これまでの「今日のコラム」(2012年 1月分)

1月1日(日) <「迎春」・・・>
「迎春」を今年の年賀状のタイトルとした。言うまでもなく昨年の東北大震災に絡んで”おめでとう”とは言い難かったのである。賀状の絵にはこのページの表紙に掲載した龍の画(ペンと水彩)を採用。この絵は「2012」の文字を絵の中に組み込むことだけを考えて図柄を作った。一部には「HAPPY NEW YEAR ! 」も潜り込ませたが見難いかも知れない。龍の絵を描くに当たって12年前の賀状の龍が見つかった。この時は賀状を作り終えた年の瀬に義母が92歳で亡くなったので急遽賀状をストップさせた経緯がある。2000年のこの賀状原案、いま見ても気合いを入れて描いているので下に掲載させていただく。これから元旦の初詣に江ノ島の神社(神奈川県・藤沢市)に行く予定。・・皆々さまに本年がよき年となりますようお祈りいたします!
   2000年未公開分

1月2日(月) <今朝は9時前に墓参・・・>
今朝は9時前に墓参を済ませた。2日は息子の月命日でこの日の墓参りを欠かさない。昨日の元旦は江ノ島(藤沢市)の絵島神社(藤沢市)に初詣をしたり鎌倉八幡宮に立ち寄ったりしたが、混雑する人々の”人いきれ(熱)”の中での新年のスタートだった。それに対して今日の九品仏・浄真寺(東京・世田谷)の何と静かであったことか。年の初めに神仏にお願い事をする内容は人それぞれであろうが、これだけ多くの人の願いを受ける神様の方も大変だろう。「人事を尽くして天命を待つ」という。「人事を尽くす」=人ができる限りの努力をする=のは決して容易ではないけれども、試験とか何かを競う場合には結局はその人なりの最大限の努力をしたら後はくよくよせずに成るに任せる他にない。それでは”災いが来ませんように"、"幸せになりますように”、”健康でありますように”などと願いをするときに「人ができること」は何だろう。人は神仏に願いをする時点で願い事に対して自分でできる「人事」を無意識に実行しているような気がする。だから謙虚に目をつぶり手を合わせるだけでも十分に意味がある・・。
 
2012-01-02@九品仏・浄真寺(世田谷区)にて(犬が飼い主の戻りを待っていた)

1月3日(火) <正月恒例の大学箱根駅伝・・・>
正月恒例の大学箱根駅伝は東洋大の圧勝に終わった。昨日は往路、2区でトップに立った東洋大がそのまま1位を続け5区柏原の前人未踏の大記録も加えて往路優勝を果たした(チーム全体で往路新記録)。私たちはその様子を外出先で移動しながら妻の i-phoneで状況を逐一確認しながら楽しんだ。今日は自宅のテレビで箱根芦ノ湖畔から東京大手町までのレースをのんびりと見た。最後まで続いた東洋大の完璧な走りは見事だった。大学駅伝は毎年選手の卒業によってメンバーが入れ替わり、4年経つと今の選手は全員いなくなるので栄枯盛衰が激しい。伝統校でも有力選手の補強がなければあっと言う間に大会にも出られなくなる。今年の大会では、一昔前の名門、日大や亜細亜大の姿がない。東洋大も今の隆盛がいつまで続くか、それは大学当局の選手補強のポリシーにかかっているのだろうか。
箱根駅伝 と辰年で思い出すのは丁度12年前の2000年。1999年から2000年に変わる時点でコンピュータのデータ処理に不具合が発生しないか、いわゆる「2000年問題」に対応するため正月の3日に出勤した。午前中に大手町のオフィスで緊張して対応に当たったが幸い大きな問題はなく、ホッとした午後、オフィスの直ぐ側に箱根駅伝のゴールがあり大勢の人が騒いでいるのに気がついた。あれから12年か・・。2000年正月3日のコラムにこのことを書いているのを見つけて懐かしくなった(2000年1月コラム=ここ)。

1月4日(水) <本屋さんは生き残れるか・・・>
本屋さんは生き残れるかと余計な心配をする。友人からの年賀状で最近こんな本を読んで感動したと本を紹介してくれたので直ぐにインターネットで注文した。以前から著者名も正式のタイトルも知らないけれども興味があった本があり、これもインターネットでキーワードを入れて検索するとズバリの本名が分かり一緒に注文した。今日だけで3冊の本をインターネットで注文したことになる。そして昼前にアマゾンで注文した2冊が、夕刻には(先ほど)もう自宅に配達されたのである(配送料ゼロ)! 実は昨日近所の駅ビルの中にある本屋さんにいって遊んできたところ。大きな本屋さんであるが専ら売れ筋の本を中心に品揃えしている。このような本屋さんで色々な分野でのベストセラーランキングを見て回るのも結構楽しい。書評などを吟味せずにベストセラー本を買うと意外に”ハズレ”のこともあるので必ずしも売れている本を買うことはない。それにしても実に多くの新刊書が次から次に発売になる。20〜30分間ほど本屋さんにいたがが結局購入はしなかった。今日ネットで注文した本もそれとなく探したが見つけることはできなかった。私にとっては本屋さんは購入する場所ではなくタイトルや装丁を眺めて楽しむカタログのような存在になってしまった。
今日の写真として我が家の正月用玄関風景を掲載する。花器は昨年4月に陶芸で制作したもの(花器=ここ=参照)。
2012-01-04@玄関先

