5/9/2005
おとといのバレエやアリアもありのクラシックコンサートも今回のモーツァルトのコンサートも、 観光客向けのものですが、ウィーンという場所柄もありますが、 日本ではなかなか味わえない、堅苦しくなくカジュアルで楽しめるコンサートでした。 今日のは宮殿のホールなので、一昨日のカッコウよりはややドレッシーになるように、 ジーンズのジャケットではないベージュのジャケットとインナーにわざわざ着替えて、 帰りが遅くなることもありますが、私は行った道を戻って帰って来ることも出来ないこともある為、 行き帰り守られるようにお祈りして出かけました。(^_^;; 結構広いホールで、大きなシャンデリアがいくつも下がっていて、 日本のどこのホールとも違います。 大勢の人達がそうしていたので、私も思わずホールの写真を撮りました。(笑) この人達はひょっとしたら、演奏の時にもシャッターをバチバチ切るのではないのかと思いました。 20:15から演奏が始まりました。 オーケストラは当時の衣装とカツラでとても素敵で、 一番最後の時にしっかり写真を撮ってしまいました。(笑) お馴染みのモーツァルトの軽やかな曲の数々に、しばし聞き惚れていました。 次にソプラノとテノールの歌手が、それぞれアリアをソロで歌ったりデュエットしたりしていました。 やはり私は女性の歌手の方に興味があるのですが、 衣装替えをして登場し、ウルトラ・ドレミファドン(古い・・)ではないのですが、 演奏の出だしのところで「あっ、夜の女王のアリアだ!」とわかり、 居てもたっても居られず、私はささっとガラガラだった前の方の良い席に移動しました。 このコンサートチケットは一番安い35ユーロでも、良い席に移動しても文句を言われないカジュアルなものでした。(^_^;; この夜の女王のアリアは素晴らしく、私の声楽の訓練によって一番高いミまで出たことがありますが、 このアリアはさらに上のファまで出ないと歌えません。 それにしても、軽やかなソプラノで本当に素晴らしい歌声でした。 私の声質はリリコなので、軽いレッジェーロの声の人が羨ましいです。 最後に、ソプラノとテノールの同じ人達が、鳥の可愛い衣装で出て来たと思ったら、 まさかと思いましたが、『フィガロの結婚』の伯爵の歌を歌っていた人と、 さっき夜の女王を歌っていた人が、何と『魔笛』のパパゲーノとパパゲーナになりきって歌を歌っていました。(笑) モーツァルトのコンサートではありましたが、 アンコールは何故か御馴染みのシュトラウスの『美しき碧きドナウ』と『ラデツキー行進曲』でした。 本当に心から楽しめた、素晴らしいコンサートでした。 22:00過ぎていましたが、私は足早に少し迷いそうになりましたが、 ホテルに無事帰ることが出来ました。(^_^;; メモ:
Eine Kleine Nachtmusik - W.A.Mozart やや上り坂の長い道を真っ直ぐ歩いて行くと、本当に誰も歩いていないので、 私は思い切り発声練習をしながらゆっくり歩いて行きました。 途中で左側の林の中で、二匹のリスが木の周りをぐるぐると回りながら登ったり降りたりして戯れている、 面白い光景を目にしました。 又しばらく歩くと、動物園になっているようで、林の中にダチョウ位の大きさの鳥が何羽も歩いているのを見ました。 もうその頃になると、日本庭園はどうでも良くなっていました。 方向音痴の私、又もや迷子になったかと思いました。(^_^;; 少し道を戻って、発声した後だったので気持ちが良く、讃美をしながら右に歩き出して、 ふと前を見て私はビックリしました。 全く予想外のグロリエッテが目の前に見えたからです。 これは宮殿側から見ると、遥かかなたの高い丘にあり、 わざわざ何十分もかけてはぁはぁ言いながら、 あんなところまで登るほどでもないと思っていたのです。 それは高さが20m位で幅が80メートルの白っぽい門のような建物で、 戦争で沢山の臣下を亡くしたことを忘れないように、 記念して建てられたものだということでした。 高い丘から見下ろす宮殿や街の眺めは素晴らしく、 これは三度目にして初めての経験でした。 お天気も途中少し小雨が降りましたが、丘の上ではすっかり良いお天気で、本当に感謝しました。 