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浅野琢也の雑記帳21 2011年10月24日〜12月30日

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成23年


今年は、地震に津波に放射能漏れ!映画どころでない気分の時も
あったと思いますが、人生に役立つ発想に結びつけば幸いです。

2011年12月30日

『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』(2011年) マイケル・ベイ監督作品を観た。
マトリックスといえばサンダードームだと思っている人が多いハズだ。それだけ良く出来て
いた。旧ソ連のスプートニク計画の本当の目的が月面の「静かの海」にカメラを設置して
金属生命体ディセプティコンに協力することだった。アメリカでは1969年、アポロ11号による
人類初の月面到達で善のトランスフォーマー、オートボットの墜落した宇宙船から資材を
回収する極秘任務が隠されていた。そしてオートボットの存在が明らかになった話だ。
そして地球のそばに金属生命体の惑星をテレポートさせようとするのを止める話だ。
この作品は、今までのロボット物より物語の辻褄が合う点で解りやすい。今までの
トランスフォーマーはスピンオフ的に観ると楽しめる作りだった。


『八日目の蝉』(2011年) 成島出監督作品を観た。妻子のある男と肉体関係を
持ち妊娠して中絶する。男の言い分は、「今は、困る。後でちゃんとするから」
と離婚して本妻にしてくれそうな事をいう。そんな言葉を拠り所に中絶して
子供の埋めない体になってしまう。そして男の妻から赤ん坊を誘拐して自分の
子供として育てる。最初は、DVを扱う信仰宗教で集団生活して3年を過ごすが
地下鉄サリン事件の影響で新興宗教へ警察が不審感を持つようになり捜査が
入るので、施設から子供を連れて旅立つ。
施設の代表が死んで施設は解散される。施設の仲間に実家の、そうめん工場を
紹介してもらい工場で働きながら子育てする。「八日目の蝉は仲間が全部死んで
寂しい。だけど先に死んだ仲間が見られなかった美しいものが見られるかも
知れない。」というテーマで小豆島の伝統行事の「虫送り」に親子で参加して
祭りの写真が新聞の全国誌にカラーで掲載されて警察に保護される。主人公
の秋山恵理菜は当時4歳で育ての親から産みの母の元に戻るが幼児期の経験が
消えない。そして20歳で1人暮らしをしている。自分の過去に育った土地を
フリーライター(マロン /エンゼルホーム時代の幼馴染)の取材旅行の名目で旅する。
不倫で2人の女性と自分の人生を狂わせた父親みたい男の子供を腹に入れている。
男の言い分も自分の育ての親に父が言ったのと同じ事を言われている。
乳幼児は病気になりやすい。母子手帳や保険証なしの逃亡生活の4年は奇跡的だ。
フェリー乗り場で、自分が逮捕される時に子供の食事がまだだと言う場面は
印象的だ。小学生になるときは、一緒に過ごせないと周囲の子供達のランドセルに
興味を持った時に覚悟して写真館で家族写真を撮っていたようだ。

沢山の映画を観てきたが子供を育てるには、夫婦だけでなく両家の協力に加えて
地域コミュニティーや自治体にしっかりしてほしいと思う。医療費が払うのが
もったいない。と自分の子供をネグレクトで殺す親がいても氷山の一角だろう。
成人した子供が親の医療費負担や介護疲れでネグレクトするケースもある。
生活が破壊される程、医療や介護を締め付けた行政が家庭を維持できなくして
単身世帯化して孤独死が増える社会にしてしまったのかと疑ってしまう。
現在は、男性の精子異常でオタマジャクシのシッパが無いとか数が少ないとか
で大学生男子の40人に1人が正常らしい。精子の付け根にミトコンドリアで植物を
温室内で空気の濃度を変えてストレスを与える。Co2濃度の高い温室でF1処理して
生命の再生をつかさどるミトコンドリアの遺伝子を破壊する。これも複合汚染による
少子化の一因かも知れない。男女逆転「大奥」も映画だけの話で済ませられない
のかも知れない。


2011年12月28日

『忍たま乱太郎』(2011年) 三池崇史監督作品を観た。予告編でワーナーのマークが
出て「メガネをかけています。不思議な術を使います」とハリーポッターかと思わせて
「忍たま乱太郎」となるのは面白かった。本編は、アニメと違い「きり丸」「しんべヱ」
のキャラを活かしきってないように感じた。アニメでは乱太郎より、きり丸のキャラが濃い。
家の中の「キャッチ手裏剣」は親子のコミニュケーションとして良い演出だと思えた。
後半のカリスマ・髪結いの死んだ親が「抜け忍」で謎の刺客が襲ってくる。許される
には、競争して相手より先に寺の鐘を鳴らすという話になり乱太郎が必死に走る場面が
長く退屈してしまった。背景が敗れて解説の忍者が出てくるあたり低予算を強調している。
解説が終わるとカムテープで修理する演出は面白かった。落とし穴は良く出来ていた。
ラストの鐘は、遠くから放たれた火縄銃が命中して鳴り「忍たま」達の勝ちで終わる。
三池監督は年間に何本も映画を取るので「一命」が「本命」で「忍たま乱太郎」は
スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴみたいに実験的な位置付けの作品なのかも知れない。


『チェ 39歳 別れの手紙』(2008年) スティーブン・ソダーバーグ 監督作品を観た。
革命家チェ・ゲバラがフィデル・カストロと共にキューバ革命で勝利したがキューバ
に残らずボリビアの炭鉱労働者や農民の蜂起を武力支援するために戦うがボリビアの
政府軍に足を撃たれ捕らえられて処刑されるまでの話だった。喘息の薬が不足して
しまい馬から落ちてしまったりする場面があった。ゲリラ戦なので空気だけは喘息に
良いが戦闘のストレスが強いと感じた。キューバと異なり生半可な武力で革命が出来る
時代は終わったようだ。日本では、フランスデモ(両手を広げて手をつなぐ)やジグザグデモ
(スクラムを組んで蛇行して行進する)で安保反対をやっていた時代だ。
キスには、エスキモーキス(唇を互いに首を振って擦り合わせる)がある。
現在は、道路使用許可が必要で警察署に事前にデモの書類申請が必要なので隊列など
も決められて様々な規制があるので行儀の良いデモになってしまう。
なんか映画の群集のエキストラみたいに大勢が集まるものでも無い。現在は昔と違い
情報は入るが行動力が無くなっているようだ。


『黄色い星の子供たち』(2010年)ローズ・ボシュ監督作品を観た。
ナチス・ドイツの占領下のパリでフランス警察に検挙された約1万3000人の
ユダヤ人の話を、両親と引き離された少年とフランス人看護師の視点から
描かれている。競輪場に大勢を詰め込んでドイツ軍に命令されて強制収容所に
送られる事件があった。ジャン・レノのユダヤ人医師が競輪場の赤十字で
患者の治療にあたるが子供達が感染症にかかりだす。
メラニー・ロランの看護師が食事と衛生状態の改善を知事に手紙で訴える。
ドイツ軍に、言いなりに動く警察に対して消防の上位階級者が部下に志願を
募り給水作業を行う。そして拘束されているユダヤ人から託された手紙を
部下に明日は休暇にする。各自に配布した地下鉄のキップで遠くのポストから
投函するようにと協力する。1度、フランス国内の収容所に留められるが
ポーランドの絶滅収容所の死体を処理する焼却炉の建設の遅れや汽車などの
輸送手段が整わないというドイツ側の都合だった。
助かった子供は少なかった。劇中に黄色い星を付けたカトリックの神父が
いたので宗教というより民族浄化目的を強調していた。
この経験から「パリは燃えているか」ではフランス警察は自由フランス軍に
協力したり「カサブランカ」では警察署長がレジスタンスの闘士になったり
したのかも知れないと想像させられる。



2011年12月25日

『カーズ2』(2011年)ジョン・ラセター監督作品を観た。スパイ映画007をアレンジ
した感じだ。フィン・マックミサイルの油田への潜入諜報活動ではじまる。テレビカメラ
とザンダップ教授の写真を写す。先に潜入していた諜報部員リーランド・ターボの四角く
潰されてスクラップになった姿を見る。フィン・マックミサイルの装備はバットマンみたい
ワイヤーを使う。ペッパー(コショウ)ファミリーに見つかる。そして海上で水上翼船として
航行し逃げるが魚雷を受ける。ここで潜水してデコイで死んだと見せかける。次は東京の
ワールドグランプリ会場に現れる。
ライトニング・マックィーンはラジエーター・スプリングスを本拠地にしてピストン・カップで
4回連続優勝を果たしていた。ハドソン・ホーネット(ドック)がピストンカップのトロフィーの
デザインに加えられていた。前作と今作の間に死亡しかと思われるが省略されている。
過去の連続優勝と晩年の後継者育成の功績が称えられたという事のようだ。マックィーンがレースから
戻ってレッカーのメーターとトラクター転がしのイタズラしてから恋人のサニー・カレラとレストラン
で食事をしているとウェィターのアルバイトをしているメーターが注文を聞きに来る。
テレビでバイオ燃料「アリノール」を開発したマイルズ・アクセルロッド卿がワールドグランプリを
開催するニュースが流れている。イタリアのフォーミュラーカー(F1)フランチェスコ・ベルヌーイ
のライトニング・マックィーンより早いと言われてメーターが電話で話しをしているとライトニング・
マックィーンが電話を変わってアクセルロッド卿に出場を誘われる。ピットの仲間達もピストンカップ
の直後だが、フランチェスコの挑発で、やる気十分だ。そしてライトニング・マックィーンは大会に
参加する。東京大会のパーティーでメーターがオイル漏れしたと言われてトイレに行く。
ここでアメリカの諜報部員が消される。その時にメーターに機密情報が入った発信機を引き継がせる。
メータは気付いていないがレッカー車にカモフラージュしたアメリカの諜報部員だと思われる。
ホリー・シフトウェルとの合言葉が、メーターの知識で一致してしまう。東京からスパイ・ジェット機
シドレーで移動する。ここでメーターは、黒幕の手がかりを伝える。フィン・マックミサイルと
ホリー・シフトウェルは、まだメーターの事を連邦捜査局と中央情報局の諜報部員だと思い込んでいる。
そしてフランスのパーツ屋へと移動してペッパーファミリーがイタリアに集まるという情報を入手する。
フランスからスパイトレインのスティーヴンソンでイタリアのポルト・コルサに移動する。
移動中にメーターには、変装機能にジェットエンジンにガトリングにパラグライダーまで装備される。
そしてビックボスが集まるペッパーファミリーの集会に潜入する。
正体がバレたメーターはイタリアでガスで眠らされる。ビック・ベントレー(時計のビック・ベン)の
鐘の音でメーター気が付くと フィン・マックミサイルとホリー・シフトウェルが時間が経つと歯車で
圧壊させられるように縛られている。そしてテレビカメラ型の電磁波発生装置をライトニング・マックィーン
に当てるが爆破しない。後で、フィルモアのオーガニック燃料にサージが取り替えていた事がわかる。
ビックベンから脱出したメーターは、ピットに爆弾を投げ込むと騙されて自分のエァフィルターが
爆弾に取り替えられている事に気付かずピットで気付く。そしてロンドン大会でコースをバックで
走りライトニング・マックィーンから離れようとする。ジエットエンジンとパラグライダーで空を
飛んでイギリス女王の前でアクセルロッド卿が黒幕だと気付いて時限爆破装置を音声解除させる。
イギリスの古いエンジンは、センチでもインチでも無いボルトが使われている事から気づいたようだ。
そして犯人達が逮捕される。メータは、女王陛下からナイトの称号を貰う。
ラジエーター・スプリングスの住人達の退役軍人のサージにパトカーのシェリフと消防車レッドも
イギリスで犯人逮捕に協力していた。そしてメーター達は、ラジエーター・スプリングスに帰って
来た。だけどメーターの話が、とっぴで信じないとフィン・マックミサイルとホリー・シフトウェルが
現れて皆が本当の話だと信じる。メーターは、ジェットエンジンを付けてもらう。
ロードムービーにスパイアクションにスポーツに代替え燃料と様々なテーマが凝縮されていて1作目より
楽しめた。


