・・・家康の江戸入府に当たって(略)城造りや都市計画も、すべて戦時体制として営まれたにちがいない。
不敗の戦時軍国防衛体制としての江戸城に、将軍の絶対的権力を確立するための町割や、家臣団・大名などの屋敷が配置され、その営みが恒常化するように、大土木工事が展開された。このように、江戸城の将軍とその直属家臣団である旗本・御家人たちの、城や居宅の造営ならびにその生活を賄うための町人として、多くの職人や商人がこれに従った。築城のための設計者、技術者としての大工・石工・石垣造営者・木挽・左官・鳶職人・運搬業者・屋根師・瓦工・畳や建具職人・絵師・塗師・造園師・武器・武具などの諸職人、また、これらを促進するためのいわば周辺に位置する芸能者とか、皮革・染織などの特殊技能者なども多数動員された。
これらの町人は、江戸幕府によって初期には強制的に動員された技術者などもあったと思われるが、平和が永続するにしたがって、江戸城御用の特権町人になっていった。これら御用達町人たちは『武鑑』などに収載されるようになるが、このように特権化したものは少数の有力な人たちで、その背後にいた諸職人ら技術者の実数は莫大な数であったと考えられる。
(2019.03.18)一、扶持之町人刀御免、但、法躰之者は無用事。
呉服所七人、金銀座七人、本阿彌七人、狩野九人、大佛師左京、木原縫殿助、大久保主水、伊勢屋作兵衛、岩井與右衛門、丸田喜右衛門、辻彌兵衛、伊阿彌角之丞、土屋右衛門、臺屋五郎右衛門