これまでの「今日のコラム」(2014年 8月分)

8月1日(金) <真夏には老人の疑似体験・・・>
真夏には老人の疑似体験ができるというと叱られるか。真夏の太陽の下でテニスをやるとボーとして頭が正常に働かない。判断力が鈍り、集中力もなくなる。更に身体も思うように動かないので普段はあり得ないミスを犯す。身体の末端に神経が届くまでに時間がかかる感じ。もう得点や勝ち負けなどどうでもいいや・・。老人になると、こんな状態で悔しい思いをするのでないかと思い当たる。今日は運動ではなく酷暑の中、肉体労働で少々オーバーワーク。そこでは心地よい達成感というより、ただ身体を休めて早く寝たいと本能的な休息要求のみが強く働きプラス思考ができない。これも老人的というのはよくないかも知れない。勿論、強靭な老人は数知れず、老人と一言ではくくれない。それでも自分の肉体や精神が思うようにコントロールできない歯がゆさを体験すると老人に同情すると共に予備軍として何をすべきかを考えてしまう。「70にして矩(のり)を超えず(論語)」ではないが、
そろそろ、心の欲するままに行動してオーバーワークにならないようにしようか・・。
8月2日(土) <今日は初めて歩いて墓参り・・・>
今日は初めて歩いて墓参りにいった。毎月、息子の月命日の2日に墓参をしているが転居して墓のある九品仏・浄真寺(東京・世田谷区)まで歩くことが出来る距離となったので今回は車でなく必ず歩いていくことに決めていたのである。それでも炎天下で歩くと大汗をかいた。おまけに道を間違えて二倍以上の距離を歩くというバカなことをした。父母や息子らの墓参りをした後、今日は同じ寺の墓地にある母の父母、つまり私の祖父母の墓にもお参りをした。こちらの墓は前から気になっていたので剪定ばさみやゴミ袋を準備していき、徹底的に樹木の剪定と雑草取りをした。この墓に眠っている祖父は寺田寅彦とも親交のあった明治時代の理学者で私が理工系の進路をとるにも影響を及ぼした。祖父から譲ってもらった寺田寅彦全集は私の愛読書であった。墓に来るといつも今は生きてはいない人々の力を強く感じる。生を享受している私たちは多くのこの世にいない人たちのサポートを受けて今がある。
 
2014-08-02 @九品仏・浄真寺にて

8月3日(日) <70歳過ぎた友人が再婚・・・>
70歳過ぎた友人が再婚したとのメールを受け取った。転居通知をだした中学校の同級生からの返事で、中学のある地方(兵庫県・姫路)の話題をあれこれ書いたところで、”4月に再婚しました”とある。本人は趣味も多い人物でこの3月にはハワイでバンド仲間と演奏会を開催し、更に路上ライブをしたという。自分のことを考えると、73〜74歳で路上ライブはまだ分かるが「結婚」までのパワーはない。最近発表されたデーターでは去年の日本人男性の平均寿命がはじめて80歳を超えたとあった(女性の平均寿命は86.6歳で世界一位)。70歳半ばでもまだ余生は長い。女性の平均寿命の方が男性より長いと言っても、私の周辺には奥様を先に亡くした男性が何人もいる。普通、再婚の選択肢があることなど考えも及ばないが、再婚も特別なことでない時代となった。元気のある人には再婚を勧めようか・・。

8月4日(月) <今日の成果を問われても・・・>
今日の成果を問われても余り書くことがない。午前中は強風と相変わらずの猛暑の中でテニス。午後、家で引越後の整理をするが思うほどに進捗しない。ピアノのオーバーホール・調律は最終日となったが自分には関係がない。特筆すべきは調律士さんと完成祝いに鰻重を食べたことか。とにかく何をやるにも蒸し暑さで意欲が削がれた一日だった。今日の教訓は真夏のこの暑さの中では部屋に冷房をつけなさいということか。何と言っても人は気温と湿度で動きが変わる。少しでも成果を期待する仕事をするなら冷房が必要とは、また今更何を言っているかと叱責される結論となった。
8月5日(火) <今、午後の9時・・・>
今、午後の9時、外出先から帰ってきたところで室温が33度。直ぐに冷房を入れた。今日は各地でこの夏の最高気温を記録したという。群馬県館林市では39.5℃、東京では36.1℃となった。暑い日には無駄なことを考えるのに限ると、今日はピアノのオーバーホールで不要となったハンマー(ピアノ弦を叩く部品)や付属品を使って何が出来るか終日眺めていた(ピアノのオーバーホールについては7月30日のコラム=ここ=参照)。「何ができるか」は何を作るのが正解か、何を作るべきかという制約は一切ない。アイデイァ次第で何でもあり。これほど愉快で豊穣な時間はない。世界で一つのモノができるかどうか。暑さが収まり涼しくなったころには結果を出したいなぁ・・。
下に部品の一つの写真を掲載する、ハンマーとの本来の接続構図は7月30日コラムの写真を参照。
2014-08-05

