これまでの「今日のコラム」(2011年 2月分)

2月2日(水)  <箱根に一泊・・・>
箱根に一泊をして帰宅した。妻の二人の姉に三人の夫を入れた三夫婦での宿泊旅行は初めてであったが楽しい旅行ができた。知人(親戚筋)の彫刻家が箱根の「彫刻の森美術館」で開催されている「現代日本彫刻作家展」(2/6まで)に出展しているので、昨日は「彫刻の森美術館」(=ここ)をゆっくりと見て回った。これまで何度かここを訪れているが広大な自然の中にある彫刻は都市空間に設置されたものと全く異なった雰囲気を醸し出すのが面白い。今日はロープウェイで山に登ったり芦ノ湖を海賊船で移動したり美術館で食事をしたり・・。平均年齢約75歳、非日常を楽しむことができたのも皆健康であるからと感謝である・・。
 
2011-02-02@箱根・彫刻の森、右は芦ノ湖(正面に富士山)

2月3日(木)  <グーグルがバーチャル美術館を始めた・・・>
グーグルがバーチャル美術館を始めたという記事をみて、そのサイトを訪れてみた。グーグルが地図に関連して開発したストリートビュー(道路から見たみた実際の風景を自由に方向を変えてみることができる)の技術を駆使して、世界中の美術館をオンラインで鑑賞できるようにしたものである。実際に美術館の部屋から部屋を歩きながら興味ある絵を選び、絵画の全体像から超アップの画像まで自在に操作して鑑賞できる。私は何度も訪れたことのあるニューヨーク近代美術館(MOMA)やメトロポリタン美術館、オランダのゴッホ美術館などを巡りながら、実際に本物を見たときよりも細部にわたって鑑賞できる技に震えがくるほど感動した。世界中の最高級の絵画を全くお金も払わずにいつでも思う存分鑑賞できることが信じられない。大きな絵画の最上部がどのような筆のタッチであるか、ブリューゲルが描いた絵の隅にいる人間の仕草など、美術館では拡大鏡を持ってよじ登らなければ判別できないことがいとも簡単にできる!インターネットの時代、美術品は世界中の共有物に変貌しつつある。<グーグルのアートプロジェクト=ここ、説明=ここ/はじめ操作に若干戸惑うがやってみるとすぐに馴れる>

2月4日(金)  <「本の処分」・・・>
「本の処分」という一つのイベントを終えた。本を処分することなしに過ごせればよいが、狭い生活空間の中ではそうもいかない。先ず残す本と手放す本を選別するまでが一つのポイントとなる。今回は百科事典のセットを一式処分するのが主目的だったが準備を始めると次々に他の本も手放す決断ができるようになった。かなり前に渋谷のブックオフに連絡をとり、今日家まで受けとりに来る約束であったので時間まで一生懸命に処分する本を玄関に積み上げて待つ。結局、ブックオフで段ボール10箱分を持って行ってくれた。ブックオフでは予め百科事典は買い取りにはなりませんよと言われていたのでお金は期待していない。漫画など軽い本の方がお金になり、自分で気に入っている名著は値がつかないことは以前にも経験している。本の価値について考えさせられるのが毎度本を売ろうとする時である。けれども、”良い本がお金にならない”といって嘆くよりも、他の人がゴミとして無視する中にも自分にとっては宝石の輝きを見ることもあると思った方がよさそうだ。本を整理していると本を読みたくなった。残した本を少しづつでも読み直してみようと思う・・。

