これまでの「今日のコラム」(2014年 4月分)

4月1日(火) <息子の命日にはいつも桜が満開・・・>
息子の命日にはいつも桜が満開である。今日は命日には一日早い墓参り。10日前、先月のお彼岸の日に墓参りをしたときには風が冷たく(3/21コラム参照=ここ)桜の花の蕾も見えなかったのに今日は目映いばかりの花盛りだ。墓前には毎度の事ながら供花が何束も溢れている。一昨日の日曜日にでも息子の友人たちが来てくれたのだろうか。感謝! 今頃になって息子には何もしてやれなかったのにあの世からは随分と面倒を見てもらっていると妻と話し合うことがある。自分たちの力だけでは及びもつかないことを幸運に助けられることが何と多いことか。この時期に必ず思い起こす西行法師(1118〜1190)の歌:「願はくは 花の下にて 春死なむ  そのきさらぎの 望月の頃」。西行法師は今の私とほぼ同じ年齢で”願った通りに”逝った。私もまた桜の花の下で春逝くことを願ってみようかと思ったりする・・。
 
2014904-01 @墓のある九品仏浄真寺(東京・世田谷区)にて


4月2日(水) <今日もまた花見・・・>
今日もまた花見・・。横浜の友人宅に招待されて、食事会の前に花見に行ったのが「根岸森林公園」。ここは戦前までは根岸競馬場の場所(日本初の洋式競馬が行われた競馬場で明治天皇が13回訪れたという名門)で、戦後米軍のキャンプ地となり、その後横浜市が管轄する公園となったという。今日は公園の桜が正に満開。見事なソメイヨシノや大島桜の花と一緒にミツマタ(三椏/三枝)の花までが満開に咲いていた(下の写真3)。
今日は息子の5回目の命日に当たる。家にはニューヨークに住む娘家族 から豪勢な花が届いた。この花を供え、ビールジョッキ型の蝋燭に火を灯し合掌(下の写真4)。
 
2014-04-02 @根岸森林公園にて
 
2014-04-02  (3)手前はミツマタの花      (4) 娘からの供花

4月3日(木) <渋谷駅前の桜が満開・・・>
渋谷駅前の桜が満開だ。今日は朝から雨。木曜日のテニスはこれで3週続けて流れてしまった。テニスがお休みならばと先ず渋谷に出かけたところ駅前のハチ公広場で満開の桜に出会ったのである。下に掲載した写真は渋谷のスクランブル交差点を見下ろす通路から桜を入れて撮った。この桜の直ぐ横にハチ公の像がある。渋谷の次に秋葉原の電気街にいって買物をした。秋葉原の駅周辺には桜は見当たらず用事だけ済ませて早々に引き上げた。桜が一本あるだけで渋谷駅前広場の雰囲気が格段によくなっている。ハチ公と一緒にこの桜は大切にしたい・・。
今日の表紙には陶芸作品の使用例として「 水盆/一部飾り付け」(陶芸) を掲載した。この水盆、用途は決めていないので水を入れて適当に葉っぱや花を浮かしてみた。もっと色々な”飾り付け”を工夫すれば、それなりに可能性がある容器となりそうだ・・。
  2014-04-03 @東京・渋谷駅前にて

4月4日(金) <富山の薬売り・・・>
富山の薬売りがお客の家に置き薬と一緒に置いていったという標語集の言葉が今朝の毎日新聞のコラム・余録に引用されていた。「高いつもりで低いのが教養」、「低いつもりで高いのが気位」など巧みな言い回しが面白い(Webでの紹介例=ここ)。越中富山の行商による売薬という独特の商法は標語集を薬と共に置いていくだけではなく現代でも注目される色々なエピソードを残している。富山藩主は売薬に際して「用を先にし利を後にし医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ」(先用後利)と指示したと伝えられ、これが長期間薬売りが継続できた要因の一つとされる。また富山の薬売り「七楽の教え」=「楽すれば楽が邪魔して楽ならず、楽せぬ楽がはるか楽楽<合計7固の楽>」は現代でも通用する成功の秘訣として生きている。このような江戸時代に残された言葉をみると人間を見る目とか感性は今とほとんど変わらない。先人に学びながら現代人は何を生み出せるのか・・。
下に掲載した今日の写真は我が家の今日のお供えの場。仏間も仏壇もないがこのところ華やかに飾っている。
2014-04-04

