これまでの「今日のコラム」(2015年 11月分)


11月1日(日)   <最近、中国が申請した・・・>
最近、中国が申請した「南京大虐殺の文書」がユネスコの世界記憶遺産に登録された。これを機会に国連の機能や運営について改めて議論したり、国連そのものをレビューするのもいい。ここでは日本で使用される「文字面」をヒントとしてみたい。世界記憶遺産は英語では”Memory of the World"。世界遺産は文字通り"World Heritage"の訳だが「世界の記憶」と訳されるところを記憶遺産と遺産の文字を付けた。訳語を比較をすると「国連(国際連合)」自体も英語では"United Nations"であり、International(国際)という言葉はない。よく知られているように第二次世界大戦時の「連合国」がUnited Nationsであり、国連はそれを継続して戦勝国を主体に組織された国際組織である。United Nationsをあえて国際連合と表示したのは苦心の末の訳語だろう。ちなみに戦前の国際連盟はLeague of Nationsを訳したもの。これにもあえて国際を入れていた。国際の字が入ると何となく公平感があるが実態はそれほど単純ではない・・。


11月2日(月)   <朝から冷たい雨・・・>
朝から冷たい雨。月曜日には7時40分に家をでてテニスに行く習慣であるので、雨でも身体は運動のリズムを覚えているのか。朝食後しばらくは身体を使う家事仕事をして、店が開いた時間になると外出。少々遠くにある電気量販店まで歩く。雨の中を自分でも驚くほど早足になるのはテニスが出来ない鬱憤をはらしているようにみえる。帰途、スーパーに寄って妻から頼まれた買物をすると、3袋で重量は5〜6Kgになった。一瞬バスに乗ることも考えたが、やはり歩くことにした。片手で傘をさし、もう一方の手で荷物をまとめて持って歩くと、丁度ウェイトを持ってトレーニングする感覚。テニスはできなかったけれども、身体を動かすことで雨であるのに気分爽快になったのは間違いない。
11月3日(火)   <今日、11月3日は晴れの特異日・・・>
今日、11月3日は晴れの特異日とされる。不思議なことに昨日の寒い大雨から一転して今日は朝から晴天。この日が間違いなく晴れの特異日であることは30年以上前の11月3日が毎年晴れであった記憶が鮮明にあることからも確信できる。そう、この日は29年前に亡くなった父の誕生日でもあった。父の晩年には毎年この誕生日の日に食事会を開催した。毎回が気持ちのよい晴天の下での誕生会であった。今日は珍しく兄弟姉妹と一緒に墓参り。皆は父母のための墓参りであるが私だけは同じ墓に眠る息子の供養でもあった。松尾芭蕉は亡くなる年に一家総出の墓参をして「家はみな杖に白髪の墓参り」の句を詠んだが、今日墓参したメンバーは全員芭蕉が亡くなった歳(50歳)よりはるかに年上であるのに、誰も杖をつかず白髪もいなかった・・。
2015-11-03@九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)
11月4日(水)   <今朝6時からのNHK・Eテレ・・・>
今朝6時からのNHK・Eテレは「100分で名著・菜根譚(さいこんたん)」(再放送)だった。以前(10/14)に菜根譚のことを書いたが、その後iPhoneのKindle(アマゾンの電子書籍)にこの本を取り込んで気の向いた時に読んでいる。ただし、原文ではなく現代語で読むので、既に知っていること、当たり前の内容に思えることばかりなのが意外な程だった。漢文の方が何か有難味が感じられる。それでも確かにその通りなどと納得しながら読むのもまた楽しい。パソコンを使えばKindleをダウンロードしなくてもインターネットで菜根譚の全文を読めるサイトを見つけたので紹介しておこう(=ここ)。このサイトでの日本語版はこんな調子:<他人の小さな過失を責めたてない - 他人の隠し事をあばきたてない -  他人の昔の悪事を覚えておかない - この三つができたら人格を養えるし - 同時に危害を遠ざけることができる(前集105)>
11月5日(木)   <「上には上がある」・・・>
「上には上がある」を私の場合テニスでも痛感する。曜日によって色々なメンバーと試合をやる。ある時にはほどほどに手加減をしなければと気をつけて勝つこともあれば、一方でどんなに頑張っても相手に弱点がなく力負けしてく悔しい思いをすることもある。こちらが上にいる時に下の人の気持ちをある程度思いやれるのは更に上の人に負けるからだろう。一つのテニスグループから東京大会、日本代表、世界大会までを考えると当然「上には上がある」。これが碁でも将棋でも、また勉強や知識でも全て同じこと。狭い所で威張っていても広い世界では通用しない。けれども視点を変えると、大海を知らない井の中の蛙の方が”幸せ”という見方もできそうだ。大海を知って声を失うよりも何も知らずにゲコゲコ鳴いている蛙が安泰。私のテニスも気楽に遊べるご老人の相手を大切にしよう。
11月6日(金)   <表紙に今日の作品「やまなみ・・・>
表紙に今日の作品「やまなみ/Mieuへの絵手紙」(水彩)を掲載した。山並みは日本国中どこでも見られるので当たり前のように思っていたけれども、ある時、他の国ではそれほど見られない日本独自の景観であることに気づかされた。中国でもインドでも山の風景は全く異なる。東京では高層ビルから遠くに山並みを見ることが出来るし、少し移動すれば間近に山々は目に入るが、ニューヨークでもパリでもこんな景観はない。山の奥にまた山、そのまた奥にも山、そしてどれもが主役でもなく脇役でもない。全体がある世界を作る。「やまなみ」は間違いなく日本人の心情や文化に影響を及ぼしてきた。けれども、そんな景観が細やかなデリカシーを醸成したかも知れないが民の優劣とか強弱とは関係ないだろう、浸食が大きく進んだ堀の深い山肌や広大な砂漠の環境に住む民族もまた多い。それぞれの多様な景観の下に統一した価値観を造り上げるのは容易でないなぁ・・。 「山は暮れて野は黄昏(たそがれ)の薄(すすき)かな」(与謝蕪村)

