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浅野琢也の雑記帳25 2013年07月04日〜7月末日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成25年


2013年07月20日

『風立ちぬ』(2013年) 宮崎駿監督作品を観た。関東大震災を
経験し第二次世界大戦の時代を生きたゼロ戦設計者・堀越二郎が
主人公になっている。少年時代の夢の中でカプローニと出会う。
カプローニと二郎の夢が同じなので2人が同じ夢の中のフィールド
に存在して交流する。目が覚めるとカプローニの洋書が置いてある。
大学生の時に汽車に乗っていると関東大震災が起こる。乗客は汽車が
爆発すると思い込み逃げ出す。その時に、少女の連れが足を折って
動けないため足に添え木をする。鞄から計算尺を出して添え木にする。
この時代のエンジニアは電卓でなく計算尺を使いこなしていたので
懐かしいと感じる。そして骨折した女性を安全な上野公園まで背負
って運び少女と家(使用人がいる)に連絡にいき怪我人を運ぶ所を
確認して本郷の大学に戻る。名前を名乗らない。大学で飛行機の研究
をしている。大学の時に本庄に食堂でサバ味噌定食ばかり食べている
のでマンネリたから肉豆腐でも食べろといわれる。二郎はサバの骨の
アールが航空力学の風の抵抗を少なくする形状だという。
私の場合は、これがニシンだと生地のヘリンボーンを連想してしまう。
大学を出て飛行機の設計の仕事で名古屋に勤務する。大学の同期の本庄も
同じ部署だ。しばらくして堀越二郎と本庄の2人はドイツへ社命で行く。
ユンカース博士の飛行機を学ぶ。会社の方針で本庄はドイツに残り爆撃機
の設計なのでドイツに残り堀越二郎は西回りで世界を観ながら帰国せよと
指示を受ける。若い人材を育成するのが当然だった終身雇用制の日本を
感じる。帰国して堀越二郎は軽井沢のホテルで休養している。そこに絵を描いて
いる少女の傘が突風で飛ばされ二郎の方に飛んでくる。二郎は受け止める。
父親が菜穂子に同じホテルだから後でお礼が言えるという。だが菜穂子の
体調が崩れて会食は、延期になる。
ホテルのベランダで紙で飛行機を作って飛ばしている堀越二郎を菜穂子は
ベランダから見ている。二郎の飛行機が菜穂子のベランダに飛び込む。
菜穂子が絵を描いていると二郎がその場を通る。菜穂子が震災の時のお礼を
言う。そして通り雨が降りだし2人は、ホテルに戻る。途中まで傘を持った
父親が向かえに来る。そして会食の時に婚約する。菜穂子の父は結核の事を
正直に告げる。二郎は、それでも構わないという。同じホテルに泊まっている
カストルプというクレソンが好きなドイツ人がビアノを弾いいた。
ユンカース博士とヒットラーの反りが合わなく立場が悪くにったと二郎に
告げていた。カストルプが二郎の雰囲気から「ドイツにいた事があるね」と言う。
二郎は「シャーロック・ホームズか? 」という。犬のシャーロック・ホームズの
アニメも宮崎作品なのでネタとして入れたみたいだ。
(亡命する気で日本に滞在していたようだ。)その為が二郎の職場に特高警察が
現れる。職場で二郎を不在だという。「身に覚えの無い者が何人も連れて行か
れた。」というセリフが印象的だ。服部課長が仕事場と部屋を用意して
上司の黒川が自宅の離れに住まわせる。
下宿に返すと貴重な技術者を連れ去られるかも知れないとの配慮だ。
そんな時に菜穂子が黒川の家に療養所を出て訊ねてくる。そして親の許しを
貰って来たという事で黒川は、仲人になり簡単な結婚式を挙げて2人の離れ
での生活に協力する。二郎の妹・ 加代が女医になり訪ねて来る。菜穂子と
仲良くなるが病気が重い事を兄に伝えて療養所で安静にしていた方が良いと
いう。菜穂子は二郎と、名古屋でしばらく過ごして東京に帰る。
しばらくして二郎の職場に菜穂子が血を吐いたと電報が届く。二郎は東京の
菜穂子に元に駆けつける。特高警察を気にして庭から入るあたりの描写は、
戦争前から疑心暗鬼になっている社会背景が、さりげなく表現されている。
顔を見て二郎は、飛行機の設計の為に名古屋に戻る。その後で菜穂子は結核の
療養所に戻る。二郎の妹の加代が1番美しい姿を見せて・・・という。
戦争が終わり夢の中でカプローニと再会する。設計者としての寿命は10年だ。
二郎の飛行機は、1機も戻らなかったね。飛行機は美しい夢だ。しかし呪われた
夢でもあるという話だ。仕様書があり設計をする工程でバネで衝撃を吸収する事を
「弾性」と特許用語で話ているが映像で理解できる作りだけど気づかない人は
流し見するかも知れない。本庄の爆撃機は、二発で発火すると言うが本庄は、
「俺達は武器商人でない」と言い実際に打ち落とされる場面になる。これは
アメリカの戦闘機開発との設計や技術思想の違いを伝えている。
特攻隊の話は無いが、二郎の飛行機に爆弾を取り付けて特攻に出撃して敵機と
遭遇しても足枷が付いているみたい状態で応戦できずに狙い打ちされる話は、
小説「永遠の0」を読んで知っているので秋の映画の劇中に出て来ると予測できる。
戦闘場面を少なくして主人公の生き方を中心に表現したアプローチは、じっくり
考えて観賞してほしいというコンセプトみたいに感じた。
劇中の夢でカプローニが爆撃機を納品する前に飛行機作りをした人と家族を乗せて
テスト飛行する。二郎も乗せてもらえるなどイタリアを舞台にした「紅の豚」の
雰囲気も取り入れた、ちょっと大人向きの内容だった。飛行機に限らず何か
目的意識を持って向かって精一杯に取り組んでいる人なら十分に感動できる内容だ。
私は、かなり主観的に観たので共感し感動した。
小さな子供には真剣に働く父親の背中を見せる。みたいに何かを感じ取って
もらえそうな内容だった。主人公の二郎と本庄の喫煙シーンは、アメリカで
子供向けに上映するとモザイクが掛けられたりレイティングコードが高くなるか
も知れないと少し気になった。劇中で二郎がシベリアというカステラに羊羹を挟んだ
お菓子を買って食べる場面もあった。「飛行機の部品で日本中の子供がシベリアと
天丼を食べられる額だが国は、飛行機を持ちたがる。」というセリフは軍拡への
問題提起なのかも知れない。どう感じるかは鑑賞者の主観で良いと感じた。
映画の感想は、鑑賞者の環境や体験に知識量の変化に時代背景や時間経過で変わる。



