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浅野琢也の雑記帳16 2010年08月〜10月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成22年


2010年10月31日

『チョコレート』(2001年) マーク・フォースター 監督作品を観た。
原題は「Monster's Ball」で「怪物の舞踏会」という意味らしい。
死刑の執行前に看守達が行う宴会を指すらしい。邦題のチョコレートは
黒人の肌の色のようである。ただレティシアの子供タイレルが父親が死刑囚で
政務所に入っている寂しさから過食症になりチョコレートを食べつづけ肥満体である。
主人公のハンク・グロトウスキがチョコレートアイスをやたら食べる描写がある。
息子のソニー・グロトウスキも同じ刑務所の看守だがソニーの部下である。
レティシアが13年間面会に通い続けている夫のローレンス・マスグローヴの死刑が
執行されて刑務官のハンクとソニーが職場での喧嘩を元刑務官のバック・グロトウスキ
の前で行い息子のソニーは銃で死んでしまう。そんな時に夫を亡くしたレティシアの
太った息子がひき逃げされてハンクが通りかかり病院に搬送する。
そしてレティシアとの交流がはじまる。そして交際になる。ハンクは、差別主義の老いた
父を施設に入れて、やっかいばらいをする。黒人問題は、同じ家族でも生まれた世代で
考えが異なるようだ。世代間の意識のギャップを良く表現した作品である。
第74回アカデミー賞 主演女優賞をレティシアを演じたハル・ベリー(非白人として初めての
受賞)が受賞した作品である。

2010年10月29日

『ゴースト/ニューヨークの幻』(1990年) ジェリー・ザッカー 監督作品を観た。
今年、日本で「ゴースト もういちど抱きしめたい」というタイトルでリメイクが来月に
公開される。銀行の同僚で友人がマネー・ローンダリング(資金洗浄)に手を貸しているのに
気付きかけて殺されたサムは幽霊として、この世に残り恋人のモリーに危険を知らせる
ために地下鉄の幽霊に物の動かし方を習ったり霊媒師オダ・メイに協力してもらい
モリーに仕返しをするという話だった。最初は、自分が殺されたことに気付かないが
壁をすり抜けたり物をつかめないことで肉体が無いことに気付く。
殺人などを犯した人間は、黒いデス・イーターみたいものに地獄に強制的に引き込まれる。
恋人が安全な状態になってから天国に行く。地下鉄のアクションやマクベスの物まねに
1ペニーといったキーワードがある。マネー・ローンダリングの大元の描写は無いが
400万ドルの銀行小切手を慈善団体に寄付させてしまうことでスッキリしたようだった。


2010年10月27日

『シシリアン』(1969年) アンリ・ヴェルヌイユ 監督作品を観た。
主演がジャン・ギャバン、アラン・ドロン、リノ・ヴァンチュラで
タイトルのシシリアンは、イタリアのシチリア島の事だ。フィルム・ノワールであり
フランス製のマフィア映画の名作といえる。フランスでゲーム機(アーケードゲーム)
の会社を家族で経営しているヴィットリオ・マナレーゼ(ジャン・ギャバン)。
そこへ強盗殺人を繰り返す青年サルテの一味が脱獄の依頼をする。
護送車の床の鉄板を高性能のルーターで切断して逃げる場面や宝石展を
開催している美術館のセキュリティーが完璧で次の美術館に輸送される時に、
ローマからニューヨークへ飛ぶ飛行機をハイジャックしてニューヨークの
建設中のハイウェイに着陸させるなど斬新なアイデアの作品である。のちに
ゴッドファーザーやルパン三世でアイデアが使われていると思われる。
時計の秒針の振動で電波センサーが作動するあたりは、スゴイものがあったと
ビックリした。私なんか美術館に二週間の会期中に動き続ける作品を展示した
ことがあるので、これだけ厳重にセンサーを付けて監視カメラも設置して
ある美術館と完全な陸上での輸送の警備に対してDC−8を操縦を補佐するスキル
があるあたりは戦争中に空軍で操縦を覚えていたのかも知れない。
孫に買い与えた飛行機のオモチャは、機内に乗客がいて通路をパーサーが行ったり来たり
しながらターンテーブルに固定できて飛んでいるように見える。かなり凝った構造である。
ローマからニューョークへ向かう旅客機を1人の死人も出さないで乗っ取って宝石だけ
ニューョークのシチリア・マフィアとの連携で奪い取り換金する組織の力に対してリノ・ヴァンチュラ
演じるル・ゴルフ警視役で最後にジャン・ギャバン演じるマフィアのボスを逮捕する訳だが
アラン・ドロンは凶悪なキャラでない。釣ったウッボを殺す場面でサルテの凶悪な感じ
を出している。この後でマナレーゼの息子の妻と不倫して計画がメチャメチャになる。
外見はカッコいい青年の役だ。流行は繰り返すがスーツが細身で
衿のラペルが細い。片やジャン・ギャバンはダブルのスーツにダブルのコートで
貫禄がある。リノ・ヴァンチュラの警視はベージュのトレンチコートで機能的だ。
最後にジャン・ギャバンとのケリを付けに行って撃ち合いになる。分け前の大金を
残して引き上げるあたりの演出が、ジャン・ギャバンをカッコ良く見せている。
このあたりは、「バラキ」にも出てくるが各ファミリー共通の掟でありメンツなのだろう。
子供の頃に観た記憶では、偽造パスポートの名前をパリの道路の名前で決めていた
ように覚えていたが電話帳から選んでいた。後は、ニューヨークの上空を飛ぶシーン
でエンパイア・ステートビルの形などでニューョークだと今は、滞在した街なので
識別できるが自由の女神像でも映っていないと子供の頃は、ニューョークだと識別
できなかった。フランス映画なので自由の女神像は、バリの公園に普通にあるので
被写体として興味を持たないのと空港からの空路でズレが生じるのでエンパイア・
ステートビルにしたのだろう。エンリオ・モリコーネの曲がBGMとして耳に残る。
マフィアといっても本当に家族だけで子分がいるとかではない。
3代同居の家族で、食事の時にパスタをヴィットリオが皿に盛り付ける場面は、
ゴッド・ファーザーでシチリアで日曜日に屋外で昼食を食べる時にビトー・コルレオーネ
がパスタを盛り付けるシーンの元の様な感じがした。ハイジャックの時にキャビンアテンダントの
制服を用意していたり護送車から逃げる電動ルーターを渡す為に警察官と移送中の犯人に
見せかけて警察署の中に入り込むなど制服の使い方も巧い。「ゴッドファーザー」や
「踊る題捜査線」にも制服警官に成り済ます描写があったが・・・シシリアンとは、
こんなにアイデアが詰まった映画だったのかと30年以上経って、見直して感心した。


2010年10月24日

23日から東京国際映画祭がはじまった。「海炭市叙景−かいたんし じょけい」が
コンペティンョン部門に正式出品されている。
映画『海炭市叙景』の(監督 熊切和嘉)オフィシャルサポーターである。
原作者の佐藤泰志は数回、芥川賞候補となるも41歳で自殺している。
18編からなる原作を6編抜粋して映画化したようだ。
キャストは主演・加瀬亮さん、小林薫さん、南果歩さん、 谷村美月さん。
リージョナルシネマをサポートする流れが出来ないと良い映画が作られなく
なり、リメイクや実績ある作品ばかりになるのも困る。採算も大切だが観たことの
無い作品を観たいので作品との関わりは薄いがサポートした。結果が楽しみだ。

10月29日は、道新ホールでファッションショー形式でN1モードグランプリ
最終審査がある。1人出品しているのでこちらも結果が楽しみである。
私がデザインを教えて色々なコンテストで合計すると12点が通過した。
中には、実物制作でアドバイスを聞かず受賞できるレベルのデザインで入選止まりだったり
受賞できたりと人、それぞれである。長くやっていると丁度1ダースだった。
記録写真を並べると見ごたえありそうだ。服のデザインも大切だが、
服をデザイン出来る人間を作ることも大切である。賞を取って一線で活躍してもらいたいが・・・
女性だけなので結婚して配偶者の仕事に合わせる場合が多い。昔と違いアパレルが
潰れていく今の社会情勢で業界に生活の糧を得る場を作るのは大変である。


