これまでの「今日のコラム」(2008年 7月分)

7月1日(火)  <「チュニック」が流行している・・・>
「チュニック」が流行しているとのテレビ番組を見た後、外出して代官山の街を歩くと、チュニックを着た女の子に何人も行き交う。これまで女性のファッションを気にかけたこともなかったが確かにこれが流行というものかと感心した。ところが家でこのことを妻に話をしようとすると「チュニック」の言葉が思い出せない。実は「チュニック」は私が今日覚えた単語なのである。妻は当然のように「チュニック」を知っていたが大体「チュニック」は洋服からの連想もできない非常に覚え難い言葉だ。悔しいので記憶するために例によってインターネット百科事典Wikipedia などで調べてみた。チュニック(tunic)は「ゆるやかな短めのワンピースのバリエーションで、丈が腰の位置から膝丈程度のものをさす」とWikipediaでは説明されている(=ここ)。語源はラテン語で下着を意味する「チュニカ」から派生した。元来は古代ギリシャ・ローマ時代に着用された筒型をした膝丈ぐらいのゆるやかな衣服(半袖の上着)で下着や外衣、日常着として使用されたものだという(男性用の衣服も含まれた)。現代のチュニックは女性用のカジュアルな上着で、ジーンズやパンツをボトムス(下半身の衣服)として併用したり着こなし方で非常に幅広いバリエーションを持たせることができる。・・ここまで調べて何度も「チュニック」を繰り返すとチュニックと云う言葉は記憶に残りそうである。妻に男性用のチュニックがあっても良いのにというと笑われたが、渋谷区の検診時に診療所で提供される(その後持ち帰り自由)診療着は私のチュニックだと気がついた。
7月2日(水)  <負けるは勝ち・・・>
「負けるは勝ち」は”江戸いろはかるた”の「ま」項である。「負けるが勝ち」と云う場合もあるが、私は最近この言葉の意味は深いと改めて見直している。江戸文化の産物であろうが先ず平和でなければこのような言葉は産まれない。負ければ皆殺しとなるなど勝ち負けが生死に直結する戦い(社会)ではこんな悠長なことは云っていられない。江戸の町人は戦はしないし、また武士の支配下にあったとしても決して「負けた」と思っていないのが面白い。欧米流の「勝ち」or「負け」の割り切り思想でない所がユニークだ。嫌な言葉だが”勝ち組”に対して”負け組”が「負けるは勝ち」と云える社会こそ望ましい。「負けるは勝ち」にはまた勝てる場合でも勝ちを譲るゆとりを見て取れる。あらゆる状況において“勝ちを譲ろう”とする人が多ければ多いほど争いは少なくなるのは自明であろう。「負けるは勝ち」は負け惜しみの言葉でなく知恵がつまった平和の言葉に思える。ちなみに、”京都いろはかるた”では「ま」は「播(ま)かぬ種は生えぬ」。これは「江戸の勝ち」といいたいが、引き分けとしようか・・。

7月3日(木)  <岡目八目・・・>
「岡目八目」というが本人よりも周りの人の方がよく見えることは多い。今更ではあるが「岡目八目」を辞書ではこう説明している。「(碁を冷静に脇で見ていると対局者と比べて八目分の得をする手が見えたりすることから)局外者の方が、かえって事柄の善し悪しがよく分かること」(新明解/三省堂)。逆にいえば周囲で分かることが真剣に取り組んでいる当事者が分からないから厄介だ。テニスでも他人のフォームを手打ちで駄目だとコメントする本人が全くの手打ちだったりすることがあるし、"あなたは他人の話に耳をかさない”と云う人が聞く耳を持たないこともある。なぜこうなるのだろう。鏡がない限り自分の目では自分は見えない、自分の話言葉は耳で聞くのでなく耳の骨から伝わる。だから第三者としての自分の姿や話し言葉は見えないし聞こえないことが原因でないかと仮説をたてた。ところが囲碁の石は本人にもよく見えるから、目や耳だけの問題ではない。私がこのコラムを書いて更新登録をした後、一読者として読んだとたんに文字の間違いやらおかしな文章に気がつくことがある。更新するまでに自分で確かに読み直しているのだが、その段階ではミスに気がつかない。“局外者”になると即欠点が分かるのである。とにかくも人は自分のことは見えていないと思っている方が間違いないようだ。「他人の振り見て我が振り直せ」ともつながりそうである。
7月4日(金)  <オモチャ・・・>
「オモチャ」には少なからず関心がある。いわゆるコレクターではないが、昔から機会があれば(海外のものも含めて)オモチャの名品を購入してきたので今ではかなり集まっている。私が興味を持つのはオモチャの仕組というか構造がユニークでかつデザイン性があるもので、子どもだましのオモチャはとらない。といっても特別のものでもなく、例えば、地球独楽(コマ)とか永久運動をするように見えるオモチャ(コマや振り子の類)、それに名前を忘れたが階段を下りるコイル状のバネオモチャなど、ある時代にブームになったものも多い。オモチャの話題を書き始めたのは先日「東京おもちゃ美術館」(=ここ)に行ってたっぷりオモチャを見てきたからでもある。この美術館は学校の統廃合のため閉校となった東京の四谷第四小学校の校舎を活用して今年4月にオープンしたおもちゃ専門の美術館。数万点ともいわれるオモチャを見ると同時に制作したり手に触れて遊ぶことができるところが親切である。ところで、玩具はわかるが「オモチャ」の語源はなんだろうと調べてみた。「持て遊び」→「持ち遊び」→「もちゃそび」→「もちゃ」→「お+もちゃ」と変遷を重ねた言葉であるようだ。手で持って遊ぶオモチャは人間が作り上げた文明の基盤でもあるのでないか。

