これまでの「今日のコラム」(2014年 3月分)

3月1日(土) <弥生3月のはじまり・・・>
弥生3月のはじまり。毎日、朝一番に磁石付きのタングラムでその日の数字を作ってカレンダーとして鉄の柱に貼付けることを習慣にしているが、昨日の28の後1とするのは年にこの日だけだ(タングラム=ここ=参照)。昨日一日は春の陽気だったが今日はまた真冬の寒さに逆戻り。来週まで寒さは続くという。今日、寒い中でも清々しかったのは空調機の不具合を点検してくれたサービス員の感じの良さ。名前を書いてしまうと、ダイキン工業のサービス。先ず点検を依頼した電話の応対から爽やかだった。窓口の女性が要領よくてきぱきと対応してくれて今日の点検となった。今日来てくれたサービス員も的確な仕事をこなして一件落着。不具合の原因は私も予想した通りリモコンスイッチの不良であった。このようなアフターサービスを当然のように受けることが出来るのは実は非常に恵まれたことではないかと思う。当たり前であると有難さを感じないけれども日本以外の国では”当たり前”ではない。普段の生活の中にも空気のように目立たないけれども貴重で感謝すべきものが山ほどある。

3月2日(日) <冷たい雨が降る中・・・>
冷たい雨が降る中を息子の月命日で墓参り。1ヶ月後の命日に桜が満開になるとは今日の寒さからはとても想像できない。お天気の凄さ、面白さはそれがいとも簡単に実現してしまうところか。墓参りから帰った後、妻と一緒にまた外出して新型のiPhone5、2台を購入したのが今日のニュース。今まで2年間使ったiPhoneの携帯電話の契約を変更したのであるが、"購入”といってもキャッシュバック付きの無料で新しいiPhoneが手にはいるのだから不思議だ。他人事ながら携帯電話各社の激烈な競争に同情したくなる。指紋認証システムを自分の指で行ったのも新体験。暗証番号と関係なしに指紋でiPhoneの中に入れる。明日から当分の間はまたこの新しいオモチャの操作を楽しめるか・・。
 
2014-03-02@九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて

3月3日(月) <陶芸作品「ペントミノ」・・・>
陶芸作品「ペントミノ」を表紙に掲載した。「ペントミノ」とは立方体を5個接続してできる異なる形状12種類を組み立てて遊ぶパズルで昔から木製やプラスチック製の商品を見ることはあった<ペントミノについての詳細=ここ=参照>。今回、陶芸で制作したものは5個の並びを犬の形にしたもの。実は同じようペントミノを6年前、2008年の4月に陶芸で制作している(=ここ)。何故にまた同じものを作ったのか、心理は微妙である。それほどに創るネタがなくなったと思われるか、そんなことはどうでもよい、売るのが目的でないならばもっと創造性のある別のものを作らないのか、世の中には何十年と同じような茶碗ばかり作っている名人もいる・・。たまたま6年前の「犬のペントミノ」を目にして、今ならばもう少し増しなものが出来るのにと思った単純な動機だったが、完成した後の感想としては”更にもう一度”同じものを作りたくなった。アイデイアは以前のものであっても新たに完成度を上げたものに挑戦する・・私の陶芸もこんなやり方を考えてもいい時期なのかも知れない。
  立体に組んだペントミノ例

3月4日(火) <「前世への冒険」・・・>
「前世への冒険」という本(原版は10年以上前)を借りて読んだが、我ながら前世に全く関心がないことを再認識した。本の内容はとてもよく出来ており、フィレンツェなどを思い浮かべながら楽しく読んだが、物語の前提である「前世」には興味が持てない。これはいわば趣味の問題であろうが、自分の前世を考える気が知れない。現世だけで十分間に合ってます・・。もちろん、過去の歴史を調べたり遺跡を訪ねるのは面白いし、時空を超えた想像をするのも楽しいだろう。それらを自分の過去と結びつける趣味はないということだ。前世などと言わずにいっそ奇想天外な夢に徹すれば話は違う。古代ローマ時代の浴場と現代日本の風呂を行き来するというコミック「テルマエ・ロマエ」(ヤマザキマリ作)は実に面白い傑作だった。ダン・ブラウン著の「悪魔と天使」や「ダ・ヴィンチ・コード」の中にでてくるローマの名所を巡る旅行をしたという私の知人は小説の説明文をコピーして現場で読み合わせたと言っていた。小説でもこうなると高級な観光案内書となる。「前世」がなければ冒頭の本は楽しいフィレンツェ案内書になったのにと少々残念。

