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Rejoice always,pray without ceasing,in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.

My Diary


5/12/2005

*時間が経ち過ぎて・・・

この日記を実際にアップしたのは、今日・・・何と9月3日になってしまいました。 途中まで書いて、時間が経ち過ぎてしまい、最後のところを書き損ねてしまいました。(^_^;; 代わりに、写真を貼ってお茶を濁すことにしました。(笑)

三枚の写真の一番左は、チボリ公園の中でランチをした時のオープンカフェのようなレストランです。 2000年にモーちゃん達と三年ぶりで再会した時に、 夜中までチボリ公園の中で、パントマイム劇場を観たり、おしゃべりをしたり、本当に楽しかったことを思い出しながら、 つい同じカフェレストランに入り、デンマークで有名なオープンサンドウィッチを食べました。(^_^) 旅行中にレストランに入ると、日本語に直訳すると「おいしく召し上がれ」とか、 食べ終わった時に「美味しかったですか」のような声をかけてもらえるのは嬉しいです。 真ん中の写真は、昨年改装工事が終わったあのロイヤルコペンハーゲンの本店です。 ヨーロッパではありがちですが、歴史を感じさせる外観は損ねないようになっています。 横の白い建物は、銀製品で有名なジョージジェンセン(イェンセン)です。 どちらのお店も、庶民には遠い存在ですが(笑)、中のディスプレイとかを見ているだけでも目の保養になります。 さながら博物館のようです。(^_^) 一番右の写真はニューハウンというところです。毎年ここに来ると一回はここでランチを食べます。 天気が悪いと私などはお店の中に入りますが、デンマーク人などは、 どんな天気でも外のテーブルで食べていることが多いです。 開放感があるからでしょうか。

何か中途半端な旅行日記になってしまいましたが、又来年〜。来年はどこに行こうかな。(^_^)/~~~


5/11/2005

*モーちゃん宅で

17:00を10数分過ぎた頃、モーちゃんが車で私を迎えに来ました。 相変わらず肌の色つやも良く元気そうでした。 ハンガリーに行っていたこともあり、5年前にディナーに招待されたデンマーク人とハンガリー人の御主人のことを思い出し、 モーちゃん達がスペインのマラガの別荘で彼等に会ったかを何気なく聞きました。 すると、全く驚くような話を聞きました。 知的で色々な学位を持っているあの奥さんが、脳内出血(多分)で難しい手術をしたということでした。 回復しても車椅子の生活か、意識が子供レベルになってしまうかも知れないのだそうです。 倒れる2、3日前には全く元気で、一緒に食事をしたり楽しくおしゃべりをしていたのにです。 本当に驚きました。又モーちゃんが東京にいた時に、彼の前に赴任していたディレクターMr. Oがガンで亡くなったと言う話も聞きました。 その後インドネシアの地震で、昨年モーちゃん宅で会った話好きなLさんは無事だったのか、 心配だったので聞いたところ、同じインドネシアでも震源地から遥かに離れているので、 被害に会わず元気だということがわかりました。 又今年も、先客でモーちゃん宅に泊まっているということで、 昨年のtoo talkativeぶりには、もーちゃんの息子夫妻も私も本当に忍耐を強いられてうんざりしたものですが、 地震の被害に遭わないで無事だとわかったので、生きているのを知りホッとし、 お喋りのストレスはどうでも良いと思いました。 他にも仕事のことなど色々話したのですが、ここ1年で色々な出来事があったことで、 モーちゃんも私も、本当に先のことは誰にもわからないものなのだと、珍しくしみじみと語り合ったのでした。

モーちゃんの「We are home.」という声に、あぁ帰って来たと改めて思いました。 ガレージから家に向って歩いていると、「(マラガから)帰って来たばかりで、庭が綺麗になっていないんだよ。」 とモーちゃんが毎年のように同じ事を言っていました。(笑) 彼が気にしている程、日本人の私には全く気にならないというのに。(^_^) 玄関を入ると、「Hi! S.!」と長身のミセスが満面の笑顔でやって来て、 私は少し背伸びをして、心地よくハグされました。これも毎年の光景です。 (Sとは私の苗字で、彼等は親しいと苗字を呼び捨てにする習慣があるのです。) そして、私の一年間の出来事をサマライズしてミセスにお話するのも、 毎年のことです。(笑) 私が大好きな人の話をする時は、目をキラキラさせて満面の笑顔だと良く言われます。 その大好きな人達の一人であるミセス本人と話しているのですから、 私はどれだけ嬉しい顔をしていることでしょうか。(^_^) Yとはまだ良い関係が続いているのとか色々な話をしました。 今回は私の仕事のことも話題にのぼり、 私は日本の派遣法が変わったことや、どうやって採用するのかの流れまで詳しく話しました。 そういう話を興味深く聞いてくれるのは嬉しい。ミセスはとても好奇心旺盛なので、 どんなことでも喜んで聞いてくれます。 途中から、インドネシアから来ていたLさん(デンマーク人ですが、インドネシアに帰化した女性) もリビングルームにやって来て再会を喜びました。

