これまでの「今日のコラム」(2015年 10月分)


10月1日(木)   <10月の始まり・・・>
10月の始まり。旧暦で神無月というと間もなく霜月、師走と年の瀬が近づいている雰囲気になる。今日は表紙に「Mieuへの絵手紙」を掲載した。ほんの衝動的に描いた意味のない抽象模様だが、ガラスペンで三色のインクを使ったのでタイトルをインクの名前を並べて「露草(左)・松露(中央)・山葡萄(右)」としてみた(水性インキはパイロット製)。今日の午前中のテニスでは昔の仲間と2ゲームをやった後、少し物足りないので珍しく壁打をやった。壁打とは木材の大きなボードがありその壁に自分一人で球を打って訓練することで、パートナーも相手もいないので全く自分一人で思うような球打ができる。普段の試合では出来ないような強力なショットやデタラメな打ち方も自由自在で誰の迷惑にもならない。・・ここで「絵手紙」はテニスの壁打に似ていると気がついた。ニューヨークに住む孫娘のMieuちゃんはどんな絵はがきでも受け取ってくれる。抽象画であろうが描き損ないであろうが一切批評もクレームもない。あらためて「今日の絵」を見ていると今日のテニスの壁打と比べるとデタラメさがまだ少なく比較的おとなしい。Mieuちゃんならばもっともっと強烈な表現でも軽く受け流してくれると思うと改めて描く元気が出てきた。


10月2日(金)   <「円葉(まるば)の木/Mieuへの絵手紙」・・・>
「円葉(まるば)の木/Mieuへの絵手紙」(水彩)を表紙に掲載した。昨日に続いて孫娘Mieu宛てに思いつくまま自由に絵手紙を描くのは理屈なしで楽しい。今朝は明け方前に猛烈な風雨の音で目を覚まされたが9時頃になると雨も上がり西の空には青空も見え始めた。傘も不要になったので昼前に墓参りに出かけた。今日は息子の月命日。いつものように墓の周辺20〜30mを大掃除してから合掌。寺の境内では銀杏を拾い土産とした。帰途、今日は特別の日だからと妻とパン屋さんの店でサンドイッチを昼食とした。そう、今日はニューヨークに住むMieuの母親(つまり娘)の誕生日でもある。メールでHAPPY BIRTHDAYを伝えておいてから二人で食べたサンドイッチがとても美味しかった。
 
