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浅野琢也の雑記帳15 2010年07月〜07月31日

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成22年


2010年 7月31日

『ハンマーセッション!』の4話目を観た。ハンマーとトンカチ 志田未来さんの
「この とんちき野郎!」ってセリフは関係あるのかと気になった。
劇中使用の携帯電話の着信が「インチキ教師」になっていたり現場のスタッフの
アイデアや演出が効いている。写真の制服は、購入可能なので売れてくれると
デザインを担当した関係で嬉しい。TBS−iショップ「ハンマーセッション!」にリンク
   
月刊TVnave9月号      週刊ザ・テレビジョン(関西版)      月刊テレビファンTVfan 22ページ
テレビ番組のガイドブックが沢山、出版され紹介されていた。その中から特に制服の着用状態が
分かりやすい本を抜粋しました。2〜3ページの特集になっていました。

 ドラマや映画専用の制服をデザインする場合は、企画段階でタイトルも決まって
いない(仮)タイトルの物もある。マンガ原作ならマンガのイメージを活かし
たいが実写だからリアルを希望するみたいだ。既製品の定番にピッタリの制服が
あっても値段が高くメーカーも提供してくれない。イメージアップより
イメージダウンも想定して厳しい条件が付いてくる。条件を付けられない方法と
して工業製品として購入して使用する。
または、貸衣装で制作費を節約する。一番コストが抑えられるのは、実在の学校
に撮影協力してもらい生徒を映画に出すことで制服を着ている生徒が大勢いる
状態を作り上げることだ。メインキャストの人数分だけ制服を買えば済む。
オーダーの服の場合は、作るのに工賃のコストがかかった。既製品より高くなる
のが常識だったが大量生産の既製品より安く作ることを望まれる。
衣装も建物と同じセットとして例えれば良いのだろうか?前しか写さないから
後ろはいりません!なんて話しがありそうで無いので助かってはいる。
「おぼっちゃまくん」に出てくる貧保耐三(びんぼ たいぞう)になってしまう。
こんな事を考えるほど映像製作では衣装の予算は特にシビアになってきた。

2010年 7月25日

『裏窓』(1954年)アルフレッド・ヒッチコック監督作品を観た。この作品は、
パブリックドメインになっている。
カメラマンのジェフは、カーレースの写真を撮りに行き、片足(左)を骨折して
七週間のギブス生活をしている。外科に入院している患者さんは、内科と違い
元気な人がいる。怪我で動けないが身体は健康なので退屈する。そして窓から
外の景色を眺めてヒマを潰している。怪我が治れば紛争地域に写真を撮りに
行きたい様子である。窓から眺めるとメインストリートの裏側が中庭になっている。
アパートの住人達の生活の様子を観察している。昼は暑く夜は涼しい。今みたいに
エアコンは普及していない様子である。ギブスを付けて6週間目の水曜日の朝に
編集長から今日、ギブスが取れる日だと電話がある。カシミールに行く予定を
一週間間違えていたようだ。どんな写真を撮っているか部屋の中が映し出される。
きのこ雲の写真まである。ファッション写真がある。モデルのポートレートが
積み上げられている。アパートに近づくヘリコプターが映されている。
孫の手でギブスの隙間から痒い所を掻いている。訪問看護に看護師が来て清拭など
の世話をしながらヒマつぶしに部屋を覗く話をリーダースダイジェストの名言から
引用する。ジェフが掲載年月日を言う。
朝から喧嘩ばかりの中年夫婦の喧嘩が見える。花壇の水のやりかたでも夫はガミガミ
言われている。向かいに新婚の夫婦が引っ越してくる。
気が付くと夜だ。いきなりポートレィトの女性リサが部屋に入ってくる。1100ドルの
ドレスらしい。グレースケリーがオーガンジーのドレスを着ているが違和感はない。
銀のネーム入りタバコ入れを送ったと言ってから21というレストランのボーイを
入れてケータリングでディナーの準備をする。そしてスタジオを開いてファッション
フォトグラファーになって落ち着いたらどうかという話をする。カメラは、窓から
見わたせる部屋を写している。向かいの中年夫婦は、夫が夕食を作っている。
妻は、文句を言っているようだ。ダンサーの部屋では、ホームパーティーをして
男性が数人いる。1人暮らしの作曲家の部屋からメロディーが流れてくる。
食卓にエビが並びキャンドルとワインの食事の準備ができる。21というレストラン
のケータリングである。食後は、ジェフが過酷な撮影をするからリザのフアッション
じゃあ連れて歩けないと言い、リザはTPOはわきまえていると言い返す。
カバン一つで必要な服が無いとどうするとジェフが応酬してリザは帰ってしまう。
そして、車椅子の上でうたたねすると雨が降っている。セールスマンが朝の3時に
カバンに何かを入れて合羽を着て部屋を出たり入ったりしている。その日から
病気で寝ているセールスマンのラース・ソーウォルドの妻の姿が見えなくなった。
出かけた様子はない。ジェフは注意して彼の動静を観察し、妻を殺して死体を
トランクにつめ、どこかへ送ったものと確信した。3年間戦場で偵察機の機長で
警部の親友のドイルにも話すが証拠も無いし殺される所を観ていたわけでないから
捜査令状は取れない。笑いものになると諭す。リザは、コーヒーを入れてブランデー
を暖めながらドイルとジェフに渡す。黒のオーガンジーのドレスを着ている。
小ぶりのバックからシルクのネグリジェとスリッパ(同じ素材)からはみ出して
いる。泊まる気でいるのがわかる。ソーウォルドの送った荷物についてドイルが
調べては見るけど「わがままな納税者だ」とジョークを言う。戦争で機長のオレ
が下手な操縦していたら今の君は無かったと楽しかった戦争のホラ話でもしよう
かとジョークを言う。このことから偵察任務で大きな手柄を立てていることが
分かる。
トランクの中身も鍵がかかっておらず送り先の警察署が調べてドイルに電話が入る。
結果は婦人の衣類でソーウォルド夫人が荷受していったと報告が入る。
そして帰り際に、次に電話する時は、職業別電話帳にかけてくれと言う。
日本でいう110番のことらしい。
これで一件落着かとカーテンを閉めてリザと二人きりになったと思ったら悲鳴が
きこえる。ソーウォルドの花壇の前で子犬の首が折られて殺されていた。
ジェフ達は、二週間前の中庭の写真と今の写真を見くらべて庭の花が低くなっていて
不自然だと気づく。「犬は知りすぎていたから殺された。」というセリフが面白い。
そして翌日、リザは、エメラルドグリーのスーツに白い帽子で現れる。
ソーウォルドが妻の愛用のバックから宝石を出して見ていた話を聞いてリザは、
女性は、バックや宝石を置いて旅行に行かないから本当に殺人事件があったと
ジェフの話を信じるようになる。看護師のステラも結婚指輪は外さないと話を
信じる。そして「妻はどうした?」と手紙を書いてドアの隙間からリザが入れて
動けないジェフは、電話でホテルのバーに来れば教えてやるとソーウォールドを
外出させてステラとリザがスコップで花壇を調べる。リザがいきなりソードウェル
の部屋に窓から忍び込んで宝石を発見するがソードウェルと鉢合わせる。
ジェフは警察に電話してリザを不法侵入で逮捕させてソードウェルから守り保釈
させて結婚指輪のことで調べさせようとする。しかしソードウェルがジェフに気
づいて口封じしようと襲ってくる。
襲われるのを予感してストロボで目くらましして時間を稼いでいるが少しづつ
近づいてくる。そして窓から落とされるが下の警官たちが受け止めた。
なんか落ち方が「逃走経路」みたいだった。ヒッチコックの手法も使いたかった
ようである。
グリニッジビレッジからイーストリバーに死体を捨てたらしい。そして帽子入れ
から一部、発見したと言われる。友人のドイル警部もリザやスタラたちと駆けつ
けてくる。
そして、ジェフは右足も骨折して動けない状態が長くなってしまう。
周囲の住人にも変化がある。作曲家は、レコードになった自分の曲を聴いている。
ソードウェルの部屋は、リフォーム工事で内装屋が綺麗にしている。
リザはジェフの部屋に紺のパンツに赤いシャツにモカシンで横になって「アルプスを
越えて」という冒険本を読んでいる。次にバザー誌を読み出してENDとなる。
小物や背景で同じような生活をしている中庭から見える人たちの生活の変化を
見せている。ミス・ロンリーのディオールの服とリザのディオールの服では、
似合う年齢が違う。リザの服がドレッシーな服からスポーティーな服に変わって
いくのも面白い。ビーパルとヴァンサンカンを交互に見てるような感じもいい。

