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浅野琢也の雑記帳27 2014年01月05日〜12月12日

あさのたくやのざっきちょう TakuyaAsano Web 平成26年


2014年12月12日

『青天の霹靂』(2014年)劇団ひとり監督作品を観た。浅草の
マジックバーで働いている轟晴夫はキャリアは20年近いが話下手
が災いして人気が出ない。後輩のオネエキャラのマジシャンは
テレビで人気が出ている。独身の30才過ぎだ。そんな生活になった
のは、「母親が自分を父親の元に残して逃げた」と父親から聞か
されて育つ。その父親の仕事は、ラブホテルの清掃係りだったが
行方不明で音信不通だ。そんな時に警察から電話があり身元確認の
電話が来る。ホームレスで大便をするため踏ん張り脳溢血で死亡し
近くのホームレスが知らせたらしい。父の住んでいたブルーシート
の中から若い父と赤ん坊時代の自分の写真を発見する。線路沿いの
河川敷で呆然としていると晴天の空から雷が落ちる。落雷のショック
で意識を失っていると子供達に起こされる。様子が違っており新聞で
1973年だと気が付く。走っている列車の形も現代と過去で異なっている。
浅草の町の人の往来から70年代の経済成長期を感じることができた。
深く考えると大気汚染公害で実際の東京の空は、青空で無かったが
タイトルが青天の霹靂なので時代設定と過去の美化ということで
納得できる。(光科学スモッグが酷い時代だったハズだ)
警察署に戻り方を聞きに行くと制服も古い形だ。質問を止めて過去に
タイムトラベルした事への対処法を考える。手持ちの小銭で10円玉
だけ使える。当時100円はお札で500円玉は発行されていない。
30円で三角のパック牛乳を買う。
そして階段に座ってコインのマジックをしていると小学生が浅草の
雷門ホールの支配人の所へ案内してくれる。この小学生は現代では
春夫が働いている未来のマジックバーのマスターになることが
マジックの持ちネタで解る。
そして雷門ホールでインド人としてスプーン曲げなどを披露する。
身元確認とか面倒な事も聞かれず雷門ホールに住み込みで働くことが
できる。自分が生まれるまでに半年の時間がある。積極的に歴史に
介入して過去改変を行うというストーリーではなく自己の存在を
自然に知っていく流れなので無欲で控えめな春夫の行動に好感が
もてた。助手の中国人役の悦子は妊娠で体調を崩して寝込み見舞いに
果物を持って行くと警察から電話があり悦子の代理で正太郎の身元を
引き取りに行く。なんでも1000円を500円に変えたから詐欺だと
言われる。春夫は警察騙すなよと叱る。そして悦子と住んでいる
部屋に連れて行くと赤ん坊が出来たと驚いてしまったと言い出す。
そして雷門ホールで春夫の助手として舞台に立つ。芸名はペペとチン
だ。ぺぺはインド人でチンは中国人ということで話芸で盛り上げる
ことが苦手な部分を感じさせない支配人のアイデアだ。このコンビは
人気が出て舞台で喝采を浴びるようになる。雷門ホールで働いて春に
なりテレビ局のオーディションを受ける。しかし悦子の病状が悪化し
神社で絵馬に元気な赤ん坊が生まれますようにと書いて掛けようと
した所で倒れて入院する。父親が入院中の母親に白い紙のバラを
1輪渡す。「金が無くて本物は買えない。」と雷門ホールの
支配人がいる病室で言う。春夫は冴えない自分の人生を知っている。
赤ん坊を産むと母親が死んでしまう可能性が高い病状だ。母親は、
自分を捨てて出て行ったのではなく、自分の命をかけて産んで
くれたことに気づく。しかし現代の自分は場末のスナックのカウンター
で働いている。長く続けているマジシャンとしても人気が出ない。
そこで赤ん坊を下ろしてくれと言う。陣痛が始まり若い父親を残して
自分の誕生日に1人でテレビのオーディションで手品をしている。
白い紙の薔薇が本物の赤い薔薇に変わる。その時に雷が落ちて春夫は
ステージからバラを残して消えてタイムスリップした現代の場所に戻る。
この部分が名場面でカッコいい。次の瞬間に轟晴夫は過去に移動した
時みたいに現代に戻り同じ姿(服も燕尾服から元のジャンパー)で気絶
している。一瞬、夢落ちかと思ったら携帯に警察から電話がある。
轟正太郎( 晴夫の父)がラブホテルの清掃の仕事を選んだのは時間が
自由になり男手ひとつで春夫を育てる為だったと知る。
「なぜラブホテルなんだよ」というセリフには、経済成長で雇用もあり
仕事を選べる時代背景だったという気持ちがあったのだろう。
再婚しないで子育てしていた。タイムトラベルものは多いけど探偵はBERに
いるUススキノ大交差点でゲイバーのニューハーフがマジシャンで成功を
ネタまれて殺害されるストーリーを思い出したが大泉洋と劇団ひとりの
キャスティングは成功していた。原作の小説は劇団ひとりのオリジナル
なので原作者が監督も努めていることも好感を持てた。そして期待以上に
楽しめた。ラストのソフトな終わり方は、今の時代にマッチしていた。
未来に向かって希望が持てる時代の映画であれば、もっと印象的にする
方が刺激的で後世に残る可能性は高くなるのかも知れないという気も
したが今の観客の満足感を大事したと感じた。ラストは、この後どう
なるのか少し気になる感じがした。



2014年12月06日

『テルマエ・ロマエII』(2014年)武内英樹監督作品を観た。
グラディエーターのための風呂を作ったり、子供が喜ぶ風呂を
作ったりする話だが、侵略戦争を画策する元老院と平和を維持
しようとするハドリアヌス帝の対比が重い内容にしているように
感じながら観た。ハドリアヌス帝の病気を指圧で治したり
ケイオニウスの疫病が結核で兄のジェイオニオスが元老院の
策略でケイオニウスの贋物として侵略路線に協力したりする。
ルシウスは相撲を参考にグラディエーターの戦いを平和的で
残酷でない方向にするが好戦的で軍拡を目指す元老院が残酷な
殺し合いに方向を変えてしまう。バイアエに温泉街「湯ートピア」
を完成させた後で『ローマ帝国の繁栄と滅亡』の史実をルシウスに
テルマエ建設中に落盤事故が起こり死亡すると伝えるが仕事で
死んでも本望だと別れる。異常気象や災害に事故が多かった。
その為に今年は戦争と平和を意識させられた。普通に生きられる
社会情勢に世界の流れが向かってほしいが将来に希望を感じられる
明るいニュースが少ないと感じる日常だけに温泉にクマと一緒に
入っているシーンやサルが入っているシーンで風呂では人間も
動物も争わないで平和に入浴している姿に心を暖められた気が
した。今年は、かつて巨大な帝国として世界中に植民地を持って
いたイギリスからスコットランド独立の国民投票が行われた。
巨大な国家のスケールメリットについて価値観が変化している
のかも知れないと映画を観てから考えさせられた。
私の年齢になると映画やドラマは平和で安定した日常が続く前提が
あるから非日常を楽しめると若い時とは違う視点からも観るように
なり感じるようになった。この作品は、平和への願いが強く込めら
れていると感じた。



『地獄でなぜ悪い Why don’t you play in hell?』(2013年)
園子温監督作品を観た。残酷描写がファンタジーに見えるので
以外と面白く楽しめた。手や首が飛ぶ場面もあるが、こんなに
都合良く飛ばないだろうと言うノリが非現実的な表現になって
リアルから遠ざけているので現実を意識しないで見られた。
ガガガ製薬の歯磨きのCMに出ていた少女がヤクザの娘で、母親
が敵対するヤクザの襲撃で包丁で返り討ちにして10年間服役して
いる。事件の時に高校生でファック・ボンバーズという映画制作
チームを作りアルバイトで食いつなぎ自主制作をしながら映画の
神様がチャンスを与えられると信じて10年間も続けているなど
スゴい。そして、チャンスが来る。事前に「けもの道を笑って歩け」
という園子温監督の本を事前に読んでいたので若い頃の体験が映画に
入っている事もあり分かりやすかったのかも知れない。
敵対するヤクザの組長の過去が二通りになっており、血だらけで塀
を歩いているとカッコいいと映画少年に撮影される過去と血だらけ
で死体だらけの部屋で歯磨きのCMに出ていた少女に救急車を呼んで
もらった過去があり両方のつながりを考えて不自然な感じがした。
後は、以外な展開で楽しめる映画だった。橋本公次は何故か出入り
の時にヘロインを持たされるが右腕を斬られて頭に刀で割られても
苦痛を感じずに頭に刀を付けたままで死ぬまで動けるための伏線だった。
「仁義なき戦い」のテーマを取り入れて警察署の看板は「深作警察署」と
書かれていた。バラバラになって死んだ人が包帯姿で試写会を見ている
場面があり現実と妄想を演出しているみたいだった。
ラストは35ミリの撮影済みフイルムと録音した音声を集めて現場から
血だらけで走る平田純で終わる。非現実的なストーリーだから楽しめた。
 最近は、悲惨な事故や事件が多くて映画より悲惨なニュースが多くて
フィクションだと解って見ていても現実に近いと楽しめない社会背景を
感じることが多い中で成功していると感じた。
 11月10日に高倉健さん11月28日に菅原文太さんが亡くなり時代の変化を
感じる。



2014年11月09日

『グレートレース』(1965年)ブレイク・エドワーズ監督作品を観た。
1908年にニューヨークからパリまでの自動車レースが実際に行われて
実話を映画化したものだ。マンガみたいなコメディーだった。
冒険家のグレート・レスリーとフェイト教授との張り合いがメイン
の内容で他の参加者はレースの途中で脱落してしまう。
飛行機や車が普及していない時代でレースに参加する自動車以外は
馬車が登場する。フェイト教授が乗っている特注のクラッシックカーは
大砲が付いていたり車高が変えられたりする。煙幕も付いていて昔に見た
アニメ「マッハGoGo」みたいノリでもある。この時代設定で汽車は走っていた。
新聞記事を書くために参加したマギー・デュボアは伝書バトで新聞社に
連絡していた。新聞社の前では婦人参政権運動が起こっていた。
パイ投げのシーンなどがありインターミッションが入るほど長い映画だった。
「チキチキマシン猛レース」や「スカイキッド・ブラック魔王」の
元ネタになったのかも知れない。ブレイク・エドワーズ監督作品は
「ティファニーで朝食を」「 ピンク・パンサー」はシリーズ化されて
有名だ。日本では高度経済成長期に公開された映画なので東京オリンピック
があり新幹線が通り自動車が普及しはじめた時代なので繁栄に向かっていた
社会情勢の時代を考えると夢と希望があったと思う。その影で公害問題が
起こりゴジラみたいな怪獣映画も視覚化できない海洋汚染のヘドロやスモッグ
を怪獣という形にして表現している映画も、すでに作られている時代でもあった。
その時代に作られた映画だけにクラッシックカーや人力飛行船などアイデアが
凝縮されているコメディー映画だった。過去に作られた近未来をモチーフとした
映画と違い、グレートレースは半世紀ぐらい前をモチーフにした実話を元に
していても創作性の強いフィクションだった。「華麗なるヒコーキ野郎」
(飛行機レース)とか「弾丸を噛め」(馬のレース)みたいなストーリーに
「チキチキ・バンバン」のエッセンスが入った感じで50年前の公開時に、
見ていたらもっと楽しめたと思う。フェイト教授の助手が若い時のピーター・
フォークで「チキチキマシン猛レース」のブラック魔王の助手のケンケンと
イメージが重なってみえた。
この感想を書いているとテレビでチェコスロバキアで開発された空飛ぶ自動車
「エアロモービル」の試験飛行のニュース映像が流れていた。航続距離700Km
で移動できるプロペラが付いていた。安全性の問題や実用化から法整備などで
普及するのか解らないが実際に飛んでいる動画で21世紀を感じた。



