これまでの「今日のコラム」(12月分)

2000年12月1日(金) 確か三日ほど前の日刊工業新聞であったと思うが、「フレッシュマン産業論文コンクール」の入賞作が掲載されていた。第一席は女性で(入賞者3名が女性で完全に女性優位 ) 「1200年の叡智」と題する論文。京都の優良企業が欧米型、日本型の経営の良いところを併せ持って発展する様を、自分の好きな京都の文化と比較しながら上手に論じていた。「フレシュマン(ウーマンだが)」がよくここまで書けると本当に感心した。その後、しばらくして、何というか、音楽の新人コンクールで完璧に老成した演奏が主席を獲得した時のような、若者ならばもっと荒削りな部分もあってもいいのでは・・というまことに反動的な印象がちらついてきた。作者には何も他意はない。立派な論文であるが、自分の勝手な感覚に実は少々狼狽したものだ。
2000年12月2日(土) 「継続は力なり」という言葉がある。進歩はなくても、誰も認めてくれなくても、途中で挫折しそうなところを、ただ継続していることが、ある時、大きな意味を持ってくることは経験するところであろう。この場合の「継続」は、新陳代謝がmost welcome のところに、地位や、権力に執着して「継続」する老害の分野とは基本的に異なるものである。他の世界から見ていると殆ど意味がないような修行の継続が人を感動させる・・こういう継続には価値を認めたい。12月の声を聞くと、この「今日のコラム」を書き始めて、もうすぐ1年になるな・・と意識する。これこそ殆ど意味がないものの継続かもしれないし、それが「力」など持たないからこそいいのだと思う。無理に存在に意味を持たせようとするぐらいならば、新陳代謝を考えよう・・。
2000年12月3日(日) 以前から欲しいと思っていたROMライター(パソコンのデーターをCDのデイスクに写 し取る装置)を購入した。事始めに、デジカメ写真の2年間分のファイルをCD-RWに焼き始めたら、終わらなくなった。その間に、アンとアール(犬達)を散歩に連れていき、風呂に入り、夕食まで済ませたが、まだまだ終わらない。パソコンが使えないとこんなに時間がたっぷりあるものか。・・ということで、今日のホームページ改訂の予定は大幅に狂ってしまった。予定は狂ったが、キーボードと無縁の時間はゆとりとなり、これはまた格別 。日頃、パソコンに時間を占領されすぎないよう警告されたと解釈しよう、CD-RWの結果 は ・・実に、190分余を費やし、失敗作を作ってしまったオソマツ・・。
2000年12月4日(月) 前回に引き続いて、「今日の作品」に昔の作品を掲載した。本当の「今日」の作品でないが、昔のものはそれなりに懐かしい。今回のは、皇太子殿下が雅子様とご結婚の日(休日)に描いたと記録してある。裏にはいつもどういう状況で描いたかをメモしているので、古い日記を見るような親しさがよみがえる。今は、INFORMATION TECHNOLOGY (IT)の大流行であるが、こんな情報、こんな絵もインフォーメーションの一つであろう。今日はじめてインターネットというメデイアに載ったこの作品は、やはり自分にとって、「今日の作品」と呼びたいものなのだ・・。
2000年12月5日(火) エジソン(1847ー1931)は発明家ということになっている。生涯で取得した特許の数が1093件というから、正に発明家であるが、これは、彼が生きた時代の特許制度の意味が大きいようだ。この時代のアメリカは特許権強化の政策により工業化を猛烈な勢いで推進した。その政策を進めたのはリンカーン大統領(1809ー1865)で、リンカーンは特許制度に詳しかっただけでなく、自ら「輸送船」などの特許を持っている発明家だったというから面 白い。私は以前はどちらかというと、アンチパテント(特許権を強化したくない方)であったが、今は違う。個人の「知恵」を守る特許権の思想は、いわば日本式集団思想から一番遠いところにあるが、これからは、個人の「知」を認めることが真のグローバル化の基となるであろう。エジソンの発明を継続するエネルギーは、個人の権利が認められるところに源泉があったに違いない・・。
2000年12月6日(水) 昨日に引き続きエジソンのことを書こう。エジソンの言葉として、「天才とは、99%の努力と、1%のインスピレーションである」が有名である。実際に、エジソンの発明のやり方は「天才」というイメージとは、ほど遠かったらしい。1877年蓄音機を発明し、1879年白熱電球、1889年映画撮影機などその後の100年間の生活にも大きな影響をもたらした発明も、想像を絶する忍耐と努力の結果 と見られている。電球のフィラメントの材料を選ぶために、日本の京都近郊の竹を含んで実に7000種類の材料をテストしたことが記録されている。どうして失敗ばかりしているのに諦めないのか、と言われたとき、エジソンはこう答えたという:「自分は失敗をしたとは思わない。上手くいかない方法をどんどん見つけているのだ」・・まさに、プラス思考ではないか!