11月7日(土)   <些細なことに幸せを感じる・・・>
些細なことに幸せを感じることが多くなった。今朝もそうであったが、朝6時前に自然と目が覚めるまでぐっすり眠れるのが何より有難い。一年前に今の場所に引越してくるまでは朝5時頃から自動車やバイクの運転音で一度目を覚まされるのが当たり前だった。都心の便利な場所に住んでいたので不平もなく朝の音も生活のリズムであったが現在の住居で外からの音で起こされることがない静寂の幸せを初めて知った。・・話をすると何かと不平や不満ばかり言う人がいるが、外からみるとその人以上の幸せ者はないと思われる人であったりする。妻や夫に恵まれ、子どもは健康でいい子、美味しいものを存分に食べ、毎年海外旅行に行く。それらを当然のこととして福祉が足りない、もっとお金が欲しい・・。物欲、権威欲、名誉欲その他諸々の欲望に際限がないから、古来「足るを知れ」の教えがある。けれども「足るを知る」ことは言うほどに容易ではない。せめて感謝の気持ちだけは、まだまだ「足りない」と知っておきたい。
11月8日(日)   <横浜美術館で開催されている中島清之・・・>
横浜美術館で開催されている中島清之(なかじまきよし)の展覧会に行って楽しく鑑賞し、また大いに創作の刺激を受けたけれども、主催者の姿勢にどうも引っかかるものを感じた。中島清之(1899〜1989)は明治32年に京都で生まれ、大正・昭和時代に活躍した日本画家。現在の著名な日本画家、中島千波の父親でもある。日本画家といっても伝統を重んじる古い日本画でなく中島清之は90歳の生涯を通して常に新しい様式や手法に挑戦し続けた。デフォルメした人物像や抽象画に至るまで奔放に日本画の可能性を追求した姿勢には他の画家にない独自性をみる。冒頭”引っかかる”と書いたのは、そんな中島清之に対して美術館の案内に「面白い画家」とか「日本画の迷宮」と表現していること(=ここ)。これは、どうみても本流・一流でないとの上から目線の評論家的な紹介に見える。革新的な業績に対する尊敬の念が伺えない。作者が創造の世界でいわば命をかけて苦闘した痕跡を「迷宮」などとは言って欲しくない。
11月9日(月)   <先週に続き今日の月曜日も雨・・・>
先週に続き今日の月曜日も雨。テニスを諦めて家でトレーニングマシーンを使っていたら朝方に止んだ雨が一向に降り出す気配がない。それならばと妻と車で息子の墓参りに出かけた。一週間前にも墓参りをしたので墓前にはまだ花がそのまま残っていたけれど、改めて新しい花と線香を供える。寺の境内は前回から一変して樹々が随分と色づいている。雨水に濡れた敷石に降り積もった落葉が秋の深まりを感じさせてくれた。今日の収穫は銀杏(ギンナン)。都指定天然記念物である大イチョウの下で妻が準備してきたゴム手袋をしてたっぷりとギンナンを拾った。雨粒がすぐに落ちてきそうな雲行きになったけれども家に帰り着くまではセーフであった。
 
