これまでの「今日のコラム」(2009年 10月分)

10月1日(木)  <ミミズの異常発生・・・>
ミミズの異常発生をみた。今朝9時頃にテニスを始めようとしたところコートの至る所にミミズがウヨウヨしていたのである(@東京港区)。一つのコート上だけでも10匹、20匹ではない。何十匹か知らないが私はこれほどの数のミミズを見たのは生まれて初めてだ。必死で掃き出したり最後は手で束にして溝に捨てたりしたが何故ミミズが出てきたのかさっぱり分からない。テニスコートは人工芝の上に砂をまいたもので地面と砂(芝)とは直接接触していない。土壌のある場所は片側のフェンスの外側だけであるので、そこからコート上に来るには5〜10mは移動しなければならない。ミミズの異常発生というと地震の前兆ととらえる説がある。実際に台湾の大地震の直前にミミズが異常発生したことに関して「ミミズの前兆行動」を研究した論文もある。ただ因果関係はまだはっきりは分からないのが現状であるようだ。ミミズの異常発生を見てから12時間ほど経つので地震は大丈夫だろう。昨晩の雨、気温、湿度、月齢・・、何がミミズの生態に影響を及ぼすのか、まだまだ動物の行動について分からないことは多い。
「今日の表紙」には「mieuへの絵手紙・東京風景・代官山」(ペン&水彩)を掲載した。旧山手通りにある瓦屋根のレストラン(&オープンカフェ)を描いたもの。


10月2日(金)  <犬の運命・・・>
犬の運命は飼い主で決定的に左右される。今日、ホームページを通してのコーギー犬仲間の飼っているHちゃんが亡くなった。今度の11月に16歳になるという長寿犬の大往生。最期まで飼い主さんの献身的な介護を受けながら静かに息を引き取ったHちゃんは本当に果報者だったといえるだろう。この一週間ほどインターネットで知らされるHちゃんの様子も愛情のこもったもので感動的だった。実は我が家のコーギー犬(もうすぐ13歳)が後ろ足が使えなくなり車椅子を購入するに際してはHちゃんの飼い主さんのお世話になった。Hちゃんは車椅子の先輩であるが、最近は前足も弱くなったとのことで車椅子の前にも小さな車を付ける改造までやっている。Hちゃんも若い頃には犬の大会に出て大活躍するなど我が家のコーギーには眩しくみえるほど活発だった。ホームページにはHちゃんの誕生日ごとに飼い主さんお手製のバースデーケーキの写真が掲載されている。16年近い生涯を飼い主さんと一緒に堪能したHちゃんは本当に幸せだった。虹の橋を渡りながら飼い主さんに”THANKYOU、THANK YOU!”と叫んでいるに違いない。
10月3日(土)  <今夜は中秋の名月・・・>
今夜は中秋の名月を見るのを楽しみにしていたのに東京の空は厚い雲に覆われている。またまたまた天気予報の大ハズレ!午後からは雲一つない晴天でなかったのか。大雨予報の朝の内には真っ青な空が眩しかった。気象庁の怠慢を糾弾するのは別の機会として、今夜は名月にこだわってパソコンで月を眺めた。まずgoogleearthで月をいじった(google eatrhは=ここ=から無料でダウンロードできる。地球上のあらゆる場所を訪れることもできるし、月や天体についての情報も豊富)。”いじった”というのは月をマウスで自在に回転させながら色々な月面ポイントを拡大映像でみて遊んだということ。月の裏側でも自在にみることができるのはいいが、余りにリアルで名月をみる情緒とはほど遠い。そこで調べてみると今夜の中秋の名月を見せてくれるサイトを見つけた(=ここ、あるいは=ここ=)。ところが、これは実物の写真でなくシミュレーションソフトによる制作写真であった。ここであきらめる訳にはいかない。「今日の中秋の名月」を何がなんでも掲載したい。犬の散歩から一時間後、そろそろ雲の間から月が覗くのでないかとカメラを持って待ちかまえて撮影した執念の一枚が下の写真である。
2009-10-03

10月4日(日)  <「まごわやさしい」・・・>
「まごわやさしい」はお馴染みの食事をバランスよく摂取するためのガイダンスである。ベテラン主婦の方々には今更と言われそうだが、新米の男性調理見習いとしては覚えやすく便利な言葉だ。念のために解説すると、「ま」豆類、「ご」ゴマ類、「わ」ワカメ・海草類、「や」野菜類、「さ」魚類、「し」椎茸・キノコ類、「い」芋類を食事の中に取り込むと栄養のバランスがいいとされる。私の場合、こんなガイダンスがなければ、ゴマやワカメ、シイタケなどは先ず忘れてしまう。最近はこの言葉を覚えたのでゴマをかけてみたりシイタケを追加したりできるようになった。余り高級な料理のレシピを紹介されてもついて行けないが材料だけならば何とかなる。後は味の方が問題。オアトはよろしいように・・とはいきません。
「今日の表紙」に「 mieuへの絵手紙・カラテパズル」(ペン&水彩) を掲載した。孫娘が空手をやるので”カラテパズル”を試みたもの。こちらの方は文字通り「孫はやさしい」のがうれしい。