2014年10月25日

『それでも夜は明ける』(2013年)スティーヴ・マックイーン監督作品を観た。
ニューヨーク州のサラトガに妻と子供を2人で住んでいるソロモン・ノーサップ
というバイオリニストは、仕事の依頼を口実にワシントンDCで大量に酒を飲まされ
拉致されて奴隷商人に南部に名前までプラットと変えられて売り飛ばされてしまう。
ソロモン・ノーサップは自由黒人で北部に住んでいたが12年間を奴隷として南部
で強制労働させられる。南部の奴隷を使ったサトウキビや綿花の農場経営者や、
その地域では、自由黒人だという事に気がついても奴隷商人から買ったから家畜と
同じに扱われる。何とか自分が住んでいる町の知人に手紙で連絡を取り自由黒人の
証明書で開放されようとするが手紙すら出すことができない。カナダ人の建築家が
変わりに手紙を書いて送り知人が保安官とソロモン・ノーサップの身柄を解放に
来て家に帰ることができる。娘は結婚して赤ん坊が1人いて息子も大きくなっている。
妻の行方は分からない。1841年に拉致した2人の男を訴えるが裁判で黒人は証言する
権利が無いとかで2人は何の制裁も受けないという理不尽な結果になる。
この時代から約160年が経過して21世紀になっても国家規模の拉致や誘拐が
起こり理不尽な状況に置かれている人がいるという現実を考えてしまう。
背中を鞭で叩き血が出ても黒人も赤い血なのでケガをしても目立たない。背中の傷
を強調する特殊メイクは立体的にキズを作って表現しているみたいだった。
黒人の母親が子供が転んだらケガをしていないか駆け寄って近くで注意して傷を探して
いたと聞いたことがある。白人や黄色人種ならケガの状態は血と皮膚の色のコントラスト
で視認しやすい。相手の痛みが視覚として認識しずらいと、すごく残酷なことをして
いても罪悪感が薄れてしまうのかも知れないという気がした。それよりも相手の気持ち
になって置かれている立場や境遇を考えて思いやる感性があれば理不尽な事は減る
のではないかと思う。


『映画 ひみつのアッコちゃん』(2012年)川村泰祐監督作品を観た。
人気アニメの実写版だ。主人公のキャラが少しドジっ子に変わっていた。
鏡の精が男性になっているなどアニメとイメージを変えた独自の内容に
なっていた。化粧するのが好きな小学生が夏休みに大人になって大好き
な化粧品メーカーにアルバイトとして働いて危機を救うという話だった。
温度で色が変わる口紅の技術を戦車や戦闘機の迷彩に使うために吸収合併を
目論む企業から株主総会で化粧品メーカーの吸収を阻止するという流れだった。
化粧品工場に爆弾が仕掛けられて爆発されるのを食い止める。
シッポナという猫はトートバックのプリントにして原作を雰囲気を残して
いるみたいだ。ラストで10年後に大学を卒業して化粧品メーカーの就職試験
を受けるという話だった。カメレオンインクの迷彩は、新鮮なアイデアとは
感じないし昔に見たアニメみたいな夢を感じないで就職というリアルな現実
を感じた。アニメが放送されていた時代の子供は、背伸びして早く大人に
なりたいと思っていたが今の小学生達は、変化の激しい社会情勢の中で
将来の目標を見つけられるのだろうかと考えてしまった。



2014年10月19日

『銀の匙 Silver Spoon』(2014年)吉田恵輔監督作品を観た。人気アニメの
実写版だが「最強に理不尽な青春!!」というキャッチコピーどおり八軒が
進学校から大蝦夷農業高等学校に寮があり親元から離れられるという理由
で入学して実習用に飼われている豚に「豚丼」と名前を付けて面倒を見て
夏休みに実家に帰らず御影牧場でアルバイトした、お金で食肉に加工された
豚丼を買ってベーコンにして皆で食べる。ベーコンを札幌の実家に送る。
御影に馬術部に誘われて家畜の世話で朝5時置きの生活が馬の世話で朝4置き
になってしまう。「副ぶちょー」という犬は、馬術部に最初からいた。
野球部員でクラスメイトの駒場の牧場が倒産して離農すると同時に駒場が
中退してしまう。駒場に見せたいと思いエゾノーの学校祭で、ばんえい競馬を
馬術部で成功させる。だけど駒場牧場は牛を手放し引越しの最中だった。
学校祭の様子を駒場の携帯電話に画像で送る。
ピザの釜を直しチーズを入手してピザを作る場面はベーコンを使ったチャーハンに
なっていた。
駒場牧場の離農まで一気に話が進んでしまい今年は震災から3年経過し都市部
でも廃業が目立つなかで離農の話まで入れてしまい重たい感じがした。
アニメでベーコンと農作物を「等価交換」する話は原作者・荒川弘の鋼の錬金術師
で衝撃を受けたから原点は、この経験だと感じたが実写には入っていなかった。
ばんえい競馬のコースを作って学校祭を成功させてラストでばんえい競馬に出馬する
御影の叔父の馬の名前を「シルバースプーン」にして旨くまとめていた。
駒場は学校の紹介で住み込みで働ける牧場に家族と暮らしている。
段差のあるコースを作るために学校中が団結して土木作業を手仕事でやりとげるのは
ビックリした。たまこがギガ・ファームの娘という部分はアニメを見ていない人には
解らないと感じた。(第一次産業は大変だが加工食品を製造し流通や販売をすることで
伸びしろがあると可能性にかける若者もいると思うが北海道は冬の雪かきなど大変な
ことが多い。私が住んでいた頃は、北海道で暮らすと買い物に行くために往復で
ガソリン代が1000円を超えることもある。バイクを冬に使うのは難しい。
自転車も使えない。公共交通機関の料金は移動距離が長いため高くなる。
最近は温暖化で北海道の米が美味しくなったらしい。)



2014年10月13日

『体脂肪計タニタの社員食堂』(2013年)李闘士男監督作品を観た。
食をテーマにした映画は、テレビの料理番組みたいに気楽に観る
ことができる。ダイエットして体脂肪計の宣伝キャンペーンにする
目的。ダイエットに重点的に取り組む4人のモチベーションなど
恋愛・離婚し娘に会うため・何かを達成するため、など個々の事情
も軽くコメディーとして表現している。副社長の高校時代の同級生
で駅弁研究会のメンバーだった栄養士の春野菜々子と再会して
ダイエットのプロジェクトリーダーとして社員食堂のメニューを
任せる。春野菜々子は新商品発表会も成功してタニタのダイエット
メニュー開発者としてメディアに登場するようになる。他の4人も
ダイエットを、やりとげてハッピーエンドで終わる。
ダイエットを、はじめて2ヶ月で起こる飢餓感による鬱(うつ)で
屋上から飛び降りようとしたり、こっそりカレーを食べようとして
見つかったりするメンバーの「太陽にほえろ」や「踊る大捜査線」
っぽいパロディーなどでシリアスになりそうな部分を笑いに変え
て面白く作っている。「世界の飢餓と肥満を無くす」という目的は、
大げさだけど食をテーマにすると自然と注目するのが人間だと思う。
実際に食材を買う時は、値段に目がいくのでカロリー計算より
価格という選択が多いかも知れないが社員食堂という福利厚生の
場なので気楽に楽しめた。肥満の根本原因は考えないで気楽に
楽しむと面白い映画だった。

 体重計は100Kgまでの仕様が多いのと狭い部屋に設置する
ためジャマにならない玄関や風呂のマットとして使える素材と
形状で150Kgとかが量れると便利だと思った。
銭湯に体重計を設置する感じで店舗や病院や公共施設などで体重
を量ることが出来ると家庭に置かないで済んでしまうかも知れない。
出来れば健康機器とインテリアを両立させた商品開発をしてほしいと
思いながら観た。映画の発明は、エジソンは一家に1台という
コンセプトだったのでリュミエール兄弟になった。1人暮らしが
増えている現在社会はニーズも変化していると思う。



2014年10月12日

『タイガーマスク』(2013年)落合賢監督作品を観た。原作の
アニメが放送されてから何十年も経っているためスポーツの
興業で収益を上げることが出来るのかと考えてしまう時代に
作られたため、なんだかムリがあるストーリーになっていた。
原作をベースに直人は、ちびっこハウスで動物園に行き行方不明
になり「虎の穴」で訓練を受けて地下プロレスで戦いファイトマネー
を得るわけだがミスターXの開発したマスクの目的が不明だ。
虎の穴が裏世界を牛耳っていて世界中に支部があるという設定も
理解しずらい。アクションも昔に見た仮面ライダーみたいな動きが
ない。プロレスの興行どころかオリンピックに出るスポーツ選手に
十分なスポンサーが着いたり企業の雇用があるのか疑問に感じる
時代なので理解したいと思っても難しかった。虎の穴の掟があり
情け〜・公平〜・虎の穴の栄光〜(〜記号は、続きを忘れてしまった)
知恵と力とか他のアニメなどと変えるのは大変みたいだ。
ミスターXの持つキカイダーのギルが持っている杖みたいに
羽の生えたトラの持ち手の杖が何か仕掛けがあるみたいだった。
食事にサプリと言って怪しい薬を配ったりしているけど目的が解らない。
三種類のタイガーマスクがあった。その中の仲間が試合で負けて足の
骨を砕かれて死んで(ミスターXが赤い機械で医者が来る前に殺して
しまうが誰も見ていないため死因は不明)しまい直人は、虎の穴を
飛び出して「ちびっこハウス」の24時間ボランティアとして居候に
なる。「子供のケアと遊び相手は違う」と言われたり虎の穴から
逃げた直人への見せしめに放火するなどストーリーにムチャがある。
時代設定を昭和の終戦後にすると沢山の制作費が必要になるだ。
まだスパイダーマンの地下プロレスで金を稼ぐ話やナチョリブレの
方が解りやすい。スポーツ興業は「お父さんのバックドロップ」
みたいに大変だと思う。仮面ライダーが戦国時代にタイムスリップして
戦う設定の予告編を見てから本編のタイガーマスクを観たから考えて
しまった。直人は、東京の虎の穴を潰し外国で戦い続けるという
所で終わる。アニメではミスターXは工事現場で自動車ごと殺される。
虎の穴のボスを倒し正体がバレた直人は飛行機で外国に行ってしまう。
というアニメの最終回に近い流れではある。エンドロールの後で放火
された後に新築されたちびっこハウスのルリの所に直人から一千本円の
小切手が送られてくる。何とかストーリーを、まとめて映画にしたと
いう感じがしてしまった。これが無いと直人は、ただの厄介者になって
しまう。地下プロレスでは子供に見せられない。火はCGで青い色で
表現しているのでリアルな感じを抑える効果で刺激を抑えて観やすく
なっていた。「虎の穴」が何を目的にした秘密結社で資金源は何なのか
ハッキリしないのが観終わった後でもスッキリしない。
例えばグローバルな軍需産業で兵士に装着させるマスクを開発して
いるとか特殊な薬品を開発しているといった設定と解説がないと組織の
目的の見当も付かない。しかし、これでは009のブラックゴーストの
設定と被ってしまう。時代が変わると価値観も変わるためストーリー
に合わせた世界観の構築が必要だと感じた。昨年にBSで放送されて
から今年に話題になった『太秦ライムライト』も落合賢監督の作品
で面白かった。2011年3月11日の丁度ひと月前になる2011年2月11日に
『あしたのジョー』の実写版が公開されているが『タイガーマスク』
より映画を作る環境が良かったのか良くできていた。アニメ原作が
有名な場合に低予算になると実写を作るのは難しくなると感じた。
今年は地上波で連続ドラマ「明日ママがいない」はスポンサーが
付かないなど映像業界自体が大変そうだと感じる。
この映画で多少は話題になったのか解らないがタイガーマスクの
アニメを再放送で最終回まで観ることができた。