2015-11-09 九品仏浄真寺(東京‐世田谷区)にて
11月10日(火)   <「一休展/とんち小僧の正体」・・・>
「一休展/とんち小僧の正体」を見た(五島美術館にて開催中、12/6まで=ここ)。室町時代の禅僧、一休宗純(1394〜1481)は僧侶として自由奔放、当時の仏教界の形式にとらわれた権威主義に反発する逸話とともに天皇の御落胤の血筋から能筆で詩歌もよくする文化人としての遺産を多くの残した。展覧会ではいろいろな「一休宗純像」が展示されてたが肖像画に合わせて”自賛”として一休の自筆の書(詩歌や漢文書)が添えられている。その肖像画の方はどれも他では見たことのない程顔を”不細工に”描かせている。普通は実物以上に良い側面を描かせるのにあえて絵師に指示をして無精髭とか奇妙な表情をリアルに描かせたのが一休の真骨頂なのだろうか。いわゆる”一休のとんち話”は一休の死後200年を経て江戸時代に発刊されて人気となり、その後、明治・大正・昭和を通して数多くの「一休さん」ができたようだ。一休は24歳の時に「有漏路(うろじ=煩悩の世界、現世)より無漏路(むろじ=煩悩のない悟りの世界、あの世)に帰る一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と詠んだことからその名を与えられたという。全く「一休み」の人生、ジタバタしてもはじまらない。
 
2015-11-10 五島美術館の庭にて<庭の紅葉は11月末がよさそうです>
11月11日(水)   <国産初の小型ジェット機MRJ・・・>
国産初の小型ジェット機MRJ(Mitsubishi Regional Jet)の初飛行のニュースが朝からテレビの話題になっていた。近距離ジェット機市場も激戦が予想され、順調に成長できるかは分からないが、久しぶりの明るいニュースではある。それにしても日本の新技術のニュースが最近ほとんど報道されることがない。得意だった家電でも掃除機や扇風機、加湿器までダイソン(イギリス)などの海外製が目立つ。パソコンもケイタイも日本メーカーは厳しい。カメラも特殊な分野に限られてきて今ひとつ活気がない。純利益2兆円以上の過去最高益を見込んでいるトヨタは別格の強さを見せているが、自動車業界もまた激変が予想され安閑としてはいられない。テレビでは日本の伝統的な職人がしばしば紹介されるが、最新製品の開発ドキュメンタリーを見たい・・。
2015-11-11駒沢公園にて
11月12日(木)   <表紙に「今日の作品」として「屋根・・・>
表紙に「今日の作品」として「屋根/Mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を掲載した。これは私の今使っているパソコンのある部屋の窓から見える隣りの家の屋根をそのまま描いたもの。何の変哲もないけれども、Mieuが住むニューヨークのマンハッタンでは見ることのない風景であるとは思う。Mieuに色々な絵手紙を送っているが、最近の絵手紙の中では”お寺の屋根のカーブがとても好き”と電話(Skipe)で聞いたことがある(多分、9/13日の絵手紙「九品仏にて」=ここ)。日本では見慣れた景色が外国暮らしの目では新鮮に見えることを教えられて、身の回りを見渡しながら描く対象はまだまだ広げられると気がついた。実現できるかどうかは分からないが、絵の題材としては、寿司、沢庵、みそ汁など和食系から駄菓子などアイデイアだけはいくつも浮かんでくる・・。
<明日から小旅行のため2〜3日コラム休みます>

