これまでの「今日のコラム」(2012年 8月分)

8月3日(金) <富士山に一番近い湖・・・>
富士山に一番近い湖・山中湖で花火を見たのは一昨日(1日)の夜。山中湖は富士五湖の中でも一番面積も広く、花火大会も湖畔の三箇所で同時に開催されるので間近の花火以外に遠くの湖畔で打ち上げられている花火も見ることができる。今回は夕暮れ時から湖畔の水辺に場所を取った<下の写真のようにほぼ正面に富士山が見える位置>。花火が始まる頃には富士山は見えないが湖上で打ち上げられる花火が湖面にも映り二倍の花火を堪能した。花火の写真は難しいが今回水面に映った写真で比較的よく撮れたものを下に掲載する。中央写真の赤点は湖対岸の花火。
山中湖班・富士山&夕日


8月4日(土) <富士山麓、青木ヶ原樹海・・・>
富士山麓、青木ヶ原樹海の一角に鳴沢氷穴や富岳風穴と呼ばれる洞窟がある。氷穴や風穴は富士山の噴火の歴史としては比較的新しく1100年ほど前の富士山の側火山(長尾山)の噴火の際に溶岩流が流れ下ってできた洞窟とされる。鳴沢氷穴は地下21mほどの竪穴型洞窟、富岳風穴は地下に降りた後、総延長200mほどの横穴型洞窟で、氷穴、風穴の名は竪横の差だけで洞窟内の温度はいずれも平均3度。どちらでも洞窟内では上着がないと寒いくらいだ。今週の富士山麓旅行の際には鳴沢氷穴から富岳風穴までは樹海の中を約1km歩いた。樹海の樹木をみていると”大地深くにしっかりと根を張って”育ったものではない、つまり理想的な条件で生育したものではない樹木が樹海を形成していることに気がつく。溶岩流の上に育った樹木は根っこをむき出して強く生きている。
 
青木ヶ原樹海にて、                  富岳風穴にて

8月5日(日) <昨晩、工場夜景を見るツアー・・・>
昨晩、工場夜景を見るツアーに参加した。川崎の工場地帯の夜景スポットを巡るバスツアー(はとバス)。以前から一度行きたかった工場夜景の見学だ。女性の観光バスガイドの他に工場地帯ではナビゲーターという案内係の説明があり、それがいかにも工場の夜景が好きでたまらないといった男性(ボランティア)でとても感じが良かった。工場の照明は原則的には働いている人たちが必要とする照明のみであり余分なお遊びはない。それが「美しさ」を醸し出している。都心の派手な色彩とは無縁な「機能の美」と言うべき工場夜景が多くの人から認められているところがうれしい。川崎の工場夜景の観光を十分に楽しむことが出来たのは勿論だが、今回のツァーで川崎という地域を見直したのも確か。川崎市が工場夜景の観光に一生懸命であるのが何か微笑ましい(川崎市の夜景案内=ここ)。
 
 
京浜工業地帯の工場夜景
8月6日(月) <世界一になる理由・・・>
「世界一になる理由は何があるんでしょうか? 二位じゃダメなんでしょうか?」。これは、かつて(2009-11)蓮舫議員がスーパーコンピューターの事業仕分けの時に発した言葉。いまロンドンオリンピックの真っ最中でこの言葉を思い出した。これまで(5日)に日本が獲得したメダル数は27個(金2、銀12、銅13)。メダルをとるか否かでニュースの扱いも天と地ほどの差が出る。4位となった選手の悔しさは計り知れない。ましてや、金と銀の差は言うまでもない。「世界一」を目指して血のにじむ努力を重ねた者同士が戦うところに感動が生まれる。もし蓮舫さん流に、はじめから世界一を目指していないとすれば入賞は勿論79位(女子マラソン重友の成績)にもなれないだろう。「参加することに意義がある」なんて言っている選手がいれば応援をする気にもならない。「世界一になる理由」は山ほどある。世界一の波及効果を過小評価してはならない。間違いなく多くの人に感動と元気を与えてくれる世界一のために応援をしよう・・。
8月7日(火) <なでしこジャパンがフランスに勝利・・・>
なでしこジャパンがフランスに勝利した瞬間をたまたまテレビのliveで見た。ロンドン五輪女子サッカーの準決勝。サッカーファンならば徹夜でテレビ観戦するこの試合を”たまたま”見たというと叱られるかも知れないが、午前3時過ぎの勝利した時刻にテレビを付けていたことは私としては極めて珍しい。それにしても「なでしこ」は良くまとまっている。集中できている。アメリカとの決勝戦を残して銀メダル以上は決定だ。”運も実力のうち”というが球技で面白いのは、ほんのわずかなボールの流れ方によって双方にチャンスが行き来するところ。もしフランスがPKで得点をあげて2-2(同点)としていれば勝敗はどうなっていたか分からない。今夜(深夜明日1時00から)の男子サッカーは日本がメキシコと準決勝を戦う。これは日本勝利を信じて早く寝ることにする・・。
今日の写真を下に掲載。右はエジプト大使館前の像とデンマーク大使館の国旗(右はユーロの国旗)。
 
