これまでの「今日のコラム」(2011年 12月分)

12月1日(木) <雨でテニスはお休み・・・>
雨でテニスはお休み。そうなると陶芸のデザインがはかどる。デザインといってもイメージの絵を描くことではなく陶芸作品に関連した装置の構造を検討したり寸法を決めたりするので詳細設計と言った方がいいかも知れない。結果として粘土とは関係がない部品やモーターなどが必要となる。今日の東京は昨日より10℃も気温が低くなったとか。この寒い師走のはじまりの日に、蒲田(東京・大田区)のユザワヤに部品を見に行った。ユザワヤは関東ではお馴染みの手芸や工芸など諸々の材料を扱うチェーン店。蒲田の駅前には取扱品目毎に分かれた店舗(ビル)が4館ほどある。いまどき陶芸の材料を扱ってくれる店もあるので有り難い(渋谷の東急ハンズなどは陶芸材料を扱わなくなった)。ユザワヤでは自分と直ぐには関係がない色々な分野の材料部品を見て楽しんだ。蒲田から電車で帰宅する際には最寄り駅の一つ手前の駅で降りて家まで歩いて帰った。予定していたテニスがなくなると時間と体力に余裕が出るのは確か。それに寒いときには早足で歩くと暖まる・・。
 
2011-12-01 左=@多摩川駅(東横線) 右=@目黒川

12月2日(金) <”大人げない”・・・>
”大人げない”といつも妻に言われる。しゃべる目覚まし時計「クロックマン」に毎回腹を立てているからである<丁度一ヶ月ほど前に”ロボットに腹を立てる・・”とコラムを書いた(=11/5コラム=ここ参照)>。例によってクロックマンはご主人様(私のこと)を叱り飛ばし"おいらに感謝でしょ”などと言うから頭を叩くと様子がおかしくなった。強く叩き過ぎたようだ。”頭のボタンを押しておくれ”を繰り返すばかりで何をやってもコントロールできなくなってしまった。そこでクロックマンを分解して基板などを取り出してみた(下の写真a)。けれども機械部品と違い、こうした電子部品の故障の原因は分かりにくい。結局修理できずにもはや不燃ゴミで処分されるのを待つ状況。クロックマンが生意気なしゃべりをしても決して頭のボタンを強く叩いてはいけません・・。
今日は息子の月命日なので九品仏浄真寺(東京・世田谷区)に墓参した。境内のイチョウの黄葉が見事だったので写真を掲載する(下の写真b)。
2011-12-02クロックマンの最期(a)
 
2011-12-02@九品仏浄真寺(b)

12月3日(土) <今日の表紙に「mieuへの絵手紙・紙の皺(しわ)」・・・>
今日の表紙に「mieuへの絵手紙・紙の皺(しわ)」(鉛筆画)を掲載した。これはニューヨークに住む孫娘mieuのブログにヒントを得て彼女への絵手紙にした作品だ。mieuは今中学入試の真っ直中。この週末(向こうの時間で今頃か)には全米の共通試験があるとか。こちらは絵手紙でも描く以外に何もしてやれない。少し前のmieuのブログに紙をくしゃくしゃに折ってその場で皺(しわ)の付いた紙を鉛筆でスケッチする映像が掲載されていた。描き進む中で描いた絵と本物の皺の紙を並べて映像を見せるのだが、トリックアートのように「どちらも同じに見えて本物とスケッチの区別が付かない。面白いので早速に真似をして白い紙に皺を付けて絵はがきに描いてみた。そしてmieuへの絵手紙としてニューヨークに投函済みであるがクリスマスシーズンの今、まだ届いてはいないかも知れない。それにしてもmieuは入試や面接など健気(けなげ)に頑張っている様子でただ結果良きことを祈るばかりである<mieuのブログ=ここ/下欄の案内と同じ>。
「今日の写真」には水車のある公園の風景を掲載。渋谷まで歩いて往復する時には途中この公園に立ち寄る。
 
