これまでの「今日のコラム」(2009年 4月分)

4月1日(水)  <時は流れる・・・>
時は流れるとは言い得て妙。世の中のありとあらゆる出来事、全ての人の喜怒哀楽は時と共に過去となる。時は二度と戻ることはないし、流れは留まることはない。・・今日は月が変わって4月・卯月。この一ヶ月、3月が何と速く過ぎ去ったことか!いや、逆かも知れない。半年、一年を経過したように長く感じたのか・・、訳が分からなくなった。とにかくも4月を迎えることができただけで感激している。こんな4月の初めの日、半日"コレルリ”を聴いた。コレルリ(1653-1713)はイタリアの作曲家でヴィヴァルディやヘンデルより更に一時代前に活躍した音楽家だ。300年前にコレルリが作曲し、現代のヨーロッパの演奏家が数年前に演奏し、そして今、東京の一室でこのバロック音楽を聴いている自分がいる事実に気がついて、時は流れるけれども時間とは、歴史とは、人が成すこととは何だろうと感慨を覚える。コレルリはまさか自分の曲が300年後に遠く東洋の島国・日本で人を癒すとは想像もしなかったに違いない。私たちが手にした今日の流れを未来の人が飲むこともある。時は流れながら未来へもつながっている。
4月2日(木)  <この日、17時24分・・・>
この日、17時24分、息子が息を引き取りました。享年38歳6ヶ月。一年間、闘病(肺癌)の末の静かな最期でした。このコラムで病気のことを一切書かなかったのには理由があります。息子は自分のブログで病には決して触れることなく病床でもパソコンを使って明るく楽しい話題を提供していました。彼のそういう美学に習おうと思ったのです。・・落ち着きを取り戻すまで、このコラムはしばらくお休みさせていただきます。
4月8日(水)  <願はくは 花の下にて・・・>
「願はくは 花の下にて 春死なん その如月(きさらき)の 望月(もちつき)のころ」。800年以上前に西行法師が詠んだこの歌が切なく思い出される。まさに満開の桜のもとで息子の葬儀は執り行われた。あわただしい別れの行事が終わって三日経ったいま、日常の生活に向けて舵取りを始める。思えば38歳の生涯を閉じた彼の人生は充実していたのは間違いない。年齢とは関係なく実に多くの人に勇気や元気を与えていた。悲しみ、嘆き、悔しがるよりも彼の発したパワーをとらえて前向きに進む方が彼は喜ぶだろう。 「散るを見て 帰る心や 桜花 むかしに変はる しるしなるらむ」(西行)。
@新宿御苑

4月9日(木)  <七七日(なななのか)・・・>
七七日(なななのか)の法事の日を決めた。七七日はいわゆる四十九日(満中陰)。四十九日の日は命日を含めて七日ごとに数えるから自ずから決まっているが法要の日を決めたのである。初七日は本来は昨日・四月八日であったが葬儀の折に既に済ませた。・・こんなことから七日、一週間の意味を改めて考える。法事の七日周期は仏教発祥の地・古代インドの七進法に起源があるようだ。現在の暦の一週間、七日の単位は七曜(=火星、水星、木星、金星、土星、+太陽、月)がもとであるが、人のリズムとしては七日は最も生活に馴染みやすい周期に思える。それにしても初七日までのわずか七日間に何と多くの流れがあったことか。死に接すると必然的に生を考える。そして仏教信者でなくても魂を思う。同じ七日間でも密度の濃さによって全く意味が違ってくるように、人が生きた印もまた期間でなく内容であるのだろう。
「今日の写真」は、しだれ桜を背景に「車椅子のアール」
2009-04-09@代官山・東京

4月10日(金)  <現代のお鈴(りん)・・・>
現代のお鈴(りん)にはユニークな”優れもの”があることを初めて知った。「おりん」は仏具の一つで「お鈴」あるいは「お輪」と書く。一般的にはお椀(または鉢)の形状で分厚い布団の上に置かれている。棒で叩くとチーンと音がする誰でも目にしている例のものである。音をさせて手を合わせると故人と話が通じているような気持ちになる。仏具屋さんで、はじめは従来品相当(例=ここ)しか見ることが出来なかったが、その内に現代風のニュー「お鈴」を出してくれた。ほぼ球形のお鈴で、布団の上に置くのでなく中央に支点を設けているために軽く叩くだけで球体が揺れる。この際に音が微妙にゆらぎ、しかも長い時間余韻が続く。デザインも合わせてすっかり気に入って手に入れた。今はお鈴を叩く度に満足感に浸りながら、澄んだ余韻の中で息子と会話している。購入した後にインターネットでこのお鈴は2005-2006グッドデザイン賞を受賞した高岡銅器の製品であることを知った。ここのホームページではこの「おりん」の音まで聴かせてくれる(=ここ)。