今回も本当に色んな話をして書ききれないくらいなのですが、 もーちゃん達は、もーちゃんが前にいた会社ではイランに赴任、 その後転職してインドネシアに5、6年、その後日本に4年間赴任していたので、 面白い話題には事欠きません。 その中でとても面白い話だなと思ったのは、インドネシア人の正直さについてでした。 モーちゃんがインドネシアでお財布をすられた時、 泥棒にとってはあまりにも大金だった為に、 財布の中に入っていたモーちゃんの会社の名刺にあった住所に、 盗んだ物をA4の封筒に入れて返して来たという信じられない話でした。 もーちゃんはちょっと席を外して、その「封筒」を持って来て見せてくれました。 その封筒には、大きな字で「I'm sorry.」とマジックで書いてありました。(笑) それを保管していたモーちゃんにもある意味感心してしまいました。(笑) しかし、その話を聞いていたLさんも、全く同じ経験があると言っていました。 泥棒にも良心があったということでしょうか。複雑ですね〜。(^_^) 後、イランにいた時に、モーちゃんのお母さんがひったくりに遭った時の武勇伝をミセスから聞きました。 でも、この話聞くの三回目位かも。(笑) ハンドバックをひったくられて、大きな声を出したので、大勢の男性に何重も取り囲まれたそうですが、 その中に犯人がいるのにピンと来たお母さんが、泥棒の胸ぐらをつかまえて平手打ちをし、 自分のバッグを取り返したというすごい話。(^_^;; バイキングの女性は体力があるしタフだから、さすがだなぁ〜と思いました。(笑)

*CPH市内

デンマークも8回目になると、これと言って新しいことも何もなく、 モーちゃん達に会う以外は特に予定を立てていませんでした。 でも、17:00にピックアップされるまで時間が充分にあります。 Ibis Crownは朝食が10:00で終わってしまう為、10:00近くに食事をし部屋に戻って充分にお祈りをしてから、 部屋でくつろいでから外に出ました。 外は晴れていても寒いです。 本当に今年のヨーロッパの気候は、コートを着る程の寒さではないですが寒いです。 成田からウィーン空港に着いた時は27℃もあったので、 今回はずっと暑いのかと想像していました。 でも、それとは反対に、ブダペスト以外はずっと寒い日々が続きました。 昨日ウィーン空港で日本人の団体客を一緒になったのですが、 彼らの話によると、ドイツも相当寒かったようで、晴れたり雨が降ったりに加えて雪も降ったらしく、 コートを持って行って良かったとのことでした。 今年はドイツには行かなかったので、この雪には耐えられない服装だったら、 昨年のようなドイツ三昧の旅はとても出来なかったでしょうと思うと、 本当に全てが神様のお導きだったのだと感謝しました。

ホテルから徒歩で10分位のところにあるチボリ公園の反対側に、 インターネットカフェがあるので、とりあえずそこに行きました。 昨年もそこを利用しましたが、残念ながら日本語が読めませんでした。 ところが今年行ってみたら、"Opera"というブラウザーに変わっていて日本語を読むことが出来、本当に嬉しくなりました。 私のHPのリンクを辿って、菅野先生のHPの先生の写真を、 ヨーロッパで一体何回見たことでしょう。(笑) 今年の旅行中あまり寂しいと感じなかったのは、日本にいる時と変わりなくBBSで交流が出来たからだと思います。 これも感謝です。私の日記などは文字化けでも何故かBBSの日本語はバッチリ読めて感謝です。 一時間使ってもDKK30(1DKKは18円位?)でした。ブダペストのホテルのと比べたら随分安いので感謝です。 その後私は、あまりにも寒かったので、本当に久しぶりにLouis Tussaud's Wax Museum(ルイス・タッソー・ロウ人形館) に行きました。 昨年結婚したばかりの皇太子夫妻や、日本人は昭和天皇が、又、ブッシュ大統領、ブレア首相、 リチャード・ギア、ジュリア・ロバーツ、マドンナ、チャップリン、もう何でもありって感じでした。 多分9年前とは随分入れ代わっていると思います。 又当時あったかどうか忘れていましたが、 好奇心に負けてホラー館に入ってしまい、すぐに後悔しました。(^_^;; 引き返すことも出来ず他の人にくっついて、思わず小さく異言の祈りをしながら歩いて行きました。 馬鹿な私・・・。(^_^;;


5/10/2005

*コペンハーゲン

(私は古いデジカメしか持っていないので、旅行の時はいつも普通のカメラ持参ですが、 せっかくなので携帯のカメラで写真を撮ってみました。(^_^) この空港は、とても洗練されていてきれいで好きな空港の一つです。)

