これまでの「今日のコラム」(2012年 4月分)

4月1日(日) <4月の声を聞くだけで・・・>
4月の声を聞くだけで気分が新たになる。4月1日が日曜日となれば花見のスケジュールを入れている人も多いのだろう。今年は桜の開花が遅れてまだ花見には早すぎるのに目黒川沿いを散歩すると大勢の人がお花見気分で酒盛りを始めたり川辺を歩いていたりして賑わっていた。一部の桜が開花している場所では競って桜にカメラを向けている。私がいつも散歩で通るところには今の時節に合わせたような「桜橋」という橋がある(別所橋と宿山橋の中間)。この桜橋の真ん中で撮影した写真を下に掲載してみる。今日は桜よりも川から離れた住宅街で見つけた「椿」が見事だった。紅白絞りの勢いのある椿の不思議な造形に圧倒されながら、これも写真を撮った。椿がテーマの俳句には花が丸ごと落ちるので「落ちる」ことを詠み込んだ句が多いがあえて「落ちる」と無関係な句を選んでみる:「古庭に 茶筅(ちゃせん)花咲く 椿かな」(与謝蕪村)。「うつし世に 浄土の椿 咲くすがた」(水原秋桜子)。
 
2012-04-01@目黒区(東京)

4月2日(月) <三年間があっと言う間・・・>
三年間があっと言う間に過ぎ去った。今日は息子の命日。昨年の4月2日には三回忌を予定していたけれども大震災の直後のため息子の多くの友人等をお招きする行事は中止してごく内輪だけで供養の法要をした。今日、お墓参りにいくと墓前には既にお花といっしょに日本酒の一合瓶が供えてあった。恐らくは昨日の日曜日にでも友人のどなたかが来ていただいたものと思われる。ありがとう・・とただ感謝。息子の供養は桜と直結してしまった。今年の桜は開花が遅れてはいるが、やはり一部の桜は咲き始めている。少々時期がずれたとしても毎年美しい桜は同じように咲く。桜を見ると”この時期・・”と色々な思いが頭を駆け巡る。生きていれば41歳か・・。「さまざまの こと思い出す 桜かな」(芭蕉)。
 
2012-04-02@九品仏浄真寺(東京・世田谷区)/右はお寺の石垣に生えたスミレ

4月3日(火) <春の嵐・・・>
春の嵐が日本列島を吹き荒れた一日。東京では過去形ではなく夕刻の今現在激しい風雨が吹き付けている。天候とは関係なく今日は表紙に「カード式手回しオルゴール」(工作)を掲載した。「今日の作品」というのはおこがましいが、作ったのはオルゴールの機械本体ではなく下部の「共鳴箱」だけである。このカード式手回しオルゴールは1985年に製作したもののリフォームだ(27年前!!/前のボックスには西暦年と共に自分の名前まで入れていた)。実は先月末に読んだ本「謎のチェス指し人形・ターク」(3/26コラム=ここ=参照)に触発されて昔製作して保存していた「オルゴール」を孫娘にプレゼントすることを思いついたのである。写真のように大きな共鳴箱を追加してテストすると以前より格段に音が豊富になった(低音まで音の響きが広く大きい)ので新たにこのボックスを完成させた。私や妻が以前やったように娘や孫娘たちはカードに穴を開けて(専用の孔明け具も添付する)自分の好きな曲を作ることができるだろう。ただ一つ、音の性能はすばらしいのだが、箱の横に大きく「MIEU」と書いたのが家人には評判が良くない。私は「Music Instrument for the Excellent Universe」の略だと言っているのだが、目立ちすぎるのであれば塗りつぶすか紙を貼るか、どうにでも改造はできる・・。
 
2012-04-03 昨日NYに住む娘から 仏前にと届いた花

4月4日(水) <”散り際”を考えさせられる・・・>
”散り際”を考えさせられるのが今の時節だ。桜の散り際の見事さが語られるのは桜と比べて他が余りに無様であるからだろう。つい一週間前に純白の絢爛たる花を咲かせていたハクモクレンが皺だらけで腐ったような茶に変色し地面に散った花びらはただのゴミのように汚い。ハクモクレンが悪いのでなく自然の定めであって、花の最盛期にあれだけ美しければ十分という見方も成り立つ。人の散り際も自分の意志でどうにもならないところもあるが、武士が桜の散り際に美学を見いだしたのはとてもよく分かる。武士でなくても日本人の心情としては未練がましく汚れたまま生き延びるよりも美しく潔く(いさぎよく)散りたいのでないだろうか。現代のように超高齢化の時代にこそ美しい「散り際」が問われる。桜のように散った後でも咲いているときとは別の美しさを見せてくれる人がいるのは確かである。今日みたハクモクレンの地上に落ちた花びらを写真に撮ることはなかったがやがて散る桜の花びらは絵になるに違いない・・。
 