4月12日(日)  <娘がニューヨークに帰国・・・>
娘がニューヨークに帰国した。娘は亡くなった息子の唯一人の姉として遠路はるばる駆けつけて(ではなく飛んで来て)くれた。葬儀の後の諸々をも何かとサポートしてくれて息子の妻も私たちも大助かりであった。娘は肉親であるが葬儀の折に息子の何人かの友人は海外から参列してくれた。ロスアンジェルス、ロンドン、北京、台湾などから来てくれた息子の友人たちはみな働き盛りである。国内でも東京の葬儀に北海道、福岡、徳島、岐阜あるいは神奈川や千葉からも大勢参列いただいた。距離の問題だけではなく大変ありがたい参列者ばかりであったが、勿論、参列したくてもどうしても都合がつかない方々も含めて、実は葬儀の場ではじめて息子の交友の広さを知った。そこには義務とか上下関係、損得などでは考えられないつながりがあった。人の友情とは、生き方とは、価値観とは・・、いろいろなことを息子は考えさせてくれる・・、合掌。
4月13日(月)  <公共の規則を変える・・・>
公共の規則を変えるのは容易ではない。民間の会社であると「改善提案」制度などで提案すれば良い内容であれば即採用するところもある。今朝、犬の散歩の時に交差点の信号機の設定についてその場にいたお巡りさんと話をして面白かった。この交差点は三叉路にもう一つ狭い道が交差するのであるが、4メートルほどの狭い道に歩行者用の信号がある。不思議なことに歩行者信号が赤で反対の自動車信号も赤(車は右折も左折不可)になることがあり、その時間は横断歩道に人も車も入れない(その時は歩行者横断とすべき)。お巡りさんにこのことを話したら時々指摘されるのですよと承知していた。現場のお巡りさんの役目はそれでも信号無視がないかを取り締まることだ。信号の故障などは所轄の警察署が面倒を見る。けれども信号の設定についての「提案」は地域の役所などで必要と認めなければ変更することはない。”一部の人”の意見では先ず取り上げられない。現場をみれば明らかなミス(ちょんぼと言ってもよい)でも規則は規則になる。お巡りさんは"事故もありませんし・・”といっていた。確かに”規則”のために多くの人の時間が浪費されても事故が増える訳ではない。信号については設定を少し修正するだけで自動車の流れがはるかに改善されると思うケースは他でも多い。これは役所の改善を待つよりも技術の問題としてその場の状況に応じて調整する"利口な"信号を開発する方が早道でありそうだ。
4月14日(火)  <ケイタイを必要としないのが平穏・・・>
ケイタイを必要としないのが平穏なのかも知れない。葬儀を終えたあと急にケイタイを使用しなくなってそんなことを思う。一月の中旬に家族交代で病院に詰める体制にしたときケイタイを準備した。それ以降、二ヶ月余、約70日間でメール送信、受信の数はそれぞれ440〜450通に及んだ(記録を見ることが出来る)。それ以外に電話の回数がある。自ずからケイタイの色々な機能も覚えることになり改めて今のケイタイの優秀さに感心した。しかしながらケイタイを必要としない生活が一番よい。ケイタイは便利であるが持たずに生活できればそれに超したことはない。そういえば病床の息子がパソコンの使用を止められた後、一時、専らケイタイで彼の妻や外部と連絡をとっていたことを思い出す。その時はお互いにケイタイが必需品で最新型の私のケイタイを見せて自慢をした・・。
4月15日(水)  <友人の個展・・・>
