これまでの「今日のコラム」(2010年 7月分)

7月1日(木) <携帯電話の放射線・・・>
携帯電話の放射線がミツバチの減少に影響を与えてるというロンドン発の記事をみてはじめギョッとした。冷静になって考えてみると英語からきたニュースなので誤訳ではないが「放射線」は一般的には「電磁波」と訳すべきだと納得した。確かに電波や可視光線なども広義にとると放射線の範疇に入るので誤訳ではない。けれども一般的に放射線というと電磁波でも波長の短いX線やガンマ線を思う。携帯電話の電磁波に関連して電磁波全般をとても分かり易く解説しているサイトがあった(=ここ、ケータイやテレビ、ラジオなどの電波および可視光線などは「非電離放射線」、ガンマ線やX線などは「電離放射線」と分類されることも書いてある)。さて、ニュースによると世界的にミツバチの生息数が減少していることに関連し、ミツバチの巣に携帯電話を取り付けて毎日ある時間電源を入れる実験をしたところ、ミツバチは蜜を集めず、女王蜂の卵は半減したとか。ミツバチの方向感覚のセンサーに携帯電話の電磁波が影響を及ぼすものと推測されている。現代のように人間があらゆる周波数帯を使って電波通信を行うようになると他の動物が生きる機能として使う交信用の波長に影響を及ぼすことは十分に考えられそうだ。
7月2日(金) <LED付き花器・・・>
「LED付き花器」(陶芸)を今日の作品として表紙に掲載した。これは家の電気窯で焼成した"小物”である。ほぼ同じ形状のものを前に製作して「LEDランプ台」として陶芸コーナーに掲載している(=ここ)。変な話であるが今回はどうしても「LEDランプ台」の名前は付けたくなかった。LEDを見せたいのでなくミニチュアの花器を主張したいから。LEDのランプを点灯すると陶芸作品として見てもらえないことは経験済みだ。私の制作する陶芸には仕掛けものが多いが、仕掛けを見せると見せ物ばかり強調されてしばしばオモチャと同等に扱われる。それはそれで興味を持っていただければうれしいのだが「作品」としてじっくりと見ることがなくなるのは否めない。今日掲載した「LED付き花器」とほとんど同型の作品を先頃スエーデンの友人(エンジニアであった)にプレゼントしたら、エンジニアリング(技術)とアート(芸術)の成り立ちまで言及した上でとても喜んでくれた。自分にしてもアートとは元来技術と結びつくことを認めてくれるとうれしい。今日は陶芸教室で大物作品の釉薬かけをやった。これも大きな仕掛けモノだ。何にしてもゴーイング・マイウェイ・・。

7月3日(土) <今考えていること・・・>
”今考えていること”を書いてみたい。それも政治の話や社会問題ではなく自分だけで頭を捻っていること。それは”超小型扇風機で風を起こすこと”である。陶芸教室で「翼竜型香炉」を制作中で粘土形状はほとんど完成しているのだが、今日香炉制作のベテランさんから翼竜の口から線香の煙を出すには風を送るものが必要でないかとアドバイスをいただいた。確かにその通りで風を送る装置となると、こちらも得意分野なので張り切り始めたのである。超小型といってもファンの径が5mmほどの送風機を作って翼竜の腹の中に装着するのは現実的でない。数cmの羽根をもったファンを翼竜の口の下に置くかな・・とここまで書いてみると「翼竜」用の超小型扇風機なんて我ながら役にも立たないことを考えていると思う。興味がなければ面白くもおかしくもない。けれども、これも”まあいいや”と開き直る。無用であっても他人様には迷惑はかけぬ。無用の用などと大袈裟には構えるつもりもないが・・。
7月4日(日) <今日は「ヒメヒオウギズイセン」・・・>
今日は「ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)」<下の写真>の名前を覚えた。我が家の庭(共同)の隅で見つけた花だが名前を知らなかった。特に面倒を見て育てている訳ではないのにこんな身近に野生の花が咲いている。灯台もと暗し・・。それにしてもほとんど陽も当たらないじめじめした場所でも時節が訪れると自然の力は素敵な花を咲かせる。「ヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)」はアヤメ科の球根草で別名「モントブレチア」ともいうそうだ。元来はヨーロッパで園芸品種として栽培されていたものが明治時代に観賞用として「モントブレチア」の名で日本にもたらされたと説明にあった。今は各地で野生化して繁殖しているとのことであるが我が家の庭にどうして入り込んだか定かではない。いずれにしても生命力が強い「ヒメヒオウギズイセン」。これからは世話はできなくてももっと気をかけてあげたい・・。
2010-07-04@東京・渋谷

