦時代に運命的な出会いで結婚したエミルとヘディも今では81歳と70歳になり、
細々と平和に暮らしていた。しかし、そんな2人の生活も年金だけでは足りず、借金取りに
出会いのきっかけとなったダイヤの指輪を担保にされてしまう。高齢者に厳しい社会に
怒りを覚えたエミルは、紳士的に郵便局を強盗する。チャイカという共産党員専用車を
大切にしている。友人のキューバ人は武装したバスを持っているなど革命や情報部で
働いても年金が低いのは変わらないようである。連続強盗するあたりはボニーとクラウド
を思わせる。大きなクマの縫いぐるみとチャイカが多少の可能性を残している。

「ハリーとトント」あたりから高齢者を扱う作品が増えた気がする。

2010年 4月 19日

 映画『ボックス!』(2010年)李闘士男監督作品を東宝本社で観た。
マスコミの映画担当のプレス試写会なので本社の試写室が程よく
満席だった。特殊なハガキと名刺を提出して入場した。
感想は、劇場公開後に書こうと思う。是非、みてほしい。


2012年 4月13日

「クイックジャパンvol.89」(4月12日発売/太田出版)の
表紙&インタビューに市原隼人さんが特集されていた。
映画『ボックス!』に私が提供した衣装を着ているシーンの
写真が沢山掲載されているので資料に残しておくのに
買ってきた。900円税別だった。

2012年 4月 5日

 『ゼブラーマン2 ゼブラシティーの逆襲』の完成披露試写会で鑑賞した。
場所は後楽園のJCBホールだった。駐車場からの歩行距離が長くて帰宅
してからクスリを飲んだり酸素を吸ったりした。映画の感想や内容は、劇場
公開以降に書きたいと思う。
舞台挨拶が30分と映画で3時間も座っていた。
呼吸器系の障害の為、観にいく方も命がけである。
何処かの局のレポーターさんがカメラに向かってリハーサルしている時に
後ろに下がりフェンスにぶつかり、勢い良くぶつかっていたら下に落下しそう
な感じにフェンスが低いような気がした。全席指定で満員だった。
なんか、グッズのデザインやサンプルチェックでゼブラ柄を見るとホッとした。
5月1日ゴールデンウィークに公開だ。長引く不況で大型のレジャーを控えている。
連休中は、映画館に足を運んでみるのも良いと思う。
試写会でスモークが吹き出したり電飾と気合いが入っていた。

2010年 4月 2日
 私が衣装協力した映画『ボックス!』のチラシが出来た。
2010年5月22日(土)全国東宝系にてロードショー!
チラシの裏ではあるがカラーで写真が掲載されている。
  
 劇中で使用する四校分のランニングとトランクスの
衣装協力をした。先方のイメージをハンガーイラスト
(平絵・ひらえ)に色を付けたりロゴを入れたりデザインした。
チラシ裏のカラー写真

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昔、ファイトと言っていた言葉が現代は、ボックスと言う。
ボックスが戦いの合図だ。ボクシングに詳しくなるようにストーリーの会話の中に
原作は解説が盛り込まれている。読んでから観ると楽しめると思う。

衣装協力で、サイフの中身が減量したような気がする。

2010年 4月 1日

 映画『BALLAD(バラッド) 名もなき恋のうた』(2009年)山崎貴監督作品を観た。
三丁目の夕日の監督でもある。原作は2002年4月に公開された映画「クレヨンしんちゃん
嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」が原案なのでストーリーは把握していたのでDVDで
観た。造成地みたい所に城を建てて大掛かりな戦闘シーンがあった。苗字が野原から川上
に変わっていたがシンノスケは、原作通りだった。両親がタイムスリップして迎えに来て
セリフが多いのかと思ったが意外に少なかった。子役を活躍させているが時代劇として
大人も楽しめる作りだった。時代劇の場合は、鎧や具足を専門に貸し出す会社があるので
ある程度は、衣装を特別に作るコストを抑えることが出来るらしい。カツラも提供会社が
あるので調達は容易である。石垣の城だとコストが、かかるが小国ということで木造だった。
合戦を子供が観て驚いたり脅えたりしないのは、不自然だと感じるがマンガ原作なので
こんな感じなのかなあ・・・と深く考えないでおいた。
マゲと鉄砲が伏線みたいである。

