これまでの「今日のコラム」(2013年 11月分)

11月1日(金)  <今日から11月・・・>
今日から11月。霜月と聞くだけでいよいよ冬の到来、今年も残り少ないという感覚になる。夕方の5時頃に出先から自転車で帰ろうと思ったら、もう辺りは薄暗くなっていた。夕闇の中を自転車のペダルをこぎながら頭を駆け巡った断片を書いてみよう・・。少々のバラツキがあったとしても時が経過すれば季節は確実に移り変わり四季を繰り返す。大昔から同じ繰り返しのように見えて生きている者にとってはその年齢では二度と同じ季節に会うことはない。有名人の訃報では先ず年齢を見る。最近では、川上哲治さん93歳、岩谷時子さん(作詞家)97歳など。大往生と言われても周囲の人のご苦労はどれほどであっただろうと邪推してしまう。現役でどんなに名誉やお金を得たとしても他人には見せたくない無様な晩年を過ごす例は枚挙にいとまがない。一方で人生の前半生より後半や晩年の生き様がすばらしい人たちが多くいることも確か。他人に決して迷惑をかけない生き様を見習いたいが「逝き様」だけはだれもコントロールできない。・・せめて夕闇の中で事故を起こさないように・・。
11月2日(土)  <秋風の坂をおりれば・・・>
「秋風の坂をおりれば九品仏」(小絲源太郎)。洋画家であった小絲源太郎(1887〜1978)は俳句の達人でもあったようだ。今日2日は息子の月命日。小糸が詩に詠んだ九品仏に墓参した。毎月、九品仏のことを何か書いているが、今日は九品仏の「歌碑」について触れたい。都天然記念物にもなっている境内の巨大なイチョウの樹の脇に一つ歌碑がある。「掃きよせて落葉焚く間も銀杏の樹 やまずしこぼす黄なるその葉を」。その短歌の下に作者の名前が書いてあるが、二文字なのでどうも誤解を生むようだ。私は明治生まれの歌人、植松寿樹(1890〜1964)の作とみる(=この人=)。「寿樹(ひさき)」の寿が歌碑には古い<壽>文字を使っているので判定しづらい。ちなみに植松寿樹の墓は九品仏にある。世田谷区の案内書では「植村壽樹」としているが、これは単純ミスと思われる。ネット上では現在も活躍する歌人の「福島泰樹」と解説しているものがあるが1943年生まれで「短歌絶叫」パーファオーマンスをする福島さんがこのような歌を詠むとは思えない。名前を彫り込んでいる歌碑でさえ作者が誤り伝えられる。人間のなす業績とは何とはかないものか・・。
2013-11-02@九品仏浄真寺(東京・世田谷区)/右端が歌碑

11月3日(日)  <十一月花形歌舞伎・・・>
「十一月花形歌舞伎」(明治座、11/25まで、案内=ここ)を見て先ほど帰宅した(夜の部の演目終了は8時45分)。座席は花道の直ぐ脇。今回も切符をいただいたのであるが自分では到底購入できない特等席だった。演目は「歌舞伎十八番の内、毛抜」、「連獅子」、「権三と助十(岡本綺堂作)」の三つ。それぞれに非日常の芝居を楽しみながら、幕間には歌舞伎スタイルの独自性を 考えていた。もし。江戸時代に鎖国をしていなければ今の歌舞伎ではなく全く違う芝居になっていたに違いない。他でも鎖国が独自の日本文化を生んだことは色々と示唆に富んでいる。
11月4日(月)  <何事も一期一会・・・>
何事も一期一会の精神でみると見方が変わる。言うまでもなく一期一会は茶道の心得。「出会いの時間が生涯で一度きりのものと思い、お互いに最高の誠意を尽くすべき」とでもいうところか(千利休の弟子、山上宗二が書き残した)。茶道以外でも「生涯に一度限り」と考えると生きている今この瞬間が有り難く思える。昨日のプロ野球日本シリーズで楽天が巨人を下して初の日本一となったが、最終回に田中将大が抑え投手として登場して歴史的な優勝を勝ち取る瞬間の主役となった。前日160球を投げて敗戦投手となった田中をあえて投げさせた星野監督はもしかすると来年からは大リーグにいく田中を日本のマウンドで見ることのできる生涯最後の機会として演出したのかも知れない。そう言えば今日のニュースで松井秀喜が巨人の臨時コーチを受諾する意向と報じられている。ヤンキースの松井秀喜をヤンキースタジアムで見たのは私にとって”生涯一度限り”であった。野球選手ほどドラマチックでなくても普段付き合っている周辺の人でさえ「今日が生涯最後」と思うだけで新鮮に見える。瞬間瞬間が貴重である・・