2000年12月7日(木) 「KY」という言葉がある。非常に泥臭く「Kiken Yochi=危険予知」を日本語の頭文字で表した標語のような言葉でもある。KYにより事故を防ぐ訳であるが、公式にはともかく、本音で言えば、事故がらみの話は自分にとっては何とも自信がない。今日のようにほろ酔い加減の時には、まず、帰路、フラフラしてホームから落っこちると電車にひかれるという危険を先ず感じながら、倒れないように、飛び込まないように一生懸命に意識する。けれども危険は予知するけれども身体が云うことをきくかどうかは保証の限りでない。実態は酔った状態では、何事も面 倒となり自分が何をやっているかはっきりした自覚もない。死亡事故などというものがいとも簡単に発生してしまうが(今日もそんな事故があったので)、ほんの少しのタイミングで生きるか死ぬ かの分かれ目となり、何故危険を予知できなかったのかということになる。勿論、酔ってはいなくても、大抵の場合、現実には責任感の強い人ほど我が身の危険を後に考えて、命を落としているので、KYでは片づけられないやりきれなさを感じる。それでもKY=危険予知・・。
2000年12月8日(金) 「昨夜はコラムを書いてHPを改訂しようかと思うと、どうしてもプロバイダーへ接続できなかった。年に何度か こういうことがあるが、不思議にこちらの条件が最悪の時に限って、プロバイダーの方も事故を起こすように見える。時間は遅い、お酒が入っている、眠い・・こんな時、10回、20回繰り返してもプロバイダーに繋がらないのだ。考えてみると、その時に、どうしても改訂するという必然性は何もない。コラムが一日そのままでも誰も困らない。気分を悪くして、腹を立てるくらいなら、現状維持でもいいのでは。・・というと「悪い奴」ばかりがはびこるのを認めることになる。やはり、大いに腹を立てることにしよう・・。
2000年12月9日(土) クリスマスカードは、クリスマスの日の前に届くように出して、受け取ったカードはクリスマスまで飾っておくという風習にならって、少し早めのクリスマスバージョンを「今日の作品」に入れた。これとは別 に実は「コーギーのクリスマス」を描きたいと構想をねっていたのだが、そもそも「クリスマス」とは何なのだと考えると進まなくなってしまった。キリスト信者ではない私達がキリストの誕生をどう祝うのか。キリスト(Christ)のミサ(mass)という名前のクリスマスも波乱の歴史を抱えている。12月25日をクリスマスと定めたのは、2ー3世紀に初期のキリスト教宣教という政治的な背景から始まったと云われる。その後、16世紀以降、19世紀末まで、世俗的に決められた12月25日はキリスト生誕日として祝ってはならないとされた時期もある(英国の清教徒による)。1890年になって12月25日が休日と指定されてから現代のスタイルに近くなってきたようだ。・・西洋人には素直にMERRY CHRISTMASのカードをだすが、コーギーのクリスマスは止めにする。日本の中では皆、商戦に組み込まれた贈り物の様相なので、あえて宗教的雰囲気のカードが欲しくなった。
2000年12月10日(日) お墓参りと法事のために車で外出したが、FM放送を楽しみながらほとんど時間を感じなかった。グレングールドのモーツアルトを聞いてうれしくなったのである。ご存知の方は多いと思うが、(10月30日の「今日のコラム」に略歴あり)グレングールドはカナダ人の極めて異色な、独創的なピアニスト。今日のモーツアルトの場合、でだしは誰も知っているテンポの3倍くらいゆっくりとしたペースでスタートする。あれれ・・と思わず引き込まれてしまうが、あるところでは猛烈な早さで小気味よく進み、また元のテンポに戻る・・終わった途端にすっかり、グールドの世界に取り込まれたことに気がつく。抜群のテクニックに裏付けられているので、譜面 通りでないという議論を越えてグールドの音楽が発揮される訳である。ただ、話に聞くとグールドの演奏を子供の手本にするところがあるらしいが、これは全く見当はずれというべきであろう。グールドの音楽はグールドだけの世界であって、模倣するものではない。丁度、子度が一見描けそうなピカソの絵を子供に無理に真似させるのと同じ奇妙なことになる。・・ともかく、こうした天才の個性を享受できるとき幸せを感じる。