2011-12-03 @鍋島松濤公園/渋谷          (表紙)
12月4日(日) <「謎解きはデイナーのあとで」・・・>
「謎解きはデイナーのあとで」(東山篤哉作/小学館)が2011年の書籍ベストセラーになったという記事を見て驚いた。丁度、この本を忍耐の末に読み終えたばかりだ。速読で読む人は30分で読んでしまうだろうが、私は風呂に入った時に少しづつ読む習慣にしてようやく読了したのである。何にしても良いところだけを取りあげたいのだが、この本については「読書」した充実感がない。大富豪のお嬢さま刑事<身分(?)を隠して活動>とお坊ちゃま警部が次々に殺人事件を解決するというお話。それもお嬢さまの家の運転手兼執事が絶妙の推理で手助けするパターンが決まっている。私などにはお嬢さまお坊ちゃまの設定が気恥ずかしくて忍耐なくしてとても読み進められなかった。それに殺人とか人の命が何とも軽く、全てがゲーム感覚。そうか、今やコンピュータのバーチャルゲームと同じ感覚で本が求められているのかと少々は納得する。なぜ、この本を購入したのか。それは本屋大賞に選ばれたというので”それならば”と思ったのである。本屋大賞は「全国書店員が選んだ一番売りたい本」と宣伝されているが、昨年(2010年)の大賞「天地明察」(冲方丁作)はすばらしい著作だった。また私が好きだった「博士が愛した数式」(小川洋子)もこの大賞を受賞している。本屋大賞がなければ「謎解きはデイナーのあとで」を手に取ることはなかったのは確かだが、本にもいろいろあるのを知っただけでもよしとしよう。
「今日の写真」(下)は新宿駅西口前<右翼の日の丸が写ってしまった> ”新宿へはランチのあとで”。
2011-12-04@新宿

12月5日(月) <静寂が欲しい・・・>
静寂が欲しいときがある。テレビのバラエテイー番組を見ているときにスイッチを切ると音がしないとは何とすばらしいことかと感激したりする。静寂な中にいると時の流れまでが全く異質に思えて充実した時を過ごせるのである。静寂を破る騒音でなくても「音楽」もまた微妙である。昨日の朝のNHKテレビで日曜美術館を見ているときにバックに流れる音楽が気になると妻が言った。言われてみるとこちらも音楽に気をとられて絵に集中できない。杉山寧の絵画がアップされている画面のバックに番組司会の千住明さんのアレンジ(作曲)なのだろうか(正確には分からない)もっともらしく(?)絵に合わせたような音楽が流れるのである。番組の途中で音楽が止むとホッとする。絵を見るときには音を聴きたくない。見たくない場合は目をつぶればいいが聞きたくないときでも音は伝わってくるから面倒だ。音は脳で感知される。同じ音楽を聴いても人の脳がどう感じるかは人それぞれ。”音がないのが一番”と言われる音楽家、作曲家も大変だろうが・・。

12月6日(火) <デジカメやケイタイの充電・・・>
デジカメやケイタイの充電を毎日繰り返しながら近い将来にこの充電という煩わしさがなくならないものかと思う。勿論、最近の電池の性能(寿命)は昔と比べてはるかに進化はしている。電池を使い切ってから再充電をする必要がなくなっただけでも有り難い。それでも電池の寿命が延びただけに余程注意していないと肝心な時に電池切れとなるので習慣として充電を繰り返すことになる。では将来はどのような姿になるのか。それは「電波充電」でないかと思うのだがどうだろう・・。それも電池の残量が少なくなった段階で自動的に電波を受け取って充電する。「電波発電」は今や試作レベルの情報まで流れているので夢物語ではない。毎日生活する中で何でもが便利になっているので、あえて不満な材料を探してみようとこんなことを考えたのである。必要は発明の母。何年か後には"昔は100Vの電源から充電していた”なんて語られるかなぁ・・。
 
2011-12-06@左=目黒川    右=西郷山公園(河津桜の紅葉)

12月7日(水) <「mieuへの贈り物」シリーズ・・・>
「mieuへの贈り物」シリーズを始めることにした。ニューヨークに住む孫娘、mieuへは「絵手紙」を何年も続けてはいるが、どうもマンネリ化している。特に今現在彼女はけなげに中学受験に挑戦している最中であるので応援する意味で「贈り物」をしようと思いついたのである。私のできることは絵手紙でなければ陶芸しかないので早速制作したのが今日表紙に掲載した「磁器カップ」。これは今年の夏に制作した「壁掛け」に組み合わせて使用するための特製カップだ。下の写真のように壁掛けの台に取り付け、固着できるように象の鼻型の取っ手が付いている。プレゼントとしては勿論壁掛けとのセットである。この磁器カップは小物であるので家の電気窯で焼成した。今日は陶芸教室では以前紹介した「組み合わせピラミッド型遊具」の釉薬かけをするなど大物作品も着々と進んではいるが、mieuへの贈り物のような小物は家で短時間で制作できるのでこれも楽しい。贈り物の第2弾
は女の子らしい「アクセサリー」とするつもり。
  壁掛けセット(陶芸)