このように、自分ではぼんやりと行き先を見失っても、どこにいても神様の御手の中にいて、 神様の細やかなお導きとお心遣いを思い、本当にうるうるする程でした。 どんな時でも、全ては主の御手の中にありますから何も心配することはありません。 喜びながら宮殿の方に向って下って歩いて行くと、 中国人の一人旅の女性が、私に写真を撮ってくれますかと声をかけて来ました。 実は今日はこれで二回目で、ホテルの近くの王宮では日本人の親子に声をかけられてシャッターを押しました。 私は旅行中に自分の写真を撮ることはないのですが、せっかくなので私の写真も撮ってもらうことにしました。 それにしても、こういうささやかな交わりも、神様が導いて下さっているのだなぁと思うと嬉しくなりました。 思いがけない経験をさせていただいた喜びの余韻にひたりながら、 駅に戻り再びカールスプラッツに向って行きました。 *Aシェーンブルン宮殿/リス 宮殿の右側から庭園に入りましたが、この宮殿の裏側が修復工事中、 というか黄色の壁と緑の窓枠の塗り替えの最中でした。 どおりで正面の宮殿が、やけに新しい色になっていると思いました。 私はカロリーを燃焼する為に、この広い庭園を散歩することにしました。 私は、6年前から公開されたという日本庭園に行くことにしました。 途中で孫をバギーに乗せたおばさんが、何かを指差して赤ちゃんに話しかけているのを見ました。 その指先を見ると、何かリスのような小動物がチョコチョコ動きまわっていました。 思わず、「Was ist das?(あれは何ですか)」と聞いてみると、 何やら難しいドイツ語で、真似して繰り返して言っても同じように発音出来ず(^_^;;、 「Auf Englisch?(英語では何というのですか)」と再び聞いてみると、 英語で何というのかわからないと言われました。 多分リスの一種だと思います。又暫くまっすぐ歩いて行くと、 別のリスが30m以上先の日本人のカップルのあたりにやって来て、 チョロチョロ動き回っていました。 私はどうしてもそのリスの写真が撮りたくなって、 「私が行くまでそこにいてね」と言いながら、静かに真っ直ぐ歩いて行くと、 右側の林のどこかに行ってしまいました。 ところが、私が少し先に行くと、何と同じリスが私のところに近寄ってくるではありませんか! 私はしゃがんでカメラを向けましたが、とにかくチョコチョコして周りを動き回っているので、 何度もシャッターチャンスがあり、そのたびに私はしゃがんだまま、 その場でぐるぐる回りながらシャッターを押し続けました。 本当につぶらな瞳でこちらを見つめているので、可愛いと思いました。 ひょっとしたら、観光客からえさをもらっていて、人間に慣れているのかも知れません。 「ごめんね、えさ持っていないのよね〜」と言いながら、しばらくリスと戯れていました。 一人旅だと、こんな話せない小動物でも、親しげに近寄って来ると嬉しいものです。 神様が送って下さった慰めでしょうか。(^_^) *@シェーンブルン宮殿/ランチ トラムでカールスプラッツに戻り、今度はHuetteldorf行きのU4という地下鉄に乗り換えて、 6つ目の駅がシェーンブルン宮殿でした。 マリア・テレジアカラーの黄色い夏の宮殿は、マリー・アントワネットがフランス王家にお嫁に行くまでここで育ち、 モーツァルトが今でいう小学校一年生位の時に、この宮殿で演奏を披露しました。 お昼時だったので、入り口右側のビュッフェスタイルのお店に入ろうとしたのですが、 左側に昨年オープンしたばかりだというPresidenzというカフェに入ることにしました。 旅先ではとてもカジュアルな格好をしているので、レストランには少し入るのを躊躇していたら、 アメリカ人の4、5人のグループがやって来て、ドアを押して「閉まっているよ。」 と言い諦めていました。 中にお客が入っているし、こんなお昼時に閉まるわけはない筈と思ってドアを見ると 「Ziehen(=pull)」と書いてあるではないですか!私はにこやかにドアを引いて見せました。 彼らは何故引くことを思いつかなかったのでしょうか? いつも思うのですが、アメリカ人は世界中を英語だけで通そうとせず、 旅先では基本的な現地の言葉くらいは勉強してよと思う。