3月5日(水) <今日の意味を考える・・・>
今日の意味を考えるなんて言うと大袈裟であるが、過ぎ去った日々をどうすることもできないし、この先にどういう運命が待ち構えているか予測はできない。明日のことを予定や期待をしても確実にその通りになるという保証はないし、大地震や大津波、交通事故、心筋梗塞などで突如命がなくなる可能性もゼロではない。その点「今日の○○」は間違いなく一生のうちでこの日しかない生きたトピック。このホームページでも「今日のコラム」、「今日の作品」。「今日の写真」と“今日”にこだわる。その日暮らしは愚かとの見方もあるが今日この日をフルに生きること以上のやり方を知らない。人がしばしば不遜になるのは「明日」も命があると思うからでないか。もし明日には自分あるいは対象(相手)の命がないと考えると自ずから謙虚にそして優しくなるはずだ。明日はどうなるか分からないことを前提に「今日の○○」をできるだけ考えてみるのも面白い。例えば、○○=ゆめ、そら、あじ(味)、いろ(色)、発見、挨拶、言葉、感謝、クロ、ミユ、奥様・・。
3月6日(木) <今日の作品として「Mieuへの絵手紙/マンマルコガネ」・・・>
今日の作品として「Mieuへの絵手紙/マンマルコガネ」(水彩)を表紙に掲載した。ニューヨークに住む孫娘Mieuへの絵手紙(文章は妻が表に書く)であるが、描いた「マンマルコガネ」はMieuのブログの記事から借用した。Mieuにすれば自分が発信したネタが絵手紙で戻ってくる構造となる。Mieuの情報に私も興味を持って調べてみると、コガネムシの一種である「マンマルコガネ」は体長が5mmほどの非常に小さい昆虫。絵に描いた形状は普通の昆虫のように見えるが、これが身を守る時に見事に真ん丸(マンマル)に変身する。主に熱帯地区に生息するが日本でも石垣島や西表島でみられるという。球体の外側を硬い骨格で覆う姿が面白いのでwebサイトでも色々と写真が掲載されている(例=ここ=参照、あえて絵に描いた色と異なる種のサイトを選んだ)。それにしても糞か何かに間違えそうな小さな昆虫の変身する様子をよく記録できたと感心する。


3月7日(金) <「アロマテラピー」に興味・・・>
「アロマテラピー」に興味を持ち始めた。フランス語の造語で、「アロマ」が芳香、「テラピー」が療法を意味する「芳香療法」とある(英語の発音ではアロマセラピー)。これまで私にとって嗅覚は最も無縁で関心のない感覚だった。しかし「嗅覚」は思ったよりはるかに「脳」に対する刺激ももたらすことを知った。アロマ精油の成分が鼻で感知されるとその刺激は(大脳新皮質を経由しないで)直接古い大脳辺縁系に到達する。そして意欲、記憶、自律神経などをつかさどる脳の部分に影響を与えるので本能的な身体の反応を引き起こすという。要は芳香成分の刺激が脳の本能的な部分に無意識のうちに興奮を及ぼすということらしい(海馬での短期記憶形成にも効果)。最近は認知症の予防・対策としてもアロマセラピーが注目されている。・・早速に簡単なアロマデフューザーを購入してテストを始めたら、デフューザーのポンプの稼動音が意外に大きい。これは得意分野なので直ぐにポンプ単独の防音ボックスを手作りしたところ(iPhone5Sの箱を活用)ほとんど音は気にならなくなった。「今日の作品」としては掲載しないけれども実益のある今日の成果はこんなところにもある。