10月5日(月)  <死海プール・・・>
死海プールに浮かんだ。1〜2年振りに豊島園・庭の湯(東京)の温泉にいったのであるが、この庭の湯には色々な温泉やサウナの施設と見事な庭があり(=ここ)、中でもユニークなのが冒頭に書いた「死海プール」である。死海はイスラエルとヨルダンの国境に位置する湖で塩分が極めて高いことで有名だ。人が浮かんで新聞を読んでいる写真などが紹介されることもある。この湖、湖面の標高はマイナス418mで世界最低。流れ込む川はあるが流出する川はなく、普通の海水は塩分濃度が3%程度のところ死海は20〜30%の濃度であるという。湖は濃い塩分のため生物も生息できないので文字通り死の海であるが、歴史的には死海文書などユダヤ教や聖書の重要かつ豊富な資料を伝える地域でもある。さて、その死海の塩分濃度を再現させたのが「死海プール」で、ここでは水の上で手足を広げると浮くことを体験できる。水の上に静かに浮かんでみると人の身体はこれほど軽いのかと思う。ただし油断すると身体が回転して塩辛い水を飲むことになりかねない。アラビア半島まで出かけなくても「死海プール」で"浮かぶ体験”、これもまた非日常で絶好の気分転換となった。

10月6日(火)  <定年後絵本をつくりたい・・・>
「定年後絵本をつくりたい」と聞いた言葉が忘れられない。もう10年以上前、勤め人の時代に同僚がふと漏らした言葉であった。その瞬間職務上の付き合いしかなかったその人が全く別の人物であるよう見えたものだ。そんな価値観を持っている人がいることにいささかショックを受けて強く記憶に残った。今になって「絵本作り」はすばらしいテーマであると思う一方、容易ではないことも痛感する。絵本作りのいいところは、作(ストーリー)も絵もすべて自分でできるところだろう。それだけに人間性や考え方が直に表れる。いうまでもなく絵本は子供だけが相手でなく大人の鑑賞に耐えなければならない。こんなことを書きながら思い出したのだが、数年前(もう少し前か?)に一度「コーギー絵本」を自分で制作したことがある。我が家の母親コーギー犬と4匹の子犬をモデルにしたものだった。不思議なことに、自分の作品は恥ずかしげもなく何でもこのホームページに掲載しているのに、このコーギー絵本だけは掲載していない。我ながら未熟と思ったのか・・理由は分からない。このホームページの「コーギーの夢」(=ここ=)は同じ頃に描いたが「絵本」ではない。絵本作りは私にとっても将来のテーマとして大切にしておきたい。

10月7日(水)  <スカイプの優れた機能・・・>
スカイプの優れた機能を利用しながらどうしてこんなに便利な通信を無料で使用できるのか理解できていない。我が家の場合ニューヨークに住む娘家族とスカイプでやりとりをする。相手もこちらも複数で話をするだけでなくwebカメラでお互いの姿をみたり書いたものをカメラの前にみせると文字まで読むことができる。音声もクリアであるし画像も十分だ。こんな機能を無料で使用できるのは有り難いがその仕組みがよく分かっていないのである。スカイプでは更に便利な機能が有料で可能であるので、そこで採算をとっているのだろうか。インターネットで調べると「スカイプの仕組み」について細かく解説してくれるサイトもある(=ここ)。けれども「2003年に登場したインターネットを通じて無料で通話が可能なスカイプ」として技術的な仕組みの説明を受けても採算をどうしてとっているのは不明だ。グーグルの場合は広告収入で稼ぐときくが、そのために我々はグーグルが提供する諸々の無料サービスを甘受できる。スカイプもまたどこかで収益をあげているのだろう。いつの日か突如無料サービスがなくなっても誰にも文句はいえないけれども、まずは有り難く利用させてもらおう。

10月8日(木)  <「おむつ」か「おしめ」か・・・>
「おむつ」か「おしめ」かが我が家で議論になった。いま我が家ではアール(コーギー犬)には犬用の紙おむつをしている。私は語彙として「おしめ」と言ってしまうのだが、妻はどうしても「おむつ」である。一般に関東では「おむつ」、関西では「おしめ」という頻度が多いときいて関西育ちの私は無理もないことになったが、更に語源をたどっていくと妻の言い分が納得できた。「おむつ」の語源は赤ん坊の身につける産着を古語で襁褓(むつき)といったのに対して「お」をつけて「おむつ」になったとの説が有力である。他に、反物の一反を六つに分けると丁度良い赤ん坊の産着になったことから「お六つ」となった説もあるそうだ。これに対して「おしめ」は「湿布(しめし)」に「お」をつけて「おしめ」(=御湿)になった。「おしめ」は使用した結果の「お漏らし」とか「湿った」イメージがそのまま残る。最近の紙おむつメーカーが全て「紙おむつ」と呼ぶのは「おしめ」の嫌なイメージを出さないためとか。犬用の「紙おむつ」が実に巧みにできているのに毎日感心している私はやはり「おむつ」の呼び名に改めることにした。
「今日の表紙」に「mieuへの絵手紙・東京風景/竹藪のあるレストラン」(ペン&水彩)を掲載した。西郷山公園(東京・目黒区)の入り口にあるレストランをスケッチしたもの。