1月5日(木) <元旦=20歳、2日=32歳・・・>
元旦=20歳、2日=32歳、3日=29歳、4日=20歳。これは任天堂のWii Fitで判定された私の「バランス年齢」である。毎日の健康管理用に「バランスWiiボード」の上に乗って体重やBMI値(Body Mass Index=肥満度)をチェックした後、重心バランスや運動能力を測定して判定されたもの。何か煽て(おだて)られて喜んでいる気配もするが、”実年齢マイナス50歳です”とされても反対に有難味がなくなる。この「Wiiフィットネス」をもう1年近く続けている<調べてみると昨年の1月18日のコラム(=ここ)にWiiフィットネスを始めたことを書いていた>。運動能力の計測プログラムは何種類かあるが毎日続けていればやり方に習熟してくるので成績がよくても実は威張れたものではない。それでも油断をすると希には”バランス年齢70歳です”と言われることもあるので、また続けてしまう。問題はWii Fitのメイン機能である運動トレーニング(筋トレ、ヨガ、各種有酸素運動など)を最近ほとんど活用していないこと。新年のスタートに当たりWii Fitによるトレーニングを開始したいが・・。
今日の写真は正月用照明を掲載する。照明具は昨年8月に陶芸で制作した「本型照明具」(=ここ)。
2012-01-05正月照明具

1月6日(金) <”一歩一歩着実に進んでいる”・・・>
”一歩一歩着実に進んでいる”とするか、”遅々として進まない”とみるか、同じことがどちらとも言える。今日の表紙に掲載した「組合せピラミッド型遊具/制作途中3」(陶芸)のことで、昨年末に「制作途中2」まで掲載したので、もうそろそろ「完成」と言いたいところだが、まだ未完成。それでも年末から正月と少しずつは手を加えているので完成に近づいているのは確か。鋼球のリフト装置や内部の電灯器具などは完成済みなのでもう一息である。ところで、進み具合が遅いのは陶芸教室の閉鎖が発表されたことも一つの要因であると思われる。作陶展に出品しようと張り切っていたところが完成させても誰にも見せるチャンスがないとなるとモチベーションがなくなる。それほど意識はしていなかったけれども”発表の機会”が失われるとこれほどまでにやる気が失せるものかと少々驚く。考えてみると今はインターネットでこんなことを書いて写真だけでも掲載(発表)できるのが実に有り難い。

今日の写真は目黒川(東京)沿いで日光浴をする鳥たち。
 
2011-01-06@目黒川・田楽橋脇にて

1月7日(土) <七草粥・・・>
七草粥を初めて自分で作ってみた。といっても極めて簡単。市販の七草セット(今日使ったのは愛媛県西条市の西条七草)の七草を先ず塩茹でした後、ザルにあげて水を切って、みじん切りにしておく。これを次に作ったお粥の上にかけて混ぜ合わせると出来上がり。これ以上簡単な料理はない。それなりに美味しくいただいたけれども、七草セットでは「七草」のそれぞれを十分に判別はできなかった。春の七草はご存じの通り、セリ(芹)ナズナ(薺)、ゴギョウ(御形)、ハコベラ、ホトケノザ(仏の座)、スズナ(菘)、スズシロ(蘿蔔)であるが、スズナ=蕪(カブ)とかスズシロ=大根は小さな根株がついているので分かるが、葉だけ見ていると、どれがセリ、ナズナ=ぺんぺん草はどこか、さっぱり分からない<七草セットは丁度ネットでの写真=ここ=のようなものだった>。料理を作るときは直ぐにみじん切りにしてしまったが、今になって七草それぞれをもう少し区別して鑑賞すればよかったのにと悔やんだが後の祭り<例えば=ここ=の写真と比較すればよかった>。
1月8日(日) <イイギリの赤い実・・・>
イイギリの赤い実を今日ほどじっくりと観察したことはない。たまたま自然教育園(東京・港区、サイト=ここ)にいくと樹木全体に沢山の赤い実を付けた大きなイイギリが至る所で目に付いた。地面にはまた束になって落下した無数の赤い実が散乱している。この時期、千両や万両の赤い実はお馴染みだが、見上げる巨木にこれほどの赤い実を見たのは初めてかも知れない。葉が全て落ちてしまっても赤い実が残るので赤い実が花が咲いたように華やかに見える。面白いことにイイギリの赤い実は葡萄の房のように束になって垂れ下がっている。教育園のスタッフの話しだとイイギリの実は美味しくないのか鳥は他の実を先に食べて好んでイイギリの赤い実を食べに来ることはないという。真っ赤な実の中には更に沢山の細かい種があった。家に帰って改めて調べるとイイギリの名は葉で飯を包んだ「飯桐」が由来。今の時期の赤い実が南天(ナンテン)に似ているのでナンテンギリ(南天桐)と言うことも知った。<イイギリの植物図鑑サイト例=ここ
 
