これまでの「今日のコラム」(2015年 2月分)

2月1日(日)    <今日から二月、如月・・・>
今日から二月、如月(きさらぎ)。あっという間に1月、睦月(むつき)が過ぎ去った。あえて旧暦の月名を使って書くのは、旧暦の名をこの機会に使ってみないと忘れてしまうからでもある。白状すると「きさらぎ」が直に出てこなかった。弥生(やよい)3月はまだ馴染みやすいが、如月は下手をすると記憶から消え失せる。今日は珍しくかなりの時間を本屋さんで過ごし、色々な本を眺め、時には立ち読みをした。その中で、俳句を暗唱して脳のトレーニングをする記事を読んだ。年寄りの認知症予防の一つとして、知らない句を数秒で記憶し、ある時間をおいて復唱してみるとよいそうだ。それにしても、インターネットや電子書籍の普及によって印刷物としての書籍が危機であるといわれているにも拘らず、膨大な量の新刊書が本屋さんに並んでいる状況を見て何かホッとした。活字の本を読むことだけでも脳は活性化するのは間違いない。
2月2日(月)    <「楽あれば苦あり」か「苦あれば楽あり」か・・・>
「楽あれば苦あり」か「苦あれば楽あり」か。自転車で坂を行き来すると毎回こんなことが頭をよぎる。月曜日には自転車でテニス場まで往復するので、約90分間は自転車に乗る。”行きはよいよい、帰りは怖い”ではない”行きは楽楽”であると、帰りは苦しくなるのが「坂道」である。よくできたもので、テニス場へのルートは上り坂と下り坂が入り交じっているので、行きも帰りも上り、下りの両方を体験する。ところが、面白いことに体調がいい時には上り坂が全く苦にならない。一方で下り坂を楽と意識しないが平坦な道よりも上り坂の方が走りがいがあってむしろ楽しい。自転車に限らず何事でも同じだなと思う。やりがいのある課題だと思えば「苦」にはならない。楽をし過ぎると頭も身体も鈍る(にぶる)に違いない。適度な試練があるからこそ楽しみが味わえる・・。
 
2015-02-02 息子の月命日で訪れた九品仏浄真寺にて(東京‐世田谷区)
2月3日(火)    <五島美術館に・・・>
五島美術館に行ったのは何年ぶりか。五島美術館(東京‐世田谷区)は2010年から丸二年かけての大改修工事のため長く閉館していた。2012年に新装オープンしたことは知っていたが今日まで訪問する機会がなく年月が過ぎてしまった。今開催されている展覧会は「茶道具取り合わせ展」(=ここ、2/15まで)。お茶のことは何も知らないし、茶碗や花生を見る目があるとも思わないが、非日常の別世界に触れてリフレッシュすることは確かである。この美術館は庭園がまた見所である。美術館の敷地は6000坪、武蔵野の丘陵の面影を残した広大な庭は一回りするだけでいい運動にもなる。今日見ると美しい庭園の背景に二子玉川地区の高層ビル群が見えた(下写真4参照)。五島慶太さんは自分が毎日庭から富士山を眺めた方向に超高層のビル群が立ち並ぶ風景を想像できただろうか。それにしても、こうして庭園が維持されて一般人が入ることができるだけでもありがたい。
<明日から小旅行のためコラム休みます>
 
2015-02-03 五島美術館入り口   右は庭園風景
 
五島美術館庭園にて


2月6日(金)    <千葉県の南房総を・・・>
千葉県の南房総を巡って先ほど家に戻った。義理の姉夫妻とのドライブ旅行で、勝浦に二泊して勝浦周辺から南へ海よりの道を走った。東京の近場である千葉県でもまだまだ知らないところは多い。南房総といえば東京よりかなり温暖なはずであるが、今回はとにかく寒かった。昨日など鴨川シーワールドでイルカの鮮やかなショウを震えながら見学した。それでも後で温泉に入って極楽極楽。旅のいいところは温泉と食事というと年寄り染みているか・・。
 
