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Rejoice always,pray without ceasing,in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.

My Diary(Vienna/Budapest)


5/5/2005

*レストランSissyで

王宮にたどり着く前に、お昼時になったのでSissyに入ってランチをすることになりました。 Sissy(ドイツ語ではSisi)はエリージャベト(ドイツ語ではエリーザベト)王妃の愛称です。 私は先ほどの三位一体の広場で、Hotel Burgを発見しました。 実は、旅程を変更する前にここに滞在する筈でしたが、 スケジュールを変更した為に、ここを予約出来ませんでした。しかし、それもお導きだったのだと来て見てわかりました。 初めてやって来た東駅から地下鉄に乗り、速くて怖いエスカレーターのあるMoskva ter.で城バスに乗って、 スムーズにたどり着けるわけがありません。 これも主の御心があったのだと嬉しくなりました。 ランチですが、私はスパゲッティにしましたが、 普通のスパゲッティではなく、食べるものには冒険出来ない私ですが、 典型的なハンガリー風のスパゲティと書いてあるのにしました。 何と言うか、四角に切ったパスタに生クリームとコテッジチーズを絡めたようなもので、 全く刺激のない味でした。 コーラを飲みながら流し込むようなものでした。(^_^;; しばらくそうしていましたが、やはり塩がいるなと思い塩を振りかけました。 まぁ、少しはましになりましたが、半分食べるのがやっとでした。 やはり塩は大切です。『あなたがたは地の塩である』という御言葉を思い出しました。

あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。 もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。(マタイ5:13)
"You are the salt of the earth; but if the salt loses its flavor, how shall it be seasoned? It is then good for nothing but to be thrown out and trampled underfoot by men.(NKJ)

後でホテルに戻って、持って来た『The Upper Room』の5月5日を読んだら、 内容がまさにそれだったのでものすごく驚きました。 ホテルのことといい、味のない料理にお塩が必要だったことから、 私は神様に救われたクリスチャンとして、世の中にあっては塩のような存在になるべきことを教えて頂きました。 全ては主の細やかな導きと御心の中で生かされていることを思います。 私の旅は休養の旅だけれど、やはり、主との旅なのだと改めて思いました。

*ブダ

ブダペストは、ドナウ川の西側がブダ、東側がペストとなっていて、 良く写真などで見るライトアップされたくさり橋がそれらを繋いでいます。 殆ど下調べをしていなかったので、おおざっぱに今日はブダ側に行くことにしました。 M1で7つ目のDeak ter.でM2に乗り換えて、三つ目のMoskva ter.で下車しました。 『地球の歩き方』を持っていても迷う私は、王宮の丘を一周しているVarという城バス乗り場がわからず、 暫くうろうろしてしまいました。 『広場の正面にある郵便局の前』って・・・。迷う人の為に、『広場の前の階段を上がった建物が郵便局の裏になっていて、 そこがバスの発着場所』と書いて欲しい。(^_^;; 私はその建物が郵便局だとわからず、横に廻った時に小さく「Posta」と書いてあるのでわかり、 正面は逆なのだから。多分迷うのは私だけかも。(^_^;; 城バスで王宮の丘に上がり、ウィーン門を抜けた所ですぐに下車し、 歩いて廻ることにしました。 漁夫の砦というところから眺めたブダペスト市内は、 くさり橋や国会議事堂など写真で良く見た景色で素晴らしい眺めでした。 私は個人的には雪の積もった時の眺めの方が美しいかもと思いました。 その後、すぐ傍の聖イシュトヴァーンの騎馬像を見ました。 イシュトヴァーンは、ハンガリー建国の父と言われ、初代ハンガリー国王であるとともに、 キリスト教を国教とし法王からハンガリー国内の大司教を決める決定権を与えられたとされます。 ブダ側のハイライトでもあるマーチャーシュ教会に行きました。 13世紀半ばに建てられたが、1541年にトルコに占領されてから、約150年間はモスクとして使われていて、 オーストリアのハプスブルク家の支配に移った時に、 再びカトリック教会に戻りました。 19世紀後半に、フランツ・ヨーゼフ皇帝とエリーザベト王妃がここで戴冠式を行い、 その時の為にリストが「戴冠ミサ曲」を作曲し、ここで指揮をしたそうです。 その後三位一体広場に行くと、18世紀中世ヨーロッパで流行ったペストの終焉を記念して建てられた、 三位一体の像を見ました。 この像は、確かオーストリアのリンツやウィーンでも見たことがありますが、 このような大掛かりなものを建てることを考えた時に、 人々がペストから開放された喜びと神への感謝が伝わって来るようです。