2014年10月10日

『魔女の宅急便』(2014年)清水崇監督作品を観た。名作アニメが
実写版として多く作られ公開されている。少女が魔女の修行のため
親元を離れて1年間を知らない町で生活するという設定は変わって
いない。大きな島の港町で、お届け物屋魔女の宅急便をはじめる。
パン屋にある風車の部屋に住まわせてもらえる。アニメみたいな
テンポのよさは感じない。島の周囲に小島があり船で荷物を運ば
なければならないので需要が見込める。クリーニング屋の洗濯物
を乾燥させる飛行で以外な宣伝効果があり仕事が増えてきた。
しかし黒い封筒を届けて受取人が呪いの手だと怖がって呪われて
いるかも知れないと町の人に噂が広がりキキは、落ち込み
目標(やる気)を失ってしまう。空を飛ぶことしか出来ないキキが
メンタル面で不安定になり墜落してしまう。
そんな時にトンボが人力飛行機の実験で飛び立つが風を読めず海に
墜落してケガをしてしまう。
キキが母親から持たされた薬草が墜落したトンボのケガに役立つ。
もう魔女の修行をあきらめて帰ろうとしている。船が嵐で欠航して
いる時に動物園の子供のカバを孤島にいる獣医の所に運び治療して
連れていってほしいという動物園からの依頼がある。
ゴムボートを箒にロープで結んでトンボに島までの案内を頼み
カバとシンボを乗せたゴムボートを嵐の中をホウキで吊り上げて
島に向かう。ラジオでカバの子供が病気でキキが獣医の所に嵐の
中を飛んで向かっていることを島の人に知らせ応援している。
歌を歌えなくなった歌手が歌う気力を取り戻したりカバの病気
がライオンにシッポを、かじられて中心点不明病になったとシッポ
に懐中時計の着いたリボンを巻いただけで治るなどアイデンティティ
が不安定になるとキキや歌手やカバも自己同一性というか自我同一性
というべき心の支えになったり心のよりどころになるような部分が
不安定なにり必要とされていると感じることだったり目的意識だったり
ショックを受けてからメンタルを安定させる入れ歯みたい目的のリボン
であったりしている。嵐が収まり無事にカバの子供を搬送して島に
向かって飛んでいると島の人達が手を振って迎えてくれる。
そうして1年が無事に過ぎようとしている。となり終わる。
 舞台となっている島は観光地みたいで帽子を被っている人が多い。
自動車は、走っていないが車庫に入った車が1台写りこんでいるの
をみつけた。照明は電気で移動は、自転車が多かった。音楽は
レコードで聞く。通信手段は固定の黒電話だ。テレビは無くラジオが
情報伝達の手段みたいだ。鉄道は走っていない。魔女の血が薄くなり
昔は使えていた様々な魔法が伝承されず忘れられてキキの世代では
ホウキで飛ぶことしか出来なくなってしまったという感じがした。
義務教育は小学校へ飛行機の構造の本を届ける場面があるので
小学校までなのかも知れない。キキの飛行をトンボの仲間が
八ミリカメラみたいもので撮影していたので映画はあるみたいだ。
自転車に乗れないキキがバンを作ったり人力飛行機を作ることが
私には魔法のように見えるというセリフを言っていた。
新聞は存在しているのかは不明だった。離島や僻地の場合は新聞が
郵便で発送されるため届くのにタイムロスがある地域がある。都市部
では建物がオートロックに集合ポストなので朝に部屋で新聞を読むと
いうライフスタイルが過去のものに変化している。
ビジネスモデルや社会構造が変わりライフスタイルの変化を感じて
いる私の世代が見ると戦前の昭和をイメージしながら観てしまう
かも知れない。東洋の架空の国という設定で衣装は少し見慣れない
感じのコーディネィトが良く大道具の自転車もゴツい独特の形の
ものが使われているなど工夫している作品だと感じた。



2014年10月05日

『少女は異世界で戦った』(2014年)金子修介監督作品を観た。何故か
政党の大物が少女達には青く光っているように見えるインベーダーに入れ
変わられていて刀で斬っても血が出ないで倒れて消えてしまう。
今年に入ってから悲惨なニュースが多いのでソードアクションを観るのは
キッいという気分だったが昔の子供向け実写ドラマ『マグマ大使』に出て
きた人間モドキよりスムーズに消滅するので見やすかった。核兵器どころか
銃や飛び道具の弓も無い平和な世界に侵入するインベーダーを抹消している。
刀で斬っているが血が出ないので見ていられる。この4人の少女に1人の
男が指示を出している。国家や秘密結社みたいな大きな組織に所属している
ようでも無い。磁場が0の場所にワームホールが出来て侵入してくるようだ。
4人の少女達が戦っていると何故か同じ4人の少女達がステージで歌って
踊っている。その謎と戦闘に適さない戦闘服の謎は、鳥居に隠された装置
をくぐってパラレルワールドに行くと解る。ドールズのラッピングカーで
移動中に寄った昼食の場面を子供観ていたり無名のアイドルに興味を持つ
食堂の店主とインターネット時代を反映した写真の人物特定への流れなど
テンポも良い。(単館で巡回して公開していくらしい。)
パンフレットが作られていないが入場特典で冊子をもらえた。実はプレスシート
らしい。ATGの時代に「1999年の夏休み」の予算が4000万円だったのが
何と3000万円で作った映画だと冊子に書いてある。百年の時計で金子監督は、
低予算でも苦にならないとコメントを書いていたような気がした。
誰もが日常の生活で生きることが戦いの大変な時代で映画どころでは無いのかも
知れない。
この作品もDVD化はされるか解らない。食事の場面もありラストもスッキリ
していて良かった。ベテランの金子監督が原案の時点で低予算を想定した作品
だから可能だったと感じた。最後まで見て、舞台挨拶があり冊子が貰えてラッキー
だった。パラレルワールドに移動する装置が電磁波と3.11の地震のタイミング
で偶然に成功したり原子力発電をインベーダーが政治家に勧めたりするなどの
ストーリーではカルト教団がパラレルワールドで分岐し一方は平和な社会を作った
政権与党になっていて面白く出来ていてラストの4本の刀が良かった。
(伸縮する日本刀だけど刺したら刃が引っ込みそうな気がするが片腕マシンガール
みたいに回転しないガトリングとか低予算映画の場合はリアルさは深く考えないで
観るのが良い。活動服の警察官の装備まで日本刀だったが、ここは伸縮する十手なら
警棒みたいで違和感が無いと感じた。東京残酷警察は時代劇の衣装ベースに紺にして
使っていたので刀がマッチしていたと思い出して比較し感じた部分もあった。)
日本の戦国時代にはヨーロッパより火縄銃が多く悲惨な戦乱が続いて徳川の時代に
飛び道具を使わない方向に向かったらしい。グローバル化した世界で日本がどのような
方向に向かうのか検討も付かないが平和で安定した状態が映画やドラマを楽しむことが
出来る環境ではないだろうか?激変する社会で観客の価値観が数ヶ月で変わって
しまう時代に映画を作るのは大変だと感じる。世界中が不安定な社会状勢ではピリピリ
して笑いや寛容性が失われていくような感じがする。



2014年10月04日

『 謎解きはディナーのあとで』(2013年)土方政人監督作品を観た。テレビ
のドラマを観ていないので、富豪の警部と令嬢の刑事と毒舌執事という設定
で、こち亀っぽい感じを受けた。豪華客船を使って怪盗がケイライオンと
セイレーンの涙というブルーダイヤを狙うという内容みたいだが一気に集中
して観るには、今まで観たことのあるカイジのカジノ船やディナーの場面が
無人島でディナーをサバイバルで作るとかで豪華なディナーの場面がなくて
なんだが集中して見られなかった。いっそ名画のシーンのパロディーをテンポ
良く混ぜ込んで楽しめる感じにする方法もあると思う。トリックや推理は
名探偵コナンみたいな流れで、ライオンの像を狙う2人の黒い姿がコナンの
犯人を推理している描写のパロディーだと解っても笑える感じでは無かった。
でみた映画をアイデアのつぎはぎになっている感じがして微妙な違和感と
時間が長く感じてしまった。「歴史は夜作られる」と「さすらいの航海」みたい
な食事の描写を期待して観たのがマズかったようだ。セイレーンの涙を
イミテーションとすりかえるとかルパン三世で使い古された感じのネタだ。
マルサの女のシリーズで宗教団体の赤いルビーが狙撃で割れる場面を執事が
セイレーンの涙のレプリカを落として割る前に思い出して予測してしまったり
してしまいドラマの流れを知っていないとコメディーとして楽しめないのかも
知れない。赤外線警報も最後の航海という設定だけど古いセキュリティーに感じた。
タイタニックのマネも、使い古されたネタで、ああそうという感じだった。
時代の変化が激しい時代だけに原作から公開時期までの期間に観客の価値観が
変化してしまう時代なので5年前は、面白いと感じた映画の中には観たくないと
感じる作品もある時代にタイミング良く、その時代の観客の求めている映画を
作るのは難しいと感じた。今年、の春にセウォル号の事故があり破綻した
海運会社の元執事が乗務員として関与していたりという設定も微妙な印象を
増加させたのかも知れない。
羽の折れたライオンの、ものまね1発芸も笑えないのは公開時期とテレビの
オンエアの時期の1年の間に大きな事故や社会変化があった影響を感じた。
「お嬢様の目は節穴ですか?」を「お嬢様の脳は難破で思考停止中ですか?」
みたい毒舌にしたみたいだ。観ている私の脳が難破だか座礁状態だったので
睡魔と闘った感じだったのかも知れない。怪盗がイルカのハンカチと宝石を
すりかえていた部分だけは、良かったと感じた。五年間、厨房で働き婚約指輪
を見せてプロポーズした外国人が何処かの小国王子様だったり最後の航海を
終えた船長への感謝のメッセージを書き間違えていたり小ネタで頑張っていた
けど令嬢デカと執事の掛け合いのコメディーの量を増やして鑑賞者の気を引く
などで完成度を高めてほしかった。