7月5日(土)  <苦心しても報われない・・・>
苦心しても報われないのは世の常か。「今日の作品」に久々に陶芸作品を掲載したが、この「テストピース埋め込み皿」はその典型だ。テストピースは家の陶芸窯で焼成する際に素材をバラバラに破裂させてしまった後に、破片を利用して異なる釉薬で絵を描いて粘土と釉薬の相性をテストしたものである(この間の経緯は1/25コラム=ここ、2/5コラム=ここ参照)。テストピースのままであると実用性がないので、これらを一枚の皿に埋め込んだのが今回の皿。埋め込むといっても新たな粘土を焼成すると収縮・変形するので、粘土に大きな陶片を埋め込むのは容易ではない。収縮代を見込んでその隙間を埋める方法を試行錯誤しながら何とか完成したが周囲の評判はよろしくない。以前のテストピースのまま何もしない方がよかったと云われる。更に皿の素焼時に電気窯のヒーターが故障する”おまけ”までついた。メーカーと連絡を取り窯を送り返して再度設置。その試運転を兼ねて今回の作品を焼成したものだ。それにしても、自分で満足のいくできかと問われればやはりまだ不満が残る。せめて自分が悔いないように更にこの皿には手を入れる予定だ。この皿の場合やること全てが初体験の試作といってもよい。試作とは巧くいかないところに意味がある・・。


7月6(日)  <洞爺湖サミットが明日開幕・・・>
洞爺湖サミットが明日開幕する。サミットでの主要8カ国(G8=Group of eight)の首脳会議に加えて、20カ国(G20)が参加する閣僚級会議やアフリカ開発会議などサミットに関連する会議が日本の各都市で開催されてきた。首脳会議はいわば総仕上げであろうか。G8の首脳では日本の福田康夫首相、ロシアのメドヴェージュフ大統領、イギリスのブラウン首相がサミット初参加、フランスのサルコジ大統領、イラリアのベルルスコーニ首相は初訪日だという。他の出席者はアメリカのブッシュ大統領(サミット最後の参加)、ドイツのメルケル首相、カナダのハーパー首相、そして、EUのバローゾ委員長(ポルトガル出身)である。・・都内の道路を自転車や自動車で動いていると至るところで“検問”に出会うので東京でも開幕が迫ったことを実感させられる。2005年に行われたスコットランドサミットの初日にロンドンの地下鉄、ロンドンの二階建てバスなどで同時多発テロが発生したのは記憶に新しい。どんなことでも反対派がいる。無謀なテロの理由付けには事欠かない。明日から2〜3日は都心の地下鉄に乗らず、繁華街には行かなくしよう・・。

7月7(月)  <ナダルが初優勝・・・>
ナダルが初優勝したテニスのウィンブルトン選手権、男子シングルス決勝戦は希に見る大熱戦だった。試合前には大会6連覇を狙う第一シードのフェデラー(スイス)が優勢と見られていた。フェデラーの安定感は抜群で今回もフェデラーかとの予想をくつがえしナダルは4時間50分の熱戦の末にフェデラーを破った。6-4、6-4、6-7、6-7、9-7のフルセットでの勝利だ。フェデラー(1981生まれ、26歳、身長185cm、体重80kg)とナダル(1986生まれ、22歳、身長185cm、体重85kg)はテニススタイルは異なるが体格はほぼ同じである。更に両者ともテニスの名門国出身でないところが興味深い。ナダルはスペイン・マジョルカ島生まれ。マジョルカ(orマヨルカ)島といえばショパンが恋人ジョルジュ・サンド(女流文学者)と共に暮らした島として有名で、この島で数多くの傑作が作曲された。ナダルがこのマジョルカ島生まれと知るとまた応援したくなるから面白い。日本の若手のホープ錦織圭(18歳)は今回のウィンブルトンでは結果が出せなかったのは残念だが、いつの日か”日本島”生まれとしてセンターコートで活躍することを期待しよう。

