これまでの「今日のコラム」(2011年 3月分)

3月2日(水)  <昨日と今日、二台の車で西伊豆・・・>
昨日と今日、二台の車で西伊豆を旅行した。丁度一ヶ月前に箱根に行った三夫婦(妻の三姉妹と夫)のメンバー(2/2コラム参照=ここ)。非日常の風景(山並み、水平線、海の色など)、花(河津桜、らんのの里/堂ヶ島など)、温泉、食事など旅は新たな元気を与えてくれる。一方で、毎度のことながら活力ある年長者を身近にして歳のとり方というか、5年後、10年後の自らの姿を考えさせられる機会ともなる。私は50歳、60歳を過ぎた人間は年齢の上下、先輩、後輩など全く無関係にとらえる主義である。しかしながら年齢と関係なく生き生きとした年長者には素直に敬服する。昨日訪れた中川一政美術館(真鶴)に97歳のときに描いた絵画があった。亡くなる直前まで創作に励み、没後20年を経てなお私たちに大きな感動を与えてくれる中川一政の生き方もまた示唆的であった。
 

2011-03-02@松崎町(静岡県)/右は夕時の富士山
3月3日(木)  <「双羊尊型容器」・・・>
「双羊尊型容器」(陶芸)を今日の作品として表紙に掲載した。1月の中旬に制作を開始して今日初めて完成した姿を見たものである。やることがあったので 陶芸教室に出かけていったところ「双羊尊」が焼成を完了していたので教室で写真を撮った。けれどもまだ家には持ち帰っていない。陶芸では教室で見るのと家で見るのでは作品の印象が大きく異なることをよく経験する。従って、この「双羊尊」が家に展示するとどのように感じるかは未だ分からない。とにかく、割れもなく無事に焼成ができただけでもうれしい。青い線に見えるところは彫り込んだ溝に呉須(酸化コバルトを主成分とした藍色の顔料)を垂らした。全体には透明釉薬をかけている(土は貫入土+信楽土)。1/15、1/20,2/8のコラムにこの「双羊尊」の制作過程を書いているが、「双羊尊」は3000年前、中国殷の時代に制作された青銅器がオリジナルである。古代人の造形力に圧倒されながら制作した現代の「双羊尊」を早く家に持って帰りたい。

3月4日(金)  <大学入試で携帯電話を使ったカンニング・・・>
大学入試で携帯電話を使ったカンニングが発覚して19歳の予備校生が逮捕された。この予備校生はまさか日本全国で大騒ぎする犯罪になるとは想像もしなかったのだろう、何となく滑稽で情状酌量したくなる。この若者、試験会場で股の間に隠し持った携帯電話を左手で操作して「ヤフー知恵袋」に投稿。受け取った回答は右手で答案用紙に書き写すなどかなりのテクニシャンだ。カンニング行為自体を罰する法律はなく、今回は”不正な行為で業務を妨害した場合”に適応される「偽計業務妨害罪」という罪で逮捕された。この話を聞いて、罪は罪として、この19歳の若者には将来社会に対して還元すべきチャンスを与えてやって欲しいとも思った。いま社会の中心で活躍する大人たちが20歳前後の時にそれほど立派なことをやっていたのか。カンニングどころか窃盗罪という明白な罪名がある万引きを平気でやっていた人間が立身出世してふんぞり返っている事例をいくらも知っている。今回の事件は日々進化する情報機器と「試験」の問題点を提起した負の功績とみたい。「知恵袋」で直ぐに回答が得られる「試験問題」に価値があるか否かまで議論すべきでないか。

3月5日(土)  <春はそこまで・・・>
春はそこまで来ているのに冷たい風。自転車に乗るにも手袋が欠かせない。・・そんな日の夕刻、パソコンに向かっても気分が晴れないので何か春の詩を見たくなった。いつもは「詩」と共感できればそれだけで元気になるから単純なものである。ところが今日に限ってインターネットでうまくヒットしない。先ずは現代ものと思って、黛まどか、俵万智さん、そして金子兜太、西東三鬼、中村草田男、種田山頭火もみた。更に、加賀千代女、西行までいったが、相変わらず”晴れない”。こんな日はくたびれているので無理をしないことにして終えたい。といって、メモした春の詩を少しだけ引用してみる:「年を経て おなじ梢に匂へども 花こそ人に あかれざりけれ」(西行)、「ぬくうてあるけば椿ぽたぽた」(山頭火)。「草を咲かせてそしててふちよをあそばせて」(山頭火)。
表紙に「双羊尊容器2」(陶芸)を掲載する。陶芸教室で完成していた作品を昨日家に持ち帰った。改めてよく見ると制作したときの気合いだけは伝わってくる。追って別のアングルで写真を掲載する予定。