8月6日(水) <今日の東京地方の日の入り時刻・・・>
今日の東京地方の日の入り時刻は6時40分(ちなみに日の出時刻は4時47分)。日の入り15分前の写真を下に掲載した。その5分後、6時30分には太陽は地平線付近の雲に隠れてしまい雲間の陽光しか見えなかった。雲一つない空と思っていたが丸い形で地平線に沈む太陽はなかなか撮影できない。今年は特別”夏”を感じるが、理由は明らかだ。引越前と比べると浴びる太陽の量が違う。7月に今の地に引越してきて初めて陽の光がこれほど場所で差があるものかと驚いた。引越前には都心の便利な場所であったが1階に住んでいたのでほとんど太陽を見なかった。夏は暑いと言いながら照りつける強烈な太陽とは無縁だったことに今になって気がついた。同じ東京に住んでも暑い度合いは自分を基準に感じている。日本中で暑さの感覚はどれほど違うものか。暑さ寒さは言うに及ばず、悲しい、うれしい、貧乏、裕福などみんな言葉だけで個々人の感覚は相当にずれているのだろう。他人を思いやるなんて安易にできるものではない。
2014-08-06

8月7日(木) <朝のテレビ体操の時間・・・>
朝のテレビ体操の時間(NHK6:25〜)にテレビ画面に並べて鏡を置いて体操をやってみた。これが思った以上に効果をもたらした。若々しくスマートなテレビの中のお姉さんたちとは違った自分の姿をリアルに見ることが出来る。不様でも間違えてもごまかしのきかない我が身である。テニスの場合も専用の鏡の前で自分のフォームを見ると、こんなはずではなかったと愕然とすることがある。ビデオで自分を撮影された場合も同じ。最近は鏡で自分の顔を見ると兄弟に似ているので、これまた善し悪しは別にして同類の人間なのだと気づく。自分のしゃべりはまた聞こえない。しゃべり方、何をどう話したかは本人が当たり前で分かっているようで分かっていない。録音してみると。やはり愕然とするのでないか。他人のことをあれこれ言う前に先ず自分を知る鏡が欲しい・・。
8月8日(金) <「女性の活躍促進」・・・>
「女性の活躍促進」とアベノミックスの成長戦略で改めて言うまでもなく、一昔前と比べると女性の活躍はめざましい。今日は近所の西友ストアの大工道具コーナーで板材を切断する際に女性店員のお世話になった。はじめにたまたま売り場の案内を頼んだ女性店員が板材を切断するコーナーにも案内してくれた。誰か他の男子店員が切断を行うのかと思うと、その女性自らが馴れた手つきで切断機械のセットをはじめた。こちらの注文はかなり面倒で4種類の長さに板を切断するのだが、長さの精度を出来るだけ正確に仕上げしたかった。例えば、340mm長さに対して寸法公差をプラス0、マイナス0.5mm程度にして欲しいと言ったところ、339.8mmにセットして切断した。完成した寸法をチェックしたところ、いずれも欲しい寸法ピッタリであった。切断用の機械の精度がいいと言ってしまえばそれまでだが、たまたま案内を頼んだ女性定員が要領よく切断加工までやってしまう。女性の活躍するこの西友ストアはこれからも大いに利用できそうだそうだ。

