横浜市金沢区釜利谷、自性院(福松山慈眼寺)の境内に小さな社が祀られている。いまは寂れてほとんど注目されないが、寛永期に大いに賑わったという宇賀山王権現社である。釜利谷の堀之内福松山にあった小社を再興したのは初代大久保主水忠行の夫人、蓮台院日宝である。
『中世鎌倉の年長行事』(金沢文庫・テーマ展図録)
宇賀山王権現は、縁起によれば、中世に勧請されていた神社らしい。戦国期の後北条氏時代は、釜利谷の領主は遠山景氏とされ、景氏の娘が、徳川家の家臣・大久保忠行の夫人となり、その縁で大久保氏の別宅がもうけられ、宇賀山王権現社を興隆したと伝える。
『武州久良岐郡金沢之郷釜利谷福松山宇賀山王権現社略縁記』
忠行の室か蓮台院妙乗日宝信尼通称いかは、小田原北条家臣旧釜利谷の領主、遠山神四郎景氏女なり。主水忠行、元和三年丁巳七月六日[法謚清浄院]身まかりし後その子忠元が幼なかりし間は、家事を守りたりし也。信尼寛永十一年甲戌七月廿一日(※1)、御当地神田福田村拝領屋敷隠居所にて奇瑞の霊夢を感じ、参州よりこのかた我家にて長だちたる所従に仙水清左衛門正純(※2)といふ者を此地に詣させて委(くわしく)尋さするに神まひたる小社有。まさしく示現とひとしかりしかば信心肺肝に徹し、子息忠元をして社を再興せしめ、坂本村古義真言宗自性院を兼別当に頼み、釜利谷の内中の坪といふ所にて神供の田二反を寄付し、日宝所持の御品を霊宝に収め、かつ子々孫々までも此御社を等閑にせずば繁栄疑ひなしと厳重に教諭なしおかれ、日宝尼寛永廿一年甲申六月廿四日没。
※1 古来より十一日霊夢と書つたへたれども、祭日廿二日なれば廿一日を十一日とかきあやまりたるもしれず。金沢名所□といへる本に九月廿七日とあるはあやまりなり
※2 法謚仙凉日證墓所谷中慈雲山瑞輪寺
『鎌倉攬勝考』
宇賀山王権現 釜利谷にあり。此社は大久保主水の先祖なるもの、謂れありて、日光の御神廟を崇め奉らんが為に経営しかど、憚る所多ければ、此號を山王権現と称號し奉るといふ。