10月9日(金)  <「いそがしい、忙しい」・・・>
「いそがしい、忙しい・・」というのが口癖の人がいる。そして「忙しい」ことが生き甲斐という人は結構多いようである。この場合「忙しい」は善であり理想であり、うれしいことである。忙しいは商売繁盛の印、世間から認められている証拠、自分が要望される人間である証・・。スケジュール表がびっしり詰まっていることに充実感を感じる。だから。こういう人には「お忙しいところ申し訳ありませんが・・」と頼み事をしなければならない。一方でどんなに仕事が詰まっていても決して「忙しい」とは言わない人もいる。そういう人は時間が必要なら自分で黙って調整する。本来は「忙しい」ことと生活の充実は別物であろう。しばしば引用されるが「忙しい」は「心を亡くす」が語源<「忙」は外的な要因によって心を亡くさせられる=それほどいそがしい。「忘」は自分の心を亡くす=わすれる、と解説されている>。「心を亡くす」ことで優越感を味わうものではない。ちなみに英語のbusyから派生したbusinessは「人を忙しくさせるもの」。ビジネスマンは本質的に忙しいものである。

10月10日(土)  <ダイアログ・イン・ザ・ダーク・・・>
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という催しに行ってみようかと思ってインターネットで調べた。茂木健一郎がダイアログ・イン・ザ・ダークのことを「自分の脳、心、世界に関心を持つすべての人にお勧めします。経験する前と後では、人生の刻一刻のものの見え方が変わるでしょう。あなた自身が芸術体験として更新されるのです・・」などとべた褒めしているので(あの人は他人を褒めることがうまい)興味を持ったのである。すると何と現在開催されている場所は土曜日にいくテニス場の直ぐ側(東京・神宮前)でよく知っている。これはいいと更に詳細を調べたが、結論として行くのは止めた。何と入場料が8000円!これでは行かない。ダイアログ・イン・ザ・ダークは光が完全に遮断された真っ暗な空間の中で案内人と同行者が室内を探検しながら未知の感覚に遭遇する催し。体験者によれば一回8名の参加者が白い杖をもって真っ暗闇に入る。そして全員でゲームをやったり食事をしたりして90分を過ごすといったものらしい。1959年にドイツで発案されたものが世界25か国・約100都市で開催され、2009年現在で600万人以上が体験したとされている。日本でも1999年以降約36000人が体験したというが、600万人は言うに及ばず3.6万人が8000円の入場料を払ったとは信じがたい。悔し紛れに逆に宣伝するがお金とお時間のある方、ダイアログ・イン・ザ・ダーク=ここ

10月11日(日)  <キンモクセイ(金木犀)の香り・・・>
キンモクセイ(金木犀)の香りは季節の薫り。秋晴れの今日、都内の学校祭を見学しているとキンモクセイのオレンジ色の花が芳香を放っていた。その気になってみると辺りの樹木は一斉に「秋」である。中でもクロガネモチの真っ赤な実が際だっていた。香りも赤い実も季節の変化の象徴である。クロガネモチ(A写真参照)の隣にある安藤忠雄設計の記念ホールを見に行ったのが主目的であったが周囲の樹木にとけ込んで建築は心地よい空間を醸し出していた。人間の造形物もまた移りゆく存在であるが、昨年完成したこの建築は今から何十年も香気を放つ花として咲き続けることだろう。
 
キンモクセイ                    クロガネモチ A
クロガネモチB/2009-10-11@東京・港区

10月12日(月)  <twitterを始めた・・・>
twitterを始めた。twitterはインターネットでのブログとチャットを足して2で割ったようなシステムと説明されるように、登録すると140文字以内での自分の”つぶやき”を投稿して世界中の人と”ゆるい”交流をすることができる。”つぶやき”とは、今何をしている(Whatare you doing?)とか、眠たい、お休みなさいといったたぐいで何でも良い。前に104歳のイギリスのおばあさんがtwitter最高齢で人気があることをコラムで書いた(=9月9日のコラム=ここ)。さて私のtwitterはニューヨークに住む娘、孫娘、それと別室でコンピューターを持っている妻との間のチャットのような形でスタートした。その後、少し様子が分かったところで他の世間を試してみた。日本語の範囲で言うと、例えば今日は池上本門寺(=東京・大田区、日蓮宗大本山)のお会式であるのでキーワードとして「お会式」を検索するとお会式の話題でtwitterをしている人が大勢みつかる。驚くのはほとんどリアルタイムでお会式の状況を話す人が何人もいる。そういえばi-podなどの無線LANを使うと室内でなくても適宜twitterのつぶやきを発信できるようである。これは「代官山」などのキーワードでも同じだった。今、ここに来たけれどどこに行こうかな、という調子。日常会話の中に今この瞬間の情報があふれている。twitterでは軽く挨拶する程度の気軽さが心地よく、またいつでも逃げ出せる(離れられる)安心感も普及しているポイントとみた。