2013年07月15日

『爆心 長崎の空』(2013年) 日向寺太郎監督作品を観た。舞台は
長崎で時代設定は、現代だ。古い一戸建ての家が、音を立てると家が
怒っているだったか揺らいでいるみたい事を父親が言い出す。建物の
家と代々続く歴史ある家系の両方の意味を暗示させている。
女子大生でランニング(スポーツウェアに進出したワコールさんが協力している
などの事情なのかも知れない)が趣味の門田清水は医者の恋人とHしている。
その時に母親から携帯に電話が来て留守電に「今夜はカレーよ」と伝言を残す。
母親はソファーに座ってから心臓麻痺で死んでしまう。清水は、あの時に携帯に
出たら母が死ななかったかも知れないと悔やむ。しばらくして恋人に何で
知らせないと言われる。忙しそうだから知らせなかったと言って気まずくなる。
 高森砂織の幼い娘が砂浜で貝殻を集めている。その子は肺炎で死んでしまう。
母親の高森砂織は、娘の拾っていた貝殻の幻を見るようになる。そして娘の
一周忌が近づく。そして又、妊娠するが産んだら死んでしまうのではないかと
苦悩する。娘が死んだ原因は、自分が被爆2世だからだと苦悩する。この幻覚の
貝殻が見える時の効果音が状況にマッチしていない。ヒッチコックのサスペンス映画
みたいに緊張感のある音を入れてほしかった。耳障りが良いのが災いして眠気を
誘う波長だった。幻覚だと観客を説得するために貝を半透明にするなどVFXを
使うなどの手法を入れたほうが良いと感じた。ハリーポッターの中に大切な人を
亡くした人にだけ見える馬車を引く動物が登場した場面があったので手法を応用
したみたいだと思った。自転車屋で働いている青年は、
長崎から出て東京に行くとか言っている。腕に母親が離婚して新しい男を作る
度に虐待されて腕にタバコを押し当てられてヤケドの後が沢山残っている。
部屋に十字架とマリア像が置いてあり蝋燭がある。自分だけノアの箱舟に乗る
みたい事を言い出してブレハブの自分の部屋を火事にする。「ライフ・オブ・パイ」
の「パイの箱舟にようこそ」と動物を乗せるネタと比較してしまった。
300年続くキリスト教の家系とか言っていても資産家ではない。
(但し、平和運動や被爆者に詳しい人なら健康管理手当ては国民年金より多い
金額の支給を受けられる事を知っている。「夢千代日記」も悲惨さを感じないのは
社会保障制度の理不尽な線引きで切り捨てられている未認定状態の被爆者が
多数いる事を知っているからだ。原爆症認定集団訴訟の裁判闘争の本も読んで
事情を知っているためだ。水俣病の認定基準の問題などと同様だ。
「青いソラ白い雲」という金子修介監督の作品に出産すると母体の放射能汚染を
胎児が吸収するから代理出産をするというエピソードが入っている。平和運動などに
監督の両親が関係し自然と情報が蓄積されて表現できる家庭環境が土台だと思う。
画家のルノワールの息子がジャン・ルノワール監督みたいな気もする。)
パソコンでプリント出来る時代に軽印刷業で生活できているのは難しいハズだ。
オフセット印刷機でアルミ製のPS版でなく紙版を使うタイプだ。
印刷できるのは白黒のビラや封筒や名刺程度だ。これが実際に印刷機を
操作しているシーンがありデリバリーサイドから紙を取ったり電源を入れたり
インク用のヘラをインク壺の部分のローラーに付ける動作が出来ている。
版の取り付けとインクを八の字にヘラで混ぜる部分に紙積み作業は、印刷の
プロが行って動かしたり止めたりするだけで良い状態にしているのが解る。
娘を肺炎で亡くして1年近くして又、妊娠してスグに死なれてしまうのでは
ないかと砂織が悩んでいると祖母が自分は、赤ん坊の時に爆心地で子を
亡くした母親に拾われて養子になった。両親は、死んでしまったらしく
1人で泣いていた。だから戸籍の両親の欄が空白だと告白する。その時に
白サギが一羽、飛んでいたという。
しばらくして家の蜘蛛の巣に白サギが引っかかって死んでいる。
丁寧に白い布に包んで家族で葬る。ラストは、「気が狂うのが正常な人間だ」と
という話だった。通常は精神崩壊をブロックするためイヤな事は、忘れて
しまうことで生命を維持している。下手に思い出させるとPTSDを起こす。
原爆症認定集団訴訟でも法廷で被害の訴えをすると体調が悪化する状態が