4月5日(土) <明日(あす)ありと 思う心の あだ桜・・・>
「明日(あす)ありと 思う心の あだ桜 夜半(よわ)に嵐の 吹かぬものかわ」。東京の桜は今が見頃で、今日の土曜日は絶好のお花見日和。近所の桜の名所(目黒川沿い、西郷山公園)では大勢の人が花見を楽しんでいた。来週(もしかすると明日)にはもう桜は散ってしまう・・。この歌を私が知ったのは20歳頃か。当時花見には全く縁がなく桜を思いやることは出来なかったが、明日はどうなるか分からない、今日出来ることは今日やるといった教訓的な意味に感動した覚えがある。冒頭の歌は親鸞が9歳の時、得度のため夜更けに和尚を訪れたときに「遅いから明日にしよう」と和尚から言われたのに対して詠んだ歌と伝えられる。若き親鸞がアピールした”明日に延ばさず今日やる”心意気は真面目な日本人の特性であると後日実感した。他の国、メキシコとかラテンアメリカ系では「アスタマニャーニャ(Hastamanana!)」といって、何でも「また明日!」となる。重要なことでも「明日になれば何とかなる」、ケセラセラ(なるようになる)をモットーにする民族があるのは確かだ。・・ニューヨークにいる孫娘Mieuのブログを読んでいると冒頭の歌を詠んだ親鸞を彷彿させられる。9歳の親鸞に負けず劣らず頑張っているMieuを応援しているが時には「アスタマニャーニャ」でもいいよと言ってやりたい。散った桜もまた美しいよ・・。
 
2014-04-05 @西郷山公園(東京・目黒区)にて

4月6日(日) <本屋さんに明日はあるのか・・・>
本屋さんに明日はあるのか。日頃、Kindle(アマゾンんの電子ブックリーダー)にダウンロードした電子書籍を愛用しているし、パソコンで古典などを自由に読むことができる時代になって「本屋さん」の将来を心配するが、今日は本屋さんの強みを再認識した。代官山T-SITEの蔦屋書店でたっぷりと時間を取って遊んだのである。この蔦屋書店(=ここ)では人文・文学、アート、建築、旅行など専門書や洋書を含めて非常に広範囲の本を品揃えしており、しかも贅沢な空間で書籍をじっくり選ぶことができる。色々と異なった分野の本のタイトルや帯の宣伝文句を見て回るだけで結構楽しい。今現在どのような本が出版されているのか、本の内容にはタイトルや装丁まで含めて時代が反映されている。現物の本を目前にするとインターネットの本情報とはまた違って著者や出版社の息吹が生に伝わってくる!こんな蔦屋書店さんはこれからも長く続いて欲しい・・そう思いながらも申し訳ないことに、結局何も買わずにT-SITEを後にしてしまった。
今日の写真は蔦屋書店の向かい側、ヒルサイドテラスの一角にあるしだれ桜。10年以上前、コーギー犬親子がいた頃に、このしだれ桜の下で写真を撮ったことを思い出す(=ここ)。来春以降は転居しているからこの枝垂桜を見ることはないかも知れない・・。
2014-04-06@ヒルサイドテラス(東京・代官山)

4月7日(月) <ワイファイ(Wi-Fi)・・・>
ワイファイ(Wi-Fi)についてまだ十分に理解できていない。Wireless Fidelityの略で無線JANの規格のひとつ。Wi-Fiでない無線LANでは異なるメーカーの機器間では接続ができるか分からなかったのが、Wi-Fiにより異なる製品での接続性が保証されたのでコンピュータやスマートフォンなど多様な機器がWi-Fiのアクセスポイントを経由してインターネットへ接続することが出来るようになった・・との一般的な説明までは何となく分かった。今使用しているiPhone5ではWi-Fiを設定するか否かを選択する。MAP(地図)を使用した際にWi-FiをONにするとONにしない場合と比べると現在地の精度が確実に上がることを経験した。Wi-FiがOFFの場合の地図情報との違いはどうしてでるのか。今いる場所でWi-FiをONに設定する際、この場所をカバーするネットワークがいくつも表示される。それにしてはインターネットへの接続が不安定なのは何故。先日外出先でWi-Fiをチェックすると家よりもはるかに多くネットワークが表示された。今日はまたポケットWi-Fiのパンフレットを入手した。持ち運び自由自在のWi-Fiもできているのだ。Wi-Fi通信もどんどん進化している。もう少し勉強しなければならない・・。

