これまでの「今日のコラム」(2015年 4月分)

4月1日(水)  <今日は桜を描いた絵画・・・>
今日は桜を描いた絵画を掲載してみる(下)。狩野宗信筆「桜下麝香猫(じゃこうねこ)図屏風」の一部。本物は根津美術館が所蔵している。麝香猫も面白いが桜が実に巧みに描かれている。花見に行ったとしても桜をどの程度鑑賞しているかはそれぞれの人による。絵を描く人は間違いなく観察が細かい。同じような意味合いで詩歌を創作する人の桜なり花に対する感性に圧倒されることはしばしばである。目で見る、心で感じる内容は表現方法が伴ってはじめて第三者と共有できる。山頭火の俳句「さくらさくらさくさくらちるさくら」も、”咲く桜”、散る桜”がイメージできるだけで作者の心情とつながりができるから不思議だ。
2015-04-01狩野宗信筆「桜下麝香猫」


4月2日(木)  <今日は息子の命日・・・>
今日は息子の命日。墓のある九品仏浄真寺(東京‐世田谷)に行くと桜がこれ以上ないというほどの満開であった。6年前のこの日もまた正に桜が満開であったことを思い出す。芭蕉は「さまざまのこと思ひ出す桜かな」と詠んだが桜というと息子の思い出につながってしまう。墓前には今年も缶ビールが二つと花束が既に供えられていた。この週末には七回忌の供養をする予定だ。寺の境内で桜の写真を撮りながら、山門を入れた写真、本堂の写真など、昨年も、一昨年も同じ構図でシャッターを押しているのに気がついた。写真に関しては余り進化がない。これからは息子を驚かせるようなユニークなお寺写真を目指して見ようかと思い始めた。
 
2015-04-02九品仏浄真寺


4月3日(金)  <今日の表紙に陶芸作品・・・>
今日の表紙に陶芸作品「角枡2」を掲載した。このところ陶芸作品の小物をまとめて制作したものの一部。明日息子の七回忌の法要を営む。この法要に来ていただいた人に何か記念品をと思って制作したのだが、この種のものは差し上げ方が難しい。息子の友人方に感謝を込めてプレゼントをしたいのだがそれぞれの方の好みが分からない。親戚筋にしても同じことで、趣味が合わなければ余計なお荷物となってしまう。何よりも選択の余地が欲しいところだが今となっては成り行き任せでトライしてみるしかない。必要なものがほとんど間に合っている時代に”自然消滅しないモノ”をプレゼントする難しさを痛感させられる。


4月4日(土)  <息子の七回忌の法要・・・>
息子の七回忌の法要が無事に終わった。満開であった桜はかなり散り始め少し肌寒い曇天ではあったが息子の多くの友人や親戚の心遣いが温かだった。2009年に息子が亡くなってもう七回忌か。まさに歳月は流るる如し。誰にでも死は必ず訪れる。死を考えると生きていることが非常に特別なことであることを知る。この生きている時間に何ができるか、何をやりたいか・・。ふと、息子は良き友人たちに恵まれて亡くなったあとでも何かをやり続けているような気もしてくる。余生などと言わずに私も生きている時間をもっと前向きに、そして人のために使わなければならない・・。
 
2015-04-04九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて
4月5日(日)  <東京は終日雨・・・>
東京は終日雨、しかも肌寒い日曜日で花見に行く気にもならない。そこで、先日陶芸教室から持ち帰った「城型香炉」を家で初めて使ってみた(表紙に写真掲載)。この作品は東京の陶芸教室で備前土を使って素焼まで完成させたものを岡山に送り、備前窯で本焼成してもらった特別な作品だ(3/14コラム=ここ=参照)。写真では本体が茶系の明るい色に見えるが前回掲載した写真(=ここ)の黒茶系の濃い色の方が実物に近い。この作品には自分で決めた釉薬を施さず登り窯での灰のかかり方など自然の成り行きで表面が仕上がっている。内部で香を焚いてみたらとてもうまく煙が漂った。ただし、煙は背景が白色だと写真ではほとんど見えないので黒系のバックで撮影した。ところで、本体の色も煙も写真では実物のニュアンスが伝わらないのは、何事でも真実を伝えるのが如何に難しいかを象徴しているかにみえる。実際に目で見ても「内容」をどれだけ見ているかを問われれば返答に困る。マスコミは”真実を伝える”などと大仰にいわないことだ、などと脱線。今日の写真はほんの一面だけを伝えております・・。

