これまでの「今日のコラム」(2008年 12月分)

12月1日(月)  <東京タワー・・・>
東京タワーは今月末で開業50周年を迎える。この記念の意味もあり今日から新しいライトアップがスタートするというので見に行った。家からは30分足らずの時間でいくことができるが東京タワーの真下まで行ったのは20年、いや30年振りだろうか。「ダイヤモンドヴェール」と名付けられた新しいライトアップははじめは虹色(7色)であったのが7時を過ぎる頃にはホワイトダイヤモンドの白い輝きに変化した。確かに以前のタワーに直接光を当てる方式(ランドマークライトと呼ぶ/デザインは共に石井幹子)と比べると雰囲気ががらりと変わる。ちなみに今後のライトアップはダイヤモンドヴェールとランドマークライトの併用で時間と共に変わるようだ(点灯は24時まで)。50歳になっても化粧を変えると新鮮な輝きを見せるところがいい。
「今日の作品」に「花々(水彩)」を掲載した。昨日いただいた花をモデルにした久々の水彩画である。
2008-12-01@東京タワー 


12月2日(火)  <夕焼け小焼け・・・>
”夕焼け小焼けで日が暮れて・・”、と口ずさみながら毎日夕刻にアール(コーギー犬)とゆっくりと散歩する。アールは車椅子なので早くは歩けない。都会の路地を通るので夕焼けが見えることもなく、午後5時になると町内(?)のスピーカーから大きな音で「夕焼け小焼け」の曲が流れるのである。機械的な拡声器の音を嫌う向きもあるが私はこの曲を歌いながらすっかり感傷的になってしまう。5時になると正確に流れ始める音が「山のお寺の鐘」のように聞こえる。東京では今はこの時刻、既に「日は暮れて」いる。「お手てつないで」みな一緒に帰ろう。そして「カラスと一緒に帰りましょう」とは何と心優しいことか。「夕焼け小焼け」の作詞は中村雨紅(1897-1972/本名、高井宮吉)。野口雨情に師事し、ペンネームに「雨」の字と雨情に染まりたくて「紅」を付けたという。作曲は草川信(1893-1948)。作詞、作曲が絶妙に調和した童謡の名曲だ。「子供が帰った後からは 丸い大きなお月様」かと思うと、今夕は雲の切れ目からくっきりと三日月が見えた。
12月3日(水)  <夕焼け小焼け(つづき)・・・>
”夕焼け小焼け(つづき)”を書かなければならない。昨日のコラムで「夕焼け小焼け」を書いたところ、妻からどうして小学校のことを取り上げないのと言われた。そうだ、「夕焼け小焼け」というと地元の小学校に「夕やけこやけの碑」があり、その前の坂は通称「夕焼け坂」と呼ばれるほどに私が住む区域とは縁が深いのである。「夕焼け小焼け」の作曲は昨日書いた通り草川信(1893-1948)。草川の経歴を見ると「東京音楽学校を卒業後、教職の傍ら作曲を手がける・・」などと書いてあるが、実は大正6年(1917、24歳)3月に音楽学校を卒業して4月から音楽教師として着任したのが今の渋谷区立長谷戸小学校であった。長谷戸小学校には昭和2年(1927)まで10年余勤務し、その間「ゆりかごの歌」や「夕焼け小焼け/1923」など名曲を世に出した。小学校の校門の脇には、このことを書いた「夕やけこやけの碑」がある(地図=ここの矢印)。私の子供たちも長谷戸小学校の卒業生だ。今夕、車椅子での犬の散歩は小学校に目標を定めた。正に校門の「夕やけこやけの碑」の場所にたどり着いた時に「夕焼け小焼け」のチャイムが流れ始めたのには余りのタイミングの良さに感動した。そう、時刻がジャスト午後5時であったのである。
2008-12-03@しろかねの森(自然教育園・東京)

12月4日(木)  <満地球の出・・・>
”満地球の出”を見て人は何を思うだろうか。月が地平線(丘などでもよい)から徐々に顔を出してやがてまん丸い満月が空に輝く。これと同じように月の地平線から地球が出始めて丸い地球が空に浮かぶのが「満地球の出」である。宇宙航空研究開発機構の月探査衛星「かぐや」が撮影した月のハイビジョン映像が、昨日YouTube日本版に登場したと話題になっている。その中に「満地球の出」があるので早速に見てみた(=ここ)。以前、「かぐや」が撮影に成功した時にニュースで見た映像と同じではあるが、改めて月から見た地球の姿はやはり感動的だ。「かぐや」がこの美しい映像を撮影した瞬間にも地球上には67億人の人間と無数の動物、植物がひしめいている。宇宙から見ると地球もあまたある天体の一つに間違いないが、真に奇跡の星である。”生きている”ことが奇跡と知れば人の争いなど実にばかばかしく思える。