2012-08-07@西郷山公園(目黒区)         大使館通りにて

8月8日(水) <BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展・・・>
「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」を見た。二年前(2010年)にパリで開催されたビート・たけしの展覧会の作品をそのまま東京オペラシティー・アートギャラリーに持ってきたもの(案内=ここ、9/2まで)。猛暑の中をあえてオペラシティーまで行ったのであるが、何か自分の創作に刺激にならないかと期待が大き過ぎたためか意外にインパクトが少なかった。たけしのアートについてはこれまで何度か接したことがあるので新鮮味がなかったのかも知れない。たけしのような意外性とかアイディアで勝負する作品は同じことの繰り返しでは飽きてしまう。それが一番分かっているのはたけし自身だろう。「パリも認めた天才」などとパンフレットで煽てられているが、様々な権威に反逆する姿勢で存在感をだしているたけしが「権威」になってしまうと終わりだ。独創性のある”お笑い”が至難の業であることを知っているたけしは今のテレビ番組の画一的なお笑いが我慢ならないのでないか。たけしのアート作品も是非「新作」を見たい。余計なことだが、たけしの誕生日は1月18日・・私の一日前だから忘れない。たけしも私と同じ「機械工学」をかつて学んだ経歴を持つ。これからもたけしを応援しよう・・。
 
2012-08-08@東京オペラシティー         夾竹桃と百日紅(さるすべり)、花の競演

8月9日(木) <東京オペラシティについて・・・>
東京オペラシティについての認識が変わった。これまでコンサートホール(タケミツメモリアル)には何度か行ったことがあり、すばらしい音楽ホールに感心していた。けれどもいつも電車の駅から通路を通って直接ホールに行くばかりで全体像を見たことがなかった。昨日は外から超高層の東京オペラシティビルをじっくりと観察して、これは「オペラ座」ではなく「オペラシティ」であると認識した。確かにコンサートホールやアートギャラリー、隣接した新国立劇場などの施設があるが、地下4階、地上54階の超高層ビルの大部分はオフィスとして使用されている(全体施設=ここ=参照)。遠目に見た東京オペラシティは何の変哲もない超高層ビルで外観の魅力は何もない。いまJRの東京駅は大正時代に建築家、辰野金吾が設計した創建時の姿に復元・保存する工事が行われている。東京駅舎は建築遺産だが、経済性だけを追求した超高層ビルに内蔵された施設は所詮ビルと共になくなるもので”遺産”を残す意志など全くないのだろう。同じようにいま東銀座の歌舞伎座が改装されている真っ最中だが新歌舞伎座もビルの中に取り込まれてしまうようだ。
「今日の写真」は恵比寿神社と神社の直ぐ側にある飲食店。考えてみると神社やお寺がオフィスビルの一角に入り込まずに独自の土地を持ち続けられるのは何故だろう・・。
 