2012-01-08イイギリの赤い実@自然教育園

1月9日(月) <蔦谷書店・・・>
蔦谷書店が代官山(東京・渋谷区)に華々しく店をだした。昨年12月にオープンしたのは知っていたが改めて訪れてみると「TSUYAYA」の概念が変わる。TSUTAYAはビデオやDVDなどのレンタルショップとしてのイメージが定着していたが今回蔦谷書店が展開しているのは専門書店の集合体とでも言うべき巨大書店。人文系、芸術、建築、料理、旅などそれぞれの分野でマニアが感激しそうな品揃えだ。この場所は以前ノースウェストが所有していた4000坪の空き地であったが、その後駐車場になったり2000年8月にはヒマワリ畑にもなった(8/1コラム=ここ=に書いた)一等地。その広大な土地の中心に3棟の「蔦谷書店」が陣取る。今年1/4日のコラムで「本屋さんは生き残れるか」と書いたが、こんな贅沢な書店をオープンする蔦谷の戦略に驚く(代官山蔦谷書店のホームページ=ここ)。TSUTAYAは江戸時代、歌麿や写楽の浮世絵の出版で知られる蔦谷重三郎から店名をとったことで知られるが、代官山の店名をTSUTAYAとせずに「蔦谷書店」としたところが反って新鮮に見える。
 
2011-01-09@代官山<右、正面の建屋共に蔦谷書店>

1月10日(火) <三軒茶屋・・・>
三軒茶屋にある世田谷警察署まで自転車で行った。自動車では何度となく通っている玉川通り(国道246号)を自転車で走ると街の見え方が違うので面白い。これまで余り気にしなかった町名の由来にも興味が湧く。江戸時代に「大山道」と呼ばれ丹沢山系の大山、阿夫利神社へ参拝に向かう人が主に利用した街道があったが、やがて「新大山道」と呼ばれる大山への近道ができた(今の246号線)。この分岐点の近辺に3軒の茶屋があり、これが三軒茶屋の名前の由来という。三軒茶屋の少し渋谷寄りには三宿とか池尻がある。この近辺は今でも坂を下った低地であるが、江戸時代には池があった沼沢地で、池尻村など池の名のつく村や水宿(水の宿る地、これが転じて三宿)の名があったそうだ。・・自転車を使うと東京の街に山谷を感じるので地名や歴史が身近になることがしばしばある。渋谷は正に谷間にある。それにしてもわずか150年前には江戸城下からほど遠い渋谷村が繁華街になっている。次の100年後に各地がどう変容するかは予測できるものではない。

1月11日(水) <ヒトはどうして死ぬのか・・・>
「ヒトはどうして死ぬのか」<死の遺伝子の謎>(田沼靖一著/幻冬舎新書)を読んだ。同じ著者の「ヒトはどうして老いるのか」<老化・寿命の科学>(ちくま新書)と内容が重複する所もあるが最新科学で老いとは何か、死とは何かが解説されている。著者は「細胞がどのように増殖・分化するか」という従来の見方から「細胞はなぜ死ぬのか」に視点を変えて「死の科学」に発展させている。遺伝子に制御された細胞死のメカニズムが説明されているが、印象に残った文章を一部書き出してみよう。「人間の身体の中では毎日約200グラム(ステーキ一枚分)の細胞が死んでいる。・・死んだ分だけ細胞は補われる=分裂・増殖機能を持つ再生系細胞による新陳代謝」、「増殖せずに生き続ける非再生系細胞の代表例は脳の神経細胞や心臓の心筋細胞・・」、「人間の大脳皮質では一日あたりおよそ10万個の神経細胞が死滅している・・」、「種の絶滅を回避する最も確実かつ安全に回避する手段は古くなってキズがたくさんついた遺伝子を個体ごと消去すること」、「細胞にプログラムされた回数、あるいは時間が尽きれば個体は死を迎える」、「死の機構が生命の連続性を担保している」。著者があとがきで「死は、今生きていること存在していることがどんなにすばらしいかを教えてくれる」、「生きることのすばらしさは・・周囲の人たちを愛し、大切な人に惜しみなく愛情を注ぐことから生まれてくると思う・・」と書いているのにも共感する。
 