2000年12月11日(月) 「局所最適」が全体 最悪を産んだ例がJCOの臨界事故だ・・というふうに、局所最適化は必ずしも、全体の最適に結びつかないという論調を最近よくみかける。それはそれでわからぬ 事もないが、この議論どうも危ないと感じるところもある。全体を最適にするために部分を切り捨てる口実に使われ、それも全体の姿が見えない。村や企業体が最適のつもりでも、国全体では最適でない、国では最適のつもりでも世界では最適でないなど・・世界人類を全体とする最適化とは誰が判定するのか、地球に最適である必要はないのか・・突き詰めていくと誰のための最適化かわからなくなる。もっと身近に、企業が生き残るため、次世代のためにお前はいらない、お前の給料は半分・・となれば、アレレ・・そんな局所の犠牲のもとに、誰が生き残るのだ、次世代とは誰なのだと云いたくなる。エゴではない個人という局所の最適化が本来は望ましい。
2000年12月12日(火) 12.12.12日。何か面 白いことはないか・・というとき、コーギーリンクの「たび犬むぎの旅日記」をお奨めする。むぎさんは、とにかく文章がうまい。アイデイアが楽しい。はじめに、「・・人生の何の役にも立ちませんので、特にお暇な方にだけおすすめします。」と断っているところがまたいい。むぎさんのように洒脱にはいかないので、面 白くもないマイペースで綴ると、ある時期から、役に立たない、無駄なモノに美をみるようになった。どうでもよいことに一生懸命になれるのは人間の特権である。・・とこんなことを書きながら、このHPも曲がり角かなと思い始めている。何かもっと面 白く、刺激になることをHPに取り込みたいのだが、余力がない。やはり、今まで通り、”いい加減”で安易な路線を踏襲するとしよう。
2000年12月13日(水) 「東海の 小島の磯の白砂に 我泣きぬ れて 蟹とたわむる」という石川啄木の詩を、「縮み思考」の日本人の典型とする説を読んだ。確かに、東海ー小島ー磯ー白砂ー蟹 とどんどん縮む。そんなことを云えば、日本の住所表示だって、東京都ー渋谷区ー恵比寿ー番地 など西欧と逆に広い方から細かく縮んでくる。縮み思考が何も悪い訳はないだろうが、ねちねちとした私小説派ではない高橋源一郎の小説ならば縮んではいないだろうと、息子の本棚から「ジョン・レノン対火星人」といういささか古い文庫本を借りて検証しようとしたら、これが縮んでいないがさすがに表現が結構細かい。例えば、イギリス人の書いた「ハリー・ポッター」や、フランス人(ヴォルテール)の「カンデイード」などの悩みのない、天真爛漫な・・よく云えばスケールのでかい小説と性質が違う。小説の作り方はもとより、思考の回路も、それぞれに同じでないところがいいのであろう。評論家がどう分析しようが、どの国、どの人の感性にしても、どちらが良い、悪いはない・・。
2000年12月14日(木) 12月の中旬でこのコラムを書き始めて一年になるのでT年目記念には是非特別 のコメントを用意したいと、”漠然と”考えていたところが、今日、e-mailをいただいた方から、「第一回目は昨年の12月11日だったのですね」と教えられた。しまった・・と思っても後の祭り。3日過ぎてしまったが、今日を一周年記念コラムとしよう。はじめは、せいぜい書いて2−3行。毎日書き続けるなど考えてもいなかった。書くことは、思ったよりもはるかに面 白いことであった。考えることよりやってみることが楽しい。でたらめでも、いい加減でも、ちゃらんぽらんでも、何かやってみると毎日なにか記すという行為が意味があるように思えたりする。実際には、このところ、まともに論じるにはスペースが少ない、中途半端なコラムはこのままでよいのかと少し迷い始めている。ただ、これも成り行きに任せて、ケ セラ セラ か。いや、これは、「なるようにしかならぬ 」のではない 。自分の好きなようにできる貴重なスペースです!