2011年12月24日

『カーズ』(2006年)ジョン・ラセター監督作品を観た。長編アニメだ。
カーズ2を観る前に観た。話の流れが『ドク・ハリウッド』(1991年)
マイケル・ケイトン=ジョーンズ作品に近い。バック・トゥー・ザ・フューチャーで有名な
マイレル・J・ホックスがポルシェで判事の家の木のフェンスを壊してしまい町の診療所
での奉仕をさせられる中でセレブ相手の美容整形外科から地域医療を支える道を選ぶ
話だった。『カーズ』ではライトニング・マックィーンがトレーラーから落ちてはぐれてしまい
目的地に行く途中で道に迷い事故を起こして判事に裁判所で奉仕活動を言い渡される
あたりがそっくりだ。しかもルート66沿いの田舎町「ラジエーター・スプリングス」
の判事は、医者だ。町に滞在しているとドック・ハドソンが50年前の
「ピストンカップ」で3度優勝したことに気付く。町の発展の為にドックが
アドバイスしてくれるがライバルのキングがクラッシュしてしまい引退に完走したという
花道を与える。大勢の観客はライバルのキングをクラッシュさせ優勝した
チック・ヒックス にブーイングする。町にチームが出来て活性化する。メーターは
ダイナコヘリコプター に乗せてもらい夢がかなう。最初サリー・カレラ のモーテル
で古い国道沿いのアルフレッド・シッチコックの「サイコ」を思い出した。
老人が若者を育てるあたりは、明日のジョーみたいノリで好きだ。子供から、その親に
お爺ちゃんまで楽しめる内容だと思えた。ピクサーの音声と字幕の設定で劇中の看板や
新聞の画像までローカライズされるのはスゴいと感心する。


『ニューヨーク34丁目の奇跡』(1994年)レス・メイフィールド監督作品を観た。
『ニューヨーク東8番街の奇跡』を観た事があるのでタイトルで観たことがあると
錯覚していた。1947年から4回もリメイクされミュージカルにもなっている作品
だった。サンタクロースがいるかいないか?と言うかクリス・クリングルと名乗る
老人が本物かどうか裁判でハッキリさせようとする話だった。聖ニコラスの幼少期
の映画を観たばっかりだけど夢は、無いよりあったほうが楽しい。正夢になる事も
ありえる。悪夢が正夢になる事もあるから夢を見るのは予防にも良い。人間は日常の
ストレスを緩和する為に眠っている時に夢をみるらしい。まあ映画のクリス・クリングル
(リチャード・アッテンボロー)のサンタクロースは良く出来ていた。
1ドル紙幣に【我々は神を信じる】と印刷してある事で裁判は却下される。
ニューヨーク東8番街の奇跡は宇宙から来た小型のロボットがガラクタで自己修復や
カスタマイズをしたり子供のロボットを作ったような気がする。


『県警対組織暴力』(1975年)深作欣二監督作品を観た。時代は1963年(昭和38年)だ。
倉島市では、キャバレーのホステスの引き抜きから暴力団大原組と川手組が起こる。
屋台で刑事がコップ酒を飲んでいるとヤクザの若い衆が出入り前の食べ物を買いに来る。
出入りに行くので死ぬんだからダンヒルのライターを取り上げて自分の払いまでさせる。
この時代の公務員は、官舎はボロくて給料が安い。劇中で集団就職にも、あぶれたから
警察やってるんだ。ヤクザと変わらん。なんてセリフがあった。
代理出頭してきた若い衆が取り調べ室で失禁しているとヤクザなんて勤まらん「戸籍係
にでもなれ」という当たりで公務員の待遇が悪く就職希望者がいない時代背景が
あったと思い出される。
黒澤明の「生きる」でも役所に長年務めていた課長の元から部下の女性が玩具工場に
転職してしまう。そんな時代背景だった。今では待遇が逆転して公務員が高給で安定
している。『県警対組織暴力』は、調査・取材して作られた映画だと最初に映し出される。
つまり実話を元にしたノン・フィクションだ。刑事がヤクザに家を買ってもらったり
転職したりする。県警のエリート警部補海田まで製油会社に転職して福利厚生の良い
会社で「さあ今日も元気に朝の体操をしよう」で終わる。
自転車に抜いたドス持って追いかけて地下鉄の入り口の階段で転げ落ちる場面。
テレビから「こんにちは赤ちゃん」の歌が流れる前でドスで何度もさされてチンピラが
のたうち回り殺されるシーンは、ゴットファーザーの結婚式と同時にファミリー間の
抗争でジャマなドンをヒットマンが殺す場面と結婚式会場の場面が対比して入れ代わる
テクニックに通じている。野麦峠の雪を歩く藁の靴と鹿鳴館で踊る上流階級の対比にも
通じる。この表現を編集の手間をかけず連続するシーンで撮影されていた。
この作品は、お得意の輪転機を映して新聞沙汰の演出は無いが良く出来ている。


2011年12月23日

『もし高校野球の女子マネージャーが ドラッカーの『マネジメント』を読んだら』
(2011年)田中誠監督作品を観た。高校野球とビジネス書のマネジメントの
組み合わせは意外性があると思ったがスートリーがボックス!のマネージャーが
病気で死んでしまうパターンがダブって見えて流れの新鮮さを感じられなかった。
顧客ニーズに「感動」を選んだけど高校生のスポーツには、「青春」や「爽やかで
フレッシュ」などや「熱中している姿」に「アマチュアリズム」など観る人によって
求めるものは違う。マネジメントする側は才能より「真摯さ」を持って取り組む
資質が必要とあった。長引くリーマンショック後の不況に3.11のショックが
加わってしまい見る側の興味が野球やマネジメントに向くタイミングなのか疑問に
感じた。映画はニュースと違い完成してから公開まで半年程の時間がかかる。
この映画は、10年規模の時間を置いて観ると違って見えるような気がする。
アメリカ映画で『プリティ・リーグ』(1992年)という戦時下の1943年に創設された
全米女子プロ野球リーグを描いた作品では、観客が喜ぶオーバーなアクションで
人気を出すという部分があったり少年野球では『がんばれベアーズ』(1976年)と
いう作品があった。その為に懐かしい2本の映画を思い出す事ができた。
後は、エンドロールで流れたAKB48の「Everyday、カチューシャ」が耳に残った。
程久保高校野球部のユニフォームがシンプルで飾り気がないあたりが新鮮に
見えた。ラストのバンドと一球目にタイミングをズラして大きく振ったストライクで
相手を油断させる部分などは面白かった。