12月8日(木) <10日間の時間の経過・・・>
10日間の時間の経過でイチョウの色づきがどう変わっているかを見るために今朝も神宮外苑に行ってみた。前に11月28日午前8時25分に撮影した写真をコラムに添付したが(=ここ)、同じ時刻に同じ場所で今朝撮った写真が「今日の写真」(下左)。確かに10日間で黄変は進んでいるが、今年の色づきは鮮やかでない。別の場所からイチョウ並木をみると両サイドの樹木はまだ緑色である。それにしても時期がずれても、また落葉までの色の違いがあっても”やがて散る”定めが変わることはない。そして春になるとまた新たな芽吹きが訪れる・・。
 
2011-12-08am8:25@神宮外苑(東京)

12月9日(金) <銀粘土によるアクセサリー作り・・・>
銀粘土によるアクセサリー作りを初体験した。昨日の夜、町田市(東京の南西30〜40km)まででかけて教室の体験コースで学んだのである(グルーポンを利用)。妻は既成の型を使って洒落たペンダントを作ったが私は例によって世界に一つのアクセサリーに挑戦した。表紙に掲載した「今日の作品」(銀細工・アクセサリー)がこの完成作品。これも孫娘mieuへの贈り物として名前を彫り込んでいる。今回、私がこれまで馴染んできた陶芸用の一般粘土と銀粘土の大きな違いを改めて認識した。銀粘土は銀の粉末と水分、結合材が混合されたもので、約800℃で焼成するとほぼ純粋な銀だけが残るという優れもの。ところが銀粘土は高価で1グラム250円ほどする。一般陶芸粘土は1kg(=1000グラム)が200円程度であるから、銀粘土は陶芸用粘土の実に1000倍以上。当然と言えば当然で、必然的に銀粘土工作は小物で付加価値が大きなものを作るのでないとモッタイナイ。それにしても銀粘土の加工性はよく工夫次第で無限の可能性を秘めていることも確か。銀粘土の面白さを体感すると同時に一般粘土で大物を作って遊ぶことができる陶芸の有り難さをも悟った初体験だった。
今日の写真として自然教育園で撮影した”紅葉”を掲載する(下)。今朝からの冷たい雨は午後になると止み夕刻には日が差していた。
  2011-12-09@自然教育園(東京・港区)

12月10日(土) <銀座の画廊り・・・>
銀座の画廊にいった。「フユノモリ(冬の森)」と題した「梅原麦子・布絵展+梅原龍・作品展」で、母親と息子さんの合同展覧会。今時親子で展覧会を開催するのも珍しい(@銀座3丁目、ゆう画廊=ここ、12/18まで)。特に龍さんの作品は私の好みでもあり作者さんに制作のやり方などを色々と聞きながら楽しいひとときを過ごした(龍さんのhp=ここ)。銀座というと不思議に”お上りさん”の気分になって何でもが物珍しくみえる。今日は天気が穏やかな快晴で久しぶりに見る銀座歩行者天国(考えてみると奇妙な"天国”だ)は大勢の人で賑わっていた。ふと人だかりがしているので見ると銀座3丁目の標識の上に猫が4匹まるまっている。歩行者へのサービスで誰かが乗せたのかも知れないが、猫ちゃんたちにとっては少々迷惑だろう。それにしても銀座でのこの風景、初めて見たので「今日の写真」に掲載する(下右)。
 
2011-12-10@銀座

12月11日(日) <「草枕」の冒頭部・・・>
「草枕」(夏目漱石の小説)の冒頭部「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」は余りに有名だが、その少し先に次のような文章が続く:「・・どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる。・・越すことのならぬ世が住みにくければ、住みにくい所をどれほどか寛容(くつろげ)て、束(つか)の間の命を、束の間でも住みよくせねばならぬ」(草枕のWeb版=ここ)。ふと目にしたこのようなフレーズが妙に今の心境とピッタリしてしまった。愉快でない状況に遭遇したときには一寸した言葉にも勇気づけられる。草枕の中では漱石の芸術論が披瀝されるが、Webで草枕を見ていると、彼の天才ピアニスト、グレングールドが亡くなった時に枕元に2冊の本、聖書と草枕(英訳本)が置いてあったとの逸話が紹介されていた。グレングールドもまた漱石の作品に共感したのかと思うと一層一つ一つの文章が貴重に見えてくる。草枕全体を読み返してみよう・・。
 
