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浅野琢也の雑記帳14 2010年05月〜07月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成22年


2010年 7月 2日
LAWSON(ローソン)のLoppi GOODS(ロッピーグッズ
カタログ7月号18ページ)に掲載されました。
志水もこみちさん・志田未来さんが出ています。

掲載商品は、ハンマーセッションの光学園制服・ネクタイ・リボンと
カバンです。全国のローソンで購入可能です。


ブラウスとシャツはクレリックっぽい清楚なイメージにポロシャツみたいな着くずしても
決まるカジュアル感を兼ね備えています。ボタンはクロス付け(東宝コスチュームさん
の強い希望で)ボトムとの関連性を付けては配色ステッチもポイントです。
リボンとネクタイは、緩めてもバランスが取れる長めです。エンブレスの
クレスト柄を織り込んであります。スクールバック(スクバ)
もエンブレムをプリントしカジュアル感を持たせました。
カタログは、お近くのローソンで無料(フリーペーパー)で入手できます。

着くずしせますから夏のアイテムにピッタリです。このクォリティーしかも国産で
驚きの低価格のブラウスとシャツ! 男子用パンツは、股上の浅いピップハングで
腰に固定して着こなします。SHGは光学園ハイスクールの略です。

2010年 6月26日

 昼に椎名町と四谷界隈にあるアートコンプレックスセンターに行って
芸術作品をみた。ついでにハンマーセッションの宣伝を兼ねた
暑中見舞いらしきハガキを投函してきた。

2010年 6月20日

 20日は、日本アンデパンダン展の今年の展評「批評と感想」の
発送をした。日本共産党美術家後援会のグループ展の搬出日と
重なり豊島区椎名町にかなりの実行委員がいってしまっい少ない
人数だったが作業を終えた。あのあたりは、池袋モンパルナスと
呼ばれていたらしい。

2010年 6月18日

 映画『理由なき反抗』(1955年)ニコラス・レイ監督作品を観た。
『理由なき反抗』は、ジェームズ・ディーンの代表作である。
転校してきた高校生が学校に馴染めず夜中、車でチキンレースしたり
廃屋にたむろしてスクーターに乗っている1番体の小さい少年が拳銃を
所持していたためジェームズ・ディーンがオートマチック拳銃の
マガジンをこっそり抜き取り発砲できないようにして包囲している
警官隊に自首させようとするが射殺されてしまうストーリーである。
犯行といっても不良少年が集まっているほどでもない。
今の高校生と比較すると車を持っていたり広い家に住んでいたり
裕福である。だけと満たされない何かがある。それは、矛盾を抱えた
社会にたいして漠然とした理不尽さを少年達が感じているからだろう。
第二次世界大戦が終わって朝鮮戦争、ベトナム戦争に向かって行く
頃のアメリカの豊かだけど不安な社会が根底にあるのだと思えた。
アメリカは16歳で自動車の運転免許を取ることができる。
アメリカン・グラフィティーも影響を受けているのかと温故知新の大切さを
感じた。

 TBSのハンマーセッション!の制服の打ち合わせのため4〜5月は、
ハンマーセッション!のコミックを読んで制服のステッチの色や
糸の太さやボタンの材質までアドバイスしてドラマの衣装を市場に出して
も良い状態にした。ドラマの公式サイトが出来たので情報開示された。
劇中使用の制服をオリジナルデザインにしてネット販売する予定である。
情報開示になって、やっと書けるという流れである。映画もドラマも同じような
流れなのでタイトルや企画がダブったりすることもあった。しかもスタッフや
キャストが両方の作品に出ていても情報開示前は出演している事どころか
作品の企画がありクランクインしている事も秘密なので伝わらない。
ボックスとBOX 書道ガールズは公開年度が同じだが片方が情報開示して
もう一方が気付く場合が多い。映画の中にはオープンにして協賛金や協力金を
集めるスタイルもあるが地域のフィルムコミッションが中心となる場合が
多いので公式ブログで情報提供している。東京エキストラの掲示板を
チエックすると首都圏周辺で撮影されている映画のタイトルが解るので
半年から1年先にどんな映画が公開されるのか知るのに便利である。
 ハンマーセッションの原作は中学校が舞台だがテレビドラマでは私立高校が
舞台である。制服については、原作と全く異なる番組オリジナルを作った。
シャツやブラウスは衣装でリボンやネクタイは手持ち小道具と分業して
いる中で大勢の意見をまとめてコンセンサスを得るデザイン画を作成しないと
撮影スケジュールに服が間に合わない。急ぐので目が疲れた。
市場で売ることを想定しているので寸法を測っている横で幾らなら売れると
周囲が発言しだしてハンマー・セッション!の会議室がオークション会場みたい
だと冗談が出た。私はハンマープライスを思い出していた。数字を横から
言われるので落語の「時ソバ」みたいになり1つ数値の記録が抜けていた。
7月の夏ドラマでコミックが11巻なのでどんな内容になるか解らないが
土曜の午後8時枠なので放送できる内容に調整されるだろう。
私の方は、CGの使い方が上達した。ドラマなのでスタッフロールが無い
が市場に服を出すので買った人が満足できるように細部まで指示書を
書いて、制服披露の時に販売を想定した説明文も作成した。
ドラマが始まったら録画しようと思う。
[TBS ハンマーセッション!の制服の写真掲載の番組公式サイトへリンク]

