お客様が笑顔になれる店
ターニングポイント
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Niagara House
寺澤 豊さん(34歳)
名古屋市守山区高島町203−1
電話:052-880-7953
E−mail:info@Niagara−house.com
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守山区で、男女の衣料品のセレクトショップを今年3月3日に開業した寺澤豊さん(34歳、春日井民商会員)は、「生活に欠かせない衣食住のひとつである衣料、洋服の伝統や歴史に裏打ちされた商品、スタイル、文化を伝えたい」と話します。
寺澤さんは、中区栄でセレクトショップに7年間勤めていました。セレクトショップとは一つのブランドやデザイナー商品を置くのではなく、オーナーなどのセンスで仕入れた物を販売する店舗です。人気ブランドは、流通量を一定にするため、同一地域での販売店を限定しており、どこの店でも販売できるわけではありません。寺澤さんは勤める中で、セレクトショップの魅力を感じると同時に、従業員として出来ることの限界を感じていました。「あたえられた場所、商品、仕事から、自分が100%気に入った商品を心をこめてお客様に勧めたい」と独立を決意しました。そこで、独立を前提に、卸メーカーに勤め、商品流行の流れや傾向をつかみ、メーカーとのつながりをつくり、会社からも「寺澤さんが独立するなら、バックアップする」と言われ、念願の店を持つことができました。
初めは、住んでいる春日井市での出店を考えたのですが、春日井には競合店があり、商品仕入も制限されるので、隣接する守山区で、自分で歩いて店を探しました。「大通りに面しているなど、よく目立つ場所ではなく、『こんなところに…』という隠れ家的な店にしたかった。結局は自分で歩いて探してこの店を見つけました」と話します。
店舗は、コンクリートの壁や天井に、アンティークやリサイクルの棚や机に商品が並べられています。ヨーロッパやアメリカの伝統的なデザインの男女の衣料品です。衣料品の他にもカバンや靴などがあります。「大型店やファストファッションが増加する市場ですが、この店に共感してくれるこだわりを持った人は少なくない。どの商品も自分が自信をもっておすすめできるお気に入り商品です。お気に入りの一着、何年も着続けられる一着を提供したい。『衣服の文化を愉しむ』そんなお店であり続けたい。モノを提供するだけではなく、ナイアガラハウスを通してお客様が笑顔になれるようお手伝いしたい」と話します。
寺澤さんはお客様の目線での接客を心がけ、コミニケーションを大切にしています。「大切な一着を求めているのですから、お客様には本当に納得して購入してもらいたい。購入に関わらず情報やお客様の好みも交流したいです」と話します。お客様との対話には、仕入や店舗コンセプトに活かせる事も多数あるので寺澤さんにも役立っています。
遠方のお客様もいるので、展示商品が分かるようにと、ホームページも開設しました。今は電話での注文のみで対応しています。「コミニケーションは大切ですが、若い世代の人にも広げていきたいので時代の流れも無視できない。これからどうするかはよく検討したい」と話します。
地域に密着した金融機関の役割発揮を
財務・金融東海総行動
4月20日、財務・金融東海総行動の一環としての東海財務局要請行動に参加しました。金融機関に働く労働者や利用者及び地域経済を守るため、指導的役割を担っている東海財務局に、金融機関の労働者の組合、金融ユニオンのメンバーを中心に10名が参加し、懇談を行ないました。
