□□ □ DIARY  □ □

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12/24

実は、ちょっとくじけている。
まあ、いろいろとあって。

当たり前のことなんだけど、私のすべてを知っている人はいな
い。内面じゃなくて、仕事。単なる。
今日、どこで誰と何をしているか、全部知っている人はいない。
今、誰とどんな仕事が進行中か、全部知っている人もいない。
今日は、この出版社のあの編集部、そのあとあの雑誌の取材し
て、うちに帰って、そっちの雑誌の原稿書き。てな具合。
全部、全力投球。
実のところ、自分の中では、さりげなく優先順位をつけてやっ
ているときもあるけれど、ぜったいにそれを外には出さない。
「この仕事を一番大事にしていますよ」って。

ちょっと今、それに疲れているところ。
とはいえ、それはフリーの宿命さ。
この山は、いつかぜったいに越えねばならぬ山。
だったらば、今日越えてしまおう。
くじけそうな気持ちをひきずりつつ、えいっとふんばる。
でもちょっとつかれる。

森瑤子の世界は、とても好きだけれど、私にしっくりくるのは、
矢野顕子の『HI,HI,HI』という歌。

♪わたしのすがたを みていてほしいの
 あなた

 よくがんばるから ほめてほしいの
 わたし

 あなたがいるから わたしはうれしい

「あなた」がね、今の私にはいない。
でも、たぶん私が今、目指しているのは、「あなた」なしでも、
生きていける「わたし」になること。

がんばる。
がんばることが、けっして幸福には結びつかない気もするけれ
ど、がんばる。

 

12/23

♪美しく実る稲穂に
 愛を知る
 夢も終わるころ

と、マサムネがうたうのね。(『稲穂』)
そして、私はほんと? と思う。
夢が終わるころ、愛も終わるんじゃないの?
マサムネ、結婚してみて。
それで10年過ごしてみて。
それで、本当にそんなことが言える?

ってなんかこれじゃあ、ワタクシの結婚生活がうまくいってい
ないみたいだけど。
そんなこともない。
ないけれど、ともに歳を重ねていくうちに芽生える愛、という
ものを実感はしない。

愛というのは、難しいよ。
私と夫は、たまたま結婚適齢期に知り合って、恋に落ちて、そ
れなりに、だけども特別に、盛り上がって、そして結婚した。
それは、巡りあわせだと思う。

そして、今、別の人と出会って、恋をすることは可能でも、10
年後には、やはりまた、ぴったりでなくなるんだと思う。
たぶんね。

人はある瞬間、この人が自分にとってもっともしっくりくる人、
と思うんだ。それが恋だ。
でもそれは、「これまで出会った人の中で」なのよ。
そしてそれは、「今の私に」なのよ。
そのことに気づいた時に、愛を知る、と言えるのかなあ。

そこんとこ、どうよ。マサムネ。

 

12/19

そんなことを書いてはみたものの、実際のところ、家事論争っ
てのが、好きではないと思う日もある。
家事、と思うとまあ、うんざりもするけれど、人に自分のこと
をやってもらうと、うれしいよね。
重い荷物を持ってもらったり、コーヒーを入れてもらったり、
駅まで車で迎えに来てもらったら、うれしい。
重い荷物くらい自分で持ててもうれしい。
そのことに、男も女も関係ないけど、男と女の間で発生する
「やってあげる」関係というのは好きだ。
一緒に歩いているときに、重いドアを開けてくれたら、それが
たとえ仕事相手の男性編集者だったとしても、5秒くらいはぽ
っとする。これが、不思議なことに女性編集者だとぽっとはし
ないわよ。申し訳ないけど。

この前、ナンバープレートが盗難にあって、再交付に行って来
た。新しいプレートをもらったときに、係の若い男の子が「自
分で付けられますか?」と聞いてくれた。
「ええーっと、はい。たぶん」と大人らしく答えたんだけど、
「やりましょうか?」とまた言ってくれて、しみじみうれしか
った。(夫はロンドン出張中だし。なのに、盗難にあって、泣
きそうだったから余計に。)
これがまあ、女性の担当者だったらば、そんなことは聞いてく
れなかったかもしれないし、聞いてくれたとしても、私もただ
そっけなく「できます」としか答えなかったであろう。

依存しあう関係は好きじゃないし、恩を売ったり買ったりする
のも大嫌いだし、できれば自立した人間でありたいと思ってい
るけれど、男の人に優しくしてもらうってのは、やはり大切な
ことだと思う。異性間のなんとなく温かい気持ちの交流っての
は、好きだな。
だからまあ、私もときどきは、優しくしてあげようと思ったり
など。
これが日常の色気ってものなのだ。

 

 

12/1

このところ、毎日働いている。仕事をしない日はない。
請求書を書くだけの日もあるが、とにかくまったく何もしない
日はない。
今週末は、もっとどっぷりと仕事がしたかった。
週末にがんばれば平日がかなりラクになる。
しかし、なんとなく雰囲気としてそれが許されない感じがある。
誰が許さないかというと、夫だ。

夫は私に何かを強制することはなく、干渉することもなく、家
事も自分の手が空いている限り(空いていることは少ないが)、
かなりマメにやる。
私が死にそうな顔で原稿を書いていれば、黙って晩御飯も作る。