4月8日(火) <昨日4月7日は戦艦大和が撃沈された日・・・>
昨日4月7日は戦艦大和が撃沈された日と知った。広島(8/6)、長崎(8/9)への原爆投下のほぼ4ヶ月前、太平洋戦争の終息を予兆する海戦となった1945年(昭和20年)のこの日、46cmの主砲(!)を装備し当時"不沈艦”と云われた戦艦大和は米軍航空機の集中攻撃(最後は魚雷攻撃)を受けて東シナ海の海底に沈んだ。しかし当時の新聞に「大和」沈没の記事はなく、また戦艦大和に関する情報は極秘事項でもあったから日本での大和の写真は極めて限られる。戦艦大和の最後もアメリカ側からみた画像だけが残っている(=ここ=参照)。戦艦大和の実像を知ると(Wikipedia=ここ)それぞれの立場で心情は異なるだろうけれども、私などはただ黙って手を合わせたくなる・・。
4月9日(水) <はじめに言葉ありき・・・>
「はじめに言葉ありき、言葉は神と共にあり、言葉は神なりき」(新約聖書、ヨハネによる福音書第一章一節)。「はじめに言葉ありき<In the beginning was the Word>」の部分はキリスト教や神とは関係なく言葉の重要性を表すものとしても引用される。まことに言葉というものは恐ろしい。人間同士が意思疎通する道具としての言葉であっても正しく思いが伝わるかどうかは分からない。些細な言葉一つで人は意気消沈し、やる気をなくす。反対にほんの一言で元気にもなる魔法の道具でもある。幼少の頃に勇気づけられた一言を何十年も記憶していることもある。一方で、人は自分の発した言葉をほとんど覚えていないのでないかと思うことが普段の生活の中でしばしば経験する。「人の振り見て我が振り直せ」ではないが、自分もまた同じなのだろうか。他人を喜ばせ、勇気づけ、安心させるために「言葉」ほど安いモノはないという。財布を開くことはない、1円も必要ない。言葉があれば口を開くだけで他人のためになることができるのは確かだ・・。
4月10日(木) <「調子に乗るな」・・・>
「調子に乗るな」とは不思議な言葉である。本来は弾みのある調子に乗って物事がどんどん進むのがいい。「調子に乗るな」とは順調であるところでいい気になって軽率に行動することに対する警告であろう。同じような忠告言葉に「図に乗るな」がある。「図」は僧侶の声明(しょうみょう)の転調のことで、本来は転調できて「図に乗る」ことが望ましいが、「調子に乗って、つけ上がる」ことになるので、「つけ上がるな」=「図に乗るな」となった。何事も「過ぎたるは及ばざるが如し」。人間は調子が良すぎると思い上がる。好調なときほど落とし穴があるとの忠告は、古(いにしえ)からの智慧であろう。・・今日、テニス場への自転車を漕ぎながら「調子に乗るな」、「無理しない」と自分に言い聞かせた。この冬に関節痛で苦しんだことを思うと今日は見違えるように体調が良くなった。このようなときのテニスで私は”調子に乗って”何度失敗を繰り返したことか。大抵は体調が万全でなく慎重に構えている時の方が無難で勝負の結果も良い。ところが今日のテニスは調子に乗る以前に未だ身体の方が思うように動かなかった。頭で考えなくても身体が図に乗らぬようにブレーキをかけてくれたようだ。
4月11日(金) <庭にスミレ(菫)・・・>
庭にスミレ(菫)が花を咲かせている。雑草の中でも、タンポポ、ドクダミ、オオバコなどと比べるとスミレは遠慮がちに見える。今の庭仕事は苔(こけ)だけを増やそうとして苔を浸食する雑草を極力除去しているがスミレは全く邪魔にならない。もう一つ、花ニラが花を咲かせているが、花ニラの方は極めて生命力が強い。少々環境が悪かろうが、虐待されようが次々に花を咲かせて増殖する。まことに春先の野草は自然のたくましさを見せつける。今日、一週間前の花見で大混雑した目黒川沿いを通ってみるとソメイヨシノの桜は既に散ってしまっていた。いつもながら散り際が見事。ソメイヨシノに代わって八重桜が今満開を迎えている。「世の中は三日見ぬ間の桜かな」。時は確実に動いており花もまた入れ替わる。諸行無常は自然観察がベースにあった悟りでないか・・。
 