2015-02-06 
誕生寺(=日蓮の誕生を記念して建立された寺/小湊)  右は寺の側・鯛の浦にある弁天島
 
右の灯台は房総半島最南端にある野島崎灯台


2月7日(土)    <表紙に今日の作品・・・>
表紙に今日の作品として「mieuへの絵手紙<勝浦にて>」(水彩)を掲載した。勝浦で宿泊した宿から見た勝浦漁港の風景。日本独特の崖を削って道路を通した「切通し」のような地形で、崖ぎりぎりまで住居が連なり、しかも狭い地域に密集して村落を形成する景色が何とも美しく見えた。この場合は海や半島など自然を越えて人の住む家々が主役となる。昨日の朝には日本三大朝市の一つで、400年以上の歴史があると言われる勝浦朝市に行った。流通の形態が変わりスーパーやコンビニなどが溢れている今の時代に毎日朝市が成り立つだけでも驚異。今日、陶芸教室に顔をだして勝浦に行ったことを話すと、直に”朝市に行った?”と聞かれた。今晩の夕食には朝市で買った金目鯛。しばらくは南房総の余韻を味わえる・・。

2月8日(日)    <今朝のNHKテレビ・日曜美術館・・・>
今朝のNHKテレビ・日曜美術館で川喜田半泥子を特集していた。半泥子(1878〜1963)は本職は実業家(銀行の頭取)であったが陶芸家として類いまれなる傑作を残した。私は自由奔放で独創的、しかも探究心も旺盛な半泥子の作品が大好きなのだが、作品だけでなく生き方や考え方にも感銘を受ける。”芸術は遊び”として膨大な量の質の高い作品群を制作したにも拘らず、生前一作品を売ることなく知人や友人に分け与えたという。同時代に東の魯山人、西の半泥子と称せられたそうだが、私としては魯山人の作品は好きだがお友達にはなりたくない。けれども半泥子には人間的な親しみを覚える。先日、半泥子が衝撃を受けたという桃山時代の茶器「古伊賀水指 銘 破袋(五島美術館蔵)=ここ」を見てきたばかりだが、「破袋」の模写を試みた半泥子の作品銘が「慾袋」(写真=ここ)であるのには半泥子のユーモアが垣間みられて面白い。実業家として成功したお金持ちが美術品のコレクターとして名を残した人は多いが、実作者としては半泥子ほどの人を知らない。
2月9日(月)    <闘争心について・・・>
闘争心について考えた。雪でも降りそうな寒さで猛烈に風が吹く中、負けるものかと闘争心を奮い立たせながらテニスに行くために自転車を漕いでいた。テニスを休んで家の中でぬくぬくと過ごす選択もないではない。けれども一旦外に出ると闘争心を持たなければやっていけない。手袋をやっていても凍てつくような寒さ、冷たい風。これしきのことに負けるものかと戦う相手は自然である。戦いというと何か悪く解釈する人がいる。私は平和主義、誰とも争いたくないという、それができれば誰も苦労しない。ここで言いたいのは困難への挑戦である。相手が自然となると人間は無力と言えるほど弱い。大雪、大風、地震、台風などにしても自然の手加減一つで人間の生存すら危うくなる。闘争心を奮い立たせてみてもただ自然の力を少しかわす程度しかできない。けれども、困難を克服しようとする闘争心は人間が何かをなす時には必ず必要となる。闘争心を持った挑戦がなくなればもう生きている意味もないのではないかと思えてくる・・。
2月10日(火)    <造化の妙・・・>