8月9日(土) <夏痩せて・・・>
夏痩せて 嫌ひなものは 嫌ひなり」(三橋鷹女)。作者の物事に敢然と立ち向かう気性の激しさを感じさせる句だ。鷹女(たかじょ/1899〜1972)は昭和期に活躍した俳人。鷹女の句は当時としては前衛的なところがあり、何か自分を叱咤激励しているようなものも多い。「夏やせ」というとこんな句もあった。「夏痩せて 火星に棲める かほかたち」、「夏深く 我れは火星を 恋ふをんな」。この頃には「火星」が流行ったのだろう。「四面楚歌 香水左右の 耳朶(みみたぶ) へ」は意味深長でどんな状況だったか想像するのが楽しい。「百日紅(さるすべり) われら初老の さわやかに」、「老いしと思ふ 老いじと思ふ 陽のカンナ」。老いに抵抗した鷹女も今の私の歳ほどで亡くなっている・・。
8月10日(日) <いま柳原白蓮が注目・・・>
いま柳原白蓮が注目されているという。ご存じ、村岡花子の半生を原案とした朝のNHK連続テレビドラマ「花子とアン」の中で葉山蓮子としてでてくる人物である。テレビでは仲間由紀恵が演じているが、実在の白蓮はまた波瀾万丈の人生を送った。柳原白蓮(白蓮は歌人としてのペンネーム/1885<明治8>〜1967<昭和42>)は当時、大正三美人の一人とされたそうだから仲間由紀恵は
ぴったりだ(ちなみに、三美人の他は九条武子、江木欣々とか)。テレビドラマでも出てきたが新聞紙上でもセンセーショナルに取り上げられた白蓮事件(駆け落ち事件)を経て離婚、再婚、華族から平民となるなどドラマチックな81年間の生涯だった。その間、歌人として多くの歌を残している。少し引用させていただく。「われといふ小さきものを天地(あめつち)の 中に生みける不可思議おもふ」、「キリストのむすめとよばれほこりもて 学びの庭にありしいくとせ」、「何を怨む何を悲しむ黒髪は 夜半の寝ざめにさめざめと泣く」、「おとなしう身をまかせつる幾年は 親を恨みし反逆者ぞ」、「ともすれば死ぬことなどを言ひ給ふ 恋もつ人のねたましきかな」、「世の中のすべてのものに別れ来し われに今更もの怖じもなし」。・・いつの時代も女性は強い・・。
8月11日(月) <台風一過の大風の中・・・>
台風一過の大風の中、谷中にお墓参りにいった。今日11日は昨年6月に亡くなった義兄の月命日。今はその義兄の住んでいた家に転居してきているが、1年前には考えもしなかった運命的な縁でこのようなことになった。谷中はお寺の多い街でお墓のあるお寺に行くまでにも10以上のお寺の前を通る。お寺の前で立ち止まってそれぞれのたたずまいをみているだけで豊かな気分になる。また谷中は江戸情緒たっぷりの古い店や住居が立ち並ぶ。通る度に新たな細い路地を発見するのも楽しみだ。引越の後片付け仕事が山磧しているときに妻と墓参りする時間は何よりの気分転換となった。江戸の昔、四国八十八カ所巡りのお遍路さんたちも信心はあったかも知れないが、当時、大気分転換できる数少ない公認されたツアーであったのだろう。江戸っ子たちが大勢参詣(さんけい)に押しよせたという大山詣りも同じだろう。キリスト教やイスラム教の聖地への巡礼もまた公認された旅行の側面もあったのでないだろうか。墓参りは私たちにとって有難い非日常の行事となった。
 
2014-08-11@谷中にて(左は墓のある瑞輪寺)

8月12日(火) <病院の待合室で「奥の細道」・・・>
病院の待合室で「奥の細道」を読み出すと面白くて止まらなくなった(病院といっても皮膚科の気楽な症状)。といっても、この本「マンガ日本の古典」シリーズの中の「奥の細道」で、矢口高雄による漫画の本であるが、これが実に優れものだ(中公文庫)。松尾芭蕉(1644〜1694)が45歳の時に弟子の河合 曾良(そら)を伴い江戸を出発するときから始まり、途中で伊賀で生まれた人物がいかにして「芭蕉」となったかのエピソードが巧みに漫画で紹介されている。もちろん、奥の細道の道中でポイント毎の俳句も挿入されているのは言うまでもない。病院では更に先まで読んでみたいと思いながら、平泉近辺で呼び出しを受けてしまった。芭蕉といえば何となくお爺さんのイメージがあるが、50歳の生涯であった。「暑き日を 海にいれたり 最上川」(奥の細道/酒田にて)。「旅人の 心にも似よ 椎の花」。
8月13日(水) <アロマテラピーを新居で再開・・・>
アロマテラピーを新居で再開し始めた。この3月に自分でアロマテラピーに興味をもってはじめたが(3/7コラム参照=ここ)、その後継続できずにアロマオイルも放置されていた。引越騒動でそれどころでなかったこともあるが、アロマデフューザーの騒音が高い上に使い勝手が悪いことにも原因があった。今回は娘が引越時に帰国して新しいデフューザーをプレゼントしてくれたので、それを使ってみた。同じアロマのデフューザーで、これほどの差があるのかと思うほど新しいデフューザーが優れている。しかも音がしない(前回はネットで形だけ見て購入したので音が非常に高いことまで分からなかった)。夏は部屋に風を通す際にはアロマは向かないが、クーラーのときにファンを最小限にしてアロマを使うと、それなりに香りを楽しむことはできる。娘はデフューザーの他、アロマオイルも揃えてプレゼントしてくれた。そして、その効能をアロマの瓶にテプラで書いたラベルを貼り付けてくれている。いわく:「頭冴え」、「疲労後」、「神経落ち着く」、「ストレス」、「暖かい気持ち」、「前向き、希望」etc.。こちらは、全くの初心者。ラベンダー、レモン、オレンジなど個々にどのような作用があるのかなど基本から勉強しなければならない。