7月6日(火) <都心でも大量のアオコ・・・>
都心でも大量のアオコが発生する。たまたま所用で市ヶ谷から飯田橋方面(東京)へ外堀沿いを歩いていたところ、水の色が異常な緑色。一見、川のように見える水であるが流れのない堀であることに気がついた。堀に沿った自動車通りは"外堀通り”と呼ばれるように元来は江戸城の外堀で江戸時代には今の市ヶ谷-飯田橋-四谷-赤坂-溜池-虎ノ門方面までつながっていた。市ヶ谷から飯田橋間の外堀沿いは今は春の桜の名所として知られ。その時期には勿論アオコなど見られない。アオコとは淡水藻類の一種である植物プランクトンが大量に発生したもので水温が20度を超す頃から増え始めてこれから真夏にかけて発生がピークになると言う。アオコといっても種によって有害なものもあれば人間の(食品として)有益な種もあるので一概に毛嫌いするものでもないようだが市ヶ谷濠のアオコがどういう種かは知らない。ただ遠目に見る限りでは緑色の水の色が幻想的な風景画のようで面白かった、中央線の電車が緑の水面に映る姿もfantastic!!<下の写真>
2010-07-06@市ヶ谷壕・東京

7月7日(水) <鴛鴦、麒麟、鳳凰の共通点・・・>
鴛鴦(おしどり)、麒麟(きりん)、鳳凰(ほうおう)の共通点を問うクイズを先日のテレビでみた。モチロン分からなかったけれども正解は共にオス(雄)、メス(雌)を表す漢字を並べた言葉であると知った。この種の知識は"雑学”と呼ばれることもあるが改めて問われると日本人として答えられない日本語は多い。日本語を習い始めた外人が「靴下」は靴中とか靴内と言わずに何故「下」を使うのか質問する。考えたこともないので即答できない<素肌に身につける”下着”と同じ意味で”下”は内側を表す。ズボン下も同じ>。今日は七夕(たなばた)。どうして「七夕」と書いて「たなばた」と読むの・・?<織姫と牽牛が年に一回会うことができる織姫伝説の「棚機津女(なたばたひめ)」と七月七日の夕方が混ざってできた> もう一つ、今日読んだ本「日本人の知らない日本語」にこんなのがあった:「鳩と蚊と鴉(からす)と猫の共通点は?」。正解は「鳴き声」。鳩はクー(九)、蚊はブーン(分)、鴉はガー(牙)、猫はミュウ(苗/中国語)だそうである。

7月8日(木) <ceramic-mobile<陶芸モビール>・・・>
ceramic-mobile<陶芸モビール>を今日の作品として表紙に掲載した。モビールは糸などで上から吊しバランスを取った材料が自由に動く様を楽しむものであるので紙やプラスチック、薄い金属など軽い素材で制作されるのが通常である。そこを今回はあえて陶芸で制作してみた。モビールはバランスを如何に取るかが制作上のキーポイントである。紙などの平面ならばバランスを取るための糸の位置をある程度計算ができるが粘土の立体ではそれをあらかじめ決めることができない。そこで長手方向に7〜8個の穴を設けておいて焼成が終わった後に”現物合わせ”で糸を通す位置を選ぶやり方をとった。今回は写真のようなバランス形状のモビールを完成させたが制作最中に色々と別の応用編も可能であることに気がついた。個々の傾斜具合はカウンターウェイトを付けることにより自在に調整できるし上下の材料を軽く接触させると澄んだ音がする。そう、日本の伝統的な風鈴は一種の音を出すモビールであろう。次の機会には風を受けると涼しげな音を発するceramic-bobileを作ってみようと思う・・。

 7/9表紙写真
7月9日(金) <ストックホルム症候群・・・>
「ストックホルム症候群」のキーワードで茂木健一郎(脳科学者)が現在の日本の若者や社会の閉塞感を論じている記事を読んだ。私流の解釈で言えば今の日本人が社会の不条理に反発して改革しようとか先行きは保障されなくても冒険するなど、志を持って積極的に活動することが消え失せて周囲の出来上がった社会に従順に適合し過ぎることを問題とみる。日本人の我慢強さ、周囲に「過剰適応」するところを既存の社会システムの「人質」になっていないかと「ストックホルム症候群」と関連づけるのである。Wikipedia(Webの百科事典)では「ストックホルム症候群」とは「精神医学用語の一つで、犯罪被害者が、犯人と一時的に時間や場所を共有することによって、過度の同情さらには好意等の特別な依存感情を抱くこと」と説明されている。1973年にスエーデン・ストックホルムで銀行強盗が数人の人質をとって立てこもった。一週間後に人質は解放され解決したがこの間人質が犯人に協力して警官に敵対する行動を取ったり解放後にも人質をかばう行動がみられた(一人は犯人に愛の告白をした)ので、これを契機に”恐怖と生存本能に基づく自己欺瞞的心理”などと解析されて「ストックホルム症候群」と呼ばれるようになったようだ。ところで現代の日本の状況をどうみるか。”社会システムの人質”になって適応しようとする人間はどの時代でも必ずいる。一方でどの時代でもそれを打ち破る人間もいる。社会全体が「ストックホルム症候群」に陥るほど日本人はバカではないだろう。
「今日の表紙」には 「ceramic-mobile<陶芸モビール/平面設置> 」として昨日掲載したモビールの仕組みが分かるように各部品を並べた写真を掲載した。

