これまでの「今日のコラム」(2002年 11月分)

11月1日(金) 「今日の作品」に「ススキ(尾花)」を入れた。秋の七草シリーズは萩から尾花までは順調にきている(10月22日コラム参照)。それでも家の近所でススキを探すのは意外に苦労した。早朝に犬を連れて探し求めてようやく見つけたけれども、都会のススキはどこか元気がない。去年の秋、箱根・仙石原でみた全山ススキの穂波という様はさすがに華やかだったことを思い出す。けれども、都会の片隅で申し訳なさそうに咲いている尾花はあくまで地味で、スケッチすると背景まで暗くなってしまった。「尾花」の古名は花穂が獣の尾に似ているからというがコーギー犬の尾でないことは確かだ・・。 「薄(すすき)見つ 萩やなからむ 此のほとり」(蕪村)

11月2日(土) 土曜日には雨が降らなければテニスをする。この運動とゲームは普段気がつかないことを思い知らされる貴重な機会となる。まず、何度もミスを繰り返す。つまらないミスをした後、二度と間違いをしないように反省するが直ぐまた同じようなミスをする。それも3度、4度・・。「過ちは繰り返しません」という決意を自分は口に出して云えないと思うのはこんな時だ。昔、日本の卓球が世界最高であった頃の日本チャンピオン(従って世界チャンピオンにもなった?)、荻村伊智朗には一度負けた相手には二度と負けないという伝説があった。めったに負けることはなかったが、負けた後の反省と相手の研究が尋常でなく直ぐに対応策を作り上げた。(学生時代にこの荻村に一度だけ勝ったという選手と卓球をして数球のポイントをとった(勝敗は問題外)のが私のささやかな実績だ)そんな神様のような荻村も歳と共に体力の衰えには勝てなかっただろう。テニスでも全ての課題は体力作りに集約されてしまう。テニス場でのガンバリだけでは身体はいうことを聞かない。毎日のトレーニングの積み重ねが結果を決める。結果を求める前に毎日何をやっているかを考えるべきはテニスだけでない・・。
11月3日(日) 11月3日は文化の日。明治天皇の誕生日で戦前は明治節の名の祝日だったというが馴染みはない。私にとっては父の誕生日で秋晴れのもと家族・兄弟が集まる特別な日であった。その父が亡くなってもう15年経過した。今日も東京は快晴。早朝犬を連れていった西郷山公園の小高い丘の上で富士山に見入っていてふと父のことを思いだした。アール(コーギー犬)は・・と見ると、お座りをして同じように富士山の方を見つめていた。文化の日というと秋の叙勲者が発表になるがこれは一向に文化的でなく楽しいニュースとはならない。叙勲は政治家あるいは官僚(公務員)に対するご褒美が基本。それも国会議員が国のために粉骨砕身することは職務として当然であってもお手盛りで「一等」とするし、下々や民間は「四等」など太政官布告のセンスで基準が決まっている。国が国の価値観で勲章を与えると割り切って考えればどなたが叙勲してもかまわないが、本当に国のため、人間のため、文化のために貢献した人は目立たないところに隠れている事が多い。叙勲を大喜びするのは最早アナクロニズム(時代錯誤)でしかないであろう。
11月4日(月) 陶芸の面白さは子供が大人に成長するのを見るような意外性にある・・といえば言い過ぎだろうか。昨日の日曜日、陶芸教室で新しい型込めに挑戦して楽しんだ後、ふと棚をみると以前仕上げの焼きにだした4個の鉢が出来上がっている。その出来栄えに自分ながら感激してしまった。思い通りに完璧に出来上がったというのではない。そこは陶芸素人の育ての親、イメージしたものとは随分ずれているけれども、自然の力、火の力というのは小手先の工夫などものともせず、作品には本質的な強さを作り出してくれる。恐らくは陶芸の名人は火と土を自在に操り自分の思う作品を作り上げるのだろうが、自分の場合は、ここを強調したいと思ったところよりもアクセントでチョコッと付け加えたところがいい味になるとか、どうしようもないとあきらめていた釉薬の凸凹が流れた上に面白い模様となるとか、意外な展開ばかりだ。しかし、自分のコントロール以外の部分があるからこそ奥深い造作の妙に感心する。人の教育なども所詮、釉薬かけ、その上で本人がどのように焼成するか、結果は神のみぞ知るだろう。どちらも意外性があるところが面白い。