*ブダペストの地下鉄

ブダペストの地下鉄はM1、M2、M3と三種類しかありませんが、 私の滞在しているホテルの最寄の駅Hosok tereはM1の地下鉄が通っています。 地下鉄と言っても、M1のようにこんなに地上に近いところを走っているのは珍しいかも知れません。 メトロの入り口の階段を21段下りると、いきなりホームがあるのでビックリしました。 後で他の駅も調べたところ、全部21段でした。 内装が今までのどの国の地下鉄でも見たことがない、とても可愛らしくチャーミングなホームは初めてです。 上手く説明出来ないのですが、白地の大き目のタイル(上のほうに模様がある)が壁に敷き詰められていて、 茶色の木のベンチとインフォメーションが木製で、ホームの端の壁側にはまるで家の中に作りつけた暖かな木製のクローゼットのようでした。 又、私を驚かせたのは、目の前で電車を一本逃しても2分半も待たないうちに次の電車が来たことです。 そして又、ヨーロッパでは珍しく、電車に乗るのも降りるのもドアは自動だと言うことです。 そして、一駅の区間がこれほど短い地下鉄も例がなく、駅から次の駅までが計ってみたら、 55秒〜60秒でした。電車の中もホームもごみ一つ落ちていず、 とても綺麗でした。 というわけで、この地下鉄は、どんなに気が短い人でもストレスを感じない電車だと思います。(笑) しかし全ての地下鉄の乗換駅となっているDeak ter.は少々事情が違い、かなり地下を走っている地下鉄もあるので、 エスカレーターがものすごく長く、スピードが恐ろしく速いのでビックリします。 多分小さな子供など、怖いし危ないので、一人では乗れないと思います。 9年前に行ったプラハの地下鉄はもっと速かったような気がします。 あの時、幼なじみのK子と私は、あまりにも速いので、 なかなか一歩を踏み出せなかったのを覚えています。

*始動

一昨日の夜も昨夜も、信じられないことに、夕方から夜にかけて熟睡してしまい、 夕食を食べすごしてしまいました。しかし、朝の4時〜5時には目が覚めてしまいます。 これは一ヶ月間の早天祈祷会の習慣かも知れませんが、日本にいる時と同じように、 早朝のお祈りを充分に神様にすることが出来、とても充実した喜びのデボーションの時を持つことが出来ました。 早朝の神様とのコミュニケーションは、より自分の霊も心も静まってとても良い状態となり、 神様のお導きがよりセンシティブにわかるような気がします。 これはこれまでの旅行にはない変化です。ハレルヤ!感謝です。 私は以前は詳細な旅程表を作成して、そのスケジュールに沿って旅をしていました。 秘書時代はボスのItineraryはしょっちゅう作っていたので、自然に自分のもそうしていたのです。 でも、あれもこれもと欲張ったりすると、スケジュール通りには行かないこともあり、 何だか忙しくて一人パッケージツアのようになってしまいます。(^_^;; 又、その時その時の体調やら何やらで変わるので、今ではItineraryはフライトやホテルのコンタクト先などを表にしているだけです。 いつも教会と、何かの時の為に会社の上司に渡していきます。 しかし、いつもの電車でのあちこちの移動プラス数時間の滞在と違い、 一つの街をじっくり周るので少し勝手が違いました。 とりあえずブダペストカード(4700Ft)をホテルで購入しました。去年より割高になっていました。 本当は3日券(Turistajegy)という交通機関乗り放題の切符(2300Ft)を買おうとしたのですが、 ホテルに置いてなく仕方なくブダペストカードを買いましたが、 交通機関ばかりではなく博物館などが無料になったり、 割引になったりするカードだった為、後になって、あぁお導きだったのだと思い感謝しました。