3月6日(日)  <一週間前の一日、何をやったか・・・>
一週間前の一日、何をやったか思い出せなくて愕然とすることがある。最近はできるだけ一週間の間を開けずに、毎日の行動をできるだけ細かくノートにメモするようにしているが、人の記憶に残るものと残らないものが随分ばらつくことに気がつく。当然であるが目的を持って外出した場合は記憶に残りやすい。テニス(誰と、結果は)、陶芸(何を制作、どこまで)、美術館(どこの、内容)、買い物(何を)などは大抵思い出すことができる。家にいても何かを創作した場合は出来上がったもの、粘土や絵、工作物などでやはり直ぐに思い出す。ところが掃除、片付け、整理整頓などに時間を掛けても後で案外に忘れてしまっている。読書をしたり調べ事に時間を使った場合も記憶に残りにくい。今日は丸一日不要品の大整理。ゴミ出し準備用可燃ゴミを大型ゴミ袋に5〜6杯(別に不燃ゴミも)つくった。忘れやすい内容だが、ここにコラムで書くと記録に残る。一方で、妻によれば普通の主婦の場合、食事、洗濯、片付けなど、毎日同じような繰り返し仕事で時間を費やするのが当たり前で記録とは無縁だという。そこで、"今日の食事”として三度の食事の内容をノートにメモすることを閃いた。食事を記録すると特別に意識して食事を味わうことにもなるのでないかと・・。
「今日の写真」は「河津桜にメジロ」。散歩で行った西郷山公園で撮影した。写真を撮るとその日の記録として残る。
2011-03-06@西郷山公園(東京・目黒区)

3月7日(月)  <今日はパソコンなどの処分・・・>
今日はパソコンなどの処分のため車で川崎までいった。国道1号線(第二京浜)沿いにあるHARD-OFF(=BOOK-OFFと同じ系列店)はパソコン・周辺機器、オーデイオ、デジタル家電などを引き取ってくれる。古いパソコン(i-MAC、ノートパソコンetc)や液晶デイスプレーなど合わせて6台とプリンタ、デジカメ、アクセサリー類などを車から店の台車二台に移動してHARD-OFFの受け付けまで運んだ。大部分は息子が残したパソコン関連品であったので一瞬感傷的になったが処分の決断は変わらない。査定の結果いくらになったかは言わぬが花であろう。液晶デイスプレーがパソコンの10倍の値が付くことを初めて知った(パソコンの値はほとんどゼロに近いということ)。これだけ処分したけれども部屋の中は一向に片づいた気配がないのはどうしてか・・。
昨日掲載した写真に「河津桜と鴬」とタイトルをつけたところ”鴬でなくメジロでないか”とご指摘をいただいた。その通りなので「メジロ」と訂正した。ウグイスとメジロはよく混同するから注意しなければならないのに油断すると(?)間違える。ウグイスは元来藪の中で虫を食べて花の蜜を吸いに来ることがないのに、実際に梅や桜の蜜を吸いに来る「メジロ」より「ウグイス」の方が名前が売れている。「梅にウグイス」ではなく「梅にメジロ」と何度も自分に言い聞かせなければならない。それに「メジロの色」をみると「鶯色」と思ってしまう習性も何とかしよう・・。

3月8日(火)  <またまた「双羊尊型容器」(陶芸)・・・>
またまた「双羊尊型容器」(陶芸)の新たな写真を表紙に掲載した。今回は斜め前方からのアングル。毎回、写真を掲載する度に写真で全体像を伝えるのは難しいと思う。立体を一枚の写真で捕らえるとその二次元の映像は真実であっても全体のイメージを表しているとは限らない。見るアングルで印象は異なるし、何より大きさが伝わらない。今回制作した容器の高さは30cm。何度も書くが、モデルとした根津美術館が所蔵している青銅器「双羊尊」(=中国殷の時代、約3000年前に制作された神前に供するための器)の高さは45cm。青銅器では羊の身体、脚の付け根、更に器の部分に細かい文様が彫り込まれているので、陶芸でも大筋は青銅器と同じような文様を付けたが、細部はあえて同じにせずに自分流の文様にしている。3000年前に魔除けの文様を施したのなら現代の魔除けを創ればよいと開き直った。<文様については追ってズームアップした写真掲載の予定> =根津美術館所蔵の青銅製「双羊尊」は”ここ”参照=