2011年12月20日

『サンタクロースになった少年』(2007年)ヨハ・ウリオキ監督作品を観た。
フィンランドの映画で新作DVDに並んでいた。フィンランド・アカデミー賞
最高人気賞・最優秀撮影賞。サラソータ映画祭(アメリカ)観客賞。
エレバン国際子供映画祭(アルメニア)最優秀作品賞。FICI国際子供映画祭
(スペイン)観客賞を受賞しているとパッケージに書いてあったので観た。
ちょうどクリスマスなので時期も良い。サンタクロースの元になった
ニコラスの両親と妹アーダの3人の家族が氷の湖の上を歩き氷が割れて1度に
死んでしまう。ニコラスは1人になってしまうが里親になる程、村人達は豊で
ない。そこで6家族で1年づつニコラスを育てる事になる。クリスマスが
ニコラスの家族の命日でもある。そして次の番の家へと移る日でもある。
そのつど世話になった家族の子供と友達になり木彫りのオモチャをクリスマス
の夜にプレゼントとして密かに置いて歩いていた。そして数が増えていった。
6年が経った時に農作物も湖の魚も取れないため村でニコラスを養う事が
出来なくなってしまう。村人は集会所に集まってニコラスを、どうするか
話し合っている。最後に子供嫌いの木工職人で行商人のイーサッキが
ニコラスの手先が器用なので「使える」と仕事をさせるの1年預かる事になる。
最初に預かったハンヌスがソリを餞別にプレゼントしてくれる。
そして村から20km離れたイーサッキの家で暮らしはじめる。
仕事場を綺麗に整理・整頓する事から仕事を教え込む。地下に工房があり回転
させて木を削る機械まである。動力は水車のようだ。イーサッキは木工に加えて
鍛冶屋も出来る。木の選び方や森の木を大切にする事なども教え込む。
そして1年が経ちクリスマスになる。その夜にクリスマスのプレゼント配りを
協力してくれる。そして最後のプレゼントは湖で死んだ妹アーダへ馬の木彫りを
沈める。イーサッキはニコラスに過去を話す。
妻マルキットが死んで息子が出て行った。イーサッキは家族と別れる寂しさを
知っているから人と深く付き合わないよに思えた。そして1年ごとに住む家を
変える生活からイーサッキーの家族としてずーっと暮らす事になる。
イーサッキたちはクリスマスも働いている。酒も飲まず働きものだ。
そして高級な家具から日用品からオモチャまで作って売る。そして何十年も経過する。
ニコラスも初老になりイーサッキも年老いた。ニコラスがエーメリの雑貨屋から
戻ると2人の息子ヘンリックとヘルマンが寒い土地でイーサッキを暮らさせる
のは無理だと引き取とりに来ていた。イーサッキーは、ニコラスに家と仕事場と
2人で家具を作って売った金をニコラスに全部渡して上手に使えと鍵を渡した。
息子達と温かい所で余生を、送る為に馬車で出て行ってしまう。
ニコラスは行商していたラップランドの村や集落の子供にオモチャを配り
続ける。プレゼントの贈り主の正体を知っているのは最初に預けられた家の
子供エーメリだけだった。そして数年が達ちエーメリに娘が出来る。
名前はアーダという。村も大きくなりプレゼントの荷物も増えて馬の
ヒルマも年老いてしまう。そこで村からトナカイを買う。トナカイにソリを
曳かせる時に赤い帽子を被らないと上手くいかないので赤い帽子と赤いコート
を大人になり村で雑貨屋を営んでいるエーメリから買う。そしてアーダが大きく
なりクリスマスにプレゼントを配っている人に興味を持ってニコラスの家まで
来てしまう。アーダは秘密を守り続けた。そしてアーダも大きくなった。
エーメリが死んだ時に知らせてくれる。そしてプレゼントを包んで名前を書く
ことでニコラスを手伝う。数年のちにニコラスのトナカイとソリだけが家に
戻って来る。家のテーブルにニコラスが父親から貰った懐中時計が入った
小箱がある。それをアーダとアーダの夫が湖に沈める。
流石にニコラスの亡骸の話は出て来なかった。春に見つかりましたでは
夢を壊してしまうのでトナカイのソリで空を飛んでいる場面で終わった。
ニコラスは、子供の時に青いダブルのチョッキ(ベスト)を着ていた。
ボタンはベージュで6つボタンだった。初老の時も似た感じのベストを
着ていた。プレゼントを配る時の赤いコートは、白い毛皮の部分とモッサと
思われる織った生地の境目にチロリアンテープみたいな物が上乗せして
あった。赤いスボンまでは穿いていなかった。
1年の恩返しは、日本では年賀の挨拶がある。中には、一宿一飯なんて
いうのもあるので宗教に関係なく広がったのだろう。村という地域コミュニティー
で育てられたニコラスが生涯独身で人と関わらず年に1度プレゼントを配る
時に外に出るのは、イーサッキ以上に人付き合いが負担に感じる部分も
あったように見えた。幼少期に6年間、違う家族と生活するのだから気遣いは
大変だったのだろう。劇中のセリフに「プレゼント目当てに子供が寄り付くと
困る」と言って秘密にしている理由を語っていた。


『トイ・ストーリー3』(2010年)リー・アンクリッチ 監督作品を観た。
子供向けアニメだけに退屈させない内容だった。アンディが1作目から
10年経過して17歳になり大学に向かうまでに、おもちゃ達が捨てら
れるか?保育園に寄付されるか?屋根裏部屋にしまわれるか?という
状況になる。屋根裏行きに予定のオモチャをアンディが黒いゴミ袋に
入れてしまい。母親がゴミに出してしまう事で冒険がはじまる。保育園
に寄付される箱に避難してサニーサイド保育園に付く。そこは独裁者の
クマ(ハグベアー)がオモチャ達に上下関係を作り監視させる世界だった。
逃げ出すとゴミ処分場に着いてしまい粉砕され焼却されそうになるが
アンディの元に戻る。大学に行くアンディはオモチャ達を車に積んで
少女ボニーの家に行って新しい活躍の場を与える。カウボーイ人形の
ウッディだけ大学に持って行こうとしていたがポニーの家に持って
いった箱に入っていたのでポニーにプレゼントする。
字幕や音声の設定で劇中の画面の文字(本編中の要所の表記)まで変わる
仕組みまである。ポニーが、もともと持っているオモチャにジブリの
トトロがあった。


2011年12月 9日

『エクレール・お菓子放浪記』(2011年)近藤明男 監督作品を観た。
孤児のアキオが、お菓子を盗んで刑事に保護された時にアンパンを貰う。
感化院で職員に虐待死させられる子供が出る。感化院の教師・陽子が
歌っていた『お菓子と娘』を励みに戦前・戦後を生きていく。
里子に出されると上野で映画館のフィルムを届ける仕事をさせられる。
戦争中で売店には、何も置いていない。アキオは自転車で腕をケガして、
しばらく自転車に乗れなくなる。たいしたケガでは無いが里親が前の
里子(女)が病気で働けなくなって売り飛ばしたと聞いて飛び出す。
旅の一座の雑用をする。検閲が厳しい時代で「金色夜叉」を演じて警官が
来たら熱海の海岸が出征の場面になる。なかなか面白い座長だ。
この一座は、女形の役者が召集されて自殺し解散してしまう。役者の中に
脱走兵がいるのを知らないフリをして使っていたが、事前に逃がすなど
視野が広い。宮城県の白石あたりだ。解散になり東京に戻ると東京大空襲で
焼け出された人に出会う。警察署に行くと、アンパンをくれた刑事は死んだと
教えられる。務めていた映画館は空襲で焼けていた。絶望して川に入って
『お菓子と娘』を歌いながら流されていると戦災孤児達に出会う。
アキオはリーダーになって上野のパンパン達とも助け合い闇屋になる。
そして年末にアキオを慕っている孤児達の為に、商店街の景品を手に入れ
ようと、のど自慢に出て歌うと広島の原爆で死んだと思っていた感化院の
教師・陽子と再会する。そして陽子の実家がある砂川で孫娘がエクレール
という3代続くお菓子屋を続けている場面につながる。おそらく滝川公園
と思われる場所で屋外結婚式が行われている所にケーキを届ける所で終わる。
札幌から旭川に向かう途中に砂川市・滝川市・深川市と並んでいる。
国道12号線に架かっている空知大橋が砂川市と滝川市の境目だ。
 チョコレートのお菓子を使った映画では、韓国映画『JSA』(2000年)で
南北の国境警備兵が交流して北朝鮮で手に入らない、エンゼルパイみたい
お菓子を泣きながら食べるシーンが印象的で思い出してしまった。
エクレールの菓子パンは、設定が上野あたりなので『鬼畜』の青酸カリ入り
菓子パンを自分の子供に動物園で押し込む場面を連想してしまった。
宮城県を中心とした、お菓子業界で作った映画だけど、お菓子の宣伝色が
気にならない様に良くできていた。子供の人権を啓蒙する内容も含まれていた。



『少女たちの羅針盤』(2011年)長崎俊一監督作品を観た。4人の女子高生達が
劇団を作り知名度が高まると1人の少女が転落死してしまう。そして羅針盤は、
解散して別々に活動する。事件から4年後に犯人と犯行の手口に気が付いた3人は、
犯人に対して驚くような方法でトリックを暴く。ヒントはガムと保冷剤だった。
仇を取ってくれる仲間がいて観てスッキリする流れだった。



2011年11月30日

『フロント・ページ (香港映画)』(1990年)フィリップ・チャン監督作品を観た。
Mr.BOO!のホイ3兄弟の(マイケル・ホイ、サミュエル・ホイ、サミュエル・ホイ)
コメディー映画だ。マイケルは週刊誌「週刊内幕」の編集長でオーナーで元・教師
なので他の雑誌のセクシーな表紙で部数を稼ぐ事を躊躇っている。その為に雑誌が
売れず部下は、仕事場にカラオケの機械を付けてサボっている。編み物をしている
人もいる。そして公告代理店にクライアントが公告の掲載を止めると言われる。
銀行は、期日が遅れていると催促に来る。これは、新しく採用された格闘家のビル
が一切れのパンを分け合う程に従業員達が生活を切り詰めている芝居で乗り切る。
金魚を食べようと言い出して銀行の担当者が金魚の餌さを買えない所か食べかねない
と思い期日を延ばして金魚は、預かって世話してくれる事になる。
最新号が屋台の食べ物用の包み紙にされているのでマイケルが給料の賃上げの話の
時に食べながら話そうというあたりなど相変わらず面白い。人気女優が幽霊を見たと
いう話題で、編集長が幽霊に変装したら犯罪組織の隠れ家で犯罪組織が人が寄り
付かないように幽霊に変装しているのと鉢合わせして本物の幽霊だと思い込む。
寝込んでいるとビル達がマイケルの家にメガネやコンタクトで特殊インクが見える
イカサマ仕様のマージャン牌を持って見舞いに行って負けを取り戻す。
まるで任天堂のミラクルトランプみたいだ。
電気が消えるとコンタクトが緑に光って悪霊に取り付かれているように見える。
ビルは、硬いゆびぬきでジュースの缶に穴をあけたり手品と格闘技を組み合わせて
楽しませてくれる。「燃えよドラゴン」の手を付け替える武道家を、思い出させて
くれる。足の指に刃を付けたり面白い。人気女優のゴシップを探そうと美容整形に
潜入したり神父に化けて教会の懺悔室で話を聞いたりするがゴシップが無い。
最後は、ビルが恋人に見える写真まで捏造して婚約者と別の恋人がいた!という
見出しで週刊・内幕を救おうとするマイケルと対立するが結婚式で強盗団の犯行
場面の写真を取って特集を出す。他のメディアが持っていない犯人達の犯行中の
写真が表紙で空港で皆が犯人だと気付くあたりはスカッとする。
そして警察から表彰されて賞金まで貰い会社が助かる。ラストでイカサマトランプ
でマージャンの仕返しをしようとするがボーナスを倍払う事になって終わる。
香港返還前の作品なので気合いが入っている感じがした。


