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浅野琢也の雑記帳17 2010年11月〜12月

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成22年


  

12月25日に部屋の前の橋から写したスカイツリー
宇宙戦艦ヤマトに出てきたデスラー砲みたいにも見える。

2010年12月29日

『歓喜の歌』(2008年)松岡錠司監督作品を観た。みたま文化センターに
勤める飯塚主任は、市長の「らんちゅう」という金魚の世話をしながら
年末のコーラスの予約ミスに気付く。「みたまコーラスガールズ」(第一回)と
「みたまレディースコーラス」(20周年)を、同じ団体と勘違いして会場を
ブッキングしてしまう。コーラスには市長の夫人もいて何とかしようとする。
更に外人パブに通い詰めてヤクザが借金の取り立てに来るが「らんちゅう」で
シャラポワの200万円チャラにしてくれることになり市長室から持ち出して
死んだ事にしようとする場面がダメ公務員さを強調する。
コーラスに関係している女性達がそれぞれに一生懸命に働いて短い時間に
生きがいにコーラスの練習をしている姿に感動する。女性は男性より生命力が
強く粘りがある。人脈の使い方もポイントを、押さえている。
継続は力である。会場のブッキングで出前がラーメンとタンメン
の間違いが起こってギョウザを貰ったり自分の生活にも影響している事を知る。
同じコーラスを趣味にしているグループなので一緒に歌えるレベルまで練習して
いると二つの団体が合同で歓喜の歌を歌ってハッピーエンドになる。
チケットも450人分完売している。ソワレの時間調整は不可能だ。
会場に700人会場に入れて二つの団体が合同で歓喜の歌を歌って
ハッピーエンドになるまでのドタバタである。妻と娘にも愛想をつかされ
別居中。趣味に打ち込める女性は強い。難しいドラブルを全力で丸く治める。
会場の工事もハワイに行く予定の工務店の社長の母親を車椅子に乗せて来て
一声でやらせるあたりも良い。ハワイが熱海になったようだ。
離婚寸前の飯塚主任が洋服のリフォーム屋で妻に裾上げをしてもらい窮地を救って
もらいやり直そうと離婚しないで済む。3人で年越しソバを食べようとなる。
エンドロールの時に、こっそり別の金魚を市長室の水槽に入れるあたりも良い。
コーラスの衣装も黒のスカートに白のブラウスと淡いピンクのドレスで二つの
グループの違いを出している。並び方で素材感とドレープのディテールで統一感
も出せる。みたまレディースコーラスは20周年の設定なので淡いピンク
みたまコーラスガールズは定番の黒に白と衣装を揃えていく過程も想定している
のかも知れない。
松岡錠司監督のバタアシ金魚など昔のアルゴプロジェクトっぽさが良い。この後、
現実社会ではリーマン・ブラザーズの破綻で国際社会規模で、ゆとりが無くなった。
この時代の状態がギリギリだった気がする。


2010年12月24日

『ベルリン・天使の詩』(1987年)ヴィム・ヴェンダース監督作品を観た。
子供は子供だった頃・・・とペン先が動いている。そしてベルリンの街が
映し出される。廃墟になっている場所で映画の撮影が行われている。
近くの広場ではサーカスが来ている。刑事コロンボのピター・フォークが
戦争直前のベルリンに行方不明になった人を探す依頼を受けた探偵役で
出演する為、飛行機の中で考えごとをしている。一緒に乗っている人も
頭の中で考えごとをしている。天使の目に景色は白黒に見える。人間の
考えは、会話の様に聞こえる。そして図書館に集まっている。「死神の精度」
のモトネタみたいだ。天使は黒いコートにグレーのマフラーをしている。
そして色々な人間の考えていることに耳を傾けている。天使ダミエルは、
天使カシエルと手帳にメモした事を情報交換している。図書館で老詩人ホメロス
が何か考えているのを聞いたりしている。そしてポツダム広場まで付いていく。
天使の羽を付けて空中ブランコの練習中をしているマリオンという女性が気に
なっている様だ。ダミエルはカシエルと倒産して最後になるサーカスを見る。
天使が人間に恋をすると天使でなく人間になるらしい。コーヒースタンドで
ピーター・フオークがダミエルの気配に気付いて話し掛ける。人間の世界も
悪くないというような内容だ。店員はセリフの練習ぐらいに思って気にしていない。
ダミエルは、マリオンへの愛をカシエルに告白すると急にダニエルの足跡だけが
地面に残る。そして気絶すると天から鎧が落ちてきて頭にケガをして血を流す。
画面がカラーになって近くを通りかかった人に色を尋ねる。コーヒー代を貰えたり
するのは天使として人間を見守るように側にいたので人間も親近感を持つようだ。
コーヒーを飲んで鎧をアンティークショップに売り現金を作る。
後は、マリオンを探すためピーター・フオークに話かけると気配を感じた天使だと
気が付き現金を握らせる。そして自分はニューョークで鎧を500ドルで売ったと言う。
そして元天使は、意外に大勢いるという。その後でコーヒースタンドでピーター・フオークに
マリオンが刑事さんと話し掛ける。
カシエルや元天使のピーター・フォークの誘導でマリオンとダニエルは合流して
一緒になる。ラストで又、万年筆のペン先が映し出される。
ミニ・シアターでヒットした映画だけど鎧を売る場面だけ記憶に残っていた。
デス・ノートでは、死神が人間に恋をすると死んでしまう設定だった。
日本人には、天使より死神が宗教色が薄くて馴染みやすいのかも知れない。
ハリウッドリメイク版の『シティ・オブ・エンジェル』(1998年)ブラッド・シルバーリング監督作品は
ロサンゼルスを舞台に天使が高い所から落ちて人間になる。人間の女性は自転車に乗っている
マギーという女医だった。天使役がニコラス・ケイジでマギー役がメグ・ライアンだった。
セリフの中にロスト・エンジェルスでロサンゼルスという言葉があった。

2010年12月23日

『男と女』(1966年)クロード・ルルーシュ監督作品を観た。
映画の冒頭で母親が子供の手を引いて海辺を歩いている場面や
砂浜で父と子が車で遊んでいる場面からタイトルの男と女と
いうより父と母の印象が付いてしまう。回想シーンなど白黒に
なったりセピア色になったりするが単調で初めは、退屈だ。
惹き付ける物が無いので中盤の盛り上がりまで時間がかかる。
脚本家のアンヌの娘とレーサーのジャン・ルイの息子は、同じ
寄宿学校に預けられている。小学校の低学年なので毎週、親が
子供の面倒を見ている。アンヌが終電に乗り遅れてジャンが車で
送ることから交流が始まる。「映画のようにツマラナイ話」と
いうセリフで映画を観る人は、楽しい時に観るというのがあった。
ラクダを撮影する場面でアンヌの仕事をみせていた。
2人が車の窓から帽子にコートを着て犬を連れた男の絵になる姿をみる。
そしてアルベルト・ジャコメッティという彫刻家は火事の時に
レンブラントとネコだと猫を助ける。という会話をした。
中盤にはル・マン24時間耐久レースやモンテカルロ・ラリーの
シーンがあった。後半にアンヌの夫はスタントマンで死亡した話や
ジャンの妻は、レースでケガをした時にショックで精神異常を起こし
発作的に自殺した事を知る。
2人でホテルのベットで男と女になりアンヌが電車で帰る時にジャンは
駅まで車でアンヌを送っていき電車より早くアンヌの到着する駅に迎えに
行く。車の横の184番が入ったままの所が味を出している。
フランシス・レイの「シャーバダ・ダバダバダ・ダバダバダ」の
メロディーは有名だ。砂浜を一匹の犬がくるくると走り回っている
ラストが良い。そこから何を連想するかは書かないでおく。

2010年12月21日

『歴史は夜作られる』(1937年)フランク・ボーゼイジ監督作品(白黒)を観た。
海運王ブルースの妻アイリーンとパリのコルドン・ブルーの給仕長ポール・デュモン
とのラブストーリーである。アイリーンは、ブルースとの離婚訴訟に勝訴している。
但し、半年以内にアイリーンに不謹慎な行為があった場合は離婚が無効となる。
ブルースは、アイリーンを取り戻したいと様々な手を使う。ポールが殴った運転手を
殺して殺人事件を作ってしまう。ポールを犯人にしようとしたが別の男が逮捕される。
コック長のシーザーとポールは、息の合ったコンビでシーザーのソースは大量生産
されている程だ。ロブスター料理にシーザーソースを、かけてシーザーサラダに
ポールがドレッシングをかけてピンクキャップ21のワインを飲む場面がポイントだ。
アイリーン号でシーザーが厨房を借りて二人の料理を作る時にソースの絵と自分の顔を
並べて見せる場面は記憶に残る。ブルースは、危険を承知で船に速度の記録更新を命令
する。そしてアイリーン号は沈没したタイタニック号みたいに氷山に激突する。
ブルースは事故を知って、運転手を殺したのは自分だと遺書を残してピストル自殺する。
嫉妬深いのと独占欲が強いが罪の意識はあるので根っからの悪人でも無いようだ。
但し、水温9度だったり防水壁が機能して沈没を免れて救助に来る所でハッピーエンド
で終わる。ラブロマンスにサスペンスにパニック映画の要素が入っている作品に加え
キャプラスク(Capraesque)の要素も加わっている。劇中に「男と女」だよとシーザー
がメロディーを口ずさむ場面があった気がしたがクロード・ルルーシュ監督の「男と女」は
1966の作品でフランシス・レイが音楽担当しているからNHKの連続ドラマ「てっぱん」と
場面が似ていて混乱したのかも知れない。1937年の曲名を興味のある人は、確かめて
みると面白いかも知れない。キャプラスクに大切な物は、資産家でなくても
健康で教養があり才能と職業に絶対的自信を持っている男性である。