2012-08-09@恵比寿神社(東京・渋谷区)    神社近くの店

8月10日(金) <そよりとも せいで秋たつ・・・>
「そよりとも せいで秋たつ ことかいの」(上島鬼貫)。上島 鬼貫(うえしまおにつら)は”東の芭蕉、西の鬼貫”と称された江戸中期の俳諧師。いつのまにか立秋も過ぎているが、本当に”そよりとも”しない相変わらずの暑い日が続く。そういえば今晩は神宮外苑(東京)の花火大会が開催される。昨日、神宮の秩父宮ラグビー場の側を通ると仮設の観覧席を作る大工事をやっていた。そろそろ打ち上げ開始の時刻になるが家の外に出てもビルに囲まれているので外苑の空を見ることはできない。それでも、この花火大会が終わると夏は終わりに近づいた気分になる。もう一つ、鬼貫の句を入れよう:「ひらひらと 木の葉うごきて 秋ぞたつ」。一茶にはこんな立秋の句がある:「夕やけや 人の中より 秋が立」、「秋の風 乞食は我を 見くらぶる」。”秋の風”はもうそこまで来ている。
8月11日(土) <久しぶりに「mieuへの絵手紙」・・・>
久しぶりに「mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を表紙に掲載した。「色々な葉」をタイトルにしたが、庭で適当に葉っぱを集めてきてスケッチしたもの。樹木や草花の「葉」については花以上に興味がある。今回描いた葉は比較的似た形状のものとなってしまったが、それでも山椒(サンショウ)のように小さい葉がほぼ対称に配列されたり、山茶花(サザンカ)のような非対称に配置される堅い葉など様々。これだけの種類でも鋸歯縁であったり全縁(鋸のギザギザがない)であったり皆異なっている。葉の形状は広く見ると今回描いた形状と大きく異なるモミジ型や針葉樹の尖った形状などを含み、ほぼ無限の種類があると言っても良い。植物のこれらの葉の形状は全て自然の要求するままの必然なのだろう。そして個々の形状は単なる好みや偶然の形ではなく、その形となる理由があるところに感動する。生物の多様性などといわれるが、植物の葉っぱを比較してみるだけで多様性の不思議さを体感できる。
  2012-08-11芙蓉@北沢川緑道

8月12日(日) <東京都写真美術館コレクション展・・・>
東京都写真美術館コレクション展<自然の鉛筆・技法と表現>に行った(9/17まで、案内=ここ)。「自然の鉛筆」とはイギリス人、タルボットが撮影した写真で1844年から1846年の間に出版された世界最古の写真集の名。世界に15部しか現存しないところで、東京都写真美術館はその内の一冊を所蔵しているそうだ。タルボットはこの時代の政治家、考古学者でかつ写真技術の発明家。葉っぱやレースなどを太陽光で形を描き出す最も原始的な写真技法から、ネガ・ポジ式の技法など写真の勃興期の多くの発明に名を残している。それにしても、わずか170年間の写真技術の進化は驚異的だ。今は子供でもデジタル写真が自由自在。デジタル以前のフィルム写真だけを見ても先人は壮絶な技術革新を成し遂げてきた。カラー写真に至るまでの写真の歴史をみながら、一方でモノクロ写真の表現力に感動。最新技術とは別の次元でそれぞれの時代の息吹が伝わってくる。モノクロ写真に影響されて「今日の写真」(下)はモノクロ仕上げとしてみた。昨日描いた「葉っぱ」もモノクロ写真で並べた。白黒の写真は確かに鉛筆画に見える。
 
