これまでの「今日のコラム」(2013年 01月分)

1月1日((火曜) <新年明けましておめでとうございます・・・>
新年明けましておめでとうございます。昨年の正月は東北大震災からまだ一年も経たず、とても「おめでとう」とは言えなかった。今年は何が目出度いのかなどと理屈は言わずに新しい年を迎えられたことを感謝したい。健康であるだけでも大変に目出度い。今日はこれから墓参り。妻と私の親の墓を両方回る予定。最近は妻と二人とも両親に感謝する気持ちが強くなった。自分たちだけでできたことはたかが知れている。元よりこの世に存在していること自体両親のお陰だし、親の恩にどれだけ報いたか今になって悔やむこともある。一方で墓参りをすると先に逝った息子とも話する。今年は特に息子や親が応援してくれて"いい年”となりそうな予感。元旦、朝7時30分、東京の庭先で気温4℃。穏やかな新年がスタートした。

年賀状用イラスト<ペン、水彩、photoshopにて>

1月2日((水) <5年連用ダイアリー・・・>
5年連用ダイアリーを妻がプレゼントしてくれたので今年から使い始めた。実のところ自分では「5年連用」を購入することをしない。今だけを生きる、5年先など知ったことかと考える方だ。けれども、せっかくだから10年以上使っているシステムノート型DIARY(6穴タイプ)の2013年版と併用させながら今年は「5年連用」をスタートさせた。先ずこのダイアリーのはじめに「1月予記」というスペースがあったので本来の書くべき内容と違うだろうが年頭に当たり「東照公遺訓」を書き写した。徳川家康の遺訓とされているが、現代の我々一般人が見ても十分に納得できる言葉だ。特に今の私には後半が心にしみるので記しておこう:「・・堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え 勝つことばかり知り 負くる事を知らざれば  害その身に至る  己れを責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるに勝れリ」(全文サイト例=ここ)。
下の写真は元旦に小平霊園(東京・小平市)で撮影した南天:
2013-01-02

1月3日(木) <正月三が日、運動もせず・・・>
正月三が日、運動もせずに身体が鈍ったのでないかと、久しぶりに目黒川沿いをウォーキングした。最近は陶芸教室に行く際などに自転車で川沿い(別の道)をよく走るが、ウォーキングの機会が減っている。今日の川沿いコースを歩いたのは2〜3ヶ月ぶりだろうか。そこで以前このコースを歩く時に記憶した橋の名前をどれくらい覚えているか確かめてみた。スタートは皀樹橋(さいかちばし)から。続いて上流へ、宝来橋-日の出橋-別所橋-桜橋-宿山橋-朝日橋-緑橋-天神橋-千歳橋-柳橋-南部橋まで。そこから川を外れて別の道を行く。はじめは橋の名前が出てくるか自信はなかったが意外に思い出すことができたのでチョッピリうれしかった(1〜2箇所順序を間違えたが)。うまくできたのは自己流の記憶法が成功したのかも知れない。例えば、桜を見た後、宿に泊まる。翌日、朝日がきれいで緑も目に入る・・、とこんな調子。負荷をかけなければ筋力が一挙に衰えるのと同じように、記憶力や脳の働きも使わなければ鈍るので時にこんな記憶遊びをやってみる。・・ここまでは適当にやっている範囲だが、本当は記憶術のような暗記の力を磨くのでなく創造する力をどうすれば維持、進化させられるかを知りたいところ。橋の名前など直ぐに忘れてもいいから新しいことを考えたい。どうもボケ防止か、脳力開発か、脳については自分でも何をやればいいのかさっぱり分かっていない・・。
今日の写真(下)には正月用に飾った「滝と花器」を掲載。
2013-01-03

1月4日(金) <明治神宮にお参り・・・>
明治神宮にお参りに行った。年末のクリスマスには教会でミサ、元旦にはお寺に墓参り、そして今日は神社にお参りと我ながら日本人の典型のようで宗教に対して融通性がある。神社にお参りすると最近ある司祭から教えられた「神社とユダヤ教つながり説」を思い出す。神社神道とユダヤ教に多くの類似点があり、古代ユダヤ人(古代イスラエル人)が国を失い世界中に散らばったときに一部のユダヤ人が日本に渡来して日本に大いに影響を与えたのでないかとする説である。参拝するときに本堂の内部に入らないのは神社とユダヤ教だけだとか、身を清める禊(みそぎ)の習慣も同一とか、朱塗りの鳥居(厳島神社など)のルーツはユダヤ教の行事につながるとか、諏訪大社の神紋が原始ユダヤ教の象徴的な模様(メノーラーと呼ばれる燭台模様、イスラエルの国章にもある)に類似しているとの説まででてくる。この種のことは余り真面目に議論することもないが、2000年以上前に人類はダイナミックに交流していたという話には正月用のロマンを感じる(興味のある方は、Wikipediaの日ユ同祖論参照=ここ)。
 