11月15日(日)   <今日、日曜日の夜に無事ドライブ旅行から・・・>
今日、日曜日の夜に無事ドライブ旅行から帰ってきた。信州方面にいき親戚と甥の子どもたちと一緒にリンゴ狩りをしたり、温泉や紅葉狩りを楽しんだ。今日のところは下の写真掲載まで。
 
宿泊した佐久平の宿                   上田真田にてリンゴ狩り
 
2015-11-15 須坂・田中本家の庭           オアシス小布施
11月16日(月)   <14日パリ同時多発テロが発生・・・>
14日(フランス現地時間13日夜)、パリ同時多発テロが発生した時には信州をドライブ旅行中だった。わずか30分ほどの間にパリ市内の7カ所で無差別のテロ襲撃を受け死者129名、負傷者200人以上の犠牲者がでたという。旅行先ではテレビが見られず、専らiPhoneのインターネットで情報を得た。私たちが今年6月、パリに行ったとき滞在した宿が今回襲撃を受けたレストランや劇場の比較的近所であったこともあり他人事ではない。パリでは1月にイスラム過激派による雑誌社襲撃テロがあったばかり。旅行の際は”厳戒態勢下のパリであるから当面は大丈夫”と勝手に決めていたが、そうではなかった。フランスは案外知られていないが欧州最大の移民国家。国籍を持っていても国に同化できず疎外されていると感じる国民を抱える国の問題がテロの遠因にあるとすれば、フランスだけの話ではない。国や国籍、共同体がどのように変質していくのか・・。
11月17日(火)   <昔の僧侶には”老年”が存在しない・・・>
昔の僧侶には”老年”が存在しないのでないかと思われるほど元気な老僧の逸話が多い。一般的には現代人の平均寿命が格段に伸びたのは確かだが、大昔でも長寿の記録が残っているのが僧侶。室町時代の”一休さん”こと一休宗純さん(1394〜1481、11/10コラムで一休展のことを書いた=ここ)は87歳で亡くなる前の10年間を50歳年下の女性と一緒に暮らしており、臨終の際に、”死にとうない”と言ったとか。浄土真宗の中興の祖、蓮如は一休の21歳年下であるが、歳の差や宗派の違いを越えて一休と深く親交を結んだ。その蓮如さん(1415〜1499)は84年間の生涯で5回結婚し(4回妻と死別)、計27人の子どもをもうけた。5番目の妻は一休さんと同じく50歳年下の女性で何と蓮如は80歳を超して4人の子どもをつくった(5番目の妻の子どもは7名)。医療が未熟で食物も質素でも驚くべき生命力が人には備わっている証をみる・・。
11月18日(水)   <「過ちは繰り返しませぬ」とは・・・>
「過ちは繰り返しませぬ」とは軽々しく宣言できない。 自分のことでは日頃から同じような過ちを繰り返してばかりいる。陶芸制作時のミス、工作の間違い、話し方の過ちから、テニスプレーのミスに至るまで、繰り返さぬつもりでも懲りずにミスがなくならない。もっと重大な過失を犯した場合、責任者が頭を下げて、”二度と間違いを起こさぬように再発防止に努めます”と謝罪する。「再発防止」がそれほど容易に出来れば苦労しない。ミスを発生したあらゆる原因となる要素を抽出するだけでも大仕事。大抵は直接原因の他に遠因とか間接的な要因がからむ。大袈裟に言えば人間は過ちをする存在と認識した上で最小限の被害とするシステム作りが必要か。・・今日のニュースでパリ同時多発テロの容疑者捜索中にまたパリで銃撃戦があったと報じられている。「過ち」とは異なるがテロには余りに多くの要因が絡んでいる。先は長くても根っこから撲滅させねばならぬ・・。