11月5日(火)  <何となく「心づくしの秋」・・・>
何となく「心づくしの秋」を感じるようになった。落ち葉が急に増えて早朝の道路掃除にも時間がかかる。気温も下がって風が冷たい。夕方は早々に暗くなるので無灯火の自転車では家路を急がなければならない。紅葉や落葉は美しさの一方で諸行無常、華やかなものにも終わりがあることを伝えてくれる。そういえば長年住み慣れたこの地を去らねばならない。今年が最後の秋となるのだろうか・・。こうした現代の都会でのガサツな季節感と違って1100年前に古今和歌集に登場する「心づくしの秋」は月で感じた:「木の間より 洩りくる月の 影見れば 心づくしの 秋は来にけり」(詠み人知らず)。それにしても道具や環境は大きく異なっているとしても人間の”センサー"は1000年の時を隔ててもそれほどに変わっていないようにも思える。「もののあはれは秋こそまされ」も同じ。先人を見習ってもっともっと秋を感じてみよう・・。
 
2013-11-05 天空公園(東京・目黒区)で感じた秋 (右端はニシキギ)

11月6日(水)  <聖書の中にでてくる「マルタとマリア」・・・>
聖書の中にでてくる「マルタとマリア」姉妹の話は宗教を離れて示唆に富んでいる。イエスと弟子たちがある村に住むマルタとマリア(イエスの母のマリアではない)の家を訪ねた時の話。姉のマルタは一行を”オモテナシ”するため甲斐甲斐しく働く。一方、妹のマリアはイエスの足許に座ってお言葉に聞き入るばかりで何もしない。一生懸命に食事の準備など立ち働いていたマルタは手伝いをしない妹のことを不満に思ってイエスに訴える。それに対してイエスはマルタの心の乱れを理解を示した上で言う:「・・しかし、必要なことはただ一つである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない」。・・手早く何でも片付けて仕事ができる働き者からみると何もしない者が怠け者に見えて非難したくなることは分からないではないが、自分のやっている事を他との比較で見る、それも自分を基準に見るケースが何と多いことか。相手の価値基準を認めることは難しい。自分で本当に選んだ道であれば他人(マルタの場合妹が相手で余計に身内意識があるのか)を自分と同じ事をやらせる発想にならないのも確か。必要なことはただ一つ、他人のことを言うよりも自分の道を進みなさい・・か。<マルタとマリアの解説例=ここ=>

11月7日(木)  <食材がメニューと異なる問題・・・>
食材がメニューと異なる問題が発覚してマスコミが大騒ぎしている。一流のホテルや旅館、デパートなどで、誤表示か偽装表示なのか知らないが、次々に公表されて止まるところを知らない。一連のニュースに私はほとんど関心がないのは申し訳ないほどだ。考えてみると、私の場合、高級レストランの食事には縁がなこともあるが、メニューに相当する肩書きとか能書きに興味がないのかも知れない。要は美味しければよい。名前には全くこだわらない。世の中には銘柄好きな人は多い。ワインは○○、ビールは××・・、やはり美味しいとよく聞かされる。私はどれも美味しいので困ってしまう。元より、バナメイエビと芝海老、普通のネギと九条ネギ、牛脂注入肉とビーフステーキ、発砲ワインとシャンパン、解凍した魚の天ぷらと鮮魚の天ぷら・・の区別をつける自信はない。本当に美味しい料理は食材の銘柄と必ずしも関係なく、あえて仰々しく来歴を書くこともないだろうに・・。人間の学歴や肩書きなども同じだが過去の履歴だけにとらわれると本当の味が分からなくなる。
今日は想定外の雨でテニスはお休み。身体が鈍っているので雨が止んだ夕刻、公園まで散歩して写真を撮った(下)。
 