『自転車泥棒』(1948年)ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品(白黒)を観た。
『ひまわり』の監督の初期の作品である。時代背景は、第二次世界大戦の敗戦国
イタリアだ。日本と違い一面、焼け野原ではない。失業者が街にあふれている。
アントニオ・リッチは2年間も職安に通い役所のポスター貼りの職に付く。
条件として仕事に使う自転車は自分で用意する事だ。妻はシーツを質屋に入れて
自転車を質屋から出す金を作る。そして息子のブルーノと仕事にいく。
ポスターを貼っている時に、止めてある自転車を盗まれる。二人組みのように見えた。
1人が盗んで逃走する時間を無関係なフリをした人間が追跡を妨害する手口だ。
持ち主の姿を見て盗むのだからタチが悪い。被害者がどれほど困る事なんて考えない。
警察に被害届けを出したり盗品市場を探したりするが自転車にはナンバーが付いていて
部品に分解されてしまう。知り合いの溜まり場で自転車を探すのを手伝ってもらうが
見つけられない。老人が盗んだ男と話をしている。息子と老人を探して教会で
貧しい人に食事を配る所まで追いかける。そして男の住所を聞き出す。
ブルーノは、教会の食事を食べようと言って父親にビンタされる。施しの食事の意味を
息子が知っているのか父アントニオは悲しそうだ。そして目を離した時に川で溺れた人
がいると騒ぎになる。アニトニオは、ブルーノではと心配するが別人で息子は近くに
座っていた。アニトニオは、息子ブルーノに食事をさせようとレストランに入る。
ピザがなくてパイを注文する。そしてワインも。ブルーノと同じ年ぐらいの子供も
家族で食事をしている。ナイフとフォークを使っている。ブルーノはナイフとフォークを
使えない。手掴みで食事をする息子に給料の計算をさせる。そして母親の行っている
占い師に聞いたら「すぐに見つかるか、永久に出てこない」と当たり前の事を言われる。
アントニオは息子に電車賃を渡し先に帰れと言う。息子は電車に乗り遅れる。
アントニオは、一台の自転車を盗んで走って逃げるが捕まってしまう。父の事を心配して
いるブルーノを見た持ち主は今回は見逃してやると言う。アントニオとブルーノは手を
つないで雑踏に消える。週末に盗まれて日曜に捜し歩いていたようだ。

自転車にナンバーが付いているのはビックリだ。日本は防犯登録が最近だ。
駐車違反の取り締まりが厳しくなったら車やバイクの盗難が減ったようだ。


2010年12月20日

   (チラシとパンフレット)
『海炭市叙景』(2010年)熊切和嘉監督作品を観た。原作者は佐藤泰志という
芥川賞候補と三島由紀夫賞の候補になるも受賞を果たせず41歳で自殺している。
18編からなる原作から抜粋して映画化された。この手の作品は、脚本にして整合性
を持たせるのは難しい。舞台の函館は北海道でありながら中途半端に雪が降る地域で
ある。千歳空港が出来てからは寂れていくだけの街だ。明治から大正そして昭和の初め
までは、漁業や開運で栄え景気の良い時期もあった。札幌近郊の中学生は修学旅行で
十和田湖まで行くので泊まる街だった。原作に美術展を楽しみにしている役場の男の
話があるがイベントがあっても札幌が北海道の中心だ。函館の若者は東京か札幌で
働かないといけない。この映画には、歴史的建造物が出て来ない。冬の海が広がっ
ている寂れた地方都市ならありそうな話を映像化している。船の進水式の場面で
アルフレッド・ヒッチコックの逃走迷路を思い出してしまったが活気のあった時代の
海炭ドックと造船不況による人員削減で労働組合の執行委員だけが末端の組合員を
見殺しにして保身を謀る。首になった兄は妹と小銭を持って初日の出を見に行き
モノレール代が1人分しかなく遊歩道を徒歩で降りたハズだが行方不明になる。
2人で掻き揚げを二つに切って乗せた年越しソバを暗い表情で食べるあたりは、
不安の中で暮らしている感じが伝わって来る。
海炭市では都市ガスのインフラが無いためプロポンガスを使っている。プロパンガスの
若社長の家は、再婚らしく母親が小学生の子供に暴力をふるっていた。子供は居場所を
無くしプラネタリウムで贋物の星をみて時間を潰していた。父親が子供のケガに季が
付いて妻の顔面にパンチを喰らわして倒れた所にケリを入れた。浄水器を販売して
売り上げにつなげようとしていたが父の助言でやめた。ガス代を滞納しているヤクザの
男のアパートの前で親指の上にボンベを落として爪を割ってしまう。
市電の運転手の息子が東京から戻って来た。実家があるのにホテルに泊まっている。
所持金が10000円だと言ったら飲むだけなら5000円と言われたが8000円
取られていた。まあ交通費を残してボッタくるセコさに東京で何をしているのか語れる
程の事が無いのが函館の北海道と本州の境目の覚悟の無い中途半端な立地が人格に影響
してしまう人がいてもおかしくない。墓参りで父親と鉢合わせるが殆ど会話が無い。
バスに乗り合わせてもワンマンカーの停止ボタンすら押さないあたりの動作から他人以上に
関わりたくない様子がわかる。エレベーターに乗り合わせたらボタンぐらい押すだろう。
古い一戸建てにヤギやニワトリと巨大なシャム猫と暮らす老婆がいる。農家らしく
朝市で野菜を売っている。白菜500円と書いてあり高い!と思ったらダンボールの
裏に200円と書いている方に表示を変える場面はベストタイミングだった。
役場に勤める親戚が引っ越すようにと訪ねて来るが雪かきをして帰る。商業地域に
再開発されるらしいが「おれ、ここさいる」(北海道の漁港では、かなり言葉が訛って
いる。)この家に大きなシャム猫がいたが、冬に姿を消した。春に開発が、はじまり
重機が動き出すようになったら妊娠して家に帰ってきた。「産め産め、なんも心配する
事は無い」と老婆がネコを撫でている。テレビから行方不明の男がガケから落ちて死亡
して海に落ちる手前で引っかかっているとニュースが流れている。東京から来た男は帰りの
船から海炭市を眺めている。
極端にドラマチックでもなく、誰もが体験しそうな霧の中にいるような半透明の記憶が
淡々と流れていく娯楽性より芸術性の高い映像作品といえる。
佐藤泰志は三島由紀夫賞の候補になったが三島由紀夫ですら娯楽作品として市ケ谷で切腹する前に
マンガの「あしたのジョー」を読んでいた。清聴と連呼していたが文章の流れから判断する。
「ご清聴ありがとうございます。」と使用すべきだ。
口から出た言葉がマンガの吹き出しみたいに漢字で表示される訳でない。「静かに聞いて下さい。」
と言えば通じる。三島由紀夫ですら、この程度のコミニュケーション能力だと思えば文学も冷笑できる。
アニメの「あしたのジョー」の歌詞を書いたのは寺山修司だ。力石徹の葬式の葬儀委員長も
寺山修司だ。娯楽作品の中に芸術性の高いメッセージが埋め込まれていたり芸術作品の中に
遊び心が埋め込まれている。そこを見抜ける洞察力があれば一流になれる。
賞を取るには、一定以上の完成度が必要だ。取れない人は無冠で終える。
原作者の勤め先では仲間の栄光を賞賛しない。新潮社の新人賞を受賞した人が赤旗の文化部を
退職したと聞いた。佐藤泰志は、あかつき印刷に勤務した経験がある。職業訓練校は親元を
選ぶあたりで背水の陣の覚悟で上京していないのではと疑ってしまう。技能士を取るなど結果を
形に出来ていない。普通なら成し遂げる事をしてからでないと死に切れないハズだが精神の
病気なので普通でない。この場合は独自の解釈で理解する方が良い。
原作者の自殺があり映画の世界で受賞経験のある監督や撮影に協力してくれた人のおかげで
第23回東京国際映画祭コンペティション部門正式出品作品・第12回シネマニラ国際映画祭
(フィリピン)でグランプリ(Lino Brocka Grand Prize)と最優秀俳優賞(アンサンブル・キャスト)
(Vic Silayan Award for Best Actor)の2賞を受賞。
「2010年松本CINEMAセレクト・アワード 最優秀映画賞」を受賞したと言えるかも知れない。
同じ函館出身の作家なら「雷桜」の宇江佐真理氏の作品は、東宝系で300館クラスで公開が
終わった所でもある。原作者の佐藤泰志は精神疾患になっての自殺なので未完の大作を残すほうが
残った人達の力で良い完成度の高い作品に仕上げてくれたと言う意味で良かったのかも知れない。
私も微力ながら協力したのでクレジットに入っている。
函館を舞台にした名作といえば小林多喜二の「蟹工船」を思い出す。「蝸牛(かたつむり)が背のびを
したように延びて、海を抱(かか)え込んでいる函館(はこだて)の街」と言う表現や
ビリー・ワイルダー監督の『皇帝円舞曲』のセリフで「貴族とは蝸牛(かたつむり)みたいもので
殻から出ると死んでしまう」という言葉を、思い出してしまう。殻が無いとナメクジだ。
不況で干からびて死にかけた蝸牛(かたつむり)みたいな街、殻の無いナメクジみたい街が日本の
至る所にありそうな時代だけに受け入れられたと思える。灰色の海に黒い町。夜の夜景は美しい。
しかし船なら室蘭から札幌が便利だ。夕張みたいに忘れ去られていくのだろうか?

2010年12月18日

『オペラ座の怪人The Phantom of the Opera』(2004年)ジョエル・シュマッカー
監督作品を観た。観るのは2度目だ。なんと言っても顔にヤケドのケロイドがある
だけでスタイルや身のこなしがカッコいい。眼帯の軍人を見ているようだ。
そして殺しっぷりが良い。ジャーン・ジャジャジャジャ・ジャーンとテンションを
上げるBGMと共にデス・バィ・ハンキングをステージでやってしまう。
身につけている服までスキが無いコーディネートだ。確か吹き替え版がなくて
金曜ロードショーでアンドルー・ロイド・ウェバーのミュージカルの上演を国内で
行っている劇団四季の協力で出来た作品だ。クリスティーヌはバィオリニストのダーエ
の娘だけに音楽の才能がある。オペラ座の運営者にラウル子爵が加わったときに名前から
無くなった父親のことを知っていた。立派な墓があるからダーエ家の家柄の良さがわかる。
最初は、セピア色のオペラ座の小物のオークションシーンから、はじまり修理された
シャンデリアの電気が入ったと同時に過去のオペラ座の華やかしい時代に戻る。
子爵の紋章が馬車のドアに入っている。馬車から自車車になったらドアに紋章が入って
いる。オペラ座の怪人が隠れ住んでいるパリの下水道だが下水の割りに清潔そうに見えた。
馬やゴンドラで移動するあたりは、アダムス・ファミリーを思い出す。
仮面舞踏会の衣装や観客の衣装を見るのも忘れてはいけない。デザイン学校出身の監督
作品だけにスタイリストに任せっきりにする監督とは、一味違うのかも知れない。
オペラ座の怪人は、クリスティーナ・ダーエから手を引きラウル子爵に任せて行方不明に
なる。ラウル子爵が猿のシンバルの仕掛け玩具を妻そして友人と彫られた墓に備える。
黒いリボンを結んだバラの花も供えられている。オペラ座の怪人も生きているようである。
過去にもオペラ座の怪人は、何度か映画化されているが、この作品のクォリティーは高い。