12月5日(金)  <江戸城無血開城・・・>
”江戸城無血開城”は先週のNHK大河ドラマ「篤姫」の見せ所であった。”無血開城”の歴史に接するたびに私は「日本将棋」の独自のルールを連想する。将棋の起源はBC200-300年前の古代インドにあり、これが世界中に広がったとされる。ヨーロッパではチェス、中国では象棋(シャンシー・中国将棋)となって現代でも多くの人に愛好されている。日本へは平安時代に遣唐使によって将棋が伝わったようであるが、室町時代には日本独自のルールが出来上がる。つまり獲得した相手の駒を自分の駒として使用できるルールを作ったのである。チェスでもシャンシーでもこのようなルールはなく、戦う相手はただ殺すのみである。日本将棋の場合は「捨て駒」として相手に渡した駒が強力な武器となって我が身がピンチになることもある。逆に取得した相手の駒を如何に使うかが勝負を決める。江戸城を明け渡すことにより江戸での大戦争を回避した徳川方の勝海舟(1823-1899)は明治新政府の要職を務めたが、一方で徳川家の存続や旧幕臣の生活維持に尽力した。また明治維新後、大奥を去った天璋院篤姫(1836-1883)は勝海舟とも交流するなど自由な生活を楽しんだと伝えられる。フランス革命と明治維新は意味が違うと学者は主張するだろうが、ギロチンで斬首刑にされたマリー・アントワネットはやはりチェスの国の王妃であった。将棋のルールに込められた日本の"優しさ”を世界に浸透させられないかと思うことがある。
12月6日(土)  <紀ノ国屋・・・>
”紀ノ国屋”は知る人ぞ知る高級スーパーマーケットである(紀伊国屋は本屋さん)。東京・北青山の青山通りに面した「紀ノ国屋」は1953年(昭和28年)創業、日本で初めてセルフサービス方式を導入するなど日本のスーパーーマーケットの歴史をつくってきたと言われる。ここのスーパーは紀ノ国屋インターナショナルと呼ばれるように外人客も多く、こんな事を書いている私などはとても恐れ多くて近寄れない「高級」スーパーマーケットである。この紀ノ国屋インターナショナルの地に建設中であった高層ビルがほぼ全容を見せている(地図=ここ)。紀ノ国屋としては既に先月、11月にオープンしている(横の低層部)がビルとしてのグランドオープンは来年の2月であるという。地上16階のビルで最近の超高層ビルと比べるとそれほど高くはないが、今朝、朝陽を浴びる新ビルが美しく見えたので写真を撮った(下に掲載)。・・朝陽に対して夕日を浴びる紅葉もまた見事だったので、この写真も掲載する。
   
2008-12-06@紀ノ国屋新ビルの朝    @夕日を浴びる紅葉@旧朝倉邸・代官山にて 

12月7日(日)  <土鍋2008・・・>
「土鍋2008(陶芸)」を「今日の作品」に掲載した。毎年年末になると陶芸教室では「土鍋制作」の季節となる。土鍋は直火にかける条件があるので一般の陶芸と同じように焼成できない。先ず粘土は特殊な耐熱土を使用し、焼成温度も普通の陶器(1250度程度)より若干低めの温度で時間をかけて焼成する。そのため土鍋をまとめて扱うのである。土鍋の制作はいまや極めてポピュラーであり、蓄積されたノウハウで問題なく完成させることができるが、実は物理的に非常にデリケートな課題をクリアしていると感心する。ガラスのコップは部分的に加熱されたり、急冷されるとアッという間に割れる。直火の炎で底を加熱される土鍋の変形がどのようになるのか、材料の熱膨張、熱伝導などによる耐熱衝撃抵抗性といった問題を解決しようとすると大変なテーマになる。これを経験則から肉厚、形状のモデルをつくり、そして焼成のやり方が確立している訳である。さて、今回制作した土鍋は蓋の中央から蒸気が噴き出す富士山型。赤土の耐熱土、釉薬は天目をベースとし、部分的にイラホ釉他を使用した。模様はマスキングで赤土の地を出し、更に好きに色で埋めた。・・早速の土鍋料理の味が格別であったのは言うまでもない。


12月8日(月)  <今日は67年前に日本が宣戦布告・・・>
今日は67年前に日本が宣戦布告した日。言うまでもなく日本軍がハワイ・真珠湾を奇襲攻撃し太平洋戦争が勃発した。私はまだ1歳そこそこで勿論全く覚えはなく、記憶にあるのは敗戦直後の姿だけである。1945年に戦争が終わって以来、現在に至るまで、日本で戦争がなかったことが当然のように思われているが世界的に見ると実に希有といえるほど珍しい「平和」な日本であった。世界では戦争や紛争の連続である。日本の戦後に起きた世界の戦争を思いつくまでに書いてみよう。朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド戦争、ソ連・アフガン戦争、中東戦争(4次まで?)、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、中印戦争、中越戦争、中国・チベット紛争、印パ戦争、北アイルランド紛争、コソボ戦争・・。アフリカの内戦などを含めて歴史家が書き出せば、この何倍もが列挙されるだろう。最近は宣戦布告などない無差別テロが横行するようにもなった。世界の厳しい現実に対して日本ができることは徴兵制もなく戦争もしない日本が豊かに暮らせることを世界に見せる事かも知れない。