2013-01-04 @明治神宮            右は我が家の庭の初氷

1月5日(土) <いたる所ゴミの山・・・>
いたる所ゴミの山・・と、これは今日、年の初めだからパソコンの中にある不要物を処分しようとして今更ながら思い知らされたこと。とにかくも必要でないものが山と保存されている。毎日のように撮影する写真もほとんどは保存しておくほどのものではない。パソコンの容量が以前より桁違いに増えたところで不要なデータを意識せずに保存しているのは誰も似たり寄ったりかも知れない。パソコンの場合はそれでパソコンの容量が満杯になっても個人の問題で済む。聞くところによるとメールの回線で配信される90%が「迷惑メールの類」だという。いわば通信ゴミが公共の回線を占領しているおかしな事態だ。また個々人は自分が作ったゴミではなく勝手に入り込んだ膨大な迷惑メールというゴミを毎日捨てなければならない。・・しかし、「ゴミ」は文化の象徴と考えたくなることもある。私がやる「モノツクリ」も実用品でないものは「ゴミ」と定義するとゴミばかり作っていることになる。世の中には芸術品と称しても実はゴミであったり、ゴミと思っていると芸術品となったり区別が微妙だ。「ゴミは宝の山」となることもある。ゴミに予断をしないほうがいい・・。
2013-01-05陶芸粘土乾燥中/正六角形No.15,16

1月6日(日) <自分の誤りを素直に認める・・・>
自分の誤りを素直に認めるのは日本人の特性らしい。”らしい”とは、日本人としては当然の行為で外国人と比較されなければ分からない。外国人からみると日本人は何でも直ぐに謝る(あやまる)と指摘される。勿論、例えば米国でも他人に迷惑をかけそうなときに”Sorry”という(相手は、Notat all.=全然大丈夫と返す)会話はある。けれども交通事故や車のスピード違反などの時に自ら”悪かった”とは絶対に言わないという話を聞く。他の犯罪でも自ら罪を認めないのは罪を認めると裁判で不利になるという司法の事情もあるのだろう。中国でも米国と同じで自ら過ちを認めて謝ることは先ず皆無とか。中国といえば日本語に堪能な中国人が日本語の「素直」に該当する中国語がなく、通訳をする時に困るという話をしていた。それぞれの国が歴史からなる文化を背負っている。近代、英国でそれまで権力を握っていた人たちが政権が変わっても命と生活が保証されるようになったので議会制民主主義が発足できたとする説がある。誤りを認めたら命がなくなるならば誰も誤りを認めない。日本では命を取られることもなしに寛容の精神があったから誤りを認める文化となったのだろう。世界の中で”甘えの構造”と言われるかも知れないが、むしろ「誤りを認める」というユニークな正直、素直の文化を維持できた方が世界は平穏になる。
今日の表紙に「mieuへの絵手紙/サザンカ」を掲載した。正月に新しい「ガラスペン」をおろして使ってみたもの。ガラスペンでの文字と赤系輪郭はガラスペン用インク「山葡萄」を使用。葉の部分の輪郭はインク「松露」。他の色づけは水彩。和紙に描いたので猛烈なにじみがでた。


1月7日(月) <今日は七草の節句・・・>
今日は七草の節句。今時、朝食に自分で材料を集めて七草粥を作ることが出来るのは一種の贅沢にも思える。我が家も七草粥とは無縁であるが、「七草」と聞くだけで春を感じる。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロの春の七草は秋の七草のように眺めて楽しむだけでなく全て「食べる」習慣を伴っているところが面白い。スズナ(菘)は蕪(かぶ)、スズシロ(蘿蔔)は大根であるから食用は分かるけれども、セリ(芹=白根草)、ナズナ(薺=ぺんぺん草)、ゴギョウ(御形=母子草)、ハコベラ(繁縷)、ホトケノザ(仏の座=小鬼田平子)と何でも食べてしまう。冬場に貴重な栄養素として何でも野草を取り込んだ先人の知恵が七草粥には詰まっている。七草粥の朝食はとらないけれども今日も6時30分から家の前の道路掃除をした。冬至はずいぶん前(12/21)に過ぎたのに日の出はまだ遅く、6時半といっても薄暗い。日の出時刻を調べると東京では6時51分だった。今が一年で日の出が一番遅い時期で間もなく日の出は早くなる。寒さもこれからが一番寒い時期。峠を越せば先に春が見える。
1月8日(火) <行動すると何か結果がでる・・・>
行動すると何か結果がでる。「行動」の言葉が大袈裟であれば、身体を動かす、手を使う、頭を使うなど適当に置き換えてもよいが”とにかく動く”と何らかアウトプットがでる。私の場合、陶芸で一番そのことを実感する。例えば、2時間の時間があるとき陶芸教室に行って、粘土をこねたり、削ったり、釉薬をかけたりして、2時間過ごすと明らかな成果が得られる(今日もそうだった)。その時間、家にいてテレビでも見ていたらあっという間に時間は経過する。何にしても「モノヅクリ」のいいところは良し悪しはさておき見える成果が残ることだろう。一方で、猛烈な行動をしたとしても見える成果が得られないものは山ほどある。哲学者が何時間、何日間思索を続けても直ちに成果は見えるものではない。寝食を忘れて日夜研究を続けても成果が得られない研究者はいくらでもいる、演奏者やアスリートは毎日血の滲むような努力を繰り返しているがそう簡単に成果が表れる訳ではない。読書もまた外部からみえる成果が残る性質のものではない。こうした見える成果が得られないものでも行動による蓄積は間違いなく存在し、それが尊いと思う。成果が見える見える以前に、行動がなければ決して得るものはないと自分には言い聞かせたい・・。
1月9日(水) <赤い実を付ける千両や万両・・・>
赤い実を付ける千両や万両は福を招く正月の縁起物。今日、真冬の自然教育園(東京・港区=ここ)に行ったときにも遠くから一際目立つ”赤い色”とみると千両か万両だった。昨年の同じ頃、やはり自然教育園で大量のイイギリの赤い実を見たことをコラムに書いているが(=2012-1/8=ここ)、今日はどういう訳かイイギリには気がつかなかった。千両は葉の上側に実があり、万両は葉の下側に実がある(実の数は千両より万両の方が多い)とか、千両も、万両も葉にギザギザがあり、千両は茎に対称に葉がつくのに対し万両は茎に互い違いに葉がつくなど、千両と万両の違いをようやく覚えたので最近はより細かく赤い実を観察できるようになった。赤い実というと他に南天や薮柑子(十両)など他にもいろいろあるが今日は千両・万両ばかりが目についた<ナンテんは「難を転じる」の語呂合わせで正月の縁起物>。それにしても冬の自然教育園は静かな別世界だ。溜池に群生するヒメガマ(姫蒲)は綿状になり陽の光を浴びて幻想的。枯れた世界もまたいい・・。
 