あったと本に解説されている。自覚症状の無い時は健康被害を意識しないで
生活している人が殆どだ。爆心地から離れていたなどと健康被害
が出て青い被爆者手帳を申請して却下されて被爆の認定を求める裁判闘争を
している人がいる状態を知って、私が3.11でテーマにした「イノチのキョ
ウカイ」は実は行政による命の線引きだという問題提起や「〜放射線を浴びた〜X年後」
みたいに国に見離された被爆者の実態を取り上げている内容でなかった。出演している
役者の演技と題字とタイトルについては良かった。
被爆者の認定を求める裁判闘争の本を読んだりして深い理解を深めて作るべき
内容の映画だ。劇中の被爆した長崎の街は、白黒の写真を写しただけで
肝心の被爆したマリア像を入れていない。原爆で死亡した人が着ていた焼けた
服の展示を映していて死んだ人の幽霊みたいというセリフがあるが、あまり
悲惨を感じなかった。配役は、かなり良いのに脚本や設定が物足りない。
情報を得る手段を知らないままで作ってしまったのでは?という感じだ。
平均的なミニシアター系の映画のレベルに達しているのか疑問だった。
昨年にポレポレ東中野で観た「この空の花 長岡花火物語」と比較すると差が
ある。大林宣彦監督の作品と比較する方には無理があるけど、ファットマンを
核弾頭を通常兵器の火薬にして爆撃していた事など解説もあり内容の中身が
濃くて出来が違った。
私の場合は、被爆体験などは、被爆者団体が開催している展示を観にいったり
美術家平和会議の平和美術展の展評などの資料で知ることができる関係もあり
「はだしのゲン」で有名な故・中沢啓治が江東区に住んでいた事とかも教えて
もらえていた。しかも平和美術展に被爆者の肖像画のコーナーもある。
日本美術会は被爆体験をテーマにした丸木美術館も関係が深い。
しかも被爆者団体と同じビルに入っている。
原水禁や原水協の大会があり長崎で開催され被爆者検診を行う医療機関は、
長崎の大会は若い職員を参加させて勉強させている。
この取り組みにも私は関係がある。チラシが森下文化センターに置いて
あったので話しのネタにしようと観た。これから平和美術展があり原水禁
の大会に参加するため鶴を長崎に持っていく人もいる。そういった関係者に
対して話題にできるレベルにまで達していないと感じた。15日は祭日で
入場者数は、そこそこだった。映画が終わって観客の反応を見た。
みんなパンフレットを買わないで劇場を後にしていた。
同じに週末に公開された「じんじん」はパンフレットの代わりに作成された
絵本を買う観客の行列が出来ていた。観客の反応の差を感じた。
劇中で死ぬ直前にカレーを作って死んで父親と大学生の娘が、母が作った
最後のカレーだと食べる場面があったので「市販のカレーのルーを使って
料理を失敗するほうが珍しい」という言葉を思い出した。しかも良い食材が
揃っている状態だ。劇中で「被爆者から当時の被害の状況を話してもらうのは
難しいと」という事が入っているが被爆認定の裁判闘争の原告団や弁護団に
マスコミに対応する担当役員もいる。私は、東京大気汚染公害裁判の墨田・
江東を担当する幹事を務めた事がありテレビや新聞の取材に対応もしていた。
弁護団の弁護士達の中にハンセン病も担当している人がいたりして署名を
頼まれたりする関係もあった。もっと映画を作るための取材協力を要請して
ほしかった。江東区内に第五福竜丸展示館がある。東京大空襲・戦災資料センター
館長は早乙女勝元さんだ。山田洋次監督の「下町の太陽」で原案・構成を担当し
「男はつらいよ」の寅さんが葛飾の柴又という薦めた人だ。おそらく画竜点睛を
欠く作品と感じるたのは、映画制作に協力する人や団体の共感を得られなかった
可能性や、めぐり合わせるルートがなかった可能性もありそうだ。
殆どの映画は製作発表まで情報開示出来ないまま進行していく。スタッフやキャストは
各自の役割以外は意見を出せない慣習もある。中には開示してサポーターを募る
方式もあるが情報の共有は難しい。もっとアドバイスを受けて解説やナレーションで
補足して仕上げれば、完成度が上がった作品だと思った。
(岩波ホールで、7月20日から『ひろしま 石内郡・遣わされたものたち』
リンダ・ホークランド監督作品と『ヒロシマナガサキ』スティーブン・オカザキ監督作品)を
緊急上映する。劇場側も考えいるようだ。