友人の個展にいった。展覧会と名の付く催しに顔をだしたのは久しぶりで新鮮な空気を存分に吸い込んだような爽やかな気分となる。友人は建築家で余技としての水彩画、鉛筆画、木工などをまとめた個展。全体に無理して気張ったところがなく抑制された色調や鉛筆の白黒が心地よい。無心というか雑念がないというか、自然体の描き方が何より見る人に安心感を与え、癒されることを実感する。一方で鉛筆画を機械でコピーすることによって生の鉛筆画にない線の趣・風情を作った上で軽く彩色するという新技法も面白かった。やはり他人(友人でも知人でも)の創作に接することは自分にとって一番の刺激剤になる。また絵を描きたくなった。また陶芸で新しい形を創ってみたくなった。
4月16日(木)  <立方体アクセサリーA・・・>
「立方体アクセサリーA」(陶芸)を「今日の表紙」に掲載した。これは一辺20mmの立方体を粘土で作り、サイドの4面にイニシアルやローマ字の名前を彫り込んだもの(完成品は15%ほど収縮する)。上下の面には紐(ひも)などをつなぐための穴をあけ、中心部には球体が埋まってるような形状としている。小物なので家の電気窯で焼成した。このアクセサリーシリーズは特別の作品。つまり病床の息子の側で長時間付き添っているときに機会をみて制作したものである。勿論、削りかすの処理や衛生には万全の注意を払った。毎日少しずつでも作業をするとその内に仕上がる。家族や親戚のイニシアルから始まり、HやMなどの対称型シリーズ、文字なしの構造体など気がつくと合計16個出来上がっていた。今日掲載したのはその内の3個(写真の影がよくない。次回の撮影では改善する)。用途は首飾り(ネックレス)用に仕上げることもできるが大部分は「ケイタイ用のストラップ」か「キーホールダー」の飾りにするつもりである(男性用にもなる)。私のケイタイにもTとHの文字を彫り込んだアクセサリーをつけて常時"携帯”することにしよう・・。

4月17日(金)  <好きな仕事を一生できる人・・・>
好きな仕事を一生できる人は幸せだ。画家はその希な職業であるけれども、画家の中でも本当に自分のやりたいテーマを持って描き続けられる人は限られる。今朝のNHKテレビに83歳になった安野光雅さんが生出演されているのをみて安野さんこそ際限ないテーマをみせながらいつまでも我々を元気づけてくれる希な画家だと思った。私は以前から安野さんの大ファンで画集も数え切れないほど持っている。安野さんは画家としてエリートコースを歩んだのではない。教師をやりながら絵本作家としてデビューしたのは42歳であったという。ユニークな絵本でまず外国で評価を受けたのも"日本画壇”ではありそうな話だ。安野さんで驚くのはその広範囲な好奇心。各所に科学や数学への造詣の深さがみられる絵本やだまし絵など不思議の世界をみせるもの、即興詩人、平家物語、三国志など物語絵巻、世界各地のスケッチなど描く対象は止まることを知らない。超難関の芸術大学を卒業したエリート画家が自分が何を描きたいのか分からずに悩むとか、市場調査をして売れ筋の絵画を描くという話を思い出して、対極にある安野光雅さんを思う。描くことに限らず、好きで好きでたまらない仕事をしている人が周囲をも幸せにする。
4月18日(土)  <輪廻(りんね)の思想・・・>
輪廻(りんね)の思想がどうしてできたか深くは知らないが、人が何度も転成して生まれ変わると昔の人間が考えた経緯は理解できないではない。輪廻は輪を描いて廻る車輪のように無限に転成を繰り返す生命のほんの一瞬(一期間)が自分の生とみなす。他の生物に生まれ変わることもあれば人の生を受けることもある。あれほど華やかに咲き誇っていた東京の桜はもう散ってしまった(今は遅咲きの八重桜が咲いている)。散り際の見事な桜を惜しむ一方でまた来年は必ず花を咲かせる季節の繰り返しが一種の輪廻に思えることがある。室町〜鎌倉時代の武士で僧侶かつ歌人であった西行は桜の歌を200首以上詠んだが散る桜の歌も多い。無常観を詠う一方で"また咲く”ことに触れる西行の心情は興味深い。「散る花を 惜しむ心や とどまりて また来む春の 誰になるべき」、「散る花も 根にかへりてぞ または咲く 老いこそ果ては 行方しられね」(西行)。
4月19日(日)  <巨大な蜘蛛(クモ)・・・>