2000年12月15日(金) 「過ぎたるは及ばざるが如し」というが、食べ過ぎで命を落とす人は多いが、日本で本当に餓死する人は余り知らない。呼吸法がこれに似ている。いっぱい肺に空気(酸素)を取り込んでやれば元気になるかというとそうではない。ゆっくりと時間をかけて、肺の奥底にある、いわば、よどんだ汚い空気を全て吐き出して、できるだけ長い間肺の中をからっぽ(お腹をペチャンコの状態)にしておくと、自然に酸素を取り込みたくなる。欠乏した後には、身体は本当に喜んで酸素を吸収するのだということを実感することができる。こうした腹式呼吸を繰り返すだけで頭の中まで元気になる。(白隠禅師の呼吸法、その他呼吸法同じ)一度欠乏するとその後気持ちよく吸収されるものは、その他、情報とか、愛情とか(?)・・。ただし、「お金」は欠乏しても、気持ちよく吸収できないなあ・・・。
2000年12月16日(土) 週末テニスをやっていると、好調と不調あるいは得点とミスという対極が目に見えて面 白い。たいてい人は自分のことは最高のショットが、そして他人のことは最悪のミスが記憶に残るようだ。ナイスショットの裏にはミスが山ほどあるけれど、自分のミスは忘れて決めたショットの快感を楽しむ。また、体調が悪かったり、足を痛めたりしてまともに動けない場合、正常ならば何でもないことが、如何に大変なことかを思い知る。自分が動けなくなると、同じ仲間の動きは天才的に思えたりするからおかしい。普段の生活でも、自分が調子を崩さなければ、調子の悪い人を理解できない事は多い。自分の「不調」は指標をつかむための貴重なチャンスでもあるようだ。
2000年12月17日(日) 犬達の散歩で寄った西郷山公園では寒椿が咲き誇っていた。・・コーギーのクリスマスバージョンの絵を描いたけれども、上のように「今日の作品」に掲載するとマンガになってしまった。工夫したのは背景として使用するために、四隅に”プレゼント”を4分のTずつ配置し、連続の模様となるようにしたところ。是非背景のサンプル(ここ)をご覧ください。クリスマス用としては、前の銀紙を切り抜いた作品が、家人などには評判がよかったので、コーギークリスマスは、ちょっと肩身が狭い。はじめはこの表紙に一週間だけ使用する構想であったのが、サンプルまでとなった。・・以前、寒椿が好きで絵に描いたことがある。最近何故作品が少ないかを考えてしまう。時間は以前の方が少なかった。時間がないので今以上に寸暇を惜しんで何かを残そうとしたように思える。
2000年12月18日(月) 夜になると急に冷え込んできた。雨が降りそうなので、早めに犬達の夜の散歩にでかけた。今夜は霙になるかもしれない。・・少し前のTV番組であるが、中野浩一が芸能人を相手に、「人の値打ちは葬式の時にどれだけの数の人が来てくれるかで決まる」という主旨のことを云ったのでビックリしてしまった。他のスポーツOBの国会議員などと比べると、自転車での抜群の脚力にはなぜか好感をもっていたので、彼もまた自分の最盛期の夢に生きているのかとがっかりしたものだ。30年後の中野浩一の葬式に10人しか参列者がなかったとしても、君のかつての自転車レースの栄光には関係がない。そのまた逆も多いのだ。・・犬達の散歩から帰って来たときにはほんの少し雨が降り始めていた。モーツアルトの埋葬の時には誰も参列者などいなかった。ただ、静かに氷雨が降り注ぐだけ・・・?