2011-12-11@目黒川田楽橋近辺にて

12月12日(月) <「表紙に「磁器土アクセサリー」(陶芸)・・・>
表紙に「磁器土アクセサリー」(陶芸)を掲載した。磁器土を使って制作した小物であるので家の窯で完成させた。勿論、これもmieuへの贈り物の一環である(12/7コラム=ここ=参照)。先日、銀粘土でのアクセサリー作りを体験したが(12/9コラム)、今回の磁器土アクセサリーは実は銀粘土の予行演習として試作したのものである。磁器土を使っての造形は馴れているので簡単に制作できたが、想定外であったのは銀粘土ではとてもこのような形状は制作できないこと。銀粘土は高価であるので肉厚の部品を作ると膨大なコストがかかる。その点、一般粘土ならばほとんどタダのようなコストで自由に形を作ることができるので、陶芸はやはりありがたい。以前にも陶芸のアクセサリーを作って遊んだことを思い出して調べると2007年(=ここ=参照)と2009年(=ここ)であった。この時にも痛感したのであるが、アクセサリー作りは陶芸部品を如何にネックレスやストラップなどに仕上げるかが問題となる。今日掲載したアクセサリーもこれが第一歩で本当のアクセサリー作りはこれから始まる。


12月13日(火) <「重さ80kgのキットカット」・・・>
「重さ80kgのキットカット」の記事が目に付いた(=ここ)。キットカットはご存じの通りNESTLEが製造するウエハースをチョコレートでコーテイングしたチョコレート菓子。このキットカット、名前が「きっと勝つ」を連想させるので受験シーズンに縁起物としてよく売れるという。更にこれに便乗する形でメーカーでは自分だけのオリジナルのキットカットを受注するサービスを2年ほど前からやっている。実は先日ニューヨークに住む孫娘のために「受験に勝つ」特注のキットカットを注文した。写真や文字をパソコン画面で自由にデザインして注文は極めて簡単(サイト=ここ)。できあがりも上々で既にニューヨークへは送り済み。我が家の分のキットカットも箱を残して中味は食べてしまった。今日のニュースにあったキットカットは受験シーズンを控えて受験生応援のためメーカーと東大の料理サークルの学生が共同で作った特別に長さ1m、縦60cm(二本分)、厚さ20cm、重さ80kgの巨大キットカット。天下太平のイベントのように見えるが、このチョコレートを食べられる受験生も食べられない受験生も浮かれている訳にはいかないだろう。
12月14日(水) <ヒッグス粒子の”存在の兆候”・・・>
ヒッグス粒子の”存在の兆候”をつかんだと発表されたことが今日の大ニュースとなっている。ヒッグス粒子は万物の質量の起源となったとされる。”神の粒子”と呼ばれるほど現代物理学の根源に係わる粒子で、世界中の物理学者が40年以上存在を確認しようとしてきたが発見できなかった。宇宙の成り立ちをビッグバン理論で説明する場合もこの粒子が重要な位置づけになるという。今や最先端の現代物理学の内容にはとてもコメントはできないが、驚嘆するのは粒子発見をするための組織力である。今回の発表はかのCERN(スイスにある欧州合同原子核研究機関、私などは「ダヴィンチ・コード」の続作、CERNを舞台とした小説「天使と悪魔」を思い出す/日本の多くの研究機関もCERNに参画している)の巨大粒子加速器を使い大勢のメンバーからなる2チームがそれぞれに観測した結果を報告したもの。粒子加速器を使い陽子と陽子を衝突させてヒッグス粒子ができるのは1兆回に1回ほどで、できても直ぐになくなるので衝突で出る光や粒子の痕跡を探すそうだ。そしてヒッグス粒子の痕跡をAチームは98.9%、Bチームは97.1%の確率で存在を確認したというのが今回の発表内容だ。素粒子物理ではこの確率が99.9999%以上で「発見」と認定するので、今回は「存在の兆候」となった。・・「宇宙の成り立ち」などと、およそ浮世離れしたこんなニュースに接するだけで何ともホッとして気分が明るくなるのはどうしてだろう。実利的でない話題はそれだけで清涼感がある。
今日の表紙 には「アクセサリー2」(陶芸)を掲載した。前回掲載の「アクセサリー素材」をネックレスなどにしたもの。


12月15日(木) <自動車免許の更新・・・>
自動車免許の更新のために必要な「高齢者講習」を初めて受講した。今日、12月15日は講習のため決して忘れてはならない日であった。というのは「免許更新のための講習会のお知らせ」を受け取ったのが8月15日で、期限は半年先まであるけれども念のためと8月18日に予約を入れたところ、その時点で12月15日しか空きがなかったのである。「高齢者講習」の通知を受けたら直ぐに講習の予約をしなければ免許の更新もできなくなる。さて、その講習の中味は楽しいものだった。意外だったのは一緒に講習を受けた人数はわずか6名(従って予約が直ぐに満杯になると納得)。更に3名づつのグループに分かれて実際の車運転診断とシミュレーションテスト(動体視力や視野検査などを含む)を行った。教習所内でS字カーブやクランクなどを廻ったのは何十年ぶりか。仮に縁石に乗り上げたところで不合格にはならないというので何のための実技講習か疑問もあるが深くは追求しない。実際の車(ホンダ・シビック)を使って運転できただけでも面白かった。講習の所要時間はたっぷり3時間!