2013-01-09 左が千両、その右に万両、その右はヒメガマ

1月10日(木) <表紙にガラスペンで描いた・・・>
表紙にガラスペンで描いた「mieuへの絵手紙・船」を掲載した。昨日まで掲載していた「サザンカ」の絵も同様であったが、新しい「ガラスペン」を使いたくて孫娘のmieuへの絵手紙を描いたもの。mieu(みゆう)への絵手紙を描く度に、mieuがいるので描くチャンスがあり、mieuが喜んでくれると思うから気合いを入れて描くと、口には出したことはないが心底mieuの存在を感謝している。mieuはもう12歳・・。ニューヨーク生活が長く、音楽(ヴァイオリン)ではかなりのレベルであるようだが幼児の頃から長年親しんだ空手が大好きな女の子でもある。今回の絵手紙「船」を描いたガラスペンのインクは「露草」というブルー系。黄色部は水彩。この際、ガラスペンのことを補足しておこう。ガラスペンはペン先に溝があり、そこをインクに浸すだけでハガキ一枚分以上連続して書くことができる。金属のつけペンと比べると10倍も連続して(同じ太さで)線を書けるそうだ。使ってみると書き味が実にいい。メーカーは明治時代から続く佐瀬工業所(サイト=ここ)1社に限られており、ガラスペンはもはや伝統工芸品の一つである。・・こんなことを書いているとガラスペンの特徴を活かした"一筆書き”のアイデイアが浮かんできた。ハガキ一枚の中にもっと密度濃くガラスペンのインクで満たす新たな「船」ができるだろうか・・。

1月11日(金) <韓国のミュージカル・・・>
韓国のミュージカルを初めて見た。いま東京・明治座で開催されているミュージカル「光化門恋歌」の切符を頂いたので急遽時間を調整して午後の明治座へ(公演は1/26まで、案内=ここ)。何しろミュージカルと名の付くものを映画以外に見たことはない。大勢の韓流スターが出演するライブの韓国ミュージカルは興味津々。観客の80%は女性で韓国人らしき人も多い。ストーリーは1980年代、韓国での民主化運動(学生運動)が盛んな頃に始まる数年間を時代背景にした恋の葛藤物語で、歌も台詞も韓国語で日本語は字幕だけだがそれほど違和感はなかった。こうした韓国製ミュージカルを見るにつけて、やはり韓国全体のレベルを感じる。ただの美女やイケメンではなく、どのメンバーにも歌や踊り、台詞など芸能の基本を徹底的に鍛えた安心感がある。これからの時代はどの国の芸能人も(勿論日本人も)世界が舞台になる・・、そんなことを考えさせられる公演だった。
1月12日(土) <「mieuへの絵手紙・無題」・・・>
「mieuへの絵手紙・無題」を今日の作品として表紙に掲載した。今回もガラスペンを使って描いた絵手紙(ガラスペンについては1/10コラム=ここ=参照)。「無題」というタイトル(?)は好きではないが何かをイメージした訳でもなし、無理にタイトルを付けることもないと「無題」としてしまった(安易だ!)。題はともかく何も意図せず何も主張せず成り行きでペンを走らせる描き方は本人には楽しい。本来は「無心の境地」で描くことが理想だが「無心」ほど難しいものはない。無心の反対は「欲」か。絵画に限らず何事でも、名誉、賞賛、お金などの「欲」を求めず無心になるには本物の僧侶のように悟りがなければできないのだろう・・。
「今日の写真」(下)は趣を変えて”不良基板”。我が家のガスレンジが何日も使えず今日になって結局「基板」を交換して解決した。写真の基板は不良品であるが外観からはどこが悪いのか全く分からない。
  2013-01-12 不良基板