3月8日(土) <ラジオ体操を始めた・・・>
ラジオ体操を始めた。といっても朝の6時30分のラジオ体操の時間に一斉に体操をやる訳ではない。ラジオとは関係なく昔馴染んだ「ラジオ体操」と呼ばれる13種類の体操パターンを自分一人でゆっくりと朝食前にやる。動機はこの1ヶ月ほど関節の不調で苦労したが(今も若干は尾を引いている)、この時ラジオ体操をすると痛い箇所、具合の悪い箇所が顕著に分かるから、自己診断する上で非常によいと思ったからである。今回の場合、専ら左半身が動かない、あるいは動かすと関節からゴロゴロ音がでるという状況だった。左右のアンバランスをチェックするにはラジオ体操は非常に良くできている。もちろん改めてラジオ体操をきっちりとやってみると身体の全ての関節や筋肉を適度に動かし刺激する運動が見事に組み込まれた”モデル体操”であることがとてもよく分かる。以前はラジオ体操など半分はバカにして別の筋トレを試みたりしたが、最も基本の運動に回帰した。毎日ラジオ体操を続けたとして、全部の体操(運動)を確実に行うことができれば身体としては問題ない。毎日の動きを綿密にチェックしていれば不具合を初期の段階で把握できる。早い手当ができれば今回のような長期の不調もないだろうという淡い期待を込めてラジオ体操を続けよう・・。

3月9日(日) <「暗黙知」という概念・・・>
「暗黙知」という概念は多くの示唆に富んでいる。今は余り使われなくなったが一昔前には拡大解釈されて日本人の暗黙知が日本企業の強みとする議論まであった。暗黙知の概念を提示したのはハンガリー生まれの哲学者、物理化学者マイケル・ポランニー(1891〜1976)(ポランニーは後にナチスの迫害を避けて英国に亡命、息子はノーベル賞を受賞している)。Wikipediaによれば暗黙知とは「認知の過程あるいは言葉に表せる知覚に対して言葉に表せない・説明できない身体の作動」と説明されている(=ここ)。要は「言葉では語れないが知っていること=暗黙に知ること」。自転車に乗れることや人の顔を区別できることを言葉では語ることは出来ないけれども知っている暗黙知の例とされる。ポランニーの暗黙知の概念は「発見」とか「創造」についての考察の結果生まれたという。知識と存在をつなぐ何ものか、対象の知識でなく方法の知識はどう結合するのか・・。そして思索や制作の時点で予想や検証は出来ないある種の知(暗黙知)が作用してはじめて発見や創造ある仕事ができると考えた。現代ならば更に綿密な人間の脳の機能分析がなされているのだろう。言葉で表せる知識はコンピュータの記憶装置のように貯めることが出来るが、新たな創造は知識とは別の感覚が必要となることとも重なりそうだ・・。

3月10日(月) <東京はまだ寒い日・・・>
東京はまだ寒い日が続く。気温は5℃、冷たい風が吹く中で久しぶりにテニスで遊んだ。前回、月曜日にテニスをしたのは2月3日だから1ヶ月以上が経過している。この間、雪の影響もあったが関節痛のため身体が動かなかった。これほど長くテニスを休んだのは数年来初めてかも知れない。体調は95%ほど回復しているが100%といえないところが悔しい。自分でも可笑しいのだが今不調が残る5%は何かに集中していると忘れてしまう。陶芸でもテニスでも集中して取り組んでいる最中には何も感じないが終わってから家に帰る段になると思い出すかのように一部の関節に違和感を覚えるのだから神経とはどうなっているのか。・・今日は本当に寒い一日だったけれども、去年の3月10日は異常に暑い日だった。都心で最高気温25℃を越す夏日となり「煙霧」の発生により薄暗くなり視界もきかなかった(2013-3月のコラム=ここ=参照)。この日が寒くても暑くても、その後には確実に桜が咲き春が到来する。

3月11日(火) <今日、3月11日午後2時46分・・・>
今日、3月11日午後2時46分の時刻の写真を撮る予定をしていたが出来なかった。東日本大震災から3年、下の写真のように12時過ぎに時計に狙いを定めており地震発生時刻にはあらためて写真を撮った上で黙祷するつもりであったのがかなわず「3月11日の花」(下)の写真となった。3時過ぎまで時計のある恵比寿ガーデンプレイスの東京都写真美術館ホールで「僕がジョンと呼ばれるまで」という映画を見ていた。アメリカ・オハイオ州にある高齢者介護施設に暮らす認知症のお年寄りが脳トレ学習療法(認知症改善プログラム)で劇的に改善してゆくドキュメンタリー映画。介護士のジョンさんが名前を教えても5分後には忘れられていたのが、ついに”ジョンと呼ばれるまで”の経緯が感動的だ。この映画の制作・配給は何と日本。知人に誘われてこの映画を見ることになったが日本の介護施設のスタッフに是非見てもらいたいと思える名作だった<映画紹介=ここ>。
 