造化の妙を何に感じるかは人によって異なるだろう。ある人は人間そのものの成り立ちを思うだろうし、宇宙の構造を見る人もいるかも知れない。私は魚類とか海に生息する生物の不思議な形状や色を見ると人間が想像する域を超越した神業をみる。人間が一生懸命にアブストラクトの模様を考え、とんでもない色を選んで描いたとしても自然界にある深海魚一つがそれ以上の外観を当然のごとく備えている。形態が環境に適合して進化したと見ても進化すること自体が造化の妙であろう。動物に限らず植物もまた造化の妙。花の一つをとってもどうしてその姿になったのか、見れば見るほど不思議である。人間が自然を模倣し必死に真理の探究を行えば行うほど目にすることのない創造主がますます偉大に見えてくる・・。
2015-02-10 卓上のバラ
2月11日(水)    <自転車の後輪がパンクした・・・>
自転車の後輪がパンクしたと思って修理に持っていくと、ただのチューブのパンクでなくタイヤが摩滅して亀裂が入っていた。考えてみると、これまで一度もタイヤを交換していないので無理もない。10年近く乗ったと自転車屋さんに言ったら手入れがよいと褒めてくれた。よく見ると前輪のタイヤもかなり摩耗している。前輪、後輪双方のタイヤを交換するとかなりの出費となる。修理は保留して家で妻に話したところ、”新しい自転車にしたら”と決断が早かった。確かに両輪を交換するならほとんど新品自転車が買えてしまう。これまでの自転車には十分に働いてもらって感謝であるがモノには全て寿命がある。そろそろ自転車も変え時かも知れない。興味深いのはパソコンやテレビ、自動車などは10年前と今では機能に格段の差があるけれども自転車はほとんど変わりがないように見えること(電動にはしない)。この際、最新の自転車を研究してみよう・・。
2月12日(木)    <今日の東京は日中10℃・・・>
今日の東京は日中10℃を超す暖かさ。月曜日には凍えるような寒さの中でテニスをしたが今日のテニスでは上着を脱いでプレーしても汗をかいた。丁度一年前のこの時期、東京は大雪であった。今考えると昨年のこの時期に関節痛で苦しんだことと、雪が降り続いてテニスや他の運動もほとんどやらなかったことが密接につながっているように思える。関節は正直なもので冬場には適度に動かしてゆがみを直さなければ骨の周りが固まってしまうようだ。テニスは天候で左右されるが今年はテニスと別に昨年と変えた生活習慣がある。朝6時25分から10分間、テレビを見ながらテレビ体操をやることは前に書いたが、その前の時間、6時頃から椅子を使ったストレッチを毎日行う。テレビ体操の前準備として関節を伸縮させるのだが、これが非常に有効であると自分では感じる。一年前の今頃には首を横に曲げることもできなかった。リュックサックを背負い自転車に乗るだけでも苦痛だった。それが今年は何も痛くない。問題はこれをいかに継続させるかだろう。まんべんなく使っていなければ直に衰える。身体も頭も同じことか・・。
2月13日(金)    <墓参りのハシゴ・・・>
墓参りのハシゴをした。妻と私の都合を調整していると今日の二つのお墓参りとなったのである。一つは世田谷・九品仏浄真寺に息子と両親の墓参り。次に台東区谷中の瑞林寺に義兄の墓参り。どちらにしてもお墓参りをすると何か気が清らかになる。俗世間の垢を削ぎ落とした世界に接することができるからだろう。浄真寺の境内では梅の花が咲き始めていた(下の写真)。梅は「寒苦を経て清香を発す」として好まれる。もちろん人間にしても厳しく苦しい時期を乗り切ったからこそ爽やかな栄誉の香りを発する人が好まれることとつながる。最近の”俗世間”の話題では、お隣の国の「ナッツ姫」、日本のフリーアナウンサー徳光さんの息子など例を挙げればきりがないほど寒苦とは無縁でぬくぬくと育ったご仁がトラブルを起こしている。「若い頃の苦労は買ってでもしろ」には同感。冬の厳しさがあるから春先の花に感動する。
 