7月8(火)  <大正の鬼才・・・>
「大正の鬼才・河野通勢(みちせい)展」をみた。有難いことに渋谷区松濤美術館で開催中のこの展覧会は無料であった(60歳以上)。<美術館案内=ここ、7月21日まで、展覧会内容=ここ、または新日曜美術館での案内=ここ)そして、梅雨空の中を往復歩いて行ったので交通費もゼロ。洞爺湖サミット開催中でテロを警戒して山手線にも乗らず、渋谷の繁華街も通らずに裏道から渋谷に歩いて出かけたついでに美術館に立寄ったのであるが、大正の鬼才はエネルギーを発散していた。若き日に岸田劉生を驚嘆させた画才をもち武者小路実篤らとも交流が深かったという洋画家・河野通勢(1895-1950)の画風・画暦の詳細は前記のリンク先に譲るとして、一般的には名前の知られていない河野通勢という天才の残した作品群をみていると不思議な感動を覚えた。そして55歳で亡くなったこの天才に後20〜30年好き勝手に絵を描かせたかったと思った。デューラーやレンブラントなど西欧の絵画を懸命にマスターした彼が一旦それらを捨て去ると何を創りだすか、敬虔なキリスト信者であった彼がキリストでなく仏陀の絵画を描くとどうなるか。時代が人を決めることも多いが、時に時代を突き抜けて人が創りだすものもある。大正を突き破った河野通勢をみたかった。

7月9(水)  <道を尋ねられることがよくある・・・>
道を尋ねられることがよくある。犬を散歩している最中とかウオーキングの途中など運動靴を履いている時に限られるから、ラフなスタイルをみて地元の人間と思われるのだろう。(東京の)代官山、恵比寿近辺の道は大抵知って入るが、店には疎い(うとい)。美味しい食事をだす料理店などは一般向けの雑誌(Hanako)をみて直ぐ近所の店のことを教わる。“この辺りで日本食の店を知りませんか”ときかれて困った覚えがあるし、携帯電話の充電ができるコンビニを尋ねられて戸惑ったこともある。先日は「劇団ひまわり」をきかれた。テレビなどに多くの子役を提供しているこの劇団はよく知っているが、かなり遠くにいる時に尋ねられたので道順を教えるのに苦心をした。際立った目印がない「劇団ひまわり」の場所は案外に説明し難い。碁盤目の街並でないところをいかに相手に分かるように話すかは、こちらの説明能力を問われる。その点、今日、中目黒駅への行き方をきかれたときにも説明はお粗末だった。何通りもの経路があるので、はじめ右から行くと・・、左から行くと・・と、もぐもぐやっていると相手はさっぱり理解しない。そこではじめて相手はアジア系の外人と分かった。それではと久々に英語で案内。結局は分かり易い分岐点まで同行して道を教えた。別れた後しばらくして、その時GPS(携帯用の「全地球測位システム」)を持って歩いていたことにハタと気がついた。中目黒駅ならば地図で表示して、今はここ、中目黒駅はここ・・とGPS画面でルートを見せれば簡単だった。GPSで道案内・・、これからはこの線で行こう。
7月10(木)  <他人のことを悪く言うのは・・・>
他人のことを悪く言うのは性に合わない。”目くそが鼻くそを笑う”の通り、自分のことを考えると他人のことなど批判出来るものではない。それでも今日の「天声人語」(朝日新聞コラム)が気に食わなかったので書く。他人と云っても天下の大権力者だから。「天声人語」さん、例の調子で洞爺湖サミットの成果が不透明なことを「混沌」をキーワードとして揶揄している。「混沌」が中国の古典にでてくる「のっぺらぼうの帝王」のことから始まる“名文”の最後のところを書き写してみる:『のっぺらぼうの混沌は「ありのままの自然」の象徴とも解釈される。つるりと丸い地球を私たちに想像させもする。その自然を、人間の営みが死に追いやる。悲劇を防ぐ取り組みは、いつまでも曖昧ではすまされない。』(全文=ここ)・・”人間の営みが自然を死に追いやる”とな何たる傲慢さだ。冗談ではない。以前にも書いたことがあるが、“自然”はそれほどヤワではない。”死に追いやられる”のは人間であるから人間が大騒ぎをしているのだ。全人類がいなくなっても地球は森でおおわれ動物は元気よく生き延びる。地球温暖化対策といっても、日本などG8に加えて、人口13億人の中国や人口11億人のインドなどの動向がキーポイントとなるのは自明。それぞれの国は自国の生き残りをかけて主張するから簡単に進捗しないのはむしろ当然だ。”曖昧”でも“緩慢”でもいい、一歩でも進めば成果であろう。温暖化対策をいうならば、朝日新聞だけで新聞紙が毎日(!)800万部以上(!)発行されて、即捨てられる現実を新聞社としてどう考えているのか。スーパーのレジ袋どころでない問題でないのか。