2014年09月16日

今日、「ボックス!」李闘士男監督作品がNHK BSプレミアム PM8:45〜PM10:53で
放送されます。2010年にリングウェアの衣装協力をした映画です。原作は「永遠の0」で
有名な百田尚樹氏です。


2014年08月24日

2014年8月11日にロビン・ウィリアム氏の訃報があった。
パッチ・アダムスという作品が1番印象にのこっている。
レナードの朝にアンドリューやジュマンジなども観た作品だ。
アメリカの社会保障制度が、15年ほどで激変してしまい日本人の
私にもハリウッドの故楽映画の描写の中からタマに問題点が読み取れる
程だ。パッチ・アダムスを観たときアメリカの国民の貧困化が始まった
時期で日本では、国民皆保険でセーフティーネットが当たり前だった。
日本で戦後に起こった「セッルメント運動」みたい事をロビン・ウィリアムズ
が演じるパッチ・アダムスが行っていたのか変化に気付かずに意味が解らないまま
アメリカが抱える不法移民などの理由による貧困状態だと思い込んでいた。
アメリカ社会の制度の変化に気が付かないままだった。
私にはアメリカでは医療保険の民営化が悪く機能して国民の命をビジネスにして
病院の窓口が国民から富を集めるシステムになってまったかのように見えてしまう。
(レイン・メーカーという映画みたいに)
 英国にはノブレス・オブリージュという考えかたがあり持てる者が富を再分配する
伝統がある。上手く機能してほしいと願う。そのイギリスでは、スコットランドが
独立するかどうかの選挙が来月(9月)に行われる。グローバル化した世界にどう
影響するのか解らない。(私が子供の頃は香港と韓国の違いが解らなかった。)
 今までの産業構造やビジネスモデルが21世紀になり激変し社会システムが変わった。
運輸・流通・通信の変化も大きい。テレビ・新聞・出版・ラジオもインターネットの影響で
変化している。日本への影響もあるだろう。この先に何があるのか注意して様子を見る
時期だと感じる。ここ数年で気象の変化も大きく自然災害も急に増えている。
若者にルールとゴールを明確に示すことが出来る社会を築くことで世界が安定すると思う。
私にも、その方法も方向も見当が付かない。とにかく良い方向に向かってほしい。



2014年08月01日

『GODZILLA ゴジラ』(2014年)ギャレス・エドワーズ監督作品を観た。
爬虫類型の巨大生物と昆虫型巨大生物の戦いが高層ビルがある都市部
で行われて爬虫類型の巨大生物が勝って海底に戻っていった映画だった。
日本のゴジラを、しっかりと理解して上手にリスペクトしているとは
思えなかった。ゴジラは放射能を食料としているので原発事故や核を
使う恐ろしさが薄まってしまう感じを受けた。昆虫型巨大生物のムートー
は、羽の有無で雄と雌が異なる。電磁波を吸収するため近くの電子機器や
バッテリーで電気を供給するエンジンも止まってしまう。蒸気機関や
ゼンマイなら影響を受けない。そのために、いきなりジエット機が墜落
したりする。1999年に日本の雀路羅(じゃんじら)市で原子力発電所の
事故が起こる。ジョー・ブロディと同じ原発で働いていた妻サンドラ・ブロディ
は、ジョーの目の前で脱出に間に合わず命を落とす。そして15年の時が
流れる。ジョーとサンドラの息子フォード・ブロディは大学を卒業して
アメリカ海軍の爆弾処理の仕事をしている。階級は大尉だ。妻のエル・ブロディ
はサンフランシスコ総合病院の看護師でサム・ブロディという息子もいる。
ヒーローを作るのはハリウッド映画の特徴だがムートーやゴジラが相手では
家族関係のヒューマンドラマみたい印象になっていた。
フィリピン・日本・ハワイ・サンフランシスコと怪獣達は移動していく。
芹沢猪四郎博士の持っていた父の形見の懐中時計は8時15分で壊れて止まった
ままだ。壊れた重い懐中時計を持ち歩くのは不自然だと感じた。家の金庫や机の
引き出しや仏壇に保存するのが一般的だが、遺品をお守りにして持ち歩いている
と理解した。ステンツ提督が三匹の怪獣が集まった所で核兵器で攻撃する為に使用
する作戦を許可する。ハワイでフォード・ブロディ大尉は、空港に向かう途中で
電車の扉の開閉で両親とはぐれた子供を両親の待つ駅に送り届けようとする。
防護扉で妻と死別した父の場面みたい感じがする。しかしムートーで電車が
止まってしまう。避難所で子供と両親は再会できた。フォードの父ジョーは怪我
をして搬送される途中でヘリコプターの中で息を引き取る。フォードは軍の作戦
に加わりサンフランシスコに移動して妻のエルと再会できる。核弾頭を担いで走る
場面は、アメリカのヒーロー的な行動を表現していたと思う。しかし三匹の怪獣が
戦ってゴジラが2体のムートーを倒す。ムートーの産卵が終わって沢山の卵の中に
ムートーの子供が孵化しようとしている。ゴジラは海底に戻っていく。
芹沢博士はゴジラが助けてくれたみたい事を言って背中を眺めていた。
高層ビルが怪獣に破壊される場面はリアルだけど被害が大きすぎて恐怖を感じた。
ムートーの足は人間の足みたい造形で丸みがあるが顔などの上半身は直線的な
フォルムで不自然な感じがした。
コジラのフォルムも直線的で生物という感じが日本の着ぐるみの特撮と違い冷たい
印象だった。CGならロボットと相性が良いと感じた。BGMやゴジラの鳴き声は、
日本の聞きなれたものと違い新しく作られていた。全体の流れとしては、大きな力
に対して人間の無力感が残るラストだった。続編が作られるらしいので大量のムートー
の卵がどうなるっているか興味がわく。日本の放射能による立ち入り禁止区域は、
タコルフスキーの「ストーカー」の立ち入り禁止区域を、連想させる。
津波が押し寄せて繋がれている犬が自力でリードを外して逃げる場面は犬好きウケ
する場面だと思う。戦車や戦闘機や銃が役に立っていなかったけどスタジアムの
避難所や救護施設は活躍していると感じた。芹沢博士=眼帯だ。ワルキューレみたい
に義眼に目薬を点す場面があればオリジナルをリスペクトしている感じが強調できた
かも知れない。日本の特撮のゴジラを知らなくても全く別ものとして観て貰いたいと
いう事かも知れない。目に見えない放射能恐怖と巨大で目に見える恐怖に物理的な橋
や高層ビルの破壊と恐怖がいっぱいだった。



2014年07月21日

『思い出のマーニー』(2014年)米林宏昌監督作品を観た。スタジオジブリ
のアニメ映画で原作は、イギリスが舞台だが北海道の札幌に住んでいる中学
生の杏奈(あんな)という少女になっていた。マーニーは金髪に青い目をして
いる。根室の湿地の洋館が舞台だ。最初に学校の美術の授業でベンチに座って
写生していると喘息の発作を起こしてしまう。
そのため札幌から喘息の転地療養で根室まで行って一夏を過ごすが学校で発作
を起こして家に往診を頼むのは不自然だと感じた。携帯用のメプチンエアで
発作が止らないと点滴が必要になる。温度変化や急激な運動による運動発作も
考えられるから近くに急患を受け付ける病院が必要だと思うが・・・喘息の患者
の場合は、ムリをして自分は大丈夫だと考えてしまうから怖い病気だ。
劇中にストレスや運動でぜんそく発作を起こしそうな描写があり私まで不安に
なってしまった。ここでリアルに病院で点滴する描写まで入れると楽しめるアニメから
遠ざかってしまうので、あえて不自然になっても自宅に往診して全体に影響させない
為に医者が往診に来る設定にしたようにみえた。
更に往診に来た医者が帰った後で「お金を使わせちゃったね」という主人公の
セリフがあり東京都の18歳までの医療費助成制度がない札幌と東京の医療格差を
練り込んでいるのかも知れないと感じた。
しかも東京の場合は、来年の春で喘息の医療費助成制度の新規申し込みが
打ち切りになる。意図してか偶然か判らないが気になった。
おそらく海外でも公開されるからWHOが発表した2012年に大気汚染で
地球上で亡くなった人数が700万人なので喘息患者が増えていることで
気にする人は、海外の方が多いかも知れない。時代設定は、明確でないが
3.11以降にみられる学童用の帽子が登場しているので現在だと思える。
携帯電話やテレビが登場させないのは、地上波がデジタルになりブラウン缶
テレビが使われなくなったり携帯電話がスマートフォンになったり変化が
激しく明確な時代設定が解ってしまうからだと思われる。
沼地の屋敷は戦前の感じがした。パーティーの場面や蓄音機やマーニーの
ポートやランプで違う時代だと気づく部分が伏線だ。マーニーと杏奈の関係
は、七夕の提灯行列に参加して短冊に「毎日を普通に過ごせるように」みたい
事を書いて地元の太った少女にからかわれて杏奈の目に青い部分があると
いわれる場面だ。
 後は主人公の杏奈が草っ原をショートパンツで走りまわると足が草で切れて
しまう。北海道の草は針葉樹みたいに硬いので夏でもジーンズが良いと思うが
主人公のビジュアルを重視してショートパンツを選択したように感じた。
これが南の暖かい地方だと草がソフトなのかも知れない。このあたりは北海道
に住んだ事のある人でも藪に入る機会がないと見落として気にならないと思う。
杏奈の両親が自動車事故(自損事故)で2人とも死んで杏奈だけ残されて
5才まで祖母のマーニーが育てていたがマーニーの記憶が杏奈から消えて
いたのが根室の湿地屋敷で祖母のマーニーに赤ん坊の時に聞かされていた
話を思い出して戻っていく。マーニーを知っているイーゼルにキャンパスを
乗せて絵を描いている久子や東京から沼地屋敷に引っ越して来てマーニーの
日記を発見して杏奈に教えてくれるメガネの「さやか」という好奇心旺盛な
少女や転地療養先の大岩家の近くに空き家の沼地屋敷があることは、不思議な
偶然だ。私は北海道出身なのでサイロを見ても何も感じないし砂浜でサイロを
作ったりしないが原作の風車をサイロに置き換えていた。サイロで雨に濡れて
しまう道で意識を失って運ばれた場面でも医者が往診にきていた。
この連絡で里親が札幌から杏奈を預けた親戚の所に向かえに来るあたりで
養子の扶養手当の話と愛情の問題が原作みたいに解決する流れになっている。
親戚の大岩清正の車が4WDなのは納得できたし二重窓になっているのも
厳しい冬を乗り切るのに北海道では必要な点を考慮していた。雑な設定だと
注意して見ないが、設定に、かなり凝った作りだけに見る側も注意して見る
という感じで地元トリビアをチエックしてしまった。
主人公の少女、杏奈がどう成長していくのか気になる。
沼地の屋敷は、ボートに杏奈を乗せてくれる10年に1度しか話さないヒゲの
濃い男が関係しているような気がした。
赤毛のアンと思い出のマーニーは孤児という点で共通している。
杏奈の母親が養護施設で人格が変わり母親と疎遠になり結婚して夫婦で杏奈を
残して死んでしまい夫を亡くして唯一の血縁になった祖母(マーニー)が孫である
赤ん坊を引き取って育てていたなど重い話も含まれていた。
杏奈の母親と恋人がオートバイで走り去る後ろ姿の場面で排気量の大きい
スポーツタイプのバイクに見えた。バイクウェアを着て乗っていた事から
判断できる。ドラマで話題になった「明日ママがいない」で観た話を連想して
しまったりもするが中学生の少女の里親との心の絆が強まったという事で先は
考えないで少女の動きや北海道の景色などを楽しむと良いと感じた。
親戚の家でのトマトや刺身が美味しそうだった。(私は夕張で生まれたので
品種改良される前の夕張メロンを2つに切って種を捨てて窪みに砂糖を入れて
冷蔵庫で冷やして食べる事が多くスイカよりメロンを食べることが多かった。
主人公の病気が原作になかった喘息なので楽しむというより気が重くなるから
現実の部分は深く考えないで見て楽しんで見終わってから考えてほしい。
主人公の杏奈はデッサン力が、すばぬけている。中学生にしては上手すぎる。
更に洞察力がありそうだから大人になると何かを成し遂げるかも知れないと
いう気がする。同時にスタジオ・ジブリの向かう未来にも期待したい。