ヒッチコックは原作者に映画の招待状を送っていないらしい。なぜだろう?原作を
変えすぎたのか想像するのも楽しい。私書箱を使って文通している男女がいる。
 お互い匿名である。そして男は妻の悪口を書き、女は夫の悪口を書く。見知らぬ
二人は、お互いの配偶者を殺して一緒になろうとする。気の会う文通の相手が目の前
の憎い妻だと知らず夫の殺し方を教えたりするストーリの作品と、ごちゃまぜに記憶
していたようである。ネット社会になって捨てアドレスでお互い匿名でメールの
やりとりしていると起こりそうなストーリーだが事件になれば元のアドレスを警察が
割り出せるから、あまり匿名性は無いから起こらないようだ。

2010年 7月24日

『市民ケーン』(1941年)オーソン・ウェルズ監督作品を観た。26歳の時に監督した
作品だというから驚きである。ザナドゥ(桃源郷)パレスと呼ばれている屋敷で1人の
元・新聞王のチャールズ・フォスター・ケーンが1941年に亡くなった所から物語は始まる。
そして手に握られていたスノーグラスが転がり階段の所で割れる。看護師が最後につぶやいた
言葉「バラのつぼみ」を覚えていたようである。
生前の功績やスキャンダルは国中が周知している程の大物の死である。ニュース映画のマーチ
の映像が流れてケーンの生前の功績と共にニュースを試写している。70年の人生を一本の
ニュース映画にまとめるには切り口をいったい彼が何者だったのかを
ニュースにしたいと取材方針を決める。死にぎわの「薔薇のつぼみ」の言葉の意味について
調べようとケーンと関係のあった人物やケーンの元後見人サッチャーが未出版の保存している
ケーンの事を書いた原稿をサッチャー図書館で調べたりする。
財界にはコミュニストと言われ労働組合からはファシストと呼ばれてる二面性がある。
インクワイアラー紙の元社主ケーンが何をしたかかは皆知っている。
幼少期に両親は、雪深い田舎で下宿屋を営んでいた。裕福とは言えないが父と母とケーンの
3人で暮らしていた。家賃を滞納した青年が山の所有権を母親に譲渡していた。
両親の金鉱から金脈が発見されて世界で六番目の富豪となる。母親は、息子に上流階級の人間
になってほしいと願い後見人にケーンを任せて隠居してしまう。後見人が来たときに使っていた
ソリを盾に抵抗するが父親が言うことを聞かないとムチで叩くと言い母親が、だから手放すと
いう。ソリには「バラのつぼみ」が描かれている。そして後から行くと言って子供を後見人に
預ける。25歳になって後見人から自由になったケーンは、世界中の名門大学を放校処分に
なっている。上流だが貧しい友人だけが唯一の側近である。そして、新聞社インクワイアラーを
買い世界第6位という財力で買い取る。
その時に、編集宣言として、いかなる権力にも加担せずみたいな名文を載せる。
強引な経営方針と暴露と煽動という経営手段で通信社やラジオ局と事業を拡大していく。
ただし、経営は年間100万ドルの赤字である。資産があるから60年経営できると言う
ケーンのセリフがある。キューバからの投稿で戦争が起こるような事は無いと送られて来る。
返信に「君は詩を書き、私は戦争を起こす。」というセリフが長い年月で「君は戦争を起こせ・
私は新聞を売る」みたいに変化して覚えられたりしている。スペインとの戦争を煽ってパナマ運河を
造ったらしい。後は、劇評家を大切にしているあたりは、オーソンウェルズが舞台から映画も
始めて劇団運営で苦労していた時代と重なるからなのかも知れない。新聞と言えばニュースが
優先されるハズなので以外な感じを受けた。まあモールス信号の音を出す電波塔の映像から
始まる映画なので細かいことは気にしなければ良いのかも知れない。
 最初は大統領の姪エミリーと結婚して一児を授かる。しかし街で出会ったオペラ歌手を夢見る
女性スーザンとの不倫関係が発覚し妻と子は、去っていく。ケーンが州知事選に立候補した時に
対立候補ゲティスがスキャンダルとして妻に知らせた。しかもライバルに新聞紙上で暴露され
形勢を逆転される。リーランドは苦言を呈してシカゴ支局に行ってしまう。
離婚、落選という挫折に加えて妻と息子は、すぐに事故死する。ケーンは狂ったように
スーザンに全てを集中する。スーザンの素質も考えずシカゴに巨大なオペラ劇場まで建てる。
自分の新聞で酷評したリーランドを首にしする直前に自らタイプライターを泣きながら打つ
ケーンの姿と、リーランドから送られた編集宣言をケーンは、破り捨ててしまう。
「弊社は、全真実を素早く平易に楽しく伝える。
いかなる権力にも加担しない。
市民および人間としての権利の為に私は戦う。」
ケーンと財務担当のバーンスティンとリーランドの3人で初めて出した朝刊に載せた原稿で
あった。結局スーザンは重圧から自殺未遂を起こしケーンの元から離れてアルコール中毒状態で
劇場跡のナイトクラブを経営して暮らしている。
サナドゥ・パレスはやたら彫刻を買って膨大な数を収蔵していた。美術館10館分になるらしい。
世界中の生き物が集められノアの箱舟のようだと例えられている。
ザナドゥには、スーザンのパズルが残っていた。回想場面でスーザンがパズルをしている姿が
アンデルセン童話の雪の女王の城でパズルをする少年カイのようにみえた。
この映画は、青年から老人まで演じている。白黒だから特殊メイクの
粗が見えないのかも知れない。ヨーロッパ旅行から戻るとヒゲを付けていたりフロリダのザナドゥ
パレスに隠居するあたりは、髪を剃っていたためか老人のはずが実際の26歳という年齢に近くみえた。
1929年に破産しても個人資産は失わなかったようである。
ようである。新聞事業を手放してフロリダに巨大な城を維持していた。
そして美術品とオモチャが、まとまって置かれているようなザナドゥのガラクタの中に
「バラのつぼみ」のソリがあったが暖炉で燃えていく様子を映して真相は、分からずと
いう終わり方だった。まず埃が燃えて文字と柄が浮かびあがりそして消えていく。
立ち入り禁止の屋敷の煙突から上がる煙の演出もなかなかだった。
ケーン自身が自力で勝ち取ったものが無い。ゼロら作り上げたものが無いため価値観が変わって
しまうようである。愛に対しても幼少期に母親の元を離れ親の愛を与えられていない。
それを象徴するのが石造彫刻の大量所有なのだろう。エンディングで映画初出演の役者を紹介して
いるあたりは、劇団でベテランの舞台役者が映画に出てくれたことへの感謝のように見えた。