1月13日(日) <善意が他人に伝わるかどうか・・・>
善意が他人に伝わるかどうかは分からない。”ありがた迷惑”とか”小さな親切、大きなお世話”という言葉もあるように善意であっても相手が素直に喜ばないこともある。。私が毎日早朝に道路掃除をするときも、このことを意識してできるだけ近所の人に会わぬように、気づかれぬように掃除をする。通りがかりの人がご苦労さんとかお早うございますと気持ちよく声をかけてくれることもあるが、一般的には自分の家の前を他人が掃除をするだけで非難されているように感じて嫌がる人がいるのも確かなようだ。私が早朝に掃除をするのはノルマではなく散歩や運動の代わりにやる趣味の一種なので近所の人に掃除を促す意図など全くないけれども、それでも余計なことをするなという人がいるかも知れない。時には道路だけでなく他人の土地にあるゴミや落ち葉を掃除することもあるので”落ち葉ドロボウ”と言われないかを気にすることもある。まあ、いまのご近所さんにはそれほど被害妄想の人はいないと信じて好きに掃除をしてはいるが・・。たかが「掃除」でもこの調子。人間社会では善意で何事かを行っても真逆にとらえる人もいることだけは心しておこう。
「今日の写真」(下左)は目黒川沿いで日向ぼっこをする鴨たち。一番右に一羽立っているのはアオサギ(蒼鷺)であろうか。アオサギのアップを南天と共に右の写真に入れた。
 
2013-01-13 @目黒川(東京)/田楽橋近辺にて

1月14日(月) <東京に大雪・・・・>
東京に大雪・・なんていうと雪国の人から”この程度で”と笑われるかも知れないが、東京の初雪は成人の日の今日、夜になってもまだ降り続いている。国立競技場で開催される予定だった恒例の全国高校サッカー決勝戦が「大雪のため」延期となったと報じられているのでやはり大雪なのだろう。雪で大変な苦労を強いられている地方の人には申し訳ないが、東京では雪は非日常の気分転換になる。庭の木が一挙に白い花を咲かせたように華やかになったけれども、どこか静かで淋しげな雰囲気であるのが「雪の華」たる所以だろうか。「今日の写真」(下)は勿論、雪景色。カラーで撮影したのにモノクロ写真のようになった。サザンカ(山茶花)<右写真>に積もった雪を撮影後に振り払ってやったが、雪は今も降り続く。
今日の表紙に「mieuへの絵手紙・鯛 by ひと筆書」を掲載。1月10日にガラスペンの絵手紙を掲載した際、ガラスペンでひと筆書きを描くことを思いつき<1/10コラム=ここ=参照>、早速文字通り"ひと筆”で鯛を描いた。

 
2013-01-14 東京の初雪

1月15日(火) <東京にとって大雪は・・・・>
東京にとって大雪は一つの非常時であろう。非常時に助け合う行動が自然体で見られるのがうれしい。いつもの道路掃除の時間に雪かきをやったが一人ではなかなかはかどらない。大汗をかいたところで早朝の雪かきを終えてしまった。9時を過ぎて隣近所の会社の若手メンバーが出勤してくると大勢で一斉に雪かきが始まった。私も再度スコップを手にして競うように雪かき。道路脇に雪を積み上げてかろうじて通れるようになった通路を出勤の人が転ばないようにそろそろ通過しながら雪かきの人に挨拶をしていく。普段は顔も知らない隣近所同志が何となく一体感をもつ希な機会が雪かきだ。午後、レインシューズを履いて渋谷の東急ハンズまで行った。渋谷の街は車は若干少ないもののほぼ平常に戻っている。空は昨日の大雪が嘘のような雲一つない青空。まさに逆らうことのできない天の気にみえる。
 
