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Rejoice always,pray without ceasing,in everything give thanks;
for this is the will of God in Christ Jesus for you.

My Diary(Prague/Vienna)


5/7/2006(続)

*ウィーン市内

シュテファン寺院を後に、ゆっくりとグラーベンを歩くと、 昨年は修復中だったペスト記念柱(三位一体記念柱)を観ることが出来ました。 この記念柱はウィーンばかりではなく、色々なところで観たことがあります。 これは1679年にペストがウィーンに蔓延し10万人の死者を出した後、 その終結を神様に感謝して当時の皇帝が建設したものです。

これはハプスブルク家が13世紀後半から1918年まで住んでいた王宮(Hofburg)です。 まだデジカメの扱いに今ひとつ慣れていない為、ちょっと斜めかな。(^_^;; 昨年ここを訪れた時はあいにく雨で寒かった為、 皇帝の部屋(Kaiserappartements)、シシィ博物館(Sisimuseum)、銀器コレクション(Silberkammer)を溜息をつきながら観て廻りました。 今回は、まだ観ていなかった王宮宝物館(Schatzkammer)に行きました。更に溜息がつく展示物でした。

至る所で、このような二頭立ての馬車を見ます。観光客用だと思いますが、王宮の入り口のミヒャエル広場などは、 馬車の乗り場になっているようでした。馬糞には注意しないと・・。(^_^;;

今年は何か変だなと思ったら、ちょうどウィーン市民マラソンが開催されていた為、 リンクを一周している例のトラムは動いていませんでした。 まぁ、急いでいないので、ゆっくり歩いて行くことにしました。 王宮の隣にあるブルク公園(Burggarten)に行くたびに、11年前我侭なK子に愛想をつかし、地図を渡して置き去りにしたものの、 英語もドイツ語も出来ない彼女が気になりながら、同じ方向に歩いて来るのをさりげなく確認しつつこの公園に歩いて来たことを思い出します。 そして、モーツァルトの像の前のベンチにわざと何気なく腰掛けていたら、 やがて彼女がやって来て一緒に買って持っていたランチを手に、「ごめんね」とは言えず「一緒に食べよう」と私に言いました。 幼なじみなので、これが彼女のごめんね仲直りしたいのと言う意味だとわかりました。 そんなことを、昨年も今年も思い出しました。(笑) わかりにくいですが、モーツァルトの前のお花はト音記号になっています。 毎年違うお花が植えられているようです。昨年は寒かったせいか咲いていなかったかも知れません。 個人的には11年前の赤いお花が一番良かったかも。

一度は入ってみたかったカフェ「モーツァルト」に勇気を出して入ってみました。 勇気がいったのは、どちらかと言うとカジュアルな格好だった為、 200年以上も歴史のあるカフェに場違いな感じがしたからです。(^_^;; ガイドブックによると、グレアム・グリーンが『第三の男』の脚本をここで書き、 映画にも登場して世界的に有名になったとのこと。 私は全然そんなことは知りませんでした。単にモーツァルトにひかれただけです。(笑) サービスは今一だったかな・・。たまたまかも知れないけど、私はガス抜きのミネラルウォーターを注文したのに、 しっかりガス入りが来たし(^_^;;、まだビンに水が入っているのに、済んだ料理と一緒にグラスを持って行かれてしまいました。 「私のグラスを彼が持って行ってしまいました」と言ったら、別の人が微笑みながら持って来てくれました。 これが東京だったら、私はガス入りの水とグラスのことはもっときびしいクレームをつけたかも知れません。 旅行中はイライラとは無縁です。(笑)

天気がコロコロ変わるのはロンドンだけかと思ったら、ウィーンもどこも同じかも知れません。 カフェモーツァルトに入る前後も雨でした。雨となると、美術館や博物館に行くのが一番です。 今回は絶対に行かなきゃと思っていた美術史博物館(Kunsthistorisches Museum)に行きました。 この写真は博物館を観た後、すっかり晴れていたので撮影したものです。

入場料は10ユーロでした。これは入り口から中を撮影したものです。とても重厚な歴史を感じさせる建物で圧倒されます。

真ん中の絵は、有名なブリューゲルの『バベルの塔』です。二階にあったのですが、広すぎて方向音痴の私はぐるぐる探し回ってしまいました。(笑)