東海財務局から5名が参加し、「地域密着型の金融機関をめざすべく、指導を行なう」としながらも、労働条件改善要求や収益第一主義の金融リスク商品の販売などについては「金融機関の経営方針には踏み込めない」などと回答しました。消費税をやめさせる愛知連絡会(愛商連)では、震災の被害に対する「経済対策特別資金制度」の活用についても、銀行の窓口で周知徹底されておらず、「初めてなのでよくわからない」といった対応があった実例も報告し、「地域の困っている中小業者に利用できる制度」めざして、指導をすすめて欲しいと要請しました。
心ひとつに。仲間の団結で一日も早い復興を
東日本大震災 被災地支援に奮闘
豊川民商では、訴えに応えて集まった支援物資が、ダンボール30箱をこえ、「自分達で届けよう」と4月3日夜、板倉事務局長と青木事務局員がバンに物資を乗せて豊川を出発。翌朝に宮城県連に物資を届けました。
「集まった様々な物資がどれも喜んでもらえた。被災の状況を目の当たりにして、多くの支援が必要だとあらためて感じた」と感想を話していました。
また、伊藤会長は、「昨日やっと県連事務所にもガスが復旧し、お湯が出るようになりました。物資とあわせて、人的支援もあると嬉しいです。様々な活動で人が不足している状況です」と話していました。
これを受け、民商・愛商連では4月19日から小林典仁中村民商事務局員が、5月2日から沢田明良名古屋南民商事務局員が、宮城県に行きました。
4月13日、県下の民商で集められた東日本大震災への支援物資は、小牧民商に集められ、4トントラック満載にして、被災地宮城へ送られました。
13日、朝から各民商から続々と支援物資が集まりました。県下の民商からも20名以上が集まり、品物ごとにダンボールに仕分けし、品目を記載し発送準備を完了しました。
18民商から寄せられた物資は、ダンボール600箱以上。昼から4トントラックに満載に積み込まれ、宮城へ向け出発していきました。
送られた物資は、翌日14日の朝九時に宮城県連事務所に到着しました。物資が到着すると、伊藤貞夫宮城県連会長から愛商連へ「本当に心のこもったたくさんの物資をありがとうございました。届いた荷物は早速、兵庫県連から支援に来ていただいている2名の協力もえて、被災した民商を通じて、会員に届けさせていただきます」と電話がありました。
愛知でもほぼ全ての業種で、震災により売上減や材料仕入が困難になるなどの影響を受けています。建築業では、コンパネ(合板)や電線、ユニットバスなどの建築資材が入手が難しく、仕事を一時中断せざるを得ない現場を生まれています。製造業では、トヨタなどの生産中止・縮小により納入がストップとなり3月、4月の売上が激減している業者が増えています。サービス業でも飲食店、旅行代理店などは予約のキャンセルが相次ぎ、自粛ムードで売上が減少しています。
中小企業への影響が深刻・長期化する中で、愛知県は、融資制度の拡充や創設を行っています。(別表)
4月20日には、「ガンバロー資金(災害対策緊急つなぎ資金)」の創設を発表しました。保証料を全額県が補助し、貸倒が起きたときも保証協会の損失を県が補助するという、画期的な制度です。愛商連は、この間、県制度融資での保証料補助を要望してきました。私たちの運動の大きな成果です。「震災の影響を受け、経営や資金繰りに困っている方は積極的に活用しましょう。」と呼びかけています。
瀬戸旭民商に相談に来た携帯電話のアンテナ設置工事などを行うAさんは、震災後、被災地の工事が優先となり、仕事のキャンセルが相次ぎました。東海地方では、仕事も材料もなくなり、被災地へ行くことを決め、従業員の旅費、宿泊費などの資金が必要になりました。
相談会で役員と相談し、「経済対策特別資金」で申し込むと,「初めてなのでよくわからない」と銀行員。Aさんは「売上が減少していれば利用できるはず。10日後には被災地に行くので早く融資して欲しい」と説明しました。3日後に銀行から「一年の短期で融資したい」と回答がありましたが、「無理な返済計画はできない。3年返済で6ヵ月据置で」と要望すると、翌日に要望どおりの回答を得ることができました。
