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浅野琢也の雑記帳20 2011年 7月〜10月23日

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成23年


2011年10月23日

『電人ザボーガー』(2011年) 井口昇監督作品を観た。東京残酷警察の
劇中CMの出来が良くてレイトショーでしか観られず渋谷のNシアターに
足を運んだ。片腕マシンガールは、池袋のシネマ・ロサのレイトショーで
しか上映されなかったのを、覚えている。2008年の話だ。それから数年で
こんなに面白くスゴい映画が作れるとは、スゴイ成長だ。デザイン・フェスタ
のブースでスピーカーマンのチラシを配っていた時代から気になる存在だった。
 電人サボーガーは1970年代の実写版のドラマだ。これを青年期と熟年期
に分けて一気にみせてくれた。「ゼブラーマン」と「ゼブラシティーの逆襲」
みたいに20年後の時間経過を入れている。ザボーガーはロボットだけど人間の
DNAが入っている。仮面ライダー世代にとってバイクは、自由と正義の象徴だ。
だけどサボーガーはバイクに顔が付いて恥ずかしい。私より若い世代のヒーロー
なのだが、バイクがロボットに変形する場面は、トランスフォーマー並だ。
しかも戦闘中にタイヤも武器に使う時に変形して人型からバイクに変わったり
するアイデアとテクニックは、観ていて嬉しくなる。さてストーリーは、青年期
に秘密警察をクビになり総理の運転手をしていたが理不尽な理由でクビにされる。
ヘルメットにジーンズと70年代のファッションのまま運転手をしていて不自然
だが、「いつまでジーンズでキメてるんだ」とクビにして走り去る前の総理の
セリフで整合性が出来ている。そして失業者になって、屋台のおでん屋で飲んで
いると青年期に刑事をクビになった3人が失業者になって共同生活している所に
加わる。熟年期の再会だ。3人でニコニコ同盟を作ってスウエットのコスチューム
まで揃えている。Σ団は、空に浮かぶΣ城で巨大ロボットを作るのに人間を誘拐して
いる。大門豊は、青年期にサボーガーとミスボーグが大破してバイクも無い。
そこにΣ団の青年がミスボーグの形見のバイクで現れる。悪ノ宮博士の所から逃げた
AKIKOも現れる。実は、大門豊とミスボーグの間に出来た双子だった。
大量殺戮兵器のコアにされるAKIKOは、自分を破壊するように頼む。巨大ロボットが
国会議事堂を叩き壊す場面は、若者の鬱憤を映像で解消してくれる。観客の深層心理
までスッキリさせてくれる。かゆい所を、掻いてもらったみたいだ。ラストは
ストロングザボーガーが巨大ロボットを破壊するとAKIKOが人間に戻り双子の秋月と
旅に出る。そしてザボーガーは死ぬ一秒前まで戦うぞ〜と車椅子仕様の電人ザボーガーに
乗っている年老いた大門豊で終わる。東京残酷警察のラストは、自衛隊が民営化されました
というアナウンスだった。ピア、初日満足度ランキング1位だ。しかも日曜の朝なのに
満席だ。更にパンフレットは、売り切れだった。観客は30代前後が多かった。
本当に面白い映画は、こんなに観る人がいるのかと認識を、新たにした。



2011年10月20日

『ホッタラケの島 〜遥と魔法の鏡〜』(2009年) 佐藤信介監督作品を観た。
大切な母親との思い出の鏡を探す冒険アニメだった。母親が読み聞かせた
絵本が、使わなくてほっといた形見の櫛をお稲荷さんを祀っている神社に
タマゴをお供えすると戻って来た話をする。母親の形見の手鏡が消えて
いるので神社にお供えに行くと不思議な生き物テオが忘れられた物を運んでいる。
はるか(主人公)は、無くなった物の手がかりを、つかむ為に神社の境内の
穴に飛び込む。不思議な国のアリスみたいだ。鏡を探しているから鏡の国の
アリスが近いみたいだ。そこには別の空間が広がっている。そして島があり
飛行船に乗った男爵が治めているようだ。別に地下の世界に生息している
キャラが男爵の物を盗み出している。一万枚の鏡でエネルギーを作るのに
女子高生のはるかの鏡が必要らしい。なんか円柱でスーパーカミオカンデ
みたいに見えた。子供の頃に無くした、ぬいぐるみコットンとテオに助け
られて鏡を取り戻し元の神社に戻る。時間は経過していない。
主人公の年齢や流れは、猫の恩返しみたい感じだった。


『ミリキタニの猫』(2006年) リンダ・ハッテンドーフ監督作品を観た。
マンハッタンの路上で猫の絵を売るホームレスの老人の絵を買ったリンダ
が老人に興味を持ちドキュメンタリー映画にした作品だ。
老人の名前は、三力谷 勉(みりきたに つとむ)だがジミー・ミリキタニ
と呼ばれている日系二世でカリフォルニア州サクラメント生まれのアメリカ
国民だ。3歳から18歳まで広島市で日本の教育を受けている。そして帰国
すると戦争がはじまりツールレイクの強制収容所に入れられる。その時に
画家なので兵役を拒否する。(兵役につくと半数が死亡した日系二世の422部隊
に入れられていたのかも知れないと感じた。)
市民権の放棄を強要され放棄する。収容所で猫が好きな少年に和ネコの絵を
描いた。その少年は収容所で死亡した。兵役拒否した日本人は過酷な収容所に
移される。詳しく両親の話は出て来ない。母親の実家が広島という事らしい。
珍しい苗字で武士の家系らしい。開戦前に日本で義務教育を受けているから
日本の戸籍があるハズだ。しかし日本もアメリカも信頼できなくなる。
終戦後、市民権が無い為、定職に付くことが出来ず職を転々とする。
マンハッタンで最後の雇い主が死亡して路上生活をはじめる。ドキュメンタリー
を撮りはじめていると9.11が撮影中に起こる。カメラは回っている。
崩れ落ちるビルの下で平然とネコの絵を描いている。カメラは崩壊するビルと
ミリキタニの両方を写している。活動の場所が立ち入り禁止になりリンダが
部屋を提供する。同時に社会保障の手続きをすると市民権の放棄は、解除され
ていた。だが本人への連絡がないため権利を知らずに一生をすごしていた。
リンダが新聞でジャニス・ミリキタニ(詩人)の記事を見つけて調べると、
いとこの娘だった。社会保障番号もあるので部屋を確保して絵を描く環境を
整えたりツールレイク収容所の慰霊祭に参列するので撮影をしたりしている。
還暦になると赤いチャンチャンコを着るが赤い帽子が印象的だ。赤いジャケット
などはリンダの趣味なのか解らないが絵描きの印象を強くしていた。
公式サイトの予告編が見られるのでドキュメンタリー映画のタイトルで検索して
みると良い。高齢だが健康で継続は、力(ちから)だと感じた。
持続力・精神力・生命力の三つの力は大切だ。ミリキタニの姓(苗字)通りだ。
戦争は不信感を生む、日系二世という自国民でも日本民族だと収容所に入れて
しまった。映画は出会いの芸術と言われるが、このドキュメンタリーは、ネコの絵
を通して生まれた出会いの芸術だ。映画祭での受賞もしている。
親戚の殆どは、広島に住んでいたので原子爆弾で死んでいる。
2007年、70年ぶりにミリキタニは日本に帰省。8月6日の広島市の
広島平和記念式典にリンダ・ハッテンドーフ監督とともに参列している。
コリキタニの猫の絵は、耳が中心に寄っており招き猫やお稲荷さんの記憶が日本の
猫の記憶になっているみたいに見えた。


『大恐慌の時代の美術家救済の歴史』
アメリカで1929年の世界恐慌の時に労働者の為にニューディール政策があった。
FAP(連邦美術計画)で国が公共の仕事を美術家に与えて救済を開始したのが
1921年からで中でもジャクソン・ポロックが有名だ。デザイン・フェスタで
よく見かける作風で原宿のデザインフェスタ・ギャラリーの壁画みたいである。
ドリッピング(垂らし)ポーリング(渡し)スパター(散らし)といったオートマチズム
的手法は、具体美術協会に見られるがポロックの影響を受けていると思われる。
日本の場合は、銭湯の壁に富士山の絵が描かれている程、芸術のレベルが高く目が
越えて美意識が高い国民性がある。パブリックアートとなると質の高い作品が求められ
るので救済目的と言う場合は、明確な理由が無いと失政になりそうで難しい。
日常生活の道具に職人技が入っている。デザインは良くて当たり前だ。違和感を
感じるのは、バランスが崩れているからだ。これを個性的と思うか味があると思うか
は、主観の問題で気に入らなければ買わなければ良い。しかし美術家の救済となると
税金から予算を捻出するので日本で、賛同されるのは難しいと思う。

2011年10月18日

『南極料理人』(2009年) 沖田修一監督作品を観た。南極観測隊に海上保安庁の
主計科から南極観測隊に志願していた主計科の隊員が交通事故で参加できなくなり
艦長に強引に出向させられた西村淳が昭和基地より過酷でペンギンやアザラシも生息
できないマイナス70度という極寒のドームふじ基地で隊員達の3度の食事を作る
任務に付く事になる話だ。大気学者に雪氷学者に気象学者は研究の為なので希望して
参加している。自動車メーカーから出向で参加させられた通称、主任は究極の左遷だと
嘆いていた。雪氷学者の助手の兄やんは、独身で家族にインマルサットという
人工衛星を使った電話で1分間740円で話をしたくても相手がいなくて交換手の
声を聞くのが楽しみのようだ。通信手段としてFAXが調理担当の西村に届いていた。
調理担当なので妻の料理は、西村より下手で、鳥のから揚げがベチョっとしている。
映画の後半で、決められた食材を計画的に使っている西村がバターを、まるかじり
している隊員と争っていると別の隊員は、氷を溶かして水を作る作業がイヤになり
仮病で寝ていたが風呂で水を使っているので争いが起こり西村のお守り袋に入れていた
娘の歯が雪氷研究用のボーリングの穴に落ちてしまい西村は、シヨックで寝込む。
腹を空かした隊員達が、鳥のから揚げを作るが、その出来が西村の妻のと同じく
胃にもたれる出来だった。夜食にインスタントラーメンを食べ尽くしてしまう。
仕方がないのでタラバ蟹が沢山あるので西村はカニを出したりする。
しかしラーメンが食べたいと言い出す隊員達。小麦粉はあるけど、かん水が無いとなると
ベーキングパウダーで炭酸ガスを発生させて、かん水を作る事を考えつき西村に懇願
する。そしてラーメンが出来るとオーロラが出ているのにラーメンが伸びると皆で
食べる。船の感覚だとフルーツの缶詰めなどを食べたくなるみたいだがラーメンの
人気が高く以外だった。映画の最初の所で多数決で伊勢海老の調理法を聞いたら全員
エビフライだと言い出し実物を見て後悔しているのは笑えた。曜日の感覚を調整する為
の金曜日のカレーライスを食べる場面が無いのが残念だった。6月のウィンター・
フェスティバルを境に明るい百夜(びゃくや)から極夜(きょくや)に変わる時は、
フォアグラのテリーヌなどのフルコースを上着着用(ブラックフォーマルの手前ぐらい
・平服のパーティー)で食べる場面もあった。テレビも映らないのでビデオの体操が
楽しみだったりシロップで雪の上にラインを引いて雪上野球をしたり基地内で卓球を
したり娯楽も大変だ。隊員の髪が伸びていくあたりは、女性隊員がいない男だけの
閉鎖空間だとありえる。気になったのは、基地と外に出る金属の扉だ。後は、裸で
外に出てみたりするのは有りえない。八甲田山で暖を取って汗をかいた兵士が外に
出たら汗が凍って凍死する場面があったので晴れていても可能なのか気になった。
この変のディテールは、食事のメニューを楽しむコメディーなので気にしないで
楽しむのが良い。笑っているように見える堺雅人の目が調理をしている時は、真剣な
目なのに別人かと思った。八甲田山でも凍った、おにぎりが食べられない場面が
あった。この作品も西村が自転車で、おにぎりを届けると凍っている場面があった。
おにぎりみたいな造形物を作る目と塚原ト伝(ト=朴)では、いつもと同じなので
以外だった。1年以上の任務を終えて空港に家族が出迎えにきている。高良健悟が
メガネをかけて演じていた雪氷学者の助手の兄やんには、家族の迎えが無かった。
若いから両親とかが来るのが自然だがインマルサットのオペレーターの清水さんが
待っていた。以外な展開だった。帰国した西村は、休暇でゴロゴロしてテレビを付けると
隊員のドクターが基地で空気が薄いから帰国したらトライアスロンを、やってみると言う
会話どおりにトライアスロンの大会に出ているのを見る。低気圧での麺の調理だが、お湯の
沸点が85度にしかならず麺の芯が残るとラーメンを勝ってに作って食べる隊員が言って
いたが圧力鍋などで大気の気圧に影響されない気圧を作れば解決する。落とし蓋とか
も有効かも知れない、おそらく西村は、知っていても勝手に食材を使われるので教えなかった
のだろう。主計科は、調理と会計を担当するので給料の支払いと食事を押さえているので
かなり重要なポストだ。そんな事を、思い出しながら楽しめた。