私が思うに、愛とは植物の成長に合わせて水を与えることに似ている。
与えすぎると根ぐされする。与えないと枯れてしまう。人生に花が咲く時期も
あれば実のなる時期もある。花が咲きすぎると実は小さい。適度の花なら実のり
多い。「ばらのつぼみ」の意味する所なのかも知れない。

2010年 7月22日                     トップページ

『パーシー・ジャクソンとオリンポスの神々』(2010年)クリス・コロンバス監督作品を観た。
ホーム・アローンやハリー・ポッターの監督なので期待して観てしまった。ストーリーや
世界観は、ギリシャ神話がベースとなっている。ギリシャ神話の神々が人間と交わり子供を
作るらしい。デミゴットという半神半人が生まれる。魔法使いが大勢出てくるハリーポッター
みたいにデミゴットが大勢いる養成所に入って仲間と協力して盗まれた稲妻を取り戻す冒険話
だった。テネシー州ナッシュビルにあるパルテノン神殿・ラスベガス・ハリウッド・ニュヨークと
アメリカを横断して三つの真珠のありかを見つけてオリンポスに届けるまでの話だった。
協力者だと思っていたルークが犯人だったのが以外だった。最後の冷蔵庫に入れたメデューサの首
が以外だった。制作費をかけられるハリーポッターと比較してしまうと物足りないかも知れない。
デミゴットが大勢いて原作がシリーズ化されているので続編がありそうだ。
ストーリーが分かりやすいのに加えてゼウス・エクス・キネマを感じてしまう。

2010年 7月20日

『狼王 ロボ』(1962年)ウォルト・ディズニーの映画を観た。記録映画になるのだろう。
アーネスト・トンプソン・シートンが原作の作品である。映画では、ロボの妻は白い狼が
黒い狼になっていた。ナレーションが大半を占めていてストーリーのある記録映画を
当時、可能な技術で撮影したと思える作品だった。画家でもあるシートンは、フランスの
サロンに狼の絵を出品して物議をかもし出したこともある。狼の生態は、夫婦は一生添い
遂げる。家族を大切にする。我々人間とどちらが凶暴で冷酷なのかナレーションを聞いて
いると考えらせられた。映画として観るとロボの生い立ちから罠で捕らえられた妻を助け
出す所までであった。
原作の感動的な描写が無いのが物足りなかった。アニメ化したら面白いが子供に見せると
家庭環境が悪い子供は、自分の親が狼以下に見えてしまい子供が親を尊敬しなくなりそうな
気がした。浮気だ離婚だと家族バラバラになれるほど野生の世界で生きるための掟は甘く
ない。それがストイックで気高くみえるのかも知れない。

2010年 7月19日

『ムーンウォーカー』(Moonwalker)(1988年)ミュージカル映画 ジェリー・クレイマー
とコリン・シルバース監督作品といっても主役のマイケル・ジャクソンとフランク・ディレオ
が製作総指揮である。つまりマイケル・ジャクソンが幹事会社の権限を持っている作品である。
前半はジャクソンのミュージックビデオやライヴパフォーマンスの映像でドキュメンタリー
みたいなミュージカルだ。「借りぐらしのアリエッティー」の少年が心臓の手術を受ける
までに古い館での休養の時間に起こる物語だったので、『ベン』という心臓病の手術をした
少年がネズミと友達になる話を、思い出した。その映画のテーマ曲が澄んだ歌声で記憶に
残っているが、マイケル・ジャクソンが少年時代に歌っていたことをムーンウォーカーで
知ることができた。後半はジャクソンが子供たちを麻薬漬けにしようと企むフランキー・
リデオ(現表記ではミスター・ビッグ)から子供たちを救うための戦うミュージカルに
なっている。マイケル・ジャクソンが色々と変身して最後は、巨大ロボットになるあたり
子供達に夢を与えている。『スピード・デーモン』『リーヴ・ミー・アローン』
『スムーズ・クリミナル』の42分バージョンのミュージックビデオと『マン・イン・ザ・ミラー』
『カム・トゥゲザー』のライヴ映像が登場しているらしい。『スリラー』も入っていた。

 私は、自分で走ることが出来ないため映画を観ることが多いが部活物の映画は、体育会系も
文化部系も健康で格闘技でも出来るぐらいの体力や精神力が必要にみえる。
 何かを成し遂げようとすると老後の生活どころか短命を選んで死ぬ気で目標に向かっていかない
とダメなのかも知れないと思ってしまう。チェーホフの作品に「生きているのか死んでいるのか
分からない人間が多い」という1節がある。そういう人間に限ってムダに長生きして治療を受け
に来るので作品に自分の想いを込めたのだろう。医者は、理不尽に死んでいく患者を診なければ
ならない。そんな気になっても、おかしくはない。オリンピック選手や歌手や役者が短命なのは
残念としか言いようがない。身体の苦痛を抑えるのに副作用の強い処方を受ける生活だったらしい。
マイケル・ジャクソンは幼いころから働いてきたと言える。芸能活動は長い。昔の映画を見ても
色あせていなかった。


2010年 7月18日

『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)米林宏昌監督作品を観た。宮崎駿の脚本
なのでジブリでも若手監督の育成に力を入れだしたように見える。
「借りぐらし」って何だろうと思ったら砂糖やティッシュペーパーなどの消耗品を
人間に見つからないように取ってくることだった。クレジットカードで生活のやりくり
をしているのとは違う。物語は、ベンツに乗せられた少年が祖母の古い洋館で心臓手術
のために休養にやってくる所から始まる。そしてネコやカラスが騒いでいるので目を
向ける。なんと小人の少女を見る。翔という少年は、興味を持つが驚かない。
少年の両親は、離婚してしまい祖母とお手伝いさんの屋敷に子供を預けて海外に仕事に
行っている。アリエッティーは父ホッド・母ホミリーの3人で床の下に部屋を作り
ひっそりと暮らしている。人間に見られると小人は捕まえられて見世物にされる。
アリエッティーも14歳になり父と人間の住んでいる部屋に「借り」に動向する。
しかし角砂糖とティッシュペーパーを借りに行きティッシュペーパーの所で少年に
見られてしまい角砂糖を落として収穫なしで部屋に戻る。
(なんだかアンネの日記みたいに隠れ住んでいるな〜と感じる。)
翌日、翔少年が床の下に通じる通風孔の前に角砂糖と手紙を置くがアリエッティは
放置する。蟻たちが砂糖を運んでいく。父ホッドは、次の引越し先を探して歩き回り
同族のスピラー少年に助けられて帰ってくる。アリエッティーは家族以外の仲間を
知らない。そして父の足が治ると旅立つための準備をする。
しかし事情を知らない少年翔は、アリエッティーたちの床下を見つけてドールハウスの
台所を使わせようと天井を外して取り替えてしまう。小人の国のガリバーみたいである。
それに気づいたお手伝いのハルさんは、母ホミリーを捕まえてピンに入れてしまう。
アリエッティーがマチバリの剣でラップを破り助け出す。そして家族3人で持てるだけの
家財道具を持ち引っ越すために歩く。まるで故郷を追われる難民だ。途中で少年、翔と話
をする。絶滅していく種族の話だ。そしてスピラー少年と合流してヤカンの船で川を下り
話も終わる。この先のアリエッティー家族の行き先や翔の心臓手術のことは分からない。
見所としては、アリエッティーが「借り」に行くときに目立つ色の服を選んだあたりは
少女なんだと感じる。後は、糸巻きやミシンのボビンを使って作ったエレベーターなどの
メカはスタジオ・ジブリらしい。「天空の城ラピュタ」はガリバー旅行記に登場する城だ。
インターネットのヤフーすらガリバー旅行記から命名されている。
借りぐらしのアリエッティの原作は、メアリー・ノートンの「床下の小人たち」である。
イギリス製のドールハウスを作らせて四代受け継がせるあたりは由緒ある家柄なのだろう。
しかし翔の病気で家柄が途絶えることを示唆しているようでもある。
パジャマにカデーディガンを羽織って庭から出ない翔の屋敷の周りは高層ビルが立っている。
宅急便の配達の人にお手伝いのハルさんは、ネズミの駆除業者を教えてもらう。
 実際にヤマト運輸のドライバーは親切である。ヤフーオークションで佐川急便を使うぐらい
なら定形外の方が壊れないで届くぐらいだ。最近は、赤帽が配達してくるが不在票を放り
込んでさっさと行ってしまう。留守にしていないのに再配達の手続きをしたことを思い出した。