2015-10-02 墓地から見た青空      九品仏浄真寺の大銀杏

10月3日(土)   <陶芸では”作品”としてのアウトプットは・・・>
陶芸では”作品”としてのアウトプットはでないけれども少しは作業を続けている。今日、陶芸教室で私が制作していたものをみて新人の女性から”花器ですか”と聞かれたので、”数学が趣味の知人にヒントをいただいてコレコレの数式でこんなカーブの組合せの立体を作っています”と調子に乗って内情を資料とともに披瀝してしまった。そうすると隣で聞いていた昔からの仲間の男性からは”数式なんか関係なく形だけ作ればいいんじゃないの”ときた。その通りで、制作方法を色々検討した結果数式に忠実に数値を出し型板を作ることなしに「形だけを」目安にして制作しているところだ。完成した時にみえる姿形の善し悪しは数式とは関係がない。宇宙の構造から自然の姿に至るまで数式に寄って驚くほど類似に美しく表現されるケースは多いが初めに数式ありきではない。大昔から「創造主」たる神を考えなければ説明できなかったことのほんの一部を数式が示したことはあっても自然の形態は「神秘」であることには変わりがない。今回の陶芸では数式を感じさせない数式をベースにした美しい形状ができれば幸いだが・・。
10月4日(日)   <今日の絵として「コスモス/Mieuへの絵手紙」・・・>
今日の絵として「コスモス/Mieuへの絵手紙」(水彩)を表紙に掲載した。この絵手紙は描く前に何をどのように描くか全く考えることなしに、はがきサイズの真っ白な用紙に即興でペンと筆を走らせて描いた。その時の気分や体調、心理状態で何が表れるか予測できない実験抽象画だ。題名のコスモスも後で適宜に名付けた。今見ると全体に単調でありながら沢山の線を重ねた”しつこさ”が目立つ。ふだんはもう少しあっさり系が好きであるが、おそらく色を根気よく重ね塗りするのが楽しくてしょうがなかったのだろう。自分の描いたものを他人事のように評論できるのも”成り行き任せ”の絵であるからかも知れない。コンピューターでは絵手紙の幅を300ピクセルとした小さな画像であるので一部を抜粋した画像を下に掲載してみる。
  n 今日の絵・部分拡大
10月5日(月)   <スエーデンにはなぜ”寝たきり老人”がいないのか・・・>
「スエーデンにはなぜ”寝たきり老人”がいないのか」というネット記事を興味深く読んだ。スエーデンは高福祉国家であり平均寿命でも日本人の平均寿命と1歳ほどしか違いのない(約82歳)長寿国。ところが日本では150〜200万人と云われる寝たきり老人がスエーデンではほとんどゼロという。その理由の一つとして記事ではスエーデンの社会が徹底した「自立した個人」の文化があると解説していた。若者はある年齢に達すると必ず親の家からでていき自活する。親もいくら高齢になっても息子(夫婦)や娘(夫婦)とは決して一緒に暮らさない。だからといって家族関係が希薄でなく頻繁に独立した家族同士が交流するという。この話を聞いて私が親しくしていたスエーデンの家族がまるでその通りなので納得した。実に親しく仲のよい家族だけれども親夫婦・子ども夫婦(孫まで)が同居することはなかった。スエーデンでは認知症の人でさえ半数は自立して独居しているというし、老人を介護する側もされる側も寝たきりにならないよう懸命に努めるようだ。過剰な介護はしないとか無理な延命治療をしないなど”死に方”についての意識を変えたことも寝たきりをなくした大きな要因とか。日本でも先ずは”同居しない”からはじまる意識改革が必要かも知れない・・。
10月6日(火)   <昨日、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった大村智さん・・・>
昨日、ノーベル医学・生理学賞の受賞が決まった大村智さん(80歳)は、「いつも2つのことに取り組んできた」と語っていたそうだ(日経/春秋より)。山梨の農家で生まれ育った大村さんは定時制工業高校の教師をしながら大学院の修士課程を卒業した苦労人。中学・高校の頃にはスポーツに没頭したという大村さんは、その後の研究生活でもこの道一筋ではなかったのか、女子美大の名誉理事長を務めたり、収集した美術品を寄贈して故郷に美術館を建設するなど非常にユニークな経歴をお持ちだ。何より大村さんの祖母や両親の「人のためになることをしなさい」という教えがエピソードとして出てくるところが好ましい。・・今日の私は昨日に続いてテニス。そして午後は陶芸教室で削り作業。形だけの”2つのこと”であるが、いつもになく充実感があることは確かだ。出来得ることなら更に”人のためになること”が加われば云うことはない・・。
10月7日(水)   <昨夜、ノーベル物理学賞が宇宙線研究所所長の梶田隆章氏・・・>
昨夜、ノーベル物理学賞が宇宙線研究所所長の梶田隆章氏(56)に授与されることが発表されて、連日の日本人のノーベル賞受賞に日本中が湧いている。毎回受賞に関するエピソードや研究内容がお祭り騒ぎのように紹介されて、それはそれで楽しい。梶田さんの研究テーマであるニュートリノとか素粒子の質量、宇宙の起源など解説されても理解できないながら”面白い”という感覚にはなる。かつての物理学は紙と鉛筆とそして頭脳によって成果がでるとされたが現代では膨大な実験設備とデータ解析で未知なる世界を追求するシステムであるのも興味深い。本来は最も論理的な仕事の中に何かロマンが見える・・。
10月8日(木)   <表紙に「Mieuへの絵手紙」を掲載・・・>
表紙に「Mieuへの絵手紙」を掲載した。昨日の梶田さんのノーベル賞受賞に絡んで宇宙を描いた訳ではないが、絵の様子からタイトルを「コスモスX」とした。昨日受賞理由となったニュートリノに関連した解説の中で宇宙から降り注ぐ素粒子の観測のため地表では数が多すぎるため地下千メートルの実験場(カミオカンデ)でデータを採取する話があった。地球上のありとあらゆる生物、物体は見えない粒子の雨を絶えず受けている。私は高校生の頃(50数年前)霧箱という宇宙線を目に見る装置をグループで作ったことがある。これがアルファ線、ベータ線とか蛍光塗料の発する粒子などを見て喜んだものだ。放射線も含めて宇宙の成り立ちに関連した膨大な粒子群が常時身体を貫通しそれに適合する生物や物体しかこの世には存在しない。放射線に対して過度に敏感になることはないし、また微生物や細菌などについても過度に潔癖であることはない。全て宇宙の成り立ちの必然であろう。