11月5日(火) 昼間の主婦向けTVには健康番組が多い。ある食べ物を一週間とり続けるとこんなに効果がある、こういう運動を続けると一週間でほらこんなに数値が改善されたと実験をしてみせる。3−4人の主婦を被験者として効果てきめんとデモンストレーションするやり方については、学問的な検証をしているわけでないので特に文句をいう筋合いのものでもない。素直にその効果が一週間で確認できると考えると、反対に非常に恐ろしいことでもある。つまり、今は全く異常がなく、健康そのものであっても、生活習慣が変わったら一週間後には変化が認められ、半年、一年後にはどうなるか分からないと云っている。これは実感としても正しいと思える。毎日食する内容、生活行動によっては我々は極めて短時間で体調を崩し、また精神を乱す。私などは自分で食事を作ることになると直ぐにオダブツとなるかも知れない。健康食品をあれこれ考える以前に、結局は偏ることなくなるだけ多くの食物をとるのがいいのだと思うがこれは理屈だけでは駄目だろう。思想とか考え方にしても偏りをなくして栄養を吸収するのはいうほど簡単ではない。
11月6日(水) 「秋は夕暮 夕日のさして山のはちかうなりたるに からすのねどこへ行くとて みつよつふたつみつなどとびいそぐさへあはれなり まいて雁などのつらねたるが いとちひさくみゆるはいとをかし 日入りはてて 風の音むしのねなど はたいふべきにあらず」(枕草子) 「秋陣営の霜の色 鳴きゆく雁の数見せて 植うるつるぎに照りそいし むかしの光いまいずこ」(荒城の月) 「門を出れば 我も行人 秋のくれ」(与謝蕪村)・・・季節の変わり目のせいか疲労感が抜けない。こんな時に秋の詩、秋の文章を見つけて息抜きをした。どの時代も秋には夕暮れの風景が似合っているようだ。
「今日の作品」に鉢B(陶芸)を入れた。

11月7日(木) やることは早いけれども考えないで行動するので無駄ばかりしている・・というのは先ほどの自分の話。夕方、一段落して時間ができたので突如「東京都写真美術館」に行くことを思いついた。前から「四国霊場八十八ケ所−−空海と遍路文化」展が開かれている事は知っていたのでinternetで開館時間を調べると木曜、金曜はpm8時までやっている。恵比寿ガーデンプレイス内のこの美術館へは幸いなことに自転車だと10分で行くことができる。直ぐに自転車に飛び乗って調子よく出かけた。・・そこまでは良かったが、美術館の前までいって自転車のキーを忘れたことに気がついた。東京では施錠なしに自転車を置くことはリスクが多すぎる。しょうがないのでガーデンプレイスの中を自転車でぐるぐる回って帰ってきた。今日はまた出直す意欲はなく、その代わりの時間に「今日の作品」となる絵が一つ出来上がった。気分転換にもなったし結果的には「無駄」というものはないとプラス思考。それにしても、外出には財布を持っているかチェック、自転車にはキーがあるかチェックを欠かさぬ事にしよう。もっとも、「今後しっかりやります」程度の再発防止策ならまたいつかは失敗するだろう。けれども、他人に迷惑を及ぼさないのであれば、また失敗を楽しめばいい・・。
11月8日(金) 昨日のコラムで「再発防止」と書いた。勤め人時代はこの言葉がお馴染みだったが、最近のニュースを見ているとあらゆるバージョンで「再発防止」がでてくるのでウンザリしていた。企業が不祥事を起こす、役所の不始末が発覚する、その度に責任者や幹部が会見して発言するのが、「今後再発防止に努めます」。今日は森山法務大臣が刑務所内での暴行に関連して全く同じコメントがあった。そもそもトラブルとか問題発生に対して真の原因を追及できていないと再発防止など簡単にできない。表面上の原因をとらえて「手を打ちました」としても時間が経てばまた同じ事を繰り返す。真の原因を追及していくと組織とかシステム上の対策をとらなければ再発防止にならないことも多い。「再発防止に努める」のは余りに当たり前の話だから、再発防止対策として何を改善したかまでフォローした報道が欲しい。
「今日の作品」に「丸い実」を入れた。名前を調べきらないで掲載してしまったので「名前知らず」。internet検索でも、丸い実、秋、ピンクなどやってみたが駄目だった。花屋で聞けば分かるだろうか・・。

