これまでの「今日のコラム」(2010年 5月分)

5月1日(土) < 98歳で初詩集・・・>
「98歳で初詩集4万部」という記事をみた。宇都宮に住む98歳の柴田トヨさんが自費出版で出した詩集が評判となり4刷、計4万部となる異例のヒットとなっているそうだ(読売新聞のWeb=ここ)。詩を書くことが生きがいともなり元気の源なのだろう。この話を読んで私は葛飾北斎の晩年を思い出した。創作者が高齢で活躍する事例は多いが巨人北斎の晩年は鬼気迫るものがある。北斎(1760〜1849)が75歳頃(?)刊行された「富岳百景」の後書きに画業への思いが伝えられている:「・・86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達する・・(意訳)」。実際、北斎は数え年90歳で亡くなるが臨終に際して「天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし」と書き残したという。真に創造する人には「時間つぶし」はない。ただ”時間が欲しい”、"時間よ止まれ”と叫びながら永遠のエネルギーを求めている・・。
5月2日(日) <珍しく昼の音楽会・・・>
珍しく昼の音楽会にいった。「デイーナ・ヨッフェピアノリサイタル」(@東京文化会館小ホール)。ヨッフェは旧ソ連邦ラトビア生まれ(1951?)で日本での知名度は高くないが世界中で演奏したりコンクールの審査員、教鞭をとるなどして活躍する実力派。バッハ、ベートーヴェン、ショパンといった演目だったが本当にすばらしい演奏だった。実に多彩な音色、特に弱音の繊細な響きと詩情あふれる音楽性に酔った。前に日本の名のあるピアニストが"芯の太い肉厚の音”(これを褒め言葉でいう人もいる)を叩きつける強烈な演奏をするので辟易したことがあるが、ヨッフェの演奏を聴くと同じピアノでも別の楽器のように音が優しく輝く。・・音楽会の余韻を味わうには若干場違いであったが帰りに上野から「アメ横」に立寄る。押し合いへし合いの大混雑は何?そう、今日はゴールデンウィークの真っ直中であった。
「今日の表紙」に「チョコ飾り台/使用例」(陶芸)を掲載した。陶芸では三角形の板二枚を制作、これを組み立てて飾り台としている(板状の写真は陶芸コーナー=ここ=に掲載)。この台は今度のクリスマスに娘へのプレゼントとする予定だ。


5月3日(月) <無性に絵が描きたく・・・>
無性に絵が描きたくなった。陶芸もいいが意図的な作業というか何か雑念が多くなって間をおきたくなったのである。それでもまともな絵筆をとることができず、また「mieuへの絵手紙」を描いた。ニューヨークに住む孫娘は私の描いた絵手紙を無条件に受け取ってくれる(住所部分の下半分に妻が手紙の文章を書く)。抽象、具象、デザイン、色遊び・・どんな絵でも喜んでくれる(と思っている)。時々、孫娘への絵手紙がなかったらどんな絵を描くだろうと考えることがある。一切構えることなしに自由気ままに描くチャンスがあることを感謝しなければならない。「今日の表紙」に「春のある日」として掲載した絵もそんな絵手紙。この絵を含めて三枚を一挙に描いた。絵の内容は”ある日”の心情とでも言っておこう

  
 
                           2010-05-03@九品仏浄真寺/東京・世田谷  &@目黒区の公園にて
5月4日(火) <今日は「みどりの日」・・・>
今日は「みどりの日」。祝日の趣旨は「自然に親しむとともにその恩恵に感謝し豊かな心をはぐくむ」とされている(祝日法)。「緑(自然)」のとらえ方は年齢とともに変化するように思える。私の場合は20〜30歳頃までは「緑」は自然環境そのものでほとんど興味の対象にもならず自分の目で見ることもなかった。草花や樹木に目が届き相手として自然と接し始めたのは60歳を過ぎてからだろうか。”恩恵に感謝”するのも最近になってからだ。このところは緑や自然に対して畏敬の念というか恐ろしささえ感じることがある。つまり人間は緑(自然)を必要とするが緑(自然)は必ずしも人間を必要としていないことを理解した。人間の都合で育てている鉢植えや農地などには人間の世話が必要かも知れないが自然は元来人間と関係がなく、どちらかというと自然を侵食するのが人間である。どんな大都会でも仮に人間が消え去ると自然の樹木、雑草群は生き生きとして一挙に都会を覆い尽くしやがては緑いっぱいのジャングルをつくる。それほどに緑や自然は圧倒的に強い。人間は自然と闘いながら生き延びる術として農作物や果樹、それにほんの少しの草花などの分け前をいただく。緑や自然の恩恵なくして人間の存在すらない・・。
2010-05-04@渋谷・鍋島松濤公園にて
5月5日(水) <春のある日-2・・・>
「春のある日-2/mieuへの絵手紙」(水彩)を今日の作品として表紙に掲載したが、今日、こどもの日は春を通り過ぎて初夏の陽気。多少の汗をかきながらも五月晴の下、散策の時間を楽しんだ。最近はウオーキングの時にカメラを持参する。途中で撮影した写真を「今日の写真」としてこのコラムに掲載するのであるが、「今日の作品」は制作した作品を掲載するだけであるが「今日の写真」はどの写真を選択するか迷う。今日は恵比寿ガーデンプレースにいってこどもの日の特別行事が面白くシャッターを押しまくったり、白金の自然教育園(=ここ)では巨樹や池、新緑の森、アヤメやカキツバタの花・・と撮影対象には事欠かなかった。そして迷った末に「今日の写真」に選んだのは「カキツバタ」とした(下に掲載.)。何度覚えて忘れてしまうのが、”いずれがアヤメかカキツバタ”、それから"ショウブ”の区別の仕方だ。掲載するに際してもう一度インターネットさまで復習させてもらった(=ここ)。
  2010-05-05@自然教育園/東京・白金

