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浅野琢也の雑記帳20 2011年 4月〜 6月30日

あさのたくやのざっきちょう Takuya Asano Web 平成23年


2011年6月30日

『SPACE BATTLESHIP ヤマト』(2010年)山崎貴 監督作品を観た。
VFXに力を入れているが、キャラクターの役割を変えたり
ガミラスとイスカンダルを意識生命体にしてしまい感情移入が
出来ない状態の作品だった。地球滅亡まで何日間という移動の
時間感覚と距離感覚も無く緊張感が薄れていた。アナライザーが
戦闘ロボットに変わるのは、ガンダムの赤いザクのパロディーかと
思ってしまった。以上の為に折角のセットや熱演が活かされなく
残念な感じだった。名作アニメの実写化は難しいようだ。

『アイズ ワイド シャット』(1999年)スタンリー・キューブリック
監督作品を観た。主演がトム・クルーズとニコール・キッドマンで
開業医と、その妻が医大の同期で中退したピアニストとパーティーで
再会して、集まりの内容を知らずにセレブだけの秘密の乱交パーティーに
参加してしまう。
あまりに現実離れしていて夢だったのかと疑問に思うが現実だと気づく。
キューブリックの遺作になった。

2011年6月25日

『薔薇の素顔』(1994年)リチャード・ラッシュ 監督作品を観た。
ニューヨークで精神分析医をしているビル・キャパ(ブルース・ウィリス)
の目の前で女性の患者が高層ビルの窓を突き破り飛び降り自殺をする。
クライスラービルの避雷針より高いビルのようだ。こんな高いビルのガラス
が現実に割れるのか疑問だが映画なので深く考えるのはよした。
この事件のトラウマから、赤色が拒絶反応で見えなくなってしまう。
映画の中で「ピーター・フォークみたいだ」というセリフがあるので
1987年のベルリン・天使の詩でピーター・フォークが元、天使で人間
になった役を演じており天使の目には白黒の世界しか見えず味覚も無い
ことを言っているようだ。薔薇の素顔に話を戻すと学友で同じ精神分析医
でロサンゼルスで開業しているボブの所に身を寄せて自分のトラウマを
癒そうとするがボブが殺されて毎週5人の患者を相手に集団セラピーを
していたため全員が疑わしい。犯人は、黒っぽいフードの付いた服に手の甲に
短剣を固定した道具を使っていた。そこにローズと名乗る美女が現れて連続
殺人が起こる。しかも患者全員がローズと関係があった。
登場人物への感情移入がグループセラピーの時の会話だけで理解して
観るのは至難の業だ。しかも三重人格の女性もいる。釘打ち機を銃みたいに
使っていた。
サイコ・サスペンスでカーチェイスや派手なアンションに官能的な場面も
ある。ビルが事件の謎を解いていく。観ていて疲れると感じたら
この年のゴールデンラズベリー賞のほとんどの部門にノミネートして
「最低作品賞」を受賞ていた。
この感想を書いていると俳優ピーター・フォークさんが23日に83歳で
他界したニュースが流れていた。


『おしゃれ泥棒』(1966年)ウィリアム・ワイラー 監督作品を観た。
ニコル(オードリー・ヘプバーン)とベルモット(ピーター・オトゥール)
は表向きは、美術品収集家で裏ではは贋作画家のシャルル・ボネが美術館に
貸し出した贋作のヴィーナス像をシャルル・ボネの娘ニコルとデルモットが
鑑定される前に盗み出す物語だ。美術館の閉館時間になると物置の中
に二人で隠れる。二人とも警備員に施錠されるアクシデントがあるが
強力な磁石で鍵を壁の裏から動かして内側から特殊なロープで表に
回して開ける場面と清掃の時間にニコルが赤いバケツにビーナス像を
入れて清掃員に変装しベルモットは警護員に変装して盗み出して贋作だと
発覚するのを防ぐストーリーにラブロマンスが入った作品だ。
赤いツーシーターのコンバーチブルや流線型のコンバーチブルの使い方
や公園で売っていたブーメランで警報機のセンサーを作動させて誤作動
だと思わせたりビーナス像の展示台に酒瓶を置いたり被害者が出ない
状態でスッキリと楽しめた。何度か観ているが忘れてしまい新しい
発見が出来るのが名画たる、ゆえんだと言える。私の個人的な美術館の
イメージは、作品を発表する場所なので搬入や搬出の時に作家は汚れても
良い服で来る。展示業者がいるが細かい所は、自分の手で調整する。
そんなイメージが強い。入るのは搬入口からだ。実際の美術館の舞台裏を
省略することでオシャレにまとまっていた。