(^_^;; 私はここで、Ice TeeとSisi Sandwichという巨大なサンドウィッチを、 ナイフとフォークで格闘しながら、小食の私の筈なのに、信じられないことに全部食べてしまいました。 ふと、ショーケースに目をやると、おいしそうなケーキの数々・・・。 私はケーキではなくバナナとバニラアイスのパフェに目が行き、 花より団子で、宮殿の中はもう二回も見たので、パフェを食べることにし、 太らないように宮殿の広い庭園を散歩することにしました。 歩き回れば、少しはカロリーを消耗するかなと思って・・。(^_^;; 昨日ウィーンカードのガイドブックを見ていたら、ホテルの傍の王宮ホールでモーツァルトオーケストラのコンサートがあるのを知り、 早速王宮の前でモーツァルトの時代の衣装を着たチケット販売の人達から、 今夜20:15開演のチケットを購入し、Volksgarten(フォルクス庭園)の中を歩いていきました。 昨日トラムから見た所を歩いてみたかったので、今日はとても良いお天気の中散歩するような気分で歩いていました。 国会議事堂も市庁舎も修復工事中でしたが、 ギリシャ神殿のような国会議事堂も市庁舎もとても素敵で、とても芸術的な建物です。 Burgtheater(ブルク劇場)の傍に悲劇の王妃エリーザベトの像がひっそりと建っていました。 今日は良いお天気なので、これまで二度訪れているのですが、Schloss Schoenbrunn(シェーンブルン宮殿) に又行こうと思いました。Schloss Belvedere(ベルベデーレ宮殿)は又別の路線のトラムなので、 昨夜の時点では行くつもりではなかったのですが、午前中にベルベデーレに行くことを導かれました。 昨夜は乗り気ではなかった筈なのに、国会議事堂からウィーン南駅行きのDというトラムに乗って、 ベルベデーレに向いました。これまで何を恐れてこんな便利で快適なトラムを利用しなかったのかと思いました。 乗るときはボタンを押せばドアが開くし、降りる時はボタンを押せば、Aussteigen bitte Knopf drueckenが点灯して、 ドアが開いて降りることが出来ます。 オペラ座のあたりまでは、リンクの反対周りの2番と同じルートで、 右に曲がってそのいくつか先がベルベデーレでした。 トラムを降りるとすぐ傍が宮殿の横の入り口になっていました。 宮殿の裏側の景色はいつもと変わらず、しかしここも修復工事をしていました。 本当に良いお天気で喜びもひとしおでした。 イエス様ありがとうございます。(^_^) 一回目は母と一緒の真夏のパッケージツアーでここに来ました。 やはり夏は人が一杯でした。二度目はK子と4月下旬過ぎに来て、 クリムトとシーレの絵を見ました。 ベルベデーレの表側に周って宮殿の外観を見ました。 修復中の為、クレーン車の頭や何やらが入ってしまい、せっかくの美しい建物なのに残念でしたが、 写真を撮りました。正面の門から出来るとすぐに目の前に南駅がありました。 K子と来た時は、多分南駅から歩いて来たのでしょう。 こっちで来ても良かったかも知れませんが、毎回同じことを繰り返しても芸がないし、 つまらないので、今回トラムに乗ることを導かれたので、その通りにやって来て、 お天気も守られて本当に嬉しい気持ちになりました。ここにいた時に、 カメラのフィルムが終わったので取り替えようとすると、本当にさっと雲が現われて影が出来たので、 フィルムを支障なく入れることが出来ました。終わるとまたさっと晴れ間になりました。 こんな細やかな神様の心遣いには驚くばかりです。 午後はシェーンブルンに行きそこで、ゆっくり過ごすことにしました。 *今日のお天気 今朝祈りの時に、昨日寒い寒いと心の中で呟いたことを悔い改めました。 いつも自分の都合の良い天気ばかりとは限りません。(^_^;; そして、昨日よりもやや厚着をして出かけることにしました。 これは、自分でしなければいけない備えの範囲です。 傘を差すのが面倒だから、今日は晴れにしてねと神様に要求するわけには行きません。 でも「御心でしたら、雨が降っても良いですから、せめて冷たい風が吹きませんように。」と祈りました。(^_^;; 驚いたことに、今日は時には天気雨もありましたが、風もなく昨日とは打って変わった穏やかな晴れの一日で、 本当に感謝しました。 私のお祈りを聞いて下さったのでしょうか!