2000年12月19日(火) コラムを毎日書いていると、キーボードを打ち始めるまで何を書くか全くアイデイアがないままに、思いも寄らぬ 話題を書いていたということがよくある。色々な局面でいわば先人の知恵をメモしたものを紹介するケースもある。それをメモした時点ではまさかインターネットという機能に掲載するなど考えもしなかったが、その時の心情が思い出されたりするものだ。今日はそんな中から一つ:「思うに希望とは、もともとあるものだとも云えぬ し、ないものだとも云えない。それは地上の道のようなものである。もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。」(魯迅)
2000年12月20日(水) いささか古い歌だが、「雨がふるふる 城ヶ島の磯に 利休鼠の 雨がふる・・」(北原白秋作詞 城ヶ島の雨)をご存知のかたも多いと思う。ここの「利休鼠」というのは色の種類で「緑みの灰色」とか利休色に鼠色がかかったものなどと表現される。「利休色」というのは「緑みの黄」で油色(くすんだ黄)とほぼ同じ様な色。このような色の名前は、マンセル記号や他の色彩 記号と比べると、趣があって好きだ。名前を見るだけで何か豊かな気分になる。そんな色を並べてみよう:鶯色・江戸紫・山葵色(わさびいろ)・緋色・・。(色は各パソコンで違いが出ますので悪しからず)
2000年12月21日(木) 後になってくるほど怖さが募ってくるというのは本当だ。昨晩、正確に言うと今日の丑三つ時、我が家の隣の家が火事で全焼した。気がついたときには、窓を開けると見上げるばかりの火柱で熱い。一生懸命屋根や壁に水をかけることしかできない。消防自動車の放水までの時間が何と長かったことか。二階建ての隣家がものすごい炎と火の粉と共に崩れ落ちた後にようやく放水がはじまった。幸いだったのは、殆ど風がなく、炎がほぼ真上にあがったこと、少し前の雨で落ち葉が湿っていたことなど。それにしても生の立木までゴーゴーと燃えてしまうすさまじさだった。・・後になって考えると、ほんの少し風向きが違っていたら、このパソコンも黒こげであったかも知れない。神に感謝!
2000年12月22日(金) 花金だ。夜の犬の散歩もなにか余裕がある。散歩のコースはまず昨晩火事で焼け落ちた家の前から始まる。火元の家にただ一人住んでいた80歳前のおばあさんは、火を出した後逃げ出して無事だったそうだ。今日の散歩は代官山アドレス横断とした。アドレスではHPにいれたショウウィンドウを横目で見ながら急いで裏道にまわる。細道は小走りで・・。ヒルサイドテラスの裏から旧山手通 りにでる。芦田淳のショウウィンドウのある交差点を渡りUターンし帰路をとる。オープンカフェの前を通 るときは大抵カフェの人に見られるので少し緊張する。猿楽塚に寄ることもあるが、今日は走って通 り過ぎる。その後は小走り、最後は全力疾走。・・・明日は運動日。どうも犬のためより自分のために散歩しているようだ。
2000年12月23日(土) また、二日前の隣家の火事(12月21日のコラム参照)に関連するが、目前に大きな火炎を見て、後で気がついた事が二つある。一つは炎を現実に見るのが随分久しぶりであるということ、それから火を見る事は特別 なエネルギーを吹き込まれるような何かがあることである。台所のガスの炎は別として、実際にモノが燃える炎は何年も見ていない。焚き火をしたのはいつだったか。せいぜい蝋燭の炎しか見ていない。人間は火を使うことにより動物より優位 になったというが、今の子供達は「火遊び」が出来るのだろうか。それと、炎を見ていると確かに人間の根元的な情熱が呼び戻されるような気がする。蝋燭の炎一つでもじっと見ていると、インスピレーションが湧いてくる。事故には気をつけるとして、これからは、火を見て時々エネルギーを取り込もうか・・。
2000年12月24日(日) 朝、犬の散歩で寄った西郷山公園から富士山が美しく見えた。夕方の犬の散歩で同じところに行ったがもう富士山は見えない。夜の犬の散歩では昼と真反対の方向の「恵比寿ガーデンプレース」までいった。そう、今日はクリスマスイブだ。ガーデンプレースの広場はクリスマスの飾りの周りに集まったアベック達で溢れんばかり。犬を連れてとても近寄れないので、大回りをして裏道を通 った。暗い裏の通りにもまたアベック。こちらもアンとアールのカップルともう一組のカップルだ。こうして、イブの雰囲気をちょっぴり味わった夜の散歩となった。  