2010年10月19日

『裸の大将放浪記〜山下清物語〜』( 1981年) 山田典吾 監督作品を観た。
精神薄弱は現在は、発達障害と呼び方が変わっている。ライ病がハンセン氏病と
時代によって名称が変わる。発達障害の場合は、防衛本能でレインマンの弟みたいに
環境の変化や状況に適用出来ないことが多い。劇中のセリフで「頭と身体が弱いんだな」
と難しい仕事と肉体労働をさせられないように最初から言うところが賢い。
ドラマの「裸の大将」では、世話になった家に、ちぎり絵を残すが演出である。
旅先で見て記憶している風景を作品化する。発達障害といってもレインマンの弟は、
数値演算プロセッサーみたいに計算に特化しているようだ。それに対して山下清は、
グラフィック機能に特化しているようだ。
とにかく、山下清氏は好奇心やチャレンジ精神が強い。発達障害の場合は、集中できる事には
集中する例は多い。「どですかでん」で電車の操縦のマネを一日中続ける少年が劇中に
登場するが・・・社会背景が戦前から戦後で周囲の目が厳しくなく戦争で人手不足に
なっているから住み込みで「駅弁の会社」や「魚屋(卸らしく仕出しもやっている)」で
働いている。駅弁売りでお釣りの計算が出来なかったりしても出来ないことは、出来ないと
自分を責めない性格とコミニュケーション能力が高いことが幸いして外の世界へ放浪を続ける
ことが出来たのだろう。ベテランのセールスマンでさえ飛び込み営業は当時でも大変である。
いきなり、見ず知らずの人に声をかけて、生きている母親の遺言で「親切な人に、おむすびを
貰えと言われた」というあたりや、泊めてもらうる程に日本人には、ゆとりが残って
いたのだろう。住み込みで働くことが出来た雇用形態も放浪をするのに良かったのだろう。
現在では、住宅が狭くて無理な話である。九州で発見されるたことから薬を飲んだりしないで
通院もしないで良いほどに身体が丈夫だったとビックリしてしまう。
放浪癖があるのは、逆の捕らえ方をすると快適な居場所が無かったのだろう。
49歳に母親と庭付き一戸建てに暮らして東海道五十三次を絵にする企画の途中に高血圧を
抱えて脳溢血で他界かるまでの物語だった。かなりの数の劇中に登場する作品を観ると
遠近法が使われていたり光と影の表現が出来ていたりすることに気付く。
岡本太郎の場合は、カメラを使用して更にディフォルメを加えている。山下清の場合は、景色を
デッサンすると同時に画像として記憶していたとしか思えない。
ドラマで演出されたイメージより正確に作られているので良く出来た映画である。
住み込みで働くが給金は殆ど貰えていないのかも知れない。八幡学園とは、市川市内の施設で
都営新宿線の本八幡あたりにあったと思われる。
ちぎり絵の画集を出していたのが運命を分けたようである。戦後にアメリカのライフ誌が
興味を持ったという情報を得て日本の新聞社が探すあたりはマスコミの競争意識が垣間見えた。
当時、カラー印刷の本を出していると権威があった。映画としては、福祉施設の強力や国鉄の
協力を得られているが現在では、大変難しい。このあたりも見所である。
人気に乗じて、過密な状態で創作していたと感じる部分もある。
貼り絵も自発的でなく施設の先生に促されて作業したらしい。個展の時に人間の平均寿命が73歳
という話をしている時に、園長の訃報が入ると、無表情に「73歳、丁度いいんだな〜」というセリフ
から利用されてきた事に気付いている事を、感じさせたりしているあたりがドラマと
現代ぷろだくしょん版の違いである。そのため社会福祉の充実を強く訴える内容が盛り込まれた
社会派作品でもある。
昔、「駅弁大学」といって学業に専念しないで駅弁売りのバイトしながらでも卒業できる大学を
難易度の高い大学を卒業した人が差別化する用語として使われていた。
劇中で、山下清が駅弁を売る時は、学帽をかぶり学生服にゲートルという制服を着ていた。

2010年10月17日

『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(2008年) スティーヴン・
スピルバーグ監督作品を観た。いきなりKGBに拉致された所から映画がはじまった。
しかもアメリカ軍の施設を襲撃してミイラを奪う手助けをさせられる、
棺が強力な磁気を帯びているから火薬に含まれる鉄分を使って場所を探すあたりは
手際が良い。KGBの隊員が全員、方位磁石を持っていなかったのは以外だった。
基地にあったジェットエンジンの実験装置を使ってKGBから何とか脱出したら
原子爆弾の実験場だった。そして冷蔵庫に入って助かったあたりは、
昆虫探偵ヨシダヨシミが新宿大爆発の時にロッカーに入って助かった
ネタのもとだったのかとも思えた。ガッチリと被爆していると思うが元気だった。
娯楽映画だし被爆の怖さは、無視するのがハリウッドでは無難なのだろう。
学校を中退し、バイクの修理で生計を立てると言っている青年マットが現れて協力して
くれる。フェイシングとか勉強するのがイヤで退学したと言っているがスパルコ大佐と
レイピアで戦う場面がある。マット・ウィリアムズは後でヘンリー・ジョーンズ三世で
息子だと知らされる。今回は、UFOに乗ったクリスタルの骨格を持つ宇宙人が復活する。
次元の狭間を移動する。つまりUFOがタイムマシンの機能を持っており古代都市に
見られるオーバーテクノロジーは、13体で意志と意思の両方を共有しているらしい。
最後はUFOで消えてしまう。KGBに協力したと1度、大学を無期限休職させられる。
教授の座を無くすと宣伝されていたが物語り上、大きな影響は無かったみたいである。
学部長に昇格してハッピーエンドである。時代は1957年らしくマット(ヘンリー)
のファッションは革ジャンにリーゼントにハーレーに乗っていた。
「良い考古学者は、図書館から脱出する」とKGBに追われながらバイクで図書館に
飛び込んだり移動に飛行機を使ったり古代言語の意味が「黄金・宝・知識」で同じに
使われておりUFOの宇宙人は「知識」という宝を持っていた。
水陸両用車で滝を三回落ちたりする場面は、007の装備をゴツくした感じだった。
時間を司るギリシヤ神話の神クロノスは子供が将来、自分を殺すと子殺しを行って
自分の子供を喰らう話は、あまりされない。ゼウス・プロメティウス・ポセイドン等は
子供達だったハズだ。そんな事を思い出した。神々の家族ですら殺し合いがあるなら
人類の平和は難しいようである。中国では今年の自国民のノーベル平和賞すら否定的であ
る。映画を観てニュースを観るたタイミングで考えさせられる。

2010年10月16日

『余命1ヶ月の花嫁』(2009年) 廣木隆一監督作品を観た。乳がんから肺に転移して
死んでしまうという実話である。若い人なら単純に感動できるのかも知れないが
綺麗なまま死ねるあたりから闘病に医療費負担といったリアルな部分がカットされて
いて現実を知りすぎている私には、合わない映画だった。マンモグラフィーで乳がん
検診を受けたり大腸がん検診を受けたりしておいた方が良い。面倒だと検診の機会を
ムダにするのは自分の命を粗末に扱うことでもある。予防医学で医療費負担を軽くする
機会も失う。健康な人ほど医療機関の敷居が高く面倒に感じるだろうが受けておこう。
特に病院が嫌いな人は、早期発見、早期治療が病院に通う手間を少なくする良い方法
である。役所から届く、乳がん検診は、自治体によって豊胸手術を受けている場合のみ
異物が入っている為、正確な検査が出来ないと適用にならない所もあるらしいので
該当する場合は、全額を自己負担になる場合があるらしい。

『チーム・バチスタの栄光』(2008年) 中村義洋監督作品を観た。こちらは、
医療従事者による快楽殺人を主題にしたサスペンスである。重い心臓疾患のバチスタ
手術中に患者が死亡する。続編となるジェネラル・ルージュの凱旋2009年3月7日に
公開された。患者や遺族側の描写が足りないと感じた。目線が医療従事者を中心に
しすぎて感情移入が出来なかった。医者の過密労働といえる勤務体制で精神に異常を
起こしたという部分をリアルに診療報酬の引き下げが根本原因であり厚生労働省にも
問題があると思うが白鳥圭輔という厚生労働省大臣官房秘書課付技官・
医療過誤死関連中立的第三者機関設置推進準備室室長が犯人を見つけて終わりという
感じをうけた。