再びケルントナー通りに戻って来ました。ここの通りはいつも賑わっています。これはお土産屋です。


5/7/2006

*シュテファン寺院でのミサ

旅行中は7:00起床と決めて、携帯アラームをセットしていたのですが、それよりも早く目が覚めたので、4、5日分の洗濯をしました。 荷物を軽くし後でおみやげを入れるために、下着類は12日分ではなく少なくとも一回は洗濯すれば良い日数分持って来ているので、 ちょっと面倒でも洗濯はやらなければなりません。その為にも、このホテルアマデウスのバスルームは、 洗濯物を干すのに便利なのは昨年わかったので、そういう理由もあって今年も利用しています。(^_^) 洗濯も済んでスッキリし、朝食を済ませお祈りをしてから、日曜礼拝を守る為昨年同様2ブロック程行ったシュテファン寺院に行きました。

昨年すごく驚いたのは、古い固いカトリックの教会かと思っていたら、10:00位までのミサでは、子供を含む若い人達が混じって、 祭壇で私達が教会で歌っているワーシップソングを歌っていたことでした。意外と開かれているのだなぁと、カトリックのことを何一つ知らない私でした。 昨年より、やや早めに行ってみましたが、やはり子供達が混じったミサで、祭壇で何と踊りの振りがついた『He is Lord』 のドイツ語版を讃美していました。

日本語では、「イエスは主、イエスは主、死から蘇えられた主・・・」と言う歌です。 思わず私は嬉しくなって、身体でリズムを取りながら、英語と日本語で口ずさんでいました。 実はiPodのお陰で、通勤の行き帰りに、英語・ドイツ語放送をずっと聴いていましたが、 KAT-TUNのCDも散々聴きつつ(笑)ワーシップソングも仕事前に聴いていて、この『He is Lord』は特に一番耳に残っていたからです。 家を出発してからずーーーっとKAT-TUNの曲ばかり頭の中でぐるぐる廻っていたので、自分でも呆れていました。(笑) ミサの最中に良く見ると、各柱の上方にはモニターがついていて、後ろの座席の人達にも前の様子がわかるようになってました。

今年からなのか、昨年もあったのかは気が付きませんでした。10:15からのミサも引き続き参加しました。 私は中央の最前列に座りました。この位置が基本的に好きです。自分の教会でも長年同じ場所で、落ち着きますし一番集中出来る場所でもあります。 昨年のような儀式的な感じはなく、今回素敵だったのは25名の聖歌隊が15名程のオーケストラと演奏するのを聴けたことです。 祭壇の右側で演奏していたのですが、寺院一杯に素晴らしい音響で広がり、本当に素晴らしい音楽を堪能しました。 もちろん演奏会とは違い、ミサの合間に演奏されます。私はその様子を見ていて、改めて聖歌隊の重要さを思ったのです。 メッセージはドイツ語なので、全くと言って良いほどわからなかったのですが、ちょうど私の好きな詩篇23篇の所で、 プリントされていたこともあって、それだけはわかりました。 又、聖体拝領にも与ることが出来ました。昨年も感動しましたが、今年もずっとここにいたいと思った程です。


5/6/2006

*プラハ(Praha)〜ウィーン南駅(Wien Suedbahnhof)

今日はウィーンに戻る日です。早めにチェックアウトをしました。いつもフロントにいたのはおばちゃんでしたが、 今朝いたのは、思わず「おぉ!」と言ってしまう程の若くグラマーな美女が2人もいました。やっぱりチェコは美人が多いと思います。(^_^) FlorencからC線に乗ってHolesvice駅に到着。一度来た所でも迷う私。(^_^;; 荷物があるので、自動的にエスカレーター側に安易に行ってしまったのが間違いでした。 上がって周りを見渡しても駅がみあたらない。「駅はどこに消えちゃったの?!」 しばらく考えてもわからないので、又下に戻って反対側の階段を上がってみると、『あぁ、ここだったじゃない、私のバカ・・・。(^_^;;』 10:26発のウィーン行きまでにはしばらく時間がありましたが、旅行の時は時間にせかされることがない為か、どれだけでも待てそうな気がします。 帰りはコンパートメントの席で6人掛けでした。韓国人の仲良し学生達とずっと一緒でした。 特に話はしなかったのですが、向かいに座っていた女の子が仲間にお菓子を配っていた時、 屈託のない笑顔で、私にもどうぞとくれたのです。気恥ずかしかったのですが、「Thank you.」と笑顔で受け取りました。 ヨーロッパにいると、アジア人は似たような顔をしている為か、お互いに親近感があります。 帰りは4時間で14:28に着くはずでしたが、何故かこの時間には聞いたこともない駅で降りなければならなくなりました。 『まだチェコ国内じゃん・・・。』ダイレクトで乗り換えなしだった筈なのに。(^_^;; 特に詳しいアナウンスもなく、30数分後には別の電車が来て乗ったものの、 途中でローカル線のように頻繁に止まり、ウィーンには2時間遅れで到着しました。 そういえば、帰りの電車はチェコ製だったからなのか、お粗末な電車でした。 途中トイレに行った所、汚くなかったし意外とまともだったので安心しましたが、 立って水を流そうとペダルを踏んだ所、「おぉぉぉぉーーーー!!いきなり線路かい?!」と物凄く驚きました。(^_^;; もし大きいのをしていたらどうなっていたんだろう・・・。(^_^;; (後日談ですが、帰国後会社の人に聞いたら、昔日本もそういう電車だったらしい。 私は電車がない街で育ったので、バスや父の車で移動していた為、高3まで電車に乗ったことがなかったので、 昔の電車事情は良くわかりませんでした。)