8月14日(木) <今日はテニスの後・・・>
今日はテニスの後、渋谷、恵比寿、新宿、そして目黒をまわった。山手線の駅から数分内の場所でやる用事ばかりであったが、全て予定通りにノルマは片付いた(ノルマといっても、健康保険・高齢受給者証の再発行とか、住所変更に関する確認、auショップで携帯電話の住所変更などで重い仕事は一切なし)。ふと気がつくと電車やバスに乗る際に少々目立つテニススタイル。半ズボンで汗をかいたシャツは着替えてはいるがスポーツシャツに運動靴、野球帽だ。お盆休みで都心の交通機関は比較的空いているので座席に座ることもあったが薄いシャツの汗が座席の背もたれに付かぬように背中を浮かせて座ったりした。それにしても、ほんの1〜2ヶ月前は地元であった恵比寿や渋谷が何か新鮮な街にみえたところが面白い。時間をかけて訪れると、そこには今の住宅地とは明らかに異なった街があった。日本を離れて外国に行くと日本の姿が別のもに見えてくるという話があるが、慣れ親しんだ場所でも離れて見ると見えていなかったところに気づくことがある。転居後の今の場所は全てが新鮮に見えているがこの感覚を大切にしたい。

8月15日(金) <8月15日は・・・>
8月15日は、終戦の日、月遅れ盆(旧盆)、聖母マリアさまが昇天された日、そして私たちは正式に転居して住民票、健康保険証、印鑑証明に登録した住所変更、郵便その他の住所変更など転出・転入に必要な手続きがほぼ完了した日となった。正確に言うといくつかの銀行、BANK、信用銀行など住所変更が必要なのに終わっていないものはまだある。今日は住民基本台帳カードの変更もやったが、これまで転居前の地で使用してきたe-taxのデータ等は全て使用できなくなったので、ゼロからのやり直しとなる。転居してみて、私たちは地域社会の一員として組み込まれた存在であることを改めて感じる。税金は元より介護保険のあり方、防災対策、ゴミの出し方などその地区のやり方に従わなければならない。今回、転居前の渋谷区、転居後の目黒区でそれぞれの区役所で手続きをしたが、いずれも窓口の人が親切で適切な説明をするのに感心した。役所の中でも迷っていると直ぐに行き先を教えてくれた。役所全体に沈滞した気分が全くないだけで希望が湧く・・。

8月16日(土) <久しぶりに陶芸・・・>
久しぶりに陶芸に行った。2週間前に陶芸教室で開かれた食事会には参加したが、作品造りをするのは約3ヶ月振りか。忙しいとか先にやるべきことがあると言えば、いつまで経っても陶芸はできないので、部屋は片付いていないし、やりたいことも山積しているけれども、今日は強引に陶芸教室に出かけたのである。やったことは3ヶ月前に素焼きが出来上がっていた皿、5枚に釉薬をかけただけだが、少々手の込んだ釉薬を使ったので3時間ほどかかった。この間、作業に集中して気がついたら夕方。心地よい疲労感は残るが、久々の充実感。雑念なく何かに没頭できる時間は何より貴重だと改めて思う。・・陶芸教室に行くために下北沢方面ヘのバスに乗ったが、今のお盆休みの時期、特別のバス時刻表で1時間に3本のバスしかなかった。20分も待たされたがこれもまた一つの初体験だ。

8月17日(日) <今日の作品(表紙)に「ヒマワリ」・・・>
今日の作品(表紙)に「ヒマワリ/mieuへの絵手紙」(ペンと水彩)を掲載した。転居前そして転居後も「今日の作品」が全く手に付かず時間ばかりが経過するので、今日は何が何でも”mieuへの絵手紙を描こう”と決めていた。描き始めると1時間足らずで完成してしまう小さな絵はがき。毎日でもこれくらいの時間は取れないはずはない。けれども、いざ描こうと思ってから”以前と違う”思いを新たにした。先ず、描く用紙は引き出しの中にあったが、絵の具が見つからない。パレットも見つからない。未整理の箱を探しまわって見つけ出し、ようやく彩色できると思ったら筆がない。引越の際に筆はどこに入れたのか・・。実のところ今になっても筆のセットは見つかっていない。今日の絵ははぐれた筆が一本見つかったので同じ筆で全ての色を塗った。未だ絵を描くほどに身辺が整理できていないことが露呈したが、こういうことがない限り何が整理できていないかも分かっていない。何でもいいからやってみる、動いてみると問題が明らかになる。小さな絵手紙を描くだけでもその時間は暑さを忘れていた。「向日葵に 天よりあつき 光来る」(橋本多佳子/1899〜1963)。「向日葵や 日ざかりの機械 休ませてある」(山頭火)。