2010年 6月15日

 映画『アウトレイジ』(2010年)北野武監督作品を109シネマズ
木場で観た。ワーナーが出資して東急が配給したので近所のシネコン
で上映された。久しぶりのヤクザ映画だった。80年代を思わせる
代紋の金バッチなど付けているだけで強迫罪の適用になりかねない
21世紀と違い20世紀が背景のような感じがした。セリフも今では
使えない「ぶっ殺すぞ!」とかが出てくる。深作監督や伊丹監督作品
と比較すると暴力の描写や背景が軽い。命の扱いが軽いなど比較して
しまうが、麻薬の密売からアフリカあたりの小国の大使館をカジノに
してしまうあたりのシノギ方は、山王会の金庫番で語学に優れた若手
と寡黙な若頭の知恵を感じる出来だった。衣装も80年代風の衿の
ディテールに凝った形で個性を出していたスーツを北野武の親分が
着ていたりする。ラペルとカラーがレイヤードになっている型と
カラー部分をタックで立体的にしているスーツは、懐かしい。書い
ている私も着ていた時代があるから目が行ってしまう。腕章に代紋
が入っているあたりは、今の時代でない。しかしマル暴の刑事が今
の時代は、金より出世と言うあたりは、年金や退職金をもらい天下り
先に迎えられる公務員の目的みたい部分は現代である。対極に
国家上級も受かりそうな山王会の若手の姿がある。外務省あたりで
能力を発揮できそうな若者だけに就職難の若者が非合法な世界で
能力を発揮すると怖い。不満を抑えて不安な社会を生きているから
映画の中だけでも思いっきり凶暴にしてもスカッとする物もある。
国家の社会システムの歪みによる被害の方が残酷で救いようが無い。
ヤクザをカッコ良く描いているわけでも無い。自分の立場で単に
暴力という手段を行使している感じすらする。名セリフが無いのも
特徴だ。アメリカでアジア人は命を大切にしない人種だと言われた
らしいが西部劇なんか命の扱いが軽いどころか「夕日のガンマン」
あたりの賞金稼ぎのセリフは「生きていると役に立たないが死ぬと金
になる。」みたい感じだった。結局、その時の状況で変化するという
ものなのだろう。「小森生活向上クラブ」みたいにボッタクリバーに
引っ掛かって抗争の火種にするあたりは、またかよ。みたい気がした。
ボッタクリバーの客引きを金は近くの事務所にあるから取りに来て
くれと「付き馬」みたいにおびき出し代紋の飾られた組事務所で
縮みあがる若い衆に渡すあたりは、落語のネタを逆手に取ったなと
ニヤリとさせてくれた。大きな金が動くとか大きなポストを狙うと
言う金と権力というキヤッチコピーは、伊丹作品ならマッチするが
この作品にマッチするかと言うとスケールが小さく感じるのは時代
のせいなのか私が映画を見すぎているのか解らないが北野武監督の
場合は座頭市の方が楽しめた。全員悪人はマッチしていた。
かなりの死人が出ている割にマスコミや警察の描写が抜けている
あたりも悪人の命は軽くて良いというノリなのかとも思える。
昔の映画は成功のスケールがでかくバイオレンスも凶悪だった
のかも知れない。公開したばかりなので、あえて、あらすじを
書かず感じたままを綴った。