2010年10月15日

『海猿 ウミザル』(2004年) 羽住英一郎監督作品を観た。
2作目のLIMIT OF LOVE 海猿(2006年)と現在、公開中のTHE LAST MESSAGE 海猿
(2010年)で三部作になるみたいだ。
映画の中では、地元の人が酒を飲んで騒ぐ所から「うみざる」というアダ名を付けた
という会話が出てくる。海の中でも猿みたいに俊敏に任務を果たすから「海猿」と
呼ばれてているとの解説もありマンガ原作やドラマ化されており両方とも正しいの
かも知れない。海上保安大学校の潜水士課程という精鋭の集団で潜水士を目指し、
訓練を受ける間に事故が起こったりする。甲板で、ケツを出したりして、ふざけたりは、
しないと思えるが映画の過剰演出なのだろうと気にしないでおくのが無難だとおもう。
撮影に船やヘリコプターに装備の提供を海上保安庁で行っているから船を見るだけ
でも楽しい。但し船内は撮影されていない。ポリスアカデミーっぽいティストを感じた
が、消防のハイパーレスキューに置き換えて映画にすると面白いだろうと考えたり
もした。映画では救助がメインだが海上保安庁は、消防に救急に加えて警察の仕事まで
こなす。隣国が領海侵犯したら戦闘の可能性まである。最近の事件で領海に対しての
国民が注目するようになり3作目の興行も順調の様子だ。昔、シー・モンキーという
プランクトンを育てるキットで遊んだことを思い出した。

2010年10月10日

『ココ・シャネル』(2008年) クリスチャン・デュゲイ監督作品を観た。
『ココ・アヴァン・シャネル』が若いシャネルを中心にしているのに対して
70才で再起するあたりが面白い。15年のブランク期間で再度、現役に
戻って他界する86歳まで働き続けるあたりは、仕事をライフワークにする
のに役立ったと予想できる。働き続けると息切れしたりする。
映画の中のセリフから若い時代はポール・ポワレが活躍していて戦後に
復帰するとクリスチャン・ディオールが活躍していることが解る。
バレンシアガからディオールが独立してディオールからイブ・サンローランが
独立している。シャネルの15年のブランクは、第二次世界大戦や労働争議が
原因しているが、両方の映画では、描かれていない。
70才で復帰して1度目のコレクションは、ヘムラインのシルエットが外側に
反り返って違和感を作っていた。わざと中間アイロンでシルエットを崩して
いるようである。そして絶賛される二度目のコレクションではツイードの色を
明るくしている。バランスも裾のヘムラインの縫製が綺麗だと取れていて美しい
シルエットが出る。このあたりの微妙な演出が出来ている。ミシンを使わないで
手縫いにしていたりネップ・ツィードを手織りしていたり手間がスゴいかったハズだ。
シャネルスーツの素材やブレードやチェーンの付属使いはクリスチャン・デュゲイ監督の
作品の方が凝っているか正確に再現していると思われる。パリの街を再現する
のはアンヌ・フォンテーヌ監督のココ・アヴァン・シャネルが勝っている。
ココの歌を歌う場面でネコの名前がココらしい。後は、同じ内容になるのは
同じ人物の物語なので仕方がない。ストーリーが同じなのだから、何処に
スポットを当てるかなのだろう。サロン方式のショーで階段の壁が鏡に
なっているのは両方とも同じだった。若いシャネル役のバルボラ・ボブローヴァと
70才のシャネルを演じたシャーリー・マクレーンの違和感も少なく観られた。


2010年10月09日

『家族ゲーム』(1983年)森田芳光監督作品を観た。高校受験の次男の為に
家庭教師を付けて勉強させて高校に入学させるわけだが、家族がピリピリして
いる。母親はレザークラフトが趣味で家庭教師の吉本役は松田優作。
大学に7年も行っているポーカーフェイスだ。父親は、伊丹十三が演じている。
この家庭は、細長いテーブルに横に並んで食事をしている。ブロイラーが餌を食べる
みたいな構造の食卓だ。
父親の半熟の目玉焼きの黄身を口を付けてすするあたりの描写や
ラストで吉本(松田優作)がテーブルを持ち上げて滑り台みたいに全部
床に落とす場面がある。
高校の授業料が公立は安く私立は高いとか私立大学より国立大学の授業料が
安いというホンネがチラっと父の口から漏れる部分から当時は、倍率が高かった
ことを思い出す。ラストで高校と中学の兄弟が動かなくなり、よく寝ていると趣味に
打ち込んでいる母親の姿と2人が血を流しているように見えて父親が見当たらない
あたりは、受験ノイローゼの少年が金属バットで親を殴り殺す事件が多かった
時に作られた作品だからであろう。まだ、普通に暮らしている家庭だが精神的に
崩壊していて表面上、平和な家庭に見せているから「家族ゲーム」という
タイトルなのだろう。現在でいう所のキレて子供を刺して父親(伊丹十三)が飛び降り
自殺したかのような暗示にヘリコプターが旋回している音が入っている。
「小鉢の飛び交う家庭」は対面に座り相手の顔の表情も見えてコミニュケーションも
できるが、この家族の使っているテーブルは、初めから団欒が出来ない状態である。
いちいち車の中で会話をするあたりからピリピリしている感じがする。
高校の受験でピリピリしていた時代感を感じる。
そして最後のほうで「サラダが舞いマヨネーズが噴出する食卓」になる。
今の時代は、家族で食卓を囲むことが時間や空間の制約で無理な場合が多いので
ニワトリの餌さ場みたいなテーブルをみるだけでも面白い。向かいに人がいない
食卓は、立ち食いソバとかパチンコ台みたいである。
まだバーの止まり木の方がカクテルを作るバーテンがいたり喫茶店なら気の利いた
マスターがいる。横に並んで壁を見るように食事をするから食卓を囲めない構造だ。
まだ円が安く海外に輸出していたプラザ合意前の時代背景や高学歴なら終身雇用に
守られる時代を感じる。この時代の子供は、大企業に入ってもリストラに遭うことに
なるとは、予測していなかっただろう。ATGの時代の映画である。

2010年10月07日

『白雪姫』(1937年) デイヴィッド・ハンド監督作品を観た。ディズニー初の
長編アニメ映画である。これが、話の展開が早く解りやすい。七人の小人と
白雪姫が初めて出会って自己紹介するシーンで小人達は、スノーホワイトの名前で
プリンセスの白雪姫と知っている様子に加えて女王が魔女である事も熟知していた。
互いに状況を知っていると相手に説明する手間が省けてコミュニケーションも
スムーズで気持ちがいい。グリム童話を更にシンプルにまとめている。
小人の中には、姿を消して殺しに来ているかも知れないとまで言っていた。
物語通り魔法の鏡で生きている事を知り毒リンゴを食べさせる為にやってくるが、
動物達が小人に知らせて小人達や森の動物達に老婆に姿を変えた魔女が追いかけ
られる。魔女は崖にあった岩を転がして反撃しようとして崖が崩れて岩ごと落ちて
しまう。ここで魔女は死んだと思いスカッとする。私ならリンゴのカゴに残りの
リンゴを入れたままにして魔女がガケから落ちて丸い岩も落ちて最後に青いリンゴが
カゴから宙に舞うようにして丸い岩の後に落として万有引力の法則のパロディーに
してしまうかも知れない。そんな事を考えながら楽しめた。
アニメーターが850人で作ってディズニーがメイキング映像で借金したので眠れ
なかい日が続いた。でも銀行の人は、もっと眠れなかったでしょう。というコメント
が伝記に書かれている映画を担保にしてリスクの高い融資した銀行とのやり取りを
物語っていると感心した。七つのオスカーのプレゼンターがシャーリー・テンプルという
サプライズも入っていた。

