植物学者 大久保三郎の生涯
22 「帰化植物」という用語のはじまり
大久保三郎の、『植物学雑誌』における研究発表で引き合いにだされるものに、「帰化」という用語がある。いわゆる帰化植物の「帰化」だが、この言葉を三郎が早くから使っていたというのである。
浅井康宏『緑の侵入者たち』(一九九三)によれば、幕末の植物学者である飯沼慾斎が『草木図説・前編』(安政三年・一八五六)で「帰化之人種を視るがごとし」という表現を使っているのが最初で、次いで三郎が明治二十一年(一八八八)の『植物学雑誌』(第二巻十七号)「植物ハ如何二シテ地球上に散布ナスヤ」のなかで、「植物ノ散布ノ媒妁トナル作因ハ大気ノ運動、流水、大洋、氷塊、鳥類其他動物及人類等ナリ」と具体例を挙げ、
「此ノ如ク或庭園田圃ニ栽培セシモノニシテ或他ノ種子ニ交リ来リテ今ハ我国自生ノ如クナリタルモノ多少アリ。少シク例ヲアゲンニ、まつよひぐさハ元外国品ナレドモ、今ハ処々に自生ノ如クナリタリ。ひめぢよん、ひめむかしよもぎ、のぼろぎく、おほいぬふぐり、つるどくだみ、等是レナリ。然レドモ他国ヨリ風ナリ鳥ナリ或他ノ方法ニ依リテ来リシモノハ皆後ニハ自生ノ如クナルニハアラズ多ク来レル内ニハ前述ノ如ク其新地方二帰化スルモノモアルノミ」
と書いている。文章の中で三郎は植物の広がりについて「散布」「蕃殖」「移住」などの言葉を使いながら説明しているが、最後に、植物が何らかの方法によって広まったとしても、移り住んだ土地で「自生同様になる」という意味で「帰化」をつかっていると思われる。
三郎が「帰化」という言葉を使っている理由について浅井康宏は「国外からの移住者(帰化人)に準じて、明治維新前後のいわゆる文明開化の波にのって、国外からの舶来品とともに、エキゾチックなムードのもとに、一般に使われ始めたに違いない」としている。
そもそも「帰化」という言葉は「服従」の意味で後漢から三国時代に使われていたことが知られている。また、Wikipediaでみると、「帰化」は、同族集団の意思または勧誘などによって自律的に渡来(来倭)したことを指す語である、と平野邦雄が『帰化人と古代国家』で言っている。
また、久内清孝は『帰化植物』(一九九三)のなかで「今日用いらるる様な意味になつたのは近年のことである。我国でも、明治初年頃から、此語が国籍上に用いられた事は、明治初年の英和字典が之を証している。然し公然用いらるるに至つたのは、明治三十二年三月一六日法律第六六号であるが、それは人間の国籍法上の事であつて、いつ頃から外来雑草に用いられる様になつたかに就てはよく調べても見ないが、明治三十三年刊行の矢田部良吉博士の日本植物篇に「移生」なる語を見る以上、其頃は未だ一般には使用されていなかつたらしい。又近頃北村四郎氏は「移住」なる語を用い居る」としている。
久内清孝が自ら「よく調べても見ないが」という通り、「帰化」という言葉はすでに明治二十一年(一八八八)に三郎によって使われていた。また、飯沼慾斎が維新前に「帰化之人種」と書いているところをみると、外国からやってきて日本に定住している人たちを「帰化した人」と呼んでいたことは明らかなように思える。飯沼慾斎も大久保三郎も、日本で「自生同様」になった植物を「帰化した人」になぞらえていることは間違いないだろう。
さて、久内清孝がいうように、明治三十三年(一九〇〇)に矢田部はこれを「移生」と呼んだ。また、牧野富太郎は大正元年(一九一一)に「馴化(じゅんか)」という用語で定義しようとした。『日本の帰化植物』(二○○三)所収の「研究史」(清水建美、近田文弘)によれば、牧野は「一八九五年ごろからnaturalizedに対応する言葉として帰化を使うようになったが、本来の帰化は新しい所に全面的に移ってその土地のものになる意味であるから、本国にも同じ種類が残るような植物に使うのは不適当で、「馴化」の語を使うのがよいと述べた」ということである。
三郎が「帰化」を使ったのは明治二十一年(一八八八)のこと。その七年後である明治二十八年(一八九五)頃には、日本に定着した外来種にたいして、「帰化」という言葉が使われるようになっていた、と牧野自身が認めているわけである。しかし、その語は意味が適切ではないからと、大正元年(一九一一)に「馴化」を提唱したわけである。さらに昭和になって植物学者の北村四郎が「移住」を提案。白井光太郎は昭和四年(一九二九)に『植物渡来考』という題名の書物を刊行している。昭和十六年(一九四一)には、植物学者の杉本順一が「帰化」と同様の意味の言葉として「野化」を提案している。いずれも、自分の用語を定着させようと、様々に工夫している様子がうかがえるが、結局、現在に生き残ったのは「帰化」であった。
浅井康宏がいうように「エキゾチックなムード」で使われたかどうかは措くとして、「「帰化人」といったニュアンスが一般化するにつれて、「帰化植物」という言葉もわが国の社会にスンナリ受け入れられ、定着して市民権を得たものであろう」というのはその通りだと思う。
しかし、このような「帰化」に代わる言葉の乱立・提唱は植物学の門外漢から見ると、自分が提案する言葉を定着させたいがための自己主張にしか過ぎないように見えるのだが、学術研究の世界などには、実際そのようなところもあるのだろう。
それにひきかえ大久保三郎の場合は、将来的に「帰化植物」という言葉を広く流通させるために使ったというより、当時の読者に概念を分かりやすく伝えようとして「帰化」を使ったように思えるのだが、本人に直接たずねてみないと真相は分からないことなのかも知れない。