 現在、放送中の「ハンマーセッション!」のヒロイン志田未来さんがアリエッティ役である。
自分のデザインした制服を着てくれているから毎週録画している。

2010年 7月17日

『狼は天使の匂い』(1972年) ルネ・クレマン監督作品を観た。音楽はフランシス・レイ
である。引っ越してきた町で母親に友達を作りなさいと言われビー玉遊びの相手を探しに
細い石の階段を上ると二つのグループがあった。小さなナイフでビー玉の網を切られて
階段を転がり落ちるビー玉のシーンがあった。
大人になって電車から降りると事故で死なせた仲間が待ち伏せていた。旅行カバンを諦めて
身体1つで逃げるトニー(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、撃たれてエスカレーター
で息絶えた警備員からサイフと金を、やるからもって行けと言われる。
そして車に乗せられ強盗団のアジトに連れていかれる。途中でペッパーの兄を車から放り出して
ゲガが元で死なせてしまう。命を狙われているのでチャーリーのアジトに隠れて仕事を手伝う。
強盗団のリーダー、チャーリー(ロバート・ライアン)は、フロッギーという名前をつけて
トニーを仲間にする。追われて隠れ家もないことでトニーが裏切らないと見抜いている。
タバコを三本立てる博打は、印象的だ。そして盗み出すブツは裁判の証人の人間だが死亡して
いる。音楽会の隣のビルが病院だった。〔この時の小道具が良い。名札を付けて厨房を通り抜け
ビルの駐車場の壁を破って移動する時に顔を隠すマスクは、現在、薬局で売っているタック入り
である。流石フランスだ。1972年に、現代のデザインのマスクがあった
んだ!と感心した。〕
ビルの上には消防車が用意してある。その梯子でガラスを切って侵入する。
そして遺留品を奪い取引き現場で報酬を受け取る。そこで銃撃戦となりチャーリーは、
致命傷を受ける。ここで仲間のリッツィオ(ジャン・ガヴァン)とマットーネ(アルド・レイ)
は死んでしまう。シュガー(レア・マッセリ)は、盗み出す証人の女性に変装して死んでしまう。
最後に本名を名乗りトニーと若く可憐なペッパー(ティサ・ファロー)に金を持って逃げろと促す。
船で警察、橋にはトニーの敵がいる。ペッパーとトニーは車で逃げるが途中でトニーは
ナイフでケガをする。そしてペッパーに先に行ってくれ。空港に後で行くとケガを隠して
逃がす。自分はチャーリーの元に戻り一緒に敵と戦う。アジトは、橋と船でしか行けない
島にある。チャーリーとトニーはお互い死ぬと分かっている。
チャーリーは、ベビーベットに思い出の品を入れている。
「なぜ戻った」「ビー玉のためさ」二人で看板を的にして当たったらビー玉二個をかけて
銃を撃つ。看板の下に笑っている猫の絵が現れる。フレンチ・ノワールのユーモアと皮肉
を感じた。本名も知らないで何年も協力しあった強盗団の最後だった。

2010年 7月16日

『殺したいほどアイ・ラブ・ユー』(1990年)ローレンス・カスダン監督作品を観た。
いきなり懺悔室の場面で始まるが浮気の告白とセックスの回数の話から絶倫のイタリア人
だとわかる。ピザ屋のジョーイは、1日15時間も働いて寝るのが2〜3時間とタフな男である。
女に誘われるとSEXまでしてしまう。浮気と言うよりスポーツに近い感じまで受ける。
別に女にたかられたり貢いだりという関係ではないようだ。家には長年連れ添っている
妻のロザリーとロザリーの母ナージャが住んでいる。水道管修理に行くと浮気するのが
日々の日課。ロザリーへの愛がないわけではない。浮気しはしても誘われた女性への
サービスみたい感じで離婚も考えていない。女性達もセックスフレンドとして割り切って
いるようだ。しかしロザリーは夫の浮気現場を目撃してしまう。「ジョーイはホルモンが余っている。」
とウソも言い訳もしない。
一途に愛してきた夫の裏切りに混乱するロザリーに、母親のナージャは夫の殺害を提案する。
子供もいて家庭に働いた金を入れていて良き夫である。子供が描いたビザの絵が厨房に張られて
いるところから良い父でもある。店の常連の刑事にも愛想が良い。二人の子供達も店に食事に
来る。ジョーイを殺すため、ジョーイを憎くて殺そうとしている訳ではない。綺麗に死なせたいと
車に細工したりするが感電死とか工夫するが上手くいかない。
ロザリーにひそかに好意を持つアルバイトのディーボと2人の殺し屋を雇う。この夫に睡眠薬
入りのスパケッティーを食べさせる。胃も丈夫である。スバゲティーの皿に顔を埋めて眠る
シーンや熟睡して頭に22口径の銃弾を受けても撃たれた事に気づいていない。
スマトケチャップなのか血なのか分からない所や睡眠薬を料理に入れてスパイスでごまかす
所など見ていて楽しい。調理している時にジョーイは、「戦場にかける橋」を観ている。
捕虜達は、日本軍に捕まり痩せている。ロザリーとナージャはトマトケチャップをふんだんに
使って睡眠薬を二瓶も入れてスパイスで薬の味がバレないようにしている。まるで魔女の鍋
みたいなのが対照的である。
 映画に料理は花を添える。「ゴットファーザー」の日曜日にファミリーでパスタを食べるシーン
なんて象徴的である。ディズニーアニメの「子犬物語」のミートボール入りスパゲティーをデートで
食べる犬のシーンもスパゲティーを印象的に使った好きな場面である。
そして胸にも一発撃たれても本人は気づいていない。ロザリーの雇った男が警察に捕まって
警察が様子を見に来て本人はウィルス性の病気で寝ていると言っているが銃創を見つけて
病院に入院させる。ジョーイは人並外れた頑丈な体の持ち主で、殺しも失敗、睡眠薬を
丸2瓶入れたスパゲッティの効果で出血を抑えて助かったらしい。警察に母ナージャ含め殺害未遂に
関係した全員が逮捕、ジョーイも病院へと運ばれる。
昏睡から目覚め、ジョーイはロザリーの浮気されるぐらいなら殺してでも自分だけの夫にする
という純粋な愛を受け止め全員を釈放して和解した。子供達の母親だし刑務所に入れておけない。
コメディー映画だが実際の事件が元ネタである。
元気すぎて殺されかける救いようのある映画だった。病気を苦に介護に疲れたとか遺産や遺族年金
目当てに家庭が崩壊していく現在と違ってジョーイと関係した女達も気持ちよいほどサラっと
しているのが気持ちよい作品だった。まるでテニスとかの健全なスポーツ仲間みたいノリが
良かった。病気で余命短い老人の遺族年金目当てに死んだ跡の事をやってあげると夫婦として
生活実態も無いのに戸籍に妻と入れらせると老人の死後に共済年金は遺族として書類審査だけで
遺族年金を払い続けてくれる。年金一元化の時に仕分けしてほしいものである。