12月9日(火)  <スジ肉・・・>
スジ肉をバカにしてはならない。今頃何を言うと笑われるかも知れないが、先日はじめて自分でスジ肉(牛すじ)を料理して大失敗した。最近は、妻が所用の場合に私が一人で料理することは面倒ではなくむしろ楽しみでもある。たまたま冷蔵庫を開くと珍しく「スジ肉」が目についたので、これを肉の材料とすることにした。スジといっても小さく切って焼いたり煮込んだりすれば十分だろうといつもの肉料理と同じように調理した。ところが結果は堅くてまともに食べられるものではない。自分でつくった料理は無理しても”うまい”といって食べるのだが、この時ばかりは”ウーム”。翌日は同じスジ肉を使って妻が料理をした。何のことはない圧力鍋で煮込んだだけなのであるが、その柔らかいこと、美味しいこと・・。おまけにコラーゲンたっぷりの汁が豊富でいかにも栄養がありそうだった。「牛すじ」がこれほど美味しいことは、自分の失敗がなければ気がつかなかったかも知れない。「失敗は成功の母」。今度は圧力鍋で絶品の牛すじ料理を作るつもりである。

12月10日(水)  <世界一巨大なポスト・・・>
世界一巨大なポストが六本木ヒルズにできたというので見に行った。こんな情報をニューヨークに住む娘から得たのが何ともおかしいが、今や情報と距離は無関係である。正確には「世界一」をギネスに申請するという話で認定された訳でもない。大きいものだから行けば分かるだろうと気楽に六本木ヒルズに行って広場などを探したが見つからない。あちこち見回った後、あきらめて六本木の交差点方面に移動しようとすると、目前に巨大なポストが目についた。何のことはない、六本木ヒルズの玄関口にあるメトロハットと呼ばれる円柱状の建物を郵便ポストのように飾り付けたものだった。この装飾は昨年末と同じとか。来週からはこの巨大ポストで年賀状の投函も受け付けるそうだ。六本木の後、乃木坂へ廻った。自転車で数分の時間で到着したのが、主目的の「安藤忠雄建築展」(@ギャラリー間/totoビル、12/20まで、入場無料、案内=ここ)。建築家、安藤忠雄の初期の仕事である「住吉の長屋」の原寸大の模型をはじめ幅広い建築の写真や模型をみることができる。これだけの展示物を無料で見ることができるのはTOTO協賛のためであろうか・・、ありがたい。
「今日の作品」に「土鍋2008/容器」を掲載。本体部を真横から写真を撮った。
   
2008-12-10@六本木ヒルズ       六本木ヒルズの毛利庭園(正面に東京タワー)

12月11日(木)  <お月様・・・>
「お月様」を見たとたんに動けなくなった。夕方、犬の散歩で外出したとき、ふと見上げた空には”丸い大きなお月様”。後で月齢を調べると、満月は明後日(13日土曜日)になっているが、今夜の月もくっきりはっきりとした大きなまん丸に見えた。このような「お月様」をじっと見ていると浮き世のことを忘れて心が洗われる。生きていることが幸せと思う。そしてまた何か壮大なロマンを感じる。「お月様」は人類が地球上に現れる以前から、あの真ん丸い顔をみせ、また満ち欠けを繰り返してきた・・。昨日のニュースで子供の学力や意欲を国際比較したデーターが報じられていた。テレビばかり見ていると子供が理数系に興味を持つはずがない。真理を究めようと思うはずがない。テレビやゲームをやめて「お月様」を見る方がはるかに教育的だろう。昨日ストックホルムではノーベル賞の授賞式が行われて日本から小林、益川、下村の3氏が出席した(授賞式12月10日はノーベルの命日)。受賞者スピーチで語られたといわれる「・・素粒子に興味を持ち、なぜ宇宙は物質でつくられているか・・」という発想は「お月様」をみて成長した人でなければ浮かんでこないのでないか。子供に限らず若者にも言いたい:「テレビを捨てて、お月様を見よう・・」。<ps:「お月様」という言い方は独特の尊称と親しみが込められていて好きだ。これがただの「月」では情がない。>

12月12日(金)  <お客様はありがたい・・・>
お客様はありがたいと心底思う。「来客があると部屋が片付く」という法則は我が家でそのまま当てはまる。特別に格好を付ける気はないけれども客人には少しでもきれいなところを見せようという心理が働くのか。客人とは夫婦以外の人、親戚でも子供でも友人でも生徒でも全てが客人となる。世の中には来客の如何にかかわらずいつも美しく暮らしておられる方も多いが、我が家の場合は「来客」が動機付けとなり、やりがい(片付け甲斐)となる。理由はともあれ今日はクリスマスが近づいてきたので、クリスマス用の飾りをした。飾りの材料は毎年同じであるが何かその年の特徴がでる。ささやかなクリスマスデコレーションは小さな子供たちの目にとまるだろうか・・。こんなことを綴りながら「ホームページ」もまた「お客様」で成り立っていることに気がついた。顔は見えないけれども、訪問していただく人がいると思って更新する。・・遠路はるばる(?)このページまでお越しいただき、ありがとう!!
2008-12-12クリスマス飾り 