このコペンハーゲン Kaastrup Airportには、いったい何回降り立ったのだろう。 毎年来ている成田空港より遥かに親しみを感じます。 空からコペンハーゲンが見えると、いつも「ただいま(^_^)」と実家に帰って来たような錯覚を覚えます。 私は一年に一回実家に帰っても日帰りなので、 毎年二、三泊しているこのコペンハーゲンの方が、最近では身近にさえ感じます。(^_^;; たまにドイツ語に似た単語はあるものの、全くと言って良い程デンマーク語はわかりません。 でも、不思議なのですが、音としては聴き慣れている為、 意味はわからなくても、スウェーデン語とデンマーク語は区別が付くから不思議です。 デンマークに来るとホッとするのは、やはり癒しの国だからだと思います。 ドイツなどの険しい顔つき(全部が全部ではありませんが、特にお年寄りに多い)はなく、 何かとても素朴でリラックスした穏やかな人達に見えます。 空港からコペンハーゲン中央駅までは13分位なのですが、 電車の中で、60代位の5,6人のグループとたまたま一緒になって、 彼等がコンダクターと話している様子が、とてものどかでほほえましく、 『あぁ、今年も帰って来たんだなぁ。』としみじみ思いました。 主の御手に守られて、飛行機が着いてからホテル(駅から徒歩10分)までは40分もかからない素早さで、 夜道に時間を少し気にしていましたが、考えたら、コペンハーゲンの20:00なんて、充分に外は明るいのでした。(^_^;; 21:00にモーちゃん宅に電話すると、いつもの明るくて暖かいミセス(モーちゃんの奥さん) の声が受話器から聞こえて来ました。 私は旅行中に、あまり人と話をしていなかったので、 普通の会話が出来るのがとても嬉しい。

heidi:	一時間前にホテルに着きました。
Mrs.R.:	ホテルはどう?comfortableなの?
heidi:	今度のIbis Crownは広い部屋で、昨年のホテルより遥かに快適ですよ。
	昨年のSavoy Hotelはちょうど反対側に見えますよ。(^_^)
Mrs.R.:	それは良かったわ。昨年は狭かったのよね。(^_^)同じ通りなのね。
などの会話をした後、明日の17:00モーちゃんがホテルで私をピックアップしてくれるということで、 私は明日が待ちきれない位、わくわくし嬉しくなりました。 私は人と会う時は、いつもわくわくするのですが、 モーちゃん夫妻と会うのは特別にわくわくします。(^_^) 神様が出会わせて下さった、本当に尊敬する大好きな人達です。 明日が楽しみです。私は、旅行の最後の2、3日はいつもコペンハーゲンに寄っているのですが、 目的はただ彼等に会うだけです。 ブダペストやウィーンでは、アクティブに動き回っていましたが、 コペンハーゲンは、ちょうど運動の後のクールダウンをしているような状態です。 5月3日からずっと私を導いて下さったことを感謝すると共に、 残りの数日間も導かれて有意義な時を過ごせますようにと祈りました。

*Aウィーン空港/変更

何故かコペンハーゲン行きは、17:25と遅い便しかなかったので、ホテルをチェックアウトし、 地下鉄に乗り、リムジンバスでぐるぐる遠回りしているうちに12:30は回っていたので、 時間が余計にかかったことも益にして下さったことを喜びました。(笑) それにしても、あと5時間近くあります。(^_^;; 荷物を持ってどうしようかと思いましたが、オーストリア航空の日本人スタッフが寄って来たので、 「随分遅い便なのですが・・」と言うと、「大丈夫ですよ。チェックイン出来ますよ。」 と言ってくれたので、チェックインは2時間前くらいからしか出来ないという思い込みがあったことを知りました。 そして、無事チェックインしました。

Gate No.はC54とBoarding Cardに印刷されていました。 boardingは16:55と先は随分長いなぁと思いましたが、 「主よ、どうやってここでその長い時間を過ごしたら良いですか?」 と祈って委ねました。とりあえず空港の中を歩いて、洗面所を探すと近くにレストランがありました。 いつもの私ならば、こんなカジュアルな格好だからと気が引けて入れないのですが、 飛行機がが見えて眺めが良かったので、ファーストフード店ではなく、 思い切ってレストランに入ることにしました。 時間も時間だし、コペンハーゲンのホテルには20:00近くになるので、軽食ではなくちゃんとした食事をすることにしました。 そう言えば、ウィーンでヴィエーナ・シュニッツェルを食べていなかったので、 それっぽいものを注文しましたが、思いがけずおいしい食事を頂き感謝感激でした。 そして、そのレストランで一時間ちょっと過ごしました。 私は結構慎重なので、わかっているのに何度も確認する癖があります。 フライトの出発ゲートの掲示板を見てみるとC54ではなくC59になっていました。 何度見ても同じ_C59でした。 私はこれまで何十回も飛行機に乗っていますが、Gate No.が変更になったことは一回もありませんでした。 (まぁ、数年前にロンドンからグラスゴーに行った時は、 フライト自体がキャンセルになってびびったことはありましたが・・。(^_^;;) 近くにいたオーストリア人スタッフに、Gate No.をチェックしてもらいました。 するとやはり、変更になっていました。 プリントしてあるから正しいとは限らず、変更されることもあるのだと言うことを知りました。 笑われてしまうかも知れませんが、たまたま体験していないと知らないことは多いのです。(笑) 私は今日空港で、二つの新しいことを学んだなぁと思い感謝しました。