7月10日(土) <fountain-tower<噴水塔>・・・>
「fountain-tower<噴水塔>」(陶芸)を今日の作品として表紙に掲載した。陶芸では塔を6段の階層に分けて個別に制作し、今日は陶芸教室で焼成が完了した合計6個の部材を喜び勇んで重ねあげて写真に撮った。従って今のところ「噴水塔」としての噴水機能は未だ完成していない。これから内部に水ポンプを設置して最上部に噴水をだして滝のように水を流す計画である。陶芸の土は貫入土(白)を使い粘土の段階で色絵をつけた。外観は少々派手だが思う存分"色”で遊んだ。自分の作品ではこれほど色を使ったのは初めてかも知れない。この種の仕掛けものは陶芸が完成した今からが工作の楽しみとなる。ポンプなどの装置は比較的簡単だが水の流れ落ちる姿がどうなるか・・。滝の流れの具合を完成した時点でまた紹介したい。なお、粘土での完成品写真を以前「制作中の水流パゴダ」の名で掲載した(=陶芸コーナー6/4日分=ここ)が今後名称を「噴水塔」とすることにした。

 7月12日分
7月11日(日) <インターネットでの購入・・・>
インターネットでの購入の便利さを今更感心すると笑われそうであるが今日もまたネット販売のお世話になった。陶芸作品「噴水塔」を掲載したところで昨日噴水用のポンプをインターネットで選定して直ちにメールで注文した。昨日は土曜日であったので実質は明日の月曜日手配となると思っていたら昨日のうちに発送しましたとの連絡が入り、今日の午前中にもう品物が届いてしまった。私はインターネットで購入する機会が少ないので、この程度で感激しているのだが、妻は電気製品、ホテルの予約、音楽会の切符などみんなネットで注文する。だから物が翌日届くことなど当然と思うようだ。物品の購入にはいまやインターネットは不可欠。これを支えるのが安定した宅急便であることを改めて認識する。
今日の 表紙には昨日に続き 「fountain-tower<噴水塔部分>」(陶芸)を掲載。 上から4段までを別個に撮影したもの。

7月12日(月) <今日もまた「噴水塔」・・・>
今日もまた「噴水塔」(陶芸)。昨日の参院選挙で民主党が大敗したとか、サッカーのワールドカップ(南アフリカ大会)決勝戦でスペインがオランダを破り初優勝したとか、ドイツの水族館のタコ「パウル君」がドイツのW杯全試合およびスペイン-オランダの決勝戦、合計8試合の勝敗を全て的中させたとか(二個の貝入りの容器を選ばせる占い/8回全てを正解させる確率は256分の1だ)、何でも話題はありそうだけれども我が道をいって"fountain-tower"。今日は水ポンプを内蔵させて「水を流した噴水塔」の写真を掲載したが、残念ながらこの写真サイズでは水の流れがよく見えない。ポンプで水を流すだけの装置なので簡単に思えるが今回はそれなりに苦心した。はじめ新ポンプを取り付け水量など調整して一旦は完成させが、どうもポンプの音が大きくて気になる。そこで手持ちの別の水ポンプを2〜3個取り出して比較テストをした。結局は音が小さくて(ほとんど運転音が聞こえない)容量も十分なポンプを選んでセットした。「噴水塔」は一応完成させたが、水流を利用して水で廻る水車、シシオドシなど部品を付けるつもりならまだいくらも考える余地がある。これから徐々にでも付属部品を制作していきたい。それにしても"水”の写真は難しい。水の流れは思い切りアップで撮影して部分を見せなければならないようだ。
   7月14日分
7月13日(火) <内助の功・・・>
「内助の功」が選挙でも発揮されるのは間違いない。夫が政治家になると妻は大変である。お嬢様育ちで他人に頭を下げたことがない人でも選挙期間中は平身低頭。妻の印象や働きで票が影響されることは十分にあるのだろう。「内助の功」をWikipedia(ネット百科事典)でみると「家庭において、夫の外部での働きを支える妻の功績」とある。山内一豊の妻が夫の出世を助けた話から来ているのでこのような説明はやむを得ない。ちなみにWikipediaでは「性差別の助長が懸念されるため、現在ではあまり用いられない」と断っている。今回の参院選の最中に私は都内で「夫が妻を助ける」内助の功を二例みた。一人は片山さつきさん。"片山さつきの夫です”といって選挙カーで一生懸命手を振っていた(片山さつきさんは自民党のいわゆる"小泉チルドレン”の代表格の議員であったが昨年9月の衆院選で落選、今回の参院選では自民の全国比例区でトップ当選を果たした。舛添要一氏は離婚した前の夫、今の夫は片山龍太郎氏)。もう一人は蓮舫さん。東京では選挙区をまわれない蓮舫さんに代わって夫の村田さんがビラ配りをして投票を呼びかけていた(民主党の蓮舫は東京地方区でトップ当選)。こんな選挙風景は一昔前にはお目にかかることはなかった。そろそろ「内助の功」に性差をなくした新解釈をつくる時期かも知れない。
7月14日(水) <梅雨明け間近・・・>
梅雨明け間近か。どんよりした梅雨空の10分後には真夏の太陽が照りつける。こんな天候の中、都会でも夏の花が元気よく咲いている。近所に出かけたときハイビスカスを目にしたので写真を撮った。「サマーブリーズ」という品種であることが名札から分かったがハイビスカスも品種の開発競争が厳しく種類も多いようだ。ハイビスカスをみてすっかり夏の気分になったところで別の道を通っていると突如「ヒマワリ」が現れた。夏にはやはり「ヒマワリ」が似合う。日回り、日輪草、向日葵、sunflower(英)、Sonnenblume(独)、tournesol(仏)・・、どんな言葉もみんな"太陽”に向かっている。改めてヒマワリをじっくりと観察していると見ているだけでエネルギーをもらった。ゴッホでなくてもヒマワリの絵を描きたくなる気持ちが良く分かる。
「今日の表紙」に 「噴水塔・突端部改良版」(陶芸+工作)の写真を掲載した。噴水塔も日々進化させている。
 