11月9日(土)「天満敦子 バッハ無伴奏ソナタ&パルテイータ全曲演奏会」(東京・紀尾井ホール)にいった。 舞台には淡い光のスポットライトが一つ、観客席は真っ暗。黒い衣装を着た天満敦子さんがその中でただ一人、2時間ヴァイオリンを演奏する。無伴奏といいながらメロデイだけでなくいくつも楽器があるような豊富な音を奏でるヴァイオリン、超絶技巧を難しいとは思わさずに美しくさらりと弾きこなす技、適度な語りなどに酔っている内に2時間はアッという間に過ぎてしまった。最後に演奏されたシャコンヌ(無伴奏ヴァイオリン・パルテイータ2番)などまさに圧巻だった。演奏が終わった後、彼女は「今晩、私は世界で一番恵まれた演奏家でした・・」といった。別の自伝ではまたこう云っている:「願いはただ一つ。明日も今日のように生きられること。しかし、明日も今日のように生きるためには、明日の私は今日の私であってはならない」 プロフェッショナルな本物の演奏家を見た気がした。つくづく世の中は広いと思う・・。
11月10日(日) プルースト(1871-1922,フランスの作家)が著作「失われた時を求めて」の中で、あるエンジニアを「スノッブ」として扱っているのが気になった。スノッブという云い方は今ではほとんど使われないように思える。辞書を引くと、SNOBとは、「1)上の人にへつらい下の人にいばる人、紳士気取りの俗物 2)インテリ気取りの人、(知識などを)鼻にかける人」とある。この意味でプルーストの時代には新興エリートとしてエンジニアがスノッブであったのはよく分かるが、今でも1),2)に該当する人はいくらでもいるのに、どうしてスノッブと呼ばれないのだろう。スノッブの語源はスペイン語のSin・Nobles=ノーブルでない、でこれがS'Nobになったとされる。これでは私なども自分がノーブルでもないのに他人のことをスノッブとはとても呼べたものではない。同じような云い方に、「ノーブレス・オブリージュ=高貴 な身分に伴う道義上の義務」がある。平等意識の普及とともにエリートのノーブレス・オブリージュがなくなってしまったと嘆く向きもあるが、この言葉もノーブルな貴族特権階級的な語感で馴染めないところがある。実はノーブルとは「自分自身に多くを課し、不断の努力を続ける優れた人間」と云われれば、確かに今もノーブルな人はいるが、日本語では何と云えばいいのだろう。「品格がある」「高潔な」もしっくりこないところがある。非スノッブというのでなく、自己鍛錬された優れた人を認める言葉があってもいい。
11月11日(月) 「今日の作品」に「撫子」をいれた。秋の七草を現物の花をみて描きたいと思い、萩、尾花(ススキ)に続いての第三弾だ。この撫子は早朝犬の散歩のついでに公園巡りをしてみつけたもの。翌朝、画用紙を持参して寒い最中にスケッチした。撫子はよく知った花であるが、じっくりと観察したのは今回が初めて。撫子の5枚の花弁にはなぜ細かい切り込みがあるのだろう・・、葉は他の草花と異なり先が剣のように鋭く尖っている、茎の色も白が混じった薄い緑というのも珍しい。特徴と云ってしまえばそれまでだが、そういう形状、色になっているのはそれなりの理由があるに違いないと勝手に想像したりしながらスケッチをするのは楽しい。正式の名前は河原撫子、別名、大和撫子(中国産の唐撫子と区別するためにそう呼ばれたという)。花言葉は純愛・貞節。
11月11日というのは、棒が四本並ぶほか、プラス(+)マイナス(ー)にもなるのでよほど「記念日」にしやすいとみえる。いわく:電池の日、磁気の日、煙突の日、もやしの日、ポッキーの日、鮭の日、下駄の日、靴下の日、サッカーの日(11人対11人)、チーズの日(?)、ピーナッツの日・・まだまだある。いっそ、なぜ今日をこれらの記念日にしたかクイズにすると面白いかも知れない。

11月12日(火) 今日は我が家のコーギー犬、アン(アールの母親)の一周忌(昨年の11月コラム参照)。このホームページを作成する動機となったのも、一つはアン&コーギー犬を掲載することだった。現にHPのリンクはほとんどコーギーであるし、多くのコーギー友達もできた。アンの”お陰様”で色々な意味で生活に潤いができたのは確かだ。あらためてアンに感謝。
アンの供養ではないが、今日は行事が多かった。昼には「四国霊場八十八ケ所 空海と遍路文化展 」(東京都写真美術館)にいった(11月7日コラム参照)。写真美術館には何度も行ったことがあるがこれほど混雑したのは初めてだった。展覧会場で霊場88カ所を一時間で巡ったが、これではご利益は少ないかも知れない。夜は狂言鑑賞会(国立能楽堂)にいった。はじめに善竹十郎さんのミニ講座=「狂言登場人物扮装のいろいろ」についての解説と「本邦初演・狂言ファッションショー」があった。狂言初心者には分かり易く興味深かった。本番の狂言は「宗論」と「菌(くさびら)」。双方とも楽しめる内容だが一方でテーマは奥が深い。いつか個別にこの狂言のことを書いてみたい。今日は大安吉日、アンの命日、帰路に見た月は上弦の月だった。