2011年6月23日

『熱いトタン屋根の猫』(1958年)リチャード・ブルックス 監督作品を観た。
夜のスタジアムで酒を飲んでハードルを飛び越えるのに失敗して
ブリック(ポールニューマン)が骨折する所から始まった。妻(マギー)役の
エリザベス・テーラーが夫との会話で夫婦関係が無いので「熱いトタン屋根の猫みたい」
と言っていたので映画のタイトルの意味らしい。マギーが口を付けたグラスで酒を飲まない
でブリックは、わざわざ別のグラスに酒を注ぐ程に夫婦関係は冷めている。
アメリカ南部の資産家ポリット家の息子達が父親が癌で長いことないので遺産相続で
多く貰おうと長兄グーパー夫婦は子供を5人も連れて来て退院祝いで点数稼ぎをする。
失敗に終わるが飛行場に迎えに行ったりパーティーを開いたりしている。
父親は癌だと告知されていない。長男夫婦より、次男のブリックとマギーの方を
溺愛している。次男のブリックはアルコール中毒で元フットボール選手。
親友のスキッパーが自殺したためらしい。父や妻よりスキッパーを愛していたようだ。
父親は医者にモルヒネを処方されて自分が癌だと気づく。誰に相続させるかでマギーが
妊娠したのでブリックが相続することになる。夫婦関係も良好になって終わる。
ストーリーは、竜頭蛇尾の尻尾の部分のようだ。物語に無いがポリット家の父親が
一代で大農場を築くまでが竜の頭だったのでは?と思えた。
「欲望という名の電車」のテネシー・ウィリアムズの作品だけに心理描写が細かい
が娯楽として観るにはムリがあった。


『武士の家計簿』(2010年)森田芳光 監督作品を観た。
絵に描いた鯛のポスターが印象に残っている。映画の出だし
では、海軍主計大監室からはじまる。これからの戦は、補給
によって勝敗が決まるという話を部下にしていた。
そして時点が過去に戻る。加賀藩の御算用者猪山家8代目
が結婚して子を作り母親と父親が他界して時代は、明治維新
を迎えて9代目が最初に出てきた海軍主計大監になり父親の
葬式を終えて「そろばん」が写されて映画が終わった。
家財を売り払い借金返済を中心にした生活を家族一丸に
なって行う。食べるものを切り詰める。飲む・打つ・買う
の道楽者がいなくても生活が苦しかったようだ。
上司が、飢饉の時のお助け米を15%横領して領民が支給
された量と出されている量が合わないと帳簿を出して消えた
米を発見する。上司に届けるが握りつぶされる。この上司
は、左遷される。現在のサラリーマンみたいに安い給料で
スーツを揃えてネクタイに革靴で職場に通勤する為のコスト
と同じ感じに見える。『たそがれ清兵衛』も兵糧の管理を
していたが中間(ちゅうげん)を1名従えて城に通って
いた。身分によって経費がかかるのは、他の作品を観て
感じていたが猪山家では、浪費している様子も無く借金が
膨らんだ理由が映画に出てきてほしかった。親戚づきあい
だけでは説得力が無い。冠婚・葬祭の当日に算盤を弾いて
無駄が無いか計算している場面が倹約になるのか疑問だが
使途不明金を出さないための方法の一つのようだ。
支払いの時に落として紛失した四文銭を道で拾った四文銭で
家計簿を穴埋めして叱られて拾った場所に夜、戻しに
行くあたり他の方法は無かったのかと思えた。家庭内の
事業仕分けを見ているようだった。