2010年 6月 3日

 映画『オーケストラ!』(2009年)ラデュ・ミヘイレアニュ監督作品を銀座
のシネスイッチで観た。旧ソ連のプレジネフ時代に起こったユダヤ人排斥運動
で失脚した元ボリショイ管弦楽団の指揮者が劇場の清掃係として埋もれている。
劇場主が留守の時にパリのシャトレ座という大劇場から公演依頼のFAXが
届いた時に偶然に受け取る。リベンジのチャンスと救急車の運転をしている
元チェロ奏者と2人で解散させられた当時の元楽団員を集めて引き受けてしまう。
救急車を自家用代わりに使って昔の仲間の所を訪問して仲間を集めする。
当時、コンサートを中止させたKGB職員を交渉役につけるとすんなり引き受けて
くれる。演説会のサクラを手配する商売を指揮者の妻がやっていてギャラを稼いで
いる。フランスへ行くためにロシアマフィアの結婚式のサクラを1000人も
集める。競合するマフィアも結婚式に来てマシンガンを乱射するが死人が出ない
所は、イヤがらせみたいである。銃弾の飛んでいる時にサクラを動員したギャラに
加えて後払いになった航空券の補填にスポンサーにしてチェロ奏者の息子も団員に
加えて連れて行く。偽装パスポートに入国ビザを入手したりイリーガルな手段も
納得できる脚本の完成度で楽しい。話に乗った楽団員達のフランスに付いて
から、ちやっかりサイドビジネスで稼ぎだす。地下鉄で剣の舞を演奏して
小銭を集めているグループがいるかと思えばキャビアをレストランに行商に
行きスーパーで安く買えると断られて中国製の無料で通話できる改造携帯電話を
抱き合わせ販売したりと面白い。ガス王のロシアマフィアの息子も、しっかり
放映権をテレビ局に売っているが別のフランスのテレビ局が交渉に来たら電波が
モレたことにしてフランスの放映は電波の事故という裏技まで編み出して現地での
宣伝に利用したりと抜け目がない。団員達は、ディナーのスケジュールも守らず
フランス共産党本部の側のレストランを予約したらKGBと食事はしないと
ハンバーガー屋に行ってすっぽかしたりする。
片や元KGBの職員も楽団から抜け出してフランス共産党の党大会で演説するのが
本当の目的だったりするが党員の数より党本部が大きくて掃除も出来ないと売りに
出すあたりも皮肉が利いている。第4インターナショナルだったか良く知らないが
戦前の国際共産主義の夢と演奏家としての楽団員達のライフワークとしての音楽や
国家の体制に翻弄されても自己のアイデンティティーを貫く姿勢の対比が良く出来ていた。
そうした中で、しっかり社会派ドラマにもなっていてシベリア送りになって死亡した
2人の元楽団員とフランスのバイオリンのソリストやマネージャーが過去で繋がっていた。
オーケストラは交響曲をメインにするらしいがチャイコフスキーの協奏曲に指揮者や
楽団員達がこだわる理由が過去にあったという話の流れだ。30年前にチェロの中に
赤ん坊だけ入れて亡命させている回想シーンは、引き込まれた。2010年のフランス映画祭で
観客賞などを取っている作品だけに面白い。アメリカのアカデミー受けもしそうだが
フランスで賞を取るとアメリカで賞が取れないジンクスがあるらしい。
これは対向意識なのか好みが違うのか比較すると面白い。楽団員たちの衣装が民族衣装的
だったり野暮ったいシルエットだったのがロシアを出る時とフランス公演が成功して
世界中を回るあたりで変わっていくのも面白い。キルビルの飛行機の航路の地図を映す
手法で移動している事を分からせるのは、イングロリアル・バスターズで劇場主の女主人を
演じたメラニー・ロランが出ているからかと思えたりする。
この作品はキネマ旬報受けはすると感じた。この手のイギリス映「ブラス」や
「リトルダンサー」を少し思い出させてくれるティストもある気がした。
映画館で切り絵の似顔絵展もやっていてついでに観てきた。シネコンとミニシアター
では、置いているチラシの種類が違うのも面白い。知らない映画が沢山あった。