巨大な蜘蛛(クモ)を見に横浜ベイサイドへでかけた。私がその種のメカ的オブジェが好きなことを知っている知人がこの催しを教えてくれたのである。フランスの西海岸、ロワール川河畔の都市、ナント市(人口28万人、パリからTGVで2時間)では巨大な生物オブジェというか二階建ての建物より大きな機械仕掛けで動く動物(クモ、象、人形など)が道路を練り歩くのが名物のショーとなっている。私の知人もこれを見るためにナントへ出かけたりする。今回、巨大クモが遠路はるばるナントから横浜へやってきたと言う訳だ。インターネットのYouTubeでは見たことはあったが(クモ=ここ、他=ここ)、横浜の赤レンガの側を通る実物の”巨大蜘蛛”は想像以上に迫力があった。技術的に見れば日本でも巨大蜘蛛相当の機械ロボットは十分にできるとは思うが、さて誰がお金をだしてくれるだろう。それと全体のデザインがやはりよくできている。あまりリアルな蜘蛛にしないところがいい。大勢の人が乗って運転する具合もよい。日本で作るともっとリアルで乗員も少ないロボットになりそうだ。とにかくも横浜の街には道路を横切る電線も道路標識もなく、この巨大生物が練り歩く事が出来る道があるのがうれしい。

2009-04-19 @横浜赤レンガ倉庫前        操縦席を降りたクルー@日本大通り

4月20日(月)  <雑草の強さ・・・>
雑草の強さを実感するのは雑草取りをするときだ。自分の庭でないがしばらく手を入れなかった庭の雑草取りを手伝いながら今更”雑草”とは何かと思った。雑草とは「人間の生活範囲に人間の意図に反して繁殖する植物(Wikipedia)」とか「利用(鑑賞)価値がないものとして注目されることがない草(新明解/三省堂)」と説明されるが、どちらにしても人間によって勝手に雑草と決めつけられたのが雑草である。利用されない土地に"ぺんぺん草が生えるだけ”と揶揄される雑草の代表格、ぺんぺん草は春の七草の一つ、ナズナ(薺)である。確かにぺんぺん草はどんな場所にでも生育してくる。タンポポ(蒲公英)も生命力が強い。可憐だと思って放置するとあっという間に巨大で除去しにくい雑草となる。強さではドクダミも負けてはいない。イヌガラシ(=ここ)とかカタバミ(=ここ)あたりはまだ名前が分かるが名も知らぬ雑草をゴミ袋に詰めながら、もっと長期間放置するとどんな植物が最終的に支配するのだろうと余計なことまで考える。そういえばフキも雑草のうちなのだろうか。植えもしないのに大繁殖している。フキはさすがにゴミとして処分せずに食用に持ち帰った。
4月21日(火)  <世界が驚いた歌声・・・>
世界が驚いた歌声を動画サイトYou Tubeで聴いた。きっかけは今朝の新聞のコラム欄。珍しく産経新聞の産経抄と朝日新聞の天声人語が同じ話題を取り上げていたからだ。それは英国のタレント発掘番組に出演した無職で独身、47歳の小太りのおばさん=スーザン・ボイル(Susan Boyle)さんが歌い始めたとたんに余りの声の美しさ、歌のうまさに会場は騒然となった様子がインターネットのYouTubeに投稿されたことから始まる。ネット上に歌を聴いて感動したとか涙が止まらなかったなどの反響が広まり、あっという間に、You Tubeのクリック回数は全世界で数千万件に達したという。いまやSusan Boyleさんは超有名人になって容姿の美しい人だけが歌手になる風潮を改めようという社会現象まで起きているそうだ。彼女の出演した番組をみると感動する以外に何か人それぞれに考えさせられるものがある。You Tubeサイト例=ここ<関連動画もみられる>。
「今日の表紙」には「立方体アクセサリーB/携帯用」(陶芸)を掲載した。文字入りアクセサリーを携帯用ストラップ の飾りとしてみた(アクセサリー制作経緯は4月16日コラム=ここ=参照)。


4月22日(水)  <ポルトガル・ウォーター・ドッグ・・・>