3月9日(水)  <高校時代の友人宅・・・>
高校時代の友人宅に夫婦で招かれて心地よく、また刺激的な一日を過ごした。茶室で抹茶をいただいたり、趣味で蒐集された何百年か前の器類を見せていただいたり、ブルーノ・タウト(ドイツ生まれの建築家、昭和初期に日本に亡命、桂離宮を評価した著書で知られる)が建築の構想を練るのに使用したという色ガラスのブロックを見せていただいたり、木製の楕円型茶碗の製造法を議論したり・・と時間を忘れて楽しんだところで、更に感動したのは彼の蔵書だった。中谷宇吉郎の雪の結晶に関する本もすばらしかったが、何と岩波書店の「寺田寅彦全集」が揃っている。この全集は私が祖父から引き継いで今も持っているレア本で、同じ本を友人が所蔵していることが奇跡のように思えた。この日は何か特別の啓示があったのかも知れない。友人夫妻が後で連れて行ってくれた「生命の森リゾート」(千葉県長生郡長柄)は従姉妹が住んでいるところと分かり仰天。世の中、不思議なつながりがある。
 
2011-03-09@生命の森リゾート梅園にて(千葉県長柄町)

3月10日(木)  <「被災史上」・・・>
「被災史上」の先には”最大の大地震”とか続けたくなるが、これは今日の文字変換の傑作。「久石譲」を出したくて”ひさいしじょう”と打ち込むと冒頭の文字となった。「久石譲」は言うまでもなく宮崎駿のアニメーション、「風の谷のナウシカ」、「千と千尋の神隠し」、「ハウルの動く城」、「崖の上のポニョ」などの音楽を担当した作曲家として知られる。この誤変換を契機に「久石譲」(1950年生まれ)の芸名は彼(か)の「クインシー・ジョーンズ」の名前をいただいて、クインシーを久石、ジョーンズを譲としたことを知った。ちなみに、「クインシー・ジョーンズ」は米国で今も現役で活躍する黒人の音楽プロデューサー&作曲家<年齢は今日76歳で亡くなった坂上二郎さん=コント55号=の一つ年上>。クインシー・ジョーンズがプロデュースした中にはマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」もあるというから、米国の音楽界でも希に見る成功者であろう。これからは「被災」という文字を見ると「久石譲」、「クインシー・ジョーンズ」、そしてマイケル・ジャクソンを連想することになりそうだ。
「今日の写真」は散歩途中の都会風景<旧山手通り>。
 
2011-03-10 @左は渋谷区、右は目黒区<各、西郷山公園脇の建物>
3月11日(金)  <今日の大地震・・・>
今日の大地震が起きた午後2時46分は京浜急行・青物横丁駅(=東京・品川区南品川にある)の改札でSuica(ICカード)をかざそうとした時だった。突然、改札の電気が消えたと思ったら駅全体が停電になり大きな揺れ。立ったまましばらく揺れの状況を見ていたが天井に蛍光灯がある場所だけは無意識に避けていた。東京では経験したことのない揺れ方だったので先ず京浜急行の電車も山手線も少なくとも2〜3時間は動くことはないと即座に歩いて家に帰ることを決断した。直ぐに品川方面に向かって歩き始めると各所でビルから屋外の敷地に出て避難している人に出会った。道路沿いでは目立った被害はないように見えたが、遠くの方で黒煙があがっている(=下の写真A)。大きな余震で歩きを止めたのは約30分後、大崎近辺であった。この時、目黒川の水面に川の両岸から押されたような珍しい波紋を見た(=下の写真B)。速歩で歩くこと1時間30分、無事家にたどり着いた。ここまでは上出来。その後、電車が止まり、タクシーを捕まえることのできない知人を家まで車で送っていくことを軽く引き受けた。我が家から約10km、普通は片道20分から30分の距離である。しかし車でスタートすると直ぐに渋滞にはまった。結局は往路(下り)約3時間半、帰り(上り)が約2時間半、トータル6時間の大旅行となった。やはり大地震の時には歩くに限る。車では動くことができない(歩く人に次々と追い抜かされる)。それにしても大渋滞も貴重な経験となった。歩いたことや渋滞を話題にできるのは、不幸中の幸い・・。
 
2011-03-11 A=品川近辺より             B=大崎近辺(余震による波紋)