2013-11-07@中目黒公園(東京・目黒区)右はローゼルの実&サルスベリの実

11月8日(金)  <歌手の島倉千代子さんが死去・・>
歌手の島倉千代子さんが死去したと今日の夕方のニュースで報じられた。享年75歳。私たちとほぼ同年代で平均寿命からみてもまだまだ長生きできるお年だのに・・。肝臓がんであったという。歌手や芸能人とは無縁であるが島倉さんには一つだけ特別な思い出がある。私が勤め人時代に、東京・八重洲のオフィスにいた時期がある。そのオフィスの隣りに国際興業のビルがあった。昼休みに屋上にでると直ぐ隣りのビルで国際興業の観光バスのバスガイドさんの研修をしている様子が見える。そこで歌唱指導(歌うだけかも知れない)をしていたのが島倉千代子さんだった。あれほどの歌手がバスガイドさんに歌を教えるのだと驚いたのが忘れられない。ニュースでは”紅白に30年連続出場”とか華々しい表の実績が報じられるが島倉さんの生涯をみると正に「人生いろいろ」(=これ=をみた)。結婚-離婚、何度もだまされ、裏切られて莫大な借金、病気療養など・・。もういい加減に楽をさせてあげたいとあの世へ旅立たれたのが救いのような気さえする。あるいは大親友だった美空ひばりさんが呼び寄せたのかも知れない。合掌
表紙の写真を更新。卵形花器を反対側のアングルから撮影したもの<作品の経緯は10/31コラム=ここ=参照>


11月10日(日)  <今日は谷中に行き義兄の墓参り・・>
今日は谷中に行き義兄の墓参りをした。毎月恒例となった墓参のついでに谷中近辺を散策するのが楽しみでもある。谷中には墓地や多くのお寺があることで知られているが、路地を歩くと100年前にタイムスリップしたような独特の風景に接することができる。このような写真を(下)に掲載してみる。私は「ブリキ」の漢字をこの店の看板(写真b)で最近覚えた。今日はこの錻力(ブリキ)店さんの向い側あるに朝倉彫塑館(=ここ)にも行った。彫刻家、朝倉文夫が60年近くアトリエ工房兼住居として使ったとされるこの地は今は台東区のもの。そういえば谷中霊園は東京都のもの。お寺は優遇されて残っているが谷中にも私有地はほんの少ししかないのかなぁ・・。朝顔のある風景が余計貴重に思えてくる。
<昨夜は、陶芸教室で”秋の食事会”があり帰宅が11時頃になったので11/9コラムはお休みとしました>
 
2013-11-10@谷中にて               (
b)
 
2013-11-10@谷中にて/このような風景が随所でみられる


11月11日(月)  <「心に愛、唇に毒」・・・>
「心に愛、唇に毒」という題名の講演を聞いた。講師は脚本家・作家で横綱審議会の委員を10年間勤めたこともある内館牧子さん。内館さんからどんな「毒舌」が飛び出すか期待したが、ユーモアを交えた穏やかな語り口で気持ちのいい講演会だった(@大手町・日経ホールにて/チャリテイー講演)。「唇に毒」は内館さんが横綱審議会の委員をしている時に横綱を含めた関取にビシビシと注文をだしたことを指す。親方や関取周囲の人が指導しきれなかった”伝統のしつけ”をあえてやった。本当に「心に愛」が充ちたアドバイスをして「毒」とも言われたのだろう。講演の内容も主に相撲に関するもの。内館さんは万葉集の時代から続く日本人独特の感性である「見立て」とか「見なし」が相撲界にどう反映されているかを語った。欧米圏でfireworkという素っ気ない単語を「花火」と称する日本人の感性も同じ流れと見る。家に帰ったら丁度テレビで大相撲の中継をやっていた。土俵、吊り屋根と房、土俵入りなど全てにこれまでにない見方ができるようになって大相撲が俄然面白くなった。

11月12日(火)  <街路樹の落葉・・・>
街路樹の落葉が始まっている。自転車で色々な道を通ると街路樹の種類によって落ち葉の掃除の手間が異なるのがよく分かる。葉が大きくて始末が悪いのはプラタナスか。”プラタナス”の語源が大きな葉から由来している(ギリシャ語の広いの意)というから葉が大きいのは樹木の特性であろうが、落ち葉となると道路にA4サイズ(形状は巨大な”かえで”!)の紙をまき散らしたような大型ゴミとなるので掃除が大変だ。街路樹に使われるプラタナスはスズカケノキ(鈴懸の木)とアメリカスズカケノキとの交配種(雑種)であるモミジバスズカケノキ(紅葉葉鈴懸の木)が多いという。細かいところはともかく一般的にはプラタナスは和名では「鈴懸の木」。プラタナスの名が巨大な葉に注目したのに対して、鈴懸の木は葉が落ちた後の果実が鈴に似ているところに目をやったのが面白い。そろそろ「鈴懸」の時節になる。プラタナスではなくスズカケで歌や詩ができるのが日本人の感性であるのだろう。戦時中(1942年)に灰田勝彦が歌って大ヒットした「鈴懸の径(みち)」を倍賞千恵子が歌ったYouTubeを見つけて懐かしく聴いた(=ここ)。
11月13日(水)  <「タツノオトシゴ」(竜の落とし子)は別名「海馬」・・・>
「タツノオトシゴ」(竜の落とし子)は別名「海馬」と呼ばれる。ご存知のように、実に奇妙な魚で、体を直立させて頭を前に向けて海の中を泳ぐ。その姿形から「竜の落とし子」とか「海馬」と名づけられたのも分かる。英名はSeahorseだ。「海馬」というと今や魚ではなく脳の中の重要な器官としての名前の方が馴染み深くなった。脳機能の「海馬」は形がタツノオトシゴとそっくりである。インターネットをみていると=このような=比較写真があった<インターネットは本当に便利でありがたい>。脳の中で新しい記憶や認知機能を司る海馬はアルツハイマー病で初めに変化が生じる部位として私たち素人にも名が知られるようになった。更に驚くのは、海馬を含めた脳の研究は正に日進月歩、毎日のように研究成果が報道されることである。ちなみ海馬に関する今日のニュース=ここ。最近の海馬関連の記事例/海馬を鍛える=ここ、海馬の回路=ここ、脳若返り=ここ。一方で解明されればされるほど更なる不思議が増えるのが脳の働きであろう。
表紙に今日の作品として「mieuへの 絵手紙/無題」(水彩)を掲載した。私がはがきに絵を描く係、妻が便りと住所を書く係。最近、妻の手元に何枚もはがきが溜まっているようだ。mieuちゃん、もう少し待っていてね・・。