5月6日(木) <新宿高島屋・・・>
新宿高島屋にいって奇妙な感じになった。確かに妻と目的を持って新宿タカシマヤ店(タイムズスクエア、新宿と呼ぶが住所は渋谷区千駄ヶ谷)に行ったのであるが、まず12階のユニクロで買い物(最近、ユニクロがこの階の一角を占める)、それから11階のユザワヤで買い物、高島屋さんのスペースでは10階の美術画廊で無料の展覧会を拝見したが何も買っていない。私はこの高島屋ビルの一角に出店している東急ハンズ(2F〜8F)によく来るが、やはり高島屋の店内で買い物することはまずない。考えてみると高島屋の日本橋店、玉川店、横浜高島屋などにも行くことはあるが大抵展覧会を見るためである。ただし現在も日本橋高島屋では「三岸節子展」が開催されており興味はあるが入場料が割高だ(三岸節子美術館/愛知県の2.5倍)。高島屋の場合、高級婦人服、高級紳士服、高級雑貨のイメージが強く、それなりの固定客があるのであろう。私の知人も地下の食料品店で毎日買い物をするという。人それぞれでデパートは成り立つ。それにしてもユニクロのレジでの混雑や活気と比べてデパート側では手持ち無沙汰な店員ばかりが目に付いた。タカシマヤに限らずデパート業界は今や"軒を貸す(あるいは庇<ひさし>を貸す)”商売へ踏み出した。母屋がどうなるか、先のことは分からない・・。
5月7日(金) <映画「別れの曲」・・・>
映画「別れの曲」を妻と見に行った。ショパン生誕200年記念に東京都写真美術館ホールで上映されている音楽映画(5/16まで、案内=ここ、写真美術館=ここ)。この映画は何と1934年に制作されたドイツ映画。翌年、1935年(昭和10年)に日本で公開されて大ヒットになった同名の映画は脚本、監督は同じで俳優を入れ替えて制作されたフランス語版である。フランス語版を見たことのあるご老人ファン(90歳前後?)にとっては今回のオリジナル版は昔の思い出と異なる部分もあるようだ。私にとっては勿論生まれる前に制作された伝説の名映画。ショパン(1810〜1849)の”若き日の愛と苦悩”、初恋の人コンスタンチアとの悲恋、祖国ポーランドへの熱い思い、ジョルジュ・サンドとの出会い、リストとの交流などがショパンの名曲と共にテンポ良く展開していく。終わってみると"映画って本当に楽しいですね・・”。映画はジョルジュ・サンドとの出会いまでだがショパンは36歳でジョルジュ・サンドと別れ、3年後、以前から療養中であった肺結核が悪化し39歳で生涯を閉じる。映画のタイトルとなった「別れの曲」のYouTube動画をリンクしておこう(=ここ/演奏=ラン・ラン)。
「今日の表紙」には「mieuへの絵手紙/春のある日-3」(水彩)を掲載した。一連の絵手紙の続き。
  2010-05-07@恵比寿ガーデンプレース/写真美術館は右手奥

5月8日(土) <スーパーマクロ・・・>
スーパーマクロのモードで撮影した「今日の写真」を下に掲載した。いまのデジカメには接写用のマクロ設定と更にもう一段接写用に”スーパーマクロ”が付いている。これまでスーパーマクロはほとんど使ったことがなかったが今日庭の雑草を撮影してみると思わぬ発見があった。まず超接写の対象を探すために今までは見過ごしていた小さな草花に目をやった。そしてピントを合わせて接写すると知らなかった別世界が現れる。人間が目で確かに見ているといってもほんの限られたものしか見ていない・・。人の眼力(視界、視力を含めて)などたかが知れている。目線を変えるだけでも別の次元が覗ける・・。こんなことを考えながら撮影した「雑草」の名は「ワスレナグサ」の一種でないかと推測する(小さな薄青色の花を調べてみて「キュウリグサ」かと思ったが花のサイズが5-6mmとキュウリグサ<2-3mm>より若干大きく、また葉をもんでもキュウリの匂いがしないのでワスレナグサと判定)。「わすれな草」は園芸品種もあるようであるが狭い庭の隅に逞しく活きている雑草、ワスレナグサをもう忘れることはない。
2010-05-08