2013-01-15 雪をバックに、左は昨日掲載した雪をかぶった山茶花と同じ

1月16日(水) <巨匠・大島渚監督が死去・・・・>
巨匠・大島渚監督が死去の報(享年80歳)。ニュースを聞いて先ず奥さまの小山明子さんにご苦労様でしたと声をかけたくなった。何しろ大島渚さんが1996年に脳出血に見舞われて以来介護17年。一時は映画の現場に復帰するまで回復したものの最近は要介護5(最重度の要介護)であったという。以前、小山さんの介護の様子を書いたものを読んだことがあるが壮絶な介護生活、それも1年や2年でなく20年近くとは想像を絶する。大島渚さん自身は存分に生きて業績を築き、名声も得ていた。次は献身的に夫に尽くした妻そして女優である小山明子さん(77歳)。何でも小山さんは夫の死を乗り越えて今日予定されていた主演舞台に立つそうだ。これからは小山明子さんが存分に生きる期待を込めて、合掌。
1月17日(木) <今日は正12面体とのお別れ・・・・>
今日は正12面体とのお別れの日となった。昨年6月に陶芸で正五角形の板を12枚作り、これをつなぎ合わせて大きな正12面体のオブジェを制作した(2012年の陶芸コーナー=ここ=参照)。自分では気に入った作品で居間に飾っていたが、今日、つなぎの部品を外して分解し元の正五角形の板素材にしたのである。これまで何度も書いたが正五角形12枚、正六角形20枚の板素材を使ってサッカーボールのような(大きさは直径600〜700mm)32面体を陶芸で制作している最中だ。今日の表紙に完成した「正六角形No.11」を掲載したが、これが11枚目。今日現在で正六角形14枚が完成しているので集めて写真を撮り、別の陶芸コーナー=ここ=に掲載している。焼成中など未完成だがこちらの手をほとんど離れたものを入れると20枚中18枚は制作済みとなった。そこで次のステップとして以前作った正五角形を素材に戻したのが冒頭の分解作業。少々感傷的になったのは”再び正12面体の形となることはない”こと。この12面体を「庭」に出してこの形状がこの庭に置かれることは二度とないであろうと残雪を背景にシャッターを押したのが下の写真(左)。右は家の中に入れて特殊なマットを敷いてまた写真を撮ったもの。生々流転。全てのものは移り変わりゆく。12面体が32面体に大きく進化すればそれはそれでよし。何事も結果がよくなると信じて変わることを怖れないようにしたい・・。
 
2013-01-17さらば12面体

1月18日(金) <アルジェリアのプラント建設現場で・・・>
アルジェリアのプラント建設現場で日本人駐在員を含め多くの外国人がイスラム武装勢力に拘束されたのに対してアルジェリア軍部隊が解放作戦を実施。今、18日の夕刻の時点では犠牲者の全容は分からないが死傷者がでたようだ。日本のプラント建設大手の日揮が絡んでいる今回のニュースを聞いて、40年以上前に私がインドのプラント建設現場に出張した時のことを思い出した。真夏のインドにわずか数ヶ月の滞在であったが、その間約10kg体重が減って帰国した<結果的にはその時のダイエット効果でその後スリムになった>。出張中には産まれて間もなくてまだ立つことのできない子供の写真を携えていたが、帰国したら子供は歩くようになっていた。滞在中にインド国内でヒンズーとモスレムの対立が激化して、建設現場のあった街の映画館が焼き討ちにあったり(その映画館で直前に「戦場にかける橋」を見た)、駅のホームでは銃を持った兵士が警戒するなどインドの田舎でも緊迫感があった。そういえば私のように出張者でなく現地に常駐していた監督が身体を壊して亡くなり、その人の幼い子供さんに絵本を送ったりしたこともある。それから40年以上が経過しているが海外でのプラント建設の大変さは変わらない、いやそれ以上であるかも知れない。アルジェリアで一人でも犠牲者の少ないことを祈る・・。
2013-01-18 昨日分解した正五角形(17日コラム=ここ=参照)

1月19日(土) <元横綱大鵬が今日の午後亡くなった・・・>
元横綱大鵬が今日の午後亡くなった。病名は心室頻拍、享年72歳。大鵬は1977年、実に36歳の時に脳梗塞を患い、その後リハビリを重ねて回復したというから現役引退後の苦労も大変だっただろう。大鵬の場合、大横綱としての足跡は今更言うまでもないが、成績に表れないエピソードや人生行路に目がいってしまう。ロシア革命で樺太に亡命したウクライナ人の父親と日本人の母親との間に生まれた話、樺太(日本領)からソ連軍侵攻を逃れて北海道へ母親に連れられて必死に引き揚げてきた経緯など歴史を背負った大鵬の少年時代はドラマチックだ。柏鵬時代と呼ばれた相撲の黄金期を築いた相手の柏戸(大鵬の2歳年上)は1996年に58歳で死去(腎臓病)。ライバルの死は余りに早すぎた。「巨人-大鵬-卵焼き」は1960年代に子供の好きなものの代名詞。当時の巨人軍で活躍した王貞治は大鵬と同年でお互いに親しかったとか。実のところ私は大鵬、王貞治と同年であるのでこちらも特別に親しさを感じる。たまたま今日は私の誕生日(巳年生まれ)。早生まれなので同じ学年だが大鵬も王も辰年生まれではある。大鵬の命日を今後も決して忘れることはない。合掌。