12月13日(土)  <才能ある19歳・・・>
「才能ある19歳を"無駄使い”していないか」と問題提起している記事をみた(発言者は日経新聞の関口氏)。アメリカのコンピューターに関わるリーダーたちがそろって19歳のときに革新的な発明やソフト開発を行っているのに対して、日本の若者の能力が生かされていないという。19歳の事例は確かにすごい。ビル・ゲイツが1975年、マイクロソフトを創業したのが19歳(ハーバード大学在学中)、マイケル・デル(=デルコンピューター<デル社>の創始者)が1984年、独特のコンピューター会社を起業したのが19歳(テキサス大学在学中)、マイク・アンドリーセンが初の画像表示ウェブブラウザMosaic(後のNetscape)を開発したのが19歳(1990/イリノイ大学在学中)、マーク・ザッカーバーグが2003年、ソーシャル・ネットワーキング・サービスFacebook(インターネット上に構築される会員制のサービス)を開設したのが19歳(ハーバード大学在学中)などだ。いま米国では自動車大手、ビッグ3が資金繰りに苦しむピンチを迎えているが、米国の自動車が”若い才能”を必要としない産業であったとすれば当然の成り行きにもみえる。若者が元気な産業、社会でなければ発展しない。
「今日の作品」に「土鍋2008/蓋(陶芸)」を 掲載。フタの表裏には2mm幅のテープを貼り付けて直線、曲線を描いた。表・最上部の青色はガラスを置いて溶融させたもの。

12月14日(日)  <平成の玉虫厨子・・・>
平成の玉虫厨子をみた。現在、東京・上野の国立科学博物館で国宝・玉虫厨子を現代の職人が再現した「平成の玉虫厨子」が公開されている(12月21日まで、65歳以上は無料)。奈良の法隆寺(7世紀後半〜8世紀建立、聖徳太子ゆかりの寺)にある国宝・玉虫厨子(たまむしのずし)は飛鳥時代の厨子(仏像、教典、位牌などを中に安置する仏具)の名品で、本物の玉虫の羽を敷き詰めて装飾してあることで知られている。1300年の時を経て現在もなお風格はあるものの制作当初の華やかさは想像するしかない(私は小学校の修学旅行で玉虫厨子をみた)。そして岐阜・飛騨高山の実業家、中田金太氏が私財を投じて玉虫厨子をそのまま復元したのが「平成の玉虫厨子」である。制作開始は2004年。全国から宮大工、彫師、蒔絵師(まきえし)、塗師、金具師など現代の選りすぐりの職人が集められた。その記録はドキュメンタリー映画ともなっているが、中田金太さんは完成を待たずに2007年6月(76歳で)亡くなった。その後、玉虫厨子は見事に完成し、今日、できたてほやほやの"現物”を目にしたのである!会場には玉虫のサンプルも並べられていたが、何万匹もの玉虫を集めることからはじまる仕事は執念なくして出来るものではない。玉虫が貼り付けられた部分はほんの少しみる角度が変わると色が微妙に変化する。1300年前に作られた国宝の技量とセンスに驚愕するのは勿論だが、現代に玉虫厨子を復元した技術や熱意にもまた敬服する。

2008-12-14@上野・ 国立西洋美術館・カレーの市民(ロダン)

12月15日(月)  <いま中国で儒教が・・・>
いま中国で儒教が見直されていると報道されていた。ほんの少し前まで中国共産党下の中国では、儒教は革命に対する反動であるとして徹底的に弾圧されてきた。マルクス主義と儒家の思想は所詮相容れない。それが最近の中国では儒教が再評価されている。儒教関係の(以前破壊された)史跡が修復され、優れた道徳倫理として儒教や老荘思想が授業でも取り入れられるという。若者たちが心のより所として論語などの古典を読むと聞けば変われば変わるものである。儒教は孔子を始祖とする思想であるが、言うまでもなく日本にも計り知れない影響を及ぼした「世界の思想」というべきもの(翻訳書で16世紀フランスの思想家にも衝撃を与えたとされる)。孔子が生きた時代は紀元前500年頃、孔子の思想を発展させた弟子の孟子は紀元前300年頃と見ると、キリスト生誕より何百年も前にこれほどの思想を流布させた中国歴史の深さに改めて驚かされる。「仁・義・礼・智・信」の五つの徳目を教える思想を古いという人もいるだろうが、人間社会の成り立ちは2000年前でも3000年前でもそれほど変わらない。儒教を再評価する中国がどのような道を歩むのか注目しよう。