2010年 5月30日

 映画『BOX 袴田事件 命とは』(2010年)高橋伴明監督作品を銀座
シネパトスで観た。名画座宣言した劇場である。公開2日目の日曜の
朝だが半分も座席が埋まっていた。実際にあった事件で冤罪だと確信
しても裁判官が多数決で有罪にしてしまう。12人の優しい日本人
の陪審員たちよりいいかげんな2人の早稲田出の判事と真剣に取り組む
国立大卒の判事が強要された自白に辻褄が合わない点に加えて一年後
に六点の血の付いた衣類が新たな証拠として提出されるが捏造した
証拠にサイズの合わないスボンに上着より下着に多く付いている
不自然な血痕。殺害動機すら日替わりで異なる調書。
容疑者を犯人と決めつけ真犯人を野放しにする警察の正義とは何か
と感じた。社会正義なんて立場や情勢で変わる。普遍的な善悪の判断が
人間には求められる。検事が弁護士になることは多いが判事が弁護士に
転身して自分の書いた判決を無罪にする為に人生の残りをかけて今も
戦っている事実の映画である。ちなみに捏造に使用した衣類は袴田容疑者
が投獄された後に作られ市場に出回った新作である。犯罪当日は、作られて
いないから存在しない服である。これは映画で語られていないが私が
メーカーの社長さんに仕事を発注した関係で興味を持って検索したら
分かったことでもある。
みんな演技が旨い。本人が生きていて当時、事件に関係した人が高齢化
していくなかで思い残すことなく天寿をまっとうしたい思いなどが
伝わってリアルである。狭い拘置所で1人死刑執行の恐怖で精神に異常を
きたす場面に圧倒された。聖書を喰らう場面や壁沿いに蟹歩きする様に
圧倒される。エキストラに時代背景に合わせた衣装で参加してもらうなどで
製作費を押さえながら邦画が作られている事もスゴイ。
スナックに置物としてテーミス(目隠しをして天秤計りと剣を持った女神)の
オーナメントがあるのは、法曹関係者が集まる店を示唆しているだろう。
守秘義務がある仕事だけに、そこいらの飲み屋で酔って口が滑って情報が
漏れないためにあってもおかしくは無い。
映画のオープニングとエンディングに童謡の「かごめの歌」が使われており
罪人を入れて運ぶ篭の意味もある。

現在、公開中の「ボックス!」(李闘士男監督)は百田尚樹の原作を
読むと主人公の友人の木樽は判事になる。映画のラストで
八咫鏡(やたのかがみ)のバッジを付けている。両方観ると倍以上に
楽しめる。両方を観ると社会のコントラストがハッキリしてまるで光と影
である。


2010年 5月29日

 アニメ映画『サマーウォーズ』(2009年)細田守監督作品を観た。
冒頭の仮想社会OZの宣伝が半分実現しているようなインターネット
の普及した現在に近いので話しに引き込まれていった。
対象的に旧家の90歳の当主の誕生日のために同じクラブの先輩に恋人の
芝居のアルバイトを頼まれるあたりが面白い。伝統の中に最新の文化が
納まっている感じである。当主の、おばあちゃんは、中学あたりの教員
だったようである。お年寄りの中にはビックリする人脈を持っている人が
いる。年金の格差と人脈の格差ってありえる。高校・大学・専門学校で
進路が偏りだすから中学あたりが面白そうであるが社会性に乏しいまま
大学を出て教員になり下手をすると世間知らずの教員も見受けられる。
この、おばあちゃんは少し違うようである。次期当主がアメリカで
軍事目的にサイバーテロのハッキング用に開発したプロクラムを米軍が
試しに使用してしまいOZのシステムが暴走して世界中が混乱したのを
親族とケンジで食い止める話は面白かった。ラストのプログラムが
人工衛星を落下させて攻撃すると温泉が湧き出て家屋の被害が少ない
のも気持ち良い終わり方だった。

発明や開発は、一般的に普及させることを念頭にしないと利益を得るのは
難しいようだ。近代ヘリコプターの元と潜水艦の発明者のホランドは、軍事
目的で発明して潜水艦の特許を得て第二次世界大戦の前にアメリカ海軍に
四隻納めていたが海軍が戦闘方法を考えつかなかったりヘリコプターは
産業上の利用価値が無いと拒絶されたりして生涯に得た利益はタイピスト
程度だった。目的外使用や転用したらどうなるかを考えることで金脈に
繋がるかも知れない。そんな事を映画を観て考えた。


 アニメ映画『バルト』(1996年)サイモン・ウェルズ監督作品を観た。
製作総指揮はスティーヴン・スピルバーグである。犬ぞりレースが雪で
1925年に陸の孤島となったアラスカ州南部の町ノームにジフテリアの
ワクチンを犬ぞり1000キロも走り運んで大勢の患者の命を救ったバルト
という犬の物語だった。バルトを記念して大規模な犬ゾリレースが現在も
行らわわれているらしい。愛玩動物としての犬ではなく人間と共に共存する
逞しい犬に感動できるアニメだった。バルト 新たなる旅立ち(2001)
バルト 大空に向かって(2004)も作られている。バルトがオオカミと犬の
混血というのも人種が多いアメリカでは受け入れられるだろう。
少し児童向けであるがディズニーとは一味ちがったスピルバーグのアニメと
して楽しめた。