2011年11月29日

『セロ弾きのゴーシュ』(1982年)高畑勲監督作品を観た。
スタジオ・ジブリが出来る前のアニメーションでオープロダクションが
自主製作した作品である。ストーリーは、宮沢賢治の有名な作品だ。
映画なので、架空の曲である「インドの虎狩り」「愉快な馬車屋」は
間宮芳生が作曲している。最初に「金星音楽団」の楽長が練習後に
6時から活動写真館のボックスに入ってくれ、松之助の「児雷也」
曲は、「美しき天然」というセリフでサイレントの映画館で演奏して
いる楽団だと解る。10日後に演奏会でプロだから素人楽団に負け
られないというのでコンクールに出場するという事だ。
映画は『豪傑児雷也』(1921年)牧野省三監督で主演は尾上松之助だと
調べると解った。美しき天然は、サーカスのジンタのメロディーや
宮沢賢治の時代のチンドン屋が演奏していた曲だ。セリフだけでは、
どんな曲なのか判らないので調べた。ゴーシュは木造の水車小屋に
住んでいる。最初に猫がゴーシュの畑のトマトを、土産に持って来る
所から家庭菜園しているのがわかる。庭付き一戸建てで音を出しても
近所に人が住んでいないから真夜中でも練習できる環境だ。しかも
大きな「チェロ」を持って映画館のある街まで通勤は徒歩だ。
現在の、芸術家は美術なら製作スペース、音楽なら音を出す場所を
確保するのが大変だ。文学なら蔵書や資料の保管に苦労する。
インターネットで資料や情報は、入手可能になったけどゴーシュの
生活は、貧乏だけど豊かに見えた。猫や狸の動きは、『平成狸合戦ぽんぽこ』
や『猫の恩返し』へと繋がっているようだ。『猫の恩返し』に出てくる
「猫の事務所」が出てくるが宮沢賢治の作品に「猫の事務所」がある。
アニメでゴーシュ達が練習していると自然の背景が変わって宙に浮く
演出など映像も美しかった。しかも解り易く楽しめた。


2011年11月27日

『デイブは宇宙船』(2008年)ブライアン・ロビンス監督作品を観た。
エディー・マーフィの人型になっている宇宙船が地球にエネルギー
になる塩を求めて来る話だった。塩を入手出来ないと惑星ニルは、
現在の世代で絶滅してしまう。ヒト型の宇宙船の三ヶ月前に水を
吸い上げる為の装置が隕石として送られている。なんだかVみたい
だけど宇宙船の中に身長3センチ程の宇宙人が大勢、乗っていた。
小さな宇宙人はMIBみたいだけど全員、人間と同じだ。
宇宙船の船長エディ・マーフィーを船にしたらしい。そして交通事故
で足をケガしたり隕石のある学校とコーラスラインを上演中の劇場を
間違えたりして地球の文化を理解していく。地球人は毎年1回、
「素晴らしき哉!人生」を観ると勘違いして地球の海水を奪うのを
止める。エネルギー着れになってスタンガンで回復するのなら
充電や心肺停止の時に使われたAEDや家庭用電源で何とか出来た
のでは?と思えた。電圧は高いが電流が少ないのがスタンガンの
構造だ。まあ、そんな事は深く考えないようにすると楽しめた。
最後は、靴が脱出用のシャトルになっていて最初に着いた自由の女神像
の前から飛んで惑星ニールに帰ったけど塩は、持ち帰れたのだろうか?
少し気になる終わり方だった。

「ステキな金縛り」や「デイブは宇宙船」に出てくる
「素晴らしき哉!人生」の住宅金融公庫みたいビジネスモデルは、
現在でいう社会貢献型と言えそうだ。ノーベル平和賞を取った
グラミンのビジネスモデルの元みたいだ。ノーベル平和賞と言えば
マザー・テレサが世界平和について「まずは家族を愛しなさい」が
ある。「バッシング」という映画を観ると家庭に居場所が無い人が
親の金を社会貢献に使っている。これは自己満足の為に優越感に浸る
だけだと、この映画を観てから思うようになった。実の父親を自殺に
追い込んで実の母親と縁を切ってまで父親の保険金を慈善に使って
いる実話を思い出した。不幸な人を探して施しをする共依存タイプの
状態になる事を諌める意味でコミュニティーの最小単位であった
マザー・テレサの「まずは家族を愛しなさい」があったと思うが
単身世帯が3分の1になってしまった。単身者の場合は「自分の人生を
大切にしなさい」と変わるのかも知れない。現在、地球上の農作物で
流通に乗るのは次の世代を残せない一代限りの命に加工された種なので、
食べ続けると人体に影響が出て寿命が短くなっているかも知れない。
夕張メロンや佐藤錦(サクランボ)などの高い果物を買って採種して
庭に種を蒔くと次の年に庭で収穫できない加工までされている。
遺伝子組み替え並の安全性だから遺伝子組み替えを流通させると言う
事になる。不思議に思わないと調べない。有機栽培でもF1種かも
知れない。固定種の果物や野菜なら差別化してブランド化できると
思うが手間と採算は、合うのだろうかと考えてしまう。
複合汚染が少子化の要因になっている。千葉大学で大気汚染の実験に
ネズミに薄い濃度の排気ガスを吸わせると両性具有のネズミが生まれたと
写真を見てビックリした。息をしても影響を受けて食べ続けても疑わしい
けど、薬害や公害の裁判は3代かかるので孫や子がいないと引き継げない。
(養子だと遺族と認められず退けられた例がある)
すでにヨーロッパでは、すでに植物の種を集めて北欧の永久凍土のシェルターに
保管している。この植物版ノアの箱舟には、複数の国がプジャクトに参加している。
周知の話なのでテレビで入り口から少し中までは放送していた。
当然、親種を固定種の状態で保存してあり土や気候に順応できる種が
発芽して実り毎年、種が取れるタイプであろう。
貧困国で存続可能なビジネスとして固定種の野菜や果物を作ると売れる
と思う。形が揃わなければ加工食品にする方法にして食材は固定種の
野菜と表示すると良いだろう。


『網走番外地』(1965年)石井輝男監督作品を観た。
情報の無い時代だけに刑務所を舞台にした映画なので注目されたようだ。
雪の中、ブレーキの壊れたトロッコのシーンは北海道出身者から見ると
飛び降りると綿のクッションになる事が解っているので迫力が無かった。
スキー場の硬いコースとは違う。後は、屋外の作業で受刑者にサングスまで
支給されないのでは?と言うあたり以外は、映画史に残っているから観たと
いう感じだった。母親の死に目に会いたいという事をいうヤクザと言う設定
では、現在社会の厳しい環境で生きている世代には受け入れられないような
気がした。仕事中心で親どころでは無い。自分が生きるので精一杯だと
言われそうだ。刑務所が更生目的だから甘いと犯罪被害者は厳罰化を望む
傾向の時代に見ると複雑だ。


『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』(1966年)佐伯清監督作品を観た。
時代は「昭和の初め」とテロップが入るので戦前の昭和のようだ。
宇都宮の石材会社同士の利権争いだけど、どっちもヤクザだ。
花田秀次郎は左右田組(そうだぐみ)へ一宿一飯の義理の為に
任侠上の勝負で殺してしまった榊組(さかきぐみ)組長の墓参りを
している。この時代では正式に勝負するのは、貴族の決闘みたいな
感じだったのかも知れない。違法なので刑期3年だったようだ。
花田秀次郎の弟分だった周平は、駆け落ちが許されて、くみ・と
夫婦になって料理屋を営んでいる。
組長が死んで落ち目の榊組(さかきぐみ)から強引に利権を奪ったり
職人を引き抜いたりする左右田組のやりかたに耐え切れず石切り場で
弟分の周平を殺された事もあり、後半で出所して榊組(さかきぐみ)に
帰ってきた畑中圭吾に勝負を申し込まれるが引き分けになる。
雪の中、花田秀次郎が左右田組に殴りこみに向かう途中で、同じ
目的で歩いている畑中圭吾に出会う。勝負は次の機会にと言うと
畑中圭吾は差している傘に花田秀次郎を入れて二人で歩き出す。
任侠映画は、雪の中がシュチュエーション的に絵になるみたいだ。
殴りこみのパターンは、忠臣蔵の討ち入り的な流れだからイメージ
がマッチするようだ。そして背中の唐獅子牡丹を出しての立ち回り
だけど大勢を相手にするからダイナマイトや拳銃も使用しながら
長ドスも使っていた。緋牡丹博徒は、明治中期とテロップが入る。
任侠映画は、ロードムービー的に旅をする作品が多いので面白い。
忠臣蔵は、京都と赤穂と江戸の三ヶ所を旅するからロードムービー的
面白さがあるようだ。「獅子に牡丹」と来れば「竹に虎」「竹に雀」
「松に鶴」「松に鶯」「紅葉に鹿」「柳に燕」「牡丹に蝶」「萩に猪」は
絵になる組み合わせだ。花札の絵柄あたりが参考になるみたいだ。
「波に千鳥」じゃあ龍は?となると「昇り龍」は、悟りを得ようと
している姿で「降り龍」は、悟りを開いて完全なる智慧で導き救う為に
戻って来る姿だそうですが・・・「龍に玉」かと思うが植物との
組み合わせで無い。「犬にタンポポ」だと「猫に小判」かも知れない?
狛犬は口を開いている阿と閉じている吽があり「あうんの呼吸」という。