10月9日(金)   <日本橋浜町の画廊で開催されている・・・>
日本橋浜町の画廊で開催されている知人の展覧会に行った。浜町は隅田川に接する街。明治座は浜町にある現代の代表的劇場として知られるが近くの人形町や水天宮などと合わせてこの界隈は江戸時代から続く歴史ある街の雰囲気を醸し出している。今日は余裕があったので展覧会を見た後、妻と浜町公園〜久松町〜人形町などをゆっくりゆっくりと散策した。途中で食べた豆大福の美味しさが忘れられない。
2015-10-09 人形町にて
10月10日(土)   <日本に住むアメリカ人の陶芸展・・・>
日本に住むアメリカ人の陶芸展に行った。会場はお茶の水ソラシティの「Gallery蔵」。「ゲーリ・ラバー展<土の探検>」というこの展覧会ではお茶の水の新高層ビルの地下の一角にある蔵でまさに土の探検をした。紹介してくれた人のアメリカ人の友人や作家さんと色々と話をして新鮮な刺激を受けることもできた。極めて薄い磁器の容器の中にLEDを入れて日本の行灯(あんどん)の雰囲気を造り上げた照明は他では見たことのないものだ。薄い磁器の変形を防ぐ工夫や模様の付け方などを聞いていると日本の陶芸家にはないパイオニア精神を感じる。蔵の展示場にぴったりな江戸情緒がありながらモダンな磁器行灯をアメリカ人が造る。世の中だんだんと国籍など意味なくなる方向に進んでいる。
2015-10-10@Gallery蔵(お茶の水)にて
10月11日(日)   <今日は「昆虫記」で知られるファーブルの没後100年・・・>
今日は「昆虫記」で知られるファーブルの没後100年目の日。ファーブルは南フランスで1823年12月21日に生まれ1915年10月11日に91歳で亡くなっている。日本で云えば江戸末期から明治を経て大正の初めまでの生涯だ。ファーブルの昆虫記は今でも翻訳本が多くの子どもに読まれており、大人も子どももファーブルの名を知っている。ところが母国のフランスをはじめドイツ、英米などでは「昆虫記」は読まれることもなくファーブルの名はほとんど知られていないという。ファーブルが長年住んだアビニオンには業績をたたえたて「ファーブル通り」と名付けられた通りまであるにもかかわらず住人はファーブルが何者か知らないとか。昆虫記が日本人に長年親しまれているのは昔から日本には虫好きの文化があったからと解説されている。日本人は秋の虫の鳴き声に情緒を感じ、キリギリスなどの虫を絵画に描いたが西欧では虫の声は雑音だし決して絵画に虫を描かなかった。こんな世界の片隅の日本で100年後まで昆虫記に人気が続くことをファーブルは想像もしなかっただろう。
 
2015-10-11散歩の途中 (左)@九品仏  (右)は鶏頭(ケイトウ)&ハナミズキの実
10月12日(月)   <iPhoneで突如「SIMなし」表示・・・>
iPhoneで突如「SIMなし」表示がでた。初めての経験で、そうすると通信機能が全て駄目になり、バス停での待ち時間チェックもできない、行き先をマップで調べることも出来ない、もちろんメールやインターネットもできない。iPhoneを持ち歩いていても「SIMなし」では何も出来ないことが分かった。SIMとはSubscriber Identity Module(加入者識別モジュール)で通信の際に利用者を特定する役割をするのがSIMカード。”突然”と書いたが何か原因があるはずと考えると直前にiPhoneを地面に落としたことが思い当たる。そこで修理を依頼しようとauショップに立ち寄ったら30分以上待たされることが判明。それならばと家で自分でクリップの先をiPhoneのサイドの穴に差し込みSIMカードを抜き出して再セットして起動すると見事に正常に復帰した。パソコンで「SIMなし」となった場合の修理法を調べたのは言うまでもない。衝撃でSIMカードが接触不良となること、自分でSIMカードを引き抜くこともできることを学んだ。
今日の写真は義兄の墓参に行った際に撮影した風景。
 