10月13日(火)  <自己批評のすすめ・・・>
「自己批評のすすめ」なんて言うと自分が自己批評をできる達人のように思われるが、先ず自分に対するテーマとしてとりあげる。本来、他者への批評は悪意でなく愛情を持って相手を育てるのが趣旨であろう(育てることなど忘れた批評家がいるのは確かだが、一方でよい批評家によって成長させられた事例は多い)。同じように愛情を持って自分を批評するのが自己批評である。ヒントは茂木健一郎(脳科学者)が学生にやらせる「自己批評」の授業(?)である。自分の欠点をノートに書き出してグループ内で発表するやり方で、これは若者にとって非常に貴重な経験になる。私が閃いたのは、自己批評を年配者に適応することである。自分を含めて、年寄りになればなるほど自分のことが分かったようで実は周囲からみると分かっていない。自分のことを変えられない。自分の欠点を直視できれば他人に対する接し方も変えられる。まず隗(かい)より始めよ・・と自己の欠点を書き並べてみるか・・。それにしても誰の前で読み上げるか、そこが問題だ。

10月14日(水)  <マッチ箱・・・>
「マッチ箱(mieuへの絵手紙・ペン&水彩)」を「今日の表紙」に掲載した。はじめタイトルを「マッチボックス」としようと思ったが、マッチボックスはミニカーの名前とかアメリカのロックバンドのグループ名、アクセサリーのブランド名など本来のマッチ箱とは関係のない名前に使われているので止めた。孫娘向けにマッチ箱を描いたのであるが孫娘はマッチをどれほど使うのか知らない。それでも今やマッチを全く使用しなくなった訳でもない。私の場合は夏に蚊取り線香をつけるときとか、線香に火をつけるときにはまだ必需品である。その割には最近はマッチをもらう機会が少なくなった。たまにマッチが手に入ると貴重品扱いである。一体いまの時代に日本でマッチが生産されているのか知りたくなって少し調べてみた。マッチの黄金期は100年ほど前(明治末期)で日本のマッチ生産は世界の中心的存在であったそうだ。国内の需要も多い上に生産量の80%を輸出していた時期もあった。太平洋戦争後もまだそれなりに生産量は多かったが昭和48年(1973)をピークに下降し始めて現在は当時の数%以下の生産量まで激減しているという。それでもまだ日本で生産している。「現在は姫路市周辺で日本の生産量の80%が生産されている(Wikipedia)」との記述は私の胸に響いた。私は姫路出身で子供の頃にマッチ工場をあちこちで見かけたことを思い出したのである。マッチ箱の絵を描きながら何かマッチが愛おしく思われてきた。


10月15日(木)  <埋蔵文化財の発掘調査・・・>
埋蔵文化財の発掘調査は東京でも毎日至る所で実施されているようだ。我が家からそれほど遠くない代官山の旧山手通りに面した場所でも埋蔵文化財発掘調査の真っ最中で、今日は暫し発掘状況を眺めてきた。ここは今時珍しいほど広く樹木の多い空き地をノースウェスト航空が保有していたのであるが、最近木々が掘り起こされて整地された。そして三井のカーシェアリングにも使用される駐車場になったがしばらくすると今度は「埋蔵物文化財発掘調査」の看板がたって駐車場もなくなった。どのような埋蔵物を調査しているのか知らないが、この近所には弥生時代後期の集落遺跡である猿楽古代住居跡や猿楽塚(=通りを隔てた場所が発掘調査中の場所)があるので掘り返せば何か出そうな環境ではある。ちなみに東京都埋蔵文化センターの発掘トピックをみると都内で発掘された遺跡が旧石器、縄文、弥生、古墳などからはじまり江戸時代に至るまで多岐に渡るのには感動する(=ここ=)。代官山近辺は江戸時代には狐が住む野原であった。それでも2000年前に既に人が住んだ領域でもある。どのような"文化財”が発掘されるのか興味津々、楽しみにしよう。
2009-10-15発掘調査中@代官山

10月16日(金)  <腕時計・・・>
腕時計を使う機会がほとんどなくなった。時刻を見るのであればケイタイを取り出せば十分である。今日は同窓会の進行係をやることとなり常時時間を見ていなければならないことになった。ケイタイでは時刻が直ぐに消えてしまう。そこで昔使っていた腕時計を取り出した。古い腕時計専用の収納箱を開けるといくらでも腕時計はある(下に掲載の写真は一部)。どれもが高価ではないが思い出多いものばかり。ところが全ての腕時計が動かない。ネジ巻きのものは多分故障だろうか。電池式のは電池が切れている。そこで適当な二つの腕時計を選んで時計屋さんに持って行き電池を替えてもらった(一個はバンドも替えた)。時を刻み始めた腕時計をして珍しくスーツを着るといつもの自分でない気分である。久々の腕時計は十分に役割を果たしてくれたのは言うまでもない。
2009-10-16
10月17日(土)  <今日は160年前にショパンが・・・>
今日は160年前にショパンが亡くなった日である。ショパンは1849年の10月17日にフランス・パリで肺結核(?)で死亡した。その前年にはロンドンでヴィクトリア女王の御前でピアノを演奏するなどピアニスト、作曲家として名声を得ていたショパンの葬儀はパリのマドレーヌ寺院で行われた。葬儀では本人が希望していた通りにモーツアルトのレクイエムが演奏されたという。1910年にポーランドで生まれたショパンはこの時享年39歳。有名なジョルジュ・サンドとのマジョルカ島への逃避行(1838年)は結核の療養でもあったというから随分長い期間結核と闘っていた訳である。それにしても偉大な音楽家たちの人生は何と短かいことか。モーツアルトは35歳、シューマン46歳、ベートーヴェン54歳で亡くなっている。もちろん75歳まで生きたリストなど長寿の音楽家もいるが、モーツアルト、ショパン、シューマン等が若くして残した珠玉の歴史的文化遺産は奇跡に思える。こんな時、現代の日本の超高齢化社会が思い起こされて複雑な心境になる。何か長寿だけを美化することには抵抗がある。短くても内容の濃い人生は現代でも美しい。