4月6日(月)  <テニスのセルフジャッジ・・・>
テニスのセルフジャッジではしばしば人間の本性が出て面白い。問題になるのはオンラインでコート内に入っているか外側かの微妙な判定の場合である。まずオンラインの定義がボールの着地部分がラインの端に触れたか否か、1cm〜2cmの細かい判定であるので基本的にも難しい。そんな時に自分が打ったボールは離れた相手コートでもインに見えるし、相手のボールは自分の側でもアウトにジャッジすることが多い。もちろんオンラインの微妙な判定以外では誰もが納得する判定で問題にはならない。本人が全く意図しなくても悪意もなくてもセルフジャッジで無意識で自分が有利に見えてしまうのはどうしてだろう。今日のテニスでは一人のジャッジがアウトで残り3人はセーフとみたがアウトのセルフジャッジとしたことがあった。ジャッジは大抵自分の目ではっきり見たと自信を持って判定を下す。素人テニスでははっきりしない場合はセーフとしてプレーを続けるのが原則だが、「はっきりしない」と判定するのは一方で勇気がいることのように見える。
4月7日(火)  <今日は戦艦大和が撃沈された・・・>
今日は戦艦大和が撃沈された歴史的な日である。70年前、1945年(昭和20年)の4月7日、既に米軍に上陸されていた沖縄を支援のため「一億総特攻のさきがけ」として沖縄に向かった戦艦大和は鹿児島沖で米軍の猛攻撃を受けて撃沈される。戦艦として史上最大の排水量、全長263m、口径46cmの主砲3基9門、不沈戦艦とされた巨大な戦艦は壮絶な”海上特攻”で最期を迎えた。戦艦大和については多くの資料が残っており”歴史認識”で見方も色々あろうが、私の幼児期にこれほどの戦いが行われていた事実にただ合掌したい。Wikipediaで戦艦大和の最期を詳細に読むだけでも緊張が走る(=ここ)。
4月8日(水)  <一週間前(2015年4月1日)に亡くなった・・・>
一週間前(2015年4月1日)に亡くなった大川ミサオさん(女性)は1898年(明治31年)3月5日生まれで満117歳であった。亡くなった時点では日本最高齢、世界最高齢としてギネス記録に認定されていたという。やはり長寿の女性で最近驚いたのは「はつのおばあちゃん」こと後藤はつのさん。1903年(明治36年)9月1日生まれ。73歳になって初めて絵を描き始めて99歳まで毎年100号の油絵を描き続けたスーパーおばーちゃんで、現在111歳だ。このおばーちゃんの100号の絵がインターネットでも紹介されており、真っ赤な洋服を着た103歳の時のおばあちゃんの写真や記事とともに見ることができる(=ここ)。このおばーちゃん、103歳でアメリカ西海岸旅行、106歳でニューヨーク旅行、108歳でスカイツリーにのぼりましたとある。今現在は赤倉温泉のホテルで絵画展開催中とか。「何かを始めるのに遅すぎる事はない」とおっしゃる。それはそうでしょう・・。
4月9日(木)  <「バーニャ・カウダ」・・・>
「バーニャ・カウダ」という言葉を一生懸命覚えた。イタリー北部ピエモンテ州を代表する冬の野菜料理で「バーニャ」は「ソース」、「カウダ」は「熱い」を意味する(イタリア語と異なるピエモンテ州の地方言語)と解説されている。この冬に珍しく何度か続けて「バーニャ・カウダ」を食べる機会があった。元々、チーズフォンデュは大好きなので、フォンデュと同じように、ジャガイモやセロリ、カリフラワーなどの野菜を熱したオイルソースに浸しながら食べるやり方が気に入った。そこで、バーニャ・カウダ用の専用ポットを陶芸で制作する事を思いついたのである。いざ陶芸教室で用紙に制作する作品名を書こうとすると”バーニャ・カウダ”の名前がでて来ない。どうも最近の料理には分かり難い言葉が多いとクレームを付けると今では誰でも知っている料理と教えられた。ようやく「バーニャ・カウダ」の名を覚えたが、専用ポットの完成はまだ先となりそうだ。
4月10日(金)  <東京では寒い日・・・>
東京では寒い日が続く。昨日の朝方は自転車に乗ると手が凍えるようだった。今日も朝から寒い寒いの連発。桜がほとんど散ってしまった時期に真冬のコートを引っぱり出して着ている。今日の外出先での昼食はスンドゥブ鍋で暖をとった。・・このところ、テレビのバラエティ番組で芸能人の作る俳句を一刀両断にコメントして人気のある夏井いつきさんの俳句本を読んでいる。テレビでの夏井さんは言葉をあえて厳しくしながらも添削が実に巧みで面白い。「100年俳句計画」という本も読んだが彼女の俳句を普及させようという情熱が伝わってくる。この本の中に、ある高校生が作ったという俳句「起立礼着席青葉風過ぎた」が紹介されていた。外国語に翻訳されても絶対に理解できない詩であろう。この種の独創的な句をみると私も気が若返り俳句もいいなと思う。