2010年 7月14日

 『ふたり』(1991年)大林宣彦監督作品を観た。「新・尾道三部作」の第1作で
赤川次郎の同名の小説が原作である。尾道は何だか事故が多いように感じて
しまう。実加が中学2年の時、姉の千津子が高校3年の時に坂の多い地形で
トラックに挟まれて死んでしまう。圧死だが話しをする時間がある最後だった。
そして死んだ姉が現れて美加に助言をしてくれる。女子中学から女子高の演劇部
へと姉が歩んだコースへと進んでいく。死んだ人間を劇中に登場させる演出に
靴を履いたままの姿で登場させている。ブラウスの袖のボタンが取れかかった
ままである。圧死でも実際には血が出ているハズだが服は、死ぬ寸前に来ていた
女子高の制服のままである。ストラップシューズにソックスが三つ折で薄いグレー
とベージュの中間色みたいなベストとセミロングのフレアスカートに巨大なリボンが
姉の制服である。制服コーディネートで良く揃えられたと関心する。
靴がローファーだとフェミニンなフレアスカートだと違和感が出てしまう。
美加の制服は、中学の時は、チエックのスカートに紺のカーディガンに紺の
ジャケット。中には白いブラウスかポロシャツでリボンやタイは無い。
校章と学年とクラスのバッチを付けている。学校の近くに指定のバッチとかを
扱う文房具屋があったが現在は激減している。
旅館の娘で中学からの親友の父の死。美加のラブレターをからかった同級生の
家庭の心中騒動にレイプ未遂など実加の周りでは様々な事件が起こる。
姉の死後、ピアノの発表会で演奏したり青春しているのを眺めているのは心地よい。
登場人物の品の良い言葉使いが透明感と涼しげで儚げな空気を作り出している。
美加は中学を卒業して姉と同じ高校に進学する。そして同じ制服を着る。
姉がやる予定だった演劇部のミュージカルの役に抜擢されるが台本に血糊が付けられ
るイヤがらせを受ける。とどめに姉の事故死でノイローゼになった母の所に演劇部の
役を取られた生徒から美加が事故にあったと嘘の電話までかけられ母親はショックで
入院していまう。そんな時に北海道の小樽に単身赴任していく父親。
美加は役を降りて演劇部の裏方に回って花吹雪を降らせる係りになる。
そして死んだ姉と、この場所は全てが見える私の居場所だと話す。舞台が終わり
演劇部の集合写真の撮影に呼ばれるが主役の子が母親に電話したのは自分だと告白
して美加は、平手打ちして去っていく。実加が姉の年齢に近づいたとき、父の
浮気が発覚する。そして父の小樽の恋人まで訪ねてくる。そして父の後ろで
ペーパーナイフを振り上げる美加の姿が首切り役人みたいに見える。この事に誰も
気づかない。タマに映される壁にかけられた操り人形が意味ありげである。
姉の三回忌を終えて父が赴任地に戻り母は病院に戻る。そして姉も鏡の中から出られなく
なる。1990年の「櫻の園」に近い雰囲気だが独特の感じがする。ハリーポッターシリーズ
にも願望を映す鏡が出てきて死んだ両親と話す場面があり言葉や国が変わっても人間の
願いや希望って変わらないと感じた。グミ・チョコレート・パインでも病気を苦に自殺した
高校の同級生の霊が出てくる場面がある。大林宣彦監督作品から影響を受けている若手監督
が多い。ただバブルの時代は、1997年に亡くなった伊丹十三監督やジブリ作品が
脚光を浴びていたので目立たなかったように感じた。
『ふたり』の主題歌「草の想い」と『紅の豚』の「マルコとジーナのテーマ」とそっくりのメロディー
である。

 呼吸器系疾患は管理が難しい。体調が悪が予約した歯医者に頑張って通院した。
歯の根が解けているとかで現状維持で悪化しないようにしている。
体調が悪いので内科に通い点滴を打って呼吸を安定させる。整形外科にも通いたかったが
体力を使い果たしてしまう。酸素を吸いながら安静を保ちビデオなので二回に分けて見る。

2010年 7月11日

 参議院選挙だった。投票には夕方行ったら雨が降り出した。選挙に
その都度、通えども裏切られてばかりで期待したり希望を託すなんて
気分にはられない。義務を果たすために行く。一票の価値が地方と都市
では違う。民主主義はバランスが取れないと天秤秤のごとく公平さを保て
ない。

 私のサイトにアフリェイトは一切置いていない。その割りに広告が増えてきた。
広告といっても私が関わって商品化してもらった物の紹介である。
美術などの場合は、作品。商品化を想定して作った物は製品。市場に出して
販売している物は商品である。デザインの段階でコストを抑える構造にして
かなり、お買い得になるようにプランニングしている。物が売れない時代に
加えてスポンサーが激減している時代だけにグッズやコンセッションでの
ポップコーンやジュースの売り上げも映画を支えている。劇場の収入の四割が
コンセッション(売店)の売り上げらしい。なかなか映画館に足を運ぶのが大変
だが手軽に座って楽しめる娯楽である。DVDやテレビならベットで横になって
楽しめる。とは言ってもアニメに慣れてしまい15分に1回の休憩がほしいと
思うこともある。若い頃に理解出来なかった事が半世紀近く生きると、やっと
分かることもある。NHKのBSなどで古い映画を見直したり図書館で画質は
良くないがビデオを借りて観たりして感想を書いている。

 『ティム・バートンのコープスブライド』(2005年)ティム・バートン&
マイク・ジョンソン監督作品を観た。ストップモーション・アニメーション
で3DのCG作品だった。没落貴族のエバーグロット夫妻の娘ヴィクトリアと
事業家(魚屋)ヴァン・ドート夫妻の息子ヴィクターの結婚までの話である。
お互いの両親が決めた結婚だが二人は会って惹かれあう。結婚式で近いの言葉
を覚えられず牧師が明日、やり直しだと中止になってしまう。
カトリックだと神父でプロテスタントだと牧師と呼ぶので宗派の識別に覚えて
おくと良い。
結婚は墓場だというが、暗い森で結婚式の近いの練習をしているとき指輪を木の
枝と間違えて骸骨にはめてしまう。コープス・ブライド(死体の花嫁)の
指だった。それで結婚したとヴィクターは死者の世界に連れて行かれる。
結婚の誓いは、「死が二人を分かつまで」なので死者が式を上げるのに地上に
現れる。死者が先祖だったので叱りはするが悪霊とかでは無い。
そしてバーキス・ビターン卿という結婚した相手を殺害して遺産を自分の物に
する極悪人に殺された死体も地上に現れて剣で戦う。
そしてハッピーエンドで終わる。今年は、アリス・イン・ワンダーランドが
興行収益1位だった。モーリス・メーテルリンクの『青い鳥』(1976年)に
アメリカとソビエトの合作でエリザベス・テーラーが何役もこなしジェーン・
フォンダが出いてた実写を現代の3Dでリメイクすると面白そうである。

2010年 7月10日

 ドラマ「ハンマーセッション!」がスタートした。原作を熟読しては
いるが、一回目からハピスラを出したのは以外だった。日本の連続ドラマ
で制服も日本製である。ヒットしてほしいと願うばかりだ。
志水もこみちさんと志田未来さんが出いるドラマだ。志田未来さんは今月公開
の「借りくらしのアリエッティー」(ジブリ)の主役のアリエッティー役でもある。