11月13日(水) 昨日みた狂言「宗論」のことを書こう。都へ帰る途上の僧侶二人が意気投合して道連れになる。ところが話している内に、一方は日蓮上人を宗祖とする法華宗、また一方は法然上人の浄土宗と宗派が異なる相手だと気がつく。両派は犬猿の仲、お互いに相手を転向させようと自分の宗派のありがたさを説く。宿でも宗論を交わし言い争うが決着は付かずふたりとも寝てしまう。翌朝、浄土僧が「なむあみだぶつ」と経を読み始めると、法華僧も負けじと「なんみょうほうれんげきょう」をはじめる。大声で経を唱え合っているうちに訳が分からなくなり、相手の念仏と取り違え、最後は、釈迦の教えに隔てないことに気がついたか、バツが悪そうに和解する。・・枝葉末端にこだわって本質的なところを見落とし勝ちなのは、仏教宗派に限らない。近くは夫婦関係から国会討論に至るまで「宗論」の滑稽さはどこにでもころがっていそうだ。
11月14日(木) 「今日の作品」に大鉢(陶芸)を入れた。この作品は11月3日に完成したもの(11月4日コラム参照)。釉薬を削り取って描いた外側の模様は<これまでの「今日の作品」陶芸図案>(ここ)に近いが、実際には勢いで好き勝手に描いていくのでほとんど成り行きだ。とにかくも誰に遠慮することなしに自分の思う存分に描いた作品が一番満足感があるのは絵画と全く同じ。ただし、この大鉢は我が家でその後重宝して使われているので、実用の容器として模様などほとんど気にされない。茶の湯のお手前のように、結構なお鉢で・・とか云って横ー裏の模様を鑑賞されるチャンスもなく、いつも煮物などが中に入りきりだ。そう、陶芸でも絵画と同じくモニュメント的なものもないではないが、ほとんどは何らかの実用品として供されるところが絵画と大きく異なるところでもある。絵画を購入するのはかなりの道楽かも知れないが、陶器の容器、花瓶、ランプシェードなどはそれぞれの購入する目的が定まっている。・・そこで考えた。どうせ陶芸をやるのなら、もっと道楽をして徹底的に役に立たないものを作ろうか・・。
11月15日(金) 企業は常に顧客満足=customer satisifaction(CS)を必死に考える。客が寄りつかなくなれば即命取り(倒産)になりかねない。いまはCSの考えは、利潤を求める私企業に限らず、官公庁や公共の施設(病院など)でも同じだ。市役所での顧客とは市民であり病院の顧客とは患者、目線をそうした利用者の「満足」に向けるという取り組みが当たり前である。昨夜のTVには驚いた。メジャー対全日本の野球試合、最終回9回裏、5対6で日本が一点差を追いかける、バッター松井のところで野球放送は終わり。野球番組としては欠陥商品だ。ここで視聴者は顧客とされていないことが非常にはっきりとする。TV会社の顧客とは、あくまでスポンサーさま。視聴者(民放の場合)は強いて云えば、スポンサーの客となる可能性のある大衆というところか。そうすると視聴者はこの欠陥商品を見せられるスポンサーにもっと怒り、不買運動でも起こさなければならない。TV局はスポンサーに時間を切り売りしている立場などという言い訳も成り立たない。次のスポンサーの厚意で時間を延長できたとスポンサーの宣伝をするなど、スポンサーどうしを調整すればやり方はあるはずだ。要は「視聴者満足」の視点がまるで抜けている。視聴者がこれほどバカにされているのは、視聴率のせいかも知れない。視聴率と視聴者が内容に満足しているかは全く別物であることを間違えないで欲しい。
11月16日(土) 「今日の作品」に「女郎花(おみなえし)」を入れた。秋の七草(=実物スケッチ)は早く描かないと秋は終わってしまうのでいささか焦ってきた。(これまでは、萩、尾花(すすき)、撫子を描いたので女郎花は四つ目、「今日の作品」参照)オミナエシの絵もはじめに黄色い花を見つけたのだが、葉の形状がもう一つの秋の七草「藤袴」そっくりで、女郎花の特徴である「ひょろひょろさ」が足りないので図鑑と首っ引きで調べてみるなど時間がかかってしまった。オミナエシは黄色の花をアワやキビのご飯に見たてたオミナメシ(女飯)が語源とされる。ほとんど同じ格好の白い花を咲かせるのはオトコエシ(男郎花)という(オトコエシは、茎が若干太く、全体に毛が密生している)。「おみなえし(女郎花) 少しはなれて おとこえし(男郎花)」(星野立子=高浜虚子の娘)