2011年6月15日

『最後の忠臣蔵』(2010年)杉田成道 監督作品を観た。
四十七士の生き残り寺坂吉右衛門と討ち入り前夜に逃亡した
大石家の用人の瀬尾孫左衛門のそれぞれに大石内蔵助が
討ち入り後の密命を与えていた。寺坂は、遺族の支援
瀬尾には、隠し子の可音を嫁入りまで育てることである。
他人の娘を結婚まで育てる話は、レ・ミゼラブルの日本版
みたいだ。ジャンバルジャンは神に与えられた使命として
コゼットを育て瀬尾孫左衛門は大石内蔵助への忠義のため。
忠臣蔵という討ち入りまでの過程にドラマがある作品の
戦後処理の話になっている。そのため平坦な内容になって
しまっている。瀬尾孫左衛門とジャンバルジャンの違いは、
追っ手から身を隠す状態と追っ手が無く世を忍ぶ状態で
身を隠す状態で違う。討ち入り前夜に逐電した事で大石内
蔵助の墓参りで、かつての同僚に卑怯者と切り付けられる
場面があったが斬りつけた方が恨みを持っている訳でも
なく追っかけられる程でなく、その場で出くわしたから
腹が立ったという程度のようだった。最後に逐電が密命
によるもので茶屋家に輿入れの花嫁行列に元赤穂家臣が
加わり盛大な行列になり結婚式が行われる。無事に密命
を果たして瀬尾孫左衛門も自由になれるが切腹してしまう。
これは、16年前に切腹している大石内蔵助の所に報告に
行く意味や生きる意味が無くなったという事の両方の意味
があるのだろうと思えた。


『鬼畜(きちく)』(1978年)野村芳太郎 監督作品を観た。
松本清張の小説を映画化したものだ。推理する部分は、無い。
妾に子供を3人も生ませて囲っていた印刷屋の社長が火事で
生活費を払えなくなり子沢山で働けない妾が父親に子供を
渡して失踪してしまう。妻は、子供がいない。しかし夫が
妾に産ませた子を育てる気はない。まず末子の男が衰弱死する。
次に長女を、父親が東京タワーの展望台に置き去りにする。
住所や名前が言える長男は、青酸カリで殺すように妻に
言われるが失敗して海岸の崖から寝ている間に投げ込む。
使用人は給料を貰ったとたんに辞めて田舎に帰る。
長男は、漁師に発見されて助かる。しかし名前や住所を
言わない。ポケットの石版印刷に使う石から身元が解り父親が
逮捕されるが知らない人だという。自分の子供を殺す父親は
悪妻に言われて犯行を繰り返す。
子供を身元不明にするために服からメーカーなどの情報が
書いてある織ネームを切り取る描写は、明確な殺意があった
ことの立証になる。
タイトルが鬼畜だが動物よりたちの悪い悪妻だ。何時の時代も
継母とはそんなものだ。胴版屋から貰った青酸カリを夫に渡して
上野動物園で菓子パンに混ぜて食べさせようとする場面など
戦争や争いごとを、男にやらせるのは1部の強欲な女性達なの
だろう。箱が壊れたボロボロのオルゴールから流れる曲が耳に
残る。殺人教唆犯と実行犯では、教唆の方が罪が重い。
女性の殺人犯は、自分で手を汚すより男を、そそのかす事が
多いようだ。「犯罪の影に女あり」と昔に、聞いたことがある。

子供の虐待をテーマにした「誰も知らない」「七人の弔い」
「闇の子供たち」「長い散歩」などを思い出した。
連れ子はジャマだからいない方が良いから生命保険をかけて
から殺害して受け取り人になっている事で不審に思われて
発覚してニュースになる事が多い。
保険金殺人まであり映画以上に現実は酷すぎる。
貧しさが続くと肉親でさえ鬼畜に変わるのだろうか?
相続問題で骨肉の争いになる事もあるから、やっかいな問題
だ。現在は、自立した女性も多いので過去の話になってほしい。