2012-04-04@目黒川沿いにて(東京)

4月5日(木) <今日は1時間ほど車を運転・・・>
今日は1時間ほど車を運転したが多分疲れていたのだろう。何故"疲れていた”と判断するのか・・、それは車の前に横入りする自動車にいつになく腹を立てていたからだ。気分的に落ち着いている時には他の車が少々強引に割り込んでも”どうぞどうぞ・・”と譲る。今日は割り込まれる度に無理矢理車間を詰めたりしていらだっていた。そんな時、方向指示器をだして割り込んだ直後に一瞬駐車ランプを付けて(=左右のランプを点滅させる)”入れてくれてありがとう”の信号を出した車がいた。そのとたんに”どうぞどうぞ・・”の気持ちになる。相手が感謝している意思表示をしてくれれば自分もうれしくなるから人の心は微妙だ。この「左右ランプを一瞬点滅させて感謝を伝える」方式は誰が始めたのか知らないが日本独特のマナーであるようだ。アメリカのキャンピングカー運転の注意事項の中に、このような日本式のランプ点滅を使うと誤解されて事故の元となるので絶対にやらぬように書いてあったことを思い出す。外国で通用しなくても「ありがとう」を伝える方式は決して悪くない。感謝を伝えること以外に、走っている車の中には家族・子供がいますとか、ゆっくりドライブ楽しんでますとか、緊急事態で急いでますなど、状況や心を表現できる車を考えられないだろうか・・。

4月6日(金) <東京の桜の名所「千鳥ヶ淵」・・・>
東京の桜の名所「千鳥ヶ淵」に行ってみた。午後三時過ぎに妻と私が共にフリーの時間を得たので思いつきで直ぐに千鳥ヶ淵に向かった。「明日ありと 思う心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」。花見だけは明日行こう、来週行こうと思っていると、あっと言う間に桜が散ってしまう。地下鉄の半蔵門駅をでて千鳥ヶ淵に行こうとしたが方向が分からず人に道を尋ねた。千鳥ヶ淵に花見に来たのは何年ぶりか。妻と”お上りさんね”などと話しながらのんびりと歩くのも久しぶり。千鳥ヶ淵の桜はやはり皇居のお堀といっしょになった景観に特徴がある(下写真一枚目)。今は菜の花が桜に負けず劣らず華やかだ。お堀の先に国会議事堂がみえる場所でも写真を撮ったが(下二枚目)縮小サイズでは議事堂が見えなくなったので文字を入れた。千鳥ヶ淵公園の真向かいにある英国大使館の桜がまた見事だったので、これも写真を掲載した(下三枚目)。
 
2012-04-06@千鳥ヶ淵

4月7日(土) <今日もまた満開の桜・・・>
今日もまた満開の桜。下北沢にオープンした陶芸教室まであえて桜を見ながら歩いてみる。初めてのウォーキングは花見をしながら興味津々、所要時間1時間弱が全く長いとは感じられなかった。ただし初めの目黒川沿いの花見は余りに人が多く、電車のラッシュアワー並に身体が接触してまともに歩くことができないのには閉口した。上流に進むと川は暗渠になり「目黒川緑道」の名の道になる。ここまで来ると歩き易くなり緑道には菜の花など他の春の花も加わり景色が変わる。緑道を更に上流に進むと新たな「北沢川緑道」につながる。ここも桜の名所で沢山の人たちがゴザを敷いて飲食しながら花見を楽しんでいる。・・昨年の大震災を忘れてしまいそうな平穏な花見風景に接しながら、自分自身は仕事一途な時代には花見をしたことがないことに気がついた。今は毎日花見の贅沢三昧。豊かさとは、ゆとりとは何なのだろう・・。
 