12月16日(火)  <クオリア・・・>
「クオリア」という言葉が最近目につく。脳科学者である茂木健一郎は「脳とクオリア」などで知られるクオリアの研究者でもある。「クオリア」とは感覚の持つ質感のようなもの、要するに「感じ」の事であるらしい。Wikipediaでは「心的生活のうち、内観によって知られうる意識の現象的側面のこと、またはそれを構成する個々の質感のこと」と説明されている。人間の感覚(視覚、聴覚、嗅覚、触覚)は外部からの情報(刺激)を感覚器が捕捉して脳に伝達されたものである。ところが物理的な情報伝達と個々の人間の心がどう感じるかの関連が単純なものではない。そこに「クオリア問題」として奥深い研究テーマがある。心と脳の関係は確かに極めて興味深く、面白そうにみえる。一つの絵をみても人によって感じ方が全く異なる。ある音楽を聴いて涙を流す人もいれば無感動な人もいる。心の問題は簡単に脳細胞のメカニズムと結びつくとは思えないにしても、心理学とは違ったアプローチで脳との関連が追及されているようだ。

12月17日(水)  <我という三百六十五面体・・・>
「我という三百六十五面体ぶんぶん分裂して飛んでゆけ」。ネットサーフィン中に”三百六十五面体”の言葉で思わず目を留めた俵万智さんの短歌である。「サラダ記念日」の中に掲載されているから21年前の短歌。今見ても斬新で万智さんはいかにも若々しい。「サラダ記念日」は1987年が初版で大ベストセラーとなった。我が家でも当時購入した記憶がある。「”この味がいいね”と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」の詩は永遠に記憶されるだろう。懐かしくなってネットでしばし俵万智ワールド(=ここ)に浸った。21年の歳月を経て万智さんは相変わらず元気にご活躍なのがうれしい。2003年に未婚のまま男子を出産するという勇気もあり(日本男児はどうしてだらしがないのか)、今年の末には46歳を迎える。「サラダ記念日」でない歌集から二首引用させていただく:「散るという飛翔のかたち花びらはふと微笑んで枝を離れる(かぜのてのひら・1991年より)」。「明治屋に初めて二人で行きし日の苺のジャムの一瓶終わる(チョコレート革命・1997年より)」。

12月18日(木)  <筋力強化の難しさ・・・>
筋力強化の難しさのことを書こう。私の場合、”筋力維持”の方が正確かも知れないが、膝痛や腰痛を「加齢による筋力低下」と言われる屈辱を晴らそうと強化トレーニングに励む。「強化トレーニング」は何でも同じだが、楽なトレーニングでは”強化”にならない。これ以上負荷をかけると壊れそうというギリギリの限度で強化される。このギリギリの程度を把握するのが非常に難しい。無理をして壊してしまえば元も子もない。今年の北京オリンピックの女子マラソンの代表に決まっていた野口みずきが猛烈なトレーニングを行いながら大会直前になって肉離れの痛みがとれずに出場を辞退したことは記憶に新しい。プロのトレーナーがついていてもこういう事がある。私の筋力維持はレッグマジック(トレーニングマシーン)とスロースクワットという単純な手段であるが、以前の膝痛、腰痛が一時全くなくなってしまった。これは効果覿面(てきめん)と喜んで図に乗ったのがよくない。テニスのときに軽くなった脚で走り回ると今度は限度を超してまた腰を痛めてしまった。「過ぎたるは及ばざるが如し」、ほどほどとは本当に難しい・・。
12月19日(金)  <オックスフォードとケンブリッジの大学入試問題・・・>
オックスフォードとケンブリッジの大学入試問題が話題になっている。CNNのWebサイトで見ただけであるので真実であるか否か分からないが引用してみる。オックスフォード大学は「小説と詩のどちらが好みか(どちらになりたい?という訳もある)」、ケンブリッジ大学は「あなたが仮にカササギなら何をするか」。他にケンブリッジ大には「警察に見抜かれないよう他人に毒を盛るとすればどうするか」とか「政治家に代わり大手家具店イケアの店長に国家運営を任せないのはなぜか」などの質問もあると報道されている。正確な全体像でないにしても入試問題の雰囲気は分かる。この入試問題をみて私はかつて息子が中学を受験したときの問題を思い出した。考える教育を標榜する学校は次のような問題を出した(勿論他の問題に含めて)。材質の違う紙を5枚各自に渡し、「これについて思うことを書きなさい」。オックスフォードでもケンブリッジでも、また中学入試でも、このような問題できっちり選別するためには、採点者の資質が問われる。教師に自信がなければ話題になるような入試問題はだせない。そういえば、マイクロソフトの入社試験問題もユニークであることで知られる。「マンホールのふたが四角形ではなく円形である理由はなぜか」・・これだけでマイクロソフトがどんな人材を望んでいるか分かる。
12月20日(土)  <サイト内検索・・・>
「サイト内検索」は実に有り難い。最近「湯たんぽ」の売り上げが急増しているとのことで、「湯たんぽ」を今日のコラムに取り上げようと思った。しかし、いや待て、前にコラムで書いたことがあるかも知れないと一瞬ひらめいたがはっきりと記憶にない。そこでgoogleの「サイト内検索」を使ったのである。googleの検索機能の中に「ウェブ」の項目があり、その中に更に「検索オプション」がある。そこでキーワードを「湯たんぽ」として、このホームページのアドレスを入れると、9年間分のコラム全ての「言葉」を検索してくれる。その結果「湯たんぽ」の話題は、2006年1月6日のコラム(=ここ)で取り上げていることが判明した。google恐るべし!そのコラムでは「たんぽ」は中国語の「湯婆」の発音からきたと書いたが語源までは言及していないので、ここで触れておこう。例によってWikipedia(インターネット上の百科事典)では「(中国語の)「湯婆」の「婆」とは「妻」の意味であり、妻の代わりに抱いて暖を取ることを意味している」と解説されている。そうか・・、逆に考えると、湯たんぽを使うよりも夫婦で抱き合っていればお互いに最高の暖が取れるのだ・・。