2011年10月17日

『樺太1945年夏 氷雪の門』(1974年)村山三男監督作品を観た。
映画が出来たのか東西冷戦の真っ只中で駐日ソ連大使館から外務省と
東宝に抗議がありイギリス・ノルウェー合作映画「イワン・デニソビッチの一日」
も当時のソビエトの外圧で同時に公開中止になった。氷雪の門は、北海道・九州で
2週間の劇場公開で終わった。その後、製作から約36年後の2010年に全国で劇場公開
されたのでツタヤのDVDは準新作だった。
広島に原子爆弾が落とされ終戦1週間前の1945年(昭和20年)夏に日ソ中立条約を
一方的に破棄してソ連軍が侵攻してきた。そして終戦の玉音放送が終わり無抵抗で
白旗を出している駐屯軍も一般市民も機関銃で撃ち殺しまくった。樺太から本土に
脱出する船は潜水艦で撃沈した。敗戦国だから国際法も適用しないと無抵抗の相手を
理不尽に殺していくのだからソビエトにしては、知られたくないと言う内容だ。
樺太で病院に残り殺される看護師などもいた。避難するにも当時の電話交換手は、
通信の要だった。そして最後の回線が戦闘で切られるまで職場で任務を果たして
最後に九人全員、青酸カリで自殺する。ソビエト軍は、捕虜にしないで日本人を
撃ち殺している。その状況を駐屯地や司令部に知らせるのも任務なので状況を把握
しての自決だ。エニグマという映画でイギリスの暗号解読所の映画で途中で消されている
情報があり調べるとゾビエト軍がカティンの森で大量のポーランド兵を殺害して死体を
ナチス・ドイツ軍が弔っている内容だった。同盟関係の為に戦争犯罪を握り潰した訳だ。
当時のソビエトは味方も殺すのだから樺太の虐殺も真実味が強い。ソビエト兵にして
みれば自分達も味方に殺されるかも知れない状態だから日本人は、生きていれば女・子供
でも白旗を持っていても殺したのだろう。しかも戦争が終わった後でも殺戮が続いていた。


『バロン』(1989年)テリー・ギリアム監督作品を観た。
18世紀のドイツの貴族ミュンヒハウゼン男爵カール・フリードリヒ・
ヒエロニュムスという実在の人物の話が元だ。トルコ軍との戦時下でも
城門の中では、ヘンリー・ソルト一座による『ミュンヒハウゼン男爵の冒険』
という劇が上演されている。円形の城門の中に街がある。街に駐屯している
指揮官のホレィシオ・ジャクソン参謀長が手柄を立てたと部下から報告を
聞いて出すぎた事をするなと処刑してまう。後でトルコとドイツとの密約で
交互に勝利する戦争だとわかる。そのムダなゲームみたい戦争で死んでいく
兵士や市民は、たまったものではない。一座の劇が上演されている時に
本物のバロンだと老人が舞台に上がり今回の戦争の原因を作ったのは自分だと
言い出す。そして戦争を終わらせる為に家来を連れて戻ってくると熱気球を
作る。韋駄天、怪力、千里眼に耳の秀れた小人と個性的で特殊能力を持った
家来達だ。その旅に一座の娘サリーが乗り込んでいた。気球が墜落すると月に
付いていた。そこで月の王様にあう。頭と胴体が離れている。現在は万物の王
だと言っている。月で足の速い家来バートホールドと再会して旅に加える。
次にエトナ火山の火口に落下して巨人のバルカンとあう。剣から核兵器にいたる
あらゆる武器が作られている。時代を超えて武器を売っているみたいだ。
プロメティウスの神殿かとビックリしているとバルカンの妻が貝の中から
現れる。しかもヴィーナスだった。怪力のアルブレヒトがメイドとして
働いていた。そしてアルブレヒトとも合流する。バルカンの妻にキスした
ことでバルカンに投げられて地球の裏で海上に浮あがる。島を見つけたが
巨大な魚で船を飲み込んでいた。魚の腹の中でアドルファスとグスタバス
と再会。そこにバロンの愛馬ブケパロスが現れる。元気になったバロンは
嗅ぎタバコを魚の腹に捲いて魚がクシャミをして全員脱出する。
そして街まで泳いでいく。そして劇場に戻って話を続ける。そして城門を
開いて外に出るとトルコ軍は撤退した後だった。一緒に冒険した一座の娘サリー
には、死に神が見えるようで何度かバロンを助ける。バロンは若返ったり
老け込んだりする。バロンの従者で狙撃手アドルファス(ルパート)の銃と衣装も
人気アニメ「ワンピース」の黒ヒゲ海賊団の狙撃手とそっくりだった。
結局バロンは、死んでしまい棺桶に入れられて街を救った英雄の伝説と
なって終わる。

2011年10月16日

『メサイア』(2011年)金子修介監督作品を観た。メサイア 警備局
特別公安五係をベースにしているが、映画のオリジナルミッションに
なっている。その為に「サクラ」と「メサイア」の深い設定は、原作を
読んで予備知識がある方が解りやすい。世界設定は、北方連合と東連邦
の二つに分かれて冷戦状態にある。日本は東連邦に加盟している。
そんな緊張関係の中、東連邦の外交会議の会場プトラティウスで爆破テロ
があり建物が大破し300名の死傷者がでる。犯行声明は無いが北方連合
によるテロだと公安は、極秘裏に潜入捜査していた。両親を無くして
経済的に苦しく全寮制の高校に兄の仕送りで通っている学生に転校して
クラスメイトになって調査するミッションを受けて転入する。
季節外れの転校生が入る事も「少子化で学校経営が厳しいんだろう」と
いうセリフが現在の日本の学校経営を物語っている。聖永学園は、男女
共学で全寮制で山の中にある。朝、起きてカーテンを開けると緑の山が
見える。部屋は、1人づつ個室だ。風呂は大きな浴場があり入浴シーンが
あった。生徒間で下級生・上級生・生徒会執行委員と階層秩序があり
厳しい。ミッションは、北方連合の工作員で爆破テロの容疑者の弟に
接近して兄からの連絡を待つ事だ。外部との連絡方法は、シーツに付けた
洗濯用タグの暗号文字だ。その為にリネンサプライ業者として学園の近く
に潜伏している公安の仲間がいる。おそらく聖永学園を覗ける場所に
部屋を借りてシーツにアイロンかけて納品する作業をしていたり監視用の
双眼鏡や望遠鏡が置いてあり生活感が無い。(プルメタルパニックの
相良宗介の部屋みたいだ)学園生活のシーンが長くアクションは転校生
イビリで生徒会執行部で空手部の主将と「組み手」の相手をさせられる
部分がある。空手部に誘われてみたいだが監視対象者と同じ音楽部に入る。
風呂の時に文字化けしたメールを受け取った監視対象の携帯のロック解除の
パスワードが自分の生年月日だったのは、ビックリした。
現在、公開中なので内容は、このぐらいにして白いブレザーの制服は、狙撃
された時に血が目立つ為だと思われる。寮にいる時は、ペールトーンの校章を
プリントしたベージュのトレーナーにベージュのチノパンで過ごしている。
フォ・カマイユ配色なので目立たないがペールトーンのスカイブルーが男子で
女子はペールトーンのイエローで発泡インクのシルクプリントをしているみたいだ。
肝心のメサイアの制服に着替えての北方連合のスパイが牛耳る生徒会執行部に
サクラ全員で乗り込む場面は、アンションが楽しめる。
サクラの制服は、映画の衣装だから許されるが本当の制服だと金属のドット釦
を使うと光って夜間に隠れても標的にされやすい。反射防止に、くるみ釦にしておけば
リアルだったと感じた。衣装の予算も限られているみたいだ。学校制服の白いブレザーは
前、2つ釦なのに袖も2つ釦なので「前開きの釦が偶数だと袖の釦は奇数にする」
「前開きの釦が奇数だと袖の釦は偶数にする」という基本を忘れて量産された
既製品にワッペンを付けたり、生徒会執行部役員は軍隊の飾緒を付けたりして
いる。但し肩章が付いていないブレザーなので無理して付けたみたいに浮いて
見えた。腕章で十分な気もするが映画の世界感が北方連合と東連邦にしているので
ミリタリーティストの為に選んだのかも知れない。かなり高度な配色だけに完璧と
までは言わないが完全を求めてしまう。ボタンの数は手持ちのビジネススーツを
確認すると間違えない。意識しないでもデザインのバランスを考えると説明通りに
なる。服飾系大学では常識すぎて教えていない。最近は、このルールを知らない
メーカーが量産してしまう事がある。お客さんは、そういう服に違和感を感じて
何か変と思い買わない。べらぼうに安ければ買かもしれない。
後は女子の紺のハイソックスのワンポイントの刺繍まで校章になっていたように
見えた。劇中で生徒が歴史の勉強の話をしているセリフが「トロッキー」だったり。
歴史の先生が金子監督が、そのまま教壇に立ってセリフをこなしていたりする。
(ヒッチコックを見つけられない私でも見つけられた)
プロデューサーやスタッフがエキストラの予算を節約するのに劇中に出るのをウチストラ
と言う。北方連邦のスパイとして使われるのは、東連邦の教育制度と医療制度が
高額の負担を国民に求めている背景であり現在の日本の状況だといえる。
バットマンビギンでは、入院中の家族がいる警察官がジョーカーの手先になっていたり
北野武監督作品の「その男凶暴なり」の刑事は、病気の妻がいた。ミュージカル「レント」
やFOXドラマ「フレンズ」で友人の保険証を借りて病院にかかる描写がある。
マイケルムーアの「シッコ」の世界だ。特に金子修介監督の場合、両親が左翼の活動家で
あったが、ベテラン監督なので、さりげなく盛り込んでいる。映画における社会問題の表現は
アイスクリームに仁丹の粒を少し盛り込む程度にして観客を楽しませる。と言った監督が
いたが、それを思い出した。校舎の通学シーンに学校らしく見える建物をロケ地に選んで
いた。これは、スゴイと思う。実際の学校をロケ地にすると何処か特定出来ない事が条件と
なることが多いらしい。銀色のシャープペンシル機能の付いた2色ボールペンがツボだった。
図書館のシーンが櫻の園と同じ所だった。

2011年10月14日

『猿ロック THE MOVIE』(2010年)前田哲監督作品を観た。
江戸川区の商店街でガギ屋を営んでいる猿丸耶太郎が幼な馴染みの
山田刑事に銀行に立てこもっている犯人を逮捕する為に警察の特殊部隊を
突入させる為に施錠されたドアを開ける仕事を請け負う事で事件に巻き
込まれる。スポーツクラブのサプリメントの成分が、おかしいとか銀行の
カバンがスポーツクラブにあったりする。人のいい猿は、スポーツクラブ
に務めている女性から金庫を開ける依頼を受ける。そしてヤクザと警察の
両方に追われる。女性の車が海に落ちても車のドアを開けて手錠を外したり
して助ける。映画だから水圧で開かないドアが開いたり水中で手錠の鍵穴を
開けたりする場面がありタイタニックのカギの束で上に登るため鉄格子を
開ける場面を思い出してしまったりした。依頼者の女性が「字の読めない
子供が戦争のあった地域に埋まっている地雷で命を落とす事がある」
「地雷が埋まっていて危険だという文字が読めないから」という。空港で
トランクの中身が女性が字を教えるのに使おうとした「星の王子さま」の
本と現金が入れ代わっているが、日本語の本でなく英語か現地の言葉に
翻訳されていないと使えないのではと気になった。猿のアイデアで出国が
出来たみたいだ。そして猿丸耶太郎は、カギ屋を廃業すると看板を外そう
とするが商店街の幼ななじみ達が考え直せと言う。山田刑事は巡査に格下げ
されて商店街に勤務しているようだ。まあ深く考えずに見るのには良いと
思った。