4月11日(土)  <アウトプットが見えない・・・>
アウトプットが見えない日が続く。今日の作品とか何かその日の成果があれば掲載するが、このところ低調だ。自分なりにその理由を考えると、未だ転居した影響が尾を引いている。昨年の7月中旬に今の場所に引越してきて一年足らず。新居での季節の移り変わりを楽しみながらも生活のリズムは安定したとは言い難い。生活空間が定常状態になって後に陶芸など趣味的な作品作りが軌道に乗るのだろう。それでも今は生活空間作りが半分趣味になってきた。今日もベランダのガーデニング構想の一環として人工芝を取り込んでみたり柵をデザインしてみたり・・。何かしらのモノ作りはやっているが「作品」として紹介をできるものではない。・・ここで一つ閃き! 理想を言えば「ベランダガーデン」とか「今日のガーデニング」、「今日のお花」など狭いながらもベランダ植物を作品にすれば「アウトプット」が豊富になるかも知れないぞ。
4月12日(日)  <「新」の漢字・・・>
「新」の漢字をみると「木」と「斤(きん」で構成されいるように語源は「刃物で木を伐る」から「木の切り口のみずみずしさ、生々しさ」、「樹液の香気で命がよみがえるさま」などの意味が生まれたとされる。中国の古典「大学」に湯王(紀元前1700年頃)が毎朝顔を洗う時に見るように彫らせて自戒の言葉とした「苟日新、日日新、又日新」(まことに日に新たに、日々に新たに、また日に新たなり)の中にも「新」の文字が反復されてでてくる。この言葉は40年ほど前に土光敏夫さんが経団連の会長になった頃”好きな言葉”として紹介されたことでも知られる。樹木にして今日の樹木は昨日と同じではない。過ぎ去ったことを悔やむのでなく、日々新たな命をみつめてその日をスタートさせる大昔からの知恵は脳内神経の面から見ても間違いなく有効に違いない。
4月13日(月)  <宮城道雄の本・・・>
宮城道雄の本を読んだ。といっても、冷たい雨が降りテニスにも行けなかったので別の所用で渋谷までバスで出かけた際、iPhoneに入っている「音の世界に生きる」とか「声と性格」<豊平文庫>などの短編を読んだに過ぎない。宮城道雄(1984〜1956)は琴の名曲「春の海」などの作曲で知られるが、8歳の時に失明した盲目の作曲家、箏曲家。また文筆家としても活躍し多くの著作がある。<私が高校生の頃、宮城道雄が深夜の夜行列車から転落死したニュースを聞いた記憶が鮮明に残っている>先にあげた本に、目が見えないからこそ音に極めて敏感になる話が随所にでてくる。「声を見る」として声だけで人の風体、職業、年齢、性格、その人の心理など大抵分かるとか、歩く足音で誰であるか、道では男か女か、女でも美人かどうかまで足音で分かると言っている。もちろん、本職の音楽の感性はさらに研ぎすまされただろう。・・先日、シンガーソングライターの”つんく”さん(1968〜)が声帯を摘出する手術をして声を失ったことを近大の入学式で突如発表して注目を浴びた。”つんく”さんもまた声をなくし、歌えなくなったからこそ以前にも増して他の能力、感性が発達するのでないか。是非そうなって欲しい<久しぶりに「春の海」を聴きながら=ここ>。
4月14日(火)  <冷たい雨ばかり・・・>
冷たい雨ばかり続く。昼過ぎに一時雨が止んだ頃外出した。春らしい暖かさがないと思えるのにカレンダー通りに季節の花が咲いている。白いハナミズキの花のすぐ側には黄色い八重のヤマブキ。さらに躑躅(つつじ)の側にあった赤い花は木瓜(ボケ)か。。少し外出すれば近所でこれだけの花に会える。・・最近、人間が作り上げた「暦」<カレンダー>が本当によくできていると妙に感心してしまう。毎日、毎年、欠かす事なく太陽や月を観察して周期を見いだし、また細かい規則性を調べて暦を完成させた。年によって少々の寒暖のずれが生じたとしても、桜は毎年時期がくれば確実に花を咲かせる。他の花々も決められたようにきっちりと暦に従っているようにみえるが、実際には太陽の周期に従った自然の成り行きで開花しているだけ。暦は自然に合わせて先人が作り上げたありがたい遺産であろう。
 
