2012-09-11 @自然教育園(東京・港区)
9月12日(水) <Deep River・・・>
「Deep River」という黒人霊歌の歌詞を諳(そら)んじている。”Deep river, my home is over Jordan, Deep
river, Lord ,・・”。いつどうして覚えたのか記憶にないのは、私の年代ならば誰でもが耳にするほどポピュラーであったということだろう。遠藤周作の小説「深い河」を読み終えて「Deep
River」の歌を口ずさんでいた。小説はクリスチャンの遠藤周作らしい宗教を考えさせる名作であると思えた。またインドへの旅の中で展開する物語は数ヶ月インドに滞在した経験のある私には細かい表現にも毎度うなずくものばかりだった。この小説は遠藤周作が黒人霊歌「「Deep
River」を聴いて閃きを得たものと知って納得。黒人霊歌(Negro Spiritual)はアフリカから奴隷船でアメリカ新大陸に連れてこられた黒人とキリスト教が絡み合った独特の歌である。インターネットではSPレコード時代のマリアン・アンダーソン(1897〜1993、ここ)の「Deep
River」を聴くことができる(=ここ)。ところで現代の「Deep
River」は宇多田ヒカル作詞、作曲の歌。こちらの「「Deep River」もすばらしい(You Tube=ここ)。宇多田ヒカルも黒人霊歌を聴き遠藤周作を読んでいると確信した。
9月13日(木) <「今日の作品」欄に「8年前の作品」・・・>
「今日の作品」欄に「8年前の作品」を掲載するのは気が引けたが、思い切って表紙に登場させた。これは古い作品をYou Tubeの動画で紹介しようと思いついたからである。私の陶芸作品は動きのあるものが多い。以前は個人のホームページに動画を掲載することなどできなかったが今はYou
Tubeに登録すれば直ぐに動画が見られる<今回の動画=ここ>。 動画に適する陶芸作品を探していると古い作品に気合いが入ったものが多い。今日表紙に掲載した「噴水」作品は2004年10月の制作で、下部には容易に手に入らぬ超小型ポンプを装着している(2004-10月3日コラム=ここ=参照)。その後は安易に魚水槽用のポンプしか使用していないが、このミニポンプはいま見ても画期的だ。それにしても古い作品を見ると今の方が陶芸の技術は少しは進歩したかも知れないが、作品の面白さ、新規性は以前の方が上かも知れない。これからの陶芸にはもっと大胆に新しいアイデイアを盛り込めと自らを叱咤する。
9月14日(金) <「椿の実」(ペンと水彩)・・・>
「椿の実」(ペンと水彩)を「今日の作品」(表紙)に掲載した。木偏に春を並べた「椿(つばき)」は文字通り春に花を咲かせて俳句では春の季語だが、寒椿は冬の季語。それが「椿の実」となると秋の季語になるという。大きく膨らんだ実だけをみると冬から春にかけて華やかに咲いた椿の花は想像できないが、ツバキの語源になったといわれる「艶葉木(つやばき)」や「厚葉木」の通り分厚く艶のある葉は秋になっても変わりがない。今回スケッチをした「椿の実」は榛名の山(群馬県)からお土産にいただいたもの。この実が三つに割れると中にいくつもの種がある。椿油の材料となる実(種)は意外に大きい。我が家の側に椿ではなく山茶花(さざんか)の木があることを思い出して、今の時期ほとんど気にすることはなかった山茶花を見にいった。確かに椿ほどではないが小さな実がいくつもできていてうれしくなった。
9月15日(土) <黛敏郎作曲・・・>