ポルトガル・ウォーター・ドッグに関心が集まっているようだ。オバマ大統領一家がホワイトハウスの南庭で生後6ヶ月のポルトガル・ウォーター・ドッグ(名前はBO=ボー)を披露したのが数日前で、その後、この犬種の愛好団体に問い合わせが急増しているという。犬種にも流行がある。日本では古くはスピッツ、シベリアンハスキーなどが一時人気になったが今ではほとんど見ない。我が家でコーギー(今のアールの親)を17年前にいただいて飼い始めたとき、実はコーギー種の名前も知らなかった。しばらくして小泉今日子のテレビコマーシャルにコーギーがでたところでブームのようにコーギーをみかけるようになった。チワワもテレビで人気になった犬種だろう。ところで、ポルトガル・ウォーター・ドッグはどうも日本で飼うには余り適さないようだ。”ウォーター・ドッグ”と言うだけあって水が大好き、泳ぎも得意、何より運動量が豊富であるので広い運動場を必要とする。しかも寂しがり屋でいつも飼い主と一緒にいなければ情緒不安定になる・・。大統領一家には専門の訓練士がいるからこの犬が飼える。ポルトガル・ウォーター・ドッグは”安易に飼える犬ではない”と愛好団体は警鐘を鳴らしている。<この犬種の図鑑=ここ
4月23日(木)  <日本は今よほど天下太平・・・>
日本は今よほど天下太平なのか。不景気だとか政局不安定とかいいながら何もニュースがないのか。草なぎ剛さんが逮捕されたことはNHK全国版のトップニュースで報じるほどの内容なのか。大袈裟な騒ぎ方、大犯罪人のようなマスコミの一斉叩きを見ていると草なぎ君を応援したくなる。暴力を振るったのでもなく、詐欺や大麻でもない。公然わいせつ容疑だと・・。大体、夜中の3時に大酒を飲んで意識のないままに赤坂・檜町公園(東京ミッドタウンの横にある公園で夜中など誰もいない)で裸になっていても、被害を受けた人間などいないだろう。警察はこれごときで逮捕した後、自宅マンションを捜索したとか。少しでも弱みをつかむと図に乗って徹底的にいじめるのはひがみ根性だ。「マスコミ暴力」とともに「警察暴力」をも見極めなければならない。軽犯罪法で逮捕しようと思えばほとんどの人間は逮捕できるという。有名税と言ってしまえばそれまでだが、これしきのことで負けるな。草なぎ君の復活を期待しよう。
4月24日(金)  <久しぶりに陶芸教室・・・>
久しぶりに陶芸教室で粘土をこねた。教室で陶芸の新作を作り始めたのは三ヶ月ぶり。今日制作を開始したのは「ミニチュア版バベルの塔」。ミニチュア版と言っても外形は300mmほどある。バベルの塔は旧約聖書にでてくる"天まで届く巨大な塔”であるので、陶芸で作れる大きさとしてはほんのミニチュアに過ぎない。バベルの塔を陶芸で制作することを思いついた経緯とバベルの塔のペン画などを2月24日、25日のコラム(=ここ)に掲載している。実は2月のこの頃も毎日通院して息子の看病をしていた。病室の一角で看病の合間にアイデイァをメモしたりスケッチのペンをとったものがコラムのネタである。更にその後、陶芸用にバベルの塔の「詳細設計」をやはり病室で進めた。原寸大の全体図は病院の名前の入ったカレンダーの裏に書いた。2月用の大きなカレンダーを使っているということは3月になってから2月のカレンダ−をはがして全体図を書いたことになる。今日、そんな設計図をみながら色々な経緯を思い出していた。これまでになく真剣に気合いを入れて粘土を成形したのは言うまでもない。
4月25日(土)  <昨日は「アルバトロス」の特異日・・・>
昨日は「アルバトロス」の特異日であった。ゴルフをやらない私も日本のゴルフツァーで昨日4月24日に男女そろって「アルバトロス」を記録したというニュースには確率的には考えられないことが実際に起こる不思議さを思う。アルバトロスはパーに対して3打少ないこと。1打少ない場合はバーデイー、2打少ない場合はイーグルというのはご存じの通りだ。パー4のホールでは初打がそのまま穴に入る場合(つまりホールインワン)がアルバトロスになる。ホールインワンは結構経験する人がいるが、ほとんどパー3のショートホールであり、パー4でのアルバトロスはまずでない。昨日のアルバトロスは女子のツァーでは有村智恵がパー5の第2打でアルバトロスを達成した。また男子ツァーでは来日中のニュージーランドの選手(スメイル)がやはりパー5のコース、第2打でアルバトロスとなった。ホールインワンよりはるかに難しいアルバトロスが同じ日に記録されることがあるのだ!ちなみに、バーデイー(birdie)は小鳥、イーグル(eagle)は鷲(わし)、アルバトロス(albatross)はアホウドリと鳥の名前が順に大きくなっていく。更に、パーに対して4打少ないことをコンドル(kondor)というがコンドルは飛ぶ鳥の中では最大である。