2015-10-12  経王寺(日暮里)山門     谷中の道端風景
10月13日(火)   <風呂上がりのビールに至上の幸せ・・・>
風呂上がりのビールに至上の幸せを感じるのは真夏に限らない。我家は妻が飲まないので私一人で大して消費しないけれどもビールの蓄えがなくなったのでスーパーでビールを買おうとすると余りの種類の多さに今更ながら驚く。通常のビールのほか高級品を思わせるプレミアムビール、ビール風味の発泡アルコール飲料である発泡酒、更にビールや発泡酒とは別の原料、製法で作られた第三のビールなど見ているだけでクラクラするほどの種類の多さである。正確に言うと発泡酒や第三のビールは酒税法の定義からはビールの範疇に入らない。そのため税率で低価格なビール相当の飲料を実現している。私の場合、どのメーカーのどういう銘柄に限るというこだわりが一切ない。実際に飲み比べてみて銘柄や種類を言い当てることはできないと妙な自信がある。結局、飲み比べるつもりはないが4つの銘柄を少しずつ合わせて購入した。
2015-10-13 pm4:50
10月14日(水)   <「菜根譚」が今・・・>
「菜根譚」が今NHKテレビの「100分de名著」で取り上げられている(水曜日pm10:00、再放送am6:00、net案内=ここ)。「菜根譚」(さいこんたん)は中国の古典の一つで人生の指南書とでもいうべき名言が多いとされる。人生の逆境の時にはいわばプラス思考をして前を向き、順境のときには先々の失敗や災難に思いを馳せ自重を促すなど、どのような境遇にあっても勇気づけられる言葉で知られる。「菜根譚」を読みたいと思うと数種類以上の解説書、訳本が簡単に手に入るほど今の日本でも人気がある中国古典だ。面白いのは江戸時代後期に加賀藩の儒者林そんぱが菜根譚を紹介した時点でも中国では思想書としてほとんど認められていなかったとか。日本では昔から儒教の影響は強く論語などもよく読まれてきて、未だに孔子や孟子の教えに共感するところも多い。また一方で仏教的な考えも根強く残っている。そして日本の歴史として正確には分からない神話の時代を含めてそれぞれの時代の流れを一貫して学ぶ。それでは今の中国の人はどのように歴史を学ぶのだろうか。中華人民共和国は1949年に出来た国で先日国慶節で建国66年を祝った。共産主義の国となる以前の悠久の中国歴史がどのように教えられているのか分からないが論語も菜根譚も日本人の方がよく知っていることになりかねない。
10月15日(木)   <”One for All , All for One”・・・>
”One for All , All for One”。これはラグビーの基本精神とされる言葉。このところW杯ラグビーの一次リーグで日本代表が3勝1敗の好成績をおさめてラグビーは大盛り上がりだ。冒頭の「一人は皆のため、皆は一人のため」は良い言葉だが、ラグビーでは試合終了を「ノーサイド」と呼ぶのも素晴らしい。激しく争った両方のプレーヤーが試合終了とともにどちらの側でもなくノーサイドで健闘を讃え合う。今日の午前中はテニス。テニスの場合はラグビーより少人数ではあるが、やはりお互いのチームが全力で戦った後に勝ち負け関係なく讃え合うことが出来ると充実感と幸せを感じる。テニスに限らず私の周囲の年配者を見ていると、”ONE FOR ALL”が幸せを感じる大きなポイントのように思える。何か社会のため、周囲のために活動している人が元気で楽しそうだ。人は社会と隔絶しては存在できない。その中でボランティアでも仲間の援助でも何か他の人の役に立っている意味は非常に大きい。考えてみると、これは年配者に限らないのだろう。誰でも他人のために活動している人には幸福感が漂う。
10月16日(金)   <人感センサーをまたネットで注文・・・>
人感センサーをまたネットで注文してしまった。とにかく安い、何と980円。赤外線センサーによって人を感知すると自動でスイッチが入る機能は確実にある。レビューを読むと故障したけれど中国製で安価なことを考えるとしようがないとか、オフになる時間調整がうまく出来ないなど辛口のレビューはあるが、要は使い方。今使っているのもオフとなる時間が安定せず強引に直したが単純な動作だけならば十分に使える。今回注文したのは共用玄関の照明用に使用する予定で、今日はこの人感センサーで作動させるLEDの天井ライトを東急ハンズで買ってきた。天井照明に限らず物置やデイスプィ棚にも使える非常にシンプルな照明具で価格は6000円余。インターネットでは見つからなかったけれども東急ハンズにしては実に安い。もちろん、これもMade in China。人感センサーにしてもLED照明にしても単純な機能だけが欲しかったので選択したら中国製となった。機能から見ると安すぎるのでないかと思えるほどの価格をみるとただ喜んでいる訳にもいかない。自然が育む野菜や果物が非常に高価で、初めから終わりまでを人間が作るハードの方が安価に販売できるのは何故だ・・。
10月17日(土)   <小雨の中バス停に向かって歩いていると・・・>
小雨の中バス停に向かって歩いていると目の前でバスが行ってしまった。iPhoneの「バスナビ」で次のバスがくるまでの時間を見ると13分とでた。まだ5停留所前にもきていない。それではと、iPhoneのアプリ「COCOLOLO」(9/16コラム=ここ=参照)で現在の心のバランスと元気度をチェックし、続けて「KINDLE」(アマゾンの電子書籍)で小林秀雄の「考えるヒント」を読み始めた。たまたま「考えるヒント」の「四季」の項目を読んだのだが、面白くて時間を忘れそうになった。気がつくと”まもなくバスが参ります”。iPhoneがあればバスの待ち時間に退屈することがない。下北沢の陶芸教室に行くには三軒茶屋でバスを降りてまたバスを乗り継ぐのだが、バスの4駅分の距離であるので出来るだけ歩くようにしている。歩いて10分余。今、お祭り真っ最中の三軒茶屋の街を通り抜けるのも楽しい。
10月18日(日)   <大学のクラス会が2年ぶり・・・>
大学のクラス会が2年ぶりに開催された。卒業から52年目。出席者25名は卒業仲間の22%となる。いつもながら出席できた人はそれだけで幸せ者との思いが強い。今回の幹事は亡くなった人のリストまでもまとめていた。逝去者23名(20%)。年齢からはこの比率が一般的なのだろうか。最近の逝去者に黙祷を捧げた後、みなのスピーチを聞いた。出席できた人たちは幸運にも健康に恵まれてリタイア後も何事かに集中している様子が伺われて、こちらも触発される。半世紀前に機械工学を学び、当時まさに黎明期にあったコンピューター(電子計算機と呼んだ)に取り組んだ仲間たちは今も開拓者精神を持ち続けているようにも思えた。
10月19日(月)   <雲一つない晴天・・・>
雲一つない晴天。テニスの中休みの一時、空を見上げて美しく爽やかな空間に浸りながら妙な思いが頭の中を駆け巡った。なぜ人は争うのだろう、闘争心がなくなれば人は滅亡するかも知れない、スポーツの”競技”はもちろんルールに従った争い、ボクシングのように殴り合いをする競技まである、体力以外の争いもある、理性とか知力といっても他より自分を強調して争う・・。何年か前に同じテニスコートでプレーしていた今は亡き義兄が相手の嫌がるボールばかりを打って争う競技には興味がなくなったといってテニスを止めたのは今の私の年齢であったか・・。余りに無垢な空の下で「争う」ことに罪悪感を持ったのかも知れないが一瞬の後、また必死で相手をやっつけるゲームに集中した。
今日の写真は最近いただいた豪勢な花。
  