5月9日(日) <高校・大学の同窓生・・・>
高校・大学の同窓生と久しぶりに会った。六人組が一人欠席で五人。どうしてこのグループがあるのだろう・・と話題になったが、直ぐに結論がでた。大学時代に「材料力学」という科目があってステップ毎にグループで教授から口頭試問を受けてグループとして合格しなければ先に進めないシステムになっていた。このグループで皆一緒だったのである。今考えるとグループ全体で議論して助けあった。一人だけ理解していればいいのでないので教師から一方的に教わるよりはるかに友人同士の連帯感は深まった。材料力学で学んだ内容以上に50年前の授業のやり方が私たちに大きな影響を残してくれている・・。
「今日の写真」には昨日の続きで雑草「カタバミ」を掲載する。 カタバミの花言葉は「喜び・輝く心」。 クローバに似た三つ葉の葉は昼開き、夜閉じる。
2010-05-09@渋谷・東京

5月10日(月) <一輪挿し・・・>
「一輪挿しA」(陶芸)を今日の作品として表紙に掲載した。高さが6cmほどの球形に近い花器。最近のLEDを使った灯明(陶芸コーナー=ここ=参照)と同じように小物であるので時間があるときに家で粘土をこねて簡単に作ることができる。家の電気窯を使うのでその気になれば3〜4日で完成する。だから陶芸教室での大物制作の合間に実験的なことをやるのには家の方が向いている。この一輪挿しの場合は外側の釉薬として鉄系の釉薬に二酸化マンガンを調合して金属風味を出すこと、それと上部に作ったへこみに青いガラスを置いて流す試みをした。粘土は貫入土という白い土を使用したので色の加減がほぼ想定した通りにできあがった。青いガラスと白の釉薬が溶けだして鉄系の色をどこまで侵食するか、成り行きを見るしかなかったが、この種のことは出来上がった結果が一番自然で、一番いい・・。
「今日の写真」は三日続けて雑草、「アカツメクサ」の花。
  2010-05-10@目黒・東京

5月11日(火) <現場で具体的に行動すると・・・>
現場で具体的に行動すると机上では想定していなかった問題が続発する。・・今日、久しぶりに陶芸教室で大物を制作し始めた時の話である。家で図面を描いてかなり綿密に計画を練った。それでもいざ教室で粘土をこねて制作をはじめて見ると粘土の使用量が全く想定外であったり粘土の板厚や強度補強を考え直す事態になる。現場合わせで対処しなければならない。昔、機械の設計をしていたことがあるので机上で図面を描くには現場の仕事(加工のやり方、組立方など)を知らなければ設計はできないことは熟知しているつもりである。それでも陶芸は機械部品と異なり生き物のようなところがある。材料としての「粘土」の性質は水分の量や粘土の種類によって微妙に変わる。そこが陶芸の醍醐味かも知れない。・・久々の陶芸で問題解決に奮闘したせいか、ふと今の政治、普天間基地の問題を連想してしまった。想定の甘さからか実に無様なゴタゴタが続くけれど当事者は現場の問題を解決しなければならない。机上の評論家と同じく現場とかけ離れたマスメデイアと解決の具体策を提示しなくて済む政治家ほど気楽なものはない。
5月12日(水) <シロツメクサとムラサキツメクサ・・・>
シロツメクサとムラサキツメクサが一緒になった写真を「今日の写真」として下に掲載する。一昨日、10日のコラム欄の最後に「アカツメクサ」の写真を掲載しているが、これには少し経緯があった。はじめ私は名前が分からない雑草と書いて写真を掲載したところ妻から”シロツメクサ”の種類でないかと指摘があった。妻はシロツメクサ、つまりクローバで冠などを作って孫娘と遊んだことがあり、同じ種類と見た。調べてみると確かに同じマメ科のアカツメクサであろうと「アカツメクサ」と名前を入れた。またホームページを見ていただいた知人からは「ムラサキツメクサ」でないかとメールで教えていただいた。「ムラサキツメクサ」の方が正式名称で和名でアカツメクサ、一般には赤クローバと呼ぶこともあるようだ。シロツメクサの名称は江戸時代末期にオランダから日本に送られたガラス器のクッション用の詰め物としてこの植物が使用されていたことから「詰草」→「白詰草」と呼ばれるようになったという。写真に見るようにムラサキツメクサ(アカツメクサ)はシロツメクサより葉も花も大きく花の直ぐ下に葉があるところが大きな相違点。シロツメクサは地面をはうように成長するがムラサキツメクサは茎が長く上に伸びるためムラサキツメクサの方が強そうであるが踏みつけられる場所であるとシロツメクサの方がはるかに強いと解説があった。同じ種でも生命力にそれぞれの特徴がある。
2010-05-12@目黒区・東京