3月12日(土)  <昨日の巨大地震(東北沖大地震)・・・>
昨日の巨大地震(東北沖大地震)の死者・行方不明者が1400人を超えると報じられている。まだこの先、犠牲者がどこまで増えるか分からない。ほとんどの人が一日前、いや地震の一時間前に自分が命を落とするとは考えもしていなかっただろう。地震の後に津波が来ることは今は誰でも知っているが、10mの津波が押し寄せてくるとどのような事態になるかは想像を超えている。昨日のコラムに地震の際に私がとったささやかな行動を記したが、目黒川沿いに歩いて帰宅したことに対して津波を考えると川沿いの道をとるべきでないと妻から指摘された。そうかも知れないがその時には津波のことなど考えない。帰宅後、人を送っていくため車に乗って6時間の渋滞を体験したけれども地震時に車を使わないのが常識といわれれば、これもその通り。後知恵では何でもいえる。今日になって我が家の庭(といっても共同庭)で石灯籠の頭が地震で落下して地面に突き刺さっているのを発見。もし、昨日家にいて地震の時にあわてて庭に飛び出したら石灯籠でお陀仏となっていた可能性もあった。ただ幸運であるだけで無事でいられる身としては甚大な被害を受けた人たちに何かをしなければならない・・。
2011-03-12地震で石灯籠の頭が落下

3月13日(日)  <マグニチュード(M)は9.0・・・>
マグニチュード(M)は9.0と今日になってM8.8から上方修正された東日本の巨大地震。時間が経過するに従って被害も桁外れに上昇しつつある。400〜1000年に一度発生するかどうかの地震の規模で、誰にとっても信じられない初体験が続く。だだし、被災地の状況など情報についてはテレビ、インターネットなど現代の情報機器が役立つところが昔と違うところだろう。関東大震災(1923年/大正12年、M=7.9)の時には流言飛語が一番恐かったと当時女学生で震災を体験した母から何度も聞かされた覚えがある。今回はそのような悪質な噂は流布されていないように見える。情報を得た次には被災者のために自分は何をできるかを考えなければならない。今日のニュースで目に付いた企業の活動を記してみよう。「日清食品。即席麺100万食を緊急無償提供」、「ソニー、被災地にラジオ3万台提供+3億円義援金」、「スポーツ専門店”ゼビオ”防寒具を被災地に無償提供」・・。企業にはこれから更なる義援金や無償提供を期待したい。個人でも被災者を思い、それぞれのやり方で行動しよう・・。
3月14日(月)  <原発の停止・・・>
原発の停止で首都圏への電力供給が確保できなくなってきた。地域ごとに順番で電力を止める「計画停電」が行われようとしている。ある地区の停電といっても電車も運休になり交通網に大きな影響がでる。何時になったら解決するのか先行きが見えないだけに事態は深刻だ。家庭でもいかに電力に頼っているか改めて足下をみる。節電に協力して電気ヒーターを止めてパソコン仕事をした後、歩いて渋谷まで買い物に行った。ビッグカメラで単三電池を買おうと思ったら売り切れ。強力粉を買いにスーパー二軒に行ったけれどもこれも売り切れ。その他、流通の関係で品薄との張り紙が目立った。スエーデンの友人からは見舞いのメールを受け取った。海外でも日本を注視していることを肌で感じる。東日本大震災から3日、震災への対応はまだスタートしたばかりである。
2011-03-14@渋谷東急本店/すごい車庫入れ技術!
3月15日(火)  <原子力発電所の事故・・・>
原子力発電所の事故に関する一連の経緯を世界中が注視している。毎日状況が変わり、「原発爆発」、「放射性物質が放出」などと報じられながら事態がどう進展するかまだ予断を許さない。日本の原発の安全対策(構造)は世界の原発と比べるとずば抜けて安全率を高くとっているという。それが巨大地震と津波でいとも簡単に想定外の対応を迫られるのは世界の原発にとって他人事ではない。それにしても直接現場で対応に従事している東京電力の担当者、関連組織のメンバーのご苦労はいかばかりか・・。不眠不休どころか命をかけて未曾有の事態に対処していることを忘れてはならない。専門家の学者先生がテレビスタジオで"解説”するのとは訳が違う。好き勝手にやり方を批判するマスコミ記者は一番安全な場所でのさばっている。こんなことを書く本人も何もできない。できることは、必死に活動している当事者たちを応援することしかない。せめて声を上げよう:”福島原子力発電所のみなさん、頑張って・・”。
「 双羊尊型容器4/部分 」(陶芸)を今日の表紙に掲載した。今日の作品ではないが最新作品の模様(部分)を載せて気分転換とした。