2011年6月15日

『Paradise Kiss(パラダイス・キス)』(2011年)新城毅彦 監督作品を観た。
3月にランウェイ・ビートを観ている事やZipperに連載されている頃から
読んでいるマンガでアニメ化されたとき全部観ている。
委託販売していた服が返品されて送り返されて来る場面やラストの服が売れない
時代に合わせてニューョークのアトリエで一般に売る服(市販)ではなくミュージカル
の衣装デザインを、やっている所で再開するなど時代性に合わせてアレンジしてあり
良くまとまったストーリーとなり脚本が良いのに加えて今週はトニー賞の発表時期で
あり相乗効果で期待以上に楽しめた。
文化服装学院本校(新宿)・華服飾専門学校(上野)・江東服飾高等専修学校(木場)の
協力もあり学校行事らしい舞台装置で服のクォリティーも卒業制作レベルに作って
ある。学校行事としてのファッションショーについて、かなり下調べをしている
と感じた。昔は、縫製から型紙にデザインができてフルアイテムの服を
作ることが出来るスキルを身につけたが現在は、四人のチーム編成なのでチーム
ワークを重視しているようだ。学校の外にアトリエを借りるなど親の援助があるから
出来ることで、ライバルのチームがマンションに訪ねて来るあたりもリアル感が
ある。昔は、全員が自分の課題を、こなすのでアルバイトする時間もなく、大学生
みたいに遊べず、勉強に打ち込む時代の人間からみても良く出来た映画だった。


2011年6月14日

『メリー・ポピンズ』(1964年)ロバート・スティーブンソン (実写)
ハミルトン・S・ラスク (アニメ) 監督作品を観た。
ウォルト・ディズニー製作のミュージカルだ。イギリスなのでナニーと
いう子守りの専門家らしいが傘で空から飛んで来て風向きが変わるまで
バンクス家にいることになる。煙突掃除をしながら大道芸をしたり絵を
描いたり露天で凧を売ったりもしているバートも子供達の相談に乗り
仕事にしか目が行かない銀行役員の父親と夫人参政権運動だと子供に
構わずに政治活動している母親が子供に愛情を注げる状態になると
風向きが変わって去っていく。バートが煙突掃除人の時は、イギリスの
人は、「幸福のおすそ分け」で握手を求めてくる。フランスの習慣だと
思っていたらイギリスにも同じ習慣があるようだ。
有名なチム・チム・チェリーは、良く聞くと「チムニー(煙突)」と
聞き取れて煙突の歌だ。子供の頃に観た記憶の中で「さくらんぼ」の
歌かと思い込んでいた。この時代に実写とアニメを合成していたとは
ディズニーのイマジニア制度は良く出来ている。
2ペンスの使い道だが、銀行口座を開設するか教会の鳩に餌さを与えるか?
で大事になる。いきなり貯金の前に、お金の使い方を学習させるために
初めてのお使いをさせて、使い道を判断できるように導くのも親の役割り
だと考えながら見た。預金の運用の話など、貿易に鉄道と時代を感じる
内容で大人が見ると子育てに役に立つ映画だと思えた。

2011年6月 5日

『ハナミズキ』(2010年)土井裕泰 監督作品を観た。
平沢紗枝が乗った電車が釧路の草原の真ん中で線路に飛び出した鹿の為に
止まってしまう。早稲田大学の推薦入学の試験に遅れそうになり近くで
出会った水産高校の男子生徒の木内康平が軽自動車で紗枝を送ろうとして
事故を起こしてしまう。紗枝は早稲田に進学し康平は漁師になる。
遠距離恋愛というよりお互い、距離を置いてそれぞれの目標に向かって
過ごしているように見える。現在の若者は、情熱的な恋愛はしないようだ。
少子化に晩婚化って、この作品みたい感じなのかと思う反面、目標や夢を
自分で設定しないで流れに任せて生きていくようにも見える。
就職試験で採用されず紗枝2011年6月 5日
は、ニューョークで記者みたい仕事をしている。
早稲田の写真部の先輩とニューョークで再会して結婚したと思ったら
紛争地域で死亡してしまう。「紛争地域で子供の笑顔を写して笑顔の意味を
伝えたい。」というモチベーションで「目が笑っていない子供達」がいる
ような所まで見ているのかな?ピューリッツアーはムリっぽいと思いながら
観ていた。死んだので追悼写真展をやって自分が生まれたカナダに旅行しに
行くと康平がマグロ漁船に乗ってカナダに入港していた。カナダで船の模型
を見つけて二人は、合えなかったが釧路に戻っているあたりや釧路とカナダの
灯台が似ていたりするあたりは面白いけど康平の実家は、破産して船を
手放してしまったり長い時間の中で人間は、生きる為に仕事を求めて地球の
裏側まで行くのに対してハナミズキの木は、同じ場所に根を張っているんだなあ
と淡々と進んでいく恋愛と友愛の中間みたい流れを見ている感じだった。
おかゆに塩をかけたような淡白なストーリーが刺激やドラマチックな展開が
多い映画に加えて日常生活で目にするニュース番組の刺激の強い内容に曝され
ている我々の生活に新鮮だった。東京物語の恋愛版的な感じと言えそうだ。
メリハリの無い作品の微妙な変化を楽しむことが出来る人が意外と多く興行
収益12億はリーマンショック以降の邦画としてはヒットしている。
リーマンショック以前の恋空と大差が無いのは、ジャンルとして固定した
ファン層が出来ているのだろうか?まあジャンルとしては純愛物で
良いみたいだ。恋空は、ミトンの手袋に雪だるま。ハナミズキは、木製の
漁船の模型が釧路・東京・カナダを旅する。フランスの「アメリ」の父親の
庭の小人は世界中を旅していた。アメリがキャビンアテンダントの猫を預かり
キャビンアテンダントが世界中の観光地で小人が写った写真を送ってくる
ゲームだったが近い要素があるのかも知れない。