2010-07-14@代官山/東京

7月15日(木) <代官山にヒマワリ畑・・・>
代官山にヒマワリ畑を発見した。昨日のコラムに代官山(東京・渋谷区)で見つけたヒマワリの花一輪を掲載したが、この花の場所とは別のところ、旧山手通り沿い、ヒルサイドテラスの並び、デンマーク大使館の向かい(&レストランASOの向かい)の位置に都心では今時珍しいほどの広大な土地に全部ヒマワリが植えられているのである。この場所は一年ほど前には整地した空き地でその後昨年末までは「埋蔵物文化財発掘調査」をやっていた(2009-10-15日のコラム参照=ここ=発掘中の写真も掲載した)。それにしても代官山の「ヒマワリ畑」とは何事かと調べてみると「ひまわりガーデン代官山坂」とうヒマワリの種植えイベントの一環であることが分かった。この企画は地元住民が主体となって地域のコミュニケーション作りとして数年続いている行事で、例えば道路予定地で空いているスペースなどにヒマワリを植える活動をしてきたようだ。今年は発掘調査の終わったこの空き地が目玉となったのだろう、5月に地元の小学生、幼稚園生なども参加してタネ植えが行われたとある(=ここ)。7月25〜8月29日までこのヒマワリ畑のスペースは鑑賞期間として開放されるというから次には一面ヒマワリの花が咲いた写真を掲載したい・・。
2010-07-15@代官山/東京・渋谷区

7月16日(金) <ついに老眼鏡・・・>
ついに老眼鏡を買った。元来は近視のメガネを使ってきたが、この数年間は近くを見るとき、つまりパソコン、読書などデスクワーク、それに陶芸などの時にははメガネを外していた。それで何の不自由もなかったが最近は辞書や説明書など非常に小さい文字が読みづらくなったので老眼鏡をつくったのである。今日は陶芸作品「噴水塔」に付属させる小物部品を製作したが、老眼鏡を使うと実に鮮明にみえる。針の穴に細い金属棒を通したり0.1mmの銅板に小細工をするのに老眼鏡がこれほどに役に立つとは・・。今更言うのもおかしいが、老眼鏡を使用すればもっと早く仕事がはかどった。老眼鏡を敬遠していた理由の一つにその名前があるかも知れない。「老眼鏡」とはいかにも老人臭くて嫌な言葉だ。老眼の原因の90%は加齢によるにしても・・。ちなみに「老眼鏡」の英語は、readingglasses とか、farsighted glasses(=遠視メガネだ)で老人を指す単語は入っていない。・・ここでハタと気がついた、和製英語で「シニアグラス」という言葉がある!やはり名前の問題ではなく今にならないと「シニアグラス」を使うこともなかったようである。
「今日の表紙」に上部から見た「噴水塔」の写真を掲載した。


7月17日(土) <マキビシ・・・>
「マキビシ」ときいて直ぐに分かる人はかなりの忍者マニアだろう。マキビシ(撒菱)は忍者が使用する道具の一つで逃走する際にばら撒き追っ手をひるませる。四方に針のついた三角錐の形なので撒いた場合に必ず刃が上部を向く優れものだ(写真例=ここ)。今の時代に鉄製の撒菱が道路に撒かれると自動車のタイヤをパンクさせるので大使館の警備などで暴走する車を防ぐ用途で同類の道具が使われることもある。忍者は元来水草のヒシ(菱/菱形はヒシの実の形が語源)の実を乾かして撒菱を武器としたと言われる。確かにヒシの実には鋭い棘(とげ)がある(=ここ)。さて前置きが長くなったが、ニューヨークから帰省した娘家族が伊賀上野にいって孫娘がゴム製の「撒菱」を土産に買ってきた。それを見て突如閃いた。孫娘に頼み込んで撒菱を一つ譲ってもらい陶芸作品の噴水塔で使用する水車の「台」としたのである(高さほか調整可能)。「今日の写真」として撒菱台水車を下に掲載した。撒菱は水の中に自由に置くことができるし安定しているのでいい。
2010-07-17噴水塔用の水車/撒菱台