2011年10月13日

『ハート・ロッカー』(2008年)キャスリン・ビグロー監督作品を観た。
タイトルのハートロッカーとはアメリカ軍の隠語で「苦痛の極限地帯」
「棺桶」という意味だ。2004年のイラクのバグダッド郊外で任務を
こなしているアメリカ軍爆弾処理班の物語だ。アメリカ軍の危険物
処理班は、路上に仕掛けられた「即席爆発装置(IED)」と呼ばれる
爆弾の解体、爆破の作業が仕事だ。しかし現地の住民が生活している
中でテロリストと非戦闘員の見分けが出来ない。そんな中、自称ベッカム
という顔見知りの少年までもが人間爆弾に使われた。罠にかかり殉職した
隊員に代わり新たな隊員が補充されてきた。イラクの炎天下で処理班と
姿なき爆弾魔との壮絶な死闘が続く。まるでドキュメンタリーみたいに
リアルだ。戦争映画であり社会派ドラマとして問題提起をしているが
解決策がない泥沼では希望も見えない。兵士に対しての感情移入する
「おいたち・身の上」もよく判らない。第82回アカデミー賞作品賞受賞作品
だけど娯楽としての映画とは言えない。作品賞、監督賞、オリジナル脚本賞、
編集賞、音響効果賞、録音賞の6部門で受賞している。
最近のアカデミー賞の傾向がリアルに作られた作品でも評価される時代だと
感じる。

『第9地区』(2009年)ニール・ブロムカンプ監督作品を観た。
南アフリカ共和国のヨハネスブルク上空に巨大な円盤みたいな宇宙船が出現する。
そのまま上空に浮いている。しかし動くことが出来ないようだ。船が故障して船内に
栄養失調のエビみたいなエイリアンが搭乗していた。エイリアンを地上に移して、
「第9地区」で宇宙難民として地球人と生活させてしまった。人間とエビの争いが
絶えないため、MNU (英:MULTI-NATIONAL UNITED) と呼ばれる超国家機関によって
管理・監視されていた。MNUでは、難民だけをスラム化した街から管理しやすい
場所に移すと同時にエビ型エイリアンの隠し持っている武器を没収してテクノロジー
の解析をしようとしてた。MNUの職員ヴィカスは、新しい居住区域である第10地区に
移住させため第9地区で業務をしている時に見つけたカプセルに入っていた謎の液体を
浴びてしまう。そして黒い液体が吹き出し腕から始まり体がエイリアンに変わりだす。
エイリアンの武器は、エイリアンでないとDNAでロックされて人類には使えない。
その武器を使えるようになってしまう。そしてMNUのヴィカスがミイラ取りが
ミイラになってしまうようにエイリアンの武器を使える唯一の人類となる。
空中に20年も浮かんでいる円盤が動力用の液体燃料切れであり燃料の抽出に20年
かかった事を知る。半分、エイリアンになったヴィカスがエイリアンの親子を母星に
帰るのを手伝う。そして行方不明になる。3年で戻ってくると言われているが3年後
に何が起こるのか解らないで終わった。買い置きの「カッパえびせん」を食べながら
観たので何となく満足できる内容だった。しかし、この流れは、ドイツ国内で暮らして
いたユダヤ人を収容所に保護を目的にすると偽って隔離した政策とオーバーラップして
しまう。空中の円盤は、爬虫類タイプの宇宙人の『V』を思わせたし重力を克服する程
の高いテクノロジーを持っている相手なのだから対応が正しいとは思えなかった。

2011年10月10日

『冷たい熱帯魚』(2010年)園子温監督作品を観た。冷たい熱帯魚は
1993年に埼玉で起こった愛犬家連続殺人事件を元にした作品だ。
妻と死に別れ年頃の娘がいる社本信行は、年頃の娘がいるのに再婚したため
娘がグレてしまいスーパーで万引きして捕まってしまう。
万引きを目撃した男が同業者の熱帯魚店経営者で初対面だが同業者なので
関わってしまい事件に巻き込まれる。(NHKで放送していた連続ドラマ
「おひさま」の父親と比較すると家庭崩壊させるタイプだと気付く)
後妻がスーパーで買い物をする場面が冷え切った家庭を感じさせる。
電子レンジで、ご飯から、おかずまで温めて食卓に並べてた夕食の場面は
見ていて崩壊した家族が無理に揃って食事をしている食卓だと感じる。
家族ゲームの食卓を思い出す。どうもレンジで温めた食事と火で調理した
食事では、食べた後の幸福感が違う気がする。スーパーで知り合った
大型熱帯魚店を経営する村田は、娘を厚生させるのに自分の店で住み込み
で働かせる。そして村田の高級熱帯魚の取り引き相手に商談中に栄養ドリンク
に毒を、あらかじめ入れてあるビンを渡して殺して死体を骨と肉にバラバラに
して骨は、醤油をかけて異臭を消して焼き、肉は、細切れにして橋から川に
流して魚の餌にする所に付き合わされる。この手口で50人も透明にしたと
村田に聞かされる。ヤクザまで殺して平然としている。連続殺人鬼ともなれば
マグロの解体ショーみたいノリなのかも知れない。村田の父親の住んでいた
教会みたいな装飾の家の風呂場で村田の妻も楽しんで解体している。
電気が来ているようなのだが蝋燭の照明にガスバーナーで火を付けるなど
大胆な行動が印象的だ。
解体の後でコーヒーを飲んでいた。村田の共犯者の男と車を運転している
若い男の2人も同様の手口で殺してしまった。そして2人の遺体の処理を
手伝うまでになり村田を殺して村田の妻に風呂場で解体させる。その間に
村田の店から娘を連れ出し家に帰らせる。そして警察に通報する。
村田と関わった人間が30人も行方不明になっているので警察も目をつけていた。
刑事は同僚と2人で、車の後ろに妻と娘を乗せてきた。社本は刑事2人が死体の
解体現場である風呂場に入っていった時に村田の家の前で自分の妻を刺し殺し
娘の手に包丁を刺して「生きるのは痛いことだ!1人で生きていけるな?」と
聞いて娘が頷くと包丁で自分の首を切って自殺する。レイティングコード18
なのとスプラッター映画だけど実話が元のリアルなストーリーで笑えなかった。
「愛のむきだし」より濃い内容だった。西村喜廣監督や井口昇監督のどこか
残酷だけどユニークな感じがするスプラッターとは違う感じだ。
とはいっても西村喜廣は別の立場で関わっている作品だった。西村映造が
関わっている作品は、膨大な数だ。その中には、特殊効果だけ請け負うとか
特殊造形や特殊メークに火薬を使用する部分など様々みたいだ。映画は、
大勢が関わるので監督経験のあるプロデューサーに監督経験のある役者が
現場に何人もいる事になる。この作品は、しっかり園子温監督のカラーだ
った。

2011年10月09日

GEISAI#15を見に東京都立産業貿易センター台東館 7階展示室に行った。
ビックサイトで行われていたアートイベントと異なり、出品者の年齢が
29歳までという制限が出来た。スペースも少なくなり事前審査を行う
ようになった。だが事前審査で落とされた人は、会場の利用規約で落と
された人しかいないようだ。数ヶ所ブースが開いていたので申し込みが
定員に達していない為だと予測した。さて、年齢制限でゆとり世代が
大人になって世間知らずで社会に通用しない状態のまま創作活動を行う
状態のグループなのか「人のモノマネ」のオンパレードだ。「多少アレンジや
工夫していれば良い方だ」現在の若者は、就職に恵まれていないが情報には
恵まれている。ネットで検索すれば知りたい事が出てくる。ただ検索すべき
キーワードを教えられても聞き流す将来成長の見込めないタイプとメモを取って
後で検索して今後に役立てようとする将来有望なタイプの二極化を感じた。
主催者がアナウンスで入場料を300円にする意見があったらしい事を流して
無料なら、こんなに来場者が多いのかと言っていた。事前審査で入場料を
取れるレベルの作品が出品されていないと判断したのだろう。この判断は
当たっていて正しい。私は会場でカメラを使う事もなかった。オーディエンスの
シールを貰ったが、評価する作品が無いので持って帰ってきた。
何人かに改善点をアドバイスしたが七割は、将来に役立てられそうなタイプ。
二割は、理解出来ているのか疑わしいタイプ。1割は自分の思い込みで破滅に
向かうタイプ。だと思われる。若者なので社会問題をテーマにしても降り下げ
ていない。表面だけ重いテーマや難しいテーマにするから無知が露見する作家も
見受けられた。それでもゲイサイに出品するチャレンジ精神だけはある。
これだけでも意識の高い若者が集中しているという事だ。ただグループ参加
だったりと甘さも見受けられる。「死ぬまで芸術つづけますか?」という
パッピの意味を深く理解していないのだろう。最後は1人になって正当な
評価も得られず運が無くて孤高の芸術家となっても一生、芸術家である覚悟を
問うている。不遇で悲惨な人きかたを続けられるかと言うことだ。
結局の所、若者は親の扶養期間を過ぎると生活の為に芸術どころで無くなる。
結婚という人生の節目にも左右される。
賞を取っても消えていく作家もザラにいる。主催者側の立場でみると、そんな姿を
沢山みる事になる。若い柔軟な発想でプライオリティー・オリジナリティーが高く
新しい分野にチャレンジする若者が増えると希望を持てる。ただ誰かがやってきた事が
多いアートの世界で「オッカムの剃刀」みたいに無いもの・無いこと、を発見するのは
至難な業だとも言える。但し、ネット時代なので辞書や書籍を調べる先人の手間は
省略できる。質感やスケール感より別の売り(コンセプトやポイント)があれば
作品の発表の場なんて、屋外でも美術館でもネット上でも何処でもできる。
昔と違う。結局は本人の意識と根気の問題だと思う。今回のゲイサイの規模は、
歩行距離とスペースが丁度良く退屈しのぎになったので行って良かった。