20149-04-11 庭のスミレ&花ニラ         八重桜@中目黒児童遊園

4月12日(土) <少々恥ずかしいが最近腹筋マシーン・・・>
少々恥ずかしいが最近腹筋マシーンを手に入れて毎日使用している。テレビショッピングのコマーシャルでお馴染みの「ワンダーコア」というトレーニング器具。私の場合、もちろん、”理想の身体を作る”とか“割れた腹筋を作りたい”などという気はさらさらない。ただ、生活の中で背筋を伸縮する機会がほとんどないので習慣として使ってみたかっただけである。実際に今の所爽快な使い心地に満足している。それにしても、毎度のことながら、この種の通販商品を頭からインチキ呼ばわりする人間がネット上に横行するのには辟易する。また”筋肉トレーニングは毎日やると逆効果”などとブレーキをかける向きも多い。何事も程度問題で、「過ぎたるは及ばざるがごとし」は当然だ。ハードなトレーニングをして短時間で筋肉を鍛える筋トレと健康維持とは目的が異なる。考えてみると私の場合「筋トレ」というより「体操」程度の負荷にしかなっていない。ラジオ体操を毎日やるより2〜3日に1回にすべきという人はいないだろう。これからも腹筋マシーンを毎日使ってみるつもりだが果たしていつまで続くやら。任天堂のWii Fitでのバランス年齢チェックはもう1000数百日続いているけれど・・。
4月13日(日) <人間の平均寿命は・・・>
人間の平均寿命は医療科学の進歩に伴いどんどん高くなる。けれども生きることの出来る最高齢には限界があり昔も今も将来もほぼ120歳が上限だと聞いてホッとする。日本人の平均寿命は女性が約86歳(世界一)、男性が79歳。周囲には100歳を越すお年寄りの面倒を見ている人も珍しくない時代である。もし人間の寿命に上限がなくなると考えるだけで恐ろしい。最高齢200歳、300歳の人間が存在したらどうするか。それは決して活気ある元気な社会ではなく生物体として幸せとも思えない。幸いに人間の生理的寿命には上限がある。一方で老人の病気が次々と克服されており平均寿命は上限寿命に近づきつつある。今でさえ「老人」の観念は100年前、200年前とは全く違ってきている。”少数の尊敬すべき先達”としての老人ではなく、消費税をまだまだ上げても追いつかない膨大な医療費・介護費を枠取りする巨大グループと化す。社会全体にとってプラスとなり何らか社会に役立つ老人を模索するにも道は険しい・・。
4月14日(月) <菜の花・・・>
菜の花がまだ咲いている。桜と違って菜の花の開花時期は長い。観賞用の広大な菜の花畑もあるが菜の花の名の通り本来は食用の花で、栄養価の高い春の緑黄色野菜としても人気がある。菜の花というと与謝蕪村の俳句「菜の花や月は東に日は西に」が余りにも有名だが、私は残念ながらこの俳句のような景色に遭遇したことはない。蕪村が神戸・六甲山系の摩耶山で詠んだとされるこの句から見渡す限りの菜の花畑の先に瀬戸内海に沈みゆく太陽そして反対側には上りゆく月をイメージしてみるだけである。蕪村の他に菜の花をテーマにして多くの俳人が句を詠んでいるが種田山頭火の俳句に何故か共感するところがあるので引用してみよう<以下、全て山頭火>:「おもひでは菜の花のなつかしさ供へる」、「何もかも過去となつてしまつた菜の花ざかり」、「菜の花よかくれんぼしたこともあったよ」。
 
2014-04-14 菜の花&ハナミズキ @中目黒公園(東京・目黒区)

4月15日(火) <今日は久しぶりに陶芸教室・・・>
今日は久しぶりに陶芸教室へ行った。前回に陶芸教室で粘土をこねたのは一ヶ月以上前か。コンスタントに創作に励み同時に運動をしている生活が私にとっては一番”シアワセ”であるのに、このところ雑用が多くて生活のリズムは安定しない。そんなことを綴りながら今日の表紙には陶芸作品の「コスモス碗A1」を掲載した。なかなか陶芸教室に行く時間がとれないので、これは家で時間のあるときに少しづつ制作して家の電気窯で焼成したもの。お碗程度の小さなものであれば家の窯でも焼ける。今回制作した「コスモス碗A1」と同種の試作品を丁度4ヶ月前の2013年12月15日にコラムで紹介している(=ここ)。こういうものは能書きを言ってもしようがない。何のためにどう使うかを説明することもない。現物があって、見た人、手に取った人が何を思うかだけ・・。作者の自分としてはもっと色々なパターンで同種の容器を作って比較してみたい。・・ということで、今日の陶芸教室では少し大型のコスモス碗の制作をはじめた・・。