11月19日(木)   <批判や批評は誰でも・・・>
批判や批評は誰でも出来る。総理大臣は間違えている、大統領は何を考えているのか、指導者はだらしがない・・。批判する人は”何様”のつもりだろう。提案とか前向きのコメントならともかく、自分を枠外において批判だけする意味のないコメントがまかり通る(マスコミ論評はたいてい同類)。こんなことを書き出したのは、いまロンドンで行なわれている男子テニスの年間成績上位8人による試合で対戦中の錦織圭選手について、あれが悪い、ここが良くないと批評するのがテニスの仲間であったことがショックだったからだ。世界トップの選手を天と地の差どころでないゴミのような存在のテニス愛好者でも批評は出来る。口は自由。そうか、政治批判でも他人への文句でもこれと同じと考えると分かりやすい。逆に、自分でない他の素晴らしいところに感動するのはそれほどに難しいとみると少々寂しい。
11月20日(金)   <ノーベル賞を受賞した山中伸弥さん・・・>
ノーベル賞を受賞した山中伸弥さんの講演を聴いた(@大手町・日経ホール)。「i PS細胞が開く新しい医学」というタイトルであったが山中氏が整形外科医から研究者に転向する経緯や研究者としての修行、iPS細胞発見に至るまでの経緯なども面白かった。ご本人の話には全くエリート臭さがなく挫折や苦労話にも現実感があった。何よりiPS細胞発見時のスタッフを名前・写真とともに立役者として紹介するのは爽やかだった。20年前の米国サンフランシスコの研究所での研究仕事が現在の山中氏のベースで、当時の研究所所長からの教えを今も自分に言い聞かせると語られた。それは当時優れた車の代名詞であったフォルクスワーゲンをもじって「VW」。この場合は「Vision & Hard Work」。研究のVisionを考えることが今も役立つと話をされたが、研究に限らず我々の行動にもVisionは重要だと納得する。数メートル離れた位置で2時間ほど講演を聴き、帰途のエレベーターでも一緒になった山中博士とすっかり親しくなったような気がした一日であった。
11月21日(土)   <今日は妻と一緒に義兄の墓参・・・>
今日は妻と一緒に義兄の墓参りをした。毎月一回は谷中にあるお寺に行き墓参りをすることにしているが日にちは必ずしも月命日ではなく適当。墓参りをしても義兄に何かをできる訳でもなく、ただ自分たちのためだけの行事である。昔の人が四国八十八カ所の霊場巡りとか、大山詣などといってお参りをすることを口実にして非日常の旅をしたのと同じで、義務でもノルマでもなく実は自分たちが月に一回の”谷根千(谷中、根津、千駄木)界隈の散策を楽しんでいる。今日は天気もよかったので谷中墓地を通ってお墓のあるお寺に向かった。墓参の後、日暮里駅に近い店で特別に”ソフトクリームあんみつ”をいただいたのが今日の贅沢・・。
 