2010年 5月28日

 映画『キャピタリズム?マネーは踊る?』(原題:Capitalism: A Love Story)
(2009年)マイケル・ムーア監督作品を観た。アメリカの貧困層がこんなに多い
のに驚いた。1%の富裕層と99%の貧困層という格差社会。封建制度の時代は
7%の貴族と93%の労働者階級。人気職業だったパイロットの給料がマクドナルド
の従業員より低い実態。住宅担保型ローンで持ち家を取り上げても買い手がなくて
空き家のままになって地域社会が破壊されたり医療費で破産させられたりしている
ことまで日本のテレビ局のニュースでは放送されない。アメリカは豊かな国だと
戦後に見た映画のイメージを引きずっていたら何処の発展途上国かとビックリした。
大きな変化ではなく数十年で変化している為、目立たないが確実に生活を蝕んでいる。
生活破壊力が明快な病気とは異なるため気が付くと大変なことになっていた。という
感じた。

日本でもマクドナルドやコンビニのバイトの方が手に職を持っている技能工より
所得が高い。昔は、フランチャイズ方式でオーナーを集めたが様々なサービスを提供する
ため、かなり器用で臨機応変に対応できる人材でなければ店頭で働けないシステム
となりオーナーの家族でも能力が無ければ断る体制になったらしい。ATMを設置
して公共料金の払い込みが出来て「おでん」や「肉まん」といったFF(ファーストフード)
から映画のチケットとデパートみたいに特定の売り場に精通しているだけでは勤まらない
難しさが要求される。専門職はコンピューターでスキル不足を補える時代である。
クリエィティブな部分は、紙と鉛筆を使ってスキャナで取り込んで画像加工の段階
では、操作に集中する切りかえの出来る人だけが生き残るようである。
正社員ですら安定した状態でない。事業主もフランチャイズから離れたら廃業に
なってしまう。最近では駐車場の有無で閉めた店があれば新規開店した店が
ある。スクーターも駐車違反ではコンビニで立ち読み所かジュースも買えない。
個人商店は、売れなくなり文房具は食品でいう賞味期限を過ぎた商品を店頭に
並べたままになっている。缶詰めにも消費期限があり1年ほどだがボールペンにも
期限があり2年である。売れない商店は負のスパイラルに見舞われる。
グローバル化で格差が開く一方である。不況になってマネーが踊ると言うより
ドロドロの血栓が出来そうな状態のように感じているのは私だけだろうか?


2010年 5月27日

 映画『パブリック・エネミーズ』(2009年)マイケル・マン監督作品を観た。
時代設定に車や建物や衣装がピッタリでカッコいいがストーリーが退屈で感情
移入できないまま途中でDVDを止めて休みながら観た。どうも感情移入できない
ギャング映画だった。劇場で観なくて良かった。リーグ・オブ・レジェンドのメカ
がカッコ良くて映画を観たが映画を観ている途中で退屈になるのは稀である。
しかも大作だからガッカリだった。ベテラン監督だけにチャンスを活かしてしない
のか運が悪いのかと考えさせられる作品だった。

2010年 5月23日

 映画『イングロリアス・バスターズ』(2009年)クエンティン・タランティーノ監督作品を観た。
最初は、第1章・・・と分類していたのが後半はやめてしまっていた。編集の手抜き
に感じた。パリに潜入するにしても軍服を着ないで行動するとスパイ扱いになるなど
「鷲は舞い降りた」みたいスリルが無かった。ナチに対する恨みや怨念を感じずゲーム
感覚で殺しているようで観る側を楽しませるより作り手が楽しんだ映画にみえた。
特に、「カッコいいナチの制服は脱ぐんだろ」のセリフが笑えて頭に刻むナチのマーク
との関連性を付けているみたいだ。しかもラストでランダ大佐とのやりとりがこれ
では「鷲は舞い降りた」を観た人には、薄っぺらな制服の話に見えてしまう。
「切腹」のマゲを切る感覚を表現したかったのだろうがスゴ味がない。
荒野の七人の「顔に傷を付けるヤツを雇え」みたい感覚なのかも知れない。
劇場の入手は、叔母だか叔父の遺産相続でギリギリありえるかも
知れない。イギリス側のスパイの女優の足のケガを山歩きにするのもムリがある。
階段を踏み外したとか身近な理由にすれば良いのに相手が疑問に思うようにしている。
なんだか他人が遊んでいるゲームを横から眺めている感じの映画だった。
ストーリーのしっかりしたRPGではなくて動きの派手なアーケードゲーム的である。
ショシャナは家族を皆殺しにされたのだからキル・ビルみたいに派手に報復して
ほしかった。戦争が早く終わるようにランダ大佐は、ナチスを裏切り連合軍と取り引きして
アルド・レイン中尉に、でっかいナイフで頭にキズつけられてアメリカに亡命して終わり。
映画館ごとナチスの要人は全滅。