2014-03-11@恵比寿ガーデンプレイスにて

3月12日(水) <「マウスは消耗品です」・・・>
「マウスは消耗品です」とお店の人からあっさりと云われてしまった。パソコンのマウスがまともに作動しなくなったのでので新しいマウスを購入しようとした時の話。1〜2年ほど前にパソコンのマウスを新品にすると実に快適に操作できるので気に入っていたが最近になって急にカーソルがどこかに飛んで行方不明になったりしてまともに使えなくなってしまった。マウスは有線、無線、光学式、レーザー式、ボール式など選択肢が多く、値段の差も大きい。そこで店員に色々相談しながらマウスの寿命について聞くと「消耗品です」の回答。○○(メーカ)は半年、××は一年ほどの寿命、3年間の寿命を保証するのは特別のものだけ。そこまで言われると分かり易い。消耗品と思って比較的安いものを買って、今そのマウスを使ってコラムを書いているが快調だ。故障したマウスを分解して中味を点検してみたが当然のことながら原因らしきものは何も分からなかった。・・今日は少々元気があったのでマウスを買った渋谷の電気店から家まで歩いてみた。「今日の写真」(下)は帰る途中で撮った風景。
 
2014-03-12@渋谷・国道246号上の高速道路(直ぐ先が渋谷)   西郷山公園の河津桜が満開

3月13日(木) <今日の午前中は春の兆しを感じない・・・>
今日の午前中は春の兆しを感じない冷たい空気の中でテニスを楽しんだ。この一ヶ月ほど関節痛で思うように身体が動かなかったので今はとにかくも自由に運動できるだけでうれしい。テニス中はいつ雨が降ってもおかしくない曇り空であったので早めに帰宅。一時、庭で春の兆しを探した。本格的に雨が降り始める前に撮影したのが下の「今日の写真」。紫陽花は芽吹き始めているしクリスマスローズの花はうつむき加減に春を知らせている。ヒヨドリの攻撃をかわした苔は色が鮮やかになってきた。冬には姿を見せなかった池の金魚も元気に泳いでいるのが見える。今年は何故か例年以上に春が待ち遠しい。
 