2月5日(土)  <他人の技・・・>
他人の技に接して上達することはあらゆる分野で共通ではないだろうか。狭い世界の中に甘んじて外界と接触をしないと「井の中の蛙」で終わる。絵画とか陶芸、彫刻など美術の分野では10人10色、全ての人がそれぞれの個性と技を持っている。自分とは決して同じものではない個(技)に対峙したとき、剣豪の対戦のように”御主やるな”の感覚を覚えることがよくある。そこから新たに何かを得ることができる。今日はテニスでいつもと違う75歳のベテランプレヤーから技を学んだ。無駄のないコンパクトなスウィング、的確なコース選び、ソフトな球さばき・・。70歳代のテニスでもまだ磨くべき技があることを教えられて非常に新鮮だった。テニスはいまや楽しくゲーム遊びをする機会であるが、勝ち負けとは関係のない「技」には上限はない。
今日の写真は西郷山公園での梅と夕日。
2011-02-05@西郷山公園(目黒区)

2月6日(日)  <たかが相撲・・・>
たかが相撲と言うと叱られるかも知れないが、大相撲の八百長騒ぎで春場所の開催が中止になったり政治家がコメントをだす大騒ぎにはついて行けない。特に政治家はそんなことより緊急になすべきことが山積しているでないか。マスコミが騒ぐのはそれが仕事であるからやむを得ない。マスコミはいつも自分のことをさて置いて他を批判する。テレビのバラエテイーなどの”やらせ”をいちいち糾弾していると番組がなくなる。悪質なものでは一昔前に珊瑚を傷つけるけしからぬ事態を報道した朝日新聞で実は記事を書いた記者が犯人だったというお粗末があった。舞台では面白おかしく演出するのはサービスの一つ。・・”されど相撲”と言いたくなるのをこらえて、やはり”たかが相撲”。妙な潔癖癖から相撲界総懺悔(ざんげ)など必要ない。大部分の真面目なお相撲さん方が可哀相である。

2月7日(月)  <確定申告・・・>
確定申告の時節。税務署の確定申告受付は2月16日からであるが電子納税(e-tax)の場合は日にちと時間を選ばないで手続きをできるので便利である。いまはパソコンで作成したデータを早朝でも夜中でも好きな時間に税務署に送付すれば一件落着となる。e-tax三年目を迎えた私は少し使い方に習熟したかと思ったら相変わらずやり方を思い出すまでモタモタしていた。申告の内容は単純であるが税務署のシステムに馴れるまでが一苦労。拡張子、dataのデータを保存・印刷が説明通りにできずにイライラもしたが、とにかく提出し終えたのが今日の成果である。お役所のコンピュータシステムを使う年に一度の機会は法律のように抜けがなく綴られている緻密なマニュアルに接することによって絶好の"脳トレ”になると言っておこう・・。

2月8日(火)  <充実の火曜日・・・>
充実の火曜日というべきか・・。朝から朝食抜きで「胃・大腸・肺ガン検診」(渋谷区の新設備にて)。終わった後、直ぐに新宿御苑の待ち合わせ場所へ。テニス仲間5名で冬の新宿御苑を散策&昼食。帰宅後、コーヒーを一杯飲んで陶芸教室へ。今日は素焼きが完了している大作「双羊尊型容器」の釉薬がけの勝負所。結果は模様部分に呉須という顔料を塗布するところまでで最終的な釉薬をかけるところまでいかなかったが確実に進展した<「今日の作品」として未完成ながら今日の終わりの状態を掲載した。明日、これに釉薬をかけて本焼成の工程にだす予定>。「今日の写真」として新宿御苑で撮影した風景を掲載する。右の写真は「ラクウショウ(落羽松)/スギ科の落葉針葉樹」でタケノコのように並んでいるのはラクウショウの根から出ている「気根」とよばれるもの。

 