4月16日(水) <4月の月命日に少し遅れて・・・>
4月の月命日に少し遅れてしまったが義兄の墓参りに行った。墓のある谷中のお寺(瑞輪寺)では八重桜が正に満開(下の写真)。この桜は去年も咲いたであろうが、一年後に私たちが墓参りに来ることなど桜さんといえども夢にも思わなかったに違いない。妻とそんなことを語り合って満開の八重桜を眺めた。実際、墓参りどころか墓や寺の存在すら一年前には知らなかった。6月に急死した義兄の墓参を毎月するようになって谷中地区と親しくなりつつある。毎回、谷中周辺でランチをとるときに出来るだけ別の食事処を選ぶ事にしており、今日のランチは初めての「薬膳カレー」。今日は更にこれまで通ったことのない路地を新発見した。1.5mほどの狭い路地を通り抜けるだけで何か新鮮な刺激を受ける。谷中の街を歩いていると外国人(欧米人の夫婦)にすれ違うことが多い。こちらも月に一度観光気分で江戸情緒あふれる谷中の地にタイムスリップするのが楽しみとなった。
 
2014-04-16 @瑞輪寺(東京・谷中)        谷中の路地&街角

4月17日(木) <今日は徳川家康が亡くなった日・・・>
今日は徳川家康が亡くなった日とされる。もっとも旧暦の4月17日だから今日という日は余り意味がない。年齢も生誕に諸説あり、西暦で1543〜1616年、73年間の生涯と思っておこう。たまたま満年齢で今の私と同年齢かと興味を持った。戦国武将で見れば、織田信長48歳、豊臣秀吉61歳(各満年齢)の生涯であった。家康の辞世の句:「嬉(うれし)やと 再び覚めて 一眠り 浮き世の夢は 暁(あかつき)の空」。これは秀吉の辞世の句「露とおち 露と消えにし わが身かな 難波(なにわ)のことは 夢のまたゆめ」と比較すると面白い。辞世の句はそれぞれに上手すぎるので本当にその場で本人が詠んだ歌か疑問にも思うが、浮き世ではどんな夢を見ていたのか。・・現代では家康の亡くなった年齢といえども「老人」とはいえない。辞世の句を詠んだということは直前まで頭もクリアであったのだろう。現代のお年寄りたちには”脳トレ”を兼ねて毎日歌を詠むのはいかがか。やがてどこかで辞世の句ができる・・。
今日の写真(下)は昨日訪れた谷中の「寺町美術館」で妻が購入した人形を庭で撮影したもの。
2014-04-17 人形

4月18日(金) <朝から一日雨模様・・・>
朝から一日雨模様。桃の花を見に行く予定を取りやめたので自由な時間ができたはずだが、一日終わってみると急に寒くなった雨空の下、1時間40分ほどは歩いて過ごしていた。何かトピックはないかと見渡せば居間に薔薇(バラ)が咲いている。<バラが咲いた バラが咲いた 真っ赤なバラが さびしかった僕の庭に バラが咲いた たった一つ咲いたバラ・・> マイク真木が歌った「バラが咲いた」(例=ここ)の赤いバラとは違う「ブラックティー」という品種の薔薇だ。妻が一輪頂いたのであるが、薔薇ブラックティー(Black Tea )は実に上品ないい色をしている。”渋めの赤茶色”とか”濃い紅茶のような色”、”暗い朱色”などブラックティーの色について表現が多様であるのはそれだけ微妙な色彩である証拠でもあろう。それとブラックティーの花の色は温度でも変化するとも聞く。この一輪の花はいつまで見ていても飽きが来ない・・。<下に薔薇ブラックティー の写真を掲載したが 色のニュアンスは今一つ表せなかった>
2014-04-18 薔薇ブラックティー

4月19日(土) <HAPPY EASTER !・・・>
HAPPY EASTER ! というメールをいただいた。スエーデンの親しい友人からのメールであったが、宗教行事については私たち日本人は相手が常識と考えている事さえ理解していないことを痛感する。イースターは復活祭で、イエス・キリストが十字架にかけられて亡くなって三日後に復活したことを記念するキリスト教では最も重要な祭りとされる。イエスが処刑されたのが金曜日(聖金曜日)、三日目の日曜日、今年は明日4月20日の日曜日が復活祭である。<どの日曜日を復活日(復活祭)にするかは西方教会と東方教会で異なるそうだから分かり難い=ここ=参照、ちなみに今日は「聖土曜日」と呼ばれることもある> 復活したイエスを祝して、HAPPY EASTER ! となるのは、キリスト教ではイエスの受難(磔による死)は自らが選んだ行為で復活は死を克服した祝うべき象徴となる。・・スエーデンの友人のメールにはストックホルムの教会でDaniel Hardingの指揮するオーケストラ(彼の娘さんが主要なメンバー)でバッハのマタイ受難曲を聴いたと書いてあった。これだけは私もCDを持っている。久しぶりにマタイ受難曲を聴いてみよう・・。
表紙には陶芸作品「コスモス碗A2」を掲載した。前回の「碗A1」の裏側。