2010年12月17日

『レポゼッション・メン』(2010年)ミゲル・サポクニック監督作品を観た。
時代背景は財政破綻したアメリカである。アフリカで戦争があった後の社会
でもある。復員兵が再就職先にユニオン社で高価な人工臓器のローン返済の
滞った人間から人工臓器を回収する職業に付いていた。
家は滞納があると追い出され車は支払いが遅れると回収されるのと同じだと
言っている。払えるまで稼いだとしても金利が高い。ローンは長生きできる
状態でないと貸さない。連帯保証人がいるわけでもない。回収の目的はルールーが
あり守らせる人間が必要という事らしい。契約の内容が違法なら無効になるハズの
基本ルールまで考えて作られていない。「ベニスの商人」のシャイロックが裁判を
起こさず実力行使するような行為だ。回収から販売へ移動を希望したレポメンの
レミーは心臓停止装置の故障で重傷を負う。仕事中の事故だが労災も無く人工心臓を
埋め込まれて負債を抱える。そしてショックで相手から回収できなくなってしまう。
相棒のジェイクが今まで通り相棒でいてほしいと細工した事が後にわかる。
そしてユニオン本社の顧客データを破壊するためピンクのドアに向かう。
しかし失敗して脳を損傷して夢を見続ける人工臓器まで付けられる。
映画はシュレディンガーのネコの話から始まる。医療費による多額の負債は非課税に
するしかないだろうし債務奴隷の禁止など条約がある。保険によって受けられる治療の
内容が違うアメリカらしい発想だ。医療制度の問題提起にはなる作品だが娯楽作品として
みると近未来の社会システムの背景設定が甘い。リクープまで半分近く興行成績がない。
作り手の洞察力と整合性を欠いた作品だった。


『愛のむきだし』(2008年)園子温監督作品を観た。人間の心の闇に宗教が
入り込む作品だ。しかも「七人の侍」や「風と共に去りぬ」並に長い。
前半は、神父の父親に懺悔する為に罪を作るためにパンチラの盗撮を極める。
後半は、カルト教団との対決で名前を「アネゴさそり」と名乗って爆弾と
日本刀を持って大立ち回りをみせてくれる。目から血の涙を流したり砂浜に
放置された旅回りの劇団の朽ち果てたバスのシーンなど退屈しないで済んだ。
宗教に女まで絡むと家庭が崩壊して精神異常者を生み出すようだ。
人の不幸を食い物にするカルト宗教に人の不幸は蜜の味と感じる俗世に生きる
凡人としてギャグやコメディーの入ったバラエティー番組的な内容のドラマだと
割り切って楽しむ内容だった。「女囚さそり」のパロディーとして楽しんだり
キル・ビルっぽい流血を楽しんだりするのが良さそうだ。カルト宗教の洗脳を
解くための施設で体操をしているあたり健康な身体と精神のギャップを感じる。
「七人の弔い」みたいに虐待と悪を貫く親達を観たが肉欲を愛にすり変える事の
罪の意識の無さと、どろどろ感が善も悪も無い見境いのない「愛のむきだし」と
いうタイトル通りの内容だと納得できた。
「街中に透明な銃弾が飛び交っていて当たらないように生きている。」
平和に見えていて戦場にいるのと変わらない状態の描写は共感できた。
未来惑星ザルドス(1974)のバックグランドミュージックと同じ「ベートーヴェン
交響曲第7番第2楽章」と思われる曲が流れていた。


『ナイト・エンジェル』(1989年)ドミニク・オセニン=ジラール監督作品を観た。
ホラー映画らしい。土の中から女で出てくる。アダムのイブの前の女房にされる
リリス(夜の魔女)が復活する。リリスは様々な呼び名がある。この映画では、
ファッション雑誌の表紙(カバー)になって魔力を増強しようとする。
そして人間をあやつろうとするが黒人の霊媒師が退治してくれる。中世以降の
ファンタジーでリリスは、アダムの最初の妻にされることがあるらしい。
リリスが復活しただけで入院中の乳幼児が一気に死んでしまう。
ファッション雑誌の出版社のスタッフの衣装のバランスが悪くデザインを学び
コスチュームを作るスキルのある衣装担当者を付けていないようだ。
ヘビみたいな皮膚と粘液が特殊メイクとマッチしているがキモチ悪く単調な
ストーリーだった。今、現在ウィキペディアにも無い作品だった。

2010年12月15日

『或る夜の出来事』(1934年)フランク・キャプラ監督作品を観た。
娘エリーと父親が、あの男とは結婚させないと喧嘩している。
父親の大型クルザーから海に飛び込んでニューヨークの婚約者の所に
向かう銀行家の令嬢と特ダネを手に入れようとする新聞記者ピーターとマイアミ
からニューヨークに向かう長距離バスに乗り合わせて恋に落ちる話だ。
探偵を大勢雇い新聞に懸賞金までつけて娘を探す。
(なんだかローマの休日みたいシチュエーションである)
途中で2回荷物を盗まれたりする。バスが途中で一泊するときに
夫婦を装うが部屋を毛布で二つに分けて「ジェリコの壁」と呼んでいた。
シャワーの為に外に並ぶ場面は、庶民と上流の格差を表現していた。
映画が世界恐慌直後の後のアメリカだったから治安が悪いようだ。
新聞記者が泥棒の車を奪い移動手段を得る。
婚約者との結婚式で花嫁に逃げられると、そそのかす父親も変わり者だ。
そして最後は、金は無いけど欲の無い新聞記者との結婚を父親が許す。
新婚旅行は安モーテルだ。上流社会しかしらない娘を下流で生きられる
ようにする為なのだろうか?アカデミー賞を5部門も受賞した作品だ。
(作品賞、監督賞、脚色賞に主演男優賞クラーク・ゲーブル、
主演女優賞クローデット・コルベール、)
世界恐慌の直後の暗い世相の最中、楽天主義、アメリカン・ドリーム、ユーモア、
そしてヒューマニズムをふんだんに取り入れたキャプラの作品はキャプラスク
(Capraesque)と呼ばれていた。私の好みは興行的に失敗した『素晴らしき哉、人生!』だ
現代に通じる名作だと思う。日本は長距離の旅は鉄道で移動していた。長距離バスは
ここ最近のような気がする。モンローの『バス停留所』や『真夜中のカウボーイー』
でも長距離バスのシーンがあった。

2010年12月14日

『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』(1972年)ルイス・ブニュエル監督作品を観た。
中南米のミランダという国の大使と友人たちセレブが互いをディナーに招待するが
日にちを間違えたり急用が入ったりする。大使館で麻薬の取り引きをして不安を抱えて
いる。第二次世界大戦後にナチスの残党が多く移り住んでいるらしい。
大使館の前で遊んでいる少女のオモチャを窓から狙撃して追い払うが食品の入った
バックを下げて訪ねて来て白昼堂々の暗殺者で銃を取り上げて大使館を出たら何処かに
連れ去られる前の会話で資本主義と共産主義の話が出てきたりして東西冷戦を思い出し
たりした。夢オチの連続でストーリーが良く解らない。とにかくディナーを食べようとすると
アクシデントが起こり食べられなくなる。レストランでは、紅茶が品切れで更にコーヒー
も品切れ。ディナーを食べようとすると1個小隊を率いて大佐が軍事演習の後で寄って
食事しようとする。しかし急用で出発する。何とかワインを飲んでいると外交官特権を無視
して食卓にいる全員逮捕するが外交問題で大臣からの命令で即、釈放。
ポタージュとメィンディッシュの肉のディナーを食べているとマシンガンを手にしたモサド
(イスラエルの秘密警察)らしき男達が全員を射殺したら夢だったり教区の司祭が労働司祭と
して屋敷の庭師として働き、そこは自分が生まれ両親が殺されて迷宮入りだった屋敷だった。
病気で働けなくなった前の庭師が免罪の懺悔で告白する。免罪の祈りをして司祭の仕事を
して目をつぶっていなさいと言い散弾銃でトドメをさしたりと夢と現実が入れ代わって
いる。現実は、ベットから起きて冷蔵庫の冷たい食事を食べる場面なのかも知れない。
舗装されているが細い田舎道を大勢で歩いているのが夢か現実か解らないが目に残った。
タイトルがブルジョアジーと言うだけあってブラウスのリボンのボリュームが
良いしドレスのシルエットも良い。ジャン・パトゥが衣装担当に加わっていただけある。
ミランダ国の大使が付けているシックな地色に大きな丸の柄も個性的な髭に程よい感じだ。
これが当時のフランスのさりげない文化レベルを感じさせてくれる作品だった。

『新幹線大爆破 SUPER EXPRESS 109』(1975年)佐藤純弥監督作品を観た。
なんと時速80km以下に速度が落ちると爆発する。スピードの元ネタ映画だと
思われる。夕張発の貨物車を同様の爆弾で爆発させる。
北は北海道から博多までを舞台にしたパニック映画で高倉健さんが黙々とトラックに
オートバイを積んで首都高で乗り換えたり黄色いヘルメットに作業服で縄梯子で空き地
に用意している車に乗り換えたり千葉真一が新幹線の運転手をやっている映画で観た人も
多いだろう。久しぶりに観るまで「動脈列島」と記憶が混乱していた。
仲間が次々と死んでしまうが成功させる事が目的のようである。金の使い道も若い仲間は
ハーレーの1200で世界一周したい程度の夢だ。オートバイは持っている。
犯行の背景は、Automatic Train Stopシステムを作る技術力を持ちながら倒産した
中小零細企業の社長の社会への復讐という事だと思われる。
空港で偽造パスポートの場面で逃げ切れると思われた。刑事や警察官は走って犯人を追い
詰める動きのある時代の映画だ。会議室の葛藤も面白いが自分の足で走るという基本的な
アクションは説得力がある。血と汗と涙に偽りは無いハズだ。
が別れた妻と子の様子で警察が気付いて射殺される。カラーから白黒になりフェンスの前で
倒れるだけで血糊など特殊効果を省いても演技力と演出で十分、説得力があった。
外国のタイトルがSUPER EXPRESS 109だから109シネマズで観てみたい。

2010年12月13日

2年前にデザインした制服を着用したAKB48の大島優子さんを
表紙にした月刊B.L.Tが出版されていたので入手しました。松竹さんの「櫻の園」は
懐かしいです。リボンの校章がワインレッドなので2008年の櫻の園では
高校3年生の設定でした。
今年は、東宝さんの映画ボックス!のリングウェアとTBSドラマ・ハンマーセッション!の
制服でした。後は、グッズ関係や映画上映中の劇場スタッフ用制服などでした。