2012-08-12@恵比寿ガーデンプレイス(写真美術館の隣) 山椒の写真

8月13日(月) <ロンドン五輪が閉幕・・・>
ロンドン五輪が閉幕した。今日、早朝にテレビでLIVE放映された閉会式は華やかな音楽ショウの雰囲気だった。オリンピックが終わってみれば、日本のメダル獲得数は史上最多(金7、銀14、銅17、合計38)。これを喜ぶ向きもあるが、当初、日本選手団が目標としていた金メダル15個に対しては惨敗。金メダルの獲得数からみれば、一位米国(46個)、二位中国(38個)、四位ロシア(24個)はともかく、三位の英国(29個)、更に、五位の韓国(13個)の健闘が目立つ(日本の7個は11位)。日本の人口1億2千万人に対して、英国6千万人、韓国5千万人のことを考えれば開催国の英国が頑張ったのは分かるが何と言っても韓国が突出している。日本の場合、今回の男子柔道で史上初の金メダルゼロを記録したのに代表されるように全般では男子の不振を女子がカバーしてメダルの数を増やした。日本選手団の人数も男子より女子が多かったのも象徴的だ。今回のロンドン五輪ではオリンピック史上初めて全ての国・地域から女性が参加したことが特筆されている(イスラム圏の女性も参加)。オリンピックは歴史をつくる。とにかくもメダルの数を云々する程度で無事に大会が終了したことが万々歳。
8月14日(火) <色に惑わされぬ世界・・・>
色に惑わされぬ世界もある。一昨日(12日)、写真美術館でモノクロ写真の名作を見た以降、景色をみたり写真を撮影しようとする際に”もし色がなければどんな印象になるか”と考えるようになった。もちろん花に限らず「色」が魅力である場合は多い。一方で「色」がなくても明暗、形状など十分に人を引きつける力があるケースも多く、モノクロで見た場合、色がある以上に深みを感じることもある。犬や牛、馬などはモノクロに近い色しか見ていないという話しを聞いたことがあるが、人間以上に敏感で周囲の状況を素早く把握もできる。色を見る以外の聴力、嗅覚など総合的なセンサーの中で「色」の識別はごく一部の感覚でしかない。人間は何事でも「色」をつけられると直ぐにだまされる。ときどき色がなくなるとどうなるか”色感覚”をずらしてみるのも面白い。
「今日の写真」(下)の左側には色つきの花。右側にはあえてモノクロとした写真を掲載。
 
2012-08-14@目黒川緑道 ・左=ハツユキカズラ(初雪葛) 、右=花虎ノ尾(フィソステギア)

8月15日(水) <「Last Song」という矢沢永吉のニューアルバム・・・>
「Last Song」という矢沢永吉のニューアルバムがこの9月1日にリリースされる。・・と私にしては馴れないテーマであるが、これは矢沢永吉と糸井重里の対談の中で知った(対談最新=ここ)。これまで40年間、日本のロック界をリードし、LIVEコンサートを2000回もやってきて矢沢永吉が「LastSong」を発表しながらロックを止められない理由を「だって、やめてなにする?」と言っているのが印象的(=ここ)。糸井が「翼を動かして活発に飛んでいる鷹が”歩きながら、どう最近?”なんて言うのはヘン」と巧みな比喩で同調している。糸井重里は矢沢永吉のベストセラーとなった自伝「成り上がり」のライターでもあったようだ。矢沢、糸井共に還暦を過ぎたほぼ同年代。こういう人たちは周囲に迷惑をかけることなく生涯現役の仕事ができる。「LastSong」の後に何をするか注目している。
今日の 表紙には「mieuへの絵手紙」を掲載。また「鉛筆画」を試みた。「今日の写真」(下)は恵比寿ガーデンプレイスにて。今日の東京はお盆休みで人影が少ない。人の入らぬ写真を撮れるのは今だけ。


2012-08-15@恵比寿ガーデンプレイス

8月16日(木) <お盆の最終日・・・>
お盆の最終日の今日、家に迎えた精霊を送り火で送り届ける風習が各地にあるが、京都の大文字焼きや長崎の精霊流し(しょうりょうながし)なども、この送り火の名残であるという。今年、我が家の居間(仏間兼用)にはお盆の時期に盆提灯の代わりにホオズキが飾ってあったので精霊も分かり易かったのでないかと勝手に思う。ホオズキの漢字は「鬼灯」(ちなみに英語ではChinese Lantern Plant)。確かに実が赤く怪しげな提灯の印象ではあるが、この場合の「鬼(オニ)」は神的なものと解釈したい。「鬼灯」はお盆の時期や名前にこだわることなく見れば見るほどユニークで不思議な植物だ。「今日の写真」として「鬼灯」の写真を撮ったがカラーのオリジナルとモノクロに変換した写真を並べて掲載してみる(下)。
2012-08-16「鬼灯」