2013-01-19 ムクドリ(左)もメジロ(右)も柿が好き@目黒川緑道にて

1月20日(日) <今日の表紙に「正六角形No.12=32面体素材=」・・・>
今日の表紙に「正六角形No.12=32面体素材=」(陶芸作品)を掲載した。正六角形の板を陶芸で20枚制作中の12枚目の完成品だ。これまで雪の結晶模様とかハニカム(蜂の巣型)、6枚の花弁など自然界に見られる六角形の模様が多かったが、今回のような錯覚で立方体を見せる模様も多種考えられる。六角形をベースとする模様をデザインしてみると本当に制作したいアイデイアが際限なく出てくるのには驚く。「今日の写真」(下)として粘土状態の正六角形No.17,18を掲載した。これから窯で素焼きをした後、釉薬を掛けて本焼成の工程を経るので完成はまだ1ヶ月先だろう。一方で、今日の表紙に掲載したNo.12を含めて完成した正六角形板を使って32面体の組立をスタートしたくてしょうがない。そこを何とか全ての六角形が完成するのを待ち、20枚を並べてみた上で組立開始するように自分に言い聞かせている。何事も”急ぐべからず”。32面体の完成は桜の咲く頃と思っておきたい・・。

2013-01-20陶芸粘土乾燥中/正六角形No.17,18
1月21日(月) <ニンテンドーの最新型DS,3DS-LL・・・>
ニンテンドーの最新型DS,3DS-LLを娘からプレゼントされた。ニューヨークで注文して一昨日の私の誕生日にピッタリと合わせて宅急便で東京の我が家に配達されるのも見事。任天堂の携帯型ゲーム機DSは世界中で1億数千万台を売り上げたいわば歴史に残る名機。その割には私は一度も使用したことがなかったので少々バックグラウンドを調べた。DSとは「二つの液晶画面」を持つ”DualSceen "の略。" Developers System"<開発者のためのシステム>の意も込められているとあった。今回プレゼントされた3DSは上画面に「3D液晶デイスプレー」<3D立体表示の深度を調整する機能付き>、下画面はタッチパネル、マイク、カメラなどが付いている。最新型ゲーム機のこうした機能に接するだけでも面白いが、私の場合、スーパーマリオなどゲームそのもには興味がない(食わず嫌い)。そこで今日も試みているのは「脳を鍛える鬼トレーニング」だ。今日は久しぶりのテニス(このところ雪でコートが使えなかった)で調子に乗り過ぎて疲労困憊のところ、集中力を欠いていたが「鬼計算」に挑戦した。Wiiで毎日体力測定を続けているように、3DSによる「脳トレ」を習慣にできるだろうか・・。
1月22日(火) <「ステルスマーケティング」・・・>
「ステルスマーケティング」という言葉がある。略称「ステマ」。レーダーに映らないステルス戦闘機のようなステルス(Steaith)型マーケティング、つまり、消費者に企業の宣伝とは悟られないように宣伝活動を行うこと。最近は、インターネットのブログやツイッターなどを使い企業や広告会社が意図的なクチコミを装う。レストランの評価にサクラが書き込みを行うのはしばしばであるし、企業から報酬をもらって有名人がブログでそれとなく商品を推奨したりする事例もある。・・今日はこの1〜2年で爆発的に店舗を増やしている焼き牛丼チェーン「東京チカラめし」で昼食をとった<約10kmのウオーキングをした際のお昼時>。この店舗、例の2chの「スレッドタイトル」でよさそうな評判ばかり羅列されるのがいかにも不自然で一部で「ステマめし」とあだ名されるようだ。ブログやツイッターに限らず、新聞でもテレビでも街の人の意見と称しても選択・編集する段階で誰かの意図が入り込んでいる。実際の中味は自分で確かめないと納得できない。ちなみに「東京チカラめし」の焼き肉カレー\550美味しかったです。これは純粋に個人的感想。
1月23日(水) <今日は年に一度の健康診査・・・>
今日は年に一度の健康診査。誕生日に合わせて区が指定する医療機関に行けば無料で検診をしてくれる。私は異常があれば早期に発見できた方がいいだろうと素直に検診を受ける。けれども定期検診で「異常」が見つかった場合にどう対処するかは色々な考え方、問題点があることは承知しておいた方がよさそうだ。本来必要でない(適切でないと言うべきか)薬を飲まされて症状を悪化させたり、命を縮めることもある。「百害あって一利なしの人間ドック」とか「検診はおやめなさい」、「ガンだと診断されても安易に切るな」などと少々過激なタイトルで警告をするサイトがあった=ここ。ガン発見の後の対処法は正直のところ何がベストか分からない。薬は使い方一つで確かに恐ろしい面がある。何事も過信は禁物。健康の診断も一つのところを信用し過ぎないことだろうか・・。
今日の表紙に「 正六角形No.13=32面体素材=」 <陶芸>を掲載。20枚制作中の正六角形の13枚目。