2010年12月11日

『嘆きの天使』(1930年)ジョセフ・フォン・スタンバーグ監督作品を観た。
マレーネ・ディートリッヒが演じるローラーと初老のラート教授の
5年間の物語だ。シルクハットにガーターを見せて唄う姿は印象邸だ。
ハンブルグのナイトクラブ「嘆きの天使」に学生が通いつめているのを諌めに
行ってローラに夢中になり教職を失いローラと結婚して一座で雑用をする。
教員時代の預金も使い果たし自分の妻ローラのヌード写真を酒場で売ったりする。
座長は、手品師でショーの助手に使おうとするが5年後の巡業先は、「嘆きの天使」
だった。ピエロの姿で舞台に上がったラートは、屈辱のため発狂して昔、勤めていた
学校に入り込み教卓にうっぷして死んでしまう。手の指は、教卓にしがみついている
ようだった。
ナイトクラブの天使の装飾や舞台にクマが上がったりする一座なので色気が
メインではない様子だ。写真の足の部分を羽で隠して息を吹きかけると
足が見える仕掛けを考えたり、ピエロの鼻からタマゴを出して頭で割った
ところでコケコッコーを鳴かせる演出など不況の時代を乗り切っているように
みえる。ショルダーポイントに引っ掛ける程の巨大なシャツカラーの衿と
カフスなど良く考えたものだ。
ギムナジゥムの学生達は学生帽を被っていた。
白黒なので「西部戦線異常なし」の先生と重なって見えた。 日本だと太鼓持ちに
なった状態といえる。授業でハムレットを教えていたから文学か国語の先生なの
かも知れない。大衆芸能が芸術作品に昇華する例は沢山あるのだが・・・
見世物小屋だって学会ができて研究される時代になった。
自分で作り上げた研究や発明ならマレーネディートリッヒの足より大切だと
身を持ち崩さないから物語が成立しない。一座も面倒見が良い。
これがチャップリンのサーカスなら雇わないとかスグ首になっていたなど
考えてしまう。チップス先生さようなら・みたいに一生を真面目に勤め上げる
ストーリーの方が私は好きだ。ショービジネス巡業物やスポーツ巡業物でなく
イマニュエル・ラートの破滅の物語だった。淀川長治氏は、解説でローラは悪い
女だと言っていたが独身で独り身のラートの妻になって5年も面倒を見ているの
だからそれほど悪女でも無いように感じた。

2010年12月 9日

『地獄に堕ちた勇者ども』(1969年)ルキノ・ヴィスコンティ監督作品を観た。
鉄鋼会社を経営するエッセンベック男爵家一族の館で食事をする場面が多い。
女のメイドではなく男の給仕がホテルのボーイみたいなブルーの制服で食卓を
整えている。
その中にナチスの親衛隊のアッシェンバッハ高級中隊指揮官(大佐らしいが
親衛隊の階級は特殊だったので不明)が招かれている。
映画の最初のパーティーで1930年の「嘆きの天使」の場末の歌姫のマネで
マレーネ・ディートリッヒが、帽子に下着姿で椅子に座る場面のコスプレをして
「私が欲しいのは本当の男」と鉄鋼会社の息子が歌う場面がある。
一族の長であるヨアヒム男爵が寝室で射殺されて企業の相続問題が起こり
ヘルベルトをヨアヒム殺害犯にしてしまう。
息子が母親をレイプすることで母親を支配する立場に変わるなど当時としは、
衝撃的な場面も多いが21世紀になってテレビニュースやバラエティー番組で
当たり前の日常にもっと刺激的な内容が放送される時代にみると平淡に見える
から不思議だ。(価値観や社会観は時代で変わる)
アッシェンバッハ親衛隊高級中隊指揮官の電話で炎上しているという会話で1933年の、
ドイツの国会議事堂炎上事件だと解ったりする。
特攻隊のレームを親衛隊が襲撃する名場面もあり酒に酔って朝、目が覚めた所を、
いきなり襲撃する。ヒットラーは、酒を飲まないので親衛隊の隊員は、酔いつぶれる
飲み方はしないのようである。ベルサイユ条約で軍備の制限をしたためナチスという
政党の正規でない軍隊が生まれてしまったり、21世紀の最近のニュースで
払い終わった第一次世界大戦の賠償金と報道されていた多額の賠償金だが
当時、この怒りが渦となって第二次世界大戦に向かっていったドイツの歴史を
感じた。鉄は国家なりと昔は、言われていましたが家庭なんて相続絡みで
殺伐とした感じになることをディナーの場面で解らせてくれる。
劇中のアッシェンバッハ親衛隊高級中隊指揮官のセリフに「父の冷酷さ・フリードリッヒの野心・
マルティンの非情さ」を引き継いで「怒り」を持っている「私怨」に使うのはもったい
ないと仲間に引き込んでいく。当時のドイツは若者が怒りを感じる時代だったようだ。
(今の日本では、若者は怒るのも諦めて引きこもっている状態だ。怒りにもエネルギーが
必要だ。疲れきって酒すら飲まない若者が増えているように感じる。
居酒屋チェーンの中には、酒を飲まない人が飲酒する人の費用まで払うのをイヤがり
客足が減っているため無料の酒を用意して不公平感を無くすようにしたとニュースで
やっていた。)
「長いナイフの夜事件」の描写も、(1934年6月30日から7月2日にかけて、ナチ党が行った
粛清事件)
特攻隊員が酔いつぶれている所を襲撃するより早朝に酔いから覚めた所で襲撃するあたりで
最大の残酷描写ですらスッキリした名場面になっている。
エルンスト・レームら突撃隊 (SA) 幹部、グレゴール・シュトラッサーらナチス左派など
ナチ党内の「反ヒトラー」勢力が粛清された。またクルト・フォン・シュライヒャーなど
党外の反ナチ派も粛清された。ヒトラーの公式発表によると77人が死亡したことになっているが、
116名の死亡者の氏名が明らかになっている。亡命ドイツ人の発表では千人以上という数値も
主張されている。事件名は、5世紀ウェールズでのザクセン人傭兵による、ブリテン人への
宴席での騙し討ち(隠し持った長ナイフによる殺害)にちなむらしい。(ウィキペディア
に詳しく載っている。)
映画にはダーク・ボガードにヘルムート・バーガー が出ている。
アッシェンバッハ親衛隊高級中隊指揮官の利用しやすい男爵の孫であるマルティンが鉄鋼会社の
権力を手にした場面で終わり最後に溶鉱炉の中の解けた鉄が映される。

『にんじん』(1932年)ジュリアン・デュヴィヴィエ監督作品を観た。
フランソワ少年が2ヶ月間の夏休みに入る前に作文に 「家庭とは、
共感し得ない人たちが同じ屋根の下に集まっているところだ」と書いた
所から物語ははじまる。先生は、学校で教育を受けさせているから良い親だと
思っている。父親は、村長で家政婦を1人雇っている。母親は、末っ子のフランソワ
だけ「にんじん」と呼んで、やたら用事を言いつける。それに対して父親は何も言わない。
母親が暴力で勝てて反撃しないから「にんじん」ばかり使っている。後妻らしいが
実の母親である。夫婦仲が覚めた後に生まれた子供だから愛情が無い。
にんじんは、父をルピック氏と呼んでいる。ハグしようとすると足を踏むなと言われている。
年老いた家政婦が仕事が出来なくなり若い家政婦を雇うが、兄弟のことや「にんじん」
だけ扱いが酷いのを見かねている。
夫の代わりに子供を虐待するパターンのようである。歳の離れた兄と妹がいるが
兄がタイヤを買う50フランがほしくて妹に話すと母親の引き出しに入っていると
妹が教えて妹は「にんじん」のせいにして分け前を貰おうとするが喧嘩になる。
父親に聞こえるように「お父さんと私とどっちが好きだい」と聞いたりする。
いっそ学校の寮に入りたいなどと真剣に悩んでいる。
悩んでいるとき白黒映画だが半透明の状態で自分と相談しているような特殊効果を使った
演出をしている。
村の人も「にんじん」と、あだ名で呼んで村長のルピック氏の所の子供(実の子でない)
ぐらいに思っている様子だ。父親の村長選挙の再選祝いに行こうとする「にんじん」を
母親は部屋に閉じ込めて生かせない。「にんじん」は窓から抜け出して父に呼ばれた
役場に行くがみすぼらしい兄のお下がりの服につぎはぎの格好では村長の息子と殆どが
気付かない。釣り場で、たまに話す男性に自殺するからもう会えないといって納屋の
ロープで首を吊ろうとするが、男性が「息子を愛していないなら何故作った?」父は
「夫婦仲が1ヶ月で覚めてから生まれた」男性が「もう、にんじんに会えない」と言われ
事の重大さに気付き納屋で自殺を止める。そして「にんじんは死んだ。フランソワが生まれた
」といって父との絆ができる。映画は、ここまでで終わる。
家庭に目を配れない父親だが法律書を読んだり知識人ではあるようだ。だが、この家庭の
後に起こるゴダゴタは予見可能である。その部分は、映画を観た人の想像に任せてスパっと
終わるのが潔(いさぎよ)い。

2010年12月  6日
映画『海炭市叙景』の(監督 熊切和嘉)オフィシャルサポーターなので。
「海炭市叙景」が5日閉幕した第12回シネマニラ国際映画祭(フィリピン)で
グランプリ(Lino Brocka Grand Prize)と最優秀俳優賞(アンサンブル・キャスト)
(Vic Silayan Award for Best Actor)の2賞を受賞しましたので嬉しいです。
12月18日(土)渋谷ユーロスペースなどで公開です。

2010年12月 5日

『GOEMON(ゴエモン)』(2009年)紀里谷和明監督作品を観た。
日本とは違うパラレルワールドを設定して衣装や美術に背景を
独自に創作した作品だった。かなり凝っているのでストーリーや役者の
個性が埋没してしまった感じがした。CG加工に時間と予算をかなり要している
感じである。外国人がイメージする日本は、こんな感じなのかも知れない。
和洋折衷に幻想的パラレルワールドの要素を入れるとこんな感じにも
なるのかなあ?と感心する反面、結局は、これしか出来ないのかと
感じてしまう。ファッションデザインのコンテストでは、良くありがちな
デザインの衣装になってしまい新鮮さを感じられない。かなり手間をかけて
立体的なシルエットにしているため新鮮味の無い服に目がいってしまう。
色分けされた、のぼりに家紋が入っているイメージや鎧・兜のデザインで個性を出す
イメージが統一されすぎていて日本人から見ると没個性的で違和感を感じてしまう。
スコットランドを舞台にしたロブ・ロイみたい映画の衣装を日本人が研究して
担当しても違和感が出るのに近いかも知れない。外国人から見ると和服も
チャイナドレスも同じに見えるかも知れないが多色使いで個性を出す。
宣伝費や公開規模を考えず製作費と興行収益ではリクープしているから
失敗という程でもないのかも知れない。見方を映画ではなくメディア・アートだと
思えば見ごたえがある作品だ。平和の概念も国が有事だから平和でないとか
国が平時だから平和だとか国の戦いは一時であり個々の人間が様々な闘いで
苦しまないようにする必要を感じている。ニューヨークのパーソンズで映画制作を
学んだ監督さんを起用しているがファッションとグラフィックデザインのカレッジ
である。ニューョーク大学の映像学部だとドン・ザバティーニの舞台になっていて
面白いかも知れない。
ただK20みたいにストーリーの面白さを感じさせてほしかった。
「釜茹で」で実際にゆでられるのが五右衛門でない場面は、K20の明智小五郎
と二十面相の手法に似ている。船を爆破したりするのは壮観だし吹き抜けの城の
内部構造も「火天の城」では、番匠が火事の時や火攻めされると弱点になると
いう内容を無視して作っている。パンドラの箱が「証文の出し遅れ」的な連判状
というのは拍子抜けだった。耳の中から如意棒でも出てくればと言いたくなった。
映画を作る人は、多くの映画を観て良い部分は取り入れていく研究者的な姿勢が
大切だと思えた。松竹作品でCG使って面白いと感じたのは「鴨川ホルモー」だった。