11月14日(木)  <どのダイエット法も正しい・・・>
「どのダイエット法も正しい。ダイエットに成功するか否かは何十冊もの本に書かれたダイエットの方式によるのでなく、どんな流儀でも良い、ただ継続して実行するかどうかにかかっている」・・というコメントが忘れられない。同じことが「健康法」についても言えるだろう。毎日、山ほどの健康法の解説が目につくが、実行が伴わなければ意味がない。私の場合、余りに格式張った健康法はどうも好みではない。杓子定規なやり方を強制されても継続できない。この一ヶ月くらい続けているのが朝の「冷水摩擦」。この大昔からの健康法は何より簡単で安上がり。どうして始めたのか理由は分からなくなったが、とにかく早朝の短時間で気分一新、心地よくなるので気に入っている。早朝の道路掃除は一年以上続けているが、果たして冷水摩擦は続くだろうか。これからの冬の寒さが楽しみ(!)だ。

11月15日(金)  <1ドルが100円を超す円安・・・>
1ドルが100円を超す円安となった。円相場など全く関係がない自分ではあるが、個人的な歴史が円-ドルの思い出とつながっている。子どもの頃は(青年期も含め)1ドル=360円と決まっていた。固定相場制が当たり前でドルが圧倒的に強く、海外旅行は夢であったが、逆に日本で作ったものをアメリカに安く輸出することができて日本経済は成長を続けたのだろう。アメリカのニクソン大統領の経済政策の大転換に伴い日本が変動相場制に移行したのが1973年、40年前だ。考えてみるとこの時期には結婚して子供もいたことになる。変動相場制導入後一挙に1ドル=260円、更に、1987年頃には1ドル=120円、1994年に100円を割ったと思うと、1995年に1ドル=80円まで円高が進んだ<円相場の資料による>。それから現在まで20年近い歳月が流れ100円。・・ドル-円相場をみていると”お金”のことは個人の努力とか誠意と別世界であるという現実を突きつけられてしまう。やはり「美」とか「宇宙」とか言いながら周囲に感謝している方が性に合っているか・・。
「今日の写真」(下)は小雨の中、気分転換に訪れた「旧朝倉邸」(=ここ)。玄関前に菊が飾ってあった。
 
2013-11-15@ 旧朝倉邸(渋谷区)

