植物学者 大久保三郎の生涯


23 東京植物学会での発表活動

 さて、明治十五年(一八八二)二月に結成された東京植物学会では、その例会が定期的に開催され、発表活動も行なわれていた。『東洋学芸雑誌』の学会報告欄に掲載されたものの中から、三郎の発表内容が分かるものを拾ってみた。

・明治十七年(一八八四)一月二十六日
 木質年理(?)についてポピュラー・サイエンス・マンスリー誌から抄訳するとともに、国産の木材標本を閲覧に供している。

・明治十七年(一八八四)九月
 煙草について話している。

・明治十八年(一八八五)二月二十八日
 猫と木天蓼(またたび)との関係について話した。

・明治二十二年一一月三〇日
 午後二時から理科大学植物学教室で月次会が開催され、三郎は「Arauja albensノ話」を行なっている。

・明治二十五年四月二十三日
 役員選挙が行なわれ、一〇名が出席。会長が松村任三、幹事に堀正太郎、大久保三郎、沢田駒次郎が再選されている。植物学会の創立メンバーであり発起人でもある三郎はこの時期、積極的に学会活動を行なっていたようだ。

・明治二十五年(一八九二)九月二十四日
 月次会には会員十七名が出席。三郎は「「バンクシア」なる学名の起元并びにBanks氏の略伝」を発表した。

・明治二十七年(一八九四)二月二十四日
 月次会では多くの顕微鏡的標本、?葉、書籍、外国の新刊雑誌などが展示された。三郎は数種の顕微鏡標本について説明し、その内容が精密だったと第一席に選ばれている。ちなみに第二席は牧野富太郎の石南科植物についての談話だった。

・明治二十七年(一八九四)三月二十四日
 月次会で三郎は、淡水藻および海藻のプレパラートの製法について話をしている。顕微鏡的標品については、Polysiphonia(藻類)の蔵精器と風船藻をを閲覧に供している。

・明治二十七年(一八九四)五月二十六日
 顕微鏡的標本としてLithothamnioを出品している。

・明治二十七年(一八九四)十一月二十四日
 「地生羊トハ何ソヤ」という演題でVegetative-lambの来歴を話し、羊歯の?葉を閲覧に供している。


 おそらくこれがすべてではなく、他の月次会にも発表していたのではないかと思われるが、その詳細についてはまだ調べつくしてはいない。『植物学雑誌』では年々、論文の発表回数が減少している三郎であるが、例会での発表は案外と着実に行なっていたようだ。


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