2013年07月13日

写真は「じんじん」公式サイトにリンクしています。

『じんじん』(2013年) 山田大樹監督作品を観た。昨年の末に完成して
北海道の札幌・旭川先行上映で東京公開初日だった。札幌映画サークルの
知人の会社が幹事会社で製作した作品だ。剣淵町のロケは、永田文化服装
学院の学院長の実家の農場やアルパカ園で撮影されたいるが、映画が完成
してから製作会社の知人に紹介した。昔、剣淵町の青年団に学校のファッション
ショーの裏方を手伝ってもらった事がある。
 さて映画は、主人公・銀三郎(大地康雄)の、お婆さんが「山姥が夜中に小僧を
食べようと包丁を研いでいる。小僧は、便所に行くというと長い縄を腰に巻きつけ
られる。小僧は、お札に変わりに返事をしてと言って逃げる。山姥は、豆にされて
食べられてしまう。本当に怖いのは人間の腹の内」みたい民話を話してもらう。
子供達は、その話を楽しみにしていた。父親が実家に銀三郎を迎えに来る。父親は
炭焼き職人で良い木を求めて転々とするため銀三郎は、一箇所に留まる暮らしが
苦手になってしまったようだ。お笑い芸人を目差すが、結婚して娘を授かるが離婚
されてしまう。身を固めた時は、工場で働いていたようだ。家庭を持ち家族が揃って
いた時に娘にクロコダイルとイルカの話をするが、途中になってしまう。それから
長い年月が経過する。宮城県の松島に部屋を借りて住んでいるが大道芸人なので旅が
多いみたいだ。実家には、弟夫婦が畑を守っている。田植えの時だけ実家を手伝いに
北海道の剣淵町に田植えの手伝いに帰る。剣淵町の各農家で農業体験の学生を
ホームスティーさせている。都立・北原高校の就学旅行を兼ねた少女達が来る。
悪の教典のハスミンがいた北原高校と名前が似ているけど違う学校だ。
田植えを体験していると2人が、ぬかるみで転んでドロだらけになり「カバみたい」
といわれる。カバは気温が高くなると身体にドロを塗って体温調節する。
カバは獰猛に見えないが、人間を食べてしまう事もある。
この女生徒の会話から男子生徒は、漁業の実習に行っているらしい。その女生徒の中に
銀三郎の娘がいるが銀三郎は気がつかない。銀三郎の弟に娘がショックを受けて
いる事を教えられるが親子の名乗りをあげる事が出来ないままだ。離婚した妻は、
再婚してクリーニング店を経営する夫がいて安定した家庭を築いている。その夫は、
寡黙に仕事をするタイプだ。クリーニング屋で『顔』(阪本順治監督作品)を連想した。
銀三郎は、絵本のコンクールで優勝すると父親と気づかれないように娘にいって、
夏休みに遊びに来てほしいと言うが出品していない。コンクールが終わって
から来てバス停留所で娘に「クロコダイルとイルカ」の絵本を渡す。向日葵が一面に
広がっている景色は、「ひまわり」のソフィアローレンが戦争で離れ離れになった
恋人が家庭を持っているので会わずに帰るみたい暗示と「星守る犬」のイメージを
感じる映像が入っている。絵本を銀三郎からもらった娘は、クリーニング店で働く父親
とのコミニュケーションも取れるようになり高校を卒業して絵本を読み聞かせる事の
出来る看護士になるという目的を持ち看護学校に通い明るくなっていた。
という流れだが、前半は、大道芸の仲間や大家の娘が有名な女優だったりするなどで
興味を持たせてくれる。中盤で絵本を、作っている時に、練りゴムを持っているのかと
思ったら、粘土で動物を立体にしてからディフォルメしてキャラクターを作り平面に
戻して絵にしていた。『あらしのよるに』で絵を担当した「あべ弘士」の手法らしい。
『あらしのよるに』は絵本からアニメ化されている。国語の教科書に採用している所もある。
なんと『アンパンマン』も絵本が原作だ。
しろくのガマは、カエルの前足に指が四本あり後ろ足の指が六本ある事から名づけられた
と映画の中で知る事ができる。ラストで銀三郎がモンゴルで大道芸を披露している所で終る。
縁日のサーカスや見世物小屋に飴細工は、伝統芸能になってパリで「縁日」という美術展が
行われる時代だから国際公演もありえると感じた。価値観は時代によって変わる。
子供の頃に漫画を読まないで勉強しろと言われていた世代が大人になると漫画は美術館の
企画展でも人気になっている。絵本を読み聞かせると子供の情操教育に良い。今ではアニメや
ゲームは、教養と知識がないと、あまり理解できない程に高度になった気がする。
山田大樹監督の作品は、昔に「七人のオタク」を観た。離島に悪い漁師がいて七人で趣味を
武器に闘う映画だった。携帯電話が普及する前でアマチュア無線のハンディー機を使って
爆発させる場面があった。「恋するトマト」南部英夫監督の作品はフィリピン人の恋人を、
追いかけていって大きなトマトの栽培に成功する話だった。幹事会社と脚本まで主役の
大地康雄さんがやった作品だった。リージョナル・シネマの場合は、海炭市情景みたいに
函館の観光の宣伝をしない方向を選ぶタイプもあるが、「じんじん」は主人公が松島に住んで
いる事や大道芸を海外で公演するなどで複数の地域を登場させて観光客集めを意識させない
ように上手くまとめていた。
「じんじん」は、パンフレットが作られていなかったので記憶で書くしかないので、正確
に書けていないかも知れない。