2012-01-11@明治神宮、右はJR原宿駅駅舎(左の森が明治神宮)

1月12日(木) <この冬一番の冷え込み・・・>
この冬一番の冷え込みで都心では気温0.7℃と報じられている。北海道・陸別では氷点下29℃というから北海道や東北と比べると東京は暖かなものかも知れないが、早朝の道路掃除にでた時にはやはり"今朝は寒い”と身震いした。それでもこの程度の気温だと少し動くと身体が温まり全く寒さを感じない。それは午前中のテニスでも同じこと。気温が低いと言っても快晴の下、テニスで流す汗は心地よい。テニス仲間が公園で拾ってきたといって「カリン」をいただいた。カリンの蜂蜜漬けでも作ってみるか・・。この時期、冷え込みなど全く意に介さぬように水仙が咲いている。「水仙や 寒き都の ここかしこ」(与謝蕪村)。「そのにおい 桃より白し 水仙花」(松尾芭蕉)。
 
2012-01-12水仙と万両@東京・渋谷区

1月13日(金) <表紙に陶芸の完成写真・・・>
表紙に陶芸の完成写真を掲載した。以前から作品名を「組合せピラミッド型遊具」としているが掲載した写真のように「照明」の機能もある。三角形の板4枚を組み合わせてピラミッドを構成し内部にランプを付けた。それだけなら簡単だが、内部にはまた直径7mmの鋼球を最上部まで持ち上げるリフト装置も装備している。鋼球は最上部からピラミッドの最下部まで周囲の壁面を転がり落ちリフト装置でまた最上部に戻るという動作を繰り返すように工夫した。陶芸が完成した後に4枚の板を横断して鋼球がうまく転がるようにするのが一番苦心したポイント。遊具と名付けたので球が転がり落ちる通路を途中で変更したりドアの開閉で球の戻る位置を変えたりできるようにして"遊び”の要素も加えた。写真の左側にみえる小さなピラミッドも磁器製のスイッチボックス。照明とリフト装置の電源スイッチ用に家の窯で追加して焼成したもの。陶芸コーナー(=ここ)には別のアングルから撮影した写真も掲載したが、球が転がる様子は写真では表せない。これからはYou Tubeでも使って動画をホームページ内に組み込むことを考えてみたい。

1月14日(土) <信者の懺悔をきいて・・・>
信者の懺悔をきいて「赦(ゆる)します」と言ったとたんに自分自身も気が軽くなるとある神父さまが話す。キリスト教で罪の赦しを得る儀礼として神父さまが告白(赦しの秘跡)を聞いて「赦す」のは神に代わっての役割なのだろう。こんな話しに興味を持って「懺悔」について調べると仏教においても同じように自分の過去の罪悪を告白し悔い改める儀式がある。知らず知らずの内に作った諸悪を懺悔し、心の中にある「貪・瞋・癡(とん・じん・ち)=貪り(むさぼり)・怒り・愚痴」の三毒を取り除くというから罪悪のない人などあり得ない。キリスト教では罪はアダムとイブが禁断の果実を食べた原罪までさかのぼり、全ての人が罪を負う。新約聖書の「ローマ人への手紙」が今になって身にしみるので一部ここに引用みたい。「わたしは自分のしていることがわからない。なぜなら、わたしは自分の欲することは行わず、かえって自分の憎むことをしているからである。・・・このことをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。・・・わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。・・」(第7章15〜24節)。聖人・パウロにして、こういうことを言わしめるところが信仰の凄さに思える。
2012-01-14水車のある風景@松濤公園(東京・渋谷)

1月15日(日) <最新型のマッサージチェア・・・>
最新型のマッサージチェアを堪能した。妻と目的なく渋谷の家電量販店にいって最近の家電商品を見て回っていたところ、たまたまマッサージチェアを展示販売する場所で店員のおばさんが愛想よく勧めてくれたので試しにモミモミを体験したのである。マッサージチェアも一昔前と比べると機能が格段に進化している。背中や首、腰回りだけではなく両足の臑(すね)や腕、肩に至るまで全身のマッサージをしてくれる。それも機械的なローラーの動作を感じさせずにエアバックを併用して実に多彩で細やかな動きをする。更に使う人に合わせて部位毎(肩位置、肩幅、脚部長さなど)に調節する機能も付いている。時間に余裕があったので、おばさんの”こちらの方が最新型なので比較して”の誘いに乗って2機種で30分ほどもマッサージを続けるとすっかりリフレッシュした。最近マッサージチェアを購入してくれたカナダ人が家の中で使用している写真を送ってくれたと店員のおばさんが得意げに写真を見せてくれたのも微笑ましく好感が持てた。タダでたっぷりとマッサージを楽しませてもらったので使用した装置名を書いておこう。フジ医療器製(=シェアNo.1の業界老舗)マッサージチェアAS-750(サイバーリラックスコンフォピット)<@ヤマダ電機>。