メモ:1Ft(フォリント)= 約58円


5/4/2005

*遠いホテル

初めての国なので、東駅の近くにホテルを取りたかったのですが、 東駅からはすごく離れていても、地下鉄の駅のそばの、 珍しく4つ星のHotel Ligetにしました。 地下鉄事情がわからないし、ユーロしか持っていなかったので、 散歩がてらに徒歩で歩くことにしました。 駅で両替しようと思いましたが、駅の周辺には色々な商売をやっている人達がいて、 予想通り「ホテルは?」とか「タクシーは?」と入れ代わり立ち代わり鬱陶しかったので、 早くホテルに行きたいと思ったからです。 しかし、散歩がてらといえども、スーツケースを持ってのことですので、 殆ど大きな市民公園に沿って真っ直ぐどこまでも歩いて行ったのですが、 ちょっと右腕が痛くなってしまいました。 かなりゆっくり歩いていたので、30分近く歩いていた為汗だくでLigetに着きました。 さすが4つ星。「マダム、お部屋までお持ちしましょう。(^_^)」 と、ベルボーイが荷物を運んでくれたし、お風呂はバスタブがついていました。 (ヨーロッパでは、4つ星で由緒あるホテルでも、シャワーだけのところも少なくないです。) 先のウィーンのIbisもそうでしたが、今回ホテルは「当り」だったなと思いました。 これまでの経験上、着いてビックリすることもあり、自分をそこに慣らすしかないからです。 でも、今回のホテルはどちらもOKです。

*ウィーン西駅〜ブダペスト

ドイツはこれまでに何度も来ているのですが、ウィーンは、ミュンヘン〜ザルツブルグをのぞいて三回目、 一人で来たのは初めてです。 ドイツのフランクフルト、ハンブルグ、ミュンヘンなどの大きな駅と比べると、 このウィーン西駅は小さくひっそりと地味な感じがします。 又、私が乗った電車はウィーンからブダペストに行き、 終点はベオグラードということですが、ベオグラードって何処??

新宿の『地球の歩き方』に行って、いつになく迷ったのは、 今回はいつものように遠距離をあちこち見て周るのではなく、 ブダペストとウィーンの市内を中心に細かく動き回る為、 オーストリア、ハンガリー、チェコ他をカバーするヨーロッパイースタンパスにするか、 単にウィーンとブダペストの往復だけにするかということでした。 カウンターの女性に聞くと、パスは二等で5日間有効で約18000円、 往復チケットだと手数料込で二等は数千円の差額、 一等だとパスと殆ど変わらないことが分かりました。 「気が変わって、ウィーン市外に出るかも知れないし」と言って、結局パスを購入しました。 (地球の歩き方のオフィスは、拡張したようで新宿南口の方に移転していました。)

車両はハンガリーの車両で、指定席がないのでチケットさえ持っていれば、 あいている席にはどこでも座れるようです。 グレーで地味な内装ですが、清潔感のある感じで二等車でも全く問題ありません。 しかし、ガイドブックで前もって知ってはいたのですが、 検札が厳しく、しょっちゅうチケットをチェックしに来るので、うっとうしいです。(^_^;; うっかりうとうとしていても、肩を叩かれて一度起こされました。(苦笑) あと、国境越えの時に、パスポートを提示しないといけないのですが、 途中停車した二箇所の駅の途中で、検札の人といかついスキンヘッドの強そうな人が一緒に周って来ました。 後者は単にくっついて歩いているだけなので、何かあった時の為の用心棒なのでしょうか? 怖いです。(^_^;; 2時間50分強でブダペスト東駅(Keleti pu)に到着しました。

*ウィーンの朝

昨夜はホテルに着くなり沢山寝て、こちらの時間で3:00過ぎに起きてしまいました。 今日は一日が長くなりそうです。 昨日、予定では現地時間16:00に到着の筈が、すごく早く15:20には着陸し機内から出られるような状態でした。 飛行機の中でウィーンの気温は27℃と知り、日本より暑いのに驚きました。 9年ぶりにウィーン空港に着いて感じたのは、 『あぁ、音楽の街、チャーミングな街』だと言うことでした。 多分又再びやって来るような予感がしました。(笑) 前回は幼なじみのK子と来ました。2年前ローマの時はずっと毎日喧嘩していましたが、 9年前は一回しかしていません。(笑) あの時は通路側の席に座らなかった為に、飛行機の中で体調を崩し吐いたりしていたので、 殆ど意識朦朧で着いたので空港内のことは殆ど覚えていなかったのです。 前回はタクシーでホテルに行きましたが、今回はしっかりとリムジンバスで行くことにしました。 空港からウィーン市内に行くには、2つのルートのリムジンがあります。 一つはシュベーデンプラッツ(Schwedenplatz)行き、もう一つはウィーン南駅(Suedbahnhof)経由ウィーン西駅(Westbahnhof)行きです。 前者は20分少々、後者は南駅までが20分、南駅から西駅までは15分かかります。 私は、今朝10:00発の電車でプダペストに向かう為、 西駅の近くのIbis Wien Marienhilfに一泊しました。 シングルでしたが、ダブル仕様でかなり広く快適なホテルだと思いました。