2014-03-13

3月14日(金) <原因があるから結果がある・・・>
原因があるから結果がある。行動には動機がある。そう信じてはいるがどう考えても理解できない不思議な事が起こる。今日は私の人生でもこれまで経験したことがない不可解な事件に遭遇した。朝一番で「ガン検診」を受診(胃・肺・大腸ガン検診で診察用の服に着替えてレントゲン検査も実施)。全て順調に検査を終えてロッカー室で着替えをしようとするとロッカーに入れたはずの下着とスエーターが見当たらない。コートや帽子、ズボン、靴下、靴それにバッグや財布も含めた他一式は揃っている。看護婦さんの了解の基に鍵のかかっていない他のロッカーを確かめたけれども見つからない。可能性としては自分のNo.6ロッカーの鍵をかけ忘れたことしか考えられない。もしそうだとしても何故下着がなくなるか。訳は分からないがどうしようもないので診察用の服を下着の代わりに借りて上にコートを羽織って家に帰った。しばらくして診療所から電話があり、鍵のかかったNo.10のロッカーの中で下着とスエーターが見つかったとの連絡。結果的には一件落着にみえるが、どうしてそうなったかが納得できない。No.10のロッカー鍵を持った人物が意図的に鍵のかかっていないNo.6ロッカーを開けたとしても財布のお金を抜くのならともかく下着を移動させる意味はない。それでは何故・・。
3月15日(土) <人の好き嫌いはそれぞれ・・・>
人の好き嫌いはそれぞれで何も文句をつける筋合いはない。ノーベル物理学賞(2008年)を受賞した益川敏英さんがクラシック音楽のファンであり、バッハ、ベートーベン、バルトークは大好きだがモーツアルトの音楽は嫌いという話が伝えられても、ふ〜ん、そういう人もいるのかで終わる。同じような事例を美術に絡んでも目にすることがある。「芸術と脳科学の対話」という本の中である画家が”ピカソは好きでない”と発言していた。モーツアルトもピカソも際立って「好み」である私にとって正に”人さまざま”の感を強くする。モーツアルトが推敲され尽くしていないとかやりっぱなしとの”嫌いな理由”をきくと、これはもう価値観の相違となる。だから、こちらは好きなのである。ピカソ自身がアカデミックなデッサンは易しいと言っているが、伝統技法を駆使した絵画しか描かないピカソであれば私にとってピカソの存在価値はない。有名な芸術家を相手にした発言はともかくとして、若い人に対するコメントは好き嫌いをベースにしないで欲しいと願うばかり。評論家やオピニオンリーダーとなる人は美の発見者であって欲しい。嫌いであれば黙っていること。マイナス面を穿り出すだけの評論はどのような分野にしても不要である。
3月16日(日) <今日はシューベルトのこと・・・>
今日はシューベルトのことを書こう。昨夜、知人のリサイタル(バイオリン&ピアノ)にいき久しぶりに生演奏を楽しませてもらったが、その時に演奏したシューベルトについての解説が刺激的だった。最近は高齢化とか老人の話題ばかりに出くわすので31歳の若さで逝ったシューベルトの生涯には余計に目を見張る。解説によれば「シューベルトは10代の頃には年に100曲の作曲をしていた・・」と書いてあった。確かにウィーンで生まれ育ったシューベルト(1797〜1828)は31年の生涯のほとんどをそこで過ごし、おびただしい数の作品を残した。それも、13歳で「4手ピアノのためのファンタジア」、14歳で「五重奏序曲」、「弦楽四重奏曲」などローテイーンの頃の作曲も多く残っている。ちなみに今の時代にもしばしば歌われる歌曲でみれば、「野ばら」や「魔王」は18歳(1815)、「死と乙女」は20歳(1817)、「冬の旅」は晩年の30歳(1827)の作曲だ。敬愛した同時代の先輩作曲家ベートーヴェン(1770〜1827=56歳)の葬儀にシューベルトも参列したというが、その翌年シューベルト自身の命も尽きた。超長生きをする人が増えた昨今、人は長生きをしてさて何をするのか、思いはどうしてもそこに行ってしまう。
3月17日(月) <闘争心がなければ・・・>
闘争心がなければ生きていけない・・、とまでに闘争心の必要性を感じるのは月曜日のテニス。この日に対戦する相手は自分と同等以上のレベルであるので手抜きはできない。勿論、今更勝ち負けにこだわってはいないし、仲間内でのお遊び競技とも言える。けれども、無理矢理でも“負けるものか”と鼓舞して対戦するのとそうでない場合との身体の動きの差が余りに大きいのに自分でも驚くのである。時には大きな声を出して自分を叱咤激励すると戦うための本能を呼び起こす。争うことはよくない、全員一緒に手をつないでゴール・・などと分かったような無競争思想は人間を退化させると思うのはこんな時だ。人間がお互いに協力し、助け合うことは当然のこと。それとは別に人は常に戦っていなければ生存できない本質があるのでないか。闘争心は向上心ともつながる。一番の戦う相手は自分自身でもある。過去の自分を超えるべく戦える間はまだ生きる意味があるのかも知れない・・。

3月18日(火) <春一番・・・>
春一番の強い南風が吹いた今日の日中、久しぶりに公園にいくと白木蓮が満開になっていた。雑用ばかり多く忙しくしている割には作品のアウトプットがでない昨今、個人の事情など一切関係なく移りゆく季節が頼もしくも思える。植物にとっても毎年季節が来ると変わらずに花を咲かせることを平穏に繰り返すだけとは限らないようだ。梅の名所である東京・青梅市の「梅の公園」の梅をこの3月末で全伐採するとのニュース。果実の変形などをもたらすプラムポックスウイルスに梅が感染し、これまでに2万6000本の梅の木を処分したが全伐採せざるを得ない事態であるという。梅の木も美しい花を咲かせているからといっても生存が危うくなっていることもある。仏教では諸行無常を教えた。とどまることなく常に変移することから希望が生まれ救われることもまた多い。
 