2010年 5月22日

 映画『カティンの森』(2007年)日本公開2009年 アンジェイ・ワイダ
監督作品を観た。監督の父親も事件の犠牲者である。80歳のときから
取り組んだ作品である。戦線布告も無しにポーランド軍の兵士はいきなり
ボルシェビキの戦車に包囲され捕虜にされる。ジュネーブ条約に加盟して
いないソビエト軍なので1人の将校が異常事態だと捕虜となった兵士の名前を
手帳にメモしていく。のちに遺品として遺族の手に戻るのが救いである。
将校と兵隊を分けてナチス・ドイツ軍とソビエト軍が無抵抗の
捕虜を処刑していく。武器を取り上げて聞き取り調査だと取り調べ室に
入れるが、その場で殺害してトラックで運び埋める。ソビエトがドイツ軍
が行った虐殺が実は、ソビエト軍の行った事だと知っていても言論統制され
ている。ベルリンの壁が崩壊した時まで続いた。
民主主義が基盤にない社会主義はナチスと同じ全体主義に陥りやすいと
感じた。パパは出張中みたいに暗い内容だが事実だけに観る者を引き付ける
スゴみがある。古い事件だがドキュメンタリーとニュース映画の要素を持ち
ながら現在に再現している。ワイダ監督は90歳だ。これがライフワーク
だと感じる映画だった。

2010年 5月18日

 映画『火天の城』(2009年)田中光敏監督作品を観た。
「城づくりは国づくり」木造で吹き抜けの城を築城しようとする
信長に岡部又右衛門が火事になったら命に関わると意見するあたり
は、物づくりをする者として共感できた。当時の城のプレゼンの
しかたなのか大きな絵と模型も良く出来ていた。又右衛門の娘がもっと
幼い方が観客の目を引く感じがした。内容の良い映画であり製作費が
15億という大作なのに話題にもならないのは不思議である。
再評価される時代がくると良いと感じた。

2010年 5月17日

 映画『どですかでん』(1970年)黒澤明監督作品を観た。
公開年度からすると万国博覧会の年である。経済成長とは無縁の
貧民街に住む人達の暮らしぶりが描かれている。子供の遊びに電車や
汽車みたいに輪を持って走るものがあるが、電車の音が部屋にまで
聞こえる環境に住んでいる発達障害と思われる子供が家を出て電車の
運転のマネをして1日を潰して帰ってくる日常と、そこに暮らす人の
生活ぶりがスゴイ。部屋の中に描かれた膨大な電車の絵がガラスにも
貼られてステンドクラスみたいである。線路が近いため電車の音が
聞こえる。擬音をタイトルにした「どですかでん」とも聞こえた。
壊れて走らない黄色いシトロエンで暮らす父親と息子は、のんべえ横丁
の店から余りものを貰って食べている。父親は、理性的で教養があると
感じる内容の会話を子供にしている。一戸建ての家を持つのが
2人の夢だが建築学の会話を大人に話すみたいに子供に説明する。
それが実現できない状況なのは、お互い分かっている様子である。
「君はどう思う」と言う同意を求める夢想家の父に「うん そうだね」
と答えている。ローストビーフについての焼き加減など乞食になる前は
豊だったように思える。過去の描写は無い。観る者に転落を想像させる。
残り物をくれる時に火を通して食べるように言われている。
しかしシメサバを貰ってきて酢でシメているから焼くのはおかしいと
そのまま食べて当たってしまう。身体中の色が変わって歩けなくなり
衰弱して子供は死んでしまう。病院に行かないで絶食して直そうと素人
療法で切り抜けようとするが脱水症状になり後日、激痛を起こしたあたり
は大腸炎などの可能性もある。
私もスーパーの半額シールの付いたカツカレーを食べて食中毒の症状と
違うので安静にしていたら激痛に襲われて診療所から病院に救急車で
搬送された経験がある。食べてから3日目だった。そんな事を思い出した。
映画では子供は白い小さな骨壺に入れられ埋められる。近所の人も声を
かけるが病院に担ぎ込む人はいなかった。子供は「だいじょうぶだよ」
「すぐ治るよ」と心配している近所の人に礼儀正しく言うので、強引に
病院に連れていけない。貧しくなければ良い親子に見える所が辛い。
発達障害の学ちゃんは、ラストでも電車を操縦するマネを続けている。