10月18日(日)  <「ホトトギス」の絵・・・>
「ホトトギス」の絵を「今日の表紙」に掲載した(mieuへの絵手紙<ペン&水彩>)。「ホトトギス」はこれまで何度か「今日の作品」に登場しているし、その日「ホトトギス」をテーマにコラムを書いた覚えがある。今はgoogleの検索サイトで自分のホームページの中を検索することもできるので、「ホトトギス」の言葉で検索を試みた。そうするとコラムでは2006-10月11日、14日(=ここ)、2003-10月28日(=ここ)、2001-11月27日(=ここ)、絵では2006年=ここ、2001年=ここ、と随分に掲載していた。なぜこれほど「ホトトギス」のテーマが多いかの理由は簡単である。私の部屋から1mほどの庭に毎年この季節にホトトギスが咲く。写生しようと思ったら一番身近な花でもある。以前に書いているのでホトトギスの名前のいわれや特徴を繰り返すことはしないが、この日照がない庭でも毎年きちんと花を咲かせる地味でどちらかというとバカにされている(英語名はくだらない、醜い百合)ホトトギスが愛おしくなる。・・今日の夕方たまたま新宿を通ったときに駅前の東京モード学園のビル(モード学園コクーンタワー、地上50階)がホトトギスの蕾のように見えた。コクーンとは繭(まゆ)。まさに中に何が詰まっているか、蕾からどんな花が咲くか。日陰でも強く生きる花が咲くに違いない。
   2009-10-18

10月19日(月)  <国立新美術館で独立展・・・>
国立新美術館で独立展(独立美術協会の公募展、10/26まで)をみた<国立新美術館は珍しく火曜日が休館日で月曜は開館>。最近は公募展を見る度に美術とは人間にとってどんな意味があるのか考えさせられるが今回も膨大な絵画の渦の中で何度もため息をついた。独立展の案内をいただいた先生の作品は例外的に静謐な絵画であったが独りよがりの強烈な匂いを漂わせた挑戦的だが実は陳腐な作品が次から次へと並ぶ。パワーがある作品が悪いことはない。私もエネルギーあふれる絵画は好きだ。ただし本当に心の底から吹き出る本物のエネルギーか否かが問題である。一方であえて言わせていただくと有名作家で一番ガッカリさせられたのは絹谷幸二大先生の作品だった。奇妙なメッセージ性(反戦?)を持たせながら以前のようなパワー、湧き出るようなエネルギーが全くない。30年〜40年前の作品の方がはるかに力があるのは、描くテーマが枯渇したか、名声にもお金にも恵まれ過ぎて意欲がなくなったか、惰性だけで筆を走らせるかと思ったが、いや恐らくは病気か体調不良か、年齢から来る止むを得ぬ衰えだろうなどとかばいたくなった。しかし家で絹谷先生を調べると1943年生まれでまだ若い(私より年下だっだ!)。フランスの画家、ベルナール・ビュッフェは若くして名声を得たためか後年の作品はマンネリが多く評価も低いとか、モーリス・ユトリロの絵画も初期の作品の方が圧倒的に優れているとの話もある。大先生となると先生業でなく現役の画家を続けるのは厳しいものである。
 
2009-10-19 国立新美術館の外&内

10月20日(火)  <「香炉A」(陶芸)・・・>
「香炉A」(陶芸)を「今日の表紙」に掲載した。これまでに陶芸で仏具としての香炉は作ったことはあるが、今回のようにお香を楽しむための香炉作りは初めてである。自分では香道の趣味はないしお香で気分転換することもしないけれども陶芸教室で香炉を専門に作る人の作品をみると香炉の形には魅せられる。お香を焚く用具として形は自由であるので創造力もまた刺激される。教室では香炉のベテランさんがお香を燃やすときの空気の流れ、煙の通路などのノウハウを親切に教えてくれたので、それらも参考にして創ったのは香炉Aである。お香は内部に斜めにセットされる(陶芸コーナー参照=ここ)。お香に接触しない程度の傾斜で上部に変形四角錐(凹面)の水盤を作ったのが特徴。空気は下部のスリットから吸われて上部のスリット(または四角穴)から煙がでる。上部のスリットは水盤が四角錐であるため水のゾーンとは別の空気ゾーンとつなぐことができる。掲載した写真では左端の上部スリットから煙が上るのがみえる。お香が短くなると煙が右端からでるところも気に入った。香炉造りはしばらく続きそうである。