4月26日(日)  <このところ本を読まなくなった・・・>
このところ本を読まなくなった。病院で息子の側に常時付きそう体制(家族での交代制)を続けた2月、3月には逆によく本を読んだ。毎日何時間かを読書の時間に当てていた。病室での合間に読む時間と往復の電車の中での時間を合わせると結構読書の時間がとれたのである。古事記から夏目漱石、ゲド戦記に至るまで以前読んだ事のある本の再読もしたが図書館から新たに借りて読んだ本も多い。今になって自由な時間が持てると読書の代わりに手を動かしモノを作っている。机に座るのでなく歩いている。読書ができる幸せは無論だが、読書をしなくて済む平穏もあることを初めて知った。
4月27日(月)  <足湯の意外な効果・・・>
足湯の意外な効果を実感した。早朝、いつものようにアール(コーギー犬)と散歩に出かけたとき何となく腰に違和感を感じたので、家に帰り着いてから珍しく朝風呂ではなく”朝足湯”を試みたのである。バケツにお湯を入れて数分間足をつけているだけで足腰を含めて全身が暖まって気持ちよくなる。これまでにも時々、足湯やったことはあるので血行がよくなるとか気分転換に最適なことは承知している。今朝はその後、習慣に従って「音読カレンダー」を速読した。この日は堀辰雄の文章。声を出してできるだけ速く読むのが、この”日めくり音読カレンダー”なのであるが、今朝は自分でも驚くほど速くすらすらと文章を読むことが出来る。脳が冴えている感じなのだ。いつもの犬の散歩の後に声を出すのと比べると頭の回転スピードが違うという感じだ!風呂でリラックスし過ぎるとどうなるか分からないけれども適度な「足湯」は脳の活性化にも効果がある。
4月28日(火)  <無用の用・・・>
無用の用を説いたのは荘子であるが自分の作品に「無用の用」を持ち出すのは少々不遜かも知れない。作品とは「今日の表紙」に掲載した「フレームH(陶芸)」。写真は寸法比較のため動物の飾りを並べたが反って大きさが分かり難くなってしまった。一辺約30mmの立体フレーム作品である。当初、"箸置き”をイメージしてH文字を入れた立体フレームを制作したが、箸置きにはこのような形態は過剰機能とみて使うのは止めた。今のところ用途未定であるが「一見役に立たないように見えるものが実は大きな役割を果たす」という無用の用を期待している。こんな時に陶芸教室で仲間の一人がすばらしいオブジェを創っていた。私なら何となく穴でもあけて花器になるようにしてしまうというと、彼女は自分も以前そうしたが今回は花も活けられないただのオブジェに徹したと話していた。”花器にもなります”というものよりも「無用」のオブジェの方がはるかに美しくなる。「役に立つ」とは一体どういうことなのか、荘子でなくても深く考察してみたくなる。
 2009-04-29表紙作品
4月29日(水)  <クスノキの下で気を養う・・・>
クスノキの下で気を養うのが日課である。「気」とは気力、元気、勇気の「気」。・・なんて、格好良いことをやっているのでなく、早朝の犬の散歩で丁度クスノキの下が朝陽を浴びるのに絶好の場所なので、1〜2分立ち止まって太陽に向かって大きく深呼吸をするだけである。我が家のアール(コーギー犬)は後ろ足が不自由で専ら車椅子でゆっくりと歩くのが精一杯であるが、陽光を浴びるのは大好きで一緒に気持ちよさそうに朝陽に向かう。私は腹式呼吸をわずか1〜2分繰り返すだけで「気」が蓄えられたように感じるから単純である。頭上のクスノキに目をやると、これまた樹木から気が降り注いでいる。今朝撮影したクスノキを「今日の写真」として下に掲載した。
「今日の表紙」は「フレームH2」を昨日の陶芸小品の続きとして入れ替えた。
<明日は小旅行のためコラム休みます>
2009-04-29@東京・代官山

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