7月18日(日) <ハエ・・・>
「ハエ」を見なくなった。・・と書き出して「」と言う字も書けないことに気がつく。この際、「蠅」の字を覚えようとしたが書き順がまた難しい(書き順サイト=ここ)。一方で今日はさんざん蚊に食われた。途中から蚊取り線香を二つも焚いて作業を続けたが既にたっぷりと血を吸われた後であった。都会は蚊の生育には支障がなくても蠅にとっては住みづらいようだ。・・今日、NHKテレビの俳句番組を見ていると「蠅」が題になっていた。私も子供の頃には蠅は日常であった。天井から吊すタイプのハエ取り紙なども懐かしい。それにしても今の時代に都会ではほとんど縁がなくなった「蠅」のタイトルでどんな俳句を作るのか興味があった。ところがさすがに俳句を作る人は巧みだ。特選の句が気に入った:「幽霊も 蠅も見たこと なく育ち」(田村治子さん作)。

7月19日(月) <太田記念美術館・・・>
太田記念美術館で「北斎とその時代」を見てきた。この美術館は浮世絵の美術館として知られるが今回は葛飾北斎生誕250年を記念して特別展を開催中(25日まで、案内=ここ)。東京・JR原宿駅から徒歩3分ほどの場所にあり、休日で混雑する竹下通りの近所でもあるにもかかわらず美術館の中は落ち着いた雰囲気であった。葛飾北斎(1760〜1849)については今更書くまでもないが、90歳の天寿を全うするまで一画工として存分に生き、生前多くの弟子をかかえ浮世絵師として名声を得ていた。それにしても真の評価は後世、残された作品(版画、肉筆画、絵本etc.)によって決定づけられたと言っても良い。特に近年になると世界中の多くの芸術家が北斎の影響を語る。10年ほど前、米国の雑誌が「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」の中に日本人としてただ一人北斎を選んだのも頷ける。私自身、個人的な北斎ファンであるポイントをあげると、先ず年齢がいくつになっても決して「変化」を恐れなかった生き様。生涯で名前の改号30回、転居93回はさておき、名作「富嶽三十六景」は70歳を超えてからの挑戦作品だ。それから世界が認める「真の創造性」。権威者におもねることもなしに自らのオリジナリテイー(大胆な構図、意表を突く表現、比類なきバランス感覚etc)をいくつの歳になっても発揮した
。ちなみに今回の展覧会で北斎の一連の版画を見た後、広重(歌川広重)の版画が並んでいたが、広重が可哀相になるほど力がなく平板に見えた。もし北斎が70歳(50歳なら尚更)で生涯を終えていたら世界に誇れる日本の宝物(遺産)の多くが生まれていない・・、こんなことを云える人物は他にいないのでないか。
「今日の写真」は原宿に行ったついでにお詣りした明治神宮での写真。北斎を見た後であったので神社の背景に富士山ならぬ「ドコモタワー」をあえて入れてみた。
2010-07-19@明治神宮

7月20日(火) <植物との共存・・・>
「植物との共存」は言うほどに簡単ではない。農業や林業にたずさわる人にとっては雑草や雑木との戦いは死命かけた真剣勝負であろう。一方都会では、街路樹や公園の樹木、コンクリート壁の葉、屋上の植物、庭の草木など「緑」で豊かな気持ちになるが、これはきっちりと植物の面倒が見られていることが前提である。定期的に人間が剪定を行い雑草を除去し枯れ落ちた葉などを清掃してはじめて「美しさ」がでる。自然の成り行きに任せた植物は脅威であり、とてもグリーンはいいなどと言っている余裕はない。都会の中の空き地で背丈1m〜2mに成長した雑草が覆い尽くしている姿を時々見かける。かつては洒落た庭であったと思われる家の庭が手入れをされずに荒れ放題になっていることもある。家までお化け屋敷に見えると思っていると大抵は売りに出される。以前このコラムでも書いたことがあるが東京やニューヨークのような大都会でも仮に人間がいなくなると何十年かすると植物で覆われジャングルとなるというシミュレーションがあった。植物といっても範囲が広いが、地球上で生存する適合性から見ると人間よりも植物の方がはるかに生命力があるのでないか。人間の優しさだけでは植物をコントロールできない。植物と共存するにはまず植物の怖さ、強さを知るべきであろう。
「今日の作品」にまた「 fountain-tower/噴水塔・部分2」(陶芸)を掲載した。猛暑の中、噴水は流れ続けている。