2012-04-07@目黒川沿い              @目黒川緑道沿い
 
@北沢川緑道沿い<桃の花も咲いている>       @北沢川緑道沿い<鷺も桜を愛でる>

4月8日(日) <ダニエル・ヴァイマンのピアノリサイタル・・・>
ダニエル・ヴァイマンのピアノリサイタルは今日、日曜日の午後2時からだった(@白寿ホール/渋谷、内容=ここ)。ヴァイマンは1978年ラトビア(バルト三国の中の一つ、ソ連邦崩壊で独立を回復した)生まれで、母親は世界で活躍するピアニストのディーナ・ヨッフェ、父親はバイオリニストという家庭環境で育ったピアニスト。この人の演奏を聴くのは初めてだったが、私は理屈なく楽しみ癒された。最近は良い演奏に接すると耳と身体全体から吸収される音で脳の奥にある疲労物質がバリバリととれていく、大袈裟に言えばこんな感じで音楽が頭の中に染み渡る。・・午後からの演奏会であったので、午前中にはまたまた妻と花見に行った。一昨日と同じ「千鳥ヶ淵」。前回は夕刻でボート場脇の名所まで行けなかったし雲が多かったので晴天の今日また出かけたのである。満開の桜は何度見ても飽きることはない。

 
2012-04-08@千鳥ヶ淵(東京)

4月9日(月) <80歳になる谷川俊太郎さん・・・>
80歳になる谷川俊太郎さん(詩人)が”歳をとると欲望が減退する”話しをしている。その中で(歳をとると)「人の喜びが自分の喜びになる」と言う箇所に共感した(谷川俊太郎-糸井重里の対談=ここ)。今日は午前中にテニス。最近、試合で勝つためにベストを尽くすが勝ち負けに拘らなくなった。一昔前と比べて明らかに違うのは、6-0で勝てる相手に6-3と三セットをとられたとしても悔しく感じない。相手がゼロ敗で気分を悪くするより少しでも相手も喜ぶ方がよい。勿論、わざとミスするようなことはしないけれど、負けずに、5-5で引き分けてお互いに健闘を讃え合うのがベストだ。勝負事に対して、まだ「負けたくない」欲望はあるが、創作活動でも他の行動にしても自分自身のためというより誰かが喜んでくれるとなると、どんな労苦をもいとわないといった面が強い。ただ、面白いのは「誰かが」といったけれども誰でもいいのではなさそうだ。世の中には「欲張り爺さん」もいる。欲張り爺さんを喜ばせたくはない心理が働くのは確か。年と共に欲望は減退するのでなく、変質するのかも知れない。
 
2012-04-09 今日の桜@左=目黒川沿い       右=西郷山公園

4月10日(火) <はじめて「テラ小屋」で陶芸・・・>
はじめて「テラ小屋」で陶芸をやった。約10年間通った陶芸教室が2月末で閉鎖されたことは前にも書いた。この教室の先生が下北沢の築30年の民家を改装して新たな陶芸教室をオープンさせたのが「テラ小屋」。「テラ」はテラコッタ(terracotta)のテラ(前の教室は陶房TERRAといった)。これまで何度か下見などに行ったことはあるが「テラ小屋」で作陶するのは今日が初めて。家に保管していた10kg近い粘度をリュックサックに入れて自転車で教室に通うのも新鮮だった。テラ小屋では先ず靴を脱いで部屋に入る。道具の入れ場所、洗い場など新入生としてルールを覚えるところから始めて、今日の制作は順調に進んだ。久しぶりの粘土作業。やはり指先で粘土をいじり形を作る充実感は何事にも代え難い。
<明日は小旅行のためコラム休みます>

4月12日(木) <諏訪大社巡り・・・>
諏訪大社巡りをして今日夕刻に帰宅した。諏訪大社は長野県の諏訪湖周辺にある神社で合計4箇所の社殿・宮があるので”巡る”ことになる。訪れた順序でいえば、先ず「下社(しもしゃ)」の秋宮(あきみや)と春宮(はるみや)、それから「上社(かみしゃ)」の本宮(ほんみや)と前宮(まえみや)の4箇所。諏訪大社と言えば7年に一度(満6年間隔)行われる御柱(おんばしら)祭が有名で、樅(モミ)の木を山の中から切り出し各社殿の四方に建てて御神木とする。御神体が祭られる時期が変わるのも諏訪大社独特で、8月から翌年1月までは秋宮で神体が祭られるので初詣は秋宮で行われるなどの話しも面白い。神話の世界につながる諏訪神社を巡る一方で、江戸時代に皇女和宮さまが宿泊した下諏訪の宿とか旧中山道の面影も興味深かった。それにしても東京では満開であった桜がほとんど咲いていない。ある神社の前には大きな雪の塊があった。本格的な春の訪れは信州ではまだ少し先のようにみえる。
 