2011年11月18日

『プリンセス・トヨトミ』(2011年)鈴木雅之監督作品を観た。
会計検査院の3人が大阪に出張する。ジンクスで新幹線から富士山が
見えると大きな事件(やま)が見つかるらしい。富士山が大きなヤマ
だからという意味らしい。子供の頃に富士山に白い十字架が立って
いるのを見たと鳥居がいう。大阪で中学校に生徒数の確認に行くと
鳥居が真っ白い粉をかけられたセーラー服の子を見つけて声を
かける。供蜂須賀 勝に真田 大輔がイジメられたようだ。
そこへ橋場 茶子が助けに現れる。OJOに監査に行って太閤という
お好み焼き屋で食事をしているが中に居るハズの職員が1人も出て
来ないのに松平 元が気付く。携帯電話を忘れたのでOJOに戻ると
モヌケの殻だが電話をかけると長宗我部が出る。そして後日、OJO
を再訪問して長宗我部を問い詰める。そこへ太閤の主人が現れて
立ち入り禁止の扉をおけて赤絨毯が続く廊下を歩いていくと明治維新
の時に明治政府に財政援助した見返りに独立国家として認めるという
国際条約書を見せられる。建物の内部は国会と同じ作りだが地下に
あるようだ。この廊下は、死期の迫った父親が子供へと大阪国民の
使命を語りながら歩く廊下らしい。劇中では車椅子の一組の親子と
すれ違っている。大阪府民が1度は通ると考えれば、もっと多く
すれ違うだろうしOJOの門番も忙しいと思った。
真田 大輔が蜂須賀組の代紋を取って警察に保護されている時に
鳥居 が金属バットを持って後から殴り込もうとする橋場 茶子を
タクシーに乗せて連れ去り自分のホテルで話をしていると大阪城が
赤くなり街に「ヒョウタン」が吊るされたり置かれたりして町中の
人間が消えてしまう。戦いに集まるのは男で女は、送り出すから
残っているハズだけど、何処に行ったのか説明が無い。
演出で誰もいない街はインパクトがある。これだけの映画になると
(必要な部分を削って製作委員会や幹事会社から協賛企業やプロダクション
の意向で何かを入れないといけない事は、多々ある。
そういう場合は、スッキリと解るように編集で解説テロップや
ナレーションで補足説明してほしい。つじつまが合わないと観終わって
スッキリしない。)
大阪府庁で、松平は真田と会見する。その時に豊臣の血族を誘拐させた
と怒る群集の誰かから拳銃で撃たれてケガをしてしまう。
現場へ鳥居と橋場 茶々が現れて非常事態は、収集する。
松平 は、35年前の幼少期に父親が赤い大阪城に向かう姿を見た
記憶がある。1人の人間の為の年間5億ではなく大阪国民が親から
子へ絆を深める家の歴史を語る部分に共感したらしく、自分も父親
から何度も電話をされたが死ぬまで行かなかったので黙認する事に
する。拳銃で撃たれたケガも軽いようで退院している。
そして帰りの新幹線の窓から富士山に白い十字架が立っているのを
目撃するが部下の旭と鳥居の2人は、疲れて眠っている。
こんなに団結力があるのに府知事が出て来ないとか政党関係の話が
無いなど不自然な感じがするが昔の映画みたいに内容に完成度や
整合性を求めるのはムリなのかと思えてしまう。観る側が真剣に
観ていないと気が付かないのかも知れない。
ただ群集のエキストラの数はスゴく多かった。そして大阪の警察・消防
交通・通信に従事する人が制服のまま集まっている所はインパクトが
あった。拳銃を携帯する職業の誰かが発砲するのはありえる。
後は、三つ重なったヒョウタンのバッチまで映画の為に作ったようだ。
万城目 学の原作は、鴨川ホルモーは面白かった。プリンセス・トヨトミ
も原作の小説を読んだ方がスッキリするかも知れない。
江戸時代に幕府と似た機能を持っていた伊達藩は東北に城が48近く
あり仙台を中心に行政機能を持ち伊達四十八館と言われていた。
江戸と仙台の間に交通の要所となる現在の角田市があり城が三つも
置かれていた。
独立国は、函館の五稜郭で新撰組が戦っていたら北海道が独立国
になっていたかも知れない。
この映画も年老いた順に亡くなる事が前提なのだが、孫や子まで
いたのに最初に孫が死んで次に子が死んでしまう逆縁現象で孤独
の中で亡くなった人がいたので若者の生命力が低下している気が
する。真田の息子は、性同一性障害という設定で赤絨毯を歩いて
いた。すでに白熊(北極グマ)はIS(インターセクシャル・両性具有)化が
1割になっている。殆どが次の世代を残せない。昆虫では蜜蜂の雄が
無精子化して巣が全滅するイナイイナイ病などを連想してしまった。


『にあんちゃん』(1959年)今村昌平監督作品を観た。
終戦後の九州の佐賀にある有浦という炭鉱町が舞台になっている。
山の仕事と海の仕事が出来る街だ。いきなり やすもと の葬式の
場面から物語が始まる。
葬式の香典受付をしながら貸した金を回収する老婆は、これは
これ、生きて行く為と割り切っている。アイルー・アイルーと
悲しんでいる。父親が死んだので特別臨時雇いの長男 きいち を
正社員にするように同僚だった へんみ が交渉するが
本雇い所か解雇されてしまう。朝鮮特需の頃なので石炭の炭鉱だけ
取り残された感じだ。葬式に来ていた結核の可能性がある男に
レントゲンを受けさせようとしていたり保健婦は、頑張っているが
家族は、病気で解雇されるのを恐れて言う事を聞かない。
スト決行中の看板やプラカードが印象に残る。
香典を現金で払う人と金券で払う人がいるので疑問に感じる。
後で給料の遅配が起こっている事が解る。学校の規模を見ると
大きな街に見えるが貧しい人が多い。炭鉱住宅の設備が悪く
水道が共同だ。保健婦が改善するように交渉しても会社は、
赤字で大量解雇しないといけない状態だ。炭鉱労働者は、会社の
社宅が当たり前なので1人30円で蛇口を増やせるが1円も出さない。
どうせ自分の持ち家で無い。事故で何時、死ぬかも知れない。
稼げるだけ稼いで美食や娯楽に使うのを優先させる。将来の事
なんて考えると炭鉱で働けない。こんな労働環境では金銭感覚が
現在と違うみたいだ。結局、赤痢患者まで出てしまう。
レントゲンを撮れと言われていた にしわき の家の赤ん坊
だった。にしわき は首吊り自殺してしまう。
やすもと の次女 すえこ が小学校で使う教科書代150円を
長男の きいち が渡さないで酒と映画に金を使うので次男の
たかいち(にあんちゃん)と、取っ組み合いの喧嘩をする
描写で解る。死んだ父親が、ろくでなしだったと最初に附箋がある。
炭鉱街には、酒や映画どころか博打や売春など無学で金遣いの荒い
労働者の金を目当てに様々な商売があったハズだ。この映画が公開
される前の年に売春防止法が出来たばかりだ。
飲む・打つ・買う の三拍子そろっていただろう。
命がけの仕事だから将来設計より今を生きるのを優先させる。
これでマグロ漁船が港にあれば高利貸しの利息も払える。
エネルギー政策が石炭から石油へ変わり産業構造の節目だ。
「にあんちゃん」とは、二番目の兄ちゃんと言う意味だと
映画の半分ぐらいで気が付く。
次男の「にあんちゃん」は学校に盛っていく弁当が無くて水で空腹を
満たして「水ばら」と言われていた。
保健婦は、講習会を開くがストライキの集会で誰も来ない。
2度目は、朝鮮人で金貸しの老婆が自分の債務者を動員してくれる。
子沢山で日本語を完全に話せないが必死に金儲けで制約と偏見の
ハンデを克服している。日本人の道徳感とは違うみたいだ。
この時代に「血と骨」の高利貸しのイメージやドキュメンタリー映画の
「HARUKO」の素になる映画が作られているのはスゴい。
赤ん坊の保険衛生を見に来て、この兄弟の長女の 姉 やすもと よしこ(長女)
を子守りに雇わせる。子沢山でも、どれか当たるという発想がスゴい。
ここは、露天の肉屋での会話が元でクビになってしまう。露天の肉屋が、
唐津にある大きな肉屋を再就職先に紹介する。
映画の、やりとりから当時、肉に紫の判子が押してあった事が思い出される。
父親が死んで炭鉱で働いている長男が正規社員になれるようにベテラン坑夫の
へんみ げんごろう が交渉するが正規社員どころか経営が苦しく非正規なので
解雇される。炭鉱住宅に長男きいち・長女よしこ・次男たかいち・次女すえこの
4人が住んでいるが長男は、紹介状を持って長崎にある再就職先へ工場へ行くことになる。
残された二人は、ベテラン坑夫 へんみ の家に居候する。長男は
工場に住み込みで働きに行くので金と配給券を不機嫌な坑夫の妻に
渡すあたりがリアルだ。よしこ は、唐津の肉屋に きいち は長崎の
工場に行ってしまう。2人とも住み込みだ。
長男は、工場を辞めてパチンコ屋に月5000円(生活費を差し引いた手取り)
の住み込みで働くので兄弟4人、一緒に済めない。(大卒の初任給12000円
の時代だ)
別の家に次男と妹を炭焼き小屋の きりご のぶお 夫婦に3000円
渡して預けるが、おかゆみたい食べ物だけで味が変で食事が
食べられる代物でないので2人は、逃げ出して炭鉱町に戻り
保健婦の家に泊めてもらう。空腹で畑の野菜を生で食べる子供が
食べられない味付けは、想像すると怖い。鬼畜みたいに口に
押し込まないだけマシではあるが・・・好き嫌いや偏食は、調理法が
原因の事が多い。玉子焼きは食べれるが生卵は食べられないとか
石焼いもは食べられるがイモのテンプラは甘くて苦手だとか色々あり
そうだ。炭焼き小屋から逃げて元の街に逃げ戻る。
へんみ は坑内で手と足に怪我をして希望退職して炭鉱から去ってしまう。
夏休みなので、「にあんちゃん」たかし は漁村で、いりこ(煮干し)を
天秤棒で担ぐ日当が100円のアルバイトで働く。
妹を、保健婦 かなこ先生の家に預けて住み込みのアルバイトだ。
保健婦の家から、長男が風呂番の きたむら さんに妹の すえこ を
預けることが出来る。
妹に「元気だせ、昔の朝鮮人 もっと強かったぞ」と逆境に立ち向かう
ように言う。買い叩こうとした同じ朝鮮人のクズ鉄屋に「こんど戦争が
あるまで、しまって置く」というあたりも中々だ。ベニスの商人の時代は
ヨーロッパのユダヤ人が土地の所有を禁止されるなどの境遇に合っているが
アジアでは朝鮮人が中国と日本の板ばさみで似ている状態になっていたの
かも知れない。
労働組合運動をしても炭鉱は、三分の二が解雇される。長男の きいち は、次男の
たかいち との会話で、みんな乞食になると長男が言う。たかいち は、同じ
乞食なら東京の方がマシだ。東京に行くと言う。長男は「何事も経験だ」と認めて
しまう。小学生の次男が本当に行くと思わなかったのかも知れない。
こんな時に保健婦の かなこ先生 も東京に行ってしまう。
にあんちゃん(たかいち) は、妹の すえこ に金を渡して街を出てしまう。
アルバイトで貯めたお金で東京まで900円のキップを買って上京して
月島の自転車屋の求人の張り紙を見て住み込みで働かせてほしいと言う。
本人は転校する気で月島の人口や学校の数を気にしている。
小学生なのでスグに警察に通報されて送り返される。
家出少年で無いので皆が駅に向かえに来ている。小学校の担任が迎えに
来て妹の所に送ってくれる。きたむら さんの家に預けられるが炭鉱が
閉山になり失業中だ。生活は苦しいが妹と2人で頑張って勉強して
父親や長男や姉が貧乏の為に出来なかった事を成し遂げると言う言葉で終わる。
かなり詰め込んだ内容だ。この昭和34年に「黒い羽根募金」運動が起こったり
国民年金法などが施行せれるなど日本が戦後の復興と繁栄に向かっていた時代だ。
何と言っても、この時代以前に生まれた人の生命力はスゴい。
朝鮮特需の後も続く神武景気や高度経済成長期に作られた映画だから現在とは
違い豊かさを求めて進んでいける時代に炭鉱の閉山が相次いだようだ。
この映画が公開された年は種なしブドウが開発された年だ。現在卵は無精卵。
野菜や果物は、F1種(固定種はタネが発芽する)でタネを蒔いても
一代限りで発芽しない代わりに形の揃っているものをスーパーや八百屋で
買って食べた世代とは生命力が違うみたいだ。
年齢が高い順に亡くなるのが自然だが、現在は、親より子供が先に死んで
しまう逆縁現象と少子高齢化が起こっている。
今村昌平監督は半世紀以上前の時代に、かなり冷静な洞察力で不偏性の
ある映画を作っていたんだと感心した。この映画は、ネットで検索しても
配役まで作成されていないみたいなので登場人物の名前まで漢字で断定
出来ないので、ひらがなで書いた。