10月21日(水)  <根津美術館・・・>
根津美術館にいった。根津美術館は東武鉄道を創設した実業家であり、また旧制武蔵高等学校(現在の武蔵中学、武蔵高校)の創立者としても知られる(初代)根津嘉一郎(1860〜1940)が蒐集した日本・東洋の古美術コレクションがベースとなった美術館である。東京・南青山(表参道駅から数分)にあり落ち着いた雰囲気を醸し出す美術館であったが、このところ改築中でしばらくご無沙汰していた。それがこの10月初めに3年半振りに新オープンしたというので秋晴れの今日妻と行ってみたのである。美術館の建築設計は隈研吾氏。和風家屋を思わせる大屋根など展示品や庭にマッチした空間はそこにいるだけで心安らぐ。期待以上にすばらしかったのは何棟もの茶室が点在する広大な(17000平方メートル)庭園だ。紅葉の時期にまた是非来てみたいと思う。肝心の展示物にも触れなければならない。今は「新・根津美術館展=国宝那智瀧図と自然の造形」というテーマだ(11月8日まで、案内=ここ)。私的には那智瀧図は以前何度か見たこともあり、今日は古代中国の青銅器が一番興味深かった。また説明されなければ気がつかないが新美術館の展示ケース内の照明には8万個のLED(発光ダイオード)が使用されるなど設備にも最新技術が駆使されている。新根津美術館はオススメである。

2009-10-21@根津美術館          
2009-10-21@根津美術館庭園

10月22日(木)  <万歩計をつけてテニス・・・>
万歩計をつけてテニスをやったところ面白い結果が出た。今日は早朝の犬の散歩の時から万歩計をつけていたので全ての歩数がカウントされているが、午前中のテニスの後、正午に万歩計をみると約11000歩であった。まあまあの運動量かと思って更に万歩計のボタンを押すと、「しっかり歩数=0歩」と表示された。なぬ・・と、このオムロン製万歩計(Walkingstyle)のマニュアルを調べたところ、「しっかり歩数」とは、1)毎分60歩以上歩くこと、2)連続して10分以上歩くこと、の二つの条件に合う歩数の合計が表示されるという。これは効果的な有酸素運動の目安となる歩数とか。確かにテニスでは連続して10分は動かない。歩数の合計は1万歩であったとしても息をはずませる有効な運動をしたとは云えない。「歩行計」であるから”歩行以外のスポーツ”は正確にカウントできないと断ってあるが、それにしても「0歩」とは厳しい。一方でテニスや、ゴルフは有酸素運動として余り期待するべきではないとの警告にとればその通りであろう。所詮、私のテニスなど”遊び”である。健康維持のためのウオーキングをそろそろ本気になって生活の中に取り込まなければならない。

10月23日(金)  <竹の子族の記録写真・・・>
竹の子族の記録写真を見ながら時代の活気を感じた。友人のセミプロ写真家からプレゼントされた「天国の芸人たち=原宿歩行者天国大道芸の記録、1985年-1986年」というCDの写真を24インチの大型画面(パソコン)で見たのである。東京・原宿の代々木公園側の歩行者天国(ホコ天)には日曜日毎に竹の子族と呼ばれる中高生の若者や大道芸人など大勢の人でにぎわった。1980年前半の最盛期には2000人以上竹の子族が独特の衣装をつけて踊っていたという(原色の派手な衣装はブテイック・竹の子で調達されたので竹の子の名がついた)。見物人の数も急増し10万人近い人が日曜日に原宿のホコ天に集まったと言うからすさまじい。この代々木公園前のホコ天が廃止されたのが1996年。理由は周辺地域の車の渋滞と地元がゴミと騒音に困惑したこととか。現在でも各地で廃止されずに残っている歩行者天国では大道芸をみせるところもあるが、芸の審査をして許可された芸人だけ参加を許されるなど自然発生的な竹の子族とは大違いである。かつての竹の子族は今や40〜50歳のオジサン、オバサン。では今の中高生はそのエネルギーを何に発散しているのだろうか。原宿の代々木公園前は現在ゴミはなくなったかも知れないが竹下通り側の賑わいと比べると閑散としている。原宿ホコ天の繁栄がバブル好景気の時期であり、ホコ天廃止がバブル崩壊後の景気悪化と時を同じくするのが象徴的だ。竹の子族の自由なパフォーマンスは繁栄の証であった。