2010年 3月 27日

 映画『クヒオ大佐(くひおたいさ)』(2009年)吉田大八監督作品を観た。
実在の結婚詐欺師の事件から作られた物語である。女性から結婚費用を騙し取る
などし、その被害総額は約1億円と言われている。映画では、銀座のホステスと
科学館の学芸員と仕出し弁当屋の女社長の3人が登場している。現実逃避して
生きている男と夢の中で生きたい女達の、ちょっぴり悲しい物語にまとまって
いた。いきなり90年代に始まった湾岸戦争の映像が流れて第1部になる。
第2部から「クヒオ大佐」になる。派手さはなく地味な努力で女性に接近して
身分がバレないように努力する姿は涙ぐましい。ニガクリタケが伏線になっている。
エンディングの明るい音楽と映画の内容のギャップが現実逃避している感じを
明確にしている。劇中で「世界の子供達の為」というセリフも伏線である。
子供時代の家庭内暴力の回想場面を印象づけるのに成功している。
結婚詐欺なら「2人の幸せ」だの「2人の子供の幸せ」を語りそうだ。
しかし、鼻を少し高くするメイクは良く出来ていた。クライマーズ・ハイで
車に轢かれて死亡する新聞記者の場面で気になっていたが堺雅人の笑っている
ような目つきが、この映画では役にピッタリ合っていた。
「映画を〜観る 映画を〜観る 観る観る観る〜」なんてエンディングの歌を
アレンジしてしまった。逮捕された時にパトカーの両脇が婦人警察官というのは
殺されかけたからなのか演出なのか分からないが生きる事が闘いの状態が
極限までいくと、こんな犯罪が起こるのかと考えさせられる場面があった。
戦場の方が安全なんていう環境で育って平和な社会が危険では困る。