1月24日(木) <徒然なるままに「般若(はんにゃ)」・・・>
徒然なるままに「般若(はんにゃ)」のことを書こう<今日もテニスに陶芸と身体を動かしたけれどもコラムの話題にはならない>。「般若」から人は何を連想するだろうか。般若心経あるいは般若の能面か・・。「観自在菩薩行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄・・」で始まる般若心経を覚えたり写経した人は多いだろう。般若(はんにゃ)は仏陀が生きたインド地方のサンスクリット語を音写したもの(漢字の当て字)で、意味は一仏教における悟り(さとり)の「智慧」とされる。「人間が真実の生命に目覚めた時にあらわれる根源的な叡智。世界の窮極的真理を知ること」と解説されているものもある(三省堂大辞林)。一方で、二本の角を持つ鬼女の面を「般若面」と呼ぶ。その理由は能面師の名人であった僧侶・般若坊に由来するとする説など諸説あるようだ(般若面のサイト=ここ=参照)。どうみても般若の智慧にも般若面にも縁がない自分として一つだけ近しいのが「般若湯」か。言うまでもなく「お酒」のこと。「不飲酒戒」でお酒を飲むことを禁じられている僧侶にとっては「般若湯」はありがたい元気薬。今夕、私も般若湯のお世話になろうか・・。
1月25日(金) <一の橋にある病院まで・・・>
一の橋にある病院まで自転車で行った。事前に地図を調べておき初めての病院に初めて自転車で行ってみると色々な発見があった。一の橋(東京・港区)は江戸時代の町名の名残である麻布十番の地域で江戸時代には近隣には多くの大名屋敷もあった、渋谷方面から一の橋を目指していくと、先ず四の橋があった。古川橋を過ぎると三の橋、二の橋、そして一の橋になる。「橋」は川の上にかかる。その川は新宿御苑近辺を水源とした渋谷川から途中で名前が古川に代わり東京湾に注ぐ。都会の中の川は自動車道路からはほとんど見ることはできないが確かに存在している。普段、地下鉄や自動車を使っていると全く気にしない町名や街の歴史、そして川の流れが自転車や徒歩で通ると非常に身近に感じられるのは示唆的だ。スローライフによって人の視点が変わる。身の回りにはこれまで気がつかなかった「面白いこと」が溢れている。のんびりと歩きながら”東京の川巡り”をやってみたくなった

1月26日(土) <これまで医者も病院もほとんど無縁・・・>
これまで医者も病院もほとんど無縁だった。定期健康診断を受け、ごく希に人間ドックで検診を受けたことはあるが特に薬を処方されたことはない。それが昨日新しい病院に行ったのには理由がある。昨年末に初めて脳ドックの検査を受け特に問題ないと診断されたが同時に行った腫瘍マーカー検査(血液採取)である数値(癌の関連)が基準値を外れているとされた。自覚症状は全くなく体調も悪くないのに念のためとして2種類の薬を三食毎に飲むようになった。最近になって”動物的感”で薬を服用することに疑念を持ってセカンドオピニオンを求めて新しい病院を訪れたのである。こんな時、読み始めたのが「医者に殺されない47の心得」という本(著者、近藤誠、菊池寛賞受賞の本、サイト例=ここ)。副題に「医療と薬を遠ざけて元気に長生きする方法」とある。リンクしたサイトの目次を見るだけで過激な内容が分かるが「日本人の癌の9割は治療するほど命を縮める」のコメントはかつて息子が癌と戦い敗れた状況を思い出させる。確かに次々と開発される抗ガン剤の実験台にされた感はあるが、それでは他に何ができたのか、当時こうした情報もなかったし治療をしないで見過ごすほど勇気がなかったと言わざるを得ない。それにしても本に記載された”常識破り”の見解は貴重だ。今日の常識が明日の非常識になるかも知れない・・

1月27日(日) <鯛の鯛」・・・>
「鯛の鯛」の写真を「今日の写真」として下に掲載した。昨夜、陶芸教室で開催された新年会で「鯛土鍋ごはん」がでた(他に豪勢な手作り料理が並び贅沢で幸せなひとときを過ごした)。その時に仲間が真鯛(マダイ)の骨をほぐして除去しながら「鯛の鯛」を見つけて皆に披露されたものの一つを頂いてきたものだ。私は「タイノタイ」の言葉は何となく聞き覚えがあったが、何も知らず、「鯛の鯛」を近くでハッキリと見たのは初めてだった。それだけ鯛とは縁がなかったことでもある。鯛の鯛は魚の胸鰭(むねびれ)を動かすときに使われる骨で形が鯛に似ているので、タイのタイ、鯛中鯛とも呼ばれる。ネットで調べると分かり易く解説してくれるサイトがあった=ここ=。鯛の鯛(鯛中鯛)は江戸時代には縁起物の目出度い(メデタイ)鯛の中に更に目出度い鯛の形があるとして喜ばれたという。頂いてきた「鯛の鯛」は先日娘からプレゼントされた3DS(携帯型ゲーム機)のカバーに貼り付けた<下の写真は3DSの上に置いて撮影したもの>。今年は運がついて目出度いことが起こることを期待しよう・・。