2011年5月29日

 禁酒法があった頃のアメリカを舞台にしたビリーワイルダー監督の
「お熱いのがお好き」の中で棺桶に酒を隠していたので
日本も法律で韓国や台湾同様にパチンコ禁止になったら
仏壇の中にパチスロを入れて寺を賭場として提供してテラ銭を
取る社会を想像してしまった・・・・画像合成してパチンコをしている
阿修羅像を半透明処理して「テラ銭21」なんてタイトルで画像を
作成してみた。インスタレーションとして実物を美術館に展示して
遊べるようにしたらウケるかも知れない。不況で1円パチンコと
いう看板を見かけたが玉の値段らしい。仏壇にパチスロ台に
仏壇は、ロートレアモンの例えみたいな「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の
偶然の出会い」のようなシュールな組み合わせ、ではないが・・・・
ジャスト・マッチも、ここまでいくと意外な組み合わせだ。
 

仏像の背中に仏像の刺青を入れるのも面白い。


2011年5月23日

『十三人の刺客』(1963年)工藤栄一 監督作品を観た。
大名行列の編成が足軽と下の中間( ちゅうげん)が多いと
感じていたが、この作品で「侍が足軽や中間に偽装している」
というセリフがあったのでリメイクされた三池作品の不自然な
大名行列の訳が解った。両方の作品に「足手まといになる足軽や
中間は大名行列で国もとに帰れない」というセリフが入っている
がセリフ1つで整合性が取れるのだから入っているのが親切な
作りだと思える。現実的な時代劇として完成しているが、リメイク
された三池監督作品は、アクション映画として細かい事を気に
しなければ楽しめる。スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴで実験的な
時代劇を作った経験が生きているのかも知れない。
工藤栄一監督作品の島田新左衛門が芸者の家に居候している
島田新六郎に見せる三味線が見事で説得力があった。どら平太の
演出に影響を与えたと思わせる。両方の作品を観ないと見落とす
部分があるので比較の為に観た。