2011年11月15日

『バーレスク』(2010年)スティーヴ・アンティン監督作品を観た。
アイオワでウェイトレスを、やっていたアリスは給料を遅配されて
見切りを付けてロサンゼルスの片道キップを買い街を出る。
ロスに着いて仕事を探しているとバーレスクの看板とテスに
見とれて20ドル払って中に入る。店に入ってウェイトレスと
間違えられたのでバーテンダーのジャックに頼んで強引に
ウェイトレスとして働きだす。そして舞台に上がるオーディション
に強引に参加してダンサーに採用される。母親を7歳で亡くしている
アリ(アリスの店での呼び名)は、経営者のテスからメイクは、顔に
絵を描くようにと教えられる。部屋を借りて家賃を払える状態でない
のでジャックの部屋でルームシェアして生活しだす。
そんな時にバックダンサーが妊娠して代役になる。テスは酔ったり
遅刻するニッキの代役にアリをバックダンサーでなくメインダンサー起用
する。頭に来たニッキは、音響を止めてしまうがアリは、アカペラでなく
持ち前の歌唱力で肉声で歌を歌いステージを盛り上げる。
繁盛しているようだがバーレスクの経営は、厳しくマーカスから
買収の話が来ている。だがテスはロサンゼルス中の銀行から融資を
受けようとする。マーカスはアリをメジャーデビューさせる力があり
靴をプレゼントしたりパーティーに誘ったりする。その時に夜景を
楽しむ為にショッピングモールの空中権を買って持っている話をする。
そしてバーレスクを買収したら20階の複合ビルにする計画をアリに
話す。アリは、マーカスよりバーレスクと仲間を選ぶ。テスにバーレスクの
空中権を夜景を売りに建設している別の不動産業者に売却して店を存続
させる道を選ぶ。ラストでジャックが作曲して完成出来なかった曲が完成
して2人の恋もハッピエンドで終わる。アメリカ版ムーランルージュみたい
ノリだがアメリカらしい不動産ビジネスの空中権の概念とショービジネスの
互助精神が対比できて面白かった。経営者のテスが衣装の補修までやって
いたり新人を育てるのに「いつまでも新人でない」とアリを励ましたりする
あたりは、厳しいけど「ガラスの仮面」の月影千草を思わせてくれた。
ダンサーはマラソン選手みたいに体力を使うだろうし華やかだけど労働と
してはキッい。あまり身体を動かない仕事は頭と目を酷使して丸っこく
なって働くので不健康でキッい。静と動のバランスが取れる生活を続ける
のが健康を維持する事になる。しかし効率を優先させて分業が進むにつれて
上手くいく人が減ってしまうような感じがする。映画は楽しめた。

『グリーン・ホーネット』(2011年)ミシェル・ゴンドリー監督作品を観た。
ブリットは父親がハチ毒アレルギー(アナフィラキシーショック)で急死
してしまい新聞社を相続する。父の運転手だったカトー(上海生まれの中国人)
がエスプレッソを入れる名人で武道家で独自のコーヒーメーカーまで発明して
兵器を搭載した車を父の為に研究開発していた。コンビを組んで毒には毒をと正義の
ヒーローでは無い悪党のフリをして悪を倒す行動を起こす。殆どカトーが相手を
倒している。
街を仕切っていたギャング達の組織のパワーバランスが崩れて分裂して抗争に
なり共倒れしだす。
バットマンとの違いは、ブリットは父親を嫌っていたが父が検事と街のギャングが
裏で繋がっており記事を裏で操作される状態に逆らい意図的に殺された事を知る事
に対してバットマンの場合は、両親を同時に殺害された点と実業家で企業経営して
いるがウェイン家の先祖は奴隷解放運動に協力し父親の職業が社会奉仕型の医者だ
ったと言う点でも違っている。
この話を検事が話した時にスシのUSBメモリーに会話を録音しており奪い合いになる。
自分の新聞社に車ごと乗り入れてバトルをするあたりは、一応は他人を巻き込まない
考慮のようだ。肩を撃たれて病院にかかるのにグリーンホーネットが自分を撃った
ように見せかけて病院に行くあたり人間くささがある。カートーは泳げなくてプール
で溺れるシーンがあったりブリットは睡眠ガス弾を当てられないなどダメな部分も
ある。犯罪の手口は、美人秘書に予想させて計画していたり新聞記事の報道をグリーン
ホーネットを大きく扱うなどスパイダーマンが自分の写真を撮っているみたいノリだと
感じた。顔がバレバレのカトーマスクはキル・ビルで使われていたり過去に
ブルース・リーがドラマでカトー役を演じた事もある。今風に作られていた。

2011年11月12日

『スミス都に行く』(1939年)フランク・キャプラ監督作品を観た。
ヤンキードゥードゥル(アルプス一万尺)が映画のオープニングになっている。
ボーイ・レンジャー(ボーイスカウトみたいだ)を主催している青年スミスは、
新聞会社を経営していた父が後ろから撃たれて殺された過去を持っている。
だが自由と民主主義を愛する愛国者だ。そして青少年の健全な成長の手助けをしている。
州に指名されていた上院議員の急死で土地転がしと汚職が絡んだダム建築の
実現に気が付かないと思い政治に不慣れな青年を上院議員に指名する。
折角、上院議員になったので子供達を自然に触れさせることで助け合いや人間性を
養おうとダムの建設予定の法案を出す前に、同じ渓谷に国立のキャンプ場を作る
法案を提出してしまう。ダムを作って私服を肥やそうとしていた州のテイラーは
全ての新聞やラジオといったマスコミにスミスが汚職をしたと証拠を捏造し嘘の
報道にデモまで組織して行った。スミスのボーイ・レンジャーの新聞は、大新聞
ほどでは無いが凸版印刷に新聞の輪転機まであり子供向けの新聞ながら発行部数
100万部もありテイラーが配達の子供まで襲わせて新聞を取り上げたりした。
スミスは、議会での発言で真実を話し続けるが話すことが無くなると合衆国憲法を
全文読んで時間稼ぎするがテイラーに協力してきたペイン上院議員がスミスが
議場で倒れた時に議場を飛び出して発砲する。
罪悪感に耐え切れなくなった様子だ。そしてテイラーの悪事を議場で公表する。
議長は、スミスがハメられたと直観で悟り長時間の発言許可を与えていた。