2010年10月05日

『ココ・アヴァン・シャネル』(2009年) アンヌ・フォンテーヌ監督作品を観た。
この作品は、シャネルの若い頃のエピソードがメインなので知られていない部分
で物語を構成している。時代背景を作るのに当時の車や馬車に衣装を集めるだけでも
大変そうだ。第二次世界大戦前までの描写になっている。第二次世界大戦中は、パリ
はナチスに占領されておりオートクチュールは閉店していた。戦後に再度、営業開始
するまで四分の一の大きさの人台でデザインをしていた。そのため、成功を予感させる
ファッションショーの部分で主演のオドレイ・トトゥの衣装がシャネルが70才の
時に開発したシャネルスーツを着ていたり普段着のインナーにマリンストライプを
着せていたりと時系列を変えている。孤児院の制服も映画のワンシーンの為に
量産したのかと制作費が気になってしまった。実際は、地味な作業の積み重ね
なので、交友関係や娯楽の部分の比率を増やさないと人生が苦労ばかりに見えて
しまう。顧客との付き合いでシャネル自身が楽しんだり出来る時間が存在している
ハズである。人間は、辛いことを忘れて楽しいことを思い出にしてバランスを
取っている。たばこを口に咥えたままで、仮縫いしている場面はシーチングなら
まだ、ありえると思うが実際の生地では、ありえないと思える部分もあった。
客にタバコの火が付いたらマズい。生地に穴を開けたら身頃のパーツを取り替え
ないとならないので手間がかかる。仮縫いのピンはパタンナーに止めさせて
離れた距離から全体のバランスを見る方が現実的である。スカートのシャネル
レングスを維持する為に自分で「仮縫い」したという伝記から「シルクピンを
打っていた」と解釈したようだが、ケース・バイ・ケースだと思う。
ココがニワトリの鳴き声から付けられたものだとは服装史や伝記に書かれていない
ので以外だった。マザー・グースのクック・ロビンを思い出してしまった。
『ココ・シャネル』(2009年)クリスチャン・デュゲイ監督の戦後1954年、
ファッション界に復帰したココ・シャネルを(シャーリー・マクレーン)が演じて
いる作品も2009年はシャネル創業100年なので作られているので半生の
部分だと思えば良いのかも知れない。戦前はポール・ポワレやスキャパレリの方が
注目されていたりと、その時代のトップに立つのは難しい。
戦後は、ピエール・カルダンにバレンシアガにディオールと覚えきれない。
戦前・戦後と現役で働いた時間が長い。映画も戦前・戦後で前編・後編にして
作るなども出来たと思えるが別の作品で同じ人物をモチーフにして申し合わせた
ように出来ているらしい。見ている方まで仕事をしているようで観ていて疲れる
テーマなので戦後の部分は、後で観ようと思う。エルメスからファスナーを分けて
もらってスカートの開きに使ったのは、シャネルが最初だったハズである。
こんな感じで私の服装史の記憶と照らし合わせて観てしまうから疲れるのも
仕方ない。シャネルが息を引き取る時に「女たちに殺される」という言葉を残した程、
成功の代償が大変な人生だったというから余計にリアルに感じた。

文化出版局から出ているハイ・ファッションが10月号から無くなるらしい。
インターネットの普及で本が売れない時代だから仕方が無いのかも知れない。
ファッション番組も地上波から消えてしまっている。世界的な不況で高額の
服や車に消費者の手が届かなくなり興味は、手の届く低価格商品の情報を
中心とした雑誌は売れるという感じがする。

メンズの傾向は、テーラードのラペルの幅が細くなるとネクタイも細くして
バランスを取るなど基本を知っていれば良い話だし、同じ年に買い揃えれば
その時代の流行の物が揃うので自然とバランスは、取れているものである。

2010年10月03日

『太平洋ひとりぼっち』(1963年)市川崑監督作品を観た。カラーだった。
高度経済成長期の日本が時代背景なので大学進学の学費を出すのも容易な
実家がある。町工場を経営している父もいて、ヨットを新造して太平洋横断と
いう冒険を成功させる話である。
リンドバーグの「翼よあれがパリの灯だ」みたいな名誉や賞金が目当てでなく
純粋に冒険として法律を犯して出国する。三カ月の航海は長い。
1人で2人いるように自分に話かけて孤独を紛らわせていると同時に鑑賞者を
退屈させない演出なのか実際に、そうだったのか気になった。寡黙に危険な
冒険に立ち向かう姿というよりバラエティー番組の冒険みたい感じを受ける
作品だった。ナレーションを入れてドキュメンタリータッチにしても良いと
感じた。日本が経済成長の途中で何をしても生きられる希望に満ちて不安の
ない時代が冒険へと駆り立てたようにみえる。ヨットの帆の赤いスポンサー
マークを目立たなくしたり着用している服が暗い作業服だったが陸地に近づ
いたら堂々とアロハあたりに着替えてマリンスポーツしているようにする
方が自然な気がした。漁船では無いのだから見た目も楽しませてほしかった。
5年かけてパスポートも用意できない程に外国に行くのは大変だったの
だろうか?私なら安くて近い国に行ってパスポートを作っておくだろう。
ヨットには、ラジオがありモールス信号がビーコンなのか受信して海図を
チエックしていたりGPSの無い時代の航海は、大変だったと思う。
若さゆえの無謀な冒険もポジティブ思考で乗り切れる。うらやましい時代の
映画だった。将来の不安が無く希望が持てる時代だからベビーブームの頃でも
あった。映画のラストは、領事の家で風呂に入りベットで爆睡してENDだった。
船火事や座礁に漂流物に、ぶつかって沈没などアクシデントも無かった。
ビニールに入れた水が変質する場面があったぐらいである。
ヨットの操船で吊りをして食料を調達できないのが勿体無い気もした。
冒険に出るとき海技免許と無線の免許があったのかも疑問に感じた。

 生徒さんの入選(デザイン画通過)の報告がありフアッションショーの季節だと
感じる。 n1モードクランプリが10月26日にある。自分がコンテストで賞を取る
のも嬉しいが、教えた人が受賞してくると嬉しいものである。この年になると
人を育てているかも見られる。なんだかパラダイス・キスやランウェイ☆ビートの
学内や一ブランドのフアッションショーと違いファッションデザインの全国大会版を
イメージしてほしい。
年中行事である。NDC(日本デザイナークラブ)のコンテストなので
ドレスなどのゴージャスなオートクチュールのテクニックを使ったものに
加えてファイバーアートの要素が入ったクリエイティブな作品が並ぶ。
ガールズコレクションのリアルクローズより制作費も高いハズである。
買える服ではないが、見るだけでも参考になる。
出品するとお互いに近くで見られる。「華麗なるヒコーキ野郎」みたいに
お互いがインスピレーションを得てアイデアを発展させ向上できるので
参加する意味は大きい。


2010年10月02日

来年、公開の映画の製作発表を注意して並べると類似したストリーの
作品がクランクインしていることがわかる。
時代を分析して企画を立てるため、同じ時代・同じ社会情勢なのだから
優秀なアナリストは、ほぼ同じ答えを出す。
例えば、「ランウェイ☆ビート(仮題)」と「パラダイス・キス」
今年は、書道ガールズが2本作られて「私たちの甲子園」と「青い青い空」と
サブタイトルを付けて識別していた。
流石にココ・シャネルの映画が同じ年に三本も作られた時は、驚いた。

そう言えば、タバコの値上げがあったらしい。シャーロックホームズの時代は
麻薬が禁止されていなのでホームズは麻 薬 中 毒という設定でフロイト博士の
治療を受けに行くストーリーがあった。葉巻にパイプが食器だとしたら紙巻き
タバコは、コンビニ弁当みたいに手軽ということだろう。
映画は製作年や時代背景によって嗜好品や通信手段の描写が変わるのを愉しむ
には、歴史や文化に社会が変化した時代を覚えてないと深く理解出来ない。
(感動が薄れ、得るものが少なくなる)人間の営みなので不変的な部分が多いので
気軽に楽しんで設定が変でも、まあアリかな〜と気にしないで愉しむのも楽で
いい。まあ作品の内容や場の空気次第で見方も合うものだと言える。
手軽な娯楽では韓国と台湾ではパチンコは習慣性があるらしく法律で禁止
(規制でない)されているが日本で報道されない。


2010年 9月25日
 

(夏の名残を感じるウチワ 志田未来さんは制服着用で写ってます。)

「ハンマーセッション!」が最終回でTBSの土曜日午後8時のドラマが終了した。
9月18日だった。
昔の土曜日は、週休二日ではなく午前中だけ仕事して午後は帰宅してテレビを囲んで
一家団欒(だんらん)するのが一般的だった。週休二日になると労働が過密になる職業が
多かったようだ。残業や長距離通勤でライフスタイルが一変したようである。
土曜の8時に家にいるのは、中学生(高校生・大学生はバイト)や年寄りに専業主婦
が主なのかも知れない。仕事から戻り深夜アニメを観る不規則な生活では連続ドラマ
を観るタイミングがズレてしまう。DVDボックスを買って観たりすれば一気に
観られるが・・・
NHKの「ゲゲゲの女房」も最終回だった。水木しげる 氏も、酒を飲みません。
故 小松崎茂 氏(アニメ 地球SOSやタミヤのプラモデルの箱絵)も酒を飲みません。
私も酒を飲まないので学ぶことが多い。私はトマトジュースに塩を入れて夏を乗り切り
ることができた。

土曜の夜8時枠のドラマは、共通の話題になる程に特別な物だった。
TBSではバラエティー番組枠になる。「8時だよ全員集合」や「ひょうきん族」の
時代に戻るのかも取れない。