12月21日(日)  <今日の冬至に柚子湯・・・>
今日の
冬至に柚子湯(ゆずゆ)を実践した。我が家では少し前に薔薇風呂を試みたことはあるが、「冬至に柚子湯」をいつやったかは思い出せない。昔からの習慣である「冬至に柚子湯」にはそれなりの理由や実効があるのだろう。「柚子の成分には血行を促進させる働きがあり、風呂に入れると身体を芯から温める。新陳代謝も活発になるので、疲れや痛みもとれ、冷え性にも効果がある」と説明がされているが、今の季節、風邪の予防にもなりそうだ。たまたま親戚からたくさんの柚子をいただいたので数個を柚子湯に使ったのである。丸ごと湯船に浮かせたり、半分に切って香りを出したり、好き勝手な柚子湯。確かにほのかな香りが心地よい。柚子の効能を云々することなく、心の安らぎが得られれば十分であろう。冬至と柚子を結びつけた季節感が何よりもいい。
2008-12-21朝陽の国連大学@東京・青山
*国連大学については2008-6月11日コラム=ここ=参照

12月22日(月)  <おもしろうて やがて悲しき・・・>
「おもしろうて やがて悲しき 鵜船かな」。ご存じ、芭蕉の俳句である。夏の句であるが最後の「鵜船かな」を別の言葉に入れ替えると冬の句にもなる。ただし元の句が余りに有名なのでパロデイー川柳というところ。例えば、「鵜船かな」に変えて、「忘年会」とか「クリスマス」、「歌合戦」、季節に無関係とすれば、「テレビかな」、「芸能人」、「モノツクリ」、「株取引」・・何でも入る。芭蕉の句では「やがて悲しき」が強烈だ。この一言を芭蕉が使ったがゆえに後世の人の「やがて悲しき」は全てパロデイーとなってしまう。「やがて」もまた芭蕉を連想させる言葉になるから俳句の影響は偉大だ。もう一つの「やがて」の句、「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」は冒頭の”鵜船”の2~3年後の芭蕉の句であるが、芭蕉がこれだけ「やがて」の名句を残すと後では誰も使えない。・・今夜はめずらしくこれから忘年会にでかける。「なりにけり なりにけりまで 年の暮(芭蕉)」

12月23日(火)  <世の中ね、顔かお金かなのよ・・・>
「世の中ね、顔かお金かなのよ」。これは実は「回文」である。「よのなかねかおかおかねかなのよ」と前後どちらから読んでも同じ文。娘のブログにこんな回文の名作が紹介されていて大笑いするやら感心するやら。今日のコラムは回文の孫引きとした。娘のページからもう一つ。「野茂のママのものは野茂のパパのもの、しかし野茂のパパのものは野茂のママのもの」。これもまたすばらしい回文だ。ところで、英語では回文は、palindromeという。英和辞書(研究社)でpalindomeをみるとこんな事例がでていた。Madam,I'mAdam.  Was it a cat I saw? 他のサイトには"Adam"の変形版として、Madam,in EdenI'm Adam. というのがある。エデンのアダムの方がやはりよくできている。それにしても日本語は回文に向いているのか、長文の回文が実にうまい。「住まいは田舎がいい、森と日溜まりでひと寝入り、飛ぶ鳥、稲と日照り、まだ独りもいいが、家内はいます」・・これが回文と知ってブッたまげた!
「今日の作品」に「キャンドルスタンドby花器”Q"(陶芸に飾り)」を掲載した。クリスマス用に花器がキャンドルスタンドに変身した次第。


12月24日(水)  <スエーデンからのクリスマスメール・・・>
スエーデンからのクリスマスメールを受け取った。スエーデン人の彼とは元は仕事上の付き合いであったが、趣味や考え方が似ていたこともあり、仕事は関係なくなっても長く友人でいる。スエーデンに行ったときには彼の家に泊めてもらったし、彼が日本に来たときには渋谷の東急ハンズで一緒に買い物もした。彼の娘さんの夫がオーケストラメンバーの一人として来日したときには歌舞伎に案内したこともあった。本人以外に彼の子供たちとも親しくなった。今日のメールで7番目の孫が生まれたなどの近況が書いてあった中に、興味深いコメントがあった。4人いる子供の半分(50%)がnon-Swedish、つまりスエーデン人ではない相手と結婚したというのである。それでも子供の連れ合いがイラン人とか米国人であっても彼の家族の結びつきが強いのにはいささか驚く。日本でお正月に一族が集まるのと同じように20人以上の家族が全員集まって写真を撮っている。世界中で働く人たちが時に故郷に集合して、歓談の後にまた世界各地へ散っていく。スエーデンでも日本でもこんな風景が珍しくなくなってきているようだ。