5月13日(木) <自転車が途中でパンク・・・>
自転車が途中でパンクしてテニスからの帰り道で立往生した。自転車に乗り続けるとガタガタしてパンク以外の箇所まで壊れてしまいそうで怖い。そうかといって自転車を押しながら歩くのでは時間がかかりすぎる。自転車の修理屋さんは見つからない。テニス場への往路で既に異変を感じていたので空気入れを借りて(テニス場には空気入れが常備されている)いっぱいに空気を入れたにもかかわらず、帰り道で直ぐに完全に空気が抜けてしまったからかなり大きな穴が開いてしまったのだろう。今日のところは時間はかかったが適当に乗ったり降りたりしながらとにかくも家の近所の自転車店に持ち込むことができた。この自転車店は以前照明器具の店であったが最近になって自転車を専門に扱う店になった。それだけ自転車ブームなのかも知れない。以前、家で自転車のパンクを確認したときにはこの店もなかったのでインターネットで調べて自転車の訪問修理を頼んだ。常時、部品を携えて都内をオートバイで巡回している人がいて携帯電話一本で時間を予告して家まで来て修理をしてくれたが費用は非常に安かった覚えがある。それにしても長距離のサイクリングのときにはパンク対策はどうするのだろう。自分で修理用具一式を持参するとすれば、ドラーバーとペンチ類、ゴム板、ゴム糊、ヤスリ、空気入れ、水容器・・などと考えてみたが、どうも自分ではやりそうもない・・。
「今日の作品」として 「一輪挿しB」(陶芸)を表紙に掲載した。白い貫入土に鉄風味の釉薬を試みたもの。


5月14日(金) <野良猫への餌やり・・・>
野良猫への餌やりで将棋の元名人、加藤一二三さんが東京地裁で有罪判決(餌やり中止と慰謝料204万円支払い)を受けた。我が家の近所の公園でもホームレスが4〜5匹の野良猫を集めて餌やりをする姿をみることがある。ホームレスさんの場合、野良猫だけに頼りにされているのだろうと同情するところがないでもない(それにしても最近の野良猫はよく太っている!)。ところが加藤さんは「命あるものを大切にする信念は変わらない」と控訴する構えの確信犯だ。加藤さんが面倒を見て野良猫は一時18匹になったというからただごとではない。加藤論に耳を貸すつもりはないが不思議なのは加藤さんはローマ法王から勲章をもらったほどの敬虔なキリスト者(クリスチャン)であること。仏教と違いキリスト教は人間と動物を明確に区別する。人間中心で動物とは"神が生きているものを食物として与えた”ものである。肉食が公認されているキリスト者が極端な動物愛護者となった経緯が何とも分からない。ところで動物愛護といいながら自分では牛肉を食べ”鯨がかわいそう、イルカが可哀相”と騒ぐ人もいるかと思えば、私は共同庭で蔓延る(はびこる)雑草を除去したりあっと言う間に始末に負えない竹林となるのを防ぐために必死に竹を切っていると”植物がかわいそう、いい加減にしろ"と叱られる。世の中、人間はもとより、植物も、動物も、かわいそう(可哀相)な種は尽きない。
5月15日(土) <執念で生かした作品・・・>
執念で生かした作品・・とは「今日の表紙」掲載した「花器A」(陶芸)のこと。家の電気窯で順調に780度の素焼きが終わり、釉薬を掛けた後、写真にあるような線描で仕上げている最中に手を滑らして落下させ先端の尻尾の部分を破損させてしまった。この日の「失敗談」は4月30日のコラム(=ここ)に書いた。普通は燃えないゴミとして処分するところであるが、とにかくも全ての破片を集めて窯にいれ1230度で本焼成を実施。完成したそれぞれのパーツを接着剤でくっつけたものが今回の「作品」である。先端部の黒くみえるところは耐熱用の特殊接着剤。エポキシ系の接着剤と違って地肌が黒いので陶器表面の鉄系釉と色がうまくマッチする。補修品というより手を加えてはじめて完成した姿となった花器に特別愛着がわくから面白い。今この花器は我が家の壁面を飾っている。

5月16日(日) <ドコモタワー・・・>
ドコモタワーといっても分からない人が多いかも知れないが、東京・新宿と代々木の中間辺りにそびえ立つエンパイアステートビルとそっくりの超高層ビルといえば誰でも見た覚えがあるだろう。正式名称をNTTドコモ代々木ビルという(住所は渋谷区千駄ヶ谷)、高さ272m(先端まで)のこのビルは普通の超高層ビルと違う。私ははじめ1930年代のニューヨークの摩天楼を真似したようなビルを今の時代になぜ建てるのかデザインが大いに不満だった。しかしこれには理由があることを後に知った。外観では地上50階ほどのビルに相当するがオフィススペースは14階まで、15階から25階まではいわば機械室(携帯電話用の通信設備)、上層部には外側にはマイクロ波のアンテナが設置されているが25階を超える上半分の内部は何もない空洞。そして頂上にみえるのはアンテナでなく機器類の設置やメンテナンスに使用するクレーン(長さ32m)。つまり、このビルはNTTドコモの移動通信サービス(FOMA)の根幹をなす一大設備基地であった。上部に設置されている直径15mの時計(シチズン製=ここ)はどこからもみえるので便利であるが、この建物を見る度に巨大設備が空中高く浮かんでいる奇妙さを思う。
2010-05-06pm5:07@新宿にて