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5/8/2005
*王宮 今日は、13世紀後半〜1918年までハプスブルク家が住んでいたHofburgと呼ばれる王宮をじっくり見学することにしました。 1枚のチケットで、Kaiserapartements(皇帝の部屋)、Sisimuseum(シシィ博物館)、Silberkammer(銀器コレクション) 全て見学することが出来ます。 コレクションの何もかもが、驚きと溜息が入り混じったようになり、 圧倒されっぱなしでした。栄華を極めたハプスブルク家の絢爛豪華な生活を垣間見たような気がしました。 しかしながら、私が一番心に残ったのはシシィ博物館です。 シシィというのは、フランツ・ヨーゼフ1世の王妃エリーザベトのニックネームです。 資料によると、「戦いは他のものにさせるが良い。汝幸あるオーストリアよ。結婚せよ。」 というハプスブルク家の家訓であったという。 血を流す戦争によって勢力を広げて行くより、一見平和そうな感じがしますが、 その中で政略結婚をさせられたマリア・テレジアの16人の子供達の中の娘マリー・アントワネット(ドイツ語ではアントニエ) はフランスのルイ16世と結婚し、フランス革命でギロチン刑にされたのはあまりにも有名です。 そしてこのエリーザベトは、フランツ・ヨーゼフのいとこでドイツバイエルンの貴族の娘ですが、 フランツ・ヨーゼフの母ゾフィーとエリーザベトの母の思惑で結婚させられたようです。 結婚が何だかもわからずに15才でお嫁に行き、 自由な環境の中で幸福に子供時代を過ごして来た彼女には、 ハプスブルク家の王宮生活はあまりにも堅苦しく、これが一生続いたそうです。 しかし、彼女の顔もスタイルも人並みはずれて余りにも美しかった為に、 当然市民ばかりでなく外国でも有名だったようです。 彼女がすごいのは、子供を三人産んでも、生涯172cmの身長に対してウェスト51cm、 体重47sを保っていたのだということです。 そのスタイルを保つ為に、今で言うダイエットや美容体操を毎日こなしていました。 部屋に器械体操の人達が使う道具が置いてあったり、部屋の入り口付近に吊革が下がっていたのには驚きました。 又、初めてバスタブを導入し冷水入浴をしたり、又美しい肌を保つ為に色々な種類のパックをしたり、 とにかく美に対する追求と努力には脱帽ものです。 でも、50代になると栄養失調に悩まされ、美しい顔も何も急速に衰え、 人前に出る時は扇などで顔を隠すほどだったと言います。 あまりにも美しい人の悲劇なのでしょう・・・・。 若さや美しさは束の間のものと、私は27歳位の時に気が付きました。 これからは内面を磨かなければと思ったものです。(^_^;; (アルバムを見た友達の話によると、私のピークは26、7歳だったといいます。(笑)) エリーザベトは、病気の療養の為に国外にいることが多かったと言います。 恐らく、鬱病だったのではないかと思われます。(何だかどこかの国のプリンセスとダブってしまいます。) 彼女は61才の時に旅先でテロリストに暗殺されてしまいました。 本当に悲劇の王妃を思い、何だかとても心が痛みました。 *初めてのトラム シュテファン寺院で充分に心も霊も満たされたものの、 一歩外に出ると寒い・・・・・・とにかく寒い。(^_^;;そして晴れているのに雨も降ったり止んだりで、 風が強いのが一番辛い。かなり忍耐を強いられる一日となりそうな気配でした。 日曜日なので、あちこちのお店も閉まっており、お土産屋の中が暖かいので、 明日買う予定のお土産の下調べをすることにしました。 