2015-04-14 雨の合間に
4月15日(水)  <今日は母の命日・・・>
今日は母の命日なのでお墓参りに行った。墓は息子と同じで息子の月命日には墓参をしているし、今月4日には息子の七回忌の法要も催したので、今月だけで3度目の墓参りだった。それでも母単独のお参りをすると、やはり特別に母の思い出でいっぱいになる。年齢を重ねるほど母の思いがよく分かるような気になったり以前より有難味を感じる事柄が増えるのが面白い。あと三年すると私も母が亡くなった歳になる・・。お寺の境内には二週間前には見なかった八重桜や著莪(しゃが)の花が咲いていた(下の写真)。そういえば母は紫色の花が好きだった。
  
2015-04-15 九品仏浄真寺(「東京・世田谷)にて

この日の夕日
4月16日(木)  <消化が十分でないと・・・>
消化が十分でないと安定し難い。これは毎日Wii(任天堂の家庭用ゲーム機で各種の身体計測もできる)でバランス年齢計測をやってきた経験則である。1500数十日の間ほぼ毎日「バランス年齢計測」を続けているが、両足を開いて立ち20秒間でどの程度重心がふらつくかを見る計測内容がある。あるいは狭い中心の円内に重心を一定時間保つことが要求されるケースもある。重心を一定箇所に保つ能力が若い人ほど優秀と見なされて年齢と関連づけられる訳である。最近気づいたのは食後の満腹状態(実際には胃の中に多く溜まった状態)では成績が悪いということ。つまり食後時間が経過した時点で計測すると重心の安定度は明らかによくなる。考えてみると胃の中のものが消化されて下部の腸の方へ移ると重心が下がり安定するのは当然と思える。・・バランス年齢とは全く関係なく、消化が安定と結びつくことは示唆に富んでいる。他人から聞いた話、本で読んだ知識、教師から教えられた内容など多くのインプットに対して消化不十分であると自分のものとして安定しない。時間をかけて考えることによって自分の芯になり得るのだろう。
4月17日(金)  <愛川欽也さんが亡くなった・・・>
愛川欽也さんが亡くなったという。享年80歳、4月15日早朝に肺癌で死去したことが今日になって発表された。私にとってはテレビの「なるほど!ザ・ワールド」や「アド街ック天国」などで人並みに顔を拝見した程度の縁であるが、亡くなる直前まで大好きな仕事を楽しく続けた上に、暖かい家族にも恵まれた最高に幸運な人生であったように見える。愛川欽也さんが昭和9年、1934年生まれと聞いてまた別の感慨が湧く。私の周辺にも同年代の兄貴分(実際の義兄などを含めて)が非常に多い。皆さんそのようなお歳なのだ・・。愛川欽也も所属していた芸能人の昭和9年会には石原裕次郎、長門裕之、坂上二朗(いずれも物故者)、それから大橋巨泉など懐かしい名前が並ぶ。昭和9年生まれというと、中村メイコ、司葉子、田原総一郎、米倉斉加年さんなども同年。さらに言えば、美智子皇后も昭和9年、ブリジットバルドーも1934年生まれだ。同時代に生きて同じものを見たり感激したり、経験を共有することができるのは実は非常に限られた仲間であろう。合掌
4月18日(土)  <早朝6時から大工仕事・・・>
早朝6時から大工仕事を始めた。ラジオ体操や朝食時に中断はしたが、机に座ってのパソコン仕事は一切なしの肉体労働を続けた。昼には自転車で陶芸教室にいき制作途中の作品を完成させて焼成にだす。気分転換で陶芸教室に行ったのは本末転倒の感もあるが、家に帰ってまた夜まで大工仕事を続けた。何をやったか・・。ベランダ園芸用に長さ2mほどの大きな箱を作るため、具体的な作業としては板取、けがき、ノコギリで板切断、釘打などなど。自分としても最近になく大型の板をノコギリで切り(妻が電動鋸を買いたいと言ったのを断り、古い鋸を使った)大きな釘を打つ作業をやりながら、これはパソコン名人の現代の若者とは無縁の仕事だと思った。ノコギリをスムースに引くテクニック、大型の釘を確実に打ち込む技量を駆使する仕事はパソコン仕事とは別の快感がある。それにしてもベランダ園芸のための入れ物作りが私の担当で園芸は妻に任せる。植物を植えて育てることには私自身は余り興味がない。世の中分業するようにうまくできている。
4月19日(日)  <友人が自分で掘った竹の子を・・・>