1月16日(月) <転ぶな、風邪引くな、義理を欠け・・・>
「転ぶな、風邪引くな、義理を欠け」は年寄りが守るべき鉄則だとテニスの仲間が教えてくれた。いささか古い年代だが岸信介元首相の生活信条であったと一般的に流布しているようだ。岸元首相の言葉を有り難がることもないが分かり易い要点だけを並べているので広まったのだろう。私の勝手な解釈だと、ここでの「年寄り」は約80歳としたい。私などはまだ10年早い。今は他に”守るべき鉄則”は山ほどある。それでも注意していることには何も悪いことはない。特に「義理を欠け」には独特の視点が見て取れる。大した義理でもないのに付き合いがよすぎてストレスが溜まることが何と多いことか。一方で義理を欠いたつもりの身勝手な年寄りも困りもの。「年寄り」に望むことは周囲への感謝の気持ちを忘れずに社会へ奉仕することだ。・・今日は一日曇り空で気温も上がらなかった(東京で4℃)。どうか年齢に関係なく風邪を引かないようにお気を付けて!!

1月17日(火) <年に一度の健康診査・・・>
年に一度の健康診査にいったついでに脚を伸ばして自然教育園までいった。この時期の自然教育園(東京・港区/サイト=ここ)でいつも感心するのは冬でもよく手入れされていることだ。自然は放置されればあっと言う間に荒れ果てる。植物間の弱肉強食というか適者生存の原理に従って、自然に任せると弱い植物は死滅して必ずしも多種多様な植物を観察できる場とはならない。職員の方が不要な枯れ草を除き適度な樹木の剪定を行って今の自然教育園を作り上げているのがよく分かる。前回ここを訪れた1/8には「イイギリ」の赤い実が目立ったが(1/8コラム=ここ)、今日は「ムクロジ」の実を見つけた。ムクロジの実は堅い艶のある黄褐色の果皮を持ち、中に黒い種子が一個入っている。この黒い種子は堅くてよく弾むので羽子板の羽根の錘(おもり)玉に使用されることはよく知られている。
 
2012-01-17@自然教育園(左の赤い実の付いた樹はイイギリ) 右の写真は「ムクロジ」の実

1月18日(水) <本に感化される・・・>
本に感化される以上に、本を読んでいる人にも感化される。本をよく読んでいる人はどこか幅が大きい。物事を決めつけないで視野が広い。今年になって幾人かの友人から読んで感動したと本を紹介されたのがとてもうれしかった。先日は義兄から三浦綾子の氷点(上下+続上下/計4冊)をいただいた。以前、キリスト教の「原罪」のことをこのコラムに書いたのをみて「氷点」は「原罪」が重要なテーマだからということであった。クリスチャン作家三浦綾子(1922〜1999)が朝日新聞の懸賞小説「氷点」を投稿したのが1963年。入選して(賞金1000万円)朝日新聞の朝刊に「氷点」が掲載されたのが1964年〜1965年。当時、余りに有名な小説でその後何度も映画化もされているが私は小説を読んだことはなかった。今日から徐々に読み始めたが、テーマが重いのに読みやすいのも確か。先は長くなりそうだ・・。
「今日の写真」は新宿駅手前の線路群。これだけの線路上に 列車が一つも見えない風景を撮るのはそれほど簡単ではない。
2012-01-18@新宿

1月19日(木) <今日が「トークの日」・・・>
今日が「トークの日」とは知らなかった。ただの語呂合わせで毎月19日がトークの日とか。1979年に当時の郵政省が毎月23日を「ふみの日」と制定したのに対抗して1986年にNTTが定めたとある。わずか26年前にはトークをする「電話」といえばNTTであったことを示すものとして興味深い。日本に初めて携帯電話が登場したのは1985年、NTT製のショルダーバックのように肩にかけて移動させる「ショルダーフォン」(重量3KG)だから、当時NTTは正に携帯電話を含めた「トーク」の全てを扱った。現在の携帯は、ドコモ(NTTドコモ)、au(KDDI)、ソフトバンク、EMOBILEなど各社がしのぎを削り、様相を一変させている。「トーク」も今では固定電話は過去の遺物となりつつある。NTTが制定した「トークの日」が実際には死に体であることを納得。10年後の「トーク」は果たしてどのような形態になっているだろうか。ところで、今日は私の誕生日でもある。「今日は何の日」とは無関係でも、テニスで汗を流し、こんなコラムも続けることができて感謝感謝。