『ひとごろし』(1976年)大洲斉監督作品を観た。1972年の『びっくり武士道』
というコント55号が主演した野村芳太郎監督作品のリメイク映画だ。
これを松田優作と丹波哲郎が演じている。武芸が苦手で犬を怖がる
福井藩の侍、双子六兵衛には妹がいるが臆病者の兄の妹ということで嫁の
もらいてが無い。ある日、家老の息子を乗せた馬が暴走する。六兵衛に向かって
暴走する馬に驚いて持っていた饅頭を落としてしまう。馬は六兵衛を通り過ぎて
いく。仁藤昂軒が簡単に暴れ馬を止めてしまう。仁藤昂軒が藩で力を持つことに
反対する加納たちが夜で霧の濃い時に闇討ちしようとする。六兵衛は、その場で
止めるが加納は返り討ちにあい絶命する。この件で仁藤昂軒は、脱藩して江戸に
向かう。藩主は加納を斬ったうえに福井藩を脱藩したので怒り「あだ討ち」ではなく
「上意討ち」を決めるが希望するものがいない。そんな時に六兵衛が自分に命じて
下さいという。妹の世間体を良くしたい一心だ。そして仁藤昂軒を追いかけるが
武芸では、歯が立たないので「茶店」や「食堂」に「宿屋」など人の集まる所で
仁藤昂軒が休んでいたり食事を取ろうとすると「ひとごろし!」とどなる。
周囲の人間は、ビックリして逃げてしまい仁藤昂軒は、食事も取れないし宿に
泊まれなかったりする。「卑怯者、剣で決着をつけろ」と言うが六兵衛は剣では
勝てないのは、判っている。自分のやり方で役目を果たす。と付け回しては、
人の集まる所で「ひとごろし!」と叫ぶ。六兵衛は「福井で人を切り殺している
凶暴な男だ。近寄ると切り殺されるぞ〜」と付け加えて周囲を不安にさせる。
町人達は、慌てて逃げ出す。この逃げる様子が面白い。仁藤昂軒も、これには
参ってしまう。本当の事だし「上意討ち」の赦免状を六兵衛が持っている。
そして旅館の女主人が2人を泊めるが六兵衛の味方になり旅に加わる。
次の城下町の宿屋で「ひとごろし!」と六兵衛が叫ぶと役人に取り調べを受けて
「上意討ち」なら協力すると城主の前で討ち取らないとならないお膳立てまで
されてしまう。仁藤昂軒は剣の達人なので決着を付けられると自分から城に現れる。
六兵衛は、熱がありフラフラして頭を立て札に、ぶつけて気絶して正気でない
ので果たし合いが出来ないと思わせて切り抜けてしまう。そして仁藤昂軒を追う。
渡し舟に乗っている仁藤昂軒に向かって別の船から「その船には、ひとごろしが
乗っているぞ〜」と叫び船の乗客や船頭もビックリして立ち上がり船が転覆して
しまう。『ひとごろし』(1976年)大洲斉監督作品を観た。1972年の『びっくり武士道』
というコント55号が主演した野村芳太郎監督作品のリメイク映画だ。
これを松田優作と丹波哲郎が演じている。武芸が苦手で犬を怖がる
福井藩の侍、双子六兵衛には妹がいるが臆病者の兄の妹ということで嫁の
もらいてが無い。ある日、家老の息子を乗せた馬が暴走する。六兵衛に向かって
暴走する馬に驚いて持っていた饅頭を落としてしまう。馬は六兵衛を通り過ぎて
いく。仁藤昂軒が簡単に暴れ馬を止めてしまう。仁藤昂軒が藩で力を持つことに
反対する加納たちが夜で霧の濃い時に闇討ちしようとする。六兵衛は、その場で
止めるが加納は返り討ちにあい絶命する。この件で仁藤昂軒は、脱藩して江戸に
向かう。藩主は加納を斬ったうえに福井藩を脱藩したので怒り「あだ討ち」ではなく
「上意討ち」を決めるが希望するものがいない。そんな時に六兵衛が自分に命じて
下さいという。妹の世間体を良くしたい一心だ。そして仁藤昂軒を追いかけるが
武芸では、歯が立たないので「茶店」や「食堂」に「宿屋」など人の集まる所で
仁藤昂軒が休んでいたり食事を取ろうとすると「ひとごろし!」とどなる。
周囲の人間は、ビックリして逃げてしまい仁藤昂軒は、食事も取れないし宿に
泊まれなかったりする。「卑怯者、剣で決着をつけろ」と言うが六兵衛は剣では
勝てないのは、判っている。自分のやり方で役目を果たす。と付け回しては、
人の集まる所で「ひとごろし!」と叫ぶ。六兵衛は「福井で人を切り殺している
凶暴な男だ。近寄ると切り殺されるぞ〜」と付け加えて周囲を不安にさせる。
町人達は、慌てて逃げ出す。この逃げる様子が面白い。仁藤昂軒も、これには
参ってしまう。本当の事だし「上意討ち」の赦免状を六兵衛が持っている。
そして旅館の女主人が2人を泊めるが六兵衛の味方になり旅に加わる。
次の城下町の宿屋で「ひとごろし!」と六兵衛が叫ぶと役人に取り調べを受けて
「上意討ち」なら協力すると城主の前で討ち取らないとならないお膳立てまで
されてしまう。仁藤昂軒は剣の達人なので決着を付けられると自分から城に現れる。
六兵衛は、熱がありフラフラして頭を立て札に、ぶつけて気絶して正気でない
ので果たし合いが出来ないと思わせて切り抜けてしまう。そして仁藤昂軒を追う。
渡し舟に乗っている仁藤昂軒に向かって別の船から「その船には、ひとごろしが
乗っているぞ〜」と叫んで同船している客達がビックリして立ち上がり船頭まで
驚いて船が転覆してしまう。仁藤昂軒は、泳げず溺れ死にしそうになるが六兵衛が
死なれると役目が果たせないと棒に捕まらせて助ける。仁藤昂軒は、諦めて切腹
するから首を持って帰ってくれと言い出す。六兵衛は、首は腐るから持ち帰られ
ない。あなたに勝った証として首の代わりに髻(もとどり)を要求し、六兵衛と
旅館の主おようは、福井に戻るのだろうと言う所で映画は終わる。
「切腹」の三つの丁髷(ちょんまげ)の扱いやストーリーのテーマや内容が違う
ので丁髷の扱いもこんなに違うんだと感心した。私が仁藤昂軒なら飛び道具で
六兵衛に対応していたかも知れないと考えた。

2011年10月08日

『リラの門』(1957年)ルネ・クレール監督作品を観た。リラとはライラック
の事だ。毎日、酒場で酒を飲んで「皆、自分の事しか考えない。エゴイストだ
芸術家だけ別だ」「首を吊る為に生きている」と毎日同じ事を言って毎晩、酒場
に通っているジュジュ。芸術家とは友人の音楽家の事だ。ジュジュは老母と妹の
三人暮しだ。近所の小屋に一人暮しの芸術家の家に遊びに行っている。
芸術家に俺が金持ちになったら何でも買ってやる。何がほしいと聞いて芸術家が
フォアグラと言った。そんな時に警察が大勢で捜査をして裏街が騒然とする。
ジュジュは、空の袋(トートバック)を持っていた。危険だから建物の中へ
入っていろと警察に言われて店に入れられる。目の前にフォアグラの缶詰めが
置いてあり12個盗んで芸術家と食べようとする。店主は店にいなくて誰も
見ていない状態だった。外には警察がいるが近くの芸術家の家に歩いていく。
凶悪犯が逃亡しているらしい。芸術家に缶詰めを渡していると警察が1軒1軒
家捜しを、はじめたのでフォアグラの缶詰めを家の窓から外に放り出してバレ
ないように後で拾おうとする。芸術家の家の裏に誰か隠れていて缶詰めが近くに
落ちる。芸術家の家にも警察が来て誰か隠れていないか捜す。地下室も探す。
探して帰ってしまう。警察が帰ってジュジュと芸術家が安心したとたん銃を
持った男が家の中に居た。逃亡中の犯人だった。男は地下室に隠れる。
警察犬が臭いで嗅ぎつけたので警察官が再度来るが地下室まで捜して帰った
後なので犬が間違えたと思い帰ってしまう。この時、ジュジュと芸術家は、
警察に犯人がいる事を、教えなかった。何をやって追われているのか
知らないジュジュと芸術家は、この男を地下室に、かくまうことになる。
この男は、芸術家が飼っているネコを嫌っている。ネコの目が刑事の目
みたいだと男は言った。芸術家は早く出て行ってほしいと思うが逃亡中の男は
熱を出して寝込んでしまう。
男から金を貰ってジュジュが薬局にクスリを買いに行くがジュジュが病気で
ないと薬剤師は、売ってくれない。ジュジュと芸術家がスプーンでスープを
飲ませたりして看病する。毎日、酒場に通っていたジュジュが酒を飲まない
ので周囲は不思議に思う。逃亡中の男の事が載っている新聞をカフェで見つけて
貰って芸術家と読むと、南フランスで警察に捕まり車を盗んで逃走して途中で
銃撃戦となり2名の警察官を殺害していることが解る。芸術家は、これを見て
あまり関わりたくない顔をする。しかしジュジュは殺人犯も警察も嫌いだと
相変わらず世話をしている。新聞で逃走犯の名前はバルビエだと解った。
芸術家とジュジュは、バルビエが出て行ってくれるようにバルビエの女と
連絡を取り荷物を受け取る。途中でジュジュが捨ててある乳母車を拾って
トランクを入れて警察をやりすごす。そしてバルビエはジュジュに買い物を
頼みラジオや酒やイギリス製のフィルター付きタバコなどを買ってもらう。
ジュジュは酒のみだが酒の名前も知らない。酒場に顔を出さないので酒場の娘
マリアが芸術家の家のそばで様子を窺う。ジュジュが顔を出すと芸術家は居る?
と尋ねる。バルビエとの話し声がしたので中に芸術家がいると思っている。
そしてダスホールで演奏するか聞いてと言う。ジュジュは芸術家が中にいるフリを
して聞く。実は1人芝居だ。そして返事をしてマリアが帰ろうとすると芸術家が
帰ってきてマリアに挨拶してすれ違う。これでマリアが疑いだす。ジュジュは、
「女は感がいい」といいだす。そんな時に警察がフォアグラの缶詰の窃盗で
ジュジュと芸術家を連行していく。食べた缶詰めが6つで残りの6つを返す。
その時にバルビエは地下に隠れていた。そして誰もいないハズの家にマリアが
様子を見に入るとバルビエと遭遇してしまう。バルビエはマリアに銃を突きつけて
いたがキスをして「運がいい、美しいから何もしない」と逃がす。
バルビエが匿われている事を知っている人間が3人になった。ジュジュと芸術家が
警察から釈放される。そして酒場に顔を出すと、マリアがいつもと違うジュジュの
タバコやマフラーに気付く。フィルター付きのタバコは、唇が汚れない為とバルビエ
から聞いたので、その通り答える。ジュジュはマリアに金持ちになったら何がほしいと
聞いてマリアは「南フランス」に行きたいという。そんな時にバルビエを逃がすために
ジュジュはパスポートを手配する。自分のパスポートの写真をバルビエの写真と取り
変えてスペインに逃がそうとするが日数がかかるので匿い続ける。
現在のフリーマーケットみたいなノミの市みたい所で中古のラジオや古着を買って
バルビエに渡す。誰もいないのにラジオの音が聞こえたりスイッチが切れたりする
ので子供達がバルビエが隠れている家の周りに集まりバルビエごっこまではじめる。
そんな中でマリアとバルビエが恋仲になる。ジュジュは鈍いので気が付かないので
マリアに教えられる。そしてパスポートが出来てバルビエが旅立つ時にマリアが
逃走資金を渡してマルセイユで合流しようとする。人の良いジュジュは、マリアの
手紙と金をバルビエに渡してマリアと合流する約束を守るか聞く。バルビエは、
マリアが着く時は、駅でなく船に乗っていると言う。そしてジュジュともみ合いに
なる。壁で見えない。銃声が響く。ミュージックホールから客が顔を出すが銃声
みたいだと言うが聞き違えだろうと窓が閉まる。ジュジュが壁から出てきて歩き
出す。翌日、マリアに手紙と金を返していると棺桶が通り過ぎて映画は終わった。
華やかなパリでなく裏町が舞台だ。バルビエが車で逃走する場面も無い。
小さなパトカーが何台が劇中に登場するが酒もタバコの描写が名前が判らない
ジュジュの設定で不変性が加わっているようだ。この時代に007は無いが
逆の演出だ。老舗のブランドが潰れる現在に観ると新鮮に感じた。
実際にパリの裏町で暮らしている人のライフスタイルまでカッコ良くみえる
から不思議だ。日本には、身だしなみや作法があるがフランスの、だいたいとか、
いいかげん、みたいに感じる文化があるとパリで聞かされた事を思い出した。
南フランスの警察がドジをするTAXYシリーズの設定もここから来ているの
かも知れない。

2011年10月06日

『ザ・ファイター』(2010年)デヴィッド・O・ラッセル監督作品を観た。
マサチューセッツ州ローウェルから世界チャンピオンが誕生するまでの話だ。
兄や姉妹が多い大家族の次男の話だ。スポーツ伝記映画リアルな再現性は
みごとだ。ドキュメンタリー的すぎて娯楽作品ではなく実話に忠実に作られて
いる。ドラマチックに省略したり美化したり誇張したりして面白くしようと
しては、いないみたいだ。
刑務所に入ったり出たりする兄や彼女が出来てたら姉妹達が小姑になって
押しかけたりする。大勢の女性がビッシリと車に乗って移動する場面は
印象に残った。母親が口を出して足を引っ張っているみたいだ。
父親は、女性ばかりの家庭なので妻の言いなりみたいだ。姉妹が大勢いるが
結婚しているのだろうかと考えてしまう。ロッキーみたいに面白いボクシング
の映画でなかった。観る側にも忍耐力が必要な内容だ。リアルに徹しているので
アカデミー賞で2冠など多数の賞を取っている。アメリカの大衆に受け入れられる
内容なのかも知れないが微妙な所の共感が出来ないのかも知れない。
それだけ日本人のイメージする豊かなアメリカのイメージと現実のアメリカが
異なってきているのかも知れない。格差社会が広がりすぎたのかも知れない。
数日前にウォール街で大規模なデモがあったとニュースが流れていたのを
思い出した。映画の最後は、イギリスで戦って世界チャンピオンになる。
この時は、父親が母親の口出しを、押さえていたみたいだった。だがニュースを
観たような感じが残った。