5月17日(月) <国立新美術館で「ルーシー・リー展」・・・>
国立新美術館で「ルーシー・リー展」をみた(案内=ここ)。ルーシー・リーは20世紀をフルに生きた女性陶芸家。1902年オーストリアのウィーン生まれ。19世紀末から20世紀初めのウィーンはマーラー、クリムト等を輩出した当時最先端の文化都市であり、彼女もそんな雰囲気の中で陶芸を学び、1937年のパリ万博に出展するなど、それなりに評価されていたようだ。しかしナチスによるオーストリア併合に伴い1938年イギリスへ移住、以後は1995年にロンドンで亡くなるまでイギリスを拠点に陶芸活動をした。・・こういう履歴も彼女の作品もよく知らずに招待券をいただいたので今日は国立新美術館へ歩いていったのであるが、展覧会を見始めたとたんに歩き続けた疲労など吹き飛んでしまった。彼女の陶芸と私の波長が一致して共鳴する感覚。丁度いま構想している陶芸の釉薬をどうするか悩んでいたところにインスピレーションを得た・・。彼女は80過ぎの晩年まで常に研究熱心で自分独自の世界を開拓している。それにしても没後これだけの感動を与えてくれる人でも生前の生活が必ずしも楽ではなかったとは・・、本物の創造者には厳しい条件の下で負けない強さがある。
「今日の写真」は国立新美術館から6〜700mの場所にある六本木ヒルズ風景(左=毛利庭園、右=けやき坂)。
 
2010-05-17@六本木ヒルズ近辺

5月18日(火) <ジャパン・ディッシング・・・>
ジャパン・ディッシングとはまた嫌な言葉が横行する。発端は先月米紙・ウオールストリート・ジャーナル(アジア版)に掲載された日米関係についての記事だ。記事を書いたのは米シンクタンクの日本部長オースリン氏で、日米関係をかつての「ジャパン・バッシングbashing=日本叩き」、そして「ジャパン・パッシングpassing=日本素通り」を経て、今や鳩山首相への信頼がなくなって「ジャパン・ディッシング」の時代に入ったと論じた。それに対して辞書にも出ていない「ディッシング=dissing」とは米俗語で「けなす、軽蔑する」、いや「絶縁する、切り捨て」の意であろうとか日本のメデイアでの解説も様々である。先に核軍縮サミットでの鳩山首相について米ワシントンポスト紙が表現した”・・increasinglyloopy Japanese Prime Minister Yukio Hatoyama.”の中の”loopy"も議論になった。loopyは「愚かな、バカげた、間抜けな」といったスラングで一国の首相に対して使うのはけしからんとか、いや「リズム、拍子に合っていない」という程度の意味合いだとする説などもある。いずれにしても日本の首相のことを一介の米国ジャーナリストが新聞に一言書くと日本で大騒ぎするは何ともバカげている。一番快感を覚えているのは当の米新聞記者に違いない。
「今日の作品」に「花器B」(陶芸)を掲載した。先の花器Aと同時に制作したもので、こちらはほぼ計画通りにできた。


5月19日(水) <客人が来るから部屋が・・・>
客人が来るから部屋が片付き美しくなる・・、こんなことが我が家ではしばしばおきる。もし他人が部屋に入ることが皆無ならばモノが雑然と散らばっていたりしていても夫婦同士では許容してしまう。以前はこういう行為を自分が”他人にカッコウをつけている”と思っていたが今は自分はさておいて客人(他人)を不愉快にしたくない心理と思うようになった。・・少々話は飛躍するが、人間は自分のためよりも他人が喜ぶことに対する方がエネルギーがでるようである。多くの創作者、芸術家を観察すると納得するのであるが、一見自分の好き勝手をやっているように見えて実は不特定多数の他人、第三者の目(あるいは耳)を意識しているから常人にないエネルギーを発揮する。自分という一人だけの対象へ満足を与えるには微々たる力で済む。対象が社会・他人となると無限の力が必要である。芸術家で生前に認められず世を去った人も数知れないが、それらの人のエネルギーの基本もいつか、どこかで人が喜んでくれる(認めてくれる)ことであったのでないか。人間としての幸せも自己中心からは得られない。