2015-02-13 九品仏浄真寺境内にて    右は谷中の路地
2月14日(土)    <ブラジル在住の大竹富江さん・・・>
ブラジル在住の大竹富江さんが昨日101歳で亡くなられたと報じられている。日本では大竹さんは余り知られていないがブラジルでは抽象画や現代彫刻の大御所として有名でブラジルの大統領が逝去を悼む声明をだしたという。私も以前大竹富江のことをコラムに書いた記憶があり調べてみると一年前2014年5月8日のコラムだった(=ここ)。そこでも触れたが大竹富江さんはブラジルでこそ才能を発揮できた女性で日本にいたらどう評価されたか分からない。芸術方面でも日本は特別の権威が横行する。同じような女性アーテイストに草間彌生さんがいる。彼女は日本でも名が知られており85歳の現在でも日本の内外で元気に活躍中だ(=ここ)。”前衛の女王”草間彌生もまた米国で名をなしたからこそ日本でも認められたのだろう。・・今日、陶芸教室に行くと最近時々会うボストンから陶芸を学ぶために来日しているという若者が来ていた。彼は陶芸家を目指し来月からは笠間で修行とか。日本留学が陶芸の世界で箔付けになる訳ではないだろうが彼の作品は私の好みでもあり実にいいセンスにみえた。大成するように応援したくなる仲間だ。
 
2015-02-14 ポインセチアがまだ元気  右は三軒茶屋の路上(陶芸教室に行く途中 )
2月15日(日)    <日曜日には早朝に短歌と俳句・・・>
日曜日には早朝に短歌と俳句のテレビを見る。NHK教育テレビで6時25分からテレビ体操があるので、その前後の時間に短歌と俳句の番組を見るのが習慣になった。以前は余り興味がなかった詩の世界であるが見ているうちに非常に面白くなった。いつも感心するのが選者やゲストの言葉や文字に対する”感性”だ。絵画や陶芸などでも同じ作品を見て人が何をみてどう感じるかで全く価値が変わってくる。詩歌でも一つの言葉や文字を見て10の状況に想像を巡らす感性があるからこそ限りなく世界が広がるのだろう。なるほど表面だけ見ていては”それがどうした”と発展性がない。同じものを見て、同じ言葉を聴き、同じ人間と接しても感性がなければ宝物に気がつかない。先日、本屋さんで俳句の本を立ち読みしていたら短時間で俳句を記憶すると脳を活性化してよいと書いてあった。そこで今日の一句:「春風や闘志いだきて丘に立つ(高浜虚子)」。
2月16日(月)    <錦織圭選手がテニスのメンフィス・オープン・・・>
錦織圭選手がテニスのメンフィス・オープン決勝戦で勝利し大会三連覇の偉業を達成した(日本時間今日の早朝に決着)。現地でもメンフィス・オープン三連覇したのは史上初めてと賞賛されている。メンフィスは米国テネシー州の西端にある都市(ミシシッピー川に面している)。メンフィスというとロックンロールの神様ともいうべき歌手エルヴィス・プレスリーが両親と共に住んだ町として有名である。錦織圭に優勝の表彰式で与えられた”ギター・トロフィー”はもちろんプレスリーの街である証だ。・・私は一度も行ったことのないメンフィスについて書きながら今特別の思い出に浸っている。30数年前になろうか、私の娘がまだ小学生の頃数人の子どもたちと一緒に米国内を演奏旅行で周遊したことがあったが、その時メンフィスをも訪れた。主催者が小さな子どもたちをプレスリーの墓にも連れて行ってくれたようだが、娘はプレスリーのことを全く知らなかったことが帰国後の話題となった。その娘はいま自分の子ども(孫娘はもう当時の娘よりずーと大きくなった)を育てながらニューヨークで暮らしている。今の米国の子どもたちはプレスリーのことをどれほど知っているのかちょっと興味深い。
2月17日(火)    <人感センサーをインターネットで購入・・・>
人感センサーをインターネットで購入してトイレの照明を改造した。やはりネットの通販で購入したLED照明とあわせてトイレの照明は一段と明るくかつ自動に仕上がった。人感センサーは今では至る所で使用されており簡単に購入できるようになったのはありがたい。ところが既存の電気機器に付属している人感センサーにはそれぞれに”くせ”がある。最近購入したファンヒーター二機種にも人感センサーが付いているが、今足下で動いているファンヒーターを人感センサーモードにするとセンサーの目の前でパソコンを操作しているにもかかわらず身体の動きがないと停止してしまうことがある。もう一つのファンヒーターは逆に人がいなくなってもかなりの時間停止しない(正確に時間の計測はできていないが)。とにかくも人感センサーを作動させているだけで安心感はあるので細かなクレームはなしにしよう。
表紙には「mieuへの絵手紙/勝浦にて2」(水彩)を掲載した。2月6日の旅行コラム参照。