2012-04-12@秋宮にて              @春宮にて
 
2012-04-12諏訪大社御柱の例<各宮に4本ある>   @諏訪湖

4月13日(金) <散る桜 残る桜も・・・>
「散る桜 残る桜も 散る桜」は良寛の辞世の句として知られる。良寛は親しみやすい旅姿をしたお爺さんのイメージがあるが72歳(満年齢、1758-11〜1831-2)で亡くなっているので今の時代ではそれほど年寄りではない(私とあまり変わらない)。それでもいくら寿命が延びたからといっても、「生きとし生けるもの」は”やがて散る”ことには変わりがない。東京の桜は今散り始めている桜と残っている桜が両方見られる。満開の桜とはまた別の感慨が湧くのも今の時期。桜の名所である目黒川沿いを通ると道路上の花びらを箒で集めて満杯になった大きなゴミ袋がいくつも並んでいた。川に散った桜は花筏(はないかだ)となったり独特の花模様を作り散った後までも人を楽しませてくれる。ちなみに冒頭の句は辞世の句として私はあまり好きになれない。”オレは死んでしまうがオマエも遠からず死ぬのだよ”と何となく未練がましい。桜のように何も言わずに散っていく方が美しい。
 
2012-04-13枝垂れ桜@北沢川緑道          川に散った桜 @目黒川

4月14日(土) <ペンタゴン(五角形)・・・>
「ペンタゴン(五角形)」(ペンと水彩)のハガキ絵を表紙に掲載した。今日の朝方、孫娘のmieuへ絵手紙を描こうとハガキ用紙を取り出したが、うまい題材が見つからない。桜は散り始めているし、水仙はモデルがない、シクラメンは以前描いた・・などと考えている内に「正五角形」を思いついた。いま陶芸で正五角形の板を作っており、正五角形の枠を使った色々なデザインをしている真っ最中なので絵手紙用に図案を描いてみたのである。陶芸では正五角形を合計12枚制作し、これをつなぎ合わせて正12面体を完成させる予定だ。4年前(2008年8月)に一体型の正12面体を制作したことがあるが(=ここ参照)、今回のものははるかに大きくなる。正五角形は今日の表紙のような幾何学模様の他に、星形、五弁の花などバリエーションがあるので如何に陶芸の面白さを出すかが課題。今は陶芸で粘土の彫刻に忙しい。

 
2012-04-14雨中に散った桜風景@北沢川緑道(東京・ 世田谷)

4月15日(日) <サントリー白州蒸溜所・・・>
サントリー白州(はくしゅう)蒸溜所のことを書いておきたい。先週11日に信州(諏訪)に行く途中で工場見学のために立ち寄った所だが、とても感じが良く気に入った。白州蒸溜所は山梨県北杜市白州町にあるサントリー・シングル・モルトウィスキーの蒸溜所の一つ(シングル・モルトウィスキーとは大麦麦芽<=モルト>のみを原料とする)。事前に工場見学の予約を入れておくとガイド付きで約一時間蒸溜所内の設備を見学させてくれた上に、シングル・モルトウィスキー「白州」の試飲も楽しめる。これが無料のサービス(工場見学案内=ここ)。森の蒸溜所といわれるこの工場の自然環境が先ずすばらしい。更に無料でガイドする人の対応が爽やかで、白州10年、白州12年のハイボールを比較して試飲することができるのだから言うことがない。サントリーとしてかなりの出費はあるだろうが、企業イメージは大いに向上する。こうして私も自ら宣伝をしたくなる:「白州」は実に美味しいウィスキーですね・・。
 
2012-04-11撮影@サントリー白州蒸溜所(山梨県)

4月16日(月) <月曜日は可燃ゴミ出し・・・>
月曜日は可燃ゴミ出しの日。早朝に習慣となった道路掃除をしているとゴミ出しにきた近所のおばさんから”いつもご苦労さんです”と言われた。できるだけ目に付かないように近所のゴミ掃除をしているつもりだが誰に見られているか分からない。今朝のゴミ出しは道路のゴミ分を含めて大きな袋4個となった。朝食を終えると直ぐに自転車で”月曜日のテニス”へ。12時頃に帰宅して昼食。食後30分ほど休んでから、今度もまた自転車で陶芸教室へ。夕刻に帰宅。コーヒーを一杯飲んだ後、秘やかに共同庭の手入れ、草取り・・。こんな一日、読書や勉強らしきものは見当たらないが、今日も「日々是好日(にちにちこれこうじつ/”こうにち”と読ませることもあるようだ)」。
「今日の写真」はテラ小屋(陶芸教室)の玄関に飾ってあった花。形が面白いので写真を撮った。
2012-04-16 「ビエネッタ」(クレマチスの種類)