『生贄のジレンマ(上)』(2013年) 金子修介監督作品を観た。ユナイテッド・シネマ豊洲で
レイトショーだけの上映だった。高校生は、千円で2人で行くと1人が生け贄になって千円
払うと1人が無料になるサプライズ付きだったみたいだ。最新作DVDのレンタル料並みだ。
2人で来ている割合は一割以下で夜なので入場者は50人ぐらいだったみたいだ。殆どが
1人で見に来ていたみたいだ。
生け贄割引きでジュースとポップコーンを買えば快適な映画鑑賞ができると思うがお台場の
メディアージュとユナイテッドシネマズは、間違えやすい。以前に私は、間違えてしまった
事があった。こちらもパンフレットは、作られていませんと言う事だった。
卒業式で3年生は、朝の6時までに登校するという事になっていた。父兄が付いて来ていない。
しかも先生の姿がない。放送部の少女が将来の自分宛てのビデオレターを撮るとカメラの付いた
タブレットで撮影している。(今年のSICFで気がついたが一眼レフみたいゴッいカメラを使って
いる人が増えた。しかもビデオ機能が付いている機種もある。一時期は携帯電話のカメラ機能
があるのでデジタルカメラが売れない時期があったがISOが高感度フィルムを超えてしかも
手ぶれ補正が付いている。特徴はカメラのキャップを手で外す。)これが1人死んでしまう
ごとに劇中で映され重要な情報になる。全員がバイタルチエック機能の付いた腕時計を付ける
ように決まったと学級委員が黒い箱に入った腕時計を配っている。(今の学生は腕時計を
つけないで携帯電話の時計を見るので時計を付け替える生徒は少ない。男性用と女性用の
区別は無くバンドはゴッいメタル性だった。バトルロワイヤルは首輪だが腕時計みたい装置は、
アメリカの軽犯罪者は、刑務所の収容人数を減らすために自宅謹慎みたい状態でGPSで生活圏の
行動を制限する方式が実用化されている。目立たないように足につけていたので「電子足かせ」
みたいだ。)全員が時計を付けるとテレビのモニターに
天使の羽を付けたウサギの操り人形がタイマーの付いたテレビに登場する。T.EMという
公共放送に登場するキャラクターらしい。T.EMという天使の羽を付けたウサギの、ちょっと
ヒネたキャラクターだ。そのT.EMというキャラクターが画面から、あなた方は1時間後に
全員死にますと言い出す。ふざけるなと誰かが画面に向かって紙グスを投げつけるとウサギから
コウモリの羽を付けたオオカミに変わる。原作に無い演出でビックリした。「じんじん」を観て
から食事をしてクスリを飲んで身体を休めてから見に行ったので、「あらしの夜に」のオオカミや
「悪の教典」序章の人形劇を思い出した。学校を休んで震災ボランティアに行っていた主人公は
手話が出来る。聴力障害の少女とのコミニュケーションを取っていた。現在は、携帯電話のメール
機能を使う事が多いが手話の出来ないクラスメートとのコミニュケーションはメモに手書き
だった。(古い映画で「名も無く貧しく美しく」を連想した。空襲で両親を失った赤ん坊の世話を
して亀与える)主人公達がレッドラインを越えようと校庭にいると窓から手話でT.EMが
ルールを発表したと伝えたり役に立っていた。生け贄の穴を調べる
のに何かを投げ込んで音で深さを測ろうとしたら音が聞こえない。「貞子は、いない」という
リアクションは、面白かった。流石に「センター・ジ・アース」かも知れないという感じは
しない。四角く掘られた穴なので直角だから自然界の物ではない。
制限時間の7時になり腕時計の投票で生贄を選ばない事を決意したクラスが同時に全員死亡する
場面がある。この無限ループ状態のゲームは、どのような組織が何の目的で、このゲームを
強要しているのか原作(上)(中)(下)を読んで理解不能になっている。究極の自己犠牲を
テーマにしいるようだ。
劇中で生徒がT,EMに聞くとオオカミに変わって無視される。時計を付ける時に、国連か何か
で決まったという会話があったが法改正や運用改正されても周知されていない。
高校生だと自転車のベルを鳴らしたり二人乗りで罰金が科せられる時代になったりして、面倒な
時代に生きているから、そういうものかと付けてしまう。この腕時計は、付けて少し時間が経つと
腕に密着する。時計に仕込まれた神経毒らしきもので痙攣を起こして死んでしまうと死んだ生徒の
残した未来の自分宛のビデオレターが流れる手法は効果的だった。劇場公開が終わるとDVDが
8月2日に出る。

「じんじん」はスローシネマでDVD化しないで全国順次公開後は上映会でしか見られない。
「エクレール お菓子放浪記」もDVD化しないで上映会がないと観られない方式だ。
スローシネマと対極に「生贄のジレンマ」は、劇場公開修了後にギネス級の最速でDVD化される。