最近のニュースで赤字の鉄道会社が電車の運転資格取得費用700万円を
自己負担してもらい電車を操縦したい人に操縦してもらう話題があった。
社会システムが複雑になり先が見えない(先が無い)時代に確実性を
求めると電車のダイヤだったりする。制服コスプレも近い感覚なのかも
知れない。アメリカのバイロットの給料がマクドナルドの店長より安い
時代である。アルバイトで生活費を稼いで好きなパイロットを続ける
状態では、乗客は不安である。高度経済成長期の日本では給料が
低い代わりに安定した仕事として公務員を選んだものである。
今は民営化されて公務員になるのは難しい。キャピタリズムも観たので
そちらで書こうと思う。

 日本テレビの長寿番組「ぶらり途中下車の旅」の取材の打診があった。
私の発明した飴に興味があるらしいが事業化していないのでムリだった。
造形綿菓子やプラモデルキャンディーのアイデアに興味を持ってくれた
ようである。とにかくホームページを読んでくれるだけで有りがたい。
プラモデルキャンディーで稼動する電車を作ることも出来るが番組の
為に作ると「ぶらり」じゃなくなってしまう。稼動部品を使う時は、
子供が飲み込まないような配慮も必要である。咽に詰まらせる危険を
無くすなど安全性の配慮も必要だ。でもピタコラスイッチみたいで
面白い映像になったと思う。どですかでん を観たら絶妙のタイミング
で話が来た。面白い店などを探している自分が面白そうだと思われて
いるのも笑える。ただ私は、写真を撮られるのもイヤなので作った作品
は見せても自分が見られるのは呼吸器の病気が治ってからにしたいもの
である。

2010年 5月16日

 映画『独立愚連隊(どくりつぐれんたい)』(1959年)岡本喜八監督作品を観た。
1人で戦場の取材をしている新聞記者が馬に乗ってあられる。独立九○小哨隊が
正式の隊の名前だが独立愚連隊と呼ばれている。しかし隊員はマジメである。
戦場で納得できない状態で戦死した兄の死の原因を調べるために隊を離れた
憲兵軍曹が主人公の正体で戦記物に推理物の面白さを加えた作品だった。
白黒映画である。兵隊やくざシリーズに似ているが知的面白さで勝負していた
と思われる。最近では、古い映画は、NHK衛星放送が放送し新しい映画は
WOWOが放送しているように感じるがアニメの質が高くなり全部を観るには
時間と体力が続かない。DVDを途中に休憩を入れて見るのが丁度良いのかも
知れない。

昨日からデザインフェスタが、はじまったがビックサイトに着いても歩行できない
状態なので今日は、安静にするしかない。
昔の映画館は入れ変えなしなので時間に遅れたら途中から観て最初から見て
観た所で劇場から出るなんてことが出来た。利便性が損なわれ制約が増えた
劇場経営のままで良いのか気になる。