3月16日(水)  <福島原発の推移・・・>
福島原発の推移をインターネットとTVで注視しつつ今日一日が経過した。こればかりはどんなにやきもきしても、心配しても先は読めない。今回の大震災を「天罰」と言って後に発言を撤回した首長さんがいたが、時として天の神様は残酷だ。全く罪のない多くの善良な人々を犠牲にする。それでも今は神に祈ることしかできないのが原発の沈静化、大規模爆発の防止だ。記録の意味で今日の原発の経緯をメモしておこう:「第1原発3号機から白煙、放射性物質を含む水蒸気放出」、「4号機再び出火」etc.。震災の被災者救援のためにも原発による新たな被害者を出さないことを祈る・・。
3月17日(木)  <香炉を焚いて合掌・・・>
香炉を焚いて合掌。表紙の「今日の作品」に「白香炉」(陶芸)を掲載したが、このように新作の白香炉を使って焼香した。東日本大震災の犠牲者への祈りと同時に未だ沈静化しない福島原発事故終息を願う祈りでもある。この新作「白香炉」は内部に舟形の容器を装着しており「一輪挿し」としても使用できるようにした(陶芸コーナー=ここ=に事例掲載)。さて、原発の事故に関連して欧米各国は被災地からのみならず首都圏(東京、横浜など)や日本からの退避を勧告し始めた。逃げ場所もない身でできるのは節電協力くらい。強い風が吹き気温も下がった東京で今日は厚着をして足回りには毛布を掛けてヒーターなしで過ごした。大震災を契機に”迷惑メール”が激減するという現象もでている。発信者の意図か経由点でのコントロールなのか理由はよく分からない。先行きも、何もかも分からないことは社会が若返っていることとも捉えられる・・。

3月18日(金)  <息子の三回忌・・・>
息子の三回忌が迫ってきて予定通り法要を行うかどうか迷っていたが、今日、お寺(九品仏・浄真寺)に行って中止を決断した。多くの友人らが出席すると言ってくれていたが、未曾有の大震災を受けて中止すべきと判断したのである。北海道など遠方からあえて現在の東京まで出向いていただくのは忍びないという理由もあるが、連日多くの人が苦しみ亡くなっている中で、息子ならば”ボクの法要なんかいいよ”と言うような気がしたからでもある。・・プロ野球で予定通り開幕するか否かを議論したが、結局パリーグは延期、セリーグが予定通り25日に開幕と足並みが揃わなかったようだ。セリーグの選手会は延期を希望しているのに球団側が押し切ったとか。それも25日にナイターで開幕するというので各方面から批判が出ている。確かに、皆が停電で苦労したり、節電に協力しているときに東京ドームでナイター野球はないだろう。震災の被災地へダルビッシュが5千万円の義援金、イチローが一億円寄付などの報道の中でセリーグの球団オーナーたちは何を考え、何をしているのか知りたい。
2011-03-18@九品仏・浄真寺(東京・世田谷)
3月19日(土)  <義捐金を出す・・・>
義捐金を出すことが大震災の被災者のためにできる容易な手段であることは疑いない。けれども実際に被災者に届くまでには複雑な仕組みがあるようだ。先ず、普通は「義援金」の文字をみるが、本来は「義捐金」と書くべきところを「捐」の字が当用漢字にないために新聞協会などの代用表示として「義援金」が定着したもの。「捐」(えん)とは「すてる」、「なげうつ」の意で、元来は(とても惜しいけれども)義のため(=公のため)とあらばなげうとうという”葛藤に満ちた言葉”だと説明されている。言葉はともかく、赤十字やその他信用できる機関に持ち込まれた「義援金」(この文字を使う)は直接被災者個人へ分配する訳にはいかないので都道府県が主体の委員会(いわばお役所)に送金される。委員会での配分計画に従って被災者を援助することになっているが、想像するだけで誰にどれだけ分配するかを即決定することはできそうもない。被災者個人に均等に分配すると逆に不公平であることもよく分かる。阪神大震災の際には膨大な義援金がプールされたまま直ちには個人に渡すことができず、かなり時間を経て処理されたようだ。今日のニュースでは台湾で4時間のチャリテイーイベントによって義援金約21億円が集まったと報道されている。全世界からの有り難い「義援金」を被災者のために効率よく活かす知恵が欲しい・・。
3月20日(日)  <理想的な破損・・・>
”理想的な破損”というものがあれば「今日の表紙」に掲載した「大型花器」(陶芸)の<素焼破損状況>がそれに当たる。素焼の時に中央の容器部4方向に取り付けたブロックの一つが破損してしまったのである<破損原因の考察にはここでは触れない>。写真の左側は破損面を合わせた状態で本来狙った形状。右の写真は破損したブロックを取り外した状態。よく見ると花器としての機能は問題がなく破損面はそのままでも趣がある。破損したブロックの置き方によって色々と雰囲気の変わったオブジェを創ることもできる。そこで破損品を二度と同じものはできない名品として仕上げてやろうと俄然やる気を出している。もし順調に素焼きができていれば、これほど釉薬をかける仕上げに情熱をかけられないのでないかと思う。そして実際に破損したが故に当初計画した以上の作品ができれば言うことはない。・・それにしても、この時期に「災い転じて福と成す」と単純な言い方を並べることなどとてもできないが、大震災の災いを少しでもよい方向に転化できることを願い、そして祈る・・。