2015-10-19
10月20日(火)   <山の動く日来たる・・・>
「山の動く日来たる」ではじまる与謝野晶子の詩を読むと今でも女性の強烈さに圧倒される。「そぞろごと」と題されたこの詩は平塚らいてふが25歳の時に発刊した雑誌「青鞜」創刊号(明治44年/1911年)の巻頭に掲載された。平塚らいてふ(1886〜1971)は自ら「元祖、女性は太陽であった」との文章を残したことで知られる女性解放運動家(たまたま私は大学で平塚らいてふの息子さんである奥村教授に機械工学を指導していただいたが実に温和な先生であった)。与謝野晶子(1878〜1942)は歌人として余りにも有名だが平塚らいてふらと同じく”新しい女”としての活動力は凄まじい。「そぞろごと」の続き、「・・山はしばらく眠りしのみ その昔において 山は皆火に燃えて動きしものを・・ すべて眠りし女(おなご) 今ぞ目覚めて動くなる」(全文=ここ)。これは女(おなご)でなく男(おのこ)でも勇気づけられます。
10月21日(水)   <趣味で絵を描く友人に・・・>
趣味で絵を描く友人に誘われて国立新美術館で開催されている独立展を見に行った。友人は私の陶芸展に来てくれるし友人の展覧会には私も出来る限り行くけれども会ったのは一年半ぶり。毎年、秋の独立展には一人で行くことが多かったが今回友人と一緒でも立ち止まる絵は異なるところが面白い。独立展は相変わらず強烈な個性の披瀝し合い。情緒を味わうなんていっておとなしくしているとこのような集団の中では霞んでしまうだろう。それぞれに主張し表現したいことがあるのは分かるが、毎度のことながらただ静かな空間が欲しくなる。会場をでて東京ミッドタウンで食事。ミッドタウンの芝生広場の”つみき”(=ここ)が観てきた絵の毒気を抜いてくれた。
 