しかし、いつまでもそんなことをしていても、せっかく観光に来ているのだからと、 ケルントナー通りをオペラ座に向って歩いて行きました。 すると、お導きで、何故か外国では勇気がなくて乗ったことがないトラム(路面電車)に乗ることにしました。 ウィーンのトラムの中でも、リンクと呼ばれるウィーンの中心部を囲む環状道路に沿って、 右回りが1番左回りが2番というトラムが走っており、 心配しなくても30分もすれば一周して、必ず戻って来るので安心です。(笑) トラムは道路すれすれに走っていて、人に優しいトラムという印象でした。 オペラ座からしばらくは、9年前にK子と歩いて廻ったマリア・テレジア像の辺りから、 国会議事堂、市庁舎、ウィーン大学が進行方向左側に、 次々目に入りました。 ざーざー降りの雨ではなく、傘を差さなくても大丈夫なのですが、 風の冷たさが少々辛いので、暖かいトラムの中から市内観光が出来たのは、 思いがけなく本当に感謝でした。 一周りすると、風は冷たいものの、晴れてきました。 *ミサ ホテルの朝食のレストランもエレガントで、 本当にお姫様になったような気持ちになりました。 9時半すぎには、日曜日なので迷わずシュテファン寺院に行きました。 数年前、イギリスのウェストミンスター寺院では礼拝に入れてもらえませんでしたが、 ここは正面の柵?は閉めてあったものの、横はちゃんと信者が入れるようになっていましたので、 晴れてミサに参加することが出来ました。 多分ノン・クリスチャンでも入れるのではないかと思います。 私が入った時は、最初のミサの途中でしたが、前の方の席に進んで座りました。 ワーシップソングのようなメロディーの曲を歌っていたので、 カトリックなのにと意外に思いました。 暫くして前に出て行き跪いていると、聖餐(聖体拝領?)に与ることが出来ました。 聖餐のパンは、薄くて小さくて丸いウェハースのようなものでした。 一回目のミサが終わって少し経つと、10:15からのミサが始まりました。 オーケストラと聖歌隊の歌声が、まるで天国からこだまして来るように美しく、 寺院の中に響き渡っていました。 カトリックのミサに始めから終わりまで出席したのは初めてなので、 何を見ても聞いても新しく、物珍しく思えました。 中央の一番前の席に移動していた為、お香?の煙が良いにおいではなかったので、 やや煙たく鬱陶しかったのですが、厳かに行われるカトリックのミサは、 とても厳粛な気持ちにさせられます。 流れにまかせていると、再び聖体拝領になりましたが、やはりウェハースだけでした。 儀式を行っている人達だけがワインを飲んでいるのは、 普段教会で兄弟姉妹誰でも、パンと葡萄酒の聖餐を頂いているプロテスタントの私には、 理解出来ませんでした。 でも、ミサの中でふんだんに流れる讃美の歌声と演奏に、 永遠に生きて変わらないでおられる神様の偉大さと、 このような小さき者をも見出し心をかけて下さっていることを思い、 本当に喜びで満たされました。 *思いがけないコンサート 昨日13:00前には、既にホテルに到着していた為、 さっそく人々で賑わっているケルントナーシュトラーセを散策しました。 9年前にK子と滞在した、歴史を感じさせるHotel Astoriaもあり、 当時のことを思い出し懐かしい気持ちになりました。 当初私の旅のテーマは「音楽」でしたが、旅程の変更や仕事などでドタバタしていた為、 結局オペラやコンサートのチケットを購入する暇がありませんでした。 昨日とりあえず、シュテファン寺院に行かなくてはと出かけ、 K子との思い出に浸りながら外に出ると、 200年位前の当時のカツラと衣装を着た人に声をかけられました。 