ファッションデザインコンテストに出品して受賞しても経歴が増えるだけで
収益に結びつかない。その為、コンテストに出品する意欲やモチベーションが
下がっているようだ。自分でデザインしてランウェイに作品を出すにもコストが
かかる。学生が券を売るのも大変である。親が娘の作品を観に来ない時代
になってきた。映画だと興味を持たない学生が多いがドラマは連続して続く
ので話のネタになる。ハンマーセッション!の制服デザインの話をしたら
モチベーションが上がってコンテストにチャレンジしようと言う事になった。
リアル社会で授業に役立ったようである。デザイン画の段階で審査料が
必要な時代なのも影響している。ファッションの世界はショービジネスと
違うが広告費を出してくれるスポンサーが減っているのが響いている。
昔は、サロン形式のショーとプラットホームを歩く形式と呼んでいたが
エプロンとかランウェイに呼び名が変わった。航空業界の呼び名で飛行機に
乗り込むのに搭乗口から飛行機に付けるタラップの代わりがエプロンで
滑走路がランウェイである。鳥人間コンテストでは無いしモデルさんが
飛んだりしないので安心してほしい。当然、墜落も無いからオチも無い
話である。

 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)庵野秀明監督作品を観た。
テレビアニメが終わってから劇場版アニメ映画が作られて四作品目である。
踊る大捜査線やトリックも連続ドラマが終わってから劇場版映画が定期的
に作られて人気がある。いっそ「水戸黄門」の劇場版や「暴れん妨将軍」の
劇場版を作れば年金暮らしでヒマを持て余している老人が見てくれるのは
間違いない。映画館で映画を観られる年齢層を分析すると学生は、「中学生」
高校生になると昔は、アルバイトは学校の許可が必要だったが親が学費を滞納
して本人がアルバイトで働いて払う時代である。映画どころで無いだろう。
子供の貧困は、一般教養を身に着ける機会まで奪っている。私の世代は映画が
人生勉強に役立った。とりわけコミニュケーションや研究心や向上心に加えて
感情移入して映画を観る力は、相手の立場になって考える力にも役立つ。
そして様々な立場や角度から観るこでメディアリテラシーが出来る。

 前置きが長くなったが、この作品では「碇シンジ」が明るくなっていた。
そして自分の殻に閉じこもるATフィールドを仲間を守る(助け出す)ために
使う場面が良かった。CG処理の技術アップで敵のATフィールドを破る場面
は、シャボン玉が何層にも重なったような色で弾力性も感じる出来だった。
国同士の争いや戦争が無くなっても平和はない。敵は病気や貧困だったり自分の
感情だったりする。この映画を観るたび考えさせられる。
ダミーシステムが不具合を起こすあたりとアンビリカルケーブルからエネルギー
供給が断たれても「碇シンジ」の精神力で急に力強く戦う場面は、精神力により
エバのポテンシャル(潜在能力)も目覚める、お約束のパターンだが久しぶりに
観ると思い出せる。使途との戦闘シーンは、初めてみたときの大きな物体が
小さな虫のように動く驚きは感じなかった。一度しか観ないと感想もこんな
程度になる程、理解しづらいのだけは相変わらずだった。


2010年 7月 9日

 映画『逃走迷路』(1942年)白黒 アルフレッド・ヒッチコック監督作品を観た。
プロペラの戦闘機工場の昼休みに大勢の工員が食堂に向かう。別の従業員と
ぶつかり手紙の束を落とす。拾って渡すと急いで立ち去る。床に100ドル札が
落ちているのに気づき食堂に渡しにいく。するといきなりアメリカの飛行機工場が
火災で爆破する。ケインは、手紙のあて先がフライだと覚えている。事情を簡単に
聞かれた青年ケインは、相棒が焼死してしまい親に報告にいく。その間に
爆破テロの犯人にされてしまう。トラックにヒッチハイクして手紙の農場に
行くと別の名前の人物が住んでいる。しかし工場で見た手紙が届いているのを発見する。
そして警察に突き出される。手錠のまま橋から川に飛び込み逃げ込んだ家の主人は、
視力障害で目が見えない。娘のパトリシアに逃走をさせようと運転させるが
パトリシアは警察に突き出そうとする。バリーは車のファンで手錠を切って
パトリシアを連れて逃げる。途中でサーカスの一座のトラックにヒッチハイクする。
二人は、バリーが犯人でないと思いはじめる。空き家で無線装置や望遠鏡を発見する。
スパイの隠れ家だった。ダムを爆破して軍需工場の生産を止め市民生活に混乱を与える
予定らしいが、見つかったことで中止になる。その時にパトリシアだけ逃がす。
そしてスパイの幹部のいるカリフォルニアからニューョークに連れて行かれる。
警察に行ったハズのパトリシアがニューョークの名士でチャリティーパーティーを行う
婦人の屋敷に軟禁されている。ナチスのスパイだと思われるが劇中では、語られていない。
末端の警察やパーティーの客の中にスパイが紛れている。パトリシアは屋敷からホテルに
移され軟禁される。高いビルの一室である。口紅で紙に助けてほしい窓が点滅している
部屋にいる。と書いて窓から外に飛ばす。
バリーは、戦艦アラスカの進水式の爆破テロを知り阻止しようと港にいく。フライを
みつけて起爆装置のボタンを押させないようにもみあう。しかし戦艦は横転する。
そしてスパイ達は、バラバラに逃げるがFBIに捕まる。
そしてフライは、自由の女神の中に観光客に紛れて隠れるがバリーとパトリシアに
見つかる。周囲を警官隊に囲まれ一番高い火を持っている手でもみ合い足を滑らせる。
バリーは背広の袖を握って助けようとするが袖下から破れだす。警察も上って来て
ロープを探している間にフライの袖が取れて地面に落下する。そしてFINE
なんだがRPGゲームのラスボスを倒すとエンディングが無いみたい感じがした。
ヒッチコックのシンプルな終わり方が印象的だった。

2010年 7月 8日

 映画『荒野の用心棒』(1964年)セルジオ・レオーネ監督作品を観た。
黒澤明監督の「用心棒」の西部劇版だが無法者のロホ兄弟の武装集団と
保安官のバクスター家の二大勢力が、ニューメキシコの小さな町サン・ミゲル
の支配権で争う無法地帯でメキシコ軍との武器取引きの金を手に入れるという
ストーリーだった。メキシコ軍の兵士の死体を墓場に運んで隠れているように
見せかけたりして両方の抗争を煽っているようだ。
鉄道会社が土地を売れと言ってきたがどかなかった老人が出てきて電信技士を
やっている場面は、『夕日のガンマン』にも登場して再生を間違えたと思ったが
フィルムの使いまわしらしい。早撃ちの達人モンコ(クリント・イーストウッド)
と元将校の狙撃手ダグラス・モーティマー(リー・ヴァン・クリーフ)の二人の
賞金稼ぎが時に協力したり出し抜いたりしながら武装集団の頭のエル・インディオを
追い詰める。モーティマー大佐が賞金稼ぎになったのは、新婚の子供を殺された
敵討ちというオチだ。ラストで懐中時計のオルゴールが三台とも同じメロディーを
奏でるあたりは見ものだった。
『星空の用心棒』はジュリアーノ・ジェンマが出ていて星空が出てこない
と思ったがラストで保安官バッチが手裏剣みたいになって首に刺さる。
スタン・バンス監督の西部劇だった。当時は、かなり強引な邦題の付け方をして
いたようである。観る側は、似た作品が多いと、あらすじまで記憶の中で混乱して
しまう。外国人も時代劇を立て続けに観するとストーリーが混乱するのだろか?
そんな事を、考えた。

2010年 7月 7日

 今日は、七夕である。織物の上達を願う日である。デザインの上達や
オシャレになりますように・センスが良くなりますように・みたいな糸偏系
ビジネスの願いを短冊に書くと効果がありそうだ。