12月16日(金) <表紙に陶芸の新作品・・・>
表紙に陶芸の新作品を掲載した。「組み合わせピラミッド型遊具/素材」と長たらしい名前を付けたが、底辺が約30cmの四角錐を構成する4個の素材が出来上がったのである。四角錐の角度はギザの大ピラミッドと同等の52°に計画した。はじめからピラミッドの立体型を制作しても良いが容積がおおきくなり焼成用の窯の中でも大きなスペースを占めることになる。今回の4枚の板素材は二枚づつを重ねて焼成したので焼成に関してはエコ(?)。その代わりにピラミッドの形を作り遊具としての機能を持たせるにはこれからが一仕事となる。それにしても第1ステップとして磁器土の焼成は成功だった。クリスマスまでに完成はしないかも知れないが組み合わせの途中経過を随時掲載してみたい。

 12/17分
12月17日(土) <昨日の続きでピラミッド・・・>
昨日の続きでピラミッドを書こう。表紙には新しく昼間の光で撮影した写真(ピラミッド型遊具の素材)を掲載した。昨日の写真は夜電球の光で撮影したが、これではどうしても白磁器の白の色がでないので、今朝太陽光のみで写真を撮り直したもの。遊具としての工作がこれからだと昨日のコラムで書いたが、遊具の基本は「球転がし」。以前制作した「バベルの塔」その他(=陶芸コーナー2009球転がりプレイランド2005参照)と違って今回初めて挑戦するのは四角錐の各面を球が転がって下りるところだ。最後にはまた頂上まで自動的に登り、これを繰り返すようにしたい。円形を描いて球が下るのでなく直角に廻るところが微妙。同じルートを下るのでなくルートを変更できるようにもする。磁器土を使って球が転がるときの「音」を響かせたかったが、これは思った通りにできそうにない。音の要素をどこで作るか思案中である。その他、ピラミッド内部に照明を付けるのは容易なのでやるかも知れない。・・また完成する前に”皮算用”をしてしまった。それにしても「動き」を伴う作品は写真だけで紹介しきれない。YouTubeなどで動画を取り込むのがいいのだろうか。先は長い・・。
12月18日(日) <昨晩は一足早い「クリスマスデイナーショー」・・・>
昨晩は一足早い「クリスマスデイナーショー」を楽しんだ。場所は千葉県茂原市・真名カントリークラブ(ゴルフ場)のレストラン。ここは「生命の森」と呼ばれるリゾート地の一角にある。東京からはかなり遠いが、日比野和子さん(私と同年の従姉妹)が企画し司会をする会なので期待して参加した。音楽は彼女としばしばジョイントを組むジャズピアニストの野田正純さん、バイオリニストの穴沢雄介さん、パーカッションの小川このんさんなど。穴沢雄介さんは全盲のバイオリニストで自ら作曲も行う。目が見えないにもかかわらずいつも明るく軽快な音楽を聴かせてくれる。今回穴沢さんがホームページを開設されていることを知った(=ここ、音声でインプットする装置を使うとか)。この日の出演者は大震災の被災者を応援するチャリテイーコンサートを開くなど損得勘定でない音楽の活動を地道に続けている。「クリスマスデイナーショー」も皆が楽しく穏やかな時を共有するための演出が伝わってきて心地よかった。音楽会の前に「生命の森」の施設(トリニテイ書斎)14階から夕日を見ることはできたので写真を掲載する。はるか房総半島越しには富士山、眼下にはメタセコイヤの紅葉を見ることができた。

写真撮影は2011-12-17@生命の森リゾート(千葉県長柄町)

12月19日(月) <北朝鮮の金正日総書記死去・・・>
北朝鮮の金正日総書記死去の突然のニュースにも特別のコメントを持ち合わせない。ただ、享年が私と妻の丁度中間、69歳と聞いてある種の感慨を覚える。どんな独裁者も、権力者も人間は必ず死を迎える。私の周辺には決して権力者でないが元気に余生を過ごしている人が多い。けれどもその過ごし方は人それぞれ皆違う。悠々自適という言葉があるが”自適”の内容は千差万別。60歳ほどまでの経験と権力が忘れられず過去の中に生きている人もいれば次々に新しい分野を開拓する人もいる。いつも他人の粗探しと愚痴ばかりの人もいれば感謝の言葉と他人の良いことだけを言う人もいる。全てを他山の石として、さて自分はどうするかであるが鏡でもなければ自分が一番見えないことも確か。世の中には死ぬまで他人のために何かをやっている人もいる。積極的に"他人のため”でなくても生き様を見るだけで勇気をもらえる人もいる。「やがて死ぬ」のはみな同じ。せめて「自適」の中に他人様を思う心を持ちたい・・。