12月25日(木)  <ブックオフの価格・・・>
ブックオフの価格はどう決めているのだろうと不思議に思う。以前、欲しいと思った本(古本)が意外に高くて何でこの本だけこんなに高いのだと怒ったことがあった。今日、立ち寄ったブックオフで、宮城谷昌光の本、「孟嘗君」が全5巻揃っているので価格を見ると一冊850円(それでも定価のほぼ半額)。これが他の本と同じく105円であれば即購入するのに・・。ハリーポッターの立派な本は2冊セットで105円である。ブックオフはどんな本でも3ヶ月経て売れ残ったら全て105円にするという噂を聞いたことがある。これまでの「古本屋」で内容を吟味して設定された価格の本を選ぶスタイルではない。それにしては、私が欲しい本はいつも105円で買えない。ブックオフのチェーンは現在海外店舗も含めて900店舗を超すという。店内を広く、明るくすることにより、従来の古本屋のイメージを一新することからスタートした。グループ会社の現会長である橋本真由美さんは創業当時パートタイマーであったとか、彼女が従来の「本買います」ではなく「お売りください」のキャッチコピーを考案して飛躍的拡大の基をつくったなど「成長神話」にも事欠かない。店舗で駄目ならインターネット上の「ブックオフオンライン」(=ここ)で「孟嘗君(もうしょうくん)」がどうなるか調べてみた。当然のことながら全巻格安は無理。どうもブックオフとは相性が悪い。

12月26日(金)  <年末に処分されるゴミの量・・・>
年末に処分されるゴミの量は如何ほどか。日本中のゴミを考えるだけで恐ろしい。先日我が家でも古いパソコン、キーボードなどをこの機会に処分した。ゴミの種類は違うが、パソコンのゴミ箱の処分方法が一昔と変わった。最近のMacでは「ゴミ箱を空にする」と「確実にゴミ箱を空にする」が選択できるようになったのである。「ゴミ箱を空にする」はゴミ箱に捨てられた項目に”これは不要品”と印をつけて表面上消したもので、内容は完全に消去されてなく特別の操作をすれば消したはずのゴミ情報を取り出すことができる。以前は全てこの消去法であった。「確実にゴミ箱を空にする」は中身を実際にゼロにするので消去には時間が掛かる。土地のたとえで、ただ空にするというのは、土地に建物が建っているけれども、土地を使いたければ使用できると表記したもの、つまり建物を取り壊せば次に別の建物が建てられる状態。これに対して「確実に空にする」は建物を取り壊して整地した状態にする、と説明されていた。パソコンの中の空き領域が沢山あるように見えても、以前のゴミを消去しながら新たな領域を作っているのではパソコンのスピードも遅くなるだろう。私は少々時間が掛かってもその都度「確実に空にする」ようにしている。パソコンのゴミの消去は0と1の数字の組み合わせをなくせばよいが、本物の「ゴミ」は埋め立てるにも土地は限られるし、再生するにも大変なエネルギーが必要となる。最良の行為はゴミを作らないこと、これは生活のゴミもパソコンのゴミも同じ事であろう。

12月27日(土)  <プリンターのインク代・・・>
プリンターのインク代は高すぎる。こんなことは誰でもが知っているし、みんな不満を持っている”常識”である。これを承知の上であえて話題にするのは、先日我が家で使用しているヒューレッドパッカード(HP)のプリンタの交換用カートリッジを二個(カラーとフォト)購入したところ7440円も払わされたからである(それもビッグカメラで!)。これまでに何回となくカートリッジを交換しているがこの年の瀬には特別に高いと感じた。一時は純正品ではなく充填式の安価なインクを試みたこともある。これも手間が掛かる上にインク残量がコンピュータに表示されないなど不便さが拭いきれないので、いつしか高価な純正品に戻ってしまった。プリンターの交換用のインクはエプソンでもキャノンでも高いと思うがHPは特に高い。一方、どのメーカーにしてもプリンターの本体価格は安い。あれだけの印刷機能を持った本体がHPのインク4個分で十分に買えてしまう。当然のことながら、メーカーとしては本体を安く供給して消耗品のインクで採算をとる(別の言い方で”儲ける”)作戦だ。プリンターの価格比較を行う場合、3年間分ほどのインク(消耗品)の価格を含んで比較しなければ意味がない。
2008-12-27@渋谷/年末の紅葉