2010年 9月20日

『灰とダイヤモンド』(1958年)アンジェイ・ワイダ監督作品を観た。
ポーランドのレジスタンス青年が主人公だ。ナチスと戦っていたら次は、
ソビエトの共産党が支配する状態になり、地区委員長を暗殺する為に車を
襲撃するが関係ない青年が2人乗っていたが間違えて射殺してしまう。
失敗したので次は、ホテルの要人が集まるバンケット会場で暗殺しようと
する。となりの部屋で廊下でタバコの火を貸したりする。しかもホテルの
バーの女性をホテルの部屋に連れ込んだりしているあたりは、緊張感が無い。
もしかしたらサングラスを持っているから大丈夫だと安心しているのかも知れない?
当然、罪悪感も無いだろうし使命感も薄いのだろう。そこは、ビックリする
シーンが後で演出されている。要人が集まっているバンケットの会場は、
こんなに酔っ払って良いのかと思える程に見える。
戦勝祝賀パーティーにしても限度があるのではないかと思える。
演技にしても旨すぎる。地区委員長が部屋から出て外に来た所を拳銃で射殺する。
銃声の次に花火が打ち上げられる。この場面は、ビックリさせられる。
次に教会に逃げ込むと昼間に間違えて殺した青年の遺体が二つ並んでいる。
ここでもビックリする。そしてレジスタンス仲間は、バラバラに姿を消すが青年は、
兵隊に追われて白いシーツが干してある洗濯物の中で撃たれてシーツに血が付く
ことでケガをしていることが解る。更に逃げるとゴミ捨て場がありそこで息絶える。
以前、この作品を観た人が食虫植物が映されていたと言っていたので注意して
観たが見つけられなかった。他の映画と混乱して記憶しているのか白黒映画なので
服や背景に色が無いので識別しずらいので見間違えたのか解らない。
とにかく、この作品を観たら「カティンの森」でボルシェビキがポーランド兵を
捕まえて殺す場面が動物の屠殺(とさつ)みたいに順番に殺していたのを思い出した。
アンジェイ・ワイダ監督は「灰とダイヤモンド」から半世紀以上経って「カティンの森」
を撮っている。90歳を超えた高齢者が現役で監督しているのもスゴイ話だ。
映画は社会情勢の影響を受けて生まれる。戦争や災害に事故といった極限状態があれば
時期が来れば小説やマンガ化されて映画になる。実際に平安に生きられる社会で過去を
知り未来を予測する。夢や希望を感じない映画ではあるが現実は、こんなもんなのかと
諦めが付く作品なのかも知れない。

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2010年 9月17日

『わが谷は緑なりき』(1941年)ジョン・フォード監督作品を観た。
イギリスのウェールズの炭鉱労働者のヒュー・モーガンの子供時代からの視点
で作られている。景気の良い炭鉱町が炭鉱の賃下げによる長期ストライキと
家族が仕事を求めてアメリカやカナダに移住していく話である。
肝心の少年は、学校を出て知識を身に付けたがどんな職業に付いたのかは
省略されている。家族が全員死んだり新天地に移っても母が死ぬまで炭鉱で
働いていたのだろう。技術者や化学者は高い給料で働ける。
1941年度のアカデミー賞6部門を取った作品なので、ヴィクトリア宮殿に
炭鉱労働者のコーラスが聞きたいと手紙が届いた夜に二人の兄が
旅立っていく。ストに反対しただけで夜にガラスを割られて冬の集会で
母親が演説するあたりは、偏ったイデオロギーというより人間の当然の
要求がスッキリしていた。帰りに池の氷が割れて息子と落ちてしまい
しばらく寝たきりになる。モーガン家の息子達をまとめて娘は、鉱山主の
所に嫁に出したりしている。貧富の差があってもモーガンには敬意を持って
接していたからウェールズでは歴史のある家系のようである。
ストライキはグリュフィード牧師とモーガン(父)が間に入って和解させた
あたりやモーガン宛にヴィクトリア宮殿からコーラスの要請が届くあたりは
他の労働者の一家とは違うみたいだ。ヒューが学校でいじめに合ったらボクシング
を教えて反撃させて理不尽な教師に社会の仕組みを叩き込みに行く仲間がいるあたり
は、面白かった。子供に殴られた分だけ小遣いをヤルという親は、ある意味スゴい。
主席で卒業したが炭鉱に残ることを決めても好きにさせる。酒を飲んでいる姿も
無い。イギリスの模範的な父親といえる。
炭鉱労働者やマグロ漁船は、危険な仕事である。それだけに高給である。
しかし金を酒や女に博打でムダに使い身を持ち崩す人間が多い。死ぬ危険が高いから
死に金を使いたくなるのだろう。だがヒュー・モーガンの父は、違っていた。
息子達に活きた金を渡して送り出していた。
サラ金でさえ炭鉱で働いてでも返済すると言われれば待ったものだ。
ブラスやリトルダンサーにフランス映画のジェルミナルなどの原点といえる作品である。
この作品は19世紀末の時代設定である。時代は変わっても人間、やっていることは、
変わらないのかも知れない。

小説「のぼうの城」作:和田竜を読んだ。「火天の城」という映画みたいものかと
思ったら全く違う。特に表情や話し方の心理描写が正確である。映画の為の原作とは
こういう物なのかと感心した。「のぼう」とは何か?野望と「のぼう」ではと思った。
「るろうに剣心」の「るろうに」が「流浪人(るろうにん)」の略みたい感じである。
領主・成田氏一門の成田長親(城代として総大将になる)は、領民から「でくのぼう」を
略した「のぼう様」と呼ばれながらも領地の田植えや麦踏みといった村が総出で畑仕事を
する時に、城を抜け出して必ず手伝いに行くことを習慣としている。しかし下手で田植え
をされた村は、植え直す程に不器用である。人間、好きな職業に付いて生活の糧にするのが
1番良いのだろうが難しい。鍛冶屋仕事が好きで錠前を作るのが趣味のルイ16世の例も
あるので百姓仕事が好きな殿様がいても変ではない。領地の百姓達も手伝いに来るので
仕事を断るのも大変という人間関係が出来ている。それが篭城に大規模な水攻めの失敗へと
向かう。この時代の戦は、宣戦布告や和議などに加えて石田光成は領民への狼藉・略奪・
無理な事をさせてはならない。みたいな感じに規律が正しかった。ジュネーブ条約みたい
内容である。領民を城に入れて篭城して守り抜くのは兵糧が減り内部崩壊の危険をはらんで
いる。しかも大規模な水攻めである。そこで小船を並べて田楽を舞うなど驚かされる。
上杉謙信に責められた時も守り抜いた忍城(おしじょう)を明け渡す時の和議の場で石田光成に
条件を付けたり士分・領民の将来を見据えた対応は、現在のリーダーは参考になるだろう。
上杉謙信にいくら鉄砲を撃っても当たらず軍神の加護がある武将だと黄金の銃弾を3発撃っなど
銀の弾丸と通じるものがあると感心したり都心から離れているが通勤圏に歴史の跡がある
のには、北海道生まれの私は、新鮮に感じた。
苫小牧にオープンセットを作って撮影されている。原作者が脚本を担当しているので実写化
にあたり予算やエキストラの動員など現場での制約にも対応できて良い映画が出来る事を
望む。

2010年 9月11日

『お父さんのバックドロップ』(2004年)李闘士男監督作品を観た。
デトロイト・メタル・シティーやボックス!の要素が盛り込まれて
いてプロレスの裏舞台というか興行の大変さが判る映画だった。
レスリングでオリンピックに出たことのある主人公のプロレスラー・
下田牛之助が大阪に戻って来る。新世界プロレスとして大阪で興行する
為である。時代は1980年なのでプラザ合意前の日本である。
その為、息子の衣装はスッキリしている。大阪の子は少しダボダボに
見えるように半ズボンの丈や分量で違いを出しているようだ。
タイトル通り、小学生が主人公である。その目線からプロレスラーと
いう職業を、どう見るかである。プロレスはショービジネスである。
インパクトを出す為に悪役が必要となり牛之助は、髪を金髪にして顔に
メイクしてリングに上がる。筋書きのあるショーだが「新世界プロレス」
と別のプロレス団体とのタイトルマッチでテレビ放送されてクラスで
からかわれる。そんな息子に悪役は当番みたいものだと説明する。
それから子供の為に「異種格闘技戦」に出ることに決める。真剣勝負で
良くてケガ、運が悪いと死ぬこともある。傷だらけになりながらバック
ドロップを決めて勝利する。しかし歯は折れて腕も使えず、祝勝会で、
子供に、おかゆを食べさせてもらっているあたりがリアルで微笑ましい。
電信柱に「ボクシング練習生募集 会長 丹下段平」の張り紙があったり
してニヤリとさせてくれた。
オリンピックの出場経験があるから危険な異種格闘技戦にチャレンジした
のだろう。このあたりの気持ちは、格闘技でなくてもトロフィーをベルトに
置き換えると解る。
この映画のジャージは学校のジャージに見えないようにする事と80年の
時代設定に合わせて映画オリジナルで作った物である。レスリングのパンツも
黒だけど「牛」と筆文字で書いてある。李監督は、自分もボクシングの経験
があるだけに、かなりのこだわりがある。衣装の担当さんは間に入って大変
だったと思う。大手のメーカーで特注は高くて時間もかかる。作りながら
修正する状態では、断られたらしい。
私の方では、ボックス!のリングウェアのデザインをしたが四校分なので
膨大な資料を提出してサンプルを作って、そこから修正(使用する学校を変更する)
して校章や文字を入れ替えたりした。最初にお父さんのバックドロップを観ていたら
直接、会議に出てデザインを決定する時間を短縮していたと後で思った。
血ノリが活きるように白い生地を使うなどしてインパクトを出した。
DVD化されたらボックス!と『お父さんのバックドロップ』の両方を観ると
面白いと思う。原作者の自殺した「中島らも」が劇中に(カメオ出演)登場している。
練習は、怪我をして興行が出来ないと団体を続けられないからだというあたりの
会話は、リアリティーを感じた。