2014-03-18 白木蓮など@東京・目黒区

3月19日(水) <幸いなことに今のところ「手すり」・・・>
幸いなことに今のところ「手すり」の必要性を感じない。”今のところ”であって、将来はどうなるか・・。周囲には手すりがなければ階段の上り下りが不自由という人も多い。故あって今日は「手すり」の工作をした。「今日の作品」として掲載するのは気が引けるので「今日の写真」とする(下)。元は木材の丸棒であるが木のままでは面白くないのでメタル調の色を塗った。その前に手の引っかかりをよくするために丸棒に糸鋸で斜めに溝を追加加工してみた。本当はただのデザイン遊びだ。この機会に各種の「手すり」を見てみたが、「手すり」の中には「欄干」や「高欄」も含まれる。更に興味深いのは古語では「おばしま」とも呼ばれること。こんな歌まであることを教えられた:「おばしまは 夜露にぬれて高殿の 軒にさし入る 月のすずしさ」(明治天皇)。手すりでも何でも、作ってみるとモノを覚える。
2014-03-19手すりの横木

3月20日(木) <禁断の果実(Forbidden fruit)」・・・>
「禁断の果実(Forbidden fruit)」は示唆に富んでいる。"Forbidden fruit issweetest." 禁じられているとかえって魅力が増す。旧約聖書ではイヴが蛇にそそのかされて禁断の実を口にしアダムにも分け与えた。それが神と決別した人間の始まりだった。「禁断の果実」とは「善悪の知識の木の果実」とされる。悪を知ることにより善も知る人間の始まりでもあった。また人間は善悪の知識を得ると同時に必ず死ぬ存在になった。善だけの人間はあり得ない。同じように絶対的に”正しい”だけの人間などあり得ない。こんな大昔からの人間の知恵に改めて感動するのは何故だろう。人間は亡くなる存在であるから許せるところもある。不老不死で俺は正しいと言い続ける人間がいるとすればこの世に希望がなくなる。神の存在を考えた先人の知恵が少し分かるような気がしてきた・・。

3月21日(金) <今日は彼岸の中日・・・>
今日は彼岸の中日、春分の日で休日。午前中の10時頃に息子の墓参りに行ったら、墓前にはもうお供えの花が溢れていた。毎度の事ながら息子のために来てくれたことが分かる。一緒に「2014年版プロ野球選手写真名鑑」とビールも供えてあった。今日は缶ビールの蓋が開いていたのが愛嬌。いつもは後でこちらが有難くお供えの缶ビールをいただくことが多いが、今回は息子と語りながらビールを飲んでくれたのだろう。この墓には父母も入っている。父母の墓参には年に一度来る人もいるし来ない人もいる。仏教で教えるところの彼岸の極楽浄土から父母たちは今の煩悩に満ちた我々此岸(しがん)の様子をどんな気持ちで見ているのだろうか。息子と息子の友人たちが墓前をにぎやかに、そして明るくしてくれるのが本当にうれしい。風が冷たく今日もまだ寒さを感じる一日。「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは」(正岡子規)。
 
2014-03-21 @墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて

3月22日(土) <「病気の話はするな 10年以上前の話はするな」・・・>
「病気の話はするな 10年以上前の話はするな」という本の帯文に共感したので本を取り上げて立ち読みした。本の題名は「初めて老人になるあなたへ<ハーバード流知的な老い方入門>」。著者はスキナー。実は”立ち読み”といっても数秒間目次を見た程度であったので、本の題名だけをその場で記憶して家に帰ってパソコンで検索すると一発で本の詳細が分かった。著者のB.S.スキナー氏(1904〜1990)は米国のハーバード大学で心理学を研究した学者で行動分析学の創始者。この本は氏が79歳の時の著作だ。あらためてWebで目次を読んでみると30年前に米国人向けに書かれたこの本の内容が今の日本でも全く違和感がないのは驚くほどである(本の場所=ここ=で「この本の中味を閲覧する」へいく)。
「今日の表紙」には今日描いた作品・「Mieuへの絵手紙/iPhone」(水彩)を掲載する。
   