8月17日(金) <「今日の作品」に「紙+紙」・・・>
「今日の作品」に「紙+紙」(鉛筆画)を掲載した。このところ毎日厳しい残暑が続く。こんな中でどういう訳か創作意欲が旺盛だ。バイオリズムが上り調子とみえる。ところが何か描きたい、作りたいという気持ちはあるのに具体的なアイデイアがでてこない。そこで二枚のコピー用紙をぐしゃぐしゃにして、そのまま鉛筆でスケッチしたものが「紙+紙」。これも描いているうちに結構面白いと思えてきた。端の凹凸を描くときには丁度山並み描くのと同じような感覚になる。創作にある時間を使うと何かアウトプット<成果>がでる。何もやらぬよりは何かやる。何も残さぬより何か残す。そんな積み重ねとしたい。
「今日の写真」もモノトーンの今日の作品に合わせてまた「モノクロ」写真とした(下)。
    2012-08-17ダリア@中目黒公園

8月18日(土) <猛烈な雷雨は一寸恐ろしい・・・>
猛烈な雷雨は一寸恐ろしいが、乾いた大地には有り難い水やりとなる。東京では昼頃雷雨も止んで夕方には青空も見え始めた。今日はどういう訳かトイレや風呂場などの大掃除を続けてやり、いい加減飽きてきたので青空につられて散歩にでかけた。久しぶりに猿楽神社へ向かう。この神社は渋谷区のヒルサイドテラスの敷地内にある本当に小さな神社。以前、犬を飼っていたときには毎日のように犬の散歩で通っていたが、最近はほとんど行ったことがない。神社は昔と変わっていなかったけれども、通りの街路樹と並んで丁度ヒマワリが真っ盛りで咲いていた。大きなヒマワリには確かに人を元気づけるパワーがある。ついでに、旧山手通りを横断して蔦谷書店のあるアイビープレイス(ivyplace つまり「蔦」のある場所)あるいは T-SITE(つまり、蔦谷の場所)へも行ってみた(=ここ)。ここは蔦谷書店が代官山の一角を再開発した地域。ここも久しぶりに訪れたのであるが、やはり新鮮で気合いの入ったものを目にするだけで刺激になる。突然、この一帯を歩くことは私にとって美味しい水となると気がついた。喉がカラカラであるのに喉を潤す水を飲まぬ手はない。これからはもう少し機会を作って「名水」を味わいたい。
 
2012-08-18@代官山、ヒマワリの隣が猿楽神社  右はivy place

8月19日(日) <自分のことは一番見え難い・・・>
自分のことは一番見え難い。自分のことはさておいて他人の欠点ばかり見えるのが人間の本性かも知れない。他人のことを言う前に”見え難い”自分を見ると分かる。ビデオで撮影した自分のテニスのフォームをみてガッカリしたり、録音した自分の声や話し方にそんなはずではないと愕然としたことが何度あったことか。・・今日は一日真夏の大掃除をした。掃除の箇所は自分の目でしっかりと見ているつもりだが、自分の見方と他人の見え方とは違う。いくら掃除をしても他人には汚れたところだけが目に付く。もし、誰か来客があるとすると、客人は自分では気にしないところばかり見ていたり、掃除していない箇所を見つける。同じように両目を開いて同じものをみても感じ方がまた違う。以前、掃除好きでいつも部屋を塵一つなく綺麗にしておく人(男性)の部屋にいて何か違和感を覚えたことがある。その部屋が整頓されていることは確かだが「本」が一冊もなく本人が何に興味があるか分からないし、個性もない。その上、他人(こちら)には部屋を掃除しろとか片付けろと説教された。それ以来、部屋は綺麗過ぎるのも考えもの、自分らしさがあればいいと思うようになった。半分は掃除や整頓が不十分な言い訳であるが、部屋の掃除は自分の住み心地のためにやる。余計な口出しはしない善き客人が訪れてくれれば言うことはない。
8月20日(月) <花より団子・・・>
花より団子というけれど、写真を撮るときに花よりも建物、煙突、クレーンなどにカメラを向けることが多い。花は勿論美しい。季節毎に見事な色彩や不思議な形状を見せる、一方で人工物も人間の作り上げた何かが感動を与えてくれる。世界遺産にも自然遺産と文化遺産があるが、自然遺産は人知を越えた、いわば神の創造物。人間の作り上げた文化遺産は到底自然にはかなわないが、それでも人間の歴史を教えてくれる。文化遺産となると大袈裟だがあらゆる人工物は人間が歩んできた一つの遺産である。「路上観察」ではないが、その気になれば周囲には鑑賞できる人工物で満ちあふれている。「今日の写真」には花も撮影したが今日はあえて人工物の方を掲載する。<左側の煙突は目黒清掃工場、右側の高層建築は中目黒アトラスタワー、45F>
2012-08-20@目黒川・中目黒公園橋にて、左=下流、右=上流