2010年 9月 5日

『秘密』(1999年)滝田洋二郎監督作品を観た。2010年10月毎週金曜の夜
11:15〜深夜0:15に、はじまるテレビ朝日の連続ドラマ「秘密〜トップシークレット〜」
と同じ原作なので映画を観てからドラマを観ようかと思っている。
バスがガケから転落して同時刻にバイタルが停止した40歳の母親が16歳の
娘に入り込んでしまう魂の憑依現象で世間的に高校に通い大学の医学部に
合格して結婚するまでのストーリーである。高校生に戻って青春を謳歌する
人生を中年になってから再度チャレンジする妻を広末涼子さんが演じていた。
カップ麺の商品開発室に勤める夫がいる。ヒゲの剃り残しや結婚指輪を
縫いぐるみのストラップに縫い込むあたりや灯台のある公園での場面。
海を背景にした教会などが美しく印象的だった。
映画は、TBSが幹事会社として作られたものである。映画をテレビ朝日の
ドラマでリメイクするため、夫の職業が電気メーカーとなっている。
時代設定は2007年なので現代に合わせたドラマになると思われる。
TVドラマでは、志田未来さんが、この役を演じる。連続ドラマなので映画より
詳しい内容になると思う。私は、滝田洋二郎監督の作品では、『壬生義士伝』
『おくりびと』が好きな作品である。HDDレコダーのEPG機能でリアルタイム
で放送が観られなくても録画して後で見るのが、容易になったので放送時間が深夜
だろうと観たい人は、観ていると思う。規則正しい生活が前提にゴールデン枠とか
があったと思うが、10年で時代は変わるものだ。新聞を紙で読まない世帯が40%
である。

2010年 8月30日

『Colorful カラフル』アニメ映画(2010年)原恵一監督作品を観た。観てから
中原俊監督が2000年秋に公開した映画のアニメ版だと気付いた。
自殺した子供に魂をホームスティーさせて生前の罪を清算するチャンスが当たり
ました。と病院の窓口みたい殺風景な空間で場違いな小学生に見えるプラプラと
いう天使らしき少年に言われ中学生の身体に入り込む。ライトグレーの
シングルブレザーにダークグレーの半ズボン。白いワイシャツに水色のネクタイを
して紺のハイソックス。天使らしく白い肌にバランスの良い顔立ちだ。
このプラプラという少年は輪廻の輪から外れて戻れなくなるらしい。
このプラプラという少年がガイド役である。そして案内されるままに中学生の姿で
別人になって(後で本人だと気付くが・・・)として生活する。
生前の記憶がなく自殺した中学生として学校に通って、自殺した少年の自殺の原因
や、どんな人物だったか気になり美術部にも顔を出す。
描きかけの馬の絵がある。キャンパスが何枚かある。空の色使いから海底から
天を見上げているようにも見える。
そして友人も出来て生活に馴染んだ時に、プラプラから学校の屋上に呼び
出される。CMで「僕は、人を殺したんだね」と妙に明るく言うので気付いた人
もいると思うが、自分を殺した。つまり自殺した中学生本人の魂だった。
だから怨まれもしない。人様から怨まれる状況でないから「ラッキーソウル」
自殺する人間は、原因が無くならない限り繰り返す。それを取り去り再出発させる
のがプラプラの仕事のようである。
カラフルというタイトルから、人と同じ色でなくても、人間は、それぞれの色の個性が
あって良いという意味だ。私は、必要に応じて色なんて変えれば良いと思う。
但し、戻せる色ならという条件付きだ。塗り重ねて色を変えられる油絵の具もあれば
失敗したら描き直すしかない水彩もある。ドローイングソフトなら色を変えるのも
簡単である。輪廻から外れた大阪弁を話すプラプラって不思議な存在である。
まあ、素晴らしき哉、人生!みたいに高齢者の2級天使や椿山課長の七日間
みたいにキャリアウーマン風に説明されるのも味気ない。Colorfulを中原俊
監督が2000年秋に公開してから、社会は悪い方向のまま進んでいる。「誰も知らない」
「七人の弔い」「誰も知らない」「闇の子供たち」と社会問題をテーマとした作品が
沢山作られた。しかしアニメで比較的恵まれた家庭環境の子供向けなら自殺からの
更生に見せると良いアニメ映画だった。原恵一監督は、「河童のクゥと夏休み」や
クレヨンしんちゃんシリーズのアニメ監督である。映画館の観客が20〜30歳前後
と若かった。
日本の自殺者が高止まりしている中で観ると、自殺の動機は軽い。自殺なんて
したら犬死により悪い。死ななければならないと決めさせた原因者を片付けてから
死ぬべきだと私は思う。忠犬として犬死にするぐらいなら悪名高い狼になって死ぬ
のも一興である。個人的意見は、このぐらいにして自殺防止の教育番組で流せば
小学生や中学生の自殺防止の啓発に良いアニメだったと思う。
過去形で表現しないとならないのは、今の子供の貧困や親の失業に伴うネグレクト
なんて無い、中流家庭での中学生の子供の自殺。死にたくて薬を飲んでも誤飲防止
で死なないようになっている。医療過誤で起こりえる投薬ミスによる死亡は点滴や
注射による。その危険がある薬は厳重に管理されて金庫で保管している。
このアニメ映画は、周囲の原因がまだ生還な状況でハッピーエンドだったけど
死んだままの方が幸福な状況が多い社会のまま放置する政党と政治家ばかりで
選挙のつど不快になるのは、私だけだろうか?年寄りが既得権を守るために
若者のチャンスを奪うことになっていないだろうか?死んだ親の既得権の年金を
騙し取るのも高齢者では、年長者を敬えない。年寄りの知恵は、すでにネットに
蓄積できる時代である。文章や数値に出来ないものやノウハウが役立てば良いのだが
難しい環境に取り巻かれた時代である。

カラフルの意味は、色々は色があって良いということだが、色は混じる。
原色法が現世の混ざり方で加色法が、あの世の色の混ざり方なのかと考える。
死んだら白い場所に白い服でいる映像。現世を象徴する黒い学生服と白と黒の
中間にあたるプラプラの灰色(グレー)の服の意味を深読みしてみた。