ウィーンに無事着いたものの、この南駅は信じられないことに土曜日は16時までしか両替の窓口が空いていないのを知りました。 既に窓口は閉まっていましたが、アメリカ人の若い女の子達が「お願〜〜い♪」と窓口を開けてもらったので、 私もすかさず便乗して両替してもらいました。「クローズしたんだよ。」と言っていましたが、 「電車が2時間遅れたので・・・すみません!」と、少し申し訳なく思いましたが、無事両替を済ませることが出来ました。 私の後ろには、まだ何人も並んでいました。この若いお兄さんは多分残業だったことでしょう。 さて、シュテファンズプラッツ行きには、1つローカル線に乗ってU3と言う地下鉄に乗り換えなければなりません。 わからなくてウロウロしていましたが、親切なおじさんが来てくれて、路線図を指差しながら丁寧に説明してくれました。 ウィーンはいつ来ても、こういう親切な人が本当に多いです。更に私が買ったウィーンカードを何処で刻印したら良いのかと聞いたら、 おじさんはそのカードを取って、「待ってて行って来る」と言って、タタタタタッと素早く上まで走って行って、 私のところまで走って戻って来ました。何と私の代わりに、わざわざ上まで刻印しに行ってくれたのでした。 電車に乗る時もスーツケースを乗せてくれ、2つ目で降りるんだよと言った後も、ずっと気にかけていてくれて、 私が降りるまで見届けてくれました。私は本当に親切なおじさんに心から「Thank you so much. Danke schoen.」 と言って電車を降りたのでした。本当にイエス様は、色々な助け人を送って下さいます。感謝です。 11年前K子とウィーンに来た時も、この「電車から降りるまで見届けてくれる親切なおじさん」に出会ったことがあります。 あ、もちろん違う人ですが。(笑)いつ来てもウィーンの人達は本当に親切な人が多いと思います。 私も旅行者にはここまで親切にしたいものだと思いました。 シュテファンズプラッツのエスカレーターを上がると、Stephansdom(シュテファン寺院)の所に出ます。 懐かしいと言うか戻って来たというか、ホテルも昨年と同じHotel Amadeus。 4つ星でもリーズナブルで、静かでエレガントなのが気に入り、今年も利用しました。 ホテルのフロントで既に記入されたフォームを見て、私が昨年泊った記録もされていることを知り、 チェックイン時に住所とか色々書くのが面倒なので助かりました。 それだけでも、ウィーンは私を優しく迎えてくれる街だと思いました。

夜は、私の好きなNordsee で食事をしました。ケルントナー通りを歩き、御馴染みのインターネットカフェに行ったら、 いきなり雷と雨が嵐のように降り始めました。タイミング良くそこで30分以上すごしました。 再びケルントナー通りを歩いていて、せっかく来たんだしと思って、 Gerstnerと言う1847年創業の、老舗のカフェ・コンディトライに入りました。 ケーキとカフェオレをオーダーしました。それぞれ3.3ユーロでした。(1ユーロ=約147円) ちょっとわかりにくいのですが、下の写真はカフェ側の席からケーキ売り場の方を撮ったものです。

2000/4-2002/11までの日記は、諸事情により、当面非公開とさせていただきます。