Aさんは「これで安心して被災地に行ける。相談会で話し合ったので、銀行にもきちんと話が出来た。私は通信事業に誇りを持っている。被災地で求められている仕事が出来て嬉しい」と話していました。
ご支援たいへんありがとうございます。

庶民いじめの消費税増税は許さない
消費税増税反対ロングラン宣伝
消費税をやめさせる愛知連絡会と愛知県消費者団体連絡会の呼びかけで、毎年恒例の3・31消費税増税反対ロングラン宣伝を名古屋市栄三越前で行いました。この行動には、13団体から58名が参加し、午前11時から午後4時までの5時間にわたって、消費税増税反対の署名・宣伝行動と震災への支援の募金活動に取り組みました。愛商連は太田会長をはじめ六名が参加しました。
天気が不安定で、途中で強風で机が倒れたり、急な雨に降られたりしましたが、消費税増税へのシール投票や「私の一言」、消費税増税反対のティッシュやあぶら取り紙、消費税増税反対のカラフルな風船も配り、パンダとウサギの着ぐるみも繰り出して、にぎやかな取り組みになりました。
買い物などに来ていた多数の方と、「被災者にも負担を押し付ける増税は反対」「大企業減税や米軍への予算など、もってのほか。被災者に十分な予算を」と対話がはずみ、署名の訴えに快く応じてもらいました。この行動で消費税増税反対署名342筆、震災募金は29030円が寄せられました。
中川民商のSさんは、確定申告の税金を一度に納税することが難しく、納税猶予の申請を行いました。4月5日に中川民商の仲間と中川税務署総務課長に「納税者の立場に立った納税緩和措置を求める」請願書と申請書を提出しました。また、昨年申請した際は、審査までに2ヶ月以上かかり、取扱要綱に「処理を迅速に行うように」とあるが、そうなっていないと抗議しました。
また、Hさんは昨年に引き続き「滞納処分の執行停止を求める請願書」を提出しました。Hさんは昨年は審査で支払う力が無いことが認められ、納付の督促がなくなりました。 中川民商では国保料についても、一定の条件があれば、申請によって保険料が減額されたり、免除される制度があるとニュースなどで伝え、仮算定の通知が来て、さっそく区役所で申請して減免できた人がいます。
5月15日に中村民商と中川民商は統合総会を行い、一つの民商になります。統合を前に会は統合委員会で準備をすすめていますが、婦人部や青年部も、両民商で集まり、今後の活動などについて話し合っています。
4月7日には、中川民商事務所で婦人部交流会を行い、役員8名が集まりました。初顔合わせなので、まずは自己紹介を行いました。参加者は民商入会のきっかけや婦人部活動について、商売や家族について話し、交流しました。
「お誕生日プレゼント」はこれまで違う取り組みを行ってきましたが、これからは統一した方法でやっていく事を決めました。
婦人部活動をする上での苦労話などが出されましたが、「集まって話し合うことで元気をもらっている」とこれからの奮闘を確認し合いました。
青年部も4月23日、会員の店広島お好み焼き「京福」で両民商青年部員など16名が集まり交流会を開催しました。参加者は、名刺やチラシ、箱マッチ名刺などを配りながら交流を行いました。商売のこと、震災の支援や影響についてなど話は尽きませんでした。最後にみんなで「これからは組織が大きくなって、参加者を増やしながら頑張ってやっていきましょう」と確認しました。

シリーズDr.Inouchi井内尚樹の腕まくり指南 第122回
原子力発電所の停止を考えるために‐水力発電所のはじまりから‐
緑の党の躍進、地方選挙の敗北などでドイツのメルケル首相は「原子力発電所をできるだけ早く廃止したい」と述べました。去年、メルケル政権は「代替エネルギーの発展が十分でないとし、17基ある原子力発電所の延長を決めていた」にも関わらず、です。私が留学していたフランスのアルザスでも、ストラスブール市議会がフェッセンハイム原子力発電所の即時停止と廃止を決議しました。