2014-03-22 @蔦谷書店のあるT-サイト(東京・代官山)
 ボケ(木瓜)とコデマリは西郷山公園にて
3月23日(日) <谷中にあるお寺に義兄のお墓参り・・・>
谷中にあるお寺に義兄のお墓参りにいった。昨年6月に急死した義兄には特別にお世話になったこともあり毎月お墓参りをしているが、墓参りを口実にしてこれまで馴染みの少なかった谷中近辺を妻と探索することを楽しんでいる。今日はたまたま朝のテレビで俳優の中尾彬夫妻が谷根千(東京の谷中、根津、千駄木の周辺地区をこう呼ぶ/谷根千の参考写真=ここ))で食べ歩きする番組があり、早速墓参りのついでに紹介されていたカフェに行ってみた。下に写真を掲載した”スイス風ログハウスのカフェ”(名前は「シャレー スイス ミニ」)で、ここの雰囲気、食事が大当たりであった。また次に是非訪れたいと思うお店だ(=ここ)。掲載した写真の左奥に小さくお寺の屋根が見えるようにこの近辺もお寺が多い。お寺に囲まれてスイス風ログハウスが存在できているところが谷根千をより奥深い魅力のある地域にしている。
2014-03-23 @西日暮里のスイス風カフェ

3月24日(月) <「ぶらさがり健康法」・・・>
「ぶらさがり健康法」がブームになったのは1970年代後半だから40年以上昔になる。毎日1分間でも鉄棒にぶらさがると腰痛や肩こりの解消・予防に効果的とされて室内に「ぶらさがり健康器」を置いた家庭も多かった(我が家ではやらなかった)。その後あっという間にすたれたのは何故だろう。「ぶらさがり健康法」のことを思い出したのは、山手線の電車で吊革の横棒を左手で握って”ぶらさがり”の体勢をとると驚くほど快感を覚えたからである。この1〜2ヶ月、左半身の関節痛に悩まされた。ようやく全快に近く回復をしたものの若干の違和感が残るところで”ぶらさがり”が絶好の治療とリハビリになると直感した。電車の中だけでは存分に出来なかったので帰途鉄棒を続けようと近所の公園に立ち寄ったけれども、たまたま工事中で公園の鉄棒は使えない。家に帰って更に鉄棒の代わりになるものを探す。そこで今の我が家には鉄棒の代用品はもちろん綱を掛ける鴨居(かもい)もないことが分かる。最後にしつこく風呂場のカーテンレール棒に目を付けた。恐る恐るテストをすると体重を全てかけずに調整すると使用は出来る。近い将来、カーテンレール破損の事態が起こらないことを祈ろう・・。
2014-03-24庭にも春の気配

3月25日(火) <「玄米糀(げんまいこうじ)」・・・>
「玄米糀(げんまいこうじ)」のボトルを購入した。糀(こうじ)専門の店で試飲をさせてもらい妻も気に入ったようだ。白米から作った白糀や季節限定の桜味糀などもあったが、今回は玄米糀としてみた。”米、麦、大豆などの穀物にコウジカビなどの食品発酵に有効なカビを中心にした微生物を繁殖させた(Wikipediaより)”「こうじ」は普通「麹」の漢字を用いるが米麹には「米に花」をつなげた「糀」の文字の方が趣がある。糀については今日ボトルを購入した麹専門店「古町糀製造所」のサイトに詳しい(=ここ)。今日は東京でも20℃を越す気温となり気象庁は東京の桜開花を宣言。温かな日差しにつられて街を歩いていると下の写真のような風景に出会った。東京には58年間住んだことになるが今も歩くたびにこのような初体験の景色に刺激される。
2014-03-25 @東京・目黒区にて<正面の花は紅白の木蓮>