7月11(金)  <ついに寿命が近くなったのか・・・>
ついに寿命が近くなったのか・・。私の使っているノートパソコンの話である。何かの拍子にパソコンからカチカチカチ(パリパリ)と異音がするようになった。起動する際にもある部分で同じ異音がする。そこを通り過ぎると異音はなくなる。更に詳しく観察すると、Safariを立ち上げようとすると音がはじまる。それでも時間がかかってもSafariが何とか立上がっていたのが最近はいつまでも待っても立ち上げができなくなった。一方、Explorerは問題なく(音もなく)立上がる。Explorerで調べたところ、これはHDD の異常である可能性が高い。HDDのディスク面(=高速回転する)からデータを読み取る磁気ヘッド部分に異常が発生しているとこのような音がでる。それにしてもSafariとどう関連するのか、今ひとつ理解出来ていない。少なくとも冷却ファンの異音であればSafariもExplorerも関係ないので、やはりHDDが壊れる前兆なのだろう。ハードデイスク(HDD)の寿命は4〜5年と云われる。私のパソコンは2001年3月購入(当時最新鋭のPower Book G4)。十分に長持ちしたと感謝すべきなのだろうか。急遽バックアップの対策に忙しくなったが、どのタイミングで買い替えるか悩ましい・・。

7月12(土)  <いまテラコッタの焼き物をつくっている・・・>
いまテラコッタの焼き物をつくっている。terracottaを英語の辞書(研究社)でみると「イタリアの赤粘土の素焼き」とあるが、「テラコッタ」は既に日本語でもある。「素焼きの焼き物」をいう場合と「それ用の粘土」、さらに「テラコッタ色(茶系のオレンジ色)をさす場合などがある。イタリア語のterra(=「土」<元来ラテン語系で地球、大地>)とcotta(=「焼いた」)が語源であるようだ。私はこれまで陶芸で素焼を仕上がりとする作品を作ったことはなかったので「テラコッタ」は初体験である。釉薬なしで多少空気の流通ができる「素焼き仕上げ」の「食パン保存容器」をリクエストされて「テラコッタ粘土」を使用して作り始めたのであるが、釉薬なしで如何に模様をつけて遊ぶか楽しい挑戦が続く。人類が本格的な窯で焼き物をはじめる以前、紀元前の時代から世界各地で(古代インド、古代中国を含めて)800度程度で粘土を焼き固めるテラコッタが制作されたという。そして現代。Webサイトではイタリア、ギリシャ、スペインの植木鉢やガーデン用品など多くのテラコッタ製品が紹介されている。テラコッタには「パン容器」に限らず、世界に一つのモノづくりとして意外に面白いテーマが潜んでいるようにみえる。
7月13(日)  <手作り化粧水・・・>
手作り化粧水を愛用している。といっても私はひげ剃り後の手入れ程度で“化粧”というほどのことをやることはない。けれども先日妻が知人から教わって我が家で手作りした化粧水を毎日私も使っているという次第。手作りしたのは、日本酒100、精製水40、酢5の割合で混ぜたもの。Webサイトで調べると、いわゆる“日本酒ローション”で、サイトでみたものより日本酒が少し多い調合であったが、いずれにせよ日本酒には優れた美肌効果があるとされる。使用しての効果を云える段階ではないが、食べられる材料ばかりで”害はない”安心感はある。アルコール分は多少気になるが舐めることまでしない。さらに保湿効果を持たせたいときにはグリセリンを加えるとか、アトピー皮膚炎の人には尿素を加えた化粧水、ハーブやアロエを加えたものなど、様々な手作り化粧水が紹介されている(=例えばここ)。女性の化粧品は高価なことがステータスとなることもあるようだが男性用にしても高価な品種を選べばきりがない。その点、手作り化粧水は安価で安全、しかも個々の人の肌に最適な配合を求めることもできる。