12月28日(日)  <コーギーリンク・・・>
コーギーリンクを訪れながらため息ばかりついていた。このホームページにはコーギー犬関連のサイト、約30件とリンクしている。9年前のホームページ開設時には倍の数のサイトとリンクしていた。犬にとっての9年間の歳月は人間にすれば60-70年に相当するだろうか。この間に犬が亡くなりホームページが閉じられたサイトも多い。いま私のホームページにリンクしている全国のコーギーサイトを訪れると、闘病記あり、死亡通知あり、次の代に移行したページあり・・で時の流れを教えられる。我が家のコーギーでいえば、親のアンは2001年に亡くなり、こどものアールがいま12歳で車椅子だ。私のページではコーギーについては過去の思い出だけで新しい情報を発信していない。それでもコーギーのページはまだ維持していたいところ。新年に合わせてコーギーリンクも何らか更新しなければと思っている。リンク先は出来る限りそのまま続けたいが、親しかったコーギーが亡くなっていると気が重い。犬の世界でも諸行無常である。
12月29日(月)  <渡りチョウ・・・>
「渡りチョウ」がいることを初めて知った。今日のニュースで「アサギマダラ」という名のチョウが日本から中国・上海に移動したことが確認されたと報じられている。チョウの羽にペンで印を付けて石川県で放したチョウが1600km余り離れた中国で捕獲されたのである。アサギマダラは2000km以上離れた沖縄に渡ることが知られていたから、中国ルートは新発見であるが移動距離はそれほど驚くに当たらないようだ。生息できる温度域が限られるため適当な気温の場所を求めて移動を繰り返すのは「渡り鳥」と同じであるが、それにしても「蝶々(ちょうちょ)」である。ところで渡り鳥は渡りチョウよりよく知られているが、やはり実に不可思議な能力を持っている。ツバメのような日本で夏を過ごす(繁殖も行う)夏鳥がいるかと思えば、オオハクチョウやマナズルのように越冬するために日本に飛来する冬鳥もいる。鳥の種によって微妙な”適温”の違いがあるのは分からないではないが、何千kmの距離を本能として装備されたセンサーを駆使して移動するのは真に驚異である。方向は太陽や星で決めるのか、位置をどう認識するのか。地磁気を感知するとの説もあるが一点までを識別できるのか・・。渡り鳥の中には3万kmを超す移動が確認されているものもあるという(地球一周で4万kmだ)。それほどまでして「適温」を求めるならば地球温暖化になれば生息地も変わらざるを得ないだろうが、出来るのだろうか・・。渡り鳥や渡りチョウが地球の変化に一番敏感かも知れない。
12月30日(火)  <汁粉(しるこ)と塩昆布・・・>
汁粉(しるこ)と塩昆布の組み合わせは絶品である。夕刻、めずらしく妻がお茶の代わりに”おしるこ”をつくってくれた。これに塩昆布を合わせて食べると年末の疲れも吹っ飛んだ。正月に先駆けて年末の汁粉もまたいいものである。小豆(あずき)を甘く煮てお餅などを入れる「汁粉」は日本の各地やそれぞれの家庭で色々な作り方があり、また呼び名も異なるようだ。今日食べたのは”つぶ(粒)あん”であるが、"こし(漉)あん”や”つぶしあん”もある。よく話にきく「小倉汁粉」は”小倉あん”。これは小豆の粒々が京都・小倉山に点在する紅葉の様を連想させるとして”つぶあん”を用いる(実際には粒あんに漉しあんを混ぜるともいう)。「ぜんざい(善哉)」という呼び名もまた地方によって異なるニュアンスを持つようだ。関西で「ぜんざい」とはつぶしあんや粒あんを用いたもので「しるこ」とは漉しあんを指すという。関西流に言えば今日は「ぜんざい」を食べたことになるのかも知れないが、そんなことはどうでもよい。ただ味だけは仏教語である「善哉」の言葉通りに「すばらしい」、「実によい」。
「今日の作品」に「 生け花by 花器”Q”(陶芸+α) 」を掲載した。陶芸の飾りもクリスマスから正月へ変身・・。


12月31日(水)  <大晦日の夕方、月と金星が接近・・・>
大晦日の夕方、月と金星が接近している空が美しかった。夕方5時過ぎにアール(コーギー犬)と散歩の途中、西の空でくっきりと輝く月と金星を見つけた。月は三日月より少し光が多い程度(月齢は3.6)で光っている方が下になっているので"ニコリ”とした口に見える。金星は丁度左の目の位置に相当する場所で輝いていたのである。12月1日頃には、今夕と同じ月と金星の接近に加えて木星が右目の位置で輝き「空が笑っている」と話題になった(=ここ=に記事と写真がある/写真はクリックで拡大できる)。・・さて、まもなく2008年が終わる。ニコリと笑える一年間ではなかったが、とにかくも、犬と散歩に行くことができる、月や星を眺めることができる、ホームページを更新することができる、妻と一緒に庭掃除をすることもできる。こんなことが一つ一つありがたいと思うようになった。何より年越しそばをおいしく食べられることに感謝である。

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