12月20日(火) <今日感動したこと・・・>
今日感動したことは「孫娘の演奏」、とジジバカなことを書くのをお許し願いたい。ニューヨークに住む孫娘MIEUがマンハッタンでバイオリンの演奏をしたときの映像がYouTubeにあることを知った。見始めると、こんなことを言うとおかしいが大人のバイオリニストのような音楽性と迫力に心底感激した(You Tube演奏=ここ/ピアノ伴奏は娘)。MIEUはまだ小学5年生。けれども今は世界中に同じレベルの天才少年少女演奏家がひしめいているのも確か。MIEUは将来宇宙飛行士になることが夢ともいう。空手道場でまだ空手も続けているようだ。MIEUの演奏を聴きながら最早孫娘であるという意識でなく一個の人間として成長を見守りたいと思った。感動をありがとうと言いたい。
「今日の表紙」にはピラミッド型に組み立てた遊具/制作途中(陶芸)を掲載した。まだ工作の半ばで完成までの道のりは遠い。


12月21日(水) <蛇崩川緑道を散歩・・・>
蛇崩川緑道を散歩した。蛇崩(じゃくずれ)川緑道とは東京の目黒区から世田谷区にかけて整備された全長4kmほどの緑道で、目黒川水系の支流である「蛇崩川」を暗渠として蓋をした部分を歩道としたもの(雰囲気例=ここ=)。はじめは特に蛇崩川緑道を通るつもりはなく、妻とi-phoneの道路ナビを使いながらある目的地へ向かって歩いていたところ途中でこの緑道に巡り会った。そして自動車も来ないし周囲の雰囲気も気持ちの良い道だったので思わず長々と緑道を散歩してしまったのである。私も妻も長年東京に住んでいるが蛇崩川緑道を歩いたのは二人とも初めてだった。今更ながら東京は広い、未だ知らないところだらけだと思う。歩けば歩くほど新たな魅力に遭遇する。目的地へ最短で行くよりもかなり余分に歩いたけれども十分に満足できる散策だった。
12月22日(木) <箱根「彫刻の森美術館」・・・>
箱根「彫刻の森美術館」にいった。この美術館は箱根の山々を眺めることができる広大な敷地に数多くの野外彫刻が展示されているユニークで贅沢な美術館である(案内=ここ)。今回はイベント会場(屋内)で開催されている「現代彫刻作家展」の案内を知人からいただき、この展覧会を見るのが主目的(12/25まで、案内=ここ)で、”現代彫刻”は私も大好きなのでどの作品も興味深かった。そんな中、「彫刻の森」で”現代彫刻”の意味を考えさせられた。彫刻に限らず「現代アート」といわれる全般について当てはまるが、2011年の現代と1911年の”現代”の違いは何かということ。この100年間に何が進化し何が創造されたのか。20世紀美術界の巨匠ピカソ(1881〜1973)の特別館がこの「彫刻の森」の一角にあるが、「現代アート」とはピカソの時代と何が違うのか。野外に展示されている多くの彫刻群は何十年も前のすばらしい”現代彫刻”だ。これが科学技術であるとコンピュータ、飛行機、自動車その他100年間の激烈な進化を明確に語ることができるのに・・。「現代アート」を今創造するのは何と難しいことか・・。
「今日の写真」は彫刻の森にて、いつも変わらぬ私のお気に入り球体を二つ;
 
2011-12-22@箱根彫刻の森にて

12月23日(金) <ユニセフ・・・>
ユニセフというと知っているようで知らない。確か黒柳徹子さんがユニセフの親善大使をやっていることは知っているが、UNICEFが何の略号か私は言えない。調べてみると、今はUnitedNations Children's Fund(国際連合児童基金)がユニセフであるが、当初、United Nations Internatoional Children'sEmergency Fund(国際連合国際児童緊急基金)と称した頃の略号がUNICEFで、正式名称が変わったけれども略称はそのまま使用されているという。ユニセフのことを話題にしたのは今日恵比寿ガーデンプレイス(東京)に行ったところユニセフのイベントの最中だったからだ。中でもガーデンプレイスの入口の場所で音羽ゆりかご会の可愛らしいメンバーが共同募金を呼びかけているのが一際目に付いた。それも冷たい風が吹きすさぶ中で大声を出して募金を呼びかける姿は何ともけなげだった。私が一度前を通り過ぎた後、戻ってきて募金箱にお札を入れると全員で”ありがとうございま〜す”と大合唱。子供たちこそ、恐らくは見も知らぬ外国の子供のために無償奉仕をしてくれてありがとう・・。年末のこの時期に大震災の被災者への応援をもまた実行しなければならない。
左端には東京タワーがみえる