8月18日(月) <今日、東京の湿度は96%・・・>
今日、東京の湿度は96%(早朝)。しかもほとんど風がなく太陽が照りつける猛暑の中で午前中テニスをやった。前にも同じことを書いた覚えがあるが、このような条件の中で集中力は落ちるし身体が思うように動かないけれども、ある種の闘争心、負けてたまるかと思うことが集中力を少しでも高める働きをすることが実感できる。少々大袈裟に言えば、死んでたまるか、生き延びるぞという限界の意識はこのようでないかと感じるのだ。死んでもいい、どうでもいいやと思った瞬間に動作は加速して悪くなる。もちろん実際には熱中症対策には万全を期し、頻繁に休息し水を飲む。無理をしないことが大原則だ。それにしても人間は楽をして甘やかされるよりも時に厳しい条件を体験するのはいいことだと考えるのも今日のような日だ。無理をせずに鍛える、これが一番難しい・・。

8月19日(火) <今日は記念すべき日・・・>
今日は記念すべき日となった。大きな課題が解決したこともあるが私にとっては引越後初めてオーディオの音がでた特別の日でもある。オーディオの配線やテストは転居したからといって直ぐに手を出せるものではない。今日、ようやくCDの再生が出来たのは、それだけ余裕ができた証かも知れない。オーディオの再生が出来た程度でそれほど喜んでいるのには事情がある。引越で持参した英国製グッドマンのスピーカーセットが上手く音が出るかどうかが大問題だった。前の家ではこのスピーカーを全く使うことなく倉庫に眠っていたから、往年の名器といっても30〜50年も昔に製作されたスピーカーは、コーンが劣化していたり正常な音がでないことは覚悟しなければならない。音を出してみるまで何とも分からないので祈るような気持ち・・。・・それが、すばらしい音で再生できたのである!!。特にバイオリンの弦の音など実際に目の前で演奏しているような完璧な音の再生だ。これほどの性能のスピーカーを全然使っていなかったとは宝の持ち腐れであった。前の家では再生する環境がなかったともいえる。実は、このスピーカーは一年前まで今いる家に住んでいた義兄から10年以上前に頂いたもの。今回、スピーカーが元の家に戻ったという因縁がある。今になって改めて確認すると、スピーカーは英国グッドマンAXIOM301、それに専用のエンクロージャー(スピーカーボックス)が付いている(特別のACOUSTIC RESISTANCE UNIT内蔵)。これからは少し「音を聴く」趣味を増やしたいと思いつつ・・。