10月24日(土)  <香炉B(陶芸)・・・>
香炉B(陶芸)を「今日の表紙」に掲載した。前回の陶芸作品(10月20日掲載)と色違いで同じに見えるかも知れないが、半分は当たっている。制作時には上部に水盤を付けた同じ形の香炉を二個作ろうと思った。一つは白、もう一つは黒系で仕上げる計画だった。ところが素焼きが出来上がり釉薬をかける段階でトラブルがありサイドの板を破損させてしまった。普通ならば即廃却となるところだが破損部をヤスリで仕上げて別のデザインとして復活させたのがこの作品である。陶芸コーナー(=ここ)には表紙に掲載したサイドと反対側の写真も並べて掲載した。箱の内部がみえる形状は意外に面白いことが香を焚いてみてわかった。内部に斜めにセットされた香の燃えゆく状態がそのままみえる。箱の中にこもる煙の状態まで観察できるので香りと水盤の景色以外にもう一つおまけがついた雰囲気を味わえる。まともには発想できなかった形が失敗からできあがった。冗談とか遊び心はバカにはできない・・。

10月25日(日)  <音楽の力とは・・・>
音楽の力とはなんだろうと考えた。今日、私の従姉妹(たまたま同年、同月生まれ)が企画と総合指揮をした「おしゃべりカフェ」と名付けた音楽会(@千葉の京葉銀行文化プラザ)が終わって拍手をしている時の話である。この音楽会は素人とプロが同じステージに立つ。100人に近い素人が童謡を合唱するステージがあるかと思えば、本格的なジャズボーカル(ケイコ・ボルジェソン/この人のステージは特にすばらしかった)やピアノとバイオリンのデユオもあった。そこで素人かプロかは関係なく、ステージに立てたことがうれしくてしようがない、音楽が楽しくてしようがないという気持ちが歌や演奏から伝わってきた。指揮をした”いとこ”は「かきくけこ」をモットーにしているという。か=感動、き=興味、く=工夫、け=健康、こ=恋。彼女はかつて乳ガンを克服して後、活発に活動するようになった。彼女自身が生を受けていることと、そして音楽に「感動」していることは確かだ。そして今日の出演者もそろってステージに立ち、演奏することに感動していた。バイオリンを演奏した穴沢雄介さんは全盲のバイオリニスト。彼もまた音楽が好きでたまらないのが分かる。演奏者自身がこの瞬間生きていることに感動して音楽を楽しんでいるとそれは聴き手に確実に伝わる。音楽の力とは感動を聴き手に共鳴させる力であろう。

10月26日(月)  <小学館の「小学五年生」・・・>
小学館の「小学五年生」と「小学六年生」が今年末で廃刊(休刊)となると今日のニュースで報じられている。小学館の社名は1922年(大正11年)の創業時、小学生向けの教育図書出版を主な業務としてスタートしたことよる。それがやがて娯楽図書に進出し、いまでは国内出版業界の最大手。「週刊ポスト」や「女性セブン」など"小学館”の名前がまことに相応しくない週刊誌から真面目な書籍まで売れる物なら何でも売る総合出版社である。同じ出版大手の講談社もほとんど似た体質にみえるのが、儲けるためなら何でもやるところ。ウソでもインチキでも下劣でも金になるなら何でもござれの姿勢。大手出版社がそろって一方できれい事を言いながら、一方では汚い情報公害を垂れ流して平然としているのを識者といわれる人が糾弾しないのには理由がある。大学の先生や文筆家が自分の本を出版する際に大手出版社が手を貸すのである。これでは出版社を批判することなどできない。87年の歴史を持つという「小学五年生」「小学六年生」の休刊に何も感慨が湧かないのは小学館の品のない体質臭が抜けないからかも知れない。われわれができることはこの雑誌は買わないでなく、ここの出版社の本は買わないことぐらいしかない。

10月27日(火)  <「クスノキ」の絵・・・>
「クスノキ」の絵を今日の表紙に掲載した。このところ絵の作品は専ら孫娘mieu向けの絵手紙ばかりであるが、これはこれで楽しいものだ。絵手紙ならばほんの少し時間があれば結果が出る。ただし絵手紙といっても私は絵を描くのみで妻が宛名側に便りを書いて投函する。このクスノキは以前「今日の写真」で紹介したこともある巨木で、代官山(東京)のヒルサイドテラスとデンマーク大使館の間(樹木の敷地はデンマーク大使館にみえる)にある。最近はアール(コーギー犬)の朝の散歩でこのクスノキの下まで行った後、Uターンして家まで戻るのが日課になった。アールはいま車椅子を使ってようやく歩ける状態の介護犬であるので叱咤激励しながらゆっくりとこのクスノキを目指すのである。犬が元気な頃には急ぎ足でこの場所を通り過ぎて倍以上先まで散歩したが今はこの辺りまでが限界だ。クスノキの下まで来ると車椅子を止めてアールと私は絵に描いたような視点でクスノキを見上げて大きく深呼吸する。今朝は台風一過の眩しい陽光が丁度アールのいるクスノキの真下に差し込んでいた。クスノキは樟脳を得る「薬の木」であるというが私とアールにとっては毎日変わりなく「気」を発して元気づけてくれる神木のようなものである。