2010年 8月21日

『ロボゲイシャ ROBO GEISHA』(2009年)井口昇監督作品を観た。
芸者が殺人ロボットになるアイデアは、攻殻機動隊のアニメで見たが
下半身が戦車になって高速道路を走るなんてブッ飛んだ発想は独特だと
思った。武器の尻刀(しりがたな)はミツバチみたいで、なるほどと
思えた。戦車のキャタピラーで早く走れないため、装軌(そうき・無限軌道を
装着した状態)と装輪(そうりん・無限軌道キャタピラーを外した状態でタイヤ
走行)で走る戦車があったので有り得ないと思い込んでいたので新鮮だった。
無敵超人ザンボット3を思い出させてくれた。
結い上げた髪から銃が撃てるのも外人が喜びそうだ。チョンマゲを見た外人が
日本人は頭に銃を乗せていると勘違いしたらしいのでユーモラスだ。
口から回転ノコギリが出るあたりは、からくり人形みたいで良くできていた。
城が巨大ロボットになって富士山まで歩いていってラストでロケット噴射して
飛んで爆発するラスト。自分も含めた人類滅亡をあっさり「アリかな」で片付ける
あたりも皮肉が効いている。某国の拉致問題を思い出させて孫を帰せという
高齢者の被害者団体と製鉄会社の実力行使の銃撃戦は、国と法律で戦った経験が
ある私でもスカッとした程だ。謝罪ポーズで銃撃戦が始まりヒザの連射モード切替
をするあたりと相討ちにさせる相手が洗脳された孫という演出もスゴい。
映画「ハゲタカ」の続編で、自動車会社の乗っ取りを中国政府から送り込まれた
赤いハゲタカの社長のセリフで「日本の裁判所は判決を歪ませる。」と言うのがあった。
日本の司法を批判しているが実際に、そうだと思う人が多く不満を持っている人
ばかりだから代弁していると共感してしまうと同時にストレス解消に良いかも知れない。
映画の中に込められたメッセージを読み取るのは面白い。井口監督の作品は、
B級映画でありながら海外へのメッセージが込められている。チャップリンの様に
笑いを取りながらも日本をナメるなという気概も伝わってくる。しかも編集のテンポが
良いので退屈するヒマの無い絶妙な展開。AVからスタートしている監督なので
ロマンポルノが起承転結だとしたらAVは序破急とテンポが違うのかも知れない。
元々が人間だからサイボーグにしないでロボコップみたいにロボゲイシャと単純でいて
納得するタイトルもスッキリしている。片腕マシンガールの北米DVD売り上げベスト10
の実績もあり角川映画なので配役も豪華だった。ロケット噴射できる巨大ロボットで
2足歩行して富士山に登るのは、ロボットの造形と動きの特撮を楽しんで深く考えない
のが良い。

 様々な映画の中に皮肉や批判が込められていても日本の司法・立法・行政の三権力の
当事者は、イマジネーションが乏しくて気付かないままかも知れない。
フランス革命の前にボーマルシェの戯曲「フィガロの結婚」が上演されても当時の
支配者層は自分達の批判だという事に気付かないで楽しんでいた状態の繰り返しは
困る。とはいえ現実で悲惨な実態を見慣れてしまうと感覚が鈍る。
エモーション・クォーリティーが下がるのは、権力者の立場なのだろうか?

2010年 8月15日

『真夏のオリオン』(2009年)篠原哲雄監督作品を観た。潜水艦を舞台にした
映画は、全体的に暗い場面が多く船内も狭いので映画にするのは大変にようで
ある。この作品は、潜水艦の全体像がかるのと次々と起こる難題を若い艦長が
切り抜けていくタイミングなどが観ている観客を退屈させない。食事の指示の
タイミングや殺気立つ回天搭乗員を、今はもったいないと、なだめたりする
あたりや、駆逐艦との根競べで酸欠の船内に回天の酸素を転用して危機を
乗り切るあたりも良くできていた。ラストで敗戦を知らされるまで事故で乗員を
1人失っただけで戦闘が終了するあたりは駆逐艦の乗組員と顔をあわせる。
日本は、敗戦したが互いの戦闘は、魚雷1本命中だが、どちらも沈没しないで
自力で航行可能な状態で終戦という終わり方だった。冬のオリオン座が「真夏の
オリオン」というタイトルで曲が作られている。その楽譜が返却されてくる所から
映画は始まるが原作の「雷撃深度一九・五」(原作:池上司)を読んでいないので
無事に日本に戻った乗務員は戦後の復興に関わったのだろうと想像できる。
劇中のセリフで潜水艦の艦長になった理由を聞かれて「艦隊勤務と違い出撃したら
自分の判断で行動出来て自由だから」というあたり飾らずスッキリした答えだと
感じた。狭い船内で100名もの乗組員と生活し担当海域で任務を遂行する。
原作のタイトルの元となっている潜水艦の深度は現在でも200メートルである。
惜しいのは、「真夏のオリオン」のメロディーが印象に残らなかったことである。
原作は実話が元なので当時の曲が使われたのかも知れない。潜水艦をテーマにした
映画の中では、良く出来た作品だった。

2010年 8月06日

『アリス・イン・ワンダーランド』(2010年)ティム・バートン監督作品を観た。
3D映画だから疲れてしまうと思ってDVDで観た。ルイス・キャロルの
『不思議の国のアリス』『鏡の国のアリス』の冒険から13年が経ち19歳に
なったアリスの婚約話から物語は、はじまる。劇中の会話でアンダーランドと
いう言葉が出てくるのでワンダーランドではなくて実際はアンダーランドなのかと
気がつく。赤の女王と白の女王の戦いが起こりアリスは白の女王の味方となり伝説の
剣を取り甲冑を身にまといドラゴンみたい怪物と戦い倒す。王位が白の女王に戻る。
そして現実に戻り、自立した女性アリス・キングスレイとして貿易会社で父の夢を
実現するため船で香港に旅立つ。働く自立した女性として生きることを選び旅に出る
あたりは、少女の終わりであり同時にアリス症候群なんて甘い事を、言ってられない
というメッセージにも取ることが出来る。ピーターパンシンドロームというのもあり
ピーターパンと関わりがあった子供が成長して弁護士になっている。その子供と関わり
を持つというストーリーだった。このように後から物語の続きが作られた映画はまだ
ある。「オズの魔法使い」のカンザスに戻った後、又、ドロシーがオズの国に戻って
くるストーリーだった。『Return to OZ』(1985年)ウォルター・スコット・マーチ監督
作品だが、通じるものがあるような気がした。アリスのイメージは、チャシャ猫だが
公爵夫人は登場しなかった。CGとの融合でファンタジーをリアルに観ることが出来る
ようになった分、観る側は、イマジネーションをあまり必要としなで済むかも知れない。
白の女王と赤の女王の対決の兵士の甲冑が良く見ると面白い。白の女王の兵士の甲冑は
チェスの形を模していた。3Dで映像を楽しむための作品なので、複雑で難解な
ストーリーにしないで、ありきたりのストーリーにすることで内容が理解できる
ような気遣いが感じられる。この手の作品は、物語を楽しむというより観光旅行や
アトラクションを楽しむように観るのが良いのだろう。
ディズニー作品には、イマジニアという職業がクレジットされておりアイデアを
出すと報われるようになっている。生前、自分でアイデアを出せる人間は
自分で独立して事業を興す。優秀な人材に長く勤めてもらう待遇として作られた
システムが生きているようである。


『昆虫探偵ヨシダヨシミ』(2010年)佐藤佐吉監督作品を観た。昆虫と会話が
出来る探偵で報酬にオオクワガタを貰うのだが報酬にされるオオクワガタと
依頼虫の関係が良く分らない。ピノキオのコオロギみたいに未来を予知する
玉虫からアドバイスを受けて新宿大爆発から5年後に世界滅亡が起こらない
ように活躍する訳だが人間に寄生して操るあたりは、悪クワガタより寄生虫の
方がリアルだけど宇宙生命体みたいにSF化するので、ユルイ感じで映画を見る
というより自主制作のビデオを楽しむ感じで深く考えないで楽しむと良い。
ラストの本物の田中刑事の登場と衝撃的死!哀川翔さんの拳銃の似合う田中刑事
と虫眼鏡の似合う探偵ヨシダヨシミのギャップを元はギャグマンガだと割り切って
楽しんだ。虫眼鏡が似合う昆虫探偵という発想に加えて助手が犬とインコで
当たり前に会話しているのに昆虫探偵というのが、ほのぼのしている。かたや
リアルなCGで、そびえる都庁の残骸とのギャップも面白かった。