3月21日(月)  <おそまきながら「きことわ」・・・>
おそまきながら「きことわ」を読了した。今年の芥川賞は26歳の朝吹真理子さんの「きことわ」が受賞して評判となった。「文春」を買って読み終えてみると、このような作品がよく圧倒的な支持を受けて選ばれたと現在の文壇というか選考委員のセンスに感心した。いわば、ドラマチックな神話の世界を綿密に描く大ボスが牛耳る画壇の展覧会で爽やかな感性の抽象画が選考された驚きのようなものか。「きことわ」は永遠子(とわこ)、貴子(きこ)という二人の女性が織りなす日常を綴るだけで劇的な展開は何もない。けれども、夢とか過去、未来を頻繁に行き来しながら「時間」とか「人生」を考えさせる不思議な小説だ。この小説で「作者は何を言いたかったか述べよ」と試験問題にすると面白いと思った。それぞれの人がどう受け止めるか、模範解答はなくてよい。プロの文筆家は計算され尽くされた文章の技巧やストーリーのからくりを賞賛する(ex.きことわ=きこちゃん+とわちゃん)が私には単純に人の”生きる時間”が強く印象に残る。25年前の記憶や夢と並べて現実をとらえると人の生きる時間が何と少ないことか。確実に進行しつつある現在の時間の中で次の25年は夢でしか見られない・・。余談であるが、「きことわ」の中に「永遠子の生まれた日付が、雪博士と称された中谷宇吉郎がはじめて人工の雪結晶づくりに成功した日といっしょであったことを・・」という文章がある。中谷宇吉郎ファンであった私の友人はそれは「3月12日」と直ちに解明してくれた。「きことわ」にはそんな楽しみも隠されている。

3月22日(火)  <「LED付き立方体花器<花入!> 」・・・>
「LED付き立方体花器<花入!> 」(陶芸) を表紙に掲載した。陶芸作品としては昨年末に完成した「大型立方体(LED付)」(2010年陶芸作品=ここ=参照)そのものである。花器として利用できるはずであったが実はこれまでオブジェとして部屋の隅に置くだけで一度も花を活けたことがなかった。たまたま今回故あって豪勢なお花を頂戴したので初めて花を入れて撮影したもの。時節柄派手な花を掲載するのも憚(はばか)られるが、花の命も短いと記念に写真を残すこととした。花が入るとこのLED付立方体は新しい顔を見せて俄然元気になった。作者としてはうれしい限り。何にしても同じであるが活用されている姿が最も幸せにみえる。


3月23日(水)  <ボストン美術館浮世絵名品展・・・>
「ボストン美術館浮世絵名品展」(@山種美術館、4/17まで、案内=ここ)にいった。大震災の影響で東京の美術館は休館となっているところが多く、今日から開館となった山種美術館の会場はいつにない賑わい。世界有数の日本美術コレクションを誇るボストン美術館からの里帰り展で、鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の三大絵師を中心にした浮世絵の名品にはやはり圧倒されるものがある。けれども今回は大震災の直後でもあり「絵」と外れた箇所で色々と
感慨が湧きあがった。・・浮世絵にみる江戸の世は何と平和なことか、江戸文化の何と豊穣なことか・・。絵師の原画は確かにすばらしいが、版画は名前も残っていない多くの彫り師や擦り師がいなければ完成させることはできない。更に今は歴史的な遺産として極めて貴重な浮世絵も当時の権力者とは無縁な存在であった。今この瞬間にも原発事故の沈静化のため決死の作業を行っている現場の人たち・・。名もない人たちの努力なしに私たちの安全は確保されない。”権威ある”海江田経産相が現場で放水を行っている消防の隊員に作業を続けなければ「処分」すると言ったと伝えられたことなどは論外にして歴史は大臣や権威とは無縁なところで支えられている・・。
「今日の写真」=美術館の帰り道、歩道橋を渡っていると橋脚の片隅で寒さを避けている鳩が目の前にいた=