7月21日(水) <涼風(すずかぜ)の・・・>
「涼風(すずかぜ)の 曲がりくねって 来たりけり」(一茶)。今日は東京でも36.4度を記録した猛暑日。直射日光を受けるとさすがに焼き付くような暑さであるが、路地裏の影にはいると暑さの反動か、むしろ涼しい風を感じる。一茶が冒頭の句を詠んだのも暑さの厳しい真夏であったに違いない。一茶の句からは更に風鈴の音まで聞こえてくる。もう一つ夏の俳句で少々品はないがこんな句がある:「学問は 尻からぬける ほたるかな」(蕪村)。「尻からぬける」とは物忘れの早いこと、「ほたる」は蛍の光や窓の雪明かりで勉学に励んだ”蛍雪の功”の故事、あるいは同類の「「車胤聚蛍(しゃいんしゅうけい)」の故事(車胤が蛍を集めてその光で勉学に励んだ)の「ほたる」。蕪村はこの句に書物を脇に居眠りをする男(自分?)の絵を添えたという。酷暑の中で余り張り切りすぎることもない、ほどほどにと慰めてくれているようにも思える。元より抜け放題に抜けているが、蕪村に習って頑張らずにたっぷり睡眠を取ることとしよう。

7月22日(木) <鏡に映った自分の裸・・・>
鏡に映った自分の裸をみて愕然とした。元より自分の裸体をみる趣味などないし、鏡よ鏡(Mirror,mirroron the wall・・)と鏡に問うてみるほど自惚れて(うぬぼれて)もいない。それにしても鏡を見ないから自分のことも分かっていないところがある。先ず裸になると両腕と顔が異常に日焼けしている。これは普段服にかくれている肌の色と比較するとひどく目立つ。そういえば今日も猛暑の中を2時間ほどテニスをした。今日は岐阜で観測史上最高の39.4度を記録した猛暑日。東京でも34〜35度にはなっただろう。最近は熱中症の危険性ばかり強調されるので、こんな日に屋外で運動する人は少なくなった。勿論無理をせず水分補給にも気をつけるが今日は確かにいくら汗を拭いても続けて吹きだしてきた。こんな状態では日焼けは当然だ。日焼けした姿は無様ではあるが体調に問題がなければよしとする。日焼け以外に、裸の自分をみることによって姿勢や骨格、肉付きなど"我が身の現実”を知った。これからは「鏡よ鏡」をもっと活用しようか・・。
7月23日(金) <カラスのいたずら・・・>
カラスのいたずらにあった。今、表紙の写真でも掲載している陶芸作品「噴水塔」は家の中で飾れないので庭に置いている。これに取り付けている「水車」の模型が突如消えたので探すと2〜3m離れたところに転がっていた。接着剤で接続していた部分は外れておりかなりの力で振り回した形跡がある。カラスを疑ったのは少し前に噴水塔の側まで来て苔などをほじくっていたからである。更によくみると同じく屋外に並べていた楽茶碗や抹茶茶碗を使った鉢が3個もひっくり返されている。植えていた植物が引き抜かれていたり苔がほじくり返されたり散々である(前の状態=陶芸コーナー3/14分参照=ここ)。いたずらカラスは選りに選って私の作品に目を付けた。なかなか眼力があると褒めておくが、いたずらを繰り返すようなら許さない。こんなカラスのいたずらは昨年まで犬が走り回っていた頃には考えられなかった。私は子供の頃に田舎で"カラスの赤ちゃん”に餌をやって育てた経験がある。人間のいたずら餓鬼がカラスの巣からカラスの赤ちゃんを盗んできたのを引き取って一生懸命に餌をやったのである。大きく成長して懐(なつ)いていたが、やがて山に帰っていった。カラスも慣れると人を識別して親しい人の肩に留まったまま散歩をしたりする。カラスと人間の関係がもう少し友好的になればいいが、今はお互いに余りにゆとりがなさ過ぎる・・。
7月24日(土) <バイオミミクリー・・・>
バイオミミクリーという言葉を目にするようになった。「バイオミミクリー」はBiomimicryをそのまま日本語にしたものだが「生物模倣技術」と訳されることもある。生命、生物のBioと物まね、擬態などの意を持つmimicryとを組み合わせた造語である(mimicは物まねの、模倣の)。自然界特に生物を模倣する科学技術は別に最近始まった訳ではなく有史以来人間の知恵は自然から学んだと言ってもよい。水中での効率の良い動きは魚から学び、鳥を模倣して飛行機をつくった。最近になってバイオミミクリーという言葉を使って改めて生物に注目しているのは行き詰まった技術を突き破るためにいわば基本に返って生物(自然)にアイデイァを求めたのであろうか。今日のCNNニュースにでていたバイオミミクリーの事例を二三挙げてみる:「コウモリの超音波による位置特定能力をロボットに応用」、「アリ塚の換気システムをモデルにして建築物の冷暖房省エネを計る」、「ハチの羽を模した風力発電用のタービンでエネルギー効率30%アップ」など。それほど画期的な技術でなくても生物を模倣するネタは無限にありそうだ。