2月18日(水)    <勇気こそ地の塩なれや・・・>
「勇気こそ地の塩なれや梅真白」 (中村草田男)。梅の季節にこの俳句が気になった。「地の塩」はいうまでもなく新約聖書の山上の垂訓「地の塩 、世の光」からの引用であろう。中村草田男(1901〜1983)は「降る雪や明治は遠くなりにけり」を詠んだ俳人として知られる。死の前日に洗礼を受けたというから当然キリスト教や聖書に関する知識は生前から豊富であったのだろう。それにしても冒頭の句がどのような状況下で詠まれたものか。調べてみると1944年太平洋戦争末期に学徒動員で出征する教え子の「門出」に際して詠んだ作品であるようだ。白い塩に真っ白な梅、純真無垢な若者、そして「勇気」の取り合わせが時代の緊迫感を表している。今の日本は当時と違い平和そのものであるが、なぜかこの句からは勇気をもらえる。
表紙に掲載した「mieuへの手紙」は先日南房総を旅行した際の野島崎漁港での風景。

2月19日(木)    <先ずは谷川俊太郎の詩・・・>
先ずは谷川俊太郎の詩:「他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ/自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ/でき上がったどんな権威にもしばられず/流れ動く多数の意見にまどわされず/とらわれぬ子どもの魂で/いまあるものを組み直しつくりかえる/それこそがおとなの始まり・・」<=今朝の毎日新聞・余録からの孫引き、詩のオリジナル全文例=ここ>。これは「成人の日に」というタイトルの詩であり毎日新聞は選挙権年齢が18歳に引き下げられる法案に関連して引用していた。私は新聞と全く違う見方でこの詩に感動した。それでは、60〜70歳の高齢者を含めて今の大人は”おとなの始まり”を経た大人と言えるのだろうか。谷川俊太郎(1931〜)は詩の中で「永遠に終わらないおとなへの出発点」といっているが人間は何歳になってもおとなへの出発点を歩んでいる。生涯、「自分のうちに他人と同じ醜さをみとめる」のを拒む人もいる。18歳が未熟とはいえないし60歳が成熟しているともいえない。
2月20日(金)    <久しぶりに陶芸の釉がけ・・・>
久しぶりに陶芸の釉がけをやった。今年になって陶芸の新作を一点も掲載していないことからも陶芸の低調ぶりが分かる。昨年7月に長年住んだ恵比寿の家を引き払い今のところに転居してまだ生活が地についていないことと陶芸教室に通うにしても以前の倍以上の時間を要することなどが低調の原因か。それでも細々と陶芸を続けている。土曜日にはできる限り教室に通うことにしているけれども明日は所用があるので今日の時間を作った。陶芸教室で釉薬をかけていると親しくなった米国人の若者から”あなたはアーテイストね・・”と言われた(日本語で)。日本人からは、いまだかってこんなことを言われたことはない。よ〜し、アーテイストとして元気をださなければならない。・・今日の写真(下)は陶芸の帰途、都立大学駅の側にある和菓子の名店「ちもと」で買ったお土産の「桜餅」。
2015-02-20桜餅
2月21日(土)    <根津美術館で開催・・・>
根津美術館で開催されている特別展「動物礼賛ー大英博物館から双羊尊がやってきた!」はいよいよ明日22日(日)が最終日となる。根津美術館に所蔵されているもう一つの「双羊尊」と”時空を超えた奇跡の出会い”を果たし、世界に二体しかない双羊尊が明日までは展示室に並んでいる。双羊尊は古代中国・殷の時代、紀元前13世紀〜11世紀に制作されたとされる青銅器(=ここ=参照)。大英博物館の双羊尊の方が若干古いと鑑定されているが、どちらにしても3100年前か3200年前かに制作された精緻な青銅器には何度見ても圧倒される。今日は知り合いのピアニストと一緒に根津美術館で双羊尊を鑑賞した。私がこの特別展で双羊尊二体に会うのは三度目(1/18&1/31コラム=ここ参照)。双羊尊に関する講演会(二度参加)で聴いた内容を受け売りして説明したがピアニストさんの方は実物を見るだけで十分に楽しんでくれたようだ。双羊尊が好きというだけで何か自分のことのようにうれしくなった。