8月20日(水) <「降水量と河の流出量」・・・>
「降水量と河の流出量」、「地表流下量と浸透能」、「河道貯溜量」、「増水量の分配」、「地下水流出分」・・、これは昭和27年(1952)に出版された「出水(降雨の流出)」という本の目次である。実は著者、平田徳太郎は私の母方の祖父で当時は林野庁・林業試験場の研究員であった。たまたま今日、引越で持参した古い本を整理しつつ(祖父の本は大切に保管している)祖父の著作を懐かしくページをめくっていたところで、広島地区(その他)で集中豪雨による土砂崩れ災害のニュースである。祖父の著作は他に「水源地の水門学」とか「水資源と森林」など治山治水に関連した本が多いが気象学も専門で、もし現代に生きていたら昨日、今日の全国的な土砂災害には最も責任を感じ、心を痛める人であっただろう。気象学も国土保全のノウハウも祖父の時代から格段の進歩を遂げているはずであるのに未然に災害が防げなかった反省はどうなされるのか。テレビでしゃしゃり出てくる気象予報士さんが他人事のように集中豪雨の後付理由だけを解説しているのをみると救われない。森林を含めた自然、地形それに特異な気象条件など全てをいれて災害を未然に防ぐ治水治山は現代でも日本に生きる基本であろう・・。
8月21日(木) <楽天本社の移転・・・>
楽天本社の移転が報じられている。”アッシには関係のないことでござる”と言いたいところだが何か親しみを感じてしまうから書く。これまでは東京の品川区東品川に楽天の本社があった(りんかい線品川シーサイド駅前の楽天タワー)。それが来年(2015)8月に世田谷区二子玉川に建設中の30階建てオフィスに移転する予定という(=発表=ここ)。最近は私もネット通販で楽天を利用する機会が増えたが、楽天グループの事業内容は多岐にわたるから(売上高4400億円余)、大楽天タワーでも手狭になったのか。実は移転先とされる二子玉川(ふたごたまがわ)は今の場所に転居してから急に身近になった。都心(目黒など)から家に帰る時に乗るバスが二子玉川行き。二子玉(”にこたま”と呼ぶ)の案内を探してバスに乗る。そういえば明後日23日、土曜日には「たまがわ花火大会」が開催されるが東京側は二子玉川が花火会場となるのでバスの運転変更のお知らせがでていた(同一時間に多摩川を隔てた川崎側でも花火大会が開催される)。二子玉川は多摩川を超えると神奈川となる東京の外れであるが都内でも今最も活気のある場所の一つとされる。再開発で多摩川を望む川岸に高層ビルが林立する日も近い。二子玉川にある玉川高島屋の別館(ガーデンアイランド)にあるレストランには幾度かいったことがあるが、これが是非お勧めしたい店。来年の楽天移転を待たずに、涼しくなったら、またこのブッフェスタイルのランチを食べにいきたい・・。
8月22日(金) <早朝5時に車で・・・>
早朝5時に車で妻を目黒駅まで送っていった。東京駅発、6時過ぎの新幹線に乗るのだが、この時間バスは運行されていないのでアッシー君のお出ましとなった。それでも家に戻って、6時25分から始まるテレビ体操には余裕で間に合ったので毎日と同じ体操で一日がスタートした。今日も気温35℃となる猛烈な残暑が続く。そんな中、引越時に別室に積み上げていた油絵を改めて整理しようと取り出した。一枚づつ中味を見ていくと、描いたことも忘れていた絵が沢山でてきた。このホームページにも一部油絵のコーナーを設けて掲載しているが、それ以外に随分描いている。自分なりに色々な描くスタイルを試みているのが懐かしい。その後、陶芸を始めて油絵は長く途絶えてしまったけれども、もし、また油絵を描くとするとどんな風に描くのか興味がある。最近は陶芸も引越騒動で新たに制作するネタは途絶えている。油絵も陶芸も他の創作活動も同じだろうが、後先のことを考えすぎると何もできなくなる。必要か否か、何のために創るのか、制作後の置き場所、不要な場合の後の処分などを考えないに越したことはない。終活(人生の終わりのための活動)などは創作には最もマイナスとなる。先のことなど何も考えずに、創りたいから創る。そんな環境に早く戻りたい・・。

8月23日(土) <IHクッキングを初めて・・・>
IHクッキングを初めて試みた。転居した今の家ではガスの調理器はなくIH(Induction Heating/誘導加熱)になった。ガスのような直火ではないので特に年寄りにはより安全な調理器とされる。妻がいない今日、IHを使ってみるチャンスなので取扱説明書を取り出して簡単な料理をやってみたのである。まず加熱が非常に早いので驚いた。炎が見えないのに、焼く、いためる、煮る、ゆでる、温めるなど何でもできる優れた機能に今更ながら感心する。それに、IH用に適さない鍋をかけても表示を点滅させて駄目なことを教えてくれる。IHの加熱は底からであるので鍋の底はフラット(平ら)でなければならないが、底以外は余り熱くならない。IHに習熟すれば今まで以上に簡単かつ多様な調理ができそうである。さて、問題は妻が戻った後どれだけやれるか。これもゆとりを計る目安となりそうだ。
今夜は「たまがわ花火大会」の日。意外にも今の場所から遠くに花火が見える。音が騒々しいほどに響いてくる。二子玉川(花火会場)がこれほど近くであることを再認識した。来年は二子玉まで花火を見に行こうか・・。
2014-08-23 遠くの花火/夜景、花火の撮影に不慣れで
写真が下手
8月24日(日) <家の向き西日に残る暑さかな・・・>
「家の向き 西日に残る 暑さかな」。正岡子規が詠んだこの句の通り、この夏から西日が入る明るい家に住み始めたが、今年の残暑は特別で身にこたえる。残暑といえば芥川龍之介にこんな俳句がある:「ぢりぢりと 向日葵(ひまわり)枯るる 残暑かな」。もう一つ、小林一茶の句:「荻(おぎ)の葉に ひらひら残る 暑さかな」。荻(おぎ)はススキに似た穂をだすイネ科の多年草。荻(おぎ)は秋の季語であるが秋の七草の「萩(はぎ)」とは違う。萩(はぎ)は「秋」の上に草冠の文字と分かり易く、ピンクの可愛らしい花を咲かせる。そういえば名字も荻野さんとか萩原さんに分かれる。いや、荻原さんも萩野さんもあるか・・。日本語は難しい。
今日の写真には飛行機型をしたモビールの写真を掲載した。以前から部屋に飾っていたが、この度転居して初めて空のバックで写真を撮ることができた。こんな新発見をこれからも写真にしてみたい。
2014-08-24