2010年 8月05日

『チャーリー』(1992年)ロバート・アッテンボロー監督作品を観た。タイトルから
分る通り、チャールズ・チャップリンの一生を映画化した作品である。
チャップリンの幼少期から青年期は貧しかった。母親は登場するが父親については
酒飲みだった。とだけしか語られていない。酔っ払いの演技の上手いチャップリン
だが語らないことで父を歴史から葬る程の恨みがあると推測したくなる。
母親を精神病院に入れるのも困窮生活は精神的に不安感をあたえる。これが続くと
発病して障害として残り治らない。イギリスは国民が医療費をしないで住む国である。
通院すると病院の窓口に交通費の領収証を出して立て替えたお金を受け取る国だ。
アメリカは、金が無い人間が病気になると死ぬが金があると助かる国である。
とはいっても億金は必要だ。いろいろな映画を観ると、それぞれの国の良い面と
悪い面を見抜けるようになる。パズルのピースのように断片的に批判が込められている。
それを組み合わせると全体像が見えてくる。
横道に反れてしまったがチヤップリンは、トーキーになったとき「浮浪者は、話さない。
話すと魔法が解ける。」と言っている。ダグラス・フェアバンクスとユナイトを創設する
が国外追放される。チャップリンの場合は女性問題が影響している。
語られない父親を反面教師に酒で破滅しなかったようである。
アメリカでの最後の作品は「ライムライト」その後、「ニューヨークの王様」を
作っているが省略されていた。チヤップリンが国外追放になった頃は
ドルトン・トランボなど「ハリウッド10」と呼ばれレットパージで仕事を
奪われた時代である。その辺の歴史を踏まえて見ると良い。偉大な実在の人物の
生涯を1本の映画にするのは大変だと感じた。映像資料は残っているから編集して
入れると良いが「市民ケーン」の誰でも知っている事を編集しただけではダメだと
いうセリフや取材の切り口のことを、思い出してしまう。特にチャップリンは製作総指揮に
加えて原作者で映画監督で主演俳優で音楽まで1人でこなしてしまう。
それだけに映画化する難易度が高い。映画化できただけでもスゴイといえる。
酒飲みとしか語られていないチヤップリンの父親。家族は、夫が酒に溺れて浮気すれば
離婚となって壊滅する。子供がいれば一見、分らないが精神に深刻な傷を作り悪い環境が
続くと負のスパイラルに陥り社会に影響を与える可能性まである。現実は数学でない。
マイナス×マイナスがプラスにならない。
ウォルトディズニーの父親は聖職者で家庭を大切にしたのと比較すると対極に感じる。
質素でストイックな生活と従業員を大切にする姿勢が現在も企業として続いていると
思える。『チャーリー』は色々なことを思い出させたり考えさせたりする映画だった。


2010年 8月04日

『ラジオ・ディズ』(1982年)ウディ・アレン監督作品を観た。戦前・戦後を
通してラジオのある家庭とラジオとの付き合いを映画にした作品である。
当然のことだがラジオは映像が無い。活字だけの小説と同じく言葉からイメージを
膨らませなければならない。小説は活字からイメージを膨らませなければならない。
その為には、読み解くだけの知識が必要になる。その為に音楽を流しトークの時間を
短くする番組編成が多く採用されるのだろう。最近の音楽は、昔の歌謡曲や演歌みたい
に歌詞を重要としなくなってきたらしい。雰囲気とノリが重要なのだろうか?

2010年 8月03日

『秋刀魚の味』(1962年)小津安二郎監督作品を観た。この作品が遺作である。
父子家庭の1人娘・路子(岩下志麻)が婚期を迎える。24才が当時の適齢期で
ある。社内に個室がある程の初老のサラリーマン平山周平(笠智衆)が中学の
同級生と3人で座敷で飲んでいる。第二次世界大戦で生き延びて高度経済成長期の日本
が垣間見える。「ひょっとこ」というあだ名の恩師佐久間清太郎(東野英治郎)を
見かけたことから先生と教え子の関係で飲み会をする。帰り際に車で送るが、
ダルマ(ウィスキー)を家に着く前に飲んでしまう。家には、結婚しないで
父親の面倒をみる娘がいた。平山周平は、自分の娘と恩師の娘の姿を重ねて見合い
相手を探しだす。偶然連れていかれた酒場“かおる"のマダムが亡妻に似ていた
ことで心をひかれた。バーの止まり木で1人で飲んでいると艦長と戦争時代の部下に
声をかけられ店のママまで駆逐艦の艦長だったと聞かされ軍艦マーチをかける。
調子を合わせて海軍式敬礼につきあう。それだけのことでも部下思いの艦長で
統率の取れた艦だったことがわかる。船の規模は、駆逐艦あたりが極端な階級差も
なく寝食を共にして任務を遂行するのに調度良かったらしい。
中学を出て40年が経過している。ひょっとこは、チャンそば屋(ラーメン屋)を
経営していた。平山周平の息子平山幸一(佐田啓二)は嫁をもらい新婚である。
幸一夫婦は共稼ぎながら団地に住んで無事に暮している。ある日、冷蔵庫を買いたい
と実家に来る。会社の同僚がマクレガーのゴルフセットを売りたいが大切なものだから
大事に使う人にしかうりたくないと話を持ちかけられる。父親に電気冷蔵庫を買うからと
五万円を出してもらい残ったお金で払おうとしていたが妻が反対する。結局2000円
10回の月賦で買うことが出来た。妻の平山秋子(岡田茉莉子)は、白いハンドパックを
買うと夫が趣味に金を使うと自分も金を使うと言っていた。ほしい物と必要な物は違う。
ムダ遣いすると言えるほどゆとりがあったか、購買力があった時代のようである。
この時代は、クレジットカードなんて無かった。
先生の述懐を聞かされて帰った平山周平は路子(岩下志麻)に結婚の話を切り出した。
路子は父が真剣だとわかると、妙に腹が立ってきた。今日まで放っといて急に言いだす。
勝手すぎる。和夫の話だと路子は幸一の後輩の
三浦を好きらしい。平山の相談を受けた幸一がそれとなく探ってみると、三浦はつい先頃
婚約したばかりだという。口では強がりを言っていても、路子の心がどんなにみじめな
ものかは平山にも幸一にもよくわかった。堀江晋(旧友)(北竜二)と河合秀三(旧友)
(中村伸郎秋)も見合い話の前に平山周平の迷いを断ち切るように見合い話がダブルブッキング
したようにして後押しする。そして路子は河合秀三(旧友)(中村伸郎)の細君がすすめた
相手のところへ嫁いでいった。小津安二郎の作品は、大きな事件が起こらないが人生の節目や
登場人物の設定やセリフから、キャラクターとしての役者に興味を引き付ける。劇中では
平和で何も起こっていない作品でもイマジネーションのある人なら想像を膨らませて、
さりげない会話から劇中に描かれていないキャラクターとしての人物像を想像させる程である。
「秋刀魚の味」というタイトルだが秋刀魚は出てこない。家庭を作っていくという事を
花嫁の父みたいにストレートにつけていないようである。感情移入はキャラクターの過去から
現在を知らなければ難しい。そこは、誰もが経験するストーリーにすることで共感をさせて
いるなど奥が深いと感じた。それをするには、登場人物に対して観客に興味をもたせる力量が
必要である。小津作品には、長屋紳士録もあり他人の子供の為に走り回る大人の姿があった。
映画が作られて50年が過ぎて児童虐待を止める大家族から核家族となり最後は孤独死の増加
した現在の社会と比較してしまう。他人と関わることで責任が問われるから無関心でいる
方が楽な状態であることも分かる。ただ味気ない人生を送り人知れず消えていくのも退屈で
ある。平坦なストーリほど考えさせられるとは以外だった。怒りの葡萄に葡萄が登場しない
ように、この映画にも秋刀魚は登場しなかった。今年は、秋刀魚(サンマ)が一匹¥700円
に高騰したとニュースで見た。温暖化の影響らしい。


2010年 8月01日

『神の右手悪魔の左手』(2006年)金子修介監督作品を観た。那須博之監督が
急死したため金子監督が引き継いだ形らしい。楳図かずお、本人がコンビニの
客の役でカメオ出演していた。セリフが浮いている感じがした。原作者なら
もっと厚みのある話し方が出来ると思えたが、もしかしたら成長しない環境を
作って創作するタイプなのかと興味深く観た。子供目線を維持することで楳図
ワールドが構成されているのだろう。少女マンガで膨大なホラーを描き少年マンガ
では「漂流教室」や「まことちゃん」が代表作である。
映画では原作の中から『黒い絵本』の部分が抜粋されていた。最初のゴミ捨て場に
置かれたアンティックドールから事件が始まる。
足を折られて歩けない幼女に連続殺人して童話風スートリーにアレンジした絵本を
書いては、読み聞かせている。白いケーキに血がかかるシーンや冷蔵庫の首など
ショッキングだがソウが現れて神の右手で死んだ人を蘇らせて左手で殺人鬼を
ぞうきんを絞るみたいに、ねじって「黒い絵本」に封印してしまう。
ねじる感じが硬いように感じた。骨が細かく砕けた感じの方が悪魔の左手の
力を感じさせられるような気がした。
このあたりの描写は膨大な原作の抜粋なので違和感があった。
殺人鬼も消えて屋敷は消えてドールハウスになっている。
殺人鬼は、黒い絵本に描かれていた。黒いスケッチブックを燃やして全てが元に
戻る暗示を与えて映画は終わった。
たぶん少女の願望に悪魔が付け入ったと解釈しておくのが無難な気がした。
映像製作会社が「櫻の園」の時のアルチンボルドなので懐かしい感じがした。
成田プロデューサーや中原監督の映像製作会社なのでアルゴプロジェクトの流れを
組んでいると感じた。死神とかがタイトルに多く使われている作品が多い時期に
公開されたので目立たない作品になったようである。


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