2014年07月01日

『フリック・ストーリー』(1975年)ジャック・ドレー監督作品を観た。
アラン・ドロンが出ていて映画が、はじまるとコゲ茶色の革靴にグレー
のスラックスで裾はダブルでモスグリーンの軍用トレンチコートが足元
の靴を中心に映し出される。勤務先の内務省の中にある国家警察の敏腕
刑事をアランドロンが演じている。日本だと国家上級公務員のキャリア
みたいだ。主任の仕事をしているが肩書きとして正式に主任になってい
ない。キーホルダーにポリスと刻印されたメダルを見せる。第二次世界
大戦後スグで1940年代末なのでフェンダーの付いた車が使われている。
職場に出勤すると上司にエミールという凶悪犯罪者が脱獄したので
警視庁より先に逮捕してほしいと指示される。フランス国家警察局の
ボルニッシュ(アラン・ドロン)は部下が逮捕して取り調べていた男が
犯罪者の密告をしたので情報屋として使う事を条件に釈放する。
密告した犯罪者は戦争中にナチスのゲシュタポの協力者たでったからで
情報屋でないと困惑しながら引き受ける。「エミールが店に寄ったら知らせて
くれ」と言われ顔色を変えると「模範囚で仮釈放された」と言う。
エミールはレストランで食事をして客の宝石やサイフを袋に入れろと
手下のギャングを使って銃を突きつけて略奪する。そして黒いオートバイで
追跡してきた警官の1人が転倒し相棒が追跡するとワルサーP38で射殺して
しまう。逮捕まで何人が射殺される。あげくにエミールが盗品を取り引き
する所から尾行して逮捕する為にエミールが使うワルサーP38を警察で用意
してほしいと上司に頼み、我々を撃つための銃を用意すてやるのか?と言われ
るが逮捕の為に結局、エミールの手に渡るように情報屋を使う。
エミールを逮捕して、ひたすらタイプライターで調書を取るが午前中はエミールが
新聞を読んで午後からボルニッシュが集中してタイプライターで調書を作り1年で
調書を積み上げると厚みが1m50cmになった。そしてエミールは死刑になって終わる。
フランスなのでギロチンだろう。
派手なアクションは少なく無表情で感情を出さない犯罪者エミールと官僚的に
淡々と仕事をこなすアラン・ドロンがスマートに仕事をしているように今の
時代に見直すとリアルに感じた。アランドロンのスーツはグレーのツイードで
肩のヨークの下にセンターにボックスプリーツが入り左右の脇に片倒しのプリーツが
脇線側に入っている構造みたいだった。
最近、何処かで読んだがアメリカの死刑は26分かかるらしい。私の記憶に残っている
数年前にテレビで観た執行の場面では受刑者を苦しめないで夕方のテレビで見せられる
から放送したという感じで刑の執行が出来る薬を使用していたように見えたが死刑反対の
国がクスリの輸入を禁止したために代用になる薬を使用しているからなのか解らない。

 邦画では『警察日記』1955年、久松静児監督の職業安定法44条の違反を繰り返し
貧しい農家の娘に女工の仕事を斡旋して金を稼ぐ老婆を逮捕するが会津の警察署に
労働省の役人が出張して来て、自分の所の事件だから引き渡すように言うが、
警察署の全員は、この事件は自分達が担当すると言い出す。天丼かカツ丼か解らない
が取り調べの時に、この映画のシーンで初めて使われたらしい。交番や警察署は市民の
財産だと町の食堂は公務員割引で出前を届けて社員食堂のあるサラリーマンより厳しい
地方公務員の経済状況を補おうとしていた時代があった気がする。
終戦後の警察官は、民主警察として市民の事を親身に考えていた様子が、ほのぼの
する。公務員の安い給料(昔の警官はサラリーマンより貧しかった)で保護した孤児を
引き取って育てようとしたりする姿は、人間として立派だ。行政の隙間まで埋めようと
努力する姿に正義感や使命感だけでなく現在社会に見られなくなった「善人」
だと感じる。高度経済成長前の正義感と道徳観を持ったヒューマニストが輝いた時代
を感じた。出張先で労働省の役人が酔っ払ってトラ箱に泊まってしまいバツが悪くなり
事件から手を引いて地元の警察署に任せて中央に戻っていく。そんな映画を思い出した。
昔は、犯罪だった事が正しくなり昔は、法律で良かった事が犯罪になったりする
世の中は、疲れる。警察は政権や体制が変わっても普遍性や安定性を持った司法と
して振り回されないでほしいと思う。海外の海上保安庁や海上警察も海事法を守る
仕事をしているのだから現場でゴタゴタするより海の安全を守るために協力して
ほしいと、それぞれの国の方針があるから難しいだろうし理想論と言われるかも
知れないが最近のニュースを観て感じる。インターネットが携帯電話で使える今の
時代こそ、それぞれの歴史を良く知ることで理解しあえると世界情勢が良い方向に
向かうと思う。但し、電子情報だけに頼らずネットに公開されていない事は関連書籍で
リテラシーする事が大切な時代だと思う。



2014年06月05日

『ひまわり〜沖縄は忘れない あの日の空を〜』(2012年)及川善弘
監督作品を観た。
1959年に沖縄の宮森小学校にアメリカ軍のジェット機が故障して
激突した事故と2004年8月13日に沖縄国際大学に輸送ヘリが墜落した
事故から沖縄国際大学の学生達が単位を取るために事故で助かった人
から当時の様子を聞いて単位を取るためのレポート作りからピース・
スカイコンサートを成功させるまでの話だった。
小学校に墜落したジェット機は墜落前に搭載していた爆弾を海に落として
大爆発を防いでパラシュートで脱出しているから事故を大きくしない
努力はしている。運が悪く脱出した飛行機の墜落場所が小学校だったと
言えない。琉球の時代は床の間に本州は刀を飾るが沖縄は楽器を飾り
侵略国との外交に役立てていたらしい。現在でいう文化交流みたい感じだ。
沖縄が日本に返還される前の場面は、白黒にして小学生が事故で
火傷やケガで血を流して死んでしまう場面を和らげたりしていた。
衣装や大道具も白黒にする事で製作費を節約する事が出来ているみたいだ。
が基地で働くことで生活する沖縄の人がいる一方でアメリカの若者は
将来への投資だと学費のローンを背負い軍隊に入る事で返済を免除され
る事や軍に入ると医療保険を家族が受けられるなど切実な理由で入隊して
いる状況があると思われる。国連で「債務奴隷の禁止」をしているが
近い状態に感じられる。「貧困大国アメリカ」という岩波新書を読んで
70年代の豊かなアメリカでない社会へと激変している事がわかった。
アメリカの娯楽映画に登場する描写で感じる違和感の意味が解った。
基地で働く沖縄の人もアメリカ軍の若者も安定して勤められる雇用が無い
地域なので職業を選択する余地が無い。日本とアメリカの国民が、それぞれの
置かれた状況を考えて観ると内容やテーマが重たい映画だ。
「近くから見れば悲劇でも遠くから見れば喜劇だ」というチャップリンの
言葉が思い出された。全身大火傷で亡くなった少年の親が火葬で二度も
火に入れるのか!と悲しさや悔しさを滲ませるセリフと沖縄は1年中ひまわり
が咲いている。希望の花だという。ラストでコンサートのスピーチが飛行機の
騒音でかき消されて、このままでは、いけないと感じさせてエンドロールに
つながった。経済のグローバル化で1国の問題では無い時代なので世界中の
誰もが平和を実感できる時代が来てほしい。戦争をテーマとした映画を
エンタティーメントとして楽しむには現在はタイミングが悪いと感じる。
沖縄の基地の問題も何時、過去の物になる時代が来るか解らない。
教育や医療が保障された安定した世界から未来への希望が生まれるのではないか
と考えさせられた。しかし理想だけで方法が解らない。ただ今の時代のままだと、
ひまわり畑から「星守る犬」を思い出してしまう。何か希望を発見したい。