2000年12月25日(月) Merry Christmas !  この時期になると普段は気にもしない”時差”を考える。アメリカはクリスマスの朝を迎えた頃かとか、ヨーロッパはクリスマスの午後になったとか・・。この日本語のホームページを外国で見る人が大勢いるわけではないが、一人でも二人でも、この日だけでも見てくれる人がいるとすれば、見やすくしようかと思う。世界中のページを即座に見に行くことができるインターネットという機能のすごさを実感するのもこんな時だ。外国からのクリスマスe−mail が恒例となったが、お互いのHPを見せあって、これまでにない話題に発展することが楽しい。日本ではそろそろクリスマスは終わりとなるが、クリスマスバージョンの改訂は明日にしよう・・。 
2000年12月26日(火) クリスマスが終わり、ホームページの表紙も元に戻した。年の暮れ、20世紀の幕切れであるが、今日はただ静かにしていたい気分。一方で、これから犬達を連れて、冷たく強い夜風が吹いている外に散歩に出かけるのは、何よりの楽しみでもある。ぬ くぬくとして動かないよりも、寒風に身を晒して、歩く方が性に合っている。「競争の鍵はスピードにあり」と今テレビのナレーションで云った。このような言葉が何か空しく響く。さあ、ゆっくりと散歩にでも行こう・・・。
2000年12月27日(水) 帰宅途中に駅の売店で、石坂浩二、浅丘ルリ子夫妻離婚の大きな文字が目に付いた。芸能界はアンタッチャブル、コメントする知識もないが、ルリ子ちゃんだけは、チョット気になる。高校生の時にあるクラスメートが「浅丘ルリ子と同級生でした」と自己紹介したのを鮮明に覚えている。それ以来、ルリ子ちゃんは同年ということで何か親しいのだ。当時、彼女はデビューしたばかりだったが、既に大スターの道を歩みはじめていた。とても同じ歳とは思えない眩しい存在だった。それにしても、この夫婦は別 れて欲しくないカップルだったのに・・。どうせ離婚するなら”聖子式”であってほしい。女性がバイタリテイーがあり、明るいものであると救われる。事情は何も分からないけれども、年の暮れにちょっぴり寂しいニュースだ。
2000年12月28日(木) 納会の後、気分がたるんでしまったのが自分でもよく分かる。自由になったとたんに何もできなくなる様を観察するとおかしい。まず思考力がなくなる、行動は面 倒くさくなる、どうでもよくなる・・。今日の作品を作ろうという気にもならない。この年末たるみ現象があるからまた後で元気になるのでないか。緊張感がないのもまたいいではないか・・と一生懸命、言い訳をしている。・・・しかし、冷静に考えてみると、ただ酒で酔いがまわっただけではないかと気がついた。そうだ、ただの酔っぱらい現象に理屈はいらない。睡眠だけが必要だ・・。
2000年12月29日(金) 年の暮れ、娘夫妻、息子と家族全員が集まって食事をした。魚料理が独特でおいしいお店、日本酒がまた格別 においしい。・・ということで、今日はいただいた、この美味しいお酒のオンパレードでいきたい:十四代(本丸、純米、愛山/山形)、空蔵(くぞう・雄町/神戸)、清泉(しぼりたて純米/新潟)、菊姫(にごり酒)、磯自慢(大吟醸/静岡)、桜うづまき(うづまきの風/愛媛)、空蔵(山田錦)、女なかせ(大吟醸/静岡)、やっぱり満寿泉(ますいずみ/富山)・・・いやー、よく飲んだ。これ幸せ。(読んでくださる人にはもうしわけありません・・ではおやすみ・・。)
2000年12月30日(土) 年の暮れの掃除や片付け仕事をしながらでも、バックグラウンドに音楽を流すと、それだけで”非日常”となり楽しさが倍加する。昨日はフォーレのレクイエムからはじまり、バッハのマタイ受難曲、ドビュッシー、モーツァルトなど、手当たり次第のでたらめ選曲。今日も掃除機の音でかき消されながらチャイコフスキーのsymphony No.4を聴く。これはCDでなく、懐かしのLPレコードである。レコードはそれぞれに購入したときの状況や店まで思い出す。ラベルのボレロは、昔見たベジャール演出でジョルジュ・ドンが踊る舞台が鮮明に思い出される。明日は恒例のベートーベンの第九にするか、久々にマーラーを通 して聴くか。・・・音楽というのは、年の暮れに最も相応しい思い出を呼び出してくれる不思議な力がある・・。

2000年12月31日(日) いつもながら大晦日は肉体労働で忙しい。もう少し前から計画的に掃除、片づけができないかと毎年反省し毎年同じ事を繰り返している。20世紀末の最後の日を何か意義あるテーマで締めくくりたいが、ネタを準備できていない。ここは、久しぶりに家に戻ってきた息子の話から一つ。20世紀最後の世界人口約60億人、50年前の1950年の世界人口約25億人、21世紀半ばでの人口予想約90億人。・・・では、皆さま良いお年をお迎えください!

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