2010年 3月 13日

 映画『素晴らしき哉、人生!(すばらしきかなじんせい)』(1946年)フランク・キャプラ監督
作品である。大人の為のクリスマス・キャロルといえる作品である。白黒なのに今の時代に
ピッタリである。低所得者向け住宅に大豆からプラスチックを作るなんて成分分解性プラスチック
の話題まで盛り込まれている。昔は、現在と違いカードローンやクレジットがなく借金が出来な
かった。ジョージ・ベイリーの父の仕事は、住宅購入資金が満期になった客に住宅を売ること
である。お金を預かっても日本の住宅公社より堅実な運営のため利益が出ない。
ジョージは幼少の時に氷に落ちた弟を助けた。その時に片方の耳に聴力障害が残った。
少年時代にアルバイト先の薬局の主人は息子が死亡したショックでジフテリアの薬と
劇薬を間違えて梱包してしまった。ジョージは主人に言うが配達してこいと聞かない。
配達したら飲んで死んでしまう。子供のいう事だから聞いてくれないと父に相談に
会社に行ったら慈善なんてバカらしいとポターになじられている。(スクルージの所を訪ねた
2人の紳士みたいだ)ポターに「パパの悪口を言うな・・・」といって薬局に戻るとクスリが
届かないと電話があり薬局の主人もジョージの持っているクスリを確認して間違いに気付く。
大学に行って建築会社で都市開発や巨大な橋やビルの設計をするのが夢だったが父が死に
頭の良いジョージが事業を引き継ぐなら住宅ローンの事業を続けて良いという出資者ポターの
条件を受け入れ街のために働く。そして貧困から多くの人が抜け出す。
メリーとの新婚旅行のために出かける為の現金を持っている時に世界恐慌で銀行が閉鎖する
自体になる。ジョージはポターから会社を売れと圧力を受けたが断った。
銀行は買収した一週間、銀行は開かないと言われる。
ジョージの会社にも取り付け騒ぎで客が集まっていたが中に入れて普通に営業して一週間
しないと銀行からお金が下ろせないことを知らせた。(不安からのパニックは正しい情報で納まる)
解約すると今までの住宅を持つための苦労がムダになるから一週間の生活費を無利子で貸した。
中には、預けてある240ドル全額と言う客にも解約にしなかった。
新婚旅行が出来ない理由を知った友人達が廃屋の部屋を改装してホテルにして新婚旅行
気分になるようにしてくれた。街の警察官も雨の中、ポスターの廃棄業者から旅行に行った
気分になれるものを貰っている。父の代から街の住民の生活向上になる事業を続けており
ジョージがいなくなるとポターに完全に牛耳られることも分かっている。
この事業で多くの街の人がベイリーの住宅地に家を持った。夫婦で満期となり家を手に入れた
客にも引き渡しの時にパンと塩とワインを渡して祝福するほどである。
弟は、大学を出てガラス工場の経営者の娘を妻に向かえた。大豆からプラスチックを作る
事業も始めるという。そして第二次世界大戦がはじまる。ポターが徴兵委員だがジョージは
片方の耳の聴力障害で兵役免除する。弟は、戦争でパイロットで英雄となり町中が新聞の
一面に出るほどなので大騒ぎになる。その時に従業員が8000ドルの入った袋ごとポター
に渡してしまう。その日は、会計監査の日で8000ドルが無いため横領などの容疑がかけ
られてしまう。従業員と探したが出て来ない。そして家に帰り橋の模型を蹴飛ばして
飲み屋で殴られてから橋の上に行き川に飛び込もうとすると年寄りが先に飛び込む。
ジョージは、上着を脱ぎ捨て助けるために川に飛び込む。助けた男が自分はクラレンス
2級天使でジョージを助けるために飛び込んだという。そして自殺は禁止されていると
言っていたが橋の管理人は、ジョージの過去を言い当てる女性用ローブを身に付けてるが
帽子・スーツ・コートを着て普通の老人に見える。橋の管理人は、天使に驚いて小屋を
飛び出してしまう。
そして天使クラレンスは、ジョージが生まれていない別の世界(パラレルワールド)を
案内してくれる。街は、退廃的で盛り場のネオンが目立つ状態である。
馴染みのハズの酒場に行ってもジョージを知っている者はいない。
そこに薬局の主人が来るが酒場でニック顔にソーダー水をかけてつまみ出す。
薬局の主人は子供を毒殺して20年刑務所に入っていたらしい。
タクシーに乗って家に向かわせるがパラレルワールドの運転手はジョージを知らない。
警官に合図してジョージを乗せて付いてこらせている。。
母親は、ボロい下宿の女主人になっている。家は廃屋のままである。
タクシーに乗って家に向かわせるがパラレルワールドの運転手はジョージを知らない。
警官に合図してジョージを乗せて付いてこらせている。その場で警官のバートから逃れる。
そして住宅地は墓場になっていて弟の墓がある。ジョージは天使クラレンスに妻はどうしている
と強引に聞き出し図書館から出てきたメアリーは、ジョージを知らない。怖くなって酒場に
逃げ込む。バーの前で警官のバートを殴ってピストルで威嚇射撃され自殺しようとした橋に戻る。
そして橋に戻って生きたいと祈る。パトカーが橋にジョージを探しにくる。ジョージが生まれて
いる世界の警官のバートだった。そして家族と銀行監査員の待つ家に戻る。
ジョージの売った家を買い貧困から抜け出した街の人が寄付でジョージの会社で無くした
8000ドルを穴埋めしようと大きなカゴに現金を入れて集まって来た。
銀行監査員達も寄付をして逮捕状を破いて帰っていった。
その上にクラレンスのトムソーヤの冒険の本が現れた。友のいる者は敗者ではない。翼をありがとう。
というメッセージが書かれている。そしてツリーのベルが鳴ると娘が「ベルが鳴るのは天使が
羽をもらった合図よ」という。戦争の英雄の弟も戻りジョジの会社へ資本援助してくれる
話も知らせてくれる。
日本では、積み立て金でミシンを満額積み立てると渡すというのが昭和40年代の販売方法
だった。住宅購入の積み立て金が非課税だったり月賦販売法のあった時代を思い出して観ると
解りやすい。リーマンブラザースの破綻は、先に住宅を渡して元金と利息を回収する方式で
この映画の積み立て金方式とは違う。ただ過去から学べることも多い作品である。
ジェームス・スチュワートは誠実な古き良き時代のアメリカのイメージがピッタリである。


 映画『踊る大紐育(ニューヨーク)』(1949年)ジーン・ケリー スタンリー・ドーネン
共同監督作品を観た。朝早くにマンハッタンに一隻の軍艦が停泊した。水兵には1日
(24時間)の上陸許可が下りて出演のジーン・ケリー フランク・シナトラ ジュールス・マンシン
の3人が水兵役で上陸する。そしてハメを外して遊びまわることになる。戦後間もなく作られた
作品なので兵役についていると優遇されてモテるような錯覚を、起こしてしまう。
劇中に「陸軍が好きだけど海軍にあこがれる」というミス地下鉄というマイナーな美人コンテスト
のポスターが登場する。ひよこが最初に見たものを親だと思い込むが3人の行動が面白い。
ミュージカルなのでハイテンションで元気がいい。田舎から海軍に入り大都会ニューヨークの
1日を楽しめるとなると観光だけど2人は女性から接近してくる。タクシー運転手は3人を
乗せて好みを助手席に乗せて後半はパトカーとカーチェイスまで見せてくれる。
学芸員の女性は研究しているピテカントロプスの骨格に似ていると好みがいる。
そしてミス地下鉄が好みの兵隊をサポートしてくれる。ここまで優遇されたら海軍に入る
若者の出てくるだろう。第二次世界大戦の後は、朝鮮戦争があり入隊希望者を増やす意図
もあったのだろう。見た後で時代背景を考えてみると、より理解できる。
タクシーを運転しているのが女性ドライバーで会社のタクシーを入庫時間の後も乗り回して
ニューヨークを走り回るがメーターを倒しているので料金を払えば時間外手当も出て出費も
少なく精算すれば会社も文句は言えない。客を途中で降ろしたり乗車拒否する方が問題に
なる。博物館の恐竜の骨を倒しても館長に少ない自由時間に博物館に来てくれたから研究心に
免じて大目に見てとなる。まあ展示方法に問題があったと言える倒れ方だった。
結局は警察に追われても最後は、許してもらえ無事に出向していく。
 とは言っても他国では許されない。沖縄の基地の中と外では国も違うが気持ちの切り替えが
出来ないのだろう。入国手続きやパスポート持参などの手続きで気持ちが切りかえられる
手間と時間を作ると、どうだろうと思った。ニューヨークのブロードウェイの側の定食屋で
(とんかつ定食)日本人ばかりで昼飯を食べたら200メートル先のタイムズ・スクエアまで
日本を歩いている感じでニューヨークにいる警戒心が無くなる。そんな感じを思い出した。