2011-02-08@新宿御苑

2月9日(水)  <早咲きの桜・・・>
早咲きの桜がもう咲いている。昨日訪れた新宿御苑では「寒桜」が満開だった。今日の東京は午前中、一時ぼた雪が降った。東京では珍しい雪だったがあっという間に止んで、午後は日が差し暖かくなった。それでは、と出かけた散歩で「河津桜」がある西郷山公園(目黒区)にいってみた。「河津桜」は南伊豆・河津地方の有名な早咲き桜であるが、一本だけを譲り受けてこの公園の丘の中央に植えてある。今日見るとさすがに”早咲き桜”、もう見事に開花している(下に写真掲載)。同じ公園の中で今は紅梅、白梅も咲いている。そういえば昨日の新宿御苑では寒桜の隣りに「ロウバイ(蝋梅)」が黄色い花をつけていた。早咲きの桜が早々と花を咲かせるのは勿論華やかで美しいが、本来の桜のシーズンには花が全て散ってしまうのが何か哀れでならない。無理をして早熟であることはない、急がずにゆっくりと花を咲かせなさいと言っても意味はないけれど・・。
 
(左)寒桜@新宿御苑(2/8)   (右)河津桜(2/9)@西郷山公園(目黒区)

2月10日(木)  <好奇心・・・>
好奇心は人それぞれで性質や年齢でも大きく異なる。一般的には子供は好奇心旺盛とされるが、70歳でも、80歳でも好奇心が強い人は多い。私自身の感覚では調子がよいときは好奇心が活発になる。新しいモノを創造するとか新しいことに取り組む際に好奇心は不可欠で、体調が悪く好奇心が停滞すると新しいことは何もできない。生きていて世の中には未だ知らないこと、面白いことが山ほどあるという認識が好奇心の基であろう。30歳で悟りをひらいて世の中のことが全て分かってしまったと仮定すると、それから先の"進歩”はなくなる。人が年齢に関係なく進化するための推進力を作るのが好奇心でないか。ちなみに「知的好奇心」とは英語で何というのだろう=intellectual curiosity。意味合いは「A desire to learn more about a person, or a thing, or a way oflife.」。こういう”探求心”がある間は好奇心も大丈夫。
 
2011-02-10@九品仏浄真寺(東京・世田谷)
にて
2月11日(金)  <東京は朝から雪・・・>
東京は朝から雪模様。それでも午後になってもまだ雪が積もるほどにはならず自動車も普通に走っている。雪の降る中を傘を差して陶芸教室に行った。こんな天候なら誰もいないだろうと思ったら大間違いで、今日は休日なので予約していた"一日教室”のお客さんで混み合っていた。一日教室に来る人は若い人が圧倒的に多い。それも若い男女のカップルが定番。グループで来る場合も女性が多い。男性は大抵女性に引っ張られて来たように見える。それでも電動轆轤(ろくろ)を使い自分の指先一つでお茶碗の形などが出来上がると男女を問わず歓声を上げる。ほとんどの人が陶芸は初体験であるが心の底から作ることの喜びを感じるようで傍で見ていても気持ちがよい。若い男女にとっては陶芸の一日教室に通うとどんなデートを重ねるよりも相手の本性が見えるのでないか。今日の私の陶芸では不器用ながら粘り強く手捻り(てびねり)で小物新作(香炉)を2セット創り上げた。
 
2011-02-11@雪の代官山(旧山手通り) (右)は陶芸教室からみた外の風景

2月12日(土)  <熱中することの迫力・・・>
熱中することの迫力に押されて香川照之のドキュメンタリーテレビ番組をみてしまった。今は名俳優として実績も多い香川照之は熱狂的なボクシングファンとしても知られる。子供の頃からのボクシングへの熱中度は国内外の専門誌を取り寄せて研究するなど人並み外れたマニアであったようだ。いわゆる"シラケ世代”のあとの時代、何でも手に入る裕福な子供がボクシングにそこまで熱中することができたのは母親、浜木綿子(女優)が偉かったに違いない。その香川照之が出演した映画「あしたのジョー」が封切られて今上映中だ。伝説的なボクシング漫画の映画化で、主人公矢吹丈(山下智久)の天性のボクシングセンスを見いだし、ジョーを一流のボクサーに育てる丹下段平役を香川照之が演じる。この種の格闘映画を怖がって敬遠する妻が「あしたのジョー」を見に行こうと言い出したのも香川照之のパワーのためだろう・・。
2月13日(日)  <梅づくし・・・>
「梅づくし<mieuへの絵手紙>」(ペン&水彩)を今日の作品として表紙に掲載した。今は梅の季節。至る所で梅の花を見るが、それぞれに特徴がある。日本の梅の種類は400種もあると言われて、とても名前は覚えられないが絵を描いてみると確かにどれも個性のある「梅」である。梅は「寒苦を経て清香を発す」といわれて厳しい寒さを乗り越えて発する清らかな香りが好まれるが、この時節に必ず思い出すのが母方の祖母である。名前を「梅香」といった。祖母と接した子供の頃には気にもしなかったけれども最近になって「梅香」とは実に良い名前だと思うようになった。今日もまた梅の香りをかぎながら祖母のことを思い出した。