7月14(月)  <世界遺産・・・>
世界遺産をみせてくれるテレビ番組は好きな番組の一つである。そこでは訪れたことのない土地の風物、建造物などに触れながら別世界を堪能する。特に世界遺産と意識しなくても十分に楽しめる。昔、世界遺産などなかった時代のテレビ「兼高かおる世界の旅」も同じように面白かった。先頃、平泉を世界遺産に登録しようと申請したが“落選”して当事者はガッカリしたようだが、“遺産”の内容や価値に何も変わりがあるものではない。世界遺産の登録を観光の目玉にしようとする魂胆は元より本末転倒である。何事につけ”肩書き”や”ブランド(=焼印だ!)”を好む人が多いと見えて、石見銀山が世界遺産に登録されたとたんに観光客が30倍になったというから「認定」の効能を証明してしまった。平泉と同じく将来世界遺産登録を目指す鎌倉には時々訪れることがあるが、登録以前に周辺の環境を文化遺産とマッチさせたり整備することが先決だと思うところが多々ある。富士山にしても同様だ。ユネスコが認めようが認めまいが自分たちにとって貴重な“遺産”と認識して保護管理することこそ最優先だろう<周辺の景観保存が一番難しいのでは?>。ちなみに今の時点での世界遺産登録数は以下である:文化遺産=679(日本11)、自然遺産=174(日本3)、複合遺産=25、計878件(日本14)。そのうちに認定されない「隠れ遺産」に人気が出るかも知れない・・。

7月15(火)  <マンガンカップ・・・>
「マンガンカップA(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。このところ陶芸で釉薬にマンガンを使用することを試みている。マンガン(Mn)は本来銀白色の金属。製鉄の際に脱酸素剤、脱硫黄剤としてマンガンが添加されるし<そのため一般の鋼材(=鉄Fe+炭素Cからなる炭素鋼)にはマンガン成分が含まれている>、特殊なマンガン合金の用途もある。陶芸で使用するのは勿論元素としてのマンガンではなく、マンガン鉱などとして算出される二酸化マンガン(MnO2)の粉末である。この二酸化マンガンを適当な釉薬に混ぜて”金属風味”を出すのが狙いであった。今日の“カップ”はマット釉に二酸化マンガンを混ぜて筆で塗った。結果的にはマット分が若干多過ぎて(厚塗りしたこともあり)一部に釉の流れがみられる。マンガン成分を増やして金属風な肌合いをもう少し出したいところだった。カップの形状は試作品とは云え、ただのカップでは面白くないので動くリングと玉を組み込んだ。酒でも飲む時にカチャと祝福の音をさせればそれで満足。マンガン釉はこれがスタート点である。


7月16(水)  <Webサイトでユーザーレビューを見る・・・>
Webサイトでユーザーレビューを見ることができるのはありがたい。パソコンの買い換えを検討する段階でアップルの最新版「iMac」のユーザーレビューで興味あるコメントを見つけた。それは、20インチのデイスプレーの上と下で色合いが若干異なるということ。販売店にクレームをつけると20インチはそういうもので、24インチの画面なら差はないと説明されたという。画像処理の専門家であるユーザーはそんなことは知らされていないと怒っていた。私は信じられないので渋谷のアップルストアまで出かけて確かめてみた。20インチ、24インチの画面を並べて店員と一緒に確かめたところ、これが本当なのである!どういう訳かは知らないが(店員も知らない)20インチ画面には上下に薄くグラジュエーションがかかっている。上部の色を下部に移動させると少し色合いが変わる(下部の方がコントラストが少ない)。設定である程度は調整出来るし普通はほとんど気がつかない程度だが、画像処理で繊細な設定を行う場合には気になるだろう。一方、事前に”この程度”を確認出来たことで私は安心できた。ユーザーレビューはよい面よりもマイナス面の方が参考になる。
久しぶりの「今日の写真」は自然教育園(東京・白金)で撮影した。
じゃやなぎ(蛇柳)の花(?)/2008-7-16

7月17(木)  <ヤン・イーさんという中国国籍の女性が芥川賞・・・>
ヤン・イーさんという中国国籍の女性が芥川賞を受賞した。小説はまだ読んでいないので小説の内容をコメント出来ないが、報道されるところの彼女の経歴にはある種の感動を覚える。1964年中国のハルピンで生まれた楊逸(ヤン・イー)さんは1987年、22歳の時に来日して日本語を習い始めて今年44歳で芥川賞を受賞したのである。自分のことを置き換えてみると大学を卒業してから学び始めた外国語を20年間で小説を書き受賞するまでになるには尋常の努力ではあるまい。日本語学校を経由してお茶の水女子大学で地理学を専攻したとの経歴もユニーク。日本人と結婚したが離婚して今は高2の長男と中1の長女を育てているという。苦労もしているのだろう。彼女のテレビインタビューを聞くと”今でも日本語の助詞を「が」を使うか、「は」を使うか考える”と話しているのが印象的だった。最近の芥川賞受賞作というと何か”異常さ<気持ち悪さ>”が先だって読む気も起こらなかった。今回は”圧倒的な筆量”であるという受賞作「時が滲(にじ)む朝」を読んでみたくなった。
「今日の作品」に「マンガン花器」(陶芸)を掲載した。前回の「マンガンカップA]と同じく二酸化マンガンをマット釉で溶いた釉薬を使用。この作品もまた仕上がりは当初の狙いと大きく違ったが、マンガン釉の特性を知るための貴重な データを提供してくれる。