 映画『沈黙の戦艦』(1992年)アンドリュー・デイヴィス監督作品を観た。
体調が悪くて録画してあったので、やっと観た。戦艦ミズリーの副官がテロリスト
と組んで核兵器を盗んで売り飛ばそうとする。内部にテロの協力者がいると船員が
閉じ込められてしまうあたり軍隊の命令に服従するシステムが弱点になる。
元海軍特殊部隊「SEAL」の対テロ部隊の指揮官だった。ライバック兵曹は、過去に
ある作戦で部下が多数死傷し、当時の情報将校を殴打し降格処分になった時に
アダムス艦長に拾われて船のコック長をしているライバック兵曹。料理の腕が良いらしい。
厨房でブィヤベースを作っているが副官がナベにツバを入れるシーンがあったり
テロリストの潜水艦を艦砲射撃で沈めたりして船員はコック長(スティーヴン・セガール)
の活躍で解放される。艦長の誕生日のサプライズだとテロリストのヘリを招いたりするが
アダムス艦長は殺されてしまう。なんだか、ありきたりのストーリーだった。

 映画『ファイナル・カウントダウン』(1980年)ドン・テイラー監督作品を観た。
架空戦記物の原点みたい映画である。空母ミニッツがタイムスリップして第二次世界
大戦前のパールハーバー近くの海域に現れる。多少の戦闘があるがほぼ全員が現代に
戻れる。ヘリが照明弾で墜落して1人が過去に残る。空母から飛び立っている戦闘機
も金魚すくいのモナカに追いかけられるみたいに電磁波の輪をくぐる。
パールハーバーは歴史どおり日本軍に攻撃される。戦闘シーンが少なくて期待外れ
だった。
過去に残った1人が軍需産業の大物の正体である。BGMやエンディングの曲が
火曜サスペンス劇場の『聖母たちのララバイ』として盗作されたことで知られる。
作曲者のジョン・スコットは、発売元のビクターから満足するだけの支払いを受けた
ことでも知られている。
マンガで『ジパング』というのがありイージス艦「みらい」がタイムスリップして
第二次世界大戦に関わり歴史を変える話があった。今年の春に最終回を迎えた。
前半だけは、アニメ化もされている。この映画が元ネタのようである。

2010年 7月 6日

 映画『欲望という名の電車』(1951年)エリア・カザン監督作品を観た。
路面電車の行き先に「Desire(デザイアー)」と表示されている演出が
印象的だった。となりのトトロのねこバスが「めい」を探す時に行き先を
「めい」と表示する場面の元ネタは、この作品なんだと関心した。
「欲望という名の電車に乗り、 墓場 で乗り換え 6つ先の 極楽 で降りる」
主人公ブランチ・デュボア(ヴィヴィアン・リー)は、南部の金持ちの長女で
元、女教師である。学校の先生というのはどこの国の先生も子供が企業で
社会経験しないで安定した職場で身分を保証されているので世間知らずらしい。
借金で屋敷を差し押さえられて妹ステラ(キム・ハンター)の所に
転がり込む。屋敷を借金の抵当に取られても説明が出来ない。アル中で粗雑
な妹の旦那スタンリー・コワルスキー(マーロン・ブランド)は、州法の
ナポレオン法典を根拠に屋敷を売った金は、どうしたのかと問いただす。
そして請求書の束を見せられる。ポーカーと酒に浸りステラにDVをする。
妹ステラはこの男に全身を捧げている。ポーカーをしている隣でブランチとステラ
が音楽を聴いてダンスしている。スタンリーは、そのラジオをウルサイと二階の
窓からガラスを突き破って放り投げたりする。以外に真空管一本で直った。
こんな妹夫婦の所に居候して日常生活を見る。
ブランチはスタンリーのポーカー仲間ミッチ(カール・マルデン)に関心を
持つようになる。母と2人暮らしの純情な独身者で、真面目にブランチと
結婚しようと悩んでいる。ブランチもミッチに、年若の夫を失った暗い過去を
打ち明けて、将来への希望を語った。しかし妹の亭主スタンリーは街の仲間から、
デュボアが17歳の少年を加えこんだため故郷を追われてきた女だということを
聞き出す。そしてブランチが恋しているポーカー仲間のミッチに暴露した。
デュボアの誕生日にスタンリーはプレゼントに故郷へ帰る片道切符を渡す。
その夜ステラが産気づき、夫と病院に出かけた。ブランチはスタンリーを
訪ねてきたミッチに結婚を迫った。ミッチは断り帰った。夜更けスタンリーが
病院から帰ってきた。二階のアパートにはデュボアが1人で妄想に酔っぱらって
いる。無防備なブランチを見てレイプしてしまった。
そして発狂したデュボアは、紳士が自分を迎えに来たという幻想を抱いたまま
精神病院に入れられる。ニューオリンズのフランス人街に四ヶ月も居候
してバッドエンドでしたが女の見栄に男の支配欲といった人間の本質が
出ていて綺麗ごとで無い結末でした。中国の提灯で電球を飾り付けるあたり
は、快適に感じるものが機能と装飾の相反するもので違うんだと感じました。
これは、デュボアが「嫌われ松子」と同じ教員で最後に少年にバットで頭を
真横から殴られて死んでしまうラストと共通する何か人間の本質を表現している
ようだ。「嫌われ松子の一生」は殺されるべきして殺されるエンディングだけど
スカッとして松子が可愛そうだと思う人は少ない。ブランチ・デュボアも
チャラチャラとスタンリーの部屋を飾り付けたりするから教養の無い安っぽい女
だと見抜かれて使い捨てのオモチャにされたみたいに見える。スタンリーが
誕生日プレゼントに渡した片道キップが、まっとうな人生に戻る最後のチャンス
だったのだろうか?ポーカー仲間の男友達も部屋に呼べないストレスもあった
みたいである。人間、自分のテリトリーを犯されるとストレスを感じる。
だからラストは、レイプなのかと感じた。犯されるべくして犯される状況設定に
したのかも知れない。これが現代の映画なら「氷の微笑」や「ミスター・グッド・バー
を探して」みたいに犯しながら殺したりするのかも知れないと思った。
タイトルの電車が路面電車だったのは、安易に手に入る「欲望」のレールを
表現していると解釈できる。駅から汽車に乗る場面だと人生の節目を連想して
重い決意を表現する。その点、路面電車は長距離バスより、お手軽に見える。
人が大勢通ると道ができる。そしてレールが引かれる。人生に例えられる。

映画『海炭市叙景は0号試写終了! 6月22日、北海道新聞地方版「みなみ風」に
掲載されたそうです。10月函館で完成披露試写会 11月函館で先行上映 
12月全国60カ所で全国公開です。シネマシンジケート加盟劇場です。
海炭市叙景メイキング・先行編が観られます。

2010年 7月 5日

 映画『あした』(1995年)大林宣彦督作品を観た。
赤川次郎の小説『午前0時の忘れもの』が原作である。
尾道を舞台とした『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』
という「尾道(おのみち)三部作」が有名だが、『あした』は比較的
新しい作品である。海難事故で死んだ人の関係者が死んだ人からの
メッセージで同時刻に船着場に集まる。悪戯にしてはリアルである。
事故で身内を亡くした当事者達は、薄々、死んだ人間と再会できる
ことがあると信じている様である。
船着場には、尾道の地形から判断して、それぞれ自転車・バイク・
自動車・船で向かう。生きている時のメッセージと死者からの
メッセージを受け取る場面が前半の導入部分に観客が感情移入できる
流れになっている。海と船が登場する尾道の交通手段を巧みに利用した
作品だった。ラストも期待通りだった。船が沈んでいく所も良かった。