2010年12月 4日

『金融破滅ニッポン・桃源郷の人々』(2002年)三池崇史監督作品を観た。
河川敷の堤防の外側にテント小屋の集落があった。そこに不法投棄したヤクザと
住人がモメていたが佐野(のち助役と呼ばれる)の気転で大事にならずに済む。
そこで排気ガスを車の中に引き込んで自殺しようとしていた梅本(印刷屋社長)
が住民の一人がボウガンで足を負傷したので病院(犬猫)に運びテント村に関わる。
大手スーパーの倒産で連鎖倒産に追い込まれた零細印刷会社の社長がテント村
で暮らす人々に助けられる話である。非合法な手法で大金を手にする話だ。
ただ、テント村の住人は、マネーゲームには興味がない。生きることに執着しない
人間は、ある意味怖い。印刷会社の社長は家族や社員の生活といった守るべき
ものがある。受注産業だけに立場が弱い。「鬼畜」の家族も印刷屋だった。
父親の代からの印刷屋らしい。亜鉛版の凸版の機械があった。カラーになると
オフセット印刷を使っていたがイエローから印刷するのは正しいがインクつぼ
にマゼンタを入れる場面で赤いインクを入れていた。次はシアンを入れて最後に
BLを入れる。プロセスインキは、プリンターのインクカートリッジと同じ減色法
でカラーになる。パソコンのCGは光なので加色法である。PS版を使っていたから
父親の遺影にカラー印刷するのが夢だったと言っていたがオフセット印刷でなくて
凸版でカラー印刷をしてみたいという事なのだろうか?ストーリと関係ない部分に
興味を持ってしまった。テント村の村長(カッラで顔を変えているが元・殺し屋らしい)
と助役(失踪中の小説家らしい)の助けを借りて、一発逆転の大ばくちに打って出る。
今は亡き青木雄二がカメオ出演している。難波金融道の作者である。ミナミの帝王の
銀次郎が青年期にホームレス達から自殺した両親の仕返しに知識を得る話がある。
突出した知識や技能を持ったまま埋もれているホームレスの世界を描いていた。
あぶく銭を稼ぐことに興味を持たない人がいる反面、仕事が趣味で創造的だと
次の仕事の資金に使って以外に質素な暮らしをする人がいる。
貧乏生活を選ぶゆとりがあれば生命維持にコストが少なくて済むことで甘い状態に
感じる。生命倫理も行く所までいくとレポセッションマンみたいな世界になりる。
映画は、ありえそうな社会背景を想定して企画される。だから見てみたいとなる。
あるから作られるのだろう。映画製作の世界などは、派手に見えて製作費を切り詰めて
ロケ弁が買えなければ炊き出ししてでも撮影された作品がヒットする場合もあるから
映画の世界は面白い。

パンフレットに掲載された『雷桜』の箸
  

画像をクリックTBSのiショップ(ネット通販)にリンクしてあります。
コンセッション(劇場売店)に並びました。

2010年12月 3日

『夢千代日記』(1985年)浦山桐郎監督作品を観た。『キューポラのある街』
の監督の遺作である。兵庫県の温泉街が舞台である。夢千代が神戸の
病院で白血病の告知を受けて電車で帰る途中に鉄橋から身投げした女性を
電車の窓から目撃する。診察の場面で被爆者手帳が映されている。
被爆しても認定されるか切り捨てられるかで医療費や療養の健康管理手当ての
支給の有無がある。同じ白血病でも負担が違うなどと医療制度のことを考えて
しまう。1985年は、初診料として800円支払えば社会保険の本人負担は
無かった。時代背景で見えかたが変わってしまう。
さて、神戸から温泉街に帰る電車に旅芸一座と乗り合わせている。宗方という
男も身投げを目撃している。警察に話すと最初は、まさかという感じだが温泉街
の女将だけに信用がある。そして遺体を発見する。連れの男も見つかり男に殺人の
容疑がかけられる。手を合わせて飛び込んだかどうかで自殺か他殺を決めようと
する。宗方にも証人になってもらおうとするが牧場で父親を殺害した容疑で
指名手配されている。時効間近である。身元が発覚しそうになり旅芸一座から
逃げ出すが夢千代が探し出す。そこで宗方は捕まるのを覚悟して倒れた夢千代を
温泉街に運ぶ。そして宗方は捕まる。半透明になった夢千代が桜の中で踊り完と
なる。温泉街の置屋とストリップ小屋に旅芸人と私の前の世代では、定番の娯楽
だった風俗で生きる女達の姿が逞しい。夢千代を演じた吉永小百合が被爆者なので
演技以上の迫力があった。ただ医療制度に詳しい病人から観ると楽しめなかった。

2010年12月 2日

『青い鳥』(1976年)ジョージ・キューカー監督作品を観た。
エリザベス・テーラーが光の精や母親の役を演じる作品である。
最初、チルチルとミチルが遊びから帰るときに長い吊り橋を渡る。
渡ると濡れてしまう程に川の水面に近い。高い吊り橋ではない。
水しぶきが、かかるほどに低い。二人が家に帰る前に立派な屋敷の
庭でパーティーが行われている。ごちそうが並んでいる。着飾った同じ歳
ぐらいの子供達がケーキを食べている。二人は遠くから見ている。
そして家に帰る途中で病気の女の子の家の前を通る。2人は、元気に遊べる
が、同じ歳ぐらいの少女は家にいる。軽く挨拶して家に帰る。
2人の帰りを待っていた母親は、かなり心配しながら待っていたのだろう。
編み物を止めて玄関に走り2人を抱きかかえる。そして濡れているから危険
だから渡ってはいけない吊り橋を渡ったのに気付く。お仕置きに夕食抜きで
眠りなさいという。それから木こりの父親が帰ってくる。厳しくしないでも
良いのでは?という。窓から花火が見える。クリスマスらしいのだが曖昧な
描写である。2人の兄弟の所に老婆が現れて私は、どう見えると聞く。
そしてダイヤの付いた帽子をチルチルに渡して病気の少女の為に「青い鳥」を探して
ほしいという。帽子のダイヤを回すと光の精に変わる。キュービズムっぽい
抽象画が変身する場面の間に入っている。ミチルには、杖を渡して火の精・水の精
パンの精・ミルクの精・砂糖の精を出させる。犬とネコも人間みたいになる。
惜しいのは、衣装がバレエ用で踊ることで、それなりに見えるものだった。
思い出の国で祖母と祖父に会い青いつぐみをもらう、夜の女王の城に行くと
黒いドレスに頭に尖ったオブジェが乗っている衣装だった。
幽霊の部屋・戦争の部屋・贅沢の部屋の鍵を開ける。こちらの衣装は手が込んでいる。
そして母の愛の精が森の木の中に青い鳥を探しに行くように教える。捕まえた鳥は
カゴに入れると死んでしまった。それから未来の国に行く。巨大な白い桃みたい装置
から毎日、生まれる子供が地球に行く。生まれる前に何かを発明して持って行かなければ
ならない。そこでチルチルとミチルは、弟に出会う。病気を三つ持って行くからスグに
死んでしまう運命だと聞かされる。砂時計を持った男が生まれる子を地上に送り出す。
罪の入った箱を忘れて取りに戻る子がいるあたり複雑である。政治家になるという子供に
「嘘つきになる」と言い正直者になるという子供には「長生き出来ない」と言うあたりは、
皮肉が効いている。映画を観た時の社会背景で感じ方が変わるセリフである。
地球で最後の子供までいると砂時計を持った男は言う。私は運命に雇われているだけだと。
青い鳥は、手に入らず家に戻り元に戻る。光の精は、2人をベットまで送り消えてしまう。
そして2人は、母親に起こされて夢から覚める。「青い鳥」や「アリス」は夢オチの原点なの
かも知れない。
朝、四人で朝食を食べる。家の鳩が昨日より青く見えるので二人で病気の女の子に
プレゼントに行く。そして鳥かごを開けると飛んで逃げてしまう。チルチルは又、
捕まえてもってきてあげると言う。皆が鳥を見上げている。青い鳥は、自由に飛び
自由に唄えないと色々な国にいた鳥みたいに消えたり死んでしまうらしい。
貧しい木こりの家庭だが両親が子供を愛しているのが解る。夫婦として愛し合っている
だから美しい家庭だということを表現している。当たり前が素晴らしいことを伝える
珍しい童話である。幸福の青い鳥というより病気の弟で家庭が壊れないか心配して
しまう時代に育ったので楽しめなかったのが残念である。子供の医療費を18歳まで
負担する自治体があればと思う。今の親は、医療費がかかると子供を殺しかねない。
児童の権利条約に「親から愛される権利」があったが「青い鳥」は、「母の愛の精」で
表現しているようである。メーテルリンクの原作はよく出来ている。

アメリカとソビエトの合作なのだが制作費のかけ方がアンバランスに感じた。
映画は、バレエとは違うので観客のイマジネーションに期待するよりも製作側の
クリエイティブな要素を更に加えてほしい。「星の王子さま」にも言えるが・・・・
ディズニーがイマジニアを作ったのも解りやすく科学的にも正確な表現が出来て
感動できると思う。現在の技術でリメイクしたら面白い作品が作れそうだ。

映画の美術にキュービズムが出てきたのでヒッチコックの『白い恐怖』にサルバトール・ダリが
美術協力していたことを思い出した。

2010年11月28日

『私をスキーに連れてって』『波の数だけ抱きしめて』『彼女が水着にきがえたら』
を3本観た。1980年代後半から1990年代前半のバブル景気時代の作品である。
ホイチョイプロダクションズ原作の『ホイチョイ3部作』である。
ウィンタースポーツとアマチュア無線が流行った『私をスキーに連れてって』に
ミニFM局とサーフィーンが流行った『波の数だけ抱きしめて』とスキューバダイビング
にクルーザーやヨットが流行った『彼女が水着にきがえたら』である。
登場人物は、中流の上ぐらいでバブル期に加えて終身雇用制も守られていた時代である。
求人も多く誰もが生活の向上を夢見ていた時代である。不動産だけは、高騰していたので
車や趣味やスポーツといった手の届く娯楽に可処分所得を使える時代の作品である。
暗い世相が透けてみえる映画が続くので気分転換になった。