2011-02-13@東京・目黒区
にて
2月14日(月)  <チョコレートとは無縁・・・>
チョコレートとは無縁なバレンタインデイ。久しぶりに妻と渋谷でデートして昼食にインドカレーを食べた。その後、東急ハンズに立ち寄ったところ1階全てが今日のためのチョコ売り場となっている。それでもチョコレートは買わずに(またプレゼントされることもなく)工作用のダイヤモンド入り超硬ヤスリを買った。
この日とは全く関係がない話題であるが今日読んだ文藝春秋3月号に小川洋子さん(小説家、「博士の愛した数式」には私も感銘を受けた)の面白いエッセイがあったので引用させていただく。また数字の話。「今年2011は連続する11個の素数の和であり、連続する3個の素数の和でもある」と紹介されている。確かめると、2011=157+163+167+173+179+181+191+197+193+199+211=661+673+677・・OK。ちなみに、2011自身も素数(1とその数以外で割り切れない数)で更に平成23年の23も素数。彼女にそれを伝えたのは将棋の名手である知人であるそうだが、このような数字を見つける頭脳はどうなっているのだろう。数字の不思議さに思いを巡らせると結局人間の深さ・凄さに改めて驚かされる。

2月15日(火)  <今日は美術館のハシゴ・・・>
今日は美術館のハシゴをした。はじめは「鈴木蔵の志野」展を見るために「菊地寛実記念 智美術館」へ行く。「智美術館」はホテルオークラの直ぐ隣りという一等地にある主に茶陶器などを展示する美術館。今は「志野」の陶芸技法で重要無形文化財に認定されている鈴木蔵(1934年生まれ)の展覧会が開催されている(3/21まで、案内=ここ)<志野とは岐阜県美濃地方で発達した独特の陶芸技法で桃山時代、茶の湯と共に流行した。昭和初期に荒川豊藏が志野を再興したことで知られる>。鈴木蔵さんの志野は伝統に現代的な感覚が加わり見ていて飽きない。例によって名人の作品を自分ならこうする、ああすると勝手な妄想を抱きながら楽しんだ。自分の陶芸に新たなインスピレーションを得たのは確かである。帰路、六本木方面へ歩いていると泉ガーデンの入口に美術館があるので、ここにも立ち寄ってみた。「住友コレクション・泉屋(せんおく)博古館分館」で今は「中国青銅鏡」の展覧会を開催中(3/6まで、案内=ここ)。青銅鏡をまとめて見たのは初めてだが2000年以上前の文様の精緻さには改めて感動する。ここでは青銅鏡の制作方法、つまり青銅鋳物の作り方を(模様の付け方を含めて)詳細に説明してあるのがいい。さすが”住友さん”とは言い過ぎかな・・<17世紀、銅精錬の技術が住友財閥の基礎を築いた>。
 