11月16日(土)  <「宇宙の構造」をヒントに・・・>
「宇宙の構造」をヒントに陶芸を制作している。・・というと気恥ずかしいが、ただ構造体として宇宙構造と称する立体図形を参照としたまで。大袈裟なものではない。それにしても、googleで「宇宙 構造」をキーワードにするだけで沢山の「画像」を見ることが出来る。参照としたのはドーナツ型(=円環体、トーラス体)がベースになった形状だが、ドーナツ型にしても「コーヒーカップとドーナツは同相である」という陶芸向きの画像があったり(=ここ)、「ドーナツの宇宙的変形画像」があったり(=ここ)、大いに興味をそそられる。内容に共感する訳ではないが宇宙の構造を現実の人間社会と絡ませて物語としたYouTubeサイト(映画)も紹介しておこう(スライヴ=ここ/この動画は長い!話題の映画だが中身を余り真面目に見ることはない)。それでは、どんな陶芸を制作しているのか、それは追って掲載。陶芸の形状に理屈はいらない。怪しげな宇宙をヒントに遊んでいる。
11月17日(日)  <大学のオーデイオ研究会の現役メンバー・・・>
大学のオーデイオ研究会の現役メンバーに、先に亡くなった義兄のオーデイオ機材の鑑定と活用をお願いした。義兄は天井に自分で設計した口径2mの巨大スピーカーを埋め込んだり合計20〜30個のスピーカーを使って自作のアンプで音を出すオーデイオマニアだったが、義兄と60歳も年が離れた現役のメンバー2人が義兄の手作りの技や使用している部材に感激してくれた。「猫に小判」、「豚に真珠」というとき「猫」や「豚」を自認する私などアンプのどの部材がどのような価値があるのかさっぱり分からない。それが一方で宝物を見つけたように”すごい”といって若者が目を輝かせる。即座にかなりの機材をオーデイオ研究会で引き取って活用してくれることとなった。この研究会のメンバーを紹介してくれたのは私の学生時代からの友人、そして私は義兄の息子さん(甥っ子)から遺産であるオーデイオ関連の処理を一切任された立場。考えてみると全てがちょっとした偶然と縁で結ばれている。人と人との善意の結びつきは思いのほか強固な力を発揮する・・。
11月18日(月)  <狭いながらも楽しい我が家・・・>
「狭いながらも楽しい我が家」を最近ある種の理想型として思い描く。豪邸に住んでいても大金持ちであったとしても暖かい家庭がなければ決して幸せとはいえない。独りでお金を持っていても何か空しい。家族や周囲の人との良き関係が生き甲斐を生む。今日の午前中に楽しんだテニスも同じような感覚だ。「力はなけれども楽しいプレー」。パワーを求めるのでもなければ、勝ち-負けを競うのでない。ところで、冒頭の「狭いながらも楽しい我が家」は歌とともに私の幼児期から耳に付いている言葉だが、調べてみると80年以上前(1928年)にアメリカで大ヒットした歌、”MyBlue Heaven"の歌詞を堀内敬三が訳詩した「私の青空」の歌詞の一部であることを知った。戦争ともバブルとも関係のない時代で、アメリカで”家族のささやかな幸せ”がヒットしたことが興味深い。また当時の日本の庶民も謙虚なこの歌に同調した。”MyBlue Heaven"をインターネットで聴くことが出来る(=ここ)のはありがたい。「私の青空」の歌詞や解説も添えてある。ジーン・オースティンの歌を聴いていると何だか大昔の夢の中にいる心地がして悪くなかった<リンクした同じサイトで伊東ゆかりの「私の青空」も聴ける>。
11月19日(火)  <紅葉真っ盛りの高尾山・・・>
紅葉真っ盛りの高尾山にいってきた。高尾山は東京・八王子市にある標高約600mの山。都心から簡単に行けるけれども「年間の登山者数は260万人以上で世界一」(一日平均で7000人以上)と聞くと、逆に衝動的に行くのは怖い。今日は朝食前に家を出て9時前には麓に着くようにした。この山の山頂近辺から東側をみると八王子市街の先に新宿のビル街、そしてスカイツリーと東京タワーまでが同時に見える。今日は快晴であったのでスカイツリーもはっきりと見えた。スカイツリーの高さは高尾山より高い634mだから、天気さえ良ければ見えて当たり前ではある、。今日はまた山頂から西側に見事な丹沢山系の山々と富士山を見ることができた(下の写真)。山の麓まで降りて来て最後は足湯。家からわずか1時間半をかければ、こんな別世界がある・・。
 
2013-11-19@高尾山 浄心門近辺          薬王院近辺
 
2013-11-19 高尾山山頂より西側を臨む(富士山)  山麓駅近辺

11月20日(水)  <マイクロ・ヘリコプター・・・>
マイクロ・ヘリコプターを入手したので早速スエーデンの友人に発送した。彼は80歳近い年齢だが模型飛行機やラジコンが大好きなので、このクリスマスプレゼントを喜んでくれるだろう。友人に送る前に、先ず自分用のキットを試運転したが、これが聞きしに勝る優れもの。世界最小クラスのラジコンヘリと言われるが、重さが11gで指先に乗る大きさ。ジャイロ(姿勢を安定させる装置)を搭載しホバリング(空中で留まること)もできる。私はラジコン遊びをやったことはないが初めてでも実に安定して運転できる性能は驚異的だ。技術に疎い人はただの小型おもちゃと思うかも知れないが、これは違う。高度な経験と技術が伴って初めて完成した世界レベルの製品といえる(このメーカーは京商、参考例=ここ/動画もある)。これに関連して知ったのは日本のラジコンヘリコプターの技術の高さだ。このメーカー以外にいくつもの中小メーカーが頑張っている。私ももっと広いスペースの環境にいればラジコンにハマったかも知れない。今は室内でマイクロ・ヘリコプター・・。
2013-11-20 マイクロ・ヘリコプター