2010年 3月 9日

 映画『野いちご』(1957年)イングマール・ベルイマン監督作品を観た。(白黒)
老教授イサクはストックホルムに住んでいる。名誉博士号が行われるルンドに行くため
飛行機を予定していたが、自分が馬車の霊柩車の棺桶に入った夢をみる。
そしてルンドまで車で向かう。息子の嫁を同乗させて向かう。そしてかつて自分が住んで
いた家で、野いちごを摘む。その家は他人の物になっていた。そこの住人と友人の3人を
同乗させることになる。若い娘が1人と2人の大学生の青年と同乗するが医学を学ぶ青年と
神学の青年で意見が合わず論争している。生と死を科学的に割り切る医学と精神論として
考える神学生が乗り合わせている。そして孫ぐらいの青年に意見を求められる。
道でフォルクスワーゲンのビートルがすれ違い様に側溝に落ちて逆さまになる。
2人の夫婦が乗っていて怪我はない。夫婦喧嘩の最中で妻が夫を叩いていて事故を起こした。
夫婦も送ろうと同乗させるが車の中でも喧嘩を続けるので若者に見せられないと2人には
降りてもらう。2人っきりで歩くハメになっても喧嘩を続けるのだろうか?
イサクは医者として開業後も研究を続け新しい医療機器の考案の功績などが認められて
名誉博士が貰えるようだ。イサクの妻は、40年前に先立っている。家事は家政婦に任せている。
年老いて過去を後悔しているようである。妻が別の男と1度、不貞関係になった時に怒りも
しないが許しもしないと冷たい言葉と冷静な態度である。それがエゴイストだと非難される
夢を見る。医師の第一の義務は、患者に許しを得ることだと夢の中の法廷で証言する。
そして有罪で孤独の刑にすると言われ目を覚ます。
無事に授与式を終えたイサクはその夜、息子のエヴァルドと家族のことについて話し合う。
息子も生きながら死んでいる夢を見ていると妻から聞いている。息子も医者になっているが
独立心が高く楽な生活とは言えないが授業料を父に返している。息子とコミニュケーション
を取って外を見ると3人の同乗した若者がイサクの栄誉を心から祝福していた。
満ち足りた気持ちで眠りにつくイサク。彼が見る夢は前夜の悪夢と違い、不思議な充足感を
伴うものになった。受賞という人生の節目で過去を考えていたから悪夢も見たようだ。
定期的に賞を取ると習慣になる。但し作品に対しての賞である。人物を称えるとしたら
章となる。シックスセンスの医師は自分が死んでいるのに少年の患者にカウンセリングして
いる。やはり人間は、ライフワークとして仕事をすると損得と別に死んでも生きがいを
続ける勤勉な生き物だと思う。
過去の回想場面は18世紀で目を覚ましている時は、現在である。
イサクの載っている車と衣装はレトロな感じである。若者はカジュアルな服装であり世代や
時代の差を表現している。
カラーと白黒の作品を交互に観たら白黒は、色が無いので疲れが少ないと感じた。アバターは
疲れた。情報量が多いと体力を使うようである。テレビゲームが疲れるので映画を観ている。