11月17日(日) 中目黒公園(東京)で収穫祭という催し物があった。この公園は、今年の春、金属材料技術研究所の移転跡地に完成した新しい公園で、草花の類が東京の公園にしては比較的多く植えられている。秋の七草シリーズの萩、尾花、女郎花はこの公園で見つけてスケッチしたものだ。今日はもう女郎花をみることはできなかったが、ほとんどの草木が枯れた姿となっている中で周囲の桜の木の紅葉が今は盛りだった。こんな公園の一角に犬達のリードを外して遊ばせる広場(この日だけの開放)があったのでアール(コーギー犬)を連れて参加した。ところがアールといえば、早く帰ろうと吠える、リードを外してもこちらの後ばかり追っかける、他の犬が側に来ると逃げてくるなどだらしがない限り。他の飼い主からは笑われたり同情されたり・・。アールは生まれたときから昨年母親のアンが亡くなるまで24時間母親と一緒だった。今も自分が生まれた同じ部屋(我が家の寝室)で毎日飼い主と寝ている。ほかの犬との間の付き合い方を知らないのは飼い主がそのように育てなかったからだ。母親のアンの方は、子犬の頃から自分の背丈の3-4倍もあるボルゾイやシェパード、ラブラドールなど大きな犬とよく遊んだ。アールは相手が人間となると本当に分け隔てなく付き合いはいいのだけれど・・。 人間であれば社会性がないとして認知されないかもしれないが、でもそんなアールが飼い主にとっては可愛い宝である。
11月18日(月) 「大鉢B」(陶芸)を「今日の作品」に入れた。これは11月3日に完成したもの。陶芸のロクロを使う作品はこれが最後だ。この大鉢は妻がリクエストした大きさ、深さの寸法に対してを収縮率を15%みて粘土を練り、ほぼ狙いの通りに出来上がったのでうれしかった。今は前の大鉢Aと合わせて我が家の食卓を飾ることが多い。陶芸作品は最近またオリジナルな形状に挑戦しているので、これからはもう少し姿形の新鮮なものを紹介できると期待している。
妻が珍しく友人と一泊旅行にでかけたので、こちらは何か知らぬが張り切っている。第1食事を自分の好きなように作って食べるなんてたまにやるのは楽しい。食事の素材が昔と比べると格段に求めやすくなっているし、3分も歩けば24時間開店しているコンビニがある。早朝であろうと夜中であろうが犬の散歩の途中で食事の材料や牛乳を買うのは極めて簡単。普段は当たり前のように思っているが、食材の選択肢が山ほどあることは実は非常に恵まれていることだし、有り難いと思うべきだろう。ただし、毎日のこととなると値段の方から制限があるのはよく分かる。私などは恵比寿三越では値段をみると何も買えない。
これも久しぶりにアール(コーギー犬)の写真を追加更新した(ここ)。枝垂れサクラの紅葉がこれ程美しいとはいままで気がつかなかった。

11月19日(火) 北朝鮮の拉致事件や核開発など朝鮮半島の情勢は緊迫しているが、ここで現代史ともいうべき「朝鮮戦争」について我々は余りに無知であるように思える。今の学生が50年前のこの歴史をどう教えられているのか知らないが、私が小学生であった頃に勃発したこの戦争について私自身は学校では学ぶことはなかったし、いわゆる朝鮮特需で日本の景気が大展開したというような認識しかなかった。けれどもあらためて朝鮮戦争をみてみると今や他人事ではない。1950年6月に北朝鮮が南に侵攻を開始しわずか3日後にソウルを占拠、その後、釜山周辺まで進撃ほとんど全土を占領した。国連軍(米国中心)が全面介入して反撃開始、ソウルを奪還し38度線を越え一時平壌まで侵攻したが、中国が参戦し平壌を取り戻し、更にソウルを奪回。その後国連軍が再度反撃しソウルを回復、38度線付近で戦局は一進一退。1953年にスターリン死去に伴い休戦協定が調印され、南北朝鮮は現在に至っている(トルーマン米国大統領は戦場からの原爆使用要請に対してソ連との全面対決を回避するため許可を与えなかったと云われる)。朝鮮戦争での死者は北朝鮮250万人、韓国133万人、中国100万人、米軍6万3000人(ある資料からで数の信頼性は不問)。いま50年前の歴史から何を学ぶべきだろう・・。