8月25日(月) <100円ショップ・・・>
100円ショップは今やすっかり生活の中に定着したかにみえる(もちろん、全く無縁な人もいるだろうけれど)。こんなものを、よく100円で売ることが出来ると感心することも多い。これだけ安いと性能とか耐久性がどうとかいうレベルではない。その中でも他の店で扱っていない100円ショップ独自の商品もある。私はA4収納用のプラスチック容器を重宝しており、先日、同じファイル容器を求めて一般の文具店に行ったが欲しい厚さのものがない。前回は100円ショップで買ったので、近所のダイソー(100円ショプの大手)にいったところ、扱っていなかった。今日は別の用事で訪れた渋谷でキャンドゥ(これも、100円ショプの大手)に寄ったけれども似て非なるものはあったが、同じものはなかった。以前は確か恵比寿のキャンドゥで買ったはずだが・・。原宿、竹下通りのダイソーにも時々行くことがあるが、品数が多く、見て回るだけでも楽しくなる。一方で、プラスチック容器のように何年も同じ商品が続くかどうかは分からないところがあるようだ。欲しければまとめて買っておくことか。ダイソー、キャンドゥ、セリエなど100円ショップの大手だけで年間売上は約5500億円とか。100円ショップを侮ってはいけない。

8月26日(火) <知人の陶芸家・・・>
知人の陶芸家の個展を見に行った。友人、同僚、先生とするのもピッタリ来ないので知人と書いたが、30歳代の若い女の子である。陶芸を始めた時にたまたま同じ初心者コースで学んだが、彼女はその後研鑽を積み陶芸教室の助手を務めたり常滑に何年間も陶芸の修行に行ったりして、今は立派な陶芸家になった。いくつかの公募展で入賞を重ねたりもしている。今日展示してあった作品は従来の彼女のスタイルを更に突き破る新境地も見られて、こちらも元気づけられた。いい意味でやはり若さは気持ちがいい。作品からもエネルギーがほとばしる。個展が開催されているギャラリーは代官山の無垢里(むくり)(=ここ)。このギャラリーは狭い路地に面した場所にあり、名前の通り「無垢」な感じのする独特な雰囲気を漂わしている(=ここ)。先月、転居するまでは家から歩いて行ける距離であったので散歩がてら無垢里には何度も通ったものだ。これからは今回のような展覧会がないと来る機会がないかも知れないと思うと少し寂しくなった。

8月27日(水) <以前許せたことが我慢できなくなって・・・>
以前許せたことが我慢できなくなって直ぐにキレルとか、昔は協調性があったのに何事も自分本位になって他人に共感しなくなるなどは老化現象の一つとみなされる。最近読んだものによると、これは脳の萎縮に絡んでストレスを緩和する機能が衰えた結果とする説があった。一方で前頭葉や海馬などの脳部位はストレスの蓄積により萎縮するとの説明もある。どちらにしても素人的に理解するのはストレスを溜め込むのが脳神経にとって良くないこと、ストレスをうまく発散していないとストレスに対する許容度まで低下して正常な脳活動ができなくなること。脳が本能的に嫌なことから逃避するために付随して物忘れが加速したり認知機能が衰えることもあり得るかも知れない。同じことを経験しても人によってストレスとなる場合もあり、ならない場合もあるのが微妙な分かれ道となりそうだ。睡眠時に嫌なことばかり思い出してストレスを蓄積するより、楽しかったことをイメージしたり他人に感謝することのみ思って眠りにつく方が脳を疲労させないのは当然だろう。収縮した脳を回復させることも可能だとして以下の文章を見つけた:「脳は驚くほど可塑性に富むから、運動や瞑想、あるいは社会の助け合いで縮んだ脳を元に戻せる」(=ここ=より引用)。