7月25日(日) <人生五十年・・・>
「人生五十年 下天(げてん)の内をくらぶれば 夢幻の如くなり ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか・・」。織田信長が好んだとされる幸若舞(こうわかまい)、「敦盛」の一節であることはあまりにも有名だ。奇しくも信長が本能寺の変で命を落としたのは49歳(数え年)であった。現代では「古稀」(70歳)は全く"古代希なり”ではないし、喜寿(77歳)は特別お祝いをするほどのものではない。88歳の米寿となると少しはお祝い気分になるとしても、日本の女性は平均寿命で86歳(世界一)だ。一概に"お年寄り”といっても千差万別。歳をとっているだけで尊敬もされないし、むしろ今は歳のとり方が難しい時代かも知れない。今日のNHKテレビで99歳で処女詩集「くじけないで」を出版し、驚異的なベストセラーを記録中の柴田トヨさんの話題が紹介されていた。90歳を過ぎてボケ防止にと息子さんから勧められて詩を書き始めたトヨさんの詩は多くの人に勇気を与え共感を呼んでいるという。以前のコラムで、米国の画家、グランマ・モーゼスさんが70歳から絵を描く始めたこと(101歳まで)や103歳の女性のちぎり絵展のことを書いたが(2010-5/27コラム=ここ)、今回もまたすばらしいお年寄りは女性である。男性は(意味のない)”過去の栄光”にとらわれすぎるのか自分を変化させる融通性に乏しいのか、こうしたお年寄りの事例にほとんどお目にかからないのがさびしい。

7月26日(月) <久しぶりに「mieuへの絵手紙」・・・>
久しぶりに「mieuへの絵手紙」を描いて表紙に掲載した。ニューヨークに住む孫娘mieuは夏休みの今セントルイス(ミズーリ州)の友達のところに行っているようだが妻が絵手紙の裏に宛名と文章を書いて送ってくれる。今日描いた絵手紙は尾形光琳の躑躅図(つつじず/重文)を模写したもの。本物を見ながら描くわけでもなく、原画と同じサイズで描くのでもないので「模写」というのもおこがましいが、それでも同じように描こうとすると隅々まで元の絵を観察することができる。この絵は川に向かってせりだす赤いツツジと手前に隠れるように咲く白いツツジを配して水墨画風に簡素に仕上げられている。絵はがきに写す程度の模写とは比較にもならないが、尾形光琳が俵屋宗達の「風神雷神図(屏風)」を模写した有名な作品がある(宗達のが国宝、光琳のが重文指定)。ここでは光琳は風神、雷神の輪郭線を全く同じに描いた。それでも表情や目の位置など独自の工夫を加えて光琳の「風神雷神図」を完成させている。更に江戸末期には酒井抱一が信奉する光琳の風神雷神図を模写し三番目の「風神雷神図」を作り上げた<酒井抱一は風神雷神図を光琳のオリジナル作品と思っていたという。この間の解説=ここ=に詳しい>。本当に感動する対象についてはプロフェッショナルの画家でも「模写」したくなるようである。こんな話を知ると元来は独創性が好みである自分としてもたまには”写し”から学ぶのは悪くないかと思う。


7月27日(火) <数学者の頭脳・・・>
数学者の頭脳はどうなっているのだろうと畏敬の念を持ち続けているが、更に数学者には金銭欲とは無縁な人格者で爽やかなイメージがある。先日、数学者の森毅さんが82歳で亡くなったというニュースを見て、一昔前に数学とは別の評論とかエッセイの分野で活躍されていた時代のお姿を思い出した。著書のタイトル:「ベンキョーなんか、けっとばせ!」。「まあ、ええやないか」、「なんでもありや」などで分かるように豪快な人柄で歯切れの良い論調が気持ちよかった。合掌。奇しくもモリツヨシさんと名前の調子まで似ている大数学者オカキヨシ(岡潔)さんは森毅さんの18年ほど先輩に当たるが私は岡潔さんから著作などを通してより影響を受けたかも知れない。岡潔さん(1901〜1978)は数学の分野では多くの世界的な業績を残しているが単に研究に留まらず、ノーペル賞を受賞した湯川秀樹、朝永振一郎が共に京都大学の学生時代に岡潔の数学の授業がずば抜けて刺激的だったと回顧するほど教育でも情熱的だったという。岡潔もまた数学以外の著作に名著が多く、「春宵十話」など今読んでも新鮮な内容ばかりである(インターネットでは松岡正剛の「春宵十話」=ここ=で一部内容に触れることができる)。考えてみると、小川洋子のベストセラー小説「博士の愛した数式」の主人公も数学者(映画化されたのも見たが面白かった!)、今年のベストセラー(=本屋大賞)の「天地明察」<作者冲方丁(うぶかた とう)>の主人公・渋川 春海は天文暦学者であるが今で言えば関孝和と同じ数学者でもあろう。「数学」にはどこか「文化」の香りがする。