11月20日(水) 「今日の作品」に「桔梗」を入れた。これは秋の七草スケッチ、ギブアップ宣言の絵とする。10月22日のコラム(ここ)で秋の七草の現物をみてスケッチすることをはじめてた。これまでに萩、尾花(ススキ)、撫子、女郎花まできて今回は桔梗だ。万葉集の秋の七草では「朝貌(あさがお)」となっているが、この場合は今の「桔梗」を指すことが通説らしい(桔梗にはあさがおの古名がある、なお朝貌は桔梗、朝顔、木槿=むくげを表示するという)。秋の七草スケッチを終了とする理由の第1は、描く実物をもはや見つけることができないこと。七草の残りはあと葛花、藤袴であるが来年以降どこかの場所でスケッチする機会があれば描くことにする。今回の「桔梗」も実はスケッチすることができなかったので、図鑑やinternetなどの写真を適宜合成して描いたので本意ではない。大体桔梗は秋の七草になっているが開花は7−9月だという。切り花でもいいから欲しいと思ったが、今は求めることができなかった。桔梗の実物をみて描くことができなかったが、正五角形の花の不思議な神秘性は堪能した。昔は家紋としても桔梗の正五角形のデザインが使われたようだ。キキョウの朝鮮名はトラジ(近所にトラジという韓国焼き肉店がある)、花言葉は「変わらぬ愛」。 「紫の ふっとふくらむ ききょうかな」(正岡子規)。
11月21日(木) 「視覚の魔術師ーエッシャー展」をみた(渋谷・Bunkamuraザ・ミュージアム)。以前から私はエッシャーの絵が大好きで何種類もの図版を楽しんでいたが、本物を見るのは初めてだった。エッシャー(オランダ生まれ、1898-1972)は「永遠に水が循環する滝」とか「何度登っても同じところに戻ってくる階段」、「魚が連続して描いてあると思っているといつの間にか鳥になってしまう絵」など「だまし絵」といわれる不思議な絵で有名だ。(私はこの「だまし絵」という言葉が嫌いだ。新位相空間図とか異次元創出絵画とか何か別の表現をして欲しい。)「だまし」と呼ばれるように、エッシャーははじめは画家としては異端視されていたのが、独自の表現を数学者などが注目し次いで若者に人気が出てその魅力が世界に広まったという。エッシャーの図形がいま幾何学、物理学、化学、地質学、心理学、生物学などの教材にそっくり真似て採用されるそうだから、元来、科学者(および未知の世界に好奇心のある人)好みの絵であろう。今回の展覧会では、こうしたエッシャー独自の世界を築く以前の細密な版画やドローイングも見ることができて興味深かった。名人芸と独創の境界とは何であろうと考えさせられた。エッシャーの父親が明治6年(1873年)から5年間、水力工学のエンジニアとして日本に滞在し技術指導をしたこと、浮世絵をオランダに持ち帰ったことなどもこの展覧会で知った。父親はエッシャーを科学の方面に進ませたかったというが、エッシャーの絵のルーツは日本にも繋がっている。
11月22日(金) システムノートを専ら日記とアイデイアノート(=書物やinternetで仕入れた情報メモを兼ねる)として使っている。勤め人時代は予定をこのシステムノートに記入したが今予定は常時見ることができるカレンダーに記入する。日記はできるだけ翌日の朝に前日の分を書くことにしているが一週間も間をおくと何に時間を費やしたのか分からなくなることもある。最近、自分一人で手と頭を使って何かをやる場合に、アッという間に2−3時間が経過してしまうので愕然とすることが多い。それは例えばパソコンのプログラムを作るとか、陶芸の粘土を削るとか、勿論絵を描く場合など、どれも同じ事だ。その間、よく云えば集中して作業をしていて気がつくと3時間も経っていた・・という具合に時間の経過を忘れてしまう。「芸術は長く、人生は短い」(Art is long, life is short. )というが正にこの言葉を実感する毎日でもある。この言葉は古代ギリシャの医者であるヒポクラテスの箴言とされるがここでの芸術(art)とは医術、技術、学問など幅広く解釈すべきは云うまでもない。何千年も人は「人生は短い」と云いながら営々と歴史を刻んできた。自分の場合、今の時代に目標とすべきartを見定めて一時間一時間をそのために使える幸運を先ず感謝すべきかも知れない。