2013年07月07日

『東京家族』(2013年) 山田洋次監督作品を観た。田舎から東京で
暮らしている家族の暮らしぶりを見たり、元教員で最近、亡くなった
服部という板橋の友人のお悔やみに行ったりする為に
父親の平山周吉と母親のとみこの夫婦が上京する。
品川駅で待ち合わせているが次男の昌次が東京駅に行ってしまいタクシーで
多摩川を越えて、町田市つくし野の長男の長男・幸一の家に向かう。
坂道で開業している長男の内科・小児科・消化器科の平山医院は、
坂道がキッくて高齢者の通院が大変そうで流行っていないような感じが
出ていた。幸一が新聞を読んでいると患者さんですよと看護士に呼ばれる
場面があり流行っていないラーメン屋みたい雰囲気を、かもし出していた。
東京都では18歳未満の子供は医療費が無料だが少子高齢化の影響を感じ
させる。経営も大変そうだ。長女の金井滋子はウララ美容室を経営している。
不況を乗り切る為に商店街の祭りや講習会で忙しいらしい。長男・幸一の家に
泊まり日曜にドライブに行こうとしていると急患の往診で行けなくなってしまう。
次に長女の滋子の家に泊まるが雨で外に出られない。「雨あがる」というセリフ
が使われていた。そして 舞台美術をしている次男の周吉がハトバスで都内の
観光に連れて行く。しかし父親・周吉が、うなぎ屋で、次男の周吉に仕事は
何をしている?先の事は?などと不安定な仕事をしている事を責めてしまう。
歌舞伎から前衛的な劇場の舞台美術などをしている事が、会話から判るが
理解する気が無いみたい感じだ。これが子供なら東京ディズニー
ランドあたりに遊びに連れて行けるだろうが老人だと体力的に厳しいようだ。
松竹の映画だから歌舞伎見物に行かせても良かった気もするが残念な事に
歌舞伎座は改装工事中に映画の製作時期が重なっていたみたいだ。
劇中に次男の昌次が歌舞伎の舞台の裏方をしているシーンもあった。
長女・滋子と長男・幸一が、お金を出し合って友人がいる横浜の豪華ホテルに
泊まりに行かせる。横浜のホテルの窓から見える観覧車のライトが眩しくて
カーテンを閉めようとして2人で「第3の男」を観にいった話をする。
オーソン・ウェルズのセリフが良いとか言っている。ホテルで中国人の廊下の
話声が気になったりして眠れないようだ。ホテルは、用事があって泊まる所
だが長女・滋子と長男・幸一の話では、豪華な部屋でテレビでも観て楽しめる
と思っている。テレビを観るなら映画や芝居にコンサートに行かせる方が自然
な気がする。東京でしか観られないものが沢山あるハズだ。
父親の平山周吉と母親のとみこは趣味が無いのだろうか?と疑問を感じた。
周吉は酒飲みで酒を止められているが「飲む・打つ・買う」みたい趣味や
無趣味でも読書や音楽に趣味を持っていても可笑しくは無い。
しかし何もする事が無くて2人で港で海を眺めてる。しかも帰りがけに妻のとみこが
ふら付いて一瞬立てなくなる。そして長女・滋子の美容院に戻ってしまう。よりに
よって両親が上京している時に、その美容院が講習会の当番で会場になっているという。
周吉ととみこは、ルミネの看板が見える屋上で夫婦で別々に泊まる相談をしている。
ルミネの看板が見える場所なので甲州街道を挟んでJR新宿駅の南口か町田にルミネが
あるとしたら何処か別の建物の屋上の可能性も高い。
次男・昌次の部屋に母親が部屋を片付けにいって泊まるが部屋が片付いているので
お金を払って片付けてもらっているのと聞くのは世間知らずでも不自然な気がした。
ただで片付けてくれる人がいると言われてボランティアね?と聞くのは、3.11の
ボランティアに、つなげる為みたいだった。
次男の昌次に良く出来た婚約者・間宮紀子がいて部屋が片付いていて安心する。
三叉路のアパートに古いフィアットが止っている。部屋にはヘリコプターが飾って
あり横尾忠則の三叉路をテーマにした画集を連想させるポスターが張ってある。
ベットの布団カバーは三点セットで高い物では無いが統一感があるインテリアだ。
舞台美術の仕事をしているので自分の部屋のインテリアをスッキリまとめている。
母親が2人の馴れ初めを聞くと3.11のボランティアで知り合ったという事だ。
父親・周吉の方は、同窓生で船舶会社の専務だった友人の沼田の所に泊めてもらう
予定だったが沼田三平は、妻に先立たれて息子夫婦の家に身を寄せている状態だ。
その為に泊めるのは無理なので周吉と三平は2人で居酒屋に行ってグチりだす。
その会話の為に他の客は帰ってしまう。その後も店でクダを撒いて眠ってしまう。
その後、長女・滋子のウララ美容室に深夜の2時に帰りして吐いて店内を汚して
飛び出してしまう。
周吉タイプの人は、勉強の成績で人を見る傾向が強く、労働組合に守られていた
世代で状況把握能力に欠ける傾向のある人がいそうだ。学生相手の為に世間知らず