2011年10月05日

『津軽百年食堂』(2011年)大森一樹監督作品を観た。桜に城が映し出されて
最近見た『青い山脈』みたいだと思う。ストーリーは「行って帰ってくる」という
流れの作品だ。主人公の実家が食堂でヒロインの実家が喫茶店を経営している。
ヒロインの実家元は写真館だ。東京でバルーンアートを、やっている主人公と
カメラマンの助手をやっているヒロインは、同じパーティーの仕事で知り合う。
主人公がバルーンアートをしていると写真を撮っているヒロインの照明用ライトを
壊してしまう。同郷なのでルームシェアして壊した機材を弁償する事になる。
そんな時に、主人公の父親が出前で足を怪我してしまう。主人公が実家の食堂に
戻るとヒロインの師匠である写真家が病気で倒れてしまう。仕事が無いので
ヒロインも実家に戻る。そこで「桜祭り」があり父親が入院中だけど「大森食堂」
を出店させる。同級生がオートパイサーカスを継いでいたりする。祭りの時に設営
をするなどでサーカス・見世物小屋・お化け屋敷を誘致する事で人が集まり露天商
の商品が売れる効果がありショバ代がかからなかったらしい。ショッピングモール
や巨大スーパーの建物に入っているシネコン的な存在みたいだ。
もっと初代が屋台で津軽ソバを扱っている時にショバ代を取られそうになり友人の
協力で鍵のかかる店舗にする部分があたが、もっと長くしても良い気もした。初代の
妻が100歳で他界する描写のタイミングは、良く出来ていた。
ヒロインが写真館の内装をしている所に主人公が顔を出して一緒にペンキを塗る
所で映画が終わる。互いの実家は、資産もあり店舗や家屋もある様子なので東京で
好きな事にチャレンジして失敗しても帰る所がある恵まれた状態の若者だ。
劇中で「店も客も待っている」というセリフが物語っている。
映画の内容は、良くできていて退屈しないで観られた。ただ現在の社会情勢を考えると
実家が貧しくて東京に職を求める派遣労働者には、夢のような環境に映るかも知れない。
『年越し派遣村』で過ごす若者との格差を感じてしまう。昔は、東京で失敗したら田舎に
戻るのが一般的だった。それが核家族化政策に加えて単身赴任などで国家や地域社会の
基盤となる家庭を分解してしまう結果になったと言える。
物が売れないのは、部屋が狭くて買い替えると処分するのに手間ヒマに加えて費用が
かかると言う三重苦プラスαなのも要因になっている。
元々、都心に実家があれば職住接近が可能だ。結果として100年以上の歴史がある
食堂なら東京の下町に多かったりする。地方出身者からすればスタート地点が違い
すぎる。元々、実家が都心だと仕事や進学の為に引っ越す必要がない状態なのだろう。
それに対して若者どころか世帯主まで出稼ぎに出る事が青森では多いのかも知れない。
このタイプの映画では『UDON』(2006年)本広克行監督がベースにあり『絆(きずな)
〜 庵治石の味〜』へと続いているみたいだ。石のアートは『恋の門』や『無能の人』
にも登場している。庵治石の場合は、ストーリーが実家に戻って石材店を継ぐ流れで、
彫刻家で石材店を経営している人は、ゴロゴロいるパターンだ。
本業と芸術活動が一致する恵まれた例である。その為なのか観ないでも企画書が公開され
ていたので内容が予想できてしまう。
私自身がインスタレーション作品の発表しているので立体造形の展示場を使うことが多い。
都美館(とびかん・上野の東京都美術館を略して会話する事が多い)の展示の関係で
彫刻家との交流があるから主観的に感じてしまうのかも知れない。
私の話になるが、東京都美術館の第三彫刻室で美術館の企画展の行列が展示を見終わって
会場から出るときに吹き抜けの第三彫刻室が目に入り何か不思議な物が目に入り、ついでに
鑑賞してもらえる位置が好きで私の指定席みたいになっていたが来年は、場所が取れなかった
らしい。吹き抜けを使った第三彫刻室は、単に並べるだけでなくアイデアや工夫ができる貴重な
場所だ。これが国立新美術館だと吹き抜けが無いので入場している人にしか見られない。
映画1本で見方を変えるたり過去の類似した作品と社会情勢を考慮して比較すると感想も
長くなってしまう。
『津軽百年食堂』を『海炭市情景』と比較すると海炭市叙景は、特殊な例で函館の観光案内は
一切ない。架空の都市がモデルの作品なので函館という文字も劇中に登場しない徹底ぶりだった。
製作総指揮が劇場主だけに良い映画を作ることに特化していた。市民の理解と協力が無いと
出来ないワザだと言える。
『津軽百年食堂』はリージョナルシネマ特有の観光地や名物を劇中に登場させたがる傾向が
強い中で観客が楽しめるようにバランスを上手く調整して作られている感じがした。
蕎麦の混合みたいものなのかも知れない。小麦の代わりに大豆を使うので醤油ラーメンに
近いのかも知れない。NHKの連続ドラマ「おひさま」ではコンニャク蕎麦が登場したが
津軽そばには、ナルトが乗っていた。コンニャクゼリーの会社が米の形にして混入させて
カロリーを下げている。コンビニ弁当や、おにぎりで使用されているので食べた人は多い
だろう。この方法なら窒息の可能性も無い。これがビジネスモデルとしてシフトさせる
成功例だと思う。

 NHKの連続ドラマが始まった。「ゲゲゲの女房」「てっぱん」「おひさま」から
続けてみている。1日に3度も放送しているから見やすい。「カーネーション」は
大正時代からスタートしている。日本にフアッションショーが無い時代だ。
戦後に出来た日本デザイナークラブが昨年に解散して今年、各都道府県単位で
一般社団法人として再結成した所もある。特殊公益法人に出来なかったようだ。
略称がNDCなので図書館の資料分類コードとダブってしまい検索トップに上がらない
みたいだ。そんな事を考えながら観ている。
この時代は、ファスナーがあったのだろうか?鍵ホックとボタンでスカートやズボンの
開きを作っていたのではないかとかファスナーが戦後に日本に輸入された時はジッパーと
呼んでいた事やエルメスからシャネルがファスナーを譲り受けてスカートの開きに使った
時代を考えてみたりした。
『白い巨塔』『沈まぬ太陽』で有名な山崎豊子の『女の勲章』を読んだがフアッション
デザイナーなら仲間内の世間話や雑談で良く聞く話だった。それでもリアルで作者の
鋭い洞察力に正確な理解力に的確な表現力で実際に、その場に参加していたかの様に
表現されているのには驚かされた。私は『二つの祖国』がドラマ化された時は、引き込まれる
ように読んだ。ただ、『白い巨塔』の医療の世界も『沈まぬ太陽』の航空業界も『女の勲章』の
洋裁学校経営も斜陽産業だ。中には美術系大学に経営をシフトした所もある。
百貨店のオーダー部門まで無い状態だ。近代の服装史を深く理解するのに丁度良いドラマだと
思う。時代の節目には新しいビジネスチャンスが生まれる。現代にも活かせる方向が見いだせる
かも知れない。

2011年10月04日

『愛と青春の旅だち』(1982年)テイラー・ハックフォード監督作品を観た。
艦隊勤務の海兵を父に持つザックは、幼い時に母親の死に父が戻れなかった事が
トラウマになっていた。そして新しい女を家に連れ込む環境に育った。そのザックが
海軍士官養成学校に入学してパイロットを目指す青年達の卒業までの訓練と生活を
通して愛とは何かを考えらせてくれる映画だった。オートバイで学校に入学に行く。
まず海兵隊の鬼教官フォーリー軍曹が13週間の厳しい教練をして篩いにかけていく。
フルメタル・ジャケットの海兵隊のしごきのシーンの元みたい感じだ。ザックは
マヨネーズという、あだ名を付けられる。省略してメイヨと呼ばれる。
人数は少ないが女性の同期もいる。中には家庭を持っている者もいる。アメリカは
年齢差別禁止法があるので80年代は機会が均等に与えられていたようだ。
最初に足を引っ張るのはパイロットと結婚して豊かな生活をしようとする基地周辺の
女の中には、妊娠したと言い出す者もいると忠告する。ピルを飲んでいるとウソを
つく事もあるとも忠告する。これが物語の付箋だ。厳しい訓練の合間に息抜きに
交際をしてしまう者もいた。ザックはポーラとシドはリネットとビリヤードのあるバーで
彼女達と再会してモーテルに連れ込み交際がはじまる。
同期との友情が芽生え信頼関係が出来る。そして厳しい訓練に耐えて、残り2週間で
卒業という時に、オクラホマ同期で仲間のバイロンが交際相手から妊娠したと告げられ
た事で同様して訓練でミスをしてDOR(希望退学)するように追い込まれる。あげくに、
リネットの妊娠は間違いだったと告げられ軍隊を辞めてパイロットになれなかった
ので婚約指輪まで買って結婚を申し込んだシドをふってしまう。シドは失恋のショックで
リネットと過ごしたモーテルの部屋のトイレで首吊り自殺しててしまう。
DORを知ってポーラとザックがオートバイで探しあてるが間に合わなかった。
そんな事件があったがザックは無事に卒業して海軍士官になる。
海兵隊の鬼軍曹が少尉となり階級が上になった卒業生に敬礼と握手して祝福してくれる。
ザックは卒業式の後でポーラが働いている工場に行き結婚を申し込みハッピーエンドになる。
経済的に安定している海軍少尉の白い制服が白馬の王子みたいに工場の女性達には
見えたように感じた。リネットとポーラの母親もポーラを祝福していた。
ラストはアメリカ版のリアルなシンデレラ・ストリーとも言える映画だった。


『扉をたたく人』(2008年)トム・マッカーシー監督作品を観た。
コネチカットに住んでコネチカット州の大学で教授をしているウォルター
は、妻に先立たれて息子はイギリスに住んでいて1人暮らしだ。
気を紛らわせるためにピアノを習うが上達しない。
学会で論文を発表するためニューョークの別邸であるマンションに
滞在に戻ると外国人の若者が生活していた。不法滞在者に部屋を
手配する友人を通して借りたらしいが事情を理解してスグに出て行く。
部屋は、全く元のままで、いつでも移動できるように似づくりして
いるようだ。ニューョークのウォール街で働く富裕層は、通勤に
2時間かかるが環境の良いコネチカットに住むことが多いらしい。
ハートフォード芸術大学がある所がだウォルターは、後進帰国の
経済を研究をしているみたいだ。2人の若者の事が気になり空いて
いる部屋に住まわせる。男性はジャンベ奏者でシリア系外国人タレクと
女性はアクセサリーを作って露天で売るセネガル系アメリカ人の
ゼイナブだ。陽気なタレクはウォルターにジャンベの演奏法を教える。
パーカッションというか太鼓だ。文章に「起承転結」と四つの基本があり
日本は雅楽、能楽など日本の伝統音楽に「序破急」があるのと近い感じで
タレクは、「クラッシックのリズムは4回が基本でアメリカンビートは3回だ」
と的確な部分を教えた。そして公園のストリートセッションに2人で
参加した。その帰りに2人のジャンベが改札機を通る時に引っかかり
タレクだけ地下鉄無賃乗車を疑われて逮捕されてしまう。その為に無賃乗車
の容疑は、晴れたが不法滞在者だと拘置所に入れられてしまう。
弁護士を雇ったりして彼を釈放させようと奔走するウォルターだが法の扉は
閉ざされたままだ。タレクの母親モーナがミシガン州からニューョークにタレク
を探しに現われる。しかしタレクはセネガルに強制送還されてしまう。
クィーンズで生まれたゼイナブは、ガッカリしながらもアクセサリーを売っている。
母親のモーナも何も出来ない。ウォルターも結局、力になれず地下鉄のベンチで
タレクに習ったジャンベを叩いている。まるで開かれない扉を叩いているような
ラストだった。不法入国者は日本にもいるらしいが長く滞在するためには、
ひっそりとトラブルを起こさないで理不尽な仕打ちを受けても耐えている人の
方が多いのかも知れない。短期滞在の犯罪目的者をイメージしてしまうが様々な
状況を想定する力を付けることが国際コミニュケーションには大切だと思う。
最初は、引き込まれるが後半は、苦手な授業を受けている気分になる映画だった。
でも為になるから全米で最初は4館上映だったのが270館上映に加えて半年の
ロングラン上映されたらしい。