8月21日(火) <昨日、銀座でロンドン五輪のメダリストが・・・>
昨日、銀座でロンドン五輪のメダリストが凱旋パレードを行ったら沿道に50万人もの人が集まり大歓声をあげたという。暑いからといって家の中に閉じこもっているより選手の顔をみて手を振りたくなる気持ちがとてもよく分かる。暑いときこそ適度に身体を動かした方が緊張できる。今日の午後、猛暑の中を所用で外出したら「犬も歩けば棒に当たる」。たまたま「DAS」という催しに遭遇して遊んでしまった。DAS=DaikanyamaArt Street(代官山アートストリート)では代官山地区の設備や道路脇のスペース、広場などを使ってアート作品が展示され、講演会やライブ、映画会なども開催される(8月26日まで、案内=ここ)。なんでも横文字を使うところが私は好きではないがテーマは「NOTAUTHORITY 、BUT ART」。アートとは便利な言葉だから何でもあり。暑さを吹き飛ばすARTがみられる。今週末、日曜日までライブパーフォーマンスなども楽しめそうだ。
 
2012-08-21@代官山アートストリートにて

8月22日(水) <根津美術館が所蔵している名品・・・>
根津美術館が所蔵している名品の一つ、円山応挙筆の「藤花図屏風」(重文)をみた。いまこの美術館で「応挙の藤花図と近世の屏風」展が開催されている<案内=ここ、8/26まで>。円山応挙(1733〜1795)の絵は写生を重視した親しみやすく繊細な画風とされているが、応挙の藤花図では幹や枝、蔓(つる)に輪郭線を用いず一筆で描いている。下書きなしで綿密なる計画の下、一気呵成に描きあげた勢いが満ちあふれている。一方で藤の花の部分などは丁寧に絵の具を重ね塗りしてまるで油絵のような質感を出す。日本画はワンパターンでない。この展覧会では「夏秋草図」とか「秋草図」などもあり一足早い秋を楽しんだ。また常設の「双羊尊」(=ここ、2011年に私が制作した陶芸、双羊尊=ここ=のモデル)に会えたのもうれしい。
   
2012-08-22 応挙の「藤花図」部分        根津美術館庭園

8月23日(木) <京橋の画廊で・・・>
京橋の画廊で知人が展覧会を開いているのを見に行ったついでに、京橋-日本橋界隈を散策した。江戸時代、日本橋を起点として東海道を京都方面に旅するときに京橋は街道で最初に渡る橋であった。京橋はかつては「京橋川」という川にかかっていた橋の名前で、明治時代には江戸時代の木造橋から石造りの橋に掛け替えられたが、昭和34年、京橋川は埋め立てられて京橋も撤去された。今は川に代わって建造された高速道路の脇に昔の「親柱」(=中央区の文化財)が昔の姿を偲ばせる(下の写真・上左)。日本橋にはまだ日本橋川という川が残っているが川の上はやはり高速道路。現在の日本橋は高速道路に囲まれてはいるが歴史のある橋として鑑賞できる(国の重要文化財)。橋の欄干に設置された「麒麟(きりん)」や「獅子(しし)」などの装飾像も迫力がある。それもそのはず、日本橋は設計者○○、装飾デザイン○○、装飾制作○○とそれぞれ芸術家と同等に名前が記録されているので気合いが違う。高速道路でも設計者の名前を永久に残すようにしたらどうだろう・・。
 
 
2012-08-23 左=日本橋、上右=日本橋の装飾

8月24日(金) <信州・波田産のスイカ・・・>
信州・波田産のスイカをいただいた。ふと気がつくと今年はスイカを一度も食べずに夏が終わりそうだと妻と話をしていた矢先にタイミングよくスイカが届いた。見ただけでも巨大なスイカだったが、宅配のお兄さんが「ボク、信州の出身なんですけど波田(ハタ)のスイカは本当に美味しいですよ」と得意げに言う。配達の人がここまで言うことは滅多にない。インターネットで調べてみると、果たして、松本市波田町(はたまち=最近、波田町は松本市に編入された)は”日本有数の美味しいスイカの産地”として知られているようだ。冷蔵庫に入れる前にスイカを半分に切って写真を撮った(下)。冷やして食べたスイカの味は格別だった。美味しいスイカを本当にありがとう・・。
2012-08-24