4月20日(日) <昨夜は我が家で生ハムパーテイー・・・>
昨夜は我が家で生ハムパーテイーをした。ニューヨークに住む娘家族から日本の通販で「生ハム」をプレゼントされたので、親戚筋に声をかけ若い人や子供たちにも来てもらったのである。私も含めて全員が骨付きの巨大な生ハムを削り出して食べるのは初めての経験。全長70cmほどの生ハムブロックの他に木製の台やナイフが付属しているセットを開封し、まずドライバーを用意して台を組み立てる。次に台上に生ハムブロックを固定して準備OK。いよいよ専用のナイフで生ハムを削り出すのだが、薄くきれいに切り出すのが難しい。わいわい言いながら交代でやっていると皆上達してくるから面白い。切り出した生ハムはその場で食べても塩加減が適度で非常に美味しかった。これまでの日本文化にはなかった食べ方を初体験して改めて人間の食への執念と多彩な工夫を見る思いがする。
2014-04-20 生ハム 削りスタート

4月21日(月) <歴史の常識・・・>
歴史の常識は国によって大きく異なる。ニューヨークの中学校に通う孫娘のMieuはブログ(日本語)で時々そのことを教えてくれる。アメリカの歴史は300年ほどと短いので日本では考えられないほど細かな内容を”常識”として覚えなければならないという。例えば南北戦争は1861年4月12日に始まったことまで記憶しなければならない(終結は1865年4月9日、おそらくリンカーン大統領が行った「ゲティスバーグ演説」の年月日も常識なのだろう)。アメリカでは自国の歴史が短い分、古代ローマ、ギリシャなど世界の歴史を小中学生の頃から学ぶ。・・国と国の間の歴史となると善悪や正義-不義が真反対になることがしばしば起こるので最早「常識」の意味はない。明治日本の元勲・伊藤博文をハルピンで暗殺した人物が韓国では英雄視される事例を出すまでもない。歴史が都合のいいように改ざんされるのもまた一方の事実。「歴史観」が真実の歴史をねじ曲げることもある。そうかといって学んだことと別のところに真実があるかも知れないと世界中の人が考えることは期待できない。話は飛躍するが1949年の建国から65年しか経過していない中華人民共和国で3000年以上の「中国の歴史」をどう教えているのか興味がある。
 
2014-04-21 陶芸作品の水盆にコデマリが似合う (右)はタンポポとハナミズキ(中目黒公園にて)

4月22日(火) <白金の自然教育園・・・>
白金の自然教育園(=ここ)に自転車で行った。これまで何度も書いているが、ここは都会のオアシスとも言うべき広大な森林緑地。行きさえすればどのような季節であっても都心とは思えない異空間でしばし時を過ごすことが出来る。見上げれば下の写真(1)のような巨木に圧倒されるし、足下を見れば今の時期沢山の草花が咲いている。今日撮影した草花の一部を下に掲載する。写真(2)は左から、ニリンソウ(二輪草)、イチリンソウ(一輪草)、ヤマブキソウ(山吹草)。二輪草、一輪草は共にきんぽうげ科の多年草で、それぞれ名前の通りに一本の茎から二輪と一輪の花を咲かせるので分かり易い。山吹草は花の色が山吹と似ているのでその名が付いているがケシ科の多年草。背丈が1〜2mになる樹木に華やかな黄色の花を咲かせるバラ科の山吹とは違って地面近くに温和しく咲いている。写真(3)は左から、エビネ(海老根)、シャガ(著莪)、ハナダイコン(花大根)。「教育園」だけあって、それぞれの花の側には名前や品種を書いた解説板がついているので間違いない。この場所で多くの樹木や草花の名前を教えられた。そして訪れる度に名前を記憶しているかテストされ復習するのも楽しい。
今日の表紙には 陶芸作品「コスモス碗Aシリーズ」を掲載。フラッシュの加減で赤色がかなり強調されている。

 
2014-04-22 (1)                 (2)
(3)