11月23日(土) am6:30-7:00アール(コーギー犬)と散歩(ほとんどはランニング)。その後internetにてニュースをチェックし、朝日(天声人語)、毎日(余録)、読売(編集手帳)、産経(産経抄)、日経(春秋)読み比べ。今日は「毎日」を除いて全て47歳で急逝された高円宮さまの追悼コラムだった。私はどうしても「読売」の書き方が好きだ。7:40自転車で外出。テニスの順番取りをした後、8:00-8:30神宮外苑の銀杏並木の紅葉を楽しむ。9:00-12:00テニス。12:30帰宅ー食事と休息。14:30着替えて外出。二期会創立50周年記念公演オペラ「椿姫」をみる(東京文化会館大ホール)。主役、ヴィオレッタ役の大村博美さんの歌がすばらしかった。今のプリマドンナは一昔のように太っていないしスタイルもよい。私にはマリアカラスの再来か、これ以上の表現力はないのでないかと思われてすっかりファンになってしまった。この人が”期待の新人”とは信じられない。21:00帰宅。アールの夜の散歩はこれからだ。小雨が降り始めてしまったがアールは既に散歩体勢で足下にいる。小雨決行、では散歩に行くことにしよう・・。
11月24日(日) 「今日の作品」に「百合の花」を掲載した。いままでスケッチとしては0.05-0.10の細いグラフィック用のペンを使って描くことが多かったが、今回は鉛筆を細く削ってのドローイング。色は色鉛筆をやはり細く削り彩色した。鉛筆でのドローイングは久しぶりだが、これは11月21日に見た「エッシャー展」に触発され、エッシャーの鉛筆での細密ドローイングをみた後すぐに部屋にあった「百合の花」を見えるままに描いたものだ。孫を連れて遊びに来た娘がこの絵をみて雄しべは花粉が汚れるから花屋さんで全部外したのね・・という。確かに百合の6本の雄しべの先には通常は茶色の細長いかたまり(花粉)がある。なにもないと中央の雌しべばかりが目立って百合の絵としては間が抜けているが、これが現実の見えるままの姿だ。この百合の種類は「鹿の子ゆり」というのだろう、斑点はどうしてできるのだろう、赤みがかった色はなぜ・・など、ゆりの花一つとってもじっと見ていると分からない不思議なことばかり。それでも何も考えずにただありのままに描くドローイングは描くことの基本的な楽しさを教えてくれる。
11月25日(月) 今日、11月25日は三島由紀夫が割腹自決をした命日にあたる。1970年(昭和45年)、タクシーのなかできいたその衝撃的なニュースをまだ鮮明に思い出す。当時、三島由紀夫は45歳。今も存命なら今年は77歳だ。自殺した作家というと芥川龍之介、太宰治が思い浮かぶ。芥川(1892/明治25-1927/昭和2)が薬を飲み聖書を読みながら眠ったとされるのは35歳、太宰(1909/明治42-1948/昭和23)が入水自殺したのが39歳。それぞれに事情がありまた功なり名を遂げた方々とはいえ、自ら命を絶つのはもったいないと云おうか、傲慢と云おうか、家族に無責任と云おうか・・。反対にもっともっと生きたかったのに病のために若くして命を絶たれた金子みすず(26歳)や正岡子規(35歳)のことを思う。天才達は自分の未来を見通してしまうのかも知れないが、私などは45歳までの人生では悔いばかり残る。50−60になれば確かにまた新しい人生があるし、これからも可能性を感じる。70−80歳で彼らが小説を書いたとしたらどんな作品を残したか。自らの命は他人のためのものでもある・・。
11月26日(火) 白州正子の「器つれづれ」という本を読んでいると、小林秀雄の骨董蒐集について書いたところがあった。「・・ポケットに曲玉を入れ机の上に鍔を置き、常に夢中になっているものを撫でさする。中でも陶器を愛し夜になれば愛用の朝鮮の徳利を傾け唐津の盃で酒を飲んだ。肌身離さず骨董を眼と手で愉しみ徹底的に物と対話を交わすーそれが彼の流儀であった・・」。文芸評論家の小林秀雄は「美は人を沈黙させる」といいながら、絵画、音楽さらに骨董でも確かな”目利き”であったが、それは教養とか格好をつけるのでなく本当に好きだったということがとてもよく分かるエピソードだ。蒐集した骨董品を倉の中にしまっておくという金持ちの道楽とは明らかに違う。目利きは名前や経歴、解説をなしに実物をみて自分で価値を評価できなければならない。既存の権威を覆す判断もあるかも知れない。それができるための必要条件は先ず対象が真に好きであることだろう。・・我が家は骨董とは無縁なので、せめて自分の絵画に囲まれて手元に自作の茶碗と花瓶を置くことにしよう・・。