  2015-02-21 根津美術館の庭園にて
2月22日(日)    <今日は東京マラソンの日・・・>
今日は東京マラソンの日。天気予報では雨であったがどんよりした曇り空の下約36000人が都心の道路を駆け抜けた。世界のマラソントップランナーがゴールする11時頃に来宅した甥と一緒にテレビを見た。優勝はエチオピアのネゲセ(2時間6分0)、日本選手で最高は今井正人が7位(2時間7分39)。甥は去年までの数年間続けて東京マラソンに出場していたので久しぶりにテレビ観戦しながら叫んでいた。トップ選手がゴール地点(東京ビッグサイト)に着いたとき”こんな時間には自分たちはまだ銀座の手前を走っていたよ〜”。この甥っ子は走ることには全くの素人であるが東京マラソンで味を占めて来年ニューヨークマラソンに出場する予定だ。今日の東京マラソンには外国人が88カ国から5000人以上参加したという。エリートランナーだけの催しでなく多くの一般人が参加できる大会としてマラソンは国際化したイベントのモデルとなってきている。
2015-02-22 今日はニャンコとフウフの日であるそうな
2月23日(月)    <早朝まで想定外の雨・・・>
早朝まで想定外の雨(天気予報はよく外れる!)。朝7時の様子を見てテニス行きはあきらめた。そうすると9時頃から薄日が出てきて道路は乾いてきている。愚痴を言っても始まらないのでテニスに代わる運動をすることにした。昼食後、とにかくも家を出て脚の向くまま、結局は2時間以上散策をした。この地に引越してきてから未だ1年も経っていないのでほとんどは初めて通る道となる。駒沢公園(下の写真1,2)には何度も訪れているがその都度姿が変わっているので面白い。駒沢の西側、深沢では都内でこれほどの豪邸が残っているのかと驚いてカメラのシャッターをきった(写真3,4)。それにしても今日歩いた一帯は世田谷区であるが、この近辺には「沢」が多い。駒沢の西には野沢、、東に深沢、その南に等々力、更に南が奥沢だ。ちなみに等々力は等々力渓谷の滝の音がとどろくことが語源とする説があるから全て沢や谷。・・時間をとることができれば体力的には3〜4時間歩くことは容易。まだまだ街の新発見がありそうだ。
 