街中で、コンサートのチケットを売っている人達の一人でした。 とても興味を持ったのですが、こんなカジュアルな格好でも良いのかを聞くと、 全然問題がないと言うので行くことにしました。 ちょっと外は寒いので、ジャケットの下を長袖に変えて、 Stephansplatz(シュテファンズプラッツ)から2つ目のVolkstheater(フォルクステアーター)で下車し、 Palais Anerspergに行きました。 宮殿が小さなコンサート会場になっていました。 Residenz Orchester7名による演奏は、 モーツァルトやヨハンシュトラウスの馴染みのある曲ばかりでした。 次に、当時の衣装を着たソプラノの歌手が『フィガロの結婚』から伯爵夫人の『Dove sono i miei momenti』 を歌いました。これは私も声楽のレッスンで歌ったことがある息も絶え絶えになる難しい曲ですが(^_^;;、 当然軽やかな素敵な声で歌っていました。 次に、私は最も興味深く又楽しんだのは、 男女2名によるバレエでした。信じられないことに、 うちの教会の講壇よりも狭いステージで、 オーケストラの人達だけでも狭そうなのに、その同じステージで飛んだり跳ねたり、 ぐるぐるまわったりしていてすごく楽しく美しいバレエでした。 お馴染みのラデツキー行進曲で手拍子をしたり、 曲の途中でお客の一人をステージに上げ、 トライアングルを叩かせたり、約1時間半の間に、オーケストラの演奏やソリストの歌バレエなど、 あきさせない楽しい演出でした。 思いがけずに、小さくてもフレンドリーなコンサートに出かけることが出来、 外は寒かったのですが、とても嬉しい気持ちで一杯になり、 神様のお導きに感謝しました。 *チャーミングな街 昨日9:00にブダペスト東駅(Keleti)を出発した列車は、 ウィーン西駅のずっと先のドイツのケルンやドルトムントまで行くようです。 二等のコンパートメントで、予約していない区間が空いている席に座りました。 12:20にはウィーン西駅に無事到着しました。 5月4日に出発した駅なので、見慣れた風景と人々の交わすドイツ語に安心感を覚えました。 やはりブダペストでは、どこもかしこもハンガリー語で、 アルファベットも英語式に読めないので、駅の名前を読むのも聴くのも難解だったからです。 ウィーン西駅でT/Cをユーロの現金に換え、72時間市内の交通機関に自由に乗り降り出来、 又、Museum等が割引になるWien Karte(Vienna Card)を購入しました。 滞在するホテルは、シュテファン寺院の近くなので、U3という地下鉄で、 5つ目のStephansplatzで下車しました。 9年振りのウィーン市内、シュテファン寺院のあたりはにぎわっていました。 地下鉄の中でもどこでも、ローマのように極端にスリや引ったくりに警戒するような雰囲気ではなく、 ウィーンはどこを見ても洗練されていて、素敵でチャーミングな街です。 駅から4、5分行ったところにある、30室ほどしかない小さな4つ星ホテルのHotel Amadeus に到着しました。(HPがあったのにいつの間にかなくなっていた・・。) AmadeusはMozartのミドルネームですが、ホテルのマークがモーツァルトの横顔のシルエットでした。 こじんまりした小さなホテルですが、白が基調で家具も何も全て白、じゅうたんは赤いバラを思わせ、 クローゼットの中はほんのりとバラの香りがします。 恐らく男性には似合わない、女性にはエレガントでチャーミングな雰囲気が喜ばれることでしょう。(^_^)
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