11月21日(木)  <上野の東京都美術館・・・>
上野の東京都美術館に「都展」を見に行った。妻の小学校の同窓生(男の子)が出展するので、こちらも何となく親しく毎回見に行くのだが、いつも無理のない素直な絵で気持ちが和らぐ。日本には日展、独立展、二科会、一水会、新制作など数えきれないほど沢山の絵画の会派があり、それらの展覧会にも行くことがあるが、よく言えば強烈な個性があり、別に言えば独りよがりの思想が強すぎて見るだけで疲労困憊することもある。それと比べると公募展である都展は全般に自然体の絵が多くホッとする。美しいから描く、面白いから描く、描きたいから描く・・といった自然な描き方は鑑賞する側としては有難い。会場の外の上野公園は秋・紅葉の真っ盛り。やはり自然が美しい。
 
2013-11-21 @上野公園にて
 
2013-11-21 @上野公園             これは別=霞ヶ関/法務省旧本館

11月22日(金)  <表紙に掲載した「COSMOS容器」・・・>
表紙に掲載した「COSMOS容器」(陶芸/粘土)には複雑な思いがある。粘土での制作が完了し、次の素焼きの窯に入れるばかりの作品を、写真で残しておこうと今日陶芸教室に出かけて撮影したもの。虫の知らせとでもいうのか、最近の空気の乾燥具合(40%台の湿度が継続)からみて粘土が乾燥する段階でひび割れの危険があるので素焼き前に見ておきたかったこともある。結果、悪い予想が的中して4本足の1本が破損しており苦肉の応急修理をしてきたところだ(写真では破損部は写っていない)。修理が成功するかどうかは焼成してみないと分からない。モノツクリにはいろいろなことがあるさ・・と云いたいところだが、気合いを入れて制作していたので少々意気消沈。陶芸教室からの帰途、自転車で寄り道をして目黒川沿いの紅葉をみながら気分転換をした<COSMOS容器の形状については11月16日コラム=ここ=参照>

 
2013-11-22@目黒川に映る中目黒アトラスタワー&目黒清掃工場煙突  右は中目黒公園にて

11月23日(土)  <“ゲーテ曰く(いわく)”・・・>
“ゲーテ曰く(いわく)”といって相手を煙に巻くのが流行した時代があった。たまたま古い本を見ているとゲーテの言葉が並んでいた。一部引用してみよう。「人間は努力している間は、迷うにきまったものだ」。迷うとは、疑問を持つこと、考えること。確かに努力をしないで安易な結論で突き進むより迷うのも悪くはないと勇気づけられる。次:「いつかは終局に達するというような歩き方では不十分だ。その一歩一歩が終局であり一歩としての価値がなくてはならない」。これは芸術への取り組みに示唆的だ。時間が経てば達成できるのではない。一歩一歩が勝負であるのは納得。改めてゲーテをみると、1749〜1832年の生涯で実に多彩な活動をしている。「若きウェルテルの悩み」などの小説は今も古典として読み継がれる。「魔王」や「野ばら」などシューベルトの歌曲の歌詞はゲーテ。詩人としての業績は現代にも活きている。私はゲーテの「色彩論」という本を持っているが、これは20年をかけて執筆した大著でゲーテの科学研究の足跡の一つでもある。意外に思えるがゲーテには自然科学の分野でも色彩論のような多くの著作がある。・・今年は「いつやるか?今でしょう」が流行語となったが、ゲーテいわく:「・・今日できないようなら、明日も駄目です。一日だって、無駄に過ごしてはいけません」。