2015-02-23 駒沢公園<塔の完成はもう一息>
 
深沢の豪邸
2月24日(火)    <新しいテニスラケット・・・>
新しいテニスラケットを買った。今までのラケットはもう10年間近く使ったからもったいなくはない。先日、友人が来宅したときテニス仲間でないのに話題がテニスのことになり、シープのガットがどれほど素晴らしいかを聞かされて是非シープを使ってみるように勧められた。そこで私も一生に一度くらいは高級なシープガットを張ってみるのも悪くないと思い、シープについて調べたり、テニス店で意見を聞いたりした。シープとは昔羊の腸を材料としていたので「シープ」と呼ばれたが、今は牛の腸が使われるので「ナチュラル(天然素材)ガット」といわれる。最近はナイロン系やポリ系など化学繊維素材の性能が非常によくなったのでナチュラルは一般的に使用されることは少ない。けれどもナチュラルでないと味わえない打心地やコントロール性のよさなどからマニア的にナチュラルが好まれるのも確か。あるテニス店主によれば今はラケットの形状が化学繊維系に合わせているのでナチュラル用に合うラケットが少ないと話していた。ナチュラルの愛好家はマニュアルでギアシフトする自動車愛好家のようなものと話す人もいた。あれこれ考えた末に、今回のラケットにはナイロンストリングを張り、ナチュラルは使わないこととした。それでも新ラケットを手に取ってワクワクしている。
2月25日(水)    <自分の弱点を正直に話す人・・・>
自分の弱点を正直に話す人にはホッとさせられる。弱点にどう対処するかを聞いて勇気をもらうこともある。今朝6時からのNHK教育テレビの番組「スーパープレゼンテーション」では女性歌手のミーガン・ワシントンさんがそんなプレゼンを見せた(本放送は一週間前の夜10時からで朝は再放送=ここ)。彼女の弱点は吃音(どもり)。子どもの頃から吃りがひどかったが歌う時には全くどもることがなく治療のためにも歌ばかり歌っていたという。彼女は「人前で話すのが怖い理由」と題して、ゆっくりと、時にどもることもあったがユーモアを交えて見事なスピーチを見せてくれた。「歌うことが安らぎ」、「歌っている時だけが自分が流暢と感じる」という彼女のプレゼンテーションは弱さを語ったが故に、どんな流暢に話す人よりも聴衆を引きつける力があった。
2月26日(木)    <人をほめられる人が賢者・・・>
「人をほめられる人が賢者」。これは今朝のEテレ(am6時20~25分)「モタさんの言葉」(=ここ=参照)。モタさんこと斉藤茂太さん(1916〜2006)は、ご承知の通り、歌人・斎藤茂吉の長男で精神科医にして随筆家。小説家の北杜夫は弟で、茂太さん自身も多数の著書を残している。。人は褒められることによって大きく飛躍する。モタさんが子どもの頃に父親(茂吉)から小言ばかり言われるのに対して祖父(茂吉の父、精神科医で政治家であった斉藤紀一)からは何でも褒められておじいちゃんのことが大好きだったと語っているように褒めるおじいちゃんが茂太を大成させたのかも知れない。世の中には”厳しくしつける”の名の下に優秀なこどもや若者のやる気を喪失させ自主性を奪う指導がどれだけはびこっていることか。”叱るより褒めろ”は教育指導の場だけでなく、あらゆる人間関係の場でも同じこと。褒めるのはお世辞でなく本当に相手のポテンシャルに感動することだろう。
2月27日(金)    <今日、金曜日にめずらしくテニス・・・>
今日、金曜日にめずらしくテニス。原則は月、木がテニスと決めているが昨日も雨で久しぶりに晴天となった今日待ちきれずに出かけた。もちろん新しいラケットの使い初めのためだ(2/24コラム参照)。やはり新品のラケット(&ガット)には若さというか新鮮な元気さを感じて気持ちがいい。それでも何事にも慣れが必要で、自分の手とラケットと一体になって微妙なコントロールができるようになるには、もう少し使い込まなくてはならない。テニスの後、近くのショールームでハーマンミラーブランドの椅子を見学した。実物に座ってみたり動かしてみたりして面白かったけれども、お値段が高い。高いというのはインターネット価格と比べての話。今はショールームでモノをみてネットで購入する時代なのかも知れない。
2月28日(土)    <世襲制度がなくなり・・・>
世襲制度がなくなり親の身分や地位に関係なく自由に職業が選択できる活気ある社会が今の世の中であるはずである。そんな中で従来から唯一世襲が踏襲されているのが歌舞伎界。先週の土曜日に亡くなった坂東三津五郎は生まれながら歌舞伎役者となることが定められており10代目を襲名して歌舞伎の道を歩んだ。最近は歌舞伎と関係のない一般芸能界で世襲制が復活したかのように二世が目立ち過ぎるのはどうしてだろう。親を越える芸を身につけた人もいるだろうが、どれもこれも皆二世ではその業界が堕落する。世襲議員が話題になる政治の世界でも同じだ。共通するのは自分が吸った甘い汁を子どもにも味合わせたいとの思惑か。話変わって昨日テレビでも放映された大塚家具の経営陣の内紛。父と娘との壮絶なバトルをみると、これは世襲などという生易しいものではない。親の言う通りではいけないという娘さんの現状認識がむしろ素直に親の言う通りにならない清々しささえ感じるから不思議だ。
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