2011-02-15@智美術館(東京・港区)にて

2月16日(水)  <暖かな日差しにつられて鎌倉・・・>
暖かな日差しにつられて鎌倉にいった。鎌倉に詳しい友人夫妻を誘って梅の名所となっているお寺巡り、そして食事。鎌倉のお寺は梅からはじまり桜、紫陽花、新緑、紅葉など四季を通して見所がある。何時訪れても日常にはない風景の中でゆったりとした時間の経過を楽しむことができ、今日もその例外ではなかった。それにしても鎌倉に行くと環境に恵まれたお寺や神社など多くの歴史的な財産を抱えながら、これらが本当の意味でまだ十分に活用されていない気がしてならない。個々の問題ではなく横の連携、街全体として改善すべきところが山ほどあるように思えるのである。例えば、散策する道がなく自動車を避けながら歩かなければならないとか、無料のお寺がある一方で不当に高い入場料をとるお寺もあるとか、概して、街のセンスが観光に掛ける迫力を感じさせない。歴史遺産を有しているところこそこれを活かすように変革して欲しいが・・。
 
2011-02-16@鎌倉・長谷寺にて、(左)万作の花(黄)とボケの花(赤)、(右)梅

2月17日(木)  <高橋源一郎の「午前0時の小説ラジオ」・・・>
高橋源一郎の「午前0時の小説ラジオ」が糸井重里のサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」で生中継されている。どういうことかというと「ほぼ日」のサイトで高橋源一郎がTwitterのためにキーボードを叩いている様子を午前0時から生中継(動画中継)するという試みが行われているのである(「ほぼ日」の中継サイト=ここ)。小説家が創作している現場を生で見てうれしいか否かは趣味の問題であろうが今の時代でないとできない試みであることは確かだ。私は残念ながら夜中に起きて生中継をみるほど元気はないので3日前(2/15、0時からスタート)のTwitterから文章を読んでいる(高橋源一郎のTwitter=ここ)。どういう訳か2年前に亡くなった息子が高橋源一郎の猛烈なファンで私の本棚には息子の残した本が沢山あるが私自身は高橋源一郎の本をほとんど読んだことはない。それでも15日の0時から綴られた”生涯に一度だけ「文章」(=実は遺書だった)を書いた老人の話”や、16日0時からの「神話的時間」などTwitterとしても面白かった。

2月18日(金)  <閉鎖していたエジプトの観光地・・・>
閉鎖していたエジプトの観光地を20日に再開するとエジプトの文化担当相が発表し「世界中の観光客に早く戻ってきて欲しい」と訴えたと報じられている。エジプトの反政府デモはインターネットの呼びかけに応じたデモが発端で結果的に約30年間大統領の座を独占していたムバラク大統領が辞任に追い込まれた。未だエジプトの政情は流動的だが反政府デモが起きる直前に「エジプト観光」について話を聞く機会があった。たまたま親戚や知人が同じ頃にエジプトを旅行して続けて旅行の感想を聞いたのであるが、ほとんど同じような内容だった。それはどこに行っても観光客に何かと金をせびる人間ばかりで辟易したという話だ。親切を受けて感じよかったなどの感想は一切ない。ムバラク一家が欧米の銀行などに蓄財した総資産は700億ドルと云われる中で一般庶民はそれほど貧しかったことでもあろう。それにしても反政府デモの混乱に乗じてカイロの考古学博物館が荒らされ収納品の盗難があり、更に古代遺跡の中の文化財も紛失したことが新たに判明したとか。人心の荒廃が回復しなければ偉大な歴史遺産を見て歩いても空しかろう・・。
2011-02-18@恵比寿ガーデンプレイスにて