8月28日(木) <朝から雨・・・>
朝から雨。今日の最高気温は23℃で、昨日と比べて温度差10℃と気温が激変した。本来は過し易い気温となって元気がでても良さそうだが、夕刻には身体全体に疲労をおぼえて居眠りしてしまった。身体が環境に適合するには”時間遅れ”があるようだ。最近、何かに付け思うのは、人間はそれぞれで色々な環境に遭遇するが環境条件と幸せであるか否かは関係がないということ。当たり前といえばそれまでだが、大金持ちが幸せとは限らないし、貧乏でも十分幸せであることは珍しくない。有名人であるが故に不幸な人生を送る人もいる。権力を持っているから幸せということは先ずない。病気であるがゆえに家族の愛情を感じることもあるだろう。・・今日の一日、まだ続く整理仕事の合間に、2台のパソコンを無線で印刷できるように調整、エレベーターのメンテナンス立会、銀行で住所変更手続き、ついでに義兄夫妻宅でお茶など。涼しい気温に身体は驚いていたが動けただけでもこれぞ幸せ・・。

8月29日(金) <ブックオフは全国に約1000ほど・・・>
ブックオフは全国に約1000ほどの店舗数があるというから知らない人はいないだろう。私も気楽に本を読みたい時には近くのブックオフに行けば100円で古い(といっても傷みのない清潔な)本を買うことが出来るので活用することがある。今日はブックオフの出張買取に立会った。引越前の家には山ほど本を残してきたのでブックオフに引き取ってもらったのである。再利用できる本はいくらかの値がつくが以前の経験からどんなに自分で愛着があり、貴重な本と思ってもほとんど値はゼロ。むしろマンガのシリーズ本などの方が専門書より価値があると見なされる。それでもゴミとして即焼却されるよりも一旦再利用が検討されるだけで売り側は気が休まる。たまたま今日のメールで知人が引越時などに”なんでも買い取る”「ハグオール」という業者を紹介してくれた。私は知らなかったが、この「ハグオール」はブックオフグループの会社で昨年2013年4月に設立されたものだった。「自宅にあるあらゆるものを買い取ります」の宣伝文句で、衣類、家具、家電、貴金属、キッチン用具や雑貨まであらゆるジャンルの商材をまとめて買い取るという。引越前の我が家には正にまとめて処分したい品々が溜まっているが、廃棄するには”モッタイナイ”ものも多い。箱に入った新品ではないけれど“いいもの”、”味がある”と認めてくれる人ならばお金なしでも使って欲しい。うまくリサイクルできるように、ハグオールが一助となるかどうか、検討中だ・・。

8月30日(土) <今日はこの夏初めて風呂・・・>
今日はこの夏初めて風呂に入った。なぬ?・・といっても毎日シャワーは浴びている。転居して唯一前より性能が落ちたのが水道の圧力で、風呂を溜めるのに時間がかかるので新居ではシャワーで済ませてきた。シャワーでなく風呂に入ること自体少し余裕がでた証と見るか、夏バテが表面化したと見るか・・。整理や片付けには飽きてきたので今日はしばし「雲」を見ていた。朝方は雨。午後は曇りから晴れ間も見えてきて、雲が西の方向にどんどん流れていく。雲の写真を撮ろうとして、一度カメラのシャッターを押しても次の瞬間には雲の位置は変わっている。雲を見ているだけでも大いに気分転換になることは確かだ。
 
2014-08-30 夕刻の雲@東京

8月31日(日) <駒沢公園まで散歩・・・>
駒沢公園まで散歩した。特に目的はなく少し涼しくなったので転居した新天地の周辺を探索しようと出かけたのである。最近はバス、電車を乗り継いで神宮までテニスに通う身としては、歩いている途中で4カ所もテニス場の前を通り、しばらく羨ましげにプレーに見とれたりもした。と言っても、この近所のテニス場はスクール用であったり賃貸コートであったりで会員制はないようだ。当面これまで40年以上通ったテニス場を変えるつもりはない。歩きながら3〜4カ所の公園にも寄った。今の時期に咲いている花の写真を撮りたかったが、どこの公園でもほとんど花がないのは意外だった。最後に着いたのが駒沢公園。花がないのはここも同じ。改めて駒沢公園を観察するとあえて花や樹木を除いていることが分かった。オリンピック駒沢体育館・管制塔などが建設されたのは1964年。設計の建築家、芦原 義信氏はイタリアの石の公園をイメージしてコンクリートの重々しい雰囲気を狙ったとされる(ちなみに、芦原 義信氏は銀座のソニービル、池袋の東京芸術劇場の設計者))。その時代のトレンドであったのだろうが、今見ると私などは箱庭的な池や樹木そして花などが見られなければ何か殺風景に感じてしまう。公園での花は見つけられなかったが、住宅街で個人の玄関先には色々な花が見られるのが日本のいい所か。幸い鮮やかなハイビスカスの花の写真が撮れたので下に掲載する。
 
2014-08-31 @駒沢公園

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