4月17日(火) <ゆく春や・・・>
「ゆく春や 逡巡として 遅ざくら」。蕪村のこんな俳句がピッタリ来る。東京ではソメイヨシノ(染井吉野)はもうほとんど散ってしまった。垂れ桜や八重桜がまだ見事に咲いている所もあるが言われてみると何となくためらいがちに咲いているように見える。”逡巡(しゅんじゅん)として”とはこのような様を言うのだろう。・・天気予報とは違って晴れ間がでているので予定を変更して今日も自転車で陶芸教室へ出かけた。作業をしていると、ゴロゴロと雷の音を合図に一天にわかにかき曇り雨が降り出した。にわか雨が小降りになるのを見計らって自転車を飛ばして家に帰り着いたが、今日の天気予報は「当たり」であった。・・もう一句、お気に入りの蕪村の俳句:「行く春や 白き花見ゆ 垣のひま(隙)」。
4月18日(水) <「五」という数字・・・>
「五」という数字は非常に興味深い。いま陶芸で製作している「正五角形」の部品に関連して(表紙の「ペンタゴンも同じ)「五」を調べてみると「五」の奥深さを改めて知らされた。古代の中国では五行思想といって万物は木・火・土・金・水の五つの元素からなるという考え方があった。紀元前の時代から惑星にはその名が命名されたし、樹木、輝く炎、植物を生育させる土壌、金属、流れる水の五つを根源的なものととらえた思想はよく理解できる。人間の内臓、五臓六腑の五臓は、肝・心・脾・肺・腎。五感は、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。五穀は、稲・麦・栗・豆・黍(きび)/稗(ひえ)とすることもある。言葉でいえば、五輪、五線譜、五目並べ、五重塔・・。日本には富士五湖があるかと思えば、アメリカには五大湖がある。せっかく調べたから陶芸の正五角形のデザインに何か取り込めないか考えてみたが、うまい案が浮かばない。これでは五段階評価をされると、とても「五」はいただけない・・。

4月19日(木) <人の興味は様々・・・>
人の興味は様々、好き嫌いも様々、元気づけられるものも様々・・。そう思われるかも知れないが、「日本最大の(現場パネルには世界最大と表示してあったが?)クリスタルボール」をあえて取り上げてみたい。先週、諏訪地方を旅行した時に立ち寄った「SUWAガラスの里」(サイト=ここ)で見たものである。このクリスタルボールは直径800mmに仕上げられている(下の写真)がその製造方法がすごい。巨大な粘土ルツボ(=耐熱容器のこと、漢字では坩堝)の中に原料のホウ珪酸ガラスを直接入れて溶解して半年かけて(!)除冷し約1000mmのガラスの塊を作る。更に一年をかけて玉状に削りだして最後は研磨仕上げをする。そんな製造工程の説明をみると陶芸などで少々の手間隙をかけることなどたやすく思えて勇気が湧く。800mmの玉の透明度や不思議な光の屈折具合も見ていて飽きることはなかった。この種の名品は世界有数の芸術品と同じく人を感動させる力がある・・。
800mmクリスタルボール/4月12日撮影分

 
2012-04-19 八重桜 & 姫リンゴ @児童公園にて(渋谷区)