11月24日(日)  <モローとルオー・・・>
「モローとルオー<聖なるものの継承と変容>」という展覧会に行った(汐留ミュージアムにて、12/10まで開催中、案内=ここ))。副題に「師弟を超えた魂の絆」とあり、世界初のモロー(師)とルオー(弟子)の二人展とされる。ギュスターヴ・モロー(1826〜1898)はフランス国立美術学校の教師としてルオー以外にマティスやマルケなど多くの画家を育てている。この場合、教師といっても”教える”のでなく自分を超える才能や個性を引き出すのが役割といえるだろう。モローが弟子に助言したとされる言葉「芸術を志すものが最も陥り易い罠(わな)は、自己満足と傲慢」(意訳)でモローがいかにいい教師であったかが分かる。私は、昔、パリのギュスターヴ・モロー美術館(モローの邸宅であった場所)を訪れたことがあるのでモローの絵画には何か特別に親しく接することが出来た。ルオー(1871〜1958)の絵は私にとってはまた格別。キリストを描いたものなど宗教関連の絵画が多いが、ルオーの絵は見れば見るほど味が出るし、どんなに疲れていても絵を見るだけで元気になる希有な存在だ。汐留ミュージアムには常設として「ルオーギャラリー」があるのでルオーに会いたい時には汐留にいく・・。
 
2013-11-24 都会はもうクリスマス気分 左=広尾にて  右=汐留にて

11月25日(月)  <1等10億円の宝くじ・・・>
「1等10億円の宝くじ」の吊り広告が電車の中で目についた。サッカーくじ「BIG」で日本の宝くじ市場最高となる10億円が当たるという。電車の座席に座ってじばらく時間があったので、10億円当たったら何に使うかを考えてみた。ところが、少々海外旅行をしてもとても使い切れない。別荘やマンションなど今更欲しくもない。骨董品にも興味がない。奥様に宝石を買おうとしても不似合いで断られそうだ。車を新しくしてもまだまだ残る。ヨットの趣味もないし、何かお金で遊んでみようにも遊び方を知らない。いっそ宇宙旅行に応募するか、いや、そんな道楽もない。・・結局、一生懸命にお金の使い道を考えてみたが余りに想像力がお粗末なので我ながら苦笑してしまった。身の丈にあったお金の使い方しか頭に浮かばないのがおかしい。「お金は自分のためより他人のために使うのがいい」が仮想の中での結論であろうか。もし、一口300円のくじで1等が当たったら9割は被災地に寄付をしよう・・。
11月26日(火)  <柿の季節・・・>
柿の季節。柿は大好きだが、実は柿のことを何も知らなかった。近所のスーパーで二個で490円もする柿をみて、こんな高い柿を買う人がいるのかなぁと妻と話しながら通り過ぎた。ところが、こんなのは普通の値段で高級柿となると桁が違うことを教えられた。福島県会津産の「吉美人」は7Lサイズ、1玉が5250円、5Lサイズでも2玉が3150円(=ここ=参照、このクラス、個でなく玉というのだ!)柿の品種は多く、柿の中でもブランドがあるのだろうが、これほどの高級品種が流通しているとは知らなかった。私は子供の頃田舎の家に柿の木があり柿は自分で木からもぎ取って食べる程度の認識であったからギャップが大きい。秋の柿といえば、10数年前にヨーロッパから来た外人と一緒に中央本線で移動した際に車窓から見える柿の実に外人が非常に興味をもって色々と質問されたことを思い出す。柿をJapanesePersimmonといっても同じ果物は見たことがないようだった。柿は日本文化を背負った独特な果物と言えるのだろう。「渋かろか 知らねど柿の 初ちぎり」(加賀千代女)、「柿の木のむかうから 月が柿の木のうへ」(種田山頭火)。ところで、今日は八百屋さんで4個280円の柿を買って美味しく美味しくいただいた。