しかし、最近は彼も忙しい。無言で「れんちゃんだけ忙しそう
な顔をするなよ」というプレッシャーをかけてくる。
私と夫は、ケンカをしない。
無言のプレッシャーを無言で押し返すだけ。
平日の家事のほとんどを分担しているんだから、週末の家事の
ほとんどをあなたが負担してもいいと思うわよ。

夫は普段、私に「悪いな」と思っている。
育児、家事を私がかなり負担しているから。
昔は、負担しつつ会話も多く、なんでも報告していた。
私は、こんなにも家事、育児を負担をしているのよ、と伝えた
かった。しかしもう伝えるのも面倒だ。
「今日、小学校の参観日だったのよ」すら言わなくなった。
子どものお迎えを頼むことも、今はほとんどなくなった。
不可能だということを、夫の仕事振りを見て悟ったから。
ベビーシッターさんに頼んで私が引き継ぐ。
夫が帰ってきた時点で家庭は普段どおり。

独身だった頃、仕事以外に家事や育児をこなす自分を想像でき
なかった。時間はどこから出てくるのかと思った。その頃、家
事といえば自分のハンカチのアイロンがけくらい。クリーニン
グすら、母が出してくれていた。

結婚している女性が、黙って家事や育児をこなしている姿を、
尊敬というよりは、なぜ?という目で見てきた。
なぜ、怒らないの?
男の人は、仕事に100%力を注げるのに。
自分には絶対に無理だと思っていた。
第一私は、家事に関してはかなりのろまだし。
(仕事との両立は無理。)
第二に怒りっぽいし。
(ケンカは避けられない。)
理解ある大人の女になんか、なるものか。
夫に対して、母親的な女なんて最低だ。

私と夫が家事・育児の分担に関して、これまでまったくケンカ
しなかったのは、夫が私に「悪いな」と思う気持ちがかなりあ
ったことと、私が必要以上にいばらなかったからだと思う。
いばるほど、がんばっていなかったというのもある。

しかし近頃は、私を上回る勢いで夫が忙しくなってしまった。
2人のバランスが崩れた。私もオレも忙しい。

なんでこうなっちゃったのかなあって思う。
夫婦が、じゃなくて、私が。
私は夫の忙しさを理解してしまっている。
物分りのよい妻にななんて、なるつもりは全然なかったのよ。

ためしに先週、夫の晩ごはんを作らなかった。
夫は毎日11時頃帰ってきて、1人分の晩ごはんを作って食べて
いた。私は先週、比較的暇だったのに。
平等というのは、嫌いだ。ありえない。能力も考え方も身長も
体重も性格も好物も趣味も生い立ちも違う私と夫の間に、どん
なふうに平等を成立させるのか。
というよりも、そもそも平等にこだわるのがいやなのよ。平等
でありたいなどとはまったく思わない。

しかし、私は不満だ。
すっごく不満だ。
毎晩、仕事でへとへとになって帰ってきて、晩ごはんを作らね
ばならない夫は不憫だ。そんなプチ・ストライキで私のイライ
ラは解消されない。
夫に不満があるんじゃない。
世の中のシステムに順応している自分がものすごくいや。

 

11/26

頑張ること。
たぶん、すごく好き。
夢中になっているその感じが中毒的に好き。

陸上競技をやっていた頃、私はものすごく努力家だった。
(周りはそう見ていなかったような気がするけど、それはこの
際関係ない。)
努力家だったけど、結果だけで勝負するのが好きだった。
結果より経過が大事とは、思えなかった。

走っていた頃の私の努力は、知識不足で見当違いなのもあった。
だけど、あの時「全国大会で優勝しよう」と心に決めて、その
ためにはどんな苦労も乗り越えよう、とがんばったことは(そ
してそれが叶ったことは)私にとってすごく財産なんだろう。

がんばり方がわからなくなることがたまにあるんだけど、あの
頃のがんばりがまだ心に生々しく残っていて、要は夢中になる
ってことだな、と思い返す。
例えば、私は誰かから、「毎晩寝る前に腹筋をやりなさい」と
言われたら、本当に毎晩やった。毎晩毎晩ずっとやった。
それが普通だと思っていたし、みんなやっていると思ったから、
さぼるなんて思いつかなかった。
「さあ、寝よう」と布団に入ってまどろみかけた時に思い出す。
あ、腹筋するの忘れてた。迷う。寝ちゃえ。思い出さなかった
ことにして明日後悔すればいい。
でも、さぼれば私は私の目標を放棄することになる。
どうするの? ここで寝たら、私は私の目標を放棄することに
なるよ。
例えば、電車で絶対に座らないとか、朝は6時に起きるとか。
それができないと、もうがけっぷち。挽回は不可能。
そうやって自分を追い込んだ。逃げるなんてこと、私は私に許
さなかった。必死だった。すべてのことに。

最近よく、がんばりすぎなくていい、と言うでしょう。
あれが嫌い。
もちろん、その助言に救われる人はいると思う。
いっぱいいると思う。

でも私は、がんばりすぎるのが好きだ。
誰も私の努力を知らなくていいの。そんなの当たり前。
努力って、自分に向かってやるものだから。

今は、陸上競技ほど結果は明確じゃない。がんばり方もムツカ
シイ。でもそういうギリギリのところでがんばるっての、いい
よね。なんか、そう思う。
最近、とても無邪気に、がんばろうと思える。
傷つくことも多いし、辛いことも多いし、時々泣いているけれ
ど、でもなんとなくそう思う。

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