4月20日(金) <ゴミと作品の違い・・・>
ゴミと作品の違いは何か、そんな複雑な疑問を持ちながら不要な陶芸作品を「不燃ゴミ」の袋に入れた。陶芸の作品については私は初期のどんな未熟な作品でも「できの悪い子ほど可愛い」といった感覚で捨てることができなかった。お皿などで使用中に一部が割れてしまったものでも接着修理して保存していた。それが今日部屋を本格整理し始めた勢いでかなりの陶芸品を処分に踏み切ったのである。欠陥のある作品は愛着はあってもお客様が見えたときにお出しすることはできない。値段を付けて売ることもできない。それにしても自分で制作した作品をかさばるからといって金槌で砕いてゴミ袋に入れたのは愉快な体験ではなかった。そういえばゴッホの絵画は部屋の壁穴を塞いでいた絵を含めて生前にはゴミ同様に扱われていたものが後世人類の宝にまでなった。その逆に高く評価された作品が時代を経ると「ゴミ」となったものは数知れない。自分の目で見て自ら処分できるだけ幸せと思おう。
4月21日(土) <雑草とは何・・・>
雑草とは何だろう。共同庭に苔(こけ)を増やしたくて、このところ雑草取りに躍起になりながらこんな疑問を持った。自然に生育する山野草を雑草と呼ぶことはなく、雑草という場合は人間の息のかかった場所に人間の意志とは無関係に(勝手に)生える植物<人里植物>で人間にとって不利益になる植物と定義される。本来の作物の収穫量を減らしたり品質を落とすなど損害を与える雑草もあれば栽培したい品種に取って代わる雑草、景観を含めて何らか人間に不快感を与える雑草など様々。何度踏みつけられても、抜いても抜いても生き延びるたくましさを人間が「雑草魂」と見習うこともあるが、実際の農業や植栽にとって”雑草との戦い”は真剣勝負である。人間は油断すると雑草的自然にあっと言う間に負かされる。ところで、この猛烈な雑草の強さは日本独特の湿気と暑さとが一緒になった気候が大いに関連しているという。「ヨーロッパには雑草がない」(和辻哲郎/風土・人間的考察)の言葉があるが、夏が乾燥期であるヨーロッパでは夏草や雑草は生育しないそうだ。写真で見るヨーロッパの野や畑の美しさ、街の端正なたたずまいは雑草が生えない気候のたまものならば、日本では今の時期必死に雑草と闘わなければ美しい景観は望めない。
2012-04-21サツキ咲く@菅刈公園(東京・目黒区)

4月22日(日) <久しぶりに国立新美術館・・・>
久しぶりに国立新美術館(東京・六本木)にいった。ここで今開催中の春陽会展に妻の友人が絵画を出展しているので妻と友人等4名の女性の中に一人男性の私が加わったのであるが皆顔馴染みの方ばかりで楽しいひとときを過ごした。食事をはさんで午後の国立新美術館3階講堂で開催された特別講演会にも出席する。講演の前にソロギターの演奏付き。この演奏が先ずすばらしかった。西藤ヒロノブさんという現在ニューヨークを拠点に活動するジャズギタリストの演奏で、私はこれほど歯切れ良く、かつ音楽性、独自性のあるギターを聴いたのは初めてかも知れない。日本のマスコミには余り知られていなくても優れた才能が世界で活躍している。講演は銅版画家丹阿弥丹波子さん(春陽会会員)の話。丹阿弥さんは1927年生まれの84歳<女優の丹阿弥谷津子さんの妹さん>で、生い立ちから、どうして絵画・銅版画への道を歩んできたかを面白く聞かせてくれた。興味深かったのは「科学と芸術の接点」について語るほどに若き頃科学にも縁があったこと、更に戦中、戦後に苦しい体験をした事柄を全てが後の自分のために役立っているととらえて”人生無駄なものは一つとしてありません”と言い切ったのも印象的だ。丹阿弥さんの銅版画は黒地にシンプルな線で花などを浮き上がらせる独特な画風(銅版画例=ここ 、ここ)。これからもまだまだ彼女の新たな名作が生まれそうな勢いを感じた。
 
2012-04-22国立新美術館<右は3F講堂前の中庭>

4月23日(月) <影響されやすい性格・・・>
影響されやすい性格はいいのか悪いのか。昨日、丹阿弥丹波子さん(84歳/昨日のコラム参照)の講演を聴き、白黒の銅版画をみた影響で、今日早速白黒で花を描いてみたのが表紙に掲載した「viennetta/白黒にて」(ペンと水彩)。ビエネッタ(viennetta)はクレマチスの一品種(4/16コラム参照)。”影響されやすい”からには極力いいものに接しなければならないと心するが昨日は本当にいいものに巡り会った気がした。最近よく耳にする「ぶれない」という言葉がある。政治のトップがぶれてばかりいると信頼がなくなるのは言うまでもないが、私は一般の年寄りに対しては別の見方をする。現代のように平均寿命が延びている時代にただ自分が経験した”ほんのわずかな期間”、”ほんの狭い分野”をベースにして考え方を頑固に固定させてしまっている老人ほど扱いにくいものはない。経験に徹底的な思索を加えてもいない老人は確固たる信念など持たない方がよい。いくつになっても融通性がなければならない。もしかすると自分が間違いで他人が正しいと思える老人の方がよい。私はまだ老人ではないが他にいいものがあればいくらでも取り込む訓練はしておきたい。他の人に感動できなければ人に感動を与えることなどできっこない・・。