友人が自分で掘った竹の子を送ってくれた。竹の子掘りの経験もなく取りたての大きな竹の子を間近に見るのも初めての私は感激して写真を撮った(下の写真)。何だか仲のよい家族のような雰囲気で食べるのも気が引けたが妻は早速料理にとりかかった。私たちは昨年から東京・目黒区に住んでいるが竹の子(筍)とはほとんど縁がない。ところが、一昔前までは目黒といえば”タケノコ”、”タケノコは目黒に限る”と言われたというから驚きだ。落語に「目黒のサンマ」があり、”サンマは目黒に限る”のオチがあるが、実際には江戸時代から目黒というと”タケノコ”が名物で目黒不動尊、祐天寺などの参道は初夏の筍飯を求める人で賑わったという。正岡子規の俳句「筍や目黒の美人ありやなし」も目黒にタケノコを食べに行った時に詠まれたとされるから明治時代でも筍は身近だったのだろう。我が家の筍飯は明日以降となりそうだ。
2015-04-19
4月20日(月)  <最近アメリカでは「片付ける」ことを「Kondo」という・・・>
最近アメリカでは「片付ける」ことを「Kondo」という新しい動詞で通用するらしい。これは日本でベストセラーとなった近藤麻理恵さん(konmariさん)の著作「人生がときめく片づけの魔法」が翻訳されてアメリカで出版されたところアメリカでもベストセラーになったことに関連する。更に先週にはTime誌が発表した「The 100 Most Influential People in the World(世界で最も影響力のある100人)」にも選ばれるという快挙(=ここ=参照)。<日本人で選ばれたのは村上春樹と彼女のみ> 我が家でも昨年転居するにつけて家中の片付けが大問題となり、その際に妻が最も気に入った「片付け指南」が「こんまり」さんの本であった。何よりも「ときめくか否か」で保存するか処分するかを決めるのが新鮮で説得力があった。また処分するものに対しても”これまで使わしてもらってありがとう”と感謝を込めて捨てる心遣いに安心感があった。このようないかにも日本的なやり方がアメリカや他の国でも理解され支持されるのが不思議!ちなみに「ときめき」は"spark joy"と訳されている。案外に日本的な心情や優しさは世界に通用するのだとうれしくなるトピックだ。「こんまり」さんの公式サイト=ここ
4月21日(火)  <今日の夕食は「牛角」・・・>
今日の夕食は「牛角」で焼肉。妻は娘の住むニューヨークのタイムズスクエアにある「牛角」で食べた焼肉が忘れられず東京でも是非「牛角」にいきたいと言っていたが今日が初めてのチャンスとなった。私も最近は外食で焼肉屋に行くことはほとんどなかったので久しぶりの焼肉だった。美味しい焼肉を堪能したけれども、恥ずかしながら焼肉の部位の名称が実にあやふやだったので、この場でレビューしてみよう。まず、「カルビ」は語源としては朝鮮語のあばら骨を意味し、あばら骨周辺についている肉、バラ肉を指すようになった。「牛タン」は牛のtongueだからそのまま牛の舌部、「ハラミ」は「もつ」(内蔵肉)の中でも横隔膜の背中側の肉、肋骨側の厚い部分は「サガリ」だ。小腸や大腸はぞれぞれで名が付けられたり「ホルモン」と呼ばれる場合もある。こんな調子で「もつ」だけでも事細かに名前があり人はそれぞれを味わっている。本当は牛さんの部位のことなど考えずに、ただ美味しく頂くだけで十分であろう。
4月22日(水)  <国立新美術館で開催中・・・>
国立新美術館で開催中の春陽展を見に行った。知人が出展しており重点的にみて歩くのだが、それにしても今回も出展数が多いのに圧倒される。絵画の公募展はいわば自我の競い合い。本当に多くの人がそれぞれの感性を持ち、それぞれの価値観で表現を競うところが面白い。作品の善し悪しを絶対評価することはなく、好き嫌いで見方が分かれる。「我」が強いか弱いかは作品のパワーとは全く無関係である。・・せっかく六本木まで来たので昼食はミッドタウンの脇でハンガリー料理。その後、ミッドタウンのサントリー美術館で開催されている「若冲と蕪村」展(5/10まで、案内=ここ)に行った。伊藤若冲と与謝蕪村は共に1716年(江戸時代・正徳6年)生まれとのことで、このようなユニークな展覧会が企画されたようだ。歴史のフィルターを経て生誕300年となる現代まで人気がある両者の作品群は直前に見た公募展と合わせて”絵画とは何か”を考えさせられてしまった。この展覧会で私がこれまで勘違いしていた事。それは与謝蕪村を絵もうまい俳人と思っていたが、絵画は余技ではなく、蕪村とは俳人、そして画家であった。
 