「ステキな金縛り」の法廷の雰囲気は、この作品をリスペクトしている事を
示唆していた。裁判長の演技が議長の演技に似ているあたり意識して作っている
みたいだ。

2011年11月11日

『ステキな金縛り』(2011年)三谷幸喜監督作品を観た。
法廷劇に推理とコメディーを混ぜたような感じだ。幽霊が
出てくる訳だけど陽気な感じで通している。最初の芝居がかった洋館の
殺人事件が、まず転落死なのだから事故だと言い張れば良いものだが目的
は夫を冤罪で警察に逮捕させて姉妹が入れ代わる計画だった。
ネタバレが最初になるが姉と妹が入れ代わり死んでいなかった。
被告にされた矢部五郎が妻の美術品バイヤー矢部鈴子を殺した容疑で
裁判になっているが実際は化粧品会社・社長の日野風子が殺されていた
ことがラストで解る。
推理小説ではなくてコメディーなので犯人を知っていても面白さに影響は
無いみたいだ。
被告の泊まっていた宿屋が「しかばね荘」だけど鹿が跳ねているマークが
ダジャレになっている。「はぎしりの間」と「みみなりの間」をトイレで
間違えて金縛りに合う容疑者にドジな弁護士の組み合わせが痛い。
タクシーが出払っていて車を呼べず宿屋に宿泊する時に「みみなりの間」を
選んで更科六兵衛と出会い夜のうちにタクシーで戻ることが出来る
タイミングはロードムービー的だ。途中のファミレスの食事のシーンや
検事と弁護士の2人に幽霊の更科六兵衛が見えている。しかし検事は
見えていないフリをするので死んだペットの犬を更科六兵衛がレストラン
で1人でディナーを取っている検事の小佐野徹の所へ連れてくるあたりが
見ものだった。
幽霊の写真を取るのに心霊写真を使ったり電磁石で砂鉄を更科六兵衛の
姿にして透明人間の形を法廷で披露したり色々やっている。
幽霊が見える三つの共通点は、仕事が上手くいっていない。最近、
死を目の当たりにしている。シナモンを使った食事やお茶を飲んでいる
点だった。
劇中で女弁護士・宝生エミの父親の遺影写真の横に「スミス都に行く
(フランク・キャプラ)1939年」DVDが飾られていた。これが後で
時間を作る事が出来るキッカケになる。あの世から白い山高帽に白い
ベルベットのスーツの公安委員が来ると重要なアイテムになる。
「素晴らしき哉人生」の方が好きというあたり同感してしまった。
被告の罪より証人の更科六兵衛に北条家の重臣が豊臣との内通の濡れ衣で
打ち首にされている歴史を調べて明智光秀の例もあると言うあたりも
中々面白い。更科六兵衛は城主クラスの落ち武者だった事がわかる。
「のぼうの城」の前に攻め落とされた城の城主で開城しないで戦いを
選んだと想像してしまう。
裁判で無罪となるが法律事務所の所長が糖尿で死んでしまってどうするのか
心配になってしまうダメ弁護士ぶりだった。所長はゴディバのチョコレートに
笛の飴が好きな所からハーモニカでハイかイイエを証言させるアイデアは
裁判が終わった後で重要な役割をする。
マスコミも注目する裁判になるが、もっと大ニュースになって良い程だ。
三谷幸喜は、「12人の優しい日本人」の脚本から監督と脚本を
やっているので映画で演劇を見ている感じがする。舞台なら客席から同じ
アングルで観ることになるが映画になるとセットや衣装に背景をリアルに
出来る。大勢のエキストラも使える。舞台でも何台ものカメラで撮影すれば
アングルとズームについては変えられる。しかし屋外のロケみたいには
いかない。舞台だとセットも細部まで作って観客に見えないかも知れない。
上演中に場面を変えるのも大変である。これが映画なら場面を変えたり
移動したりする事ができる。テレビドラマや映画は月に何度か観ても
演劇を観る機会は、無い人が殆どだ。芝居がかった映画こそ三谷幸喜の
個性的な味になっていて相変わらず面白かった。芝居のカーテンコールで
殺された役者さんが元気に手を振ってくれる雰囲気を持ったラストでもある。
ちなみに「12人の優しい日本人」はオルレアン映画祭のグランプリ受賞
作品である。映画を観て関連する映画が観たくなる作品に加えて食欲の無い
人でも食べる事は生きている事だと思える作品でもあった。


2011年11月06日

『パイレーツ・オブ・カリビアン/生命の泉 』(2011年)ロブ・マーシャル監督作品を観た。
期待を裏切らない面白さだった。海賊、黒ひげの剣の力はスゴかった。エドワード・ティーチ
という名前なのでアニメのワンピースみたいに歴史や古い書物を研究して作られているのが
解る。命の泉といっても寿命を奪う泉であり人間を試す。なんか臓器移植で延命するような
イメージをファンタジーに作っているのかも知れない。人間の本質が出る泉だ。
水が生き物のように上に向かうのは良いアイデアだと感じた。ボトルの中に船を奪って
入れてコレクションにしていたり流石はディズニー作品だと感じた。面白い映画だけに
邦画とハリウッドの大作の格差を認識させられてしまった。


『 さや侍 』(2011年)松本人志監督作品を観た。時代劇みたいだけど
スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴみたいに現代劇みたい雰囲気がした。
妻が流行り病で死んだショックで刀が抜け落ちて鞘だけ持って脱藩して
2年半も娘と放浪している。賞金首になっていて命を狙われるが怪我で
済んで生き延びている。逃げ足は速い。野見勘十郎と娘は多幸藩で
捕まってしまう。多幸藩藩主は野見勘十郎に対して「三十日の業」という
若君の前で1日1芸を披露して笑わせることができたら無罪放免にする。
笑わせられなければ切腹となるが映画の前半は、観ていて疲れた。
鬱病みたい状態で何か面白い事をしろといっても無理な話だ。芸が
大仕掛けになり城下町の町民に公開していくあたりから盛り上がってきた。
30日も毎日、顔を見ている訳だから情も湧いてくる。ラストで笑うまでは
いかないが若君に変化が出てくる。ネタをバラすと切腹となり腹を切って
血の付いた刀を鞘にもどし息絶える。そして墓石が立てられる。墓参りに
来た娘の前に現れて実は生きていましたとハッピーエンドになって
墓石が現代でも残っているというオマケまで付いている。
からくり木馬や人間大砲に人間花火のセットは、製作費をかけていそうだ。
最初の三味線の、お竜に橋の上で背中を斬られてにげる時に着物が切れて
いるように見えなかったので違和感を感じてしまったのかも知れない。
それだけで印象が出来てしまい前半の導入部分を楽しめなかった。
タイトルから鞘だけ持つ理由に過大な期待をしてしまったのは、1963年の
映画「切腹」を観たイメージがリメイクの「一命」公開中で 竹光 (たけみつ)
すら入れていないのが不思議でスゴい理由を期待しすぎたのかも知れない。


『悪人』(2010年)李相日監督作品を観た。映画の最初に殺される女性の
殺される程の状況を作る悪女ぶりと周囲の悪人達や犯人を警察署の前から
一緒に逃亡させる女性の善人ぶりや最後の灯台の場面と幼少期に母親に
置き去りにされた場所という回想と犯行現場に花を持っていって持ち帰る
描写など本当の悪人は、存在しないで小さな悪意とタイミングで事件に
なったような感じがした。このあたりは、「さまよう刃」の犯人より
十分に犯人が反省している様に感じさせるあたりの以外性が面白いと
感じた。悪徳商法の販売員のジョークも良く出来ていた。
本当の悪人は、反省どころか罪の意識すら無いが善意と悪意の対比が
出来る作品だった。犯罪被害者にあっても「危険への接近」という理由
で減刑がありえるが殺される状況を作って「自分の首を絞める」ように
思わせる石橋佳乃役の満島ひかりの演技があって対極に犯人と逃亡する
馬込光代役の深津絵里の演技が活きてモントリオール世界映画祭での
最優秀女優賞を受賞になったような感じがした。


『さまよう刃 』(2009年)益子昌一監督作品を観た。未成年者の犯罪を
テーマにした映画で1979年に木下惠介監督の『衝動殺人 息子よ』みたいに
犯罪被害者への補償制度を作る為に被害者団体を作って法制度を作る話とは
違いよく出来た復讐劇だった。ペンションのオーナーが猟銃を押し付ける
ように警察官の前で渡して逃がすあたりは、面白かった。ラストの猟銃は
空砲だったと言うあたりの終わり方も上手かった。ただ、殺人を犯した
少年は、人の死を見ていた訳だから長野の潰れたペンションに潜伏したり
川崎のビリアードがあるプールバーへと行動範囲が広いのが不自然な気が
した。ラストで主人公が弾を抜いていると予測できたので空砲が以外な
感じがした。流れ弾や暴発の危険があるのに川崎の商店街の人ごみで
発砲するのも少し気になる部分ではある。さまよう刃の以外な所は、
被害者に犯人を教えて報復させた少年が持っていた使われなかった
ナイフなのかも知れない。タイトルからドラクエの「さまよう鎧」を
連想してしまったが記憶に残った。復讐劇に未成年者や法制度と正義を
絡ませると複雑でスッキリは出来ない代わりに問題提起には、なって
いるのかも知れない。娘を殺された後の主人公、長峰 重樹の変わり方は、
流石、故・宇野重吉の息子・寺尾聰が演じているんだと感じた。


2011年10月28日

『イヴ・サンローラン 』(2010年)ピエール・トレトン監督作品を観た。
2008年6月1日に他界したイブ=サンローランの生涯をパートナーで詩人の
ピエール・ベルジェがナレーションで解説してくれる。ドキュメンタリー
なので膨大な功績を記録した映像や写真があるので編集次第で様々な作り方
が出来ると思うが、サンローランが所有していた美術品が梱包されて運び
出されてオークションで競り落とされていく場面に時間を割いていた。
ピエール・ベルジェ氏にとってもサンローランと購入した美術品が手元を
離れるのは、辛いと思うが美術品収集家ではなくクチュリエとして残した
作品を見せて解説する比率がほしかった。本当なら財団を設立して美術館
運営しても良さそうだが美術品ディラーがクリスティーズのオークションで
落札してコレクターの所に落ち着くのだろう。アートからインスピレーションを
受けるデザイナーは、多いけど・・・私ごとで恐縮だがは、アートは歪んだ
社会構造に整合性を持たせて、それこそ弱者やマイノリティーに「皺寄せ」が
いかない方向を示すことで自分自身の不快感を軽減するガス抜き的な役割として
作品を発表している。著作権とは思想・感情の表現だが作者の喜怒哀楽に怨や畏れ
を感じるものには、なかなか出会えない。だから探す価値があると言える。
私は、香水より空気清浄機を優先させるしアイロンより洗濯乾燥機を愛用している。
自分と比較すると性格的に違うタイプだと感じた。
バレンシアガからディオールが独立してディオールからサンローランが独立したが
引退宣言をして「モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン」 (LVMH) がブランドを引き継ぐ
かたちになったのかは、解説が無かった。何にせよスタジアムでコレクションの
作品が残っているのはスゴイことだ。ランウェイには滑走路という意味があり
キャットウォークには潜水艦の細い通路という意味がある。飛んだり潜ったりの
ファッション業界には、似合っている用語かも知れない。シャネルの映画が3本
公開された後で見たが人生で若者でいる時間が無かった。青春を経験していない。
大きめのベットに寝ていたい。というサンローランの言葉は、シャネルも共感して
いたのではないかと感じた。1991年の「櫻の園」では、劇中にYSLのタバコが
登場していたのを、思いだした。