2011-03-23@恵比寿/歩道橋下

3月24日(木)  <大震災の復興・・・>
大震災の復興を具体的にどう進めるかはまだまだ云える段階ではない。今回太平洋沿岸を襲った大津波のパワーを知れば知るほど単なる"復旧”ではなく次世代、未来を考えた復興対策の難しさを思う。今日の報道で釜石湾入口の防波堤について触れた箇所があった。この防波堤は最も深い部分で63m(=ギネス記録で認定)の海底に東京ドームの7倍の相当する巨大なコンクリート塊を沈め上部にコンクリート壁(=海上高さ8m、厚さ20m)を構築したという。2009年に完成したばかりのこの全長約2kmの防波堤は津波のために約800mが大きく崩壊してしまった。また宮古市が誇っていた巨大防潮堤(高さ10m、全長2.5km)をも大津波は軽くこれを乗り越えた。もし、こうした防波堤、防潮堤がなければ更に甚大な被害を被ったかも知れないが、それにしても津波を「防ぐ」ことはできなかった。 自然の力を”想定する”ことの困難さを承知の上で大きな犠牲に報いるためにも未来を見据えた復興のグランドデザインが求められている。

3月25日(金)  <非日常で気分転換を図る・・・>
非日常で気分転換を図ることも気が引ける今の時期ではあるが妻が3〜4年ぶりに休養できるタイミングになったので今日は半日妻と一緒に東京湾沿いを水上バスで湾岸巡りとした。はじめに行った浜離宮では菜の花が満開。都会の真ん中でみる菜の花畑は格別だ。浜離宮は徳川将軍家の庭園であった場所であり「東京湾の海水を引く潮入の池」などでも知られる。浜離宮の一角から水上バスに乗り先ずレインボーブリッジの下を通り台場へ。台場を一周した後、隅田川を上り両国から浅草方面へ。私たちは浅草の先の桜橋で水上バスを降りたが、途中建設中の「スカイツリー」もすぐ側で見ることができた。東京にきて50数年経っているけれども、こんな観光コースは初体験。湾岸の防潮堤や静かな隅田川を眺めながら穏やかな自然の有り難さを今ほど感じるときはない。
 
2011-03-25@浜離宮(左)&(右)はスカイツリーと隅田川、そしてゆりかもめ(手前の鳥)

3月26日(土)  <善意の連鎖・・・>
善意の連鎖について書いておきたい。今回の大震災について海外のメデイアが報道する際に略奪や暴力沙汰がなく従順に助け合う日本人の姿や文化が驚異を持って伝えられたという。3月11日の地震の当日、今考えると私も同じような「善意の連鎖」を体験した。その日、徒歩で帰宅して直ぐ家に帰れなくなった人を送り届けるため気楽に車を走らせたことは11日のコラムに書いた。普段は20〜30分で行くところ車が大渋滞して結局6時間かかったのである。その間、何度も車線変更をした時にどの車も気持ちよく道を譲ってくれた。こちらの車がスムースに車線を変更できたので他の車が入り込もうとするときにも余裕ができて”どうぞ”と割り込ませる。そうすると相手の車はテールランプを点滅させて”ありがとう”と答える。このような繰り返しで、大渋滞の中でも決して不愉快な思いをしなかった。”お互い様”と”助け合い”が自然に連鎖していく様はむしろうれしく感じたものである。人間社会ではこのような「善意の連鎖」と真反対の「悪意の連鎖」も起こり得る。一旦、悪い連鎖を起こしてしまうと悲惨である。大震災を契機に欧米も日本の耐えて譲る文化に注目している。日本的な文化を失わないことが「善意の連鎖」を保つことになるのかも知れない。

3月27日(日)  <「黒香炉」(陶芸)・・・>
「黒香炉」(陶芸)を今日の作品として表紙に掲載した。前に(3/17)掲載した「白香炉」と対をなす黒色バージョンである。表紙には舟型の線香受けを一輪挿しの花器とした写真を掲載したが、陶芸コーナー(=ここ)には香を焚いて煙のでている香炉写真を合わせて掲載している。今回の大震災で陶芸教室は幸いにも大した被害がなく開業を続けているが、来る人は激減したようだ。そんなこともあって5月20日から三日間予定されていた「作陶展」が中止と決まった。作陶展に向けて制作に励んだり、どれを出展するか選んだりしながら開催を楽しみにしていたし、二年に一回開催される作陶展は他の人の完成作品を見ることができる数少ない機会でもあった。それだけに中止は残念であるがこの際止むを得ないだろう。こうして全てが自粛と沈滞ムード。被災者支援のエネルギーを得るためにもどこかで元気をつくらなければならないが・・。