2011-12-23@恵比寿ガーデンプレイスにて。写真下はタワー39Fからみた夕日

12月24日(土) <今年のクリスマスイブ・・・>
今年のクリスマスイブも夜半のミサに行った(今帰ってきたところ)。昨年と同じ聖心女子大学聖堂(東京・広尾)で夜8時から始まるミサ。信者でもない私たちでもこの日には遠慮なく聖堂の中に入りミサに参加することができる。教会でのクリスマスは世間での浮かれた雰囲気とは全く違うのは言うまでもない。元来が”救い主としてキリストがお生まれになった”=”主の降誕”を祝う行事であるから、見知らぬ人からも”おめでとうございます”と挨拶をされる。今年は大震災被災者への募金もあったが、常に弱い人、貧しい人に目を向けるのは「飼い葉桶」に寝かされていたイエス生誕の経緯ともつながるのだろうか。クリスマスプレゼントやクリスマスケーキとひと味違う「教会ミサ」はキリスト者でないものにとっては間違いなく"非日常”を体験させてくれる。
2011-12-24@広尾(東京)駅前にて

12月25日(日) <年の暮れには・・・>
年の暮れには何か寂しさが漂う。「いねいねと 人にいはれつ 年の暮れ」(路通/芭蕉の弟子)という句をみて一層やりきれない思いが募った。「いね」は関西地区の言葉で「去ね、行け、立ち去れ」の意。路通ほどに深刻でなくても現代では年末に役立たないダンナが「いね」と言われて行き場を失う場面を思う。芭蕉にはこんな句がある:「蛤(はまぐり)の 生けるかひあれ 年の暮れ」。年が明けて正月になると蛤はお吸い物になって食べられてしまう。年の暮れの蛤(はまぐり)の生き甲斐を思うのはつまり我が身の生き様・生き甲斐を連想しているのだろう。何もしなくても確実に年は暮れ、新年が来ることは承知はしていても、年の暮れだからこそ”片付けて”おきたいことが山積している・・。

2011-12-25@新宿にて
12月26日(月) <テニスをダメにしたWOWOW・・・>
「テニスをダメにしたWOWOW」がテニス仲間では常識。今日テニスに行って今年最後のプレーを楽しんだ。それはそれでよいが、テレビで世界の一流のプレーを見ようと思うとWOWOWしかないのである。WOWOWは有料で視聴料を支払わなければ見ることができない。NHKに受信料を払っていても全く関係のない有料のBSデジタル放送であるWOWOWがテニス番組を独占しているので、一般の人はテニス番組を見る機会がほとんどない。子供も若者も世界のテニスプレーヤーに憧れてテニスを始めることもないし日本一のテニスプレーヤーの名前さえ知られない。WOWOWがテニス産業を衰退させたのである。もし、ゴルフのテレビ番組が全て有料であったとするとゴルフ全体が一挙に衰退することを考えたことがあるのだろうか。今日、たまたまインターネットでニュースを見ていると年明けに全豪オープンテニスが生中継されるという、WOWOWで・・。その後、全仏もウィンブルトンも全米オープンも全てがWOWOWオンリー・・。今やテニスはマイナースポーツとなってしまったのでマスコミではWOWOWの独占を非難する声さえでてこない。”無料で”コナーズ対ボルグの名勝負をビデオで撮った時代が懐かしくなる。意地でもWOWOWなどに加入しないぞ・・。
12月27日(火) <ピラミッド型遊具/制作途中2・・・>
「ピラミッド型遊具/制作途中2」(陶芸)を表紙に掲載した。陶芸で制作した素材を使って内部に仕掛けを装着する作品作りを少しずつではあるが進捗させている。内部の鋼球リフテイング装置を見せられるのはこの時しかないので、あえて制作過程の写真を撮影したもの。年末の何かと用事が多い時期にほんの少しずつでも工作仕事を続けられることをいつになく有り難いと思うこの頃。雑念なくモノツクリに専念できるときが一番幸せとつくづく感じる。裏を返せば、生活の基盤が激変させられる兆しがあるのでいつまで楽しくモノツクリをやっていられるか分からない。それとは別に陶芸をも以前と同じように継続できない事態となりそうだ。しかしまた更に考えれば、本当に深刻な事態は”兆し”も憂鬱な愚痴もコラムなどに一切書けないことではある(息子が亡くなる前の厳しい闘病生活に関しては一言も触れずに推移させた)。文句を言いたいときには東日本大震災の被災者に思いを馳せよう。何一つ悪いことをしなくても全てを失うこともある。生きているだけで幸運とも思える。必要なのは文句ではなく助け合い・・と変なところに話がいってしまった。