似たテーマで『椿山課長の7日間』監督 河野圭太 原作 浅田次郎
の映画が2006年にあったことを思い出した。

尾道三部作とは転校生(1982年)時をかける少女(1983年)さびしんぼう(1985年)
新尾道三部作が、ふたり(1991年)あした(1995年)あの、夏の日(1999年)
である。

浜名湖で「書道ガールズ」を撮っている太田隆文監督や福島県大沼郡昭和村で
「ハーメルン」を撮っている坪川拓史監督は地域に密着した作品づくりを
目指しているようである。
どちらもクランクアップしている。「書道ガールズ」は、予告編が出来ているので
5月に公開された「書道ガールズ わたしたちの甲子園」と一味違う雰囲気を
観てほしい。『書道ガールズ』公式サイトへのリンク
正式には、書道とガールズの間にハートマークが入りますが、HTMLが古いため表記できません。

2010年 7月 4日

 映画『スパイ・ゾルゲ』(2003年)篠田正浩監督作品を観た。
篠田正浩監督が「ラスト・フィルム」と決めた作品である。

冒頭で検察官に逮捕される場面からはじまる。
第二次世界大戦前からドイツの新聞記者として上海・東京で暮らし
東大出の朝日新聞の記者・尾崎から情報を得てスターリンに知らせ
ていた。日本は満州を併合しシベリアに進軍するかでヨーロッパの
師団を移動させないとならない。日本から電信で打った電文を信じる
かどうか?日本の市民の生活ぶりはどうか?国民が餓えていては長く
戦えない。つまり補給が無い状態になる。007みたいに秘密の情報を
調査するのがスパイではなく日常の公表されている情報を分析して
予測する。そんな感じだった。しかし情報は、早い方が良いので人脈
を活用する。その為に国際共産主義者であるがナチス党員でもある。
その方が情報収集しやすいがソビエトは、二重スパイの疑いを持つ。
2・26事件や満州事変に日本の参戦に向かう流れを映画化している
ため三時間もの大作である。ロケも世界中とお金をかけて作られて
いる。フィルムでなく当時、貴重だったHDDにデジタルデータで
写す実験的な試みもされていたらしい。このスパイ組織をラムゼイ
機関といっていた。終わりでも検察官に逮捕されるシーンがあり
死刑の時に国際共産主義万歳といった。検察官は、プロスキューター○○
と名乗っていた。逮捕状も特別な物だった。取調べシーンは顔が隠れる
笠を被されていた。衣装は、高価な生地が使用されているのが分かる
ほどであった。衣装デザインの部分のクレジットは森英恵さんであった。
死刑執行と同時にインターナショナルが流れるあたりは印象に残った。
ソビエトの同士や高官は、粛清という名目で処刑されている。
ゾルゲの妻も無関係なのに逮捕されている。私は歴史として観られる
世代だ。実際に、この時代を生きた人達の思い入れが入っていて良くできた
作品だった。

2010年 7月 3日

 映画『エデンの東』(1955年)エリア・カザン監督作品を観た。
原作はジョン・スタインベックの長編小説である。原案はカインと
アベルの確執をテーマしている。兄弟の確執・家族の問題は旧約聖書
の時代から続いている。エデンは映画では家庭である。
 食品を低温保存して長持ちさせようとしてレタスを汽車で輸送しようと
するが途中で立ち往生してダメにしてしまう。冷凍食品の初歩の段階で
レタスとは今、考えてもリスクが大きい。そして大損してしまう。
双子の兄弟カレブ(ジェームス・ディーン)と兄のアロンは、母親が
家を出てビジネスで成功しているが死んだと聞かされ信心深い父アダム・
トラスクに育てられる。
時代は、第二次世界大戦前だ。大豆の先物取引きでカレブは儲ける。
父は、徴兵係になった。カレブは、農家の畑に豊作を願い通っていた。
そして利益を出すことができた。
そして父の誕生日プレゼントにレタスで損をした額を現金で渡す。
アロンは、婚約したことを報告して父に褒められる。カレブは
父に汚れた金は、受け取れないと言われ兄にも批判される。
ガッカリしたカレブは、兄アロンと母親を合わせる。ショックを受けた
アロンは軍隊に志願して戦死する。父は、ショックで脳の血管にダメージ
を受けて寝たきりのまま死亡してしまう。見どころは、発明家のサイラス
・トラスク(祖父)が残した遺産がレタスの輸送に失敗して減ったり
アダム(父)に認められたいために知恵を絞るカレブの姿である。

この時代は、看護婦(師)のナースキャップの形が統一されておらず
現代の形状になって廃止する病院が多い流れを背景に見ると面白い。
イギリスの医師会で衛生上の理由でネクタイを禁止したが洗えるネクタイ
を業界が作る方向に向かい機能素材を使うなどすれば違ったと思う。
ナースキャップは、昔と今では洗髪の環境が違うのでコストダウンに
省略して、しかも身近な親近感を得る方向である。

スタインベックと言えば「怒りの葡萄」で社会システムを批判している。
エデンの東では、家族や家庭のありかたをテーマに批判したのであろう。
本当に批判すべきは、宗教の教えを間違った解釈をして押し付けて信心深い
と勘違いしている人間達へのメッセージなのかも知れないとも思わせる
作品だった。間違いに気がつかなければ悔い改めようとしない。
善人の結末が映画のラストなのかも知れない。

ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」を見てから「エデンの東」を
見てリーゼントは、当時流行のスタイルだと再認識した。
オードリー・ヘップバーンの「初恋」の姉の恋人のヘアスタイルも似た
ようであった。エルビス・プリスリーの場合は、ジェームス・ディーンの
リーゼントを誇張した印象的感じなのかも知れない。
エルビスの時代「シスター・スマイル」のドミニクの歌がヒットして300万枚
で抜いていた。「歌えドミニク」として映画にもなった実在の人物の人生をモチーフに
した「シスタースマイル ドミニクの歌」が公開中である。
公式サイトにリンクした。 「シスタースマイル ドミニクの歌」


2010年 7月 2日
LAWSON(ローソン)のLoppi GOODS(ロッピーグッズ
カタログ7月号18ページ)に掲載されました。

掲載商品は、ハンマー・セッションの制服・ネクタイ・リボンと
カバンです。全国のローソンで購入可能です。


ブラウスとシャツはクレリックっぽい清楚なイメージにポロシャツみたいな着くずしても
決まるカジュアル感を兼ね備えています。リボンとネクタイは、緩めてもバランスが取れる
長めです。スクールバック(スクバ)もエンブレムをプリントしカジュアル感を持たせました。
カタログは、お近くのローソンで無料(フリーペーパー)で入手できます。
「櫻の園」の制服は、厳しいお嬢様学校を想定したデザインですがテレビドラマ
ハンマーセッションは、学校だけに止まらず家庭や社会問題を抱えた現代の高校生の
問題を護送車から逃げて光学園に匿われて教師をする国際的詐欺師が問題を
解決していく1話完結のストーリーです。連続ドラマだけど水戸黄門みたいに途中から
観ても楽しめます。制服は着崩せるデザインになっています。
大勢のスタップの思いが入ったステッチの糸やボタン付けにもこだわった一品です。
映画と違いエンドロールが無いのが残念です。衣装と手持ち小道具で担当が違い
リボンとネクタイはカバンと同じ手持ち小道具になり会議は全員の意見をまとめて
コンセンサスを得ると同時に劇中使用品を市場に出して売れることも要求されました。
体型の近いスタップの方に着用してもらいバランスを取ったり映画の衣装より会議の
回数が多かったです。


2010年の夏ドラマ!土曜の夜は、TBSのハンマーセッションで
お楽しみください。


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