2015-10-21 絹谷幸二の絵@独立展      東京ミッドタウン芝生広場
10月22日(木)   <多摩川沿いを数km歩いた・・・>
多摩川沿いを数km歩いた。木曜日はテニスの日であるが昨日身体をひねり(筋違い)今朝になっても完治せずテニスをするには怖い。そこでテニスを止めてウォーキングとしたのである。まず二子玉川ライズまでバスで行き、隣接する二子玉川公園を一周。この広大な園内には回遊式日本庭園「帰真園」や文化財となっている和風建築もある。最奥部から多摩川沿いのウォーキングコースにでて上流方面に歩き新二子橋の先の「兵庫島」まで行った。多摩川本流の中州のような島の名が「兵庫」なので兵庫県出身の私としては親しかったが新田義貞の時代にこの川を戦場として散った武士・由良兵庫助から名付けられたものだった。とにかくも兵庫島にしてもその脇を流れる支流・野川にしても全てが初めて見聞きするものばかり。初体験を面白がっていると、”筋違い”をほとんど意識しないようになった。
 
2015-10-22 多摩川本流と新二子橋 
10月23日(金)   <表紙に「今日の作品」として「ほおずき/MIieuへの絵手紙」・・・>
表紙に「今日の作品」として「ほおずき/MIieuへの絵手紙(ペンと水彩)」を掲載した。普通のほうずきと網ほうずきを並べて描いたが私は「網ほうずき」を見れば見るほど感動してしまう。網目と中の実でこれほど見事に出来上がった自然のランタン(灯)というべき構造体を他には知らない。「網ほうずき」はほおずきを水に浸しておくだけでできるそうだが、外皮が溶けて編み目だけになるまでの長期間を経ても赤い実が残るところが神秘的でさえある。ほおずきの英語は、winter cherry, ground cherry, Chinese lantern plantなどとあった。漢字では「鬼灯」。ほおずき市は夏に開かれるが俳句では「ほおづき」は秋の季語。「鬼灯は実も葉もからも紅葉かな」(芭蕉)、「陽がとどけば草のなかにてほほづきの赤さ」(山頭火)。