2010年 3月 7日


映画『友達のうちはどこ?』(1987年)アッパス・キアロスタミ監督作品を観た。
1993年劇場公開作品なので年数が経っている。ロカルノ国際映画祭・テヘラン国際映画祭
の受賞作品である。ストーリーは、宿題をノートに書いて添削指導を受ける。
しかしノートを従兄弟の家に忘れて別の紙に書いて提出する子供がいた。2度目なので
先生は厳しく叱るので泣いている。ノートに書いていないとページをめくるごとに
勉強の進み具合が解るという事だ。融通が利くならノートが出てきた時に糊で貼る
なども考えられるが規格通りに教える習慣があるらしい。基本が出来て応用が利くと
いう子供の教育方針なのだろう。映画の中でイランの道路工事の技術者と外国の
技術者の給料が倍違う理由が雑談の中で出てきた。外国人技術者は1度の指示で
仕事が出来るがイランの技術者は2度の指示がないと完成できないという理由だった。
仕事の難易度によっては、作業の流れで中間報告と確認といった報告・連絡・相談の
コミニュケーションがなされるべきだがルーティンワークの状態になると難しい
かも知れない。判断力なんていうのは資金の決済を誰が仕切っているかの話である。
セットを作ったりしないで学校のロケのコケルとポシュテ(四つの区がある)二つの
住宅地の往復の場面なので低予算で作れそうな作品である。母親や父親に祖父と血縁が強い。
アファマッドが友達の家を探しに行くとそのあたりの苗字がヘマティと同じあたりは、
日本も地方で分家が本家に複数あるとか島の住民が同じ苗字なんて所もあるのでしっくりくる。
家に上がる時に靴を脱ぐ習慣も近い。
「鉄のドアに取り替えたら壊れないで一生もつ。テヘランの美術館に飾って
やるよ」「名前が残るだろう」という会話から表札が無くてもドアに名前を入れる
習慣はあるみたいだが映画の中で表札やドアの名前を探す場面が無く近所の人に尋ねて
歩いている。日本も昔は、こんな調子だが今は隣の人の苗字なんて気にしない。
この映画でも従兄弟や親戚でないと知らないみたい調子だった。孫の家を教えると
お爺さんが連れて行ってくれるが行く途中でドアの職人で自分の作った木製のドアの
話をして鉄のドアに取り替えることを残念がっている。お爺さんが近くまで送ってくれて
角で休んでいるからドアをノックしなさいと言うが友達の家のドアが鉄のドアに革って
いてノックするとお爺さんはガッカリすると思いノートを渡さず家に持ち帰る。
朝、学校が始まっていると友達がノートでない紙に宿題を書いて持って来て泣いている
がアファマッドは遅刻して友達のノートにも宿題を写して先生がチエックするときに
気付かれずに友達にノートを渡して切り抜けて終わる。宿題といっても家の雑用を
頼まれたり子供の使いも大変なんだなあと思う。家の手伝いも大変そうだ。
洗濯物を手洗いしている状態で水道が無く手動のポンプである。靴下のかかとの
部分が破れていたり擦り切れた服を着ていたりしている。
日本の小学校の低学年ぐらいの子供が主人公である。二年生と会話に出てきた。
スラム・ドック・ミリオネアでインドの小学校は統一したポロシャツが制服だった。
貧困国の場合、制服にすることで貧困や格差を見せないことも出来る。しかし家庭の
環境も予測できなくなるだろう。家庭訪問や往診は生活環境の確認ができる。
しかし居住環境が悪いと親もイヤなものであろう。応接室か茶の間が無いと人並みの
所に住んでいるように見えない。当然、少子化も拡大する。鳥だって巣が無いと玉子を
産まない。この映画は、単純な内容だが様々な視点から教育や子育てについて考えさせて
くれる内容だった。エンドロールは読めない文字が並んでいたが日本人が映画をみて
意外と習慣が近いと感じる。イスラム教の国なので酒は飲まないので子供の貧困が問題の
日本の方が父親が子供手当てを酒にしてしまったり母親が生活費にしかねない国である。
親の趣味に使い込むことも予想される。しかし他人を思いやる心のある子供が育つ国は
文化面や精神面で豊なのかも知れない。