2010年11月27日

『インサイダー』(1999年)マイケル・マン監督作品を観た。
CBSテレビの人気ドキュメンタリー番組『60 Minutes』のプロデューサー、
ローウェル・バーグマン(アル・パチーノ)とキャスターのマイク・ウォレスが
いきなりホメイニ師みたいなイスラム原理主義者に取材している場面から映画が
はじまる。周囲に武装したアラブ人みたいな護衛が取り囲まれている。
命がけで紛争地域に取材をしている様子がわかる。
ローウェル・バーグマンの元に匿名で分厚い二冊の書類が届く。
内容はタバコ産業の不正を告発する極秘ファイルだがニュースのネタにできる
内容なのかデータを見て解る学者を探す。
そして大手タバコメーカーの元研究開発部門副社長ジェフリー・ワイガンドに接触する。
守秘義務を課せられている状態で娘は、喘息で医療費がかかるため医療保険を取り上げられる
訳にいかない。家のローンも残っているままである。極秘ファイルは他社のものなので
科学者としての意見を伝えるとバーグマンはインタビューに応じるよう説得する。
マスコミとの接触を知ったジェフリー・ワイガンドが勤めていたブラウン・リーフから
終身守秘契約で守秘義務の範囲の拡大を強要される。しかも尾行や張り込みまでつけられる。
そして郵便受けに銃弾を入れる。FBIに通報すると証拠の押収だと家にあったコンピューターや
金庫に保管してある銃を被害者から押収してしまう。定年後にタバコ会社の警備担当に就職できる
などの癒着がある様子である。バーグマンは、ジャーナリストの経験からワイガンドの情報は、
タバコ業界にダメージを与える程、重要だと気付きボディーガードを付ける。
法的な問題として守秘義務の問題を回避する為に、イリノイ州が原告となって起こしている
タバコ訴訟の証人となり宣誓供述して裁判記録に記録を残すことで守秘義務違反とならない手を
考えるが、タバコ会社はケンタッキー州の裁判所から証人になることを禁止する命令を取り付ける。
無視するとケンタッキー州に戻った時に、法廷侮辱罪が適用される可能性がある。
この調子で圧力をかけられたワイガンドは苦悩するが、『60 Minutes』のインタビューに応る。
看板キャスターのマイク・ウォレスによるインタビューの収録も終わる。
高学歴で博士になっているが社会的地位や庭付き一戸建ての暮らしに、家族との絆を犠牲に
して内部告発(インサイダー)し娘の医療手当てが打ち切られ学校の教職について生活費を稼ぐ
状態になる。「七人の小人」といわれるタバコ産業の七人の社長の法廷での宣誓供述の後の
偽証場面などが入っている。(私が東京大気汚染裁判の原告で法廷闘争をした時は、被告の
自動車メーカーの社長が来ないで代理人が来るだけだった。日本の司法は軽いのだろうか?
丁度、被告企業が7社だったので思い出した。)
タバコメーカーは、情報操作の為にバーグマンの過去の過ちを弁護士や探偵を使って洗い出し
500ページもの攻撃文を作りウォールストリートジャーナルに掲載させようとするが誇張して
いて裏づけ取材の結果、信憑性が薄いと書かれる。
CBSの上層部は、株を売る予定がありタバコ産業が損害賠償の訴訟をすると株値が下がることを
恐れワイガンドのインタビューをカットした映像を作って放送しようとする。
バーグマンも『60 Minutes』を降ろされる。強制的に休暇を取らされる。
その間に、裁判記録は公開情報なので各、新聞社が報道してしまうようにワイガンドが
ジャーナリスト仲間に手を打つ。巨大産業が1人のジャーナリストと1人の内部告発者に
よってタバコ産業が崩壊はじめる社会派ストーリーである。
タバコにアンモニアを加えてニコチンの濃度と1口あたりの摂取量を調整して能管への刺激の
強さを変えて売り上げを調整している。人体に有害なクマリンも使用している。と映画では
言っていた。ワイガンドは科学者として自分の研究した物で傷つく人を出したくないという
信念が地位や財産より自尊心を優先させるタイプだから出来たのだろう。
(日本でクマリンを石油に使用して不正軽油に変えてディーゼルエンジンの車に使い
脱税する事件があったが環境破壊の罪が課せられてなかった。)
小学校の教員になった時に、自己紹介で呼び方に博士とか苗字とか子供に注文をつけている
あたり解るような気がした。でも、あだ名は、聞こえないようにとフォローを入れていた。
教授は、大学の教授会が認めればなれる。博士は、学会から研究が認められて博士号が
もらえるらしい。
FOXチャンネルのドラマでザ・プラクティスという弁護士事務所を舞台にしたものがあった。
タバコ会社の訴訟に勝って事務所が立派になるストーリーがあったような気がする。
世界の億万長者にオナシスというタバコ王がいたが現在は聞かない。
パチンコ産業と自動車産業の売り上げが、ほぼ同じらしいが不況で売り上げはダウンして
いるようだ。方向として高速道路無料化より医療費の無料化が優先されるべきである。
受益者負担という言葉の使い方にも違和感がある。病気になることは損失である。
病気を治すのは、現状回復であり利益でない。とは言っても政治家は病気になるどころか
殺しても死なないぐらい健康でないとなれない。イマジネーションがあれば相手の立場で
考えて気持ちがわかる。そんな事を考えら映画だった。アカデミー賞7部門にノミネート
された作品だがリアルでバランスが取れているのでインパクトに欠けたかも知れない。
レイン・メーカーみたい何かがほしかった。

2010年11月22日

『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART1』(2010年)デヴィッド・イェーツ 監督作品を観た。
分霊箱を破壊する為に、三つの死の秘宝がヴォルデモード卿との戦いで必要になる。
魔法省の大臣が殺害されてヴォルデモード卿の手下が魔法界の政権を奪う。
ハーマイオニーは、自分が戦いで殺されてもマグルの両親が悲しまないように忘却呪文を
かけて家族の写真から自分の姿を消してしまう場面は、涙を誘う。無縁社会は日本だけ
ではないらしい。ハリーポッター達にダンブルドア校長の遺品と遺言を届けに来た魔法省の
大臣が殺されてしまう。純血至上主義のスリザリン出身者が大臣になってしまう。
代々魔法族でない魔法省の職員の解雇が行われる。
前作で不死鳥の騎士団に加盟した仲間がヴォルデモード卿との戦いにそなえて隠れ家に
移動する時に、ハリーポッターに変身してオトリになって空を飛んで移動するが白いフクロウ
が付いてきてヴォルデモード卿の攻撃でフクロウがハリーを、かばって死んでしまう。
そしてテントでの逃亡生活をしながら反撃する。
魔法省に潜入するときに水洗便器から水を流して入る描写は、日本のアニメ「今日からマ王」
みたいだった。グリフィンドールの剣を氷の張った湖から取り出すときにハリーポッターが
溺れかける場面は、オーメンのシーンを思い出させた。そこにウィズリーが現れて湖から助け出す。
グリフィンドールの剣で分霊箱の1つを破壊できたが犠牲は大きく
マルコイの屋敷に監禁されて、屋敷しもべのドビーに助け出されるがドビーも命を落とす。
ドビーは、ポッターが主人になった時に、ソックスを渡されて自由意志で行動できる。
友人のポッターの腕の中で息を引き取る。
不死鳥の兄弟羽の杖が折れたりハーマイオニーは、家財道具をドラえもんの四次元ポケット
みたいにバックに詰め込んでいるので逃亡生活で、かなり助かったようだ。
そして最終話に続く。最終話は3Dカメラで撮影されているらしい。
ハリーポッター・シリーズでクリスマスを祝う場面はあるが宗教色は薄くしている。
世界感として魔法使いは目立たないが子供の住民票やパスポートの関係など魔法省の
大臣とマグルの大臣の会談がニュースで報道される場面があったので社会背景の設定
もあるのだろう。流石に原作を読んでいないので詳しくは書けない。

 日本に、家柄という言葉があるがタータンチェックは柄自体が家紋と同様に紋章院に
登録されている。シンボルマークとして解りやすい。文化的に近い感覚を持っている。
インドは家紋というより名前で家柄が解る。家紋は重視されていないようだ。
2010年にミャンマー(ビルマ)の国旗が変更された。軍事独裁政権下の
法律で決めたので中心が星になったようである。イギリスの国旗は法律で決めた
ものでは無い。海軍旗のユニオンジャックを便宜上使用している。
四つの国家の連合体なので法律で国旗を定めるのは、歴史や文化から難しい。
アジアで家紋があり家柄なんていう言葉がある国は珍しい。
家の柄と言えば、タータンチェックのクラン・タータンの伝統が古くからある
スコットランドのクランは、一族の柄で紋章と同じく登録制になっている。
日本の場合も苗字ごとに家紋があるが戦の時は、領主となる殿様の家紋の
ノボリを付けているからクランタータンの使用範囲も似たようなものだと解釈
できる。レジメンタルタイは、学校ごとに柄が決まっているためイギリスでは
何処かの学校と似てしまう。ハリーポッターでは寮ごとに違うネクタイの配色
になっている。ホグワーツの校章となるとイギリスみたいに校則で決めることが
出来ているのか気になった。イングランド・ウェールズ・スコットランド・北アイルランド
の併合の歴史の中で、現在は、スコットランドのセント・アンドリュース・クロスと
イングランド(1191ウェールズを併合したブリティッシュ)のセント・ジョーンズ・クロス
旧アイルランドのセント・パトリックス・クロスの三つの国旗を重ねた国家の連合旗が
ユニオンジャツクであるように便宜上、文化として使用するスタイルである。
そのためイギリスの国旗ではなく国家の連合旗である。日本は法律で決めてしまった。
国会議員にイギリスの文化を例にして判断するレベルの人がいたのか疑わしい。
 何にしろ、映画を沢山みて興味のある部分を調べると深い意味が理解できて楽しめる。

最近、キャンディー・キャンディーを読んだ。タータンチエックを調べていたら
急に読みたくなった。スコットランドのクランも一族を、まとめるのが大変な
様子だ。世界中に広がっているのと男爵レベルの城や資金がないと親戚付き合いが
出来なくなる。スコットランド人でアメリカのシカゴで成功したアドレー家に孤児の
キャンディス・ホワイトが養女になる話だ。「足長おじさん」と「アニー」を合わせた感じの
ストーリーだった。時代背景は、第一次世界大戦の前から開戦中までである。
日本も家を大切にして盆と正月は、親戚が集まる文化を維持するためにボーナスが
出ていた。現在は金の無いのが縁の切れ目となり孤独死に無縁社会に変わっている。
私の家柄は、宮城県の角田市から北海道の室蘭に渡った。
豊臣秀吉の時代、すでに石川の殿様から仙台の角田市に領地を貰っていたらしい。
それより古い話は解らない。教えてほしいぐらいである。家紋は苗字と同じである。
伊達四十八館のうち角田市には、城跡が三つもあるから交通の要所であり防衛線
だったのだろう。AKB48みたいに48人いなくても縁起の良い数字らしい。
伊達48館も48あった訳でない。忠臣蔵も48人から報告役に1人残して47士
になった。寒くなると中央区の鉄砲洲と本所の中間に住んでいるので忠臣蔵を思い出す。
北海道に渡った伊達男爵の名前から「男爵イモ」というジャガイモがある。
仙台に残った本家の伊達家は公爵であった。東北の幕府みたい機能だったらしい。