5月20日(木) <電気自動車に走行音を出すこと・・・>
電気自動車に走行音を出すことを義務づける提案が議会に提出された。米国での話である。自動車工業会と目の不自由な人を支援する団体との共同提案で米連邦議会に提出され2010年自動車安全法に盛り込まれる可能性があると今日のニュースで報じられている。吾が意を得たり・・。以前、このコラムでも電気自動車は運転音がほとんどしないので「静かな凶器」となる可能性に触れたことがある(例えば、2003年10月4日コラム=ここ=ずいぶん昔だ!)。いまや電気自動車は夢物語ではなく自動車を買うときの機種選択に加えるまでになりつつある。あらためて走行音が"静かすぎる"問題に対して解決策
を要求するのは良いことだ。実際に後ろから音もなく接近する自動車は恐ろしい。今回の提案では電気自動車の接近を知らせる音を出すといっても運転手が勝手に調整できるものであってはならず、またガソリン車と同じように車のスピードや加速度を感知できるものでなければならない。残念なのは、このような提案(法律)を日本が先行してできないこと。恐らくはこの提案をクリアできる方策であろうが、技術的にはトヨタは1995年に「電気自動車用疑似走行音発生装置」という特許を取得している(=ここ)。
5月21日(金) <ニワゼキショウの花・・・>
ニワゼキショウの花が咲いている。他の雑草に混じって花の直径数mmの小さな花が懸命に自己主張しているような姿を写真に撮った(下左)。ニワゼキショウの名は「庭石菖」の漢字を思い浮かべないと記憶できない。可憐な花からは想像もできないが菖蒲(しょうぶ)の菖の字が付く「アヤメ科」の植物である。確かに葉の形状はアヤメに似ている(=ここ=参照)が「石菖」という名の元になった「セキショウ」は「サトイモ科」の植物というから訳が分からない。名前はともかく庭石菖の花をじっくりみているアヤメや菖蒲の花が巨大な化け物のように見えるから面白い。動物も植物も大きいか小さいかは自然が最も美しく機能的に作り上げた結果にすぎない。「今日の写真」には庭石菖の側で見た「ムギとハルノノゲシ」の写真も掲載する(下右)。
 
2010-05-21@東京・中目黒公園にて

5月22日(土) <アンモナイト型皿・・・>
「アンモナイト型皿」(陶芸)を今日の表紙掲載した。この作品は製作開始した時にコラムでも経緯を紹介したもの(4月18日コラム参照=ここ)。少し前に完成していたが掲載は本日となった。中央部にはキャンドルを据えてそれぞれの枠の中に菓子やチョコレートを入れるパーテイー型菓子皿というところだが最近はパーテイーも余り開くチャンスがないので自分用のおやつ入れとなっている。ちなみに内部の青い箇所はブルーのガラス片を置いて溶かしたもの。・・前記のコラムで書いたようにアンモナイトの形状は確かに神秘的である。今回出来上がった「皿」をつらつら眺めていると、アンモナイトの形状を陶芸に活かすアイデイァは楽しかったが更にもう一息違った結果を出したくなった。いつの日かアンモナイトで再挑戦したい。


5月23日(日) <プロと素人・・・>
プロと素人について興味ある座談があった。細川護煕さん(1938年生まれ、第79代内閣総理大臣、永青文庫理事長、現在東京・国立博物館で開催中<6/6まで>の細川家の至宝展は永青文庫コレクション)が息子の細川護光さん(1972年生まれ、陶芸家)について語っている。細川護煕さんは知る人ぞ知る陶芸の名人である。総理大臣をやめ還暦を迎えたのを機に政界から引退し陶芸を始めた。それもただの趣味の域ではなく師を厳選したあと朝から晩まで泊まり込みで修行を続け徹底的に技を磨いた。元来、最高級の茶道具や花器をみて目が肥えているところにセンスと技が加わり一気に一流の評価を得た。国内有名デパートでの個展は数知れず、この3〜5月にはフランス・パリでも個展を開いているが最近は茶碗一つにしても我々ではとても手が出ない値段で売れていく。そんな細川さんが自分は陶芸の素人だけれどもプロで焼き物をやっている息子さんに「なんで素人より売れないんだ」と冗談をいう。細川さんは轆轤(ろくろ)を使っても自然とゆがみが出てなかなか同じものができないけれども(勿論、あえて同じとしない意)プロの息子さんははるかに”真面目に”きっちりと同じものをつくると語っている。プロは"いい加減”のものはできないのはとてもよく分かる(細川護光さんの作品もすばらしい、例=ここ)。数を売って生計を立てなければならないプロに対して世界に一つのものを作って喜んでいられる素人は何と恵まれていることか・・。