11月27日(水)  <ベーブ・ルースとか沢村栄治・・・>
ベーブ・ルースとか沢村栄治といっても今では伝説の野球選手であり実像は知らない。楽天の田中将大投手が今年の「沢村賞」を獲得したが投手の最高の栄誉である沢村賞は沢村栄治の功績をたたえたものであることは言うまでもない。沢村栄治(1917〜1944)をここまで有名にしたのは1934年にベーブ・ルース、ルー・ゲーリックなどそうそうたるメンバーをそろえて来日したメジャーリーグを相手にして戦った全日本チームの投手の中で、沢村がただ一人大活躍した(1失点9奪三振)投手であったからだ。・・娘から借りて今読んでいる本「大戦前夜のベーブ・ルース」<野球と戦争と暗殺者>(ロバート・K・フィッツ著/原書房、本書の好レビュー=ここ=)で、ベーブルースの他、沢村栄治など日本のプロ野球勃興期の多くの選手が語られる。サブタイトルで「野球と戦争の知られざる昭和史」とあるように、この本は単なる野球の物語でなく太平洋戦争直前に来日した全米野球チームを通して歴史や文化、そして人間をみつめる。ベーブ・ルース(1895〜1948)は「野球の神様」として日本でも絶大なる人気の選手であったが来日した頃はピークを過ぎていたのだろう、1936年には引退、病気療養生活を経て1948年、53歳で生涯を閉じる。一方、沢村栄治は1938年以降たびたび徴兵されて戦地へ赴く。1944年3度目の出征をして東シナ海で戦死したのは27歳であった。今は平穏な世の中で日本のプロ野球選手が当たり前のごとく大リーグで活躍できる時代。今の若者は歴史の幸運を真に感じてくれているだろうか・・。
11月28日(木)  <神宮外苑のイチョウ並木・・・>
神宮外苑のイチョウ並木が黄色一色となり今が見頃。秋の紅葉シーズンに一度はイチョウ並木の「黄葉」を見にいく。今年はいつ行くのか、「今でしょう・・」と、今朝は神宮のテニス場へ自転車で出かける時、いつもより20分ほど早く家を出て銀杏並木まで寄り道をした。今年もイチョウの黄葉、道路に積った黄色の絨毯模様は相変わらず見事だ<イチョウの場合、どうしても「紅葉」とするには抵抗があるので「黄葉」とする>。毎年、春に桜の花見をするように、秋の「黄葉狩り」が恒例になった。もっとも、最近はカエデの「紅葉狩り(もみじがり)」もやっている。日本人の”自然の変化を愛でる(めでる)”独特の感性は四季から育まれたものだろうか。。春夏秋冬の四季は確実に訪れて決して一つに留まることがない。常に変化をしながら、一年を経るとまたこれも確実に同じ自然に戻る。戻ってはいるが実は見た目には同じでも個体として同じものは一つもない。そのような人と樹木のつながりの一期一会を本能的に知っているから”愛でる(めでる)”ことが出来るのだろう。短歌を一つ:「金色(こんじき)の 小さき鳥のかたちして 銀杏(イチョウ)散るなり 岡の夕日に」(与謝野晶子)。
 
2013-11-28@神宮外苑イチョウ並木(東京) am8:15頃

11月29日(金)  <陽光の具合で紅葉の輝き・・・>
陽光の具合で紅葉の輝きは一変する。今日は”太陽の光に対してどの角度で対象を見るか”で紅葉の見え方が全く違ってしまうことを実感した。余りに天気がよかったので久しぶりに自然教育園(東京・目黒区、サイト=ここ=)を訪れたのであるが、期待に反して「紅葉」はいま一つ。”紅葉ビューポイント”では未だ色づきが足りなかったり、一方で一部のカエデは時期が過ぎてしまったか赤色が薄汚れて見える。ところが太陽を背にしてみていた位置から、カエデの裏側に廻ってカエデを通して太陽を見る逆光線の位置に移ると思わず息をのむ美しい赤色となった(下の写真)。このことに気付いてから光の方向に気をつけながら次々と紅葉の輝きを堪能した。そういえば同じ人間でも光の当て方によって評価が180度変わってしまう。新鮮味がなく薄汚れて見えても真反対から光を当てると俄然輝くケースもあることを心しよう・・。
 
2013-11-29@自然教育園にて         イイギリ<赤い果実が盛り>
 
ひょうたん池                むさしあぶみ(さといも科)の実 + むらさきしきぶ             

11月30日(土)  <アイソン彗星が太陽に最接近・・・>
アイソン彗星が太陽に最接近した際(昨日29日)バラバラに崩壊した可能性が強いとの観測が伝えられて大きな話題となっている。アイソン彗星は太陽に極めて近い距離をかすめるように通過する軌道をとり、その後、二度と太陽の近くには戻らない大彗星として注目されていたので、来週に予定されていた飛行機から彗星を観測する特別フライトや宇宙船からの彗星中継など多くのイベントも中止を余儀なくされそうだ。研究者も含めて予想外との驚きや落胆が伝えられる中で、私などは今の天文学や科学でさえ予測ができなかった宇宙の深遠さにホッとするところもある。個人的には「彗星」というと「ハレー彗星」が最も親しい。母が生まれたのはハレー彗星が地球に接近した1910年。当時天文台で働いていた母の父(祖父)は生まれた娘(母)にこの特別な「年」を思い「とし」と名付けた。ハレー彗星が接近したとき、2〜3ヶ月の赤ん坊であった母を抱いて”よく見なさい、次の76年後に来る時にもまた見なさい”と一生懸命に見せたという話を祖母から聞かされた。それから76年後の1986年に確かにハレー彗星は地球に戻ってきた。けれどもこの時は東京でハレー彗星を簡単に見ることなどできなかった。当時私は母と東京に一緒に住んでいたがハレー彗星を見た記憶はない。母はハレー彗星を追いかけるように接近の翌年、1987年に亡くなった。
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