2015-11-21 谷中墓地にて            皇帝ダリアをみつけた
11月22日(日)   <「干し柿/Mieuへの絵手紙」(水彩)・・・>
「干し柿/Mieuへの絵手紙」(水彩)を表紙に掲載した。わずかばかりの柿をベランダに吊るして”干し柿”を作っている最中で、出来上がりまではまだ時間がかかりそうなので、一時とり外しててニューヨークに住む孫娘Mieuへの絵手紙を描いたもの。今はまた下の写真のように干し続けている。ニューヨークに柿があるものか知らないが、以前、欧米から来た人に沢山の実のなった柿の木を見て何かを聞かれたことが何度かあった。軒下に干し柿をいっぱい吊るした田舎の風景も日本そのもの。今日は曇天。明日からも天気は下り坂の予報で干し柿はしばらく眺めるだけで口には入りそうにない。
  2015-11-22
11月23日(月)   <久しぶりに陶芸教室で土・・・>
久しぶりに陶芸教室で土をいじった。備前の土を使って東京の教室で素焼きまで実施し、その後岡山(備前)の登り窯で焼成するという催しに参加するために制作を開始した次第。昼前から昼食をはさんで4〜5時間集中して作業すると、立ち上がった時に背が曲がった状態で真直ぐに伸びない。最近はパソコン仕事を立ったままで行なえるように高い机が開発されたという話題をテレビで見たことがあるが、陶芸でも立ったまま作業する台が欲しいねなどと教室仲間と冗談を言い合った。それにしても陶芸作品のアウトプットは7月以来、4ヶ月以上何もでていない。今日の月曜日は休日でテニスが出来ないので陶芸をやったが、かつての創作意欲が衰えているのは確か。原因はいろいろあるが、”ビジョン”を再確認してマイペースを取り戻さなければならない・・。
11月24日(火)   <自転車用のヘルメット・・・>
自転車用のヘルメットを妻と一緒に買い求めた。私はいつもの野球帽で十分なのだが、テニスの往復だけでも1時間以上自転車に乗るので、万一の事故を考えて保護用の帽子をかぶることにした。実際に装着してみると恥ずかしいほどカッコいい。mont・bellのロゴマークがあり、頭にフィットするための調節具もついた本格派。今日はテニスの日でないがヘルメットに馴れるため用もないのに多摩川近辺まで自転車で散策した。ヘルメットをしていても全く重さを感じず、頭部には適度に風が入る構造で、野球帽より快適。ヘルメットがカッコ良すぎるとの自意識とはおさらばして愛用できそうだ。

2015-11-24左上は多摩川河川敷(左下)からみた二子玉川ライズ  右上は野毛大塚古墳
11月25日(水)   <巨木を目前にすると・・・>
巨木を目前にすると人の営みがちっぽけに思える。何百年も生き続ける巨木は全てを自然にゆだねてあくせくしない。今日の午後、目黒駅ビルに所用で出かけた後、時間があったので久しぶりに自然教育園に寄った。港区白金台という都心の一等地に奇跡的に残っている広大な森である自然教育園(=ここ)は巨木が多くあることでも知られる。昨年今の所に転居する前には、しばしばこの自然教育園を訪れていたが、今日は本当に久々の巨木たちとの再会。紅葉にはまだ早かったが、小雨の中を傘をさして園内を散策するのもまた格別だった。
 
2015-911-25 自然教育園にて
11月26日(木)   <縄文時代をあらためて見つめると・・・>
縄文時代をあらためて見つめると、その壮大な日本のルーツに言葉を失う。縄文という時代がまた驚くほど長い。縄文時代とは紀元前14000年(16000年前だ!)頃から紀元前3世紀頃までの約11000年の期間、縄文の前の旧石器時代は移動生活であったのが縄文になって定住が始まった。1万年もの長い縄文時代は草創期、早期、前期、中期、後期、晩期の6期に分けられるが、現在の西暦がわずか2015年であるから、その6倍が一つの時代に分類されている訳だ。今日は表紙に掲載した「縄文土器」をMieuへの絵手紙に描いた。以前から縄文土器には見る度に感動させられてきたが、今日描いた「火焔土器」と呼ばれる土器は中でも信じられない迫力だ。「火焔土器」は縄文時代中期(5500年ほど前)を代表する土器。細かく模写をしていると縄文人が燃え上がる炎を形作っていった時のエネルギーがそのまま伝わってくる。何千年を経た後になお我々に影響を及ぼす縄文文化をもっと知らなければならない・・。