8月25日(土) <i-phoneのオマケでもらった子機・・・>
i-phoneのオマケでもらった子機二台が続けて故障して使えなくなった。正確には子機ではなく「みまもりケータイ」(ソフトバンク)というようだ。このケータイはボタンが一つだけで親機との相互通話が無料でできる。位置情報を検索する機能を契約すれば子機がどの位置か追跡できるので子供や徘徊老人に持たせておくと行方が分からぬ時に威力を発揮する。私が子機を持っていたとき妻が親機を持っており、行動を追跡されてもかまわないが位置検索の契約まではしなかった。はじめは面白がって子機を使っていたがその内余り利用しなくなった。そして最近気がついたら二台とも故障。修理できる故障ではなさそうなので廃却することとし、その前に分解してみたのが下に掲載した写真。製造はやはり中国製。使用していないオマケ品だから未練はないが、短期間で故障しても”そんなものだろう”と思ってしまうところが悔しい。下の写真のように分解された内部が人間的で子機が何かを訴えているようにみえる・・。
  
2012-08-25 右は目黒川緑道にて

8月26日(日) <今日は「カノコガ」を覚えた・・・>
今日は「カノコガ」を覚えた。真っ昼間に透明なガラスの裏に羽を広げた虫が留まっている。羽にまだらな文様がある珍しい姿で蜂ではなさそうなので写真を撮って調べることにした。羽を広げて留まっているし触角がストレートに伸びているので蝶ではなく蛾に違いないと、インターネットの「蛾」で検索したところ「カノコガ」という名の蛾であることが判明。「カノコ」は「鹿の子」で鹿の背に見られる白い斑点と同じのような模様が羽にあるので、この名が付けられたという。一般的に蝶は昼間に行動し、蛾は夜間というイメージがあるが、「鹿の子蛾」は昼行性の蛾であると解説があったので納得。下に掲載した写真は裏から撮って分かり難いが胴の中央には黄色い帯があり一見蜂のようにも見える。これは蜂に擬態した蛾の種であるそうだ。蛾にもいろいろ、ふしぎいっぱい・・。
「今日の写真」右はDAS(代官山アートストリート)最終日の今日行われた榎忠さん(=ここ)のパーフォーマンスの様子。大砲から紙吹雪を発射するHEIWA-JAPAN。
 
2012-08-26 カノコガ@東京・渋谷区        Daikanyama Art Streetにて

8月27日(月) <ユーカリの根元を描いた・・・>
ユーカリの根元を描いた絵を「今日の作品」(表紙)に掲載した。オーストラリアでは森の樹木の4分の3がユーカリであるが、ユーカリの種類は非常に多く(数百種以上)コアラの食べるユーカリはそのごく一部であるという。樹木の大きさも数メートルの高さから70メートルの巨木まであるそうだ。ユーカリは製紙パルプの原料として使用される他、精油成分が民間薬(殺菌、鎮痛など)やアロマの材料として重宝される。描いた絵のように根に近い太い幹がねじれているのも特徴の一つ。広島には原爆で被爆したのに今も生き残っているユーカリの巨木があるときく。ユーカリには地球がどんな環境に変わっても決して絶滅しない強靱な生命力がみなぎっているように見える。
こちらはユーカリの生命力とはほど遠いので、今日は炎天下のテニスを終えて家に帰り着くと、無事に帰還できたことを感謝。テニスをしてもしなくても事もなく一日を過ごせたのはただ「運」のみと思うようになった・・。