昨日空港に着いた時は、リムジンを待っていた時も晴れていて暑いと思いましたが、 リムジンに乗るとすぐ雨が降り出し、ザーザー降りになって来ました。 私は心の中で「主よ、私は傘をスーツケースの中に入れてしまいました。 駅からホテルまで濡れないで行けますように。」と祈りました。 途中、やや時間がかかり、35分かかるところ45分近くかかりましたが、 駅に着いた時には傘は必要ないくらい雨が殆ど降っていませんでした。 「バスが遅れたことも感謝です。主よ感謝します。」 本当に主との旅は、細やかに導かれて進んで行くのをこういう時にも強く感じます。 家を出てから、要所要所でお祈りをしていますが、 いつお祈りしても、イエス様から洪水のように愛と喜びが流れて来るようで、 霊も心も満たされています。 昨日の朝から小山章三先生の『主に向かって歌え〜Cantate Domino〜』がグルグル回っています。 主をほめ歌えというメッセージなのでしょうか。 昨日ウィーンに着いた時間は、ヨハン・シュトラウスのワルツが私の頭の中でBGMとなって流れていましたが、 今朝はCantate Dominoです。今年の旅のテーマは『音楽の旅』にしようと思っていましたが、 結局オペラも何も見ずに、何の予定も組まないItineraryのない旅となっています。 いつもそうですが、今年は特に『イエス様との旅』にしたいです。 主がいつも共にいて下さいますから感謝します。


5/3/2005

*成田まで

一昨年までお世話になっていたエージェントの旅行代理店は、 SARSの影響もあってか倒産してしまったので、 昨年からHISを使っています。個人の旅行でも団体旅行扱いの窓口で当日空港でチケットを貰うというのは、 これまでに経験がなかったので昨年はすごくドキドキしました。 引き換えの案内には、一時間前に窓口で交換のように書いてありましたが、 チェックインは2時間前にしたいので、早めにHISの窓口に行ったら何のことはない、渡してくれました。 今回私は8時ちょっと前に第二ターミナル着くスカイライナーにしていましたが、 あまりにも早く日暮里に着いてしまい、6:35のスカイライナー1号にも間に合いましたが、 何と満席で、出発の2時間ちょっと前にHISでチケットをもらい、 オーストリア航空のカウンターでチェックインしました。 私は具合が悪くならない為に、通路側の席にしてもらいました。 Y君に『行ってきます!』とメールをした後、早目にゲートに行きネットの掲示板を見ました。 自分のBBSではなく菅野先生の方に投稿しました。(マメなレスポンスをして下さいますからね。(笑)) 昨晩が最後と言いましたが、今度こそ日本からの最後の投稿になりました。 行って来ます!どんな旅になるのかとても楽しみです。(^_^)

*出発の朝

結局4時間しか寝ていないのですが、経験上やや寝不足気味の方が飛行機の中で眠れるので、 日本時間の夜中にヨーロッパに到着する時などは好都合です。 パッキングの最終チェックをすると、 『えっ、これだけ?』と思える程、荷物が少ないのに驚きました。 本当に年々荷物は減る一方で、帰りにはおみやげを詰めて丁度良い位です。 新緑の美しい早朝、ゆっくりお祈りをする時間がなく、 やや早歩きでお祈りをしながら最寄の駅に向かう私でした。 お祈りをしていたら、喜びが溢れて来ました。 仕事を完全に離れて、又イエス様と24時間交わりながら、一緒に旅が出来る。 本当に嬉しい。 又、今年もお恵みによって、嬉しい旅が出来ることを感謝します。

*カウントダウン

毎年のことながら、スーツケースへのパッキングは出発前日の夜中近くになってしまいます。 昨夜も19:30位まで残業し、家の近くのコンビニで柿の種とミント味の飴を買い、 帰宅するともう21:00になっていました。 この2つは、昨年ミュンヘンで気持ちが悪くなり2日程死んでいて、 何も食べられない時に本当に役に立ちました。これにコーラがあれば大丈夫です。 今年は珍しくスカンジナビア航空ではなく、ダイレクトにウィーンに行く為、 オーストリア航空にしました。 しかし、その便の出発時刻が10:40と早い為、かなり早く家を出ないといけません。 5:45に最寄の駅を出る為には4:15には起きて準備をしないと・・・となると、 ウェブ日記を書いてアップするどころか、早くお風呂に入って30分でパッキングしないと! 本当にカウントダウン状態だと思いやや慌てました。(^_^;;

2000/4-2002/11までの日記は、諸事情により、当面非公開とさせていただきます。