2011年5月22日

『名もなく貧しく美しく』(1961年)松山善三 監督作品を観た。
聴力障害者を主人公にしている。最初に手話の影が映し出される。
まるで影絵を思い出す。現在では、筆談なんてしないで携帯の
メール機能でコミニュケーションができるが当時はFAXも無い
時代である。五体満足で健康でも五感で目と耳は大切だ。
周囲は、支援するどころか足を引っ張るばかりだ。
タマゴを2個割られたり、泥棒に赤ん坊を凍死させられたり健常者の
弟には、金と家財のミシンまで取られる。流石に殺しに行くのだが
夫が電車で手話で説得して止める場面は、名シーンだ。
書き起きを細かく破いて窓の外に捨てる場所が鉄橋の下に舞い落ちる。
働き者の夫と健康な子供に恵まれるが空襲の時に拾った赤ん坊が大人に
なって尋ねてきたので家に戻る途中でトラックに轢かれて死んでしまう。
割れたゲタが何とも言えない。父と子が残される。五年後に続編の
『父と子 続・名もなく貧しく美しく』が作られているが、こちらは
まだ観ていない。日本人は泣き寝入りするサイレントマジョリティーが
多い。実話の映画化だけにリアルだった。あきら君のカメに懸賞のラジオに
弟に奪われたミシンに子供のラッパと記憶に残る場面がある作品だった。
真面目で誠実に生きている人間が苦労して肉親といえども姉に迷惑を
かけた弟には、腹が立つ。現在は、貧困ビジネスをするブラック会社まで
あるから、この映画のタイトルと正反対の生き方が報道されて目について
いたので新鮮だった。
十三人の刺客で生き残った2人も「遊び人になりそこねた侍」と
「絶倫の山の民」だった。しばらく、なんだかな〜と言う感じだった。
「七人の侍」みたいに生き残る人間もスッキリしていると映画を見終わった
後も気分が良いのだが・・・見た後で問題意識ばかりが残る作品に当たると
複雑な気分になる。
悪いヤツは、退治してしまう「ワイルド7」というマンガが昔、少年キングに
乗っていたのでドラマを思い出して検索したら来年に公開される映画で
クランクインしていた。これはこれで楽しみだ。善悪が明確でスッキリする
バイオレンスは、懐かしい。それぞれが大義だの正義だのを立場の違いで
持っているからだが・・・不変的な人間としての尺度は、見失わないでいたい。

