植物学者 大久保三郎の生涯


13 豚の饅頭か、篝火花か

 この頃、三郎が考えた花の名前に「豚の饅頭」というのがある。学名はCyclamen persicum Mill.で、地中海地方が原産。球根が豚の餌になることから、英語ではsow bread=「雌豚のパン」と呼ばれていた。すなわち現在のシクラメンである。三郎は明治十七年(一八八四)頃、これを日本風に「豚の饅頭」と名付けることにした。パンが饅頭に変わってはいるが、ストレートで素直な和名だといえる。シクラメンに「豚の饅頭」という和名があることはその筋では有名らしく、多くの植物関連の書物に掲載されているし、クイズの難問としてもたまに出題されるようだ。インターネットで検索しても、植物学者大久保三郎に関する話題として、この話がもっとも多くヒットしてくる。
 それはさておき、この和名を快く思っていなかった人物がいた。牧野富太郎である。それで彼は後年、「豚の饅頭」に「篝火花(カガリビバナ)」という和名を与えた。牧野の『植物随筆集』の「断枝片葉(其五十七)」(昭和七年五月発行の『植物学雑誌』に掲載)に、その経緯が書かれているので紹介しよう。

「かがりびばなハ篝火花ノ意デ其咲テヰル花ノ姿カラ名ケタ者デアル、即チ其品ハ普通ニ諸拠ノ温室デ見ラルヽさくらそう科ノCyclamen indicum I,.(C.percicum MILL.)デアッテ種々ノ園芸的変種ヲ有ッテヰル、此レハ先年私ガ新宿御苑ニ兼勤シテヰタ時、或ル日同苑ノ温室ヲ参観シタ数人ノ女性ガアッタガ其中ノ四十位ノ一婦人ガ室内ニ盛ンニ咲イテヰタシクラメンノ花ヲ観テ「是レハ篝火ニ能ク似タ花デアル」ト独リ言ノヤウニ言ッテ行キ過ギタ、私ハ偶然傍デ聞テ是レハ好イ見立デアル 吾等ノチョット思ヒ浮バヌ比較デアル今之レヲ此草ノ和名トセバ頗ル雅趣アル称ヲ得ント考へ早速ニ之レヲかがりびばなトシタ、此様ナ見立テハ昔ノ文学ナドニ携ハッタ人ナラ出来ルガ今日其方ノ素養ニ欠ケテ居ル吾等デハ思ヒモ寄ラヌコトデ私ハ当時此花ニ対シテノ一好称ヲ得タノヲ非常ニ喜ンダ、従来カラ称ヘラレツヽアル不粋ナ名ノぶたのまんぢうハ此草ノ英俗Sow breadノ意訳デ此名ハ明治廿年前後頃ニ東京大学植物学教室デ助教授大久保三郎君ガ拵ヘタヤウニ覚エテヰル、此草ハ其味極メテ辛辣デアルケレドモ以太利ノシシリー島デハゐのしゝガ好ンデ此レヲ喰フノデ其レデ英俗名Sow bread(豚の麺麭)ガ生ジタト西洋ノ書物ノ中ニ能ク書テアルノヲ見受ケル」

 大久保三郎が「豚の饅頭」と名付けたようだが、なんとも不粋な名前なので、私が「篝火花」と名付けることにした、というのである。あるときこの花を見た日本の婦人(教育家で歌人の九条武子だといわれている)が「篝火の様だ」といったのにヒントを得たと牧野は言うのだが、いくら「豚の饅頭」が花に気の毒だからといって、そう簡単に別名をつけてもいいものなのだろうか。牧野が「篝火花」と名付けたのは昭和に入ってからのようだが、三郎は大正三年(一九十四)に亡くなっている。まるで三郎がいなくなるのを待って新名を付けたように思えてしまう。
 世の中には「イヌフグリ」などという名称も立派に存在していて、それで現在も通用している。あえて別名を与える必要があったのだろうか。大久保三郎が周囲にいなくなったので、自分の業績を積み重ねようとして行なったのではないかと勘ぐりたくなるぐらいだ。ある意味では三郎の存在はそれだけ弱く、牧野にとっては扱いやすい相手だった、と考えることもできる。偉大な学者といわれる人の述懐には、多かれ少なかれ自分を美化する部分があるように思うが、牧野の場合はそれが顕著に表れているようにも感じる。
 もっとも、いまではシクラメンを「豚の饅頭」とも「篝火花」とも呼ぶ人はいない。学名のシクラメンが普及して、どちら名もすでに遺物になってしまっている。学者たちが手柄を立てようとつまらない工作をしても、現実の流れには勝てないということだろうか。


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