2014-04-22 国立新美術館にて
 
東京ミッドタウンにて
4月23日(木)  <木曜日はテニスの日・・・>
木曜日はテニスの日。今は自転車で片道45分の時間をかけて往復するのが当たり前になった。今日は珍しく初めてのメンバーと対戦。テニス場は2020年の東京オリンピックに合わせてコートが再編成されたこともあり以前より混雑している。人数が増えたため初めての人と対戦する機会も増えてきたのである。長年同じメンバーとプレーしていると相手の癖も腕前も熟知しており気楽なものであるが、初めての人と試合をするといつになく緊張する。”あがる”というほどでないにしても自意識過剰で何となく動作がぎこちなくなる自分に気がついておかしかった。いくつになっても自意識がでるということは悪いばかりではないと思いたい。平常心が保てないのは未熟であるかも知れないが全てが惰性で緊張感がないよりはまだいい。他の生活全般にも緊迫感が必要と思うこの頃・・。
4月24日(金)  <歴史上の戦争や争いごと・・・>
歴史上の戦争や争いごとは技術の進化と共に大きなステップで変化してきた。刀から銃、大砲、戦車、戦艦、航空機、ミサイルなどなど。武器はそのまま犯罪の道具となるので戦争の道具は自分とは無関係と見過ごすことはできない。最近は人が乗らない無人航空機が最先端の一つ。首相官邸の屋上に落下していたという「ドローン」は戦争用でなくても最新の犯罪道具となるので極めて恐ろしい。私は二年ほど前にオモチャのマイクロ・ヘリコプターで遊んだ経験がある(2013年11/20コラム=ここ=参照)。室内で飛ばす世界最小のラジコンヘリの性能の良さに驚いたものである。「ドローン」は小型の無線操縦ヘリコプターとして更に高度な性能に進化しており、今や流通産業や映像撮影などに新時代を築く可能性がある道具として非常に注目を浴びている。けれども、一方でテロや犯罪に悪用されると防御の仕方が難しい武器となる。日本では「銃」の規制が強いので米国などと比べると容易には命を奪われない安心感がある。「ドローン」は「銃」と同等以上に厳しい規制が必要でないか・・。
2015-04-24 ナスタチウム/朝食時に食べることもある
4月25日(土)  <「諸行無常」は釈迦の悟り・・・>
「諸行無常」は釈迦の悟りの一つで仏教の教えの中でも重要な教えとされる。平家物語の冒頭:「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」が余りに有名で、その後に:「沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず」と続くため、権力者や大金持ちがやがて没落するというはかないニュアンスにもとられるが、もちろん釈迦は全てのものが変化することを言った。明日は今日の続きでなく、今の一瞬の後に万物は変わっている。私は釈迦の「無常」の考えは現代の知識である細胞寿命にもつながる深さを感じる。人間の身体は60兆個の細胞からできている。