2013-01-27 鯛の鯛

1月28日(月) <「今の天気」をインターネットの実況で・・・>
「今の天気」をインターネットの実況で見てからテニスに行き正解だった。今朝の東京の天気は激変した。早朝の道路掃除をした6時30分頃には曇り空、7時過ぎにふと家の外を見ると小雪が舞っている。一般のインターネットサイト(新聞社系)で天気予報を調べると”午前中は雪”の予報。それではと「今の天気」のサイトをみると東京の全域でほとんど「雪」。テニスコートのある区名で検索しても「雪」。それから30分ほどして外を見ると雪は止み、少し青空も見える。もう一度テニスコートのある場所の「今の天気」を調べると、ほとんどの人が「みぞれ」に変わった。その内に「曇り」。それではと自転車でテニスに行くことに決めて、結果的には午前中存分にテニスを楽しむことができた。「今の天気」のサイト(=ここ=)はYahooの天気・災害のコーナーで「みんなで実況」のタイトルがあるように、その地域にいる人が「今の天気」を生で教えてくれるところがユニークだ。予報の場合、実際の天候が時間でずれることは珍しくない。変わりやすい天気の時には自分で目的地の天気を調べ、また自分のいる場所の天気を知らせることもできるので便利だ。各地のパソコンや携帯から入力された天気情報は10分ごとに集計されるので予報よりも信頼性が高いのは確か。予報が外れたなどと怒らずに「今の天気」サイトを活用しよう。
2013-01-28 雪のち快晴にて

1月29日(火) <パッチワーク用のペーパーライナー・・・>
パッチワーク用のペーパーライナー(紙の型板)にヘキサゴン(正六角形)がスタンダード品として存在していることを知った。今日の表紙に「正六角形No.14=32面体素材=」<陶芸>を掲載したが、これは以前から制作を続けている正六角形板の14枚目。陶芸教室で私が正六角形を作っているのをみて、陶芸仲間の人が布をはぎ合わせて一枚の布にするパッチワークキルト用のパターンとして「ヘキサゴン」と呼ぶ形があることを教えてくれたのである。このホームページの陶芸に関しては画像名はhexagonを使っているけれども、分かり難いと思って表題をあえて「正六角形」としているのに、パッチワークでは「ヘキサゴン」が当たり前で使用されると知って何かうれしくなった。インターネットで調べてみると「パッチワークヘキサゴン」は広く紹介されている(例=ここ)。確かにヘキサゴンは平面のままいくつもつなげることができるのでパッチワークには適している。陶芸のヘキサゴンも20枚が完成したら立体に組む前に一度平面に並べて敷き詰めてみたくなった。


1月30日(水) <「知足の心」・・・>
「知足の心」つまり”足(たる)を知る心”を教えるものとして京都・龍安寺の蹲踞(つくばい)が余りに有名だ<つくばいは手水鉢(ちょうずばち)のことでつくばるように身を低くして手を清めることから名がついた>。龍安寺のつくばいは中央の水穴を「口」と見て周囲に四つの文字を当てて「吾唯足知」(われただたるを知る)と読める(分かり易い絵があるサイト=ここ)。これは釈迦が説いた「足(たる)を知るものは貧しと言えども富あり、足(たる)を知らざるものは富めりといえども貧し」を図案化した教えとされる。この「知足の心」には大いに共感する一方で、「知る」に関しては最近は「知らざるを知らずとなす、これ知るなり」(論語)にも大きく頷いている。現代の世界でも本当の専門家、物事が分かっている人は如何に自分たちがわずかなことしか知り得ていないのかをハッキリと言うことができる。どのような分野でも真理のかけらしか解明されていないことは深く研究すればするほど実感されるのでないか。宇宙でも地球でも素粒子でも人体でも脳でも何を取り上げても知れば知るほど知らないことが増える。入試の時期であるが丸暗記の知識だけでは人は進化しない。その先に知らないことがあるから面白いと若者ならば挑戦するだろう。
 
2013-01-30 自然教育園(東京・港区=ここ)にて

1月31日(木) <いわゆる「スパルタ教育」の伝統・・・>
いわゆる「スパルタ教育」の伝統が根幹にあるのかと思わせるのが柔道女子日本代表の監督やコーチが選手に暴力や嫌がらせ行為をしていたとされる騒動。「厳しい教育」全般が”スパルタ教育”と比喩されるが本物の「スパルタの教育」はそんなに甘いものではなかった。古代ギリシャのスパルタが紀元前4〜8世紀に激しい覇権争いをした歴史はかなり詳細に記述が残っている。ちなみに日本では縄文晩期から弥生前記の時代に相当するのでこの時代は記録がある歴史以前になる(弥生時代には集落間の争いが頻発した形跡はあるようだ)。スパルタは部族を統一・維持するために独特の制度を採用し、その中の一つが質実剛健、忍耐と服従を身につけさせる人材育成だった。生まれた子供は親のものではなく国の財産として扱われ新生児が虚弱であると「生きていても国のためにならない」と遺棄された。男子は7歳で家庭を離れて厳しい軍事訓練を課せられて不適切である子供は殺されて残ったものだけが市民として育てられたという<Wikipediaなどから部分引用>。スパルタの歴史から2000年以上を経て争い事は地球規模になったものの決してなくなってはいない。それにしてもスポーツを含む訓練や教育の場で今スパルタを有り難がることはない。現代にマッチした人材育成は強制や服従と真反対のところにあるのでないか。

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