3月28日(月)  <福島原発事故の沈静化・・・>
福島原発事故の沈静化はまだ先行きが見えず長期戦の様相を示してきた。解決のために欠かせない仮設ポンプや高圧ホースの手配などに学生時代の友人が直接絡んで日夜休みなく奮闘していることを知り、ますます他人事とは思えなくなった。友人は自分で作業をするのでなく「特攻隊」を送り出す立場であるので気苦労も多いだろう。先にタービン建屋で復旧作業中に過大な放射能を被爆した3名は二人が関電工の社員、一人がそのまた関連会社の社員だった(今日、夕方のニュースでは3名とも健康状態に問題はないとのことで入院していた放射線医学総合研究所から退院した)。実際に現場で作業をする人は作業内容に応じて東京電力の下請けの下請け、そのまた下請けなどの作業員であったりする。事故の沈静化はそのような選ばれた人たちの一つ一つの作業の積み重ねがあって初めて可能となる。自爆する特攻隊はいらない。日本を救う英雄となる特攻隊を成算をもって派遣してくれるだろう。
2011-03-28@九品仏浄真寺(東京・世田谷)

3月29日(火)  <ACジャパンほど・・・>
ACジャパンほど震災後の民放テレビで名を売ったところはないだろう。「名」とはもちろん悪名である。震災後、民放でスポンサーがCMを自粛する中、登場したのがAC(AdvertisingCouncil)。ACが流す仁科亜季子さん親子の対癌キャンペーンとか金子みすずの詩を使ったCMが余りに頻繁に繰り返されるので誰でもが辟易した。CMの出演者は何も悪くないし内容も特別に問題はない。ただ、押しつけがましいモラルを繰り返し、繰り返し、々、々、聞かされるとスイッチを切りたくなったのは確かである。ACジャパンは「旧公共広告機構」とされており、約1200社の企業・団体の会費で運営される民間の団体。企業の社会的貢献活動の一環としてボランテイアで運営されるという。今回、ACのCMは色々なことを教えてくれた。民間の団体とはいえ「公共」を旗印にしたお役所的CMがいかにつまらないか、道徳の押しつけはCMにはならないこと、CMの回数は多すぎると反発をうけることなど・・。あらためて「公共」でないコマーシャルのうまさを認識した。

3月30日(水)  <何が苦役か、甘ったれたこと・・・>
何が苦役か、甘ったれたことを言うな・・、そんな感想ばかりが去来するのは大震災後に読んだタイミングのせいだろうか。芥川賞受賞作「苦役列車」(西村賢太作)を何度も中断しかかったけれども耐えに耐えて読了した次第。もう一つの受賞作「きことわ」(朝吹真理子作)と真反対の傾向の小説を選考委員さまは実に巧みに組み合わせた。「苦役列車」で一体作者は何を伝えたかったか、読者に何を期待しているのか・・。私小説と称して酒とタバコと女遊び以外の全てに興味がなくマイナス思考の主人公の生活を綿々と綴り、社会の底辺にいることを一種得意げに披露する卑しさ・・。確かに読者を辟易させることに成功したのは作者の狙い通りかも知れない。それでも極悪犯罪まで進展しないやさしさの片鱗を感じさせるところもあるのが「文学」なのか、それは私の理解を超えている。いま大震災で多くの人が言語に絶する苦労をしている。このようなときに安易で甘ったれた「苦役」の言葉にさえも嫌悪感を覚えてしまった。
3月31日(木)  <激動の3月も・・・>
激動の3月も今日が最後。久しぶりに散歩に行くと”春はそこまで来ている”と季節を感じる。考えてみると11日の大震災の後、今日まで散歩に出かけたことはなかった。テニスもまだ一度もやっていない。久々の西郷山公園(東京・目黒区)で目にしたのはほとんど花が散ってしまった白木蓮の姿。一部の辛夷の花はまだ残っていた。ユキヤナギの白い小さな花を見るだけで何故かホッとする。昨年は今の時期、目黒川沿いの桜は満開に近く咲いていたのに今年はまだまだ開花にはほど遠いように見えた。桜の開花が遅れているとしても桜の花が咲かないことはない。時が経てば春は必ずやってくる。人間は自然から多くの勇気を得る。今年は自然の春の到来と共にもう一度被災者のために何ができるか考えよう・・。
 
2011-03-31@西郷山公園(東京・目黒区)

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