になってしまう事も多そうだ。この映画の中の父親・周吉の人物像の設定は、
このあたりのキャラクター設定は実に良く再現できている。
つい見過ごしてしまいそうな部分だが山田洋次監督の洞察力に分析力と再現力の
正確さを感じた。但し山田洋次監督の場合は、「学校」を3本撮っているので
教員の場合は、複数の科目があり多様な職業に対して理解をしている方が自然
だったという感じもした。
うなぎ屋で次男・昌次の「この国は楽に生かしてくれない。」というセリフは
父親の終身雇用制の世代と非正規労働者世代とのジェネレーション・ギャップを
感じさせてくれる。現代は公務員ですら将来の見通しが暗いし銀行員に至っては
吸収合併で安定していない。時代設定が戦前のチャップリンの「殺人狂時代」は
主役が不況で解雇された銀行員だったり時代設定が東京物語に近い「プーサン
(市川崑監督作品)1953年」の高校の数学教師みたい例もありえると感じた。
父親・周吉は長男・幸一の家に戻って大人しくしている。長女・滋子が長男の嫁・文子に
深夜の状況を電話で説明している。汚れた美容室の場面から酔っ払って何をしたのか推察できる。
長男・幸一の家の9歳の子供・勇がラジコンのヘリコプターで遊んでいる。煩いと幸一は怒る。
それから少しして次男・昌次の所に泊まった妻が帰って来る。妻・とみこの方は息子・昌次の
婚約者・間宮紀子がしっかりしているので将来安心だと思い戻ってくる。その話をして2階に
洗濯物を取りに階段を登ったとたんに踊り場で倒れてしまう。小学生の孫・勇が、「おばあ
ちゃんがね」と周吉に知らせる。周吉はスグに様子を見に行く。幸一の妻・文子は医者の妻
らしく「とみこ」の様子から動かしたらいけない事に気づいて医者の幸一を呼び救急車の手配
をする。書店で働いている次男の婚約者・紀子の携帯電話に母親・とみこが倒れて入院したと
昌次からメールが入る。病院名が書いてあり昌次より先に紀子が病院に駆けつけて来ている。
長男・幸一は全員が揃うと入院先の医師・橋本と同じ診断で朝まで持たない事を説明する。
MRIの結果が悪かったらしいから脳血栓や脳梗塞みたいだ。
長男・幸一は自分の息子の中学生の実と小学生の勇に、おばあちゃんに、さようならを言って
家に帰りなさいという。母親・とみこは意識を失ったまま68歳で朝の4時半に死んでしまう。
父親・周吉は放心状態になり病院の屋上で夜明けを見ていた。
東京で火葬して父親・周吉が遺骨を持って瀬戸内海の島に帰り東京の息子達も実家に集まり
葬式を出す。島の親戚も集まり葬式が行われる。葬式の後で長女・滋子が母親の大島の着物と
絣(カスリ)の上布を形見分けにほしいと言い出す。長男が四十九日に話合おうという。
長男・幸一は、1人になった父親・周吉を東京で面倒を見るので建て増しすると言うが父親・
周吉は、東京には行かないと言い出す。
フェリーが悪天候で欠航になりそうで長男・幸一と長女・滋子は仕事があるので次男・昌次と
婚約者・紀子を残して帰ってしまう。次男・昌次は、嵐で壊れた実家の屋根の瓦を直している。
長男・幸一と長女・滋子は東京にスグに帰る。次男・昌次と婚約者・紀子は残り母親・
とみこが30年使った時計を父親・周吉から形見にと渡される。これから大変な時代になるが
息子を頼むと言われる。最初は電車と中学生・実の下校ではじまって終わりはフェリーの場面
だった。映画のラストは周吉の隣家に住む中学生・ユキが洗濯物を受け取りに来て洗濯物を
渡してから周吉が1人で足の爪を切っているシーンで終わる。夜に足の爪を切ると親の死に目に
会えないと言う、言い伝えを連想させるラストだった。死に目を見せに上京して子供達に
看取られるのは運命的だ。陸続きの田舎なら盆と正月に実家に帰る事が容易だけどこの兄弟達の
場合は、何年も実家に戻っていない様子だった。
離島で仕事を探すのは大変だから子供達は、東京で暮らさなければならない背景も
あると思う。東京物語の現代版だが子供達が日本国内で仕事をしていて会いに行けた
だけでも恵まれているのかも知れない。現代の親の場合は子供が海外で働いている
可能性も高い。海外だと東京家族にならないから東京で子供達に会える流れは
変えられなかったようだった。どうも真面目に作っているが長女の親が「高校の時に
死んで孝行したい時に親は無し、さればとて墓に布団も着せられず」という少し
笑わせるネタを入れているけど日本人なら身につまされてしまう時代なのでリアル
すぎて笑えなかった。どうしても映画やドラマの部屋で撮影する場合は、カメラの
焦点距離の関係で、ある程度は広さが無いと撮影が出来ないために広い部屋に
なってしまうのは、どうにもならないようだ。部屋が狭くて2人を泊められない
感じが薄れて見えるのは、この為だ。東京物語のリメイクという高いハードルは
達成していると感じた。