2011年10月02日

『青い山脈』(1963年)西河克己監督作品を観た。日活の青春映画
らしい感じがした。主人公がスクーターで女子高に通学している。
他の生徒は自転車だ。橋を上を沢山の自転車が走る場面は印象に
残る。主人公の父親は、元、裁判官だが養鶏場を経営している。
時代設定は民主化が、はじまった日本だ。女子高なのに男性から
ニセのラブレターが届き天守閣で会いたいと書かれている。
男女共学の学校から転校してきた主人公と女子高の伝統に固執する
生徒達で軋轢が生じる。生徒が伝統に固執して先生が革新的な意見を
持っているのは以外だった。そんな訳で担任の女教師は主人公の考えを
支持している。
校医もスクーターに乗っている。医者なので色々と往診するので地域の
家庭の事情に詳しい。クラスの問題がPTAの役員会を開くまでになるが
PTAの有力者の市会議員は、芸者に子供をおろさせている弱みがあり
次の会議は、妹(おろした本人)が会議に来られると言って弱みを付いたり
大人の事情でお互い、丸く収まる。体育の男性教師が若い女教師に出した
ハズのラブレターが勤続24年の古株の独身の女教師に渡ってしまい
本気で自分宛てだと思い違うのでガッカリしたエピソードなどや役員会で
哲学者の名言を言い出す校医の後輩でラグビー部の大学生と様子を
中継する学生がいたりで楽しく観られた。この作品は、すでにリメイク
3回目のものだ。
黒板に生徒達が意見を書いているが漢字の間違いを指摘され付箋となり
精神を精心・侮辱を梅辱など間違いが四つもある。
「恋しい恋しい」が「変しい変しい」という有名な出だしを印象づけて
いた。自動車も少なく戦後の希望にあふれた時代背景を感じた。
この時代は、大学を出ているだけで出世できた時代なので学生が自信を
持っている。どんな時代でも若く健康なら本人が目的意識や目標を持って
いれば現在の不況で就職難といってもチャンスは作り出せる。
人生経験や情報収集の後に分析して判断するスキルは必要だ。それは、
ドラゴンクエストのダーマの神殿でスキルによって転職できたり、
できなかったりするのに似ているかも知れない。


『デルス・ウザーラ』(1975年)黒澤明監督作品を観た。
何と日本語の映画では無い。ソビエトの映画だ。しかも
ベルリンの壁が存在し東西冷戦の時代の作品だ。時代背景は
20世紀初頭である。山で狩猟して暮らす猟師デルス・ウザーラが
ジベリアを探検して地図の空白を埋める任務を与えられた兵隊を
案内する中で自然との共存や極寒の地での野営の方法などを教えて
いくうちに隊長との友情も生まれていく話だ。最初に案内した時は
狩りに使う玉と弾薬を貰い金は、黒豹の毛皮を売れば作ることが
出来ると受け取らない。2度目の探検でも案内役になってくれるが
商人がデルスに酒を飲ませて金を持ち逃げしたと聞かされる。
これは、北海道出身の私にはアイヌ民族と取引するとき酒を飲ませて
相手の判断力を低下させて暴利をむさぼった話みたいだと感じた。
罠を必要以上に仕掛けて獲物にしない動物まで死なせてしまう中国人
を悪い中国人と表現したりするが自然の力である火や水や風も人と表現
していた。ここは神とか精霊になるのだろうけど宗教を知らないと
こんな感じなのだろうと感心した。虎を撃ってしまい虎を殺すと次の
虎が自分を殺すために森林から遣わされると気にしだす。
2度目の時は、視力低下で獲物が見えなくなってしまい隊長が都市に
ある自宅で生活しようと連れて帰るが水や蒔きに、お金が必要な都市
での生活は、息が詰まると山に戻る。隊長は老いて視力の弱ったデルスに
照準の付いた最新式のライフルをプレゼントして送り出す。
しばらくして警察から他殺の死体に名刺が入っていたので身元確認を
頼まれることになる。遺体はデルスのものであった。デルスの職業を
聞かれて猟師と答えると銃を持っていないと言われ最新式の銃を持って
いたハズだと答えると警察は、最新式の銃がほしくて襲われたと書類に
書いて氷った大地にデルスの遺体を埋めて忙しいのでと帰っていった。
ひたすら未開の地を歩くなかで自然と生きる事を考えらせてくれる
作品だった。「どですかでん」の興行が思わしくなくソ連に行くのも
大変だったらしい。科学万能と思っていた1970年代に自然と開発に
老いの問題を考えらせてくれる作品が作られていたのは以外だった。
観るのに結構、根気のいる作品だった。
現在のエンドロール方式(ラストにキャストやスタッフなど全ての
クレジットをするフォーマットが採用された作品でもあるらしい。
ハリウッドの大作に登場する不思議な能力や特殊な知識のある中国人
の老人がデルスみたいに見えるのは、この作品でイメージが出来て
しまったのかも知れないとも思える。

『フル・モンティー』(1997年)ピーター・カッタネオ監督作品を観た。
鉄鋼業で繁栄したイギリスのシェフィールドで鉄工所を解雇されて
職安通いしている。失業中である事を隠して会社に行くと出かける
中年男の姿が日本とダブってみえる。閉鎖された鉄工所でブラスバンドを
やっている元、工員達の姿がブラスという映画とダブってみえる。
男性ストリップに女性達が並んでいるので自分達もチャレンジしようと
ダンスを練習する。手本が万引きして手に入れたフラッシュダンスのビデオ
というのも面白い。仕事を失い子供の親権が母親に独占されそうになり
一攫千金のために頑張る中年〜初老の男達の姿は、味がある。
ストリップの練習をしている所を防犯カメラで映されて警察で笑われて
罪に問われず釈放されるが新聞の一面に「Steel Stripper」(鉄鋼ストリッパー)
と報道される。それぞれの葛藤を描きながら1度だけのショーは成功する。
ブロードウェイでミュージカル化されて2000年のトニー賞候補になっている。
1997年のアカデミーでオリジナル作曲賞を受賞して英国アカデミー賞は
最優秀作品賞を受賞している。日本では今年ポール・ダンシング☆ボーイズが
公開されお笑い芸人を目指す青少年の物語だったが、どちらも良く出来ている
作品だった。

『グレムリン』(1984年)ジョー・ダンテ監督作品を観た。
スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮なので監督名より
知名度いのでスピルバーグの作品と勘違いしてしまう。
発明家の父親が地下にある中国人の店で発明品を売り込む
ときにギズモを発見してムリに買ってしまう。家族へのクリスマス
プレゼントにする為だ。主人公のビリーは、地方の銀行の窓口で
アルバイトをしながら大学に行っている様子だ。授業で生物の大きさ
と心拍数の違いを解説するビデオを見ている。人間は1分間に75で
象は25だった。心拍数は寿命とも関係する。ストーリーは、飼う為の
三つの約束を守れずに増殖して深夜12時に食事を与えるとサナギになり
凶悪なグレムリン化する。町中がパニックになるが死亡者が出ずケガを
したのは銀行頭取の女性だけだった。中国人の老人がギズモを取り返しに
来たときに「ルールや自然との調和を重視しない人類」を批判するセリフ
を残して去っていった。何度も観ているが良く出来ている作品だ。
バブル経済が、はじまる前の作品は面白いものが多いと昔を思い出して
しまった。

2011年10月01日

『恐怖新聞』(1996年)石井てるよし監督作品を観た。
オリジナルビデオ作品でDVDの価格が500円という
のがスゴイ。恐怖新聞に取り付かれるのが女子中学生らしい
設定だった。車の事故場面で実際にクルマを、ぶつけないで
蒸気を出して事故で破損した部分が見えない場所から撮影して
制作費を節約するなどのアイデアがみられた。
原作者の、つのだじろうが登場している。円谷映像制作と
なっているがVFXの技術が物足りない。インターネットが
普及したのはウィンドウズ95の時代でウィンドウズ3.1に
ネットスケープを使っていた時代はパソコンマニアの時代だった。
劇中では、携帯電話でなく少女達はポケットベルを使っていた。
主人公が文芸部の友人に「恐怖新聞って知っている?」と訊ねると
都市伝説で有名だと説明してくれる場面もある。
鬼形礼(きがた れい)の亡霊が半透明で現れて「恐怖新聞の内容
は予言でない。予告だ。強い意志で変えられる。」とアドバイス
して「新聞は読まない」と自分で目隠しして悪霊と闘う。
様々な魔法陣が幻想みたいに出てきたり悪霊の顔がゴーストバスターズ
の緑の食欲旺盛なホテルのゴーストみたい形で焦茶色で現れたりする。
一生懸命に演じているキャストには悪いがパロディーとして見たら
笑えるのかも知れない。
造形的には、現在の西村映造に劣る感じもする。この時代に西村映造
はデザインフェスタでビラ配り夕張ファンタに参加する前ぐらいだと
思われる。特撮を得意とする円谷映像や造形、特殊効果を得意とする
西村映造の各社は、その時代に可能な技術で低予算の制約の中で
頑張っていると思う。
今年2011年には鬼形家の子孫、鬼形経(大学生)が登場する
映画が大森研一監督作品として同一タイトルで公開されている。
基本的にホラーは苦手なので、こちらはまだ見ていない。

2011年9月30日

『ミツバチのささやき 』(1973年)ビクトル・エリセ監督作品を観た。
1940年フランコ政権軍が人民戦線政府に勝利してスペインの内戦が終結した直後の
時代設定である。2人の少女の蜜蜂を育てているようだ。巣箱のハニカムの板が
パソコンの基盤が並んでいるようにみえた。村の公民館で映画を上映するために
トラックがやってくる。村の子供達が大勢あつまる。映画はフランケンシュタイン
だった。そして学校に行くと授業で人体解剖図に心臓や肺や胃のパーツを取り付ける。
最後は目だった。父親は蜜蜂の研究のためにガラス板での飼育もして研究している。
家のガラスの模様のハニカムが印象に残った。ただ映像は、子供目線にてっしている
ため列車から飛び降りて小屋に隠れていた足を怪我している兵隊にリンゴをあげた。
兵隊はオルゴールがなる懐中時計を持っていた。
夜に射殺されて公民館に遺体が安置される。兵隊が死んだのでショックで意識が無くなる。
そして抜け殻みたいになるが医者は、ショックのためだから少しずつ良くなると言う。
脳が無い状態のフランケンシュタインとオーバーラップさせる画面もある。
生きていることが重要だとも言い画面いっぱいの畑が映されて映画は終わる。
テンポはスローで幻想的だった。

2011年9月29日

『SP THE MOTION PICTURE』野望篇(2010年)革命篇(2011年)波多野貴文監督
作品を観た。登場人物の描写が物足りた無いと思いながらみてしまった。
デレビドラマの存在を知らずに観たので物足りなく感じた。いきなり映画を観ても
楽しめるように事前に感情移入させる工夫がほしかった。連続アニメなどで総集編
とか解説を入れて途中から視聴した人も楽しめるようにする手法を入れると良い。
セリフの中で「薬害被害」を例にだしたことで『誘拐(ゆうかい)』1997年の
大河原孝夫監督作品も主犯が渡哲也が演じる捜査の責任者だった事やヘリコプター
でのデレビ中継の要求に三億円を持って走るなど「公害被害」の恨みが良く出ていて
比較してしまい楽しめなかった。アニメと映画の実写版ならマンガ本もあるので
シナジー効果が期待できるがドラマと映画のどちらも実写では映画だけ観るのは
あまり意味が無いようだ。これでも野望篇(2010年)革命篇(2011年)と続けて
みただけに残念だ。


