初めてモンゴメリという作家の名を知ったのはごく小さい頃でした。多くの方がそうであるように「赤毛のアン」を初めて読んだときです。最初のアンはマシュウとマリラに引き取られたところで終わってしまっていたので、「可哀想な身の上の女の子が幸せになれるかもしれないお話」程度の読後感しかありませ んでした。それからのアンがどうなったのか気になってしまい、村岡花子さんの翻訳から始まり、最近出版された山本史郎さんの翻訳まで何通りかのアンを読んできたわけですが、日記の存在はまったく知りませんでした。 今回モンゴメリ日記を読ませていただいて、彼女の作品の世界は彼女自身の経験から描かれたものであることがよくわかります。最初の第1巻は、これはアンに出てくるこのシーン、なんて思いながら読みましたけれど、第2巻以降はアンを離れてモンゴメリ自身の心の動きに面白さを感じ始めました。特に第3巻の彼女の気持ちが恋に揺れ動くところはこちらが苦しくなるほどでした。続巻が早く出ないかと心待ちにしています。それまでは、別のモンゴメリ作品を読んでみようと思ってます。いままでは「赤 毛のアン」ファンではあっても「モンゴメリ」ファンではなかったので・・・。 東京在住の「アン」のファン、 Fさんからの感想です。 |
日記を処分しなかったのか・・ どうしてモンゴメリは日記を処分しなかったのか…。 ひとつは誰かに読まれることを想定して書いていたから。実際、後年に書き直した部分があるそうです。 人や土地の好き嫌いとかぐらいは驚きませんが、ある人を理性で 抑えられないくらい激しく深く愛したことが書いてありました。 その愛を終わらせた後のモンゴメリはそれまでの自分とは 全然違う人間になったようだと書いています。 その何年か後には牧師の妻になったのですが、牧師を同じように 愛せたのでしょうか? それはまだ出版されていない年代のことなので、 出版を待つばかりです。 私が心の中で「そうよ、そうよ」と相槌を打った部分を 書き写します。 『ああ、働ける限り、私たちは人生を美しくできる! そして、人生は、 悲しみと苦労に満ちているにもかかわらず、 美しい。この事実に私は日々改めて気づき、人生の美しさが よりはっきりわかるように思う。 この世界には、私たちがそれを見る目やそれを愛する心や 自分自身で集める手を持ってさえいれば、こんなにも多くの 素晴らしいことがある −−男にも女にも、芸術や文学にも、 そして生活のいたるところに、この上なく狭く、 限られたところにさえ−− 喜び楽しみ、感謝すべき多くの素晴らしいことがある。』 本当は作品は作品として楽しみ、作者のことは知らないほうが いいのかもしれませんが、私はすごく知りたいし、少し知った 今のほうがモンゴメリのことをもっと好きになりました。 もしかしたら彼女は等身大の自分をさらけ出して、時を超えた 「腹心の友」をつくりたかったのかも知れません。 福井在住のMさんからおよせいただきました。 |