4月23日(水) <オバマ大統領が今日の夜・・・>
オバマ大統領が今日の夜7時前に羽田空港に到着した。この夜、銀座の寿司店で非公式の夕食会が開催されるという。丁度同じ時刻頃に私たちはテニス仲間6人で会食をスタートした。集合場所に来る途中、いたる所で警官の姿を見かけたのはオバマ大統領の警護だったのだろう。それにしても今夜の会食に行くために麻布十番駅で地下鉄・大江戸線を使ったのは思わぬ初体験となった。駅の地上入口からホームまでがとにかく深く遠い。余程の時間の余裕と元気がないと麻布十番で大江戸線を使うべきでないと心に決めた。国賓として来日したオバマ大統領のおもてなしは安倍総理がやっているようだが、私たちの会合は仲間の一人が80歳となったので皆でお祝いをしたもの。80歳といっても私とよくテニスのパートナーを組む。決して相手に引けをとらないと言っておこう。明日もこの先輩と組んでゲームをするのを楽しみにしている。

4月24日(木) <久しぶりに駒沢公園・・・>
久しぶりに駒沢公園に行った。正式には駒沢オリンピック公園と呼ばれる公園で昭和39年(1964年)の東京オリンピックのバレーボールやレスリングの会場となった施設がある。以前、コーギー犬を飼っていた当時には犬を連れてよく遊びに行ったことがあるが犬が亡くなってからはほとんど行く機会がなかった。公園内を歩いているとコーギー犬を遊ばせた記憶ばかり浮かんできたのは少々意外だった。あらためて訪れてみた駒沢公園は何と言っても広々とした空間が贅沢だ。ジョギングやサイクリングのコースも整っている。「宇宙ケヤキ」といって2008年にスペースシャトルで地球を218周した後、駒沢オリンピック公園に植えられたというケヤキの木まである。公園の中にはテニスコートもあった。今日の午前中はテニスを楽しんだというのに、他人のプレーするのを眺めていると時間を忘れてしまった。
 
2014-04-24 @駒沢オリンピック公園にて

4月25日(金) <毎朝6時25分から10分間・・・>
毎朝6時25分から10分間NHKのテレビにあわせてラジオ体操をするのが日課として定着している。以前は犬の散歩で朝近所の公園に行ったときラジオ体操の時間となることがあったが決して一緒に体操に加わることはなかった。それが最近は友人、知人に機会ある度にラジオ体操を勧めているから変われば変わるものである。テニスで運動が足りている気になっていたが2〜3ヶ月前にテニスだけでは左右の関節の使い方が極めて偏ることを実感した。関節痛で左半身が言うことを聞かず、さんざん苦労した後、ラジオ体操に行きつき、これが左右のバランスをチェックするのに最適でしかも非常によく出来た運動であることが分かった。何を今更といわれるのでいい訳をする。これまでラジオ体操をバカにしていたのは、本当の体操を知らなかったといえる。だれでもできる中高年のだらだら体操のイメージがあったが「テレビ」で初めて本物のラジオ体操を見た。きびきびした本物の動きはテレビで初めて理解したので「テレビ体操」が私の先生だ。現在のラジオ体操第1は1951年(作曲服部正)、第2体操は1952年(作曲団伊玖磨)に制定されたから当然ラジオしかない時代にできた。第1、第2ともに13科目の運動があるところで昔からほとんど本物の動きを知らずに形だけを真似していたのだろう。変な言い方だが、ラジオ体操をするならテレビ体操にしよう!

4月26日(土) <今日の表紙に・・・>
今日の表紙に「Mieuへの絵手紙/トリック皿」(ペンと水彩)を掲載した。久しぶりにN.Y.に住む孫娘Mieuへの絵手紙を描いたもの。どうもこのところ創作意欲が沈滞していて描く頻度が少ないと反省。”トリック”とは中央の四角台への上り下り階段とみるとどこかおかしいという図。以前「角皿」として同様のトリック皿を陶芸で制作したことがある<何と2006年に作っていた(=ここ=/2006-11/2)>。今回、絵はがきに描いた絵
も角度を変えて見ると下の写真のようになる。
今晩は陶芸教室での食事会があるので今からでかける。陶芸教室が代官山から現在の下北沢に移転してから丸2年が経った。陶芸も絵画も同じであるが初心に帰って諸々を見直す時期なのかも知れない。

  