2014年05月28日

『天国の門』(1980年)マイケル・チミノ監督作品を観た。
1870年にハーバード大学を卒業場面からはじまった。それから
20年の時が経ちジョンソン郡の保安官になったジェームズ・
エイブリルがワイオミングに汽車で現れる。農地を開墾して
アメリカに根を張ろうとする移民が牛泥棒をして餓えを凌ぐ
状態で畜産組合は牛泥棒を処刑しようと125人を射殺する。
闘鶏の場面は良く出来ていた。フランス系移民エラはエイブル
の前で射殺されてしまう。移民抹殺は、超放棄的措置で業界団体
の意向を政府が認めて実行されてしまう。
牧場主の雇われガンマン達と移民達との戦いがあり軍隊も移民
抹殺に加担する。それから時が経ってエイブルは1人の女性と
クルザーに乗っているラストだった。長い映画だった。
植民地の場合は、先住民を支配するが移民受け入れの場合は
先に住んでいる人の既得権が奪われる弊害がある弊害があると
思われるが若者を不安定労働層のフリターにして労働力の
調整に利用された事を移民に対して行われるかも知れない。
EUが移民排斥を政策にする政党が議席を増やしたらしい。
なんだか地球規模で軍事バランスやビジネスモデルなど大きな
変化がありそうな気がする。とにかく国籍・民族に関係なく
人命を大切にしてほしいと思う。
武力衝突になると死人や怪我人が出る。中には生きるか死ぬか
という二者択一で考える人もいるが長期間死ぬまで障害で苦しむ
こともある。2012年に地球上の大気汚染で年間700万人が
亡くなったとWHOの発表があった。健康被害にあっている人数
は、もっと多いと思われる。一時的な経済的利益や感情に流され
ず人類が苦しまないで生きられる方向に向かってほしいと思う。



2014年05月11日

『アナと雪の女王』(2013年)クリス・バック、ジェニファー・リー監督作品を観た。
 最初に短編アニメ『ミッキーのミニー救出大作戦』の後ではじまった。
荷馬車を車に乗ったピートが気に入ったと捕まえてミッキーが助けるために
追いかけるが白黒のスクリーンと3Dのスクリーンで分離されて過去と現在の
表現は面白いがトムとジェリーみたいなバイオレンス感が気になった。
 『アナと雪の女王』は、アニメーションとミュージカル映画を合わせた感じだ。
アレンデールのエルサは触れた物を凍らせる力を持って生まれた。
幼少の時は妹のアナと雪だるまのオラフを作る。そして魔法で遊んで
いるとアナの頭に当たってしまう。両親が城の図書館で治療方法を探し急いで
トロル達の森に連れて行ってアナの頭から魔法の記憶だけ消してもらい助ける。
姉のエルサは遊んでいた時の不慮の事故を悔やみ部屋に引きこもってアナとも
会わなくなってしまう。人と接すると恐怖心から魔法で傷つけてしまうと気を使っている。
それから少しして国王とお妃さま(両親)が船で国を留守にして出かけて嵐で亡くなって
しまう。その時もエルサは部屋から出てこない。それからエルサが成人して戴冠式が行われる。
エルサは、魔法を使わないように神経を使って戴冠式を終える。秘密の力が自分の意思で
コントロールできない状態のため手袋を嵌めている。舞踏会になり妹のアナが港で出会った
ハンス王子と婚約したと言ったためにエルサは驚いて国を凍らせて怪物と思われてしまう。
そのため1人でノース・マウンテンに自分の居場所を作る。氷の城の造形魔法はみごとだ。
周囲に迷惑をかけないためだったがアレンデールの国は夏なのに氷に包まれたままだ。
国の氷を溶かしてもらうためにアナは姉のエルサの所に頼みに行く。馬が途中で進めなく
なった時にトナカイのスヴェンに乗ったクリストフと出会いノース・マウンテンに
乗せてもらう。途中で狼の群れに襲われてクリフトフのソリが谷に落ちて壊れてしまう。
アナは弁償すると言うがアナが途中で死んでしまうと弁償してもらえないとクリストフは
最後まで案内する。エルサの氷の城でアナはエルサが氷の溶かし方が解らない事を知る。
そしてエルサが使った魔法がアナの心に当たってしまう。1人にしてほしいと雪のゴーレム
を作って2人を城から追い払う。クリフトフはトロールの所にアナを運ぶがトロールから
「真実の愛」でないと助けられないと教えられる。アナとクリフトの会話で1度会っただけで
婚約した事を不思議がられる。これが伏線となる。だがクリフトフはアナの婚約者の
ハンス王子だと思い城に運ぶ。エルサは、氷の城で氷のシャンデリアが落下した衝撃で
気絶してハンス王子に城の牢に幽閉される。ハンス王子は城に戻ったアナが死んだと
エルサに嘘をついて王国を乗っ取ろうとする。エルサはショックで氷の魔法を使い
牢から出てしまう。そしてハンス王子にアナを殺したのはお前だと言われ悲しんで
いるエルサの首を刎ねようと剣を振り下ろした瞬間にアナがハンス王子の剣を氷の
体になって食い止める。エルサは凍ったアナを抱いて涙を流すと氷が解けてアナは
助かる。ハンス王子の本性を城の人達が見ている。そしてハンスは自分の国に送り返され
る。貿易でエルサの国の富を奪おうとしていたウェーゼルトン公爵も貿易を断られる。
クリフトフはアナから新しいソリを渡されて恋人になる。エルサは国民に魔法の力が
ある事を理解され受け入れられる事で力をコントロールできるようになる。
そして子供の時みたいにスケートができるようにして楽しむ。雪だるまのオラフは
融けないように頭の上に雲を作ってもらう。雪のゴーレムは氷の城に1人戻りティアラを
拾って頭に乗せてハッピーエンドになった。「真実の愛」は恋だけでなく家族を思う愛
だったり多様性があるという感じだった。ワンピースの青雉(あおキジ)やフェアリーティルの
グレイの氷を操る力みたい感じだったが氷の城や氷のレースのドレスなど流石ディズニーの
技術だと関心させられた。エルサの力は、王国で食品の冷凍保存やイベントなど平和利用して
ほしいと感じた。雪のゴーレムを作って軍事利用する事が無いようにと考えた。
人間は置かれた状況や立場で変わると言う事を示唆している感じもした。
雪だるまのオラフの南の国への憧れを映像化して楽しませてくれて退屈しないで
楽しめる作品だった。



2014年05月06日

『いつも2人で』(1967年)スタンリー・ドーネン監督作品を観た。
飛行機にベンツを乗せて旅に出る。旅行カバンはルイ・ビトンの
モノグラムだ。そして飛行機の窓から見下ろした船が回想となり
2人の出会いの場面になる。フランスを車で移動する
が若い2人はヒッチハイクして移動する。それから中古車で移動し
てヒッチハイクで乗せてもらえなかった車で同じ道を移動している。
若い頃は、ホテルに泊まるよりもテントに寝袋という生活から
豊かになっているが結婚して女の子ができているようだが電話で
会話している。建築家の夫マーク・ウォレスと行動を共にしている。
車両火災で消防車の使用料金や税金を請求されて壊れた車を押して
捨てようとして農家の納屋を壊してしまい通りかかったロールスロイス
の富豪が代払いしてくれる。そして建築家だと知り仕事に恵まれるように
なり上流階級に人気の世界的な建築家になる。はじめはシカゴ大学で建築
を学んだがバスの停留所の設計をしていたらしいと会話からわかる。
工事現場まで、いつも一緒にいる夫婦だが妻のジョアンナと意見が
対立することもある。マークはパスポートの管理が下手で出会いも
ジョアンナがパスポートを見つけた事から行動を共にするようになる。
口喧嘩しても2人で過ごした道で過去を思い出して丸く収まる。
ヒッチハイクからGMの中古車そして能率コンサルタントのワゴン
に同乗しての移動。マーク1人での移動。そして成功してベンツで
の移動と旅の移動手段が豪華になっていく。人の手が入っていない
砂浜でプロポーズした場所がマークの設計したリゾート地になり
工事で砂の城が壊される場面などで幸福とは何か考えさせられる。
流れが人生ゲームというボードゲームを思い出させる映画だった。
時間の流れが複数なのでオードリー・ヘップバーンの着ている服や
移動に使っている車で識別して観るとないと理解しずらい。
ローマの休日の「リベリアでは、すぐ日が沈む」(ハッハリしなしが)
とテントがいきなり下りて暗くなった時に言うパロディーや友人の車
での移動で早送りで見せたり人生が道路で標識がありラストは三叉路
を走る車で終わる。
60年代後半の映画なので車が普及しはじめた時代背景は開発が
進み所得も増えた時代だ。
50年程、経った21世紀の現代に観ると半生を振り返るのに
良いと感じた。



2014年04月20日

『飢餓海峡』(1965年)内田吐夢監督作品を観た。
前後間もない昭和22年に起こった北海道の質屋の
強盗放火事件の犯人と旅をする事になった犬飼多吉
(三國連太郎)は台風で、青函連絡船の層雲丸が転覆し
救助している消防団に変装して小船(手漕ぎボート)を
借りて救助に向かう人達に紛れて嵐の津軽海峡を本州に
渡ろうとするが強盗犯の2人が仲間割れを起こして
海に落ちて犬飼だけが助かり船に大金が残されていた。
海難事故で遺体が多い事に疑問を持った刑事が捜査するが
事件は解決しない。
病気の父の為に娼婦になっていた杉戸八重とバスか汽車か
ハッキリしないが犬養が乗り合わせ、にぎり飯を貰う。
そして青森の杉戸八重の店に一晩泊まる。犬養は酒もタバコ
もやらない。遊ぶタイプではない。そして八重の身の上話を
聞いて闇屋で儲けた金だと4万円を新聞紙に包んで渡して
出て行く。八重は、東京の亀戸で働き10年の時が流れる。
事業家の樽見京一郎が3000万円を受刑者の更正にと寄付
したと新聞のニュースで読み犬養の顔と樽見の顔が同じだと
気が付く。そして会いに行って樽見に絞殺される。それを見た
樽見の部下も絞殺され雨の中を2人が心中したように海岸に
捨てられる。東舞鶴署の味村時雄刑事(高倉健)が偽装殺人だと
捜査して当時事件を担当していた弓坂吉太郎刑事が現在は、
函館少年刑務所の刑務官として働いている事を知り捜査の
協力を頼む。しかし旅費が出せず弓坂は自費で味村と行動を
共にする。そして一部の自供を引き出すが北海道に行かないと
話せないという犬養と連絡船に乗って海に献花した瞬間に犬養は
手錠のまま海に飛び込んで自殺してしまう。
とにかく大勢の人が死んでしまう海難事故の恐ろしさと貧しさから
必死に這い上がって遊びに金を使わないで寄付を続ける犬飼が
悪人なのか善人なのか考えさせるキャラクター設定が人間の二面性を
良く表現している映画だ。(セーラー服と機関銃やマルサの女で宗教団体の
代表役で観た三國連太郎の名演技を思い出した。)
 このタイミングで海外で船の転覆事故が起こったとニュースが流れている。
船底が上を向いていてポセイドン・アドヘンチャーみたいに見える。
積荷の固定や避難誘導に不手際があったらしい。せめて海猿みたいに
救助活動は成功してほしいと願う。