11月27日(金)   <夕方から「音楽と食のコラボレーション」・・・>
夕方から「音楽と食のコラボレーション」という集いに参加した。世界的なピアニストが演奏するショパンを聴いた後、フレンチ風のディナーをいただく趣向。場所は原宿・竹下通りから20mほど脇にある”ブラームスの小径”に面するレストランだった。今日の昼間には南青山にある根津美術館で開催されているコレクション展「物語をえがくー王朝文学からお伽草子までー」にも行った。この美術館の庭園は紅葉の名所でもあり、まさに陽光を浴びた紅葉も見事だった。今日は時間があったので南青山から原宿のレストランまで歩いてみた。久しぶりに表参道のメイン通りを明治神宮の方面へ歩きながら行き交う人に外人が多いせいもあり、どこか外国の街を歩いているようで、表参道ヒルズに立ち寄ったり、MOMAストアを覗いてみたりの観光気分。何が焦点か定まらないが、終日非日常を満喫したのは間違いない。
 
 
2015-11-27 根津美術館庭園にて(下右は表参道ヒルズ)
11月28日(土)   <陶芸教室の「秋の食事会」・・・>
陶芸教室の「秋の食事会」に参加して先ほどpm10時過ぎに帰宅したところ。お酒が入り眠くもなっているので食事会の「おしながき」の一部でも書き出してみようか。初めに「柿くるみチーズ和え」、8番目の最後が「さんま土鍋ごはん」。教室の若奥様がいつものように張り切って料理してくれたものだ。食事は美味しくいただき大満足だが、強いて言えば20代の若いメンバーと話をする機会が少なかったことが不満・・。
11月29日(日)   <スタンディングPCデスク・・・>
スタンディングPCデスクが普及してきている。パソコン用の机を「立ち机」とすることだ。長時間座り続けてパソコン仕事をしていると腰痛や身体の不調が起こりがちであり、むしろ立ってパソコン仕事をした方が身体に良いことが分かってきた。欧米、特に北欧などでは立ち机が当然となってきているという。日本の企業でもこれを採用するところが増えており、使用者にも好評のようだ。私の場合、それほど長時間パソコンの向かう訳ではないが、今の椅子に座ってのパソコン仕事は身体に具合が良くないと体感している。今日は「立ち机」をインターネットで徹底的に調べてみた。結論として、机全体を立ち机に交換するのでなく、今あるテーブルの上に、立ってパソコンを操作できるような台を設置することにした。自作するつもりで設計図を作り、早速ホームセンターで木材など材料を調達しようとしたが、ホームセンターの組立家具のコーナーを見ると組立式デスクの部品を集めれば十分に用が足りそうなので今日は一旦保留とした。今日は実行できなかったが、遠からず「立ち机」を採用する・・。
11月30日(月)   <2週間ぶりの月曜日テニス・・・>
2週間ぶりの月曜日テニス、本当に楽しく、運動する幸せを感じた。大袈裟のようだがテニスも相手に恵まれて存分に動けるのが”やりがい”となる。同等の相手と厳しく競り合うのがスポーツの醍醐味。どちらにしても一方的な勝負では面白くない。ところで、今日のこのコラムはスタンディングPCデスク(立ち机)でキーボードを打っている(昨日のコラム参照)。立ってパソコン仕事をするのはいいのだが、この場合はキーボードをブラインドタッチで打つべきであることが分かった。キーボードの位置を見下ろすようではせっかく立って姿勢を伸ばしているのに首が下を向いてしまう。そこで、これまでいい加減であったブラインドタッチをもっと上達させなければと今日からブラインドの練習を開始した。何となく、ブラインドタッチがパソコンの新たな”やりがい”になりそうだ。
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