1月20日(金) <百椿図(ひゃくちんづ)・・・>
百椿図(ひゃくちんづ)をみて感動した。初雪が降った東京では昼間も冷たい霙(みぞれ)交じりの雨が降り続いていたが久しぶりに根津美術館を訪れた。気分直し程度で余り期待もせずにでかけたところ開催されていた展覧会が「百椿図」であった(案内=ここ、2/12まで)。江戸時代はじめに椿園芸ブームが起こり、同時に数多くの椿が描かれるようになった。「百椿図」は百種類以上の椿を巻物に描いた逸品。今回計24mの巻物を延々と広げて見せてくれるのは圧巻だ。椿の種類には疎い私が一番感激したのは花器というか椿を添えたバックの絵の多様さ。百種類が全て異なる独特の材料を使っている。花瓶とか篭、お膳、盃、茶碗などは珍しくないが、文鎮、硯箱、扇や扇子。色紙や本、ちりとりもあった。これらに椿がまたよく似合う。身の回りのどんなものにでも椿を乗せて描くという江戸時代のセンスは現代のフラワーアレンジメントを凌駕するように見えた。更に絵の脇には和歌や漢詩などが添えられている。何という自由で優雅な文化だろう! 根津美術館を訪れると、以前陶芸のモデルにした「双羊尊」(陶芸で制作した双羊尊=ここ)に会うために必ず常設の東洋館にもいく。今日久しぶりに再会すると3000年以上前に製作された青銅製「双羊尊」の余りの迫力に言葉がなくなった。名品をみると現代にやるべき事は何なのか考えてしまう。
 
2012-01-20@根津美術館/左は美術館エントランス /右は小雨降る庭園の池にて

1月21日(土) <子供の頃の遊び・・・>
子供の頃の遊びについて80歳近くなる(といっても現役バリバリでお元気な)義兄が小学校で講演をした話を聞いた。オニヤンマ(トンボ)に糸を付けて飛ばし寄ってくる他のトンボを捕まえる方法、ザリガニのとり方、ベーゴマの勝ち方、竹馬の作り方などの話しをすると小学生たちは目を輝かせたというが、こちらも子供時代を思い出してウキウキしてきた。私も子供の頃には今ではできない遊びの数々をやってきた。カラスを育てたり大きな樹の上に秘密基地を作ったりもしたけれど、今のモノツクリの原点と思うような遊びも多かった。アルミ製の鉛筆キャップの中にセルロイドを詰めて蓋をした後、ローソクで外からキャップを加熱すると突然に蓋の部分からガスを吹きだしシュルシュルと遠くまで飛んでいく。正にロケットだ。コウモリ傘の鉄製円筒を銃身にして火薬で鉛玉を発射できるピストルも作った。今なら補導されかねない。子供の遊びには枠にはめられない自由と創造がある。コンピュータ遊びになった現代でもコンピュータに遊んでもらう子供だけでなく、コンピュータを道具として遊びを作る子供もいるに違いない。どんな時代でも子供の遊びは文化の肥やし。遊びがなければ人類は進化しないのでないか。

1月22日(日) <今日はウオーキングの新記録・・・>
今日はウオーキングの新記録を作った。どうしても気分転換をしたかったので<このところ気分が塞(ふさ)いでばかりいる>、妻と霧雨の中をウオーキングに出かけた。一人でウオーキングに行くことはよくあるが妻と一緒はそれほど多くない。目的地を約7km先に設定してi-phoneのナビを使ってナビの案内通りの道を通ることにした。これが意外に面白い。地域としては知っているが普段は通ったことのない路地や住宅街の中を案内してくれる。確かに目的地に対して最短コースを選択していることが分かる。東京・目黒区〜世田谷区を貫通する都会の中のウオーキングであったがナビのお陰で道路周辺に新しい発見がいくつもあった。1時間ほど歩いたところで昼になったのでジョナサン(COFFEE & RESTAURANT)で食事。山歩きと違って都会ではこういう事ができるので楽だ。食事を挟んで2時間ほどで目的地の九品仏に到着。墓参りした帰りはさすがに電車を使った。
 
2012-01-22@九品仏・浄真寺

1月23日(月) <今日の歴史的ニュース・・・>
今日の歴史的ニュースは「錦織圭(にしこりけい)が全豪オープンテニスでベスト4入りを果たした」こと。日本男子が全豪テニスでベスト4に進出したのは初とする記事もあれば80年振りとするものもある。いずれにしても歴史的快挙だ。テニスの4大国際大会、全豪、全仏、全米、ウィンブルトンで日本男子がベスト8入りしたのは1995年のウィンブルトン選手権で松岡修造がベスト8入りして以来の18年振り。錦織の今の世界ランクは24位で松岡の自己最高ランキング46位をすでに上回っている。錦織が次に対戦する相手は英国のアンデイ・マリー。22歳の錦織には是非次の試合にも勝ってまた歴史を塗り替えてもらいたい。さて、今日はこちらもテニスの日。途中で霧雨のため中断するような天候、しかも気温は低かったせいか、いつもは4人で直ぐにゲームを始めるが珍しく人が集まらない。それでも上手な人を相手に二人で徹底的に打ち合うこととなりゲームをやる以上の運動量となった。寒さの中で大汗をかく爽快感は何事にも代え難い。