7月28日(水) <青の洞門・・・>
「青の洞門」には行ったことがない。けれども、一人の僧侶が「ノミと槌だけを使って30余年の歳月をかけて完成させた」逸話ある青の洞門(大分県中津川市の県指定史跡)のことを今でも根気のいる作業をするときに思い出す。今日も切れないヤスリでチビチビと陶器を削っているときにほんの少しでも削れていればやがては目的を達成できると作業を続けた。子供の頃に読んだ青の洞門の話の影響は絶大である。もっとも青の洞門を掘った禅海和尚の逸話を元にした菊池寛の小説「恩讐の彼方に」を読んだのか、青の洞門の話を聞いただけなのか定かな記憶はない。「恩讐の彼方に」では主人を殺した主人公(市九郎)が出家して全国行脚の旅に出た末に豊後の国で難所の岩場を掘削して事故で命を落とすものを救う誓願を立てる。遅々としてすすまぬ掘削工事。やがて成人した主人の息子が親の仇を突き止めたが洞門の開通まで仇討ちを延ばすこととして一緒に最後の穴を掘り続ける。実に掘り始めてから21年の歳月を経て洞門開通。そのとき仇討ちは・・。インターネットでは新仮名遣いとなっているので意外に読みやすくて面白い(「恩讐の彼方に」=ここ)。・・ようやく穴を開通させた私の陶芸作品をみて妻が言った:”電動ドリルがあるのだからダイヤモンドカッターを買ってきてドリルでやればいいのに・・”。そう、禅海和尚が掘った青の洞門とは別に今は自動車も通る立派なトンネルができている・・。

7月29日(木) <象印のサポートがすごい・・・>
”象印のサポートがすごい”・・今日、我が家ではこれが単なる伝説でなく真実であることを体験した。我が家の事例は長年使っていた大小二個の魔法瓶。以前から横にすると中味が漏れるのでひっくり返さないように注意して使用してきた。夏場には冷水をいれて魔法瓶を使う機会が増えるので妻が象印マホービンのサポートセンターに電話をしてパッキンの交換品を購入するやり方を相談した。もう5年か10年か使用しており保証期間ははるか以前に過ぎていることだけは確かなので部品を購入できるか相談したのである。そうするととにかく着払いで象印の方に送り返して欲しいとのことでそうした。今日、その修理品が届いたが本来シールするべきパッキンが材料の劣化でなくて漏れを生じていたと報告書を付けて二個共に"無償”としてくれたのである。・・象印マホービンのことをインターネットで検索すると”象印のサポートがすごい”は既に伝説化されている。随所で象印のアフターサービスについてはとにかく早い、丁寧、良心的など絶賛のコメントが続く。そして最後に”次も象印にしよう”とくる。我が家でも魔法瓶に限らず次に台所用品を買うときには先ず象印の名前がでるだろう。
7月30日(金) <今日は葉蘭(はらん)と格闘・・・>
今日は葉蘭(はらん)と格闘した。今まで共同庭の手入れを自分ですることは極力控えていた。庭の手入れを趣味としている人の領分を侵さないことを一番としていたのである。けれども最近はいくら何でも荒廃が目立つので手をだした。植物は”ほどほど"、"いい加減”であればどんな品種でも(雑草でも)それぞれに可愛らしい。それが年月を経てのさばってくるとだんだん人間が手に負えなくなってくる。もはやカワイイなどと言っておられず人間は憎き相手と格闘することになる(植物に限らず動物も同じだろうが)。竹の強靱さ、シダのしつこさ、ドクダミの繁殖力などと並んで「葉蘭」は意外に生命力が強い。葉蘭(はらん)は葉っぱの大きなユリ科の常緑多年草(写真=ここ=参照)。幅の広い大きな葉は食物を包んだり弁当や寿司折りの仕切に使われることもある(今はビニール製で代用されることが多い)。この葉蘭は日陰で放置されてもどんどん成長し地下茎で増殖する。5〜10年間ほとんど剪定もされず自由に育った葉蘭は圧倒的なボリューム。群生している葉をかき分けて根元に近づくだけでも一苦労である。植物を相手にすると毎度「剪定」の重さを痛感する。”自然に任せる”とは放任であり、剪定がなければ植物は人間の思うようにはならない。

7月31日(土) <隅田川の花火大会・・・>
隅田川の花火大会にいった。20年か30年前に一度行ったことがあるが不思議なことに"花火”の記憶がほとんどない。”立ち止まらないでください”という声に追い立てられてただ歩いたことしか覚えていないのである。今日は道路の端に座ってそれなりに花火を堪能した。といってもビルとビルの間から見る花火で川端から眺める花火とは大違い。見にくい花火大会の良いところを探せば”花火の音”がいい。ビルの谷間で反響するので広い場所での音と比較にならないほど迫力がある。それにしても豪華な隅田川の花火大会には東京都や墨田区、台東区などの税金が相当に使われていると思われるのに一般の人が(音だけでなく)もう少し見やすくなるように工夫できないものかと思う。川に沿った両岸はすべて立ち入り禁止地域。船上の特等席やビルの屋上でしかフルサイズの花火を見ることができないようでは誰のための花火か。花火大会に集まった人に”満足度”を調査してみたことがあるのだろうか。今のやり方がベストではない。主催者には改善しなければ継続できないくらいの危機意識が欲しい・・。

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