7月18(金)  <野茂英雄投手が現役引退を表明・・・>
野茂英雄投手が現役引退を表明したことを”各国メデイア”が報道したという。もうすぐ40歳になる(1968-8/31生まれ)野茂はこれまで何度も引退の危機に陥りながらも不死鳥のように甦ったが昨日の引退表明でついに現役の歴史を閉じた。野茂のことを今更言うまでもないが、彼の並外れた開拓者精神、挑戦する意志は“エリートコースを歩まなかった”強さでないかと思う。他人が敷いたレールの上をスマートに走るエリートとは異なり、こういう人物こそ歴史に名を留めるべきであろう。ノンプロから野球人生をスタートさせてアマチュア野球で随一の実積をあげ、1990年プロ入団すると新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞。1995年に近鉄を退団してメジャーリーグに挑戦した際、マイナー契約(ドジャース)の年俸は980万円で近鉄時の年俸1億4000万円と比べて1/14以下であったことは神話として語り継がれる。その後メジャーリーガーとして大活躍して日本人がメジャーでも通用することを証明した功績は計り知れない。更に独特のトルネード投法についても個性をつぶす日本人社会の中で自分流を貫き通した。その信念を曲げない強さにもまた感服する。野球とは関係のない私もまた勇気づけられたのは確かである。野茂英雄には引退後のこれからもまだまだ彼にしかできない仕事があるように思える。
7月19(土)  <自分が真に楽しめるものを一生持ち続ける・・・>
自分が真に楽しめるものを一生持ち続ける人は幸せである。小中学生がピアノを巧みに演奏するかと思えば、仕事を持った大人が玄人(くろうと)はだしの演奏を聴かせるコンサートで、少々飛躍してそんなことを思った。子どもの頃に親に音楽を習わせてもらっても大人になって楽しめるか否かは分からない。挫折して音楽嫌いになる子もいれば、全く異なった分野に興味がいく人も多い。一方で定年後に昔取った杵柄で音楽に打ち込む人も大勢知っている。高齢で音楽を楽しむ人たちにはそろって活気がある。音楽に限らず、子どもの頃に思いきり何かに打ち込むことは恐らく一生の宝になる。”何か”とは、スポーツ、芸術、工作、学問、遊び・・など。勉強に打ち込むのもいいけれども、“受験”と名がつくと、これは一生続くものではない。中学生、高校生は自分の可能性を見つけきらなくても“何が面白いか”を自分自身で模索するところに意味がある。大人になっても中高生と同じこと。何が好きか、何が楽しいのか、何がやりたいのか、返答できるのが幸せな高齢者の条件であろう。
7月20(日)  <75歳でエベレストに登頂・・・>
75歳でエベレストに登頂した三浦雄一郎のテレビ番組をみた。5月26日登頂に成功するまでのドキュメンタリーである。「三浦雄一郎」とは別に、ニュースでは決して報道されることのなかった多くの登山隊メンバーのサポートや、撮影隊の苦労にも思いが及ぶ好番組だった。世界最高峰はそれほど甘くはない。酸素マスクを付けて急斜面を一歩一歩踏みしめながら進む姿はやはり人に何かを考えさせる。私は何事もどんなにゆっくりでもいいから前に進んでいるとやがて目的地に到達できることを連想した。傍観者のままで一歩がでなければどこにも進めない。苦しみながら歩み続けるときには何を考えているのだろう。恐らくは無心で身体を動かすだけか。ここでも余計なことを考え過ぎて行動しない凡人の対極にみえた。もしかすると登山中にも聖書の言葉を思い出しているかも知れない。「明日のことを思いわずらうな。明日のことは明日自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である(マタイ伝、第6章の最後)」。登山にはこうして人間のいろいろな断面を想像させる面白さがある。・・1970年37歳の時にエベレストの8000メートル地点からスキーで滑降した三浦雄一郎(1932生まれ)は今回を含めて70歳を過ぎて二度目のエベレスト登頂成功である。
7月21(月)  <今日「海の日」は・・・>
今日「海の日」は日本の各地で35度を超す猛暑となった。京都方面では37.5度を記録したとも報じられている。東京も今日で10日続けて真夏日。この暑さでも自分の部屋のクラーをこの夏一度も使用していない。特別に我慢しているのでなく、扇風機を使いはじめてからクーラーのスイッチを入れなくても済んでしまっているだけである。家族の居間ではクーラーを使うけれども、私のパソコンの時間とかデスクワークは確かに扇風機で用が足りる。室温が高くなるとノートパソコンの温度もグングン上がるので冷蔵庫で冷やしておいた”アイス枕”をタオルでカバーしてパソコンの下に敷いたこともあった。けれども扇風機を使うようになってからパソコンの冷却も同時にできる。大袈裟にエネルギー消費を抑えるとか電気代が安くなるなどとは云わない。ただ暑ければ団扇だけでも楽になる。扇風機を使うと実に涼しい。もちろん夏であるから時には大汗をかいてシャワーを浴びるのもいい。自転車でいけるところは自動車を使わない。歩いて行ける所には歩いて行く。扇風機や団扇は丁度これらと同じことで、個人でそうすることが可能であれば本人の健康のためにも一番いいように思えてきた。暑さに適応する身体は優し過ぎるとできない。何事も過保護はよろしくないようで・・。