1月24日(火) <朝起きてみると外は雪・・・>
朝起きてみると外は雪。東京で雪が積もるのは珍しい。雪国の人からみるとわずか数センチの雪などで騒ぐのはおかしいだろうが、我が家の周辺ではある種の非常事態であった。先ずいつもの早朝の道路掃除に代わって雪かき。最低限、歩道部分を人が通れるようにするのが精一杯でとても車道の雪かきまでは手が回らなかった。ところが向かいのアパレル会社の若い従業員が出勤してくると大勢で雪かきを始めた。道路は坂になっているので自動車が登ってくる度にスリップして動けなくなるのを若者たちが助ける。更に自分の範囲だけでなく他の家の場所や車道などを含めて凍った雪を叩いたりしながら掃除をする。道具不足と見えたのでので私が大型の平スコップを提供するとまた勢いよく雪かきを進める。普段は特にお付き合いのないご近所さまだが、いざというときには助け合う若者の姿に少々感激した。去年の東北大震災の時に大渋滞を起こした車同士がお互いに譲り合っていた体験を思い出した。非常時に優しい本性が見られるのが何よりうれしい。
「今日の写真」は 今朝の陽光を浴びた「雪の花」。
2012-01-24@東京・渋谷区

1月25日(水) <今年初めての陶芸制作・・・>
今年初めての陶芸制作に打ち込んでいる。昨年末に長年通った今の陶芸教室が閉鎖されることが発表されたことと、生活の基盤が崩れそうな面倒な問題が持ち上がったことが重なり、すっかり制作意欲が萎えてしまっていた。改めて創作活動は環境が整わなければできないことを痛感しこれまで制作を続けられたことには感謝である。教室が2月末で閉鎖されるならば最後の記念制作をやるのは今が限度と、あれこれ心配せずに最後の陶芸作品作りを始めたところ、この日に合わせたように、教室の新たな移転先が今日発表された。場所は自転車で行くことのできる距離なので、その気になれば陶芸を続けることはできないことはない。陶芸に今後どのように係わるか・・。教室閉鎖の話しは陶芸への取組み方を改めて考える機会となった。更にもう一つの問題も色々と考える貴重な機会となっているのは確か。全て真剣に考えればやがて「時が解決する」ことを期待しよう。
 

2012-01-25@東京地方・昨日の雪の残り
1月26日(木) <寒波で野菜高騰・・・>
「寒波で野菜高騰」と報じられたのはずいぶん前だがまだバカ高値は続く。いや高騰に一層拍車がかかっている。私も妻に代わって時々は魚屋や八百屋で買い物をするが今日は八百屋に行って余りに高いので愕然とした。この八百屋は近所のスーパーよりもお買い得の評判なのであえて出かけるのであるが、今日は八百屋のおばさんが”「小松菜」までこんなに高くなってしまって買えないね”と、お客に同情してくれた。以前から私の感覚ではトマト、レタスなどとても買えない。ホウレンソウもかつての2倍ぐらいの値が続く。キャベツがあっと言う間に5割り増し。大根も高くなった・・。主婦でなくてもこの異常さには驚く。牛肉などは高価ならば買わなければよい。食べなければよい。ところが野菜はそうはいかない。気候に左右されない野菜作りがもっと大々的に検討されなければならないか・・。いや、野菜工場では零細農家が存続しない。やはり流通コストか。・・野菜の問題も考えれば際限がない。
「今日の作品」欄には 「組合せピラミッド型遊具/完成4」(陶芸) を掲載(以前の作品の別アングル写真)。鋼球が転がり落ちる様子を表現できなくて残念。


1月27日(金) <料理を作る女性の凄さ・・・>
料理を作る女性の凄さを思う事が多くなった。インターネットで自分のサイトを持っている女性の知り合いが何人かいるが、自分で作るケーキやお料理を掲載するケースが多く、内容も充実している。全国的に見ると膨大な数の女性が自らの「料理作品」を発表している。「主婦」と断ることもなく多くの女性が一日三食の料理作品を作る。しかも同じ中味の繰り返しでなく和食、洋食、中華その他自由自在。妻にこの話をすると、欧米やアジアの他の国では家庭で作るものはそれほど料理の種類は多くないのでないかというが、とにかく日本ではパンでもご飯でも、ハンバーグでもスパゲッテイーでも、カレーライスでもお刺身でも、鍋物でも漬け物でも、何でも御座れだ。それも多くの場合一人一人制作者の個性が料理ににじみ出る。これはただごとでない「凄いこと」に間違いない。私がホームページで当初「今日の作品」としてスケッチ一枚、ハガキ一枚でもよいからその日の作品を掲載しようと試みたが続かない。女性はその気になれば三食の「料理作品」から選り取り見取りで掲載ネタがある。それと比べると男性の創作ネタの何と少ないことか・・。
2012-01-27・スズメの日向ぼっこ@中目黒公園