仕事でも同じように、数ヶ月前に導入したばかりの、 派遣社員のウェブタイムカードのシステムで数百人もいるユーザーに対し、 その使い方や何やらでヘルプデスク的なこともしなければならない為、 月2回ある〆日には少しドタバタします。 私はそれをあまり考えず、旅行代金を安く浮かせようとして、当初4/27-5/10に旅行を予定していましたが、 デンマークのモーちゃん@元ボス夫妻が、 マラガの別荘から戻るのがいつもより遅くなるというファックスが入った為、 5/3-5/14に変更したのです。 その為、確か二万円程高くなってしまいましたが、 仕事のことを考えると、タイムカードの〆の翌日に私がオフィスにいた方が、なるほど、 ずっと良かったのだと思いました。 そして、良く考えると、日程が2日短くなった為、ホテル代が2泊減るのだから大丈夫なのだと気が付きました。 そして仕事を引き継いだ私の上司が困らないように、主がそうして下さったのだと思いました。 主に委ねていると、「何で?」と最初思ったことでも、 後になって、それで良かったのだ導きだったのだとわかるものです。 気が遠くなるほどの待ち時間だなと当初は思っていましたが、日記の続きを書いたりしているうちに、 あっと言う間に発つ時間が来ました。 本当に感謝です。主が共にいて下さったので全然飽きることはありませんでした。(^_^)

*@ウィーン空港/失敗

ウィーンのホテルを出る前に、これまでのことを感謝し、これからの旅行中も守られるようにとお祈りをし、 又ウィーンからウィーン空港まで、その先の飛行機も無事守られ、問題なくコペンハーゲンから電車に乗って、 ホテルに着くようにお祈りし、全てを御手に委ねました。 5月3日日本を発ってから、今日の今日まで主が共にいて下さいまして、 何の心配もなく天候も健康も守られ、大きな門談もなく過ごしてきました。 しかし私は、うっかりして、考えられないような前代未聞の、格好悪い失敗をしてしまいました。(^_^;; ウィーンのホテルからシュテファンズプラッツ駅でU1に乗り、一つ目のシュヴェーデンプラッツで下車をし、 空港行きのリムジンバスに無事乗りました。 オーストリア航空のフライトアテンダントやその関係者が多く乗って来て、普通の乗客は殆ど居なかったと思います。 15分もすると空港の周りは一方通行なので、ぐるっと廻って、 最初の所に着きました。確かここは到着した時の場所です。 数人しか降りませんでした。そして又走り出してぐるーっと廻って停まった所で皆が降り始めたので、 私も降りましたが何か変です。 そこで運転手に、「たぶん私は何か間違えたのかも知れません。 ここはAbfart(出発)の場所ですか?」と聞くと笑われてしまいました。 すぐに日本人のスタッフが、何事かと心配して私の方に駆け寄って来て、 「どうしましたか?」と聞かれました。 私は、「シュヴェーデンプラッツから空港行きのバスに乗った筈なのですが、 私はスタッフ用のバスに乗ってしまったのですか?」と聞くと、 何のことではない、私は最初に停まったところで降りなくてはいけなかったのです。(^_^;; AbfartもAnkunftも同じ場所の筈はないという先入観が間違いの元だったのです。 こんな小さな空港で間違えるなんて格好悪いと思いました。(^_^;; でも、その日本人女性が運転手に説明してくれて、私は運転手に、 「私はこのバスの中で、20分待っているだけで良いのですね?」と再確認しました。 次に移動した場所は運転手の休憩の場所なのか、そのままバスの中で10数分停まっていました。 再び動き出し、走って来たルートを戻り、無事本来降りるべき所で降りることが出来ました。 慣れない空港で、一瞬本当にヒヤッとしましたが、 主はちゃんと先のことも御存知で、このような助け人を送って下さるのですね! 大勢いたスタッフの中にたった一人だけ日本人がいたなんて。 そう思うと泣きたい程嬉しく感謝しました。

2000/4-2002/11までの日記は、諸事情により、当面非公開とさせていただきます。