『イヴ・モンタンの 枯葉 〜夜の門〜 』(1946年)マルセル・カルネ監督作品を観た。
第二次大戦直後のパリで、ナチス占領下にレジスタンス運動の同志だった鉄道員たちと、
彼らを裏切り、密告した男の再会でドラマが起こる。ハーモニカで「枯葉」を演奏し
占い師が橋から落ちて水死する事も仲間を密告した男がペチャンコになる事も言い当て
ていた。ナチスに連行されて死んだ友人の家族に死亡を知らせに行き死んだ日を言ったら
爆笑されて、しばらくすると殺されて死んだハズの同志が帰ってくる。再会を祝う。
そして家族と闇食堂で食事をする。その時にハーモニカで「枯葉」を演奏する男がいる。
密告した男の姉がイギリスからパリに来ている。戦争中に財産を築いた男の妻だが
妻のマルーは、覚めている。夫はマルーと別れられない。マルーは車を降りてパリの
街を自分が少女時代に過ごした家に戻る。父親と再会してもチェコ人で会話すら通じない
母親をぶったらしい。マルーと母親は戦火を逃れるためにニューヨークで暮らしていたが
母親はニューョークで死んだと伝える。さりげなく米ドルをテーブルの本に挟む。
そして部屋を出る。そこへ密告者だとバレた弟が帰ってきて金を見つける。スペインに
にげようと考えるが罪を恥じてか汽車に轢かれて死んでしまう。マルーは弟が夫に預けた
銃で一緒にいた男の前を歩いて弾が当たってしまう。病院で手術したが死んでしまう。
一晩に色々な事件が起こるがタイミングが良く違和感もなく良くできた映画だ。
時間も90分にまとめられていて丁度良かった。字幕が最近はレジスタンスとなっている
がパルチザンとなっていた。

2011年9月25日

『昼下がりの決斗』(1962年)サム・ペキンパー監督作品を観た。
老人2人が銀行の金塊を護送する仕事を請け負う。1人は、元保安官と
その助手だ。仕事を請け負う契約書を老眼鏡を、かけないと読めない事を
相手に知られないように「契約書は、1人で読む」場面やセリフに
引き込まれた。途中で元保安官助手が金塊を奪おうとするが元保安官の
名誉の為に思い留まり任務を達成する。老人2人の会話に「貧乏人が死ぬと
プライドという服だけ残る」というのがあった。
最後の西部劇監督やバイオレンス映画の巨匠と言われるサム・ペキンパー監督
だが『戦争のはらわた』で経済的に困窮してパンを買えなくなりジェームス・
コバーンがパンを買っていたと言われている。アメリカは映画産業を国が保護
しているが大変なようだ。日本はテレビ局の保護に力を入れており映画産業の
出資金に課税する国だ。フランスは、オートクチュールを保護してきたが
ブランドを手放す状態だ。成熟し飽和した産業が生き残るには別の産業に
移っていかないとならない。そんな事を考えらせてくれる映画だった。

以前、三池 崇史監督がリメイクした『十三人の刺客』の武士の身分の家来に
中間、小者の扮装をさせる部分があったが木賀小弥太(山の民)に簡単に
倒され過ぎて違和感を感じたが、武士のハズが着ている物で気持ちまで
中間(ちゅうげん)、小者になったのではないかという解釈もあり感心した。
次は、『切腹』をリメイクした『一命』が公開されるが白黒のオリジナルを
越えられるか気になる所だ。


2011年9月19日

『塔の上のラプンツェル』(2010年)バイロン・ハワード&
ネイサン・グレノルネ・クレール監督のアニメ作品を観た。
たくさんのグリム童話の1つなのでストーリーまで記憶していなかった
ので面白かった。金色に光る花が不老不死の力をもっていた。
魔法使いが、これを隠して使っていたが王妃が身ごもったまま、病気と
なり薬草として使用して母子共に助かる。そして無事に出産するが娘の
髪に金色に光る花が持っていたケガや病気を治す力がやどる。
そのため、魔法使いが、さらって塔に閉じ込めて自分の娘として育てる。
ラプンツェルが歌うと髪が金色に光り、髪をブラッシングすることで
魔法使いは、若さを保っていた。そこに盗賊が逃げ込む所から物語が
はじまる。有名だけどストーリーまで知らなかったので観ておいて
良かった。雑学でも教養には変わりない。真のアクセサリーとはティアラ
や髪型でない!そんな事は、アラビアンナイトのシェラザードの話を
理解していれば解ることだ。ヘアスタイルより頭の中身が大切という
ことは、誰でも理解できるはずだ。アクセサリーとして考えているものを
オリンピックの金メダルや勲章や国家資格を示すバッチに置き換えて
考えれば意味が理解可能だ。、弁当箱のバラン(緑の笹の葉みたい
飾り)みたいに有れば見栄えがする程度の物だ。ラッピングだけ美しく
中身がツマラナイと「舌切り雀」の葛篭の選択みたい話になる。
『ヴェニスの商人』の第2幕から3幕の求婚の場面に「金・銀・鉛」の
三つの箱の一つにポーシャの肖像画が入っており、選び当てた者が、
彼女の夫となれる。モロッコ王が金の箱を開けると、しゃれこうべが
中にある。アラゴン王が銀の箱を開けると、阿呆の絵が入っている。
バッサーニオが鉛の箱を開けると、ポーシャの肖像画があり、彼が
ポーシャの愛を勝ち得る。この場面では、婚約者の将来を予見する
知力をポーシャーの父が生前に試すため作ったものだった。
とは言え金属の価値や用途は時代によって変わるので見ている方も
ハラハラした。
「塔の上のラプンッェル」に話を戻すとラプンッエルの髪が歌声によって
金色に光ると傷を治すヒーリングの力があるのに対してアニメの『テガミバチ』
のラグ・シーイングの相棒のニッチの髪は黄金の剣として自在に戦闘に
使えることも思い出せた。

2011年9月17日

『沈黙は金』(1947年)ルネ・クレール監督作品を観た。
9.11 1947と映画の完成日が映し出されてビックリした。
馬車が公道を走っているベルエポック時代のパリの映画撮影所が舞台だ。
活動写真が珍しかった時代でトーキーでないので監督が演技中に大声で
指示を出す。以前、撮影所の女優だったが亡くなった人がいた。
天使役を探していると、その娘を連れて父親が来たので働いてもらう
ことになる。撮影所を閉鎖するなど、すったもんだする。
終わりの方で娘の父親がドサ回りに行って稼いでくると言い女性を馬車に
乗せて娘は、パリに置いていくから撮影所で預かってくれと押し付ける。
女グセの悪い男だ。撮影所にスルタンの王様が見学に来る。フランスの
大統領も同席している中で撮影するが、バットエンドが気に入らず急遽
ハッピエンドに話が変わる。そして撮影所の経営者と父親に置き去りに
された娘(成人した女優)にハッピーエントは好きかい?と求婚して
終わる。タイトルの「沈黙は金」の意味が発見できず残念だった。
「自由を我らに」は刑務所を脱獄した仲間がレコードプレーヤー会社を
設立して別の仲間が盗みに入って再会するストーリーだった。こちらは
楽しく解りやすかった。

『ブラック・スワン』(2010年)ダーレン・アロノフスキー監督作品を観た。
バレエ「白鳥の湖」の主役になった女性がプレッシャーで精神的に追い
詰められながらも初演で白鳥と黒鳥の1人二役を演じ切るが幻想の中で
自分を割れた鏡で刺しているのに気付かず死んでしまうという流れの
サイコスリラーだった。「白鳥の湖」のストーリー自体が悪魔に魔法で
白鳥にされたプリンスが王子の真実の愛で人間に戻れる(夜だけしか人間
に戻れない呪い)ハズで限られた時間で王子の真実の愛を得なければ
いけないが、自分そっくりだけど妖艶な黒鳥に王子の愛を奪われて自殺
するストーリーなので子供の時に本で読んだが嫌悪感で内容を忘れていた
が映画で思い出せた。私みたい人は、多いとおもう。その後、王子と黒鳥は
どうなったのだろうか?神の制裁で不幸になるのだろうか?なぜ悪魔に
白鳥にされたのだろうか?原作を詳しく読み直してみたい。
映画の見所は、本番で黒鳥を踊ると、黒い羽が生えてくる場面につきる。
踊りながら羽が増える場面は、良かった。後は、バレエの舞台裏の話に
なるので観ていて疲れた。千秋楽まで舞台を務めるべき主役が初日で
死んでしまって良いのだろうか?舞台は、打ち上げ花火では、いけない。
別の日のチケットを買った人は、代役の「白鳥の湖」しか観られない。
とは言え映画なので深く考えるのはやめる。見所は、附箋として背中から
マスカラの先みたいなトゲが出てくる場面がある。
これが幻想なのか病気なのか曖昧にすることで集中してみた。
後味が悪い感じがした。コーラスラインのラストは、最初はこんな感じ
で不評だったのでハッピーエンドに変更して大ヒット作になっている。
バットエンドは、ニュース番組で日常的に観られる。こんな時代こそ
せめて映画の中だけでも希望が持てる作品が良いと感じた。
伝統を頑なに守るか時代に合わせて変化させるかも重要だと思う。
原作ではシャーロック・ホームズは、ヘロイン中毒だが、現在は人物の
設定を変えている。それが出来なければ時代背景を観客が理解して
いる必要があるのでは無いだろうか?

2011年9月11日

『ガリバー旅行記 Gulliver's Travels』(2010年)ロブ・レターマン
監督作品を観た。小人の国リリパッド王国のテクノロジーにはビックリ
した。原作のガリバーの職業は船医だが、この作品では出版社の手紙配布
係りになっている。出世のチャンスを逃してしまうタイプの男が、ガリバー
である。このガリバーがバミューダー海域の旅行記を書くことになり遭難
すると小人の国にいる。何物かと尋ねられて映画のストーリーを語って
しまう。そしてスターウォーズにタイタニックにアバターを小人達が
演劇にして上演してくれる。ガリバーに記事を任せた編集担当の女性も
小人の国に流れ着くといったストーリーだ。深く考えずにパロディーと
して見るのには良い。天空の城やポータルサイトyahooのネーミンング
の元になった知能の高い馬の国は、出て来ない。馬の国で知能の低い人間を
ヤフーと呼んでいた所に由来して付けた名前である。FOX作品なので自社
のパロディーは、使いやすいようだ。知能が高い馬の国での人間は、
猿の惑星の人間を想像すると解り易い。


2011年9月03日

『太平洋の奇跡・フォックスと呼ばれた男』(2011年)平山秀幸監督
作品を観た。サイパン島の戦いでアメリカ軍に敗れ占領されて海軍士官
は、切腹して自決し残った兵隊も「玉砕」を考える。しかし島には、
民間人が生き残っていた。戦争と言う狂気の環境で沈着冷静に生き残る
ことを優先させて民間人で捕虜になった方が生存の可能性が高い者は、
降伏させていた。敵から生命を守ることで命の保証が出来ない状態か
どうかの分析と判断ができる将校だった。勇敢より慎重な人間が生き
残るようだ。戦場でなく訓練で全滅した「八甲田山」の教訓もある。
医薬品が無くなり唯一の医療技術者の従軍看護師を援護してアメリカ軍
の野戦病院の薬品庫から傷病者の為に盗みに入った時に唐沢寿明演じる
任侠の世界で生きてきたヤクザ者の堀内今朝松 一等兵(別名:サイパン
タイガー)が命を落とす。兵隊でヤクザといっても終戦後の愚連隊が
出来る前のヤクザなので暴力団化していない。江戸時代の火消しや
十手持ちの地回りの親分からの流れでテキ屋なのか博徒なのか細かい
設定は不明だが銃撃戦で命を落とす。負傷した看護師は家族をアメリカ軍
に殺されているので機関銃の撃ち方を習う。看護師としての一線を
越えるが追い詰められた方の心理描写として解り易い。
終戦の玉音放送後も本物かどうか確認を怠らず日本軍の命令書を米軍が
手配して正式に敗戦したと証明して捕虜になる。ボロボロになって戦って
いても降伏命令で小奇麗な服で行進して指揮権をアメリカ軍に渡す意味で
軍刀を渡すなど細かい描写も良くできていた。
アメリカ軍の将校が日本の文化や思想の違いを「将棋」と「チェス」のルールの
違いに例えて将軍に説明していた。日本人でも駒が多く版も大きい「中将棋」や
「大将棋」が存在することを知っている人は、少ない。軍人将棋は子供の中で
流行った。そこまで映画に出て来ないが文化とは、奥が深い。鳳凰・麒麟・白虎
なんていう駒がある。シェアウェアだがインターネットで入手可能だ。