10月24日(土)   <糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」・・・>
糸井重里さんの「ほぼ日刊イトイ新聞」(=ここ)の昨日のコラムに「”ほぼ日”がはじまって以来、17年と5ヶ月くらい・・一日も休まずに毎日ずっと続いています」とあった。思い出すのは、このホームページを17年前にコーギー犬主体でスタートさせて16年前(1999/12)にコラムを始めた時に「ほぼ日」を大いに参考にしたこと。当時はホームページの数も極めて少なかった(ブログなんていう言葉もなかった)。言うまでもなく、こちらは有名人のホームページと比較するつもりはさらさらない。アクセス数も気にせずにこれからも"going my way"で続けよう。ただし、最近ホームページを登録しているプロバイダーから与えられている許容量100MBの限界近くに容量が増えていることが判明した。毎日の更新で塵が積もるように少しずつ容量がアップする。そういえば「ほぼ日」さんは過去のコラム(エッセイ)を全て消去しているし新陳代謝を頻繁に行なっている。何を残し何を削除するべきか考えなくてはならない。
10月25日(日)   <歴史上の思想家や哲学者・・・>
歴史上の思想家や哲学者が仮にインターネットで本人自ら自説を発信したとするとどうなるだろう。孔子やソクラテス、仏陀、イエスキリスト、ムハンマドなどの教えは本人の弟子たちによって整理され伝承された。もし本人の直接の文章で記されたとするとどのようなニュアンスになったか興味がある。一方で、現代の地球上には先人たちに負けず劣らず偉大な思想家が大勢いるはずである。そうした人の考えを毎日でもインターネットで見ることが可能な時代になっている。”先人に学ぶ”だけでなく同時代の哲学を知りたい。けれども容易にはそういうサイトに遭遇できない。世界とつながりを持つためには努力が必要か。テレビのバラエテイ番組を見る時間を減らして時間をつくらねばならない・・。
10月26日(月)   <自転車で45分の時間をかけて・・・>
自転車で45分の時間をかけて神宮球場の隣にあるテニス場に着く。開門の20分前というのに先着20人ほどの順番とりのバッグが列をなしている。それでも今日はNo.3コートで半日プレーできた。幸いに体調に問題なく身体の動きはまあまあであった。先週は起床時に左背筋の筋違いを起こし身体が思うように動かなかった。木曜日のテニスも休み、無理をせずに数日静養したのが正解であったように思える。身体が正常に動く時には、それが当たり前だと思う。ラジオ体操も出来て当然。それがほんのわずかな体のねじりでラジオ体操ですらまともに出来なくなる。悪化させて初めて正常の有難さを知る。健康に過ごし、テニスでプレーすることもできることを誰に感謝すべきか。親に感謝、妻に感謝、友に感謝、神に感謝、天に感謝・・。言えることは、これからの”悪化”は全て自分の責任。
10月27日(火)   <今日の昼食には「東京ラーメンショー」・・・>
今日の昼食は「東京ラーメンショー2015」で「海老まるごとワンタン麺」。妻が外出して昼飯にあぶれてしまったので、散歩がてらラーメンショーが開催されている駒沢公園まで歩いて行ってみた。ラーメンショーなど大袈裟な食事イベントでは大抵大行列を見るだけで挫折してこれまで食べたことがないが、今日はウィークデイのためか比較的空いていたので、ほとんど待たずにラーメンにありつけたのである。今回の駒沢公園でのラーメンショーは第一幕10/23〜10/28、第二幕10/29〜11/3で、全国のラーメン名店が出店するという大掛かりなもの。6年前から開催されて、これまで累計200万人が来場したと宣伝されている。こういう場で初めてラーメンを食べた感想としては、やはりラーメンはご当地ラーメンをその土地で静かに食べたいということ。先ず広場の端まで行ってチケットを買いなさい、並びなさい、出来たラーメンを飲食テント場まで運びなさい、後はゴミ箱まで容器を持っていって処分しなさい・・。全てセルフサービスの割に決して安価ではない。今日はステージイベントは開催されていなかったけれども、ラーメンを食べなくてもお祭り気分だけを味わうのがよろしいようで・・。
<小旅行のため明日から2日間コラム休みます>
 
2015-10-27 駒沢公園にて
10月30(金)   <箱根・伊豆方面をドライブ旅行・・・>
箱根・伊豆方面をドライブ旅行して先ほど帰宅した。2台の車で3夫婦が一緒の旅行。風景を見たり食事をする以外に他の夫婦と話をする機会があるのも非日常となる。「話」とは話を聴く立場と話を出す側があることを改めて感じる。それぞれに個性や特性があるのは当然として皆元気で前向きの人ばかりなのがうれしい。今日の写真には箱根・仙石原のすすきの原と湿生花園での写真を掲載する。「何やらの原と申して薄かな」(子規)。
 
2015-10-30 @箱根仙石原                      箱根湿生花園
10月31(土)   <今日はハロウィン・・・>
今日はハロウィン。日本でも毎年仮装によるお祭り騒ぎが派手になってきているようで、陶芸教室で一緒になったおばあさんは渋谷を通って帰るので渋谷がどれほど混雑するか心配していた。それにしても若い子たちが悪魔やゾンビに仮装して写真を撮りあっている姿は天下太平。平和なお祭り騒ぎは悪くはない。ハロウィンはもとは秋の収穫祭であるが、いま東京農大でも収穫祭の真っ最中。東京の世田谷キャンパスでは収穫した野菜が無料で配布されるので大人気だ(サイト=ここ)。日本の収穫祭というと戦前には新嘗祭(にいなめさい)が11月23日であった。この日は勤労感謝の日として名を変えて今も休日になっている。新嘗祭は古代からの”五穀の収穫を祝う風習”を引き継ぐものとして国家的行事、宮中祭祀であったので、収穫祭といっても様々。土地と太陽と水と更に諸々の恵みを受けて収穫できたものに感謝するお祭りはどんな形態でも構わない。
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