2010年11月21日

『ノートルダムの僵僂男(ノートルダムのせむし男)』(1939年 白黒)ウィリアム・ディターレ
監督作品を観た。
時代は、15世紀のパリ。治安が悪く通行許可の無いジプシーをパリの街に入れない
状態である。ジプシーの踊り子エスメラルダがパリに入り込む。街は祭りでノートルダム
から出ない鐘付きの「カジモド」が珍しく街に出てくる。
道化王に相応しいと乞食王クロパンが見世物にしてしまう。
乞食王クロパン・トルイユフーは大勢の手下をしたがえている。ピエール・グランゴワール
という詩人で学者が視力障害者の目がみえるようになり歩けないハズの人間が歩けるように
なる奇跡御殿という。ここで絞首刑になりかけるがエスメラルダに助けられ、仮の夫婦となる。
聖職者であるフロロはカジモド(鐘つき男)を使ってエスメラルダを誘拐しようとする。
エスメラルダは衛兵中尉のフェビュスに思いを寄せる。カジモドだけ鞭打ち50回と
晒し者の罰を受ける。
フロロは逢引をするふたりをつけて行き、フェビュスを刺してしまう。
エスメラルダがフェビュス殺害の犯人の冤罪で死刑が言い渡される。ガジモドが処刑台から
エスメラルダを助け出し自分の住処でありフランスの法律から聖域であるノートルダム寺院に
かくまう。聖域というのは治外法権らしい。
特殊メイクで片方の目を下に下げたりしている。耳が聞こえないが話ができるのは
鐘の音で耳が聞こえなくなった。現在なら労災で聴力の中途障害になった状態である。
ラストは、作品によって異なる。
『ノートルダムの鐘』や『ノートルダム・ド・パリ』とタイトルが変わっている。
『ああ無情』のビクトル・ユーゴーの作品が原作である。

 日本美術会から日本アンデパンダン展の出品案内が届いていた。中にART∞CONFUSE EXHIBITION
の案内が入っていたので見に行っていた。若い人の作品が多かった。出品は59人なのでグループ展規模だった。
小作品が多く、デザインフェスタやゲイサイみたいに作品の売り買いが出来るので、小作品をだす傾向が強かった。
新しいジャンルを自分で開拓するフロンティアスピリットや初めて観たというクリエイティブな作品、オリジナルティーの
強い作品との出会いは、なかなか無い。(アートの原石になりそうな作品)若者や新人には実験的な作品を発表して
ほしい。



2010年11月20日

『ディズニー・クリスマスキャロル』(2009年)ロバート・ゼメキス監督作品を観た。
3Dアニメーションの作品なのだがDVDで観ると実写映画と見分けが付きにくい。
ストーリーは、ご存知の内容だ。説明するまでも無い。映画の中で、スクルージ氏が
死んだ未来で毛布を貰った人が、「伝染病じゃないだろうね?」というあたり昔、
西部劇でインディアンの一族を全滅させるには、「伝染病で死んだ人の毛布を酋長に
贈り物にすればいい」みたいセリフを聞いたような気がした。
後は、食事に誘っていた甥の所が以外と豊だった。寄付を求めに来た客に
「救貧院があるだろう」とスクルージが言うあたりは、筋が通っている。
社会保障と慈善の関係を考えさせるセリフを盛り込むあたりはイギリスの歴史的な
背景やディケンズの父親が債務者監獄に入れられていたことなども考慮している
ようである。短い時間に良くまとまっていた。機械や科学の力で無くてもタイムトラベル
している。そこでロバート・ゼメキス監督作品を3作品、まとめて観た。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』 -Back to the Future (1985年)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2』 -Back to the Future Part II (1989年)
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』 -Back to the Future Part III(1990年)
1は、1985年から1955年の過去に行き2で未来に行き3で1885年の西部劇の
時代を旅する。この映画の基準となる現代は1985年と1955年だろう。
RART2で2025年の未来のマーティー・マクフライが会社からクビを
言い渡させる時に来ている服のネクタイに注目すると右と左の側がシンメトリーになる
放射状の柄である。この場面は、一気に紙に印字されるので目が服にいかなかったが
凝っている。ドクは透明なネクタイだった。PART3でドクがアメリカに来たときの
名前がフォン・ブラウンだったと言うセリフがある。フォンは伯爵でバロンが男爵なので
貴族なのだろう。ブラウン管の発明者とアポロ計画のフォン・ブラウンは別人だろうか?
特許電子図書館で苗字だけ入れると発明家の多い苗字があるだろう。そんな事を考えた。
25年前の映画だが久しぶりに観ると面白かった。
『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』での酒場でドクにカウンターで失恋話をしている
鉄条網を売り歩いている男は、発明者のジョセフ・グリッデンだと思われる。
1874年の発明品が1875年に登場している。
マーティーが決闘するときサミュエル・コルト大佐のリボルバーの提供を受けるが
『スラムドッグ$ミリオネア』で出題されていた。過去の映画からの元ネタを探るのは
タイムマンシには、及ばないが、ちょっとしたダイムトラベルの雰囲気は感じられそるかも
知れない。


2010年11月14日

『ランボーFirst Blood』(1982年)テッド・コッチェフ監督作品を観た。
ランボーの1作目である。ベトナム戦争から帰還したグリーン・ベレーの
ランボーが唯一、生き残った戦友の家を訪ねると科学兵器の影響で癌になり
死亡したと伝えられる。そして街を後にしようと歩いていると保安官が、
よそ者はトラブルを起こすと難癖をつける。街から出て行かないとティーズル
保安官は浮浪罪とサバイバルナイフ所持で逮捕してしまう。そして警棒で叩いて
しまう。ベトナム戦争で捕虜だった記憶がフラッシュバックして反撃して
サバイバルナイフを取り戻し山の中に逃げ込む。山狩りにドーベルマンを
使いヘリコプターまで使うがヘリに乗っていた保安官の部下が転落死してしまう。
州兵まで動員するがランボーの仕掛けたワナにかかったりして死亡者が続出する。
国防総省からトラウトマン大佐が派遣されて来て逮捕は、後にして手を引くように
提案するが州兵がランボーが隠れている坑道にロケットランチャーを撃ち込み
ランボーは州兵のトラックとM60機関銃を強奪して街に戻り送電線を破壊して
警察署を奪った火薬で爆破したりと1つの街を戦場にしてしまう。
そしてティーズル保安官は、瀕死になりとどめを刺そうという所にトラウトマン大佐
が現れてランボーを説得し自分の手で連行して映画が終わった。
ベトナム戦争後の帰還兵のフォローやサポートを疎かにした合衆国に対する批判的な
内容だった。その後のランボーシリーズは、特殊な任務で活躍するストーリーだが
1作目は、ベトナム戦争終結から7年経っても続くトラウマと悲劇だった。
ロッキーと並んでシルヴェスター・スタローンの出世作である。
ケガをしたらナイフの柄から針と糸を出して皮膚を自分で縫合するシーンに感心した。

2010年11月 8日

『マリア様がみてる』(2010年)寺内康太郎監督作品を観た。ミニシアター系の
作品だった。校舎や学校の備品がレトロな感じで学生鞄を持っていた。
体育館の照明がシャンデリアなので球技は、どうするのか気になった。
撮影にイメージに合う学校を探すのは大変なのだろう。ミニシアター系の場合は
制作費も大変だろう。校舎の外見は感じが出ていて良く見つけたと感心した。
携帯電話を持っていないから時代設定を曖昧にすることで不変性を持たせようと
した感じがした。文化祭でシンデレラを演じるためにワルツの練習をしたり、隣の
男子校から王子様役を呼んだりしていた。学校独自のスール制度や薔薇の名前を
カタカナで呼ぶあたりは不思議な感じがした。制服は、セーラーカラーのワンピース
でローウェスト切り替えの下にプリーツスカートが付く。着脱は脇のファスナーを
ローウェストの切り替えまで開けることでヒップの寸法まで可能となる。
セーラーカラーは胸当て無しでリボンを縫いつけている。袖口は切り替えでいるだけ
なのでパフが無い。当たり前のアイテムにすると上着とスカートにスカーフの三つに
なるものを一体構造にしている。通常のセーラー服の丈は短い。両手を上げると上着が
引っ張られて下に来ているスクールインナーが見えてしまうがワンピースだと
プリーツスカートと上着の身頃が縫合してあるので下着が見えない。
下をジャンパースカートにしたりスカートのベルトを太くするなどの方法もあるが
一体構造にしていた。スカート丈が長いのは、三つ折ソックスとのバランスなので
良く出来ている。衿と袖口の太いテープも映像的にインパクトを出すのに上乗せして
アイロンで馴染ませてあったので衣装として違和感が少なくみられた。
ちなみに、バンフレットが作られておらずビジュアルブックを買って代用した。
内容や面白さは、「ガチバン」みたいだった。

2010年11月 7日

『ムーラン・ルージュ』(2001年)バズ・ラーマン監督作品を観た。
イギリス人で作家を目指すクリスチャンは、ムーランルージュの赤い電飾が
見える部屋に住んでいる。ボヘミアンなライフスタイルに憧れて作家になるために
タイプライターを打っていると天上が抜けて人が落ちてきた。
部屋の上でムーランルージュに出ている役者達や作家のオードリーに画家の
ロートレック達がクリスチャンの部屋を覗き込んでいる。
その関係で劇を書くことになる。スポンサーの公爵にムーラン・ルージュの
スターであるサティーンが公爵との関係を持つようオーナーのジドラーに要求する。
キャバレーといっても劇場みたいな客席に燕尾服を着用して舞台を観る観客達や
スポンサーの公爵に歌って踊って劇の説明をするオーナーのジドラーの方が役者
より上手いと感じた。スターであるサティーンより歌も上手いのが字幕で観ると
解る。ここが見所らしい。
映画業界のプロデューサーの中には、ジドラーみたいにスポンサーに説明して
資金を集める必要性から演技の上手い人がいる。リスクを負担するのだから
昔の舞台も現代の映画業界も同じなのかも知れない。現代の方が広告の費用対効果
を求めるから厳しい。不況で物が売れない時代では難しいだろう。
劇中のストーリーは、無一文のシタール弾きとマハラジャとの三角関係である。
その公爵がナイスミドルで結局、作家のクリスチャンは去っていく。
まあ、1899年の豪華な衣装や美術を楽しむのが良い作品だ。学ぶ点は多い。
「幸福とは、相手を愛し相手からも愛される事」みたいセリフだった。
「相思相愛」の事だが芝居がかって言うと伝わり方が違うと思った。
アメリカ映画だが英語でなくフランス語にしてくれた方が雰囲気が出ただろう。