3月26日(水) <表紙に今日描いた「Mieuへの絵手紙・iPhoneケース」・・・>
表紙に今日描いた「Mieuへの絵手紙・iPhoneケース」を掲載した。前回は最近入手した(というより2年経過したので新たに契約し直して新品を手に入れた)iPhone5sの待ち受け画面を「Mieuへの絵手紙」としたが今回はケースを鉛筆で描いた。このケースは色々と探し回った末にnetで見つけて購入したもの。「TheNightmare Before Christmas」という1993年公開されたミュージカルアニメーション映画が原版(デイズニーシリーズでもある)。映画の原案・原作はテイム・バートンでケースにもTIMBURTONの名が入っている。この映画を見たことはないがアニメ調の絵が白黒でデザインされたケースは自分としては気に入っている。久しぶりに鉛筆で写し取るように描いてみたが、初心にかえったこんな描き方は自然体で一番楽しく描けるような気がしてきた。
<明日、小旅行のためコラム休みます>


3月28日(金) <温泉と富士山・・・>
温泉と富士山を満喫して先ほど帰宅。箱根に一泊しただけの小旅行だったが非日常の休息で十分に気分一新できた。何度も温泉やサウナに入り、このところ苦しんでいた関節痛の後遺症も99%取り払われた感じで身体も軽やか。あれこれ書くより「今日の富士山」を掲載して心地よさを伝えたい・・。
 
2014-03-28 成川美術館前からみた芦ノ湖と富士山  駒ヶ岳ロープウェイ途中
 
2014-03-28  箱根・駒ヶ岳よりみた富士山


3月29日(土) <自転車が人混みで走れない・・・>
自転車が人混みで走れない。陶芸教室に自転車で行く途中、目黒川沿いの道路や緑道はいつもは人がほとんど通らず自転車を飛ばして走れるのに今日は人また人・・。直ぐにお花見の混雑だと分かったが家を出る前にはもうお花見できる時期だとは考えもしなかった。今年は3月になっても寒さが続き大雪も降ったが春は確実にやってくる。それならばと夕方妻と改めて目黒川沿いに花見にでかけけた<下の「今日の写真」>。花の下で、”トルコ発祥!本場の味”と宣伝していた「ケバブ」を買って食べた。「花よりケバブ」・・。
 
2014-03-29 @中目黒近辺の目黒川沿い桜並木

3月30日(日) <東京都心で桜(ソメイヨシノ)が満開・・・>
東京都心で桜(ソメイヨシノ)が満開になったと報じられた今日、東京は終日雨だった。雨の中、車で大型家具店の「ニトリ・新横浜店」にいった。大型店舗で知られるが毎度その巨大さ、扱う品数の多さには圧倒される。元々下見のつもりであったので3時間余滞在したけれども昼食をとっただけで何も買わずに引き揚げた。それでも最新の家具やインテリア商品を見て回るだけでも楽しかった。この際、「ニトリ」について得た情報を記しておこう。ニトリグループの2013年2月期売上高(連結)は約3500億円(イケヤは全世界で3兆円以上/日本では700億?)、経常利益は約622億円、店舗数300店舗。現社長の似鳥昭雄さん(1944年生まれ)が1967年に23歳で似鳥家具店を設立し、その後一代でこの巨大企業を造り上げたことは広く知られる。・・ニトリにしてもユニクロにしても現代の成功者物語がリアルに存在しているところが頼もしい。
3月31日(月) <今日の作品として「水盆」(陶芸)・・・>
今日の作品として「水盆」(陶芸)を表紙に掲載した。写真では大きさが分からないが卵型の長辺38cm、短辺26cm、最高長7cmほどの容器。内部に飛び出しているトゲトゲ針が何かに接触すると折れやすいので今日は陶芸教室に車で行って持ち帰った。陶芸教室で仲間にこれは何ですか、何に使うのですかと問われると返答に困って、”こういうものです”とだけ答えた。一応、内部に水を溜めることが出来るので「水盆」の名前をつけて掲載したが使用方法はこれから考える。当初は内部の”トゲトゲ針(3〜5cm程度の針)”をもっと密に立てて針山を作りたかった。制作する段階になると針を確実に基盤の粘土につけるためにはある程度の間隔が必要でまばらになってしまった。外周のでたらめな模様はもっと思い切り醜く、下品に作りたかったのに出来上がってみると意外におとなしく見える。自然の不細工の中に潜む美といったものを追求したかったが、自然は模倣できるものではない。
今日は都内の至る所で満開の桜が見られた。今日の写真として祐天寺の桜を下に掲載する。

 
2014-03-31 @祐天寺にて(東京・目黒区)

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