4月27日(日) <恵比寿ガーデンプレイス・・・>
恵比寿ガーデンプレイス(東京)が今年開業20周年を迎えるという。今これを記念して「20th Anniversary ドリームガーデン」のイベントが開催されている(=ここ)。恵比寿ガーデンプレイスが開業した当時娘がパリに留学中でガーデンプレイスを描いた絵手紙を娘に送った覚えがあるので、20年の歳月は特別に感慨深い(このHPにこの絵手紙を掲載していた=ここ)。今日、恵比寿ガーデンプレイスに行って写真を撮った(下に掲載)が20年前の絵手紙と比べて樹木が大きく成長しているのが際立っている。庭園デザイナーがプロデュースしたドリームガーデンは楽しい空間ではあるが日光が当たらない中央広場に設置されているので植栽には少し可哀相。むしろ時計広場に作られた「PETER RABBIT  HAPPY GARDEN」の方が陽を浴びて生き生きと見えた。20年後の恵比寿ガーデンプレイスをイメージしたというドリームガーデン。果たして20年後この場所が実際にどうなるか、それは娘と孫娘に見てもらおう・。
 
2014-04-27 @恵比寿ガーデンプレイス       手前部分がドリームガーデン
 
ドリームガーデン (中央広場)           HAPPY GARDEN(時計広場)            

4月28日(月) <自転車大活躍の一日・・・>
自転車大活躍の一日だった。午前中はテニス、午後は陶芸教室、その間都バスの営業所に二度往復といずれも自転車で移動。体調がいいときには進んで自転車に乗りたくなる。先日のテニスの集まりでは、”闘争心がなくなった”と仲間がこぼしていた。陶芸の集まりでは昔からの男性メンバーが”意欲を持って作りたいものがなくなった”と話した。自分の場合、同じような「嘆き」を体調が悪いときに実感する。闘争心とは、負けたくない心、向上心、自己改善にも通じる。制作意欲も似たようなもの。共に生きる意欲の源だ。例えば高齢者でも神から与えられた命を、他人のため、社会のために捧げて活動するエネルギーは広義の闘争心(パワー)に思えることがある。良い意味の闘争心は生命力を保つために不可欠だろう。闘争心とか生きる意欲は結局「気力」なのだろうか。いや、気力、考え方もあるかも知れないが単純に「体調」で左右されるところが悩ましい。

4月29日(火) <新国立美術館・・・>
国立新美術館(東京・六本木)に自転車で行った。渋谷川近辺の文字通り「谷」から広尾にかけては登り坂、更に六本木ヒルズの丘へも登りで、自転車にとって行きは苦しいが帰りは逆に下り坂。まさに苦あれば楽あり。国立新美術館での展覧会では毎度考えさせられるが今日も同じ思いをした。公募展での知人の絵画はそれなりにじっくり鑑賞できたのだがとにかく絵画の数が膨大でしかも巨大なサイズの絵が並ぶ。世の中にはこれほど自己主張が強い人間が多いのかと「美」とはかけ離れたところで疲れ果てる。ものすごい労力とお金(絵の具代、キャンバス代もばかにならない)をかけて自分を表現するエネルギーに圧倒されるが逃げたくなるのである。何も描かない真っ白な壁が欲しくなる。友人が開催する小さな絵画のグループ展では素直な作品に触発されるのにどうしてだろう。私は個性ある「型破り」な作品は好きな方であるが「形無し」ではしようがない。絵画とは難しいものだとつくづく思う・・。
 
2014-04-29  国立新美術館の駐輪場においたマイ自転車

4月30日(水) <世や花に 判官びいき 春の風・・・>
「世や花に 判官びいき 春の風」。桜の花も一陣の風が吹くとあっという間に散ってしまうので人気が高い。判官こと源義経が平家追討で大活躍したにもかかわらず兄・頼朝の不興を買い若くして自害に追いやられたことに対する哀惜の情は「判官びいき」の言葉を歴史に残した。今日、4月30日は源義経が自害した日という。勿論、旧暦であるので「この日」は余り意味をなさないが1189年自刃した義経は満年齢で30歳の生涯だった。兄(異母)頼朝の追討を逃れて奥州平泉の藤原秀衡(ひでひら)のもとに一旦は身を寄せた義経だが秀衡の死後嫡男の藤原泰衡(やすひら)が頼朝の命に屈して義経一行を襲った。この際義経は戦わずして正妻と4歳の娘を殺害した後に自害し果てたというから痛ましい。義経を討った藤原泰衡は結局頼朝に殺されて奥州藤原氏は滅亡する。征夷大将軍となった頼朝にしても義経の死から10年後に51歳(満年齢)で亡くなり、やがて頼朝の妻北条政子の系列である北条氏が台頭する。こうして歴史を見ると、正に諸行無常、盛者(しょうじゃ)必衰である。・・何故か、ふと思い出すのは母のこと。母は何より親兄弟・親戚同士が憎みあい殺し合う戦国時代の歴史が大嫌いであった。

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