5月24日(月) <チャイコフスキーのバイオリン協奏曲・・・>
チャイコフスキーのバイオリン協奏曲をクライマックスに使った映画「オーケストラ」を妻と見に行った。ラデュ・ミヘイレアニュ監督、2009年制作のフランス映画(公式サイト=ここ、東京・渋谷Bunkamuraル・シネマでは6/25まで上映)。旧ソ連のブレジネフ時代(30数年前)、ユダヤ人排斥に絡んでボリショイ交響楽団を解雇され今や落ちぶれているロシア人の演奏家たちが偽オーケストラを結成してパリで公演するという奇想天外なストーリーで、音楽への情熱とか悲劇も喜劇にしてしまう楽観的な行動力をコメデイータッチでみせる。全体をクラシックの有名な曲が流れるが、何と言っても最後の「チャイコフスキーのバイオリン協奏曲」が見せ場(誰の実演奏か分からなかったが名演奏)。このコンチェルトの間、30年前の経緯や公演後の未来までが暗示されるエンデイングがいい。それにしてもフランス人監督が描くロシア人は随分と野暮ったくでロシアからクレームがでないかと心配するほどであるが、チャイコフスキーはロシア人、その他映画の中で使用されていた曲はモーツアルト、バッハ、シューマン、マーラーなどでフランス人はいない。国を超えて、主人公が求める"究極のハーモニー”や"希望”のテーマは我々の心にも響いた。
5月25日(火) <ムラサキカタバミかイモカタバミか・・・>
ムラサキカタバミかイモカタバミか・・、一つの野草の花の名前を特定するのも簡単ではない。このところコラムに野草を取りあげることが多いが実はよく名前を間違えて掲載してご指摘を受ける。その都度一つ物知りになるが野草は私にとってはまだほとんど未知の世界だ。今日は家の庭に小さな雑草が花を咲かせているので名前を調べてみたがムラサキカタバミかイモカタバミか結論が出ない。カタバミの黄色い花は以前コラムでも取りあげたことがある(3/23=ここ)。今日見た花は濃いピンク色で種々の雑草が入り交じった中にほとんど単独に花が伸びてきている。カタバミ独特のクローバに似たハート型の葉が群生している中に咲いているのでもなかったのではじめは私はカタバミの種類とも思わなかった。妻と相談したところ即座にカタバミの一種だという。それならばとインターネットで検索してみて「ムラサキカタバミ」だろうということになった(例=ここ)。ところが、ひょっとすると花の色の濃い「イモカタバミ」(=ここ)かも知れないと根をほじくり返して見ると(自宅の雑草です)何と”芋状の塊”になっている。これは「イモカタバミ」の特徴でムラサキカタバミは"普通の根”と説明されている。もう一つの比較ポイントとされている雄しべのやく(葯)の色がムラサキカタバミは白色、イモカタバミは黄色については微妙である。"写真判定"の結果では「ムラサキカタバミ」だが、ではイモ状の根は何だ。・・ここまできて、名前なんかどうでもいいや・・。それよりもカタバミ種だけあって午前中に陽を浴びて全開だった花(左)が夜になると閉じていた(右)。
 
2010-05-25@渋谷区  午前中           夜

5月26日(水) <サイタイケツ・・・>
サイタイケツという言葉が分かる人がどれぐらいいるだろう。先日NHK-TV番組を途中から見始めると”サイタイケツ”を繰り返す。何だろうと改めてテレビ画面の文字をみると「さい帯血」とある。そこまでは分かったが「さい帯」がどんな漢字なのか最後まで分からなかった。これはたまたまの事例であるがNHKが「ふりがな」を付けずに「かな文字」だけを使うのでイライラさせられることは多い。恐らくは元凶は昭和21年(1946)に制定された「当用漢字表」であろう。「法令」でふりがなは原則として使わないとされてしまった。当用漢字の後継である常用漢字表(1981、告示)でも文字数は若干増えたが大筋は変わらない。今年の常用漢字表の見直しでも「鷹」の字がまたまた常用漢字に採用されずにニュースとなった。とにかくも先ず常用漢字以外でも漢字にふりがな、ルビを使用することを”推奨”することだけでもできないものか。文部科学省の政策(審議会、国語分科会)が日本の将来のためとか漢字力向上という視点がほとんど見えないのが不思議でならない。ちなみに「さい帯血」=「臍帯血」。臍の緒(へそのお)のことを臍帯(さいたい)といい、臍帯血は臍の緒(へそのお)に含まれる血液のこと。この血液には造血幹細胞という希少な細胞が多量に含まれている。白血病などの治療の際、骨髄移植をする細胞提供者(ドナー)がなくても保管されている臍帯血の細胞を使って治療ができることになるため貴重な血液源として最近注目されている。とくに「臍帯血バンク」の役割が大きいようである。 

5月27日(木) <103歳女性のちぎり絵展・・・>
103歳女性のちぎり絵展がニュースで報道されていた。今日から月末まで神奈川県大和市(高座渋谷駅前IKOZAギャラリー)で開催されている「ちぎり絵展」の作者は103歳の上当イトさんというおばあさん。イトさんがちぎり絵を始めたのが何と83歳、それでも今年でキャリア20年だ。その作品も余技の域を超えて色彩感覚、並外れた集中力などで多くの人を感動させる。米国の同じような画家、グランマ・モーゼス(1860-1961)を思い起こす。モーゼスおばあさんも70歳を超えてから絵を描き始めて101歳で亡くなるまでに1600点の作品を残し”20世紀アメリカで最も愛された画家”とまでいわれる(モーゼスの絵=ここ/私も実物を何度か見たことがある)。もし、モーゼスおばあさんが絵を始めなければ、イトさんがちぎり絵を始めなければ、彼女たちの芸術的な才能は誰にも知られることはなかった。何よりも本人自身が自分が人を感動させる類い希なる力があることを知らずに終わっていた。一方で、生前一枚の絵も売れなかったゴッホは死後評価されて世界中の人に影響を与え続ける。ゴッホ(1853〜1890)が画家になることを決心しデッサンの勉強を始めたのは27歳、37歳で自殺するまで画業はわずか10年間である!芸術の真価はキャリアでは決まらないし、始めた年齢もまた関係がない・・。