 
4月24日(火) <見事な八重桜・・・>
見事な八重桜が咲いているのに大勢の人が花見をする訳ではない。花見客がいてもいなくても全く関知せず堂々と咲き誇る八重桜に”大器晩成”の風情を見る。東京では花見のシーズンは終わって今は桜よりもハナミズキの花に季節を感じるのも確か。ふと、人間は”大器晩成”型か”栴檀(せんだん)は双葉より芳し"型かどちらがいいのだろうと考える。善し悪しの問題ではなく成り行きかも知れない。”双葉より芳し”としても、”20歳過ぎればただの人”となることもある。いや、現代では"60歳過ぎればただの人”もあれば、"80歳の晩成”もあるから晩成とはいつか分からない。花が咲いていなければ咲く日を目指していつまでも進化できるし、花が咲いたら後は散るばかりでなく、花の形を変えれば咲き続けることもできるのが人間か。そもそも人にとって花とは何か。・・そんな人のつぶやきと関係なく本物の花は静かに咲いている・・。
 
2012-04-24 八重桜@西郷山公園(目黒区)   ハナミズキ@中目黒公園(目黒区)

4月25日(水) <携帯電話を利用した遠隔健康診断・・・>
携帯電話を利用した遠隔健康診断が実用化されつつある。紹介されて心臓の遠隔診断の説明をききに行ったところ早速体験をしてみることになり自分の心臓の鼓動10000回分のデーターが電車に乗ったり、家で雑用をしている間にとれてしまった。小型の心拍測定器で計測した心臓のデーターが携帯電話経由で解析センターへ無線送信される仕組みで、動き回っているときでも、家で仕事をしていても、食事をしていても、睡眠中でもあらゆる時のデーターが採取されるので病院で計測される心電図の解析よりもはるかに多様なデータをベースに診断できることになる。病院に通い診断を受けるまでの膨大な時間のロスを考えると遠隔診断は間違いなく将来の道と思っていたら、心臓に関しては遠隔診断は既に現実になっている。データの判定結果が直ちにメールで連絡されてくるのもうれしい。私の試し計測の結果では”・・心臓のリズムは生き生きしています。○○だけれどテニスはOKでしょう”とのコメントをいただいた・・。
4月26日(木) <紀尾井町界隈を歩く・・・>
紀尾井町界隈を歩く機会を得た。紀尾井町は東京・千代田区の高級ホテルや議員宿舎などが建ち並ぶ地域で余り訪れることがないところなので珍しく所用のついでに近所を歩いてみるととても興味深かった。紀尾井町の町名の由来を書いた案内板によって、「江戸時代に、紀伊和歌山藩徳川家上屋敷、尾張名古屋藩徳川家中屋敷、近江彦根藩井伊家中屋敷がこの地にあったので三家よりそれぞれ一字ずつとって命名された」と知った。紀伊徳川家の屋敷跡は現在の赤坂プリンスホテルや清水谷公園、尾張徳川家の屋敷跡は現在の上智大学、井伊家の屋敷跡は現在のホテルニューオータニ付近。今日は初めて清水谷公園にも行った。この場所は明治11年(1878)に大久保利通が暗殺されたところとして知られ「大久保公哀悼碑」がある(下の写真・ハナミズキの裏が「碑」)。清水谷公園の脇の坂は紀尾井坂と呼ばれ坂を下っていくと江戸城外濠にかかる弁慶橋に至る。その先が赤坂見附。弁慶橋の側で橋と紀尾井町方面の写真を撮った(下右)が背後に見えるかつての赤坂プリンスホテル(その後グランドプリンスホテル赤坂と改称されたが昨年閉鎖)はいま解体、再開発が進められている。数年後にはこの景色もまた一変しているだろう。丹下健三設計の「赤プリ」新館が華々しくオープンした時(1983)にわずか30年ほどで解体されることを予想した人がいただろうか。諸行無常は紀尾井町を歩くだけで嫌と言うほど味わえる。
 