1月28日(土) <鳥鳴く声す 夢覚ませ・・・>
「鳥鳴く声す 夢覚ませ 見よ明け渡る 東(ひんがし)を 空色映えて 沖つ辺(べ)に 帆舟群れゐぬ もやの中(うち)」。これを知っている人はかなり年配か物知りだろう。私は最近教えてもらってはじめて知った。平安時代に出来たと言われる「いろは仮名47文字(<ん>なしにて)」と同じく平仮名48文字(<ん>を含む)を全て一回だけ使って作られた歌で、「いろは」から1000年を経た明治時代に新聞社が公募したときに一席に選ばれた作だという。作者は坂本百次郎さんという数学の先生。この歌は「とりな歌(鳥鳴歌)」と呼ばれイロハの変形版として知る人ぞ知るものらしい。「色は匂えど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ・・」の「いろは」は類い希なすばらしい配列の48文字であるが、鳥鳴歌もまた文字と文章の感覚が冴え渡る名作だと感動する。なんでも今の小学校では「あいうえお」だけを教えて「いろは」を教えないとも聞く。私が鳥鳴歌に感激するように、今の子供が大人になってから平安時代に作られた「いろは」を初めて知るなんていうことがないようにしたいもの。学校で「いろは」を教えないのならば家庭や塾で教えるか・・。「いろは」も「鳥鳴歌」も文字遊びの文化。子供はゲーム感覚でこの遊びの面白さを十分に理解するだろう。
1月29日(日) <10年通った陶芸教室・・・>
10年通った陶芸教室が来月(2月)末で閉鎖されることは前に書いた。最後の記念作品を作ろうと大物の板作りをやっているが昨日ほとんど完成近いところで裏表をひっくり返したとたんに粘土板を割ってしまった。一番デリケートな半乾きな状態で土に無理がかかったようだ。急遽手当をしたけれどうまく焼成できるかやってみないと分からない。制作時間が待ったなしのこの時期にまた失敗・・。考えてみると陶芸も挑戦と失敗の繰り返しであった。最後の最後まで失敗するのが我ながら可笑しい。昨晩は作陶に続いて陶芸教室の新年会が開かれた。この教室のメンバーは誰もが前向きなので気持ちがよい。会話も教室閉鎖の暗い雰囲気を吹き飛ばすような話ばかり。古稀を過ぎたところでウクレレを始めたとか、毎日朝5時半からウオーキングをしているとか、冬でも山登りをするとか・・。皆さん、陶芸以外でも活躍している様子でこちらも新たな元気をいただく。創造する人は気を発している・・・。
1月30日(月) <三年間以上使用した「ケイタイ」を解約・・・>
三年間以上使用した「ケイタイ」を解約した。このところ「ケイタイ」でメール連絡をしたり緊急電話をする必要がなく、ほとんど使用実績がなかった。ケイタイは今や生活の必需品という人も多いだろうが、私はケイタイを必要としない生活ほど平穏で有り難い事はないと思っている。私の場合、ケイタイが必要不可欠となったのは息子が癌で入院し先行きが分からなくなった時。ケイタイでのメールや電話の内容は思い出したくもない。無事であれば世の中ケイタイがなくても幸せである。・・と言っても、古いケイタイの契約を解約したけれども、代わって携帯パソコンとでもいうべきiPhoneは活用するつもりではある。メールや電話機能を使うことを最小限にしても、辞書、ノート、予定表、読書材料などを携帯できる便利さを活用しない手はない。ケイタイを解約しながら、わずか3〜4年間のケイタイとコンピュータが一体となった大進化には改めて驚かされる。
 
2012-01-30@原宿風景

1月31日(火) <睦月(むつき)最後の日・・・>
睦月(むつき)最後の日になって親類縁者が仲睦まじくなる日を待ち望む現実はさておき、1月があっと言う間に過ぎてしまった。今日もバリウムを飲んでガン検診をしたが健康診断と集まりの多いのがこの月であった。その代わり創作の成果は見るものがない。創作はどこか世俗と超越した精神環境が必要とみえる。それでも自然は成果とか現実など一切お構いなく動いている。今日、ウオーキング途中の公園で梅がほころび始めているのを見つけた(下の写真)。梅の季節がもうそこまで来ている・・。
 
2012-01-31@菅刈(すげかり)公園(目黒区/元西郷従道屋敷跡)
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