7月22(火)  <用途は決めつけないで欲しい・・・>
用途は決めつけないで欲しいと、スーパーで食材をみる度に思う。今日の夕食はカレーライスにしようとスーパーで肉をみる。そうすると、豚肉でも「カレー用」、「野菜炒め用」、「唐揚げ用」などなど、ご親切に用途が書いてある。カレー用に決まった大きさの角切りを使わなければならない理由はないはず。表示してあると指示されているようで抵抗がある。もちろん店側の親切心は分からない訳ではないが、料理する側の工夫や考える余地を狭めていると思えてならない。食材をみて必要ならば更に細かく切ればよい。今日はどんな利用の仕方をするか工夫するところに料理の面白さがある。たかが食材の表示ではあるが、一事が万事。日本の社会全体に不当に「決めつける」ことが多過ぎる気がしてならない。特にこどもや若者など可能性がある人に周囲が「用途」を決めつけてはならない。・・小さな親切のつもりであろう「○○用」はまさに“大きなお世話”である。

7月23(水)  <美の対決・・・>
「美の対決」は無理矢理でっち上げた感がなきにしもあらずであるが国立博物館(上野)での特別展「対決/巨匠たちの日本美術」をみた(8月17日まで、Web案内=ここ)。「対決」だけでなく「巨匠」とは何か(当人が生きた時代にはその”匠”<たくみ>が現代ほど評価されなかった人物もいる)などタイトルには引っかかるものがあったが、とにかく内容が豊富で多くの名品・名作に接することができた。国宝10品、重文30数品、その他重要美術品が陳列される膨大な展覧会をここで総括はできないので「対決」させられた人物を時代と併記してみよう。運慶(?〜1223)vs快慶(?〜1227?/各平安末期から鎌倉初期)、雪舟(1420〜1506)vs雪村(?/16世紀)、(狩野)永徳(1543〜1590)vs(長谷川)等伯(1539〜1610)、長次郎(?/16世紀)vs(本阿弥)光悦(1558〜1637)、(俵屋)宗達(?/17世紀)vs(尾形)光琳(1658〜1716),(野々村)仁清(?/17世紀)vs(尾形)乾山(1663〜1743)、円空(1632〜1695)vs木食(もくじき、1718〜1810)、(池)大雅(1723〜1776)vs(与謝)蕪村(1716〜1783)、(伊藤)若冲(1716〜1800)vs(曽我)蕭白(しょうはく/1730〜1781)、(円山)応挙(1733〜1795)vs(長沢)芦雪(1754〜1799)、(喜多川)歌麿(1753〜1806)vs(東洲斎)写楽(?/1995年頃活躍)、(富岡)鉄斎(1836〜1924)vs(横山)大観(1868〜1958)。こうして「対決」
させて比べるまでもなく人は全く一人で描き、創るものではない。多くの先人に学び、同時代の仲間に刺激を受けながら自らが脱皮する。こうした文化の伝統を持ち、先人達の残した遺産に直に接することができるのはやはり幸せと云わなければならない。
7月24(木)  <ロンドンのガソリン代は日本よりはるかに高い・・・>
ロンドンのガソリン代は日本よりはるかに高いという。長年ロンドンに住んでいた人が日本に帰国した時に語った話の又聞きなのでインターネットで調べてみた。確かに日本で130円/リットルの頃にイギリスでは194円/リットル。日本でガソリン価格高騰で騒がれ始めた150円頃、イギリスで230円、5月末で245円、現在は果たしてどこまで上がっているか・・。イギリスに限らずドイツ、フランスなど欧州全般に換算すると日本のガソリン価格より高い。これをユーロの為替レートで単純に換算すると実情に合わないという説もあるが、原油高騰で四苦八苦しているのは勿論日本だけではない。イギリスの場合興味深いのは石油の自給率が100%(日本はほとんど輸入)であるのに高いこと、そして政策として高いガソリン税が課税されていること。ガソリン価格を高くすることにより車を減らし大気汚染も減少させ、道路整備も最小限で抑える狙いもあるとか。こうなると国の政策の考え方にかかわる話となる。同じようにロンドンの地下鉄の初乗り運賃がべらぼうに高い(1000円近い?)話もある。それにしてもロンドンは今活気がある。食べ物は美味くなくても安いのだろうか。