2月19日(土)  <都会の風景・・・>
都会の風景が好きだ。風光明媚な山や海とほとんど縁がないことへの負け惜しみの感がなきにしもあらずだが、私の周辺の東京には他にはない独特の風景がある。それは今この時にしかない風景である。100年前でも同じ美しさの花や樹木とも違う。土曜日にはテニスのため自転車で早朝に表参道(東京・渋谷区)の交差点を通る。先日、この交差点のビル屋上、広告塔の場所に自動車が置いてあり「登坂成功」とか書いたデイスプレーがあった。この風景が気に入って、今日はカメラ持参で撮影しようとしたところ、もう自動車の姿・形がない。都会の風景はショウウィンドウのようなもの。どんなに面白い、美しい「作品」でも直ぐに変わってしまう。秩父宮ラクビー場にとまっていた"NHK中継車”の写真を掲載する(どーもくんファミリー&ななみちゃんなど)。この中継車も10年後には間違いなく他の車に変わっている。2011年にはこんなデザインという"風景”だ。
2011-02-19@秩父宮ラクビー場にて

2月20日(日)  <マラソンのペースメーカー・・・>
マラソンのペースメーカーなど止めてくれ、とテレビを見ながら何度叫んだか分からない。たまたまテレビで見始めた横浜女子マラソンは好勝負で最後まで引きつけられたが、途中外人二人のペースメーカーが煩わしくて競技の面白さを半減させた。ペースメーカーの一人は契約通り(?)25kmで走るのを止めたがもう一人は更に5km,30kmまで先頭で走った。ペースメーカーは好記録を出すために主催者が契約して出場させる。契約の距離を先導した後、走り続けて完走してもよい場合と完走が許されない場合があるという。いずれにしてもペースメーカーで均等なペースを保持し、また風よけとして先行させることにより記録を向上させるなどスポーツ競技として本来は許されるべきでない。諸々の駆け引きを含めて記録と順位を競うところがスポーツの面白さである。今日、横浜で2時間23分台で優勝した尾崎好美さんもペースメーカーなしでも記録を出せると信じる。オリンピックも世界選手権もペースメーカーはつかない。主催者はペースメーカーを準備すること自体、マラソン大会として格下の証であることを知っているだろうか・・。
「今日の作品」として「バイオリン<mieuへの絵手紙>」(ペンと水彩)を表紙に掲載した。


2月21日(月)  <折り紙飛行機カレンダー・・・>
「折り紙飛行機カレンダー」を紹介しよう。毎日のカレンダー用紙が折り紙飛行機の折り紙になるもので、裏に書いてある折り方にしたがって紙を折っていくと毎日違う紙飛行機ができあがる。ニューヨークに住む娘からのプレゼントであり、毎日新しい飛行機が出来るのが私好みである。今日の日付の飛行機を折った作品を下に掲載する。本来ならば「今日の作品」として毎日”紙飛行機”を掲載できるのであるが、それは止めた。その代わり「今日の写真」としてこれからも時々”紙飛行機”を掲載してみたい。下には今日の日付が付いた折り紙の説明図も掲載したが、前日のカレンダー用紙を使って今日の紙飛行機を折るやり方だ。従って、このカレンダーの欠点は後で折り方の説明を見ようとしても説明書は紙飛行機の内側に織り込まれているので見ることはできないことである。"PAPERAIRPLANE:FOLD-A-DAY CALENDER"の出版元=ここ=(ただし、ネットのカタログには見当たらなかった)。
 
2011-02-21 折り紙飛行機カレンダーより
 
2月22日(火)  <Wiiフィットネス・・・>
Wiiフィットネスを始めたことは前に書いた(1/18コラム=ここ)。その後、毎日身体計測とトレーニングを続けているが、トレーニングの中でもほぼ毎日行うのが「座禅」である(”バランス”のトレーニングに入っている)。台座の上に足を組み座禅を行う。画像では蝋燭の炎が揺らめいており時に蛾が舞ったりして集中を崩す仕掛けがある。精神統一ができていないと判断されると「喝(かつ)」が入る。30秒足らずで「喝」とされることもあり、80秒、150秒など長いほどよい。たまには最高の180秒に達することがあり。その時は「終了でございます」で「喝」は入らない。他のトレーニングは何度もやる内に熟達するが、「座禅」だけはまだ確実に180秒まで続けるコツがつかめていない。座っているときの重心の変動範囲が一つの判定ポイントであることは分かるが、立って計測したときの重心とずれた位置であると、いくら定位置を続けても「喝」が入るようだ。トレーニング機械のプログラムとのせめぎ合いがあるから毎日飽きずに続けられる。
 
