- 江戸で初めての上水道をつくった男 -

お菓子な旗本 大久保主水


14.由緒書きについて


 由緒書とは、自分の家系や家柄、履歴、職能の起源、親族関係などを記録したものだ。個人的に作成する場合もあるし、官職に就く場合に必要とされて提出する場合もある。江戸時代以降に広く行なわれるようになり、武家では君臣関係を示す根拠として、全家臣の由緒書きを集めたものが保存されたという。商人や職人などの場合は、主君や支配者から特定の権限を付与されるに至った経過を説明し、関係を深める手段として利用された。御用達町人だった大久保主水も、町奉行を通じて提出していたと思われる。
 前項で書いたように、上水の起源について最も頼れる資料として存在する『東京市史稿』では、大久保藤五郎について、

・大田南畝編『家伝資料』(宝暦五年/一七五五)所収の「御菓子屋大久保氏」(八代目主水忠英)
・『御用達町人由緒』(明和四 年/一七六七)所収の由緒書(八代大久保主水忠英)

を引用している。ちなみに御用達町人とは何かというと、幕府や大名、寺社などの用命を受けて物品を納入したり、業務を行ったりする商人などのことである。大久保藤五郎は江戸上水の見立てを終えた後、将軍家に菓子を献上することを主にすることになる。これにより武家を廃し、御用達町人として幕府と接することになった。『御用達町人由緒』は、この御用達町人としての身分と経歴を示すために書かれ、提出されものだ。
 とはいえ初代主水は元和三年(一六一七)に没しているので、およそ百五十年後のものである。代々書き継がれているうち、先祖を美化しているところがないとは限らない。では、最も古い由緒書きはいつのものが残されているのだろうか。辿り着いたのは、享保四年(一七一九)のものだった。

以下に、確認できている由緒書、および、第三者による人物紹介文の主なものを挙げておく。他にも短いものなどは数多くあるのだが、大半は由緒書をもとに書かれているといってよいだろう。個々の細部の相違などの検証はいまは行わない。

★享保の由緒書(由緒書巻始斗り侍来) 享保四年(1719) 六代目主水・忠郷(宝暦九年/1759没) / ※五代目主水・忠光は享保四年四月二日没なので、相続直後の提出か。
◎続兵家茶話 享保六年(1721) 日高繁高 / 諸家の逸話などを集めたもの。
大久保惣系譜 延享五年(1748) 八代目主水・忠英(寛政2年/1790没) / 系図である。
★御菓子屋大久保氏(『家伝資料』) 宝暦五年(1755) 八代目主水・忠英(寛政2年/1790没) / 諸家の家伝、系図などを大田南畝が蒐集・編纂した『家伝資料』所収の由緒書。『東京市史稿 産業編 第二』に採用。※『正宝事録』に、宝暦五年(一七五五)七月に御用達町人の名前と職歴を書き出し、町年寄の喜多村彦右衛門に届けるようにという触書が収められている。
★御用達町人由緒 明和四年(1767) 八代目主水・忠英(寛政2年/1790没) / 『東京市史稿 産業編 第二』に採用。
★御賄御用達町人家譜 --- 八代目主水・忠英(寛政2年/1790没) / 『?魚残篇 巻十』所収。『長崎表砂糖直買被仰付候御由緒』とほぼ同じ。
★大久保主水由緒 長崎表砂糖直買被仰付候御由緒 安永四〜六年(1775〜7) 八代目主水・忠英(寛政2年/1790没) / 『続視聴草』所収。本文に「一五八年巳前巳年病死仕候」と本文にあり、主水の死去は元和三年(1617)なので、書かれたのは安永四〜六年(1775〜7)あたりか。※江戸時代を通じて砂糖は貴重品で、とくに白砂糖はそのほとんどを輸入に頼っていた。そうしたなか幕府御用菓子司である大久保主水と虎屋だけは別格で、問屋を通すことなく直接白砂糖を購入する権利をもっていた。
★文政の由緒書 文政元年(1808) 九代目主水忠宜(天保二年/1831)没) / 『佃島赤澤八之助大久保主水平田彦乗』(筑波大学図書館蔵)所収の由緒書で写本。宮嶋釜図も収録。
武州久良岐郡金沢之郷釜利谷福松山 宇賀山王権現社略縁記 天保五年(1834) 十代目主水忠記(万延元年/1860没) / 忠記の自費出版。
福田村 天保五年(1834) 十代目主水忠記(万延元年/1860没) / 忠記の自費出版。
★文久の由緒書 文久年間? 十一代目主水忠保(明治三十七年/1904 没) / 提出したものの控えか?
◎御菓子屋大久保主水之事(『古新奇談』所収) 不明 不明 / 初代の経歴だけを書いている。
◎君臣略伝 安政五年(1858) 服部勝全 / 諸子百家の略伝をまとめた『君臣略伝』のなかに「大久保藤五郎忠行」の項がある。
◎三省録 文久二年?(1862) 志賀忍、原義胤 / 初代の経歴だけを書いている。

★=子孫による由緒書き ◎=第三者による人物紹介文

※2018.06.21アップ時に「慶長十九(一六一四)年の由緒書きが残されている」と書いたのだが、早とちりの勘違いだったので内容を変更した。その理由については次項で説明する。

(2018.06.21初稿アップ)
(2018.08.09改稿)


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