7月26日(土)<ついにパソコンがダウン・・>


7月28(月)  <新パソコンがきた・・・>
新パソコンがきた!前のパソコンMac Power Book G4では25日早朝に一文字打つのに10秒の時間をかけ、漢字変換もできない状態でコラムを書いた。これが結局最後で長年愛用したG4は二度と再起動できない。妻や娘、息子たちの暖かい(!)後押しがあって、妻のパソコンを使ってWEBサイト=価格COMで狙いを定めたパソコンの評判や価格を調べた。そして注文。オーダーしてから24時間もしないうちに我が家に新しいi-Macが届いた(しかも送料は無料)。はじめての24インチパソコンはとにかく画面がでかくて鮮明、大きな文字は読みやすくて別世界のようである。反応速度も夢のように早い・・と感激する一方で、以前のパソコンデータやソフトを整備するのに悪戦苦闘の真っ最中である。このコラムはホームページ制作ソフトdreamweaverの30日無料体験コースをダウンロードしたものをテスト使用してみた。以前の”慣れ”から脱却するにはエネルギーが必要で、暑さも忘れそうだ・・。


7月29(火)  <秋川渓谷で気分転換・・・>
秋川渓谷で気分転換。連日の猛暑の中、パソコンのトラブル対応〜新パソコンの勉強や調整にいささか飽きたところで、ニューヨークから帰省した娘・孫娘と一緒に秋川渓谷を訪れた。秋川渓谷は東京都の北西部、あきる野市にある。<ちなみに、あきる野市は東京都の多摩地区、秋川市と五日市市が合併してできた(1995年)市で、地元に阿伎留神社とか秋留台地などの名称があったことから、かな文字の「あきる野市」ができたという>多摩川の支流である秋川の渓谷風景もよいが、何より清流で川遊びをできるところが人気である。私も冷たい川の水に膝まで浸かって孫娘と遊びしばし暑さを忘れた。そして河原の木陰で横になっているとパソコンのこともすっかり頭から消えてしまった。
「今日の写真」に秋川渓谷の写真を掲載したが、これは今までのパソコンでのphotoshop画像処理ではなく新パソコンに付属しているソフトを使用して作成してみた。もうパソコン世界に戻っている。
2008-7-29

7月30(水)  <パソコンが故障して・・・>
パソコンが故障して使えなくなったときに改めてパソコンが生活の中に深く入り込んでいたことを思い知らされた。パソコンといっても主にはインターネットとメールであろうか。現在は新聞をすべて止めてインターネットで毎日のニュースをみることにしているが、これができない。故障の対策もインターネットで検索すると大抵の情報は入手できるが、これもできない。妻のパソコンを使って最新のパソコン情報を調べて直ちに新しいパソコンを注文できたのはむしろ幸いだった。それと私の場合ホームページの更新が毎日の習慣になっていたので何もしないことでホッとするかと思うとむしろ手持ち無沙汰で気が抜けたのは意外だった。パソコンというハードがなくなると生活が一変するのは予想したが、前のパソコンが臨終となる直前に演算速度(というか動作速度)が百分の一ほどに低下したのを恐る恐る使いながら、まともに動作することが如何にありがたいかも実感した。普段接している現代の環境(人、物、仕組みなどすべて)は実は極めて幸運な状況の下で成立していることに思いが及ぶ。時に、テレビがない生活、車がない生活を体験すると暮らしに新しい発見がある。これからは「ノーパソコン日」も悪くないかも知れない。

7月31(木)  <テラコッタが完成した・・・>
テラコッタが完成した。このテラコッタの制作経緯については7月12日のコラム(=ここ)に書いたが、テラコッタ、つまり赤粘土の素焼き(焼き物)で「食パン保存用の容器」を作ったのである。「今日の作品」に出来上がったばかりの「食パン容器」(陶芸)を掲載した。テラコッタは私も初めての経験だったので仕上がりの色具合が不安だったが、確かにこれがテラコッタだと納得。テラコッタ粘土を使うのは初めてだったけれども模様には思う存分”いたずら”した。素焼き温度までの仕上げであると上絵の具が使えるので、赤茶、白、黒、金、ピンク、グリーンなど手持ちの絵の具を使い放題。他人の評価や好き嫌いなどを一切気にせずに好き勝手に創る楽しみを満喫した作品だ。世界に二つとない「食パン容器」はこれから我が家の台所の一角に鎮座することになる。


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