2014年04月06日

『追憶』(1973年)シドニー・ポラック監督作品を観た。
ロバート・レッドフォードとバーブラ・ストライサンドが
出ている。映画音楽は有名で1973年のアカデミー主題歌賞を
受賞している。印象的なのは、ケイティ・モロスキーが大学で
学生運動をしておりマイクで演説している。時代はアメリカが
第二次世界大戦に参加する直前でヒットラーとムッソリーニが
スペインを侵略しはじめた時代だ。ハベルはアルバイトして
学生運動するケィティをオーフンカフェでビールを飲んでいる時に
見かけてビールに誘うが話をしてケィティは帰る。この時にハベルは
ケィティのほどけた靴紐を結ぶ。
そして時が経過して第二次世界大戦が終わる1年前にケイティ・モロスキー
とハベル・ガードナーがクラブで再会する。ケィティーはラジオ局で働いている。
ハベルは海軍大尉になっている。この2人がナイトクラブで偶然に
再会する。そしてケィティーはハベルを自分の部屋に泊める。
ハベルが部屋に脱ぎ散らかして眠ったハベルの軍服に朝、アイロンを掛けている。
ケィティーは食料の配給券を全部使ってハベルの為に料理を作る。
2人は大学の同級生で文学を勉強して小説家を、めざしていた時代を
回想する。ハベルは海軍に入る前に小説を一冊出していた。
戦争が終わり2人は、ハリウッドに移り脚本家として働き認められ
はじめるがレットパージ(マッカーシズム)が起こりのちにハリウッド・テンと
呼ばれる10人が職を奪われる。政府によって映画関係者が良く集まる部屋の絵に
盗聴器が仕掛けられているのを見つける。
これらの問題に反対して言論の自由を守ろうとハベルとケィティーたち映画関係者が
ハリウッド十字軍としてワシントンに抗議に行く。人権も言論の自由も無い時代
で赤狩りの激しさは増す。公聴会で尋問され内心の自由も脅かされていく。
「密猟は終わり魔女狩り解禁ね」というメイドのセリフが印象的だった。
そんな中でフランスに行きたいと考えていたケィティーが妊娠し出産すると同時に
ハベルと離婚する事を決める。社会情勢が2人を引き裂く。ケィティーはハベルと
離婚する事でレッドパージの対象からハベルを守るためだ。そして数年の時が流れて
離婚したハベルとケィティーは街で偶然に再会する。ハベルは再婚してテレビの仕事を
して成功している。
ケィティーも再婚して原爆実験反対の署名活動をしている。ハベルは娘の事を聞く。
自慢できるし新しい父親とも上手く言っている。と話しハベルはビラを受け取り
2人は分かれてそれぞれが自分の今の人生に戻る。ハッピーエンドで無くて
トゥルーエンドという感じの終わりだった。



2014年03月31日

 第67回 日本アンデパンダン展(国立新美術館)が
無事終了しました。沢山の、ご来場ありがとうございました。


2014年03月19日
第67回 日本アンデパンダン展(国立新美術館)が
はじまりました。インスタレーション作品
「誕生!祝福?(キャベツ畑・人間プラント)」を出品しています。


2014年03月09日


『JUNO/ジュノ』(2008年)ジェイソン・ライトマン監督作品を観た。
会話がユニークなアメリカの16歳の女子高生ジュノが異性に興味
をもってSEXし妊娠してしまう。ワインレッドのTシャツにイエロー
の短パンでマラソンしている男子学生達の中でブリカーという少年と
関係を持つ。カジュアルな感じで交際している程の仲でもない。
検査薬がプラスになると妊娠と言う事だけど÷に見えると検査を
やり直し体温計みたいに振ってみたりもする。薬局でヒモ状のグミ
キャンディーらしき物を買って木に掛けて首吊りのマネをして食べる。
誰も見ている人がいないのに面白い事をする。
家に戻りハンバーカー型の電話機で友人のリアに電話して「自殺したい
かも知れない」と言って「モーガン・フリーマン ボーンコレクターの
セリフだよ」と言って妊娠した相談をする。リアは「ブログに誓える」
という。アメリカの平均的な今の高校生って、こんな感じなのかと感じた。
赤ん坊を堕胎するのに親の手紙が不要なウィメン・ナウに行くと入り口に
中絶反対のプラカードを持ったクラスメイトのスー・チンが「赤ちゃんは
みんな産まれたがっているんです!」と社会活動をやっている。中に入ると
「私達は女性の味方です。両手を見える所に出して爆弾は捨ててください。」
という。9.11の後に作られた映画なので中絶反対の過激なテロリストがいる
のかも知れないから事務的に言っているようだ。こんな調子のセリフが散り
ばめられていて半分はブラックユーモアみたいだと思う。
無料のコンドームを渡される。ジュノは中絶か出産するか悩む。
友人のリアに相談して子供を必要としている人が広告を出しているスクリーン
セイバーという雑誌でマークとバネッサ夫妻が良さそうだと考える。
それから空調システムの技術者の父親と父親の再婚相手である母親に
自分が妊娠して出産する事を考えていると相談する。
ネイルサロンを経営している継母は赤ん坊に爪が生えている状態なので
出産する事に賛成する。父親は高校を退学にならないか心配する。
ジュノは、出産費用などは里親になるマークとバネッサが面倒を見てくれて
相手の弁護士が養子縁組の法的な手続きもやってくれる事を説明する。
学校のメキシコ旅行は行けないけどゲティスバーグを見学すると言う。
そして赤ちゃんを引き受けてくれるマークとバネッサの家に父親と訪問する。
そこで、赤ちゃんの成長記録を毎年、報告するタイプの里子の話をするが
ジュノは、赤ちゃんをカゴに入れて川に流したモーゼみたい感じでいいと言う。
冬になって赤ちゃんの超音波検査を受ける。性別は聞かないでサプライズに
する。それから雪道を1時間かけて運転してマークとバネッサに知らせにいく。
その時にマークがCMの作曲をしている事を聞く。マークがバンドで日本に
言った時に買ったマンガ「スーパーヒーロー妊婦ゆき」という本を見せて
もらう。それからスプラッター映画「血の魔術師」のビデオに興味を持ち一緒に
観ているとバネッサが帰って来る。そこでジュノがバネッサに胎児の写真を見せる。
バネッサは子供部屋を準備してカスタード色とチーズケーキ色のどちらにするか
迷ってマークに相談する。巣作りという作業らしい。マークは、どちらも黄色だと
いう。次にジュノが訪問するとマークはバネッサと別れて都会で暮らしたいと
言い出す。ジュノは赤ちゃんがいると完璧な家庭が作れると信じていたので
ガッカリして帰る。マークとバネッサは、ジュノが帰った後で親になるのは
早すぎたと言い出す。女は妊娠して母になり男は出産で父になるみたい話を
しているようだ。ジュノは途中で引き返して「バネッサあなたが、まだその気なら
私も、そのつもり」というメモをドアの所に残して立ち去る。そして赤ん坊の父親
のポール・ブリーカーの家のポストにオレンジ味のブレスミントを100個入れて
プレゼントする。ブリカーは大学まで買わないで済むという。それから少しして
ジュノは陣痛になり両親に病院に運んでもらう。友人のリアも病院に来る。
ブリカーには試合があるので出産する為に入院する事は知らせていないが子供が
産まれた事を感じて試合が終わると、そのまま病院に駆けつけてくる。
ジュノとブリカーは赤ん坊を見ないで病院に来たバネッサに任せる。
ジュノとポール・ブリーカーは赤ん坊を産んでから互いが惹かれあっていると
交際を始める。友人や周囲の大人達が若い妊婦をさりげなく支えているようだった。
ストーリーはシンプルだけどユニークな会話が交わされて楽しめる映画だった。



2014年03月02日

『見上げてごらん夜の星を』(1963年)番匠義彰監督作品を観た。
中卒が金の卵と言われて集団就職する若者がいた時代だ。東京で遊ぶ
為に上京する最近の大学生と違い当時は、全国から上京した若者は
昼間は、工場などで働きながらも向学心があり仕事が終わった後に
高校通う人が多かった。荒川区の夜間高校(定時制高校)が舞台で
全日制(昼間)の学生が帰った後で定時制の学生が同じ教室で勉強
していた。そんなある日、同じ机を使っている全日制の女子高生から
定時制のクラスの学生宛てに手紙が入っている。一同様宛てなので
1人が音読し全員で聞く。それから交流が始まる。学校に着くと、まず
パンと牛乳の給食を食べる。工場の残業は午後7時30分を過ぎると
夜食を食べさせないと労働基準法違反になるので出前の手配の場面が
ある。長野県を舞台にしたドラマ「白線流し」の原型みたい話だ。
湯浅太平役の坂本九が同じ職場の同僚の父親が怪我をして前借りする
のを手助けする。その家族が実は手紙の差出人だった。誠実に向上心を
持って頑張る学生達だが家庭の事情などで仕事と学業を両立させるのは
大変で中退する仲間も出て来る。大工の父親が怪我をしたため同級生が
昼間働いて夜は高校を休み工事現場で作業員として働く。
若いから無理が利くといっても長く続けるのは大変な事だ。現代なら
過労死してしまうか、その手前で命は助かったが身体に障害が残る事がある
かも知れない。無理せず継続できる働き方が理想だと思うが難しい。
この時代の日本は、高度経済成長期なので雇用があり学歴が高いと基本給
も高くなる時代だった。今では、高すぎる学歴は敬遠されるみたいだ。
全日制の学生は制服着用だが定時制の学生は仕事帰りに通学するので
私服だ。昼間は社会人として働いていて中には、第二次世界大戦の時に
従軍した学生もいた。クラスの1人が自衛隊に入ってしまったり子供が
出来たので家庭を築くために辞めていく。辞めていく理由も前向きだ。
この時代は、まだ東京でも星が見えたのだと思う。希望と星は小さくても
目で発見できてほしい。
上を向いて頑張れば報われる時代を懐かしんで観ると良く出来た作品だと
共感できると思う。時代背景が現代になると映画「星守る犬」の主人公が
東京から士別まで行って星を見ていた。この映画の時代に青年だった世代だけに
私の頭の中で2作品の「星」という共通点が頭の中でシンクロしてしまった。
最近報道される中国やインドの大気汚染なら星が見え無い
かも知れない。未来への希望の光として星が見える環境になってほしいと
願う。星に願いや希望を託そうにも見えないのは辛いと思う。