8月28日(火) <「ばんえい競馬」の”ばんえい”とは・・・>
「ばんえい競馬」の”ばんえい”とはどんな字を書くのか考えてしまった。山手線の車内広告に北海道・帯広のPRがあり、”帯広競馬場は世界で唯一ばんえい競馬を通年開催している”。その他「ばんえい競馬」が至る所に出てくるがみな「ばんえい」のかな文字。家に帰ってからようやく以下を納得した。競走馬がソリを曳きながら力と速さを争う競馬が「ばんえい競馬」で、「ばんえい」とは、「輓曳」と書く。「輓」はソリを曳かせる馬の輓馬(ばんば)。それにしても「ばんえい」と仮名だけであると非常に分かり難い。「ばんえい」の言葉を残すなら、広告では当用漢字になくても「輓曳」と書いてふりがなを付けた方がいいのでないか。
2012-08-28@JR市ヶ谷駅前のお濠

8月29日(水) <久しぶりに陶芸の大作・・・>
久しぶりに陶芸の大作が昨日完成したけれども作品としてまだ掲載できない。”焼き物”は出来上がったけれども、焼き物の内部に小型の水ポンプを装着したり、水の流れを調整したり、LEDランプを組込むなどやるべき事が山ほど残っている。このような工作はまた楽しい作業ではあるが、今回の場合、工作以前の陶芸技術で反省することが多かった。陶芸も馴れてくると緊迫感がなくなるのか、最後の”詰め”<釉薬仕上げ>に甘さが出てしまった。リカバリーがどの程度できるか、あわてない、あわてないと言い聞かせながら仕上げに取組んでいる最中だ。毎回同じような反省をして、同じ言葉を繰り返すが、今日もまた世阿弥が600年以上前に残した言葉を綴る:「ぜひ初心忘るべからず。時々の初心忘るべからず。老後の初心忘るべからず」(風姿花伝)。
 
2012-08-29 @渋谷・松濤鍋島公園の水車  右は公園前の風景/秋の兆し

8月30日(木) <身体の中で一日に死ぬ細胞の数・・・>
身体の中で一日に死ぬ細胞の数は3000億〜4000億個という(重量で言えば約200グラム分の細胞が死滅)。人間の身体は約60兆個の細胞でできているので約200分の1の細胞が毎日死に、その分新たな細胞で補われる(田沼靖二著「ヒトはどうして死ぬのか」/幻冬舎新書より、2012-1月11日コラム=ここ=参照)。皮膚は約一ヶ月周期で新しい細胞に入れ替わる。胃の内部の細胞には数日の再生周期のものもある。こうした分裂・増殖する機能を持つ再生系の細胞の死滅と再生の繰り返しで生命が維持される。一方、生まれてから同じ細胞が生き続ける非再生系と呼ばれる細胞もある。脳の中枢の神経細胞や心臓の拍動を担う心筋細胞などは置き換えは行われない。非再生系の細胞も永遠に生き続けることはできないので個体の死は必ずやってくる。大脳皮質では一日に約10万個の神経細胞が死滅しているとか。・・このような新陳代謝(再生系)と寿命(非再生系)が絡み合った機能を知れば知るほど生きていることが神秘的に思える。「日々是新たなり」。そして死があるからこそ生が美しい。
 
2012-08-30 縦型の雲発見(右は五分後の雲の流れ)@中目黒    紅白ダリア

8月31日(金) <昨年の今頃はアメリカ・ヨセミテ国立公園・・・>
昨年の今頃はアメリカ・ヨセミテ国立公園内をキャンピングカーで寝泊まりしながら旅行の真っ最中であった。娘家族と、娘の姑さんを入れた6人で旅行する機会はこの時を逃せば二度となかったかも知れない。今年は孫娘も上級の学校に進学してますます忙しくなったようだ。私を除き(?)みなスケジュールの調整が容易ではない。旅行に限らず、何かを成し遂げようと思うと、先ず手を付けることだ。やりはじめてから方針変更しても一向に構わないと割り切る。結果は後からついてくる。自分で創作する陶芸や絵画などのテーマ探しは言うに及ばず、展覧会をみたり音楽会に行ったりすることでも熟考を重ねて行動するのでなく閃きで動く。閃きが"チャンス”である。ヨセミテは今考えてもとても楽しかった。貴重な初体験の連続であった。これからも”手慣れた仕事”、”いつもの行事”ではなく、初めての経験に挑戦するように”閃き”を期待しよう。。
 

2012-08-31 @恵比寿ガーデンプレイス
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