11月27日(水) 「作品」というにはおこがましいが「今日の作品」に「器に浮かぶ葉」として写真を掲載した。ほんの遊びであるが、前に陶芸で制作した鉢に拾ってきた落ち葉を入れたもの。器に水を入れて落ち葉を浮かべただけで原価は零。生け花の代わりになるーというと生け花に失礼なので、少なくとも部屋のアクセントになると云おう。何より自分で作った器が活き活きとみえる。誰も見てくれないとただの自己満足なので無理矢理お客さんに見せたりもするが、こういうものは家族だけで愉しんでもいいのだろう。(そんなことを云いながらHPに掲載してしまった)ゴミで捨ててしまう落ち葉がすばらしく美しくみえることもあるように、その気になって周囲をみればあらゆるところに美しい物がある。
11月28日(木) 少し前のTVで「般若心経」を短時間で何処まで記憶できるか実験する番組があった。それまでに「般若心経」を全く見たことも聞いたこともない女子学生を集めて6時間でどれだけ書くことができるかを調べたのだが、中に266文字全部正解という学生もでて感心した。「掲帝掲帝(ぎゃていぎゃてい)般羅掲帝(はらぎゃてい)・・」など意味は分からなくてもとにかく6時間で全ての経文を覚えたのは彼女たちにとってもすばらしい経験になったに違いない。私はこの「摩訶般若波羅蜜多心経」に馴染んだのは10年以上前、50歳頃であったろうか。それくらいの年齢に達すると誰もが仕事に忙殺されるなかで、ふともう少し別の人間の知恵に接したいという衝動がでるものだ。奥手ながらこのお経に興味をもったのだが、極めて短い266文字という経文に一つとして無駄な文言がないのに驚嘆した覚えがある。「摩訶」は「大いなる」、「般若」は「智慧」、「波羅密多」は「完成」で、「大いなる智慧の完成した心の教典」のタイトル通りに凝縮した経文に仏の智慧の神髄が語られたものだろう。「色即是空、空即是色」などいま改めてこの経文に親しめばまた以前と別の解釈ができるようにも思える。それにしても、当時高野山でこの経文のカセットテープを買って聴いたりしたのに今はすっかり忘れてしまった。女学生のように今度は書いて覚えるか・・。
11月29日(金) 人の記憶はあやふやで本人がそう云ったというのもいい加減なものだ。昨日のコラムに「般若心経」に50歳くらいで馴染んだと書いたが、床についたとたんに直ぐ間違いに気がついた。一つのことを思い出すとその頃の出来事が次から次につながってくる。丁度20年前の1982年に小中学生の子供二人を連れて家族で初めて京都、奈良を旅行した。奈良の大仏や法隆寺、大原三千院など今も目に浮かぶ。三千院の側の念仏寺という民宿に泊まったのも楽しい思い出だ。その旅行の際に写経用の「般若心経」を買い、それを機会に般若心経を少し勉強した。40歳代の前半の話だ。その前30歳代に梅原猛の日本古代史もの(法隆寺の新解釈など)に凝った時期がある(後に独善的な語り口が嫌になって離れた)ので仏教への興味は前からあったようではある。その後どうみても仏教とは無関係に思えた上司のお宅に伺ったときに般若心経の本を見つけて驚いた覚えがある。その上司が丁度50歳程度であった。・・40でも50でも誰にも関係のないことで、この手の昔話は実は年寄り臭くて好きではない。、けれどもこうやって心経との縁一つを思い起こしてみるだけで仕事以外の自分史の一断面が覗けてみえる。

11月30日(土) 昨夜は今月の9日(当日コラム参照)に続いて「天満敦子 バッハ無伴奏ソナタ&パルテイータ全曲演奏会」(東京・紀尾井ホール)に行った。前回より冷静に音を聴くように努めたが、天満さんが自分でバッハを語り、聴き手はしばしその語りの中に埋没しているうちに透明な気分になってエネルギーをもらうという最良の演奏会スタイルは同じだった。バッハの演奏後ステージで彼女が次のようなことを話した:「バッハについては論じた本が山ほどあるし、先生やそれぞれの演奏家が皆意見をもっている。結局、自分流のバッハを弾くことに割り切った・・。」確かに天満敦子のバッハというものがあり、その衝撃的なバッハがいま世界で”真物”と認められている。どの分野でもその人らしさを出すことができて認められれば一流と云われるが、その人オリジナルは必ずはじめに猛烈な批判を浴びる。従来の権威あるスタイルを崩す異端のものはその批判にうち勝たねば「個性」は発揮できない。絵の世界で云えば「印象派」「野獣派」などみな当時の権威から軽蔑して呼ばれた名前あった。誰もが自分という個性をどう表現するか悪戦苦闘するけれども、自分のオリジナリテイーを完成させた人は多くの云われなき非難や中傷の嵐を乗り越えたに違いない。


 

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