2014年02月23日

『キャプテンハーロック -SPACE PIRATE CAPTAIN HARLOCK-』(2013年)
荒牧伸志監督作品を観た。CGアニメーション映画なのでメカは見ごたえ
ある。移民した人類が一気に地球に戻り最後を送ろうとしてカム・ホーム
戦争が勃発し戦争を終わらせるためにガイア・サンクションという統治機構が
作られる。そして地球は、聖域として誰も近寄れない状態になる。
ダーク・マターの力でハーロックが100年も生きているという
設定なので経年劣化した感じを出すため見ずらい感じにしてリアル感を
優先したみたいだ。その為に画像の情報量が多くナレーションや世界観
の説明を聞いたりするために集中力が必要だ。宇宙に5000億人が
移住するが異星人の文明と馴染めず親類は、孤立し「種」自体が緩やかに滅亡
していく状態という重い設定なので敷居が高い内容だった。
主人公のヤマと兄のイソラに母親がいるが父親の話は無いから生殖医療で
子孫を残すことが出来ないために「種」の滅亡へ向かう状態なのだろう。
アニメで子供の登場が少ないのも、そのためだと思われる。
ハーロックのアルカディア号はニーベルング族の文明・ダーク・マター機関で
無限に動けナノマテリアルらしきもので自働修復する。
アルカディア号を作ったのは技術士官のトチローで中央コンピューターとして
意志を持っているらしい。ミーメという異星人はトチローに助けられたらしく
アルカディア号の動力ダーク・マターを制御している。船の頭脳がトチローで
動力がミーメらしい。
CGアニメーションはポーラ・エクスプレスを観たことがあるが人物の
表情が硬くてキャラクターへの感情移入が難しい。マンガアニメなら表情
をディフォルメしてオーバーに表現できるので親しみが持てるがCGは
ポーカー・フェイスっぽく見えてしまった。白兵戦の時の宇宙服はサクラ大戦の
光武みたい感じにゴツい。主人公ヤマのイソラというメガネをかけて浮く車椅子に
乗っている兄が海外ドラマのダーク・エンジェルのキャラみたい感じに見えた。
アルカディア号に潜入したヤマにハーロックは「誰も賞賛する人もいない。バカげた
事を命令できるのは自分だけだ、殺したければ殺せ」とコスモドラグーンを渡す。
主人公のヤマはアルカディア号のクルーとして潜入に成功する。目に網膜装着型
探知機を取り付けられる。(眼帯を受け継ぐラストの伏線らしい)
地球でしか咲かない花をホログラムの地球で発見する後半はディズニーの
ウォーリーっぽい感じだった。3Dでスゴい感じだけど酒場の場面とワイン
を飲む場面だけで食事の場面が無いため生活観は物足りない感じだ。99個
の次元振動弾を宇宙に設置して最後の一つを地球に取り付けて宇宙を破壊して
時の結び目を解いて時間を戻し破壊と再生を繰り返すという話みたいだけど
宇宙の誕生の所からやり直すという事みたいだ。それで人類が誕生するのか
未知な話で観賞する側としては、当事者としてスリルを味わうとか感動できるという
話で無くなり傍観しているような難解なストーリーになっている。
一度、ハーロック達は、捕らえられるがヤマが兄を裏切りハーロック達が処刑される
直前に救い出す。そして兄のイソラとの戦いになる。その時にヤマはハーロックと
同じキズを顔に作られる。ハーロックは銃をヤマに渡していたので重力サーベルで
闘う。このアンションシーンは見ごたえがある。
新しい命を作り出す能力が弱り地球も星の寿命が終わっている状態みたいだ。
クールーのケイが「キャプテンの絶望にたかるハエでしかなかった」と言ったり
カッコいいセリフや解説は覚えておきたいけどメカにも目が行ってしまい
肝心のストーリーは難解だけど違和感無く纏まっている。
ラストでハーロックからヤマが眼帯を受け取り二代目になるようだ。
青い地球が虚像でハーロックが過去にガイア・サンクションで地球防衛の任務に
付いている時に特権階級だけ地球への居住をする事に怒り地球を破壊したという事や
ガイア・サンクションが地球の荒廃した姿を全人類に知らされてジョウビアン・ブラスター
で土星からハーロックごと地球を木っ端微塵に破壊しようとするが弾道を変えられて
地球は、荒廃したままになる。唯一の希望は、花が咲いている事だ。
「先に進んでも何も無い。何も変わりゃしない・・・(テクノロジーが行き着く先だと思った)」
「繰り返される一瞬が永遠になる。これが自由か?」みたいにセリフが凝っている。
カレイド・スター・システムは銀河英雄伝説やガンダムに登場する兵器みたいだ。
ヤマは、次元振動弾のチイッチを受け取りハーロックとして生きる。
兄のイソラは死ぬ前にナミ(温室で死んだ妻)の花を見てみたかったからアルガディア号
に攻め込んだと打ち明ける。地球に不時着したアルカディア号は宇宙戦艦ヤマトみたいに
発進して宇宙に戻る。
トリさんがヤマの肩に止るあたりは、タイトルは忘れたが、すごく長く生きている
王様が実は戦争を避けるために、その国の国民が王様と同じ顔に整形して王様を一定
期間だけ順番に務め、その事を秘密にして実はオウムが王様が生きているように変わりに
話して政治をしていたという話を本で読んだネタみたいだった。宇宙を舞台とする映画で
人間同士が争うのは、複雑な感じがした。テラ・フォーミングしたり破壊された地球を再生したり
する方が理にかなっているかも知れない。宇宙を舞台にした映画やアニメはキャプテン
ハーロック以降に沢山作られ設定となるテクノロジーも進化している。
「全ての命は、その一瞬に永遠を宿している。」とか「地球は蘇ろうとしている。
カム・ホーム戦争が起こるかも知れない。人が過ちを犯そうとしたときには次元振動弾
を起爆スイッチを押せ」とヤマはハーロックからスイッチを預かる。
「呪いと恐怖も繰り返さされハーロックも永遠でなければならない」みたいカッコいい
セリフが沢山ある。体調が良く集中力が持続できる時に見ると感心できる話が沢山ある
ので、なるほどと思える。かなり密度が濃い映画だった。キャラクターの生活感を省いて
カッコ良く描きすぎてキャラクターに対しての親近感を感じさせて感情移入させるとリラックスして
思い入れが感じられて、もっと楽しめたと思うが両立は難しいのかも知れない。



2014年02月16日

『ある夏の日』(2000年)ロバート・ワイズ監督作品を観た。
朝に店のショーウィンドウに吊るしているニワトリの前で警官と世間話を
している。俺が、ぶら下がっていたら事件でない(自殺で殺人事件でない)
から捜査しないでいい。服を着てるのが俺だ。(服を着ているからニワトリと
見分けられる)とブラックジョークからはじまる。
第二次世界大戦で息子が戦死して孫と暮らし、ニューョークの
郊外で食品店を経営する初老の男アベル・シャーディックの所に
孫がスラムの少年を二週間ホームスティーさせる話を引き受けて自分は、
旅行に行ってしまう。ハーマン・ワシントン少年とバスターミナルで
会うと祖父のデリカッセン(食料品店)に行くように伝えてバスで
何処かへ行ってしまう。同じようにホームスティーに来た少女は車で
ホスト先の母親が迎えに来ている。扱いの対比が印象的だ。
ピーター・フォークが演じる祖父が無駄足をさせてしまい悪いと思い
湖に釣りに連れて行く。そして少年は初めて魚を釣り上げる。
少年の兄はベトナムでグリーンベレーとして闘っている。
魚のレリーフを兄にプレゼントしようと言っている。それからホームスティー
の責任者の女性から会員制プールに招待される。しかしユダヤ人と黒人が
プールを利用する事を良く思わない女性がいて招待した女性とイヤみを言い合う。
そんな時にワシントン少年の兄がベトナムで戦死したと電話が来る。
アベル・シャーディックは、何時の時代も戦死は電報で知らせてくる。そして
書かれている文面まで同じだという。
サウンド・オブ・ミュージックのロバート・ワイズ監督は2005年に亡くなっている。
静かでイデオロギー色も無い表現で平凡に暮らす人達に平和とは何かと
考えさせる映画だった。



2014年02月09日

『夜の道』(1957年)ジェームズ・ニールソン監督作品を観た。
ジェームズ・スチュワートがアコーディオン弾き役だけど
元、ガンマンで鉄道会社の給料を届ける仕事を引き受ける。
給料が途中で列車強盗に奪われて遅配続きでレールを敷設
する労働者達は金鉱堀りに仕事を変えようとしはじめる。
シェーンで「シェーン・カムバック」といった子役が出ている
ので観賞した。西部劇を色々見るとカーボーイは動物を殴らない
(商品だから?)とか子供は殺さないというアメリカの道徳観みたい
ものを暴力描写を入れる時に考慮しているみたい感じがする。
タイトルが「夜の道」だけど昼間の場面が中心だった。
西部開拓もかなり進んだ時代設定みたいだった。給水塔を線路の
上に倒されても突進する汽車の場面が印象的だった。



2014年01月26日

『ステイン・アライブ』(1983年)シルヴェスター・スタローン監督作品を観た。
『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977年)の続編だ。6年後にトニー・マネロは
ニューョークの安宿で暮らしてブロードウェイの舞台を目差すダンサーになっていた。
ディスコの時は、趣味だがプロになるのは難しい。プロのダンサーになっても続ける
のは大変だと思う。その先にコーラスラインみたい経験が待っていたりしそうだ。
そこまで若い時は、深く考えないで観賞できた。まして40年前の映画なので当時は
上に向かって努力すれば報われる時代だった。現在、観賞すると時代背景に郷愁を感じた。
健康で若いと身体の動きが違う。私は「ぜんそく」の持病で走ると息が苦しいため
スポーツどころかダンスも出来ない青春だった。オリンピックやパラリンピックは
障害の有無に関わらず健康で体力と持久力が要求される。自分の病状を忘れて超人的
な動きを見ていると魂が肉体の限界に挑戦しているように感じることがある。
「肉体は魂の牢獄」というが牢獄にも格差があるのだろう。踊りは神に奉げる儀式
だった。踊ることで神とのコミニュケーションを取れる感じがする。
祈りは、静の状態で精神面に特化し踊りは動で肉体面に特化したアプローチみたいに
だ。映画の内容とは関係ない話を書いたが自分が出来ないから興味を持たないのも
私は好奇心が生きる原動力なので観賞後に様々な方向から考えてしまう。
日本の高齢者の中には以外と社交ダンスをしていたりする。若い人が「よさこい」を
チームで踊って大会に参加している。健康を維持して長く続ける環境で生きられている
ことが財産だと思う。とにかく健康な人が身体を動かしているのを見るとパワーを感じる
ことは出来そうだ。『ステイン・アライブ』は躍動感あふれる動きは頑張れる事が出来て
夢に向かっていく青春の姿を面白く観賞できた。



2014年01月05日

『STEINS;GATE 負荷領域のデジャヴ』(2013年)若林漢二監督作品を観た。
劇場版アニメなのでキャラクター設定を知らないと楽しめないと思いDVDの
1巻〜9巻まで観てから観賞した。タイムトラベルをテーマにした作品は
沢山あるがターンテーブルが逆回転する電子レンジと携帯電話と42インチ
ブラウン管テレビが干渉して過去にメールを送信する現象からDメール
(まゆしいがデロリアンと言ってDメール(仮)になった。)に成功して
脳の海馬に直接、記憶だけ送信して過去改変を繰り返しラボのメンバーの
死を回避する。劇場版では、主人公の岡部自身の存在が不安定な状態になり
消えそうになる。2036年からタイムマシンで現れたジョン・タイターと
実際にタイムマシンで過去に戻る。1巻〜9巻が2010年8月で劇場版が
1年後の2011年8月の設定だった。「素晴らしき哉人生!」や「バック・
トゥーザフューチャー」「ターミネーター」など年末に過去を振り返り新年
への希望を考えるのに調度良いタイミングで面白く観賞できた。





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