2010年11月 6日

 デザインフェスタに行った。出品者は、毎回入れ替わっているみたいだ。
連続して長く発表している人の割合が減っているように感じる。
それでも初出品者が増えることで賑わいを維持しているのはスゴい。
ただ、平面作品の比率が増えて額装も省略する傾向にある。
搬入や搬出を考えて荷物を大きくしたくないという事だろう。
その為、展示物のスケール感を感じられるブースは少ない。
若く新しい才能を感じさせる作品に出会えないのは、多くの作品を観て
自分のオリジナルを発見して発表する努力をしないで安易な思いつきで
作品を作ってしまうため、先駆者がいて長く観ている人には、前にも見た
作品の物まねに見えてしまう。沢山の作品を観るにはお金がかかる。
美術館は、中学まで無料だが高校や大学は有料である。一番、勉強になる
年代だが親が支援しないと十分に吸収できない。インターネットや書籍で
学ぶことも出来るが大事な部分を見落としがちになる。
毎回、似たような感じだと観て歩ききはじめたらドレスシャツの装飾の量と
年代的にとの程度の装飾を好むかというアンケートに付き合うハメになった。
何でも、アンケートを取らないと卒業出来ないと言う。文化女子大学の
学生らしいが男子学生もいた。
ドレスシャツは、まずタキシードか燕尾服(スワローテールドコート)の
インナーである。午後6時のソワレの時間に着用する。昼間のフォーマルは
ブラックフォーマルで十分である。モーニングを着用する機会なんてまず無い。
夜会服は、ブラックタイかホワイトタイの蝶ネクタイでコーディネイトが決まる。
年齢で統計を取るアイテムではない。
オーケストラの団員がブラックタイでタキシード着用で指揮者が燕尾服で
ホワイトタイを着用するぐらいである。冠婚葬祭はブラックフォーマルで
十分なのでYシャツで十分である。東京国際映画祭では黒っぽい服装なら
グリーンカーペットもOKみたいである。
あんまりフォーマルウェアを着る機会が無いのでヴァンサンカンの定期購読者
向けのパーティーが2年程前にあった。日本デザイナークラブでサロンショー
形式でフアッションショーをドレスコードをブラックタイにして各自が出品する
イベントがあったが年に2回のショーの為に作品を出品するのでドレスばかり
沢山持っているから着用の機会を作った感じがする。男性のデザイナーにして
みるとメンズの作品を出品する訳でないのでタキシードを買うか作るかしないと
いけない。結婚式でもないとフォーマルウェアは着る機会がない。午後6時から
結婚式をするのも大変だと思う。昼間ならモーニングになるがチャップリンか
綾小路君麻呂氏が着ている形の服だ。
イギリスの医師会で衛生面で問題があるからネクタイ禁止にする時代でもある。
洗濯乾燥機で洗って着られる服が主流になる事は、誰でも予測できる。
好みを聞くために作られた4種類のサンプルのドレスシャツ自体が
デザインのディテールに統一感が無く、装飾の度合い以前に音楽の
リズムを崩して雑音にしかならないディテールは、取り外すかデザイン
ポイントになるディテールと同じ形状や構造にしてハーモニーを
持たせる。これが出来ていないのでアンケートのサンプリングの
取り間違えをしていた。デザインフェスタにブースを出させることで来場者に
指摘させるのが狙いなのかとも考えてしまう。バック・トゥー・ザ・フューチャー
に高校のダンスパーティーでタキシードを着用するシーンが出てくるが日本の
学生には、そんな機会はない。当事者性が無いアンケートは、所詮こんな物だろう。
実際に着用することを予測するための資料を集めるのに図書館を使いこなすことから
教えないといけない。私は、資料を集めて事前に仕込みをしてしまうので同じような
物だが・・・
いっそカジュアルの素材でドレスシャツのディテールを使い、カジュアルとして
着られるシャツにする方が売れる。
ショップの販売担当から企画担当に来店した顧客が何を望んでいるか情報が
上がってくるレベルに達している製造小売業は無いだろう。POSシステムで
在庫の動きは、把握できても売れた物についてである。結局、買われない理由は
分らないままになる。まず集客力となるが興味を引く店舗かどうかに加えて
敷居が高くないかという点も重要である。
 私の時代はコンテストで賞を取り自分のブランドを持つぐらいの気概のある学生は、
文化やドレメを基礎として伊東式も習いにいっていた。そんな事を考えながら1階を
回って四階に向かうとベージュのキルトを身に着けたスコットランド人らしい人が
いた。断定できないのは、タータンチェックの柄の色が茶色とベージュで
家柄を表すクランタータンなのか住んでいる所を表すディストクリーなのか
ハンティング・タータンなのかユニバーサル・タータンなのか識別が
できなかったが後ろにナイフプリーツが入っていたのとスポラン
(がま口みたいサイフ)も付いていた様な気がしたので正式なキルトも
フォークロアでもありフォーマルなスタイルなのだろう。付属品でも付くべき物が
無いと違和感を感じるものである。
日本人が紋付袴で歩いていても武家と旧家の屋号を模した紋では異なるから
サムライと外国人が断定できないのと似てはいる。
4階に行くと学校の行事としてブースを出している所があった。地方の学校が
東京にブースを出すのは、東京に就職していったOBが寄れるようにする。
学校の名前自体を知ってもらうのには良いだろうが東京から地方に進学する
ことは、まずありえないだろう。上京して住む所に困るよりは、親元から通学
する方が経済的負担が少ないのに加えて地方の方が制作スペースが広くできる。
作品を発表するには、東京までの搬入、搬出の費用がかかる点だろう。
情報は、昔と違い雑誌が頼りの時代とは違う。ネットを使えば集められる。
後は、各自の経済状況ということだろうか?

2010年11月 4日

『善き人のためのソナタ』(2006年)フロリアン・ヘンケル・フォン・
ドナースマルク監督作品を観た。ドイツ映画でベルリンの壁が崩れる前と
崩れた後の社会が舞台である。冬のソナタとか流行っているのでソナタって
何だろうと言うとソナタは四楽章から構成されている。第一楽章はテンポが速い
、第二楽章でテンポが緩やかに成る。第三楽章でメヌエット形式。
四楽章でテンポが速くなり終楽章となる。物語の起承転結みたいに四つで構成
されているらしい。ドラゴンクエストに王宮のロンドとか王宮のメヌエットとか
が出てきたから何となく解ったような解らないような説明でも伝わってほしいが
私は、音楽は専門外であるから説明に困る。
ストーリーは、1984年の東ベルリンからはじまる。国家保安省(シュタージ)の
ヴィースラー大尉が反体制の疑がある劇作家のドライマンと同棲相手の舞台女優
クリスタの監視を命じられる。ドライマンの部屋に盗聴器を仕掛け監視をし報告書
を提出する。その時にドライマンが「善き人のためのソナタ」を弾いて、この曲を
真剣に聞いたら悪人にはなれない。という話をする。ヴィースラー大尉は真剣に
盗聴している中で共感する部分もあることに気付く。
ドライマンの仲間の劇作家が自殺した時に電話を盗聴していたりする。
そして劇作家の仲間が自殺の統計を西ドイツに告発する時に目をつぶる。
大臣とクリスタが肉体関係を伴う交際をしているたがクリスタが断る。
そしてドライマンの部屋に家宅捜索が入るが何も出ない。クリスタが禁止薬物の
使用を名目に逮捕されてタイプライターの場所を聞き出されるがヴィースラー大尉が
二度目の家宅捜索の前に押収されないようにタイプライターを処分していた。
クリスタは、家宅捜索の最中にトラックに飛び込んで自殺した。監視は中止になった。
ヴィースラー大尉は左遷されて検閲の為に手紙を開封する作業に回されるがベルリンの
壁が無くなり郵便配達をしている。そして書店に「善き人のためのソナタ」という本が
大きな公告と友に平積みで置かれているのに気付き本を手にとると、監視社会時代の
自分のコードネームに奉ぐと印刷されており一冊、記念に買う。
フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルク監督が33歳でアカデミー
外国語映画賞などを受賞した作品である。クリスチャンネームやミドルネームに
爵位が加わるので長い名前だ。

今日からDVDレンタルが開始された「オーケストラ!」は以前に書いたが雰囲気が
近いように感じた。

2010年11月 3日

『黒いオルフェ』(1959年) マルセル・カミュ 監督作品を観た。
ブラジルの最大都市リオデジャネイロは港湾都市でもある。
路面電車の運転手でギターと踊りが上手いオルフェは、人気者で
モテまくっている。リオのカーニバルのため手当てが出る。恋人の
ミラが婚約指輪を、ねだるが質屋からギターを出すのに使い、
ミラは自分の婚約指輪代はオルフェに貸した事にする。婚約で
役所に届けを出しに行くと係りがオルフェの恋人ならユーリディス
だろとジョークを言う。リタと婚約するが隣にユーリディスが
訪ねてくる。そしてユーリディスと恋に落ちる。しかしユーリディスの
元の恋人が追いかけて来ていた。そしてカーニバルのドサクサに
殺してしまう。カーニバルでハメを外している人を警察の風紀係が
連れて行く。オルフェはユーリディスを探しに警察署に行くが行方不明は
12課だと言われ巨大な警察署の12階までエレベーターで行く。
その階で掃除をしていた私服の警官に死体置き場に案内されて死体を
持っていくと葬式代がかかるけど置いて行けば医学の研究に役立てて
葬式代も浮くと言われる。一応、言うのが規則だからと言いながら
霊安室を開ける。オルフェはユーリディスの死体を抱いて家に戻る。
するとリタが狂って家に火をつけて火事になっている。そしてリタが
オルフェに投げた石が頭に当たりユーリディスの遺体を抱きかかえたまま
ガケから落ちて死んでしまう。ラストで小学生ぐらいの少年が
オルフェの作った曲を弾いている。そこに同じ年齢の少女が現れて
私の為に弾いてとねだる。単純な悲恋物語であるがオルフェの家に
ギターを借りに来る少年がオルフェの弾いた曲を弾いたのにはビックリ
した。リオのカーニバルと言っても現在の背中に孔雀のハネを付けた
豪華な衣装では無く仮装パーティー的な感じだった。ゴールドの生地に
オーガンジーを巻いた感じだった。ガイコツの扮装をしていた男が犯人の
ようである。フランス語だった。
第12回カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを取りアカデミー賞・外国語映画賞も
受賞した作品である。
1999年にカルロス・ヂエギス監督が「オルフェ」のブラジル版を作っているが
こちらは、観ていない。



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