2011-02-22(左)菜の花@中目黒公園(右)河津桜@西郷山公園(東京・目黒区)

2月23日(水)  <どういう訳か「クロックマン」・・・>
どういう訳か「クロックマン」を持っている。「クロックマン」というのはタカラトミー製の"喋る目覚まし時計”。8cm角の立方体ボデイーに動く目と口が付いて表情を出す。時刻を通知して目覚ましとなる以外に表情豊かに色々とおしゃべりをするので話し相手が側にいるような雰囲気になる。娘が一人暮らしのお年寄りにプレゼントすると以前買ったようなので我が家にも廻って来たのかも知れない。我が家にあるのは、”関西バージョン”で大阪弁をしゃべる。一般の「クロックマン」は血液型別にA型、B型、O型、AB型を選択できてそれぞれで喋る内容が異なるようだ。それにしても突然に大阪弁で話しかけられて初めはドギマギした。<クロックマンサイト=ここ、関西もの例=ここ> 最近は癒し系のロボットが開発されているが「クロックマン」があると確かに家の中が賑やかになる。ただし今の我が家では少々うるさいので横を向けていることが多い。そうすると一切喋らなくなるのだが、次に起こしたときに何で眠らせたのなんのと文句を言う。一度余りにうるさいので、頭をぶっ叩くと即座に言った:「もうやめてえな〜」。
2011-02-23クロックマン

2月24日(木)  <年寄りの時間つぶし・・・>
”年寄りの時間つぶしで・・”と言って陶芸教室へ入会を希望するご老人が見学にきた。「時間つぶし」を口実にする人(特に老人)は結構多いが、私はこの言葉に強い嫌悪感を覚える。自分のことを棚に上げてあえて言うと、五体満足な人が”時間つぶし”に何かをするなら、社会のため、他人のためにその時間を使って欲しいと思う。時間つぶしでアスレチッククラブに行ったり水やりをする、更に絵を描いたり陶芸や俳句をするならボランティアをやった方がよい。恐らくは、時間つぶし=余命、とつながっているのだろうが、5年〜10年どころか30年、40年続く人生は余命どころか真剣勝負のできる貴重な期間となる。人生でやりたいことがあるならば一番基本が「時間」。時間ほど大切なものはない。

2月25日(金)  <粘土で制作中の作品・・・>
粘土で制作中の作品(陶芸)を「今日の写真」として下に掲載した。最近、このような制作過程の状態にも妙に愛着が湧くようになった。未完成品であるので「今日の作品」と云えるものではないが、一方で今、この時点でしか見ることのできない姿である。人間の一生で言えば学校の卒業写真のようなものか、写真は粘土での形状がほぼ完成して一部に白化粧を施した状態。モノは花器のつもり。下部(右の写真)に溝を切って白化粧をしたのは”もしかすると”上下を逆にしても使うことも考えたから。今のところ釉薬(色加減)をどうするか決断していない。中学(高校でも、大学でもよいが)を卒業してからどのような進路をとるか決まらない状況と似ている。よくいえば可能性が広く選択肢は多い。未完成品の魅力はこんなところにあるのかも知れない。あまりチマチマしないで思う存分ワイルドな釉薬がけを試みたいところ。さて、一ヶ月後の完成品の姿がどうなるか・・。
 
2011-02-25@陶芸教室にて(花器制作中)