2011年5月17日

『十三人の刺客』(2010年)三池崇史 監督作品を観た。
広島・長崎に原爆が落とされる百年前・・・と解説文が流れて
主君の残虐な振る舞いを諌めてほしいと明石藩江戸家老
間宮図書の老中・土井大炊頭屋敷前での切腹シーンではじまる。
幕閣で大炊頭を中心に善後策を検討するも将軍の意により、
斉韶(なおつぐ/なりつぐ)はお咎めなし、となってしまう。
しかも斉韶の老中就任が来春に内定していることを知る大炊頭は、
やむなく暗黙のうちに斉韶を討ち取ることを決意する。
将軍の弟で赤石藩の松平左兵衛督斉韶は、徳川御三家の尾張藩
領内で一家惨殺事件を起こしても咎め無しとの沙汰が出ている
が、島田新左衛門(御目付七百五十石)が御徒目付と御小人目付
の中から手だれを選りすぐり浪人、足軽など選別した刺客12人
で中山道落合宿を買収して決戦の場所と罠を張り待ち伏せする。
被害に合った徳川御三家の尾張藩の領地を通れなくして参勤交代
の大人数を分断させて75人程と戦う予定だった。
しかし相手となる鬼頭半兵衛も刺客を途中で浪人に待ち伏せさせ
山道を移動させたりする。山の中で元、侍の木賀小弥太が網に
入れられて吊るされているのを助ける。そして宿場への道まで
案内させると木賀小弥太は、戦いを「けんか」と認識して参加
してしまう。但し、殺し合いである認識は、侍より強いように
描かれている。絶倫で三州屋徳兵衛(落合宿庄屋)が立派な
モノに感心してしまう。そして大名行列が到着すると分断した
ハズが200人以上になっている。弓を射掛ける見張り台や
刀の道に道を封鎖するバリケードの仕掛けに爆薬を仕掛けた
屋敷に油で転んだら火を付ける罠などアイデアを駆使して
戦闘シーンを盛り上げている。子供まで殺すシーンに永井豪の
バイオレンス・ジャックの人間ドックの影響を受けたのか
東京残酷警察に出てきた囚人みたいに両腕両足の無い百姓一揆の
首謀者の娘を登場させて家族は、どうされたか聞いて口に筆を加えて
「みなごろし」にされたと書かせた血の付いた紙を見せる場面は、
「青い青い空」みたいな演出だが一味違うと思えた。
この状態で厭きたからと両国橋に生きたまま捨てられていた。と言う
あたりでは、残酷さを通り越して異常さを強調している。
性的慰み物を捨てると自分の異常さが公になる事なのに
気にしていない所が危なすぎる。最初に切腹をした明石藩江戸家老
間宮図書が書状と生き証人として連れ出して老中・土井大炊頭の
手に渡るようにしたのなら間宮家全員、皆殺しの現実実が増した
だろう。
松平斉韶の自分の命すら「打ち首になってみたい」と言うセリフや
使えた殿様に侍として命を奉げるしか無い明石藩御用人千石の
鬼頭半兵衛が切腹した家老の代わりに同じ道場で学んだ
島田新左衛門との一対一の果たし合いやかなりの人数を石で
撲殺して侍は弱いから「いくら集まっても役立たず」と言ったとたん
木賀小弥太の首に宙を舞い小太刀が刺さり「世もそう思う褒美の
小太刀じゃ」という場面を作ることで残虐シーンもストーリーや人物
描写とシンクロして見せるように上手く出来ている。ただ、中間(ちゅうげん)
足軽がモグラ叩きゲームみたいに木賀小弥太の石で倒されるのは
旧作の侍が中間・足軽に変装していた設定とは違うように見えた。
爆薬を抱いて死んだ瞬間に血糊が宙に舞って振ってくる描写は、
作り物っぽくて「独立少年合唱団」の公安に追われて爆弾を爆破
させた過激派の、お姉さんの足が降って来る、みたいリアル感が
無いのが良いのか悪いのか解らないが、そこが良いのかも知れない
と感じた。最後に島田新左衛門に致命傷を与えられる松平左兵衛督
斉韶の深手を負って痛い苦しい死ぬのが怖いと不様な最後にするの
かと思えば「生涯で1番楽しい日だった」という。
見ている人が「え〜?」「なぜ?」と感じる意外性で暴力描写から
目を背けるより疑問に思わせてスクリーンに惹き付ける演出に
なっている様だ。
ゼブラーマン2の時に、ゼブラクィーイがカッコ悪く殺すことに拘ったりして
いたが三池崇史監督らしい得意の手法を上手く使っている。
深作監督の新聞の輪転機を使う手法や移動して戦うタランティーノの
手法に西村監督の劇中CMよりも宿場に仕掛けをしてスティングみたい
大規模にワナを張り戦場に変化を付けて、殺されても良いと生きたいとも
思わない主君に仕えている家来、鬼頭半兵衛と、それが解っていて
殺さなければならない島田新左衛門は、とどめを刺して息絶える。
犬と猫と子供を殺す場面を入れると海外でウケが良くないらしいが
「五体満足で済ますな」というセリフは、着信アリの怨念の描写や
残酷描写を増幅させた三池作品らしい。200人や300人を皆殺し
にして病死扱いも「カティンの森」の6000人が実話なので伝染病
で全滅したという事でも通じる時代背景なのかも知れない。
通常なら松平左兵衛督斉韶の首を優先させる所を、「みなごろし」に
するあたりは、口封じも兼ねているのだろうか?という疑問も残る。
松平左兵衛督斉韶は、将軍の弟だが腹違いなので劣等感が家臣すら
蔑むような人格形成に繋がっているのかと感じる。
乱心している事を理由に咎めない将軍の不始末を13人の刺客が
代行した。必殺仕事人の仕置きをハデにすると、こうなるのかとも
思える。
遊び人を目指していた島田新六郎と木賀小弥太だけが生き残り、
「海賊にでもなるか?赤毛の女が抱ける」と言った後で島田新六郎の
恋人・お艶(吹石一恵)が戸を開けて盆に戻るラストシーンで終わる。
首を小太刀が突き抜けたように見えたが首筋を貫通して助かったようだ。
この後、2人が、どうなったのかも解らない終わり方だった。
 小林正樹監督の「切腹」1963年のカンヌ国際映画祭の
審査員特別賞をリメイクした三池崇史監督の「一命」がカンヌ映画祭に
出品される。前作は、武士の体面への批判だったが50年近く前の作品を、
どう表現しているのか楽しみである。