2011年10月25日

『私がクマにキレた理由(わけ)』(2007年) シャリ・スプリンガー・バーマン
& ロバート・プルチーニジョン・ファヴロー監督作品を観た。
自然史博物館で人類学の観点から子育ての解説が始まる。
アニー・ブラッドックは看護師の母親ジュディー(柄の入った白衣なので小児科だと思われる)
に育てられて大学で人類学を学び卒業してゴールドマン・サックスの面接を受けるが
面接官の用意した質問に答えられず失敗する。
ゴールドマンサックスに向かう途中、近くのビルに巨大な赤い傘の
電飾デコレーションが点灯していた。後でメリーポピンズの傘だと気付く。
面接試験に落ちてセントラルパークの公園で考え事(他人を人類学の観察の対象
として見るクセがある)をしているとセグウェイに子供が轢かれそうになり身を
挺して助ける。母親ミセスXが駆けつけてきてお礼を言うがアニーとナニー(子守り)を
聞き間違えてしまう。そして名刺を渡される。それを観ていたセレブの婦人達まで
ナニーを探していて名刺をくれる。アッパー・イーストサイドのセレブ・マダム達に
必要とされる。ビルの赤い傘がアニーの手元に飛んで来てメリーポピンズみたいに
空を飛ぶ映像が流れる。(アニーの頭の中のイメージをビジュアル化したらしい)
グレイヤー少年の子守りを引き受ける。そして住み込みで働き出す。保育園に
ベビーカーで向かえに行くと同じようにベビーカーを用意したナニーが担当の
子供を待っている。赤い園児服で大勢出てくる。母親が迎えに行く姿は無い。
両親が働いているが、高額所得なので趣味を優先させてパーティーやチャリティーに
ボランティアの時間で子供との対話やスキンシップは、忘れているみたいだ。
同じ建物にハーバードの男子学生が住んでいて知り合う。
父親は、会社人間だ。頭の中は仕事のことだけ。不倫相手の女性がいる。妻は、知らない
フリをしている。両親の年齢が高く子供が幼いので晩婚なのだろう。
現在の地位を気付くために青春を仕事に奉げたのだろうか?
夫のミスターXが結婚記念日にシカゴから戻らないと4日もスパに保養に行ってしまう。
そして子供が吐いて熱を出した時は、アニーの気転で母親が看護師なので適切な処置が
出来たから良かったが母親として愛情を注いでいるようには見えない。
ああげくにアニーの母親に子守りの仕事がバレてしまう。
他の鳥の巣に卵を産んで雛になると本来のタマゴを巣から蹴り落として親鳥が自分の
子供と勘違いして餌を与える鳥を思い出した。メリーポピンズをリスペクトしている
場面が節目に入っていた。アニーの雇い主と同じ建物で暮らしているハーバードの
ボーイフレンドヘイデンともうまくいっている。それが雇い主の気にさわって解雇される。
タイトルのクマに子供の育児状況を監視する(ナニーカメラ)小型カメラが仕込んで
ありカメラに向かって仕事を、辞める時に不満と意見を言う場面があるからだ。
結局、上流階級の生態を研究してひとなつの夏休みの人生経験で終わり大学院に
奨学金で進学する事にした。グレイヤーの母アレクサンドラは、子供を引き取ってミスターXと
離婚したとヘイデンに手紙を預けてアニーが受け取る。奨学金が受けられるか結果待ち
している所だ。ラストで赤いカサが飛んでいた。

2011年10月25日

『アイアンマン2』(2010年) ジョン・ファヴロー監督作品を観た。
2008年のラストで自分がアイアンマンだとマスコミの取材に答えた所から
はじまった。心臓の動力に使うパラジウムから出る毒素を血中濃度を測り
解毒して生命を維持しているが、あらゆる元素を試しても代用になるもの
が無い。死を覚悟して車のコレクションをボーイスカウトに寄付したり社長を
女性の秘書に任せたりする。(ラストでスタークが社長に戻る)
スタークの父と研究していたロシア人科学者の息子イワン・ヴァンコがモナコの
レース場に現れてアイアンマンみたい装備でレースを妨害する。
圧倒的な軍事力をもつアイアンマンの力で平和だった世界に戦争の脅威が
復活する。各国がアイアンマンみたい兵器開発をはじめる。
スタークの身体は、アークリアクターに使うパラジウムの毒素が全身を侵し
始めていた。
父親が生前に計画した70年代のスタークエキスポの模型の中に、すでに
新しい元素の構造を地図や建物の配置を使った設計図にしていた。スタークは
それに気付いて、現在のテクノロジーによって新しい元素を完成させる。
ライバルの軍事産業
ハマー・インダストリーズの社長ジャスティン・ハマーがイワン・ヴァンコに
復讐と資金提供を餌に無人のロボット群団を作らせてスタークエキスポに出品して
アイアンマンとの戦闘になるが新しい元素でパワーアップしたアイアンマン
が全部倒す。ラストでアイパッチをつけたヒーローを集めるアベンジャーズ計画
のプロジェクトの男と会話する場面もある。マーベル・コミックのキャラが複数、
活躍している世界設定らしい。


『華の乱』(1988年) 深作欣二監督作品を観た。明治から大正に活躍した与謝野晶子
(吉永小百合)を主人公にして夫、与謝野寛や有島武郎 との交流を描いている。
夫の与謝野寛は、詩人だが生活費を稼ぐことが出来ない。子沢山の貧乏家族を晶子が
支えている。サイドカーを乗り回し北海道に農場を持ち都心の洋館で暮らす有島武郎とは、
対極的だ。有島は、アナーキストに資金援助したり自分の農地を解放したりする。不在地主で
いるのが気まずいのだろう。子供が何人もいれば遺産として財産を残そうとするのが
親だ。しかし結核になると身勝手に浪費して貧乏な状況を作ろうとする。貧乏でないと
書けないとか、愛人がいないと書けないという調子だ。このタイプが文学をやると
エゴイストになる。愛は肉欲、芸術は自己顕示欲、社会運動は優越感を得る為に首を
突っ込む。そんな男達の中で必死に生き、花のように散る。関東大震災で全てを失っても
大正を乗り越えて夫と離婚もしないで生き抜く。北原白秋や石川啄木に永井荷風といった
文化人と同時代に活躍していた。映画は、バブル期初期に作られた為が製作費をかけて
時代を再現しているみたいだ。
晶子は夫の与謝野寛が国会議員に立候補したしきは、協力しなかった。

2011年10月24日

『吉原炎上』(1987年) 五社英雄監督作品を観た。
明治の終わり、1911年に吉原の中梅楼に遊女として売られてきた女学校出の久乃を、通して
吉原の遊女の姿をリアルに表現した作品だった。親が借金をして娘を、債務奴隷として
売り国家が承認していた。イギリスなら親が債務者監獄に入れられる。このあたりは文化の
違いみたいだ。ラストでタイトルの火事が起こる。床に置かれたランプの横に揮発油が置いて
あり男女の性交が、はじまった時にビンが倒れて液体が畳を濡らして次にランプも倒れて引火
して爆発する。身請けされて結婚が決まった久乃が人力車から降りて吉原の仲間の所に駆け
つける。生まれて親に踏みつけられ男に利用される。生まれては苦界・死しては投げ込み寺
という女郎の世界の日常を再現したかのようにリアルに見せてくれた。
劇中に出てくる吉原だが性病の検査や妊娠など表と裏が見られる映画は少ない。



『漫才ギャング』(2011年) 品川ヒロシ監督作品を観た。結成10年も
経つが売れない漫才コンビのブラックストーンが相方の石井保に借金で芸能活動を
続けられないから解散すると告げられる。黒沢飛夫が相方、保の部屋の前(ドアに
金返せの張り紙がある。)で話し合おうと待っていると借金取りと鉢合わせてしまう。
借金取りとモメた拍子に吐いて借金取りの金井に汚物浴びせてしまう。そして意識を
失い気が付くと拘置所の中だ。そこで全身、刺青にドレッドヘアーの鬼塚龍平と出会う。
2人が会話をすると龍平の、つっこみがタイミング良く決まり他の房で聞いていた人まで
笑いだす。天然ボケの逆パターンだ。酔っ払いと喧嘩なので2人ともスグに拘置所から
出される。相方がいない飛夫は、竜平のツッコミのセンスを見抜き漫才のコンビを組む。
なんと所属事務所もOKして、あっさり決まる。
ドラゴンフライ(ドラゴンは龍平でフライは飛夫の名前を合わせる。意味は
トンボだが前進するだけで後退しないので戦国武将に好まれたという理由で決まる)
飛夫と敵対するストリートギャング「スカルキッズ」との喧嘩が続いているが芸能人
になる事を決めた飛夫は、公園でネタの猛特訓をしている時にスカルキッズに土下座
してまで暴力沙汰を避ける。
飛夫には元恋人(一方的に別れた女性)の宮崎由美子と連絡とる。そして由美子から妊娠
していると告げられる。保みたいに飛夫も借金がある。取り立てが保と同じ担当の借金取り
金井だ。飛夫は結婚の為に借金を返済する。その時に金井の先輩であり、かつて飛夫が憧れた
元・漫才師の河原に出会う。河原にドラゴンフライの舞台を見てくれるように頼む。
劇場の登竜門コーナーでドラゴンフライは合格を果たす。
そしてビッグチャンス漫才コンテスト「MANZAI ONEグランプリ」が開催されるので申し込む。
そんな時に飛夫が車でさらわれてしまう。龍平と「スカルキッズ」の乱闘が事件になり
ドラゴンフライは解散になる。それから暫くして飛夫と保のコンビが再結成されて人気が
出ている。漫才の学校の講師もしているようだ。申し込みの生徒達の行列に龍平がいた。
漫才ギャングというタイトルなのでコメディーかと思っていたら青春映画だった。
龍平のスタイルは、2008年のegg6月号で悪羅悪羅 系(オラオラけい)とネーミングされた
ファッションだが「蛇にビアス」の頃からあるので特別なものでは無い。
不良青春映画に芸能ネタが加わって、詰め込み方がマズくて、どっち付かずな感じだった。
バイオレンスでもコメディーでも爽やか青春物でも無い。紆余曲折の自分探し物なのかも
知れない。


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