2012-04-26 @清水谷公園    @弁慶橋

4月27日(金) <雨の金曜日・・・>
雨の金曜日。憂鬱なのは雨のためだけではない。著莪(しゃが)の花が咲いている。「譲ること のみ多き日々 著莪の花」(塙義子)の俳句を見たとたんに気分が晴れた。俳句の内容と真反対のやり方に遭遇して沈んでいたところに別世界を見せてもらったのだ。一言の力は大きい。何も世話をしないのに鉢植えの君子蘭が今年もまた沢山の花を咲かせている。けれども冒頭の俳句には「君子蘭」は余り似合わない。君子蘭の花言葉は「高貴、幸せを呼ぶ」。著莪の花言葉は「抵抗、決心、友人が多い」。もう一度見よう:「譲ることのみ多き日々・・」。こんな歌にも共感する:「春ごとに 花のさかりは ありなめど あひ見むことは 命なりけり」(古今和歌集)。
 
2012-04-27 著莪+八重桜の花びら  君子蘭+水受け

4月28日(土) <「ツツジ」の漢字・・・>
「ツツジ」の漢字は読めるけれども書けない。「躑躅(ツツジ)」は両漢字とも"足ぶみ”から始まる「てきちょく」とでも覚えるか・・。ツツジ科の植物で「ドウダンツツジ」も”読み難い漢字”の事例でしばしばでてくる。「満天星」を「ドウダンツツジ」と読ませるのだから当て字もいいところ。ツツジの花は幼少の頃から身近にいくらでも目にすることがあったので有難味はないけれども、40年前に行った「館林のつつじ」の豪快さはいまも記憶に残っている。去年訪れた箱根・「山の上ホテル」もツツジの名所だった。さて今年はツツジを見に行く計画はない。今日の写真は近所の公園での「ツツジ」。俳句に出てくるツツジは「石」とセットになっているのが面白い。それだけ庭木として多く使用されてきたのだろう。「つつじ咲いて 石移したる 嬉しさよ」(蕪村)。「百両の 石にもまけぬ つつじかな」(一茶)。
2012-04-28

4月29日(日) <土蔵の画家、常田健・・・>
土蔵の画家、常田健が今日のNHK-TV日曜美術館で取り上げられていた。東北生まれの常田健<明治43年(1910年)〜平成11年(1999年)>は生涯、独特の農民の絵を描き続けた<画家の紹介=ここ>。番組の中で紹介されていたが、りんご園を営みながら土蔵をアトリエとして絵を描くけれども売るための絵でも名誉を得るための絵でもなかった。そして、リンゴ農夫は「生活」、絵を描くことは「仕事」であり、絵を描くことは楽しいことではないと本人が言ったという。そう、今ならば楽しくなければ描くことはないと言いたいところだが、この時代の人は”仕事が楽しい”などと安易に言えなかったことは理解できる。”楽しい”のは道楽であって真剣勝負で厳しい取り組みをする「仕事」を楽しんではならない時代であった。”楽しい”と言うことはできないかも知れないが、”描きたい”という衝動が強烈に作用していたことは絵を見れば分かる。誰から強制される訳でもなし何かを得ようとするのでもない、ただ"描きたい”ことを貫けたのは楽しいと言わなくても十分”幸せ”であったに違いない。
2012-04-29 近所の公園で見た花

4月30日(月) <被害者と加害者・・・>
被害者と加害者を交互に演じているのが自転車である。最近は都心でも本当に自転車が多くなった。歩道を歩いていると身体すれすれにスピードをだしてすり抜ける自転車にハッとすることがあるし、自動車を運転しているときには車道を車の迷惑も考えずに危険な走行をする自転車が目に余る。自転車の無謀運転に腹を立てる一方で、最近は自分でも自転車で移動する機会が増えた。交通量の多い自動車道路はできるだけ避けて、許可された歩道を通ることが多いが、時には歩行者に対して迷惑を掛けている。こちらの自転車が背後から迫っていくと慌てて道路の端に寄って自転車に道を譲ってくれるときがあると、”すみませ〜ん”と言って通り過ぎることにしているが、歩道では自転車は明らかに加害者である。一般的に「被害者意識」は容易で、何でも相手が悪く自分は被害者だと感じる。ところが「加害者意識」は非常に希薄なものらしい。人も自動車もないところを走る自転車でない限り、道路上に「存在していることが害」となることを自覚しておこう・・。
下の写真は自転車を止めて撮影したシャクナゲ&アヤメ。
2012-04-30@目黒川緑道

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