5月28日(金) <夏落葉を踏みしめて・・・>
夏落葉を踏みしめて歩きながらしばし感傷に浸った。シイ(椎)、カシ(樫)、クス(楠)など常緑広葉樹は新芽が出そろった初夏の時期に古い葉が落ちて新しい葉と交代する。”常緑”といっても当然新陳代謝を繰り返しながら緑を続けるので夏落葉には秋の落ち葉と違って若い後進に道を譲って自ら散っていったような潔さ(いさぎよさ)を感じる。いま東京都心で夏落葉を踏みしめて歩けるところは極めて限られるだろう。今日行った「自然教育園」(港区・白金/HP=ここ)は白金の森と言われただけあって鬱蒼とした森林の中に道があり、夏落葉がびっしりと敷き詰められていた。・・「新緑を 眺めて休め 夏落葉」(TH)、「常盤木の 落葉踏みしめ 初夏の風」(TH)<常盤木=常緑樹>。この夏落葉の写真を取り損なったので代わりに「オヘビイチゴ(雄蛇苺)の花の写真を「今日の写真」に掲載した(下左)。「自然教育園」だけあってきっちりと名札が付いていたのでこの花名は間違いない。下右の写真は途中で立ち寄った恵比寿GP。
 
2010-05-28@自然教育園(東京・白金)       恵比寿ガーデンプレース

5月29日(土) <土曜日の午前中・・・>
土曜日の午前中はテニスと決まっているが今日は膝の養生のため休みをとった。足腰が少々具合悪くても無理をしない程度に続けてきて体調を理由に休んだことはなかったが今回は身体が何が何でも休養を要求した。それにつけては今フランスで開催されているテニスの全仏オープンでの伊達公子の奮闘を思った。女子シングルス一回戦で伊達はロシアのD.サフィーナをフルセット、2時間34分の激闘の末に破った。サフィーナ(24歳、身長182cm)は全仏オープンで昨年、一昨年の二年連続して準優勝、昨年のウィンブルトンでもベスト4に入った強豪。39歳7ヶ月の伊達がこのサフィーナに勝利したことを世界のメデイアは"おとぎ話のような勝利”などと伝えて賞賛した。しかし、この試合の最後には伊達の足は限界を超えておりメデイカルタイムアウトをとって足をケアしながらの苦しい勝利。次の試合までに足と体力をどこまで回復できるかが課題であった(病院通い、マッサージ、患部冷却etc.を繰り返す)。しかし2日後の2回戦では痛む右ふくらはぎをテーピングして試合に臨んだがグロス(オーストラリア)に完敗した。この間の事情を伊達自身が綴った「伊達公子オフィシアルブログ=ここ」で見ることができる。サフィーナに勝ったときは”勝っちゃいました”、グロスに敗れた時は”敗退でした”と生のブログが爽やかである。

5月30日(日) <イワシ(鰯)の世界・・・>
イワシ(鰯)の世界も奥が深い。「今日の作品」として表紙に「mieuへの絵手紙・いりこ」(水彩)を掲載したので「いりこ」の原材料である「平子いわし」を調べていると深みにはまった。購入したときの袋には名称「いりこ」となっているが、これは「炒り子」で小魚を煮て干した"煮干し”の総称。他にじゃこ(雑魚)などとも呼ばれる。今回の「いりこ」の"原材料”は袋に「平子いわし」と明記してある。まずイワシ(鰯)は世界中で非常に種類が多いが日本で主に流通するイワシは「マイワシ」、「ウルメイワシ」、「カタクチイワシ」の3種とされる。「平子いわし」は「マイワシ」の中の別称。「マイワシ(真鰯)」は成長に伴って名前が変わる出世魚で、5〜8cm=たつくち、8〜12cm=小羽鰯、12〜15=小中羽鰯、15〜18cm=中羽鰯、18〜20cm=にたり鰯、20cm以上=大羽鰯となるそうだ。平子いわしは小羽鰯のことと説明があったが、絵を描いた実物は4〜5cmの”いりこ”なので干されて縮んだのだろうか(たつくちを含んで小羽鰯と呼ぶかも知れない)。・・ところで「平子いわし」の「いりこ」は私がパソコンをやりながらポリポリ食べるおやつ。「絵手紙」に描いた「いりこ」は既に腹の中だ。


5月31日(月) <造化の妙・・・>
造化の妙にあらためて感動するのは名も知らぬ野草をクローズアップで見たときである。今日、散歩(ウオーキング)の途中で見つけた「ニゲラ」(写真を下に掲載)がそうであった。「ニゲラ」と書いたがこれは帰宅後Webサイトで調べて判明した名前ではじめ私は花の名前を知らなかった。この奇怪な花(直径3〜4cm)を写真なしで説明しようとしても難しい。インターネットで検索する際も何をキーワードにするか苦心した。とにかくも見つけ出したのが花名「ニゲラ」(別名「黒種草」)、きんぽうげ科の一年草(リンク例=ここ)。ニゲラの名は黒人のニグロと同じ「黒い(Niger)」が語源で、奇妙な花の中心部に乗っている実が花後に膨れて大きな果実となり中に「黒い種」をつける。次の機会には花が終わって膨らんだ果実を観察してみたい。黒い種が手にはいるだろうか。
 
2010-05-31@中目黒公園・東京/目黒区

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