黛敏郎作曲「独奏チェロのための”BUNRAKU"」の演奏などを楽しく聴く機会があったが、曲目解説がまた興味深かった(昨晩の演奏会=海野幹雄チェロリサイタル、@銀座王子ホール)。黛敏郎(1929〜1997)の解説に、「政治への関心も強く、1958年には、石原慎太郎、大江健三郎、谷川俊太郎、永六輔ら若手文化人と共に”若い日本の会”を結成」とある。当時、黛敏郎は29歳、今は黛敏郎だけが故人だが他は皆存命だ(他には今は故人の江藤淳、寺山修司らも参加)。結成当時の年齢を見ると、石原慎太郎26歳(現在79歳)、大江健三郎23歳(現在77歳)、谷川俊太郎27歳(現在80歳)、永六輔25歳(現在79歳)。その後はそれぞれに政治信条が異なり左に右にバラバラの道を歩むが、当時はとにかくも若い。いまや「文化人」という言葉も死語で分野の違う若者たちが「日本の会」を結成する兆しもない。現在の流動的な政治の中で注目される「維新の会」橋下徹さんにしても43歳。「若い日本の会」ならば大長老である。オリンピックでは好結果を継続するためには若手が成長してベテランに取って代わることが必須。人間の生命維持の基本は古いものが新しいものに入れ替わる「新陳代謝」。政治の分野でも、もっともっと若手のアピールが欲しいが・・。
2012-09-15北沢川緑道にて<黄花コスモスも終わりに近い>
9月16日(日) <サンマは買って食べるべし・・・>
サンマは買って食べるべし。うっかりと「目黒のさんま祭」にでかけてしまった。目黒駅東口近辺(品川区)で先週日曜日(9日)に開催された「目黒のさんま祭り」に続いて、今日、目黒区で「目黒のさんま祭」が行われた。会場がいつも散歩する目黒川沿いなので少し遠いが妻とウォーキングをかねて出発。会場付近にオープンの40〜50分前に着いたが既に長蛇の列(数百メートル、千人以上か)。気仙沼から5000匹のサンマが運ばれて無料で提供されるというサンマ待ち行列には即ダメをだした。その代わり久しぶりに目黒の「大鳥神社」にお参り。帰途、またサンマ会場近辺を通り「ずんだ餅」(秋田角田市の名物)を土産に買って帰った。それにしても「さんま祭」会場に入るだけも拒否されて疎外感が尾を引いた。サンマをいただく訳でもないのに、時間が過ぎても主催者一同が延々と「式典」を続けて一般の人が会場に入ることも、見学させることもさせない。この日、立川志の輔、糸井重里さんらが会場にきたという。「ほぼ日刊イトイ新聞」(糸井重里のHP)では丸一日、「目黒のさんま祭をテキスト中継」した(=ここ)。大量のサンマを気仙沼から運ぶ経緯など貴重なレポートもあるが、見学することもできなかった身としては、大盛況のお祭りにはしゃいでいる姿が何か白けてみえてしまう。祭りに過度の期待をしてはいけない。
2012-09-16
目黒・大鳥神社
9月17日(月) <置かれた場所で咲きなさい・・・>
「置かれた場所で咲きなさい」。これは今日、敬老の日にNHKテレビで紹介されていた85歳のシスター、渡辺和子さんのベストセラー本のタイトルだ。たまたまその前に教育テレビ(宗教の時間)で渡辺和子さんのインタビュー番組を見たところだったので連日の拝顔。渡辺和子さんは18歳でキリスト教の洗礼を受け、36歳の若さでノートルダム清心女子大学(岡山)の学長になったお方で、現在は理事長。マザー・テレサが来日した際(1984)通訳を務めるなど多方面で活躍された。<ちなみに、シスターは生涯独身で身も心も神に捧げる厳しい戒律の世界にいる>。さて冒頭の著作を読んだわけではないが紹介された言葉の経緯が興味深かった。シスター自身が悩み苦しんでいる時に先輩の神父から教えられた言葉で以後生涯のモットーにしたという。元の言葉は「Bloom where God has planted you.」<一般には、God が重すぎる場合、Bloom where you are planted.とすることもあるようだ>。あれこれ不平を言わず今いるところで最善を尽くす教えであろう。花を咲かせるとしても大輪の花とは限らず野に咲く可憐な花もまたいい。私は「咲きなさい」だけではない、その先の言葉が好きだ。どうしても咲けないときは無理に咲かなくてよい。次に咲く花がより大きく美しくなるために根を下へ下へと降ろしなさい・・。
今日の写真(下)は夏の名残のヒマワリと秋を待ちきれないキキョウ。それぞれの場所で元気に咲いている。東京の空も怪しげ。秋風ぞ吹く。