2月26日(土)  <岡本太郎が生きていれば・・・>
岡本太郎が生きていれば今日で100歳の誕生日を迎える。1911年(明治44年)2月26日生まれの岡本太郎は1996年1月に84歳で亡くなったが、没後の方が人気の出ている芸術家である<私の母は明治43年生まれで1987年に亡くなったことを思い出してしまった>。私自身も生前よりも最近になって岡本太郎作品に接する機会が多く、作品のインパクト(衝撃的な強さ)には素直に感動する。週に2回はテニスに行く途中、青山通り沿いのこどもの城(東京・渋谷)の正面に「こどもの樹」(写真=ここ)をみるし、JR渋谷駅から井の頭線への連絡通路では巨大壁画「明日の神話」(写真=ここ)をみる。以前、大阪万博の跡地に岡本太郎の「太陽の塔」(写真=ここ)を見に行ったこともある。大阪万博の主催者がシンボルタワーの制作を前衛的な岡本太郎に依頼したのは大英断であったのだろうが結果的にすばらしい万博遺産を残した。建設当時には「太陽の塔」は一部の知識人や正統派芸術家からは国辱モノなど痛烈な批判を浴びたそうだから何時の時代も”評論”は当てにならない。岡本太郎ほど既成の芸術や旧態依然とした日本美術界と闘った人は珍しい。それも年齢は関係なく「芸術は爆発だ」と吠えるだけで自ら権威となることは決してなかった。縄文土器のパワーに衝撃を受けたと言う岡本太郎の言葉:「うまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」。
2月27日(日)  <東京マラソンの日・・・>
東京マラソンの日、これまでになく長時間テレビを見続けてコースの詳細まで覚えてしまった。親しくしている甥が東京マラソンに出場したのでマラソンを見る目が違ったのである。32000人もの男女が走るこのマラソンをハイテク機器がサポートしている実態も知った。参加者は全員ICチップ付きのカードを持って走りコースをチェックされる。同時に登録された番号が分かればインターネットのサイトで外部からでもどの辺りを走っているか知ることができる。5km毎のスプリットタイム、ネットタイム、ラップタイム、そして経過時間などを見ることができるので、姿を見ることはできないけれど甥が奮闘している様子を時々刻々把握できた。甥はほとんどランニングの経験はなかったけれどもたまたま応募した東京マラソンの抽選に当たった。それから猛練習をしてとにかく20kmは走ることができるようになったと言っていた。それが今日は見事に42.195kmを完走。午前9時25分頃スタートしてゴールをしたのはそれから約6時間後だ。途中、足の爪の治療を受けての完走だったようだ。甥に限らず、アマチュアのランナーにとってこの日のマラソンの経験は一生涯誇れるものとなるだろう。

2月28日(月)  <ゴミ出し・・・>
ゴミ出しは妻でなく私の役目となっている。自分でゴミ出しをやると我が家一軒でのゴミの多さに驚く。これが東京全体、日本全体となると想像を絶するゴミの量だ。先ず食事のために生ゴミが発生する。我が家では食材を極力有効利用して生ゴミは最小限だと思うけれども食料品に付随して発泡スチロールの容器など食料とは別のゴミが毎日発生する。今日は自分の不要品に加えて亡き息子の所持品を思い切って整理した。何百枚かのCDは「燃えるゴミ」である(地域で決まりがあるようだ)し、木材の椅子でも「粗大ゴミ」としないためには分解した上、更にノコギリで小さく切断してようやく「燃えるゴミ」(可燃ゴミ)となる。「燃えないゴミ」(不燃ゴミ)も何袋かの量が出たが、いまは「燃えないゴミ」といってもそのまま埋め立て処理されるのでなく、「不燃ゴミ処理センター」(東京都の場合)で一度全てを破砕処理して鉄とアルミは回収されたうえで細かい不燃物が埋め立て処分場に送られるという(鉄分の回収などは磁石を巧みに使用=東京都のやり方=ここ)。ゴミ処理を考えると税金は必要だと単純に納得する。
<明日3月1日、小旅行のためコラム休みます>

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