10月28日(水)  <千早振る神無月も・・・>
「千早振る神無月も最早跡二日の余波(なごり)となった二十八日の午後三時頃に・・」(以上、二葉亭四迷「浮雲」の第一編書き出し部)、銀座の伊東屋に立ち寄ると来年2010年のカレンダーフェアをやっていた。国内外から2000種類を集めたという様々なカレンダーを見て回るのは楽しかったが結局買わずに帰った。直ぐに霜月、師走そして新年、時だけは確実に進む・・。冒頭の「浮雲」を実は通して読んだ事はない。いまはインターネットのサイト=ここ=で読むことができるが、かなりの根気と忍耐力がなければ読み進むことができない。これでも明治20年(1887年)に発表された「浮雲」は言文一致の文体で書かれた近代小説の先駆と評されるから、120年の時は想像以上に言葉をも大きく変容させている。1864年(元治元年)に生まれた二葉亭四迷が「浮雲」を書き始めたのは23歳。朝日新聞に入り小説を連載するなどした二葉亭四迷が特派員としてロシアに滞在中に肺炎、肺結核に冒されて急遽日本に帰国する途上、ベンガル湾近辺で死亡したのが1909年(明治42年)、45歳。毎年更新を繰り返しながら未来永劫継続するカレンダーと人の命が全く別の次元にあることだけはいつの時代でも変わらない。

10月29日(木)  <君子豹変・・・>
「君子豹変」が話題になっている。自民党の谷垣総裁が国会の代表質問で鳩山総理に対して「・・政権をとったら君子豹変が許されるのか」と批判したというのである。現代では「君子豹変」はいろいろな解釈で使用されるが本来の意味からいえば褒め言葉であり、そうあるべき理想の姿でもあるから相手を非難する場合にはやはり違和感は免れない。中国古典「易経」では「君子豹変、小人革面」。君子は豹の毛が季節の変わり目に生え替わって斑点が美しくなるように時に応じて鮮やかに変化する、そして小人は顔つきだけ変えるが古いやり方にこだわると対比している。君子豹変の本来の意味は「立派な人物は自己変革して日々見違えるように成長する」と解釈できる。更に自分だけの変革でなく「あざやかに自己と周囲を向上させて変革する」と解釈することもあるようだ。過ちがあれば認めて直ぐに改め向上させるのは大人物でないとできない。変わらないことは進歩がないことである。安易に態度や意見を変えることと豹変とは本来全く異なる。特に政治のリーダーは時代に即して豹変しなければならない。鳩山さんは堂々と「君子豹変」してもらいたい。

10月30日(金)  <東京は坂の街・・・>
東京は坂の街といわれる。住んでいると余り意識しないが、地方から上京すると何と坂の多い街だと思う(私も50年以上前に田舎から東京に来た時そう思った)。実際、我が家をでると直ぐ坂道。毎日犬を車椅子で散歩する際には坂を下り、上ることを何度も繰り返す。坂が多いということは高低があること、つまり山谷が多いと云うことである。以前、渋谷区の散策マップを作るメンバーに加わったことがあるが、その時地元の渋谷区も丘(岡)や谷の地名が多いことを教わった。まず区名の渋谷が谷である。渋谷を通る山手線はもともと渋谷川という谷底を流れる川沿いを走っている。千駄ヶ谷、幡ヶ谷、鴬谷など谷があることは周辺に台地(丘)があることになる。青山とか代官山には山の字がつくが谷ではない程度の丘である。都内には名前のある坂がおよそ1000カ所あるといわれるが、ほとんど名前まで気にしない。それでも最近都内を自転車で移動する機会が増えたので坂が多いことを身をもって感じるようになった。自転車で坂道を上ると「苦あれば楽あり」を実感できるので「上り坂」もまたいい(初めに下りで楽をして「楽あれば苦あり」としたくない)。これからは坂の名前を覚えて都内を自転車で走るのも面白いと思っている。
10月31日(土)  <ガラ・コンサート・・・>
ガラ・コンサートにいった。正確には「横浜市招待国際ピアノガラ・コンサート」。galaはフランス語の辞書を引くと「(公式の)大祭礼、祝祭、特別上演」と出ている(三省堂仏和)。ガラ・コンサートは豪華な出演者を多く取りそろえた特別のコンサートのことをいう。まだ分かり難いが、「横浜市招待国際ピアノ演奏会」と名付けられた「将来を大いに期待される国内外の若手ピアニストを招待したピアノ演奏会」が27年前(1982年)から行われている。今回のガラ・コンサートとはかつてこの演奏会に出演したことのある日本人のピアニストが演奏を披露する特別のコンサートである。現役バリバリの日本人トップのピアニストたちが、今日(6名)と明日(6名)の二日間にわたって出演する豪華版だ。このコンサートが尋常でないのは最高峰のピアニストたちが次々と続いて演奏をするので嫌でも他の人の演奏と比較されるところである。同じピアニストの演奏でも人によって音色や表現がこれほど違うものかと思うところがある。演奏の善し悪しとかテクニックの有無の話でなく思想の違い、思索の違いを感じてしまう。どんな世界観を持っているかで演奏が決まる。そうみるとガラ・コンサートは他の演奏会にない耳の鍛錬になりそうだ。もう一日、明日のガラも楽しみになってきた。
<横浜みなとみらいホールの側では大道芸もみられる>

2009-10-31@横浜みなとみらい
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