12月28日(水) <左膝の調子・・・>
左膝の調子が明らかによくなった。このところウォーキング(散歩)の度に以前と比べて歩くスピードが格段に速くなったので喜んでいる。速歩のスピードをコンスタントに続けられるのが有り難い。3〜4年前にはそうはいかなかった。左膝が不安定で脚を伸ばした後、ガクリと傾き痛さを感じることがあったので恐る恐る歩いていた(テニスの場合は重心を落として膝を曲げた姿勢を続けた)。ほとんど完治の状態まで回復した理由を考えてみるに、やはり毎日欠かさずやってきたリハビリというか膝運動しか思いつかない。主にはスロースクワットなど腰の鍛錬で適宜膝の運動も取り入れた。ウォーキングもやってはいるが歩数で言えば毎日1万歩はとてもできていない。これからはもっと歩くことも必要だろう。最近、刺激を受けているのが茂木健一郎さん(脳学者)の歩き振りだ。あの超多忙な人が先日は自由が丘から横浜のみなとみらいまで歩いた記事を書いていた(=ここ、12/6分)。とにかく茂木さん、よく歩く。私もこれからは5km、10kmは歩ける距離と考えよう・・。
「今日の写真」は近場の散歩コースで撮ったので以前も同じような写真を掲載したかも知れない。
 
2011-12-28(左)西郷山公園にて (右)菅刈公園にて /各目黒区・東京

12月29日(木) <38年間続いた陶芸教室が閉鎖・・・>
38年間続いた陶芸教室が閉鎖される。代官山(東京)ヒルサイドテラスの中にある陶房テラが来年2月いっぱいで終了することが本決まりとなったのである。私はこの教室に丁度10年間通った。この教室からは多くの陶芸作家が育ち現役で活躍している。また場所柄、この教室でいわゆる有名人や芸能人が焼き物を試みた例を沢山知っている。例えば、SMAPのメンバーがテレビ収録の関連で陶芸を試みたとき、メンバー全員が一切の手抜きなしにすばらしい集中力で作品造りをしたのに驚いたこともある。美智子皇后がお忍びで隣の建屋にお越しになったときには帰ろうとしたら数分間教室の中に足止めをされたこともあった。今や思い出話をしても何も進展はしないが、この場所で”経済性”だけを取り上げれば陶芸教室を開くよりも他の用途に変える方が得なのであろう。あるいは陶芸窯があるだけでクレームを発する住民が周囲にいるのかも知れない。それにしても約40年間続いた歴史を損得勘定や誤解だけで断絶させるのは無念である。如何ともし難いならばこの先のことを考えなければならない・・。
12月30日(金) <「奥の細道」の序文・・・>
「奥の細道」の序文:「月日は百代の過客にして、行きこう年もまた旅人なり。舟の上に生涯をうかべ馬の口とらえて老を迎うるものは、日々旅にして、旅を栖(すみか)とす」は松尾芭蕉が旅に出立する際に綴ったもので、この時芭蕉は46歳であった。予期したように旅の途中で「旅に病んで 夢は枯野を かけめぐる」の句を残して芭蕉が客死したのは51歳。当時は”人生わずか50年”の時代で、40歳は初老といわれた。それにしても”来ては去る年々が二度と還らぬ旅人”であることだけはいつの時代も変わらない。年の瀬も押し迫り二度と戻らぬ年がまた一年過ぎ去ろうとしている。杜甫が「人生七十古来希なり」と詠った古稀の年もあっと言う間に過ぎ去った。昔の人の倍もの寿命をいただいた人間が何をすべきか。少なくともじっと一箇所に留まることなく、歩け続ける{旅人」でありたい。

12月31日(土) <2011年が終わろうと・・・>
2011年が終わろうとしている。3・11東日本大震災に襲われ、更に続いた原発事故に絡んだ原発安全神話の崩壊など決して忘れることのできない歴史的な年。「無事」に過ごした私たちが社会的には微々たることしかできないもどかしさを感じた年でもあった。大震災の被災者などに目もくれない人たちがいる一方で縁もゆかりもない人に献身的な援助を続けている多くの人もいる。人様々な中で、やはり今年は「絆」を思い起こした年であった。
このページを見ていただいたのも「絆」。本当にありがとうございます。よい新年をお迎え下さい!
2011-12-31今年最後の写真として胡蝶蘭を掲載

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