2010年 3月 7日

映画『ディア・ハンター』(1978年)マイケル・チミノ監督作品を観た。
3時間も大作なので2回休憩した。ピッツバーグの溶鉱炉で働き鹿狩りが
趣味の3人が軍隊に入りベトナム戦争に行く。戦争に行く前に3人は、合同
で結婚式をあげて恋人を残して戦地に行く。3人は偶然戦場で出会うが
ベトナム兵に捕らえられてロシアンルーレットをやるよう強制される。何度か
やらされるうちに弾丸の玉を3発に増やすように仕組む。それは敵を倒して
脱出する作戦だった。何とか川に飛び込んで米軍のヘリコプターに救助される。
マイケルが帰国すると1人は精神病院に入院したままだと知る。もう1人の行方
がロシアンルーレットの賭場から行方不明になったままである。マイケルは
ベトナムに戻りロシアンルーレットの賭場で行方不明の1人を発見するが
合うにはロシアンルーレットに参加することが条件でマイケルの前で運悪く
死んでしまう。赤い鉢巻きが気になったが特殊効果をカツラに仕込むより使い
易い上に視覚的にインパクトがあるからなのか考えさせられた。アジア系の人種
がギャンブル好きの様に見えるが生命の危険が高い職種ほど人生や将来設計する
意味より「宵越しの金は持たない」みたいな行動をするように私は感じている。
 結婚して即、戦場に行く行動の中に自分の(家)部屋を
妻に守って(維持して)もらうのに必要だからで戦時でなければ独身のままでも
良いという感じがした。戦場に行って戻る家が無ければ戦うモチベーションが
低下する。ヤクザ映画で服役中に組が無くなってショックを受ける状態に近い
ような気がする。精神的なダメージは自分の住む家があれば緩和される。
植物を根を張っている場所から移す時のダメージに似ている。更にベトナムの
戦場は朝鮮戦争みたいに補給や輸送も容易くない。ドロ沼に填まって行くような
気分になる。戦争でついたイメージで観光地のイメージには程遠い。

2010年 3月 6日

映画『錆びたナイフ』(1958年)舛田利雄監督作品を観た。(白黒)
港町で運送会社を経営している暴力団の社長の逮捕から物語は、はじまる。
ろうあ者の警察が来たという身振りが附箋である。(後で黒幕との接点になる)
逮捕のニュースで検察と運送会社社長の勝又の所に、5年前の西田市議会議長の
首吊り自殺は、他殺で3人の目撃者がいると手紙が届く。勝又は消印から
東京から汽車で来た手紙の差出人(島原)を駅で次の駅まで乗せてすれ違い
ざまに汽車から転落死させ口封じする。対向してくる汽車に間近で突き落とす
手口は、見ものである。ボルサリーノの汽車の釜に人を放り込む場面を思い出す。
残った証人はキャマラードという橘はバーを経営している。
5年前に恋人をレイプされカッとなって相手を刺し殺した元ヤクザだ。
前科者だが平凡な会社員になりたいようである。友人にも会社を紹介してもらい
都会でやり直したい様子である。アナウンサーの啓子がこのバーに遊びにきて、
橘に好感を持った。橘は前科を隠すこともなく話のネタにしてくれれば酒が売れて
店が繁盛するという感じである。寺田という弟分も橘のバーで働いている。
そこへ狩田検事と勝又の両方が訪ねて来る。狩田検事は証言を求め勝又は口止めという
具合だ。啓子は西田市会議長の娘であり事件に興味を持ち街頭録音のテープで、
橘の恋人が暴行された事件は大勢の男が関係していたことを橘に知らせる。
寺田は勝又に小遣いの口止め料を持たされ遊びまわっている。そして街から出て
行くと勝又に金をせびるが勝又に「行き先は、俺が決めてやる船賃も電車賃も
かからない所よ」と殺されかけるが橘がトラックで跡を追い助けて検察に保護
させる。しかし警察の高石刑事が勝又を影で操る黒幕の手下だった。
向かいのビルから警察署の部屋にライフルで狙撃されるように仕組んで死んでしまう。
勝又は逮捕されるが毒饅頭を差し入れられ自殺を指示され両手で貪るように
口にねじ込んで死んでしまう。差し入れた男は私が帰ってから食べなさいと
念を押している。橘は窓から外を見て警察の裏庭で高石刑事と勝又の所の、ろうあ者が
唇の動きをメモしているのを発見して啓子と警察の内通者が高石刑事をつきとめる。
夜9時に無線で指令が来る。そして交信の相手が自分の後見人であることを
知り自宅で無線機を発見する。高石刑事に黒幕の間野に50万で田舎に引っ込むと
持ちかけおびき出すが間野が仕込杖で高石刑事を殺してしまう。その直後に橘が海岸
の現場に着き間野と乱闘になる。狩田検事も知らせを受けて現場に駆けつけた。橘が
錆びたナイフを振り上げた時、啓子が必死にとめた。間野は逃げようとして自分の
子分の車にひかれて死んだ。危く罪を重ねかけた橘は砂山を無言で歩きだした。
狩田検事は、啓子に橘の後を追うように「今、君が行かないと」と後を追わせた。
フランス語で挨拶する勝又の手下や発展に利権が絡み経済成長の時代に作られた日活
のヤクザ映画として深作作品と比べると違う感じの作品である。無線機を使ったり
凝っている。脚本は石原慎太郎である。
年末に公開された実写版の宇宙戦艦ヤマトの脚本を見たら石原慎太郎だった。
こちらは、いつの間にか公開が終了していた。