2010年 5月15日

 映画『書道ガールズ 私たちの甲子園』(2010年)猪股隆一 監督作品を観た。
しかも封切り日なので新宿のバルト9で観れば舞台挨拶も観られるが混んでいる
場所が苦手なのでシネクイントで観てきた。映画以上に気になったのは、観客の
年齢層が高い。9割が50歳以上に見える。若い人は一組しかいない。
 書道パフォーマンスじたい5年前に始まったばかりの様である。
ライブドローイングの文字版と言えるが団体で絵を描いたりはしない。
共同制作は、1人で大きなことが出来ない若者の経済状態を感じる。
劇中でも文房具屋を、たたんで地方都市に転校していく部員がいたり
製紙工場の倒産と火災といった場面があり社会性を感じさせる映画で
あった。「マリと子犬の物語」は自衛隊のホームページに掲載される程に
広報効果のあった作品である。衣装持参で統率が取れている上にヘリコプター
まで提供してくれるのだから製作費の節約になる。「犬と猫と子供は殺すな」
というアメリカの映画出資者の希望を満たしているからワーナー出資で
作れた作品なのかも知れない。
 この作品の後に浜名湖の「書道ガールズ」が公開されるので楽しみである。
私の場合は、現代美術家として美術館に出入りする機会が多いので同じ会期に
書道展をやっているが見る気がしないし分からない。文字は、ロゴやシンボルマークを
レタリングでデザインするので大量に印刷されたり看板になることが前提にある。
服で説明するとオートクチュールの型止めとプレタポルテの違いのような
感じに例えれば良いのか分からない。書道パフォーマンスは動きがあって面白いのに
加えて形として残る上、作品製作コストも少なくて済みそうである。
昨年は、ココ・シャネルの人生をテーマにした映画が3本も公開されている。
様々な角度や視点から同じテーマを見ると楽しみも二倍以上になるだろう。

2010年 5月06日
LAWSON(ローソン)のLoppi GOODS

(ロッピーグッズカタログ5月号10ページ)に掲載
されました。掲載商品のトートバックとクッションカバーは
全国のローソンで購入可能です。
ゼブラーマン・ゼブラシティーの逆襲のグッズが
お近くのローソンで入手可能です。しかもフリーペーパー
は持ち帰って読むこともできます。
予約して近くのコンビニで買える商品です。
予約期間は5月31日までです。詳細はロッピーグッズカタログで
ご確認ください。         浅野琢也

2010年 5月04日

 スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル(SICF11)
の後半なので、見に行った。
 その前に、今年で20回になるグリーンバイブレーション展も見てこようと
思ったら搬入日だった。手元にあったシマウマ柄の紙で「Z」と大きく貼って
作品として出品してきた。しっかりゼブラーマンのオリジナルグッズのPRや
映画のPRもしておいた。何といっても会場が大倉山記念館のギャラリーで
あるから出来たことである。
「白黒つけるぜ」のロケの場所である。


2010年 5月01日

 映画『カイジ 〜人生逆転ゲーム〜』(2009年)佐藤東弥 監督作品を観た。
アニメの『逆境無頼カイジ Ultimate Survivor(ぎゃっきょうぶらい-)』が
2007年に放送されていたので観ていたので客船での勝負から地下の強制労働
の次に高層ビルの平均台の流れだったので以外だった。友人の保証人で負債を
抱えるわけだが、金利の過払い金請求でグレーゾーンが認められない今の時代に
以外な感じだった。ただし福本伸行の原作が作られた時代はバブル期である。
法律の改正で消費者金融が成り立たなくなっている事は忘れてフィクションと
して楽しむと良い。ヤミ金の帝王など福本伸行作品も法制度改正に影響があった
ような感じもする。安全な場所から楽しむ快感を得る環境は整ったといえる。
その部分を含めて楽しむと良い。地下の強制労働の貨幣が「ペリカ」というのが
笑える。主人公の自堕落な感じは、バブル期を背景に社会が上を目指していた
時代と違うため真面目な青年にしか見えない。
Vシネマで「ヤミ金の帝王」を作っていた中原俊監督が「櫻の園」の写真集の中で
今の時代について「バブル期を背景に社会が上を目指していた時代と違う」みたい
感じの事を語っていた。コンビニが郵便局の機能を持ちリストラ前のサラリーマン
以上のスキルを要求し能力が無ければオーナーですら切られる時代のフリーターの
主人公は、十分に優秀な感じがした。ラストの屋形船の天ぷらも良かった。

 スパイラル・インディペンデント・クリエーターズ・フェスティバル(SICF11)
の1日目ということもありスパイラルホールに行った。ブース方式の展示で限られた
スペースの中で作品を発表するのだがデザインフェスタやGEISAI で感じる作品の
小型化が気になった。展示のクォリティーも下がったような感じがしたがアート
イベントで見られない医療用の人工細胞で出来た指が観られた。後は、初出品に
加えてSCIFを観たことが無い出品者が多いのが以外だった。アートイベント
の常連が消えて世代交代した感じを受けた。以前は、岡本太郎現代芸術賞の受賞者
が会期のタイミングが合うためか出品していたが今回は、前半の平均レベルが
低い感じを受けた。会期は4日で2日で前半と後半で作品が入れ替わるので
デザインフェスタよりもゆっくり観られた。後半に期待したい。



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