昔、石原裕次郎が海軍の基地の隊長に赴任して米軍の総攻撃を受ける前に
全員、隊長の海軍兵学校の同級生が艦長をしている潜水艦で撤退する映画を観た、
普段はボロボロの軍服を着ている下士官が一着、真新しい状態の服を持っていて
撤退の時に着ているた場面を思い出した。タイトルを検索したが代表作しか出て
来ないので不明だ。
ついでにスターウォーズのデススターへの攻撃シーンは、「モスキート爆撃隊」
だと気が付いた。太平洋の奇跡は、タイでロケしたので熱くて大変だった
らしい。

2011年8月30日

『ポールダンシングボーイ☆ず』(2011年)金子修介監督作品を観た。
お笑い芸人を目指す若者が、ワークショップの受講料・1人10万円を
騙し取られる所から物語が始まる。お金が無くても若さと健康は、最高
の財産だと感じた。無料でダンスを教える先生の解れた夫が実は詐欺の
犯人でワークショップで教えるハズの先生の元マネージャーだったと
いう繋がりが自然で悪意が低く感じるのも作品全体を気持ちよく纏めて
いた。練習の時の1人1人のコーディネートも貧乏だけど細かな配色に
至るまでバランス良くできていた。ブログに動画をアップして話題に
なり他のイケメン男子も加わってダンシングボーイズとしてスーテジに
立つが偶然か必然かワークショップの詐欺でマネージャーに名前を利用
されたベテランお笑い芸人のサプライズがあり1人をラジオに出してく
れる。ネタバレになるが、その時間がステージ本番と重なって来られない
と思い心配する場面もあるが、ラジオの中継を会場前でやっている。
そして更に観客が増えて気持ちよくショーが成功する。こんな時代でも
超健康で若さと体力がありポジティブであれば成功できそうな気持ちに
させてくれる作品だった。お笑いにシュールとベタがあると劇中のセリフ
に良く出てくる。つまり身体芸術的手法を身につける為にポールダンシング
が役立つと騙された全員が参加する流れも理解出来た。
エンドロールでステージが終わると花束を渡しているメガネをかけた
初老の男性が写っているが監督本人だ。ヒッチコック作品でヒッチコック
監督を探すみたいにするとストーリーに集中できないから、こんな写り込み
も良いと感じた。デスノートの美術館での発砲シーンに鎌で胸を貫かれた
死に神の絵が展示品として背景になっていたり金子監督の作品は、細かい
ディテールまで良く出来ているものがある。見落とすともったいない。
映画の歌の作詞まで金子修介監督がやっていた。
これで1人で殆どをこなしていたチャールズ・チャップリンを思い出した。
この作品は、5月公開の映画だがDVDの発売が早くなった
みたいで半年も経過していないのに見ることができた。全国4館上映と
興行規模が小さいが映画のテンポも良く退屈しないで話も違和感なく
展開して楽しめる映画だった。告白で少年Aを演じていた俳優も役が
変わり活き活きと演技しているのにはビックリした。

2011年8月01日

 ベランダに土鳩が飛来しはじめた。巣を作る場所を物色して
いるようだ。忌避剤(鳩が嫌う松脂の芳香剤)を置いたり
鳥除けの針をベランダのフェンスに付けているが、飛んで
来ては逃げていた。以前にCDなど光る物があると鳥除けに
なると聞いて試したが効果が無かった。吹き流しみたいに
風になびくと警戒して近寄らないようだ。
但し、微風でもなびく長さにするのがコツだ。
江戸時代の火消しの纏みたいにソーラ発電のモーターで
動かす「ベランダ用鳩除け」でも開発すると楽しいかも
知れない。ソーラ発電して夜に光る庭の照明より蓄電池
のコストを削減できるので普及させられそうだ。
起こした電気を、そのまま使えば良いという事だ。
決して「コクリコ坂から」の信号旗では無いけど鳩が
寄り付かない間隔に吊るすと屋外インスタレーション作品
になった。蝿取り紙を夜中の暗い部屋にブラックライトで
照らすと青い光に反応して殺虫剤を使用しないで捕獲できる。
大手の食品チェーンの業務用虫取り機と原理は同じだ。
最近は、スイッチを入れるとブルーのLEDを点灯させる
家電が多いので蝿取り紙にも工夫が必要だ。
 

  

2011年7月17日

『コクリコ坂から』(2011年)く宮崎吾朗監督作品を観た。
もと、病院だった高台で下宿屋を、営んでいる家族と学園
生活の物語だった。タイトルのコクリコ(ポピー・アマポーラ)
は父親の遺影にあげている花として出てくるだけである。
女子高校生の松崎海(うみ)通称(メル)は、信号旗を毎日、
掲揚するのが日課である。船長の父が無事に航海から戻るように
はじめた。父親が朝鮮戦争の時に機雷に触れて船が沈没して
死んだ後も日課となり続けている。
仏壇にご飯を供えたり、食卓に生前どうように故人の分を
用意するのと同じだが、信号旗という所がジブリらしい。
「紅の豚」はラジオがあるのに通信はモールス信号だったり
こだわりを感じた。
さて物語を面白くするのに文化系クラブの部室が入っている
建物の取り壊し反対運動だ。学生街という意味の建物があり
カルチェラタンという名前だ。そこに集まる学生を居住して
いる訳でないのに住人と表現したり面白い。
哲学部の前を通ると話につきあわされるあたり哲学の本質は、
寡黙に思考しているカッコだけの哲学者風と違い折り口を付けて
説明する基本ができていて好感が持てるキャラクター設定だ。
 この時代の学生は、髪型の自由化や制服の自由化といった事で
学生運動をしていたものだ。但し、当時の流行としての学生運動
であり当事者の切実な要求には及ばない。それはそれでノスタルジー
として懐かしんで郷愁にひたと良い次元の内容だ。
全体に「オール・ウェイズ 三丁目の夕日」的な雰囲気を感じた。
見逃してならないのは、朝鮮戦争に民間の船が協力して機雷で
乗組員が死亡して、両親を失った親友の赤ん坊を自分の子として
育てている。その子供が写真で本当の父親が誰かを知る所で
終わる。親との血のつながりを探すストーリーだ。コクリコ坂は
写真を手がかりにしているが「重力ピエロ」はDNA鑑定で、
使う遠心分離機とハチミツを採取する手動の遠心分離機の対比を
思い出した。
 登り坂の上に病院があると病人は、自転車や徒歩で通院
するのは大変だ。送迎バスや路線バスが必要だろう。
高台の病院の長期入院患者なら見晴らしが良いので快適だったと
思う。高度経済成長の時代の若者は、快適さを求めるのに貧欲だった
ように見える。高松純情シネマは制服の自由化だったり髪型の自由化
だったりカッコつけたい年頃のストーリーを定年して肩書きの無い
状態で自分の人生を振り返る年代の人に観てほしい映画だった。


2011年7月17日

 腕時計が壊れた。動かないが文字版が内部で回転して
リューズの部分に文字版の9時が合わさっている。
一見、左効き用腕時計みたいだ。秒針は取れていた。
もしかしたら時計の構造は、あまり変えないで左効き用に
カスタマイズすることが可能なようだ。と言っても時計を
外した時にリューズを回せば済む事ではある。
 腕に時計の日焼け後付いてしまい気になって時計を
右手につけかえている。喘息で入院中の点滴の時にも
腕時計を針を刺されていない腕に付けかえていた。
   

2011年7月15日

『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART2』(2011年)デヴィッド・イェーツ監督作品を観た。
内容は省略してハリーが大人になったら何になるのか気になっていた。ラストで結婚して
子供をホグワーツ行きのホームで送る所で終わった。原作には書かれているらしい。
原作者のJ・K・ローリングは、もしかしたらネバーエンディング・ストーリーの原作者で
1995年に亡くなったミヒャエル・エンデの『魔法の学校』からインスピレーションを
得たように思える。とは言え物語を膨らませているのはスゴい。
2001年12月1日から2011年7月15日まで10年もかけた大作の最終回まで観られて良かった。


2011年7月 1日

『サイダーハウス・ルール』(1999年)ラッセ・ハルストレム監督作品を観た。
時代設定は戦前と戦中・戦後だ。
望まない妊娠をした妊婦の子供をおろすか生んで孤児院で育てるか決められる
医者と看護師がいる施設が舞台だった。子供が、ほしい夫婦に貰われていく子
がいれば、貰われていかず残る子供もいる。ウィルバー・ラーチ医師が施設長
だが子供達と一緒に生活している。専門が産婦人科医になるが法律で禁止され
ても堕胎治療を行っている。堕胎が禁止されて自殺する妊婦や素人が子供を
堕胎しようとしたり流産させようとして命を落とす事件が増えた背景がある
のだろう。劇中で母子共に死亡する場面があった。孤児院で育った
ホーマー・ウェルズ(トビー・マグワイア)は貰い手も無いまま大きくなり
ラーチ医師の右腕だ。医者としての実務は出来るが学歴が無い。教育はラーチ
医師が自分の技術を教え込んでいる。ある日、二人のカップルが施設に来て
堕胎する。婚約はしているが今、妊娠するのはお互いの親に知られたくない
らしい。戦争中で男性は中尉だ。実家は海のそばでリンゴ園を、やっている
らしい。女性の実家はエビ漁師だ。孤児院から出た事のないホーマー・ウェルズ
は、外で社会勉強するために2人の車に便乗して海へと旅立つ。
黒人の労働者と一緒にリンゴ農園で一年と少し過ごす。その間に孤児院では
理事会がラーチ医師の公認を探している。ラーチ医師は、自分の学歴や経歴を
ホーマーの資格に偽造してまで後任にしようとする。看護師たちも協力して
いる。施設にいる子供達もホーマーに戻って来てほしいと願っている。
そしてリンゴ園に往診鞄と器具が送られてくる。そんな中で黒人のローズが
妊娠してしまう。相手が実の父親だと知りショックを受ける。
そしてホーマーは、使う必要がないと、しまっていた往診鞄を取り出しローズ
の子供を堕胎する。手術は無事に終わるが父親が娘にナイフ刺される。
そしてローズは、自転車で去って行く。父親は、娘に出て行かれたショックで
自分で腹を刺して自殺したことにしてくれと言って死ぬ。
その後で、孤児院からラーチ医師が死亡したと手紙が来る。ホーマーは
汽車で施設に戻りラーチ医師と同じ事を引き継ぐ。ラーチ医師の変わりに
使っていた施設長の机に戻って映画は終わる。予算が無くてラーチ医師は
孤児達と同じ質素な生活をしていた。まるで欲が無い。祝福されない状態
の出産専門では報われないし堕胎しなければならない場合もある。
アルコール中毒の親から生まれた子供に酸素テントの中からキング・コング
を観せていて、フィルムが切れた時に息を引き取るあたり観ていて辛い。
子供を育てるのが大変な社会環境では、子供を作れない。日本人の生殖能力が
半分になっているのも皮肉なことである。
日本のマンガでキャンディー・キャンディーみたい話の流れだと感じた。
ヒューマンドラマスペシャル「ニセ医者と呼ばれて 沖縄・ 最後の医介輔」
のレイプされて生まれた黒人の赤ん坊の為に夫は失踪して母親が米軍基地
のフェンスに縄をかけて自殺する場面を思い出した。
トビー・マグワイアは、この映画でアカデミー主演男優賞を手にしている。
スパイダーマンの主役で有名だ。久しぶりに見ごたえある映画を観た。



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