2010年 3月 5日

映画『禁じられた遊び』(1952年)ルネ・クレマン監督作品を観た。(白黒)
アカデミー賞名誉賞(後の最優秀外国映画賞)、ベネチア映画祭サン・マルコ
金獅子賞などを受賞している。サウンドトラックにはオーケストラで演奏する
お金が無くなってしまった為、全編を通してギター一本で演奏した、という
エピソードがある。名曲『愛のロマンス』が生まれた。とウィキペディアで
解説されている。以外なもので「禁じられた遊び」と聞いただけでメロディー
が思い出される。(オルゴールに使われる機会が多かったためだろう)
さて、何を集めていたのかとなると記憶がぼやけて思い出せない。
 物語は、パリから避難するフランス人の行列ではじまる。車で逃げる者や
荷車で逃げる者など様々である。両親がドイツ軍の飛行機の機銃掃射で失い
ドレ家で、少女ポレットの面倒を見る。ポレットは「死」ということがわからず、
祈り方も知らない。少年ミシェルは水車小屋に愛犬ジョッグを埋葬し、祈りをささげる。
犬がひとりぼっちでかわいそうだとポレットは、たくさんお墓を作りたいと言い出す。
ミシェルはその願いに応えて、様々な動物の死体を集めて、次々に墓を作っていった。
十字架を盗んで自分たちの墓に使いだす。
ドレ家の上の兄のジョルジュは荷馬車に寝込んでいたが轢かれ死んだ。
兄の葬儀のとき霊柩車の屋根を十字架を盗んだ。隣のグアールかも知れないと
両親の仲が悪いことを利用して勘違いさせる。墓参りに現れたグアール一家と
鉢合わせとなり、ミシェルの父とグアールは殴り合いのけんかとなる
子供らしく神父に懺悔して数分後に祭壇を十字架を盗もうとして叱られていた。
神父は犯人を知っていると喧嘩を止めた。グレ家では、十字架の弁償に幾ら
かかるか考えていた。ミシェルは水車小屋を十字架で飾りポレットに見せようと
していた。そこへ警官が戦災孤児ポレットの引き取りにきた。
ミシェルは父にポレットを引きとってほしいと懇願するが警察に任せる。
ミシェルは家を飛び出し、十字架を引き抜き川に流して捨てる。
多くの人があふれる駅でポレットは赤十字のスタッフに名札をつけて待っているように
言われる。赤十字のマーク入り名札には「ポレット=ドレ」の文字(らしい)。
人ごみの中から「ミシェル!」と呼ぶ声がする。ポレットは鳴きながらミシェル・パパ・ママと
叫びながら探しに行く。そして雑踏の中へと走っていく。
 以上があらすじである。家族の絆があり死が身近だった時代の少年や少女の感覚って
分からないこと、未知のことに対する恐怖が強い。反面、好奇心もあり様々な失敗を
経験に変えて成長していく。その過程で悪い事をしたら責任を取ることも覚える。
責任を取る事で自分のプライド(自尊心)も守られる。現代社会では、
「旅の恥は、かき捨て」に近い開き直りを感じる。逆ギレなんていう状態になる者も増えた。
 インターネットの普及で何らかの創作活動をしていると氏名が検索可能だ。
政治家などは写真付きポスターを貼るので特に開き直りらないとやっていられない
らしい。票と金を優先させて「長屋紳士録」みたいに人情味もなくなっている。
貧困世帯の増加に自殺者の増加を目の当たりにして感情がマヒしているのではないか
とさえ感じる。「野獣死すべし」の戦場カメラマンが発狂していたが、ニュースに
流せないほど悲惨で残酷な情報が膨大にあると推測できる。いずれ情報開示されて
ノンフィクションでドラマや映画化される時代の為にも自分のプライド(自尊心)は
大切にしたい。ルネ・クレマン監督の「さよなら子供たち」の校長みたい命のかけかた
は、実話だけに「禁じられた遊び」以上に記憶にのこる。