2011年5月16日

連休中にSICFを観に行って銅をアンモニアで腐蝕させて
青銅にするテクニックの作品や馬の形で公道を走れる作品に
鏡を使って光学的なテクニックで立体感を出したものなどが
記憶に残った。14日15日は33回目のデザインフェスタを
観にいったがブースの作品はレベルが下がっているのに観客は
増えていて通路が狭くて歩きづらいのと休める椅子が少ないので
ガッカリした。デザインフェスタは季節が春と秋なのに加えて
震災の影響で海外からの出品者が減ったのかも知れない。
占いのブースがあって胡散臭さがアップしてクリエィテブな
作品が無いか前回に見たことのある作品を持って来ているだけ
で常連やプロが卒業して発表の場を変えてブースが一気に
初出品者と入れ代わり、事前にデザインフェスタを見たことが
ある人が出品している状態でないため展示が下手で見づらかったり
作品の質と言うか、未完成の半製品で展示していたりで商品として
市場価値を考えさせられる状態の所が多い感じを受けた。
今まで出品していた常連やプロの場合は、顧客を掴んで直接販売
出来るしネット上で新製品を発表する方式で対応しても良いという
流れに変わったような気がする。出品者より来場者の方がデザインや
アートのプロが増えてきたような感じがする。
無審査の作品発表の場として巨大化してきたデザインフェスタだが
作品を観てもらう観客への責任感を感じるブースは、今期は少なかった。

2011年4月26日

9.11から3.11へ世界の注目が移ったようである。
東日本大震災(ひがしにほんだいしんさい)は、
2011年(平成23年)3月11日に発生した。午後2時頃だった。
東北地方太平洋沖地震とそれに伴って発生した津波は幾つもの
都市を壊滅させた。原子力発電所の放射能漏れは解決していない。
この災害を作家として現代アートで形で表現するのが使命だと
「ソルティードック3.11」
スリーワンワン)という作品を今日から、横浜の大倉山記念館
ギャラリーに5月1日まで展示している。

  
「ソルティードック 3.11」

人が近づくとセンサーでワンワンと鳴きます。


2011年4月20日

 更新が滞っているので最近の話題を書くことにした。
震災の影響で、映画を観ても感動が薄れてしまう。自然災害を
映像で観ると、こんなに凄まじいのかと圧倒されてしまう。
9.11以降に映画や美術の内容や表現が変わったが震災以降
日本でも映画の脚本変更や復興の為に被災地で映画を作る動き
もあるようだ。ロケ地として東北の山形などは登場している。
被災した方が早く元の生活に戻れることが理想だろうが仕事の
為に故郷へ戻ることが出来ず新たな地で暮らす人もいるだろう。
原子力発電所の事故で住めない土地になった人もいれば
被害の内容も違う。国の適切で柔軟な対応がなされる事を
願う。被爆しても被爆者手帳がもらえず「健康管理手当」の該当から
外してしまうなど「公健法」みたいことになっては更に被害者に更なる
負担を強いる。
 18日の早朝に家の前の橋から老婆が川に飛び込んだ。騒がしい
ので様子を見ていたらパトカーに消防車に救急車に消防の船まで
来た。オレンジのウエットスーツを着た消防士が救助して救急車に
乗せて運んで行った。桜が殆ど散っていた。自殺未遂だが
朝のランニングや犬の参歩の人が気付いて通報できたから未遂で
済んだようだ。意識もあって「すいません」と泣きながら繰り返していた。
震災の犠牲者より自殺者の多い社会だと万単位で報道されて
実感がわかないが、あまり身近な所でドラマチックな事が起こるのも
困りものである。

2011年4月17日

 日曜の朝9時からアニメ「美食屋」トリコを見ていたら昆虫グミの
アイデアでグルメモンスターをゼラチン状の飴で型を取って組み立てて
食べるクッキングトイがバンダイから発売されている。
美味しい生き物は、強いという発想は食物連鎖のヒエラルキーとして
単純で解りやすい。
子供が遊びから食物の事や化学(ケミストリー)に興味を持ってくれると
知育玩具にもなる。
太古の昔は、海岸で貝を食べていれば美味しかった
のだろうと貝塚がある生活を想像してしまう。
プラモデルキャンディーはバンダイの子会社のメガハウスでグミックスとして
販売してアニメのキャラで商品展開している。ちなみに、私の発明の
特許明細に商品展開の方法も書いてあるので良く読んでいるらしい。
開放特許にしたので「ごちそうさまです」と思われている気がする。
ワンピースのルフィーの「ゴムゴムの実」とグミの弾力も雰囲気が合って
いる。震災の影響で「グラグラの実」の表現は今後、自粛されるらしい。


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