2013年07月04日

『青きドナウ』(1963年) スティーブ・プレビン監督作品を観た。
列車に乗ってウィーン少年合唱団の団員達が4ヵ月のアメリカ公演から
ウィーンに帰ってくる。ホームに向かえの家族や団員が来ている。
テープレコーダーを持った人がラジオ用の解説を録音している。
その列車を運転していた運転士の息子のトニーと母親も父親を迎えに
同じホームに来ている。トニーはホームで団員の1人に合唱団への入り方を
聞く。それから父親の電車の運転台に乗り込んで、大きくなったら運転士に
なれと電車についている汽笛みたい音がする警笛を鳴らせてもらい機関庫に
列車を入れるのを手伝う。この時代には長距離を走る電車が最先端だった
のかも知れない。そして家に帰って母親とウィーン少年合唱団のオーデションを
受けに行く。8人受けて合格が2人だ。暫らくして合唱団から合格通知が届く。
母親がピアノをやっていたらしく父親を説得する。学費は無料だが父親は、
知らないで学費は幾らかかるかと聞いた。コンサートを開いて学校を運営して
いると説明されると学業が疎かにならないかと心配している。この時代の子供は
世界中を回れるという事に興味を惹かれるのは何処の国でも同じようだ。
トニーは両親に連れられてウィーン少年合唱団に入り全寮制の生活をはじめる。
グループで最年長のリーダーであるピーターにアウガルテンパレスを案内させる。
寮は、トランジスタラジオの持ち込みが禁止されているのに持ち込んだ少年がいて
スイッチを入れて音を出してしまう。翌日、トニーは団長に呼ばれて勉強の成績は
あまり良くないが良くなっていくと受け持ちで指揮を担当しているヘラー先生の
意見もあり正式に団員になる。(一ヶ月は見習い期間)そしてピーターが担当して
いたソプラノのソロのパートをトニーに教えるようになる。それから小児科病院で
開催される慈善音楽会でピーターが担当していた役(ポストマン)をトニーに
変える。ピーターーは、嫉妬してトニーが衣装に着替えていると部屋から出られない
ように鍵をかけて出だしを失敗させようとするがトニーは、窓から壁づたいに外に
出る。高い所から落ちたら足を折りそうなスリリングな場面だ。そして無事に役を
こなす。トニーの両親も見に来ている。病院には足にギブスをしてベットから動けない
子供が入院しているから余計に不安になる。病院でケガをして、そのまま入院はイヤだ
と思う。ピーターの嫌がらせを秘密にして許す。そしてピーターとトニーは、より仲良く
なる。船でドナウ川を移動してピクニックに行った時に、ピーターが自分で作詞作曲した
曲を指揮すると仲間がビックリする。トニーは、自分の家に戻ったときも母親のピアノに
合わせてクラリネットの練習をして過ごしている。トニーの父親が通知表を見て数学の
成績が良くないから世界公演に行けないのではと心配している。父親はトニーに音楽の
才能がある事に気づいて合唱団に行って団長に銀行員や弁護士になる気は無いから
公演旅行に連れて行ってほしいとトニーを、応援する。
インド・日本・オーストラリアへの公演旅行に向けて練習している。オペレッタの練習
をしていると、突然にピーターが変声期になってしまう。このままではピーターは公演旅行
に行けないとグループで考えてオペレッタの時にピーターの歌を別の少年が歌ってピターに
歌っている芝居をさせる計画を企てる。この計画はスグにバレてしまうが仲間達の友情を
考えて団長とヘラー先生がピーターを運営委員会や理事会の了承をとりつけて副指揮者
として同行させる事にする。そして移動手段である各国の旅客機や海外の新聞や看板が
映ってチケット売り切れのシールが張ってあるから公演は成功みたいだ。という終わり方だった。
ウォルト・ディズニーが当時のグロスマン団長に交渉して作った映画だ。私が小学生だった時に
学校で見たけど学校の上映会でパンフレットを配布してくれる訳でないし長い年月で「野ばら」や
「ほがらかに鐘は鳴る」の印象が強くて殆ど忘れていた。この時代は携帯ラジオの
持ち込み禁止だったみたいだ。最近では携帯のPSPやニンテンドーDSみたいゲーム機
の持ち込みもOKになっているらしいがノートパソコンにスマートフォンや携帯電話など
の通信端末は、どうなのか解らない。この映画の出来る前にオーソン・ウェルズの「第3の男」
がウィーンを舞台に在って大観覧車のシーンや薄めたペニシリンを売りつけた男の為に
何人もの子供が死んでしまったと言うストーリーと比較すると光と影を感じたりする。



『独立少年合唱団』(2000年) 緒方明監督作品を観た。時代は1970年代。
過激派がゲバ棒を持って暴れていた時代だ。岡本喜八監督が校長先生の役を
していた。写真館を経営している父親が亡くなり道夫は親戚に男子だけの
全寮制の中学校に入れられる。学校には電車に乗って行き山の中の坂道を
歩いて着いた。
学校の転入手続きをして校内を案内される。音楽室でレコードを聞いて
いる少年・康夫の容姿に気を取られていると耳たぶを触られてビックリする。
吃音がある道夫は、自己紹介が上手く出来ず「ど・どもり」とからかわれる。
この時代の少年達は、こんな感じだったみたいだ。雪が積もっている場面から
北にある事がわかる。
ここの合唱団の担当で牧師でもある清野が生徒を集めて作ったグリークラブ
の練習に康夫は道夫を連れて行く。
担当の清野先生は、軽トラで廃材を貰ってきて教会を作っている。
康夫は、軽自動車の運転席で運転の真似事をしているのが付箋になっている。
クラスの1人が湖で死に掛けてクラスメイトに蘇生された話を授業でする。
先生は、湖は山の雪解け水が流れ込むので水温が低いので危険だと黒板に絵を
描いて解説する。あの世を見たいと湖で死に掛けた生徒に聞いて綺麗だったと
聞いて試そうとする生徒がいた。親元で暮らせない事情がある少年達が多いの
かも知れない。
聖書の勉強会をしていると清野が学生時代に入っていた過激派の女性が警察に追われて
匿ってもらう為に来る。刑事達や中学生の見ている前でバックの爆弾を爆発させて
自爆してしまう。バラバラになった体の足が飛んでくる。康夫への土産に持ってきた
ウィーン少年合唱団のレコードが燃えている場面が印象的だった。
康夫は、合唱コンクールで優勝して東京に行って革命で世の中を変えたいと言っている。
道夫は、歌を歌うことで吃音が治る。「大昔、人はしゃべる前に歌うことを覚えた」と
聞いて合唱団に入る。康夫はボーイソプラノで夢は、ウィーン少年合唱団に入る事だ。
別の学校の女子の合唱団の部員達との合同練習で「ボーイソプラノは声変わり前が
一番美しい」と言われる。夏休みが終わっても康夫は学校に帰って来ない。
ベットには石が置いてある。康夫は一週間後にオートバイに乗せてもらって学校に
戻ってくる。声が出なくなり道夫が変わりに話しをする。喉を守る為という名目で
全員が赤い包帯をしている。共産主義革命が大学生で流行していた時代背景を表現して
いるようだ。合唱の練習で康夫は指揮をする。ある日、康夫が軽自動車を走らせて橋の
欄干に激突して死んでしまう。画面が合唱コンクールになり康夫もボーイソプラノで
歌を歌っていた。ストーリーの流れは「青きドナウ」をベースに湖は「1999年の夏休み」
でラストは「野ばら」みたい感じだった。



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