2010年 3月 3日

映画『長屋紳士録』(1947年)小津安二郎監督作品を観た。(白黒)
終戦直後の東京下町の長屋が舞台である。長屋といっても商店街とか
通り会みたいな広さがある。その住人の男が小学校に入学する前
ぐらいの男の子を連れて長屋に戻ってくる。父親とはぐれて九段から
そのままついて来た。坊やを押し付け合うが長屋の住人たちの、
お人よしぶりが敗戦後の戦時色を感じさせない。小津安二郎が時代性
を超越した不変性を意識していたのか分からないが人情話が中心である。
初老の女が、面倒を見る羽目になってしまった。(住人は男ばかり)
はじめは、寝小便するので坊やを邪険に扱う。八王子で焼け出されて
茅ヶ崎で大工仕事をしていたと聞く。子供と茅ヶ崎に行くが連絡先が
分からない。何日か泊めるうちに情が移り自分の養子にしようと決心
する。そして学生服などを揃えて動物園に行き帰りに写真館で記念写真
を撮ってもらう。長屋に帰ると坊やの父親が茅ヶ崎まで子供を捜しに
行って住所を教えてもらいました。お世話して戴きありがとうござい
ました。と手みやげにイモを置いて坊やと帰る。初老の女は、坊やの
学生服を父親に持たせる。長屋の住人が喜んでいるが初老の女は、
自分一人さえ良きゃあいいじゃ、すまないよ」みんな自分のことばかり
考えて他人様を押しのけるから世間がギスギスしてしまうという事を
いう。この映画が公開された後は、高度経済成長・公害被害・受験戦争
交通戦争と健康と精神を削って築き上げた日本だが今の姿を小津監督が
見たらどう言うだろう。長屋でみんな貧乏だが、ふるまいや対応は紳士
であるように見えた。

2010年 3月 2日

映画『雨月物語』(1953年)溝口健二監督作品を観た。(白黒)
「浅茅が宿」と「蛇性の婬」の2編で脚色されている。天正11年春、
戦国時代に琵琶湖畔に住む二組の夫婦が戦に翻弄される様を描いて
いる。この二組の夫婦が陶芸品を作って長濱に売りに行く。
陶芸職人の相棒は、具足と槍を手に入れて立身出世を夢見て仕官し
大将首を手に入れ、侍大将に出世するが遊郭に泊まると自分の女房
がいた。妻に出世した自分を見せようとしている間に妻が遊女に身を
落としていた。侍をやめて妻と村に戻り元の暮らしをはじめる。
陶芸職人の方は、一族を滅亡させられた怨霊に見入られてしまう。
高僧とすれ違う時に「おぬしの顔に死相がでておる」と身体に経文を
書いてもらい霊の力で見せられていた幻の屋敷から抜け出せる。
そして家に帰り着くと妻と子がもてなしてくれるが翌朝、庄屋が子供
が見当たらないと探しに来る。妻は野党に殺されて子供だけ助かった
と聞かされる。下克上の時代、復讐や怨念というより残した夫や、
やり残した事に対しての物足りなさが優先するのは、心が、おおらか
なのだろうか?上田秋成の原作の中で叙情のある演出が出来るものを
溝口健二が厳選したのだろうか?大将首を取って馬と家来を貰い武士
として夢を果たしても妻の元で百姓に戻る。ヒゲや髪型が陶芸品を
売りに出てきた時のままで鎧と馬に似合わない演出が記憶に残る。
映画『カラーパープル』(1985年)スティーヴン・スピルバーグ監督作品を観た。
アリス・ウォーカーのピューリッツァー賞を受賞した1982年の小説の映画化である。
黒人の姉妹が現代でいう家庭内暴力と女性軽視の男社会に翻弄される40年を描いた
作品である。それにしても女性は男性と違い順応力と生命力が強い。時代の変化で
馬車から自動車の時代へとライフスタイルが変わっても生き続けている。
状況に適応する力と単調な生活を続ける二つの力が男とは違うと感じる。
南部のジョージア州を舞台に一軒家を守り続け全て自分の物になる。
日本の女性の中には、定年した公務員の遺族年金目当てに男性の高齢者に接近して
共済年金を婚姻届けで手に入れるケースが増えている。
この映画の場合は、40年の生活実態があり第58回アカデミー賞で、作品賞を含む
10部門で候補(助演女優賞で2人あがったので11候補)にあがった。しかし、無冠に
終わっている。スピルバーグの監督賞候補入りにも至らなかった。娯楽映画から賞を
意識した作品を作ったと見られたらしい。40年間のアメリカの変化を良く描いて
いる作品である。(黒人の人権運動などをテーマとした作品と異なり家の中から出ない
1人の黒人女性の生活を通してドラマチックな事が起こらない分の変化を絶妙に描いて
いる。)人間、世界を飛び回るより大地に根を張った人生が変化に強いと感じた。
家があって血縁が維持される点は学ぶ所が大きい。郵便ポスト(変わらない住所)
で繋がれていた。


雑記帳13

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