細胞の寿命は、例えば24時間で死滅し入れ替わる細胞(消化系)、3ヶ月生きる細胞(赤血球)、あるいは10年それ以上のものなど多種。正常な人でも時々刻々細胞は死滅し一方で新たに再生する。死滅したら再生しない細胞もあるから身体だけを見ても間違いなく一瞬一瞬で変わっている。命ある生物だけでなく万物は永遠に継続することはない。正に無常。人はその法則を悟ったならば、この貴重な生きている時間に誰のためにどう過ごすかが問題となる。今、悩む時間はない・・。
4月26日(日)  <「肉フェス」と称するイベント・・・>
「肉フェス」と称するイベントに遭遇してしまった。天気がよかったのでウォーキングで駒沢公園まで行くと、いつもになく大賑わい。「肉フェス〜東京2015」が駒沢公園の中央広場で開催されている真っ最中だったのである。普段はなかなか食べに行くことのできない有名店や行列のできる店を日本中から集めて肉料理を提供しようという催しだそうだが、それにしても人が多い。大行列の最後尾について長時間待たなければ肉のかけらも口にはできない。昨年の同じ駒沢公園での「肉フェス」では数日間の開催中に約29万人の動員があったと後で知った。ステージでのパフォーマンスもあり、まさにフェスティバル。楽しそうでいいが、結局、飲み食いは一切なしで通り過ぎた。どうも行列に並ぶのは苦手だ。
<明日から京都に旅行するので二三日コラム休みます>
 
2015-04-26 駒沢オリンピック公園にて
4月29日(水)  <京都旅行から先ほど帰ってきた・・・>
京都旅行から先ほど帰ってきた。まだ何も整理がつかないが、とにかくよく歩いた。例えば南禅寺から銀閣までも哲学の道を通って全て歩き。巡ったお寺や神社の数は20〜30か。今日のところは写真のほんの一部を掲載して休むことにしたい。
 
2015-04-27 琵琶湖疎水で十石舟めぐり    4/28 青蓮院
    
2/28 渉成園                       4/29 曼殊院
4月30日(木)  <庭園の豊富さ、美しさ・・・>
庭園の豊富さ、美しさは京都が世界に誇れる大きな一つであると思う。今回、比較的時間をとって色々な庭園を巡って、見ているだけで時間が止まったように感じる瞬間が幾度もあった。30年以上前に訪れた時とは全く違った見方ができたし、同じ庭を見ても若い頃よりも感動が大きい自分が面白かった。枯山水という石や砂だけで自然を表現する造園はどう育まれたのか。抽象画とか現代美術にも通じる美的センスが日本文化の深さを見せてくれる。ふと、今のコンクリート造のベランダでも、どこにもないミニ庭園に仕上げることができるのでないかと我が家の夢を膨らます・・。
表紙の「今日の作品」には城型陶芸作品のアングルを変えた写真を掲載。庭も陶芸も見る角度で感じが変わる。
 
2015-04-30 銀閣寺                  円光寺
 
大徳寺/龍源院             大徳寺/瑞峯院

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