この発電所は、ライン河沿いのフランスとドイツの国境地域にあります。もし事故があればドイツにも多大な被害がでます。「なぜこの地に原発立地か」、フランス政府の意図がわかります。そして、フェッセンハイム原子力発電所は、現在、フランスで稼働している原発で最も古く、地震地域に建造されています。
海の向こうでは様々な動きがあるにも関わらず、福島原発事故のあった日本では、「原子力発電所の即時停止」は、テレビの中では、議論されません。ここでは、原子力発電に頼らない地域経済社会を構築するために、「そもそも論」に立ち帰って見たいと思います。そのために、この東海地域の電気エネルギーの歴史を見ておく必要があります。
東京電灯会社が1887年(明治20年)に東京日本橋で電灯点火したのが、日本の電気事業のはじまりです。翌年以降、神戸、大阪、京都、名古屋で電灯会社が設立され、電灯事業が日本の各地域で展開されました。当時、電源は需要地周辺に設置し、石炭を利用した火力発電が中心でした。燃料コストの上昇、煤煙などの問題などで、市街地に移転をうながす意見が多くなってきました。
長距離高圧送電技術の開発により、1899年(明治32年)に猪苗代湖から22キロ離れた郡山まで送電することに成功しました。この技術開発で、遠隔地域での発電所建設、大規模水力発電の開発が進められました。
東海地域では、1911年(明治44年)に名古屋電力が名古屋市内外への電力供給を行うために、岐阜県八百津町で発電所が建設されました。この発電所は、ダム式ではなく、水路式の発電所でした。理由は、発電所の対岸の錦織に、木材流運の綱場(綱を張って、木材をせき止め、集荷する場。)この綱場で、材木をいかだに組んで、名古屋の白鳥などの貯木場に流しました。
木曽川の水力発電所のはじまりは、川の流れを全面的にせき止めるダム方式ではなく、木材を流すための機能を維持しており、川の自然の恵み(地域資源)を無視したものではなかったことがわかります。
川魚による漁業(鮎などの遡上も含めて)、農業、林業、水道水の利用など、川の地域資源は本来、豊富なものです。ライン河では、魚が自由に行き来できる本来の河川機能を維持しながら、船での物流、閘門の水位格差によるミニ水力発電など多機能で河をいかしています。日本の河川を見ると、「水力発電中心の活用」が多く、多機能ではなく、電力企業が機能を独占的に利用しています。
長距離高圧送電技術の確立とともに、木曽川水系の急勾配は大いに注目され、地元資本も含め、いくつもの電力会社が設立されました。八百津発電所は、名古屋電力が建設しましたが、名古屋電燈に吸収合併されました。この名古屋電燈には、後に、大同電力創業者であり「電力王」といわれる。福沢諭吉の娘婿である福沢桃介がいました。今日の東海地域のものづくり、経済史を振り返る際には、福沢桃介は功績者として、必ずでてくる人物です。
原子力発電所を停止し、地域資源を活用しながら、分散型代替エネルギー開発を進める際に、福沢桃介をとらえ直しする必要がありそうです。福沢桃介は「一河川一会社主義」を提唱し、自らが木曽川水系の電力開発に乗り出していきました。この主義は、「一会社が川を独占する」ことそのものです。
「桃介は、地元の反対を寄付金等で押さえつつ木曽川水系の水利権を手にいれ、精力的に発電所を建設していきました。」(南木曽町妻籠宿歴史資料館)桃介に対立したことで有名なのは、地元で生まれた島崎藤村の兄島崎広助です。広助は尾張藩の統制下にあった木曽の山林を地元に取り戻そうとしました。しかし、桃介の木曽川の水利権の獲得によって、木がありながら、水源が利用できなくなったのは有名な話です。材木の輸送は、川ではなく、電力資本の支援で建設された森林鉄道によって代替されました。
川という地域資源が地域住民の手から離れるとどうなるのか。多機能性を失うとどうなるのか。木材資源振興には、どのような視点が必要なのか。歴史をとらえ直す必要がありそうです。